Wikibooks jawikibooks https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 MediaWiki 1.44.0-wmf.3 first-letter メディア 特別 トーク 利用者 利用者・トーク Wikibooks Wikibooks・トーク ファイル ファイル・トーク MediaWiki MediaWiki・トーク テンプレート テンプレート・トーク ヘルプ ヘルプ・トーク カテゴリ カテゴリ・トーク Transwiki Transwiki‐ノート TimedText TimedText talk モジュール モジュール・トーク 統計学基礎/序文 0 1690 263554 225228 2024-11-16T04:30:55Z Ef3 694 校閲と推敲 263554 wikitext text/x-wiki == 序 == 統計学は、実験や観察によって得られたデータを処理し、その背後にある要因との相関関係を明らかにする学問です。特に、物理学のように少数のパラメータで結果を予測できる分野とは異なり、経済学や生物学など、複数の要因が影響を与える現象を扱う際に非常に重要な役割を果たします。これらの分野では、厳密な数式で表現することが難しく、一意的な結果を予測することもできません。そのため、統計学は不確実性を扱うための強力な道具として活用されます。 === 統計学と確率論の違い === 統計学はしばしば確率論と混同されることがありますが、両者は異なる目的を持っています。確率論は、理論的な公理系に基づき偶然の振る舞いを数学的に説明するものであり、確率という概念を抽象的に扱います。一方、統計学は実際のデータを基にして問題解決を図る実務的な手法を提供します。確率論が「原因」を追求するのに対し、統計学は「結果」から出発し、データから有用な情報を引き出します。 確率論が偶然の積み重ねを理論的に説明するのに対し、統計学は実際の観察データを基にその傾向を明らかにし、予測に役立てます。このため、統計学は現実世界の複雑な問題を解決するための実用的な手段として、特に経済学、医学、社会科学などの分野で重要な役割を果たします。 === 統計学の学び方とその重要性 === 統計学の学習においては、しばしば確率分布の理論的な背景が登場します。これらは、統計学の基礎として必要不可欠な概念ですが、初学者にとっては理解が難しいこともあります。しかし、これらの確率分布が統計学におけるデータ解析の土台であることを理解することが重要です。理解を急ぐことなく、これらの概念が実際のデータ分析にどのように応用されるのかを段階的に学んでいくことが、統計学の理解を深める上で大切です。 統計学は、集められたデータから有用な情報を抽出し、それに基づいて未知の事象を予測する手法を提供します。これにより、科学的な研究から社会的な問題解決に至るまで、さまざまな分野で広く活用されています。特に、社会的意思決定や企業経営において、統計学的手法を駆使してデータに基づいた判断を下すことが求められています。 === 結論 === 統計学は単なる数学的な理論にとどまらず、現実世界の問題に対する実践的な解決策を提供する学問です。確率論と補完的な関係にあり、実際のデータを扱うために不可欠なツールとなります。統計学を学ぶことで、複雑な現象を分析し、より良い意思決定を下すための能力を身につけることができます。統計学は、さまざまな分野でその重要性を増しており、科学的な研究だけでなく、日常生活においても広く応用されています。 {{DEFAULTSORT:しよふん}} [[Category:統計学]] ichlfv3ybslri9udrdbyanx5u877lj1 統計学基礎/確率分布 0 1839 263558 244343 2024-11-16T05:03:39Z Ef3 694 校閲と推敲 263558 wikitext text/x-wiki == 確率変数とは == コイン投げの表や裏などの事象を言葉で表すのは不便な場合があるため、「確率変数」を導入する。例えば、 :''X''({表}) = 1 :''X''({裏}) = 0 のように定義する。このように標本空間上で定義された実数値関数 ''X'' を'''確率変数'''と呼ぶ。 標本点に確率が割り当てられていることを考えれば、確率変数の各値にも確率が対応することになる。言い換えると、確率変数とは、確率的に取る値が決まる変数である。 確率変数を用いることで、例えば ''P''({表}) = 1/2 のように書いていたものを ''P''(''X'' = 1) = 1/2 と表現できる。このように、言葉ではなく実数値で事象を記述することで、数学的に扱いやすくなる。 サイコロでは、確率変数は {1, 2, 3, 4, 5, 6} の6つの値を取る。気温のような場合には、10度や20度のような値だけでなく、9.87度のように連続的な値も取ると考えられる。 コイン投げやサイコロのように離散的な値を取る確率変数を'''離散型確率変数'''(または'''離散確率変数''')といい、連続的な値を取る確率変数を'''連続型確率変数'''(または'''連続確率変数''')という。 離散型確率変数の取る値は有限個に限らず、可算無限個(自然数と同じ個数)の場合もある。 == 確率質量関数 == 離散型確率変数 ''X'' が {x<sub>i</sub>} (1 &le; i &lt; &infin;) の値を取るとき、 :<math>f(x_i) = P(X=x_i)</math> によって関数 ''f'' を定義する。この ''f'' を'''確率質量関数'''と呼ぶ。 確率によって定義されているため、次の性質を満たす: :<math>f(x_i) \ge 0 </math> :<math> \sum_{i=1}^\infty f(x_i) = 1 </math> == 確率密度関数 == 連続型確率変数 ''X'' に対して、次の関係を満たす関数 ''f'' を考える: :<math>P(a \le X \le b) = \int_a^b f(x) dx</math> この ''f'' を'''確率密度関数'''と呼ぶ。 離散型の場合と異なり、確率の足し合わせは &Sigma; ではなく積分で表される点に注意する。 確率によって定義されているため、次の性質を満たす: :<math>f(x) \ge 0 </math> :<math> \int_{-\infty}^\infty f(x) dx = 1 </math> == 累積分布関数 == ''f'' を確率質量関数または確率密度関数とするとき、 :<math>F(x) = f(X \le x)</math> によって定義される関数 ''F(x)'' を ''f'' の'''累積分布関数'''または'''分布関数'''と呼ぶ。 累積分布関数を用いることで、次のように表現できる: :<math>P(a < X \le b) = F(b) - F(a)</math> 具体的には、 * 離散型確率変数の場合: *: <math>F(x) = \sum_{x_i \le x} f(x_i)</math> * 連続型確率変数の場合: *: <math>F(x) = \int_{-\infty}^x f(x) dx</math> 累積分布関数の値を数表としてまとめることで、確率の計算が容易になる。 == 期待値と分散 == ''f'' を確率質量関数とするとき、期待値 ''E(X)'' は次のように定義される: :<math>E(X) = \sum_{i=1}^\infty x_i f(x_i)</math> 分散 ''V(X)'' は以下のように定義される: :<math>V(X) = \sum_{i=1}^\infty (x_i - E(X))^2 f(x_i)</math> 分散について、以下の式変形が成り立つため、計算に利用できる: :<math>\begin{align} V(X)&= \sum_{i=1}^\infty (x_i^2-2x_iE(X)+(E(X))^2) f(x_i) \\ &= \sum_{i=1}^\infty x_i^2 f(x_i)-2E(X)\sum_{i=1}^\infty x_if(x_i)+(E(X))^2\sum_{i=1}^\infty f(x_i) \\ &= E(X^2)-2E(X)E(X)+(E(X))^2 \\ &= E(X^2) - (E(X))^2 \end{align}</math> 同様に、''f'' を確率密度関数とするとき: * 期待値: *: <math>E(X) = \int_{-\infty}^\infty x f(x) dx</math> * 分散: *: <math>V(X) = \int_{-\infty}^\infty (x - E(X))^2 f(x) dx</math> 分散については離散型の場合と同様に、 :<math>\begin{align} V(X)&= \int_{-\infty}^\infty (x^2-2xE(X)+(E(X))^2) f(x) dx \\ &= \int_{-\infty}^\infty x^2 f(x) dx-2E(X)\int_{-\infty}^\infty xf(x) dx+(E(X))^2\int_{-\infty}^\infty f(x) dx \\ &= E(X^2)-2E(X)E(X)+(E(X))^2 \\ &= E(X^2)-(E(X))^2 \end{align}</math> が成り立つ。 {{DEFAULTSORT:かくりつふんふ}} [[Category:統計学]] lkcydhmjqmbyss2ynavnoaqme6nvpi1 Java/基礎/算術演算 0 4243 263603 251911 2024-11-16T10:08:22Z Ef3 694 s/(<syntaxhighlight lang=java.*)>/$1 copy>/g 263603 wikitext text/x-wiki {{Nav}} = 式と演算子 = プログラミングにおける式(Expression)は、値や演算子、関数呼び出し、変数などから構成される計算を表す文法構造です。式はプログラム内で評価され、結果の値を生成します。 演算子(Operator)は、式内で値や変数を操作するための記号またはキーワードです。演算子には算術演算子(加算、減算など)、比較演算子(等しい、大なり、小なりなど)、論理演算子(AND、ORなど)、代入演算子(変数に値を代入する演算子)などがあります。演算子は一般的に、式内で値を組み合わせて新しい値を生成するために使用されます。 例えば、以下のような式があります: :<syntaxhighlight lang=text> a + b * c </syntaxhighlight> この式は、変数 <var>a</var>、<var>b</var>、<var>c</var> の値を使用して、乗算(<code>*</code>)と加算(<code>+</code>)の演算を行います。これにより、新しい値が生成されます。 == Javaにおける式と演算子 == Javaにおける式(Expression)は、値、変数、演算子、メソッド呼び出し、またはこれらの組み合わせから構成されるプログラム内の計算を表す文法要素です。式はプログラム内で評価され、結果の値を生成します。 Javaの演算子(Operator)は、式内で値や変数を操作するための特殊な記号またはキーワードです。 Javaの演算子は多岐にわたり、主な種類には以下のようなものがあります: # '''算術演算子(Arithmetic Operators):''' 加算(+)、減算(-)、乗算(*)、除算(/)、剰余(%)など、数値データ型の間で算術演算を実行するための演算子です。 # '''比較演算子(Comparison Operators):''' 等しい(==)、等しくない(!=)、大なり(>)、小なり(<)、大なりイコール(>=)、小なりイコール(<=)など、値や式の比較を行うための演算子です。結果は真偽値(trueまたはfalse)となります。 # '''論理演算子(Logical Operators):''' 論理積(AND:&&)、論理和(OR:||)、否定(NOT:!)など、真偽値を操作するための演算子です。 # '''ビット演算子(Bitwise operators):''' 論理積(AND:&)、論理和(OR:|)、排他的論理和(XOR:^)、否定(NOT:~)などの操作を提供し、ビット単位の操作により効率的なデータ処理やビットマスクの作成が可能です。 # '''代入演算子(Assignment Operators):''' 代入(=)、加算代入(+=)、減算代入(-=)、乗算代入(*=)など、変数に値を代入するための演算子です。 #その他の演算子(Other Operators): インクリメント(++)、デクリメント(--)、条件演算子(条件式 ? 結果1 : 結果2)、ビット演算子(ビット単位の論理演算を行う演算子)など、その他の種類の演算子があります。 これらの演算子を使用して、Javaプログラム内で様々な計算や操作を行うことができます。 == 算術演算子 == Javaにおける算術演算子は、基本的な数値計算を行うための演算子を指します。 Javaでは、整数型と浮動小数点型のデータを扱うための算術演算子が提供されています。 主な算術演算子には以下が含まれます: # '''加算(Addition)''' #:<syntaxhighlight lang=java copy> int sum1 = 5 + 3; // 整数の加算、sum1には8が代入される double sum2 = 5.5 + 3.2; // 浮動小数点数の加算、sum2には8.7が代入される </syntaxhighlight> # '''減算(Subtraction)''' #:<syntaxhighlight lang=java copy> int difference1 = 10 - 4; // 整数の減算、difference1には6が代入される double difference2 = 10.5 - 4.2; // 浮動小数点数の減算、difference2には6.3が代入される </syntaxhighlight> # '''乗算(Multiplication)''' #:<syntaxhighlight lang=java copy> int product1 = 6 * 2; // 整数の乗算、product1には12が代入される double product2 = 3.5 * 2.0; // 浮動小数点数の乗算、product2には7.0が代入される </syntaxhighlight> # '''除算(Division)''' #:<syntaxhighlight lang=java copy> double quotient1 = 10.0 / 3.0; // 浮動小数点数の除算、quotient1には3.3333...が代入される double quotient2 = 10 / 3.0; // 整数と浮動小数点数の除算、quotient2には3.3333...が代入される </syntaxhighlight> # '''剰余(Modulus)''' #:<syntaxhighlight lang=java copy> int remainder1 = 10 % 3; // 整数の剰余、remainder1には1が代入される double remainder2 = 10.5 % 3.0; // 浮動小数点数の剰余、remainder2には1.5が代入される </syntaxhighlight> Javaの算術演算は、整数型と浮動小数点型の両方で動作し、適切な結果を返します。 プログラマは、演算に使用される数値の型を適切に選択する必要があります。 == 多様な算術演算子 == :<syntaxhighlight lang=java copy> /** * 算術演算子の例 */ public class Main { /** * メインメソッド。プログラムのエントリーポイント。 * * @param args コマンドライン引数 */ public static void main(String[] args) { int a = 10; int b = 3; System.out.println(a + " + " + b + " = " + (a + b)); System.out.println(a + " - " + b + " = " + (a - b)); System.out.println(a + " * " + b + " = " + (a * b)); System.out.println(a + " / " + b + " = " + (a / b)); System.out.println(a + " % " + b + " = " + (a % b)); a = Integer.MAX_VALUE; b = 1; System.out.println(a + " + " + b + " = " + (a + b) + "\t// オーバーフロー!"); // ゼロ除算: a = 42; b = 0; try { System.out.print(a + " / " + b + " = "); System.out.println(a / b); } catch (ArithmeticException e) { System.out.println("例外捕捉:" + e); } // ゼロ除算: try { System.out.print(a + " % " + b + " = "); System.out.println(a % b); } catch (ArithmeticException e) { System.out.println("例外捕捉:" + e); } // double型の算術演算 double x = 10.5; double y = 3.2; System.out.println(x + " + " + y + " = " + (x + y)); System.out.println(x + " - " + y + " = " + (x - y)); System.out.println(x + " * " + y + " = " + (x * y)); System.out.println(x + " / " + y + " = " + (x / y)); System.out.println(x + " % " + y + " = " + (x % y)); y = 0.0; System.out.println(x + " / " + y + " = " + (x / y)); x = 0.0; System.out.println(x + " / " + y + " = " + (x / y)); } } </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang=java copy> 10 + 3 = 13 10 - 3 = 7 10 * 3 = 30 10 / 3 = 3 10 % 3 = 1 2147483647 + 1 = -2147483648 // オーバーフロー! 42 / 0 = 例外捕捉:java.lang.ArithmeticException: / by zero 42 % 0 = 例外捕捉:java.lang.ArithmeticException: / by zero 10.5 + 3.2 = 13.7 10.5 - 3.2 = 7.3 10.5 * 3.2 = 33.6 10.5 / 3.2 = 3.28125 10.5 % 3.2 = 0.8999999999999995 10.5 / 0.0 = Infinity 0.0 / 0.0 = NaN </syntaxhighlight> === InfinityとNaN === JavaのInfinityとNaNは、浮動小数点数の特殊な値であり、IEEE 754規格に基づいて定義されています。以下に、それぞれの意味と特性について説明します。 JavaのInfinityとNaNは、浮動小数点数の計算において特殊な値として使用されます。これらの値は、次のような場面で発生します。 # '''Infinity(無限大):''' #* 無限大は、有限の数値を0.0で割った場合や、オーバーフローが発生した場合に発生します。 #* 例えば、<code>double result = 5.0 / 0.0;</code>のような式を評価すると、resultの値は無限大になります。 #* 無限大は、有限の数値よりも大きいことが特性として挙げられます。 #* Double.POSITIVE_INFINITYの定数は(正の)無限大を表します。 #* IEEE 754規格では、無限大は指数部が符号が+、最大値でかつ仮数部が0の状態で表されます。 # '''-Infinity(負の無限大):''' #* 負の無限大、有限の負の数値を0.0で割った場合や、オーバーフローが発生した場合に発生します。 #* 例えば、<code>double result = 5.0 / -0.0;</code>のような式を評価すると、resultの値は負の無限大になります。 #* 負の無限大は、有限の数値よりも小さいことが特性として挙げられます。 #* Double.NEGATIVE_INFINITYの定数は、負の無限大を表します。 #* IEEE 754規格では、負の無限大は指数部が符号が+、最大値でかつ仮数部が0の状態で表されます。 # '''NaN(非数):''' #* NaNは、0を0で割った場合や、0.0を0.0で割った場合、あるいは数学的に不正な演算が行われた場合に発生します。 #* 例えば、<code>double result = Math.sqrt(-1);</code>のような式を評価すると、resultの値はNaNになります。 #* NaNは、数値としての意味を持たないことを示します。 #* Double.NaNという定数があり、これはNaNを表します。 #* NaNは、どの数値とも等しくないため、NaNとの比較は常にfalseになります。 #* IEEE 754規格では、NaNは指数部が最大値でかつ仮数部が0でない状態で表されます。 isNaN()とisFinite()メソッド: *Javaでは、DoubleクラスやFloatクラスには、NaNやInfinityを判定するためのメソッドが用意されています。 *isNaN()メソッドは、引数がNaNかどうかを判定します。NaNの場合はtrueを返し、それ以外の場合はfalseを返します。 *isFinite()メソッドは、引数が有限の数かどうかを判定します。InfinityやNaNの場合はfalseを返し、それ以外の場合はtrueを返します。 IEEE 754規格に基づいて定義されたこれらの特殊な値は、浮動小数点数の算術演算においてエラー処理や特殊な状況を処理するために使用されます。これらの特性を理解することは、正確な数値計算を行う上で重要です。 === -0.0 === -0.0(マイナスゼロ)は、浮動小数点数の一部で、通常のゼロとは異なる概念です。IEEE 754規格では、ゼロを表現する方法として、符号付きゼロ(+0.0および-0.0)が導入されています。 * +0.0(プラスゼロ): すべてのビットが0で、符号ビットが0。 * -0.0(マイナスゼロ): すべてのビットが0で、符号ビットが1。 この区別は、通常の算術演算では影響を与えませんが、一部の特殊な状況で重要になります。例えば、次のような場面で符号つきゼロが役立ちます。 # '''ゼロで割った場合:''' #* 1.0 / +0.0 は正の無限大になります。 #* 1.0 / -0.0 は負の無限大になります。 # '''符号を保持する場合:''' #* 符号つきゼロは、正確な結果を保持するために使用されます。例えば、正の数から負の数を引くときなどに、結果の符号を正確に反映するために使われます。 JavaのDoubleとFloatのデータ型では、+0.0と-0.0は異なる値として区別されます。これは、JavaがIEEE 754規格に従っているためです。例えば、以下のようなコードを実行すると、+0.0と-0.0が等しいかどうかを確認できます。 :<syntaxhighlight lang=java copy> System.out.println(0.0 == -0.0); // true System.out.println(Double.compare(0.0, -0.0)); // 1 System.out.println(Double.compare(0.0, 0.0)); // 0 System.out.println(Double.compare(-0.0, 0.0)); // -1 </syntaxhighlight> :このコードでは、<code>==</code>演算子によって0.0と-0.0が等しいかどうかを比較しています。 :<code>Double.compare</code>メソッドによって比較すると、ゼロの符号の違いを考慮します。 <code>Double.compare()</code> は、Java プログラミング言語において、2 つの double 値を比較するための静的メソッドです。このメソッドは、次のような形式で使用されます: :<syntaxhighlight lang=java copy> public static int compare(double d1, double d2) </syntaxhighlight> <code>Double.compare()</code> メソッドは、以下のルールに従って比較を行います。 * もし <code>d1</code> が <code>d2</code> より小さい場合、負の値が返されます。 * もし <code>d1</code> が <code>d2</code> より大きい場合、正の値が返されます。 * もし <code>d1</code> が <code>d2</code> と等しい場合、0 が返されます。 == 算術演算の注意事項 == === 桁あふれ === ==== 整数演算の桁あふれ ==== 整数演算の桁あふれ(オーバーフロー)は、整数の演算結果がそのデータ型で表現可能な範囲を超える場合に発生します。Javaの整数型には、それぞれの範囲が定義されています。以下に、主な整数型とその範囲を示します。 # '''byte:''' -128 から 127 # '''short:''' -32,768 から 32,767 # '''int:''' -2,147,483,648 から 2,147,483,647 # '''long:''' -9,223,372,036,854,775,808 から 9,223,372,036,854,775,807 たとえば、int型でのオーバーフローが発生する状況を考えてみましょう。以下のコードでは、整数の最大値に1を加えようとしています。 :<syntaxhighlight lang=java copy> int maxValue = Integer.MAX_VALUE; int overflow = maxValue + 1; System.out.println("Overflow: " + overflow); </syntaxhighlight> このコードを実行すると、<code>overflow</code> 変数は <code>-2147483648</code> になります。これは、<code>Integer.MAX_VALUE</code> で表現される最大値に1を加えることで、オーバーフローが発生し、最小値(<code>Integer.MIN_VALUE</code>)に戻るためです。 同様に、他の整数型でも同様の挙動が発生します。オーバーフローを防ぐためには、適切な範囲内での演算を行うか、オーバーフローが発生する可能性がある場合には適切に処理する必要があります。 ===== Math.addExactと、そのファミリー ===== Javaでは、整数演算でオーバーフローを生じても例外は上がりません。 例外をあげオーバーフローを捕捉するために、Math.addExactと、そのファミリーが用意されています。 <code>Math.addExact()</code> メソッドは、Java 8 で追加された整数演算時のオーバーフローを検出するためのメソッドの一部です。このメソッドは、整数型の加算を行い、結果がそのデータ型で表現可能な範囲を超えた場合に <code>ArithmeticException</code> をスローします。 <code>Math</code> クラスには、他にもオーバーフローを検出するためのメソッドが用意されています。主なものには、次のようなものがあります: # <code>Math.addExact(int x, int y)</code>:整数値 <code>x</code> と <code>y</code> を加算し、オーバーフローが発生した場合は <code>ArithmeticException</code> をスローします。 # <code>Math.subtractExact(int x, int y)</code>:整数値 <code>x</code> から <code>y</code> を減算し、オーバーフローが発生した場合は <code>ArithmeticException</code> をスローします。 # <code>Math.multiplyExact(int x, int y)</code>:整数値 <code>x</code> と <code>y</code> を乗算し、オーバーフローが発生した場合は <code>ArithmeticException</code> をスローします。 # <code>Math.incrementExact(int a)</code>:整数値 <code>a</code> をインクリメントし、オーバーフローが発生した場合は <code>ArithmeticException</code> をスローします。 # <code>Math.decrementExact(int a)</code>:整数値 <code>a</code> をデクリメントし、オーバーフローが発生した場合は <code>ArithmeticException</code> をスローします。 これらのメソッドを使用することで、整数演算時にオーバーフローが発生した場合に、適切に例外を処理できます。 以下は、<code>Math.addExact()</code> メソッドを使用して整数値の加算を行い、オーバーフローが発生した場合に例外を処理する例です。 :<syntaxhighlight lang=java copy> public class Main { public static void main(String[] args) { try { int result = Math.addExact(Integer.MAX_VALUE, 1); System.out.println("Result: " + result); } catch (ArithmeticException e) { System.out.println("Overflow occurred: " + e.getMessage()); } } } </syntaxhighlight> このコードでは、<code>Integer.MAX_VALUE</code> に 1 を加算しようとしています。<code>Math.addExact()</code> メソッドは、この加算がオーバーフローを引き起こす可能性があるため、例外をスローします。<code>try-catch</code> ブロックを使用して、<code>ArithmeticException</code> をキャッチし、オーバーフローが発生したことを示すメッセージを出力しています。 ==== 浮動小数点演算の桁あふれ ==== 浮動小数点演算の桁あふれは、浮動小数点数を操作する際に、その値がデータ型で表現可能な範囲を超える場合に発生します。浮動小数点数は、指数部と仮数部から構成され、一定の精度を保ちつつ非常に大きな値や小さな値を表現するために使用されます。 Javaにおいて、浮動小数点数は主に以下の2つのデータ型で表現されます。 # '''float:''' 単精度浮動小数点数 (32ビット) # '''double:''' 倍精度浮動小数点数 (64ビット) これらのデータ型は、それぞれ一定の範囲と精度を持っていますが、非常に大きな値や小さな値に対しても表現可能です。 桁あふれは、浮動小数点演算の結果が、そのデータ型で表現可能な範囲を超える場合に発生します。これにより、計算結果が無限大や無限小に発散する場合や、精度が失われる場合があります。また、浮動小数点数の演算において、有効桁数を超えた部分が切り捨てられることも桁あふれの一形態です。 例えば、次のコードでは、倍精度浮動小数点数の最大値に1を加える操作を行っています。 :<syntaxhighlight lang=java copy> double maxValue = Double.MAX_VALUE; double overflow = maxValue + 1; System.out.println("Overflow: " + overflow); </syntaxhighlight> この場合、<code>overflow</code> 変数の値は <code>Infinity</code> になります。これは、最大値に1を加えた結果が倍精度浮動小数点数の表現可能な範囲を超えたため、桁あふれが発生したことを示しています。 === 浮動小数点数と誤差 === Javaの浮動小数点数における誤差は、主に2つの要因によって生じます。 # '''有効桁数の制限:''' Javaの浮動小数点数は、IEEE 754標準に基づいて実装されています。float型は32ビットで、有効桁数は約7桁です。double型は64ビットで、有効桁数は約15桁です。そのため、非常に大きな数や非常に小さな数を表現する場合、精度の制限により誤差が生じます。たとえば、10進数で0.1をfloat型やdouble型で表現すると、厳密には0.1ではなく、近似的な値になります。 # '''丸め誤差と演算誤差:''' 浮動小数点数の演算においては、丸め誤差や演算誤差が生じることがあります。これは、浮動小数点数を近似的に表現するための有限なビット数で演算を行うために生じるものです。特に、加算や減算、乗算、除算などの演算において、丸め誤差や演算誤差が生じることがあります。これにより、計算結果が厳密な値と異なる場合があります。 Javaの浮動小数点数における誤差を最小限に抑えるためには、次のような注意点があります。 計算の順序を適切に管理し、丸め誤差を最小限に抑える。 *必要に応じて、BigDecimalクラスを使用して高精度な計算を行う。 *数値計算ライブラリや専門家によって提供される特殊な数値計算手法を使用する。 これらの対策を講じることで、Javaの浮動小数点数による誤差を最小限に抑えることができます。 また、浮動小数点数の演算における丸め誤差や演算誤差を最小限に抑えるためには、以下のような注意点があります。 #適切なデータ型を選択する: 浮動小数点数は精度を失う可能性があるため、必要な精度に合わせてfloat型またはdouble型を選択する必要があります。より高い精度が必要な場合はdouble型を使用しますが、その分メモリ使用量も大きくなります。 #演算の順序を考慮する: 浮動小数点数の演算においては、演算の順序が結果に影響を与える場合があります。たとえば、加算や減算といった基本的な演算から始め、乗算や除算といった複雑な演算を後に行うと、丸め誤差を最小限に抑えることができます。 #比較演算における注意: 浮動小数点数の比較演算は、厳密な等値判定が難しい場合があります。丸め誤差や演算誤差の影響を考慮して、適切な精度で比較演算を行う必要があります。通常は、等値判定ではなく、ある値が別の値よりも大きいか、または小さいかを判定することが推奨されます。 #結果の解釈: 浮動小数点数の演算結果を解釈する際には、その精度や誤差の範囲を理解する必要があります。特に、科学計算や金融取引などの精密な計算においては、計算結果の信頼性を確保するために十分な検証と解釈が必要です。 これらの注意点を考慮することで、Javaの浮動小数点数による計算における誤差を最小限に抑えることができます。 さらに、浮動小数点数の計算における誤差を最小限に抑えるために、次のようなアプローチも考慮されます。 #丸めモードの設定: Javaでは、浮動小数点数の計算における丸めモードを設定することができます。デフォルトでは、丸めモードは「デフォルト」であり、周囲に最も近い数に丸められます。しかし、必要に応じて丸めモードを変更して、計算結果に影響を与えることができます。例えば、丸め誤差を最小限に抑えるために、上向き丸め(ceiling)、下向き丸め(floor)、ゼロから遠い方向の丸め(向上丸め)、ゼロに近い方向の丸め(向下丸め)などの丸めモードを使用することができます。 #有効桁数の管理: 浮動小数点数の計算においては、有効桁数の制限により誤差が生じることがあります。特に、非常に大きな数や非常に小さな数を表現する場合、有効桁数の不足により計算結果に誤差が生じることがあります。そのため、計算に使用する浮動小数点数の有効桁数を適切に管理することが重要です。必要に応じて、BigDecimalなどの精度の高いデータ型を使用して計算を行うことも考慮されます。 #ライブラリの活用: 数値計算に関連するライブラリを活用することで、浮動小数点数の計算における誤差を最小限に抑えることができます。これらのライブラリには、高精度な計算を行うための機能や、誤差を最小限に抑えるためのアルゴリズムが含まれています。特に、金融取引や科学計算などの精密な計算を行う場合には、これらのライブラリを活用することが推奨されます。 以上のようなアプローチを組み合わせることで、Javaの浮動小数点数を使用した計算における誤差を最小限に抑えることができます。ただし、特定の問題や要件に応じて、最適なアプローチを選択する必要があります。 ==== 0.1を10回足しても1.0にならない! ==== 浮動小数点数の内部表現により、一部の10進数を正確に表現することができません。例えば、0.1を浮動小数点数として表現すると、その厳密な値ではなく近似値になります。そのため、0.1を10回足しても厳密に1.0にはならない場合があります。 Javaでは、<code>float</code>型や<code>double</code>型を使用して浮動小数点数を表現しますが、これらの型は有限のビット数で浮動小数点数を表現するため、一部の10進数を正確に表現することができません。その結果、浮動小数点数の計算においては、丸め誤差や演算誤差が生じる可能性があります。 例えば、次のコードを見てみましょう。 :<syntaxhighlight lang=java copy> double sum = 0.0; for (int i = 0; i < 10; i++) { sum += 0.1; } System.out.println(sum); // 出力: 0.9999999999999999 </syntaxhighlight> このコードでは、0.1を10回足した結果が正確に1.0にならず、0.9999999999999999 という近似値になります。 このように誤差が生じるのは、内部的に浮動小数点数が2進数で扱われているためです(0.1は、2進数では循環小数になるため正確に表現できません)。 ===== カハンの総和アルゴリズム ===== 誤差を補正する方法はいくつかありますが、カハンの総和アルゴリズム( ''Kahan summation algorithm'' )が代表的です。 ;[https://paiza.io/projects/gMFZzp8gUybEJfpUSuWH9A?language=java カハンの総和アルゴリズム]:<syntaxhighlight lang=java copy> public class Main { public static void main(String[] args) { double d = 0.0; for (int i = 0; i < 10; i++) d += 0.1; System.out.println(d); d = 0.0; double c = 0.0; for (int i = 0; i < 10; i++) { double y = 0.1 - c; double t = d + y; c = ( t - d ) - y; d = t; } System.out.println(d); float f = 0.0f; for (int i = 0; i < 10; i++) f += 0.1f; System.out.println(f); f = 0.0f; float fc = 0.0f; for (int i = 0; i < 10; i++) { float y = 0.1f - fc; float t = f + y; fc = ( t - f ) - y; f = t; } System.out.println(f); } } </syntaxhighlight> :<syntaxhighlight lang=bash> $ javac Main.java $ java Main 0.9999999999999999 1.0 1.0000001 1.0 </syntaxhighlight> ===== Java Stream API ===== また、Java Stream API も補正アルゴリズムを実装しています。 ;[https://paiza.io/projects/gDqEBXyDFiPI3gDfuxGbZg?language=java Stream APIを使った総和]:<syntaxhighlight lang=java copy> import java.util.stream.DoubleStream; class Main { public static void main(String[] args) { // DoubleStream.builder() を使用して、DoubleStream.Builderオブジェクトを作成します。 // これは、DoubleStreamを構築するためのビルダーオブジェクトです。 final var builder = DoubleStream.builder(); // ループを10回実行し、builder.add(0.1) を使用して、ビルダーオブジェクトに0.1を追加します。 // これにより、10回のループを通じて0.1が10回追加されます。 for (int i = 0; i < 10; i++) builder.add(0.1); // builder.build() を使用して、ビルダーオブジェクトからDoubleStreamオブジェクトを構築します。 // これにより、10回のループで追加された0.1の値が含まれたDoubleStreamが得られます。 System.out.println(builder.build().sum()); // sum() メソッドを使用して、DoubleStreamオブジェクトの合計を計算します。 // これにより、10回のループで追加された0.1の値の合計が計算されます。 // 最後に、計算された合計値が出力されます。 } } </syntaxhighlight> :<syntaxhighlight lang=bash> 1.0 </syntaxhighlight> : DoubleStreamのメソッドsum()は、保証を行うアルゴリズムを採用しています。 == 優先順位と結合性 == Javaの算術演算子には、優先順位と結合性があります。以下に、一般的な算術演算子の優先順位と結合性を示します。 :乗算 (*) および除算 (/、%): 乗算と除算は、加算と減算よりも高い優先順位を持ちます。また、乗算と除算は左から右に結合します。 :加算 (+) および減算 (-): 加算と減算は、乗算と除算と同じ優先順位を持ちます。また、加算と減算も左から右に結合します。 === 優先順位 === この優先順位と結合性に基づいて、式が評価されます。例えば、次の式を考えてみましょう。 :<syntaxhighlight lang=java copy> int result = 5 + 3 * 2; </syntaxhighlight> この式では、乗算 (*) が加算 (+) よりも高い優先順位を持つため、まず 3 * 2 が計算されます。結果は 6 です。その後、5 と 6 の加算が行われ、最終的な結果は 11 になります。 === 結合性 === 結合性(associativity)は、演算子が式内で連続して出現する場合に、その演算子がどのような順序で評価されるかを示す性質です。結合性は通常、左から右への結合(左結合性)または右から左への結合(右結合性)のいずれかとして定義されます。 算術演算子の結合性により、この式は左から右に評価されます。例えば、次の式を考えてみましょう。 :<syntaxhighlight lang=java copy> int result = 10 - 5 - 3; </syntaxhighlight> この式では、減算 (-) は左から右に結合するため、まず左側の 10 - 5 が計算されます。結果は 5 です。その後、5 から 3 を減算することで、最終的な結果は 2 になります。 Javaの算術演算子の優先順位と結合性を理解することで、式を正しく評価することができます。 == 比較演算子 == Javaの比較演算子は、異なる値や式の間で比較を行い、結果を真偽値(trueまたはfalse)で返します。以下は、Javaで使用される主な比較演算子です。 # <code>==</code>:2つの値が等しいかどうかを比較します。プリミティブ型の場合、値の比較を行います。参照型の場合、オブジェクトの参照が同じかどうかを比較します。 # <code>!=</code>:2つの値が等しくないかどうかを比較します。 # <code>></code>:左辺の値が右辺の値より大きいかどうかを比較します。 # <code><</code>:左辺の値が右辺の値より小さいかどうかを比較します。 # <code>>=</code>:左辺の値が右辺の値以上かどうかを比較します。 # <code><=</code>:左辺の値が右辺の値以下かどうかを比較します。 これらの比較演算子は、条件文やループ、その他の制御構造でよく使用されます。 == 論理演算子 == 論理演算子は、論理値(真偽値)を操作するために使用されます。Javaでは、3つの主要な論理演算子があります。 # <code>&&</code>(AND):論理積演算子は、両側の式がともにtrueの場合にtrueを返します。片方でもfalseであれば、falseを返します。 # <code>||</code>(OR):論理和演算子は、両側の式の少なくとも一方がtrueの場合にtrueを返します。両方がfalseの場合にfalseを返します。 # <code>!</code>(NOT):論理否定演算子は、式の真偽を反転させます。trueはfalseに、falseはtrueになります。 これらの演算子は、条件文やループなどの制御構造で論理式を組み立てるために使用されます。 == ビット演算子 == ビット演算子は、整数のビットレベルでの演算を実行します。Javaのビット演算子は、以下のようになります。 # <code>&</code>:ビット単位のAND演算を行います。 # <code>|</code>:ビット単位のOR演算を行います。 # <code>^</code>:ビット単位のXOR(排他的論理和)演算を行います。 # <code>~</code>:ビット単位の補数(ビット反転)演算を行います。 # <code><<</code>:左シフト演算子は、ビットを左に指定された数だけシフトします。 # <code>>></code>:符号付き右シフト演算子は、ビットを右に指定された数だけシフトします。符号ビットは左端のビット(MSB)にコピーされます。 # <code>>>></code>:符号なし右シフト演算子は、ビットを右に指定された数だけシフトします。左端のビットは0になります。 これらの演算子は、ビット単位のデータ処理や、効率的なビットマスクの作成に使用されます。 == 代入演算子 == 代入演算子は、変数に値を割り当てるために使用されます。Javaの代入演算子には、単純な代入演算子と複合代入演算子があります。 # <code>=</code>:単純な代入演算子は、右辺の値を左辺の変数に代入します。 # <code>+=</code>:加算代入演算子は、左辺の変数に右辺の値を加算し、結果を左辺の変数に代入します。 # <code>-=</code>:減算代入演算子は、左辺の変数から右辺の値を減算し、結果を左辺の変数に代入します。 # <code>*=</code>:乗算代入演算子は、左辺の変数に右辺の値を乗算し、結果を左辺の変数に代入します。 # <code>/=</code>:除算代入演算子は、左辺の変数を右辺の値で除算し、結果を左辺の変数に代入します。 # <code>%=</code>:剰余代入演算子は、左辺の変数を右辺の値で剰余計算し、結果を左辺の変数に代入します。 これらの演算子は、変数の値を更新する際に使用され、簡潔なコードを記述するのに役立ちます。 ---- ;式と演算子 :<syntaxhighlight lang=java copy> public class Main { public static void main(String[] args) { int x = 5; int y = 3; // 算術演算子 int sum = x + y; // 加算 int difference = x - y; // 減算 int product = x * y; // 乗算 int quotient = x / y; // 除算 int remainder = x % y; // 剰余 // 比較演算子 boolean isEqual = x == y; // xとyが等しいかどうか boolean isNotEqual = x != y; // xとyが等しくないかどうか boolean isGreaterThan = x > y; // xがyより大きいかどうか boolean isLessThan = x < y; // xがyより小さいかどうか boolean isGreaterOrEqual = x >= y; // xがy以上かどうか boolean isLessOrEqual = x <= y; // xがy以下かどうか // 論理演算子 boolean andResult = (x > 0) && (y < 0); // 論理積(AND) boolean orResult = (x > 0) || (y < 0); // 論理和(OR) boolean notResult = !(x > 0); // 論理否定(NOT) // ビット演算子 int bitAnd = x & y; // ビット単位のAND int bitOr = x | y; // ビット単位のOR int bitXor = x ^ y; // ビット単位のXOR int bitComplementX = ~x; // ビット単位の補数 int leftShift = x << 1; // 左シフト int rightShift = x >> 1; // 右シフト // 代入演算子 int a = 10; a += 5; // a = a + 5 int b = 20; b -= 3; // b = b - 3 } } </syntaxhighlight> : このJavaプログラムでは、算術演算子、比較演算子、論理演算子、ビット演算子、代入演算子が使用されています。コメント中には各演算子の説明が含まれており、それぞれの演算子が何を行うかが明確に示されています。 == 用語集 == # 式と演算子 (Expression and Operators): #* 式 (Expression): プログラミングにおいて、値、演算子、変数、関数呼び出しなどから構成される計算を表す文法構造。プログラム内で評価され、結果の値を生成する。 #* 演算子 (Operator): 式内で値や変数を操作するための記号やキーワード。算術演算子、比較演算子、論理演算子、ビット演算子、代入演算子などがある。 # Javaにおける式と演算子 (Expression and Operators in Java): #* 算術演算子 (Arithmetic Operators): 加算、減算、乗算、除算、剰余など、数値データ型の間で算術演算を実行するための演算子。 #* 比較演算子 (Comparison Operators): 等しい、等しくない、大なり、小なりなど、値や式の比較を行う演算子。 #* 論理演算子 (Logical Operators): 論理積 (AND)、論理和 (OR)、否定 (NOT) など、真偽値を操作するための演算子。 #* ビット演算子 (Bitwise Operators): 論理積、論理和、排他的論理和、否定など、ビット単位の操作に使用される演算子。 #* 代入演算子 (Assignment Operators): 代入、加算代入、減算代入、乗算代入など、変数に値を代入する演算子。 # 算術演算子 (Arithmetic Operators in Java): #* 加算 (Addition): <code>+</code>。整数や浮動小数点数の加算。 #* 減算 (Subtraction): <code>-</code>。整数や浮動小数点数の減算。 #* 乗算 (Multiplication): <code>*</code>。整数や浮動小数点数の乗算。 #* 除算 (Division): <code>/</code>。浮動小数点数の除算。整数と浮動小数点数の場合もあり。 #* 剰余 (Modulus): <code>%</code>。整数や浮動小数点数の剰余。 # 多様な算術演算子の例 (Various Arithmetic Operators Example in Java): #* Javaで異なるデータ型での算術演算子の使用例。 # InfinityとNaN (Infinity and NaN in Java): #* Infinity (無限大): 有限の数値を0.0で割った場合やオーバーフローが発生した場合に発生。Double.POSITIVE_INFINITYで表現される。 #* -Infinity (負の無限大): 有限の負の数値を0.0で割った場合やオーバーフローが発生した場合に発生。Double.NEGATIVE_INFINITYで表現される。 #* NaN (非数): 0を0で割った場合や不正な演算が行われた場合に発生。Double.NaNで表現され、数値としての意味を持たないことを示す。 {{Nav}} [[Category:Java|さんしゆつ えんさん]] qwr47331i1xoadicqmgcqwxhrie9e13 民法第742条 0 4420 263538 260197 2024-11-15T23:45:27Z Tomzo 248 263538 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第4編 親族 (コンメンタール民法)|第4編 親族]] ==条文== ([[婚姻の無効]]) ;第742条 :婚姻は、次に掲げる場合に限り、無効とする。 :#人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき。 :#当事者が婚姻の届出をしないとき。ただし、その届出が[[民法第739条|第739条]]第2項に定める方式を欠くだけであるときは、婚姻は、そのためにその効力を妨げられない。 ==解説== {{wikipedia|婚姻の無効#日本における婚姻の無効}} 無効である婚姻について定める。日本の婚姻制度は、厳格な法律婚かつ形式婚なので、婚姻届が受理されない限り婚姻の効果は生じないが、逆に、婚姻届が受理される(≒戸籍が書き換えられる)と婚姻が成立していることとなる。婚姻の無効は、この場合であっても、「取消しうる婚姻」と異なり、婚姻の効果を生じさせない制度である。戦後の民法改正においても、明治民法の規定([[民法第778条#参考|旧・民法第778条]])がそのまま受け継がれている。 ===要件=== #当事者間に婚姻をする意思がないとき #*当事者の一方にでも、「婚姻をする意思」が無ければ無効。 #*「婚姻をする意思」とは、「婚姻の届出をし、戸籍を構成する」と言う意思ではなく、「真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思」を言う('''実質的意思説''')。 #*:(判例) #*::*「当事者間に婚姻をする意思がないとき」とは、当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指し、たとえ婚姻の届出自体については当事者間に意思の合致があつたとしても、それが単に他の目的を達するための便法として仮託されたものにすぎないときは、婚姻は効力を生じない。(最高裁判決 昭和44年10月31日 [http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=51893&hanreiKbn=02 婚姻無効確認本訴並びに反訴請求]) #*::*[[#判例1|協議離婚の届出に関する判例の準用]]。 #**「詐欺又は強迫による婚姻([[民法第747条|第747条]])」は、意思の形成過程の問題であるため無効ではなく、婚姻は有効で取消しうるものである。しかしながら、「強迫」の度合いにより恐怖による同意であるならば無効としうるのではないか。 #**仮装婚・[[w:偽装結婚|偽装結婚]] #**:「婚姻の実質的意思」がないのに、婚姻の効果を得るために婚姻の届出をした場合、無効となる。 #**:*婚外子に関して嫡出の要件を得させるために婚姻を届け出た。 #**:*外国人に在留資格を得させるため婚姻を届け出た。 #**現行法において「同性婚」を明確に禁じた法令はないが、法慣習上認められておらず、係員の過失等により届出が受理されたとしても「婚姻する意思」がないものとされ、本条により無効であるとされる(佐賀家裁審判平成11年1月7日家庭裁判月報51巻6号71頁)。 #婚姻の届出をしないとき #:当事者間に婚姻をする意思があったとしても、届出がなされない限り、婚姻としての有効性を問うことはできない。そもそも、婚姻は届出後に概念されるものであるから、本号が争われる局面は想定しがたい。 ===効果=== 婚姻は無効であるので、婚姻期間中に得られた効果は全て無効になる。 *婚姻期間中の子に「嫡出の推定」は及ばない。 *相手方死亡の時期に関わらず、相続人とならない。 ===無効の手続=== *「[[人事訴訟]]」における、婚姻無効確認の訴えなど。 **人事訴訟なので、確定判決は対世効を有する。 **提起期間に制限はなく、婚姻中いつでも訴えを起こしうる。遺産分割調停において、争われることがあり、この場合、婚姻の無効は当事者一方(場合によっては双方)の死後においても争われうる。 **利害関係のある第三者も当事者適格がある。(最高裁判決 昭和34年7月3日 [https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=56221 婚姻無効確認_婚姻無効確認の訴を提起し得べき第三者]) ===無効の追認=== 無効原因が存在する間は、婚姻が有効となることはないが、一方が他方が知らないうちに婚姻を届出ていたが、婚姻自体は当事者の意思に反しないときは、追認により届出時に遡って婚姻が有効になる。 :(判例)最高裁判決 昭和47年07月25日 [http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=51998&hanreiKbn=02 婚姻無効確認請求] :*事実上の夫婦の一方が他方の意思に基づかないで婚姻届を作成提出した場合において、当時右両名に夫婦としての実質的生活関係が存在しており、かつ、のちに他方の配偶者が届出の事実を知つてこれを追認したときは、右婚姻は追認によりその届出の当初に遡つて有効となる。 :*追認により婚姻届出の意思の欠缺が補完されること、追認による遡及効を認めることが当事者の意思に沿い実質的生活関係を重視する身分関係の本質に適合すること及び第三者の利害が害されるおそれが乏しいことを理由とする。 ==参照条文== *[[民法第739条|第739条]](婚姻の届出) *[[民法第802条|第802条]](縁組の無効) *:「当事者間に縁組をする意思がないとき」に縁組は無効となる。 ==判例== #<span id="判例1"></span>[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=56217&hanreiKbn=02 離婚届出無効確認請求](最高裁判決 昭和34年08月07日)[[民法第763条]]、[[民法第764条]]、[[民法第802条]] #;協議離婚届出書作成後の飜意と届出の効力。 #:合意により協議離婚届書を作成した一方の当事者が、届出を相手方に委託した後、協議離婚を飜意し、右飜意を市役所戸籍係員に表示しており、相手方によつて届出がなされた当時、離婚の意思を有しないことが明確であるときは、相手方に対する飜意の表示または届出委託の解除の事実がなくとも、協議離婚届出が無効でないとはいえない。 #[https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54015 婚姻無効確認請求](最高裁判決昭和44年4月3日)[[民法第739条]]、([[民法第3条の2]]) #;婚姻の届書が受理された当時本人が意識を失つていた場合と婚姻の届出の効力 #:事実上の夫婦共同生活関係にある者が、婚姻意思を有し、その意思に基づいて婚姻の届書を作成したときは、届書の受理された当時意識を失つていたとしても、その受理前に翻意したなど特段の事情のないかぎり、右届書の受理により婚姻は有効に成立する。 #:*本件婚姻届がE(夫婦の一方)の意思に基づいて作成され、同人がその作成当時婚姻意思を有していて、同人と上告人との間に事実上の夫婦共同生活関係が存続していたとすれば、その届書が当該係官に受理されるまでの間に同人が完全に昏睡状態に陥り、意識を失つたとしても、届書受理前に死亡した場合と異なり、届出書受理以前に翻意するなど婚姻の意思を失う特段の事情のないかぎり、右届書の受理によつて、本件婚姻は、有効に成立したものと解すべきである。 ==参考== 明治民法において、本条には以下の規定があった。 :離籍セラレタル家族ハ一家ヲ創立ス他家ニ入リタル後復籍ヲ拒マレタル者カ離婚又ハ離縁ニ因リテ其家ヲ去リタルトキ亦同シ :*離籍又は他家に入り復籍を拒否された者が離婚・離縁により他家を離れた場合、新たな家(戸籍)を創設する。 ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第4編 親族 (コンメンタール民法)|第4編 親族]]<br> [[第4編 親族 (コンメンタール民法)#2|第2章 婚姻]]<br> [[第4編 親族 (コンメンタール民法)#2-1|第1節 婚姻の成立]] |[[民法第741条]]<br>(外国に在る日本人間の婚姻の方式) |[[民法第743条]]<br>(婚姻の取消し) }} {{stub|law}} [[category:民法|742]] 0xi9q8onzrqz0so1aygrmdloi272jv9 民法第536条 0 4764 263602 225750 2024-11-16T10:06:11Z Tomzo 248 /* 解説 */ 263602 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[民事法]]>[[民法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第3編 債権 (コンメンタール民法)]] ==条文== (債務者の[[危険負担]]等) ;第536条 # '''当事者双方の責めに帰することができない事由'''によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができる。 # '''債権者の責めに帰すべき事由'''によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。この場合において、債務者は、'''自己の債務を免れたことによって利益を得たとき'''は、これを債権者に償還しなければならない。 ===改正経緯=== ====2017年改正==== 以下の条文から改正。 # 前二条に規定する場合を除き、当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を[[履行]]することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を有しない。 #*主体を債務者から債権者とする。 #*前二条 - ともに削除された。従って、「'''当事者双方の責めに帰することができない事由'''によって債務を履行することができなくなったとき」は、無条件に債務者が危険を負担する。 #:*[[民法第534条]](債権者の危険負担) #:*[[民法第535条]](停止条件付双務契約における危険負担) #*想定された適用局面 #*:家屋の賃貸借の場合、類焼で家屋が全焼し家屋を貸すという債務を履行することが出来なくなった時は、債務者である家主は、家賃という反対給付を受け取ることが出来ない。 # 債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を失わない。この場合において、'''自己の債務を免れたことによって利益を得たとき'''は、これを債権者に償還しなければならない。 #*主体を債務者から債権者とする。趣旨について改正前後で変更はない。 #*適用局面 #*:債権者である賃借人の失火で全焼したときは、家主は家賃を請求することが出来る。 ====2004年改正(現代語化)==== 現代語化改正において、以下の文言から改正。第2項は反対給付の債権者・債務者の立場を入れ替えた表現とした。 #前二条ニ掲ケタル場合ヲ除ク外当事者双方ノ責ニ帰スヘカラサル事由ニ因リテ債務ヲ履行スルコト能ハサルニ至リタルトキハ債務者ハ反対給付ヲ受クル権利ヲ有セス #債権者ノ責ニ帰スヘキ事由ニ因リテ履行ヲ為スコト能ハサルニ至リタルトキハ債務者ハ反対給付ヲ受クル権利ヲ失ハス但自己ノ債務ヲ免レタルニ因リテ利益ヲ得タルトキハ之ヲ債権者ニ償還スルコトヲ要ス ==解説== {{wikipedia|危険負担}} 危険負担の債務者主義について定めた規定。 ===第1項(当事者双方の責めに帰することができない事由による不履行の場合)関連=== 当事者双方の帰責事由によらない履行不能の場合に債務者の反対給付を受ける権利も消滅する旨を定める民法第536条第1項については もともと同条が「前二条に規定する場合」以外の場面を対象としていることから、この規定を適用して処理される実例が乏しく,判例等も少ないことが指摘されている。 その上、同条が適用されると想定される個別の契約類型において、危険負担的な処理(双方の責めに帰することができない事由で債務の一部ないし全部の履行ができなくなった場合の費用等の負担の処理)をすることが適当な場面については、契約各則においてその旨の規定を以下のとおり設けた。 *賃貸借 [[民法第611条]](賃借物の一部滅失等による賃料の減額等)、[[民法第616条の2]](賃借物の全部滅失等による賃貸借の終了) *雇用 [[民法第624条の2]](履行の割合に応じた報酬) *請負 [[民法第634条]](注文者が受ける利益の割合に応じた報酬) *委任 [[民法第648条]](受任者の報酬) また,それ以外の同条第1項の適用が問題となり得る場面については、今回の改正により履行不能による契約の解除の要件として、債務者の帰責事由(旧・[[民法第543条|第543条]]ただし書)を不要としたため、債権者は債務の不履行を理由に契約の解除をすることにより自己の対価支払義務を免れることができるようになり、機能の重複が見られるようになった。 実際の適用場面を想定しにくい本条第1項を維持し、機能の重複する制度を併存させるよりも、法制度の簡明化を目的に、本項を削除し、解除に一元化する案も有力であったが、解除制度と危険負担制度とが併存する現行の体系の急激な変更を懸念する声も多く、削除は見送られた。従って、改正後も適用局面は限定されるものと予想される。 ===第2項(債権者の責めに帰すべき事由による不履行の場合の解除権の制限)関連=== 債務者の履行がない場合において、その不履行が契約の趣旨に照らして債権者の責めに帰すべき事由によるものであるときは、債権者は契約の解除をすることができない([[民法第543条]])。その帰結として反対給付を受ける権利は消滅しないという効果を導く。改正前後に趣旨の変更はないが、改正前の「反対給付を受ける権利を失わない」との文言については、これによって未発生の反対給付請求権が発生するか否かが明確でないとの指摘があったことを踏まえ、「債権者は、反対給付の履行を拒むことができない」という規定に改めた。 なお、第1項同様、賃貸借、雇用、請負、委任については、各則における規定が優先される。 ==参照条文== *[[民法第567条]] *:売買契約において、売主が引渡しの債務の履行を提供したにもかかわらず、買主の[[受領遅滞]]により、当事者双方の責めに帰することができない事由によって目的物の滅失等が生じた場合、買主はその目的物に関して、売主に契約不適合の責任を追及することはできない(危険負担が移転する)。 ==判例== #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=63684&hanreiKbn=02 解雇無効確認等請求](最高裁判決 昭和37年07月20日)[[労働基準法第26条]],[[労働基準法第24条]]1項 #;使用者の責に帰すべき事由によつて解雇された労働者が解雇期間内に他の職について利益を得た場合、使用者が、労働者に解雇期間中の賃金を支払うにあたり、右利得金額を賃金額から控除することの可否およびその限度。 #: 使用者の責に帰すべき事由によつて解雇された労働者が解雇期間内に他の職について利益を得た場合、使用者が、労働者に解雇期間中の賃金を支払うにあたり、右利得金額を賃金額から控除することはできるが、その限度は、平均賃金の4割の範囲内にとどめるべきである。 #:*[[労働基準法第26条]]は、使用者の責に帰すべき事由による休業に関して、平均賃金の6割以上の支払いを課しており、使用者に支払いを免除される限度は4割とした。 #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=56327&hanreiKbn=02  請負代金請求](最高裁判決  昭和52年02月22日)[[民法第632条]] #;注文者の責に帰すべき事由により仕事の完成が不能となつた場合における請負人の報酬請求権と利得償還義務 #:請負契約において仕事が完成しない間に注文者の責に帰すべき事由によりその完成が不能となつた場合には、請負人は、自己の残債務を免れるが、民法536条2項により、注文者に請負代金全額を請求することができ、ただ、自己の債務を免れたことにより得た利益を注文者に償還すべきである。 #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=70477&hanreiKbn=02 雇用関係存在確認等](最高裁判決 昭和62年04月02日)[[労働基準法第12条]]1項,[[労働基準法第12条]]4項,[[労働基準法第24条]]1項,[[労働基準法第26条]] #;使用者がその責めに帰すべき事由による解雇期間中の賃金を労働者に支払う場合の労働基準法12条4項所定の賃金と労働者が解雇期間中他の職に就いて得た利益額の控除 #:使用者が、その責めに帰すべき事由による解雇期間中の賃金を労働者に支払う場合、[[労働基準法第12条]]4項所定の賃金については、その全額を対象として、右賃金の支給対象期間と時期的に対応する期間内に労働者が他の職に就いて得た利益の額を控除することができる。 #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=70485&hanreiKbn=02 賃金(通称 ノースウエスト航空賃金請求)](最高裁判決 昭和62年07月17日)[[労働基準法第26条]] ##'''労働基準法26条の「使用者の責に帰すべき事由」と民法536条2項の「債権者ノ責ニ帰スヘキ事由」''' ##:労働基準法26条の「使用者の責に帰すべき事由」は、民法536条2項の「債権者ノ責ニ帰スヘキ事由」よりも広く、使用者側に起因する経営、管理上の障害を含む。 ##'''部分ストライキのため会社が命じた休業が労働基準法26条の「使用者の責に帰すべき事由」によるものとはいえないとされた事例''' ##:定期航空運輸事業を営む会社に職業安定法44条違反の疑いがあつたことから、労働組合がその改善を要求して部分ストライキを行つた場合であつても、同社がストライキに先立ち、労働組合の要求を一部受け入れ、一応首肯しうる改善案を発表したのに対し、労働組合がもつぱら自らの判断によつて当初からの要求の貫徹を目指してストライキを決行したなど判示の事情があるときは、右ストライキにより労働組合所属のストライキ不参加労働者の労働が社会観念上無価値となつたため同社が右不参加労働者に対して命じた休業は、労働基準法26条の「使用者の責に帰すべき事由」によるものということができない。 ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第3編 債権 (コンメンタール民法)|第3編 債権]]<br> [[第3編 債権 (コンメンタール民法)#2|第2章 契約]]<br> [[第3編 債権 (コンメンタール民法)#2-1|第1節 総則]] |[[民法第535条]]<br>(同時履行の抗弁)<br>[[民法第535条]]<br>削除 |[[民法第537条]]<br>(第三者のためにする契約) }} {{stub|law}} [[category:民法|536]] [[category:民法 2017年改正|536]] hakmfln5lrchbf9r81u9ounirb2zkom 263604 263602 2024-11-16T10:08:43Z Tomzo 248 /* 参照条文 */ 263604 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[民事法]]>[[民法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第3編 債権 (コンメンタール民法)]] ==条文== (債務者の[[危険負担]]等) ;第536条 # '''当事者双方の責めに帰することができない事由'''によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができる。 # '''債権者の責めに帰すべき事由'''によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。この場合において、債務者は、'''自己の債務を免れたことによって利益を得たとき'''は、これを債権者に償還しなければならない。 ===改正経緯=== ====2017年改正==== 以下の条文から改正。 # 前二条に規定する場合を除き、当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を[[履行]]することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を有しない。 #*主体を債務者から債権者とする。 #*前二条 - ともに削除された。従って、「'''当事者双方の責めに帰することができない事由'''によって債務を履行することができなくなったとき」は、無条件に債務者が危険を負担する。 #:*[[民法第534条]](債権者の危険負担) #:*[[民法第535条]](停止条件付双務契約における危険負担) #*想定された適用局面 #*:家屋の賃貸借の場合、類焼で家屋が全焼し家屋を貸すという債務を履行することが出来なくなった時は、債務者である家主は、家賃という反対給付を受け取ることが出来ない。 # 債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を失わない。この場合において、'''自己の債務を免れたことによって利益を得たとき'''は、これを債権者に償還しなければならない。 #*主体を債務者から債権者とする。趣旨について改正前後で変更はない。 #*適用局面 #*:債権者である賃借人の失火で全焼したときは、家主は家賃を請求することが出来る。 ====2004年改正(現代語化)==== 現代語化改正において、以下の文言から改正。第2項は反対給付の債権者・債務者の立場を入れ替えた表現とした。 #前二条ニ掲ケタル場合ヲ除ク外当事者双方ノ責ニ帰スヘカラサル事由ニ因リテ債務ヲ履行スルコト能ハサルニ至リタルトキハ債務者ハ反対給付ヲ受クル権利ヲ有セス #債権者ノ責ニ帰スヘキ事由ニ因リテ履行ヲ為スコト能ハサルニ至リタルトキハ債務者ハ反対給付ヲ受クル権利ヲ失ハス但自己ノ債務ヲ免レタルニ因リテ利益ヲ得タルトキハ之ヲ債権者ニ償還スルコトヲ要ス ==解説== {{wikipedia|危険負担}} 危険負担の債務者主義について定めた規定。 ===第1項(当事者双方の責めに帰することができない事由による不履行の場合)関連=== 当事者双方の帰責事由によらない履行不能の場合に債務者の反対給付を受ける権利も消滅する旨を定める民法第536条第1項については もともと同条が「前二条に規定する場合」以外の場面を対象としていることから、この規定を適用して処理される実例が乏しく,判例等も少ないことが指摘されている。 その上、同条が適用されると想定される個別の契約類型において、危険負担的な処理(双方の責めに帰することができない事由で債務の一部ないし全部の履行ができなくなった場合の費用等の負担の処理)をすることが適当な場面については、契約各則においてその旨の規定を以下のとおり設けた。 *賃貸借 [[民法第611条]](賃借物の一部滅失等による賃料の減額等)、[[民法第616条の2]](賃借物の全部滅失等による賃貸借の終了) *雇用 [[民法第624条の2]](履行の割合に応じた報酬) *請負 [[民法第634条]](注文者が受ける利益の割合に応じた報酬) *委任 [[民法第648条]](受任者の報酬) また,それ以外の同条第1項の適用が問題となり得る場面については、今回の改正により履行不能による契約の解除の要件として、債務者の帰責事由(旧・[[民法第543条|第543条]]ただし書)を不要としたため、債権者は債務の不履行を理由に契約の解除をすることにより自己の対価支払義務を免れることができるようになり、機能の重複が見られるようになった。 実際の適用場面を想定しにくい本条第1項を維持し、機能の重複する制度を併存させるよりも、法制度の簡明化を目的に、本項を削除し、解除に一元化する案も有力であったが、解除制度と危険負担制度とが併存する現行の体系の急激な変更を懸念する声も多く、削除は見送られた。従って、改正後も適用局面は限定されるものと予想される。 ===第2項(債権者の責めに帰すべき事由による不履行の場合の解除権の制限)関連=== 債務者の履行がない場合において、その不履行が契約の趣旨に照らして債権者の責めに帰すべき事由によるものであるときは、債権者は契約の解除をすることができない([[民法第543条]])。その帰結として反対給付を受ける権利は消滅しないという効果を導く。改正前後に趣旨の変更はないが、改正前の「反対給付を受ける権利を失わない」との文言については、これによって未発生の反対給付請求権が発生するか否かが明確でないとの指摘があったことを踏まえ、「債権者は、反対給付の履行を拒むことができない」という規定に改めた。 なお、第1項同様、賃貸借、雇用、請負、委任については、各則における規定が優先される。 ==参照条文== *[[民法第413条の2|第413条の2]](履行遅滞中又は受領遅滞中の履行不能と帰責事由) *[[民法第567条|第567条]] *:売買契約において、売主が引渡しの債務の履行を提供したにもかかわらず、買主の[[受領遅滞]]により、当事者双方の責めに帰することができない事由によって目的物の滅失等が生じた場合、買主はその目的物に関して、売主に契約不適合の責任を追及することはできない(危険負担が移転する)。 ==判例== #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=63684&hanreiKbn=02 解雇無効確認等請求](最高裁判決 昭和37年07月20日)[[労働基準法第26条]],[[労働基準法第24条]]1項 #;使用者の責に帰すべき事由によつて解雇された労働者が解雇期間内に他の職について利益を得た場合、使用者が、労働者に解雇期間中の賃金を支払うにあたり、右利得金額を賃金額から控除することの可否およびその限度。 #: 使用者の責に帰すべき事由によつて解雇された労働者が解雇期間内に他の職について利益を得た場合、使用者が、労働者に解雇期間中の賃金を支払うにあたり、右利得金額を賃金額から控除することはできるが、その限度は、平均賃金の4割の範囲内にとどめるべきである。 #:*[[労働基準法第26条]]は、使用者の責に帰すべき事由による休業に関して、平均賃金の6割以上の支払いを課しており、使用者に支払いを免除される限度は4割とした。 #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=56327&hanreiKbn=02  請負代金請求](最高裁判決  昭和52年02月22日)[[民法第632条]] #;注文者の責に帰すべき事由により仕事の完成が不能となつた場合における請負人の報酬請求権と利得償還義務 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##:定期航空運輸事業を営む会社に職業安定法44条違反の疑いがあつたことから、労働組合がその改善を要求して部分ストライキを行つた場合であつても、同社がストライキに先立ち、労働組合の要求を一部受け入れ、一応首肯しうる改善案を発表したのに対し、労働組合がもつぱら自らの判断によつて当初からの要求の貫徹を目指してストライキを決行したなど判示の事情があるときは、右ストライキにより労働組合所属のストライキ不参加労働者の労働が社会観念上無価値となつたため同社が右不参加労働者に対して命じた休業は、労働基準法26条の「使用者の責に帰すべき事由」によるものということができない。 ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第3編 債権 (コンメンタール民法)|第3編 債権]]<br> [[第3編 債権 (コンメンタール民法)#2|第2章 契約]]<br> [[第3編 債権 (コンメンタール民法)#2-1|第1節 総則]] |[[民法第535条]]<br>(同時履行の抗弁)<br>[[民法第535条]]<br>削除 |[[民法第537条]]<br>(第三者のためにする契約) }} {{stub|law}} [[category:民法|536]] [[category:民法 2017年改正|536]] gy1lwyb3xhkxmuh7evfbylzpuijc6pd 小学校社会/4学年 0 6199 263545 255017 2024-11-16T00:33:03Z ~2024-14079 84943 地形図を見てみようの文を作りました。 263545 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|frame=1}} == わたしたちの住む都道府県 == 3年生ではあなたの住んでいる市区町村(しくちょうそん)について勉強しましたね。ここでは、都道府県(とどうふけん)という、さらに大きなまとまりについて考えましょう。あなたの住んでいるところのことを勉強したいときは、[[小学校社会/私たちの住む都道府県の特ちょう]]を読んでみてください。 下に書いてあることは、ひとつの例です。あなたの都道府県に当てはまることはいくつありますか。 === 地形図を見てみよう === 皆さんは地形図を見たことはありますか? 地図帳をいていると緑色や茶色になっているところがあります。(これはほんの一例です) 緑色は低い土地(低地、平地)です 茶色になっているところは、高い土地です。 山梨県や長野県を見ていると茶色に囲まれた緑色の土地があります。 このことを盆地(山に囲まれた平たい土地)といいます。 ==== 山の利用 ==== ==== 海のある町 ==== * とれた魚を水あげする漁港(ぎょこう) * 船を造る * フェリーで人が行き来する。船で、全国各地(ぜんこくかくち)や外国と、品物のやりとりもする。また、材料(ざいりょう)や、造った(つくった)ものをすぐに運べるので、大きな工場があることもあります。 ==== 平地の利用 ==== === 県の中心はどこ? === 県全体の行政を行っている役所の建物を <span style="font-size: large">県庁</span> (けんちょう) と言います。県庁がある市町村を <span style="font-size: large">県庁所在地</span>(けんちょう しょざいち) と、いいます。 たとえば東北の青森県の県庁所在地は青森市です。沖縄県の県庁所在地は <span style="font-size: large">那覇市</span> (なは し)です。関東地方にある茨城県の県庁は水戸市(みと し)です。 県庁所在地の市町村の名前と、県の名前は、同じ場合もあれば、違う場合もあります。 たとえば,近畿地方にある三重県の県庁所在地は津市(つ し)です。 同じ近畿地方でも、和歌山県は和歌山市が県庁所在地です。 関東では、千葉県は千葉市が県庁所在地と、県名と同じです。千葉のちかくの神奈川県では、横浜市が県庁所在地というふうに、県名とは、ちがいます。 京都府や大阪府には、県庁のかわりに 府庁 (ふちょう) があります。京都府庁の所在地は京都市です。大阪府庁の所在地は大阪市です。 北海道には、 道庁 (どうちょう)があります。北海道の <span style="font-size: large">札幌市</span> (さっぽろ し) に北海道庁があります。 東京都には、県庁のかわりに 都庁 (とちょう) があります。新宿区(しんじゅく く) に、東京都庁があります。 ---- {{stub}} 3年生では、身近にある仕事のこと、そしてすんでいる町や市のことについて勉強をしました。4年生では、今ある、当たり前のくらしがどのようにして支えられているのか、また、わたしたちのすんでいる市にはどのようなれきしや{{ruby|伝統|でんとう}}があるのか、そしてわたしたちのすんでいる{{ruby|都道府県|とどうふけん}}のとくちょうについて少しはんいを広めて勉強していきます。 === くらしの安心をささえる === == くらしをささえる == ===ゴミのしょりと活用(かつよう)=== [[File:Isuzu Forword 1999.jpg|thumb|right|ごみ収集車]] これから、<ruby><rb>説明</rb><rp>(</rp><rt>せつめい</rt><rp>)</rp></ruby>しますが、ごみの<ruby><rb>処理</rb><rp>(</rp><rt>しょり</rt><rp>)</rp></ruby>には、たいへんな<ruby><rb>手間</rb><rp>(</rp><rt>てま</rt><rp>)</rp></ruby>が、かかります。なので、ごみを へらすために、くふうしましょう。 * ごみをへらすために、じぶんたちで、くふうできること :いらない<ruby><rb>物</rb><rp>(</rp><rt>もの</rt><rp>)</rp></ruby>をむやみに買わない。 :<ruby><rb>修理</rb><rp>(</rp><rt>しゅうり</rt><rp>)</rp></ruby>できるものは、しゅうりをたのんで、長く、つかおう。 :ごみをだすときに、<ruby><rb>分別</rb><rp>(</rp><rt>ぶんべつ</rt><rp>)</rp></ruby>できるものは、分別して、ごみに出そう。 お<ruby><rb>菓子</rb><rp>(</rp><rt>かし</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>空き箱</rb><rp>(</rp><rt>あきばこ</rt><rp>)</rp></ruby>、ジュースのかん、牛乳パック、パンのふくろ……。毎日、生活しているとたくさんのゴミが出ますね。そのゴミは、どうしていますか。{{ruby|燃|も}}える物と燃えない物、紙やかん、びんなどいくつかにわけてすてていますか。分けた後のゴミはどうなっているのでしょうか。ゴミ{{ruby|収集|しゅうしゅう}}車(…「パッカー車」とか「じんかい車」ともいいます)によって運ばれます。 ゴミ収集車には、最近では、電気とガソリンの両方のエネルギーで動くハイブリッド自動車が使われはじめています。使用ずみの天ぷら油などのバイオ{{ruby|燃料|ねんりょう}}などで走る収集車なども、使われはじめています。 では、運ばれたゴミがどこへいくのか、調べてみましょう。 ==== 燃えるゴミのゆくえ ==== [[画像:Katsushika_Waste_Incineration_Plant.jpg|thumb|{{ruby|東京|とうきょう}}都{{ruby|葛飾|かつしか}}区にある{{ruby|清掃|せいそう}}工場]] 燃えるゴミ({{ruby|可燃|かねん}}ゴミは、{{ruby|清掃|せいそう}}工場や {{ruby|焼却場|しょうきゃくじょう}} などとよばれる場所に運ばれて、そこで {{ruby|燃|も}}えるゴミ が燃やされます。清掃工場のことを、{{ruby|地域|ちいき}}によっては クリーンセンター とも、よびます。 まず、清掃工場にゴミ{{ruby|収集|しゅうしゅう}}車がくると、工場にある{{ruby|計量器|けいりょうき}}でゴミをつんだ収集車の重さをはかります。清掃工場の焼却{{ruby|炉|ろ}}にゴミをおろすと、ゴミのなくなった収集車の重さを、はかります。 こうして、ゴミの量を、はかります。 ゴミの量がわからないと、ゴミを燃やすための計画が立てられないからです。 もえるゴミは、燃やされ {{ruby|灰|はい}} になります。 多くの清掃工場では、ゴミを燃やすときに出る{{ruby|熱|ねつ}}を{{ruby|利用|りよう}}して、発電を行ったり、{{ruby|暖房|だんぼう}}に利用したりしています。ごみをもやしたときの熱エネルギーによる発電を、 ごみ発電 といいます。 ごみ発電のしくみには、いくつかの方式があります。よくある方式は、熱によって、湯をわかして{{ruby|水蒸気|すいじょうき}}をおこし、タービンを回すしくみです。 ちなみに、発電された電力は、一部を工場内で使って、のこりの電力は電力会社に売られるのがふつうです。 燃えるごみをもやした熱で、温水プールや、{{ruby|公衆浴場|こうしゅうよくじょう}}の水をあたためる熱源にするばあいもあります。このため、地域によっては、{{ruby|清掃|せいそう}}工場の近くに、公共の温水プールなどがある場合もあります。 ごみは、つづけて燃やしつづけたほうが、{{ruby|焼却設備|しょうきゃくせつび}}での{{ruby|効率|こうりつ}}がよいので、せいそう工場では燃やすごみの量を調節しながら、なるべく24時間燃やしつづけるようにします。 焼却(しょうきゃく)によって、生じた焼却灰(しょうきゃくばい)は、そのまま 最終処分場(さいしゅうしょぶんじょう) にすてられる場合もありますが、リサイクルで灰を熱で溶かして固めた溶融スラグ(ようゆうスラグ)を、道路工事(どうろこうじ)の土木材料(どぼくざいりょう)などに、もちいる場合もあります。 ==== 燃えないゴミのゆくえ ==== 燃えないゴミは{{ruby|埋|う}}め立て地 に送られて埋められます。 埋め立て地では、ゴミを埋めるために上から土や砂をかぶせます。 {{コラム|夢の島| [[File:Yumenoshima Stadium.JPG|thumb|夢の島{{ruby|陸上競技|りくじょうきょうぎ}}場]] {{ruby|東京湾|とうきょうわん}}の{{ruby|江東|こうとう}}区にある {{ruby|夢|ゆめ}}の{{ruby|島|しま}}は、もとは、ゴミの埋立地だった場所です。 なお、もともとは第二次世界大戦の前の1939({{ruby|昭和|しょうわ}}14)年に、{{ruby|飛行|ひこう}}場としての土地をつくるために、夢の島は、つくられました。 戦争が終わって、しばらくすると、東京のゴミ問題がでてきたので、夢の島が、ゴミの埋め立て地になりました。 1967(昭和42)年まで、夢の島のゴミの埋め立ては続きました。 今では、夢の島は、ゴミの埋め立て場所ではなくなっており、公園などになっています。}} ==== しげんゴミのゆくえ ==== ===== ペットボトルのリサイクル ===== まず、リサイクルセンターに送られます。 * 選別(せんべつ) まざりものが、取り除かれます。フタがのこっていれば、とりのぞかれます。 * 圧縮(あっしゅく) 保管しやすくするため、また運びやすくするため、プレス機などで、ペットボトルをおしつぶします。 押しつぶされたペットボトルは、たばねられる。なお、ペットボトルが、おしつぶされて、たばねられたものをベールと、いいます。 たばねられたペットボトルは、リサイクル工場に送られます。 * フレーク リサイクル工場に送られてきたペットボトルは、機械で くだかれて、フレークという、かけら にされる。フレークは、プラスチックの原料になります。 ===== あきかんのリサイクル ===== スチールは、原料の鉄鉱石から作るよりも、スチール缶をリサイクルしたほうが、消費するエネルギーが少なくて、すみます。 アルミを、原料のボーキサイトから作るのには、電力が、とても多く、かかります。 アルミ缶から、アルミをリサイクルすることで、消費するエネルギーを、なんと95%ちかくも、へらせます。 :* 選別(せんべつ) あきかんのリサイクルでは、スチール缶とアルミ缶は、わけてリサイクルされます。 スチール缶は、電磁石で、くっつけられます。空き缶のリサイクルセンターに、選別用の電磁石があります。 :* プレス 選別されたスチール缶は、まとめてプレスされます。 選別されたアルミ缶は、まとめてプレスされます。 スチール缶は、製鉄会社の製鉄所に買い取られ、鉄の原料になります。 アルミ缶は、民間のアルミ工場におくられ、アルミの原料や合金の原料になります。 ===== びんのリサイクル ===== びん のリサイクルには、リターナブルびん と、ワンウェイびんがあります。 びん のリサイクルには、洗って くりかえし つかう のが、リターナブルびん です。 びんを工場でくだいて、ガラスの原料にするのが、ワンウェイびん です。 ワンウェイびんを、こまかく くだいたものを カレット といいます。 このカレットが、ガラスの原料になります。 ワンウェイびんのリサイクル先は、びん以外にも、舗装材やグラスウールとして再利用されます。 ===== 紙のリサイクル ===== ==== ゴミをへらすために ==== 捨てるときには、ゴミ出しのルールをきちんと、まもるべきです。 燃えるゴミと、燃えないゴミとを、分別(ぶんべつ)するのは、当然です。 ガラスびんや、アルミ缶、スチール缶などで、ゴミの出し方が、ルールで分類されているときは、そのルールにしたがって、分別(ぶんべつ)してゴミを出しましょう。 資源ごみ(しげんごみ)は、資源選別センター(しげんせんべつセンター)に到着します。 選別センターの建物(たてもの)は、たいていは、清掃工場の近くに、建っている場合が多いです。 資源選別センターに到着したごみは、人によって、分別されます。 スチール缶の分別などでは、電磁石(でんじしゃく)を使った分別もおこなわれます。ですが、最終的には、人間が、ごみの分別を確認し、人間が手で分別します。 なので、ごみを出す時に、きちんと分別しないと、清掃工場の人が、こまってしまいます。 {{clear}} ==== 3R運動 ==== * 3R運動(スリーアールうんどう) :* Reduce(リデュース)  ごみになるものを出さないようにすることです。 たとえば買い物をするときは、マイバッグなどのカバンをつかうことで、ビニールぶくろをへらせます。洗剤(せんざい)などを買うときは、つめかえようの洗剤を買うことで、容器のおもさをへらせます。 :* Reuse(リユース) つかえるものは、むやみに捨てず(すてず)に、つかいつづけることです。 いらなくなったものは、人にあげたりすることで、そのものが使いつづけられるようにすることでも、あります。洋服などの布は、切れなくなても、雑巾(ぞうきん)や布巾(ふきん)の材料にできますし、機械などの油をふきとるための ウエス という布地(ぬのじ)の材料にもなります。 :* Recycle(リサイクル) 使えなくなったものでも、その物(もの)につかわれた資源(しげん)をつかってもらえるように、してもらうことです。 空き缶(あきかん)などは、分別(ぶんべつ)してゴミにだすことで、缶(かん)の資源(しげん)として再利用してもらえます。ペットボトルも、分別してゴミに出すことで、再利用してもらえます。 食品のトレーなども、スーパーの入り口などにある回収ボックス(かいしゅうボックス)にだすことで、再利用してもらえます。 新聞紙(しんぶんし)や雑誌(ざっし)などの古紙などは、地元(じもと)の、ごみ収集所(ごみしゅうしゅうじょ)の、古紙回収(こしかいしゅう)の日に、分別して出すことで、再利用してもらえます。 3Rをすることで、ごみを減らすことができるのです。        3Rにくわえ、さらに、「ことわる」という意味の Refuse(リフューズ) をくわえて、4Rというばあいもあります。 たとえば、消費者(しょうひしゃ)が、余計(よけい)なものを買わないことで、生産者(せいさんしゃ)である企業(きぎょう)に余計なものを作らせないということです。 リデュースとリフューズとの区別は、あまり、はっきりとした区別ではなく、リデュースと似たような行動をリフューズと言うばあいもあります。 === 水(みず)はどこから、そしてどこへ === [[File:浄水場の説明図 小学生用.svg|thumb|1000px|浄水場(じょうすいじょう)のしくみ]] {{-}} 私たちが、水道の蛇口(じゃぐち)から出して飲む水は、どこで、つくられているのでしょう。 飲み水は、<span style="font-size: large">浄水場</span>(じょうすいじょう)で、つくられています。 浄水場では、川の水やダムの水から、水を、とります。 浄水場では、砂(すな)や小石(こいし)や泥(どろ)を。とりのぞきます。 また、消毒をして、飲んでも病気にならないようにします。 川の上流に、ダムがあるばあいもあります。 ダムでは水をためていて、必要なときに水をながします。 では、そのダムの水はどこからきたのでしょう。ダムの水は、さらに上流にある川の水をせきとめたものです。 ダムの上の山には、森林(しんりん)が、あります。この森林は、土砂崩れ(どしゃくずれ)をふせぐためや、水を、安定的(あんていてき)に供給する(きょうきゅうする)ためにあります。このようなダムの上の森林を 水源林(すいげんりん) といいます。 次の節(せつ)で説明するように、飲める水をつくるには、たいへんな手間(てま)が、かかっています。 なので、水は、たいせつに、つかいましょう。 :たとえば、 うがい や はみがき のときには、水を出しっぱなしにしないで、コップに水をくんで、つかいましょう。 :手洗い(てあらい)のときも、出しっぱなしにしないで、こまめに、じゃぐちを、しめましょう。 ==== 浄水場でつくる 飲み水 ==== 一般的な、浄水場での処理過程(しょりかてい)の一例(いちれい)を書く。この説明(せつめい)は、あくまで一例(いちれn)なので、地域(ちいき)によって、設備(せつび)が、ここでの説明とは、ちがう場合もあります * 取水塔(しゅすいとう) [[ファイル:Kanamachi-water purification plant-Edo river.JPG|thumb|250px|取水塔(金町浄水場)]] 取水塔(しゅすいとう)のような取水施設(しゅすいしせつ)によって、川などの自然環境から水を浄水場(じょうすいじょう)に取り入れる。このように取水口から取水された水は「原水」(げんすい)と呼ばれる。 * 沈砂池(ちんさち) [[ファイル:Kanamachi-water purification plant.JPG|thumb|250px|沈砂池(金町浄水場)]] 川やダムからとった原水(げんすい)には、砂や土が 含まれる(ふくまれる)ため、沈砂池(ちんさち)に導いて(みちびいて)、緩やか(ゆるやか)な 流れ(ながれ)の途中(とちゅう)で、沈殿(ちんでん)させることで、それらを取りのぞく。 * 取水ポンプ(しゅすいポンプ) 沈砂池(ちんさち)から流れてきた原水(げんすい)は、取水ポンプ(しゅすいポンプ)によって、くみあげられ、着水井(ちゃくすいせい)へ向けて送水(そうすい)される。 * 着水井(ちゃくすいせい) 着水井(ちゃくすいせい)は、原水(げんすい)にとって浄水場での最初の水槽(すいそう)であり、送水されてきた勢いによる原水の圧力変化を抑えて、以降の過程へ向けて水位を一定に保つ役割を担う。 * 凝集剤 注入設備(ぎょうしゅうざい ちゅうにゅうせつび) 凝集剤注入設備(ぎょうしゅうざい ちゅうにゅうせつび)では、水に混ざっている細かい砂や土などを沈めるため、着水井から出た原水に ポリ塩化アルミニウム などの凝集剤(ぎょうしゅうざい)が注入される。ポリ塩化アルミニウムは、PACと略されることがあります。PACとはPoly aluminum chloride(ポリ・アルミナム・クロライド)の略です。クロライドとは、塩化(えんか)という意味です。 * 薬品混和池 凝集剤(ぎょうしゅうざい)が加えられた原水は、薬品混和池(やくひん こんわ ち)で、よく混ぜられる。 * フロック形成池 フロック形成池(けいせいち)では、凝集剤の混ざった原水をゆっくりと、かきまぜて攪拌(かくはん)する。 「フロック」とは、それまで水に浮遊していた細かい砂や土などが、凝集剤の働きで寄り集まりかたまりとなったものである。 フロックが作られることで、砂や土などの粒子が比較的大きくなり沈みやすくなる。 * 沈でん池 沈でん池(ちんでんち)に導かれた水は、静かな流れの中でフロックが沈められ、砂や土が水から除かれる。 高速凝集沈殿池(こうそくぎょうしゅちんでんち)とも呼ばれる。 * オゾン接触池(オゾンせっしょくち) 水の底(そこ)のほうから、オゾンという気体(きたい)を入れます。オゾンは水よりも軽いので、水の中を、オゾンの気体が、うかびあがっていきます。オゾンの強い分解力や殺菌作用によって、水中の微生物やカビなどの有機物(ゆうきぶつ)を分解・殺菌などします。オゾンとは、酸素原子(さんそげんし)が3個、あわさって作られる気体(きたい)です。空気中にふくまれている酸素分子(さんそぶんし)は、酸素原子が2個、くみあわさったものであり、空気中の酸素分子とオゾン分子とは、べつの分子です。 * 活性炭吸着池(かっせいたん きゅうちゃくち) 活性炭のなかで生きている、微生物(びせいぶつ)のはたらきによって、汚れを分解をします。誤解をされますが、活性炭の浄化作用は、中の微生物によるものです。活性炭の素材(そざい)そのものには、分解作用(ぶんかいさよう)がありません。 * 塩素注入設備 (1) 塩素注入設備(えんそちゅうにゅうせつび)では、アンモニア窒素(アンモニアちっそ)や鉄などを取るため、沈でん池から出た水に、塩素(えんそ)が注入される。 * ろ過池 [[ファイル:Senganen6671.JPG|thumb|right|250px|仙巌園内の濾過池<br />(登録有形文化財)]] ろ過池(ろかち)によって、砂や砂利の層で水を濾して(こして)、微細な粒子状のものを、とりのぞく。 * 塩素注入設備 (2) 2つ目の塩素注入設備で、消毒のための塩素を入れる。 * 配水池 配水池(はいすいち)に、きれいになった水を溜めておく。 * 送水ポンプ 送水ポンプ(そうすいポンプ)によって、配水池の水を給水所に送り出す。水はそれぞれの配水場・配水池へ配水管を用いて送られ、各家庭や施設へ給水(きゅうすい)される。 ==== 水質の検査 ==== 浄水場からおくられてくる水の品質(ひんしつ)は、水道法(すいどうほう)で、きめられています。浄水場の人たち、水質の検査(けんさ)もしています。 浄水場の中で、これからつくる飲み水は、毎日、水質を検査しています。有害な物質がまじってないか、農薬が混じってないか、ばい菌(ばいきん)が多くないか、病原菌(びょうげんきん)がふくまれていないか、など、調べています。 ここで調べた検査の結果によって、水にいれる薬品の量が、かわります。 浄水場の中の水だけでなく、川の水や、ダムの水などでも、月に何回か、水質の検査が、されています。水質センター(すいしつセンター)の職員の人たちが、定期的に水源や川やダムの水の水質を調査しています。水質センターの名前は地域によっては水質管理センターや水質検査センターだったりします。 ==== 下水 ==== 私たちの家庭から出る、使い終わった汚れた水は、どこへいくのでしょうか。 使い終わった水は、 <span style="font-size: large">下水処理場</span>(げすいどう) へと、いきます。 下水処理場へと送るための水道が <span style="font-size: large">下水道</span>(げすいどう) です。下水道管とは、下水道の水道管です。 * 最初沈殿池 主に比重差を利用し、重力沈降により下水中の沈殿性有機物を分離・除去する。反応タンクへ流入する水・汚泥の負荷を調整し、生物処理のための準備をする役目も持つ。 * 反応タンク 曝気槽(ばっきそう)とも言う。微生物(びせいぶつ)などにより、下水中の有機物・窒素・リンを中心とした汚濁(おだく)物質を処理する。 * 最終沈殿池 反応タンクで処理された活性汚泥(かっせい おでい)の分離を行い、澄んだ(すんだ) 処理水(しょりすい)にする。 * ろ過施設 施設内で使用する水のためのものと、後述する高度処理の一環として設置されているものがある。 * 消毒施設 放流する水を滅菌(めっきん)するための施設。塩素消毒が一般的であるほか、紫外線消毒・オゾン消毒といった消毒方法や、二酸化塩素や臭素系などの薬剤による消毒、ほか、膜で細菌をろ過・除去する方法などがとられている。 * 高度処理施設 主に処理水の活用や放流先の環境保全(特に閉鎖性水域(湖沼、閉鎖性の湾など)における富栄養化対策を主眼とすることが多い)を目的として、二次処理に付加し浄化を行うための施設。当然に相応の費用が求められるため普及は捗らなかったが、2003年の下水道法改正で促進される見通しとなった。 方法としては、反応タンクの処理方式の改良、ろ過、凝集剤による沈殿促進などがある。 沈殿池(ちんでんち)の汚泥(おでい)は、水分をぬいたあとに、燃料として再利用されたり、肥料として再利用されます。 下水を処理した水は、飲水としては、使えません。 ですが、処理した水は、水資源の節約のため、飲み水の他の目的で、使われます。 下水を処理した再生水が、公共施設などでのトイレの排水につかわれたり、緑地の水やりに使われたり、いろいろと使われています。 === 用水 === [[ファイル:Yosuiro Jyohana 05a9164sv.jpg|240px|thumb|left|用水路(ようすいろ)。稲作(いなさく)などの かんがい のための'''農業用水路'''(のうぎょうようすいろ)。田・畑に水を引き込むときにつかう水門(すいもん)も、もうけられている。写真は富山県(とやまけん)の南砺市(なんとしし)。]] [[ファイル:Sakutano Unade02.jpg|thumb|日本最古(にほん さいこ)の農業用水路、「裂田の溝」(さくた の うなで)]] [[ファイル:Anti Schistosoma japonicum measure waterway.JPG|left|thumb|220px|用水路は、コンクリート化されているばあいもある。(写真は、山梨県の中巨摩郡の昭和町の上河東)]] 水(みず)のつかいみちは、家で飲む(のむ)だけではありませんし、家(いえ)で ものを洗うだけでもありません。田んぼや畑(はたけ)に水をまくためにも、水はつかわれます。工場などで、ものをつくるときにも、みずをつかうばあいがあります。 このように、水は、いろんなことにつかわれます。このように、つかわれる水のことを用水(ようすい)といいます。または、つかわれる水をひくための水路(すいろ)や水道管(すいどうかん)などの水道設備(すいどうせつび)のことも、用水(ようすい)といいます。 農業(のうぎょう)に使われる(つかわれる)水(みず)のことを 農業用水(のうぎょうようすい) といいます。農業(のうぎょう)に使用(しよう)する水(みず)、という意味です。 とくに、農業で、かんがい(灌漑)に使う用水のことを かんがい用水 というばあいもあります。 工場でつかわれる水は、工業用水(こうぎょうようすい)といいます。 用水を流している水路を、用水路(ようすいろ)といいます。用水路のことを、用水というばあいもあります。 {{clear}} == ※ 範囲外? == === 衛生(えいせい) === * 保健所(ほけんじょ) 保健所では、コレラやチフスや赤痢と言った伝染病(でんせんびょう)が広まらないように、仕事をしています。 もしも伝染病が発生した場合は、保健所は、付近の病院や県や市と連絡をとりながら、対策(たいさく)をおこないます。 市内や腸内を消毒したり、薬をくばったりします。 重い伝染病にかかった患者(かんじゃ)は、伝染病の専門(せんもん)の病院に入院させます。 伝染病の流行してないふだんは、保健所は、なにをしているのでしょうか。 病院などの監視(かんし)や監督(かんとく)をしています。また、食品会社や飲食店に、食中毒(しょくちゅうどく)が無いかなどの監視をしています。 * 空港などでの検疫(けんえき) 外国から日本に、はいる人が、日本国内に持ち込もうとする動物や植物は、空港や港などで、病気や害虫(がいちゅう)などの検査(けんさ)をされます。 このような空港や港での、持ち込む物の、病気や害虫の検査を 検疫(けんえき) といいます。 検疫を受けていないものを、港の外や空港外に持ち出すと、罰せられます。 [[Category:社会|しようかつこうしやかい4]] kgkj63yins6rdf6ih8f3bc0y34h8y0a 千葉大対策 0 6561 263530 263414 2024-11-15T13:15:14Z Ayhxuknbsijceivzdjhswh 66317 /* 前期日程 */ 263530 wikitext text/x-wiki {{wikipedia|千葉大学}} *[[日本の大学受験ガイド]] > [[千葉大対策]] 本項は、[[w:千葉大学|千葉大学]]の入学試験対策に関する事項である。 千葉大学は千葉県千葉市に拠点を置く総合大学である。東京高等工芸学校、千葉高等園芸学校を前身としているという背景から理系色の強い大学である。その他にも国立大学では唯一の法政経学部・園芸学部・看護学部・国際教養学部を有するユニークな学部・学科を多数持ち合わせている大学である。 また、全学部で留学を必須としている。 入試試験に関してであるが、上位受験生にとっては、どの科目も基礎を押さえておけば合格にたどりつけるが、一部難問も見られる。 == 共通テスト == 学部で差はあるものの共通テストと2次試験の配点率は前期で概ね1:2、後期で概ね1:1としているところが多いので、少なくとも前期で75~80%かそれ以上、後期においては80%以上取れれば合格への希望が大きく開けてるだろう。ただし、これは一般的な目安であり上記の共通テスト得点率よりも低い場合でも2次試験で挽回できるので頑張って欲しい。 医学部と法政経学部のみ二段階選抜がある。 == 前期日程 == '''英語'''<br /> 試験時間は80分。合格への鍵を握る科目は英語である。近年は全3問からなり、第1問と第2問は読解、第3問は文法(熟語)問題という形式が定着している。和文英訳は近年出題されてない。千葉大の読解問題は非常にシンプルな出題内容(例えば、下線部が指している内容を日本語で具体的かつ簡潔に記述・説明する、など)であるが、『超』長文と呼ぶべき量が出題される場合もあるので、対策をしておかないと時間内に終わらない可能性が高い。また、私大型の勉強もそれなりに補完関係にあるが、記述力をつけるために必ず過去問にも当たるべきである。 教育学部英語教育コースのみライティングが課される。制限時間は50分で与えられたトピックに対して250字程度の英語論述をするというもの。 なお、英検習得による加点がある。特に国際教養学部では英検準一級or一級取得かつCSEスコアが2500を超えるか、TEAPで375点以上取ると満点換算され、大きなアドバンテージとなる。 それ以外の学部でも(医学部除いて)実施されているが、持っていなくてもあまり差はつかないと思われる。 '''数学'''<br /> 微分積分は毎年必ず出るので落とさないようにしたい。また、整数問題も頻出である。学部学科によって解答する問題が異なり、解法パターンの決まった問題から難度の高い問題まで出題される。文系学部は平素の学習は黄色チャートで十分であるが、理系学部は難度の高い問題も出題されるため青チャートを使用するとよい。今までの記述模試の復習も有効である。数学が苦手な受験生は教科書レベルにさかのぼって学習することで部分点は取れるだろう。 数学科と医学部専用問題は上位旧帝に匹敵するほどの難問になることがある。これらの学部を志望してる生徒は千葉大に限らずさらに上の大学の数学の問題も解くと良いだろう。 '''国語'''<br /> 例年、現代文、古文、漢文の大問3問が出題されるパターンである。字数制限が付された上で記述解答させる問題の出題が形式化しているため、日頃から自分の考えを簡潔に表現できる力を身につけておくことが高得点への第一歩へとつながるであろう。また、漢文や古文を現代訳させる問題も頻出であるので日頃からコツコツ勉強し、古文単語や文法用法に関して知識を蓄えておくことが重要である。 '''理科'''<br /> 理学部数学・情報数理学科、国際教養学部、一部の教育学部以外の理系受験生は「物理」「化学」「生物」「地学」の2科目を選択し、受験することになる。学部学科によって、受験する科目、解答する問題が違う。 なお薬学部、医学部では地学は解答できないため注意。 ====物理==== 理学部物理学科、医学部等が解答する問題は全体的に難易度が高く、単なる解法暗記では太刀打ちできない可能性がある。また融合問題が出てくることもある。 それ以外の学科では標準的な問題が多い。ただし時間的余裕は無いので、問題を素早く処理することが大切である(これは化学にも言える)。 語句問題が出たこともある為、教科書に太字で載ってる語句は書けるようにすること。 ====化学==== 化学科、医学部等の専用問題以外は全体的に標準程度。 記述問題もそこそこ出題されてる為、典型的なものは書けるようにしておきたい。 専用問題はかなり難しく、煩雑な計算やマニアックな知識が問われる問題もある。さらに学校ではあまり扱われない合成高分子やアミノ酸等が出題されている。逆に近年は専用問題以外で高分子系は問われてない。 == 後期日程 == 大半の学部で後期を実施している。 前期に比べて難易度は大きく跳ね上がる。 特に前期と比べて共通テストの比重が大きい学部が多いため、共通テストで高得点を取らないと挽回不可能になることもある。 後期試験の地球科学科は大学入試にしては珍しく地学が必須となっている。その為後期で考えてる人は注意。 '''小論文'''<br /> 文学部で実施。試験時間は120分。 歴史学コースと行動科学コースで問題が異なる。 ====行動科学コース==== 大問数は1問。内容は英語の超長文である。設問は本文に対し70字で説明する、600字程度で自分の考えを述べる等といったものである。内容も専門的な物の為、難易度は高い。過去問を研究したり、普段から時事について関心を持つことが大切である(これは歴史学コース、法政経学部でも同じことが言える)。 ====歴史学コース==== 大問数は2問。1問目は和文、2問目は英文である。法政経学部等に比べると英語長文は長くないものの、当然専門的な内容なので難易度は高い。 大問1の設問はよくある小論文のような内容。大問2は下線部和訳や要約、数百字で自分の考えを説明するような設問が多い。 '''数学'''<br /> 理学部数学科は180分で6問、工学部、医学部は120分で3~4問を解く。昔は医学部専用問題があったが、今後復活するかは不明。難易度は前期と同じレベルから東京科学大(またはそれ以上)レベルの問題まで様々である。 '''英語'''<br /> 医学部のみ課される。試験時間は80分。医学部専用問題の為、医療系がテーマの長文が2題出題される。設問も難しく、医療系の英単語も覚えてないと辛いところが多い。 '''理科'''<br /> ====物理==== 見慣れない設定の問題が多いが、落ち着いて問題の状況を把握し、面倒な問題は後回しにすることが大切である。 また、大学受験では疎かにしやすい交流がよく出てることも特徴。 '''総合テスト'''<br /> 法政経学部と理学部物理学科で課される。 ====法政経学部==== 試験時間は90分で、英語長文の問題だが社会科学や統計学等専門的なテーマの内容かつ超長文の為難易度は非常に高い。設問としては、空欄補充や下線部和訳、内容説明など一般的なものが多いが、計算問題が出てくることもある。この手の長文は類題が少なく、対策が難しい為、過去問研究をし、取れるところを確実に獲得すれば合格にたどり着けるだろう。 ====理学部物理学科==== 試験時間は150分。物理の問題だが、他学部の物理と異なる点は数3Cも出題範囲ということ。 とはいえ、このレベルの物理学科を志望しているなら大きな弊害にはならないだろう。 いわゆる「数理物理」のようなものである。実際に説明があるとはいえ、2023年のように加速度が2回微分表記であったりする。また、原子も高頻度で出題されている。対策としては、過去問以外だと東京科学大(旧東京工業大学)等専門的な物理を出題する大学の過去問を解くのも有効である。 後期試験とはいえ近年合格点が高いこと(2024年で最低点の得点率は約75%)に注意。その為共通テストでボーダーを超えても、2次試験で7~8割程度取らないと合格できないため、必然的に高得点争いになる。 == 模試 == 大学別模擬試験としては、東進が千葉大本番レベル模試を実施している。他の予備校(駿台、河合塾等)は千葉大模試を実施してないため注意。全国の千葉大志望者における自己の位置を知るのにもよいので積極的に受験することをお勧めする。 == 外部サイト == *[http://www.chiba-u.ac.jp/exam/ 千葉大公式サイト] [[Category:大学入試|ちはたいたいさく]] [[カテゴリ:千葉県]] rz4pqa10mes8i3l1b6x90nfhu0qo4pa 大学受験国語 現代文の勉強法 0 7119 263595 262116 2024-11-16T09:21:09Z ~2024-13684 84948 /* 実用的文章 */ 263595 wikitext text/x-wiki ==傾向概略== 大学入試の現代文は主に以下の内容が出題される。 *論理的文章(評論・随筆) *文学的文章(小説・随筆) *実用的文章(資料読解) *文語文(擬古文) *現代文法 *知識問題(漢字・熟語・文学史) 中学・高校入試と比べると特に評論文のウェイトが大きい一方、小説はやや出題されにくい。大学入試共通テストでは、2025年度入試から評論1題・小説1題に加えて法令文書等の資料の読み取りをさせる実用的文章が1題追加されることとなった。私立大学・国公立大学の二次試験では評論文だけ1、2題ということも珍しくはない。また、現代文法も大学入試では出題されにくくなっている。理系学部で国語が選べる場合には現代文のみとなっていることがほとんどだが、古文の代わりに明治以降の文語文(擬古文)が出されることもある。 ===全般=== 今までは「傍線部の周辺」のみを読めば正答できるような問題が多かったが、ここ数年の傾向として、「本文の全体から満遍なく出題される」ことが多くなってきた。例えば、傍線部の根拠が傍線部の周辺になかったり、記述で「本文全体を踏まえて記述しなさい」という問題があったり。また、本文前文のリード文の内容を正しく把握していないと本文読解が難しいような問題も出てきている。すなわち、正答するためには'''出題文の全てを読む'''ことが重要である。 ===論理的文章=== 前述のように大学入試現代文の中心となっている。 哲学・思想、文明批評、言語論といった難解なテーマの文章が高校入試のものよりも多く、内容もより一層硬質となっている。これは大学入学後に触れることの多い学術的な文章に慣れてほしいという大学側の要請もあると考えられる。 ===文学的文章=== 小説について、高校入試までは小中学生くらいのまで子どもを主人公とした文章が中心だったが、大学入試では主人公は老若男女問わないものになっている。そのため、登場人物への感情移入がし難くなっている。また、心情の描写が抽象的になっており、「この表現・描写がどういった心境を表しているのか」を読み解くことが大学入試以前と比べて難解になっている。 随想では、評論に比べると比喩表現の割合が圧倒的に多い。すなわち、比喩表現が具体的に何を言っているのかを正しく認識する必要がある。 たまに台本形式の文章や詩歌を盛り込んだ文章が出題されるが、それらは普通に小説対策をしていれば正答できるであろう。 文学的文章の特徴として、本文の内容の表面的な部分を答えさせる問題が多い。深読みしたり出題範囲外の内容から答えを導き出しても、それは出題範囲の本文に書かれていないから不正解、という論理である。 ===実用的文章=== 法令文書や統計データなどの資料読解が主である。複数の資料を比較させる問題が非常に多い。基本的に、資料の内容を正しく読み取れれば満点を取れる。 これ単体で出題されるのは(実施前時点では)おそらく共通テストのみであろうが、評論的文章・文学的文章で「本文の内容に関連した資料」「本文の内容をもとに生徒が書いたノート」を読解させる融合問題がここ数年の新傾向として見られる。 なお、統計データの読解にはもちろん統計学の知識が必要になるので、数学I「[[高等学校数学I/データの分析|データの分析]]」、数学B「[[高等学校数学B/確率分布と統計的な推測|確率分布と統計的な推測]]」「[[高等学校数学B/数学と社会生活#回帰分析|数学と社会生活#回帰分析]]」、数学C「[[高等学校数学C/数学的な表現の工夫#データの表現方法の工夫|数学的な表現方法の工夫#データの表現方法の工夫]]」あたりをマスターしておくと助けになるであろう。(基本は数学Iの範囲で十分だと思うが、回帰分析などの数学Iの範囲を逸脱した内容が混じることがあるので、余裕があれば高校範囲の統計学の全内容の学習を推奨する。) ===知識問題=== 大学入試において、文法は基本的に古典文法中心のため、大学入試ではあまり出ない。ただし、一部私大では特に現代語の敬語や接続詞、助詞の問題が出されることもある。 文学史(近代以降)は出題する/しないが大学ごとにはっきりしており、出ないところではほぼ出ないが、出すところは毎年出ると思ってよい(ちなみにセンター試験では直接文学史を問うことはないが、文学史の知識があればやや解きやすくなる問題も稀に出る)。このあたりは赤本などの過去問を見ておくといい。 漢字の読み書きは、まともに日本語に触れていれば正答できる範疇の問題が多い。ただし、うろ覚えだったり本番に思い出せなかったりするのを防ぐため、普段から手を使って漢字・文章を書く練習をしておくと良いだろう。 熟語については、[[高等学校現代文/重要単語]]に載っている単語を網羅すれば心配ない。普段使っている熟語の正しい意味を認識し、難解な語句も頭に入っていれば、基本的に点を取れる。なお、文学的文章で「この語句の本文での意味を答えよ」という文言を見つけたら、それは'''辞書に載っている意味で答えよ'''というニュアンスが含まれているので、注意する必要がある。 == 勉強法 == 現代文全般で大事になってくるのが、「広く深い語彙」「論理展開の正しい把握」である。前者に関しては既に述べたが、後者に関しては、接続詞が鍵となる。例えば、「つまり〜」「すなわち〜」という接続詞が来た場合、その後の文章は前文の言い換えだと明確に判断できる。「しかし〜」「だが〜」という接続詞が来た場合、その後の内容は前文を否定していることがわかる。このように、接続詞の用法を正しく理解していれば、文章の論理的構造を明らかにすることができる。論理的構造が明らかになれば、「この内容の根拠はこの文である」と判断できるので、選択肢を消したり記述で正しい根拠を持って記述することができる。 総括して、文章をたくさん読むことが大切である。量を重ねることで語彙力が身につき、接続詞に注意して読むことで文章の論理展開を把握する練習にもなる。英語にも言えることだが、出題されたテーマを知っていることで本文理解が進むことも多いので、様々な文章に触れて知見を広げることにも繫がる。 == 参考書 == 現代文はその性質上、どの科目の参考書もそうであるが、特に解説が丁寧で詳しい参考書を要求する科目である。 選ぶ基準としては、解説されている解き方がどんな問題でも応用できるものであるかどうかを見るのがいい。現代文は他科目に比べて知識系問題が少ないので、問題の説明や解説の仕方、参考書によって内容の差異が大きいので、見比べればある程度わかる。著者が選んだ問題文で都合よく設けられた設問に限って使える解き方が実しやかに解説されているものはやめたほうがいい。 また現代文はなんといっても日本語なので、最初から標準~やや難レベルから始めても問題ない。英語のように英単語や構文等の基礎が固まっていないとまるっきり読めないということはまずないので、出来るだけ質の高い文章に多く触れた方がいいこともあり、場合によっては志望校のレベルに合わせてやってみてもいい。 *'''マーク式基礎問題集現代文(河合)''' センター試験に照準を当てた参考書。解説が詳しく丁寧で、やや易~標準レベルまで広くカバーしており、国公私立大・文理系問わず総合的な国語力の基礎がために有効。初めて手を出す参考書として手ごろ。 *'''入試精選問題集現代文(河合)''' スタンダードな参考書。解説が詳しく丁寧で、標準~やや難レベルまで広くカバーしており、中堅国公立大・難関私大向けで総合的な国語力を伸ばすのに有効。 *'''得点奪取現代文記述・論述対策(河合)''' 記述対策に特化した参考書。解説が詳しく丁寧で、難関国公立大の記述対策に有効。 *'''現代文のトレーニング・入門編 (Z会)''' センター・中堅レベル対応の参考書で、現代文の本当の意味での基礎力をつけたい受験生が主な対象。段落分け、指示語、空欄補入、傍線部説明、内容判定問題、要約などなど現代文の基礎をオリジナル問題を使いつつ懇切丁寧に解説。 *'''現代文のトレーニング・必修編 (Z会)''' 中堅~難関レベル対応の参考書。文章の構造を図示しながら、必修ポイントをかなりわかり易く解説してあり、正答選択肢を選ぶ根拠の見つけ方、記述のまとめ方など、現代文の総合的な実力アップに役立つ。またコラムも充実している。 *'''現代文のトレーニング・私大編 (Z会)''' 早稲田、上智などの最難関レベルにまで対応した参考書。必修編のステップアップ版私大向け。 *'''現代文のトレーニング・記述編 (Z会)''' 東大、京大を始めとした難関国公立二次対策用。必修編のステップアップ版国公立大向け。 *'''頻出現代文重要語700(桐原書店)''' 日本語だからといって全て言葉の意味が分かるわけではないだろう。それらをでたらめに解釈して、先延ばししていると本番で痛い目を見ることになる。これは受験生がぜひとも覚えておきたい語句を多数収録しており、読解力向上につながるだけではなく、センター試験、私大の試験で「意味を直接問う」設問の対策など直接的な得点力にもつながる。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語|たいかくしゆけんけんこくこ]] [[Category:学習方法|たいかくしゆけんけんこくこ]] l3ijvwcjd3xhs3u8diqecexta80uh9u 民法第802条 0 8935 263531 228676 2024-11-15T14:28:01Z Tomzo 248 263531 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第4編 親族 (コンメンタール民法)]] ==条文== (縁組の無効) ;第802条 : 縁組は、次に掲げる場合に限り、無効とする。 :#人違いその他の事由によって当事者間に縁組をする意思がないとき。 :#当事者が縁組の届出をしないとき。ただし、その届出が[[民法第799条|第799条]]において準用する[[民法第739条|第739]]条第2項に定める方式を欠くだけであるときは、縁組は、そのためにその効力を妨げられない。 ==解説== :無効である養子縁組について定める。婚姻同様、届出が受理されない限り縁組の効果は生じないが、逆に、届出が受理される(≒戸籍が書き換えられる)と縁組が成立していることとなる。縁組の無効は、この場合であっても、「取消しうる縁組」と異なり、縁組の効果を生じさせない制度である。戦後の民法改正においても、明治民法の規定([[民法第851条#参考|旧・民法第851条]])がそのまま受け継がれている。 :「婚姻の無効」との類推が作用する規律であり要件・効果等については、[[民法第742条|第742条]]を参照。 ==参照条文== *[[民法第739条]](婚姻の届出) *[[民法第799条]](婚姻の規定の準用) ==判例== #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=57114&hanreiKbn=02 養子縁組無効確認請求](最高裁判決 昭和23年12月23日)[[民法第93条]] ##'''旧民法第851条第1号(新民法第802条第1号)の意義''' ##:旧民法第851条第1号(新民法第802条第1号)にいわゆる「当事者間に縁組をする意思がないとき」とは、当事者間において真に養親子関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指し、たとえ養子縁組の届出自体については当事者間に意思の一致があつたとしても、それが単に他の目的を達するための便法として仮託されたものに過ぎないときは、養子縁組は、効力を生じない。 ##'''養子縁組の無効と民法第93条但書''' ##:養子関係の設定を欲する効果意思のないことによる養子縁組の無効は、絶対的のものであつて民法第93条但書の適用をまつてはじめて無効となるのではない。 #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=56217&hanreiKbn=02 離婚届出無効確認請求](最高裁判決 昭和34年08月07日)[[民法第742条]]、[[民法第763条]]、[[民法第764条]] #;協議離婚届出書作成後の飜意と届出の効力。 #:合意により協議離婚届書を作成した一方の当事者が、届出を相手方に委託した後、協議離婚を飜意し、右飜意を市役所戸籍係員に表示しており、相手方によつて届出がなされた当時、離婚の意思を有しないことが明確であるときは、相手方に対する飜意の表示または届出委託の解除の事実がなくとも、協議離婚届出が無効でないとはいえない。 #::協議離婚の届出に関する判例の準用 #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=52132&hanreiKbn=02 相続回復、所有権更正登記手続請求] (最高裁判決 昭和50年04月08日)[[民法第739条]]、[[民法第799条]] #;虚偽の嫡出子出生届と養子縁組の成否 #:養子とする意図で他人の子を嫡出子として出生届をしても、右出生届をもつて養子縁組届とみなし、有効に養子縁組が成立したものとすることはできない。 #[https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=86480 養子縁組無効確認請求事件] (最高裁判決 平成29年1月31日) #;専ら相続税の節税のために養子縁組をする場合と民法802条1号にいう「当事者間に縁組をする意思がないとき」 #:専ら相続税の節税のために養子縁組をする場合であっても,直ちに当該養子縁組について民法802条1号にいう「当事者間に縁組をする意思がないとき」に当たるとすることはできない。 #:*養子縁組は,嫡出親子関係を創設するものであり,養子は養親の相続人となるところ,養子縁組をすることによる相続税の節税効果は,相続人の数が増加することに伴い,遺産に係る基礎控除額を相続人の数に応じて算出するものとするなどの相続税法の規定によって発生し得るものである。相続税の節税のために養子縁組をすることは,このような節税効果を発生させることを動機として養子縁組をするものにほかならず,相続税の節税の動機と縁組をする意思とは,併存し得るものである。 ==参考== 明治民法において、本条には夫の妻の財産の処分に関する以下の規定があったが、戦後改正において継承なく廃止された。 :夫カ妻ノ為メニ借財ヲ為シ、妻ノ財産ヲ譲渡シ、之ヲ担保ニ供シ又ハ[[民法第602条|第六百二条]]ノ期間ヲ超エテ其賃貸ヲ為スニハ妻ノ承諾ヲ得ルコトヲ要ス但管理ノ目的ヲ以テ果実ヲ処分スルハ此限ニ在ラス ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第4編 親族 (コンメンタール民法)|第4編 親族]]<br> [[第4編 親族 (コンメンタール民法)#3|第3章 親子]]<br> [[第4編 親族 (コンメンタール民法)#3-2|第2節 養子]] |[[民法第801条]]<br>(外国に在る日本人間の縁組の方式) |[[民法第803条]]<br>(縁組の取消し) }} {{stub|law}} [[category:民法|802]] k30340guinz5uzjwh09zwmacmqzcluq 263532 263531 2024-11-15T16:01:54Z Tomzo 248 /* 判例 */ 263532 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第4編 親族 (コンメンタール民法)]] ==条文== (縁組の無効) ;第802条 : 縁組は、次に掲げる場合に限り、無効とする。 :#人違いその他の事由によって当事者間に縁組をする意思がないとき。 :#当事者が縁組の届出をしないとき。ただし、その届出が[[民法第799条|第799条]]において準用する[[民法第739条|第739]]条第2項に定める方式を欠くだけであるときは、縁組は、そのためにその効力を妨げられない。 ==解説== :無効である養子縁組について定める。婚姻同様、届出が受理されない限り縁組の効果は生じないが、逆に、届出が受理される(≒戸籍が書き換えられる)と縁組が成立していることとなる。縁組の無効は、この場合であっても、「取消しうる縁組」と異なり、縁組の効果を生じさせない制度である。戦後の民法改正においても、明治民法の規定([[民法第851条#参考|旧・民法第851条]])がそのまま受け継がれている。 :「婚姻の無効」との類推が作用する規律であり要件・効果等については、[[民法第742条|第742条]]を参照。 ==参照条文== *[[民法第739条]](婚姻の届出) *[[民法第799条]](婚姻の規定の準用) ==判例== #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=57114&hanreiKbn=02 養子縁組無効確認請求](最高裁判決 昭和23年12月23日)[[民法第93条]] ##'''旧民法第851条第1号(新民法第802条第1号)の意義''' ##:旧民法第851条第1号(新民法第802条第1号)にいわゆる「当事者間に縁組をする意思がないとき」とは、当事者間において真に養親子関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指し、たとえ養子縁組の届出自体については当事者間に意思の一致があつたとしても、それが単に他の目的を達するための便法として仮託されたものに過ぎないときは、養子縁組は、効力を生じない。 ##'''養子縁組の無効と民法第93条但書''' ##:養子関係の設定を欲する効果意思のないことによる養子縁組の無効は、絶対的のものであつて民法第93条但書の適用をまつてはじめて無効となるのではない。 #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=56217&hanreiKbn=02 離婚届出無効確認請求](最高裁判決 昭和34年08月07日)[[民法第742条]]、[[民法第763条]]、[[民法第764条]] #;協議離婚届出書作成後の飜意と届出の効力。 #:合意により協議離婚届書を作成した一方の当事者が、届出を相手方に委託した後、協議離婚を飜意し、右飜意を市役所戸籍係員に表示しており、相手方によつて届出がなされた当時、離婚の意思を有しないことが明確であるときは、相手方に対する飜意の表示または届出委託の解除の事実がなくとも、協議離婚届出が無効でないとはいえない。 #::協議離婚の届出に関する判例の準用 #[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=52132&hanreiKbn=02 相続回復、所有権更正登記手続請求] (最高裁判決 昭和50年04月08日)[[民法第739条]]、[[民法第799条]] #;虚偽の嫡出子出生届と養子縁組の成否 #:養子とする意図で他人の子を嫡出子として出生届をしても、右出生届をもつて養子縁組届とみなし、有効に養子縁組が成立したものとすることはできない。 #[https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=86480 養子縁組無効確認請求事件] (最高裁判決 平成29年1月31日)<small> #:*Aに子B,C,Dがあって、相続人一人あたりの基礎控除額を増やす目的で、Bの子EをAの養子としたことで、相続割合の減ったC,Dが「当事者間に縁組をする意思がないとき」に当たり無効と訴えた事例</small> #;専ら相続税の節税のために養子縁組をする場合と民法802条1号にいう「当事者間に縁組をする意思がないとき」 #:専ら相続税の節税のために養子縁組をする場合であっても,直ちに当該養子縁組について民法802条1号にいう「当事者間に縁組をする意思がないとき」に当たるとすることはできない。 #:*養子縁組は,嫡出親子関係を創設するものであり,養子は養親の相続人となるところ,養子縁組をすることによる相続税の節税効果は,相続人の数が増加することに伴い,遺産に係る基礎控除額を相続人の数に応じて算出するものとするなどの相続税法の規定によって発生し得るものである。相続税の節税のために養子縁組をすることは,このような節税効果を発生させることを動機として養子縁組をするものにほかならず,相続税の節税の動機と縁組をする意思とは,併存し得るものである。 ==参考== 明治民法において、本条には夫の妻の財産の処分に関する以下の規定があったが、戦後改正において継承なく廃止された。 :夫カ妻ノ為メニ借財ヲ為シ、妻ノ財産ヲ譲渡シ、之ヲ担保ニ供シ又ハ[[民法第602条|第六百二条]]ノ期間ヲ超エテ其賃貸ヲ為スニハ妻ノ承諾ヲ得ルコトヲ要ス但管理ノ目的ヲ以テ果実ヲ処分スルハ此限ニ在ラス ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第4編 親族 (コンメンタール民法)|第4編 親族]]<br> [[第4編 親族 (コンメンタール民法)#3|第3章 親子]]<br> [[第4編 親族 (コンメンタール民法)#3-2|第2節 養子]] |[[民法第801条]]<br>(外国に在る日本人間の縁組の方式) |[[民法第803条]]<br>(縁組の取消し) }} {{stub|law}} [[category:民法|802]] owsohh5ahoduwbk3ngb549uqhheml60 高校化学 15族元素 0 10479 263587 245202 2024-11-16T09:02:42Z Nermer314 62933 263587 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=15族元素|frame=1|small=1}}[[ファイル:周期表-NP.png|right]] '''窒素'''(N)、'''リン'''(P)はともに15族に属する非金属元素である。価電子を5つ持つ。 == 窒素 == === 単体 === '''窒素'''(N{{sub|2}})は常温常圧で無色無臭の気体である。窒素原子2つが三重結合して1つの分子を作っている、二原子分子の気体である。空気中に体積比でおよそ78%含まれており、工業的には液体空気の分留により生産される。液体の窒素は物質の冷却にしばしば用いられている。 === アンモニア === '''アンモニア'''(NH{{sub|3}})は無色刺激臭の気体である。水に非常に溶けやすく、水溶液はアンモニア水と呼ばれ、弱塩基性を示す。 <chem>NH3 + H2O -> NH4+ + OH^-</chem> アンモニアの製法は、工業的には、高温高圧下で触媒を用いて窒素と水素を直接反応させる'''ハーバー・ボッシュ法'''により製造される。 <chem>N2 + 3 H2 -> 2 NH3</chem> 実験室では、塩化アンモニウムと水酸化カルシウムの粉末を混合して加熱することにより得られる。気体は上方置換で捕集する。 <chem>2NH4Cl + Ca(OH)2 -> CaCl2 + 2H2O + 2NH3 ^</chem> アンモニアが生成することを確かめるには、[[#ハロゲン化水素|濃塩酸]]を近づければよい。アンモニアと濃塩酸が反応して塩化アンモニウムの白煙を生じる。 <chem>NH3 + HCl -> NH4Cl</chem> 水溶液中のアンモニウムイオン(NH{{sub|4}}{{sup|+}})を検出する際には、ネスラー試薬が用いられる。アンモニウムイオンがあれば黄色~褐色の沈殿を生じる。 アンモニアは、硝酸の原料、あるいは肥料の原料などとしても利用される。 === 窒素酸化物 === 窒素の酸化物は数種類あり、それらの総称を'''窒素酸化物'''と呼ぶ。主なものに'''一酸化窒素'''(NO)と'''二酸化窒素'''(NO{{sub|2}})がある。 ;一酸化窒素 (NO) 常温で無色の気体。水に溶けにくい。希硝酸に銅を加えることで発生する。空気中で酸化されやすいため、水上置換で捕集する。 <chem>3Cu + 8HNO3 -> 3Cu(NO3)2 + 4H2O + 2NO ^</chem> 空気中での酸化の反応式は、 <chem>2NO + O2 -> 2NO2</chem> である。 ;二酸化窒素 (NO{{sub|2}}) [[File:CopperReaction.JPG|right|300px]] 常温で褐色の気体。水に溶けやすく、反応して硝酸(<chem>HNO3</chem>)となる。 <chem>3NO2 + H2O -> 2HNO3 + NO</chem> 実験室では濃硝酸に銅を加えることで発生する。水に溶けやすいので下方置換で捕集する。 <chem>Cu + 4HNO3 -> Cu(NO3)2 + 2H2O + 2NO2 ^</chem> 空気中では一部で2分子が結合して四酸化二窒素(<chem>N2O4</chem>)となる。 <chem>2NO2 <=> N2O4</chem> 窒素は常温では燃焼しない。すなわち酸素と反応して酸化物にならない。しかし、高温下では窒素と酸素が直接反応して窒素酸化物を生じる。また化石燃料の燃焼によっても窒素酸化物が生成する。そのため車のエンジンなどから窒素酸化物が発生し、大気中に放出されたものが雨水に吸収され、[[#二酸化硫黄|硫黄酸化物]]と同様に酸性雨の原因となる。 ==== 硝酸 ==== :(※ 範囲外 : ) 硝石(しょうせき)のつくり方がどこにも書いてないのはオカシイので、改革して硝石の作りかたの要点を書く。おおもとの原料は、糞尿である。尿などにふくまれるアンモニアが、土壌中でさまざまな物質と反応して、硝酸イオンを多く含む物質になる。この硝酸イオンを原料に、カリウムをふくむ灰汁(あく)とともに煮ると化学反応をして硝酸カリウムになるが、この硝酸カリウムこそが、自然界のいわゆる「硝石」(しょうせき)の主な原料である。中世や近世では、この硝石を中間材料として、火薬などを作っていた。(以上、範囲外。) (↓ 以下、高校の範囲) '''硝酸'''(<chem>HNO3</chem>)は窒素のオキソ酸であり、有名な強酸である。通常は<chem>HNO3</chem>の水溶液を硝酸と呼ぶ。濃度によりやや異なる性質を示し、濃度の濃いものを'''濃硝酸'''、薄いものを'''希硝酸'''と呼ぶ。硝酸は揮発性の酸であるため、実験室では硝酸塩に濃硫酸を加えることにより得られる。 <chem>NaNO3 + H2SO4 -> NaHSO4 + HNO3</chem> 硝酸の製法は、工業的には、'''オストワルト法'''(Ostwald process)により製造される。次のような工程を経て硝酸が得られる。 # アンモニアと空気の混合気体を、触媒の白金 Pt に触れさせ、800℃〜900℃でアンモニアを酸化させて一酸化窒素とする。 <chem>4NH3 + 5O2 -> 4NO + 6H2O</chem> # 一酸化窒素を空気中でさらに酸化して、二酸化窒素とする。 <chem>2NO + O2 -> 2NO2</chem> # 二酸化窒素を水に吸収させ、硝酸とする。ここで発生する一酸化窒素は回収し、2に戻って再び酸化する。 <chem>3NO2 + H2O -> 2HNO3 + NO</chem> 硝酸は無色の水溶液であるが、光や熱により分解して二酸化窒素と酸素を生じる。そのため、保管のさいには、硝酸は褐色びんに入れ冷暗所で保存するようにする。 <chem>4HNO3 -> 4NO2 + 2H2O + O2</chem> 強い酸化作用を持っており、水素よりイオン化傾向の小さい銅Cuや銀Agなどの金属も酸化して溶かす。また、イオン化傾向の大きい金属と反応して窒素酸化物を生じる。希硝酸からは一酸化窒素が、濃硝酸からは二酸化窒素がそれぞれ発生する。 (希硝酸)<chem>3Cu + 8HNO3 -> 3Cu(NO3)2 + 4H2O + 2NO ^</chem> (濃硝酸)<chem>Cu + 4HNO3 -> Cu(NO3)2 + 2H2O + 2NO2 ^</chem> また硝酸は強酸であり、イオン化傾向の大きい金属と反応して水素を発生する。 <chem>2Al + 6HNO3 -> 2Al(NO3)3 + 3H2 ^</chem> * 不動態 ただし、鉄 Fe やアルミニウム Al やニッケル Ni は、硝酸とは反応して水素を発生するが、濃硝酸に加えても溶けない。これは、金属の表面が酸化され、水に溶けにくい緻密な酸化被膜を生成して、内部が保護され、反応が内部まで進行しなくなるためである。このような状態を'''不動態'''(ふどうたい、passive state)という。 * その他 硝酸塩はほとんど水に溶ける。そのため、ガラス器具にこびりついた金属類を洗浄する際に用いられることも多い。 硝酸は火薬の製造に用いられる。 ==== 窒素の応用 ==== たとえば、ポテトチップスなどのような油で揚げたスナック菓子の酸化防止のため、袋の中に窒素がつめられる。酸素があると、油が酸化してしまうが、代わりに何らかの気体をつめる必要があるので、窒素を袋の中につめているのである。(※ 2017年のセンター試験『化学基礎の』本試験で出題) == リン == === 単体 === '''リン'''(P)は5種類の同素体を持つ。代表的なものは'''黄リン'''(P{{sub|4}})と'''赤リン''' (P{{sub|x}})の2つである。 '''黄リン'''(P{{sub|4}})は淡黄色のろう状固体であり、人体にきわめて有毒である。空気中で自然発火するため、水中に保存する。二硫化炭素(CS{{sub|2}})に溶ける。 [[File:Red phosphorus in a tube - P 15 .jpg|right|150px]] '''赤リン'''(P{{sub|x}})は赤褐色の粉末状固体であり、弱い毒性を持つ。二硫化炭素(CS{{sub|2}})に溶けない。赤リンはマッチの箱のすり薬として用いられている。 :※ マッチでリンが使われてる部分は、マッチ棒'''ではなく'''、マッチ箱のほう。 === 酸化物 === リンを空気中で燃焼させると、'''十酸化四リン'''(<chem>P4O10</chem>)の白煙を生じる。 <chem>4P + 5O2 -> P4O10</chem> 十酸化四リンは白色の粉末状固体であり、強い吸湿性を示し、乾燥剤として用いられる。この吸湿性から、空気中に放置すると空気中の水蒸気を吸収して自分自身がその水に溶ける。この現象を'''潮解'''という。十酸化四リンは'''潮解性'''(ちょうかいせい、deliquescence)のある物質である。 十酸化四リンは水と反応して'''リン酸'''(<chem>H3PO4</chem>)となる。 <chem>P4O10 + 6H2O -> 4H3PO4</chem> {{DEFAULTSORT:ひきんそくけんそのたんたいとかこうふつ 15そくけんそ}} [[Category:高等学校化学]] [[カテゴリ:元素|15]] リン酸は酢酸のような弱酸よりは強いが、塩酸のような強酸よりは弱い、中程度の強さの酸である。 リンは生物にとって必要不可欠な元素である。生物はリンの化合物であるATP(アデノシン三リン酸)にエネルギーを保存し、利用する。農業においても必要な元素で、リン酸肥料として用いられる。主なものとして、リン鉱石と硫酸と水との反応から得られるリン酸二水素カルシウム(<chem>Ca(H2PO4)2</chem>)と、硫酸カルシウム(<chem>CaSO4</chem>)との混合物である'''過リン酸石灰'''がある。 この過リン酸石灰が、リン肥料の主成分である。 リン酸カルシウム <chem>Ca3(PO4)2</chem> およびヒドロキシアパタイト <chem>Ca5(PO4)3(OH)</chem> は、動物の骨や歯の主成分である。 0tnmxxtu8d7fm1ynoy6ht0lhnvra7dv 263617 263587 2024-11-16T11:30:41Z Nermer314 62933 /* 硝酸 */ 263617 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=15族元素|frame=1|small=1}}[[ファイル:周期表-NP.png|right]] '''窒素'''(N)、'''リン'''(P)はともに15族に属する非金属元素である。価電子を5つ持つ。 == 窒素 == === 単体 === '''窒素'''(N{{sub|2}})は常温常圧で無色無臭の気体である。窒素原子2つが三重結合して1つの分子を作っている、二原子分子の気体である。空気中に体積比でおよそ78%含まれており、工業的には液体空気の分留により生産される。液体の窒素は物質の冷却にしばしば用いられている。 === アンモニア === '''アンモニア'''(NH{{sub|3}})は無色刺激臭の気体である。水に非常に溶けやすく、水溶液はアンモニア水と呼ばれ、弱塩基性を示す。 <chem>NH3 + H2O -> NH4+ + OH^-</chem> アンモニアの製法は、工業的には、高温高圧下で触媒を用いて窒素と水素を直接反応させる'''ハーバー・ボッシュ法'''により製造される。 <chem>N2 + 3 H2 -> 2 NH3</chem> 実験室では、塩化アンモニウムと水酸化カルシウムの粉末を混合して加熱することにより得られる。気体は上方置換で捕集する。 <chem>2NH4Cl + Ca(OH)2 -> CaCl2 + 2H2O + 2NH3 ^</chem> アンモニアが生成することを確かめるには、[[#ハロゲン化水素|濃塩酸]]を近づければよい。アンモニアと濃塩酸が反応して塩化アンモニウムの白煙を生じる。 <chem>NH3 + HCl -> NH4Cl</chem> 水溶液中のアンモニウムイオン(NH{{sub|4}}{{sup|+}})を検出する際には、ネスラー試薬が用いられる。アンモニウムイオンがあれば黄色~褐色の沈殿を生じる。 アンモニアは、硝酸の原料、あるいは肥料の原料などとしても利用される。 === 窒素酸化物 === 窒素の酸化物は数種類あり、それらの総称を'''窒素酸化物'''と呼ぶ。主なものに'''一酸化窒素'''(NO)と'''二酸化窒素'''(NO{{sub|2}})がある。 ;一酸化窒素 (NO) 常温で無色の気体。水に溶けにくい。希硝酸に銅を加えることで発生する。空気中で酸化されやすいため、水上置換で捕集する。 <chem>3Cu + 8HNO3 -> 3Cu(NO3)2 + 4H2O + 2NO ^</chem> 空気中での酸化の反応式は、 <chem>2NO + O2 -> 2NO2</chem> である。 ;二酸化窒素 (NO{{sub|2}}) [[File:CopperReaction.JPG|right|300px]] 常温で褐色の気体。水に溶けやすく、反応して硝酸(<chem>HNO3</chem>)となる。 <chem>3NO2 + H2O -> 2HNO3 + NO</chem> 実験室では濃硝酸に銅を加えることで発生する。水に溶けやすいので下方置換で捕集する。 <chem>Cu + 4HNO3 -> Cu(NO3)2 + 2H2O + 2NO2 ^</chem> 空気中では一部で2分子が結合して四酸化二窒素(<chem>N2O4</chem>)となる。 <chem>2NO2 <=> N2O4</chem> 窒素は常温では燃焼しない。すなわち酸素と反応して酸化物にならない。しかし、高温下では窒素と酸素が直接反応して窒素酸化物を生じる。また化石燃料の燃焼によっても窒素酸化物が生成する。そのため車のエンジンなどから窒素酸化物が発生し、大気中に放出されたものが雨水に吸収され、[[#二酸化硫黄|硫黄酸化物]]と同様に酸性雨の原因となる。 ==== 硝酸 ==== :(※ 範囲外 : ) 硝石(しょうせき)のつくり方がどこにも書いてないのはオカシイので、改革して硝石の作りかたの要点を書く。おおもとの原料は、糞尿である。尿などにふくまれるアンモニアが、土壌中でさまざまな物質と反応して、硝酸イオンを多く含む物質になる。この硝酸イオンを原料に、カリウムをふくむ灰汁(あく)とともに煮ると化学反応をして硝酸カリウムになるが、この硝酸カリウムこそが、自然界のいわゆる「硝石」(しょうせき)の主な原料である。中世や近世では、この硝石を中間材料として、火薬などを作っていた。(以上、範囲外。) (↓ 以下、高校の範囲) '''硝酸'''(<chem>HNO3</chem>)は窒素のオキソ酸であり、有名な強酸である。通常は<chem>HNO3</chem>の水溶液を硝酸と呼ぶ。濃度によりやや異なる性質を示し、濃度の濃いものを'''濃硝酸'''、薄いものを'''希硝酸'''と呼ぶ。硝酸は揮発性の酸であるため、実験室では硝酸塩に濃硫酸を加えることにより得られる。 <chem>NaNO3 + H2SO4 -> NaHSO4 + HNO3</chem> 硝酸の製法は、工業的には、'''オストワルト法'''(Ostwald process)により製造される。次のような工程を経て硝酸が得られる。 # アンモニアと空気の混合気体を、触媒の白金 Pt に触れさせ、800℃〜900℃でアンモニアを酸化させて一酸化窒素とする。<chem>4NH3 + 5O2 -> 4NO + 6H2O</chem> # 一酸化窒素を空気中でさらに酸化して、二酸化窒素とする。<chem>2NO + O2 -> 2NO2</chem> # 二酸化窒素を水に吸収させ、硝酸とする。ここで発生する一酸化窒素は回収し、2に戻って再び酸化する。<chem>3NO2 + H2O -> 2HNO3 + NO</chem> 硝酸は無色の水溶液であるが、光や熱により分解して二酸化窒素と酸素を生じる。そのため、保管のさいには、硝酸は褐色びんに入れ冷暗所で保存するようにする。 <chem>4HNO3 -> 4NO2 + 2H2O + O2</chem> 強い酸化作用を持っており、水素よりイオン化傾向の小さい銅Cuや銀Agなどの金属も酸化して溶かす。また、イオン化傾向の大きい金属と反応して窒素酸化物を生じる。希硝酸からは一酸化窒素が、濃硝酸からは二酸化窒素がそれぞれ発生する。 (希硝酸)<chem>3Cu + 8HNO3 -> 3Cu(NO3)2 + 4H2O + 2NO ^</chem> (濃硝酸)<chem>Cu + 4HNO3 -> Cu(NO3)2 + 2H2O + 2NO2 ^</chem> また硝酸は強酸であり、イオン化傾向の大きい金属と反応して水素を発生する。 <chem>2Al + 6HNO3 -> 2Al(NO3)3 + 3H2 ^</chem> * 不動態 ただし、鉄 Fe やアルミニウム Al やニッケル Ni は、硝酸とは反応して水素を発生するが、濃硝酸に加えても溶けない。これは、金属の表面が酸化され、水に溶けにくい緻密な酸化被膜を生成して、内部が保護され、反応が内部まで進行しなくなるためである。このような状態を'''不動態'''(ふどうたい、passive state)という。 * その他 硝酸塩はほとんど水に溶ける。そのため、ガラス器具にこびりついた金属類を洗浄する際に用いられることも多い。 硝酸は火薬の製造に用いられる。 ==== 窒素の応用 ==== たとえば、ポテトチップスなどのような油で揚げたスナック菓子の酸化防止のため、袋の中に窒素がつめられる。酸素があると、油が酸化してしまうが、代わりに何らかの気体をつめる必要があるので、窒素を袋の中につめているのである。(※ 2017年のセンター試験『化学基礎の』本試験で出題) == リン == === 単体 === '''リン'''(P)は5種類の同素体を持つ。代表的なものは'''黄リン'''(P{{sub|4}})と'''赤リン''' (P{{sub|x}})の2つである。 '''黄リン'''(P{{sub|4}})は淡黄色のろう状固体であり、人体にきわめて有毒である。空気中で自然発火するため、水中に保存する。二硫化炭素(CS{{sub|2}})に溶ける。 [[File:Red phosphorus in a tube - P 15 .jpg|right|150px]] '''赤リン'''(P{{sub|x}})は赤褐色の粉末状固体であり、弱い毒性を持つ。二硫化炭素(CS{{sub|2}})に溶けない。赤リンはマッチの箱のすり薬として用いられている。 :※ マッチでリンが使われてる部分は、マッチ棒'''ではなく'''、マッチ箱のほう。 === 酸化物 === リンを空気中で燃焼させると、'''十酸化四リン'''(<chem>P4O10</chem>)の白煙を生じる。 <chem>4P + 5O2 -> P4O10</chem> 十酸化四リンは白色の粉末状固体であり、強い吸湿性を示し、乾燥剤として用いられる。この吸湿性から、空気中に放置すると空気中の水蒸気を吸収して自分自身がその水に溶ける。この現象を'''潮解'''という。十酸化四リンは'''潮解性'''(ちょうかいせい、deliquescence)のある物質である。 十酸化四リンは水と反応して'''リン酸'''(<chem>H3PO4</chem>)となる。 <chem>P4O10 + 6H2O -> 4H3PO4</chem> {{DEFAULTSORT:ひきんそくけんそのたんたいとかこうふつ 15そくけんそ}} [[Category:高等学校化学]] [[カテゴリ:元素|15]] リン酸は酢酸のような弱酸よりは強いが、塩酸のような強酸よりは弱い、中程度の強さの酸である。 リンは生物にとって必要不可欠な元素である。生物はリンの化合物であるATP(アデノシン三リン酸)にエネルギーを保存し、利用する。農業においても必要な元素で、リン酸肥料として用いられる。主なものとして、リン鉱石と硫酸と水との反応から得られるリン酸二水素カルシウム(<chem>Ca(H2PO4)2</chem>)と、硫酸カルシウム(<chem>CaSO4</chem>)との混合物である'''過リン酸石灰'''がある。 この過リン酸石灰が、リン肥料の主成分である。 リン酸カルシウム <chem>Ca3(PO4)2</chem> およびヒドロキシアパタイト <chem>Ca5(PO4)3(OH)</chem> は、動物の骨や歯の主成分である。 nkas7a8ci8rs8h4cr42tt6xuqcs8e40 高校化学 14族元素 0 10480 263618 261062 2024-11-16T11:34:20Z Nermer314 62933 263618 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=14族元素|frame=1|small=1}}[[ファイル:周期表-CSi.png|right]] '''炭素''' C 、'''ケイ素''' Si はともに14族に属する元素である。価電子を4個持つ。 == 炭素 == '''炭素''' (C) は生物を構成する重要な元素であり、多くの化学製品にも含まれている。炭素を含む物質は一般に'''有機物'''と呼ばれる。有機化合物については別の章で詳しく学ぶ。この節では、炭素の単体、一酸化炭素、二酸化炭素について説明する。 === 単体 === 炭素の単体は共有結合の結晶であり、結合の仕方によっていくつかの同素体が存在する。 ;ダイヤモンド (C) [[File:Apollo synthetic diamond.jpg|left|150px|thumb|ダイヤモンド]] [[File:DiamantEbene01.png|right|150px|thumb|ダイヤモンドの構造]] '''ダイヤモンド'''は無色の固体で、1つの炭素原子が4つの炭素原子と正四面体の頂点方向に共有結合し、それが多数連結して結晶を形成している。共有結合の結晶であるため、非常に融点・沸点が高く、地球上で最も硬い物質として知られている。電気は通さないが、熱はよく伝える。宝石としての利用のほか、工業的には研磨剤としても使われる。光の屈折率が大きい。 {{-}} ;黒鉛 (C) [[File:GraphiteUSGOV.jpg|left|150px|thumb|黒鉛]] [[File:Graphit gitter.png|right|150px|thumb|グラフェン<br>黒鉛(グラファイト)の一層をグラフェンと呼ぶ。上図ではグラフェンが4層描かれている。]] '''黒鉛'''は金属光沢のある黒色の固体で、炭素原子が正六角形の層状構造を持っている。各層は3つの共有結合によって形成され、残りの価電子は'''自由電子'''として層間を移動する。この自由電子の存在により、黒鉛は電気をよく通し、熱伝導性も高い。層と層の結合は弱いため、黒鉛は柔らかく、鉛筆の芯や電気分解用の電極として使用される。 {{-}} ;フラーレン(C60、C70など) [[File:C60a.png|right|140px|thumb|フラーレン]] '''フラーレン'''は茶褐色の固体で、多数の炭素原子が球状に結合している。右図はC60フラーレンのモデルで、炭素原子が60個、サッカーボール状に結合している。20世紀後半に発見された物質で、現在も研究が進んでいる。純粋なフラーレンは電気を通さないが、アルカリ金属を添加すると超伝導性を示すことがある。有機溶媒に溶ける性質を持つ。 {{-}} ;グラフェン '''グラフェン'''は炭素原子が六角形に配列した一層のシート状の物質で、非常に強く柔軟であり、電気や熱を効率よく伝える。 {{-}} ;カーボンナノチューブ '''カーボンナノチューブ'''(Carbon Nanotube、CNT)は、炭素原子が六角形に結びついたグラフェンシートを丸めて筒状にしたナノ材料。非常に高い強度と優れた電気・熱伝導性を持つ。 {{-}} ;無定形炭素 [[File:Binchotan (charcoal).jpg|180px|活性炭|thumb]] 炭素の同素体とは異なり、黒鉛や[[高等学校化学I/炭化水素|炭化水素]]が不規則に結合し、結晶構造を明確に持たない固体がある。これを'''無定形炭素'''(amorphous carbon)と呼ぶ。木炭やコークスが代表的で、この中でも'''活性炭'''は多孔質であり、さまざまな物質を吸着する性質があるため、消臭剤などに用いられている。 {{-}} === 酸化物 === 炭素が空気中で燃焼すると、酸化物が生成される。 ;一酸化炭素 (CO) 炭素や有機化合物が空気中で不完全燃焼すると、'''一酸化炭素''' (CO) が生じる。一酸化炭素は無色無臭の気体で、非常に有毒である。吸入すると血液中のヘモグロビンと結合し、酸素の運搬を阻害する。水には溶けにくい。 実験室では、ギ酸を濃硫酸で脱水して一酸化炭素を生成できる。 : <chem>HCOOH -> H2O + CO ^</chem> 空気中では青白い炎を上げて燃焼し、二酸化炭素を生じる。 : <chem>2CO + O2 -> 2CO2</chem> 一酸化炭素は還元性を持ち、金属酸化物を還元して単体にする性質がある。 : <chem>CuO + CO -> Cu + CO2</chem> ;二酸化炭素 (CO2) 炭素や有機化合物が空気中で完全燃焼すると、'''二酸化炭素''' (CO2) が生じる。実験室では炭酸カルシウムに塩酸を加えて発生させることができる。 : <chem>CaCO3 + 2HCl -> CaCl2 + H2O + CO2 ^</chem> 工業的には、石灰石の熱分解によって二酸化炭素が得られる。 二酸化炭素は無色無臭の気体で、毒性はない。酸性酸化物であり、水に溶けると炭酸水素イオン <chem>HCO3^-</chem> を生成し、弱酸性を示す。 : <chem>CO2 + H2O <=> HCO3^- + H^+</chem> また、塩基と反応して塩を作る。 : <chem>CO2 + 2NaOH -> Na2CO3 + H2O</chem> 二酸化炭素を'''石灰水'''(水酸化カルシウム水溶液)に通すと、炭酸カルシウムが生成され白濁する。この反応は二酸化炭素の検出に用いられる。 : <chem>Ca(OH)2 + CO2 -> H2O + CaCO3 v</chem> [[File:Dry Ice Pellets Subliming.jpg|right|150px|thumb|ドライアイス]] 二酸化炭素の固体は分子結晶で、'''ドライアイス'''として知られ、冷却剤として使用される。常圧下で'''昇華性'''を持ち、液体にならずに直接気体となる。 二酸化炭素は生物の活動によって放出・吸収される。呼吸では、酸素を吸収して糖類と反応し、エネルギーを取り出す過程で二酸化炭素が生成される。 : <chem>C6H12O6 + 6O2 -> 6H2O + 6CO2</chem> 逆に、植物は光のエネルギーを用いて二酸化炭素を吸収し、糖類を合成する。この過程を光合成という。 : <chem>6CO2 + 6H2O -> C6H12O6 + 6O2</chem> また、微生物の中には糖類を発酵させ、エネルギーを得るものがあり、その過程で二酸化炭素が生じる。 : <chem>C6H12O6 -> 2C2H5OH + 2CO2</chem> == ケイ素 == '''ケイ素''' Si は酸素の次に多く地殻中に含まれている元素である。水晶などの鉱物にも含まれている。半導体の主な原料であり、工業的に重要な元素となっている。 === 単体 === [[File:SiliconCroda.jpg|right|200px|thumb|ケイ素]] '''ケイ素''' Si は金属光沢をもつ銀灰色の固体である。ケイ素は金属光沢をもつが、しかし金属ではない。 光や紫外線、赤外線などは電磁波であるが、ケイ素は電磁波の反射率が可視光(波長:780nm〜380nm)のあたりだけ、反射率が高いため、人間の目で見た場合に、ケイ素は金属光沢がるように見える。(※ 東京書籍の教科書で、コラムで紹介されている。) [[画像:Monokristalines Silizium für die Waferherstellung.jpg|thumb|110px|left|ケイ素の単結晶<br>電子部品の製造などに用いられる。これを薄く切断してシリコンウェハーにする。]] ケイ素は天然には単体として存在せず、酸化物を還元することにより製造される。単体は共有結合の結晶であり、ダイヤモンドと同様の構造でケイ素原子が結合する。そのためダイヤモンド同様融点・沸点は高く、固い結晶を作る。導体と不導体の中間程度の電気抵抗を持つ半導体で、太陽電池やコンピュータ部品に用いられる。 シリコンの結晶に、わずかにリンやホウ素を加えたものは、電気をよく通すものになる。これらの材料(シリコンの結晶に、わずかにリンやホウ素を加えたもの)も「半導体」という。(※ 実教出版、数研出版の教科書などで紹介している。) (※ 『物理II』で詳しく習う。『[[高等学校物理/物理II/電気と磁気]]』などの単元で扱う。) * その他 [[File:Silicon-unit-cell-3D-balls.png|80px|thumb|ケイ素の単体の結晶構造]] ケイ素の結晶構造は、ダイヤモンドの結晶構造と同じ。(← 高校の範囲。) {{-}} {{コラム|(※ 範囲外: )シリセン| 2=シリセンは、ケイ素(シリコン)原子が六角形に配列し、グラフェンに似た二次元シート構造を持つ新しい物質である。シリコンは通常、三次元のダイヤモンド構造を取るが、シリセンではケイ素原子が平面状に並び、蜂の巣状の構造を作り出す。このため、シリセンは「シリコン版グラフェン」とも呼ばれることがある。 シリセンは、グラフェンと同様に優れた電子的特性を持ち、次世代のエレクトロニクス材料として注目されている。特に、シリコンベースの既存の半導体技術との互換性が期待されており、ナノテクノロジーやトランジスタ、センサーなどの分野での応用が研究されている。 ただし、シリセンはグラフェンよりも安定性が低く、空気中では速やかに酸化されるため、特定の条件下でしか安定した形で存在できない。一般的には金属基板の上に成長させることで安定させる技術が使われている。 シリセンはその特性を利用して、エレクトロニクスやスピントロニクス、さらにはエネルギー材料などの広い分野で革新的な技術を生み出す可能性があるが、まだ研究段階にあるため、今後の発展が期待される。}} {{-}} === 二酸化ケイ素 === [[File:Quartz (USA).jpg|right|180px|thumb|水晶]] '''二酸化ケイ素'''(<chem>SiO2</chem>)は自然界で石英として存在する。透明な石英の結晶は「水晶」と呼ばれ、宝石として用いられる。また、砂状のものはケイ砂と呼ばれ、ガラスの原料となる。 二酸化ケイ素は共有結合の結晶である。ケイ素原子と酸素原子との結合は非常に強く、固く安定な結晶を作る。また、強い結合のためか、融点も高く、塩酸にも溶けない。しかし、フッ化水素酸とは反応して溶ける。 : <chem>SiO2 + 6HF -> H2SiF6 + 2H2O</chem> [[File:Silica gel.jpg|right|150px]] また、二酸化ケイ素は酸性酸化物であり、塩基と反応して塩を生じる。たとえば水酸化ナトリウムと反応して、ケイ酸ナトリウム(<chem>Na2SiO3</chem>)を生じる。 : <chem>SiO2 + 2NaOH -> Na2SiO3 + H2O</chem> これに水を加えて加熱すると、水あめ状の'''水ガラス'''(water glass)が得られる。また、水ガラスに塩酸を加えると、ゲル状のケイ酸が得られる。 : <chem>Na2SiO3 + 2HCl -> H2SiO3 + 2NaCl</chem> ※ 実際は組成が安定せず、できるのが <chem>H2SiO3</chem> のみとは限らない このとき塩化ナトリウムが副生成物としてできるので、塩化ナトリウムを水洗して除き、のこったケイ酸を加熱乾燥すると'''シリカゲル'''(silica gel)が得られる。シリカゲルは多孔質で分子を吸着するため、乾燥剤や吸着剤として用いられる。 * 発展: 水晶振動子 (※ ほぼ範囲外) 電子工業における水晶の応用として、'''水晶振動子'''としての利用がある。 水晶に電圧を掛けると、一定の周期で振動することから、時計などの発振器として利用されている。 :※ 『科学と人間生活』で水晶振動子が紹介された。 {{DEFAULTSORT:ひきんそくけんそのたんたいとかこうふつ 14そくけんそ}} [[Category:高等学校化学]] [[カテゴリ:元素|14]] l9p3qwoi9k2pp4995v6ioqnyzkv1ust 高校化学 アルカリ金属 0 10719 263593 261610 2024-11-16T09:17:30Z Nermer314 62933 263593 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=アルカリ金属|frame=1|small=1}} == 金属と水の反応モデル == 以降の無機化学の単元において、金属と水溶液との反応を考える上では、以下のようなモデルを用いる。※実測はされていない ある金属元素Mが水中にある。このとき、周りの水と反応することにより金属の表面が水酸化物M(OX){{sub|x}}で覆われる。(皮膜形成) この水酸化物M(OX){{sub|x}}が水に可溶ならば、水酸化物皮膜が全て水に溶けて金属の表面が露出し、水と反応して水酸化物M(OH){{sub|x}}が生成する。そしてまた水酸化物被膜が全て水に溶けて金属の表面が露出し・・・と反応を繰り返し、最終的には金属が全て水酸化物となって水に溶ける。 水に難溶ならば、水酸化物皮膜が生成した時点で反応が止まり、その金属は水と反応しない。 なお、イオン化傾向がMg以下の金属の水酸化物は水に難溶である。 == 単体 == [[File:Lithium paraffin.jpg|right|200px|thumb|リチウムの保存. <br>リチウムは密度が灯油よりも軽いため、リチウムは灯油に浮く。]] [[File:Kalium.jpg|right|150px|thumb|切断したカリウム]] 水素を除く1族元素のリチウム Li, ナトリウム Na, カリウム K, ルビジウム Rb, セシウム Cs, フランシウム Fr のことを'''アルカリ金属'''という。 アルカリ金属の単体は、いずれも銀白色の固体である。融点が低くやわらかい金属で、カッターで簡単に切断することができる。 アルカリ金属の原子は価電子を1個もち、1価の陽イオンになりやすい。 このため、アルカリ金属の原子は酸化されやすいので、天然には単体の状態では存在せず、塩として存在する。 単体を得るには、化合物の融解塩電解を行う。加熱して融解させた化合物に炭素電極を入れ、電気分解を行うと、陰極側に金属の単体が析出する。 : X{{sup|+}} + e{{sup|-}} &rarr; X↓ (XはLi、Na、Kなど) アルカリ金属は反応性が高く、イオン化傾向が大きいので還元性も高い。アルカリ金属は常温で空気中の酸素や水、塩素と簡単に反応する。特に水とは、アルカリ金属は常温で水と反応して水素を発生しながら激しく反応し、反応後の溶液は強塩基性の水溶液になる。 : 4X + O{{sub|2}} &rarr; 2X{{sub|2}}O : 2X + 2H{{sub|2}}O &rarr; 2XOH + H{{sub|2}}↑ (XはLi、Na、Kなど) : 2X + Cl{{sub|2}} &rarr; 2XCl そのため、アルカリ金属の単体を保存する際には、空気中の酸素や水との反応をふせぐために'''石油中'''(灯油)に保存する。リチウムは石油よりも軽いため、石油に浮く。また、単体は素手で触れず、必ずピンセットなどを用いて扱う。 <!-- 水だけでなく、ヒドロキシル基(-OH)を持つアルコールやフェノールとも水素を発生しながら反応して、アルコキシド、フェノキシドとなる。 : 2R-OH + 2X &rarr; 2R-OX + H{{sub|2}}   (Rは炭化水素基、XはLi、Na、Kなど) --> {| class="wikitable" align=right |+ アルカリ金属の単体の性質 |- |- style="background:silver" ! 元素名 !! 元素記号 !! 融点(℃) || 沸点(℃) || 密度(g/cm<sup>3</sup>) || 炎色反応 |- | リチウム || Li || 180 || 1347 || 0.53 || 赤 |- | ナトリウム|| Na || 98 || 883 || 0.97 || 黄 |- | カリウム || K || 64 || 774 || 0.86 || 赤紫 |- | ルビジウム || Rb || 39 || 688 || 1.53 || 赤 |- | セシウム || Cs || 28 || 678 || 1.87 || 青 |- |} イオンは'''炎色反応'''を示し、白金線にイオン水溶液をつけガスバーナーの炎に入れると、リチウムイオンでは赤色に、ナトリウムイオンでは黄色に、カリウムでは赤紫色にそれぞれ炎が色づく。 {|align="center" style="border:solid #aaffaa 1px; text-align:center;" |[[File:FlammenfärbungLi.png|52px|リチウムの炎色反応]]||[[File:FlammenfärbungNa.png|50px|ナトリウムの炎色反応]]||[[File:FlammenfärbungK.png|50px|カリウムの炎色反応]] |- |Li||Na||K |} == アルカリ金属の化合物 == アルカリ金属は様々な化合物を作る。この章ではアルカリ金属の中でも、特にナトリウムの化合物について学ぶ。 === 水酸化物 === アルカリ金属の単体が水と反応すると水酸化物となる。たとえばリチウムは水酸化リチウム(LiOH)に、ナトリウムは水酸化ナトリウム(NaOH)に、カリウムは水酸化カリウム(KOH)になる。 水酸化ナトリウムの工業的な製法については、塩化ナトリウム NaCl 水溶液の電気分解によって製造される。 常温では白色の固体であり、水によく溶けて、いずれの水溶液も強塩基性を示す。このため皮膚を冒す性質があり、取り扱いに注意する。 [[ファイル:Sodium_hydroxide.jpg|右|サムネイル|200x200ピクセル|水酸化ナトリウム]] 水酸化ナトリウムと水酸化カリウムの固体は吸湿性があり、空気中に放置すると水蒸気を吸収してその水に溶けてしまう。この現象を'''潮解'''(ちょうかい、deliquescenece)という。 水溶液も吸湿性があるため、長時間放置すると溶液の濃度が変化する。したがって精密さを要する実験では、直前に水溶液を調整するようにするとともに、中和滴定などにより正確な濃度を測る必要がある。 また水酸化ナトリウムは水分を吸収するだけでなく、空気中の二酸化炭素も吸収して、炭酸塩の炭酸ナトリウム(Na{{sub|2}}CO{{sub|3}})を生じる。 : 2NaOH + CO{{sub|2}} &#x2192; Na{{sub|2}}CO{{sub|3}} + H{{sub|2}}O この性質から、二酸化炭素の吸収剤として用いられることがある。 水酸化ナトリウムの産業上の用途は、製紙業でのパルプの製造、石油の精製、繊維の製造、セッケンの製造、などで用いられている。 水酸化ナトリウムは'''苛性ソーダ'''とも呼ばれる。 === 炭酸塩・炭酸水素塩 === '''炭酸水素ナトリウム'''(NaHCO{{sub|3}})と'''炭酸ナトリウム'''(Na{{sub|2}}CO{{sub|3}})は共に白色の粉末である。工業的には'''アンモニアソーダ法'''により製造される。 ==== アンモニアソーダ法(ソルベー法) ==== アンモニアソーダ法は炭酸ナトリウムの工業的製法である。 # 塩化ナトリウムの飽和水溶液にアンモニアと二酸化炭素を通す。 <chem>NaCl + NH3 + CO2 + H2O -> NaHCO3 + NH4Cl</chem> # 炭酸水素ナトリウムを加熱する。 <chem>2NaHCO3 -> Na2CO3 + CO2 ^ + H2O</chem> [[ファイル:アンモニアソーダ法反応過程.svg|右|サムネイル|550x550ピクセル|アンモニアソーダ法の反応経路図]] ; 反応で生じた生成物は次のように再利用できる。 # 炭酸カルシウムを加熱して酸化カルシウムと二酸化炭素を得る。 #: <chem>CaCO3 -> CaO + CO2</chem> # 1.で得た酸化カルシウムに水をくわえ、水酸化カルシウムとする。 #: <chem>CaO + H2O -> Ca(OH)2</chem> # 2.で得た水酸化カルシウムを1.で得た塩化アンモニウムと反応させ、塩化カルシウムとアンモニアを得る。このアンモニアは回収して1.の反応で再利用する。 #: <chem>2NH4Cl + Ca(OH)2 -> CaCl2 + 2NH3 + 2H2O</chem> アンモニアソーダ法は全体としては、 <chem>2NaCl + CaCO3 -> Na2CO3 + CaCl2</chem> という反応式で表される。 原料がCaCO{{sub|3}}(石灰岩、秩父などで大量に採れる)とNaCl(食塩、買えなくても海水から作れる)とNH{{sub|3}}(アンモニア、ハーバー・ボッシュ法で大量生産できる)のみと非常に安価なので、アンモニアソーダ法は「安く大量生産を目指す」工業的製法としては最も理想形に近いと言われている。 ==== 炭酸ナトリウム ==== 炭酸水素ナトリウムは、熱分解して炭酸ナトリウム(sodium carbonate)となる。炭酸ナトリウムは白色の粉末で、水に溶け、水溶液は塩基性を示す。 炭酸ナトリウムは加熱しても、分解しない。 炭酸ナトリウムは弱酸と強塩基の塩であり、水に溶けると加水分解して塩基性を示す。 <chem>Na2CO3 -> 2 {Na^+} + CO3^{2-}</chem> <chem>CO3^{2-} + H2O <=> {HCO3^-} + OH^-</chem> 炭酸ナトリウム水溶液を冷却すると十水和物 <chem>Na2CO3*10H2O</chem> の無色透明の結晶が得られる。この <chem>Na2CO3*10H2O</chem> の結晶は空気中に放置すると水和水の大部分を失って、白色粉末の一水和物 <chem>Na2CO3*H2O</chem> となる。この現象は'''風解'''(ふうかい、efflorescence)と呼ばれる。 炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウムは、ともに強酸と反応して二酸化炭素を生じる。(弱酸遊離反応) <chem>Na2CO3 + 2H2SO4 -> Na2SO4 + H2O + CO2 ^</chem> 炭酸ナトリウムは、ガラスや石鹸の製造などに用いられる。 ※ガラスの原料は二酸化珪素 <chem>SiO2</chem> であるが、これを珪酸ナトリウム <chem>Na2SiO3</chem> にする反応において、水酸化ナトリウムよりも炭酸ナトリウムの方がよく用いられる。<chem>SiO2 + NaOH -> Na2SiO3 + H2O</chem>という反応と<chem>SiO + Na2CO3 -> Na2SiO3 + CO2</chem>という反応を比べた時、左の反応は反応性が高いものの、生成された <chem>H2O</chem> が反応の系内に残るので逆反応が起こり、平衡状態となって反応が見かけ上止まってしまう。それに対し、右の反応は生成された <chem>CO2</chem> が反応の系外に脱出するので、ルシャトリエの原理により平衡が正反応の向きに偏って反応がより一層進行する。そのため、通常は炭酸ナトリウムが用いられる。 ==== 炭酸水素ナトリウム ==== 炭酸水素ナトリウム <chem>NaHCO3</chem> は白色粉末で、水に少し溶け、水溶液は加水分解により弱塩基性を示す。炭酸水素ナトリウムは'''重曹'''(じゅうそう)ともいう。(重曹は「重炭酸曹達」の略である。「重炭酸」は「炭酸水素」の別名であり、「曹達(ソーダ)」はナトリウムの和名である。) 炭酸水素ナトリウムを熱すると、分解して二酸化炭素を発生する。 <chem>2NaHCO3 -> Na2CO3 + H2O + CO2 v</chem> (上記の反応は、ソルベー法での炭酸水素ナトリウムの分解反応と同じ。) 炭酸水素ナトリウムの用途は、発泡剤やベーキングパウダー(ふくらし粉)、入浴剤の発泡剤成分、などとして用いられている。 また、強酸で、二酸化炭素を発生する。 <chem>NaHCO3 + HCl -> NaCl + H2O + CO2 v</chem> === 塩化物 === [[ファイル:NaCl-zoutkristallen_op_Schott_Duran_100_ml.JPG|右|サムネイル|200x200ピクセル|塩化ナトリウムの結晶]] 水酸化ナトリウムに塩酸を加えると、中和反応を起こし塩化ナトリウム(NaCl)を生じる。 <chem>NaOH + HCl -> NaCl + H2O</chem> 塩化ナトリウムは天然では岩塩に豊富に含まれており、食塩の主成分としても有名である。工業的には海水を濃縮することにより得られる。 塩化ナトリウムを融解塩電解すると単体のナトリウムが得られる。 <chem>2NaCl -> 2Na v Cl2 ^</chem> 塩化ナトリウム水溶液を電気分解すると、陽極から塩素が発生し、陰極から水素が発生する。このとき陰極側では水の電気分解反応が起こっており、水酸化物イオンが生じている。 <chem>2H2O -> H2 + 2 OH^-</chem> 溶液中にはナトリウムイオンが残るため、陰極付近では水酸化ナトリウムの水溶液が得られる。この原理は工業的な水酸化ナトリウムおよび塩素・水素の製造法として応用されており、陽イオン交換膜を用いることから'''イオン交換膜法'''と呼ばれる。 [[カテゴリ:高等学校化学|あるかりきんそく]] pdi7fd3lxzjysfo85iapj95lyiqu2gk 高校化学 アルミニウム 0 10721 263588 262469 2024-11-16T09:08:02Z Nermer314 62933 263588 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=アルミニウム|frame=1|small=1}} '''アルミニウム Al''' は13族の金属元素で、価電子を3個もち、3価の陽イオンになりやすい。 銀白色の軽い金属である。展性や延性が大きく、薄く伸ばしたものはアルミニウム箔(いわゆるアルミホイル)として一般家庭でも用いられている。また、電気伝導性も良く、熱伝導性も良い。熱伝導性が良いことから、鍋などにも用いられる。 アルミニウムの単体を空気中に放置すると、表面に緻密な酸化膜(酸化アルミニウム Al{{sub|2}}O{{sub|3}} )の被膜ができ、内部を保護する。 アルミニウムやマグネシウムを主成分とする合金である'''ジュラルミン'''は軽量かつ強度が高く、航空機に用いられている。アルミニウム自体も、アルミ缶や1円硬貨に用いられている。 == 製法 == [[File:Mineraly.sk - bauxit.jpg|200px|ボーキサイト|代替文=ボーキサイト|サムネイル]] アルミニウムの製法は、工業的には、鉱石の'''ボーキサイト'''(bauxite、主成分: 酸化アルミニウム <chem>Al2O3</chem>)を処理して酸化アルミニウム(<chem>Al2O3</chem>)にかえたあと、氷晶石(<chem>Na3AlF6</chem>、ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウム)とともに熔融塩電解して製造される。('''エルー・ホール法''') : <chem>Al^3+ + 3e^- -> Al v</chem> アルミニウムの電解には、大量の電力が必要となる。 [[File:Cut Ruby.jpg|150px|ルビー|代替文=ルビー|サムネイル]][[File:SaphirSynthetique.jpg|150px|サファイア|代替文=サファイア|サムネイル]] 製造の過程で得られる酸化アルミニウム(Al{{sub|2}}O{{sub|3}})は水に溶けにくい白色の固体である。酸化アルミニウムは'''アルミナ'''とも呼ばれ、融点が非常に高い(アルミナの融点は2054℃)ことから耐熱材の原材料としても用いられるほどである。氷晶石は、このアルミナの融点を降下させるために加えられる。 アルミニウムの粉末は、空気中または酸素中で熱すると、激しく燃える。 * ボーキサイトから酸化アルミニウムを得る方法 (※ 教科書の範囲外。資料集(実教出版など)の範囲内。文献により、方法が若干、違う。) 濃い水酸化ナトリウム水溶液でボーキサイト中の酸化アルミニウムが溶け、ほかの不純物はあまり溶けない。まず、この水酸化ナトリウム水溶液で酸化アルミニウムを溶かして アルミン酸ナトリウム <chem>Na[Al(OH)4]</chem> を得る。 : <chem>Al2O3 + 2NaOH + 3H2O -> 2 Na[Al(OH)4]</chem> (ここまでは、どの文献でも、ほぼ同じ。) まず、ろ過をして、溶液から、不溶性の <chem>Fe2O3</chem> などの余計な不純物を取り除く。 あとは、このアルミン酸ナトリウム水溶液をうまく処理し、アルミナに変えていく方法が必要なのである。 まず、アルミン酸ナトリウム <chem>Na[Al(OH)4]</chem> 水溶液から、なんらかの方法で、加水分解を起こし、水酸化アルミニウム <chem>Al(OH)3</chem> を沈殿させる。 : <chem>Na[Al(OH)4] -> Al(OH)3 + NaOH</chem> あとは、この水酸化アルミニウムを高温で焼成すると、純度の高い酸化アルミニウムが得られる。 * テルミット法 また、アルミニウム単体の粉末と、酸化鉄 Fe<sub>2</sub>O<sub>3</sub> など他の金属酸化物の粉末を混合して、加熱すると、アルミニウムが激しく酸化され、ほかの金属酸化物が還元され、金属単体が得られる。たとえば酸化鉄(Ⅲ)とアルミニウムを混合して加熱すると、鉄が得られる。 : 2Al + Fe{{sub|2}}O{{sub|3}} &rarr; Al{{sub|2}}O{{sub|3}} + 2Fe↓ これを'''テルミット法'''といい、レールの熔接などに用いられる。 * 両性元素 アルミニウムは両性元素であり、酸とも塩基とも反応して水素を生じる。たとえば、塩酸と反応して水素を発生しながら塩化アルミニウムを生じる。 : 2Al + 6HCl &rarr; 2AlCl{{sub|3}} + 3H{{sub|2}}↑ また、水酸化ナトリウム水溶液と反応して、水素を発生しながらテトラヒドロキソアルミン酸イオンを生じる。 : 2Al + 2NaOH + 6H{{sub|2}}O &rarr; 2Na{{sup|+}} + 2[Al(OH){{sub|4}}]{{sup|-}} + 3H{{sub|2}}↑ しかし、アルミニウムは濃硝酸に溶けない。これは、反応開始直後に金属表面に緻密な酸化被膜を形成し、反応が金属内部まで進行しなくなるためである。このように、緻密な酸化皮膜により保護されて、それ以上は反応が進行しない状態を'''不動態'''(ふどうたい)という。 '''アルマイト'''という材料は、アルミニウムの表面を人工的に酸化させることで厚い不動態の膜で保護させ、そのアルミニウムの耐久性を上げた材料であり、日本で開発された。 * イオン アルミニウムイオン(Al{{sup|3+}})の水溶液は無色透明である。これに水酸化ナトリウム水溶液を少量加えると、水酸化アルミニウムの白色ゼリー状沈殿を生じる。 : Al{{sup|3+}} + 3NaOH &rarr; 3Na{{sup|+}} + Al(OH){{sub|3}}↓ しかし、水酸化ナトリウム水溶液を過剰に加えると、沈殿は溶解して無色の水溶液となり、テトラヒドロキソアルミン酸イオンを生じる。 : Al(OH){{sub|3}} + NaOH &rarr; Na{{sup|+}} + [Al(OH){{sub|4}}]{{sup|-}} テトラヒドロキソアルミン酸イオン水溶液に塩酸を加えると、逆に水酸化アルミニウムの白色沈殿を生じ、過剰に加えれば塩化アルミニウムを生じる。塩化アルミニウムは潮解性のある白色の固体であるが、水に溶けやすく、電離してアルミニウムイオンを生じる。 == 水酸化アルミニウム == アルミニウムイオンを含んだ水溶液に、塩基を加えると、水酸化アルミニウム Al(OH){{sub|3}} の白色ゲル状の沈殿が生じる。 水酸化アルミニウムを熱すると、酸化アルミニウム Al{{sub|2}}O{{sub|3}}が生じる。 水酸化アルミニウム Al(OH){{sub|3}} は酸とも塩基とも反応して溶けることのできる、両性水酸化物である。 : Al(OH){{sub|3}} + 3HCl &rarr; AlCl{{sub|3}} + 3H{{sub|2}}O : Al(OH){{sub|3}} + NaOH &rarr; Na[Al(OH){{sub|4}}] == 酸化アルミニウム == 酸化アルミニウム Al{{sub|2}}O{{sub|3}} は、'''アルミナ'''(alumina)とも呼ばれ、白色の粉末で、水に溶けない。また、融点が高い(融点:2054℃)。 酸化アルミニウム Al{{sub|2}}O{{sub|3}} は、酸にも強塩基にも溶ける両性酸化物であるが、アンモニア水には溶けない。 : Al{{sub|2}}O{{sub|3}} + 6HCl → 2AlCl{{sub|3}} + 3H{{sub|2}}O : Al{{sub|2}}O{{sub|3}} + 2NaOH + 3H{{sub|2}}O → 2Na[Al(OH){{sub|4}}] また、たとえば宝石のルビーやサファイアは、酸化アルミニウムが主成分の結晶である。酸化アルミニウムの結晶のうち、ごく微量のクロムやチタンなどの金属が混入したものが、赤いルビーや青いサファイアであり、ともに、かなり硬い。また、酸にも塩基にも、ルビーやサファイアは溶けない。 なお、ルビーにはクロム Cr が、サファイアには鉄 Fe やチタン Ti が含まれている。 {{コラム|人工宝石| :※ 『科学と人間生活』(啓林館など)に記述がある。 ルビーやサファイアなどは組成がわかっているので、人工的に作ることもできる。 材料であるアルミナやクロムまたは鉄などに高温や高圧などを加えて熱することで、人工的にルビーやサファイアなどを作ることができる。 このように、人工的につくった宝石のことを人工宝石といい、さまざまな分野に応用されている。 また、アルミナ化合物ではないが、ダイヤモンドや水晶などアルミナ以外の宝石でも、人工的につくることができる。 人工ダイヤや人工水晶も、人工宝石に含める。 なお、人工ダイヤモンドは、その硬さを活用して、工場などの大型の回転カッターなどの切れ味を増すための材料などとして、刃先に人工ダイヤのある刃物が応用されている(いわゆるダイヤモンドカッター)。 }} == ミョウバン == [[File:Alun.jpg|200px|ミョウバンの結晶|代替文=ミョウバンの結晶|サムネイル]] 硫酸カリウム水溶液と硫酸アルミニウム水溶液とを混合して濃縮して得られる結晶は、硫酸カリウムアルミニウム十二水和物 AlK(SO{{sub|4}}){{sub|2}}・12H{{sub|2}}O の結晶であり、この硫酸カリウムアルミニウム十二水和物を'''ミョウバン'''(明礬)という。 ミョウバンの結晶は無色透明で正八面体形をしている。 ミョウバンを水に溶かすと、Al<sup>3+</sup> 、K<sup>+</sup> 、SO{{sub|4}}<sup>2-</sup> の各イオンに電離する。 :AlK(SO{{sub|4}}){{sub|2}}・12H{{sub|2}}O → Al<sup>3+</sup> + K<sup>+</sup> + 2SO{{sub|4}}<sup>2-</sup> + 12H{{sub|2}}O ミョウバンのように、2種類以上の塩が結合して物質を'''複塩'''(ふくえん、double salt)という。 ミョウバンを焼くと、無水物である焼きミョウバンが得られる。ミョウバンは温度による溶解度の変化が激しく、低温の水には少量しか溶けないが、温度を上げるとよく溶けるようになる。 == 補:両性金属の反応モデル == [[高校化学 アルカリ金属#金属と水の反応モデル]]において、水酸化物皮膜を用いて金属と水の反応を説明した。 ここでは、同様にして両性金属元素の反応モデルを考える。 水中にある金属Mは水と反応して表面に水酸化物M(OH){{sub|x}}の皮膜を作る。 ここで、酸HXを加えると水酸化物皮膜と反応して塩が生成される。塩は完全に電離するので金属の表面が露出し、水酸化物皮膜が生成される。また水酸化物が酸と反応して金属の表面が露出し・・・と反応が進行し、最終的に全て塩となって水に溶ける。 また、塩基YOHを加えると、水酸化物イオンと水酸化物が反応して錯イオンを形成する。錯イオンは水に可溶なので金属の表面が露出し(以下略)と反応が進行し、最終的に全て錯イオンとなって水に溶ける。 [[カテゴリ:高等学校化学|あるみにうむ]] 3r9d41fgi3d7r0etvokebju5gmccknf 263591 263588 2024-11-16T09:11:01Z Nermer314 62933 263591 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=アルミニウム|frame=1|small=1}} '''アルミニウム Al''' は13族の金属元素で、価電子を3個もち、3価の陽イオンになりやすい。 銀白色の軽い金属である。展性や延性が大きく、薄く伸ばしたものはアルミニウム箔(いわゆるアルミホイル)として一般家庭でも用いられている。また、電気伝導性も良く、熱伝導性も良い。熱伝導性が良いことから、鍋などにも用いられる。 アルミニウムの単体を空気中に放置すると、表面に緻密な酸化膜(酸化アルミニウム Al{{sub|2}}O{{sub|3}} )の被膜ができ、内部を保護する。 アルミニウムやマグネシウムを主成分とする合金である'''ジュラルミン'''は軽量かつ強度が高く、航空機に用いられている。アルミニウム自体も、アルミ缶や1円硬貨に用いられている。 == 製法 == [[File:Mineraly.sk - bauxit.jpg|200px|ボーキサイト|代替文=ボーキサイト|サムネイル]] アルミニウムの製法は、工業的には、鉱石の'''ボーキサイト'''(bauxite、主成分: 酸化アルミニウム <chem>Al2O3</chem>)を処理して酸化アルミニウム(<chem>Al2O3</chem>)にかえたあと、氷晶石(<chem>Na3AlF6</chem>、ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウム)とともに熔融塩電解して製造される。('''エルー・ホール法''') : <chem>Al^3+ + 3e^- -> Al v</chem> アルミニウムの電解には、大量の電力が必要となる。 [[File:Cut Ruby.jpg|150px|ルビー|代替文=ルビー|サムネイル]][[File:SaphirSynthetique.jpg|150px|サファイア|代替文=サファイア|サムネイル]] 製造の過程で得られる酸化アルミニウム(Al{{sub|2}}O{{sub|3}})は水に溶けにくい白色の固体である。酸化アルミニウムは'''アルミナ'''とも呼ばれ、融点が非常に高い(アルミナの融点は2054℃)ことから耐熱材の原材料としても用いられるほどである。氷晶石は、このアルミナの融点を降下させるために加えられる。 アルミニウムの粉末は、空気中または酸素中で熱すると、激しく燃える。 * ボーキサイトから酸化アルミニウムを得る方法 (※ 教科書の範囲外。資料集(実教出版など)の範囲内。文献により、方法が若干、違う。) 濃い水酸化ナトリウム水溶液でボーキサイト中の酸化アルミニウムが溶け、ほかの不純物はあまり溶けない。まず、この水酸化ナトリウム水溶液で酸化アルミニウムを溶かして アルミン酸ナトリウム <chem>Na[Al(OH)4]</chem> を得る。 : <chem>Al2O3 + 2NaOH + 3H2O -> 2 Na[Al(OH)4]</chem> (ここまでは、どの文献でも、ほぼ同じ。) まず、ろ過をして、溶液から、不溶性の <chem>Fe2O3</chem> などの余計な不純物を取り除く。 あとは、このアルミン酸ナトリウム水溶液をうまく処理し、アルミナに変えていく方法が必要なのである。 まず、アルミン酸ナトリウム <chem>Na[Al(OH)4]</chem> 水溶液から、なんらかの方法で、加水分解を起こし、水酸化アルミニウム <chem>Al(OH)3</chem> を沈殿させる。 : <chem>Na[Al(OH)4] -> Al(OH)3 + NaOH</chem> あとは、この水酸化アルミニウムを高温で焼成すると、純度の高い酸化アルミニウムが得られる。 * テルミット法 また、アルミニウム単体の粉末と、酸化鉄 <chem>Fe2O3</chem> など他の金属酸化物の粉末を混合して、加熱すると、アルミニウムが激しく酸化され、ほかの金属酸化物が還元され、金属単体が得られる。たとえば酸化鉄(Ⅲ)とアルミニウムを混合して加熱すると、鉄が得られる。 : <chem>2Al + Fe2O3 -> Al2O3 + 2Fe ^</chem> これを'''テルミット法'''といい、レールの熔接などに用いられる。 両性元素 アルミニウムは両性元素であり、酸とも塩基とも反応して水素を生じる。たとえば、塩酸と反応して水素を発生しながら塩化アルミニウムを生じる。 : <chem>2Al + 6HCl -> 2AlCl3 + 3H2 ^</chem> また、水酸化ナトリウム水溶液と反応して、水素を発生しながらテトラヒドロキソアルミン酸イオンを生じる。 : <chem>2Al + 2NaOH + 6H2O -> 2Na+ + 2[Al(OH)4]^- + 3H2 ^</chem> しかし、アルミニウムは濃硝酸に溶けない。これは、反応開始直後に金属表面に緻密な酸化被膜を形成し、反応が金属内部まで進行しなくなるためである。このように、緻密な酸化皮膜により保護されて、それ以上は反応が進行しない状態を'''不動態'''(ふどうたい)という。 '''アルマイト'''という材料は、アルミニウムの表面を人工的に酸化させることで厚い不動態の膜で保護させ、そのアルミニウムの耐久性を上げた材料であり、日本で開発された。 イオン アルミニウムイオン(<chem>Al3+</chem>)の水溶液は無色透明である。これに水酸化ナトリウム水溶液を少量加えると、水酸化アルミニウムの白色ゼリー状沈殿を生じる。 : <chem>Al3+ + 3NaOH -> 3 Na+ + Al(OH)3 v</chem> しかし、水酸化ナトリウム水溶液を過剰に加えると、沈殿は溶解して無色の水溶液となり、テトラヒドロキソアルミン酸イオンを生じる。 : <chem>Al(OH)3 + NaOH -> Na+ + [Al(OH)4]^-</chem> テトラヒドロキソアルミン酸イオン水溶液に塩酸を加えると、逆に水酸化アルミニウムの白色沈殿を生じ、過剰に加えれば塩化アルミニウムを生じる。塩化アルミニウムは潮解性のある白色の固体であるが、水に溶けやすく、電離してアルミニウムイオンを生じる。 == 水酸化アルミニウム == アルミニウムイオンを含んだ水溶液に、塩基を加えると、水酸化アルミニウム <chem>Al(OH)3</chem> の白色ゲル状の沈殿が生じる。 水酸化アルミニウムを熱すると、酸化アルミニウム <chem>Al2O3</chem> が生じる。 水酸化アルミニウム <chem>Al(OH)3</chem> は酸とも塩基とも反応して溶けることのできる、両性水酸化物である。 : <chem>Al(OH)3 + 3HCl -> AlCl3 + 3H2O</chem> : <chem>Al(OH)3 + NaOH -> Na[Al(OH)4]</chem> == 酸化アルミニウム == 酸化アルミニウム <chem>Al2O3</chem> は、'''アルミナ'''(alumina)とも呼ばれ、白色の粉末で、水に溶けない。また、融点が高い(融点:2054℃)。 酸化アルミニウム <chem>Al2O3</chem> は、酸にも強塩基にも溶ける両性酸化物であるが、アンモニア水には溶けない。 : <chem>Al2O3 + 6HCl -> 2AlCl3 + 3H2O</chem> : <chem>Al2O3 + 2NaOH + 3 H2O -> 2Na[Al(OH)4]</chem> また、たとえば宝石のルビーやサファイアは、酸化アルミニウムが主成分の結晶である。酸化アルミニウムの結晶のうち、ごく微量のクロムやチタンなどの金属が混入したものが、赤いルビーや青いサファイアであり、ともに、かなり硬い。また、酸にも塩基にも、ルビーやサファイアは溶けない。 なお、ルビーにはクロム Cr が、サファイアには鉄 Fe やチタン Ti が含まれている。 {{コラム|人工宝石| :※ 『科学と人間生活』(啓林館など)に記述がある。 ルビーやサファイアなどは組成がわかっているので、人工的に作ることもできる。 材料であるアルミナやクロムまたは鉄などに高温や高圧などを加えて熱することで、人工的にルビーやサファイアなどを作ることができる。 このように、人工的につくった宝石のことを人工宝石といい、さまざまな分野に応用されている。 また、アルミナ化合物ではないが、ダイヤモンドや水晶などアルミナ以外の宝石でも、人工的につくることができる。 人工ダイヤや人工水晶も、人工宝石に含める。 なお、人工ダイヤモンドは、その硬さを活用して、工場などの大型の回転カッターなどの切れ味を増すための材料などとして、刃先に人工ダイヤのある刃物が応用されている(いわゆるダイヤモンドカッター)。 }} == ミョウバン == [[File:Alun.jpg|200px|ミョウバンの結晶|代替文=ミョウバンの結晶|サムネイル]] 硫酸カリウム水溶液と硫酸アルミニウム水溶液とを混合して濃縮して得られる結晶は、硫酸カリウムアルミニウム十二水和物 AlK(SO{{sub|4}}){{sub|2}}・12H{{sub|2}}O の結晶であり、この硫酸カリウムアルミニウム十二水和物を'''ミョウバン'''(明礬)という。 ミョウバンの結晶は無色透明で正八面体形をしている。 ミョウバンを水に溶かすと、<chem>Al^3+</chem> 、<chem>K^+</chem> 、<chem>SO4^2-</chem> の各イオンに電離する。 <chem>AlK(SO4)2*12H2O -> {Al^3+} + {K^+} + 2 {SO4^{2-}} + 12 H2O</chem> ミョウバンのように、2種類以上の塩が結合して物質を'''複塩'''(ふくえん、double salt)という。 ミョウバンを焼くと、無水物である焼きミョウバンが得られる。ミョウバンは温度による溶解度の変化が激しく、低温の水には少量しか溶けないが、温度を上げるとよく溶けるようになる。 == 補:両性金属の反応モデル == [[高校化学 アルカリ金属#金属と水の反応モデル]]において、水酸化物皮膜を用いて金属と水の反応を説明した。 ここでは、同様にして両性金属元素の反応モデルを考える。 水中にある金属Mは水と反応して表面に水酸化物M(OH){{sub|x}}の皮膜を作る。 ここで、酸HXを加えると水酸化物皮膜と反応して塩が生成される。塩は完全に電離するので金属の表面が露出し、水酸化物皮膜が生成される。また水酸化物が酸と反応して金属の表面が露出し・・・と反応が進行し、最終的に全て塩となって水に溶ける。 また、塩基YOHを加えると、水酸化物イオンと水酸化物が反応して錯イオンを形成する。錯イオンは水に可溶なので金属の表面が露出し(以下略)と反応が進行し、最終的に全て錯イオンとなって水に溶ける。 [[カテゴリ:高等学校化学|あるみにうむ]] 3jrvpjdfsg3d6hkk66j1hhe4kmh3gvp 高校化学 亜鉛 0 10722 263575 262628 2024-11-16T08:12:56Z Nermer314 62933 263575 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=亜鉛|frame=1|small=1}} === 亜鉛 === '''亜鉛''' '''Zn''' は周期表12族の元素であり、原子は価電子を2個もち、2価の陽イオンになりやすい。 亜鉛の単体は、銀白色の金属である。 亜鉛は両性元素であり、酸とも塩基とも反応して水素を発生する。たとえば塩酸と水素を発生しながら反応して塩化亜鉛になる。 : <chem>Zn + 2HCl -> ZnCl2 + H2 ^</chem> また、強塩基の水酸化ナトリウムと反応し、水素を発生してテトラヒドロキソ亜鉛(Ⅱ)酸イオンを生じる。 : <chem>Zn + 2NaOH + 2H2O -> 2Na^+ + [Zn(OH)4]^2- + H2 ^</chem> [[File:Zinc oxide.jpg|200px|酸化亜鉛|代替文=酸化亜鉛|サムネイル]] * 用途 たとえば、一般的な乾電池の負極は亜鉛板でできている。 また、鉄板に亜鉛をメッキした板は'''トタン'''と呼ばれ、屋根やバケツなどに用いられる。 ==== 亜鉛の化合物とイオン ==== 亜鉛に塩酸を加えると先に見たように、水素を発生しながら溶け、塩化亜鉛 (<chem>ZnCl2</chem>) を生じる。塩化亜鉛は水に溶ける物質で、水溶液中では亜鉛イオン (<chem>Zn^2+</chem>) として存在している。 この亜鉛イオン水溶液に水酸化ナトリウム水溶液またはアンモニア水を少量加えると、水酸化亜鉛 (<chem>Zn(OH)2</chem>) の白色ゼリー状沈殿を生じる。 : <chem>Zn^2+ + 2OH^- -> Zn(OH)2 v</chem> しかし、これに水酸化ナトリウム水溶液またはアンモニア水を過剰量加えると、沈殿は溶けて無色透明の水溶液となる。水酸化ナトリウム水溶液ではテトラヒドロキソ亜鉛(Ⅱ)酸イオン (<chem>[Zn(OH)4]^2-</chem>) を生じ、アンモニア水ではテトラアンミン亜鉛(Ⅱ)イオン (<chem>[Zn(NH3)4]^2+</chem>) を生じる。 : <chem>Zn(OH)2 + 2NaOH -> 2Na^+ + [Zn(OH)4]^2-</chem> : <chem>Zn(OH)2 + 4NH3 -> [Zn(NH3)4]^2+ + 2OH^-</chem> アンモニア水を過剰に加えて弱塩基性とした亜鉛イオン水溶液に硫化水素を通じると、硫化亜鉛 (<chem>ZnS</chem>) の白色沈殿を生じる。 : <chem>Zn^2+ + S^2- -> ZnS v</chem> === 酸化亜鉛 === 酸化亜鉛 <chem>ZnO</chem> は白色の粉末で、水に溶けにくく、白色絵の具の顔料として用いられる。 <chem>ZnO</chem> は両性酸化物であり、塩酸にも水酸化ナトリウムにも溶ける。 : <chem>ZnO + 2HCl -> ZnCl2 + H2O</chem> : <chem>ZnO + 2NaOH + H2O -> Na2[Zn(OH)4]</chem> 酸化亜鉛は亜鉛華(あえんか)とも呼ばれ、白色顔料などに用いられる。 === 硫化亜鉛 === 亜鉛イオン <chem>Zn^2+</chem> を含む水溶液を中性または塩基性にして、硫化水素を通じると、硫化亜鉛 <chem>ZnS</chem> の白色沈殿が生じる。 : <chem>Zn^2+ + S^2- -> ZnS v</chem> 硫化亜鉛は夜光塗料などに用いられる。 [[カテゴリ:高等学校化学|あえん]] d530c7iatl83v09kpu4i7ul6o0f3xsj 高校化学 スズ 0 10723 263576 262563 2024-11-16T08:14:08Z Nermer314 62933 263576 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=スズ|frame=1|small=1}}スズ Sn と鉛 Pb は、ともに周期表14族であり、原子は価電子を4個もち、ともに酸化数が+2または+4の化合物をつくり、ともに両性元素であり、ともにイオン化傾向は水より大きい。 == スズ == [[File:Metal cube tin.jpg|200px|スズ|代替文=スズ|サムネイル]] スズ(Sn)は銀白色の固体である。展性や延性に富み、また比較的さびにくい金属である。酸とも塩基とも反応して、水素を発生する。 : <chem>Sn + 2HCl -> SnCl2 + H2</chem> : <chem>Sn + 2NaOH + 2H2O -> [Sn(OH)4]^2- + 2 Na^+ + H2</chem> スズは、青銅やハンダなど合金の材料でもある。 また、スズはメッキに多用される。鉄にスズをメッキしたものは「'''ブリキ'''」と呼ばれ、缶詰や金属玩具などに用いられる。 {|align="center" style="border:none; text-align:center;" |[[File:Assorted bronze castings.JPG|right|150px|青銅|サムネイル]]||[[File:HK Food Grass Jelly Canned with Tinplate a.jpg|right|150px|ブリキの缶詰|サムネイル]] |} == スズの化合物 == 化合物中でのスズの酸化数には +2 と +4 があるが、スズの場合は 酸化数=+4 のほうが安定である。 スズを塩酸に溶かした溶液から、塩化スズ <chem>SnCl2</chem> が得られる。 塩化スズ(II)二水和物 <chem>SnCl2*2H2O</chem> は無色の結晶。また、水溶液は還元作用がある。 : <chem>SnCl2 + 2Cl^- -> SnCl4 + 2e^-</chem> [[カテゴリ:高等学校化学|すす]] 0p5o7lusvubecklwo88z803qcj07r1j 高校化学 鉛 0 10724 263568 262564 2024-11-16T06:59:14Z Nermer314 62933 263568 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=鉛|frame=1|small=1}} == 鉛 == [[File:Metal cube lead.jpg|200px|鉛|代替文=鉛|サムネイル]] '''鉛''' Pb は青白色のやわらかい金属である。鉛とその化合物は有毒である。 鉛は、両性元素であり、硝酸、強塩基の水溶液と反応して溶ける。しかし、塩酸と希薄硫酸には、鉛の表面に難溶性の皮膜(塩化鉛 PbCl<sub>2</sub> や、硫酸鉛 PbSO<sub>4</sub> の皮膜は、水に難溶)が発生するため、溶けない。 <chem>Pb + 2HNO3 -> Pb(NO3)2 + H2</chem> <chem>Pb + 2NaOH + 2H2O -> [Pb(OH)4]^2- + 2Na^+ + H2</chem> ただし、塩酸と希硫酸には溶けない。また、アンモニア水のような弱塩基にも溶けない。 酸化鉛PbOは黄色く、古くは、黄色の顔料として用いられた。 鉛は放射線の遮蔽材や鉛蓄電池に使われている。 鉛の化合物は水に溶けにくいものが多いが、硝酸鉛 <chem>Pb(NO3)2</chem> や酢酸鉛 <chem>(CH3COO)2Pb</chem> は水によく溶ける。 === イオン === 鉛(II)イオン(<chem>Pb^2+</chem>)は様々な沈殿を作る。アンモニア水や少量の水酸化ナトリウム水溶液を加えると、水酸化鉛(II)の白色沈殿を生じる。 : <chem>Pb^2+ + 2OH^- -> Pb(OH)2 v</chem> ただし、水酸化ナトリウム水溶液を過剰に加えると、テトラヒドロキソ鉛(II)酸イオンを生じて溶ける。 : <chem>Pb(OH)2 + 2NaOH -> 2Na^+ + [Pb(OH)4]2-</chem> 鉛(II)イオン水溶液に塩酸を加えると、塩化鉛(II)の白色沈殿を生じる。 : <chem>Pb^2+ + 2HCl -> 2 H^+ + PbCl2 v</chem> これを加熱すると、鉛(II)イオンを生じて溶ける。 : <chem>PbCl2 -> Pb^2+ + 2Cl^-</chem> 鉛(II)イオン水溶液に希硫酸を加えると、硫酸鉛(II)の白色沈殿を生じる。 : <chem>Pb^2+ + H2SO4 -> 2H^+ + PbSO4</chem> 鉛(II)イオン水溶液に硫化水素を加えると、硫化鉛(II)の黒色沈殿を生じる。 : <chem>Pb^2+ + H2S -> 2H^+ + PbS v</chem> 鉛(II)イオン水溶液にクロム酸カリウム水溶液を加えると、クロム酸鉛(II)の黄色沈殿を生じる。 : <chem>Pb^2+ + CrO4^2- -> PbCrO4 v</chem> 鉛(II)イオン水溶液にヨウ化カリウム水溶液を加えると、ヨウ化鉛(II)の黄色沈殿を生じる。 : <chem>Pb^2+ + 2I^- -> PbI2</chem> [[カテゴリ:高等学校化学|なまり]] 3245oeoaozso023teyazecakx19umfd 高校化学 銅 0 10726 263563 262341 2024-11-16T06:38:57Z Nermer314 62933 263563 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=銅|frame=1|small=1}} [[File:Cu,29.jpg|200px|銅|代替文=|サムネイル]] '''銅'''(Cu)は赤色の金属光沢をもつ金属である。展性・延性に富み、電気伝導性・熱伝導性が大きいことから、電線、調理器具、装飾品等、幅広く用いられている。 [[File:StatueOfLiberty01.jpg|100px|緑青に覆われた自由の女神|代替文=緑青に覆われた自由の女神|サムネイル]] 銅は空気中で風雨にさらされると'''緑青'''(ろくしょう)と呼ばれる青緑色のさびを生じる。たとえば名古屋城の屋根や、アメリカの自由の女神などは緑色をしているが、これは緑青によるものである。 : <chem>2Cu + CO2 + H2O + O2 -> CuCO3*Cu(OH)2</chem> (※ 範囲外? )緑青について、第二次大戦前のかつては、緑青は毒性が強いと考えられていた。しかし、戦後、動物実験などによる検証の結果、緑青に毒性はほとんど無いことが分かった。 == 製法 == 銅の鉱産資源は、化合してない単体が産出することもあるが、ほとんどは黄銅鉱(<chem>CuFeS2</chem>)などの鉱石として産出する。 銅の鉱石を加熱してニッケルや金などの不純物を含む粗銅(そどう)を作り、これを電解精錬することにより純度の高い銅が得られる。電気精錬では、硫酸銅(Ⅱ)水溶液を電解液として、陽極には粗銅板を、陰極は純銅版として電気分解をすると、陽極の粗銅が溶解して銅(Ⅱ)イオンを生じ、陰極には銅が析出する。 :'''陽極''': <chem>Cu -> Cu^{2+} + 2e-</chem> :'''陰極''': <chem>Cu^{2+} + 2e- -> Cu</chem> 陽極の下には溶液に解けなかった不純物がたまる。これを陽極泥といい、金や銀などを回収することができる。 == 化学的な性質 == 銅は塩素と激しく反応して、塩化銅(Ⅱ)を生じる。 : <chem>Cu + Cl2 -> CuCl2</chem> 銅はイオン化傾向が小さく、希硫酸や塩酸には溶けない。しかし、硝酸や熱濃硫酸(濃硫酸に加え加熱したもの)といった酸化力の強い酸には溶けて、銅(Ⅱ)イオンを生じる。 : '''希硝酸''': <chem>3Cu + 8HNO3 -> 3Cu(NO3)2 + 4H2O + 2NO ^</chem> : '''濃硝酸''': <chem>Cu + 4HNO3 -> Cu(NO3)2 + 2H2O + 2NO2 ^</chem> : '''熱濃硫酸''': <chem>Cu + 2H2SO4 -> CuSO4 + 2H2O + SO2 ^</chem> == 水溶液の性質 == [[File:CopperSulphate.JPG|銅(Ⅱ)イオン水溶液|代替文=銅(Ⅱ)イオン水溶液|サムネイル]]銅(Ⅱ)イオン(<chem>Cu^{2+}</chem>)水溶液は青色をしている。これに水酸化ナトリウム水溶液、またはアンモニア水を少量加えると、水酸化銅(Ⅱ)(<chem>Cu(OH)2</chem>)の青白色沈殿を生じる。 : <chem>{Cu^{2+}} + 2OH^- -> Cu(OH)2 v</chem> これに、さらにアンモニア水を過剰に加えると、テトラアンミン銅(Ⅱ)イオン <chem>[Cu(NH3)4]^{2+}</chem> を生じて溶け、深青色の水溶液となる。 : <chem>Cu(OH)2 + 4NH3 -> {[Cu(NH3)4]^{2+}} + 2OH-</chem> == 化合物 == === 酸化物 === 水酸化銅(Ⅱ)を加熱すると、黒色の酸化銅(Ⅱ)(<chem>CuO</chem>)を生じる。 : <chem>Cu(OH)2 -> CuO + H2O</chem> 酸化銅(Ⅱ)は黒色であるが、高温で加熱すると赤色の酸化銅(Ⅰ)(<chem>Cu2O</chem>)となる。 {|align="center" style="border:solid #aaffaa 1px; text-align:center;" |[[File:CopperIIoxide.jpg|180px|酸化銅(Ⅱ)]]||[[File:CopperIoxide.jpg|200px|酸化銅(Ⅰ)]] |- |酸化銅(Ⅱ)||酸化銅(Ⅰ) |} === 硫化物 === 銅(Ⅱ)イオン水溶液に硫化水素 <chem>H2S</chem> を通じると、硫化銅(Ⅱ) <chem>CuS</chem> の黒色沈殿を生じる。 : <chem>{Cu^2+} + H2S -> 2H+ + CuS v</chem> [[File:Copper sulfate.jpg|100px|硫酸銅(Ⅱ)五水和物|代替文=硫酸銅(Ⅱ)五水和物|サムネイル]] 銅と硫酸の化合物である硫酸銅(Ⅱ)五水和物(<chem>CuSO4*5H2O</chem>)は青色の結晶である。水に溶かすと青色の水溶液となる。これを加熱すると白色の硫酸銅(Ⅱ)無水物 <chem>CuSO4</chem> の粉末となるが、水を加えると再び青色となる。この反応は水の検出に用いられる。 [[File:Hydrating-copper(II)-sulfate.jpg|center|250px|水の検出|代替文=水の検出|サムネイル]] == 銅の合金 == 銅は、さまざまな合金の原料である。 :黄銅(おうどう、ブラス)とは、銅と亜鉛との合金である。 :青銅(せいどう、ブロンズ)とは、銅とスズとの合金である。 :白銅(はくどう)とは、銅とニッケルとの合金である。 :洋銀とは、銅と亜鉛とニッケルの合金である。 {|align="center" style="border:solid #aaffaa 1px; text-align:center;" |[[File:Trombone CG Bach42AG.jpg|200px|黄銅]]||[[File:Baltesspannarna Gbg - J P Molin.jpg|200px|青銅]]||[[File:100JPY.JPG|300px|白銅]] |- |黄銅(金管楽器)||青銅(ブロンズ像)||白銅(100円玉) |} :十円硬貨は銅に、亜鉛3%と錫2%を含む青銅である。 :五円硬貨は黄銅である。五円硬貨の質量は 3.75 g であり、これは一{{Ruby|匁|もんめ}}に等しい。 :五百円硬貨には洋銀が使われている。 [[カテゴリ:高等学校化学|とう]] i7hdcmxqepk6ssqblsa5x3epozfhu3m 263564 263563 2024-11-16T06:40:22Z Nermer314 62933 263564 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=銅|frame=1|small=1}} [[File:Cu,29.jpg|200px|銅|代替文=|サムネイル]] '''銅'''(Cu)は赤色の金属光沢をもつ金属である。展性・延性に富み、電気伝導性・熱伝導性が大きいことから、電線、調理器具、装飾品等、幅広く用いられている。 [[File:StatueOfLiberty01.jpg|100px|緑青に覆われた自由の女神|代替文=緑青に覆われた自由の女神|サムネイル]] 銅は空気中で風雨にさらされると'''緑青'''(ろくしょう)と呼ばれる青緑色のさびを生じる。たとえば名古屋城の屋根や、アメリカの自由の女神などは緑色をしているが、これは緑青によるものである。 : <chem>2Cu + CO2 + H2O + O2 -> CuCO3*Cu(OH)2</chem> (※ 範囲外? )緑青について、第二次大戦前のかつては、緑青は毒性が強いと考えられていた。しかし、戦後、動物実験などによる検証の結果、緑青に毒性はほとんど無いことが分かった。 == 製法 == 銅の鉱産資源は、化合してない単体が産出することもあるが、ほとんどは黄銅鉱(<chem>CuFeS2</chem>)などの鉱石として産出する。 銅の鉱石を加熱してニッケルや金などの不純物を含む粗銅(そどう)を作り、これを電解精錬することにより純度の高い銅が得られる。電気精錬では、硫酸銅(Ⅱ)水溶液を電解液として、陽極には粗銅板を、陰極は純銅版として電気分解をすると、陽極の粗銅が溶解して銅(Ⅱ)イオンを生じ、陰極には銅が析出する。 :'''陽極''': <chem>Cu -> {Cu^{2+}} + 2e-</chem> :'''陰極''': <chem>{Cu^{2+}} + 2{e^-} -> Cu</chem> 陽極の下には溶液に解けなかった不純物がたまる。これを陽極泥といい、金や銀などを回収することができる。 == 化学的な性質 == 銅は塩素と激しく反応して、塩化銅(Ⅱ)を生じる。 : <chem>Cu + Cl2 -> CuCl2</chem> 銅はイオン化傾向が小さく、希硫酸や塩酸には溶けない。しかし、硝酸や熱濃硫酸(濃硫酸に加え加熱したもの)といった酸化力の強い酸には溶けて、銅(Ⅱ)イオンを生じる。 : '''希硝酸''': <chem>3Cu + 8HNO3 -> 3Cu(NO3)2 + 4H2O + 2NO ^</chem> : '''濃硝酸''': <chem>Cu + 4HNO3 -> Cu(NO3)2 + 2H2O + 2NO2 ^</chem> : '''熱濃硫酸''': <chem>Cu + 2H2SO4 -> CuSO4 + 2H2O + SO2 ^</chem> == 水溶液の性質 == [[File:CopperSulphate.JPG|銅(Ⅱ)イオン水溶液|代替文=銅(Ⅱ)イオン水溶液|サムネイル]]銅(Ⅱ)イオン(<chem>Cu^{2+}</chem>)水溶液は青色をしている。これに水酸化ナトリウム水溶液、またはアンモニア水を少量加えると、水酸化銅(Ⅱ)(<chem>Cu(OH)2</chem>)の青白色沈殿を生じる。 : <chem>{Cu^{2+}} + 2OH^- -> Cu(OH)2 v</chem> これに、さらにアンモニア水を過剰に加えると、テトラアンミン銅(Ⅱ)イオン <chem>[Cu(NH3)4]^{2+}</chem> を生じて溶け、深青色の水溶液となる。 : <chem>Cu(OH)2 + 4NH3 -> {[Cu(NH3)4]^{2+}} + 2OH-</chem> == 化合物 == === 酸化物 === 水酸化銅(Ⅱ)を加熱すると、黒色の酸化銅(Ⅱ)(<chem>CuO</chem>)を生じる。 : <chem>Cu(OH)2 -> CuO + H2O</chem> 酸化銅(Ⅱ)は黒色であるが、高温で加熱すると赤色の酸化銅(Ⅰ)(<chem>Cu2O</chem>)となる。 {|align="center" style="border:solid #aaffaa 1px; text-align:center;" |[[File:CopperIIoxide.jpg|180px|酸化銅(Ⅱ)]]||[[File:CopperIoxide.jpg|200px|酸化銅(Ⅰ)]] |- |酸化銅(Ⅱ)||酸化銅(Ⅰ) |} === 硫化物 === 銅(Ⅱ)イオン水溶液に硫化水素 <chem>H2S</chem> を通じると、硫化銅(Ⅱ) <chem>CuS</chem> の黒色沈殿を生じる。 : <chem>{Cu^2+} + H2S -> 2H+ + CuS v</chem> [[File:Copper sulfate.jpg|100px|硫酸銅(Ⅱ)五水和物|代替文=硫酸銅(Ⅱ)五水和物|サムネイル]] 銅と硫酸の化合物である硫酸銅(Ⅱ)五水和物(<chem>CuSO4*5H2O</chem>)は青色の結晶である。水に溶かすと青色の水溶液となる。これを加熱すると白色の硫酸銅(Ⅱ)無水物 <chem>CuSO4</chem> の粉末となるが、水を加えると再び青色となる。この反応は水の検出に用いられる。 [[File:Hydrating-copper(II)-sulfate.jpg|center|250px|水の検出|代替文=水の検出|サムネイル]] == 銅の合金 == 銅は、さまざまな合金の原料である。 :黄銅(おうどう、ブラス)とは、銅と亜鉛との合金である。 :青銅(せいどう、ブロンズ)とは、銅とスズとの合金である。 :白銅(はくどう)とは、銅とニッケルとの合金である。 :洋銀とは、銅と亜鉛とニッケルの合金である。 {|align="center" style="border:solid #aaffaa 1px; text-align:center;" |[[File:Trombone CG Bach42AG.jpg|200px|黄銅]]||[[File:Baltesspannarna Gbg - J P Molin.jpg|200px|青銅]]||[[File:100JPY.JPG|300px|白銅]] |- |黄銅(金管楽器)||青銅(ブロンズ像)||白銅(100円玉) |} :十円硬貨は銅に、亜鉛3%と錫2%を含む青銅である。 :五円硬貨は黄銅である。五円硬貨の質量は 3.75 g であり、これは一{{Ruby|匁|もんめ}}に等しい。 :五百円硬貨には洋銀が使われている。 [[カテゴリ:高等学校化学|とう]] 26hecqs6vgsj1kgov2mp6d28m14f8ny 高校化学 銀 0 10728 263565 262562 2024-11-16T06:48:05Z Nermer314 62933 263565 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=銀|frame=1|small=1}}[[File:SilverB.JPG|200px|銀の単体|代替文=銀の単体|サムネイル]] 銀 '''Ag''' は白色の金属光沢をもつ金属である。すべての金属の中で、熱伝導性と電気伝導性が最も高い。 銀イオンの水溶液は無色であるが、水酸化ナトリウム水溶液、または少量のアンモニア水を加えると、酸化銀(I) <chem>Ag2O</chem> の褐色沈殿を生じる。 : <chem>2Ag+ + 2OH- -> Ag2O v + H2O</chem> この沈殿に、さらに過剰のアンモニア水を加えると、沈殿が溶けてジアンミン銀(I)イオン <chem>[Ag(NH3)2]+</chem> を生じ、無色の水溶液となる。 : <chem>Ag2O + 4NH3 + H2O -> 2[Ag(NH3)2]+ + 2OH-</chem> 銀イオン水溶液にクロム酸水溶液を加えると、クロム酸銀の赤褐色沈殿を生じる。 : <chem>{2Ag+} + CrO4^{2-} -> Ag2CrO4 v</chem> 銀イオン水溶液に硫化水素を通じると、硫化銀の黒色沈殿を生じる。 : <chem>2Ag+ + H2S -> Ag2S v + 2H+</chem> * ハロゲン化物イオンとの反応 銀イオン水溶液に塩酸<chem>HCl</chem>を加えると、塩化銀の白色沈殿を生じる。塩酸に限らず、ハロゲン化水素の水溶液を加えると、ハロゲン化銀の沈殿を生じる。 : <chem>Ag+ + Cl- -> AgCl v</chem>(白色) : <chem>Ag+ + Br- -> AgBr v</chem>(淡黄色) : <chem>Ag+ + I- -> AgI v</chem>(黄色) * ハロゲン化銀 フッ化銀 <chem>AgF</chem> 以外は、水に溶けにくい。塩化銀、臭化銀は、アンモニア水、チオ硫酸ナトリウム水溶液、シアン化カリウム水溶液全てに、錯イオンを形成して溶ける。水溶液はいずれも無色。ヨウ化銀はそもそも溶解度が非常に小さく、いずれにも溶けない。(水に対する溶解度 は<math>10^{-8}\, \mathrm{mol/L}</math> 、アンモニア水に対する溶解度も <math>10^{-5} \, \mathrm{mol/L}</math> 程度と、非常に小さい。) また、ハロゲン化銀は、光を当てると、分解して、銀が遊離する。この性質を感光性(かんこうせい)という。カメラ(アナログカメラ)の写真は、この性質を利用している。カメラのフィルムには臭化銀などが感光剤として含まれており、その感光性から写真を撮影することができる。 塩化銀の沈殿にチオ硫酸ナトリウム <chem>Na2S2O3</chem> 水溶液を加えると、ビス(チオスルファト)銀(I)酸イオンを生じ、無色の水溶液となる。 : <chem>AgCl + 2Na2S2O3 -> [Ag(S2O3)2]^3- + 3 Na+ + NaCl</chem> イオン化傾向 銀はイオン化傾向の小さい金属であり、塩酸や希硫酸には溶けない。しかし、熱濃硫酸や硝酸といった酸化力の強い酸には溶けて気体を発生する。 : 熱濃硫酸: <chem>2Ag + 2H2SO4 -> Ag2SO4 + 2H2O + SO2 ^</chem> : 濃硝酸: <chem>Ag + 2HNO3 -> AgNO3 + H2O + NO2 ^</chem> : 希硝酸: <chem>3Ag + 4HNO3 -> 3AgNO3 + 2H2O + NO ^</chem> [[カテゴリ:高等学校化学|きん]] jawj01kytt2hwh12qmiruw46nor29ni 263566 263565 2024-11-16T06:49:13Z Nermer314 62933 263566 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=銀|frame=1|small=1}}[[File:SilverB.JPG|200px|銀の単体|代替文=銀の単体|サムネイル]] 銀 '''Ag''' は白色の金属光沢をもつ金属である。すべての金属の中で、熱伝導性と電気伝導性が最も高い。 銀イオンの水溶液は無色であるが、水酸化ナトリウム水溶液、または少量のアンモニア水を加えると、酸化銀(I) <chem>Ag2O</chem> の褐色沈殿を生じる。 : <chem>2Ag+ + 2OH- -> Ag2O v + H2O</chem> この沈殿に、さらに過剰のアンモニア水を加えると、沈殿が溶けてジアンミン銀(I)イオン <chem>[Ag(NH3)2]+</chem> を生じ、無色の水溶液となる。 : <chem>Ag2O + 4NH3 + H2O -> 2[Ag(NH3)2]+ + 2OH-</chem> 銀イオン水溶液にクロム酸水溶液を加えると、クロム酸銀の赤褐色沈殿を生じる。 : <chem>{2Ag+} + CrO4^{2-} -> Ag2CrO4 v</chem> 銀イオン水溶液に硫化水素を通じると、硫化銀の黒色沈殿を生じる。 : <chem>2Ag+ + H2S -> Ag2S v + 2H+</chem> * ハロゲン化物イオンとの反応 銀イオン水溶液に塩酸<chem>HCl</chem>を加えると、塩化銀の白色沈殿を生じる。塩酸に限らず、ハロゲン化水素の水溶液を加えると、ハロゲン化銀の沈殿を生じる。 : <chem>Ag+ + Cl- -> AgCl v</chem>(白色) : <chem>Ag+ + Br- -> AgBr v</chem>(淡黄色) : <chem>Ag+ + I- -> AgI v</chem>(黄色) * ハロゲン化銀 フッ化銀 <chem>AgF</chem> 以外は、水に溶けにくい。塩化銀、臭化銀は、アンモニア水、チオ硫酸ナトリウム水溶液、シアン化カリウム水溶液全てに、錯イオンを形成して溶ける。水溶液はいずれも無色。ヨウ化銀はそもそも溶解度が非常に小さく、いずれにも溶けない。(水に対する溶解度 は<math>10^{-8}\, \mathrm{mol/L}</math> 、アンモニア水に対する溶解度も <math>10^{-5} \, \mathrm{mol/L}</math> 程度と、非常に小さい。) また、ハロゲン化銀は、光を当てると、分解して、銀が遊離する。この性質を感光性(かんこうせい)という。カメラ(アナログカメラ)の写真は、この性質を利用している。カメラのフィルムには臭化銀などが感光剤として含まれており、その感光性から写真を撮影することができる。 塩化銀の沈殿にチオ硫酸ナトリウム <chem>Na2S2O3</chem> 水溶液を加えると、ビス(チオスルファト)銀(I)酸イオンを生じ、無色の水溶液となる。 : <chem>AgCl + 2Na2S2O3 -> [Ag(S2O3)2]^3- + 3 Na+ + NaCl</chem> === イオン化傾向 === 銀はイオン化傾向の小さい金属であり、塩酸や希硫酸には溶けない。しかし、熱濃硫酸や硝酸といった酸化力の強い酸には溶けて気体を発生する。 : 熱濃硫酸: <chem>2Ag + 2H2SO4 -> Ag2SO4 + 2H2O + SO2 ^</chem> : 濃硝酸: <chem>Ag + 2HNO3 -> AgNO3 + H2O + NO2 ^</chem> : 希硝酸: <chem>3Ag + 4HNO3 -> 3AgNO3 + 2H2O + NO ^</chem> [[カテゴリ:高等学校化学|きん]] fsxzx5lxseuumleea1p73cuc3vh94y7 高校化学 クロムとマンガン 0 10731 263567 245182 2024-11-16T06:56:55Z Nermer314 62933 263567 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=クロムとマンガン|frame=1|small=1}} == クロム == [[File:Chrom.PNG|right|200px|クロム]] '''クロム'''(Cr)は空気中でも水中でも常温で安定な金属である。クロムは、銀白色の光沢を持つ。 化合物中での酸化数は、おもに+6または+3を取る。 クロムは、空気中では表面に酸化物の緻密な皮膜ができるので(不動態)、それ以上は酸化されず、安定である。 鉄の表面に施す クロムめっき は、この不動態の性質を利用して、さびを防ぐものである。 クロムは、ステンレス鋼の材料でもある。 === イオン === 酸化数が+6のクロムの多原子イオンの主なものに、水溶液の黄色いクロム酸イオン(<chem>CrO4^2-</chem>)がある。この水溶液は黄色であるが、酸を加えて液を酸性にすると、同じく酸化数が+6の二クロム酸イオン(<chem>Cr2O7^2-</chem>)となり、橙色の水溶液となる。 逆に、橙色の二クロム酸イオン水溶液に塩基を加えると、クロム酸イオンの黄色水溶液となる。 {|- align="center" |[[File:Kaliumchromat.jpg|187px|クロム酸カリウム水溶液]]||[[File:Kaliumdichromat.jpg|200px|二クロム酸カリウム水溶液]] |- align = "center" | K{{sub|2}}CrO{{sub|4}}(黄色) || K{{sub|2}}Cr{{sub|2}}O{{sub|7}}(橙色) |} クロム酸イオンは、さまざまな金属イオンと反応して沈殿となる。たとえば、クロム酸イオン水溶液に銀イオンを加えると、クロム酸銀の赤褐色沈殿が生成する。 : <chem>CrO4^2- + 2 Ag^+ -> Ag2CrO4 v</chem> また、クロム酸イオン水溶液に鉛(Ⅱ)イオンやバリウムイオンを加えると、ともに黄色の沈殿を生じる。 : <chem>CrO4^2- + Pb^2+ -> PbCrO4 v</chem>(クロム酸鉛(Ⅱ)) : <chem>CrO4^{2-} {+} Ba^2+ -> BaCrO4 v</chem>(クロム酸バリウム) *酸化作用 希硫酸を加えて酸性とした赤橙色の二クロム酸イオン水溶液は強い酸化剤であり、自身は還元されてクロム(Ⅲ)イオン(<chem>Cr^3+</chem>)の緑色水溶液となる。 : <chem>Cr2O7^2- + 14H^+ + 6e^- -> 2Cr^3+ + 7H2O</chem> == マンガン == [[File:Mangan 1.jpg|right|100px|マンガン]] '''マンガン'''(Mn)は銀白色の金属である。空気中で簡単に酸化されるので、単体では用いない。合金の材料として、マンガンは利用されることがある。 イオン化傾向が鉄より大きく、また、酸にマンガンは溶ける。 === 過マンガン酸カリウム === 過マンガン酸カリウム(<chem>KMnO4</chem>)は酸化剤として有名で、過マンガン酸カリウム水溶液は赤紫色であるが、自身は還元されてマンガン(Ⅱ)イオン(<chem>Mn2+</chem>)の淡桃色水溶液となる。 : <chem>MnO4- + 8 H+ + 5 e- -> Mn2+ + 4H2O</chem> この<chem>Mn2+</chem>水溶液にアンモニア水を加えて塩基性とした後、硫化水素を通じると、硫化マンガン(Ⅱ)の淡桃色沈殿を生じる。 : <chem>Mn^2+ + S^2- -> MnS v</chem> 二酸化マンガンから過マンガン酸イオン水溶液を得ることができる。二酸化マンガンに水酸化カリウム水溶液を加えて加熱すると、緑色のマンガン酸イオン水溶液(<chem>MnO4^2-</chem>)となる。これに希硫酸を加えると過マンガン酸イオンの赤紫色水溶液となる。 === 二酸化マンガン === 二酸化マンガン <chem>MnO2</chem> は、黒色の粉末をしている。 過酸化水素水の分解を早める触媒として作用する。 : <chem>2H2O2 -> 2H2O + O2</chem> (触媒:<chem>MnO2</chem>) また、酸化剤でもあり、たとえば塩酸を酸化して塩素とする。 : <chem>4HCl + MnO2 -> MnCl2 + 2H2O + Cl2</chem> 二酸化マンガンは、日常的にもマンガン乾電池で原料の一つとして用いられている。 [[カテゴリ:高等学校化学|くろむとまんかん]] exitt6jhnssby524zoeitio6tl1dyxj 263569 263567 2024-11-16T07:03:13Z Nermer314 62933 /* 過マンガン酸カリウム */ 263569 wikitext text/x-wiki {{pathnav|高等学校の学習|高等学校理科|高等学校 化学|pagename=クロムとマンガン|frame=1|small=1}} == クロム == [[File:Chrom.PNG|right|200px|クロム]] '''クロム'''(Cr)は空気中でも水中でも常温で安定な金属である。クロムは、銀白色の光沢を持つ。 化合物中での酸化数は、おもに+6または+3を取る。 クロムは、空気中では表面に酸化物の緻密な皮膜ができるので(不動態)、それ以上は酸化されず、安定である。 鉄の表面に施す クロムめっき は、この不動態の性質を利用して、さびを防ぐものである。 クロムは、ステンレス鋼の材料でもある。 === イオン === 酸化数が+6のクロムの多原子イオンの主なものに、水溶液の黄色いクロム酸イオン(<chem>CrO4^2-</chem>)がある。この水溶液は黄色であるが、酸を加えて液を酸性にすると、同じく酸化数が+6の二クロム酸イオン(<chem>Cr2O7^2-</chem>)となり、橙色の水溶液となる。 逆に、橙色の二クロム酸イオン水溶液に塩基を加えると、クロム酸イオンの黄色水溶液となる。 {|- align="center" |[[File:Kaliumchromat.jpg|187px|クロム酸カリウム水溶液]]||[[File:Kaliumdichromat.jpg|200px|二クロム酸カリウム水溶液]] |- align = "center" | K{{sub|2}}CrO{{sub|4}}(黄色) || K{{sub|2}}Cr{{sub|2}}O{{sub|7}}(橙色) |} クロム酸イオンは、さまざまな金属イオンと反応して沈殿となる。たとえば、クロム酸イオン水溶液に銀イオンを加えると、クロム酸銀の赤褐色沈殿が生成する。 : <chem>CrO4^2- + 2 Ag^+ -> Ag2CrO4 v</chem> また、クロム酸イオン水溶液に鉛(Ⅱ)イオンやバリウムイオンを加えると、ともに黄色の沈殿を生じる。 : <chem>CrO4^2- + Pb^2+ -> PbCrO4 v</chem>(クロム酸鉛(Ⅱ)) : <chem>CrO4^{2-} {+} Ba^2+ -> BaCrO4 v</chem>(クロム酸バリウム) *酸化作用 希硫酸を加えて酸性とした赤橙色の二クロム酸イオン水溶液は強い酸化剤であり、自身は還元されてクロム(Ⅲ)イオン(<chem>Cr^3+</chem>)の緑色水溶液となる。 : <chem>Cr2O7^2- + 14H^+ + 6e^- -> 2Cr^3+ + 7H2O</chem> == マンガン == [[File:Mangan 1.jpg|right|100px|マンガン]] '''マンガン'''(Mn)は銀白色の金属である。空気中で簡単に酸化されるので、単体では用いない。合金の材料として、マンガンは利用されることがある。 イオン化傾向が鉄より大きく、また、酸にマンガンは溶ける。 === 過マンガン酸カリウム === 過マンガン酸カリウム(<chem>KMnO4</chem>)は酸化剤として有名で、過マンガン酸カリウム水溶液は赤紫色であるが、自身は還元されてマンガン(Ⅱ)イオン(<chem>Mn2+</chem>)の淡桃色水溶液となる。 : <chem>MnO4- + 8 H+ + 5 e- -> Mn^2+ + 4H2O</chem> この<chem>Mn2+</chem>水溶液にアンモニア水を加えて塩基性とした後、硫化水素を通じると、硫化マンガン(Ⅱ)の淡桃色沈殿を生じる。 : <chem>Mn^2+ + S^2- -> MnS v</chem> 二酸化マンガンから過マンガン酸イオン水溶液を得ることができる。二酸化マンガンに水酸化カリウム水溶液を加えて加熱すると、緑色のマンガン酸イオン水溶液(<chem>MnO4^2-</chem>)となる。これに希硫酸を加えると過マンガン酸イオンの赤紫色水溶液となる。 === 二酸化マンガン === 二酸化マンガン <chem>MnO2</chem> は、黒色の粉末をしている。 過酸化水素水の分解を早める触媒として作用する。 : <chem>2H2O2 -> 2H2O + O2</chem> (触媒:<chem>MnO2</chem>) また、酸化剤でもあり、たとえば塩酸を酸化して塩素とする。 : <chem>4HCl + MnO2 -> MnCl2 + 2H2O + Cl2</chem> 二酸化マンガンは、日常的にもマンガン乾電池で原料の一つとして用いられている。 [[カテゴリ:高等学校化学|くろむとまんかん]] okqia4lp5bcofyldj1hznz6f0tnqnkd ガリア戦記 第6巻 0 10983 263551 263424 2024-11-16T03:20:23Z Linguae 449 /* 10節 */ 修整 263551 wikitext text/x-wiki [[Category:ガリア戦記|6]] [[ガリア戦記]]>&nbsp;'''第6巻'''&nbsp;>[[ガリア戦記 第6巻/注解|注解]] <div style="text-align:center"> <span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;C&nbsp;IVLII&nbsp;CAESARIS&nbsp;COMMENTARIORVM&nbsp;BELLI&nbsp;GALLICI&nbsp;</span> <span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;LIBER SEXTVS&nbsp;</span> </div> [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] {| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5" ! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第6巻 目次 |- | style="text-align:right; font-size: 0.86em;"| '''[[#ガッリア北部の平定|ガッリア北部の平定]]''':<br /> '''[[#第二次ゲルマーニア遠征|第二次ゲルマーニア遠征]]''':<br /> '''[[#ガッリア人の社会と風習について|ガッリア人の社会と風習について]]''':<br /> '''[[#ゲルマーニアの風習と自然について|ゲルマーニアの風習と自然について]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(1)|対エブロネス族追討戦(1)]]''':<br /> '''[[#スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦|スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(2)|対エブロネス族追討戦(2)]]''':<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> | style="text-align:left; font-size: 0.86em;"| [[#1節|01節]] | [[#2節|02節]] | [[#3節|03節]] | [[#4節|04節]] | [[#5節|05節]] | [[#6節|06節]] | [[#7節|07節]] | [[#8節|08節]] <br /> [[#9節|09節]] | [[#10節|10節]] <br /> [[#11節|11節]] | [[#12節|12節]] | [[#13節|13節]] | [[#14節|14節]] | [[#15節|15節]] | [[#16節|16節]] | [[#17節|17節]] | [[#18節|18節]] | [[#19節|19節]] | [[#20節|20節]] <br /> [[#21節|21節]] | [[#22節|22節]] | [[#23節|23節]] | [[#24節|24節]] | [[#25節|25節]] | [[#26節|26節]] | [[#27節|27節]] | [[#28節|28節]] <br /> [[#29節|29節]] | [[#30節|30節]] | [[#31節|31節]] | [[#32節|32節]] | [[#33節|33節]] | [[#34節|34節]] <br /> [[#35節|35節]] | [[#36節|36節]] | [[#37節|37節]] | [[#38節|38節]] | [[#39節|39節]] | [[#40節|40節]] | [[#41節|41節]] | [[#42節|42節]] <br/> [[#43節|43節]] | [[#44節|44節]] <br/> &nbsp;&nbsp;1節 [[#コラム「カエサルの軍団」|コラム「カエサルの軍団」]]<br> 10節 [[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」|コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」]]<br>10節 [[#コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」|コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」]]<br /> [[#脚注|脚注]]<br /> [[#参考リンク|参考リンク]]<br /> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ <div style="background-color:#dfffdf;"> ==<span style="color:#009900;">はじめに</span>== :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルは、第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])から<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>として属州総督に赴任した。が、これは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]、[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]および[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]の三属州の統治、および4個軍団を5年間にもわたって任されるというローマ史上前代未聞のものであった。これはカエサルが[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]と非公式な盟約を結んだ[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]]の成果であった。カエサルには属州の行政に従事する気持ちははじめからなく、任期のほとんどを夏季は[[w:ガリア戦争|ガッリア侵攻]]に、冬季は首都ローマへの政界工作に費やした。[[ガリア戦記_第3巻#はじめに|第3巻]]の年([[w:紀元前56年|紀元前56年]])に3人は[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の会談を行い、カエサルはクラッススとポンペイウスが翌年に執政官になること、カエサルの総督の任期をさらに5年間延長されることを求めた。会談の結果、任期が大幅に延長されることになったカエサルは、もはや軍事的征服の野望を隠そうとせず、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススが[[w:シリア属州|シュリア]]総督になること、ポンペイウスがカエサルと同様に[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の三属州の総督になって4個軍団を任されることを決める。</div> <div style="text-align:center"> {| |- |[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人の同盟はついに破綻の時を迎える。]] |} </div> :<div style="color:#009900;width:85%;">[[w:ガリア戦記 第5巻|第5巻]]の年([[w:紀元前54年|前54年]])、カエサルは満を持して二回目の[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|ブリタンニア侵攻]]を敢行するが、大した戦果は得られず、背後のガッリア情勢を気にしながら帰還する。ついに[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]率いる[[w:エブロネス族|エブローネース族]]、ついで[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]が反乱を起こし、カエサルは何とか動乱を鎮めるが、ガッリア諸部族の動きは不穏であり、カエサルは諸軍団とともに越冬することを決める。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルがブリタンニア遠征で不在の間に、ポンペイウスに嫁していたカエサルの一人娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が[[w:産褥|産褥]]で命を落とす。一方、クラッススは属州[[w:シリア属州|シュリア]]に向かうが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">本巻の年([[w:紀元前53年|前53年]])、カエサルは[[w:エブロネス族|エブローネース族]]追討戦に向かうが、これは大きな嵐の前の出来事に過ぎない。</div> </div> <!-- **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==ガッリア北部の平定== ===1節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-09-18}}</span> ;カエサルがポンペイウスの助けにより新兵を徴募する *<!--❶-->Multis de causis Caesar maiorem Galliae [[wikt:en:motus#Noun_2|motum]] [[wikt:en:exspectans|exspectans]] **多くの理由から、カエサルは、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、 *per [[wikt:en:Marcus#Latin|Marcum]] [[wikt:en:Silanus#Latin|Silanum]], [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Antistius#Latin|Antistium]] Reginum, [[wikt:en:Titus#Latin|Titum]] [[wikt:en:Sextius#Latin|Sextium]], legatos, **<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:マルクス・ユニウス・シラヌス (紀元前25年の執政官)|マールクス・スィーラーヌス]]、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌス、ティトゥス・セクスティウスを介して **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Marcus Junius Silanus (consul 25 BC)|Mārcus Iūnius Sīlānus]] はこの年([[w:紀元前53年|前53年]])からカエサルの副官、[[w:紀元前25年|前25年]]に執政官。<br>    ''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は副官として[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]と[[ガリア戦記_第7巻#90節|90節]]でも後出。<br>    [[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] はこの年からカエサルの副官、[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]でも後出、<br>     [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)</span> *[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]; **<small>(兵士の)</small>徴募を行なうことを決める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dīlēctus]] = [[wikt:en:delectus#Noun_2|dēlēctus]]「選択、徴募」)</span> :  *<!--❷-->simul ab [[wikt:en:Gnaeus#Latin|Gnaeo]] [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeio]] [[wikt:en:proconsul#Latin|proconsule]] [[wikt:en:peto#Latin|petit]], **同時に、<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]に<small>(以下のことを)</small>求める。 *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] ipse ad <u>urbem</u> cum imperio rei publicae causa [[wikt:en:remaneo#Latin|remaneret]], **<small>(ポンペイウス)</small>自身は<u>首都</u><small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の辺りに、<ruby><rb>[[w:インペリウム|軍隊司令権]]</rb><rp>(</rp><rt>インペリウム</rt><rp>)</rp></ruby>を伴って、国務のために留まっていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbs#Latin|urbs (urbem)]] は普通名詞として「都市・街」を意味するが、特に首都'''[[w:ローマ|ローマ市]]'''を指す。)</span> **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]とともに[[w:執政官|執政官]]を務め、<br>    第5巻の年(昨年=[[w:紀元前54年|前54年]])には[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の属州総督となったが、<br>    首都ローマの政局が気がかりであったため、任地には副官を派遣して、<br>    自らはローマ郊外に滞在していた。ただ彼は属州総督であったため、<br>    [[w:ポメリウム|ポメリウム]]と呼ばれるローマ市中心部に立ち入ることは禁じられていた。)</span> *quos ex [[wikt:en:cisalpinus#Latin|Cisalpina]] Gallia <u>consulis</u> [[wikt:en:sacramentum#Latin|sacramento]] [[wikt:en:rogo#Latin|rogavisset]], **[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]の内から、<ruby><rb>[[w:執政官|執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>コンスル</rt><rp>)</rp></ruby>のための宣誓を求めていた者たちに、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは執政官のときに元老院の許可を得て、<br>    カエサルの属州で、自らの属州に派遣するための4個軍団の徴募を行った。<br>    徴集された新兵たちは執政官に宣誓したようである。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega; では [[wikt:en:consulis#Noun|consulis]]「執政官の」だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]は [[wikt:en:consul#Latin|consul]]「執政官が」と修正提案している。)</span> *ad signa [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] et ad se [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iuberet]], **軍旗のもとに集まって、自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ進発することを命じるようにと。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、ポンペイウスに軍団兵の融通を求めたわけだ。<br>    ポンペイウスが執政官のときに徴募していたうちの1個軍団がカエサルに貸し出された。<br>    ところがその後、<u>第8巻54節の記述</u>によれば <ref>ラテン語文は、[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#54]] などを参照。</ref><ref>英訳は、[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_8#54]] などを参照。</ref>、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]の死後に、[[w:元老院|元老院]]は、<br>    対[[w:パルティア|パルティア]]戦争のために、カエサルとポンペイウスがそれぞれ1個軍団を供出することを可決したが、<br>    ポンペイウスはカエサルに1個軍団の返還を求めたので、<br>    カエサルは計2個軍団の引き渡しを求められることになる。<br>    このことは、[[内乱記_第1巻#2節|『内乱記』第1巻2節]]以降でも言及される。)</span> :  *<!--❸-->magni [[wikt:en:intersum#Latin|interesse]] etiam in reliquum tempus ad [[wikt:en:opinio#Latin|opinionem]] Galliae [[wikt:en:existimans#Latin|existimans]] **ガッリアの世論に対して、これから後の時期にさえも、(カエサルが)大いに重要であると考えていたのは、 *tantas videri Italiae [[wikt:en:facultas#Latin|facultates]] **(以下の程度に)イタリアの(動員)能力が豊富であると見えることである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:Italiaという語は多義的でさまざまに解釈できるが、<br>    本書ではガッリア・キサルピーナを指すことが多い。)</span> *ut, si [[wikt:en:aliquid#Etymology_2|quid]] esset in bello [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimenti]] acceptum, **もし、戦争において何がしかの(兵員の)損害を蒙ったとしても、 *non modo id [[wikt:en:brevis#Latin|brevi]] tempore [[wikt:en:sarcio#Latin|sarciri]], **それが短期間で修復(できる)だけでなく、 *sed etiam [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:augeo#Latin|augeri]] copiis posset. **より多く軍勢で増されることが可能だ<br>(とガッリアの世論に思われることが重要であるとカエサルは考えたのである)。 :  *<!--❹-->Quod cum [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeius]] et rei publicae et amicitiae [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuisset]], **そのことを、ポンペイウスは公儀<small>〔ローマ国家〕</small>のためにも(三頭政治の)盟約のためにも認めたので、 *celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] per suos [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectu]] **(カエサルの)配下の者たちを介して速やかに徴募が成し遂げられて *tribus ante [[wikt:en:exactus#Latin|exactam]] [[wikt:en:hiems#Latin|hiemem]] et [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] et [[wikt:en:adductus#Latin|adductis]] legionibus **冬が過ぎ去る前に、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]が組織されて<small>(カエサルのもとへ)</small>もたらされ、 *[[wikt:en:duplicatus#Latin|duplicato]]<nowiki>que</nowiki> earum [[wikt:en:cohors#Latin|cohortium]] numero, quas cum [[wikt:en:Quintus#Latin|Quinto]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurio]] [[wikt:en:amitto#Latin|amiserat]], **それらの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の数は、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥーリウス(・サビーヌス)]]とともに失っていたものの倍にされた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前巻でサビーヌスとコッタは1個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]](=15個歩兵大隊)を失ったが、<br>    代わりに3個軍団(=30個歩兵大隊)を得たということ。)</span> *et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] et copiis [[wikt:en:doceo#Latin|docuit]], **<small>(徴兵の)</small>迅速さと軍勢<small>(の多さ)</small>において<small>(ガッリア人たちに)</small>示したのは、 *quid populi Romani [[wikt:en:disciplina#Latin|disciplina]] atque [[wikt:en:ops#Noun_4|opes]] possent. **ローマ国民の規律と能力がいかに有力であるかということである。 {| class="wikitable" |- | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Hw-pompey.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。]] | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Theatre of Pompey 3D cut out.png|thumb|left|400px|'''[[w:ポンペイウス劇場|ポンペイウス劇場]]'''の復元図。[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]の名を冠したこの劇場は、彼が執政官であった[[w:紀元前55年|紀元前55年]]頃に竣工し、当時最大の劇場であった。<br> 伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は以下のように伝えている<ref>[[s:en:Plutarch%27s_Lives_(Clough)/Life_of_Pompey]] より</ref>:「クラッススは執政官の任期が切れるとすぐに属州へと出発したが、ポンペイウスはローマで劇場の開館式や奉献式に出席し、その式にはあらゆる競技・ショー・運動・体操・音楽などで人々を楽しませた。野獣の狩猟や餌付け、野獣との闘いもあり、500頭のライオンが殺された。しかし何よりも、象の闘いは、恐怖と驚きに満ちた見世物であった」と。<br><br> カエサルの最期の場所でもあり、血みどろのカエサルはポンペイウスの胸像の前で絶命したとされている。]] |} <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="background-color:#dfffdf;"> ===<span style="color:#009900;">コラム「カエサルの軍団」</span>=== :<div style="color:#009900;width:75%;">カエサルは第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])に三属州の総督に任官するとともに4個軍団(VI・VII・[[w:en:Legio VIII Augusta|VIII]]・[[w:en:Legio IX Hispana|IX]])を任された。[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]([[w:la:Helvetii|Helvetii]])と対峙するうちに、元老院に諮らずに独断で2個軍団([[w:en:Legio X Equestris|X]]・[[w:en:Legio XI Claudia|XI]])を徴募する(1巻10節)。<br> 第2巻の年([[w:紀元前57年|紀元前57年]])に3個軍団([[w:en:Legio XII Fulminata|XII]]・[[w:en:Legio XIII Gemina|XIII]]・[[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])を徴募して、計9個軍団。<br><br> [[ガリア戦記_第5巻#24節|『第5巻』24節]]の時点で、カエサルは8個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を保持していると記されている。最古参の第6軍団が半減していると考えると、[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]によって、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]やコッタらとともに滅ぼされたのは、第14軍団([[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])と古い第6軍団(VI)の生き残りの5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]と考えることができる。<br><br> 本巻の年([[w:紀元前53年|紀元前53年]])では、ポンペイウスの第1軍団がカエサルに譲られ、後にカエサルの軍団の番号系列に合わせて第6軍団(VI)と改称されたようだ。「第14軍団」は全滅させられたので通常は欠番にするところだが、カエサルはあえて再建して第14軍団と第15軍団が徴募され、これら3個軍団を加えると、カエサルが保持するのは計10個軍団となる。<br> もっとも本巻ではカエサルは明瞭な記述をしておらず、上述のように後に2個軍団を引き渡すことになるためか、伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は、ポンペイウスがカエサルに2個軍団を貸し出した、と説明している。 </div> </div> ===2節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2024-09-29}}</span> ;ガッリア北部の不穏な情勢、トレーウェリー族がライン川東岸のゲルマーニア人を勧誘 *<!--❶-->[[wikt:en:interfectus#Latin|Interfecto]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomaro]], ut [[wikt:en:doceo#Latin|docuimus]], **<small>([[ガリア戦記 第5巻#58節|第5巻58節]]で)</small>述べたように、インドゥーティオマールスが殺害されると、 *ad eius propinquos a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] imperium [[wikt:en:defero#Latin|defertur]]. **トレーウェリー族の者たちにより彼の縁者たちへ支配権がもたらされる。 *Illi finitimos [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitare]] et [[wikt:en:pecunia#Latin|pecuniam]] [[wikt:en:polliceor#Latin|polliceri]] non [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]]. **彼らは隣接する[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちをそそのかすこと、および金銭を約束することをやめない。 *Cum ab proximis [[wikt:en:impetro#Latin|impetrare]] non possent, [[wikt:en:ulterior#Latin|ulteriores]] [[wikt:en:tempto#Latin|temptant]]. **たとえ隣人たちによって(盟約を)成し遂げることができなくても、より向こう側の者たちに試みる。 :  *<!--❷-->[[wikt:en:inventus#Latin|Inventis]] [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullis]] civitatibus **少なからぬ部族国家を見出して *[[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] inter se [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmant]] **互いに誓約し合って(支持を)固め、 *obsidibusque de pecunia [[wikt:en:caveo#Latin|cavent]]; **金銭(の保証)のために人質たちを提供する。 *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] sibi [[wikt:en:societas#Latin|societate]] et [[wikt:en:foedus#Latin|foedere]] [[wikt:en:adiungo#Latin|adiungunt]]. **[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]を自分たちにとっての連合や同盟に加盟させる。 :  *<!--❸-->Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]] Caesar, **それらの事情を知るや、カエサルは、 *cum undique bellum [[wikt:en:paro#Latin|parari]] videret, **至る所で戦争が準備されていることを見ていたので、 *[[wikt:en:Nervii#Latin|Nervios]], [[wikt:en:Aduatuci#Latin|Atuatucos]] ac [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:adiunctus#Participle|adiunctis]] **(すなわち)[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]、アトゥアトゥキー族とメナピイー族を加盟させたうえに *<u>Cisrhenanis</u> omnibus <u>[[wikt:en:Germanus#Noun|Germanis]]</u> esse in armis, **レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>のこちら側のすべてのゲルマーニア人たちが武装していて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) は西岸部族の総称。<br>    ''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族) の対義語で、<br>     西岸の諸部族が東岸の諸部族を招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> *[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] ad [[wikt:en:imperatum#Latin|imperatum]] non venire **セノネース族は<small>(カエサルから)</small>命令されたことに従わずに *et cum [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]] finitimisque civitatibus consilia [[wikt:en:communico#Latin|communicare]], **カルヌーテース族および隣接する諸部族とともに謀計を共有しており、 *a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] crebris [[wikt:en:legatio#Latin|legationibus]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitari]], **ゲルマーニア人たちがたびたびトレーウェリー族の使節団によってそそのかされていたので、 *[[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] sibi de bello [[wikt:en:cogitandus#Latin|cogitandum]] [[wikt:en:puto#Latin|putavit]]. **<small>(カエサルは)</small>自分にとって<small>(例年)</small>より早めに戦争を計画するべきだと見なした。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===3節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2024-10-06}}</span> ;カエサルがネルウィイー族を降し、ガッリアの領袖たちの会合を召集する *<!--❶-->Itaque [[wikt:en:nondum#Latin|nondum]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]] **<small>(カエサルは)</small>こうして、まだ冬が終わらないうちに、 *proximis quattuor [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] legionibus **近隣の4個[[w:ローマ軍団|軍団]]を集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記_第5巻#52節|第5巻52節]]で言及されたように、カエサルは、本営を置いていた<br>    サマロブリーウァ(現在の[[w:アミアン|アミアン]])周辺の冬営に3個軍団、<br>    およびファビウスの軍団を配置していたと思われる。)</span> *[[wikt:en:de_improviso#Latin|de improviso]] in fines [[wikt:en:Nervii#Latin|Nerviorum]] [[wikt:en:contendo#Latin|contendit]] **不意に[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]の領土に急いだ。 :  *<!--❷-->et, [[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] illi aut [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] aut [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]] possent, **そして、彼ら<small>(の軍勢)</small>は、集結したり、あるいは逃亡したりできるより前に、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:captus#Latin|capto]] **家畜たちおよび人間たちの多数を捕らえて、 *atque ea [[wikt:en:praeda#Latin|praeda]] militibus [[wikt:en:concessus#Participle|concessa]] **それらの戦利品を兵士たちに譲り、 *[[wikt:en:vastatus#Latin|vastatis]]<nowiki>que</nowiki> agris **耕地を荒らして、 *in [[wikt:en:deditio#Latin|deditionem]] venire atque obsides sibi dare [[wikt:en:cogo#Latin|coegit]]. **<small>(ネルウィイー族に、ローマ勢へ)</small>降伏すること、人質たちを自分<small>〔カエサル〕</small>に供出することを強いた。 :  *<!--❸-->Eo celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] [[wikt:en:negotium#Latin|negotio]] **その戦役は速やかに成し遂げられたので、 *rursus in [[wikt:en:hibernum#Latin|hiberna]] legiones [[wikt:en:reduco#Latin|reduxit]]. **再び諸軍団を冬営に連れ戻した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:本営を置いていたサマロブリーウァ周辺の冬営。)</span> :  *'''ガッリアの領袖たちの会合''' *<!--❹-->[[wikt:en:concilium#Latin|Concilio]] Galliae primo [[wikt:en:ver#Latin|vere]], ut [[wikt:en:instituo#Latin|instituerat]], [[wikt:en:indictus#Participle|indicto]], **ガッリアの<small>(領袖たちの)</small>会合を、定めていたように、春の初めに通告すると、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:会合の集合場所は、当初は本営のあるサマロブリーウァだったであろう。)</span> *cum reliqui praeter [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]]<nowiki>que</nowiki> venissent, **[[w:セノネス族|セノネース族]]、カルヌーテース族とトレーウェリー族を除いて、ほかの者たちは(会合に)現われていたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ガッリア北部では、このほかエブローネース族とメナピイー族が参加していないはずである。)</span> *initium belli ac [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] hoc esse [[wikt:en:arbitratus#Latin|arbitratus]], **このこと<span style="color:#009900;">〔3部族の不参加〕</span>は戦争と背反の始まりであると思われて、 *ut omnia [[wikt:en:postpono#Latin|postponere]] videretur, **<small>(他の)</small>すべて<small>(の事柄)</small>を後回しにすることと見なされるように、 *[[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:Lutetia#Latin|Lutetiam]] [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisiorum]] [[wikt:en:transfero#Latin|transfert]]. **会合を[[w:パリシイ族|パリースィイー族]]の(城塞都市である)[[w:ルテティア|ルーテーティア]]に移す。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ルーテーティア Lutetia は、写本によってはルーテーキア Lutecia とも表記されている。<br>    ラテン語では Lutetia Parisiorum「パリースィイー族の泥土」と呼ばれ、現在の[[w:パリ|パリ市]]である。<br>    [[w:ストラボン|ストラボーン]]などによれば[[w:ケルト語|ケルト語]]でルコテキア Lukotekia と呼ばれていたらしい。)</span> :  ;   セノネース族について [[画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|thumb|right|200px|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)]] *<!--❺-->[[wikt:en:confinis#Latin|Confines]] erant hi [[wikt:en:Senones#Latin|Senonibus]] **彼ら<small>〔パリースィイー族〕</small>はセノネース族に隣接していて、 *civitatemque patrum memoria [[wikt:en:coniungo#Latin|coniunxerant]], **父祖の伝承では<small>(セノネース族と一つの)</small>部族として結びついていた。 *sed ab hoc consilio [[wikt:en:absum#Latin|afuisse]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabantur]]. **しかし<small>(パリースィイー族は)</small>これらの謀計には関与していなかったと考えられていた。 :  *<!--❻-->Hac re pro [[wikt:en:suggestus#Latin|suggestu]] [[wikt:en:pronuntiatus#Latin|pronuntiata]] **<small>(カエサルは)</small>この事を演壇の前で宣言すると、 *eodem die cum legionibus in [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **同日に諸軍団とともにセノネース族のところに出発して、 *magnisque itineribus eo [[wikt:en:pervenio#Latin|pervenit]]. **強行軍でもってそこに到着した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===4節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2024-10-09}}</span> ;セノネース族のアッコーが造反するが、カエサルはセノネース族とカルヌーテース族を降伏させる *<!--❶-->[[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]], **彼<small>〔カエサル〕</small>の到来を知ると、 *[[wikt:en:Acco#Latin|Acco]], qui princeps eius consilii fuerat, **その画策の首謀者であった<small>(セノネース族の)</small>'''アッコー''' は、 *[[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]] in oppida multitudinem [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]]. **群衆に諸[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に集結することを命じる。 :  *[[wikt:en:conans#Latin|Conantibus]], [[wikt:en:priusquam|prius quam]] id [[wikt:en:effici|effici]] posset, [[wikt:en:adsum#Latin|adesse]] Romanos [[wikt:en:nuntio#Verb|nuntiatur]]. **そのことが遂行され得るより前に、ローマ人が接近していることが、企てている者たちに報告される。 :  *<!--❷-->Necessario [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]] **<small>(セノネース族は)</small>やむなく<small>(カエサルへの謀反の)</small>意図を思いとどまって、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:necessario#Adverb|necessāriō]] = [[wikt:en:necessarie#Adverb|necessāriē]]「やむを得ず」)</span> *legatosque [[wikt:en:deprecor#Latin|deprecandi]] causa ad Caesarem mittunt; **<small>(恩赦を)</small>嘆願するために、使節たちをカエサルのもとへ遣わして、 *<u>adeunt</u> per [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduos]], quorum [[wikt:en:antiquitus|antiquitus]] erat in fide civitas. **部族国家が昔から<small>(ローマ人に対して)</small>忠実であった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を介して、頼み込む。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この部分は、セノネース族がハエドゥイー族の庇護下にあったように訳されることも多いが、<br>    [[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]における両部族とローマ人の関係の記述を考慮して、上のように訳した<ref>[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_6#4|英語版ウィキソース]]では「they make advances to him through the Aedui, whose state was from ancient times under the protection of Rome.」と英訳されている。</ref>。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:de:adire|adeō]]「(誰かに)アプローチする」「(誰かに)頼る、頼む、懇願する」<ref>[https://www.frag-caesar.de/lateinwoerterbuch/adeo-uebersetzung-1.html adeo-Übersetzung im Latein Wörterbuch]</ref>)</span> :  *<!--❸-->Libenter Caesar [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] dat [[wikt:en:venia#Latin|veniam]] **カエサルは、懇願するハエドゥイー族に対して、喜んで<small>(セノネース族への)</small>恩赦を与え、 *[[wikt:en:excusatio#Latin|excusationem]]<nowiki>que</nowiki> accipit, **<small>(セノネース族の)</small>弁解を受け入れる。 *quod [[wikt:en:aestivus#Latin|aestivum]] tempus [[wikt:en:instans#Latin|instantis]] belli, **というのは、夏の時季は差し迫っている<small>(エブローネース族らとの)</small>戦争のためのものであり、 *non [[wikt:en:quaestio#Latin|quaestionis]] esse [[wikt:en:arbitror#Latin|arbitrabatur]]. **<small>(謀反人に対する)</small>尋問のためのものではないと<small>(カエサルが)</small>判断していたからである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:エブローネース族との戦争が終わった後に、謀反人への尋問が行なわれることになる。[[#44節|44節]]参照。)</span> :  *<!--❹-->Obsidibus [[wikt:en:imperatus#Latin|imperatis]] centum, **<small>(カエサルは)</small>100人の人質<small>(の供出)</small>を命令すると、 *hos Haeduis [[wikt:en:custodiendus#Latin|custodiendos]] [[wikt:en:trado#Latin|tradit]]. **彼ら<small>〔人質たち〕</small>を監視するべく[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に引き渡す。 :  *<!--❺-->[[wikt:en:eodem#Adverb|Eodem]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] legatos obsidesque [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]], **ちょうどそこに、カルヌーテース族が使節たちと人質たちを遣わして、 *[[wikt:en:usus#Participle|usi]] [[wikt:en:deprecator#Latin|deprecatoribus]] [[wikt:en:Remi#Proper_noun_3|Remis]], quorum erant in [[wikt:en:clientela#Latin|clientela]]; **<small>(カルヌーテース族が)</small><ruby><rb>[[w:クリエンテス|庇護]]</rb><rp>(</rp><rt>クリエンテーラ</rt><rp>)</rp></ruby>を受ける関係にあったレーミー族を<ruby><rb>助命仲介者</rb><rp>(</rp><rt>デープレカートル</rt><rp>)</rp></ruby>として利用して、 *eadem ferunt [[wikt:en:responsum#Latin|responsa]]. **<small>(セノネース族のときと)</small>同じ返答を獲得する。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:perago#Latin|Peragit]] [[wikt:en:concilium#Noun|concilium]] Caesar **カエサルは<small>(ガッリア諸部族の領袖たちの)</small>会合を完了して、 *equitesque [[wikt:en:impero#Latin|imperat]] civitatibus. **[[w:騎兵|騎兵]]たち<small>(の供出)</small>を諸部族に命令する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===5節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2024-10-10}}</span> ;アンビオリークスへの策を練り、メナピイー族へ向かう *<!--❶-->Hac parte Galliae [[wikt:en:pacatus#Latin|pacata]], **ガッリアのこの方面が平定されたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#3節|3節]]~[[#4節|4節]]でネルウィイー族、セノネース族とカルヌーテース族がカエサルに降伏したことを指す。)</span> *totus et mente et animo in bellum [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] et [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigis]] [[wikt:en:insisto#Latin|insistit]]. **<small>(カエサルは)</small>全身全霊をかけて、トレーウェリー族と[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]との戦争に着手する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totus et [[wikt:en:mens#Latin|mente]] et [[wikt:en:animus#Latin|animo]] 「全身全霊をかけて」''with all his heart and soul'' )</span> :  *<!--❷-->[[wikt:en:Cavarinus#Latin|Cavarinum]] cum equitatu [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:secum#Latin|secum]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **カウァリーヌスに、セノネース族の[[w:騎兵|騎兵]]隊を伴って、自分<small>〔カエサル〕</small>とともに出発することを命じる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:de:Cavarinus|Cavarinus]]'' は、[[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]で前述のように、<br>    カエサルにより王位に据えられていたが、独立主義勢力により追放された。)</span> *ne [[wikt:en:aliquis#Latin|quis]] <u>aut</u> ex huius [[wikt:en:iracundia#Latin|iracundia]] <u>aut</u> ex eo, quod [[wikt:en:mereo#Latin|meruerat]], [[wikt:en:odium#Latin|odio]] civitatis [[wikt:en:motus#Noun_2|motus]] [[wikt:en:exsistat|exsistat]]. **彼の激しやすさから、<u>あるいは</u>彼が招来していた反感から、部族国家の何らかの動乱が起こらないようにである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節でアッコーら独立主義者たちがカエサルに降伏して、<br>    カウァリーヌスが王位に戻されたために、<br>    部族内で反感をかっていたのであろう。)</span> :  *<!--❸-->His rebus [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]], **これらの事柄が取り決められると、 *quod pro explorato habebat, [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] non esse <u>concertaturum</u>, **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が戦闘で激しく争うつもりではないことを、確実と見なしていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pro#Latin|pro]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorato]] = [[wikt:en:exploratus#Latin|exploratum]]「確かなものとして(''as certain'')」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系(A・Q)およびL・N写本では non esse <u>[[wikt:en:concertaturum|concertaturum]]</u>「激しくつもりではないこと」だが、<br>         &beta;系写本では non esse <u>[[wikt:en:contenturum|contenturum]]</u><br>         B・M・S写本では non esse <u>concertaturum [[wikt:en:tenturum|tenturum]]</u> となっている。)</span> *reliqua eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] animo [[wikt:en:circumspicio#Latin|circumspiciebat]]. **彼<small>〔アンビオリークス〕</small>のほかの計略に思いをめぐらせていた。 :  ;   カエサルがメナピイー族の攻略を決意 *<!--❹-->Erant [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] propinqui [[wikt:en:Eburones#Latin|Eburonum]] finibus, **メナピイー族は[[w:エブロネス族|エブローネース族]]の領土に隣り合っていて、 *[[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|muniti]], **絶え間ない沼地と森林によって守られており、 *qui uni ex Gallia de pace ad Caesarem legatos [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]. **彼らは[[w:ガリア|ガッリア]]のうちでカエサルのもとへ講和の使節たちを決して遣わさなかった唯一の者たちであった。 :  *Cum his esse [[wikt:en:hospitium#Latin|hospitium]] [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigi]] [[wikt:en:scio#Latin|sciebat]]; **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が彼らのもとで歓待されていることを知っていたし、 *item per [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venisse Germanis in [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitiam]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoverat]]. **同様にトレーウェリー族を通じて[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人と盟約を結んだことも探知していた。 :  *<!--❺-->Haec <u>prius</u> illi [[wikt:en:detrahendus#Latin|detrahenda]] auxilia [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]] <u>quam</u> ipsum bello [[wikt:en:lacesso#Latin|lacesseret]], **<ruby><rb>彼奴</rb><rp>(</rp><rt>あやつ</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔アンビオリークス〕</small>へのこれらの支援は、彼奴自身に戦争で挑みかかる<u>より前に</u>引き離されるべきだと考えていた。 *ne [[wikt:en:desperatus#Latin|desperata]] [[wikt:en:salus#Latin|salute]] **<small>(アンビオリークスが)</small>身の安全に絶望して、 *<u>aut</u> se in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:abdo#Latin|abderet]], **<u>あるいは</u>メナピイー族のところに身を隠したりしないように、 *<u>aut</u> cum [[wikt:en:Transrhenanus#Latin|Transrhenanis]] [[wikt:en:congredior#Latin|congredi]] [[wikt:en:cogo#Latin|cogeretur]]. **<u>あるいは</u>レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>の向こう側の者たちと合同することを強いられないように、である。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族)を<br>    ''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) が<br>    招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> :  *<!--❻-->Hoc [[wikt:en:initus#Participle|inito]] consilio, **この計略を決断すると、 *[[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] exercitus [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]] ad [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:mitto#Latin|mittit]] **<small>(カエサルは)</small>全軍の[[w:輜重|輜重]]を、トレーウェリー族のところにいる[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]のもとへ送り、 *duasque ad eum legiones [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]; **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に彼<small>〔ラビエーヌス〕</small>のもとへ出発することを命じる。 :  *ipse cum legionibus [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]] quinque in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身は軽装の5個軍団とともにメナピイー族のところに出発する。 :  *<!--❼-->Illi, [[wikt:en:nullus#Adjective|nulla]] [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]], **あの者らは、何ら手勢を集めず、 *loci [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] [[wikt:en:fretus#Adjective|freti]], **地勢の要害を信頼して、 *in [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:palus#Latin|paludes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:confugio#Latin|confugiunt]] **森林や沼地に避難して、 *[[wikt:en:suus#Latin|sua]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eodem#Adverb|eodem]] [[wikt:en:confero#Latin|conferunt]]. **自分たちの家財を同じところに運び集める。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===6節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2024-10-20}}</span> ;メナピイー族がついにカエサルの軍門に降る *<!--❶-->Caesar, **カエサルは、 *[[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] copiis cum [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaio]] [[wikt:en:Fabius#Latin|Fabio]] legato et [[wikt:en:Marcus#Latin|Marco]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crasso]] [[wikt:en:quaestor#Latin|quaestore]] **[[w:レガトゥス|副官]]である[[w:ガイウス・ファビウス|ガーイウス・ファビウス]]と[[w:クァエストル|財務官]]である[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス (財務官)|マールクス・クラッスス]]とともに軍勢を分配して、 *celeriterque [[wikt:en:effectus#Participle|effectis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]] **速やかに橋梁を造って、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:橋梁は軽装の軍団兵が沼地を渡るためのものなので、丸太道のようなものであろうか。)</span> *[[wikt:en:adeo#Verb|adit]] [[wikt:en:tripertito|tripertito]], **三方面から<small>(メナピイー族の領土に)</small>接近して、 [[画像:GallischeHoeve.jpg|thumb|right|200px|復元されたメナピイー族の住居(再掲)]] *[[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incendo#Latin|incendit]], **建物や村々を焼き討ちして、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:potior#Latin|potitur]]. **家畜や人間の多数を<small>(戦利品として)</small>獲得する。 :  *<!--❷-->Quibus rebus [[wikt:en:coactus#Participle|coacti]] **そのような事態に強いられて、 *[[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] legatos ad eum [[wikt:en:pax#Latin|pacis]] [[wikt:en:petendus#Latin|petendae]] causa [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]]. **メナピイー族は和平を求めるための使節たちを彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ遣わす。 :  *<!--❸-->Ille [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]], **彼<small>〔カエサル〕</small>は人質たちを受け取ると、 *hostium se [[wikt:en:habiturus#Latin|habiturum]] numero [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmat]], si aut [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] aut eius legatos finibus suis [[wikt:en:recipio#Latin|recepissent]]. **もし[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]か彼の使節を自領に迎え入れたら、自分は<small>(メナピイー族を)</small>敵として見なすだろうと断言する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:属格の名詞 + numero「〜として」) :  *<!--❹-->His [[wikt:en:confirmatus#Latin|confirmatis]] rebus, **これらの事柄を確立すると、 *[[wikt:en:Commius#Latin|Commium]] [[wikt:en:Atrebas#Latin|Atrebatem]] cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:custos#Latin|custodis]] loco in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] [[wikt:en:relinquo#Latin|relinquit]]; **アトレバーテース族である[[w:コンミウス|コンミウス]]を[[w:騎兵|騎兵]]隊とともに、目付け役として、メナピイー族のところに残す。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、カエサルがアトレバテース族の王にすえて、ブリタンニア遠征の先導役として遣わし、<br>    カッスィウェッラウヌスの降伏の仲介を</span>果たしていた。[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・27節や[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]などを参照。) *ipse in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身はトレーウェリー族のところに出発する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===7節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2024-10-27}}</span> [[画像:Titelberg_01.jpg|thumb|right|200px|トレーウェリー族の城砦跡(再掲)]] ;トレーウェリー族の開戦準備、ラビエーヌスの計略 *<!--❶-->Dum haec a Caesare [[wikt:en:gero#Latin|geruntur]], **これらのことがカエサルによって遂行されている間に、 *[[wikt:en:Treveri#Latin|Treveri]] magnis [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]] [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> copiis **トレーウェリー族は、[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の大軍勢を徴集して、 *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] cum una legione, quae in eorum finibus <u>[[wikt:en:hiemo#Latin|hiemaverat]]</u>, **彼らの領土において越冬していた1個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:hiemaverat|hiemaverat]] <small>(過去完了形)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:hiemabat|hiemabat]] <small>(未完了過去形)</small> などとなっている。)</span> *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] [[wikt:en:paro#Latin|parabant]], **襲撃することを準備していた。 :  *<!--❷-->iamque ab eo non longius [[wikt:en:biduum#Latin|bidui]] via [[wikt:en:absum#Verb|aberant]], **すでに、そこ<small>〔ラビエーヌスの冬営〕</small>から2日間の道のりより遠く離れていなかったが、 *cum duas venisse legiones [[wikt:en:missus#Noun_2|missu]] Caesaris [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscunt]]. **そのときに、カエサルが派遣した2個軍団が到着したことを知る。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]で既述のように、カエサルはラビエーヌスのところへ全軍の輜重と2個軍団を派遣していた。<br>    こうして、ラビエーヌスはローマ全軍の輜重と3個軍団を任されることになった。) :  *<!--❸-->[[wikt:en:positus#Latin|Positis]] <u>castris</u> a milibus passuum [[wikt:en:quindecim#Latin|quindecim]](XV) **<small>(トレーウェリー勢は、ラビエーヌスの冬営から)</small>15ローママイルのところに<u>野営地</u>を設置して、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、15マイルは約22 km)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:カストラ|カストラ]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] という語はローマ勢の行軍中の野営地や常設の宿営地に用いられ、<br>    非ローマ系部族の野営地に用いられることは稀である。)</span> *auxilia [[wikt:en:Germani#Latin|Germanorum]] [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituunt]]. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の援軍を待つことを決める。 :  *<!--❹-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] hostium [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]] consilio **ラビエーヌスは、敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>の計略を知ると、 *[[wikt:en:sperans#Latin|sperans]] [[wikt:en:temeritas#Latin|temeritate]] eorum [[wikt:en:fore#Etymology_2_2|fore]] [[wikt:en:aliqui#Latin|aliquam]] [[wikt:en:dimico#Latin|dimicandi]] facultatem, **彼らの無謀さにより何らかの争闘する機会が生ずるであろうと期待して、 *[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] quinque(V) cohortium [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:relictus#Latin|relicto]] **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の守備隊を[[w:輜重|輜重]]のために残し、 *cum XXV(viginti quinque) cohortibus magnoque [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatu]] contra hostem [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **25個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>および多勢の騎兵隊とともに、敵に抗して進発する。 *et mille passuum [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]] spatio castra [[wikt:en:communio#Latin|communit]]. **<small>(トレーウェリー勢から)</small>1ローママイルの間隔を置いて、[[w:カストラ|陣営]]<small>〔野営地〕</small>を固める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 km)</span> :  *<!--❺-->Erat inter [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] atque hostem [[wikt:en:difficilis#Latin|difficili]] [[wikt:en:transitus#Latin|transitu]] flumen [[wikt:en:ripa#Latin|ripis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:praeruptus#Adjective|praeruptis]]. **ラビエーヌスと敵の間には、渡ることが困難な川が、急峻な岸とともにあった。 *Hoc <u>neque</u> ipse [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] habebat in animo **これを<small>(ラビエーヌス)</small>自身は渡河するつもりではなかったし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ habeo in animo「~するつもりである」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~, neque …「~でもないし、…でもない」)</span> *<u>neque</u> hostes [[wikt:en:transiturus#Latin|transituros]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]]. **敵勢も渡河して来ないであろうと<small>(ラビエーヌスは)</small>考えていた。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:augeo#Latin|Augebatur]] auxiliorum [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] spes. **<small>(トレーウェリー勢にとって、ゲルマーニア人の)</small>援軍への期待は日ごとに増されるばかりであった。 *[[wikt:en:loquor#Latin|Loquitur]] <u>in consilio</u> [[wikt:en:palam#Adverb|palam]]: **<small>(ラビエーヌスは)</small>会議において公然と<small>(以下のように)</small>述べる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega;では in [[wikt:en:consilio|consilio]] だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]] は in [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] と修正提案し、<br>         Hecker は [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] と修正提案している。)</span> *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]] [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:dico#Latin|dicantur]], **ゲルマーニア人<small>(の軍勢)</small>が近づいていることが言われているので、 *sese suas exercitusque fortunas in [[wikt:en:dubium#Noun|dubium]] non [[wikt:en:devocaturus#Latin|devocaturum]] **自分は自らと軍隊の命運を不確実さの中に引きずり込むことはないであろうし、 *et postero die prima luce castra [[wikt:en:moturus#Latin|moturum]]. **翌日の夜明けには陣営を引き払うであろう。 :  *<!--❼-->Celeriter haec ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]], **これら<small>(のラビエーヌスの発言)</small>は速やかに敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>のもとへ報じられたので、 *ut ex magno Gallorum equitum numero [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullos]] <u>Gallos</u> [[wikt:en:gallicus#Latin|Gallicis]] rebus [[wikt:en:faveo#Latin|favere]] natura [[wikt:en:cogo#Latin|cogebat]]. **ガッリア人の境遇を想う気質が、<small>(ローマ側)</small>ガッリア人騎兵の多数のうちの若干名を励ましていたほどである。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallos]] は &alpha;系写本の記述で、&beta;系写本では欠く。)</span> :  *<!--❽-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], noctu tribunis militum primisque ordinibus <u>convocatis</u>, **ラビエーヌスは、夜間に<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちと第一序列(の[[w:ケントゥリオ|百人隊長]])たちを召集すると、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1個軍団当たりの<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby> の定員は計6名。<br>    第一序列の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たち primorum ordinum centuriones は、軍団内における[[w:下士官|下士官]]のトップであり、<br>     第一<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> においては定員5名だが、<br>     ほかの歩兵大隊においては定員6名であった。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] などとなっている。)</span> *quid sui sit consilii, [[wikt:en:propono#Latin|proponit]] **自分の計略がいかなるものであるかを呈示して、 *et, quo facilius hostibus [[wikt:en:timor#Latin|timoris]] [[wikt:en:det#Latin|det]] [[wikt:en:suspicio#Noun|suspicionem]], **それ<small>〔計略〕</small>によって、よりたやすく敵勢に<small>(ローマ勢の)</small>恐怖心という推測を起こすべく、 *maiore [[wikt:en:strepitus#Latin|strepitu]] et [[wikt:en:tumultus#Latin|tumultu]], quam populi Romani fert [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudo]] **ローマ国民の習慣が引き起こすよりもより大きな騒音や喧騒をもって *castra [[wikt:en:moveo#Latin|moveri]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]. **陣営を引き払うことを命じる。 *His rebus fugae [[wikt:en:similis#Latin|similem]] [[wikt:en:profectio#Latin|profectionem]] [[wikt:en:efficio#Latin|effecit]]. **<small>(ラビエーヌスは)</small>これらの事によって、逃亡に似た進発を実現した。 :  *<!--❾-->Haec quoque per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] **これらのこともまた、<small>(トレーウェリー勢の)</small>斥候たちを通じて、 *ante [[wikt:en:lux#Latin|lucem]] in tanta [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitate]] castrorum ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]]. **夜明け前には、陣営のこれほどの近さにより、敵勢へ報じられる。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===8節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2024-10-28}}</span> ;ラビエーヌスがトレーウェリー族を降す :  ;   トレーウェリー勢が、渡河してラビエーヌスの軍勢に攻めかかろうとする *<!--❶-->[[wikt:en:vix#Latin|Vix]] [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:novissimus#Latin|novissimum]] extra [[wikt:en:munitio#Latin|munitiones]] [[wikt:en:procedo#Latin|processerat]], **<small>(ローマ勢の)</small>行軍隊列の最後尾が防塁の外側にほぼ進み出ようとしていた、 *cum Galli [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortati]] inter se, ne [[wikt:en:speratus#Latin|speratam]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] ex manibus [[wikt:en:dimitto#Latin|dimitterent]] **そのときにガッリア人たちは、期待していた戦利品を<small>(彼らの)</small>手から逸しないように、互いに鼓舞し合って、 *── longum esse, [[wikt:en:perterritus#Latin|perterritis]] Romanis [[wikt:en:Germani#Proper_noun|Germanorum]] auxilium [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]]; **── ローマ人が<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ているのに、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の支援を待つことは悠長なものである。 *neque suam [[wikt:en:patior#Latin|pati]] [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitatem]], **<small>(以下のことは)</small>自分たちの尊厳が耐えられない。 *ut [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] copiis [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:exiguus#Latin|exiguam]] manum, praesertim [[wikt:en:fugiens#Latin|fugientem]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impeditam]], **これほどの大軍勢で<small>(ローマの)</small>それほどの貧弱な手勢を、特に逃げ出して<small>(荷物で)</small>妨げられている者たちを *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] non [[wikt:en:audeo#Latin|audeant]] ── **あえて襲撃しないとは──<small>(と鼓舞し合って)</small> *flumen [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] et iniquo loco [[wikt:en:committo#Latin|committere]] proelium non [[wikt:en:dubito#Latin|dubitant]]. **川を渡って<small>(切り立った岸を登りながら)</small>不利な場所で交戦することをためらわない。 :  ;   ラビエーヌス勢が怖気を装いながら、そろりそろりと進む *<!--❷-->Quae fore [[wikt:en:suspicatus#Latin|suspicatus]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], **こうしたことが生じるであろうと想像していた[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、 *ut omnes citra flumen [[wikt:en:elicio#Latin|eliceret]], **<small>(敵の)</small>総勢を川のこちら側に誘い出すように、 *[[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:usus#Participle|usus]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] itineris **行軍の同じ見せかけを用いて、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で語られたように、<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>て今にも逃げ出しそうな風に装いながらの行軍。)</span> *[[wikt:en:placide#Adverb|placide]] [[wikt:en:progredior#Latin|progrediebatur]]. **穏やかに前進していた。 :  ;   ラビエーヌスが全軍の兵を叱咤激励する *<!--❸-->Tum [[wikt:en:praemissus#Latin|praemissis]] paulum impedimentis **それから、[[w:輜重|輜重]]<small>(の隊列)</small>を少し先に遣わして、 *atque in [[wikt:en:tumulus#Latin|tumulo]] [[wikt:en:quidam#Adjective|quodam]] [[wikt:en:collocatus#Latin|conlocatis]], **とある高台に配置すると、 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>&nbsp;[[wikt:en:habetis|Habetis]],<span style="color:#009900;">»</span></span> [[wikt:en:inquam#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>milites, quam [[wikt:en:petistis|petistis]], [[wikt:en:facultas#Latin|facultatem]]; </span> **<small>(ラビエーヌスは)</small>「兵士らよ、<small>(諸君は)</small>求めていた機会を得たぞ」と言った。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">&nbsp;<span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span>&nbsp;</span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span> *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">hostem [[wikt:en:impeditus#Latin|impedito]] atque [[wikt:en:iniquus#Latin|iniquo]] loco [[wikt:en:tenetis|tenetis]]: </span> **「<small>(諸君は)</small>敵を<small>(川岸で)</small>妨げられた不利な場所に追いやった。」 *<!--❹--><!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">[[wikt:en:praestate|praestate]] eandem nobis [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]] [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]], quam saepe numero [[wikt:en:imperator#Latin|imperatori]] [[wikt:en:praestitistis|praestitistis]], </span> **「我々<ruby><rb>将帥</rb><rp>(</rp><rt>ドゥクス</rt><rp>)</rp></ruby>らに、<small>(諸君が)</small>しばしば<ruby><rb>将軍</rb><rp>(</rp><rt>インペラートル</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔カエサル〕</small>に見せて来たのと同じ武勇を見せてくれ。」 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">atque illum adesse et haec [[wikt:en:coram#Adverb|coram]] [[wikt:en:cerno#Latin|cernere]] [[wikt:en:existimate|existimate]].<span style="color:#009900;">»</span></span> **「彼<small>〔カエサル〕</small>が訪れて、これ<small>〔武勇〕</small>を目の前で見ていると思ってくれ。」 :  ;   ラビエーヌスが軍を反転させて攻撃態勢を整える *<!--❺-->Simul signa ad hostem [[wikt:en:converto#Latin|converti]] aciemque [[wikt:en:dirigo#Latin|dirigi]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **同時に、軍旗が敵の方へ向きを変えられることと、戦列が整えられること、を命じる。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:軍勢が敵側へ向けて反転して、戦列を整えること、を命じた。)</span> [[画像:Pilensalve.jpg|thumb|right|250px|[[w:ピルム|ピールム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演]] *et paucis [[wikt:en:turma#Latin|turmis]] praesidio ad impedimenta [[wikt:en:dimissus#Latin|dimissis]], **かつ若干の<ruby><rb>[[w:トゥルマ|騎兵小隊]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を輜重のための守備隊として送り出して、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:騎兵小隊 turma はローマ軍の<br>    [[w:アウクシリア|支援軍]]における中規模の編成単位で、<br>    各30騎ほどと考えられている。)</span> *reliquos equites ad latera [[wikt:en:dispono#Latin|disponit]]. **残りの[[w:騎兵|騎兵]]たちを<small>(軍勢の)</small>両側面へ分置する。 :  ;   ラビエーヌス勢が喊声を上げて、投げ槍を投げ始める *<!--❻-->Celeriter nostri, clamore [[wikt:en:sublatus#Latin|sublato]], [[wikt:en:pilum#Latin|pila]] in hostes [[wikt:en:inmitto#Latin|inmittunt]]. **我が方<small>〔ローマ勢〕</small>は、雄叫びを上げると、速やかに<ruby><rb>[[w:ピルム|投げ槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピールム</rt><rp>)</rp></ruby>を敵勢へ放り入れる。 :  ;   不意を突かれたトレーウェリー勢が、一目散に逃げ出して、最寄りの森林を目指す *Illi, ubi [[wikt:en:praeter#Latin|praeter]] spem, quos <span style="color:#009900;">&lt;modo&gt;</span> [[wikt:en:fugio#Latin|fugere]] [[wikt:en:credo#Latin|credebant]], [[wikt:en:infestus#Latin|infestis]] signis ad se ire viderunt, **<span style="font-size:11pt;">彼らは、期待に反して、<span style="color:#009900;">&lt;ただ&gt;</span>逃げていると信じていた者たちが、軍旗を攻勢にして自分らの方へ来るのを見るや否や、</span> *[[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] <u>modo</u> ferre non potuerunt **<small>(ローマ勢の)</small>突撃を持ちこたえることができずに、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部 modo は主要写本&omega;ではこの位置にあるが、<br>    上記の &lt;modo&gt; に移す修正提案がある。)</span> *ac primo [[wikt:en:concursus#Noun|concursu]] in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]] **最初の猛攻で敗走に追い込まれて、 *proximas silvas [[wikt:en:peto#Latin|petierunt]]. **近隣の森を目指した。 :  ;   ラビエーヌス勢が、トレーウェリー勢の多数を死傷させ、部族国家を奪回する *<!--❼-->Quos [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] equitatu [[wikt:en:consectatus#Latin|consectatus]], **<small>(敗走した)</small>その者たちを、ラビエーヌスは騎兵隊で追撃して、 *magno numero [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecto]], **多数の者を<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>して、 *compluribus [[wikt:en:captus#Latin|captis]], **かなりの者たちを捕らえて、 *paucis post diebus civitatem recepit. **数日後に<small>(トレーウェリーの)</small>部族国家を<small>(蜂起の前の状態に)</small>戻した。 :  [[画像:Bund-ro-altburg.jpg|thumb|right|180px|トレーウェリー族の再現された住居(再掲)]] [[画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|thumb|right|180px|トレーウェリー族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡]] ;   ゲルマーニア人の援軍が故国へ引き返す *Nam [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]], qui auxilio veniebant, **なぜなら、援軍として来ようとしていたゲルマーニア人たちは、 *[[wikt:en:perceptus#Latin|percepta]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] fuga **トレーウェリー族の敗走を把握したので、 *sese [[wikt:en:domus#Latin|domum]] <u>receperunt</u>. **故国に撤退していった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:receperunt|receperunt]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:contulerunt|contulerunt]] となっている。)</span> :  ;   インドゥーティオマールスの残党がゲルマーニアへ出奔する *<!--❽-->Cum his [[wikt:en:propinquus#Latin|propinqui]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomari]], **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>とともに、インドゥーティオマールスの縁者たちは、 *qui [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] [[wikt:en:auctor#Latin|auctores]] fuerant, **その者らは<small>(トレーウェリー族におけるカエサルへの)</small>謀反の張本人であったが、 *[[wikt:en:comitatus#Participle|comitati]] eos ex civitate [[wikt:en:excedo#Latin|excesserunt]]. **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>を伴って、部族国家から出て行った。 :  ;   カエサルとローマに忠節なキンゲトリークスに、部族の統治権が託される *<!--❾-->[[wikt:en:Cingetorix#Latin|Cingetorigi]], **キンゲトリークスに対しては、 *quem ab initio [[wikt:en:permaneo#Latin|permansisse]] in [[wikt:en:officium#Latin|officio]] [[wikt:en:demonstravimus|demonstravimus]], **──その者が当初から<small>(ローマへの)</small>忠義に留まり続けたことは前述したが── **:<span style="color:#009900;">(訳注:キンゲトリークスについては、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]~4節・[[ガリア戦記 第5巻#56節|56節]]~57節で述べられている。)</span> *[[wikt:en:principatus#Latin|principatus]] atque [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]] est traditum. **首長の地位と支配権が託された。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <span style="font-size:11pt;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==第二次ゲルマーニア遠征== ===9節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2024-11-06}}</span> ;再びレーヌスを渡河、ウビイー族を調べる *<!--❶-->Caesar, postquam ex Menapiis in Treveros venit, **カエサルは、メナピイー族のところからトレーウェリー族のところに来た後で、 *duabus de causis Rhenum transire constituit; **二つの理由からレーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>を渡ることを決めた。 :  *<!--❷-->quarum una erat, quod <span style="color:#009900;">&lt;Germani&gt;</span> auxilia contra se Treveris miserant; **その<small></small>(理由の)一つは、<span style="color:#009900;">&lt;ゲルマーニア人が&gt;</span>自分<small>〔カエサル〕</small>に対抗して、トレーウェリー族に援軍を派遣していたことであった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:&lt;Germani&gt; は、主要写本&omega;にはなく、<br>     [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Hotomanus|Hotomanus]] による挿入提案。)</span> *altera, ne ad eos Ambiorix receptum haberet. **もう一つ<small></small>(の理由)は、彼らのところへ[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が避難所を持たないように、ということであった。 :  [[画像:Caesar's Rhine Crossing.jpg|thumb|right|250px|カエサルがライン川に橋を架けたとされる有力な地点の図示。ライン川と[[w:モーゼル川|モーゼル川]]の合流点にある[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[w:en:Koblenz|Koblenz]])と下流の[[w:アンダーナッハ|アンダーナッハ]]([[w:en:Andernach|Andernach]])との間の[[w:ノイヴィート|ノイヴィート]]([[w:en:Neuwied|Neuwied]])辺りが有力な地点の一つとされる。'''([[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図を再掲)''']] *<!--❸-->His constitutis rebus, **これらの事柄を決定すると、 *[[wikt:en:paulum#Adverb|paulum]] supra eum locum, quo ante exercitum traduxerat, facere pontem instituit. **<u>以前に軍隊を渡らせていた場所</u>の少し上流に、橋を造ることを決意した。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]] でカエサルが[[w:ライン川|ライン川]]に架橋した場所のこと。<br>    第4巻の'''[[ガリア戦記_第4巻#コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」|コラム]]''' や [[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図で説明したように、<br>    カエサルの最初の架橋地点には異論もあるが、<br>    今回の架橋地点がトレーウェリー族領であった<br>    [[w:モーゼル川|モーゼル川]]渓谷から近かったであろうことから有力視される。)</span> :  *<!--❹-->Nota atque instituta ratione, **経験しかつ建造していた方法で、 *magno militum studio **兵士の大きな熱意により *paucis diebus opus efficitur. **わずかな日数で作業が完遂された。 :  *<!--❺-->Firmo in Treveris ad pontem praesidio relicto, **トレーウェリー族(の領内)の橋のたもとへ強力な守備隊を残した。 *ne quis ab his subito motus <u>oreretur</u>, **彼らによる何らかの動乱が突然に起こされないように。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・&rho;系写本では [[wikt:en:oreretur|oreretur]]、<br>         &phi;系・&pi;系写本では [[wikt:en:oriretur|oriretur]] だが、語形の相異。)</span> *reliquas copias equitatumque traducit. **残りの軍勢と騎兵隊を(レーヌスの東岸へ)渡らせた。 :  *<!--❻-->Ubii, qui ante obsides dederant atque in deditionem venerant, **ウビイー族は、以前に(カエサルに対して)人質たちを供出していて、降伏していたが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この事はすでに[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]で述べられている。)</span> *<u>purgandi sui</u> causa ad eum legatos mittunt, **自分たちの申し開きをすることのために、彼(カエサル)のところへ使節たちを遣わして、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:purgandi|purgandi]] [[wikt:en:sui#Pronoun|sui]] だが、<br>         &beta;系写本では purgandi のみ。)</span> *qui doceant, **(以下のように)説かせた。 *neque <u>auxilia ex sua civitate</u> in Treveros missa **自分たちの部族から援軍をトレーウェリー族のところに派遣してもいないし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・M・S写本では [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] ex sua [[wikt:en:civitate|civitate]]、<br>         L・N・&beta;系写本では ex sua civitate auxilia の語順になっている。)</span> *neque ab se fidem laesam: **自分らにより(ローマへの)信義を傷つけてもいない、と。 :  *<!--❼-->petunt atque orant, **(ウビイー族の使節たちは、以下のように)求め、かつ願った。 *ut sibi parcat, **自分たちを容赦し、 *ne communi odio Germanorum innocentes pro nocentibus poenas pendant; **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人一般への憎しみから、潔白な者たちが加害者たちのために罰を償うことがないように、と。 *si amplius obsidum <u>vellet, dare</u> pollicentur. **もし、より多くの人質を欲するのなら、供出することを約束する、と。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]] <small>(未完了過去・接続法)</small> [[wikt:en:dare#Latin|dare]] <small>(現在・能動・不定)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:velit#Latin|velit]] <small>(現在・接続法)</small> [[wikt:en:dari#Latin|dari]] <small>(現在・受動・不定法)</small> となっている。)</span> :  *<!--❽-->Cognita Caesar causa **カエサルは事情を調査して、 *<u>repperit</u> ab Suebis auxilia missa esse; **スエービー族により(トレーウェリー族に)援軍が派遣されていたことを見出した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:repperit|repperit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         近世以降の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.]] では [[wikt:en:reperit|reperit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> :  *Ubiorum satisfactionem <u>accepit</u>, **ウビイー族の弁解を受け入れて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:accepit|accepit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Davisius|Davisius]] の修正提案では [[wikt:en:accipit|accipit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> *aditus viasque in Suebos perquirit. **スエービー族のところに出入りする道筋を問い質した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===10節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2024-11-16}}</span> ;ウビイー族を通じてスエービー族の動静を探る *<!--❶-->Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior, **わずかな日々の後の間に、ウビイー族によって報告されたことには、 *Suebos omnes in unum locum copias cogere **スエービー族は、すべての軍勢を一か所に集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後述するように、これはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] のことであろう。)</span> *atque iis nationibus, quae sub eorum sint imperio, **彼らの支配下にある種族たちに *denuntiare, ut auxilia peditatus equitatusque mittant. **[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の援軍を派遣するように指示した。 :  *<!--❷-->His cognitis rebus, **<small>(カエサルは)</small>これらの事情を知ると、 *rem frumentariam providet, **糧食調達を準備して、 *castris idoneum locum deligit; **[[w:カストラ|陣営]]<small>(を設置するの)</small>に適切な場所を選んだ。 *Ubiis imperat, ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, **ウビイー族には、家畜を連れ去り、自分たちの一切合財を土地から[[w:オッピドゥム|城市]]に運び集めるように命令した。 *sperans barbaros atque imperitos homines **<small>(カエサルが)</small>期待したのは、野蛮で無知な連中が *inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; **糧秣の欠乏に動かされて、不都合な条件のもとで戦うことがあり得るように誘引されることであった。 :  *<!--❸-->mandat, ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. **偵察者たちをたびたびスエービー族内に遣わして、彼らのもとで遂行されていることを知るように<small>(ウビイー族に)</small>委ねた。 :  *<!--❹-->Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: **彼ら<small>〔ウビイー族〕</small>は、命令されたことを実行して、わずかな日々を間に置いて(以下のことを)報告する。 *Suebos omnes, posteaquam certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, **スエービー族は皆、ローマ人の軍隊についてより確実な報告がもたらされた後で、 *cum omnibus suis sociorumque copiis, quas coegissent, **自分たちの軍勢と集結していた同盟者たちの軍勢とともに、 *penitus ad extremos fines se recepisse; **領土の最も遠い奥深くまで撤退していた。 :  *<!--❺-->silvam esse ibi infinita magnitudine, quae appellatur <u>Bacenis</u>; **そこには、'''バケーニス'''と呼ばれている限りない大きさの森林がある。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:バケーニス Băcēnis 、ギリシア語で Βακέννη とも表記されるが、どこなのかは諸説ある。<br>     ①ドイツ西部[[w:ヘッセン州|ヘッセン州]]にあったブコニアの森 ''[[w:de:Buchonia|Buchonia]]; [[w:fr:Forêt de Buconia|Buconia]]'' は有力。<br>     ②ドイツの奥地・中東部の[[w:テューリンゲン州|テューリンゲン州]]にある[[w:テューリンゲンの森|テューリンゲンの森]]という説<ref>[[s:de:RE:Bacenis silva]] 等を参照。</ref><br>     ③ドイツ西部[[w:ラインラント=プファルツ州|ラインラント=プファルツ州]]ライン川沿岸のニールシュタイン [[w:en:Nierstein|Nierstein]] 説、<br>    などがある。史実としてスエービーという部族連合が居住していたのはテューリンゲンであろうが、<br>    ライン川からはあまりにも遠すぎる。)</span> *hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam **これは、はるか内陸に及んでいて、天然の防壁として横たわっており、 *[[wikt:en:Cheruscos|Cheruscos]] ab Suebis Suebosque ab [[wikt:en:Cheruscis|Cheruscis]] iniuriis incursionibusque prohibere: **ケールスキー族をスエービー族から、スエービー族をケールスキー族から、無法行為や襲撃から防いでいる。 *ad eius initium silvae Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. **その森の始まりのところで、スエービー族はローマ人の到来を待ち構えることを決定した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」=== [[画像:Hermann (Arminius) at the battle of the Teutoburg Forest in 9 CE by Peter Jannsen, 1873, with painting creases and damage removed.jpg|thumb|right|250px|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)で戦う、ゲルマーニア軍とローマ軍(Johann Peter Theodor Janssen画、1870~1873年頃)。中央上の人物はケールスキー族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]。<br>アルミニウスが率いるケールスキー族・カッティー族らゲルマーニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。]] <br> <div style="background:#ecf;">  '''スエービー族とカッティー族'''</div> :『ガリア戦記』では、第1巻・第4巻および第6巻でたびたび[[w:スエビ族|スエービー族]]の名が言及される。タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の38章「スエービー」などを参照。</ref>など多くの史家が伝えるようにスエービー族 [[wikt:en:Suebi#Latin|Suēbī]] またはスエウィ族 Suēvī とは、単一の部族名ではなく、多くの独立した部族国家から構成される連合体の総称とされる。 :19世紀のローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]によれば<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、のp.201, p.224, p.232などを参照。</ref>、カエサルの時代のローマ人には 「スエービー」とは遊牧民を指す一般的な呼称で、カエサルがスエービーと呼ぶのはカッティー族だという。 :カッティー族とスエービー系諸部族の異同は明確ではないが、多くの史家は両者を区別して伝えている。 : 第1巻37節・51節・53節~54節、第4巻1節~4節・7節などで言及され、「百の郷を持つ」と されている「スエービー族」は、スエービー系諸部族の総称、あるいは遊牧系の部族を指すのであろう。 : 他方、第4巻16節・19節・第6巻9節~10節・29節で、ウビイー族を圧迫する存在として言及される :「スエービー族」はモムゼンの指摘のように、カッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] であることが考えられる。 :タキトゥス著『ゲルマーニア』<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の36章「ケルスキー」などを参照。</ref>でも、カッティー族はケールスキー族と隣接する宿敵として描写され、本節の説明に合致する。 <div style="background:#ecf;">  '''ケールスキー族'''</div> :ケールスキー族は、『ガリア戦記』では[[#10節|本節]]でカッティー族と隣接する部族として名を挙げられる :のみである。しかしながら、本巻の年(BC53年)から61年後(AD9年)には、帝政ローマの :[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]がゲルマーニアに派遣していたプブリウス・クィンクティリウス・ウァルス :([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Publius Quinctilius Varus]])が率いるローマ軍3個軍団に対して、名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]を :指導者とするケールスキー族は、カッティー族ら諸部族の同盟軍を組織して、ウァルスの3個軍団を :[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]において壊滅させ、老帝アウグストゥスを嘆かせたという。 <div style="background:#ecf;">  '''ウビイー族'''</div> :ウビイー族は『ガリア戦記』の第4巻・第6巻でも説明されているように、ローマ人への忠節を :認められていた。そのため、タキトゥスによれば<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の28章などを参照。</ref>、ゲルマニアへのローマ人の守りとして :BC38年頃にレヌス(ライン川)左岸のコロニア([[w:la:Colonia_Agrippina|Colonia]];植民市)すなわち現在の[[w:ケルン|ケルン市]]に移された。) </div> ==ガッリア人の社会と風習について== <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」=== [[画像:Testa di saggio o principe, forse il filosofo poseidonio, 50 ac. ca 01.JPG|thumb|right|200px|アパメアの[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]の胸像。地中海世界やガッリアなどを広く訪れて、膨大な著作を残した。<br>『ガリア戦記』の地誌・民族誌的な説明も、その多くを彼の著作に依拠していると考えられている。]] :これ以降、11節~20節の10節にわたってガッリアの地誌・民族誌的な説明が展開され、さらには、ゲルマーニアの地誌・民族誌的な説明などが21節~28節の8節にわたって続く。ガッリア戦争の背景説明となるこのような地誌・民族誌は、本来ならば第1巻の冒頭に置かれてもおかしくはない。しかしながら、この第6巻の年(BC53年)は、カエサル指揮下のローマ勢にとってはよほど書かれるべき戦果が上がらなかったためか、ガッリア北部の平定とエブロネス族の追討戦だけでは非常に短い巻となってしまうため、このような位置に置いたとも考えられる。ゲルマーニアの森にどんな獣が住んでいるかなど、本筋にほとんど影響のないと思われる記述も見られる。 :『ガリア戦記』におけるガッリアの地誌・民族誌的な説明、特にこの11節以降の部分は、文化史的に重要なものと見なされ、考古学やケルトの伝承などからも裏付けられる。しかし、これらの記述はカエサル自身が見聞したというよりも、むしろ先人の記述、とりわけBC2~1世紀のギリシア哲学ストア派の哲学者・地理学者・歴史学者であった[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]([[w:la:Posidonius Apameus|Posidonius Apameus]])の著作に依拠していたと考えられている<ref>『ケルト事典』ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、創元社の「ポセイドニオス」「カエサル」の項を参照。</ref> <ref>『ケルト人』ヴァンセスラス・クルータ([[w:fr:Venceslas Kruta|Venceslas Kruta]])著、鶴岡真弓訳、白水社 のp.20-21を参照。</ref>。ポセイドニオスは、ローマが支配する地中海世界やガッリア地域などを広く旅行した。彼の52巻からなる膨大な歴史書は現存しないが、その第23巻にガッリアに関する詳細な記述があったとされ、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、[[w:ストラボン|ストラボン]]、[[w:アテナイオス|アテナイオス]]らによって引用され、同時代および近代のケルト人観に多大な影響を与えたと考えられている。 :現存するガッリアの地誌・民族誌は、ストラボン<ref>『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』ストラボン著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ディオドロス<ref>『神代地誌』ディオドロス著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>『世界地理』ポンポニウス・メラ著、飯尾都人訳(上掲『神代地誌』に所収)</ref>のものなどがある。現存するゲルマーニアの地誌・民族誌は、ストラボン、タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫などを参照。</ref>、ポンポニウス・メラなどのものがある。 </div> ===11節=== '''ガッリア人の派閥性''' *① Quoniam ad hunc locum perventum est, **この地(ゲルマーニア)にまで到達したので、 *non alienum esse videtur de Galliae Germaniaeque moribus et, quo differant hae nationes inter sese proponere. **[[w:ガリア|ガッリア]]と[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]の風習について、これらの種族が互いにどのように異なるか述べることは不適切でないと思われる。 *② In Gallia non solum in omnibus civitatibus atque in omnibus <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagis]]</u> partibusque, **ガッリアにおいては、すべての部族において、さらにすべての<u>郷</u>や地方においてのみならず、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span> *sed paene etiam in singulis domibus factiones sunt, **ほとんどの個々の氏族においてさえも、派閥があり、 *earumque factionum principes sunt, **それらの派閥には、領袖がいる。 *③ qui summam auctoritatem eorum iudicio habere existimantur, **その者(領袖)らは、彼ら(派閥)の判断に対して、最高の影響力を持っていると考えられている。 *quorum ad arbitrium iudiciumque summa omnium rerum consiliorumque redeat. **すべての事柄と協議は結局のところ、その者(領袖)らの裁量や判断へ帰する。 *④ Idque eius rei causa antiquitus institutum videtur, **それは、それらの事柄のために昔から取り決められたものと見られ、 *ne quis ex plebe contra potentiorem auxilii egeret: **平民のある者が、より権力のある者に対して、援助を欠くことがないように、ということである。 *suos enim quisque opprimi et circumveniri non patitur, **すなわち(領袖たちの)誰も、身内の者たちが抑圧されたり欺かれたりすることを容認しない。 *neque, aliter si faciat, ullam inter suos habet auctoritatem. **もし(領袖が)そうでなくふるまったならば、身内の者たちの間で何ら影響力を持てない。 *⑤ Haec eadem ratio est in summa totius Galliae; **これと同じ理屈が、ガッリア全体の究極において存在する。 *namque omnes civitates in partes divisae sunt duas. **すなわち、すべての部族が二つの党派に分けられているのである。 ===12節=== '''ハエドゥイ族、セクァニ族、レミ族の覇権争い''' *① Cum Caesar in Galliam venit, **カエサルがガッリアに来たときに、 *alterius factionis principes erant Haedui, alterius Sequani. **(二つの)派閥の一方の盟主は[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]であり、他方は[[w:セクァニ族|セクァニ族]]であった。 **:(訳注:第1巻31節の記述によれば、ハエドゥイ族と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]がそれぞれの盟主であった。 **:カエサルが本節でアルウェルニ族の名を伏せている理由は不明である。 **:また、[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.330)</ref>、ハエドゥイ族とセクァニ族の敵対関係においては、 **:両部族を隔てるアラル川の水利権(川舟の通行税)をめぐる争いが敵意を助長していたという。) *② Hi cum per se minus valerent, **後者(セクァニ族)は自力ではあまり優勢ではなかったので、 *quod summa auctoritas antiquitus erat in Haeduis **というのは、昔から最大の影響力はハエドゥイ族にあって、 *magnaeque eorum erant clientelae, **彼ら(ハエドゥイ族)には多くの庇護民があったからであるが、 *Germanos atque Ariovistum sibi adiunxerant **[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人と[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]を自分たちに会盟させ、 *eosque ad se magnis iacturis pollicitationibusque perduxerant. **多くの負担と約束で 彼らを自分たちのところに引き入れた。 *③ Proeliis vero compluribus factis secundis **実にいくつもの戦闘を順調に行なって、 *atque omni nobilitate Haeduorum interfecta **ハエドゥイ族のすべての高貴な者たちを殺害して、 *tantum potentia antecesserant, **かなりの勢力で抜きん出たので、 *④ ut magnam partem clientium ab Haeduis ad se traducerent **結果として、ハエドゥイ族から庇護民の大部分を自分たちへ味方に付けて、 *obsidesque ab iis principum filios acciperent **彼らから領袖の息子たちを人質として受け取り、 *et publice iurare cogerent nihil se contra Sequanos consilii inituros, **自分たち(ハエドゥイ族)がセクァニ族に対して何ら謀計を始めるつもりではない、と公に誓うことを強いて、 *et partem finitimi agri per vim occupatam possiderent **近隣の土地の一部を力ずくで占領して所有地とした。 *Galliaeque totius principatum obtinerent. **ガッリア全体の指導権を手に入れた。 *⑤ Qua necessitate adductus **それにより、やむを得ずに動かされて、 *Diviciacus auxilii petendi causa Romam ad senatum profectus infecta re redierat. **[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]は支援を求めるために[[w:ローマ|ローマ市]]に元老院のところへ赴いたが、事を成就せずに帰った。 *⑥ Adventu Caesaris facta commutatione rerum, **カエサルの到来で事態の変化がなされて、 *obsidibus Haeduis redditis, **ハエドゥイ族の人質たちは戻されて、 *veteribus clientelis restitutis, **昔からの庇護民が復帰して、 *novis per Caesarem comparatis, **カエサルを通じて新参者たちを仲間にした。 *quod ii qui se ad eorum amicitiam adgregaverant, **というのは、彼ら(ハエドゥイ族)の友好のもとに仲間となっていた者たちが、 *⑦ meliore condicione atque aequiore imperio se uti videbant, **(セクァニ族)より良い条件とより公平な支配を享受しているように見えて、 *reliquis rebus eorum gratia dignitateque amplificata **ほかの事柄においても彼ら(ハエドゥイ族)の信望と品格がより増されて、 *Sequani principatum dimiserant. **セクァニ族は指導権を放棄したのだ。 *In eorum locum Remi successerant: **彼ら(セクァニ族)の地位において、[[w:レミ族|レミ族]]が取って代わった。 *quos quod adaequare apud Caesarem gratia intellegebatur, **その者ら(レミ族)はカエサルのもとで信望において(ハエドゥイ族と)同等であると認識されたので、 *ii qui propter veteres inimicitias nullo modo cum Haeduis coniungi poterant, **昔からの敵対関係のためにハエドゥイ族とどのようなやり方でも結ぶことができなかった者たちは、 *se Remis in clientelam dicabant. **レミ族との庇護関係に自らを委ねたのだ。 *⑧ Hos illi diligenter tuebantur; **この者ら(レミ族)はあの者ら(庇護民)を誠実に保護して、 *ita et novam et repente collectam auctoritatem tenebant. **このようにして、最近に得られた新しい影響力を保持した。 *⑨ Eo tum statu res erat, ut longe principes haberentur Haedui, **当時、ハエドゥイ族の位置付けは、まったく盟主と見なされるような状態であって、 *secundum locum dignitatis Remi obtinerent. **レミ族の品格は第二の地位を占めたのだ。 ===13節=== '''ガッリア人の社会階級、平民およびドルイドについて(1)''' *① In omni Gallia eorum hominum, qui aliquo sunt numero atque honore, genera sunt duo. **全ガッリアにおいて、何らかの地位や顕職にある人々の階級は二つである。 '''平民について''' *Nam plebes paene servorum habetur loco, **これに対して、平民はほとんど奴隷の地位として扱われており、 *quae nihil audet per se, nullo adhibetur consilio. **自分たちを通じては何らあえてすることはないし、誰も相談をされることもない。 *② Plerique, cum aut aere alieno aut magnitudine tributorum aut iniuria potentiorum premuntur, **多くの者は、あるいは負債、あるいは貢納の多さ、あるいはより権力のある者に抑圧されているので、 *sese in servitutem dicant. **自らを奴隷身分に差し出している。 *Nobilibus in hos eadem omnia sunt iura, quae dominis in servos. **高貴な者たちには彼ら(平民)において、奴隷において主人にあるのと同様なすべての権利がある。 '''ドルイドについて''' *③ Sed de his duobus generibus alterum est druidum, alterum equitum. **ともかく、これら二つの階級について、一方は[[w:ドルイド|ドルイド]](神官)であり、他方は[[w:騎士|騎士]]である。 *④ Illi rebus divinis intersunt, sacrificia publica ac privata procurant, religiones interpretantur: **前者(ドルイド)は神事に介在し、公・私の<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を司り、信仰のことを講釈する。 **:(訳注:供犠とは、人や獣を生け贄として神前に捧げることである。<ruby><rb>[[w:人身御供|人身御供]]</rb><rp>(</rp><rt>ひとみごくう</rt><rp>)</rp></ruby>とも。) [[画像:Two_Druids.PNG|thumb|right|200px|二人のドルイド。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガッリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。]] *ad hos magnus adulescentium numerus disciplinae causa concurrit, **この者ら(ドルイド)のもとへ、若者の多数が教えのために群り集まり、 *magnoque hi sunt apud eos honore. **この者ら(ドルイド)は、彼ら(ガッリア人)のもとで大いなる地位にある。 *⑤ Nam fere de omnibus controversiis publicis privatisque constituunt, **なぜなら(ドルイドは)ほとんどすべての公・私の訴訟ごとに判決をするのである。 *et, si quod est admissum facinus, si caedes facta, **もし何らかの罪悪が犯されれば、もし殺害がなされれば、 *si de hereditate, de finibus controversia est, **もし、遺産について、地所について、訴訟ごとがあれば、 *idem decernunt, praemia poenasque constituunt; **同じ人たち(ドルイド)が裁決し、補償や懲罰を判決するのである。 *⑥ si qui aut privatus aut populus eorum decreto non stetit, sacrificiis interdicunt. **もし何らかの個人あるいは集団が彼ら(ドルイド)の裁決を遵守しなければ、(その者らに)供犠を禁じる。 *Haec poena apud eos est gravissima. **これは、彼ら(ガッリア人)のもとでは、非常に重い懲罰である。 *⑦ Quibus ita est interdictum, **このように(供犠を)禁じられた者たちは、 *hi numero impiorum ac sceleratorum habentur, **彼らは、不信心で不浄な輩と見なされて、 *his omnes decedunt, aditum sermonemque defugiunt, **皆が彼らを忌避して、近づくことや会話を避ける。 *ne quid ex contagione incommodi accipiant, **(彼らとの)接触から、何らかの災厄を負うことがないようにである。 *neque his petentibus ius redditur **彼らが請願しても(元通りの)権利は戻されないし、 *neque honos ullus communicatur. **いかなる地位(に就くこと)も許されない。 *⑧ His autem omnibus druidibus praeest unus, **ところで、これらすべてのドルイドを一人が指導しており、 *qui summam inter eos habet auctoritatem. **その者は彼ら(ドルイドたち)の間に最高の影響力を持っている。 *⑨ Hoc mortuo **この者が死んだならば、 *aut, si qui ex reliquis excellit dignitate, succedit, **あるいは、もし残りの者たちの中から品格に秀でた者がおれば、継承して、 *aut, si sunt plures pares, suffragio druidum {adlegitur}<ref>adlegitur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>; **あるいは、もしより多くの者たちが同等であれば、ドルイドの投票で{選ばれる}。 *nonnumquam etiam armis de principatu contendunt. **ときどきは、武力でさえも首座を争うことがある。 *⑩ Hi certo anni tempore **彼ら(ドルイド)は年間の定められた時期に *in finibus Carnutum, quae regio totius Galliae media habetur, considunt in loco consecrato. **ガッリア全体の中心地方と見なされている[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の領土において、[[w:聖地|聖地]]に集合する。 **:(訳注:これはカエサルが支配する「ガッリア全体」の話で、他の地方には別の中心地があったようである。) *Huc omnes undique, qui controversias habent, conveniunt **ここへ、至る所から訴訟などを持つあらゆる者たちが集まって、 *eorumque decretis iudiciisque parent. **彼ら(ドルイド)の裁決や判断に服従する。 *⑪ Disciplina in Britannia reperta atque inde in Galliam translata esse existimatur, **(ドルイドの)教えは[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]で見出され、そこからガッリアにもたらされたと考えられている。 **:(訳注:これに対して、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]は、ガッリア人の信仰は[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。 **:[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば、これは東方のゲタエ人([[w:en:Getae|Getae]];[[w:トラキア|トラキア]]系ないし[[w:ダキア|ダキア]]系)を通じて取り入れたものだという<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、第7巻 第3章 第5節)</ref>。) *⑫ et nunc, qui diligentius eam rem cognoscere volunt, **今でも、その事柄をより入念に探究することを欲する者たちは、 *plerumque illo discendi causa proficiscuntur. **たいてい、かの地に研究するために旅立つ。 ===14節=== '''ドルイドについて(2)''' *① Druides a bello abesse consuerunt **[[w:ドルイド|ドルイド]]たちは、戦争に関与しない習慣であり、 *neque tributa una cum reliquis pendunt; **ほかの者と一緒に貢納(租税)を支払うこともない。 *militiae vacationem omniumque rerum habent immunitatem. **[[w:徴兵制度|兵役]]の免除や、すべての事柄において免除特権を持っているのである。 [[画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|thumb|right|200px|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち]] *② Tantis excitati praemiis **このような特典に駆り立てられて *et sua sponte multi in disciplinam conveniunt **自らの意思で多くの者が教え(の場)に集まっても来るし、 *et a parentibus propinquisque mittuntur. **親たちや縁者たちによって送られても来る。 *③ Magnum ibi numerum versuum ediscere dicuntur. **(彼らは)そこで詩句の多数を習得すると言われている。 *Itaque annos nonnulli vicenos in disciplina permanent. **こうして、少なからぬ者たちが、20年にもわたって教え(の場)に残留する。 [[画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|thumb|right|200px|ギリシア文字で刻まれたガッリアの碑文]] *Neque fas esse existimant ea litteris mandare, **それら(の詩句)を文字で刻み込むことは、神意に背くと考えている。 *cum in reliquis fere rebus, publicis privatisque rationibus, Graecis litteris utantur. **もっとも、ほかの事柄においては、公・私の用件に[[w:ギリシア文字|ギリシア文字]]を用いる。 *④ Id mihi duabus de causis instituisse videntur, **それは、私(カエサル)には、二つの理由で(ドルイドが)定めたことと思われる。 **:(訳注:これは、カエサルが自らを一人称で示している珍しい個所である。) *quod neque in vulgum disciplinam efferri velint **というのは、教えが一般大衆にもたらされることは欲していないし、 *neque eos, qui discunt, litteris confisos minus memoriae studere: **(教えを)学ぶ者が、文字を頼りにして、あまり暗記することに努めなくならないようにである。 [[画像:Dying_gaul.jpg|thumb|right|200px|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])]] *quod fere plerisque accidit, ut **というのも、ほとんど多くの場合に起こることには、 *praesidio litterarum diligentiam in perdiscendo ac memoriam remittant. **文字の助けによって、入念に猛勉強することや暗記することを放棄してしまうのである。 *⑤ In primis hoc volunt persuadere, **とりわけ、彼ら(ドルイド)が説くことを欲しているのは、 *non interire animas, sed ab aliis post mortem transire ad alios, **霊魂は滅びることがないのみならず、死後にある者から別のある者へ乗り移るということである。 **:(訳注:ガッリア人の[[w:輪廻転生|転生信仰]]は、[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]が伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。) *atque hoc maxime ad virtutem excitari putant metu mortis neglecto. **これによって(ガッリア人は)死の恐怖に無頓着になって最も武勇へ駆り立てられると(ドルイドは)思っている。 [[画像:Universum.jpg|thumb|right|200px|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。]] *Multa praeterea de sideribus atque eorum motu, **さらに多く、星々とその動きについて、 *de mundi ac terrarum magnitudine, de rerum natura, **天空と大地の大きさについて、物事の本質について、 *de deorum immortalium vi ac potestate **不死の神々の力と支配について、 *disputant et iuventuti tradunt. **研究して、青年たちに教示するのである。 <br> <br> *('''訳注:ドルイドについて''' :ケルト社会の神官・祭司・僧などとされるドルイドについては、おそらくは[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]、そしてカエサル、 :および[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410-p.411)</ref>、[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.341-p.342)</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>ポンポニウス・メラ『世界地理』(前掲、p.549)</ref>などのギリシア人・ローマ人の著述家たちがそれぞれ :書き残しているために同時代や現代に知られている。しかし、本節にもあるように、その秘密主義からか、 :古代ギリシア・ローマの著作にあるほかには、その詳細については不明である。) ===15節=== [[画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|thumb|right|200px|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。]] [[画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|thumb|right|200px|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)]] '''ガッリア人の騎士階級について''' *① Alterum genus est equitum. **(ドルイドと並ぶ)もう一つの階級は、[[w:騎士|騎士]]である。 *Hi, cum est usus atque aliquod bellum incidit **彼らは、必要とされ、かつ何らかの戦争が勃発したときには、 *─ quod fere ante Caesaris adventum quotannis accidere solebat, **─ それ(戦争)はカエサルの到来以前にはほとんど毎年のように起こるのが常であり、 *uti aut ipsi iniurias inferrent aut inlatas propulsarent ─, **自身が侵犯行為を引き起こすためか、あるいは引き起こされて撃退するためであったが、─ *omnes in bello versantur, **総勢が戦争に従事した。 *② atque eorum ut quisque est genere copiisque amplissimus, **さらに彼らは、高貴な生まれで財産が非常に大きければ大きいほど、 **:(訳注:ut quisque ~ ita;おのおのが~であればあるほどますます) *ita plurimos circum se ambactos clientesque habet. **自らの周囲に非常に多くの臣下や庇護民たちを侍らせる。 *Hanc unam gratiam potentiamque noverunt. **(騎士たちは)これが信望や権勢(を示すこと)の一つであると認識しているのである。 ===16節=== '''ガッリア人の信仰と生け贄、ウィッカーマン''' *① Natio est omnis Gallorum admodum dedita religionibus, **ガッリア人のすべての部族民は、まったく信仰行為に身を捧げている。 *② atque ob eam causam, **その理由のために、 *qui sunt adfecti gravioribus morbis **非常に重い病気を患った者たち *quique in proeliis periculisque versantur, **および戦闘において危険に苦しめられる者たちは、 *aut pro victimis homines immolant **あるいは<ruby><rb>[[w:生贄|生け贄]]</rb><rp>(</rp><rt>いけにえ</rt><rp>)</rp></ruby>の獣(犠牲獣)の代わりに人間を供えたり、 *aut se immolaturos vovent, **あるいは自らを犠牲にするつもりであると誓願し、 *administrisque ad ea sacrificia druidibus utuntur, **その<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を執り行う者として[[w:ドルイド|ドルイド]]を利用するのである。 *③ quod, pro vita hominis nisi hominis vita reddatur, **というのは(一人の)人間の生命のためには、(もう一人の)人間の生命が償われない限り、 *non posse deorum immortalium numen placari arbitrantur, **不死の神々の<ruby><rb>御霊</rb><rp>(</rp><rt>みたま</rt><rp>)</rp></ruby>がなだめられることができないと思われているからである。 *publiceque eiusdem generis habent instituta sacrificia. **同じような類いの供儀が公けに定められているのである。 [[画像:WickerManIllustration.jpg|thumb|right|310px|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた<ref>例えば『ケルト人─蘇るヨーロッパ<幻の民>』C.エリュエール著、鶴岡真弓監修、創元社、p.130の挿絵などを参照。</ref>。1973年にはイギリスで映画化され<ref>“[[w:en:The Wicker Man (1973 film)|The Wicker Man]]”はウィッカーマンを題材にした1973年のイギリスのカルト映画作品。</ref>、2006年にはアメリカなどでも映画化された<ref>“[[w:en:The Wicker Man (2006 film)|The Wicker Man]]”は上記作品をリメイクした2006年のアメリカ・カナダ・ドイツの映画作品。</ref>。]] [[画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|thumb|right|100px|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)]] '''ウィッカーマン''' *④ Alii immani magnitudine simulacra habent, **ある者たちは、恐ろしく大規模な像を持って、 *quorum contexta viminibus membra vivis hominibus complent; **その柳の枝で編み込まれた肢体を人間たちで満杯にして、 *quibus succensis **それらを燃やして、 *circumventi flamma exanimantur homines. **人々は炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。 *⑤ Supplicia eorum qui in furto aut in latrocinio **窃盗あるいは追い剥ぎに関わった者たちを処刑することにより、 *aut aliqua noxia sint comprehensi, **あるいは何らかの罪状により捕らわれた者たち(の処刑)により、 *gratiora dis immortalibus esse arbitrantur; **不死の神々に感謝されると思っている。 *sed, cum eius generis copia defecit, **しかしながら、その類いの量が欠けたときには、 *etiam ad innocentium supplicia descendunt. **潔白な者たちさえも犠牲にすることに頼るのである。 <br><br> :('''訳注''':このような'''[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]'''の供犠については[[w:ストラボン|ストラボン]]も伝えており<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.343)</ref>、 :[[w:人身御供|人身御供]]の種類の一つとして、干し草やたきぎで巨像を作り、その中へあらゆる :家畜・野生動物や人間たちを投げ込んで丸焼きにする習慣があったという。 : また、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410~p.411)</ref>やストラボンによれば、ドルイドはむしろ'''[[w:予言|予言者]]・[[w:占い|占い師]]''' :であるという。ドルイドが重要な問題について占うときには、供犠される人間の :腹または背中を剣などで刺して、犠牲者の倒れ方、肢体のけいれん、出血の様子 :などを観察して、将来の出来事を占うのだという。) ===17節=== '''ガッリアの神々(ローマ風解釈)''' *① Deum maxime [[w:la:Mercurius_(deus)|Mercurium]] colunt. **(ガッリア人は)神々のうちでとりわけ[[w:メルクリウス|メルクリウス]]を崇拝する。 **:(訳注:メルクリウスは[[w:ローマ神話|ローマ神話]]の神名であり、本節の神名はすべてローマ風解釈である。) *Huius sunt plurima simulacra: **彼の偶像が最も多い。 *hunc omnium inventorem artium ferunt, **(ガッリア人は)彼をすべての技芸の発明者であると言い伝えており、 *hunc viarum atque itinerum ducem, **彼を道および旅の案内者として、 *hunc ad quaestus pecuniae mercaturasque habere vim maximam arbitrantur. **彼が金銭の利得や商取引で絶大な力を持つと思われている。 [[画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。]] [[画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。]] *Post hunc [[w:la:Apollo|Apollinem]] et [[w:la:Minerva|Martem]] et [[w:la:Iuppiter|Iovem]] et [[w:la:Mars_(deus)|Minervam]]. **彼に続いて、[[w:アポローン|アポロ]]と[[w:マルス (ローマ神話)|マルス]]と[[w:ユーピテル|ユピテル]]と[[w:ミネルウァ|ミネルウァ]]を(ガッリア人は崇拝する)。 *② De his eandem fere, quam reliquae gentes, habent opinionem: **これら(の神々)について、ほかの種族とほぼ同じ見解を持っている。 *Apollinem morbos depellere, **アポロは病気を追い払い、 *Minervam operum atque artificiorum initia tradere, **ミネルウァは工芸や技術の初歩を教示し、 *Iovem imperium caelestium tenere, **ユピテルは天界の統治を司り、 *Martem bella regere. **マルスは戦争を支配する。 *③ Huic, cum proelio dimicare constituerunt, **彼(マルス)には、(ガッリア人が)戦闘で干戈を交えることを決心したときに、 *ea quae bello ceperint, plerumque devovent: **戦争で捕獲したものを、たいていは奉納するものである。 *cum superaverunt, animalia capta immolant **(戦闘で)打ち勝ったときには、捕獲された獣を生け贄に供えて、 *reliquasque res in unum locum conferunt. **残りの物を1か所に運び集める。 *④ Multis in civitatibus harum rerum ex(s)tructos tumulos locis consecratis conspicari licet; **多くの部族において、これらの物が積み上げられた塚を、神聖な地で見ることができる。 *⑤ neque saepe accidit, ut neglecta quispiam religione **何らかの者が信仰を軽視するようなことが、しばしば起こることはない。 *aut capta apud se occultare aut posita tollere auderet, **捕獲されたものを自分のもとに隠すこと、あるいは(塚に)置かれたものをあえて運び去ることは。 *gravissimumque ei rei supplicium cum cruciatu constitutum est. **そんな事には、拷問を伴う最も重い刑罰が決められている。 **:(訳注:最も重い刑罰とは、処刑であると思われる。) <br> :(訳注:'''ローマ風解釈について''' :ガッリアなどケルト文化の社会においては、非常に多くの神々が信仰されており、 :ケルト語による多くの神名が知られており、考古学的にも多くの神像が遺されている。 :しかしながら、これらの神々がどのような性格や権能を持っていたのか、詳しくは判っていない。 :ローマ人は、数多くのケルトの神々をローマ神話の神々の型に当てはめて解釈した。 :[[w:タキトゥス|タキトゥス]]はこれを「[[w:ローマ風解釈|ローマ風解釈]]」[[w:en:Interpretatio_Romana#Roman_version|Interpretatio Romana]] <ref>タキトゥス『ゲルマーニア』43章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XLIII|ラテン語原文]])を参照。</ref>と呼んでいる<ref>『ケルト事典』(前掲)「ローマ風解釈」の項を参照。</ref>。) ===18節=== [[画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。]] '''ガッリア人の時間や子供についての観念''' *① Galli se omnes ab Dite patre prognatos praedicant **ガッリア人は、自分たちは皆、ディス・パテルの末裔であると公言しており、 **:(訳注:ディス・パテル [[w:en:Dis_Pater|Dis Pater]] も前節と同様にローマ神話の神名である。) *idque ab druidibus proditum dicunt. **それは[[w:ドルイド|ドルイド]]たちにより伝えられたと言う。 ;時間の観念 *② Ob eam causam spatia omnis temporis non numero dierum, sed noctium finiunt; **その理由のために、すべての[[w:時間|時間]]の間隔を、[[w:昼|昼間]]の数ではなく、[[w:夜|夜間]](の数)で区切る。 *dies natales et mensum et annorum initia sic observant, ut noctem dies subsequatur. **誕生日も、月や年の初めも、夜間に昼間が続くように注意を払っている。 ;子供についての観念 *③ In reliquis vitae institutis hoc fere ab reliquis differunt, **人生のほかの風習において、以下の点でほかの者たち(種族)からほぼ異なっている。 *quod suos liberos, nisi cum adoleverunt, ut munus militiae sustinere possint, **自分の子供たちが、[[w:徴兵制度|兵役の義務]]を果たすことができるように成長したときでない限り、 *palam ad se adire non patiuntur **公然と自分のところへ近づくことは許されないし、 *filiumque puerili aetate in publico in conspectu patris adsistere turpe ducunt. **少年期の息子が公けに父親の見ているところでそばに立つことは恥ずべきと見なしている。 ===19節=== '''ガッリア人の婚姻と財産・葬儀の制度''' *① Viri, quantas pecunias ab uxoribus dotis nomine acceperunt, **夫は、妻から[[w:持参金|持参金]]の名目で受け取った金銭の分だけ、 *tantas ex suis bonis aestimatione facta cum dotibus communicant. **自分の財産のうちから見積もられた分を、持参金とともに一つにする。 *② Huius omnis pecuniae coniunctim ratio habetur fructusque servantur: **これらのすべての金銭は共同に算定が行なわれて、[[w:利子|利子]]が貯蓄される。 *uter eorum vita superarit, **彼ら2人のいずれかが、人生において生き残ったら、 *ad eum pars utriusque cum fructibus superiorum temporum pervenit. **双方の分がかつての期間の利子とともに(生き残った)その者(の所有)に帰する。 [[画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガッリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。]] *③ Viri in uxores, sicuti in liberos, vitae necisque habent potestatem; **夫は、妻において、子供におけるのと同様に、生かすも殺すも勝手である。 *et cum pater familiae inllustriore loco natus decessit, eius propinqui conveniunt **上流身分に生まれた家族の父親が死去したとき、彼の近縁の者たちが集まって、 *et de morte, si res in suspicionem venit, de uxoribus in servilem modum quaestionem habent, **死について、もし疑念が出来したならば、妻について、[[w:奴隷|奴隷]]におけるようなやり方で審問して、 *et si compertum est, igni atque omnibus tormentis excruciatas interficiunt. **もし(疑念が)確認されたならば、火やあらゆる責め道具によって[[w:拷問|拷問]]にかけて誅殺する。 *④ Funera sunt pro cultu Gallorum magnifica et sumptuosa; **[[w:葬儀|葬儀]]は、ガッリア人の生活習慣の割には派手でぜいたくなものである。 *omniaque quae vivis cordi fuisse arbitrantur in ignem inferunt, etiam animalia, **生前に大切であったと思われるもの一切合財を、獣でさえも、火の中に投げ入れる。 *ac paulo supra hanc memoriam servi et clientes, quos ab his dilectos esse constabat, **さらに、より以前のこの記憶では、彼ら(亡者)により寵愛されていたことが知られていた奴隷や庇護民をも、 *iustis funeribus confectis una cremabantur. **慣習による葬儀が成し遂げられたら、一緒に火葬されていたのである。 ===20節=== '''ガッリア部族国家の情報統制''' *① Quae civitates commodius suam rem publicam administrare existimantur, **より適切に自分たちの公儀(=国家体制)を治めると考えられているような部族は、 *habent legibus sanctum, **(以下のように)定められた法度を持つ。 *si quis quid de re publica a finitimis rumore aut fama acceperit, **もし、ある者が公儀に関して近隣の者たちから何らかの噂や風聞を受け取ったならば、 *uti ad magistratum deferat neve cum quo alio communicet, **官吏に報告して、他の者と伝え合ってはならないと。 *② quod saepe homines temerarios atque imperitos falsis rumoribus terreri **というのは、無分別で無知な人間たちはしばしば虚偽の噂に恐れて、 *et ad facinus impelli et de summis rebus consilium capere cognitum est. **罪業に駆り立てられ、重大な事態についての考えを企てると認識されているからである。 *③ Magistratus quae visa sunt occultant, **官吏は、(隠すことが)良いと思われることを隠して、 *quaeque esse ex usu iudicaverunt, multitudini produnt. **有益と判断していたことを、民衆に明らかにする。 *De re publica nisi per concilium loqui non conceditur. **公儀について、集会を通じてでない限り、語ることは認められていない。 ==ゲルマーニアの風習と自然について== ===21節=== '''ゲルマーニア人の信仰と性''' *① Germani multum ab hac consuetudine differunt. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人はこれに対し、風習が大いに異なっている。 *Nam neque druides habent, qui rebus divinis praesint, neque sacrificiis student. **すなわち、神事を司る[[w:ドルイド|ドルイド]]も持たないし、供犠に熱心でもない。 *② Deorum numero **神々に数えるものとして、 *eos solos ducunt, quos cernunt et quorum aperte opibus iuvantur, Solem et Vulcanum et Lunam, **(彼らが)見分けるものや明らかにその力で助けられるもの、[[w:太陽|太陽]]と[[w:ウォルカヌス|ウォルカヌス]](火の神)と[[w:月|月]]だけを信仰して、 *reliquos ne fama quidem acceperunt. **ほかのものは風聞によってさえも受け入れていない。 **:(訳注:これに対して、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]は、ゲルマーニア人はメルクリウスやマルスなどを信仰すると伝えている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』2章・9章を参照</ref>。) *③ Vita omnis in venationibus atque in studiis rei militaris consistit: **すべての人生は、[[w:狩猟|狩猟]]に、および[[w:軍事|軍事]]への執心に依拠しており、 *ab parvulis labori ac duritiae student. **幼時より労役や負担に努める。 *④ Qui diutissime impuberes permanserunt, maximam inter suos ferunt laudem: **最も長く純潔に留まった者は、自分たちの間で最大の賞賛を得る。 *hoc ali staturam, ali vires nervosque confirmari putant. **これによって、ある者には背の高さが、ある者には力と筋肉が強化されると、思っている。 *⑤ Intra annum vero vicesimum feminae notitiam habuisse in turpissimis habent rebus; **20歳にならない内に女を知ってしまうことは、とても恥ずべきことであると見なしている。 *cuius rei nulla est occultatio, **その(性の)事を何ら隠すことはない。 *quod et promiscue in fluminibus perluuntur **というのは、川の中で(男女が)混じって入浴しても、 *et pellibus aut parvis renonum tegimentis utuntur, magna corporis parte nuda. **なめし皮や、小さな毛皮の覆いを用いるが、体の大部分は裸なのである。 ===22節=== '''ゲルマーニア人の土地制度''' *① Agri culturae non student, **(ゲルマーニア人は)[[w:農耕|土地を耕すこと]]に熱心ではなく、 *maiorque pars eorum victus in lacte, caseo, carne consistit. **彼らの大部分は、生活の糧が[[w:乳|乳]]、[[w:チーズ|チーズ]]、[[w:肉|肉]]で成り立っている。 *② Neque quisquam agri modum certum aut fines habet proprios; **何者も、土地を確定した境界で、しかも持続的な領地として、持ってはいない。 *sed magistratus ac principes in annos singulos **けれども、官吏や領袖たちは、各年ごとに、 *gentibus cognationibusque hominum, quique una coierunt, **一緒に集住していた種族や血縁の人々に、 *quantum et quo loco visum est agri adtribuunt **適切と思われる土地の規模と場所を割り当てて、 *atque anno post alio transire cogunt. **翌年には他(の土地)へ移ることを強いるのである。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#1節|第4巻1節]]には、スエービー族の説明として同様の記述がある。) *③ Eius rei multas adferunt causas: **(官吏たちは)その事の多くの理由を説明する。 *ne adsidua consuetudine capti studium belli gerendi agricultura commutent; **(部族民が)[[w:居住|定住]]する習慣にとらわれて、戦争遂行の熱意を土地を耕すことに変えてしまわないように。 *ne latos fines parare studeant, potentioresque humiliores possessionibus expellant; **広大な領地を獲得することに熱心になって、有力者たちが弱者たちを地所から追い出さないように。 *ne accuratius ad frigora atque aestus vitandos aedificent; **寒さや暑さを避けるために(住居を)非常な入念さで建築することがないように。 *ne qua oriatur pecuniae cupiditas, qua ex re factiones dissensionesque nascuntur; **金銭への欲望が増して、その事から派閥や不和が生ずることのないように。 *ut animi aequitate plebem contineant, cum suas quisque opes cum potentissimis aequari videat. **おのおのが自分の財産も最有力者のも同列に置かれていると見ることで、心の平静により民衆を抑えるように。 <br> :(訳注:[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.510)</ref>や[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』23章・16章などを参照。26章では農耕についても解説されている。</ref>などの著述家たちも、ゲルマーニアの住民が農耕をせず、 :遊牧民のように移動しながら暮らし、小さな住居に住み、食料を家畜に頼っていると記述している。) ===23節=== '''ゲルマーニア諸部族のあり方''' *① Civitatibus maxima laus est **諸部族にとって、最も称賛されることは、 *quam latissime circum se vastatis finibus solitudines habere. **できる限り広く自分たちの周辺で領土を荒らして荒野に保っておくことである。 *② Hoc proprium virtutis existimant, **以下のことを(自分たちの)武勇の特質と考えている。 *expulsos agris finitimos cedere, **近隣の者たちが土地から追い払われて立ち去ること、 *neque quemquam prope {se} audere consistere; **および、何者も自分たちの近くにあえて定住しないこと、である。 *③ simul hoc se fore tutiores arbitrantur, repentinae incursionis timore sublato. **他方、これにより、予期せぬ襲撃の恐れを取り除いて、自分たちはより安全であろうと思われた。 *④ Cum bellum civitas aut inlatum defendit aut infert, **部族に戦争がしかけられて防戦したり、あるいはしかけたりしたときには、 *magistratus, qui ei bello praesint, ut vitae necisque habeant potestatem, deliguntur. **その戦争を指揮して、生かすも殺すも勝手な権力を持つ将官が選び出される。 *⑤ In pace nullus est communis magistratus, **平時においては、(部族に)共通の将官は誰もいないが、 *sed principes regionum atque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagorum]]</u> inter suos ius dicunt controversiasque minuunt. **地域や<u>郷</u>の領袖たちが、身内の間で判決を下して、訴訟ごとを減らす。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus"/>。)</span> *⑥ Latrocinia nullam habent infamiam, quae extra fines cuiusque civitatis fiunt, **それぞれの部族の領土の外で行なう略奪のことは、何ら恥辱とは見なしていない。 *atque ea iuventutis exercendae ac desidiae minuendae causa fieri praedicant. **さらに、それ(略奪)は、青年たちを訓練することや、怠惰を減らすことのために行なわれる、と公言している。 *⑦ Atque ubi quis ex principibus in concilio dixit **そして、領袖たちのうちのある者が(次のように)言うや否や、 *se ducem fore, qui sequi velint, profiteantur, **《自分が(略奪の)引率者となるから、追随したい者は申し出るように》と(言うや否や)、 *consurgunt ii qui et causam et hominem probant, suumque auxilium pollicentur **(略奪の)口実にも(引率する)人物にも賛同する者は立ち上がって、自らの支援を約束して、 *atque ab multitudine conlaudantur: **群衆から大いに誉められる。 *⑧ qui ex his secuti non sunt, **これら(約束した者)のうちで(略奪に)追随しない者は、 *in desertorum ac proditorum numero ducuntur, **逃亡兵や裏切り者と見なされて、 *omniumque his rerum postea fides derogatur. **その後は、彼らにとってあらゆる事の信頼が(皆から)拒まれる。 *⑨ Hospitem violare fas non putant; **客人に暴行することは道理に適うとは思ってはいない。 *qui quacumque de causa ad eos venerunt, **彼ら(ゲルマーニア人)のところへ理由があって来た者(=客人)は誰であれ、 *ab iniuria prohibent, sanctos habent, **無法行為から防ぎ、尊ぶべきであると思っている。 *hisque omnium domus patent victusque communicatur. **彼ら(客人)にとってすべての者の家は開放されており、生活用品は共有される。 **:(訳注:客人への接待ぶりについては、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』21章を参照。</ref>も伝えている。) ===24節=== [[画像:Celts.svg|thumb|right|200px|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。]] [[画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|thumb|right|200px|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。]] [[画像:Hallstatt_LaTene.png|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。]] '''ゲルマーニア人とガッリア人''' *① Ac fuit antea tempus, **かつてある時代があって、 *cum Germanos Galli virtute superarent, **そのとき、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人を[[w:ガリア|ガッリア]]人が武勇で優っており、 *ultro bella inferrent, propter hominum multitudinem agrique inopiam **人間の多さと土地の欠乏のために(ガッリア人は)自発的に戦争をしかけて、 *trans Rhenum colonias mitterent. **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側へ入植者たちを送り込んでいた。 *② Itaque ea quae fertilissima Germaniae sunt loca circum Hercyniam silvam, **[[w:ヘルキュニア|ヘルキュニア]]の森の周辺のゲルマーニアで最も肥沃な地を、 *quam Eratostheni et quibusdam Graecis fama notam esse video, **それを[[w:エラトステネス|エラトステネス]]や[[w:ギリシア人|ギリシア人]]のある者たちも風聞により知っていたと私は見出して、 *quam illi Orcyniam appellant, **それを彼らはオルキュニアと呼んでいるが、 *Volcae Tectosages occupaverunt atque ibi consederunt; **(その地を)ウォルカエ族系のテクトサゲス族が占領して、そこに定住していた。 *③ quae gens ad hoc tempus his sedibus sese continet **その種族は、この時代までこの居場所に留まっており、 *summamque habet iustitiae et bellicae laudis opinionem. **公正さと戦いの称賛で最高の評判を得ている。 *④ Nunc quod in eadem inopia, egestate, patientia qua Germani permanent, **今も、窮乏や貧困を、ゲルマーニア人が持ちこたえているのと同じ忍耐をもって、 *eodem victu et cultu corporis utuntur; **同じ食物および体の衣服を用いている。 *⑤ Gallis autem provinciarum propinquitas et transmarinarum rerum notitia **これに対して、ガッリア人にとって(ローマの)属州に近接していること、および海外のものを知っていることは、 *multa ad copiam atque usus largitur, **富や用品の多くが供給されている。 *paulatim adsuefacti superari multisque victi proeliis **(ガッリア人は)しだいに圧倒されることや多くの戦闘で打ち負かされることに慣らされて、 *ne se quidem ipsi cum illis virtute comparant. **(ガッリア人)自身でさえも彼ら(ゲルマーニア人)と武勇で肩を並べようとはしないのである。 <br> :('''訳注''':本節の①項については、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]が著書『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』28章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XXVIII|原文]])において、次のように言及している。 :''Validiores olim Gallorum res fuisse summus auctorum divus Iulius tradit; '' :かつてガッリア人の勢力がより強力であったことは、最高の証言者である神君ユリウス(・カエサル)も伝えている。 :''eoque credibile est etiam Gallos in Germaniam transgressos:'' :それゆえに、ガッリア人でさえもゲルマーニアに渡って行ったと信ずるに値するのである。) ===25節=== '''ヘルキュニアの森林地帯''' *① Huius Hercyniae silvae, quae supra demonstrata est, latitudo **前に述べたヘルキュニアの森の幅は、 *novem dierum iter expedito patet: **軽装の旅で9日間(かかるだけ)広がっている。 *non enim aliter finiri potest, **なぜなら(ゲルマーニア人は)他に境界を定めることができないし、 *neque mensuras itinerum noverunt. **道のりの測量というものを知っていないのである。 [[画像:FeldbergPanorama.jpg|thumb|center|1000px|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)]] *② Oritur ab Helvetiorum et Nemetum et Rauracorum finibus **(その森は)[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]とネメテス族とラウラキ族の領土から発しており、 **:(訳注:これはライン川東岸に沿って南北に長い現在の[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]のことである。) *rectaque fluminis [[w:la:Danubius|Danubii]] regione **ダヌビウス川に沿って真っ直ぐに(流れ)、 **:(訳注:ダヌビウス Danubius はダヌウィウス Danuvius とも呼ばれ、現在の[[w:ドナウ川|ドナウ川]]である。) *pertinet ad fines Dacorum et Anartium; **[[w:ダキア人|ダキ族]]やアナルテス族の領土へ至る。 **:(訳注:これは[[w:ダキア|ダキア]] [[w:la:Dacia|Dacia]] すなわち現在の[[w:ルーマニア|ルーマニア]]辺りの地域である。) *③ hinc se flectit sinistrorsus diversis ab flumine regionibus **ここ(ダヌビウス川)から(森は)左方へ向きを変えて、川の地域からそれて、 **:(訳注:川が南へ折れるのとは逆に、森は北へそれて[[w:エルツ山地|エルツ山地]]を通って[[w:カルパティア山脈|カルパティア山脈]]に至ると考えられている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳注、岩波文庫、p.131-132の注などを参照</ref>。) *multarumque gentium fines propter magnitudinem attingit; **(森の)大きさのために、多くの種族の領土に接しているのである。 *④ neque quisquam est huius Germaniae, qui se aut adisse ad initium eius silvae dicat, **その森の(東の)端緒へ訪れたと言う者は、こちら(西側)の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に属する者では誰もいないし、 *cum dierum iter LX processerit, **60日間の旅で進んでも(いないのであるが)、 *aut, quo ex loco oriatur, acceperit: **あるいは(森が)どの場所から生じているか把握した(者もいないのである)。 *⑤ multaque in ea genera ferarum nasci constat, quae reliquis in locis visa non sint; **それ(=森)の中には、ほかの地では見られない野獣の多くの種類が生息していることが知られている。 *ex quibus quae maxime differant ab ceteris et memoriae prodenda videantur, **それらのうちで、ほかの(地の)ものと大きく異なったものは、記録で伝えるべきものであり、 *haec sunt. **以下のものである。 ===26節=== [[画像:Rentier fws 1.jpg|thumb|right|200px|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。]] '''ヘルキュニアの野獣①''' *① Est [[w:la:Bos|bos]] [[w:la:Cervus|cervi]] figura, **雄[[w:シカ|鹿]]の姿形をした[[w:ウシ|牛]]がいる。 *cuius a media fronte inter aures unum [[w:la:Cornu|cornu]] existit **それの両耳の間の額の真ん中から一つの角が出ており、 *excelsius magisque derectum his, quae nobis nota sunt, cornibus; **我々(ローマ人)に知られている角よりも非常に高くて真っ直ぐである。 *ab eius summo sicut palmae ramique late diffunduntur. **その先端部から、手のひらや枝のように幅広く広がっている。 *Eadem est feminae marisque natura, **雌と雄の特徴は同じであり、 *eadem forma magnitudoque cornuum. **角の形や大きさも同じである。 <br> :('''訳注''':カエサルによる本節の記述は[[w:ユニコーン|ユニコーン]](一角獣)の伝説に :結び付けられている。しかし本節における発達した枝角の説明は、むしろ :[[w:トナカイ|トナカイ]]や[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]]のような獣を想起させる。) ===27節=== [[画像:Bigbullmoose.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。]] [[画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG 1824.JPG|thumb|right|250px|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。]] '''ヘルキュニアの野獣②''' *① Sunt item, quae appellantur [[w:la:Alces|alces]]. **アルケスと呼ばれるものもいる。 **:(訳注:アルケス alces とは[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](オオシカ)を指す単語であるが本節の説明と矛盾する。) *Harum est consimilis [[w:la:Capra|capris]] figura et varietas pellium, **これらの姿形や毛皮のまだらは雄[[w:ヤギ|山羊]]に似ている。 *sed magnitudine paulo antecedunt **が、(山羊を)大きさで少し優っており、 *mutilaeque sunt cornibus **角は欠けていて、 *et crura sine nodis articulisque habent. **脚部には関節の類いがない。 **:(訳注:nodus も articulus も関節の類いを意味する) *② Neque quietis causa procumbunt **休息のために横たわらないし、 *neque, si quo adflictae casu conciderunt, **もし何か不幸なことで偶然にも倒れたならば、 *erigere sese aut sublevare possunt. **自らを起こすことも立ち上げることもできない。 *③ His sunt arbores pro cubilibus; **これらにとって木々は寝床の代わりである。 *ad eas se adplicant **それら(の木々)へ自らを寄りかからせて、 *atque ita paulum modo reclinatae quietem capiunt. **こうして少しだけもたれかかって休息を取るのである。 *④ Quarum ex vestigiis **それらの足跡から *cum est animadversum a venatoribus, quo se recipere consuerint, **(鹿が)どこへ戻ることを常としているかを狩人によって気付かれたときには、 *omnes eo loco aut ab radicibus subruunt aut accidunt arbores, **その地のすべての木々を(狩人は)根から倒すか、あるいは傷つけて、 *tantum ut summa species earum stantium relinquatur. **それらの(木々の)いちばん(外側)の見かけが、立っているかのように残して置かれる。 *⑤ Huc cum se consuetudine reclinaverunt, **そこに(鹿が)習性によってもたれかかったとき、 *infirmas arbores pondere adfligunt atque una ipsae concidunt. **弱った木々を重みで倒してしまい、自身も一緒に倒れるのである。 ===28節=== [[画像:Wisent.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。]] [[画像:Muybridge Buffalo galloping.gif|thumb|right|200px|疾走するバイソン]] [[画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|thumb|right|200px|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。]] '''ヘルキュニアの野獣③''' *③ Tertium est genus eorum, qui uri appellantur. **第3のものは、野牛と呼ばれる種類である。 *Hi sunt magnitudine paulo infra [[w:la:Elephantidae|elephantos]], **これらは、大きさで少し[[w:ゾウ|象]]に劣るが、 *specie et colore et figura [[w:la:Taurus|tauri]]. **見かけと色と姿形は雄[[w:ウシ|牛]]である。 *② Magna vis eorum est et magna velocitas, **それらの力は大きく、(動きも)とても速く、 *neque homini neque ferae, quam conspexerunt, parcunt. **人間でも野獣でも、見かけたものには容赦しない。 *Hos studiose foveis captos interficiunt. **(ゲルマーニア人は)これらを熱心に落とし穴で捕らえたものとして殺す。 *③ Hoc se labore durant adulescentes **この労苦により青年たちを鍛え、 *atque hoc genere venationis exercent, **[[w:狩猟|狩猟]]のこの類いで鍛錬するのであり、 *et qui plurimos ex his interfecerunt, **これら(の野牛)のうちから最も多くを殺した者は、 *relatis in publicum [[w:la:Cornu|cornibus]], quae sint testimonio, **証拠になるための[[w:角|角]]を公の場に持参して、 *magnam ferunt laudem. **大きな賞賛を得るのである。 *④ Sed adsuescere ad homines et mansuefieri ne parvuli quidem excepti possunt. **けれども(野牛は)幼くして捕らえられてさえも、人間に慣れ親しんで飼い慣らされることはできない。 *⑤ Amplitudo cornuum et figura et species multum a nostrorum boum cornibus differt. **角の大きさや形や見かけは、我々(ローマ人)の牛の角とは大いに異なる。 *⑥ Haec studiose conquisita ab labris argento circumcludunt **これらは熱心に探し求められて、縁を[[w:銀|銀]]で囲って、 *atque in amplissimis epulis pro poculis utuntur. **とても贅沢な祝宴において[[w:盃|杯]]として用いられるのである。 ==対エブロネス族追討戦(1)== ===29節=== '''ゲルマーニアから撤兵、対アンビオリクス戦へ出発''' *① Caesar, postquam per Ubios exploratores comperit Suebos sese in silvas recepisse, **カエサルは、ウビイー族の偵察者たちを通じてスエービー族が森に撤退したことを確報を受けた後で、 **:(訳注:[[#10節|10節]]によれば、バケニス Bacenis の森。[[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について|既述]]のように、スエービー族とはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] と考えられる。) *inopiam frumenti veritus, **糧食の欠乏を恐れて、 *quod, ut supra demonstravimus, minime omnes Germani agri culturae student, **というのは、前に説明したように、ゲルマーニア人は皆が土地を耕すことに決して熱心でないので、 **:(訳注:[[#22節|22節]]を参照。耕地がなければ、ローマ軍は穀物の現地調達ができない。) *constituit non progredi longius; **より遠くへ前進しないことを決めた。 *② sed, ne omnino metum reditus sui barbaris tolleret **けれども、自分たち(ローマ軍)が戻って来る恐れを蛮族からまったく取り去ってしまわないように、 *atque ut eorum auxilia tardaret, **かつ、彼ら(ゲルマーニア人)の(ガッリア人への)支援を遅らせるように、 *reducto exercitu partem ultimam pontis, quae ripas Ubiorum contingebat, **ウビイー族側の岸(=レーヌス川東岸)につなげていた橋の最後の部分に軍隊を連れ戻して、 *in longitudinem pedum ducentorum rescindit **(橋を)長さ200[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約60m)切り裂いて、 *③ atque in extremo ponte turrim tabulatorum quattuor constituit **橋の先端のところに4層の櫓を建てて、 *praesidiumque cohortium duodecim pontis tuendi causa ponit **12個[[w:コホルス|歩兵大隊]]の守備隊を橋を防護するために配置して、 *magnisque eum locum munitionibus firmat. **その場所を大きな城砦で固めた。 *Ei loco praesidioque C.(Gaium) Volcacium Tullum adulescentem praeficit. **その場所と守備隊を青年ガイウス・ウォルカキウス・トゥッルスに指揮させた。 **:(訳注:元執政官 [[w:en:Lucius_Volcatius_Tullus_(consul_66_BC)|Lucius Volcatius Tullus]] に対して、青年 adulescentem と区別したのであろう。 **:ウォルカキウス Volcacium の綴りは、写本により相異する。) *④ Ipse, cum maturescere frumenta inciperent, **(カエサル)自身は、穀物が熟し始めたので、 *ad bellum [[w:la:Ambiorix|Ambiorigis]] profectus per Arduennam silvam, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]との戦争へ、アルドゥエンナの森を通って進発した。 **:(訳注:アルドゥエンナの森については、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]ですでに説明されている。) *quae est totius Galliae maxima **それ(=森)は全ガッリアで最も大きく、 *atque ab ripis Rheni finibusque Treverorum ad Nervios pertinet **レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の岸およびトレーウェリー族の境界から、[[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]](の領土)へ及んでおり、 *milibusque amplius quingentis in longitudinem patet, **長さは500ローママイル(=約740km)より大きく広がっている。 *L.(Lucium) Minucium Basilum cum omni equitatu praemittit, **ルキウス・ミヌキウス・バスィルスをすべての騎兵隊とともに先遣した。 *si quid celeritate itineris atque opportunitate temporis proficere possit; **行軍の迅速さと時間の有利さによって、何かを得られるかどうかということである。 *⑤ monet, ut ignes in castris fieri prohibeat, ne qua eius adventus procul significatio fiat: **野営において火を生じることを禁じるように、何事かにより遠くから彼の到来の予兆を生じないように、戒めた。 *sese confestim subsequi dicit. **(カエサル)自らは、ただちに後から続くと言った。 ===30節=== '''アンビオリクスがバスィリスのローマ騎兵から逃れる''' *① Basilus, ut imperatum est, facit. **バスィルスは、命令されたように、行なった。 *Celeriter contraque omnium opinionem confecto itinere **速やかに、かつ皆の予想に反して、行軍を成し遂げて、 *multos in agris inopinantes deprehendit: **(城市でない)土地にいた気付かないでいる多くの者を捕らえた。 *eorum indicio ad ipsum Ambiorigem contendit, quo in loco cum paucis equitibus esse dicebatur. **彼らの申し立てにより、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]その人がわずかな騎兵たちとともにいると言われていた場所に急いだ。 *② Multum cum in omnibus rebus, tum in re militari potest Fortuna. **あらゆる事柄においても、とりわけ軍事においても、運命(の女神)が大いに力がある。 *Nam magno accidit casu, **実際のところ、大きな偶然により生じたのは、 *ut in ipsum incautum etiam atque imparatum incideret, **(アンビオリクス)自身でさえも油断していて不用意なところに(バスィルスが)遭遇したが、 *priusque eius adventus ab omnibus videretur, quam fama ac nuntius adferretur: **彼の到来が(ガッリア勢の)皆により見られたのが、風聞や報告により知らされるよりも早かったのである。 *sic magnae fuit fortunae **同様に(アンビオリクスにとって)大きな幸運に属したのは、 *omni militari instrumento, quod circum se habebat, erepto, **自らの周りに持っていたすべての武具を奪われて、 *raedis equisque comprehensis **四輪馬車や馬を差し押さえられても、 *ipsum effugere mortem. **(アンビオリクス)自身は死を逃れたことである。 *③ Sed hoc quoque factum est, **しかし、以下のこともまた起こった。 *quod aedificio circumdato silva, **(アンビオリクスの)館が森で取り巻かれており、 *─ ut sunt fere domicilia Gallorum, qui vitandi aestus causa **─ ガッリア人の住居はほぼ、暑さを避けることのために、 *plerumque silvarum atque fluminum petunt propinquitates ─, **たいてい森や川の近接したところに求めるのであるが ─ *comites familiaresque eius angusto in loco paulisper equitum nostrorum vim sustinuerunt. **彼の従者や郎党どもが、狭い場所でしばらく、我が方(ローマ勢)の騎兵の力を持ちこたえたのだ。 *④ His pugnantibus illum in equum quidam ex suis intulit: **彼らが戦っているときに、彼(アンビオリクス)を配下のある者が馬に押し上げて、 *fugientem silvae texerunt. **逃げて行く者(アンビオリクス)を森が覆い隠した。 *Sic et ad subeundum periculum et ad vitandum multum Fortuna valuit. **このように(アンビオリクスが)危険に突き進んだことや避けられたことに対して、運命(の女神)が力をもったのである。 ===31節=== '''エブロネス族の退避、カトゥウォルクスの最期''' *① [[w:la:Ambiorix|Ambiorix]] copias suas iudicione non conduxerit, quod proelio dimicandum non existimarit, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]は、戦闘で争闘するべきとは考えていなかったので、自らの判断で軍勢を集めなかったのか、 *an tempore exclusus et repentino equitum adventu prohibitus, **あるいは、時間に阻まれ、予期せぬ[[w:騎兵|騎兵]]の到来に妨げられて、 *cum reliquum exercitum subsequi crederet, **(ローマ勢の)残りの軍隊(=軍団兵)が後続して来ることを信じたためなのか、 *dubium est. **不確かなことである。 *② Sed certe dimissis per agros nuntiis sibi quemque consulere iussit. **けれども、確かに領地を通じて伝令を四方に遣わして、おのおのに自らを助けることを命じた。 *Quorum pars in Arduennam silvam, pars in continentes paludes profugit; **それらの者たち(領民)のある一部はアルドゥエンナの森に、一部は絶え間ない沼地に退避した。 *③ qui proximi Oceano fuerunt, **<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>にとても近いところにいた者たちは、 *hi insulis sese occultaverunt, quas aestus efficere consuerunt: **[[w:潮汐|満潮]]が形成するのが常であった島々に身を隠した。 [[画像:Taxus baccata MHNT.jpg|thumb|right|300px|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。]] *④ multi ex suis finibus egressi **多くの者たちは、自分たちの領土から出て行って、 *se suaque omnia alienissimis crediderunt. **自分たちとその一切合財をまったく異邦の者たちに委ねた。 *⑤Catuvolcus, rex dimidiae partis Eburonum, **[[w:カトゥウォルクス|カトゥウォルクス]]は、[[w:エブロネス族|エブロネス族]]の半分の地方の王であり、 *qui una cum Ambiorige consilium inierat, **アンビオリクスと一緒に(カエサルに造反する)企てに取りかかった者であるが、 **:(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#26節|第5巻26節]]を参照。) *aetate iam confectus, cum laborem aut belli aut fugae ferre non posset, **もはや老衰していたので、戦争の労苦、あるいは逃亡の労苦に耐えることができなかったので、 **:(訳注:aetate confectus 老衰した) *omnibus precibus detestatus Ambiorigem, qui eius consilii auctor fuisset, **その企ての張本人であったアンビオリクスをあらゆる呪詛のことばで呪って、 *taxo, cuius magna in Gallia Germaniaque copia est, se exanimavit. **[[w:ガリア|ガッリア]]や[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に大量にあった[[w:イチイ属|イチイ]]によって、息絶えたのであった。 ===32節=== '''ゲルマーニア部族の弁明、アドゥアトゥカに輜重を集める''' *① Segni Condrusique, ex gente et numero Germanorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の種族や集団のうち、[[w:セグニ族|セグニ族]]と[[w:コンドルスィ族|コンドルスィ族]]は、 *qui sunt inter Eburones Treverosque, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]とトレーウェリー族の間にいたが、 *legatos ad Caesarem miserunt oratum, **カエサルのところへ嘆願するために使節たちを遣わした。 *ne se in hostium numero duceret **自分たちを敵として見なさないように、と。 *neve omnium Germanorum, qui essent citra Rhenum, unam esse causam iudicaret; **しかも、レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])のこちら側にいるゲルマーニア人すべての事情は1つであると裁断しないように、と。 *nihil se de bello cogitavisse, nulla Ambiorigi auxilia misisse. **自分たちは、戦争についてまったく考えたことはないし、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]に何ら援軍を派遣したことはない、と。 *② Caesar explorata re quaestione captivorum, **カエサルは捕虜を審問することによってその事を探り出すと、 *si qui ad eos Eburones ex fuga convenissent, **もし彼らのところへ逃亡しているエブロネス族の者たちの誰かが訪れたならば、 *ad se ut reducerentur, imperavit; **自分(カエサル)のところへ連れ戻されるようにと、命令した。 *si ita fecissent, fines eorum se violaturum negavit. **もしそのように行なったならば、彼らの領土を自分(カエサル)が侵害することはないであろうと主張した。 *③ Tum copiis in tres partes distributis **それから、軍勢を3方面に分散して、 *impedimenta omnium legionum Aduatucam contulit. **すべての軍団の[[w:輜重|輜重]]を[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に運び集めた。 **:(訳注:アドゥアトゥカ Aduatuca の表記は、写本によってはアトゥアトゥカ Atuatuca となっている。現在の[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]。) *④ Id castelli nomen est. **それは、城砦の名前である。 *Hoc fere est in mediis Eburonum finibus, **これは、エブロネス族の領土のほぼ真ん中にあり、 *ubi Titurius atque Aurunculeius hiemandi causa consederant. **そこには、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]と[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|アウルンクレイウス(・コッタ)]]が越冬するために陣取っていた。 *⑤ Hunc cum reliquis rebus locum probabat, **(カエサルは)この場所を、ほかの事柄によっても是認したし、 *tum quod superioris anni munitiones integrae manebant, ut militum laborem sublevaret. **またとりわけ前年の防備が損なわれずに存続していたので、兵士の労苦を軽減するためでもある。 *Praesidio impedimentis legionem quartamdecimam reliquit, **(全軍の)輜重の守備隊として第14軍団を(そこに)残した。 *unam ex his tribus, quas proxime conscriptas ex Italia traduxerat. **(それは)最近にイタリアから徴集されたものとして連れて来られた3個(軍団)のうちの1個である。 **:(訳注:[[#1節|1節]]を参照。イタリア Italia とはカエサルが総督であった[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。) *Ei legioni castrisque Q.(Quintum) Tullium Ciceronem praeficit ducentosque equites ei attribuit. **その[[w:ローマ軍団|軍団]]と陣営には[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]を指揮者として、200騎の騎兵を彼に割り当てた。 ===33節=== '''軍勢をカエサル、ラビエヌス、トレボニウスの三隊に分散''' *① Partito exercitu **軍隊を分配して、 *T.(Titum) Labienum cum legionibus tribus ad Oceanum versus **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]]には、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに、<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>の方へ向けて、 *in eas partes, quae Menapios attingunt, proficisci iubet; **[[w:メナピイ族|メナピイ族]]に接する地方に出発することを命じた。 *② C.(Gaium) Trebonium cum pari legionum numero **[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]には、軍団の同数とともに、 *ad eam regionem, quae Aduatucis adiacet, depopulandam mittit; **[[w:アドゥアトゥキ族|アドゥアトゥキ族]]に隣接する領域へ、荒らすために派遣した。 [[画像:Locatie-Maas-3.png|thumb|right|200px|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。]] [[画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|thumb|right|200px|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。]] *③ ipse cum reliquis tribus ad flumen [[w:la:Scaldis|Scaldim]], quod influit in [[w:la:Mosa|Mosam]], **(カエサル)自身は、残りの3個(軍団)とともに、モサ(川)に流れ込むスカルディス川のところへ、 **:(訳注:スカルディス Scaldis は現在の[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]] Schelde で、フランス北部からベルギー、オランダへ流れている。 **:モサ川 Mosa すなわち現在の[[w:マース川|マース川]] Maas とは運河でつながるが、当時の関係およびカエサルの目的地は不詳。) *extremasque Arduennae partes ire constituit, **かつ[[w:アルデンヌ|アルドゥエンナ]](の森林)の外縁の地方へ行軍することを決めた。 *quo cum paucis equitibus profectum Ambiorigem audiebat. **そこへは、アンビオリクスがわずかな騎兵たちとともに出発したと聞いていたのだ。 *④ Discedens post diem septimum sese reversurum confirmat; **(カエサルは陣営を)離れるに当たって、7日目の後(=6日後)に自分は引き返して来るであろうと断言した。 *quam ad diem ei legioni, quae in praesidio relinquebatur, deberi frumentum sciebat. **その当日には、守備に残される軍団にとって糧食が必要とされることを(カエサルは)知っていたのだ。 *⑤ Labienum Treboniumque hortatur, **(カエサルは)ラビエヌスとトレボニウスを(以下のように)鼓舞した。 *si rei publicae commodo facere possint, **もし(ローマ軍全体の)公務のために都合良く行動することができるならば、 *ad eum diem revertantur, **その日には戻って、 *ut rursus communicato consilio exploratisque hostium rationibus **再び(互いの)考えを伝達して、敵たちの作戦を探り出し、 *aliud initium belli capere possint. **次なる戦争の端緒を捉えようではないか、と。 <br> :('''訳注:カエサル麾下の軍団配分について''' :[[ガリア戦記 第5巻#8節|第5巻8節]]の記述によれば、ブリタンニアへ2度目の遠征をする前(BC54年)のカエサルは少なくとも8個軍団と騎兵4000騎を :指揮していた。[[ガリア戦記 第5巻#24節|第5巻24節]]によれば、帰還後は8個軍団および軍団から離れた5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を指揮していたが、 :アンビオリクスによる[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]らとともに1個軍団と5個大隊が壊滅したので、残りは7個軍団となる。 :[[#1節|本巻1節]]によれば、この年(BC53年)には3個軍団を新たに徴集したので、計10個軍団となったはずである。 :[[#29節|29節]]では、このうちから12個大隊をライン川に架かる橋の守備に残し、[[#32節|32節]]では輜重の守備としてアドゥアトゥカに1個軍団を残した。 :本節の記述通りにラビエヌス、トレボニウス、カエサルがそれぞれ3個軍団(計9個)を受け持ったとすると、あわせて10個軍団と12個大隊という勘定になる。 :したがって、この勘定が正しいのであれば、ライン川に残した12個大隊は各軍団から引き抜いたものであり、各軍団は定員を割っていると考えられる。) ===34節=== '''夷を以って夷を制す対エブロネス族包囲網''' *① Erat, ut supra demonstravimus, manus certa nulla, **前に説明したように、(エブロネス族には)決まった手勢がなかったし、 **:(訳注:[[#31節|31節]]を参照。) *non oppidum, non praesidium, quod se armis defenderet, **自分たちが武器で防衛するような[[w:オッピドゥム|城市]]も、防塁もなかった。 *sed in omnes partes dispersa multitudo. **けれども、あらゆる方面に大勢が分散されていた。 *② Ubi cuique aut valles abdita aut locus silvestris aut palus impedita **おのおのが、密かな峡谷、あるいは森に覆われた土地といったところに、 *spem praesidi aut salutis aliquam offerebat, consederat. **守備あるいは身の安全の何らかの希望を提供するところに、陣取っていた。 *③ Haec loca vicinitatibus erant nota, **これらの場所は、近隣の者たちは知っていたので、 **:(訳注:すなわち、近隣のガッリア人には地の利があり、ローマ人には地の利がなかったので) *magnamque res diligentiam requirebat **事態はたいへんな注意深さを必要としていた。 *non in summa exercitus tuenda **(ローマ人の)軍隊全体を守るためではなく、 *─ nullum enim poterat universis &lt;a&gt; perterritis ac dispersis periculum accidere ─, **─なぜなら、脅かされ分散されている者たちにより(ローマ軍)総勢が危険を生じることはありえなかったので─ *sed in singulis militibus conservandis; **けれども、個々の(ローマ人の)兵士たちを守ることのために(注意深さを必要としていた)。 *quae tamen ex parte res ad salutem exercitus pertinebat. **少なくとも、ある面では、そういう事態は軍隊の安全に及んでいた。 *④ Nam et praedae cupiditas multos longius evocabat, **すなわち、略奪品への欲望が多くの者たちをより遠くへ呼び寄せていたし、 *et silvae incertis occultisque itineribus confertos adire prohibebant. **森林の不確かで隠された道のりによって密集した行軍を妨げていた。 *⑤ Si negotium confici stirpemque hominum sceleratorum interfici vellent, **もし、戦役が完遂されること、および非道な連中(=エブロネス族)の血筋が滅ぼされることを欲するならば、 *dimittendae plures manus diducendique erant milites; **いくつもの部隊が分遣され、兵士たちが展開されるべきである。 *⑥ si continere ad signa manipulos vellent, ut instituta ratio et consuetudo exercitus Romani postulabat, **もし、ローマ軍が決められた流儀や慣行を要求するように、[[w:マニプルス|中隊]]が軍旗のもとにとどまることを欲するならば、 *locus ipse erat praesidio barbaris, **その場所が蛮族にとって守りとなるであろう。 *neque ex occulto insidiandi et dispersos circumveniendi **隠れたところから待ち伏せするため、分散した者たち(=ローマ兵)を包囲するために、 *singulis deerat audacia. **(エブロネス族の)おのおのにとって勇敢さには事欠かなかった。 *⑦ Ut in eiusmodi difficultatibus, quantum diligentia provideri poterat providebatur, **そのような困難さにおいては、できるかぎりの注意深さで用心されるほどに、用心されるものであるが、 *ut potius in nocendo aliquid praetermitteretur, **結果として、むしろ(敵勢への)何らかの加害は差し控えられることになった。 *etsi omnium animi ad ulciscendum ardebant, **たとえ、皆の心が(エブロネス族に)報復するために燃え立っていたとしても、 *quam cum aliquo militum detrimento noceretur. **兵士たちの何らかの損失を伴って(敵に)加害がなされるよりも。 **:(訳注:伏兵によって被害をこうむるよりは、ローマ人の安全のために、ローマ兵による攻撃は避けられた。) *⑧ Dimittit ad finitimas civitates nuntios Caesar; **カエサルは、近隣の諸部族のところへ伝令たちを分遣した。 *omnes ad se vocat spe praedae ad diripiendos Eburones, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]に対して戦利品を略奪することの望みを呼びかけた。 *ut potius in silvis Gallorum vita quam legionarius miles periclitetur, **森の中で、軍団の兵士たちよりも、むしろガッリア人たちの生命が危険にさらされるように、 *simul ut magna multitudine circumfusa **同時にまた、たいへんな大勢で取り囲むことによって、 *pro tali facinore stirps ac nomen civitatis tollatur. **(サビヌスらを滅ぼした)あれほどの罪業の報いとして、部族の血筋と名前が抹殺されるように、と。 *Magnus undique numerus celeriter convenit. **至る所から多数の者が速やかに集結した。 ==スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦== ===35節=== '''スガンブリー族が略奪に駆り立てられてアドゥアトゥカへ向かう''' *① Haec in omnibus Eburonum partibus gerebantur, **これらのこと(=追討戦)が[[w:エブロネス族|エブロネス族]]のすべての地方で遂行されていたが、 *diesque adpetebat septimus, quem ad diem Caesar ad impedimenta legionemque reverti constituerat. **カエサルがその日に[[w:輜重|輜重]]と(キケロの)[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ引き返すと決めていた7日目が近づいていた。 *② Hic quantum in bello Fortuna possit et quantos adferat casus, cognosci potuit. **ここに、戦争では運命(の女神)がどれほどのことに力を持ち、どれほどの結末を引き起こすかを知ることができた。 **:(訳注:[[#30節|30節]]でもそうだが、カエサルは戦況が芳しくないと運命 Fortuna を持ち出すようである。[[#42節|42節]]も参照。) *③ Dissipatis ac perterritis hostibus, ut demonstravimus, **(前節で)説明したように、追い散らされて、脅かされている敵たちには、 *manus erat nulla quae parvam modo causam timoris adferret. **(ローマ勢に敵を)恐れる理由を少しの程度も引き起こすようないかなる手勢もなかった。 *④ Trans Rhenum ad Germanos **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人のところへ、 *pervenit fama, diripi Eburones atque ultro omnes ad praedam evocari. **エブロネス族が収奪され、(近隣部族の)皆が略奪品へ向けて自発的に誘惑されているという風評が達した。 *⑤ Cogunt equitum duo milia Sugambri, qui sunt proximi Rheno, **レーヌスの近隣にいたスガンブリ族は、騎兵2000騎を徴集した。 *a quibus receptos ex fuga Tenctheros atque Usipetes supra docuimus. **前に説明したように、彼らによって[[w:テンクテリ族|テンクテリ族]]と[[w:ウスィペテス族|ウスィペテス族]]が逃亡から迎え入れられたのだ。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]および[[ガリア戦記 第4巻#18節|18~19節]]を参照。) *⑥ Transeunt Rhenum navibus ratibusque **(スガンブリー族は)レーヌスを船団や筏で渡河した。 *triginta milibus passuum infra eum locum, ubi pons erat perfectus praesidiumque ab Caesare relictum. **カエサルにより橋が造り上げられて守備隊が残された地点よりも下流に30ローママイル(約44km)のところを。 *Primos Eburonum fines adeunt; **手始めとしてエブロネス族の領土に殺到して、 *multos ex fuga dispersos excipiunt, **逃亡からちりぢりにさせられた多くの者たちを追い捕らえて、 *magno pecoris numero, cuius sunt cupidissimi barbari, potiuntur. **蛮族たちが最も熱望している家畜の多数をわがものにした。 *⑦ Invitati praeda longius procedunt. **(スガンブリー族の軍勢は)略奪品に誘われて、より遠くに進み出た。 *Non hos palus ─ in bello latrociniisque natos ─, non silvae morantur. **戦争や追いはぎに生まれついていたので、沼地も森林も彼らを妨げることがなかった。 *Quibus in locis sit Caesar, ex captivis quaerunt; **カエサルがどの場所にいるのか、捕虜から問い質した。 *profectum longius reperiunt omnemque exercitum discessisse cognoscunt. **(彼が)より遠くに旅立って、軍隊の総勢が立ち去ったことを、知った。 *⑧ Atque unus ex captivis "Quid vos," inquit, **なおかつ、捕虜たちのうちの一人が「なぜ、あんたたちは」と言い出した。 *"hanc miseram ac tenuem sectamini praedam, **「この取るに足らない、ちっぽけな略奪品を追い求めるのか。 **:(訳注:sectamini はデポネンティア動詞 sector の直説法・2人称複数・現在形) *quibus licet iam esse fortunatissimos? **(あんたたちは)今や、最も富裕な者に成り得るのに。 *⑨ Tribus horis Aduatucam venire potestis: **(この場所から)3時間で[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に到達できる。 **:(訳注:古代ローマの時間は、不定時法であり、当地の緯度や季節により長さは異なる。) *huc omnes suas fortunas exercitus Romanorum contulit; **ここへ、ローマ軍がすべての財産を運び集めたのだ。 *praesidii tantum est, ut ne murus quidem cingi possit, **守備隊は、城壁が取り巻かれることさえできないほどの(貧弱な)ものでしかない。 *neque quisquam egredi extra munitiones audeat." **何者も防備の外側へあえて出て行こうとはしないのだ。」 *⑩ Oblata spe Germani, **ゲルマーニア人たちは(ローマ軍の財産という)望みを提示されて、 *quam nacti erant praedam, in occulto relinquunt; **(すでにエブロネス族の者たちから)獲得していた略奪品を秘されたところに残しておいて、 *ipsi Aduatucam contendunt usi eodem duce, cuius haec indicio cognoverant. **自身は、このことを申告により知ったところの同じ(捕虜の)案内人を使役して、アドゥアトゥカに急いだ。 <br> :('''訳注:部族名・地名の表記について''' :スガンブリー族 Sugambri:α系写本では Sugambri、T・U写本では Sygambri、V・R写本では Sigambri :テンクテリ族 Tenctheri:β系写本では Tenctheri、α系写本では Thenctheri :アドゥアトゥカ Aduatuca:α系・T写本では Aduatuca、V・ρ系写本では Atuatuca) ===36節=== '''アドゥアトゥカのキケロが糧秣徴発に派兵する''' *① [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|Cicero]], qui omnes superiores dies **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は(期日の7日目)より以前の日々すべてを *praeceptis Caesaris cum summa diligentia milites in castris continuisset **カエサルの指図により、最高の入念さとともに、兵士たちを陣営の中に留めておき、 *ac ne calonem quidem quemquam extra munitionem egredi passus esset, **<ruby><rb>[[w:カロネス|軍属奴隷]]</rb><rp>(</rp><rt>カロネス</rt><rp>)</rp></ruby> でさえも、何者も防備の外側に出て行くことを許されなかった。 *septimo die diffidens de numero dierum Caesarem fidem servaturum, **(期日の)7日目に、カエサルが日数についての約束を守るであろうか、という不信を抱いた。 *quod longius eum<ref>eum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> progressum audiebat, **というのは、彼(カエサル)は、はるか遠くに前進したと聞いていたのだし、 *neque ulla de reditu eius fama adferebatur, **彼の帰還については何ら伝言を届けられていなかったからである。 *② simul eorum permotus vocibus, **同時に(キケロは)以下のような者たちの声に揺り動かされた。 *qui illius patientiam paene obsessionem appellabant, siquidem ex castris egredi non liceret, **もし本当に陣営から出て行くことが許されないならば、彼の忍耐はほぼ攻囲(籠城)であるというのだ。 *nullum eiusmodi casum exspectans, **以下のような事態を予期してもいなかった。 *quo novem oppositis legionibus maximoque equitatu, **9個[[w:ローマ軍団|軍団]]と最大限の[[w:騎兵|騎兵]]隊が(敵と)対峙して、 *dispersis ac paene deletis hostibus **敵たちは散らばらされて、ほとんど抹殺されたのに、 *in milibus passuum tribus offendi posset, **(自陣から)3ローママイルの内で(敵対勢力から)襲撃され得るとは。 [[画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|thumb|right|200px|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。]] *quinque cohortes frumentatum in proximas segetes mittit, **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を糧秣徴発するために、近隣の耕地に派遣した。 *quas inter et castra unus omnino collis intererat. **それら(の耕地)と陣営の間には、ただ一つの丘陵が介在するだけであった。 *③ Complures erant in castris<ref>in castris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ex legionibus aegri relicti; **陣営の中には、諸軍団のうちから少なからぬ傷病者たちが残留していた。 *ex quibus qui hoc spatio dierum convaluerant, circiter trecenti(CCC), **その者たちのうちから、この日々の間に回復していた約300名が、 *sub vexillo una mittuntur; **<ruby><rb>[[w:ウェクスィッルム|軍旗]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェクスィッルム</rt><rp>)</rp></ruby>のもとで一緒に派遣された。 *magna praeterea multitudo calonum, magna vis iumentorum quae in castris subsederant, **そのうえに、軍属奴隷の大多数、陣営の中に残留していた(ロバなどの)役畜の多数が、 *facta potestate sequitur. **機会を与えられて、随行した。 ===37節=== [[画像:Castra1.png|thumb|right|200px|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。]] '''スガンブリー族がキケロの陣営に襲来''' *① Hoc ipso tempore et casu Germani equites interveniunt **このまさにその時と状況に、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の[[w:騎兵|騎兵]]たちが出現して、 *protinusque eodem illo, quo venerant, cursu **さらに前方へ(彼らが)やって来たのと同じ突進でもって、 *ab decumana porta in castra inrumpere conantur, **第10大隊の門(=裏門)から陣営の中に突入することを試みた。 **:(訳注:decumana porta は[[ガリア戦記 第2巻#24節|第2巻24節]]で既出、図を参照。) *② nec prius sunt visi obiectis ab ea parte silvis, quam [[wikt:la:castrum|castris]] adpropinquarent, **その方面については森林がじゃま立てしていたので(彼らは)陣営に接近するまでは視認されなかったのだ。 *usque eo ut qui sub [[w:la:Vallum|vallo]] tenderent mercatores, recipiendi sui facultatem non haberent. **そこまで(敵が急に来たので)、防柵の下に宿営していた商人たちが退避する機会を持たなかったほどであった。 *③ Inopinantes nostri re nova perturbantur, **予感していなかった我が方は、新しい事態に混乱させられて、 *ac vix primum impetum cohors in statione sustinet. **やっとのことで[[w:歩哨|歩哨]]に就いていた[[w:コホルス|歩兵大隊]]が(敵の)最初の突撃を持ちこたえた。 *④ Circumfunduntur ex reliquis hostes partibus, si quem aditum reperire possent. **敵たちは、何らかの入口を探り出せないかと、ほかの方面から取り囲んだ。 *⑤ Aegre portas nostri tuentur; **我が方(=ローマ勢)は辛うじて(四方の)諸門を固守して、 *reliquos aditus locus ipse per se munitioque defendit. **ほかの入口を、その位置そのものと防備が(敵の突入から)防護した。 *⑥ Totis trepidatur castris, **陣営の全体が震撼させられて、 *atque alius ex alio causam tumultus quaerit; **各人がほかの者に騒乱の原因を尋ね合った。 **:(訳注:エブロネス族を追討している最中に、スガンブリー族が来襲するとは予想だにしなかったからである。) *neque quo signa ferantur, neque quam in partem quisque conveniat provident. **が、どこへ軍旗が運ばれるのか、どの方面におのおのが集結するのか、判らなかった。 *⑦ Alius iam castra capta pronuntiat, **ある者は、すでに陣営は占拠されたと公言し、 *alius deleto exercitu atque imperatore victores barbaros venisse contendit; **別のある者は、軍隊も将軍(カエサル)も滅びて蛮族が勝利者としてやって来たのだ、と断言した。 *⑧ plerique novas sibi ex loco religiones fingunt **たいていの者たちは、その場所から、新奇な迷信的感情を創り上げ、 *Cottaeque et Tituri calamitatem, qui in eodem occiderint castello, **同じ砦のところで斃れた[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|コッタ]]と[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]の敗亡を *ante oculos ponunt. **眼前に想い描いた。 *⑨ Tali timore omnibus perterritis **このような怖れによって(陣営内部の)皆が脅えており、 *confirmatur opinio barbaris, ut ex captivo audierant, nullum esse intus praesidium. **蛮族にとっては、捕虜から聞いていたように、内部に守備隊が存在していないという見解が強められた。 *⑩ Perrumpere nituntur **(スガンブリー勢は、陣営の防備を)突破することに努め、 *seque ipsi adhortantur, ne tantam fortunam ex manibus dimittant. **これほどの幸運を手から取りこぼさないように、自分たちが自身を鼓舞した。 ===38節=== '''バクルスと百人隊長たちが防戦する''' *① Erat aeger cum<ref>cum はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> praesidio relictus P.(Publius) Sextius Baculus, **(キケロの陣営には)プーブリウス・セクスティウス・バクルスが傷病者として、守備兵とともに残されていた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span> *qui primum pilum ad<ref>ad はα系写本の記述で、β系写本では apud となっている。</ref> Caesarem duxerat, **その者はカエサルのもとで<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリムス・ピルス</rt><rp>)</rp></ruby> の座に就いていたことがあり、 *cuius mentionem superioribus proeliis fecimus, **かつての戦闘で彼に言及したが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]] および [[ガリア戦記 第3巻#5節|第3巻5節]]を参照。)</span> *ac diem iam quintum cibo caruerat. **(このとき)食物を欠いてすでに5日目であった。 *② Hic diffisus suae atque omnium saluti inermis ex tabernaculo prodit; **彼は、自らと皆の身の安全に疑念を抱いて、非武装のまま天幕小屋から出て来て、 *videt imminere hostes atque in summo esse rem discrimine; **敵たちが迫って来ていること、および事態が重大な危急にあることを目の当たりにして、 *capit arma a proximis atque in porta consistit. **すぐ近くの者から武器を取って、門のところに陣取った。 *③ Consequuntur hunc centuriones eius cohortis quae in statione erat; **歩哨に立っていた(1個)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> たちが彼に追随して、 **:(訳注:1個歩兵大隊の百人隊長は、定員通りであれば、6名いた。) *paulisper una proelium sustinent. **しばらく一緒に戦闘を持ちこたえた。 *④ Relinquit animus Sextium gravibus acceptis vulneribus; **セクスティウス(・バクルス)は重い傷を受けて、気を失った。 *Deficiens<ref>deficiens はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aegre per manus tractus servatur. **(彼は)衰弱して、(味方の)手から手に運ばれて辛うじて救助された。 *⑤ Hoc spatio interposito reliqui sese confirmant **こうしてしばらくした後で、ほかの者たちは意を強くした。 *tantum, ut in munitionibus consistere audeant speciemque defensorum praebeant. **(それは)防壁にあえて陣取って、防戦者たちの姿を示したほどであった。 ===39節=== '''スガンブリー族が糧秣徴発部隊をも襲う''' *① Interim confecta frumentatione milites nostri clamorem exaudiunt; **その間に、糧秣徴発を成し遂げると、我が方の兵士たち(=ローマ軍団兵)は叫び声を聞きつけて、 *praecurrunt equites; **[[w:騎兵|騎兵]]たちが先駆けして、 *quanto res sit in periculo cognoscunt. **事態がどれほどの危険にあるかを認識した。 *② Hic vero nulla munitio est quae perterritos recipiat; **そこには、まさに、脅え上がった者たちを受け入れるような、いかなる防備もなかったのである。 *modo conscripti atque usus militaris imperiti **やっと徴集されたばかりの者たち、なおかつ兵役の経験に通じていない者たちは、 *ad tribunum militum centurionesque ora convertunt; **<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちの方へ顔を向けた。 *quid ab his praecipiatur exspectant. **彼ら(上官たち)によって何を指図されるか、待っていたのである。 *③ Nemo est tam fortis, quin rei novitate perturbetur. **新奇な事態に不安にさせられないほど勇敢な者は、誰もいなかった。 *④ Barbari signa procul conspicati oppugnatione desistunt, **蛮族たちは、(糧秣徴発隊の)軍旗を遠くから視認すると、(陣営への)攻囲を停止した。 *redisse primo legiones credunt, quas longius discessisse ex captivis cognoverant; **(彼らは)当初は、より遠くに立ち去ったことを捕虜から知っていた(ローマの)諸軍団が戻って来たと思ったが、 *postea despecta paucitate ex omnibus partibus impetum faciunt. **後には、(糧秣徴発隊の)寡勢ぶりを侮って、あらゆる方向から突撃して来た。 ===40節=== '''敵中突破して陣営へ戻る糧秣徴発部隊の明暗''' *① Calones in proximum tumulum procurrunt. **[[w:カロネス|軍属奴隷]]たちは、近隣の丘に先駆けした。 *Hinc celeriter deiecti **(彼らは)ここから、(突撃して来る敵の軍勢を眺めて)たちまち当てが外れて、 *se in signa manipulosque coniciunt; **(後方にいた)軍旗と[[w:マニプルス|歩兵中隊]]のところに身を投じた。 *eo magis timidos perterrent milites. **それゆえに、臆病な兵士たちを大いに脅かした。 [[画像:Wedge-diagram.svg|thumb|right|200px|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。]] *② Alii cuneo facto ut celeriter perrumpant, censent **(ローマ兵の)ある者たちは、速やかに(敵中を)突破するように、<ruby><rb>[[w:くさび|楔形]]</rb><rp>(</rp><rt>くさびがた</rt><rp>)</rp></ruby>隊列を形成しようと考慮した。 *─ quoniam tam propinqua sint castra, **─ 陣営がこれほどまで近隣にあるので、 *etsi pars aliqua circumventa ceciderit, at reliquos servari posse confidunt ─, **たとえ、一部の誰かが包囲されて斃れたとしても、残りの者たちは救われることが可能だと確信したのだ ─。 *③ alii ut in iugo consistant atque eundem omnes ferant casum. **別のある者たちは、(丘の)尾根に陣取って、皆が同じ命運に耐え忍ぼうと(考えた)。 *④ Hoc veteres non probant milites, quos sub vexillo una profectos docuimus. **既述したように軍旗のもとで一緒に発って来た古参兵たちは、後者(の案)を承認しなかった。 **:(訳注:[[#36節|36節]]③項で既述のように、回復した傷病兵たちが同行してきていた。) *Itaque inter se cohortati **こうして、(古参の傷病兵たちは)互いに激励し合って、 *duce C.(Gaio) Trebonio equite Romano, qui iis erat praepositus, **彼らの指揮を委ねられていたローマ人[[w:騎士|騎士階級]]のガイウス・トレボニウスを統率者として、 **:(訳注:[[#33節|33節]]で3個軍団を率いて出発した副官の[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]とは明らかに同名の別人である。) *per medios hostes perrumpunt incolumesque ad unum omnes in castra perveniunt. **敵たちの中央を突破して、一人に至るまで皆が無傷で陣営に到着した。 *⑤ Hos subsecuti calones equitesque eodem impetu militum virtute servantur. **彼らに追随して、軍属奴隷と[[w:騎兵|騎兵]]たちが同様の突撃をして、兵士たちの武勇により救われた。 *⑥ At ii qui in iugo constiterant, **それに対して(丘の)尾根に陣取った者たちは、 *nullo etiam nunc usu rei militaris percepto **今になってさえも、軍事的行動というものを把握しておらず、 *neque in eo quod probaverant consilio permanere, ut se loco superiore defenderent, **より高い場所で身を守るという、彼らが承認していた考えに留まりもせず、 *neque eam quam prodesse aliis vim celeritatemque viderant, imitari potuerunt, **(彼らが)別の者たち(=古参兵)に役立ったのを見ていたところの力と迅速さを真似することもできなかった。 *sed se in castra recipere conati iniquum in locum demiserunt. **けれども、陣営に退却することを試みたが、不利な場所に落ち込んで行った。 *⑦ Centuriones, quorum nonnulli ex inferioribus ordinibus reliquarum legionum **[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]たちといえば、彼らの少なからぬ者たちは、ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]のより低い序列から、 *virtutis causa in superiores erant ordines huius legionis traducti, **武勇のおかげで、この軍団のより高い序列に異動させられていたが、 *ne ante partam rei militaris laudem amitterent, fortissime pugnantes conciderunt. **かつて獲得した軍事的な賞賛を失わないように、とても果敢に奮戦して斃れた。 *⑧ Militum pars horum virtute **兵士たちの一部は、これら(討ち死にした百人隊長たち)の武勇により、 *submotis hostibus praeter spem incolumis in castra pervenit, **予想に反して敵たちが撃退されたので、無傷で陣営に到着した。 *pars a barbaris circumventa periit. **別の一部は、蛮族によって包囲されて、討ち死にした。 ===41節=== '''スガンブリー族の撤退、カエサルの帰還''' *① Germani desperata expugnatione castrorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちは(キケロの)[[w:カストラ|陣営]]の攻略に絶望して、 *quod nostros iam constitisse in munitionibus videbant, **というのは、我が方(ローマ勢)が防備のところに立っているのを見たからであるが、 *cum ea praeda quam in silvis deposuerant, trans Rhenum sese receperunt. **森の中にしまい込んでいた略奪品とともに、レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側に撤退した。 *② Ac tantus fuit etiam post discessum hostium terror, **敵たちの立ち去った後でさえ(ローマ勢の)畏怖はたいへんなものであったので、 *ut ea nocte, cum C.(Gaius) Volusenus missus cum equitatu ad castra venisset, **その夜に、(追討戦に)派遣されていたガーイウス・ウォルセーヌスが騎兵隊とともに陣営へ帰着したときに **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' は、[[ガリア戦記_第3巻#5節|第3巻5節]]のアルプス・オクトードゥールスの戦い、<br>    [[ガリア戦記_第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記_第4巻#23節|23節]]のブリタンニアへの先遣で既述。<br>    この後、さらに第8巻23節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#23|s]])</sub>、48節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#48|s]])</sub>でも活躍する。)</span> *fidem non faceret adesse cum incolumi Caesarem exercitu. **カエサルが無傷の軍隊とともに近くに来ていることを(陣営の残留組に)信用させなかったほどである。 *③ Sic omnino animos timor praeoccupaverat, ut paene alienata mente **ほとんど気でも違ったかのように、皆の心を怖れが占めていた。 **:(訳注:sic … ut ~ の構文;「~と同様に…である」) *deletis omnibus copiis equitatum se ex fuga recepisse dicerent **(残留者たちは、カエサルら)全軍勢が滅ぼされて、[[w:騎兵|騎兵隊]]が敗走から退いて来たのだ、と言った。 *neque incolumi exercitu Germanos castra oppugnaturos fuisse contenderent. **(カエサルら)軍隊が無傷であれば、ゲルマーニア人が陣営を襲撃しなかっただろう、と断言した。 **:(訳注:oppugnaturos fuisse ;間接話法では非現実な[[w:条件法|条件文]]の帰結は「未来分詞+fuisse」で表される。) *④ Quem timorem Caesaris adventus sustulit. **その怖れをカエサルの到着が取り除いた。 **:(訳注:sustulit は tollō の完了・能動3人称単数形) ===42節=== '''カエサルがスガンブリー族の襲来と撤退を運命に帰する''' *① Reversus ille, eventus belli non ignorans, **引き返して来た彼(カエサル)は、戦争の成り行きというものを知らないはずがないので、 *unum quod cohortes ex statione et praesidio essent emissae, **ひとつ(だけ)、<ruby><rb>[[w:コホルス|諸大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> が[[w:歩哨|歩哨]]や守備から(糧秣徴発に)派遣されたことを *questus ─ ne minimo quidem casu locum relinqui debuisse ─ **不慮の事態に対して最小限のいかなる余地も残されるべきではなかった、と嘆いた。 *multum Fortunam in repentino hostium adventu potuisse iudicavit, **不意の敵たちの到来においては運命(の女神)が大いに力を持つ、と断じた。 *② multo etiam amplius, quod paene ab ipso vallo portisque castrorum barbaros avertisset. **さらに、より一層大きかったのは、(運命が)ほとんど蛮族をその陣営の防柵と諸門から追い返してしまったことである。 *③ Quarum omnium rerum maxime admirandum videbatur, **それらのすべての事態でとりわけ驚くべきと思われたのは、 *quod Germani, qui eo consilio Rhenum transierant, ut Ambiorigis fines depopularentur, **その意図で[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]の領土を荒らすようにレヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])を渡河していた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が、 *ad castra Romanorum delati **ローマ人の陣営の方へそらされて、 *optatissimum Ambiorigi beneficium obtulerunt. **アンビオリクスに最も望ましい恩恵を施してしまったことである。 ==対エブロネス族追討戦(2)== ===43節=== '''アンビオリクスが辛うじて追討を逃れる''' *① Caesar rursus ad vexandos hostes profectus **カエサルは再び敵たちを苦しめるために出発して、 *magno coacto &lt;equitum&gt; numero ex finitimis civitatibus in omnes partes dimittit. **[[w:騎兵|騎兵]]の多数を隣接する諸部族から徴集して、あらゆる方面に派遣した。 **:(訳注:&lt;equitum&gt; 「騎兵の」は近代の校訂者による挿入である。) *② Omnes vici atque omnia aedificia quae quisque conspexerat incendebantur, **おのおのが目にしたすべての村々およびすべての建物が焼き打ちされた。 *pecora interficiebantur<ref>pecora interficiebantur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, praeda ex omnibus locis agebatur; **家畜は屠殺され、あらゆる場所から略奪品が奪い去られた。 *③ frumenta non solum tanta multitudine iumentorum atque hominum consumebantur, **役畜および人間たちのこれほど大勢により穀物が消費され尽くしたのみならず、 *sed etiam anni tempore atque imbribus procubuerant, **季節と豪雨によってさえも(穀物が)倒れた。 *ut si qui etiam in praesentia se occultassent, **その結果、もし(エブロネス族の)何者かが現状では身を隠しているとしても、 *tamen his deducto exercitu rerum omnium inopia pereundum videretur. **それでも彼らは(ローマ人の)軍隊が引き揚げれば、あらゆるものの欠乏により死滅するはずと思われた。 *④ Ac saepe in eum locum ventum est tanto in omnes partes diviso equitatu, **たいへん多くの騎兵隊があらゆる方面に分遣されて、しばしば以下のような状態に出くわした。 *ut non modo visum ab se Ambiorigem in fuga circumspicerent captivi **捕虜たちが、自分たちによって逃亡中の[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]が目撃されたと見回しただけでなく、 *nec plane etiam abisse ex conspectu contenderent, **(アンビオリクスが)視界からまったく消え去ってはいないとさえ主張した。 *⑤ ut spe consequendi inlata atque infinito labore suscepto, **その結果、(アンビオリクスを)追跡する希望がもたらされて、さらに限りない労苦が従事された。 *qui se summam ab Caesare gratiam inituros putarent, **カエサルから最高の恩恵を得ようと思った者たちは、 *paene naturam studio vincerent, **熱意により(身体的な)資質にほとんど打ち克ったが、 *semperque paulum ad summam felicitatem defuisse videretur, **いつも最高の恵みにあと少しで足りなかったと思われる。 *⑥ atque ille latebris aut silvis<ref>aut silvis はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aut saltibus se eriperet **かつ彼(アンビオリクス)は隠れ処、あるいは森林、あるいは峡谷によって自らを救い、 *et noctu occultatus alias regiones partesque peteret **夜に秘されて、別の地方や方面をめざした。 *non maiore equitum praesidio quam quattuor, **4名より多くない騎兵の護衛によって、 *quibus solis vitam suam committere audebat. **自らの生命をその者たちだけにあえて委ねたのだ。 ===44節=== '''カエサルが撤退し、造反者アッコを処刑する''' *① Tali modo vastatis regionibus **このようなやり方で(エブロネス族の)諸地域を荒廃させて、 [[画像:Porte_Mars_01.jpg|thumb|right|200px|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。]] *exercitum Caesar duarum cohortium damno [[w:la:Remi|Durocortorum]] Remorum reducit **カエサルは、2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の損失(だけ)で、軍隊を[[w:レミ族|レミ族]]の[[w:ドゥロコルトルム|ドゥロコルトルム]]に連れ戻して、 **:(訳注:ドゥロコルトルムはレミ族の首邑で、現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]] Reims である。) *concilioque in eum locum Galliae indicto **その地においてガッリアの(領袖たちの)会合を公示して、 *de coniuratione Senonum et Carnutum quaestionem habere instituit **[[w:セノネス族|セノネス族]]と[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の共謀について詮議することを決定した。 *② et de Accone, qui princeps eius consilii fuerat, **その謀計の首謀者であった[[w:アッコ (セノネス族)|アッコ]]については *graviore sententia pronuntiata more maiorum supplicium sumpsit. **より重い判決が布告され、(ローマ人の)先祖の習慣により極刑に処した。 **:(訳注:ローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|モムゼン]]は、アッコはローマの<ruby><rb>[[w:リクトル|先導吏]]</rb><rp>(</rp><rt>リクトル</rt><rp>)</rp></ruby> により[[w:斬首刑|斬首]]されたと言及している<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、p.233 を参照。</ref>。 **:外国から来た侵略者カエサルがこのような刑罰を下したことに、ガッリア人たちは憤激した。[[ガリア戦記 第7巻#1節|第7巻1節]]を参照。) *③ Nonnulli iudicium veriti profugerunt. **少なからぬ者たちは、裁判を恐れて逃走した。 *Quibus cum aqua atque igni interdixisset, **その者たちには水と火が禁じられたうえで、 **:(訳注:「水と火を禁じる」とは追放処分のことで、居住権や財産の没収などを指す。) *duas legiones ad fines Treverorum, duas in Lingonibus, **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]をトレーウェリー族の領土へ、2個(軍団)を[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](の領土)に、 *sex reliquas in Senonum finibus [[w:la:Agedincum|Agedinci]] in hibernis conlocavit **残りの6個(軍団)を[[w:セノネス族|セノネス族]]の領土の[[w:アゲディンクム|アゲディンクム]]に、冬営地に宿営させた。 **:(訳注:アゲディンクムは、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]] Sens である。) *frumentoque exercitui proviso, **軍隊の糧秣を調達してから、 *ut instituerat, in Italiam ad conventus agendos profectus est. **定めていたように、イタリアに開廷(巡回裁判)を行なうために出発した。 **:(訳注:ここで「イタリア」とはカエサルが総督を務める[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことと思われる。) ---- *<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第6巻」了。「[[ガリア戦記 第7巻]]」へ続く。</span> ==脚注== <references /> ==参考リンク== *ウィキペディア英語版・日本語版 **[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]([[w:Category:ガリアの部族|Category:ガッリアの部族]]) ***[[w:en:Eburones|Eburones]]([[w:エブロネス族|エブロネス族]]) ***[[w:en:Nervii|Nervii]]([[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]]) ***[[w:en:Senones|Senones]](セノネス族)- [[w:la:Senones|la:Senones]] ***[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌテス族) ***[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィ族]]) ****[[w:en:Lutetia|Lutetia]]([[w:ルテティア|ルテティア]]) ***[[w:en:Menapii|Menapii]](メナピイ族) ***[[w:en:Treveri|Treveri]](トレーウェリー族) ***[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]) ***[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族) ***[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族) **[[w:en:Category:Germanic peoples|Category:Germanic peoples]](ゲルマーニア人のカテゴリ) ***[[w:en:Category:Ancient Germanic peoples|Category:Ancient Germanic peoples]](古代ゲルマーニア人) ***[[w:en:Germanic peoples|Germanic peoples]](ゲルマーニア人) ***[[w:en:Ubii|Ubii]](ウビイー族) ***[[w:en:Suebi|Suebi]]([[w:スエビ族|スエービー族]]) ***[[w:en:Chatti|Chatti]](カッティー族) ***[[w:en:Cherusci|Cherusci]](ケールスキー族) ***[[w:en:Sicambri|Sicambri]](スガンブリー族) ***[[w:en:Hercynian Forest|Hercynian Forest]](ヘルキュニアの森) **地理学者・史家 ***[[w:en:Posidonius|Posidonius]]([[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]];BC135-51年頃)- [[w:la:Posidonius Apameus|la:Posidonius Apameus]] ***[[w:en:Diodorus Siculus|Diodorus Siculus]]([[w:シケリアのディオドロス|シケリアのディオドロス]];BC1世紀) - [[w:la:Diodorus Siculus|la:Diodorus Siculus]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Διόδωρος Σικελιώτης|Διόδωρος Σικελιώτης]](シケリアのディオドロス)- [[s:el:Ιστορική Βιβλιοθήκη|Ιστορική Βιβλιοθήκη]](歴史叢書)〕 ***[[w:en:Strabo|Strabo]]([[w:ストラボン|ストラボン]];BC63年頃–AD24年頃)- [[w:la:Strabo|la:Strabo]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Στράβων|Στράβων]](ストラボン) - [[s:el:Γεωγραφία|Γεωγραφία]](世界地誌)〕 ***[[w:en:Tacitus|Tacitus]]([[w:タキトゥス|タキトゥス]];56年頃–117年頃)- [[w:la:Cornelius Tacitus|la:Cornelius Tacitus]] ****[[w:en:Germania (book)|Germania (book)]]([[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア (書物)]])- [[w:la:Germania (opus Taciti)|la:Germania (opus Taciti)]] ***[[w:en:Pomponius Mela|Pomponius Mela]](ポンポニウス・メラ;1世紀)- [[w:la:Pomponius Mela|Pomponius Mela]] ***[[w:en:Athenaeus|Athenaeus]]([[w:アテナイオス|アテナイオス]];2世紀頃)- [[w:la:Athenaeus Naucratita|la:Athenaeus Naucratita]] ***[[w:en:Theodor Mommsen|Theodor Mommsen]]([[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]];19世紀)- [[w:la:Theodorus Mommsen|la:Theodorus Mommsen]] **[[w:en:Category:Celtic culture|Category:Celtic culture]](ケルト文化) **[[w:en:Category:Celtic mythology|Category:Celtic mythology]]([[w:Category:ケルト神話|Category:ケルト神話]]) ***[[w:en:Druid|Druid]]([[w:ドルイド|ドルイド]]) - [[w:la:Druis|la:Druis]] ***[[w:en:Wicker Man|Wicker Man]]([[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]) **[[w:en:Category::Celtic_gods|Category::Celtic_gods]](ケルトの神々) **[[w:en:Category:Ancient Gaulish and British gods|Category:Ancient Gaulish and British gods]](古代ガッリアとブリタニアの神々) ***[[w:en:Taranis|Taranis]](タラニス) ***[[w:en:Cernunnos|Cernunnos]](ケルヌンノス) ***[[w:en:Dis Pater|Dis Pater]](ディス・パテル) ***[[w:en:Sucellus|Sucellus]](スケッルス) **カエサルの副官たち ***[[w:en:Titus_Labienus|Titus Labienus]]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]])- [[w:la:Titus_Labienus|la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Trebonius|Gaius Trebonius]]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]])- [[w:la:Gaius Trebonius|la:Gaius Trebonius]] ***[[w:en:Quintus_Tullius_Cicero|Quintus Tullius Cicero]]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]] ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) *ウィクショナリー フランス語版 **[[wikt:fr:calo]](カーロー、軍属奴隷) g52l2qm1j3frx3a6b6sfg6tlax7ojsk 263553 263551 2024-11-16T04:01:04Z Linguae 449 /* 10節 */ 修整 263553 wikitext text/x-wiki [[Category:ガリア戦記|6]] [[ガリア戦記]]>&nbsp;'''第6巻'''&nbsp;>[[ガリア戦記 第6巻/注解|注解]] <div style="text-align:center"> <span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;C&nbsp;IVLII&nbsp;CAESARIS&nbsp;COMMENTARIORVM&nbsp;BELLI&nbsp;GALLICI&nbsp;</span> <span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;LIBER SEXTVS&nbsp;</span> </div> [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] {| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5" ! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第6巻 目次 |- | style="text-align:right; font-size: 0.86em;"| '''[[#ガッリア北部の平定|ガッリア北部の平定]]''':<br /> '''[[#第二次ゲルマーニア遠征|第二次ゲルマーニア遠征]]''':<br /> '''[[#ガッリア人の社会と風習について|ガッリア人の社会と風習について]]''':<br /> '''[[#ゲルマーニアの風習と自然について|ゲルマーニアの風習と自然について]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(1)|対エブロネス族追討戦(1)]]''':<br /> '''[[#スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦|スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(2)|対エブロネス族追討戦(2)]]''':<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> | style="text-align:left; font-size: 0.86em;"| [[#1節|01節]] | [[#2節|02節]] | [[#3節|03節]] | [[#4節|04節]] | [[#5節|05節]] | [[#6節|06節]] | [[#7節|07節]] | [[#8節|08節]] <br /> [[#9節|09節]] | [[#10節|10節]] <br /> [[#11節|11節]] | [[#12節|12節]] | [[#13節|13節]] | [[#14節|14節]] | [[#15節|15節]] | [[#16節|16節]] | [[#17節|17節]] | [[#18節|18節]] | [[#19節|19節]] | [[#20節|20節]] <br /> [[#21節|21節]] | [[#22節|22節]] | [[#23節|23節]] | [[#24節|24節]] | [[#25節|25節]] | [[#26節|26節]] | [[#27節|27節]] | [[#28節|28節]] <br /> [[#29節|29節]] | [[#30節|30節]] | [[#31節|31節]] | [[#32節|32節]] | [[#33節|33節]] | [[#34節|34節]] <br /> [[#35節|35節]] | [[#36節|36節]] | [[#37節|37節]] | [[#38節|38節]] | [[#39節|39節]] | [[#40節|40節]] | [[#41節|41節]] | [[#42節|42節]] <br/> [[#43節|43節]] | [[#44節|44節]] <br/> &nbsp;&nbsp;1節 [[#コラム「カエサルの軍団」|コラム「カエサルの軍団」]]<br> 10節 [[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」|コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」]]<br>10節 [[#コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」|コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」]]<br /> [[#脚注|脚注]]<br /> [[#参考リンク|参考リンク]]<br /> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ <div style="background-color:#dfffdf;"> ==<span style="color:#009900;">はじめに</span>== :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルは、第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])から<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>として属州総督に赴任した。が、これは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]、[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]および[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]の三属州の統治、および4個軍団を5年間にもわたって任されるというローマ史上前代未聞のものであった。これはカエサルが[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]と非公式な盟約を結んだ[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]]の成果であった。カエサルには属州の行政に従事する気持ちははじめからなく、任期のほとんどを夏季は[[w:ガリア戦争|ガッリア侵攻]]に、冬季は首都ローマへの政界工作に費やした。[[ガリア戦記_第3巻#はじめに|第3巻]]の年([[w:紀元前56年|紀元前56年]])に3人は[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の会談を行い、カエサルはクラッススとポンペイウスが翌年に執政官になること、カエサルの総督の任期をさらに5年間延長されることを求めた。会談の結果、任期が大幅に延長されることになったカエサルは、もはや軍事的征服の野望を隠そうとせず、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススが[[w:シリア属州|シュリア]]総督になること、ポンペイウスがカエサルと同様に[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の三属州の総督になって4個軍団を任されることを決める。</div> <div style="text-align:center"> {| |- |[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人の同盟はついに破綻の時を迎える。]] |} </div> :<div style="color:#009900;width:85%;">[[w:ガリア戦記 第5巻|第5巻]]の年([[w:紀元前54年|前54年]])、カエサルは満を持して二回目の[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|ブリタンニア侵攻]]を敢行するが、大した戦果は得られず、背後のガッリア情勢を気にしながら帰還する。ついに[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]率いる[[w:エブロネス族|エブローネース族]]、ついで[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]が反乱を起こし、カエサルは何とか動乱を鎮めるが、ガッリア諸部族の動きは不穏であり、カエサルは諸軍団とともに越冬することを決める。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルがブリタンニア遠征で不在の間に、ポンペイウスに嫁していたカエサルの一人娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が[[w:産褥|産褥]]で命を落とす。一方、クラッススは属州[[w:シリア属州|シュリア]]に向かうが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">本巻の年([[w:紀元前53年|前53年]])、カエサルは[[w:エブロネス族|エブローネース族]]追討戦に向かうが、これは大きな嵐の前の出来事に過ぎない。</div> </div> <!-- **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==ガッリア北部の平定== ===1節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-09-18}}</span> ;カエサルがポンペイウスの助けにより新兵を徴募する *<!--❶-->Multis de causis Caesar maiorem Galliae [[wikt:en:motus#Noun_2|motum]] [[wikt:en:exspectans|exspectans]] **多くの理由から、カエサルは、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、 *per [[wikt:en:Marcus#Latin|Marcum]] [[wikt:en:Silanus#Latin|Silanum]], [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Antistius#Latin|Antistium]] Reginum, [[wikt:en:Titus#Latin|Titum]] [[wikt:en:Sextius#Latin|Sextium]], legatos, **<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:マルクス・ユニウス・シラヌス (紀元前25年の執政官)|マールクス・スィーラーヌス]]、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌス、ティトゥス・セクスティウスを介して **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Marcus Junius Silanus (consul 25 BC)|Mārcus Iūnius Sīlānus]] はこの年([[w:紀元前53年|前53年]])からカエサルの副官、[[w:紀元前25年|前25年]]に執政官。<br>    ''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は副官として[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]と[[ガリア戦記_第7巻#90節|90節]]でも後出。<br>    [[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] はこの年からカエサルの副官、[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]でも後出、<br>     [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)</span> *[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]; **<small>(兵士の)</small>徴募を行なうことを決める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dīlēctus]] = [[wikt:en:delectus#Noun_2|dēlēctus]]「選択、徴募」)</span> :  *<!--❷-->simul ab [[wikt:en:Gnaeus#Latin|Gnaeo]] [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeio]] [[wikt:en:proconsul#Latin|proconsule]] [[wikt:en:peto#Latin|petit]], **同時に、<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]に<small>(以下のことを)</small>求める。 *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] ipse ad <u>urbem</u> cum imperio rei publicae causa [[wikt:en:remaneo#Latin|remaneret]], **<small>(ポンペイウス)</small>自身は<u>首都</u><small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の辺りに、<ruby><rb>[[w:インペリウム|軍隊司令権]]</rb><rp>(</rp><rt>インペリウム</rt><rp>)</rp></ruby>を伴って、国務のために留まっていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbs#Latin|urbs (urbem)]] は普通名詞として「都市・街」を意味するが、特に首都'''[[w:ローマ|ローマ市]]'''を指す。)</span> **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]とともに[[w:執政官|執政官]]を務め、<br>    第5巻の年(昨年=[[w:紀元前54年|前54年]])には[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の属州総督となったが、<br>    首都ローマの政局が気がかりであったため、任地には副官を派遣して、<br>    自らはローマ郊外に滞在していた。ただ彼は属州総督であったため、<br>    [[w:ポメリウム|ポメリウム]]と呼ばれるローマ市中心部に立ち入ることは禁じられていた。)</span> *quos ex [[wikt:en:cisalpinus#Latin|Cisalpina]] Gallia <u>consulis</u> [[wikt:en:sacramentum#Latin|sacramento]] [[wikt:en:rogo#Latin|rogavisset]], **[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]の内から、<ruby><rb>[[w:執政官|執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>コンスル</rt><rp>)</rp></ruby>のための宣誓を求めていた者たちに、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは執政官のときに元老院の許可を得て、<br>    カエサルの属州で、自らの属州に派遣するための4個軍団の徴募を行った。<br>    徴集された新兵たちは執政官に宣誓したようである。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega; では [[wikt:en:consulis#Noun|consulis]]「執政官の」だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]は [[wikt:en:consul#Latin|consul]]「執政官が」と修正提案している。)</span> *ad signa [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] et ad se [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iuberet]], **軍旗のもとに集まって、自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ進発することを命じるようにと。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、ポンペイウスに軍団兵の融通を求めたわけだ。<br>    ポンペイウスが執政官のときに徴募していたうちの1個軍団がカエサルに貸し出された。<br>    ところがその後、<u>第8巻54節の記述</u>によれば <ref>ラテン語文は、[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#54]] などを参照。</ref><ref>英訳は、[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_8#54]] などを参照。</ref>、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]の死後に、[[w:元老院|元老院]]は、<br>    対[[w:パルティア|パルティア]]戦争のために、カエサルとポンペイウスがそれぞれ1個軍団を供出することを可決したが、<br>    ポンペイウスはカエサルに1個軍団の返還を求めたので、<br>    カエサルは計2個軍団の引き渡しを求められることになる。<br>    このことは、[[内乱記_第1巻#2節|『内乱記』第1巻2節]]以降でも言及される。)</span> :  *<!--❸-->magni [[wikt:en:intersum#Latin|interesse]] etiam in reliquum tempus ad [[wikt:en:opinio#Latin|opinionem]] Galliae [[wikt:en:existimans#Latin|existimans]] **ガッリアの世論に対して、これから後の時期にさえも、(カエサルが)大いに重要であると考えていたのは、 *tantas videri Italiae [[wikt:en:facultas#Latin|facultates]] **(以下の程度に)イタリアの(動員)能力が豊富であると見えることである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:Italiaという語は多義的でさまざまに解釈できるが、<br>    本書ではガッリア・キサルピーナを指すことが多い。)</span> *ut, si [[wikt:en:aliquid#Etymology_2|quid]] esset in bello [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimenti]] acceptum, **もし、戦争において何がしかの(兵員の)損害を蒙ったとしても、 *non modo id [[wikt:en:brevis#Latin|brevi]] tempore [[wikt:en:sarcio#Latin|sarciri]], **それが短期間で修復(できる)だけでなく、 *sed etiam [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:augeo#Latin|augeri]] copiis posset. **より多く軍勢で増されることが可能だ<br>(とガッリアの世論に思われることが重要であるとカエサルは考えたのである)。 :  *<!--❹-->Quod cum [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeius]] et rei publicae et amicitiae [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuisset]], **そのことを、ポンペイウスは公儀<small>〔ローマ国家〕</small>のためにも(三頭政治の)盟約のためにも認めたので、 *celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] per suos [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectu]] **(カエサルの)配下の者たちを介して速やかに徴募が成し遂げられて *tribus ante [[wikt:en:exactus#Latin|exactam]] [[wikt:en:hiems#Latin|hiemem]] et [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] et [[wikt:en:adductus#Latin|adductis]] legionibus **冬が過ぎ去る前に、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]が組織されて<small>(カエサルのもとへ)</small>もたらされ、 *[[wikt:en:duplicatus#Latin|duplicato]]<nowiki>que</nowiki> earum [[wikt:en:cohors#Latin|cohortium]] numero, quas cum [[wikt:en:Quintus#Latin|Quinto]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurio]] [[wikt:en:amitto#Latin|amiserat]], **それらの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の数は、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥーリウス(・サビーヌス)]]とともに失っていたものの倍にされた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前巻でサビーヌスとコッタは1個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]](=15個歩兵大隊)を失ったが、<br>    代わりに3個軍団(=30個歩兵大隊)を得たということ。)</span> *et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] et copiis [[wikt:en:doceo#Latin|docuit]], **<small>(徴兵の)</small>迅速さと軍勢<small>(の多さ)</small>において<small>(ガッリア人たちに)</small>示したのは、 *quid populi Romani [[wikt:en:disciplina#Latin|disciplina]] atque [[wikt:en:ops#Noun_4|opes]] possent. **ローマ国民の規律と能力がいかに有力であるかということである。 {| class="wikitable" |- | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Hw-pompey.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。]] | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Theatre of Pompey 3D cut out.png|thumb|left|400px|'''[[w:ポンペイウス劇場|ポンペイウス劇場]]'''の復元図。[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]の名を冠したこの劇場は、彼が執政官であった[[w:紀元前55年|紀元前55年]]頃に竣工し、当時最大の劇場であった。<br> 伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は以下のように伝えている<ref>[[s:en:Plutarch%27s_Lives_(Clough)/Life_of_Pompey]] より</ref>:「クラッススは執政官の任期が切れるとすぐに属州へと出発したが、ポンペイウスはローマで劇場の開館式や奉献式に出席し、その式にはあらゆる競技・ショー・運動・体操・音楽などで人々を楽しませた。野獣の狩猟や餌付け、野獣との闘いもあり、500頭のライオンが殺された。しかし何よりも、象の闘いは、恐怖と驚きに満ちた見世物であった」と。<br><br> カエサルの最期の場所でもあり、血みどろのカエサルはポンペイウスの胸像の前で絶命したとされている。]] |} <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="background-color:#dfffdf;"> ===<span style="color:#009900;">コラム「カエサルの軍団」</span>=== :<div style="color:#009900;width:75%;">カエサルは第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])に三属州の総督に任官するとともに4個軍団(VI・VII・[[w:en:Legio VIII Augusta|VIII]]・[[w:en:Legio IX Hispana|IX]])を任された。[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]([[w:la:Helvetii|Helvetii]])と対峙するうちに、元老院に諮らずに独断で2個軍団([[w:en:Legio X Equestris|X]]・[[w:en:Legio XI Claudia|XI]])を徴募する(1巻10節)。<br> 第2巻の年([[w:紀元前57年|紀元前57年]])に3個軍団([[w:en:Legio XII Fulminata|XII]]・[[w:en:Legio XIII Gemina|XIII]]・[[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])を徴募して、計9個軍団。<br><br> [[ガリア戦記_第5巻#24節|『第5巻』24節]]の時点で、カエサルは8個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を保持していると記されている。最古参の第6軍団が半減していると考えると、[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]によって、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]やコッタらとともに滅ぼされたのは、第14軍団([[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])と古い第6軍団(VI)の生き残りの5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]と考えることができる。<br><br> 本巻の年([[w:紀元前53年|紀元前53年]])では、ポンペイウスの第1軍団がカエサルに譲られ、後にカエサルの軍団の番号系列に合わせて第6軍団(VI)と改称されたようだ。「第14軍団」は全滅させられたので通常は欠番にするところだが、カエサルはあえて再建して第14軍団と第15軍団が徴募され、これら3個軍団を加えると、カエサルが保持するのは計10個軍団となる。<br> もっとも本巻ではカエサルは明瞭な記述をしておらず、上述のように後に2個軍団を引き渡すことになるためか、伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は、ポンペイウスがカエサルに2個軍団を貸し出した、と説明している。 </div> </div> ===2節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2024-09-29}}</span> ;ガッリア北部の不穏な情勢、トレーウェリー族がライン川東岸のゲルマーニア人を勧誘 *<!--❶-->[[wikt:en:interfectus#Latin|Interfecto]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomaro]], ut [[wikt:en:doceo#Latin|docuimus]], **<small>([[ガリア戦記 第5巻#58節|第5巻58節]]で)</small>述べたように、インドゥーティオマールスが殺害されると、 *ad eius propinquos a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] imperium [[wikt:en:defero#Latin|defertur]]. **トレーウェリー族の者たちにより彼の縁者たちへ支配権がもたらされる。 *Illi finitimos [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitare]] et [[wikt:en:pecunia#Latin|pecuniam]] [[wikt:en:polliceor#Latin|polliceri]] non [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]]. **彼らは隣接する[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちをそそのかすこと、および金銭を約束することをやめない。 *Cum ab proximis [[wikt:en:impetro#Latin|impetrare]] non possent, [[wikt:en:ulterior#Latin|ulteriores]] [[wikt:en:tempto#Latin|temptant]]. **たとえ隣人たちによって(盟約を)成し遂げることができなくても、より向こう側の者たちに試みる。 :  *<!--❷-->[[wikt:en:inventus#Latin|Inventis]] [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullis]] civitatibus **少なからぬ部族国家を見出して *[[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] inter se [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmant]] **互いに誓約し合って(支持を)固め、 *obsidibusque de pecunia [[wikt:en:caveo#Latin|cavent]]; **金銭(の保証)のために人質たちを提供する。 *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] sibi [[wikt:en:societas#Latin|societate]] et [[wikt:en:foedus#Latin|foedere]] [[wikt:en:adiungo#Latin|adiungunt]]. **[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]を自分たちにとっての連合や同盟に加盟させる。 :  *<!--❸-->Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]] Caesar, **それらの事情を知るや、カエサルは、 *cum undique bellum [[wikt:en:paro#Latin|parari]] videret, **至る所で戦争が準備されていることを見ていたので、 *[[wikt:en:Nervii#Latin|Nervios]], [[wikt:en:Aduatuci#Latin|Atuatucos]] ac [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:adiunctus#Participle|adiunctis]] **(すなわち)[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]、アトゥアトゥキー族とメナピイー族を加盟させたうえに *<u>Cisrhenanis</u> omnibus <u>[[wikt:en:Germanus#Noun|Germanis]]</u> esse in armis, **レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>のこちら側のすべてのゲルマーニア人たちが武装していて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) は西岸部族の総称。<br>    ''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族) の対義語で、<br>     西岸の諸部族が東岸の諸部族を招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> *[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] ad [[wikt:en:imperatum#Latin|imperatum]] non venire **セノネース族は<small>(カエサルから)</small>命令されたことに従わずに *et cum [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]] finitimisque civitatibus consilia [[wikt:en:communico#Latin|communicare]], **カルヌーテース族および隣接する諸部族とともに謀計を共有しており、 *a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] crebris [[wikt:en:legatio#Latin|legationibus]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitari]], **ゲルマーニア人たちがたびたびトレーウェリー族の使節団によってそそのかされていたので、 *[[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] sibi de bello [[wikt:en:cogitandus#Latin|cogitandum]] [[wikt:en:puto#Latin|putavit]]. **<small>(カエサルは)</small>自分にとって<small>(例年)</small>より早めに戦争を計画するべきだと見なした。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===3節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2024-10-06}}</span> ;カエサルがネルウィイー族を降し、ガッリアの領袖たちの会合を召集する *<!--❶-->Itaque [[wikt:en:nondum#Latin|nondum]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]] **<small>(カエサルは)</small>こうして、まだ冬が終わらないうちに、 *proximis quattuor [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] legionibus **近隣の4個[[w:ローマ軍団|軍団]]を集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記_第5巻#52節|第5巻52節]]で言及されたように、カエサルは、本営を置いていた<br>    サマロブリーウァ(現在の[[w:アミアン|アミアン]])周辺の冬営に3個軍団、<br>    およびファビウスの軍団を配置していたと思われる。)</span> *[[wikt:en:de_improviso#Latin|de improviso]] in fines [[wikt:en:Nervii#Latin|Nerviorum]] [[wikt:en:contendo#Latin|contendit]] **不意に[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]の領土に急いだ。 :  *<!--❷-->et, [[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] illi aut [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] aut [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]] possent, **そして、彼ら<small>(の軍勢)</small>は、集結したり、あるいは逃亡したりできるより前に、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:captus#Latin|capto]] **家畜たちおよび人間たちの多数を捕らえて、 *atque ea [[wikt:en:praeda#Latin|praeda]] militibus [[wikt:en:concessus#Participle|concessa]] **それらの戦利品を兵士たちに譲り、 *[[wikt:en:vastatus#Latin|vastatis]]<nowiki>que</nowiki> agris **耕地を荒らして、 *in [[wikt:en:deditio#Latin|deditionem]] venire atque obsides sibi dare [[wikt:en:cogo#Latin|coegit]]. **<small>(ネルウィイー族に、ローマ勢へ)</small>降伏すること、人質たちを自分<small>〔カエサル〕</small>に供出することを強いた。 :  *<!--❸-->Eo celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] [[wikt:en:negotium#Latin|negotio]] **その戦役は速やかに成し遂げられたので、 *rursus in [[wikt:en:hibernum#Latin|hiberna]] legiones [[wikt:en:reduco#Latin|reduxit]]. **再び諸軍団を冬営に連れ戻した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:本営を置いていたサマロブリーウァ周辺の冬営。)</span> :  *'''ガッリアの領袖たちの会合''' *<!--❹-->[[wikt:en:concilium#Latin|Concilio]] Galliae primo [[wikt:en:ver#Latin|vere]], ut [[wikt:en:instituo#Latin|instituerat]], [[wikt:en:indictus#Participle|indicto]], **ガッリアの<small>(領袖たちの)</small>会合を、定めていたように、春の初めに通告すると、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:会合の集合場所は、当初は本営のあるサマロブリーウァだったであろう。)</span> *cum reliqui praeter [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]]<nowiki>que</nowiki> venissent, **[[w:セノネス族|セノネース族]]、カルヌーテース族とトレーウェリー族を除いて、ほかの者たちは(会合に)現われていたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ガッリア北部では、このほかエブローネース族とメナピイー族が参加していないはずである。)</span> *initium belli ac [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] hoc esse [[wikt:en:arbitratus#Latin|arbitratus]], **このこと<span style="color:#009900;">〔3部族の不参加〕</span>は戦争と背反の始まりであると思われて、 *ut omnia [[wikt:en:postpono#Latin|postponere]] videretur, **<small>(他の)</small>すべて<small>(の事柄)</small>を後回しにすることと見なされるように、 *[[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:Lutetia#Latin|Lutetiam]] [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisiorum]] [[wikt:en:transfero#Latin|transfert]]. **会合を[[w:パリシイ族|パリースィイー族]]の(城塞都市である)[[w:ルテティア|ルーテーティア]]に移す。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ルーテーティア Lutetia は、写本によってはルーテーキア Lutecia とも表記されている。<br>    ラテン語では Lutetia Parisiorum「パリースィイー族の泥土」と呼ばれ、現在の[[w:パリ|パリ市]]である。<br>    [[w:ストラボン|ストラボーン]]などによれば[[w:ケルト語|ケルト語]]でルコテキア Lukotekia と呼ばれていたらしい。)</span> :  ;   セノネース族について [[画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|thumb|right|200px|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)]] *<!--❺-->[[wikt:en:confinis#Latin|Confines]] erant hi [[wikt:en:Senones#Latin|Senonibus]] **彼ら<small>〔パリースィイー族〕</small>はセノネース族に隣接していて、 *civitatemque patrum memoria [[wikt:en:coniungo#Latin|coniunxerant]], **父祖の伝承では<small>(セノネース族と一つの)</small>部族として結びついていた。 *sed ab hoc consilio [[wikt:en:absum#Latin|afuisse]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabantur]]. **しかし<small>(パリースィイー族は)</small>これらの謀計には関与していなかったと考えられていた。 :  *<!--❻-->Hac re pro [[wikt:en:suggestus#Latin|suggestu]] [[wikt:en:pronuntiatus#Latin|pronuntiata]] **<small>(カエサルは)</small>この事を演壇の前で宣言すると、 *eodem die cum legionibus in [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **同日に諸軍団とともにセノネース族のところに出発して、 *magnisque itineribus eo [[wikt:en:pervenio#Latin|pervenit]]. **強行軍でもってそこに到着した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===4節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2024-10-09}}</span> ;セノネース族のアッコーが造反するが、カエサルはセノネース族とカルヌーテース族を降伏させる *<!--❶-->[[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]], **彼<small>〔カエサル〕</small>の到来を知ると、 *[[wikt:en:Acco#Latin|Acco]], qui princeps eius consilii fuerat, **その画策の首謀者であった<small>(セノネース族の)</small>'''アッコー''' は、 *[[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]] in oppida multitudinem [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]]. **群衆に諸[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に集結することを命じる。 :  *[[wikt:en:conans#Latin|Conantibus]], [[wikt:en:priusquam|prius quam]] id [[wikt:en:effici|effici]] posset, [[wikt:en:adsum#Latin|adesse]] Romanos [[wikt:en:nuntio#Verb|nuntiatur]]. **そのことが遂行され得るより前に、ローマ人が接近していることが、企てている者たちに報告される。 :  *<!--❷-->Necessario [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]] **<small>(セノネース族は)</small>やむなく<small>(カエサルへの謀反の)</small>意図を思いとどまって、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:necessario#Adverb|necessāriō]] = [[wikt:en:necessarie#Adverb|necessāriē]]「やむを得ず」)</span> *legatosque [[wikt:en:deprecor#Latin|deprecandi]] causa ad Caesarem mittunt; **<small>(恩赦を)</small>嘆願するために、使節たちをカエサルのもとへ遣わして、 *<u>adeunt</u> per [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduos]], quorum [[wikt:en:antiquitus|antiquitus]] erat in fide civitas. **部族国家が昔から<small>(ローマ人に対して)</small>忠実であった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を介して、頼み込む。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この部分は、セノネース族がハエドゥイー族の庇護下にあったように訳されることも多いが、<br>    [[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]における両部族とローマ人の関係の記述を考慮して、上のように訳した<ref>[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_6#4|英語版ウィキソース]]では「they make advances to him through the Aedui, whose state was from ancient times under the protection of Rome.」と英訳されている。</ref>。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:de:adire|adeō]]「(誰かに)アプローチする」「(誰かに)頼る、頼む、懇願する」<ref>[https://www.frag-caesar.de/lateinwoerterbuch/adeo-uebersetzung-1.html adeo-Übersetzung im Latein Wörterbuch]</ref>)</span> :  *<!--❸-->Libenter Caesar [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] dat [[wikt:en:venia#Latin|veniam]] **カエサルは、懇願するハエドゥイー族に対して、喜んで<small>(セノネース族への)</small>恩赦を与え、 *[[wikt:en:excusatio#Latin|excusationem]]<nowiki>que</nowiki> accipit, **<small>(セノネース族の)</small>弁解を受け入れる。 *quod [[wikt:en:aestivus#Latin|aestivum]] tempus [[wikt:en:instans#Latin|instantis]] belli, **というのは、夏の時季は差し迫っている<small>(エブローネース族らとの)</small>戦争のためのものであり、 *non [[wikt:en:quaestio#Latin|quaestionis]] esse [[wikt:en:arbitror#Latin|arbitrabatur]]. **<small>(謀反人に対する)</small>尋問のためのものではないと<small>(カエサルが)</small>判断していたからである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:エブローネース族との戦争が終わった後に、謀反人への尋問が行なわれることになる。[[#44節|44節]]参照。)</span> :  *<!--❹-->Obsidibus [[wikt:en:imperatus#Latin|imperatis]] centum, **<small>(カエサルは)</small>100人の人質<small>(の供出)</small>を命令すると、 *hos Haeduis [[wikt:en:custodiendus#Latin|custodiendos]] [[wikt:en:trado#Latin|tradit]]. **彼ら<small>〔人質たち〕</small>を監視するべく[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に引き渡す。 :  *<!--❺-->[[wikt:en:eodem#Adverb|Eodem]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] legatos obsidesque [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]], **ちょうどそこに、カルヌーテース族が使節たちと人質たちを遣わして、 *[[wikt:en:usus#Participle|usi]] [[wikt:en:deprecator#Latin|deprecatoribus]] [[wikt:en:Remi#Proper_noun_3|Remis]], quorum erant in [[wikt:en:clientela#Latin|clientela]]; **<small>(カルヌーテース族が)</small><ruby><rb>[[w:クリエンテス|庇護]]</rb><rp>(</rp><rt>クリエンテーラ</rt><rp>)</rp></ruby>を受ける関係にあったレーミー族を<ruby><rb>助命仲介者</rb><rp>(</rp><rt>デープレカートル</rt><rp>)</rp></ruby>として利用して、 *eadem ferunt [[wikt:en:responsum#Latin|responsa]]. **<small>(セノネース族のときと)</small>同じ返答を獲得する。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:perago#Latin|Peragit]] [[wikt:en:concilium#Noun|concilium]] Caesar **カエサルは<small>(ガッリア諸部族の領袖たちの)</small>会合を完了して、 *equitesque [[wikt:en:impero#Latin|imperat]] civitatibus. **[[w:騎兵|騎兵]]たち<small>(の供出)</small>を諸部族に命令する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===5節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2024-10-10}}</span> ;アンビオリークスへの策を練り、メナピイー族へ向かう *<!--❶-->Hac parte Galliae [[wikt:en:pacatus#Latin|pacata]], **ガッリアのこの方面が平定されたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#3節|3節]]~[[#4節|4節]]でネルウィイー族、セノネース族とカルヌーテース族がカエサルに降伏したことを指す。)</span> *totus et mente et animo in bellum [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] et [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigis]] [[wikt:en:insisto#Latin|insistit]]. **<small>(カエサルは)</small>全身全霊をかけて、トレーウェリー族と[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]との戦争に着手する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totus et [[wikt:en:mens#Latin|mente]] et [[wikt:en:animus#Latin|animo]] 「全身全霊をかけて」''with all his heart and soul'' )</span> :  *<!--❷-->[[wikt:en:Cavarinus#Latin|Cavarinum]] cum equitatu [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:secum#Latin|secum]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **カウァリーヌスに、セノネース族の[[w:騎兵|騎兵]]隊を伴って、自分<small>〔カエサル〕</small>とともに出発することを命じる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:de:Cavarinus|Cavarinus]]'' は、[[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]で前述のように、<br>    カエサルにより王位に据えられていたが、独立主義勢力により追放された。)</span> *ne [[wikt:en:aliquis#Latin|quis]] <u>aut</u> ex huius [[wikt:en:iracundia#Latin|iracundia]] <u>aut</u> ex eo, quod [[wikt:en:mereo#Latin|meruerat]], [[wikt:en:odium#Latin|odio]] civitatis [[wikt:en:motus#Noun_2|motus]] [[wikt:en:exsistat|exsistat]]. **彼の激しやすさから、<u>あるいは</u>彼が招来していた反感から、部族国家の何らかの動乱が起こらないようにである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節でアッコーら独立主義者たちがカエサルに降伏して、<br>    カウァリーヌスが王位に戻されたために、<br>    部族内で反感をかっていたのであろう。)</span> :  *<!--❸-->His rebus [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]], **これらの事柄が取り決められると、 *quod pro explorato habebat, [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] non esse <u>concertaturum</u>, **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が戦闘で激しく争うつもりではないことを、確実と見なしていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pro#Latin|pro]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorato]] = [[wikt:en:exploratus#Latin|exploratum]]「確かなものとして(''as certain'')」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系(A・Q)およびL・N写本では non esse <u>[[wikt:en:concertaturum|concertaturum]]</u>「激しくつもりではないこと」だが、<br>         &beta;系写本では non esse <u>[[wikt:en:contenturum|contenturum]]</u><br>         B・M・S写本では non esse <u>concertaturum [[wikt:en:tenturum|tenturum]]</u> となっている。)</span> *reliqua eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] animo [[wikt:en:circumspicio#Latin|circumspiciebat]]. **彼<small>〔アンビオリークス〕</small>のほかの計略に思いをめぐらせていた。 :  ;   カエサルがメナピイー族の攻略を決意 *<!--❹-->Erant [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] propinqui [[wikt:en:Eburones#Latin|Eburonum]] finibus, **メナピイー族は[[w:エブロネス族|エブローネース族]]の領土に隣り合っていて、 *[[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|muniti]], **絶え間ない沼地と森林によって守られており、 *qui uni ex Gallia de pace ad Caesarem legatos [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]. **彼らは[[w:ガリア|ガッリア]]のうちでカエサルのもとへ講和の使節たちを決して遣わさなかった唯一の者たちであった。 :  *Cum his esse [[wikt:en:hospitium#Latin|hospitium]] [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigi]] [[wikt:en:scio#Latin|sciebat]]; **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が彼らのもとで歓待されていることを知っていたし、 *item per [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venisse Germanis in [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitiam]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoverat]]. **同様にトレーウェリー族を通じて[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人と盟約を結んだことも探知していた。 :  *<!--❺-->Haec <u>prius</u> illi [[wikt:en:detrahendus#Latin|detrahenda]] auxilia [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]] <u>quam</u> ipsum bello [[wikt:en:lacesso#Latin|lacesseret]], **<ruby><rb>彼奴</rb><rp>(</rp><rt>あやつ</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔アンビオリークス〕</small>へのこれらの支援は、彼奴自身に戦争で挑みかかる<u>より前に</u>引き離されるべきだと考えていた。 *ne [[wikt:en:desperatus#Latin|desperata]] [[wikt:en:salus#Latin|salute]] **<small>(アンビオリークスが)</small>身の安全に絶望して、 *<u>aut</u> se in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:abdo#Latin|abderet]], **<u>あるいは</u>メナピイー族のところに身を隠したりしないように、 *<u>aut</u> cum [[wikt:en:Transrhenanus#Latin|Transrhenanis]] [[wikt:en:congredior#Latin|congredi]] [[wikt:en:cogo#Latin|cogeretur]]. **<u>あるいは</u>レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>の向こう側の者たちと合同することを強いられないように、である。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族)を<br>    ''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) が<br>    招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> :  *<!--❻-->Hoc [[wikt:en:initus#Participle|inito]] consilio, **この計略を決断すると、 *[[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] exercitus [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]] ad [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:mitto#Latin|mittit]] **<small>(カエサルは)</small>全軍の[[w:輜重|輜重]]を、トレーウェリー族のところにいる[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]のもとへ送り、 *duasque ad eum legiones [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]; **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に彼<small>〔ラビエーヌス〕</small>のもとへ出発することを命じる。 :  *ipse cum legionibus [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]] quinque in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身は軽装の5個軍団とともにメナピイー族のところに出発する。 :  *<!--❼-->Illi, [[wikt:en:nullus#Adjective|nulla]] [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]], **あの者らは、何ら手勢を集めず、 *loci [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] [[wikt:en:fretus#Adjective|freti]], **地勢の要害を信頼して、 *in [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:palus#Latin|paludes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:confugio#Latin|confugiunt]] **森林や沼地に避難して、 *[[wikt:en:suus#Latin|sua]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eodem#Adverb|eodem]] [[wikt:en:confero#Latin|conferunt]]. **自分たちの家財を同じところに運び集める。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===6節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2024-10-20}}</span> ;メナピイー族がついにカエサルの軍門に降る *<!--❶-->Caesar, **カエサルは、 *[[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] copiis cum [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaio]] [[wikt:en:Fabius#Latin|Fabio]] legato et [[wikt:en:Marcus#Latin|Marco]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crasso]] [[wikt:en:quaestor#Latin|quaestore]] **[[w:レガトゥス|副官]]である[[w:ガイウス・ファビウス|ガーイウス・ファビウス]]と[[w:クァエストル|財務官]]である[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス (財務官)|マールクス・クラッスス]]とともに軍勢を分配して、 *celeriterque [[wikt:en:effectus#Participle|effectis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]] **速やかに橋梁を造って、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:橋梁は軽装の軍団兵が沼地を渡るためのものなので、丸太道のようなものであろうか。)</span> *[[wikt:en:adeo#Verb|adit]] [[wikt:en:tripertito|tripertito]], **三方面から<small>(メナピイー族の領土に)</small>接近して、 [[画像:GallischeHoeve.jpg|thumb|right|200px|復元されたメナピイー族の住居(再掲)]] *[[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incendo#Latin|incendit]], **建物や村々を焼き討ちして、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:potior#Latin|potitur]]. **家畜や人間の多数を<small>(戦利品として)</small>獲得する。 :  *<!--❷-->Quibus rebus [[wikt:en:coactus#Participle|coacti]] **そのような事態に強いられて、 *[[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] legatos ad eum [[wikt:en:pax#Latin|pacis]] [[wikt:en:petendus#Latin|petendae]] causa [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]]. **メナピイー族は和平を求めるための使節たちを彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ遣わす。 :  *<!--❸-->Ille [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]], **彼<small>〔カエサル〕</small>は人質たちを受け取ると、 *hostium se [[wikt:en:habiturus#Latin|habiturum]] numero [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmat]], si aut [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] aut eius legatos finibus suis [[wikt:en:recipio#Latin|recepissent]]. **もし[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]か彼の使節を自領に迎え入れたら、自分は<small>(メナピイー族を)</small>敵として見なすだろうと断言する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:属格の名詞 + numero「〜として」) :  *<!--❹-->His [[wikt:en:confirmatus#Latin|confirmatis]] rebus, **これらの事柄を確立すると、 *[[wikt:en:Commius#Latin|Commium]] [[wikt:en:Atrebas#Latin|Atrebatem]] cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:custos#Latin|custodis]] loco in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] [[wikt:en:relinquo#Latin|relinquit]]; **アトレバーテース族である[[w:コンミウス|コンミウス]]を[[w:騎兵|騎兵]]隊とともに、目付け役として、メナピイー族のところに残す。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、カエサルがアトレバテース族の王にすえて、ブリタンニア遠征の先導役として遣わし、<br>    カッスィウェッラウヌスの降伏の仲介を</span>果たしていた。[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・27節や[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]などを参照。) *ipse in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身はトレーウェリー族のところに出発する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===7節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2024-10-27}}</span> [[画像:Titelberg_01.jpg|thumb|right|200px|トレーウェリー族の城砦跡(再掲)]] ;トレーウェリー族の開戦準備、ラビエーヌスの計略 *<!--❶-->Dum haec a Caesare [[wikt:en:gero#Latin|geruntur]], **これらのことがカエサルによって遂行されている間に、 *[[wikt:en:Treveri#Latin|Treveri]] magnis [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]] [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> copiis **トレーウェリー族は、[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の大軍勢を徴集して、 *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] cum una legione, quae in eorum finibus <u>[[wikt:en:hiemo#Latin|hiemaverat]]</u>, **彼らの領土において越冬していた1個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:hiemaverat|hiemaverat]] <small>(過去完了形)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:hiemabat|hiemabat]] <small>(未完了過去形)</small> などとなっている。)</span> *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] [[wikt:en:paro#Latin|parabant]], **襲撃することを準備していた。 :  *<!--❷-->iamque ab eo non longius [[wikt:en:biduum#Latin|bidui]] via [[wikt:en:absum#Verb|aberant]], **すでに、そこ<small>〔ラビエーヌスの冬営〕</small>から2日間の道のりより遠く離れていなかったが、 *cum duas venisse legiones [[wikt:en:missus#Noun_2|missu]] Caesaris [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscunt]]. **そのときに、カエサルが派遣した2個軍団が到着したことを知る。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]で既述のように、カエサルはラビエーヌスのところへ全軍の輜重と2個軍団を派遣していた。<br>    こうして、ラビエーヌスはローマ全軍の輜重と3個軍団を任されることになった。) :  *<!--❸-->[[wikt:en:positus#Latin|Positis]] <u>castris</u> a milibus passuum [[wikt:en:quindecim#Latin|quindecim]](XV) **<small>(トレーウェリー勢は、ラビエーヌスの冬営から)</small>15ローママイルのところに<u>野営地</u>を設置して、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、15マイルは約22 km)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:カストラ|カストラ]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] という語はローマ勢の行軍中の野営地や常設の宿営地に用いられ、<br>    非ローマ系部族の野営地に用いられることは稀である。)</span> *auxilia [[wikt:en:Germani#Latin|Germanorum]] [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituunt]]. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の援軍を待つことを決める。 :  *<!--❹-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] hostium [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]] consilio **ラビエーヌスは、敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>の計略を知ると、 *[[wikt:en:sperans#Latin|sperans]] [[wikt:en:temeritas#Latin|temeritate]] eorum [[wikt:en:fore#Etymology_2_2|fore]] [[wikt:en:aliqui#Latin|aliquam]] [[wikt:en:dimico#Latin|dimicandi]] facultatem, **彼らの無謀さにより何らかの争闘する機会が生ずるであろうと期待して、 *[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] quinque(V) cohortium [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:relictus#Latin|relicto]] **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の守備隊を[[w:輜重|輜重]]のために残し、 *cum XXV(viginti quinque) cohortibus magnoque [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatu]] contra hostem [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **25個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>および多勢の騎兵隊とともに、敵に抗して進発する。 *et mille passuum [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]] spatio castra [[wikt:en:communio#Latin|communit]]. **<small>(トレーウェリー勢から)</small>1ローママイルの間隔を置いて、[[w:カストラ|陣営]]<small>〔野営地〕</small>を固める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 km)</span> :  *<!--❺-->Erat inter [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] atque hostem [[wikt:en:difficilis#Latin|difficili]] [[wikt:en:transitus#Latin|transitu]] flumen [[wikt:en:ripa#Latin|ripis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:praeruptus#Adjective|praeruptis]]. **ラビエーヌスと敵の間には、渡ることが困難な川が、急峻な岸とともにあった。 *Hoc <u>neque</u> ipse [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] habebat in animo **これを<small>(ラビエーヌス)</small>自身は渡河するつもりではなかったし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ habeo in animo「~するつもりである」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~, neque …「~でもないし、…でもない」)</span> *<u>neque</u> hostes [[wikt:en:transiturus#Latin|transituros]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]]. **敵勢も渡河して来ないであろうと<small>(ラビエーヌスは)</small>考えていた。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:augeo#Latin|Augebatur]] auxiliorum [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] spes. **<small>(トレーウェリー勢にとって、ゲルマーニア人の)</small>援軍への期待は日ごとに増されるばかりであった。 *[[wikt:en:loquor#Latin|Loquitur]] <u>in consilio</u> [[wikt:en:palam#Adverb|palam]]: **<small>(ラビエーヌスは)</small>会議において公然と<small>(以下のように)</small>述べる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega;では in [[wikt:en:consilio|consilio]] だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]] は in [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] と修正提案し、<br>         Hecker は [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] と修正提案している。)</span> *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]] [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:dico#Latin|dicantur]], **ゲルマーニア人<small>(の軍勢)</small>が近づいていることが言われているので、 *sese suas exercitusque fortunas in [[wikt:en:dubium#Noun|dubium]] non [[wikt:en:devocaturus#Latin|devocaturum]] **自分は自らと軍隊の命運を不確実さの中に引きずり込むことはないであろうし、 *et postero die prima luce castra [[wikt:en:moturus#Latin|moturum]]. **翌日の夜明けには陣営を引き払うであろう。 :  *<!--❼-->Celeriter haec ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]], **これら<small>(のラビエーヌスの発言)</small>は速やかに敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>のもとへ報じられたので、 *ut ex magno Gallorum equitum numero [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullos]] <u>Gallos</u> [[wikt:en:gallicus#Latin|Gallicis]] rebus [[wikt:en:faveo#Latin|favere]] natura [[wikt:en:cogo#Latin|cogebat]]. **ガッリア人の境遇を想う気質が、<small>(ローマ側)</small>ガッリア人騎兵の多数のうちの若干名を励ましていたほどである。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallos]] は &alpha;系写本の記述で、&beta;系写本では欠く。)</span> :  *<!--❽-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], noctu tribunis militum primisque ordinibus <u>convocatis</u>, **ラビエーヌスは、夜間に<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちと第一序列(の[[w:ケントゥリオ|百人隊長]])たちを召集すると、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1個軍団当たりの<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby> の定員は計6名。<br>    第一序列の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たち primorum ordinum centuriones は、軍団内における[[w:下士官|下士官]]のトップであり、<br>     第一<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> においては定員5名だが、<br>     ほかの歩兵大隊においては定員6名であった。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] などとなっている。)</span> *quid sui sit consilii, [[wikt:en:propono#Latin|proponit]] **自分の計略がいかなるものであるかを呈示して、 *et, quo facilius hostibus [[wikt:en:timor#Latin|timoris]] [[wikt:en:det#Latin|det]] [[wikt:en:suspicio#Noun|suspicionem]], **それ<small>〔計略〕</small>によって、よりたやすく敵勢に<small>(ローマ勢の)</small>恐怖心という推測を起こすべく、 *maiore [[wikt:en:strepitus#Latin|strepitu]] et [[wikt:en:tumultus#Latin|tumultu]], quam populi Romani fert [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudo]] **ローマ国民の習慣が引き起こすよりもより大きな騒音や喧騒をもって *castra [[wikt:en:moveo#Latin|moveri]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]. **陣営を引き払うことを命じる。 *His rebus fugae [[wikt:en:similis#Latin|similem]] [[wikt:en:profectio#Latin|profectionem]] [[wikt:en:efficio#Latin|effecit]]. **<small>(ラビエーヌスは)</small>これらの事によって、逃亡に似た進発を実現した。 :  *<!--❾-->Haec quoque per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] **これらのこともまた、<small>(トレーウェリー勢の)</small>斥候たちを通じて、 *ante [[wikt:en:lux#Latin|lucem]] in tanta [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitate]] castrorum ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]]. **夜明け前には、陣営のこれほどの近さにより、敵勢へ報じられる。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===8節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2024-10-28}}</span> ;ラビエーヌスがトレーウェリー族を降す :  ;   トレーウェリー勢が、渡河してラビエーヌスの軍勢に攻めかかろうとする *<!--❶-->[[wikt:en:vix#Latin|Vix]] [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:novissimus#Latin|novissimum]] extra [[wikt:en:munitio#Latin|munitiones]] [[wikt:en:procedo#Latin|processerat]], **<small>(ローマ勢の)</small>行軍隊列の最後尾が防塁の外側にほぼ進み出ようとしていた、 *cum Galli [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortati]] inter se, ne [[wikt:en:speratus#Latin|speratam]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] ex manibus [[wikt:en:dimitto#Latin|dimitterent]] **そのときにガッリア人たちは、期待していた戦利品を<small>(彼らの)</small>手から逸しないように、互いに鼓舞し合って、 *── longum esse, [[wikt:en:perterritus#Latin|perterritis]] Romanis [[wikt:en:Germani#Proper_noun|Germanorum]] auxilium [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]]; **── ローマ人が<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ているのに、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の支援を待つことは悠長なものである。 *neque suam [[wikt:en:patior#Latin|pati]] [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitatem]], **<small>(以下のことは)</small>自分たちの尊厳が耐えられない。 *ut [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] copiis [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:exiguus#Latin|exiguam]] manum, praesertim [[wikt:en:fugiens#Latin|fugientem]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impeditam]], **これほどの大軍勢で<small>(ローマの)</small>それほどの貧弱な手勢を、特に逃げ出して<small>(荷物で)</small>妨げられている者たちを *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] non [[wikt:en:audeo#Latin|audeant]] ── **あえて襲撃しないとは──<small>(と鼓舞し合って)</small> *flumen [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] et iniquo loco [[wikt:en:committo#Latin|committere]] proelium non [[wikt:en:dubito#Latin|dubitant]]. **川を渡って<small>(切り立った岸を登りながら)</small>不利な場所で交戦することをためらわない。 :  ;   ラビエーヌス勢が怖気を装いながら、そろりそろりと進む *<!--❷-->Quae fore [[wikt:en:suspicatus#Latin|suspicatus]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], **こうしたことが生じるであろうと想像していた[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、 *ut omnes citra flumen [[wikt:en:elicio#Latin|eliceret]], **<small>(敵の)</small>総勢を川のこちら側に誘い出すように、 *[[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:usus#Participle|usus]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] itineris **行軍の同じ見せかけを用いて、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で語られたように、<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>て今にも逃げ出しそうな風に装いながらの行軍。)</span> *[[wikt:en:placide#Adverb|placide]] [[wikt:en:progredior#Latin|progrediebatur]]. **穏やかに前進していた。 :  ;   ラビエーヌスが全軍の兵を叱咤激励する *<!--❸-->Tum [[wikt:en:praemissus#Latin|praemissis]] paulum impedimentis **それから、[[w:輜重|輜重]]<small>(の隊列)</small>を少し先に遣わして、 *atque in [[wikt:en:tumulus#Latin|tumulo]] [[wikt:en:quidam#Adjective|quodam]] [[wikt:en:collocatus#Latin|conlocatis]], **とある高台に配置すると、 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>&nbsp;[[wikt:en:habetis|Habetis]],<span style="color:#009900;">»</span></span> [[wikt:en:inquam#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>milites, quam [[wikt:en:petistis|petistis]], [[wikt:en:facultas#Latin|facultatem]]; </span> **<small>(ラビエーヌスは)</small>「兵士らよ、<small>(諸君は)</small>求めていた機会を得たぞ」と言った。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">&nbsp;<span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span>&nbsp;</span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span> *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">hostem [[wikt:en:impeditus#Latin|impedito]] atque [[wikt:en:iniquus#Latin|iniquo]] loco [[wikt:en:tenetis|tenetis]]: </span> **「<small>(諸君は)</small>敵を<small>(川岸で)</small>妨げられた不利な場所に追いやった。」 *<!--❹--><!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">[[wikt:en:praestate|praestate]] eandem nobis [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]] [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]], quam saepe numero [[wikt:en:imperator#Latin|imperatori]] [[wikt:en:praestitistis|praestitistis]], </span> **「我々<ruby><rb>将帥</rb><rp>(</rp><rt>ドゥクス</rt><rp>)</rp></ruby>らに、<small>(諸君が)</small>しばしば<ruby><rb>将軍</rb><rp>(</rp><rt>インペラートル</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔カエサル〕</small>に見せて来たのと同じ武勇を見せてくれ。」 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">atque illum adesse et haec [[wikt:en:coram#Adverb|coram]] [[wikt:en:cerno#Latin|cernere]] [[wikt:en:existimate|existimate]].<span style="color:#009900;">»</span></span> **「彼<small>〔カエサル〕</small>が訪れて、これ<small>〔武勇〕</small>を目の前で見ていると思ってくれ。」 :  ;   ラビエーヌスが軍を反転させて攻撃態勢を整える *<!--❺-->Simul signa ad hostem [[wikt:en:converto#Latin|converti]] aciemque [[wikt:en:dirigo#Latin|dirigi]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **同時に、軍旗が敵の方へ向きを変えられることと、戦列が整えられること、を命じる。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:軍勢が敵側へ向けて反転して、戦列を整えること、を命じた。)</span> [[画像:Pilensalve.jpg|thumb|right|250px|[[w:ピルム|ピールム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演]] *et paucis [[wikt:en:turma#Latin|turmis]] praesidio ad impedimenta [[wikt:en:dimissus#Latin|dimissis]], **かつ若干の<ruby><rb>[[w:トゥルマ|騎兵小隊]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を輜重のための守備隊として送り出して、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:騎兵小隊 turma はローマ軍の<br>    [[w:アウクシリア|支援軍]]における中規模の編成単位で、<br>    各30騎ほどと考えられている。)</span> *reliquos equites ad latera [[wikt:en:dispono#Latin|disponit]]. **残りの[[w:騎兵|騎兵]]たちを<small>(軍勢の)</small>両側面へ分置する。 :  ;   ラビエーヌス勢が喊声を上げて、投げ槍を投げ始める *<!--❻-->Celeriter nostri, clamore [[wikt:en:sublatus#Latin|sublato]], [[wikt:en:pilum#Latin|pila]] in hostes [[wikt:en:inmitto#Latin|inmittunt]]. **我が方<small>〔ローマ勢〕</small>は、雄叫びを上げると、速やかに<ruby><rb>[[w:ピルム|投げ槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピールム</rt><rp>)</rp></ruby>を敵勢へ放り入れる。 :  ;   不意を突かれたトレーウェリー勢が、一目散に逃げ出して、最寄りの森林を目指す *Illi, ubi [[wikt:en:praeter#Latin|praeter]] spem, quos <span style="color:#009900;">&lt;modo&gt;</span> [[wikt:en:fugio#Latin|fugere]] [[wikt:en:credo#Latin|credebant]], [[wikt:en:infestus#Latin|infestis]] signis ad se ire viderunt, **<span style="font-size:11pt;">彼らは、期待に反して、<span style="color:#009900;">&lt;ただ&gt;</span>逃げていると信じていた者たちが、軍旗を攻勢にして自分らの方へ来るのを見るや否や、</span> *[[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] <u>modo</u> ferre non potuerunt **<small>(ローマ勢の)</small>突撃を持ちこたえることができずに、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部 modo は主要写本&omega;ではこの位置にあるが、<br>    上記の &lt;modo&gt; に移す修正提案がある。)</span> *ac primo [[wikt:en:concursus#Noun|concursu]] in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]] **最初の猛攻で敗走に追い込まれて、 *proximas silvas [[wikt:en:peto#Latin|petierunt]]. **近隣の森を目指した。 :  ;   ラビエーヌス勢が、トレーウェリー勢の多数を死傷させ、部族国家を奪回する *<!--❼-->Quos [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] equitatu [[wikt:en:consectatus#Latin|consectatus]], **<small>(敗走した)</small>その者たちを、ラビエーヌスは騎兵隊で追撃して、 *magno numero [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecto]], **多数の者を<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>して、 *compluribus [[wikt:en:captus#Latin|captis]], **かなりの者たちを捕らえて、 *paucis post diebus civitatem recepit. **数日後に<small>(トレーウェリーの)</small>部族国家を<small>(蜂起の前の状態に)</small>戻した。 :  [[画像:Bund-ro-altburg.jpg|thumb|right|180px|トレーウェリー族の再現された住居(再掲)]] [[画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|thumb|right|180px|トレーウェリー族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡]] ;   ゲルマーニア人の援軍が故国へ引き返す *Nam [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]], qui auxilio veniebant, **なぜなら、援軍として来ようとしていたゲルマーニア人たちは、 *[[wikt:en:perceptus#Latin|percepta]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] fuga **トレーウェリー族の敗走を把握したので、 *sese [[wikt:en:domus#Latin|domum]] <u>receperunt</u>. **故国に撤退していった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:receperunt|receperunt]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:contulerunt|contulerunt]] となっている。)</span> :  ;   インドゥーティオマールスの残党がゲルマーニアへ出奔する *<!--❽-->Cum his [[wikt:en:propinquus#Latin|propinqui]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomari]], **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>とともに、インドゥーティオマールスの縁者たちは、 *qui [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] [[wikt:en:auctor#Latin|auctores]] fuerant, **その者らは<small>(トレーウェリー族におけるカエサルへの)</small>謀反の張本人であったが、 *[[wikt:en:comitatus#Participle|comitati]] eos ex civitate [[wikt:en:excedo#Latin|excesserunt]]. **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>を伴って、部族国家から出て行った。 :  ;   カエサルとローマに忠節なキンゲトリークスに、部族の統治権が託される *<!--❾-->[[wikt:en:Cingetorix#Latin|Cingetorigi]], **キンゲトリークスに対しては、 *quem ab initio [[wikt:en:permaneo#Latin|permansisse]] in [[wikt:en:officium#Latin|officio]] [[wikt:en:demonstravimus|demonstravimus]], **──その者が当初から<small>(ローマへの)</small>忠義に留まり続けたことは前述したが── **:<span style="color:#009900;">(訳注:キンゲトリークスについては、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]~4節・[[ガリア戦記 第5巻#56節|56節]]~57節で述べられている。)</span> *[[wikt:en:principatus#Latin|principatus]] atque [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]] est traditum. **首長の地位と支配権が託された。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <span style="font-size:11pt;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==第二次ゲルマーニア遠征== ===9節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2024-11-06}}</span> ;再びレーヌスを渡河、ウビイー族を調べる *<!--❶-->Caesar, postquam ex Menapiis in Treveros venit, **カエサルは、メナピイー族のところからトレーウェリー族のところに来た後で、 *duabus de causis Rhenum transire constituit; **二つの理由からレーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>を渡ることを決めた。 :  *<!--❷-->quarum una erat, quod <span style="color:#009900;">&lt;Germani&gt;</span> auxilia contra se Treveris miserant; **その<small></small>(理由の)一つは、<span style="color:#009900;">&lt;ゲルマーニア人が&gt;</span>自分<small>〔カエサル〕</small>に対抗して、トレーウェリー族に援軍を派遣していたことであった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:&lt;Germani&gt; は、主要写本&omega;にはなく、<br>     [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Hotomanus|Hotomanus]] による挿入提案。)</span> *altera, ne ad eos Ambiorix receptum haberet. **もう一つ<small></small>(の理由)は、彼らのところへ[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が避難所を持たないように、ということであった。 :  [[画像:Caesar's Rhine Crossing.jpg|thumb|right|250px|カエサルがライン川に橋を架けたとされる有力な地点の図示。ライン川と[[w:モーゼル川|モーゼル川]]の合流点にある[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[w:en:Koblenz|Koblenz]])と下流の[[w:アンダーナッハ|アンダーナッハ]]([[w:en:Andernach|Andernach]])との間の[[w:ノイヴィート|ノイヴィート]]([[w:en:Neuwied|Neuwied]])辺りが有力な地点の一つとされる。'''([[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図を再掲)''']] *<!--❸-->His constitutis rebus, **これらの事柄を決定すると、 *[[wikt:en:paulum#Adverb|paulum]] supra eum locum, quo ante exercitum traduxerat, facere pontem instituit. **<u>以前に軍隊を渡らせていた場所</u>の少し上流に、橋を造ることを決意した。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]] でカエサルが[[w:ライン川|ライン川]]に架橋した場所のこと。<br>    第4巻の'''[[ガリア戦記_第4巻#コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」|コラム]]''' や [[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図で説明したように、<br>    カエサルの最初の架橋地点には異論もあるが、<br>    今回の架橋地点がトレーウェリー族領であった<br>    [[w:モーゼル川|モーゼル川]]渓谷から近かったであろうことから有力視される。)</span> :  *<!--❹-->Nota atque instituta ratione, **経験しかつ建造していた方法で、 *magno militum studio **兵士の大きな熱意により *paucis diebus opus efficitur. **わずかな日数で作業が完遂された。 :  *<!--❺-->Firmo in Treveris ad pontem praesidio relicto, **トレーウェリー族(の領内)の橋のたもとへ強力な守備隊を残した。 *ne quis ab his subito motus <u>oreretur</u>, **彼らによる何らかの動乱が突然に起こされないように。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・&rho;系写本では [[wikt:en:oreretur|oreretur]]、<br>         &phi;系・&pi;系写本では [[wikt:en:oriretur|oriretur]] だが、語形の相異。)</span> *reliquas copias equitatumque traducit. **残りの軍勢と騎兵隊を(レーヌスの東岸へ)渡らせた。 :  *<!--❻-->Ubii, qui ante obsides dederant atque in deditionem venerant, **ウビイー族は、以前に(カエサルに対して)人質たちを供出していて、降伏していたが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この事はすでに[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]で述べられている。)</span> *<u>purgandi sui</u> causa ad eum legatos mittunt, **自分たちの申し開きをすることのために、彼(カエサル)のところへ使節たちを遣わして、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:purgandi|purgandi]] [[wikt:en:sui#Pronoun|sui]] だが、<br>         &beta;系写本では purgandi のみ。)</span> *qui doceant, **(以下のように)説かせた。 *neque <u>auxilia ex sua civitate</u> in Treveros missa **自分たちの部族から援軍をトレーウェリー族のところに派遣してもいないし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・M・S写本では [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] ex sua [[wikt:en:civitate|civitate]]、<br>         L・N・&beta;系写本では ex sua civitate auxilia の語順になっている。)</span> *neque ab se fidem laesam: **自分らにより(ローマへの)信義を傷つけてもいない、と。 :  *<!--❼-->petunt atque orant, **(ウビイー族の使節たちは、以下のように)求め、かつ願った。 *ut sibi parcat, **自分たちを容赦し、 *ne communi odio Germanorum innocentes pro nocentibus poenas pendant; **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人一般への憎しみから、潔白な者たちが加害者たちのために罰を償うことがないように、と。 *si amplius obsidum <u>vellet, dare</u> pollicentur. **もし、より多くの人質を欲するのなら、供出することを約束する、と。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]] <small>(未完了過去・接続法)</small> [[wikt:en:dare#Latin|dare]] <small>(現在・能動・不定)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:velit#Latin|velit]] <small>(現在・接続法)</small> [[wikt:en:dari#Latin|dari]] <small>(現在・受動・不定法)</small> となっている。)</span> :  *<!--❽-->Cognita Caesar causa **カエサルは事情を調査して、 *<u>repperit</u> ab Suebis auxilia missa esse; **スエービー族により(トレーウェリー族に)援軍が派遣されていたことを見出した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:repperit|repperit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         近世以降の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.]] では [[wikt:en:reperit|reperit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> :  *Ubiorum satisfactionem <u>accepit</u>, **ウビイー族の弁解を受け入れて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:accepit|accepit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Davisius|Davisius]] の修正提案では [[wikt:en:accipit|accipit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> *aditus viasque in Suebos perquirit. **スエービー族のところに出入りする道筋を問い質した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===10節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2024-11-16}}</span> ;ウビイー族を通じてスエービー族の動静を探る *<!--❶-->Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior, **わずかな日々の後の間に、ウビイー族によって報告されたことには、 *Suebos omnes in unum locum copias cogere **スエービー族は、すべての軍勢を一か所に集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後述するように、これはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] のことであろう。)</span> *atque iis nationibus, quae sub eorum sint imperio, **彼らの支配下にある種族たちに *denuntiare, ut auxilia peditatus equitatusque mittant. **[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の援軍を派遣するように指示した。 :  *<!--❷-->His cognitis rebus, **<small>(カエサルは)</small>これらの事情を知ると、 *rem frumentariam providet, **糧食調達を準備して、 *castris idoneum locum deligit; **[[w:カストラ|陣営]]<small>(を設置するの)</small>に適切な場所を選んだ。 *Ubiis imperat, ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, **ウビイー族には、家畜を連れ去り、自分たちの一切合財を土地から[[w:オッピドゥム|城市]]に運び集めるように命令した。 *sperans barbaros atque imperitos homines **<small>(カエサルが)</small>期待したのは、野蛮で無知な連中が *inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; **糧秣の欠乏に動かされて、不都合な条件のもとで戦うことがあり得るように誘引されることであった。 :  *<!--❸-->mandat, ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. **偵察者たちをたびたびスエービー族内に遣わして、彼らのもとで遂行されていることを知るように<small>(ウビイー族に)</small>委ねた。 :  *<!--❹-->Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: **彼ら<small>〔ウビイー族〕</small>は、命令されたことを実行して、わずかな日々を間に置いて(以下のことを)報告する。 *Suebos omnes, posteaquam certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, **スエービー族は皆、ローマ人の軍隊についてより確実な報告がもたらされた後で、 *cum omnibus suis sociorumque copiis, quas coegissent, **自分たちの軍勢と集結していた同盟者たちの軍勢とともに、 *penitus ad extremos fines se recepisse; **領土の最も遠い奥深くまで撤退していた。 :  *<!--❺-->silvam esse ibi infinita magnitudine, quae appellatur <u>Bacenis</u>; **そこには、'''バケーニス'''と呼ばれている限りない大きさの森林がある。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:バケーニス Băcēnis 、ギリシア語で Βακέννη とも表記されるが、どこなのかは諸説ある。<br>     ①ドイツ西部[[w:ヘッセン州|ヘッセン州]]にあったブコニアの森 ''[[w:de:Buchonia|Buchonia]]; [[w:fr:Forêt de Buconia|Buconia]]'' は有力。<br>     ②ドイツの奥地・中東部の[[w:テューリンゲン州|テューリンゲン州]]にある[[w:テューリンゲンの森|テューリンゲンの森]]という説<ref>[[s:de:RE:Bacenis silva]], [[wikt:de:Bacenis]] 等を参照。</ref><br>     ③ドイツ西部[[w:ラインラント=プファルツ州|ラインラント=プファルツ州]]ライン川沿岸のニールシュタイン [[w:en:Nierstein|Nierstein]] 説、<br>    などがある。史実としてスエービーという部族連合が居住していたのはテューリンゲンであろうが、<br>    ライン川からはあまりにも遠すぎる。)</span> *hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam **これは、はるか内陸に及んでいて、天然の防壁として横たわっており、 *[[wikt:en:Cheruscos|Cheruscos]] ab Suebis Suebosque ab [[wikt:en:Cheruscis|Cheruscis]] iniuriis incursionibusque prohibere: **ケールスキー族をスエービー族から、スエービー族をケールスキー族から、無法行為や襲撃から防いでいる。 *ad eius initium silvae Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. **その森の始まりのところで、スエービー族はローマ人の到来を待ち構えることを決定した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」=== [[画像:Hermann (Arminius) at the battle of the Teutoburg Forest in 9 CE by Peter Jannsen, 1873, with painting creases and damage removed.jpg|thumb|right|250px|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)で戦う、ゲルマーニア軍とローマ軍(Johann Peter Theodor Janssen画、1870~1873年頃)。中央上の人物はケールスキー族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]。<br>アルミニウスが率いるケールスキー族・カッティー族らゲルマーニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。]] <br> <div style="background:#ecf;">  '''スエービー族とカッティー族'''</div> :『ガリア戦記』では、第1巻・第4巻および第6巻でたびたび[[w:スエビ族|スエービー族]]の名が言及される。タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の38章「スエービー」などを参照。</ref>など多くの史家が伝えるようにスエービー族 [[wikt:en:Suebi#Latin|Suēbī]] またはスエウィ族 Suēvī とは、単一の部族名ではなく、多くの独立した部族国家から構成される連合体の総称とされる。 :19世紀のローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]によれば<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、のp.201, p.224, p.232などを参照。</ref>、カエサルの時代のローマ人には 「スエービー」とは遊牧民を指す一般的な呼称で、カエサルがスエービーと呼ぶのはカッティー族だという。 :カッティー族とスエービー系諸部族の異同は明確ではないが、多くの史家は両者を区別して伝えている。 : 第1巻37節・51節・53節~54節、第4巻1節~4節・7節などで言及され、「百の郷を持つ」と されている「スエービー族」は、スエービー系諸部族の総称、あるいは遊牧系の部族を指すのであろう。 : 他方、第4巻16節・19節・第6巻9節~10節・29節で、ウビイー族を圧迫する存在として言及される :「スエービー族」はモムゼンの指摘のように、カッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] であることが考えられる。 :タキトゥス著『ゲルマーニア』<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の36章「ケルスキー」などを参照。</ref>でも、カッティー族はケールスキー族と隣接する宿敵として描写され、本節の説明に合致する。 <div style="background:#ecf;">  '''ケールスキー族'''</div> :ケールスキー族は、『ガリア戦記』では[[#10節|本節]]でカッティー族と隣接する部族として名を挙げられる :のみである。しかしながら、本巻の年(BC53年)から61年後(AD9年)には、帝政ローマの :[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]がゲルマーニアに派遣していたプブリウス・クィンクティリウス・ウァルス :([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Publius Quinctilius Varus]])が率いるローマ軍3個軍団に対して、名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]を :指導者とするケールスキー族は、カッティー族ら諸部族の同盟軍を組織して、ウァルスの3個軍団を :[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]において壊滅させ、老帝アウグストゥスを嘆かせたという。 <div style="background:#ecf;">  '''ウビイー族'''</div> :ウビイー族は『ガリア戦記』の第4巻・第6巻でも説明されているように、ローマ人への忠節を :認められていた。そのため、タキトゥスによれば<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の28章などを参照。</ref>、ゲルマニアへのローマ人の守りとして :BC38年頃にレヌス(ライン川)左岸のコロニア([[w:la:Colonia_Agrippina|Colonia]];植民市)すなわち現在の[[w:ケルン|ケルン市]]に移された。) </div> ==ガッリア人の社会と風習について== <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」=== [[画像:Testa di saggio o principe, forse il filosofo poseidonio, 50 ac. ca 01.JPG|thumb|right|200px|アパメアの[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]の胸像。地中海世界やガッリアなどを広く訪れて、膨大な著作を残した。<br>『ガリア戦記』の地誌・民族誌的な説明も、その多くを彼の著作に依拠していると考えられている。]] :これ以降、11節~20節の10節にわたってガッリアの地誌・民族誌的な説明が展開され、さらには、ゲルマーニアの地誌・民族誌的な説明などが21節~28節の8節にわたって続く。ガッリア戦争の背景説明となるこのような地誌・民族誌は、本来ならば第1巻の冒頭に置かれてもおかしくはない。しかしながら、この第6巻の年(BC53年)は、カエサル指揮下のローマ勢にとってはよほど書かれるべき戦果が上がらなかったためか、ガッリア北部の平定とエブロネス族の追討戦だけでは非常に短い巻となってしまうため、このような位置に置いたとも考えられる。ゲルマーニアの森にどんな獣が住んでいるかなど、本筋にほとんど影響のないと思われる記述も見られる。 :『ガリア戦記』におけるガッリアの地誌・民族誌的な説明、特にこの11節以降の部分は、文化史的に重要なものと見なされ、考古学やケルトの伝承などからも裏付けられる。しかし、これらの記述はカエサル自身が見聞したというよりも、むしろ先人の記述、とりわけBC2~1世紀のギリシア哲学ストア派の哲学者・地理学者・歴史学者であった[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]([[w:la:Posidonius Apameus|Posidonius Apameus]])の著作に依拠していたと考えられている<ref>『ケルト事典』ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、創元社の「ポセイドニオス」「カエサル」の項を参照。</ref> <ref>『ケルト人』ヴァンセスラス・クルータ([[w:fr:Venceslas Kruta|Venceslas Kruta]])著、鶴岡真弓訳、白水社 のp.20-21を参照。</ref>。ポセイドニオスは、ローマが支配する地中海世界やガッリア地域などを広く旅行した。彼の52巻からなる膨大な歴史書は現存しないが、その第23巻にガッリアに関する詳細な記述があったとされ、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、[[w:ストラボン|ストラボン]]、[[w:アテナイオス|アテナイオス]]らによって引用され、同時代および近代のケルト人観に多大な影響を与えたと考えられている。 :現存するガッリアの地誌・民族誌は、ストラボン<ref>『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』ストラボン著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ディオドロス<ref>『神代地誌』ディオドロス著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>『世界地理』ポンポニウス・メラ著、飯尾都人訳(上掲『神代地誌』に所収)</ref>のものなどがある。現存するゲルマーニアの地誌・民族誌は、ストラボン、タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫などを参照。</ref>、ポンポニウス・メラなどのものがある。 </div> ===11節=== '''ガッリア人の派閥性''' *① Quoniam ad hunc locum perventum est, **この地(ゲルマーニア)にまで到達したので、 *non alienum esse videtur de Galliae Germaniaeque moribus et, quo differant hae nationes inter sese proponere. **[[w:ガリア|ガッリア]]と[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]の風習について、これらの種族が互いにどのように異なるか述べることは不適切でないと思われる。 *② In Gallia non solum in omnibus civitatibus atque in omnibus <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagis]]</u> partibusque, **ガッリアにおいては、すべての部族において、さらにすべての<u>郷</u>や地方においてのみならず、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span> *sed paene etiam in singulis domibus factiones sunt, **ほとんどの個々の氏族においてさえも、派閥があり、 *earumque factionum principes sunt, **それらの派閥には、領袖がいる。 *③ qui summam auctoritatem eorum iudicio habere existimantur, **その者(領袖)らは、彼ら(派閥)の判断に対して、最高の影響力を持っていると考えられている。 *quorum ad arbitrium iudiciumque summa omnium rerum consiliorumque redeat. **すべての事柄と協議は結局のところ、その者(領袖)らの裁量や判断へ帰する。 *④ Idque eius rei causa antiquitus institutum videtur, **それは、それらの事柄のために昔から取り決められたものと見られ、 *ne quis ex plebe contra potentiorem auxilii egeret: **平民のある者が、より権力のある者に対して、援助を欠くことがないように、ということである。 *suos enim quisque opprimi et circumveniri non patitur, **すなわち(領袖たちの)誰も、身内の者たちが抑圧されたり欺かれたりすることを容認しない。 *neque, aliter si faciat, ullam inter suos habet auctoritatem. **もし(領袖が)そうでなくふるまったならば、身内の者たちの間で何ら影響力を持てない。 *⑤ Haec eadem ratio est in summa totius Galliae; **これと同じ理屈が、ガッリア全体の究極において存在する。 *namque omnes civitates in partes divisae sunt duas. **すなわち、すべての部族が二つの党派に分けられているのである。 ===12節=== '''ハエドゥイ族、セクァニ族、レミ族の覇権争い''' *① Cum Caesar in Galliam venit, **カエサルがガッリアに来たときに、 *alterius factionis principes erant Haedui, alterius Sequani. **(二つの)派閥の一方の盟主は[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]であり、他方は[[w:セクァニ族|セクァニ族]]であった。 **:(訳注:第1巻31節の記述によれば、ハエドゥイ族と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]がそれぞれの盟主であった。 **:カエサルが本節でアルウェルニ族の名を伏せている理由は不明である。 **:また、[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.330)</ref>、ハエドゥイ族とセクァニ族の敵対関係においては、 **:両部族を隔てるアラル川の水利権(川舟の通行税)をめぐる争いが敵意を助長していたという。) *② Hi cum per se minus valerent, **後者(セクァニ族)は自力ではあまり優勢ではなかったので、 *quod summa auctoritas antiquitus erat in Haeduis **というのは、昔から最大の影響力はハエドゥイ族にあって、 *magnaeque eorum erant clientelae, **彼ら(ハエドゥイ族)には多くの庇護民があったからであるが、 *Germanos atque Ariovistum sibi adiunxerant **[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人と[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]を自分たちに会盟させ、 *eosque ad se magnis iacturis pollicitationibusque perduxerant. **多くの負担と約束で 彼らを自分たちのところに引き入れた。 *③ Proeliis vero compluribus factis secundis **実にいくつもの戦闘を順調に行なって、 *atque omni nobilitate Haeduorum interfecta **ハエドゥイ族のすべての高貴な者たちを殺害して、 *tantum potentia antecesserant, **かなりの勢力で抜きん出たので、 *④ ut magnam partem clientium ab Haeduis ad se traducerent **結果として、ハエドゥイ族から庇護民の大部分を自分たちへ味方に付けて、 *obsidesque ab iis principum filios acciperent **彼らから領袖の息子たちを人質として受け取り、 *et publice iurare cogerent nihil se contra Sequanos consilii inituros, **自分たち(ハエドゥイ族)がセクァニ族に対して何ら謀計を始めるつもりではない、と公に誓うことを強いて、 *et partem finitimi agri per vim occupatam possiderent **近隣の土地の一部を力ずくで占領して所有地とした。 *Galliaeque totius principatum obtinerent. **ガッリア全体の指導権を手に入れた。 *⑤ Qua necessitate adductus **それにより、やむを得ずに動かされて、 *Diviciacus auxilii petendi causa Romam ad senatum profectus infecta re redierat. **[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]は支援を求めるために[[w:ローマ|ローマ市]]に元老院のところへ赴いたが、事を成就せずに帰った。 *⑥ Adventu Caesaris facta commutatione rerum, **カエサルの到来で事態の変化がなされて、 *obsidibus Haeduis redditis, **ハエドゥイ族の人質たちは戻されて、 *veteribus clientelis restitutis, **昔からの庇護民が復帰して、 *novis per Caesarem comparatis, **カエサルを通じて新参者たちを仲間にした。 *quod ii qui se ad eorum amicitiam adgregaverant, **というのは、彼ら(ハエドゥイ族)の友好のもとに仲間となっていた者たちが、 *⑦ meliore condicione atque aequiore imperio se uti videbant, **(セクァニ族)より良い条件とより公平な支配を享受しているように見えて、 *reliquis rebus eorum gratia dignitateque amplificata **ほかの事柄においても彼ら(ハエドゥイ族)の信望と品格がより増されて、 *Sequani principatum dimiserant. **セクァニ族は指導権を放棄したのだ。 *In eorum locum Remi successerant: **彼ら(セクァニ族)の地位において、[[w:レミ族|レミ族]]が取って代わった。 *quos quod adaequare apud Caesarem gratia intellegebatur, **その者ら(レミ族)はカエサルのもとで信望において(ハエドゥイ族と)同等であると認識されたので、 *ii qui propter veteres inimicitias nullo modo cum Haeduis coniungi poterant, **昔からの敵対関係のためにハエドゥイ族とどのようなやり方でも結ぶことができなかった者たちは、 *se Remis in clientelam dicabant. **レミ族との庇護関係に自らを委ねたのだ。 *⑧ Hos illi diligenter tuebantur; **この者ら(レミ族)はあの者ら(庇護民)を誠実に保護して、 *ita et novam et repente collectam auctoritatem tenebant. **このようにして、最近に得られた新しい影響力を保持した。 *⑨ Eo tum statu res erat, ut longe principes haberentur Haedui, **当時、ハエドゥイ族の位置付けは、まったく盟主と見なされるような状態であって、 *secundum locum dignitatis Remi obtinerent. **レミ族の品格は第二の地位を占めたのだ。 ===13節=== '''ガッリア人の社会階級、平民およびドルイドについて(1)''' *① In omni Gallia eorum hominum, qui aliquo sunt numero atque honore, genera sunt duo. **全ガッリアにおいて、何らかの地位や顕職にある人々の階級は二つである。 '''平民について''' *Nam plebes paene servorum habetur loco, **これに対して、平民はほとんど奴隷の地位として扱われており、 *quae nihil audet per se, nullo adhibetur consilio. **自分たちを通じては何らあえてすることはないし、誰も相談をされることもない。 *② Plerique, cum aut aere alieno aut magnitudine tributorum aut iniuria potentiorum premuntur, **多くの者は、あるいは負債、あるいは貢納の多さ、あるいはより権力のある者に抑圧されているので、 *sese in servitutem dicant. **自らを奴隷身分に差し出している。 *Nobilibus in hos eadem omnia sunt iura, quae dominis in servos. **高貴な者たちには彼ら(平民)において、奴隷において主人にあるのと同様なすべての権利がある。 '''ドルイドについて''' *③ Sed de his duobus generibus alterum est druidum, alterum equitum. **ともかく、これら二つの階級について、一方は[[w:ドルイド|ドルイド]](神官)であり、他方は[[w:騎士|騎士]]である。 *④ Illi rebus divinis intersunt, sacrificia publica ac privata procurant, religiones interpretantur: **前者(ドルイド)は神事に介在し、公・私の<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を司り、信仰のことを講釈する。 **:(訳注:供犠とは、人や獣を生け贄として神前に捧げることである。<ruby><rb>[[w:人身御供|人身御供]]</rb><rp>(</rp><rt>ひとみごくう</rt><rp>)</rp></ruby>とも。) [[画像:Two_Druids.PNG|thumb|right|200px|二人のドルイド。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガッリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。]] *ad hos magnus adulescentium numerus disciplinae causa concurrit, **この者ら(ドルイド)のもとへ、若者の多数が教えのために群り集まり、 *magnoque hi sunt apud eos honore. **この者ら(ドルイド)は、彼ら(ガッリア人)のもとで大いなる地位にある。 *⑤ Nam fere de omnibus controversiis publicis privatisque constituunt, **なぜなら(ドルイドは)ほとんどすべての公・私の訴訟ごとに判決をするのである。 *et, si quod est admissum facinus, si caedes facta, **もし何らかの罪悪が犯されれば、もし殺害がなされれば、 *si de hereditate, de finibus controversia est, **もし、遺産について、地所について、訴訟ごとがあれば、 *idem decernunt, praemia poenasque constituunt; **同じ人たち(ドルイド)が裁決し、補償や懲罰を判決するのである。 *⑥ si qui aut privatus aut populus eorum decreto non stetit, sacrificiis interdicunt. **もし何らかの個人あるいは集団が彼ら(ドルイド)の裁決を遵守しなければ、(その者らに)供犠を禁じる。 *Haec poena apud eos est gravissima. **これは、彼ら(ガッリア人)のもとでは、非常に重い懲罰である。 *⑦ Quibus ita est interdictum, **このように(供犠を)禁じられた者たちは、 *hi numero impiorum ac sceleratorum habentur, **彼らは、不信心で不浄な輩と見なされて、 *his omnes decedunt, aditum sermonemque defugiunt, **皆が彼らを忌避して、近づくことや会話を避ける。 *ne quid ex contagione incommodi accipiant, **(彼らとの)接触から、何らかの災厄を負うことがないようにである。 *neque his petentibus ius redditur **彼らが請願しても(元通りの)権利は戻されないし、 *neque honos ullus communicatur. **いかなる地位(に就くこと)も許されない。 *⑧ His autem omnibus druidibus praeest unus, **ところで、これらすべてのドルイドを一人が指導しており、 *qui summam inter eos habet auctoritatem. **その者は彼ら(ドルイドたち)の間に最高の影響力を持っている。 *⑨ Hoc mortuo **この者が死んだならば、 *aut, si qui ex reliquis excellit dignitate, succedit, **あるいは、もし残りの者たちの中から品格に秀でた者がおれば、継承して、 *aut, si sunt plures pares, suffragio druidum {adlegitur}<ref>adlegitur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>; **あるいは、もしより多くの者たちが同等であれば、ドルイドの投票で{選ばれる}。 *nonnumquam etiam armis de principatu contendunt. **ときどきは、武力でさえも首座を争うことがある。 *⑩ Hi certo anni tempore **彼ら(ドルイド)は年間の定められた時期に *in finibus Carnutum, quae regio totius Galliae media habetur, considunt in loco consecrato. **ガッリア全体の中心地方と見なされている[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の領土において、[[w:聖地|聖地]]に集合する。 **:(訳注:これはカエサルが支配する「ガッリア全体」の話で、他の地方には別の中心地があったようである。) *Huc omnes undique, qui controversias habent, conveniunt **ここへ、至る所から訴訟などを持つあらゆる者たちが集まって、 *eorumque decretis iudiciisque parent. **彼ら(ドルイド)の裁決や判断に服従する。 *⑪ Disciplina in Britannia reperta atque inde in Galliam translata esse existimatur, **(ドルイドの)教えは[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]で見出され、そこからガッリアにもたらされたと考えられている。 **:(訳注:これに対して、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]は、ガッリア人の信仰は[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。 **:[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば、これは東方のゲタエ人([[w:en:Getae|Getae]];[[w:トラキア|トラキア]]系ないし[[w:ダキア|ダキア]]系)を通じて取り入れたものだという<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、第7巻 第3章 第5節)</ref>。) *⑫ et nunc, qui diligentius eam rem cognoscere volunt, **今でも、その事柄をより入念に探究することを欲する者たちは、 *plerumque illo discendi causa proficiscuntur. **たいてい、かの地に研究するために旅立つ。 ===14節=== '''ドルイドについて(2)''' *① Druides a bello abesse consuerunt **[[w:ドルイド|ドルイド]]たちは、戦争に関与しない習慣であり、 *neque tributa una cum reliquis pendunt; **ほかの者と一緒に貢納(租税)を支払うこともない。 *militiae vacationem omniumque rerum habent immunitatem. **[[w:徴兵制度|兵役]]の免除や、すべての事柄において免除特権を持っているのである。 [[画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|thumb|right|200px|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち]] *② Tantis excitati praemiis **このような特典に駆り立てられて *et sua sponte multi in disciplinam conveniunt **自らの意思で多くの者が教え(の場)に集まっても来るし、 *et a parentibus propinquisque mittuntur. **親たちや縁者たちによって送られても来る。 *③ Magnum ibi numerum versuum ediscere dicuntur. **(彼らは)そこで詩句の多数を習得すると言われている。 *Itaque annos nonnulli vicenos in disciplina permanent. **こうして、少なからぬ者たちが、20年にもわたって教え(の場)に残留する。 [[画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|thumb|right|200px|ギリシア文字で刻まれたガッリアの碑文]] *Neque fas esse existimant ea litteris mandare, **それら(の詩句)を文字で刻み込むことは、神意に背くと考えている。 *cum in reliquis fere rebus, publicis privatisque rationibus, Graecis litteris utantur. **もっとも、ほかの事柄においては、公・私の用件に[[w:ギリシア文字|ギリシア文字]]を用いる。 *④ Id mihi duabus de causis instituisse videntur, **それは、私(カエサル)には、二つの理由で(ドルイドが)定めたことと思われる。 **:(訳注:これは、カエサルが自らを一人称で示している珍しい個所である。) *quod neque in vulgum disciplinam efferri velint **というのは、教えが一般大衆にもたらされることは欲していないし、 *neque eos, qui discunt, litteris confisos minus memoriae studere: **(教えを)学ぶ者が、文字を頼りにして、あまり暗記することに努めなくならないようにである。 [[画像:Dying_gaul.jpg|thumb|right|200px|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])]] *quod fere plerisque accidit, ut **というのも、ほとんど多くの場合に起こることには、 *praesidio litterarum diligentiam in perdiscendo ac memoriam remittant. **文字の助けによって、入念に猛勉強することや暗記することを放棄してしまうのである。 *⑤ In primis hoc volunt persuadere, **とりわけ、彼ら(ドルイド)が説くことを欲しているのは、 *non interire animas, sed ab aliis post mortem transire ad alios, **霊魂は滅びることがないのみならず、死後にある者から別のある者へ乗り移るということである。 **:(訳注:ガッリア人の[[w:輪廻転生|転生信仰]]は、[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]が伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。) *atque hoc maxime ad virtutem excitari putant metu mortis neglecto. **これによって(ガッリア人は)死の恐怖に無頓着になって最も武勇へ駆り立てられると(ドルイドは)思っている。 [[画像:Universum.jpg|thumb|right|200px|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。]] *Multa praeterea de sideribus atque eorum motu, **さらに多く、星々とその動きについて、 *de mundi ac terrarum magnitudine, de rerum natura, **天空と大地の大きさについて、物事の本質について、 *de deorum immortalium vi ac potestate **不死の神々の力と支配について、 *disputant et iuventuti tradunt. **研究して、青年たちに教示するのである。 <br> <br> *('''訳注:ドルイドについて''' :ケルト社会の神官・祭司・僧などとされるドルイドについては、おそらくは[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]、そしてカエサル、 :および[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410-p.411)</ref>、[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.341-p.342)</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>ポンポニウス・メラ『世界地理』(前掲、p.549)</ref>などのギリシア人・ローマ人の著述家たちがそれぞれ :書き残しているために同時代や現代に知られている。しかし、本節にもあるように、その秘密主義からか、 :古代ギリシア・ローマの著作にあるほかには、その詳細については不明である。) ===15節=== [[画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|thumb|right|200px|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。]] [[画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|thumb|right|200px|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)]] '''ガッリア人の騎士階級について''' *① Alterum genus est equitum. **(ドルイドと並ぶ)もう一つの階級は、[[w:騎士|騎士]]である。 *Hi, cum est usus atque aliquod bellum incidit **彼らは、必要とされ、かつ何らかの戦争が勃発したときには、 *─ quod fere ante Caesaris adventum quotannis accidere solebat, **─ それ(戦争)はカエサルの到来以前にはほとんど毎年のように起こるのが常であり、 *uti aut ipsi iniurias inferrent aut inlatas propulsarent ─, **自身が侵犯行為を引き起こすためか、あるいは引き起こされて撃退するためであったが、─ *omnes in bello versantur, **総勢が戦争に従事した。 *② atque eorum ut quisque est genere copiisque amplissimus, **さらに彼らは、高貴な生まれで財産が非常に大きければ大きいほど、 **:(訳注:ut quisque ~ ita;おのおのが~であればあるほどますます) *ita plurimos circum se ambactos clientesque habet. **自らの周囲に非常に多くの臣下や庇護民たちを侍らせる。 *Hanc unam gratiam potentiamque noverunt. **(騎士たちは)これが信望や権勢(を示すこと)の一つであると認識しているのである。 ===16節=== '''ガッリア人の信仰と生け贄、ウィッカーマン''' *① Natio est omnis Gallorum admodum dedita religionibus, **ガッリア人のすべての部族民は、まったく信仰行為に身を捧げている。 *② atque ob eam causam, **その理由のために、 *qui sunt adfecti gravioribus morbis **非常に重い病気を患った者たち *quique in proeliis periculisque versantur, **および戦闘において危険に苦しめられる者たちは、 *aut pro victimis homines immolant **あるいは<ruby><rb>[[w:生贄|生け贄]]</rb><rp>(</rp><rt>いけにえ</rt><rp>)</rp></ruby>の獣(犠牲獣)の代わりに人間を供えたり、 *aut se immolaturos vovent, **あるいは自らを犠牲にするつもりであると誓願し、 *administrisque ad ea sacrificia druidibus utuntur, **その<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を執り行う者として[[w:ドルイド|ドルイド]]を利用するのである。 *③ quod, pro vita hominis nisi hominis vita reddatur, **というのは(一人の)人間の生命のためには、(もう一人の)人間の生命が償われない限り、 *non posse deorum immortalium numen placari arbitrantur, **不死の神々の<ruby><rb>御霊</rb><rp>(</rp><rt>みたま</rt><rp>)</rp></ruby>がなだめられることができないと思われているからである。 *publiceque eiusdem generis habent instituta sacrificia. **同じような類いの供儀が公けに定められているのである。 [[画像:WickerManIllustration.jpg|thumb|right|310px|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた<ref>例えば『ケルト人─蘇るヨーロッパ<幻の民>』C.エリュエール著、鶴岡真弓監修、創元社、p.130の挿絵などを参照。</ref>。1973年にはイギリスで映画化され<ref>“[[w:en:The Wicker Man (1973 film)|The Wicker Man]]”はウィッカーマンを題材にした1973年のイギリスのカルト映画作品。</ref>、2006年にはアメリカなどでも映画化された<ref>“[[w:en:The Wicker Man (2006 film)|The Wicker Man]]”は上記作品をリメイクした2006年のアメリカ・カナダ・ドイツの映画作品。</ref>。]] [[画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|thumb|right|100px|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)]] '''ウィッカーマン''' *④ Alii immani magnitudine simulacra habent, **ある者たちは、恐ろしく大規模な像を持って、 *quorum contexta viminibus membra vivis hominibus complent; **その柳の枝で編み込まれた肢体を人間たちで満杯にして、 *quibus succensis **それらを燃やして、 *circumventi flamma exanimantur homines. **人々は炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。 *⑤ Supplicia eorum qui in furto aut in latrocinio **窃盗あるいは追い剥ぎに関わった者たちを処刑することにより、 *aut aliqua noxia sint comprehensi, **あるいは何らかの罪状により捕らわれた者たち(の処刑)により、 *gratiora dis immortalibus esse arbitrantur; **不死の神々に感謝されると思っている。 *sed, cum eius generis copia defecit, **しかしながら、その類いの量が欠けたときには、 *etiam ad innocentium supplicia descendunt. **潔白な者たちさえも犠牲にすることに頼るのである。 <br><br> :('''訳注''':このような'''[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]'''の供犠については[[w:ストラボン|ストラボン]]も伝えており<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.343)</ref>、 :[[w:人身御供|人身御供]]の種類の一つとして、干し草やたきぎで巨像を作り、その中へあらゆる :家畜・野生動物や人間たちを投げ込んで丸焼きにする習慣があったという。 : また、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410~p.411)</ref>やストラボンによれば、ドルイドはむしろ'''[[w:予言|予言者]]・[[w:占い|占い師]]''' :であるという。ドルイドが重要な問題について占うときには、供犠される人間の :腹または背中を剣などで刺して、犠牲者の倒れ方、肢体のけいれん、出血の様子 :などを観察して、将来の出来事を占うのだという。) ===17節=== '''ガッリアの神々(ローマ風解釈)''' *① Deum maxime [[w:la:Mercurius_(deus)|Mercurium]] colunt. **(ガッリア人は)神々のうちでとりわけ[[w:メルクリウス|メルクリウス]]を崇拝する。 **:(訳注:メルクリウスは[[w:ローマ神話|ローマ神話]]の神名であり、本節の神名はすべてローマ風解釈である。) *Huius sunt plurima simulacra: **彼の偶像が最も多い。 *hunc omnium inventorem artium ferunt, **(ガッリア人は)彼をすべての技芸の発明者であると言い伝えており、 *hunc viarum atque itinerum ducem, **彼を道および旅の案内者として、 *hunc ad quaestus pecuniae mercaturasque habere vim maximam arbitrantur. **彼が金銭の利得や商取引で絶大な力を持つと思われている。 [[画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。]] [[画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。]] *Post hunc [[w:la:Apollo|Apollinem]] et [[w:la:Minerva|Martem]] et [[w:la:Iuppiter|Iovem]] et [[w:la:Mars_(deus)|Minervam]]. **彼に続いて、[[w:アポローン|アポロ]]と[[w:マルス (ローマ神話)|マルス]]と[[w:ユーピテル|ユピテル]]と[[w:ミネルウァ|ミネルウァ]]を(ガッリア人は崇拝する)。 *② De his eandem fere, quam reliquae gentes, habent opinionem: **これら(の神々)について、ほかの種族とほぼ同じ見解を持っている。 *Apollinem morbos depellere, **アポロは病気を追い払い、 *Minervam operum atque artificiorum initia tradere, **ミネルウァは工芸や技術の初歩を教示し、 *Iovem imperium caelestium tenere, **ユピテルは天界の統治を司り、 *Martem bella regere. **マルスは戦争を支配する。 *③ Huic, cum proelio dimicare constituerunt, **彼(マルス)には、(ガッリア人が)戦闘で干戈を交えることを決心したときに、 *ea quae bello ceperint, plerumque devovent: **戦争で捕獲したものを、たいていは奉納するものである。 *cum superaverunt, animalia capta immolant **(戦闘で)打ち勝ったときには、捕獲された獣を生け贄に供えて、 *reliquasque res in unum locum conferunt. **残りの物を1か所に運び集める。 *④ Multis in civitatibus harum rerum ex(s)tructos tumulos locis consecratis conspicari licet; **多くの部族において、これらの物が積み上げられた塚を、神聖な地で見ることができる。 *⑤ neque saepe accidit, ut neglecta quispiam religione **何らかの者が信仰を軽視するようなことが、しばしば起こることはない。 *aut capta apud se occultare aut posita tollere auderet, **捕獲されたものを自分のもとに隠すこと、あるいは(塚に)置かれたものをあえて運び去ることは。 *gravissimumque ei rei supplicium cum cruciatu constitutum est. **そんな事には、拷問を伴う最も重い刑罰が決められている。 **:(訳注:最も重い刑罰とは、処刑であると思われる。) <br> :(訳注:'''ローマ風解釈について''' :ガッリアなどケルト文化の社会においては、非常に多くの神々が信仰されており、 :ケルト語による多くの神名が知られており、考古学的にも多くの神像が遺されている。 :しかしながら、これらの神々がどのような性格や権能を持っていたのか、詳しくは判っていない。 :ローマ人は、数多くのケルトの神々をローマ神話の神々の型に当てはめて解釈した。 :[[w:タキトゥス|タキトゥス]]はこれを「[[w:ローマ風解釈|ローマ風解釈]]」[[w:en:Interpretatio_Romana#Roman_version|Interpretatio Romana]] <ref>タキトゥス『ゲルマーニア』43章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XLIII|ラテン語原文]])を参照。</ref>と呼んでいる<ref>『ケルト事典』(前掲)「ローマ風解釈」の項を参照。</ref>。) ===18節=== [[画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。]] '''ガッリア人の時間や子供についての観念''' *① Galli se omnes ab Dite patre prognatos praedicant **ガッリア人は、自分たちは皆、ディス・パテルの末裔であると公言しており、 **:(訳注:ディス・パテル [[w:en:Dis_Pater|Dis Pater]] も前節と同様にローマ神話の神名である。) *idque ab druidibus proditum dicunt. **それは[[w:ドルイド|ドルイド]]たちにより伝えられたと言う。 ;時間の観念 *② Ob eam causam spatia omnis temporis non numero dierum, sed noctium finiunt; **その理由のために、すべての[[w:時間|時間]]の間隔を、[[w:昼|昼間]]の数ではなく、[[w:夜|夜間]](の数)で区切る。 *dies natales et mensum et annorum initia sic observant, ut noctem dies subsequatur. **誕生日も、月や年の初めも、夜間に昼間が続くように注意を払っている。 ;子供についての観念 *③ In reliquis vitae institutis hoc fere ab reliquis differunt, **人生のほかの風習において、以下の点でほかの者たち(種族)からほぼ異なっている。 *quod suos liberos, nisi cum adoleverunt, ut munus militiae sustinere possint, **自分の子供たちが、[[w:徴兵制度|兵役の義務]]を果たすことができるように成長したときでない限り、 *palam ad se adire non patiuntur **公然と自分のところへ近づくことは許されないし、 *filiumque puerili aetate in publico in conspectu patris adsistere turpe ducunt. **少年期の息子が公けに父親の見ているところでそばに立つことは恥ずべきと見なしている。 ===19節=== '''ガッリア人の婚姻と財産・葬儀の制度''' *① Viri, quantas pecunias ab uxoribus dotis nomine acceperunt, **夫は、妻から[[w:持参金|持参金]]の名目で受け取った金銭の分だけ、 *tantas ex suis bonis aestimatione facta cum dotibus communicant. **自分の財産のうちから見積もられた分を、持参金とともに一つにする。 *② Huius omnis pecuniae coniunctim ratio habetur fructusque servantur: **これらのすべての金銭は共同に算定が行なわれて、[[w:利子|利子]]が貯蓄される。 *uter eorum vita superarit, **彼ら2人のいずれかが、人生において生き残ったら、 *ad eum pars utriusque cum fructibus superiorum temporum pervenit. **双方の分がかつての期間の利子とともに(生き残った)その者(の所有)に帰する。 [[画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガッリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。]] *③ Viri in uxores, sicuti in liberos, vitae necisque habent potestatem; **夫は、妻において、子供におけるのと同様に、生かすも殺すも勝手である。 *et cum pater familiae inllustriore loco natus decessit, eius propinqui conveniunt **上流身分に生まれた家族の父親が死去したとき、彼の近縁の者たちが集まって、 *et de morte, si res in suspicionem venit, de uxoribus in servilem modum quaestionem habent, **死について、もし疑念が出来したならば、妻について、[[w:奴隷|奴隷]]におけるようなやり方で審問して、 *et si compertum est, igni atque omnibus tormentis excruciatas interficiunt. **もし(疑念が)確認されたならば、火やあらゆる責め道具によって[[w:拷問|拷問]]にかけて誅殺する。 *④ Funera sunt pro cultu Gallorum magnifica et sumptuosa; **[[w:葬儀|葬儀]]は、ガッリア人の生活習慣の割には派手でぜいたくなものである。 *omniaque quae vivis cordi fuisse arbitrantur in ignem inferunt, etiam animalia, **生前に大切であったと思われるもの一切合財を、獣でさえも、火の中に投げ入れる。 *ac paulo supra hanc memoriam servi et clientes, quos ab his dilectos esse constabat, **さらに、より以前のこの記憶では、彼ら(亡者)により寵愛されていたことが知られていた奴隷や庇護民をも、 *iustis funeribus confectis una cremabantur. **慣習による葬儀が成し遂げられたら、一緒に火葬されていたのである。 ===20節=== '''ガッリア部族国家の情報統制''' *① Quae civitates commodius suam rem publicam administrare existimantur, **より適切に自分たちの公儀(=国家体制)を治めると考えられているような部族は、 *habent legibus sanctum, **(以下のように)定められた法度を持つ。 *si quis quid de re publica a finitimis rumore aut fama acceperit, **もし、ある者が公儀に関して近隣の者たちから何らかの噂や風聞を受け取ったならば、 *uti ad magistratum deferat neve cum quo alio communicet, **官吏に報告して、他の者と伝え合ってはならないと。 *② quod saepe homines temerarios atque imperitos falsis rumoribus terreri **というのは、無分別で無知な人間たちはしばしば虚偽の噂に恐れて、 *et ad facinus impelli et de summis rebus consilium capere cognitum est. **罪業に駆り立てられ、重大な事態についての考えを企てると認識されているからである。 *③ Magistratus quae visa sunt occultant, **官吏は、(隠すことが)良いと思われることを隠して、 *quaeque esse ex usu iudicaverunt, multitudini produnt. **有益と判断していたことを、民衆に明らかにする。 *De re publica nisi per concilium loqui non conceditur. **公儀について、集会を通じてでない限り、語ることは認められていない。 ==ゲルマーニアの風習と自然について== ===21節=== '''ゲルマーニア人の信仰と性''' *① Germani multum ab hac consuetudine differunt. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人はこれに対し、風習が大いに異なっている。 *Nam neque druides habent, qui rebus divinis praesint, neque sacrificiis student. **すなわち、神事を司る[[w:ドルイド|ドルイド]]も持たないし、供犠に熱心でもない。 *② Deorum numero **神々に数えるものとして、 *eos solos ducunt, quos cernunt et quorum aperte opibus iuvantur, Solem et Vulcanum et Lunam, **(彼らが)見分けるものや明らかにその力で助けられるもの、[[w:太陽|太陽]]と[[w:ウォルカヌス|ウォルカヌス]](火の神)と[[w:月|月]]だけを信仰して、 *reliquos ne fama quidem acceperunt. **ほかのものは風聞によってさえも受け入れていない。 **:(訳注:これに対して、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]は、ゲルマーニア人はメルクリウスやマルスなどを信仰すると伝えている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』2章・9章を参照</ref>。) *③ Vita omnis in venationibus atque in studiis rei militaris consistit: **すべての人生は、[[w:狩猟|狩猟]]に、および[[w:軍事|軍事]]への執心に依拠しており、 *ab parvulis labori ac duritiae student. **幼時より労役や負担に努める。 *④ Qui diutissime impuberes permanserunt, maximam inter suos ferunt laudem: **最も長く純潔に留まった者は、自分たちの間で最大の賞賛を得る。 *hoc ali staturam, ali vires nervosque confirmari putant. **これによって、ある者には背の高さが、ある者には力と筋肉が強化されると、思っている。 *⑤ Intra annum vero vicesimum feminae notitiam habuisse in turpissimis habent rebus; **20歳にならない内に女を知ってしまうことは、とても恥ずべきことであると見なしている。 *cuius rei nulla est occultatio, **その(性の)事を何ら隠すことはない。 *quod et promiscue in fluminibus perluuntur **というのは、川の中で(男女が)混じって入浴しても、 *et pellibus aut parvis renonum tegimentis utuntur, magna corporis parte nuda. **なめし皮や、小さな毛皮の覆いを用いるが、体の大部分は裸なのである。 ===22節=== '''ゲルマーニア人の土地制度''' *① Agri culturae non student, **(ゲルマーニア人は)[[w:農耕|土地を耕すこと]]に熱心ではなく、 *maiorque pars eorum victus in lacte, caseo, carne consistit. **彼らの大部分は、生活の糧が[[w:乳|乳]]、[[w:チーズ|チーズ]]、[[w:肉|肉]]で成り立っている。 *② Neque quisquam agri modum certum aut fines habet proprios; **何者も、土地を確定した境界で、しかも持続的な領地として、持ってはいない。 *sed magistratus ac principes in annos singulos **けれども、官吏や領袖たちは、各年ごとに、 *gentibus cognationibusque hominum, quique una coierunt, **一緒に集住していた種族や血縁の人々に、 *quantum et quo loco visum est agri adtribuunt **適切と思われる土地の規模と場所を割り当てて、 *atque anno post alio transire cogunt. **翌年には他(の土地)へ移ることを強いるのである。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#1節|第4巻1節]]には、スエービー族の説明として同様の記述がある。) *③ Eius rei multas adferunt causas: **(官吏たちは)その事の多くの理由を説明する。 *ne adsidua consuetudine capti studium belli gerendi agricultura commutent; **(部族民が)[[w:居住|定住]]する習慣にとらわれて、戦争遂行の熱意を土地を耕すことに変えてしまわないように。 *ne latos fines parare studeant, potentioresque humiliores possessionibus expellant; **広大な領地を獲得することに熱心になって、有力者たちが弱者たちを地所から追い出さないように。 *ne accuratius ad frigora atque aestus vitandos aedificent; **寒さや暑さを避けるために(住居を)非常な入念さで建築することがないように。 *ne qua oriatur pecuniae cupiditas, qua ex re factiones dissensionesque nascuntur; **金銭への欲望が増して、その事から派閥や不和が生ずることのないように。 *ut animi aequitate plebem contineant, cum suas quisque opes cum potentissimis aequari videat. **おのおのが自分の財産も最有力者のも同列に置かれていると見ることで、心の平静により民衆を抑えるように。 <br> :(訳注:[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.510)</ref>や[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』23章・16章などを参照。26章では農耕についても解説されている。</ref>などの著述家たちも、ゲルマーニアの住民が農耕をせず、 :遊牧民のように移動しながら暮らし、小さな住居に住み、食料を家畜に頼っていると記述している。) ===23節=== '''ゲルマーニア諸部族のあり方''' *① Civitatibus maxima laus est **諸部族にとって、最も称賛されることは、 *quam latissime circum se vastatis finibus solitudines habere. **できる限り広く自分たちの周辺で領土を荒らして荒野に保っておくことである。 *② Hoc proprium virtutis existimant, **以下のことを(自分たちの)武勇の特質と考えている。 *expulsos agris finitimos cedere, **近隣の者たちが土地から追い払われて立ち去ること、 *neque quemquam prope {se} audere consistere; **および、何者も自分たちの近くにあえて定住しないこと、である。 *③ simul hoc se fore tutiores arbitrantur, repentinae incursionis timore sublato. **他方、これにより、予期せぬ襲撃の恐れを取り除いて、自分たちはより安全であろうと思われた。 *④ Cum bellum civitas aut inlatum defendit aut infert, **部族に戦争がしかけられて防戦したり、あるいはしかけたりしたときには、 *magistratus, qui ei bello praesint, ut vitae necisque habeant potestatem, deliguntur. **その戦争を指揮して、生かすも殺すも勝手な権力を持つ将官が選び出される。 *⑤ In pace nullus est communis magistratus, **平時においては、(部族に)共通の将官は誰もいないが、 *sed principes regionum atque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagorum]]</u> inter suos ius dicunt controversiasque minuunt. **地域や<u>郷</u>の領袖たちが、身内の間で判決を下して、訴訟ごとを減らす。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus"/>。)</span> *⑥ Latrocinia nullam habent infamiam, quae extra fines cuiusque civitatis fiunt, **それぞれの部族の領土の外で行なう略奪のことは、何ら恥辱とは見なしていない。 *atque ea iuventutis exercendae ac desidiae minuendae causa fieri praedicant. **さらに、それ(略奪)は、青年たちを訓練することや、怠惰を減らすことのために行なわれる、と公言している。 *⑦ Atque ubi quis ex principibus in concilio dixit **そして、領袖たちのうちのある者が(次のように)言うや否や、 *se ducem fore, qui sequi velint, profiteantur, **《自分が(略奪の)引率者となるから、追随したい者は申し出るように》と(言うや否や)、 *consurgunt ii qui et causam et hominem probant, suumque auxilium pollicentur **(略奪の)口実にも(引率する)人物にも賛同する者は立ち上がって、自らの支援を約束して、 *atque ab multitudine conlaudantur: **群衆から大いに誉められる。 *⑧ qui ex his secuti non sunt, **これら(約束した者)のうちで(略奪に)追随しない者は、 *in desertorum ac proditorum numero ducuntur, **逃亡兵や裏切り者と見なされて、 *omniumque his rerum postea fides derogatur. **その後は、彼らにとってあらゆる事の信頼が(皆から)拒まれる。 *⑨ Hospitem violare fas non putant; **客人に暴行することは道理に適うとは思ってはいない。 *qui quacumque de causa ad eos venerunt, **彼ら(ゲルマーニア人)のところへ理由があって来た者(=客人)は誰であれ、 *ab iniuria prohibent, sanctos habent, **無法行為から防ぎ、尊ぶべきであると思っている。 *hisque omnium domus patent victusque communicatur. **彼ら(客人)にとってすべての者の家は開放されており、生活用品は共有される。 **:(訳注:客人への接待ぶりについては、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』21章を参照。</ref>も伝えている。) ===24節=== [[画像:Celts.svg|thumb|right|200px|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。]] [[画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|thumb|right|200px|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。]] [[画像:Hallstatt_LaTene.png|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。]] '''ゲルマーニア人とガッリア人''' *① Ac fuit antea tempus, **かつてある時代があって、 *cum Germanos Galli virtute superarent, **そのとき、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人を[[w:ガリア|ガッリア]]人が武勇で優っており、 *ultro bella inferrent, propter hominum multitudinem agrique inopiam **人間の多さと土地の欠乏のために(ガッリア人は)自発的に戦争をしかけて、 *trans Rhenum colonias mitterent. **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側へ入植者たちを送り込んでいた。 *② Itaque ea quae fertilissima Germaniae sunt loca circum Hercyniam silvam, **[[w:ヘルキュニア|ヘルキュニア]]の森の周辺のゲルマーニアで最も肥沃な地を、 *quam Eratostheni et quibusdam Graecis fama notam esse video, **それを[[w:エラトステネス|エラトステネス]]や[[w:ギリシア人|ギリシア人]]のある者たちも風聞により知っていたと私は見出して、 *quam illi Orcyniam appellant, **それを彼らはオルキュニアと呼んでいるが、 *Volcae Tectosages occupaverunt atque ibi consederunt; **(その地を)ウォルカエ族系のテクトサゲス族が占領して、そこに定住していた。 *③ quae gens ad hoc tempus his sedibus sese continet **その種族は、この時代までこの居場所に留まっており、 *summamque habet iustitiae et bellicae laudis opinionem. **公正さと戦いの称賛で最高の評判を得ている。 *④ Nunc quod in eadem inopia, egestate, patientia qua Germani permanent, **今も、窮乏や貧困を、ゲルマーニア人が持ちこたえているのと同じ忍耐をもって、 *eodem victu et cultu corporis utuntur; **同じ食物および体の衣服を用いている。 *⑤ Gallis autem provinciarum propinquitas et transmarinarum rerum notitia **これに対して、ガッリア人にとって(ローマの)属州に近接していること、および海外のものを知っていることは、 *multa ad copiam atque usus largitur, **富や用品の多くが供給されている。 *paulatim adsuefacti superari multisque victi proeliis **(ガッリア人は)しだいに圧倒されることや多くの戦闘で打ち負かされることに慣らされて、 *ne se quidem ipsi cum illis virtute comparant. **(ガッリア人)自身でさえも彼ら(ゲルマーニア人)と武勇で肩を並べようとはしないのである。 <br> :('''訳注''':本節の①項については、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]が著書『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』28章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XXVIII|原文]])において、次のように言及している。 :''Validiores olim Gallorum res fuisse summus auctorum divus Iulius tradit; '' :かつてガッリア人の勢力がより強力であったことは、最高の証言者である神君ユリウス(・カエサル)も伝えている。 :''eoque credibile est etiam Gallos in Germaniam transgressos:'' :それゆえに、ガッリア人でさえもゲルマーニアに渡って行ったと信ずるに値するのである。) ===25節=== '''ヘルキュニアの森林地帯''' *① Huius Hercyniae silvae, quae supra demonstrata est, latitudo **前に述べたヘルキュニアの森の幅は、 *novem dierum iter expedito patet: **軽装の旅で9日間(かかるだけ)広がっている。 *non enim aliter finiri potest, **なぜなら(ゲルマーニア人は)他に境界を定めることができないし、 *neque mensuras itinerum noverunt. **道のりの測量というものを知っていないのである。 [[画像:FeldbergPanorama.jpg|thumb|center|1000px|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)]] *② Oritur ab Helvetiorum et Nemetum et Rauracorum finibus **(その森は)[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]とネメテス族とラウラキ族の領土から発しており、 **:(訳注:これはライン川東岸に沿って南北に長い現在の[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]のことである。) *rectaque fluminis [[w:la:Danubius|Danubii]] regione **ダヌビウス川に沿って真っ直ぐに(流れ)、 **:(訳注:ダヌビウス Danubius はダヌウィウス Danuvius とも呼ばれ、現在の[[w:ドナウ川|ドナウ川]]である。) *pertinet ad fines Dacorum et Anartium; **[[w:ダキア人|ダキ族]]やアナルテス族の領土へ至る。 **:(訳注:これは[[w:ダキア|ダキア]] [[w:la:Dacia|Dacia]] すなわち現在の[[w:ルーマニア|ルーマニア]]辺りの地域である。) *③ hinc se flectit sinistrorsus diversis ab flumine regionibus **ここ(ダヌビウス川)から(森は)左方へ向きを変えて、川の地域からそれて、 **:(訳注:川が南へ折れるのとは逆に、森は北へそれて[[w:エルツ山地|エルツ山地]]を通って[[w:カルパティア山脈|カルパティア山脈]]に至ると考えられている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳注、岩波文庫、p.131-132の注などを参照</ref>。) *multarumque gentium fines propter magnitudinem attingit; **(森の)大きさのために、多くの種族の領土に接しているのである。 *④ neque quisquam est huius Germaniae, qui se aut adisse ad initium eius silvae dicat, **その森の(東の)端緒へ訪れたと言う者は、こちら(西側)の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に属する者では誰もいないし、 *cum dierum iter LX processerit, **60日間の旅で進んでも(いないのであるが)、 *aut, quo ex loco oriatur, acceperit: **あるいは(森が)どの場所から生じているか把握した(者もいないのである)。 *⑤ multaque in ea genera ferarum nasci constat, quae reliquis in locis visa non sint; **それ(=森)の中には、ほかの地では見られない野獣の多くの種類が生息していることが知られている。 *ex quibus quae maxime differant ab ceteris et memoriae prodenda videantur, **それらのうちで、ほかの(地の)ものと大きく異なったものは、記録で伝えるべきものであり、 *haec sunt. **以下のものである。 ===26節=== [[画像:Rentier fws 1.jpg|thumb|right|200px|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。]] '''ヘルキュニアの野獣①''' *① Est [[w:la:Bos|bos]] [[w:la:Cervus|cervi]] figura, **雄[[w:シカ|鹿]]の姿形をした[[w:ウシ|牛]]がいる。 *cuius a media fronte inter aures unum [[w:la:Cornu|cornu]] existit **それの両耳の間の額の真ん中から一つの角が出ており、 *excelsius magisque derectum his, quae nobis nota sunt, cornibus; **我々(ローマ人)に知られている角よりも非常に高くて真っ直ぐである。 *ab eius summo sicut palmae ramique late diffunduntur. **その先端部から、手のひらや枝のように幅広く広がっている。 *Eadem est feminae marisque natura, **雌と雄の特徴は同じであり、 *eadem forma magnitudoque cornuum. **角の形や大きさも同じである。 <br> :('''訳注''':カエサルによる本節の記述は[[w:ユニコーン|ユニコーン]](一角獣)の伝説に :結び付けられている。しかし本節における発達した枝角の説明は、むしろ :[[w:トナカイ|トナカイ]]や[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]]のような獣を想起させる。) ===27節=== [[画像:Bigbullmoose.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。]] [[画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG 1824.JPG|thumb|right|250px|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。]] '''ヘルキュニアの野獣②''' *① Sunt item, quae appellantur [[w:la:Alces|alces]]. **アルケスと呼ばれるものもいる。 **:(訳注:アルケス alces とは[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](オオシカ)を指す単語であるが本節の説明と矛盾する。) *Harum est consimilis [[w:la:Capra|capris]] figura et varietas pellium, **これらの姿形や毛皮のまだらは雄[[w:ヤギ|山羊]]に似ている。 *sed magnitudine paulo antecedunt **が、(山羊を)大きさで少し優っており、 *mutilaeque sunt cornibus **角は欠けていて、 *et crura sine nodis articulisque habent. **脚部には関節の類いがない。 **:(訳注:nodus も articulus も関節の類いを意味する) *② Neque quietis causa procumbunt **休息のために横たわらないし、 *neque, si quo adflictae casu conciderunt, **もし何か不幸なことで偶然にも倒れたならば、 *erigere sese aut sublevare possunt. **自らを起こすことも立ち上げることもできない。 *③ His sunt arbores pro cubilibus; **これらにとって木々は寝床の代わりである。 *ad eas se adplicant **それら(の木々)へ自らを寄りかからせて、 *atque ita paulum modo reclinatae quietem capiunt. **こうして少しだけもたれかかって休息を取るのである。 *④ Quarum ex vestigiis **それらの足跡から *cum est animadversum a venatoribus, quo se recipere consuerint, **(鹿が)どこへ戻ることを常としているかを狩人によって気付かれたときには、 *omnes eo loco aut ab radicibus subruunt aut accidunt arbores, **その地のすべての木々を(狩人は)根から倒すか、あるいは傷つけて、 *tantum ut summa species earum stantium relinquatur. **それらの(木々の)いちばん(外側)の見かけが、立っているかのように残して置かれる。 *⑤ Huc cum se consuetudine reclinaverunt, **そこに(鹿が)習性によってもたれかかったとき、 *infirmas arbores pondere adfligunt atque una ipsae concidunt. **弱った木々を重みで倒してしまい、自身も一緒に倒れるのである。 ===28節=== [[画像:Wisent.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。]] [[画像:Muybridge Buffalo galloping.gif|thumb|right|200px|疾走するバイソン]] [[画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|thumb|right|200px|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。]] '''ヘルキュニアの野獣③''' *③ Tertium est genus eorum, qui uri appellantur. **第3のものは、野牛と呼ばれる種類である。 *Hi sunt magnitudine paulo infra [[w:la:Elephantidae|elephantos]], **これらは、大きさで少し[[w:ゾウ|象]]に劣るが、 *specie et colore et figura [[w:la:Taurus|tauri]]. **見かけと色と姿形は雄[[w:ウシ|牛]]である。 *② Magna vis eorum est et magna velocitas, **それらの力は大きく、(動きも)とても速く、 *neque homini neque ferae, quam conspexerunt, parcunt. **人間でも野獣でも、見かけたものには容赦しない。 *Hos studiose foveis captos interficiunt. **(ゲルマーニア人は)これらを熱心に落とし穴で捕らえたものとして殺す。 *③ Hoc se labore durant adulescentes **この労苦により青年たちを鍛え、 *atque hoc genere venationis exercent, **[[w:狩猟|狩猟]]のこの類いで鍛錬するのであり、 *et qui plurimos ex his interfecerunt, **これら(の野牛)のうちから最も多くを殺した者は、 *relatis in publicum [[w:la:Cornu|cornibus]], quae sint testimonio, **証拠になるための[[w:角|角]]を公の場に持参して、 *magnam ferunt laudem. **大きな賞賛を得るのである。 *④ Sed adsuescere ad homines et mansuefieri ne parvuli quidem excepti possunt. **けれども(野牛は)幼くして捕らえられてさえも、人間に慣れ親しんで飼い慣らされることはできない。 *⑤ Amplitudo cornuum et figura et species multum a nostrorum boum cornibus differt. **角の大きさや形や見かけは、我々(ローマ人)の牛の角とは大いに異なる。 *⑥ Haec studiose conquisita ab labris argento circumcludunt **これらは熱心に探し求められて、縁を[[w:銀|銀]]で囲って、 *atque in amplissimis epulis pro poculis utuntur. **とても贅沢な祝宴において[[w:盃|杯]]として用いられるのである。 ==対エブロネス族追討戦(1)== ===29節=== '''ゲルマーニアから撤兵、対アンビオリクス戦へ出発''' *① Caesar, postquam per Ubios exploratores comperit Suebos sese in silvas recepisse, **カエサルは、ウビイー族の偵察者たちを通じてスエービー族が森に撤退したことを確報を受けた後で、 **:(訳注:[[#10節|10節]]によれば、バケニス Bacenis の森。[[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について|既述]]のように、スエービー族とはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] と考えられる。) *inopiam frumenti veritus, **糧食の欠乏を恐れて、 *quod, ut supra demonstravimus, minime omnes Germani agri culturae student, **というのは、前に説明したように、ゲルマーニア人は皆が土地を耕すことに決して熱心でないので、 **:(訳注:[[#22節|22節]]を参照。耕地がなければ、ローマ軍は穀物の現地調達ができない。) *constituit non progredi longius; **より遠くへ前進しないことを決めた。 *② sed, ne omnino metum reditus sui barbaris tolleret **けれども、自分たち(ローマ軍)が戻って来る恐れを蛮族からまったく取り去ってしまわないように、 *atque ut eorum auxilia tardaret, **かつ、彼ら(ゲルマーニア人)の(ガッリア人への)支援を遅らせるように、 *reducto exercitu partem ultimam pontis, quae ripas Ubiorum contingebat, **ウビイー族側の岸(=レーヌス川東岸)につなげていた橋の最後の部分に軍隊を連れ戻して、 *in longitudinem pedum ducentorum rescindit **(橋を)長さ200[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約60m)切り裂いて、 *③ atque in extremo ponte turrim tabulatorum quattuor constituit **橋の先端のところに4層の櫓を建てて、 *praesidiumque cohortium duodecim pontis tuendi causa ponit **12個[[w:コホルス|歩兵大隊]]の守備隊を橋を防護するために配置して、 *magnisque eum locum munitionibus firmat. **その場所を大きな城砦で固めた。 *Ei loco praesidioque C.(Gaium) Volcacium Tullum adulescentem praeficit. **その場所と守備隊を青年ガイウス・ウォルカキウス・トゥッルスに指揮させた。 **:(訳注:元執政官 [[w:en:Lucius_Volcatius_Tullus_(consul_66_BC)|Lucius Volcatius Tullus]] に対して、青年 adulescentem と区別したのであろう。 **:ウォルカキウス Volcacium の綴りは、写本により相異する。) *④ Ipse, cum maturescere frumenta inciperent, **(カエサル)自身は、穀物が熟し始めたので、 *ad bellum [[w:la:Ambiorix|Ambiorigis]] profectus per Arduennam silvam, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]との戦争へ、アルドゥエンナの森を通って進発した。 **:(訳注:アルドゥエンナの森については、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]ですでに説明されている。) *quae est totius Galliae maxima **それ(=森)は全ガッリアで最も大きく、 *atque ab ripis Rheni finibusque Treverorum ad Nervios pertinet **レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の岸およびトレーウェリー族の境界から、[[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]](の領土)へ及んでおり、 *milibusque amplius quingentis in longitudinem patet, **長さは500ローママイル(=約740km)より大きく広がっている。 *L.(Lucium) Minucium Basilum cum omni equitatu praemittit, **ルキウス・ミヌキウス・バスィルスをすべての騎兵隊とともに先遣した。 *si quid celeritate itineris atque opportunitate temporis proficere possit; **行軍の迅速さと時間の有利さによって、何かを得られるかどうかということである。 *⑤ monet, ut ignes in castris fieri prohibeat, ne qua eius adventus procul significatio fiat: **野営において火を生じることを禁じるように、何事かにより遠くから彼の到来の予兆を生じないように、戒めた。 *sese confestim subsequi dicit. **(カエサル)自らは、ただちに後から続くと言った。 ===30節=== '''アンビオリクスがバスィリスのローマ騎兵から逃れる''' *① Basilus, ut imperatum est, facit. **バスィルスは、命令されたように、行なった。 *Celeriter contraque omnium opinionem confecto itinere **速やかに、かつ皆の予想に反して、行軍を成し遂げて、 *multos in agris inopinantes deprehendit: **(城市でない)土地にいた気付かないでいる多くの者を捕らえた。 *eorum indicio ad ipsum Ambiorigem contendit, quo in loco cum paucis equitibus esse dicebatur. **彼らの申し立てにより、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]その人がわずかな騎兵たちとともにいると言われていた場所に急いだ。 *② Multum cum in omnibus rebus, tum in re militari potest Fortuna. **あらゆる事柄においても、とりわけ軍事においても、運命(の女神)が大いに力がある。 *Nam magno accidit casu, **実際のところ、大きな偶然により生じたのは、 *ut in ipsum incautum etiam atque imparatum incideret, **(アンビオリクス)自身でさえも油断していて不用意なところに(バスィルスが)遭遇したが、 *priusque eius adventus ab omnibus videretur, quam fama ac nuntius adferretur: **彼の到来が(ガッリア勢の)皆により見られたのが、風聞や報告により知らされるよりも早かったのである。 *sic magnae fuit fortunae **同様に(アンビオリクスにとって)大きな幸運に属したのは、 *omni militari instrumento, quod circum se habebat, erepto, **自らの周りに持っていたすべての武具を奪われて、 *raedis equisque comprehensis **四輪馬車や馬を差し押さえられても、 *ipsum effugere mortem. **(アンビオリクス)自身は死を逃れたことである。 *③ Sed hoc quoque factum est, **しかし、以下のこともまた起こった。 *quod aedificio circumdato silva, **(アンビオリクスの)館が森で取り巻かれており、 *─ ut sunt fere domicilia Gallorum, qui vitandi aestus causa **─ ガッリア人の住居はほぼ、暑さを避けることのために、 *plerumque silvarum atque fluminum petunt propinquitates ─, **たいてい森や川の近接したところに求めるのであるが ─ *comites familiaresque eius angusto in loco paulisper equitum nostrorum vim sustinuerunt. **彼の従者や郎党どもが、狭い場所でしばらく、我が方(ローマ勢)の騎兵の力を持ちこたえたのだ。 *④ His pugnantibus illum in equum quidam ex suis intulit: **彼らが戦っているときに、彼(アンビオリクス)を配下のある者が馬に押し上げて、 *fugientem silvae texerunt. **逃げて行く者(アンビオリクス)を森が覆い隠した。 *Sic et ad subeundum periculum et ad vitandum multum Fortuna valuit. **このように(アンビオリクスが)危険に突き進んだことや避けられたことに対して、運命(の女神)が力をもったのである。 ===31節=== '''エブロネス族の退避、カトゥウォルクスの最期''' *① [[w:la:Ambiorix|Ambiorix]] copias suas iudicione non conduxerit, quod proelio dimicandum non existimarit, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]は、戦闘で争闘するべきとは考えていなかったので、自らの判断で軍勢を集めなかったのか、 *an tempore exclusus et repentino equitum adventu prohibitus, **あるいは、時間に阻まれ、予期せぬ[[w:騎兵|騎兵]]の到来に妨げられて、 *cum reliquum exercitum subsequi crederet, **(ローマ勢の)残りの軍隊(=軍団兵)が後続して来ることを信じたためなのか、 *dubium est. **不確かなことである。 *② Sed certe dimissis per agros nuntiis sibi quemque consulere iussit. **けれども、確かに領地を通じて伝令を四方に遣わして、おのおのに自らを助けることを命じた。 *Quorum pars in Arduennam silvam, pars in continentes paludes profugit; **それらの者たち(領民)のある一部はアルドゥエンナの森に、一部は絶え間ない沼地に退避した。 *③ qui proximi Oceano fuerunt, **<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>にとても近いところにいた者たちは、 *hi insulis sese occultaverunt, quas aestus efficere consuerunt: **[[w:潮汐|満潮]]が形成するのが常であった島々に身を隠した。 [[画像:Taxus baccata MHNT.jpg|thumb|right|300px|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。]] *④ multi ex suis finibus egressi **多くの者たちは、自分たちの領土から出て行って、 *se suaque omnia alienissimis crediderunt. **自分たちとその一切合財をまったく異邦の者たちに委ねた。 *⑤Catuvolcus, rex dimidiae partis Eburonum, **[[w:カトゥウォルクス|カトゥウォルクス]]は、[[w:エブロネス族|エブロネス族]]の半分の地方の王であり、 *qui una cum Ambiorige consilium inierat, **アンビオリクスと一緒に(カエサルに造反する)企てに取りかかった者であるが、 **:(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#26節|第5巻26節]]を参照。) *aetate iam confectus, cum laborem aut belli aut fugae ferre non posset, **もはや老衰していたので、戦争の労苦、あるいは逃亡の労苦に耐えることができなかったので、 **:(訳注:aetate confectus 老衰した) *omnibus precibus detestatus Ambiorigem, qui eius consilii auctor fuisset, **その企ての張本人であったアンビオリクスをあらゆる呪詛のことばで呪って、 *taxo, cuius magna in Gallia Germaniaque copia est, se exanimavit. **[[w:ガリア|ガッリア]]や[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に大量にあった[[w:イチイ属|イチイ]]によって、息絶えたのであった。 ===32節=== '''ゲルマーニア部族の弁明、アドゥアトゥカに輜重を集める''' *① Segni Condrusique, ex gente et numero Germanorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の種族や集団のうち、[[w:セグニ族|セグニ族]]と[[w:コンドルスィ族|コンドルスィ族]]は、 *qui sunt inter Eburones Treverosque, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]とトレーウェリー族の間にいたが、 *legatos ad Caesarem miserunt oratum, **カエサルのところへ嘆願するために使節たちを遣わした。 *ne se in hostium numero duceret **自分たちを敵として見なさないように、と。 *neve omnium Germanorum, qui essent citra Rhenum, unam esse causam iudicaret; **しかも、レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])のこちら側にいるゲルマーニア人すべての事情は1つであると裁断しないように、と。 *nihil se de bello cogitavisse, nulla Ambiorigi auxilia misisse. **自分たちは、戦争についてまったく考えたことはないし、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]に何ら援軍を派遣したことはない、と。 *② Caesar explorata re quaestione captivorum, **カエサルは捕虜を審問することによってその事を探り出すと、 *si qui ad eos Eburones ex fuga convenissent, **もし彼らのところへ逃亡しているエブロネス族の者たちの誰かが訪れたならば、 *ad se ut reducerentur, imperavit; **自分(カエサル)のところへ連れ戻されるようにと、命令した。 *si ita fecissent, fines eorum se violaturum negavit. **もしそのように行なったならば、彼らの領土を自分(カエサル)が侵害することはないであろうと主張した。 *③ Tum copiis in tres partes distributis **それから、軍勢を3方面に分散して、 *impedimenta omnium legionum Aduatucam contulit. **すべての軍団の[[w:輜重|輜重]]を[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に運び集めた。 **:(訳注:アドゥアトゥカ Aduatuca の表記は、写本によってはアトゥアトゥカ Atuatuca となっている。現在の[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]。) *④ Id castelli nomen est. **それは、城砦の名前である。 *Hoc fere est in mediis Eburonum finibus, **これは、エブロネス族の領土のほぼ真ん中にあり、 *ubi Titurius atque Aurunculeius hiemandi causa consederant. **そこには、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]と[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|アウルンクレイウス(・コッタ)]]が越冬するために陣取っていた。 *⑤ Hunc cum reliquis rebus locum probabat, **(カエサルは)この場所を、ほかの事柄によっても是認したし、 *tum quod superioris anni munitiones integrae manebant, ut militum laborem sublevaret. **またとりわけ前年の防備が損なわれずに存続していたので、兵士の労苦を軽減するためでもある。 *Praesidio impedimentis legionem quartamdecimam reliquit, **(全軍の)輜重の守備隊として第14軍団を(そこに)残した。 *unam ex his tribus, quas proxime conscriptas ex Italia traduxerat. **(それは)最近にイタリアから徴集されたものとして連れて来られた3個(軍団)のうちの1個である。 **:(訳注:[[#1節|1節]]を参照。イタリア Italia とはカエサルが総督であった[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。) *Ei legioni castrisque Q.(Quintum) Tullium Ciceronem praeficit ducentosque equites ei attribuit. **その[[w:ローマ軍団|軍団]]と陣営には[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]を指揮者として、200騎の騎兵を彼に割り当てた。 ===33節=== '''軍勢をカエサル、ラビエヌス、トレボニウスの三隊に分散''' *① Partito exercitu **軍隊を分配して、 *T.(Titum) Labienum cum legionibus tribus ad Oceanum versus **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]]には、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに、<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>の方へ向けて、 *in eas partes, quae Menapios attingunt, proficisci iubet; **[[w:メナピイ族|メナピイ族]]に接する地方に出発することを命じた。 *② C.(Gaium) Trebonium cum pari legionum numero **[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]には、軍団の同数とともに、 *ad eam regionem, quae Aduatucis adiacet, depopulandam mittit; **[[w:アドゥアトゥキ族|アドゥアトゥキ族]]に隣接する領域へ、荒らすために派遣した。 [[画像:Locatie-Maas-3.png|thumb|right|200px|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。]] [[画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|thumb|right|200px|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。]] *③ ipse cum reliquis tribus ad flumen [[w:la:Scaldis|Scaldim]], quod influit in [[w:la:Mosa|Mosam]], **(カエサル)自身は、残りの3個(軍団)とともに、モサ(川)に流れ込むスカルディス川のところへ、 **:(訳注:スカルディス Scaldis は現在の[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]] Schelde で、フランス北部からベルギー、オランダへ流れている。 **:モサ川 Mosa すなわち現在の[[w:マース川|マース川]] Maas とは運河でつながるが、当時の関係およびカエサルの目的地は不詳。) *extremasque Arduennae partes ire constituit, **かつ[[w:アルデンヌ|アルドゥエンナ]](の森林)の外縁の地方へ行軍することを決めた。 *quo cum paucis equitibus profectum Ambiorigem audiebat. **そこへは、アンビオリクスがわずかな騎兵たちとともに出発したと聞いていたのだ。 *④ Discedens post diem septimum sese reversurum confirmat; **(カエサルは陣営を)離れるに当たって、7日目の後(=6日後)に自分は引き返して来るであろうと断言した。 *quam ad diem ei legioni, quae in praesidio relinquebatur, deberi frumentum sciebat. **その当日には、守備に残される軍団にとって糧食が必要とされることを(カエサルは)知っていたのだ。 *⑤ Labienum Treboniumque hortatur, **(カエサルは)ラビエヌスとトレボニウスを(以下のように)鼓舞した。 *si rei publicae commodo facere possint, **もし(ローマ軍全体の)公務のために都合良く行動することができるならば、 *ad eum diem revertantur, **その日には戻って、 *ut rursus communicato consilio exploratisque hostium rationibus **再び(互いの)考えを伝達して、敵たちの作戦を探り出し、 *aliud initium belli capere possint. **次なる戦争の端緒を捉えようではないか、と。 <br> :('''訳注:カエサル麾下の軍団配分について''' :[[ガリア戦記 第5巻#8節|第5巻8節]]の記述によれば、ブリタンニアへ2度目の遠征をする前(BC54年)のカエサルは少なくとも8個軍団と騎兵4000騎を :指揮していた。[[ガリア戦記 第5巻#24節|第5巻24節]]によれば、帰還後は8個軍団および軍団から離れた5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を指揮していたが、 :アンビオリクスによる[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]らとともに1個軍団と5個大隊が壊滅したので、残りは7個軍団となる。 :[[#1節|本巻1節]]によれば、この年(BC53年)には3個軍団を新たに徴集したので、計10個軍団となったはずである。 :[[#29節|29節]]では、このうちから12個大隊をライン川に架かる橋の守備に残し、[[#32節|32節]]では輜重の守備としてアドゥアトゥカに1個軍団を残した。 :本節の記述通りにラビエヌス、トレボニウス、カエサルがそれぞれ3個軍団(計9個)を受け持ったとすると、あわせて10個軍団と12個大隊という勘定になる。 :したがって、この勘定が正しいのであれば、ライン川に残した12個大隊は各軍団から引き抜いたものであり、各軍団は定員を割っていると考えられる。) ===34節=== '''夷を以って夷を制す対エブロネス族包囲網''' *① Erat, ut supra demonstravimus, manus certa nulla, **前に説明したように、(エブロネス族には)決まった手勢がなかったし、 **:(訳注:[[#31節|31節]]を参照。) *non oppidum, non praesidium, quod se armis defenderet, **自分たちが武器で防衛するような[[w:オッピドゥム|城市]]も、防塁もなかった。 *sed in omnes partes dispersa multitudo. **けれども、あらゆる方面に大勢が分散されていた。 *② Ubi cuique aut valles abdita aut locus silvestris aut palus impedita **おのおのが、密かな峡谷、あるいは森に覆われた土地といったところに、 *spem praesidi aut salutis aliquam offerebat, consederat. **守備あるいは身の安全の何らかの希望を提供するところに、陣取っていた。 *③ Haec loca vicinitatibus erant nota, **これらの場所は、近隣の者たちは知っていたので、 **:(訳注:すなわち、近隣のガッリア人には地の利があり、ローマ人には地の利がなかったので) *magnamque res diligentiam requirebat **事態はたいへんな注意深さを必要としていた。 *non in summa exercitus tuenda **(ローマ人の)軍隊全体を守るためではなく、 *─ nullum enim poterat universis &lt;a&gt; perterritis ac dispersis periculum accidere ─, **─なぜなら、脅かされ分散されている者たちにより(ローマ軍)総勢が危険を生じることはありえなかったので─ *sed in singulis militibus conservandis; **けれども、個々の(ローマ人の)兵士たちを守ることのために(注意深さを必要としていた)。 *quae tamen ex parte res ad salutem exercitus pertinebat. **少なくとも、ある面では、そういう事態は軍隊の安全に及んでいた。 *④ Nam et praedae cupiditas multos longius evocabat, **すなわち、略奪品への欲望が多くの者たちをより遠くへ呼び寄せていたし、 *et silvae incertis occultisque itineribus confertos adire prohibebant. **森林の不確かで隠された道のりによって密集した行軍を妨げていた。 *⑤ Si negotium confici stirpemque hominum sceleratorum interfici vellent, **もし、戦役が完遂されること、および非道な連中(=エブロネス族)の血筋が滅ぼされることを欲するならば、 *dimittendae plures manus diducendique erant milites; **いくつもの部隊が分遣され、兵士たちが展開されるべきである。 *⑥ si continere ad signa manipulos vellent, ut instituta ratio et consuetudo exercitus Romani postulabat, **もし、ローマ軍が決められた流儀や慣行を要求するように、[[w:マニプルス|中隊]]が軍旗のもとにとどまることを欲するならば、 *locus ipse erat praesidio barbaris, **その場所が蛮族にとって守りとなるであろう。 *neque ex occulto insidiandi et dispersos circumveniendi **隠れたところから待ち伏せするため、分散した者たち(=ローマ兵)を包囲するために、 *singulis deerat audacia. **(エブロネス族の)おのおのにとって勇敢さには事欠かなかった。 *⑦ Ut in eiusmodi difficultatibus, quantum diligentia provideri poterat providebatur, **そのような困難さにおいては、できるかぎりの注意深さで用心されるほどに、用心されるものであるが、 *ut potius in nocendo aliquid praetermitteretur, **結果として、むしろ(敵勢への)何らかの加害は差し控えられることになった。 *etsi omnium animi ad ulciscendum ardebant, **たとえ、皆の心が(エブロネス族に)報復するために燃え立っていたとしても、 *quam cum aliquo militum detrimento noceretur. **兵士たちの何らかの損失を伴って(敵に)加害がなされるよりも。 **:(訳注:伏兵によって被害をこうむるよりは、ローマ人の安全のために、ローマ兵による攻撃は避けられた。) *⑧ Dimittit ad finitimas civitates nuntios Caesar; **カエサルは、近隣の諸部族のところへ伝令たちを分遣した。 *omnes ad se vocat spe praedae ad diripiendos Eburones, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]に対して戦利品を略奪することの望みを呼びかけた。 *ut potius in silvis Gallorum vita quam legionarius miles periclitetur, **森の中で、軍団の兵士たちよりも、むしろガッリア人たちの生命が危険にさらされるように、 *simul ut magna multitudine circumfusa **同時にまた、たいへんな大勢で取り囲むことによって、 *pro tali facinore stirps ac nomen civitatis tollatur. **(サビヌスらを滅ぼした)あれほどの罪業の報いとして、部族の血筋と名前が抹殺されるように、と。 *Magnus undique numerus celeriter convenit. **至る所から多数の者が速やかに集結した。 ==スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦== ===35節=== '''スガンブリー族が略奪に駆り立てられてアドゥアトゥカへ向かう''' *① Haec in omnibus Eburonum partibus gerebantur, **これらのこと(=追討戦)が[[w:エブロネス族|エブロネス族]]のすべての地方で遂行されていたが、 *diesque adpetebat septimus, quem ad diem Caesar ad impedimenta legionemque reverti constituerat. **カエサルがその日に[[w:輜重|輜重]]と(キケロの)[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ引き返すと決めていた7日目が近づいていた。 *② Hic quantum in bello Fortuna possit et quantos adferat casus, cognosci potuit. **ここに、戦争では運命(の女神)がどれほどのことに力を持ち、どれほどの結末を引き起こすかを知ることができた。 **:(訳注:[[#30節|30節]]でもそうだが、カエサルは戦況が芳しくないと運命 Fortuna を持ち出すようである。[[#42節|42節]]も参照。) *③ Dissipatis ac perterritis hostibus, ut demonstravimus, **(前節で)説明したように、追い散らされて、脅かされている敵たちには、 *manus erat nulla quae parvam modo causam timoris adferret. **(ローマ勢に敵を)恐れる理由を少しの程度も引き起こすようないかなる手勢もなかった。 *④ Trans Rhenum ad Germanos **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人のところへ、 *pervenit fama, diripi Eburones atque ultro omnes ad praedam evocari. **エブロネス族が収奪され、(近隣部族の)皆が略奪品へ向けて自発的に誘惑されているという風評が達した。 *⑤ Cogunt equitum duo milia Sugambri, qui sunt proximi Rheno, **レーヌスの近隣にいたスガンブリ族は、騎兵2000騎を徴集した。 *a quibus receptos ex fuga Tenctheros atque Usipetes supra docuimus. **前に説明したように、彼らによって[[w:テンクテリ族|テンクテリ族]]と[[w:ウスィペテス族|ウスィペテス族]]が逃亡から迎え入れられたのだ。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]および[[ガリア戦記 第4巻#18節|18~19節]]を参照。) *⑥ Transeunt Rhenum navibus ratibusque **(スガンブリー族は)レーヌスを船団や筏で渡河した。 *triginta milibus passuum infra eum locum, ubi pons erat perfectus praesidiumque ab Caesare relictum. **カエサルにより橋が造り上げられて守備隊が残された地点よりも下流に30ローママイル(約44km)のところを。 *Primos Eburonum fines adeunt; **手始めとしてエブロネス族の領土に殺到して、 *multos ex fuga dispersos excipiunt, **逃亡からちりぢりにさせられた多くの者たちを追い捕らえて、 *magno pecoris numero, cuius sunt cupidissimi barbari, potiuntur. **蛮族たちが最も熱望している家畜の多数をわがものにした。 *⑦ Invitati praeda longius procedunt. **(スガンブリー族の軍勢は)略奪品に誘われて、より遠くに進み出た。 *Non hos palus ─ in bello latrociniisque natos ─, non silvae morantur. **戦争や追いはぎに生まれついていたので、沼地も森林も彼らを妨げることがなかった。 *Quibus in locis sit Caesar, ex captivis quaerunt; **カエサルがどの場所にいるのか、捕虜から問い質した。 *profectum longius reperiunt omnemque exercitum discessisse cognoscunt. **(彼が)より遠くに旅立って、軍隊の総勢が立ち去ったことを、知った。 *⑧ Atque unus ex captivis "Quid vos," inquit, **なおかつ、捕虜たちのうちの一人が「なぜ、あんたたちは」と言い出した。 *"hanc miseram ac tenuem sectamini praedam, **「この取るに足らない、ちっぽけな略奪品を追い求めるのか。 **:(訳注:sectamini はデポネンティア動詞 sector の直説法・2人称複数・現在形) *quibus licet iam esse fortunatissimos? **(あんたたちは)今や、最も富裕な者に成り得るのに。 *⑨ Tribus horis Aduatucam venire potestis: **(この場所から)3時間で[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に到達できる。 **:(訳注:古代ローマの時間は、不定時法であり、当地の緯度や季節により長さは異なる。) *huc omnes suas fortunas exercitus Romanorum contulit; **ここへ、ローマ軍がすべての財産を運び集めたのだ。 *praesidii tantum est, ut ne murus quidem cingi possit, **守備隊は、城壁が取り巻かれることさえできないほどの(貧弱な)ものでしかない。 *neque quisquam egredi extra munitiones audeat." **何者も防備の外側へあえて出て行こうとはしないのだ。」 *⑩ Oblata spe Germani, **ゲルマーニア人たちは(ローマ軍の財産という)望みを提示されて、 *quam nacti erant praedam, in occulto relinquunt; **(すでにエブロネス族の者たちから)獲得していた略奪品を秘されたところに残しておいて、 *ipsi Aduatucam contendunt usi eodem duce, cuius haec indicio cognoverant. **自身は、このことを申告により知ったところの同じ(捕虜の)案内人を使役して、アドゥアトゥカに急いだ。 <br> :('''訳注:部族名・地名の表記について''' :スガンブリー族 Sugambri:α系写本では Sugambri、T・U写本では Sygambri、V・R写本では Sigambri :テンクテリ族 Tenctheri:β系写本では Tenctheri、α系写本では Thenctheri :アドゥアトゥカ Aduatuca:α系・T写本では Aduatuca、V・ρ系写本では Atuatuca) ===36節=== '''アドゥアトゥカのキケロが糧秣徴発に派兵する''' *① [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|Cicero]], qui omnes superiores dies **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は(期日の7日目)より以前の日々すべてを *praeceptis Caesaris cum summa diligentia milites in castris continuisset **カエサルの指図により、最高の入念さとともに、兵士たちを陣営の中に留めておき、 *ac ne calonem quidem quemquam extra munitionem egredi passus esset, **<ruby><rb>[[w:カロネス|軍属奴隷]]</rb><rp>(</rp><rt>カロネス</rt><rp>)</rp></ruby> でさえも、何者も防備の外側に出て行くことを許されなかった。 *septimo die diffidens de numero dierum Caesarem fidem servaturum, **(期日の)7日目に、カエサルが日数についての約束を守るであろうか、という不信を抱いた。 *quod longius eum<ref>eum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> progressum audiebat, **というのは、彼(カエサル)は、はるか遠くに前進したと聞いていたのだし、 *neque ulla de reditu eius fama adferebatur, **彼の帰還については何ら伝言を届けられていなかったからである。 *② simul eorum permotus vocibus, **同時に(キケロは)以下のような者たちの声に揺り動かされた。 *qui illius patientiam paene obsessionem appellabant, siquidem ex castris egredi non liceret, **もし本当に陣営から出て行くことが許されないならば、彼の忍耐はほぼ攻囲(籠城)であるというのだ。 *nullum eiusmodi casum exspectans, **以下のような事態を予期してもいなかった。 *quo novem oppositis legionibus maximoque equitatu, **9個[[w:ローマ軍団|軍団]]と最大限の[[w:騎兵|騎兵]]隊が(敵と)対峙して、 *dispersis ac paene deletis hostibus **敵たちは散らばらされて、ほとんど抹殺されたのに、 *in milibus passuum tribus offendi posset, **(自陣から)3ローママイルの内で(敵対勢力から)襲撃され得るとは。 [[画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|thumb|right|200px|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。]] *quinque cohortes frumentatum in proximas segetes mittit, **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を糧秣徴発するために、近隣の耕地に派遣した。 *quas inter et castra unus omnino collis intererat. **それら(の耕地)と陣営の間には、ただ一つの丘陵が介在するだけであった。 *③ Complures erant in castris<ref>in castris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ex legionibus aegri relicti; **陣営の中には、諸軍団のうちから少なからぬ傷病者たちが残留していた。 *ex quibus qui hoc spatio dierum convaluerant, circiter trecenti(CCC), **その者たちのうちから、この日々の間に回復していた約300名が、 *sub vexillo una mittuntur; **<ruby><rb>[[w:ウェクスィッルム|軍旗]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェクスィッルム</rt><rp>)</rp></ruby>のもとで一緒に派遣された。 *magna praeterea multitudo calonum, magna vis iumentorum quae in castris subsederant, **そのうえに、軍属奴隷の大多数、陣営の中に残留していた(ロバなどの)役畜の多数が、 *facta potestate sequitur. **機会を与えられて、随行した。 ===37節=== [[画像:Castra1.png|thumb|right|200px|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。]] '''スガンブリー族がキケロの陣営に襲来''' *① Hoc ipso tempore et casu Germani equites interveniunt **このまさにその時と状況に、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の[[w:騎兵|騎兵]]たちが出現して、 *protinusque eodem illo, quo venerant, cursu **さらに前方へ(彼らが)やって来たのと同じ突進でもって、 *ab decumana porta in castra inrumpere conantur, **第10大隊の門(=裏門)から陣営の中に突入することを試みた。 **:(訳注:decumana porta は[[ガリア戦記 第2巻#24節|第2巻24節]]で既出、図を参照。) *② nec prius sunt visi obiectis ab ea parte silvis, quam [[wikt:la:castrum|castris]] adpropinquarent, **その方面については森林がじゃま立てしていたので(彼らは)陣営に接近するまでは視認されなかったのだ。 *usque eo ut qui sub [[w:la:Vallum|vallo]] tenderent mercatores, recipiendi sui facultatem non haberent. **そこまで(敵が急に来たので)、防柵の下に宿営していた商人たちが退避する機会を持たなかったほどであった。 *③ Inopinantes nostri re nova perturbantur, **予感していなかった我が方は、新しい事態に混乱させられて、 *ac vix primum impetum cohors in statione sustinet. **やっとのことで[[w:歩哨|歩哨]]に就いていた[[w:コホルス|歩兵大隊]]が(敵の)最初の突撃を持ちこたえた。 *④ Circumfunduntur ex reliquis hostes partibus, si quem aditum reperire possent. **敵たちは、何らかの入口を探り出せないかと、ほかの方面から取り囲んだ。 *⑤ Aegre portas nostri tuentur; **我が方(=ローマ勢)は辛うじて(四方の)諸門を固守して、 *reliquos aditus locus ipse per se munitioque defendit. **ほかの入口を、その位置そのものと防備が(敵の突入から)防護した。 *⑥ Totis trepidatur castris, **陣営の全体が震撼させられて、 *atque alius ex alio causam tumultus quaerit; **各人がほかの者に騒乱の原因を尋ね合った。 **:(訳注:エブロネス族を追討している最中に、スガンブリー族が来襲するとは予想だにしなかったからである。) *neque quo signa ferantur, neque quam in partem quisque conveniat provident. **が、どこへ軍旗が運ばれるのか、どの方面におのおのが集結するのか、判らなかった。 *⑦ Alius iam castra capta pronuntiat, **ある者は、すでに陣営は占拠されたと公言し、 *alius deleto exercitu atque imperatore victores barbaros venisse contendit; **別のある者は、軍隊も将軍(カエサル)も滅びて蛮族が勝利者としてやって来たのだ、と断言した。 *⑧ plerique novas sibi ex loco religiones fingunt **たいていの者たちは、その場所から、新奇な迷信的感情を創り上げ、 *Cottaeque et Tituri calamitatem, qui in eodem occiderint castello, **同じ砦のところで斃れた[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|コッタ]]と[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]の敗亡を *ante oculos ponunt. **眼前に想い描いた。 *⑨ Tali timore omnibus perterritis **このような怖れによって(陣営内部の)皆が脅えており、 *confirmatur opinio barbaris, ut ex captivo audierant, nullum esse intus praesidium. **蛮族にとっては、捕虜から聞いていたように、内部に守備隊が存在していないという見解が強められた。 *⑩ Perrumpere nituntur **(スガンブリー勢は、陣営の防備を)突破することに努め、 *seque ipsi adhortantur, ne tantam fortunam ex manibus dimittant. **これほどの幸運を手から取りこぼさないように、自分たちが自身を鼓舞した。 ===38節=== '''バクルスと百人隊長たちが防戦する''' *① Erat aeger cum<ref>cum はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> praesidio relictus P.(Publius) Sextius Baculus, **(キケロの陣営には)プーブリウス・セクスティウス・バクルスが傷病者として、守備兵とともに残されていた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span> *qui primum pilum ad<ref>ad はα系写本の記述で、β系写本では apud となっている。</ref> Caesarem duxerat, **その者はカエサルのもとで<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリムス・ピルス</rt><rp>)</rp></ruby> の座に就いていたことがあり、 *cuius mentionem superioribus proeliis fecimus, **かつての戦闘で彼に言及したが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]] および [[ガリア戦記 第3巻#5節|第3巻5節]]を参照。)</span> *ac diem iam quintum cibo caruerat. **(このとき)食物を欠いてすでに5日目であった。 *② Hic diffisus suae atque omnium saluti inermis ex tabernaculo prodit; **彼は、自らと皆の身の安全に疑念を抱いて、非武装のまま天幕小屋から出て来て、 *videt imminere hostes atque in summo esse rem discrimine; **敵たちが迫って来ていること、および事態が重大な危急にあることを目の当たりにして、 *capit arma a proximis atque in porta consistit. **すぐ近くの者から武器を取って、門のところに陣取った。 *③ Consequuntur hunc centuriones eius cohortis quae in statione erat; **歩哨に立っていた(1個)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> たちが彼に追随して、 **:(訳注:1個歩兵大隊の百人隊長は、定員通りであれば、6名いた。) *paulisper una proelium sustinent. **しばらく一緒に戦闘を持ちこたえた。 *④ Relinquit animus Sextium gravibus acceptis vulneribus; **セクスティウス(・バクルス)は重い傷を受けて、気を失った。 *Deficiens<ref>deficiens はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aegre per manus tractus servatur. **(彼は)衰弱して、(味方の)手から手に運ばれて辛うじて救助された。 *⑤ Hoc spatio interposito reliqui sese confirmant **こうしてしばらくした後で、ほかの者たちは意を強くした。 *tantum, ut in munitionibus consistere audeant speciemque defensorum praebeant. **(それは)防壁にあえて陣取って、防戦者たちの姿を示したほどであった。 ===39節=== '''スガンブリー族が糧秣徴発部隊をも襲う''' *① Interim confecta frumentatione milites nostri clamorem exaudiunt; **その間に、糧秣徴発を成し遂げると、我が方の兵士たち(=ローマ軍団兵)は叫び声を聞きつけて、 *praecurrunt equites; **[[w:騎兵|騎兵]]たちが先駆けして、 *quanto res sit in periculo cognoscunt. **事態がどれほどの危険にあるかを認識した。 *② Hic vero nulla munitio est quae perterritos recipiat; **そこには、まさに、脅え上がった者たちを受け入れるような、いかなる防備もなかったのである。 *modo conscripti atque usus militaris imperiti **やっと徴集されたばかりの者たち、なおかつ兵役の経験に通じていない者たちは、 *ad tribunum militum centurionesque ora convertunt; **<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちの方へ顔を向けた。 *quid ab his praecipiatur exspectant. **彼ら(上官たち)によって何を指図されるか、待っていたのである。 *③ Nemo est tam fortis, quin rei novitate perturbetur. **新奇な事態に不安にさせられないほど勇敢な者は、誰もいなかった。 *④ Barbari signa procul conspicati oppugnatione desistunt, **蛮族たちは、(糧秣徴発隊の)軍旗を遠くから視認すると、(陣営への)攻囲を停止した。 *redisse primo legiones credunt, quas longius discessisse ex captivis cognoverant; **(彼らは)当初は、より遠くに立ち去ったことを捕虜から知っていた(ローマの)諸軍団が戻って来たと思ったが、 *postea despecta paucitate ex omnibus partibus impetum faciunt. **後には、(糧秣徴発隊の)寡勢ぶりを侮って、あらゆる方向から突撃して来た。 ===40節=== '''敵中突破して陣営へ戻る糧秣徴発部隊の明暗''' *① Calones in proximum tumulum procurrunt. **[[w:カロネス|軍属奴隷]]たちは、近隣の丘に先駆けした。 *Hinc celeriter deiecti **(彼らは)ここから、(突撃して来る敵の軍勢を眺めて)たちまち当てが外れて、 *se in signa manipulosque coniciunt; **(後方にいた)軍旗と[[w:マニプルス|歩兵中隊]]のところに身を投じた。 *eo magis timidos perterrent milites. **それゆえに、臆病な兵士たちを大いに脅かした。 [[画像:Wedge-diagram.svg|thumb|right|200px|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。]] *② Alii cuneo facto ut celeriter perrumpant, censent **(ローマ兵の)ある者たちは、速やかに(敵中を)突破するように、<ruby><rb>[[w:くさび|楔形]]</rb><rp>(</rp><rt>くさびがた</rt><rp>)</rp></ruby>隊列を形成しようと考慮した。 *─ quoniam tam propinqua sint castra, **─ 陣営がこれほどまで近隣にあるので、 *etsi pars aliqua circumventa ceciderit, at reliquos servari posse confidunt ─, **たとえ、一部の誰かが包囲されて斃れたとしても、残りの者たちは救われることが可能だと確信したのだ ─。 *③ alii ut in iugo consistant atque eundem omnes ferant casum. **別のある者たちは、(丘の)尾根に陣取って、皆が同じ命運に耐え忍ぼうと(考えた)。 *④ Hoc veteres non probant milites, quos sub vexillo una profectos docuimus. **既述したように軍旗のもとで一緒に発って来た古参兵たちは、後者(の案)を承認しなかった。 **:(訳注:[[#36節|36節]]③項で既述のように、回復した傷病兵たちが同行してきていた。) *Itaque inter se cohortati **こうして、(古参の傷病兵たちは)互いに激励し合って、 *duce C.(Gaio) Trebonio equite Romano, qui iis erat praepositus, **彼らの指揮を委ねられていたローマ人[[w:騎士|騎士階級]]のガイウス・トレボニウスを統率者として、 **:(訳注:[[#33節|33節]]で3個軍団を率いて出発した副官の[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]とは明らかに同名の別人である。) *per medios hostes perrumpunt incolumesque ad unum omnes in castra perveniunt. **敵たちの中央を突破して、一人に至るまで皆が無傷で陣営に到着した。 *⑤ Hos subsecuti calones equitesque eodem impetu militum virtute servantur. **彼らに追随して、軍属奴隷と[[w:騎兵|騎兵]]たちが同様の突撃をして、兵士たちの武勇により救われた。 *⑥ At ii qui in iugo constiterant, **それに対して(丘の)尾根に陣取った者たちは、 *nullo etiam nunc usu rei militaris percepto **今になってさえも、軍事的行動というものを把握しておらず、 *neque in eo quod probaverant consilio permanere, ut se loco superiore defenderent, **より高い場所で身を守るという、彼らが承認していた考えに留まりもせず、 *neque eam quam prodesse aliis vim celeritatemque viderant, imitari potuerunt, **(彼らが)別の者たち(=古参兵)に役立ったのを見ていたところの力と迅速さを真似することもできなかった。 *sed se in castra recipere conati iniquum in locum demiserunt. **けれども、陣営に退却することを試みたが、不利な場所に落ち込んで行った。 *⑦ Centuriones, quorum nonnulli ex inferioribus ordinibus reliquarum legionum **[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]たちといえば、彼らの少なからぬ者たちは、ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]のより低い序列から、 *virtutis causa in superiores erant ordines huius legionis traducti, **武勇のおかげで、この軍団のより高い序列に異動させられていたが、 *ne ante partam rei militaris laudem amitterent, fortissime pugnantes conciderunt. **かつて獲得した軍事的な賞賛を失わないように、とても果敢に奮戦して斃れた。 *⑧ Militum pars horum virtute **兵士たちの一部は、これら(討ち死にした百人隊長たち)の武勇により、 *submotis hostibus praeter spem incolumis in castra pervenit, **予想に反して敵たちが撃退されたので、無傷で陣営に到着した。 *pars a barbaris circumventa periit. **別の一部は、蛮族によって包囲されて、討ち死にした。 ===41節=== '''スガンブリー族の撤退、カエサルの帰還''' *① Germani desperata expugnatione castrorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちは(キケロの)[[w:カストラ|陣営]]の攻略に絶望して、 *quod nostros iam constitisse in munitionibus videbant, **というのは、我が方(ローマ勢)が防備のところに立っているのを見たからであるが、 *cum ea praeda quam in silvis deposuerant, trans Rhenum sese receperunt. **森の中にしまい込んでいた略奪品とともに、レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側に撤退した。 *② Ac tantus fuit etiam post discessum hostium terror, **敵たちの立ち去った後でさえ(ローマ勢の)畏怖はたいへんなものであったので、 *ut ea nocte, cum C.(Gaius) Volusenus missus cum equitatu ad castra venisset, **その夜に、(追討戦に)派遣されていたガーイウス・ウォルセーヌスが騎兵隊とともに陣営へ帰着したときに **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' は、[[ガリア戦記_第3巻#5節|第3巻5節]]のアルプス・オクトードゥールスの戦い、<br>    [[ガリア戦記_第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記_第4巻#23節|23節]]のブリタンニアへの先遣で既述。<br>    この後、さらに第8巻23節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#23|s]])</sub>、48節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#48|s]])</sub>でも活躍する。)</span> *fidem non faceret adesse cum incolumi Caesarem exercitu. **カエサルが無傷の軍隊とともに近くに来ていることを(陣営の残留組に)信用させなかったほどである。 *③ Sic omnino animos timor praeoccupaverat, ut paene alienata mente **ほとんど気でも違ったかのように、皆の心を怖れが占めていた。 **:(訳注:sic … ut ~ の構文;「~と同様に…である」) *deletis omnibus copiis equitatum se ex fuga recepisse dicerent **(残留者たちは、カエサルら)全軍勢が滅ぼされて、[[w:騎兵|騎兵隊]]が敗走から退いて来たのだ、と言った。 *neque incolumi exercitu Germanos castra oppugnaturos fuisse contenderent. **(カエサルら)軍隊が無傷であれば、ゲルマーニア人が陣営を襲撃しなかっただろう、と断言した。 **:(訳注:oppugnaturos fuisse ;間接話法では非現実な[[w:条件法|条件文]]の帰結は「未来分詞+fuisse」で表される。) *④ Quem timorem Caesaris adventus sustulit. **その怖れをカエサルの到着が取り除いた。 **:(訳注:sustulit は tollō の完了・能動3人称単数形) ===42節=== '''カエサルがスガンブリー族の襲来と撤退を運命に帰する''' *① Reversus ille, eventus belli non ignorans, **引き返して来た彼(カエサル)は、戦争の成り行きというものを知らないはずがないので、 *unum quod cohortes ex statione et praesidio essent emissae, **ひとつ(だけ)、<ruby><rb>[[w:コホルス|諸大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> が[[w:歩哨|歩哨]]や守備から(糧秣徴発に)派遣されたことを *questus ─ ne minimo quidem casu locum relinqui debuisse ─ **不慮の事態に対して最小限のいかなる余地も残されるべきではなかった、と嘆いた。 *multum Fortunam in repentino hostium adventu potuisse iudicavit, **不意の敵たちの到来においては運命(の女神)が大いに力を持つ、と断じた。 *② multo etiam amplius, quod paene ab ipso vallo portisque castrorum barbaros avertisset. **さらに、より一層大きかったのは、(運命が)ほとんど蛮族をその陣営の防柵と諸門から追い返してしまったことである。 *③ Quarum omnium rerum maxime admirandum videbatur, **それらのすべての事態でとりわけ驚くべきと思われたのは、 *quod Germani, qui eo consilio Rhenum transierant, ut Ambiorigis fines depopularentur, **その意図で[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]の領土を荒らすようにレヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])を渡河していた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が、 *ad castra Romanorum delati **ローマ人の陣営の方へそらされて、 *optatissimum Ambiorigi beneficium obtulerunt. **アンビオリクスに最も望ましい恩恵を施してしまったことである。 ==対エブロネス族追討戦(2)== ===43節=== '''アンビオリクスが辛うじて追討を逃れる''' *① Caesar rursus ad vexandos hostes profectus **カエサルは再び敵たちを苦しめるために出発して、 *magno coacto &lt;equitum&gt; numero ex finitimis civitatibus in omnes partes dimittit. **[[w:騎兵|騎兵]]の多数を隣接する諸部族から徴集して、あらゆる方面に派遣した。 **:(訳注:&lt;equitum&gt; 「騎兵の」は近代の校訂者による挿入である。) *② Omnes vici atque omnia aedificia quae quisque conspexerat incendebantur, **おのおのが目にしたすべての村々およびすべての建物が焼き打ちされた。 *pecora interficiebantur<ref>pecora interficiebantur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, praeda ex omnibus locis agebatur; **家畜は屠殺され、あらゆる場所から略奪品が奪い去られた。 *③ frumenta non solum tanta multitudine iumentorum atque hominum consumebantur, **役畜および人間たちのこれほど大勢により穀物が消費され尽くしたのみならず、 *sed etiam anni tempore atque imbribus procubuerant, **季節と豪雨によってさえも(穀物が)倒れた。 *ut si qui etiam in praesentia se occultassent, **その結果、もし(エブロネス族の)何者かが現状では身を隠しているとしても、 *tamen his deducto exercitu rerum omnium inopia pereundum videretur. **それでも彼らは(ローマ人の)軍隊が引き揚げれば、あらゆるものの欠乏により死滅するはずと思われた。 *④ Ac saepe in eum locum ventum est tanto in omnes partes diviso equitatu, **たいへん多くの騎兵隊があらゆる方面に分遣されて、しばしば以下のような状態に出くわした。 *ut non modo visum ab se Ambiorigem in fuga circumspicerent captivi **捕虜たちが、自分たちによって逃亡中の[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]が目撃されたと見回しただけでなく、 *nec plane etiam abisse ex conspectu contenderent, **(アンビオリクスが)視界からまったく消え去ってはいないとさえ主張した。 *⑤ ut spe consequendi inlata atque infinito labore suscepto, **その結果、(アンビオリクスを)追跡する希望がもたらされて、さらに限りない労苦が従事された。 *qui se summam ab Caesare gratiam inituros putarent, **カエサルから最高の恩恵を得ようと思った者たちは、 *paene naturam studio vincerent, **熱意により(身体的な)資質にほとんど打ち克ったが、 *semperque paulum ad summam felicitatem defuisse videretur, **いつも最高の恵みにあと少しで足りなかったと思われる。 *⑥ atque ille latebris aut silvis<ref>aut silvis はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aut saltibus se eriperet **かつ彼(アンビオリクス)は隠れ処、あるいは森林、あるいは峡谷によって自らを救い、 *et noctu occultatus alias regiones partesque peteret **夜に秘されて、別の地方や方面をめざした。 *non maiore equitum praesidio quam quattuor, **4名より多くない騎兵の護衛によって、 *quibus solis vitam suam committere audebat. **自らの生命をその者たちだけにあえて委ねたのだ。 ===44節=== '''カエサルが撤退し、造反者アッコを処刑する''' *① Tali modo vastatis regionibus **このようなやり方で(エブロネス族の)諸地域を荒廃させて、 [[画像:Porte_Mars_01.jpg|thumb|right|200px|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。]] *exercitum Caesar duarum cohortium damno [[w:la:Remi|Durocortorum]] Remorum reducit **カエサルは、2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の損失(だけ)で、軍隊を[[w:レミ族|レミ族]]の[[w:ドゥロコルトルム|ドゥロコルトルム]]に連れ戻して、 **:(訳注:ドゥロコルトルムはレミ族の首邑で、現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]] Reims である。) *concilioque in eum locum Galliae indicto **その地においてガッリアの(領袖たちの)会合を公示して、 *de coniuratione Senonum et Carnutum quaestionem habere instituit **[[w:セノネス族|セノネス族]]と[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の共謀について詮議することを決定した。 *② et de Accone, qui princeps eius consilii fuerat, **その謀計の首謀者であった[[w:アッコ (セノネス族)|アッコ]]については *graviore sententia pronuntiata more maiorum supplicium sumpsit. **より重い判決が布告され、(ローマ人の)先祖の習慣により極刑に処した。 **:(訳注:ローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|モムゼン]]は、アッコはローマの<ruby><rb>[[w:リクトル|先導吏]]</rb><rp>(</rp><rt>リクトル</rt><rp>)</rp></ruby> により[[w:斬首刑|斬首]]されたと言及している<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、p.233 を参照。</ref>。 **:外国から来た侵略者カエサルがこのような刑罰を下したことに、ガッリア人たちは憤激した。[[ガリア戦記 第7巻#1節|第7巻1節]]を参照。) *③ Nonnulli iudicium veriti profugerunt. **少なからぬ者たちは、裁判を恐れて逃走した。 *Quibus cum aqua atque igni interdixisset, **その者たちには水と火が禁じられたうえで、 **:(訳注:「水と火を禁じる」とは追放処分のことで、居住権や財産の没収などを指す。) *duas legiones ad fines Treverorum, duas in Lingonibus, **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]をトレーウェリー族の領土へ、2個(軍団)を[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](の領土)に、 *sex reliquas in Senonum finibus [[w:la:Agedincum|Agedinci]] in hibernis conlocavit **残りの6個(軍団)を[[w:セノネス族|セノネス族]]の領土の[[w:アゲディンクム|アゲディンクム]]に、冬営地に宿営させた。 **:(訳注:アゲディンクムは、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]] Sens である。) *frumentoque exercitui proviso, **軍隊の糧秣を調達してから、 *ut instituerat, in Italiam ad conventus agendos profectus est. **定めていたように、イタリアに開廷(巡回裁判)を行なうために出発した。 **:(訳注:ここで「イタリア」とはカエサルが総督を務める[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことと思われる。) ---- *<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第6巻」了。「[[ガリア戦記 第7巻]]」へ続く。</span> ==脚注== <references /> ==参考リンク== *ウィキペディア英語版・日本語版 **[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]([[w:Category:ガリアの部族|Category:ガッリアの部族]]) ***[[w:en:Eburones|Eburones]]([[w:エブロネス族|エブロネス族]]) ***[[w:en:Nervii|Nervii]]([[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]]) ***[[w:en:Senones|Senones]](セノネス族)- [[w:la:Senones|la:Senones]] ***[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌテス族) ***[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィ族]]) ****[[w:en:Lutetia|Lutetia]]([[w:ルテティア|ルテティア]]) ***[[w:en:Menapii|Menapii]](メナピイ族) ***[[w:en:Treveri|Treveri]](トレーウェリー族) ***[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]) ***[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族) ***[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族) **[[w:en:Category:Germanic peoples|Category:Germanic peoples]](ゲルマーニア人のカテゴリ) ***[[w:en:Category:Ancient Germanic peoples|Category:Ancient Germanic peoples]](古代ゲルマーニア人) ***[[w:en:Germanic peoples|Germanic peoples]](ゲルマーニア人) ***[[w:en:Ubii|Ubii]](ウビイー族) ***[[w:en:Suebi|Suebi]]([[w:スエビ族|スエービー族]]) ***[[w:en:Chatti|Chatti]](カッティー族) ***[[w:en:Cherusci|Cherusci]](ケールスキー族) ***[[w:en:Sicambri|Sicambri]](スガンブリー族) ***[[w:en:Hercynian Forest|Hercynian Forest]](ヘルキュニアの森) **地理学者・史家 ***[[w:en:Posidonius|Posidonius]]([[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]];BC135-51年頃)- [[w:la:Posidonius Apameus|la:Posidonius Apameus]] ***[[w:en:Diodorus Siculus|Diodorus Siculus]]([[w:シケリアのディオドロス|シケリアのディオドロス]];BC1世紀) - [[w:la:Diodorus Siculus|la:Diodorus Siculus]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Διόδωρος Σικελιώτης|Διόδωρος Σικελιώτης]](シケリアのディオドロス)- [[s:el:Ιστορική Βιβλιοθήκη|Ιστορική Βιβλιοθήκη]](歴史叢書)〕 ***[[w:en:Strabo|Strabo]]([[w:ストラボン|ストラボン]];BC63年頃–AD24年頃)- [[w:la:Strabo|la:Strabo]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Στράβων|Στράβων]](ストラボン) - [[s:el:Γεωγραφία|Γεωγραφία]](世界地誌)〕 ***[[w:en:Tacitus|Tacitus]]([[w:タキトゥス|タキトゥス]];56年頃–117年頃)- [[w:la:Cornelius Tacitus|la:Cornelius Tacitus]] ****[[w:en:Germania (book)|Germania (book)]]([[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア (書物)]])- [[w:la:Germania (opus 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**カエサルの副官たち ***[[w:en:Titus_Labienus|Titus Labienus]]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]])- [[w:la:Titus_Labienus|la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Trebonius|Gaius Trebonius]]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]])- [[w:la:Gaius Trebonius|la:Gaius Trebonius]] ***[[w:en:Quintus_Tullius_Cicero|Quintus Tullius Cicero]]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]] ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) *ウィクショナリー フランス語版 **[[wikt:fr:calo]](カーロー、軍属奴隷) f64n6sk6n45xjipbgd0qvf8vijfc8aw 263556 263553 2024-11-16T04:48:29Z Linguae 449 /* 10節 */ 修整 263556 wikitext text/x-wiki [[Category:ガリア戦記|6]] [[ガリア戦記]]>&nbsp;'''第6巻'''&nbsp;>[[ガリア戦記 第6巻/注解|注解]] <div style="text-align:center"> <span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;C&nbsp;IVLII&nbsp;CAESARIS&nbsp;COMMENTARIORVM&nbsp;BELLI&nbsp;GALLICI&nbsp;</span> <span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;LIBER SEXTVS&nbsp;</span> </div> [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] {| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5" ! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第6巻 目次 |- | style="text-align:right; font-size: 0.86em;"| '''[[#ガッリア北部の平定|ガッリア北部の平定]]''':<br /> '''[[#第二次ゲルマーニア遠征|第二次ゲルマーニア遠征]]''':<br /> '''[[#ガッリア人の社会と風習について|ガッリア人の社会と風習について]]''':<br /> '''[[#ゲルマーニアの風習と自然について|ゲルマーニアの風習と自然について]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(1)|対エブロネス族追討戦(1)]]''':<br /> '''[[#スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦|スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(2)|対エブロネス族追討戦(2)]]''':<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> | style="text-align:left; font-size: 0.86em;"| [[#1節|01節]] | [[#2節|02節]] | [[#3節|03節]] | [[#4節|04節]] | [[#5節|05節]] | [[#6節|06節]] | [[#7節|07節]] | [[#8節|08節]] <br /> [[#9節|09節]] | [[#10節|10節]] <br /> [[#11節|11節]] | [[#12節|12節]] | [[#13節|13節]] | [[#14節|14節]] | [[#15節|15節]] | [[#16節|16節]] | [[#17節|17節]] | [[#18節|18節]] | [[#19節|19節]] | [[#20節|20節]] <br /> [[#21節|21節]] | [[#22節|22節]] | [[#23節|23節]] | [[#24節|24節]] | [[#25節|25節]] | [[#26節|26節]] | [[#27節|27節]] | [[#28節|28節]] <br /> [[#29節|29節]] | [[#30節|30節]] | [[#31節|31節]] | [[#32節|32節]] | [[#33節|33節]] | [[#34節|34節]] <br /> [[#35節|35節]] | [[#36節|36節]] | [[#37節|37節]] | [[#38節|38節]] | [[#39節|39節]] | [[#40節|40節]] | [[#41節|41節]] | [[#42節|42節]] <br/> [[#43節|43節]] | [[#44節|44節]] <br/> &nbsp;&nbsp;1節 [[#コラム「カエサルの軍団」|コラム「カエサルの軍団」]]<br> 10節 [[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」|コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」]]<br>10節 [[#コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」|コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」]]<br /> [[#脚注|脚注]]<br /> [[#参考リンク|参考リンク]]<br /> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ <div style="background-color:#dfffdf;"> ==<span style="color:#009900;">はじめに</span>== :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルは、第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])から<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>として属州総督に赴任した。が、これは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]、[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]および[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]の三属州の統治、および4個軍団を5年間にもわたって任されるというローマ史上前代未聞のものであった。これはカエサルが[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]と非公式な盟約を結んだ[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]]の成果であった。カエサルには属州の行政に従事する気持ちははじめからなく、任期のほとんどを夏季は[[w:ガリア戦争|ガッリア侵攻]]に、冬季は首都ローマへの政界工作に費やした。[[ガリア戦記_第3巻#はじめに|第3巻]]の年([[w:紀元前56年|紀元前56年]])に3人は[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の会談を行い、カエサルはクラッススとポンペイウスが翌年に執政官になること、カエサルの総督の任期をさらに5年間延長されることを求めた。会談の結果、任期が大幅に延長されることになったカエサルは、もはや軍事的征服の野望を隠そうとせず、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススが[[w:シリア属州|シュリア]]総督になること、ポンペイウスがカエサルと同様に[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の三属州の総督になって4個軍団を任されることを決める。</div> <div style="text-align:center"> {| |- |[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人の同盟はついに破綻の時を迎える。]] |} </div> :<div style="color:#009900;width:85%;">[[w:ガリア戦記 第5巻|第5巻]]の年([[w:紀元前54年|前54年]])、カエサルは満を持して二回目の[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|ブリタンニア侵攻]]を敢行するが、大した戦果は得られず、背後のガッリア情勢を気にしながら帰還する。ついに[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]率いる[[w:エブロネス族|エブローネース族]]、ついで[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]が反乱を起こし、カエサルは何とか動乱を鎮めるが、ガッリア諸部族の動きは不穏であり、カエサルは諸軍団とともに越冬することを決める。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルがブリタンニア遠征で不在の間に、ポンペイウスに嫁していたカエサルの一人娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が[[w:産褥|産褥]]で命を落とす。一方、クラッススは属州[[w:シリア属州|シュリア]]に向かうが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">本巻の年([[w:紀元前53年|前53年]])、カエサルは[[w:エブロネス族|エブローネース族]]追討戦に向かうが、これは大きな嵐の前の出来事に過ぎない。</div> </div> <!-- **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==ガッリア北部の平定== ===1節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-09-18}}</span> ;カエサルがポンペイウスの助けにより新兵を徴募する *<!--❶-->Multis de causis Caesar maiorem Galliae [[wikt:en:motus#Noun_2|motum]] [[wikt:en:exspectans|exspectans]] **多くの理由から、カエサルは、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、 *per [[wikt:en:Marcus#Latin|Marcum]] [[wikt:en:Silanus#Latin|Silanum]], [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Antistius#Latin|Antistium]] Reginum, [[wikt:en:Titus#Latin|Titum]] [[wikt:en:Sextius#Latin|Sextium]], legatos, **<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:マルクス・ユニウス・シラヌス (紀元前25年の執政官)|マールクス・スィーラーヌス]]、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌス、ティトゥス・セクスティウスを介して **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Marcus Junius Silanus (consul 25 BC)|Mārcus Iūnius Sīlānus]] はこの年([[w:紀元前53年|前53年]])からカエサルの副官、[[w:紀元前25年|前25年]]に執政官。<br>    ''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は副官として[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]と[[ガリア戦記_第7巻#90節|90節]]でも後出。<br>    [[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] はこの年からカエサルの副官、[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]でも後出、<br>     [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)</span> *[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]; **<small>(兵士の)</small>徴募を行なうことを決める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dīlēctus]] = [[wikt:en:delectus#Noun_2|dēlēctus]]「選択、徴募」)</span> :  *<!--❷-->simul ab [[wikt:en:Gnaeus#Latin|Gnaeo]] [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeio]] [[wikt:en:proconsul#Latin|proconsule]] [[wikt:en:peto#Latin|petit]], **同時に、<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]に<small>(以下のことを)</small>求める。 *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] ipse ad <u>urbem</u> cum imperio rei publicae causa [[wikt:en:remaneo#Latin|remaneret]], **<small>(ポンペイウス)</small>自身は<u>首都</u><small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の辺りに、<ruby><rb>[[w:インペリウム|軍隊司令権]]</rb><rp>(</rp><rt>インペリウム</rt><rp>)</rp></ruby>を伴って、国務のために留まっていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbs#Latin|urbs (urbem)]] は普通名詞として「都市・街」を意味するが、特に首都'''[[w:ローマ|ローマ市]]'''を指す。)</span> **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]とともに[[w:執政官|執政官]]を務め、<br>    第5巻の年(昨年=[[w:紀元前54年|前54年]])には[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の属州総督となったが、<br>    首都ローマの政局が気がかりであったため、任地には副官を派遣して、<br>    自らはローマ郊外に滞在していた。ただ彼は属州総督であったため、<br>    [[w:ポメリウム|ポメリウム]]と呼ばれるローマ市中心部に立ち入ることは禁じられていた。)</span> *quos ex [[wikt:en:cisalpinus#Latin|Cisalpina]] Gallia <u>consulis</u> [[wikt:en:sacramentum#Latin|sacramento]] [[wikt:en:rogo#Latin|rogavisset]], **[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]の内から、<ruby><rb>[[w:執政官|執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>コンスル</rt><rp>)</rp></ruby>のための宣誓を求めていた者たちに、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは執政官のときに元老院の許可を得て、<br>    カエサルの属州で、自らの属州に派遣するための4個軍団の徴募を行った。<br>    徴集された新兵たちは執政官に宣誓したようである。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega; では [[wikt:en:consulis#Noun|consulis]]「執政官の」だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]は [[wikt:en:consul#Latin|consul]]「執政官が」と修正提案している。)</span> *ad signa [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] et ad se [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iuberet]], **軍旗のもとに集まって、自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ進発することを命じるようにと。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、ポンペイウスに軍団兵の融通を求めたわけだ。<br>    ポンペイウスが執政官のときに徴募していたうちの1個軍団がカエサルに貸し出された。<br>    ところがその後、<u>第8巻54節の記述</u>によれば <ref>ラテン語文は、[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#54]] などを参照。</ref><ref>英訳は、[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_8#54]] などを参照。</ref>、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]の死後に、[[w:元老院|元老院]]は、<br>    対[[w:パルティア|パルティア]]戦争のために、カエサルとポンペイウスがそれぞれ1個軍団を供出することを可決したが、<br>    ポンペイウスはカエサルに1個軍団の返還を求めたので、<br>    カエサルは計2個軍団の引き渡しを求められることになる。<br>    このことは、[[内乱記_第1巻#2節|『内乱記』第1巻2節]]以降でも言及される。)</span> :  *<!--❸-->magni [[wikt:en:intersum#Latin|interesse]] etiam in reliquum tempus ad [[wikt:en:opinio#Latin|opinionem]] Galliae [[wikt:en:existimans#Latin|existimans]] **ガッリアの世論に対して、これから後の時期にさえも、(カエサルが)大いに重要であると考えていたのは、 *tantas videri Italiae [[wikt:en:facultas#Latin|facultates]] **(以下の程度に)イタリアの(動員)能力が豊富であると見えることである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:Italiaという語は多義的でさまざまに解釈できるが、<br>    本書ではガッリア・キサルピーナを指すことが多い。)</span> *ut, si [[wikt:en:aliquid#Etymology_2|quid]] esset in bello [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimenti]] acceptum, **もし、戦争において何がしかの(兵員の)損害を蒙ったとしても、 *non modo id [[wikt:en:brevis#Latin|brevi]] tempore [[wikt:en:sarcio#Latin|sarciri]], **それが短期間で修復(できる)だけでなく、 *sed etiam [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:augeo#Latin|augeri]] copiis posset. **より多く軍勢で増されることが可能だ<br>(とガッリアの世論に思われることが重要であるとカエサルは考えたのである)。 :  *<!--❹-->Quod cum [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeius]] et rei publicae et amicitiae [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuisset]], **そのことを、ポンペイウスは公儀<small>〔ローマ国家〕</small>のためにも(三頭政治の)盟約のためにも認めたので、 *celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] per suos [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectu]] **(カエサルの)配下の者たちを介して速やかに徴募が成し遂げられて *tribus ante [[wikt:en:exactus#Latin|exactam]] [[wikt:en:hiems#Latin|hiemem]] et [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] et [[wikt:en:adductus#Latin|adductis]] legionibus **冬が過ぎ去る前に、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]が組織されて<small>(カエサルのもとへ)</small>もたらされ、 *[[wikt:en:duplicatus#Latin|duplicato]]<nowiki>que</nowiki> earum [[wikt:en:cohors#Latin|cohortium]] numero, quas cum [[wikt:en:Quintus#Latin|Quinto]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurio]] [[wikt:en:amitto#Latin|amiserat]], **それらの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の数は、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥーリウス(・サビーヌス)]]とともに失っていたものの倍にされた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前巻でサビーヌスとコッタは1個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]](=15個歩兵大隊)を失ったが、<br>    代わりに3個軍団(=30個歩兵大隊)を得たということ。)</span> *et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] et copiis [[wikt:en:doceo#Latin|docuit]], **<small>(徴兵の)</small>迅速さと軍勢<small>(の多さ)</small>において<small>(ガッリア人たちに)</small>示したのは、 *quid populi Romani [[wikt:en:disciplina#Latin|disciplina]] atque [[wikt:en:ops#Noun_4|opes]] possent. **ローマ国民の規律と能力がいかに有力であるかということである。 {| class="wikitable" |- | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Hw-pompey.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。]] | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Theatre of Pompey 3D cut out.png|thumb|left|400px|'''[[w:ポンペイウス劇場|ポンペイウス劇場]]'''の復元図。[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]の名を冠したこの劇場は、彼が執政官であった[[w:紀元前55年|紀元前55年]]頃に竣工し、当時最大の劇場であった。<br> 伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は以下のように伝えている<ref>[[s:en:Plutarch%27s_Lives_(Clough)/Life_of_Pompey]] より</ref>:「クラッススは執政官の任期が切れるとすぐに属州へと出発したが、ポンペイウスはローマで劇場の開館式や奉献式に出席し、その式にはあらゆる競技・ショー・運動・体操・音楽などで人々を楽しませた。野獣の狩猟や餌付け、野獣との闘いもあり、500頭のライオンが殺された。しかし何よりも、象の闘いは、恐怖と驚きに満ちた見世物であった」と。<br><br> カエサルの最期の場所でもあり、血みどろのカエサルはポンペイウスの胸像の前で絶命したとされている。]] |} <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="background-color:#dfffdf;"> ===<span style="color:#009900;">コラム「カエサルの軍団」</span>=== :<div style="color:#009900;width:75%;">カエサルは第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])に三属州の総督に任官するとともに4個軍団(VI・VII・[[w:en:Legio VIII Augusta|VIII]]・[[w:en:Legio IX Hispana|IX]])を任された。[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]([[w:la:Helvetii|Helvetii]])と対峙するうちに、元老院に諮らずに独断で2個軍団([[w:en:Legio X Equestris|X]]・[[w:en:Legio XI Claudia|XI]])を徴募する(1巻10節)。<br> 第2巻の年([[w:紀元前57年|紀元前57年]])に3個軍団([[w:en:Legio XII Fulminata|XII]]・[[w:en:Legio XIII Gemina|XIII]]・[[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])を徴募して、計9個軍団。<br><br> [[ガリア戦記_第5巻#24節|『第5巻』24節]]の時点で、カエサルは8個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を保持していると記されている。最古参の第6軍団が半減していると考えると、[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]によって、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]やコッタらとともに滅ぼされたのは、第14軍団([[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])と古い第6軍団(VI)の生き残りの5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]と考えることができる。<br><br> 本巻の年([[w:紀元前53年|紀元前53年]])では、ポンペイウスの第1軍団がカエサルに譲られ、後にカエサルの軍団の番号系列に合わせて第6軍団(VI)と改称されたようだ。「第14軍団」は全滅させられたので通常は欠番にするところだが、カエサルはあえて再建して第14軍団と第15軍団が徴募され、これら3個軍団を加えると、カエサルが保持するのは計10個軍団となる。<br> もっとも本巻ではカエサルは明瞭な記述をしておらず、上述のように後に2個軍団を引き渡すことになるためか、伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は、ポンペイウスがカエサルに2個軍団を貸し出した、と説明している。 </div> </div> ===2節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2024-09-29}}</span> ;ガッリア北部の不穏な情勢、トレーウェリー族がライン川東岸のゲルマーニア人を勧誘 *<!--❶-->[[wikt:en:interfectus#Latin|Interfecto]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomaro]], ut [[wikt:en:doceo#Latin|docuimus]], **<small>([[ガリア戦記 第5巻#58節|第5巻58節]]で)</small>述べたように、インドゥーティオマールスが殺害されると、 *ad eius propinquos a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] imperium [[wikt:en:defero#Latin|defertur]]. **トレーウェリー族の者たちにより彼の縁者たちへ支配権がもたらされる。 *Illi finitimos [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitare]] et [[wikt:en:pecunia#Latin|pecuniam]] [[wikt:en:polliceor#Latin|polliceri]] non [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]]. **彼らは隣接する[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちをそそのかすこと、および金銭を約束することをやめない。 *Cum ab proximis [[wikt:en:impetro#Latin|impetrare]] non possent, [[wikt:en:ulterior#Latin|ulteriores]] [[wikt:en:tempto#Latin|temptant]]. **たとえ隣人たちによって(盟約を)成し遂げることができなくても、より向こう側の者たちに試みる。 :  *<!--❷-->[[wikt:en:inventus#Latin|Inventis]] [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullis]] civitatibus **少なからぬ部族国家を見出して *[[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] inter se [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmant]] **互いに誓約し合って(支持を)固め、 *obsidibusque de pecunia [[wikt:en:caveo#Latin|cavent]]; **金銭(の保証)のために人質たちを提供する。 *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] sibi [[wikt:en:societas#Latin|societate]] et [[wikt:en:foedus#Latin|foedere]] [[wikt:en:adiungo#Latin|adiungunt]]. **[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]を自分たちにとっての連合や同盟に加盟させる。 :  *<!--❸-->Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]] Caesar, **それらの事情を知るや、カエサルは、 *cum undique bellum [[wikt:en:paro#Latin|parari]] videret, **至る所で戦争が準備されていることを見ていたので、 *[[wikt:en:Nervii#Latin|Nervios]], [[wikt:en:Aduatuci#Latin|Atuatucos]] ac [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:adiunctus#Participle|adiunctis]] **(すなわち)[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]、アトゥアトゥキー族とメナピイー族を加盟させたうえに *<u>Cisrhenanis</u> omnibus <u>[[wikt:en:Germanus#Noun|Germanis]]</u> esse in armis, **レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>のこちら側のすべてのゲルマーニア人たちが武装していて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) は西岸部族の総称。<br>    ''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族) の対義語で、<br>     西岸の諸部族が東岸の諸部族を招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> *[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] ad [[wikt:en:imperatum#Latin|imperatum]] non venire **セノネース族は<small>(カエサルから)</small>命令されたことに従わずに *et cum [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]] finitimisque civitatibus consilia [[wikt:en:communico#Latin|communicare]], **カルヌーテース族および隣接する諸部族とともに謀計を共有しており、 *a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] crebris [[wikt:en:legatio#Latin|legationibus]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitari]], **ゲルマーニア人たちがたびたびトレーウェリー族の使節団によってそそのかされていたので、 *[[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] sibi de bello [[wikt:en:cogitandus#Latin|cogitandum]] [[wikt:en:puto#Latin|putavit]]. **<small>(カエサルは)</small>自分にとって<small>(例年)</small>より早めに戦争を計画するべきだと見なした。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===3節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2024-10-06}}</span> ;カエサルがネルウィイー族を降し、ガッリアの領袖たちの会合を召集する *<!--❶-->Itaque [[wikt:en:nondum#Latin|nondum]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]] **<small>(カエサルは)</small>こうして、まだ冬が終わらないうちに、 *proximis quattuor [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] legionibus **近隣の4個[[w:ローマ軍団|軍団]]を集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記_第5巻#52節|第5巻52節]]で言及されたように、カエサルは、本営を置いていた<br>    サマロブリーウァ(現在の[[w:アミアン|アミアン]])周辺の冬営に3個軍団、<br>    およびファビウスの軍団を配置していたと思われる。)</span> *[[wikt:en:de_improviso#Latin|de improviso]] in fines [[wikt:en:Nervii#Latin|Nerviorum]] [[wikt:en:contendo#Latin|contendit]] **不意に[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]の領土に急いだ。 :  *<!--❷-->et, [[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] illi aut [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] aut [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]] possent, **そして、彼ら<small>(の軍勢)</small>は、集結したり、あるいは逃亡したりできるより前に、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:captus#Latin|capto]] **家畜たちおよび人間たちの多数を捕らえて、 *atque ea [[wikt:en:praeda#Latin|praeda]] militibus [[wikt:en:concessus#Participle|concessa]] **それらの戦利品を兵士たちに譲り、 *[[wikt:en:vastatus#Latin|vastatis]]<nowiki>que</nowiki> agris **耕地を荒らして、 *in [[wikt:en:deditio#Latin|deditionem]] venire atque obsides sibi dare [[wikt:en:cogo#Latin|coegit]]. **<small>(ネルウィイー族に、ローマ勢へ)</small>降伏すること、人質たちを自分<small>〔カエサル〕</small>に供出することを強いた。 :  *<!--❸-->Eo celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] [[wikt:en:negotium#Latin|negotio]] **その戦役は速やかに成し遂げられたので、 *rursus in [[wikt:en:hibernum#Latin|hiberna]] legiones [[wikt:en:reduco#Latin|reduxit]]. **再び諸軍団を冬営に連れ戻した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:本営を置いていたサマロブリーウァ周辺の冬営。)</span> :  *'''ガッリアの領袖たちの会合''' *<!--❹-->[[wikt:en:concilium#Latin|Concilio]] Galliae primo [[wikt:en:ver#Latin|vere]], ut [[wikt:en:instituo#Latin|instituerat]], [[wikt:en:indictus#Participle|indicto]], **ガッリアの<small>(領袖たちの)</small>会合を、定めていたように、春の初めに通告すると、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:会合の集合場所は、当初は本営のあるサマロブリーウァだったであろう。)</span> *cum reliqui praeter [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]]<nowiki>que</nowiki> venissent, **[[w:セノネス族|セノネース族]]、カルヌーテース族とトレーウェリー族を除いて、ほかの者たちは(会合に)現われていたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ガッリア北部では、このほかエブローネース族とメナピイー族が参加していないはずである。)</span> *initium belli ac [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] hoc esse [[wikt:en:arbitratus#Latin|arbitratus]], **このこと<span style="color:#009900;">〔3部族の不参加〕</span>は戦争と背反の始まりであると思われて、 *ut omnia [[wikt:en:postpono#Latin|postponere]] videretur, **<small>(他の)</small>すべて<small>(の事柄)</small>を後回しにすることと見なされるように、 *[[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:Lutetia#Latin|Lutetiam]] [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisiorum]] [[wikt:en:transfero#Latin|transfert]]. **会合を[[w:パリシイ族|パリースィイー族]]の(城塞都市である)[[w:ルテティア|ルーテーティア]]に移す。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ルーテーティア Lutetia は、写本によってはルーテーキア Lutecia とも表記されている。<br>    ラテン語では Lutetia Parisiorum「パリースィイー族の泥土」と呼ばれ、現在の[[w:パリ|パリ市]]である。<br>    [[w:ストラボン|ストラボーン]]などによれば[[w:ケルト語|ケルト語]]でルコテキア Lukotekia と呼ばれていたらしい。)</span> :  ;   セノネース族について [[画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|thumb|right|200px|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)]] *<!--❺-->[[wikt:en:confinis#Latin|Confines]] erant hi [[wikt:en:Senones#Latin|Senonibus]] **彼ら<small>〔パリースィイー族〕</small>はセノネース族に隣接していて、 *civitatemque patrum memoria [[wikt:en:coniungo#Latin|coniunxerant]], **父祖の伝承では<small>(セノネース族と一つの)</small>部族として結びついていた。 *sed ab hoc consilio [[wikt:en:absum#Latin|afuisse]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabantur]]. **しかし<small>(パリースィイー族は)</small>これらの謀計には関与していなかったと考えられていた。 :  *<!--❻-->Hac re pro [[wikt:en:suggestus#Latin|suggestu]] [[wikt:en:pronuntiatus#Latin|pronuntiata]] **<small>(カエサルは)</small>この事を演壇の前で宣言すると、 *eodem die cum legionibus in [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **同日に諸軍団とともにセノネース族のところに出発して、 *magnisque itineribus eo [[wikt:en:pervenio#Latin|pervenit]]. **強行軍でもってそこに到着した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===4節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2024-10-09}}</span> ;セノネース族のアッコーが造反するが、カエサルはセノネース族とカルヌーテース族を降伏させる *<!--❶-->[[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]], **彼<small>〔カエサル〕</small>の到来を知ると、 *[[wikt:en:Acco#Latin|Acco]], qui princeps eius consilii fuerat, **その画策の首謀者であった<small>(セノネース族の)</small>'''アッコー''' は、 *[[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]] in oppida multitudinem [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]]. **群衆に諸[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に集結することを命じる。 :  *[[wikt:en:conans#Latin|Conantibus]], [[wikt:en:priusquam|prius quam]] id [[wikt:en:effici|effici]] posset, [[wikt:en:adsum#Latin|adesse]] Romanos [[wikt:en:nuntio#Verb|nuntiatur]]. **そのことが遂行され得るより前に、ローマ人が接近していることが、企てている者たちに報告される。 :  *<!--❷-->Necessario [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]] **<small>(セノネース族は)</small>やむなく<small>(カエサルへの謀反の)</small>意図を思いとどまって、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:necessario#Adverb|necessāriō]] = [[wikt:en:necessarie#Adverb|necessāriē]]「やむを得ず」)</span> *legatosque [[wikt:en:deprecor#Latin|deprecandi]] causa ad Caesarem mittunt; **<small>(恩赦を)</small>嘆願するために、使節たちをカエサルのもとへ遣わして、 *<u>adeunt</u> per [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduos]], quorum [[wikt:en:antiquitus|antiquitus]] erat in fide civitas. **部族国家が昔から<small>(ローマ人に対して)</small>忠実であった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を介して、頼み込む。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この部分は、セノネース族がハエドゥイー族の庇護下にあったように訳されることも多いが、<br>    [[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]における両部族とローマ人の関係の記述を考慮して、上のように訳した<ref>[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_6#4|英語版ウィキソース]]では「they make advances to him through the Aedui, whose state was from ancient times under the protection of Rome.」と英訳されている。</ref>。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:de:adire|adeō]]「(誰かに)アプローチする」「(誰かに)頼る、頼む、懇願する」<ref>[https://www.frag-caesar.de/lateinwoerterbuch/adeo-uebersetzung-1.html adeo-Übersetzung im Latein Wörterbuch]</ref>)</span> :  *<!--❸-->Libenter Caesar [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] dat [[wikt:en:venia#Latin|veniam]] **カエサルは、懇願するハエドゥイー族に対して、喜んで<small>(セノネース族への)</small>恩赦を与え、 *[[wikt:en:excusatio#Latin|excusationem]]<nowiki>que</nowiki> accipit, **<small>(セノネース族の)</small>弁解を受け入れる。 *quod [[wikt:en:aestivus#Latin|aestivum]] tempus [[wikt:en:instans#Latin|instantis]] belli, **というのは、夏の時季は差し迫っている<small>(エブローネース族らとの)</small>戦争のためのものであり、 *non [[wikt:en:quaestio#Latin|quaestionis]] esse [[wikt:en:arbitror#Latin|arbitrabatur]]. **<small>(謀反人に対する)</small>尋問のためのものではないと<small>(カエサルが)</small>判断していたからである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:エブローネース族との戦争が終わった後に、謀反人への尋問が行なわれることになる。[[#44節|44節]]参照。)</span> :  *<!--❹-->Obsidibus [[wikt:en:imperatus#Latin|imperatis]] centum, **<small>(カエサルは)</small>100人の人質<small>(の供出)</small>を命令すると、 *hos Haeduis [[wikt:en:custodiendus#Latin|custodiendos]] [[wikt:en:trado#Latin|tradit]]. **彼ら<small>〔人質たち〕</small>を監視するべく[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に引き渡す。 :  *<!--❺-->[[wikt:en:eodem#Adverb|Eodem]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] legatos obsidesque [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]], **ちょうどそこに、カルヌーテース族が使節たちと人質たちを遣わして、 *[[wikt:en:usus#Participle|usi]] [[wikt:en:deprecator#Latin|deprecatoribus]] [[wikt:en:Remi#Proper_noun_3|Remis]], quorum erant in [[wikt:en:clientela#Latin|clientela]]; **<small>(カルヌーテース族が)</small><ruby><rb>[[w:クリエンテス|庇護]]</rb><rp>(</rp><rt>クリエンテーラ</rt><rp>)</rp></ruby>を受ける関係にあったレーミー族を<ruby><rb>助命仲介者</rb><rp>(</rp><rt>デープレカートル</rt><rp>)</rp></ruby>として利用して、 *eadem ferunt [[wikt:en:responsum#Latin|responsa]]. **<small>(セノネース族のときと)</small>同じ返答を獲得する。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:perago#Latin|Peragit]] [[wikt:en:concilium#Noun|concilium]] Caesar **カエサルは<small>(ガッリア諸部族の領袖たちの)</small>会合を完了して、 *equitesque [[wikt:en:impero#Latin|imperat]] civitatibus. **[[w:騎兵|騎兵]]たち<small>(の供出)</small>を諸部族に命令する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===5節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2024-10-10}}</span> ;アンビオリークスへの策を練り、メナピイー族へ向かう *<!--❶-->Hac parte Galliae [[wikt:en:pacatus#Latin|pacata]], **ガッリアのこの方面が平定されたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#3節|3節]]~[[#4節|4節]]でネルウィイー族、セノネース族とカルヌーテース族がカエサルに降伏したことを指す。)</span> *totus et mente et animo in bellum [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] et [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigis]] [[wikt:en:insisto#Latin|insistit]]. **<small>(カエサルは)</small>全身全霊をかけて、トレーウェリー族と[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]との戦争に着手する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totus et [[wikt:en:mens#Latin|mente]] et [[wikt:en:animus#Latin|animo]] 「全身全霊をかけて」''with all his heart and soul'' )</span> :  *<!--❷-->[[wikt:en:Cavarinus#Latin|Cavarinum]] cum equitatu [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:secum#Latin|secum]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **カウァリーヌスに、セノネース族の[[w:騎兵|騎兵]]隊を伴って、自分<small>〔カエサル〕</small>とともに出発することを命じる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:de:Cavarinus|Cavarinus]]'' は、[[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]で前述のように、<br>    カエサルにより王位に据えられていたが、独立主義勢力により追放された。)</span> *ne [[wikt:en:aliquis#Latin|quis]] <u>aut</u> ex huius [[wikt:en:iracundia#Latin|iracundia]] <u>aut</u> ex eo, quod [[wikt:en:mereo#Latin|meruerat]], [[wikt:en:odium#Latin|odio]] civitatis [[wikt:en:motus#Noun_2|motus]] [[wikt:en:exsistat|exsistat]]. **彼の激しやすさから、<u>あるいは</u>彼が招来していた反感から、部族国家の何らかの動乱が起こらないようにである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節でアッコーら独立主義者たちがカエサルに降伏して、<br>    カウァリーヌスが王位に戻されたために、<br>    部族内で反感をかっていたのであろう。)</span> :  *<!--❸-->His rebus [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]], **これらの事柄が取り決められると、 *quod pro explorato habebat, [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] non esse <u>concertaturum</u>, **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が戦闘で激しく争うつもりではないことを、確実と見なしていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pro#Latin|pro]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorato]] = [[wikt:en:exploratus#Latin|exploratum]]「確かなものとして(''as certain'')」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系(A・Q)およびL・N写本では non esse <u>[[wikt:en:concertaturum|concertaturum]]</u>「激しくつもりではないこと」だが、<br>         &beta;系写本では non esse <u>[[wikt:en:contenturum|contenturum]]</u><br>         B・M・S写本では non esse <u>concertaturum [[wikt:en:tenturum|tenturum]]</u> となっている。)</span> *reliqua eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] animo [[wikt:en:circumspicio#Latin|circumspiciebat]]. **彼<small>〔アンビオリークス〕</small>のほかの計略に思いをめぐらせていた。 :  ;   カエサルがメナピイー族の攻略を決意 *<!--❹-->Erant [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] propinqui [[wikt:en:Eburones#Latin|Eburonum]] finibus, **メナピイー族は[[w:エブロネス族|エブローネース族]]の領土に隣り合っていて、 *[[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|muniti]], **絶え間ない沼地と森林によって守られており、 *qui uni ex Gallia de pace ad Caesarem legatos [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]. **彼らは[[w:ガリア|ガッリア]]のうちでカエサルのもとへ講和の使節たちを決して遣わさなかった唯一の者たちであった。 :  *Cum his esse [[wikt:en:hospitium#Latin|hospitium]] [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigi]] [[wikt:en:scio#Latin|sciebat]]; **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が彼らのもとで歓待されていることを知っていたし、 *item per [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venisse Germanis in [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitiam]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoverat]]. **同様にトレーウェリー族を通じて[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人と盟約を結んだことも探知していた。 :  *<!--❺-->Haec <u>prius</u> illi [[wikt:en:detrahendus#Latin|detrahenda]] auxilia [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]] <u>quam</u> ipsum bello [[wikt:en:lacesso#Latin|lacesseret]], **<ruby><rb>彼奴</rb><rp>(</rp><rt>あやつ</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔アンビオリークス〕</small>へのこれらの支援は、彼奴自身に戦争で挑みかかる<u>より前に</u>引き離されるべきだと考えていた。 *ne [[wikt:en:desperatus#Latin|desperata]] [[wikt:en:salus#Latin|salute]] **<small>(アンビオリークスが)</small>身の安全に絶望して、 *<u>aut</u> se in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:abdo#Latin|abderet]], **<u>あるいは</u>メナピイー族のところに身を隠したりしないように、 *<u>aut</u> cum [[wikt:en:Transrhenanus#Latin|Transrhenanis]] [[wikt:en:congredior#Latin|congredi]] [[wikt:en:cogo#Latin|cogeretur]]. **<u>あるいは</u>レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>の向こう側の者たちと合同することを強いられないように、である。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族)を<br>    ''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) が<br>    招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> :  *<!--❻-->Hoc [[wikt:en:initus#Participle|inito]] consilio, **この計略を決断すると、 *[[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] exercitus [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]] ad [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:mitto#Latin|mittit]] **<small>(カエサルは)</small>全軍の[[w:輜重|輜重]]を、トレーウェリー族のところにいる[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]のもとへ送り、 *duasque ad eum legiones [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]; **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に彼<small>〔ラビエーヌス〕</small>のもとへ出発することを命じる。 :  *ipse cum legionibus [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]] quinque in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身は軽装の5個軍団とともにメナピイー族のところに出発する。 :  *<!--❼-->Illi, [[wikt:en:nullus#Adjective|nulla]] [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]], **あの者らは、何ら手勢を集めず、 *loci [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] [[wikt:en:fretus#Adjective|freti]], **地勢の要害を信頼して、 *in [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:palus#Latin|paludes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:confugio#Latin|confugiunt]] **森林や沼地に避難して、 *[[wikt:en:suus#Latin|sua]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eodem#Adverb|eodem]] [[wikt:en:confero#Latin|conferunt]]. **自分たちの家財を同じところに運び集める。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===6節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2024-10-20}}</span> ;メナピイー族がついにカエサルの軍門に降る *<!--❶-->Caesar, **カエサルは、 *[[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] copiis cum [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaio]] [[wikt:en:Fabius#Latin|Fabio]] legato et [[wikt:en:Marcus#Latin|Marco]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crasso]] [[wikt:en:quaestor#Latin|quaestore]] **[[w:レガトゥス|副官]]である[[w:ガイウス・ファビウス|ガーイウス・ファビウス]]と[[w:クァエストル|財務官]]である[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス (財務官)|マールクス・クラッスス]]とともに軍勢を分配して、 *celeriterque [[wikt:en:effectus#Participle|effectis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]] **速やかに橋梁を造って、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:橋梁は軽装の軍団兵が沼地を渡るためのものなので、丸太道のようなものであろうか。)</span> *[[wikt:en:adeo#Verb|adit]] [[wikt:en:tripertito|tripertito]], **三方面から<small>(メナピイー族の領土に)</small>接近して、 [[画像:GallischeHoeve.jpg|thumb|right|200px|復元されたメナピイー族の住居(再掲)]] *[[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incendo#Latin|incendit]], **建物や村々を焼き討ちして、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:potior#Latin|potitur]]. **家畜や人間の多数を<small>(戦利品として)</small>獲得する。 :  *<!--❷-->Quibus rebus [[wikt:en:coactus#Participle|coacti]] **そのような事態に強いられて、 *[[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] legatos ad eum [[wikt:en:pax#Latin|pacis]] [[wikt:en:petendus#Latin|petendae]] causa [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]]. **メナピイー族は和平を求めるための使節たちを彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ遣わす。 :  *<!--❸-->Ille [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]], **彼<small>〔カエサル〕</small>は人質たちを受け取ると、 *hostium se [[wikt:en:habiturus#Latin|habiturum]] numero [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmat]], si aut [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] aut eius legatos finibus suis [[wikt:en:recipio#Latin|recepissent]]. **もし[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]か彼の使節を自領に迎え入れたら、自分は<small>(メナピイー族を)</small>敵として見なすだろうと断言する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:属格の名詞 + numero「〜として」) :  *<!--❹-->His [[wikt:en:confirmatus#Latin|confirmatis]] rebus, **これらの事柄を確立すると、 *[[wikt:en:Commius#Latin|Commium]] [[wikt:en:Atrebas#Latin|Atrebatem]] cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:custos#Latin|custodis]] loco in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] [[wikt:en:relinquo#Latin|relinquit]]; **アトレバーテース族である[[w:コンミウス|コンミウス]]を[[w:騎兵|騎兵]]隊とともに、目付け役として、メナピイー族のところに残す。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、カエサルがアトレバテース族の王にすえて、ブリタンニア遠征の先導役として遣わし、<br>    カッスィウェッラウヌスの降伏の仲介を</span>果たしていた。[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・27節や[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]などを参照。) *ipse in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身はトレーウェリー族のところに出発する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===7節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2024-10-27}}</span> [[画像:Titelberg_01.jpg|thumb|right|200px|トレーウェリー族の城砦跡(再掲)]] ;トレーウェリー族の開戦準備、ラビエーヌスの計略 *<!--❶-->Dum haec a Caesare [[wikt:en:gero#Latin|geruntur]], **これらのことがカエサルによって遂行されている間に、 *[[wikt:en:Treveri#Latin|Treveri]] magnis [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]] [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> copiis **トレーウェリー族は、[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の大軍勢を徴集して、 *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] cum una legione, quae in eorum finibus <u>[[wikt:en:hiemo#Latin|hiemaverat]]</u>, **彼らの領土において越冬していた1個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:hiemaverat|hiemaverat]] <small>(過去完了形)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:hiemabat|hiemabat]] <small>(未完了過去形)</small> などとなっている。)</span> *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] [[wikt:en:paro#Latin|parabant]], **襲撃することを準備していた。 :  *<!--❷-->iamque ab eo non longius [[wikt:en:biduum#Latin|bidui]] via [[wikt:en:absum#Verb|aberant]], **すでに、そこ<small>〔ラビエーヌスの冬営〕</small>から2日間の道のりより遠く離れていなかったが、 *cum duas venisse legiones [[wikt:en:missus#Noun_2|missu]] Caesaris [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscunt]]. **そのときに、カエサルが派遣した2個軍団が到着したことを知る。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]で既述のように、カエサルはラビエーヌスのところへ全軍の輜重と2個軍団を派遣していた。<br>    こうして、ラビエーヌスはローマ全軍の輜重と3個軍団を任されることになった。) :  *<!--❸-->[[wikt:en:positus#Latin|Positis]] <u>castris</u> a milibus passuum [[wikt:en:quindecim#Latin|quindecim]](XV) **<small>(トレーウェリー勢は、ラビエーヌスの冬営から)</small>15ローママイルのところに<u>野営地</u>を設置して、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、15マイルは約22 km)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:カストラ|カストラ]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] という語はローマ勢の行軍中の野営地や常設の宿営地に用いられ、<br>    非ローマ系部族の野営地に用いられることは稀である。)</span> *auxilia [[wikt:en:Germani#Latin|Germanorum]] [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituunt]]. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の援軍を待つことを決める。 :  *<!--❹-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] hostium [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]] consilio **ラビエーヌスは、敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>の計略を知ると、 *[[wikt:en:sperans#Latin|sperans]] [[wikt:en:temeritas#Latin|temeritate]] eorum [[wikt:en:fore#Etymology_2_2|fore]] [[wikt:en:aliqui#Latin|aliquam]] [[wikt:en:dimico#Latin|dimicandi]] facultatem, **彼らの無謀さにより何らかの争闘する機会が生ずるであろうと期待して、 *[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] quinque(V) cohortium [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:relictus#Latin|relicto]] **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の守備隊を[[w:輜重|輜重]]のために残し、 *cum XXV(viginti quinque) cohortibus magnoque [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatu]] contra hostem [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **25個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>および多勢の騎兵隊とともに、敵に抗して進発する。 *et mille passuum [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]] spatio castra [[wikt:en:communio#Latin|communit]]. **<small>(トレーウェリー勢から)</small>1ローママイルの間隔を置いて、[[w:カストラ|陣営]]<small>〔野営地〕</small>を固める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 km)</span> :  *<!--❺-->Erat inter [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] atque hostem [[wikt:en:difficilis#Latin|difficili]] [[wikt:en:transitus#Latin|transitu]] flumen [[wikt:en:ripa#Latin|ripis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:praeruptus#Adjective|praeruptis]]. **ラビエーヌスと敵の間には、渡ることが困難な川が、急峻な岸とともにあった。 *Hoc <u>neque</u> ipse [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] habebat in animo **これを<small>(ラビエーヌス)</small>自身は渡河するつもりではなかったし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ habeo in animo「~するつもりである」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~, neque …「~でもないし、…でもない」)</span> *<u>neque</u> hostes [[wikt:en:transiturus#Latin|transituros]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]]. **敵勢も渡河して来ないであろうと<small>(ラビエーヌスは)</small>考えていた。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:augeo#Latin|Augebatur]] auxiliorum [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] spes. **<small>(トレーウェリー勢にとって、ゲルマーニア人の)</small>援軍への期待は日ごとに増されるばかりであった。 *[[wikt:en:loquor#Latin|Loquitur]] <u>in consilio</u> [[wikt:en:palam#Adverb|palam]]: **<small>(ラビエーヌスは)</small>会議において公然と<small>(以下のように)</small>述べる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega;では in [[wikt:en:consilio|consilio]] だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]] は in [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] と修正提案し、<br>         Hecker は [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] と修正提案している。)</span> *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]] [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:dico#Latin|dicantur]], **ゲルマーニア人<small>(の軍勢)</small>が近づいていることが言われているので、 *sese suas exercitusque fortunas in [[wikt:en:dubium#Noun|dubium]] non [[wikt:en:devocaturus#Latin|devocaturum]] **自分は自らと軍隊の命運を不確実さの中に引きずり込むことはないであろうし、 *et postero die prima luce castra [[wikt:en:moturus#Latin|moturum]]. **翌日の夜明けには陣営を引き払うであろう。 :  *<!--❼-->Celeriter haec ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]], **これら<small>(のラビエーヌスの発言)</small>は速やかに敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>のもとへ報じられたので、 *ut ex magno Gallorum equitum numero [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullos]] <u>Gallos</u> [[wikt:en:gallicus#Latin|Gallicis]] rebus [[wikt:en:faveo#Latin|favere]] natura [[wikt:en:cogo#Latin|cogebat]]. **ガッリア人の境遇を想う気質が、<small>(ローマ側)</small>ガッリア人騎兵の多数のうちの若干名を励ましていたほどである。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallos]] は &alpha;系写本の記述で、&beta;系写本では欠く。)</span> :  *<!--❽-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], noctu tribunis militum primisque ordinibus <u>convocatis</u>, **ラビエーヌスは、夜間に<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちと第一序列(の[[w:ケントゥリオ|百人隊長]])たちを召集すると、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1個軍団当たりの<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby> の定員は計6名。<br>    第一序列の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たち primorum ordinum centuriones は、軍団内における[[w:下士官|下士官]]のトップであり、<br>     第一<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> においては定員5名だが、<br>     ほかの歩兵大隊においては定員6名であった。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] などとなっている。)</span> *quid sui sit consilii, [[wikt:en:propono#Latin|proponit]] **自分の計略がいかなるものであるかを呈示して、 *et, quo facilius hostibus [[wikt:en:timor#Latin|timoris]] [[wikt:en:det#Latin|det]] [[wikt:en:suspicio#Noun|suspicionem]], **それ<small>〔計略〕</small>によって、よりたやすく敵勢に<small>(ローマ勢の)</small>恐怖心という推測を起こすべく、 *maiore [[wikt:en:strepitus#Latin|strepitu]] et [[wikt:en:tumultus#Latin|tumultu]], quam populi Romani fert [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudo]] **ローマ国民の習慣が引き起こすよりもより大きな騒音や喧騒をもって *castra [[wikt:en:moveo#Latin|moveri]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]. **陣営を引き払うことを命じる。 *His rebus fugae [[wikt:en:similis#Latin|similem]] [[wikt:en:profectio#Latin|profectionem]] [[wikt:en:efficio#Latin|effecit]]. **<small>(ラビエーヌスは)</small>これらの事によって、逃亡に似た進発を実現した。 :  *<!--❾-->Haec quoque per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] **これらのこともまた、<small>(トレーウェリー勢の)</small>斥候たちを通じて、 *ante [[wikt:en:lux#Latin|lucem]] in tanta [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitate]] castrorum ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]]. **夜明け前には、陣営のこれほどの近さにより、敵勢へ報じられる。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===8節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2024-10-28}}</span> ;ラビエーヌスがトレーウェリー族を降す :  ;   トレーウェリー勢が、渡河してラビエーヌスの軍勢に攻めかかろうとする *<!--❶-->[[wikt:en:vix#Latin|Vix]] [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:novissimus#Latin|novissimum]] extra [[wikt:en:munitio#Latin|munitiones]] [[wikt:en:procedo#Latin|processerat]], **<small>(ローマ勢の)</small>行軍隊列の最後尾が防塁の外側にほぼ進み出ようとしていた、 *cum Galli [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortati]] inter se, ne [[wikt:en:speratus#Latin|speratam]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] ex manibus [[wikt:en:dimitto#Latin|dimitterent]] **そのときにガッリア人たちは、期待していた戦利品を<small>(彼らの)</small>手から逸しないように、互いに鼓舞し合って、 *── longum esse, [[wikt:en:perterritus#Latin|perterritis]] Romanis [[wikt:en:Germani#Proper_noun|Germanorum]] auxilium [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]]; **── ローマ人が<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ているのに、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の支援を待つことは悠長なものである。 *neque suam [[wikt:en:patior#Latin|pati]] [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitatem]], **<small>(以下のことは)</small>自分たちの尊厳が耐えられない。 *ut [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] copiis [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:exiguus#Latin|exiguam]] manum, praesertim [[wikt:en:fugiens#Latin|fugientem]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impeditam]], **これほどの大軍勢で<small>(ローマの)</small>それほどの貧弱な手勢を、特に逃げ出して<small>(荷物で)</small>妨げられている者たちを *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] non [[wikt:en:audeo#Latin|audeant]] ── **あえて襲撃しないとは──<small>(と鼓舞し合って)</small> *flumen [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] et iniquo loco [[wikt:en:committo#Latin|committere]] proelium non [[wikt:en:dubito#Latin|dubitant]]. **川を渡って<small>(切り立った岸を登りながら)</small>不利な場所で交戦することをためらわない。 :  ;   ラビエーヌス勢が怖気を装いながら、そろりそろりと進む *<!--❷-->Quae fore [[wikt:en:suspicatus#Latin|suspicatus]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], **こうしたことが生じるであろうと想像していた[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、 *ut omnes citra flumen [[wikt:en:elicio#Latin|eliceret]], **<small>(敵の)</small>総勢を川のこちら側に誘い出すように、 *[[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:usus#Participle|usus]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] itineris **行軍の同じ見せかけを用いて、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で語られたように、<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>て今にも逃げ出しそうな風に装いながらの行軍。)</span> *[[wikt:en:placide#Adverb|placide]] [[wikt:en:progredior#Latin|progrediebatur]]. **穏やかに前進していた。 :  ;   ラビエーヌスが全軍の兵を叱咤激励する *<!--❸-->Tum [[wikt:en:praemissus#Latin|praemissis]] paulum impedimentis **それから、[[w:輜重|輜重]]<small>(の隊列)</small>を少し先に遣わして、 *atque in [[wikt:en:tumulus#Latin|tumulo]] [[wikt:en:quidam#Adjective|quodam]] [[wikt:en:collocatus#Latin|conlocatis]], **とある高台に配置すると、 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>&nbsp;[[wikt:en:habetis|Habetis]],<span style="color:#009900;">»</span></span> [[wikt:en:inquam#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>milites, quam [[wikt:en:petistis|petistis]], [[wikt:en:facultas#Latin|facultatem]]; </span> **<small>(ラビエーヌスは)</small>「兵士らよ、<small>(諸君は)</small>求めていた機会を得たぞ」と言った。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">&nbsp;<span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span>&nbsp;</span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span> *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">hostem [[wikt:en:impeditus#Latin|impedito]] atque [[wikt:en:iniquus#Latin|iniquo]] loco [[wikt:en:tenetis|tenetis]]: </span> **「<small>(諸君は)</small>敵を<small>(川岸で)</small>妨げられた不利な場所に追いやった。」 *<!--❹--><!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">[[wikt:en:praestate|praestate]] eandem nobis [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]] [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]], quam saepe numero [[wikt:en:imperator#Latin|imperatori]] [[wikt:en:praestitistis|praestitistis]], </span> **「我々<ruby><rb>将帥</rb><rp>(</rp><rt>ドゥクス</rt><rp>)</rp></ruby>らに、<small>(諸君が)</small>しばしば<ruby><rb>将軍</rb><rp>(</rp><rt>インペラートル</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔カエサル〕</small>に見せて来たのと同じ武勇を見せてくれ。」 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">atque illum adesse et haec [[wikt:en:coram#Adverb|coram]] [[wikt:en:cerno#Latin|cernere]] [[wikt:en:existimate|existimate]].<span style="color:#009900;">»</span></span> **「彼<small>〔カエサル〕</small>が訪れて、これ<small>〔武勇〕</small>を目の前で見ていると思ってくれ。」 :  ;   ラビエーヌスが軍を反転させて攻撃態勢を整える *<!--❺-->Simul signa ad hostem [[wikt:en:converto#Latin|converti]] aciemque [[wikt:en:dirigo#Latin|dirigi]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **同時に、軍旗が敵の方へ向きを変えられることと、戦列が整えられること、を命じる。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:軍勢が敵側へ向けて反転して、戦列を整えること、を命じた。)</span> [[画像:Pilensalve.jpg|thumb|right|250px|[[w:ピルム|ピールム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演]] *et paucis [[wikt:en:turma#Latin|turmis]] praesidio ad impedimenta [[wikt:en:dimissus#Latin|dimissis]], **かつ若干の<ruby><rb>[[w:トゥルマ|騎兵小隊]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を輜重のための守備隊として送り出して、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:騎兵小隊 turma はローマ軍の<br>    [[w:アウクシリア|支援軍]]における中規模の編成単位で、<br>    各30騎ほどと考えられている。)</span> *reliquos equites ad latera [[wikt:en:dispono#Latin|disponit]]. **残りの[[w:騎兵|騎兵]]たちを<small>(軍勢の)</small>両側面へ分置する。 :  ;   ラビエーヌス勢が喊声を上げて、投げ槍を投げ始める *<!--❻-->Celeriter nostri, clamore [[wikt:en:sublatus#Latin|sublato]], [[wikt:en:pilum#Latin|pila]] in hostes [[wikt:en:inmitto#Latin|inmittunt]]. **我が方<small>〔ローマ勢〕</small>は、雄叫びを上げると、速やかに<ruby><rb>[[w:ピルム|投げ槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピールム</rt><rp>)</rp></ruby>を敵勢へ放り入れる。 :  ;   不意を突かれたトレーウェリー勢が、一目散に逃げ出して、最寄りの森林を目指す *Illi, ubi [[wikt:en:praeter#Latin|praeter]] spem, quos <span style="color:#009900;">&lt;modo&gt;</span> [[wikt:en:fugio#Latin|fugere]] [[wikt:en:credo#Latin|credebant]], [[wikt:en:infestus#Latin|infestis]] signis ad se ire viderunt, **<span style="font-size:11pt;">彼らは、期待に反して、<span style="color:#009900;">&lt;ただ&gt;</span>逃げていると信じていた者たちが、軍旗を攻勢にして自分らの方へ来るのを見るや否や、</span> *[[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] <u>modo</u> ferre non potuerunt **<small>(ローマ勢の)</small>突撃を持ちこたえることができずに、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部 modo は主要写本&omega;ではこの位置にあるが、<br>    上記の &lt;modo&gt; に移す修正提案がある。)</span> *ac primo [[wikt:en:concursus#Noun|concursu]] in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]] **最初の猛攻で敗走に追い込まれて、 *proximas silvas [[wikt:en:peto#Latin|petierunt]]. **近隣の森を目指した。 :  ;   ラビエーヌス勢が、トレーウェリー勢の多数を死傷させ、部族国家を奪回する *<!--❼-->Quos [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] equitatu [[wikt:en:consectatus#Latin|consectatus]], **<small>(敗走した)</small>その者たちを、ラビエーヌスは騎兵隊で追撃して、 *magno numero [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecto]], **多数の者を<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>して、 *compluribus [[wikt:en:captus#Latin|captis]], **かなりの者たちを捕らえて、 *paucis post diebus civitatem recepit. **数日後に<small>(トレーウェリーの)</small>部族国家を<small>(蜂起の前の状態に)</small>戻した。 :  [[画像:Bund-ro-altburg.jpg|thumb|right|180px|トレーウェリー族の再現された住居(再掲)]] [[画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|thumb|right|180px|トレーウェリー族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡]] ;   ゲルマーニア人の援軍が故国へ引き返す *Nam [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]], qui auxilio veniebant, **なぜなら、援軍として来ようとしていたゲルマーニア人たちは、 *[[wikt:en:perceptus#Latin|percepta]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] fuga **トレーウェリー族の敗走を把握したので、 *sese [[wikt:en:domus#Latin|domum]] <u>receperunt</u>. **故国に撤退していった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:receperunt|receperunt]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:contulerunt|contulerunt]] となっている。)</span> :  ;   インドゥーティオマールスの残党がゲルマーニアへ出奔する *<!--❽-->Cum his [[wikt:en:propinquus#Latin|propinqui]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomari]], **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>とともに、インドゥーティオマールスの縁者たちは、 *qui [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] [[wikt:en:auctor#Latin|auctores]] fuerant, **その者らは<small>(トレーウェリー族におけるカエサルへの)</small>謀反の張本人であったが、 *[[wikt:en:comitatus#Participle|comitati]] eos ex civitate [[wikt:en:excedo#Latin|excesserunt]]. **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>を伴って、部族国家から出て行った。 :  ;   カエサルとローマに忠節なキンゲトリークスに、部族の統治権が託される *<!--❾-->[[wikt:en:Cingetorix#Latin|Cingetorigi]], **キンゲトリークスに対しては、 *quem ab initio [[wikt:en:permaneo#Latin|permansisse]] in [[wikt:en:officium#Latin|officio]] [[wikt:en:demonstravimus|demonstravimus]], **──その者が当初から<small>(ローマへの)</small>忠義に留まり続けたことは前述したが── **:<span style="color:#009900;">(訳注:キンゲトリークスについては、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]~4節・[[ガリア戦記 第5巻#56節|56節]]~57節で述べられている。)</span> *[[wikt:en:principatus#Latin|principatus]] atque [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]] est traditum. **首長の地位と支配権が託された。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <span style="font-size:11pt;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==第二次ゲルマーニア遠征== ===9節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2024-11-06}}</span> ;再びレーヌスを渡河、ウビイー族を調べる *<!--❶-->Caesar, postquam ex Menapiis in Treveros venit, **カエサルは、メナピイー族のところからトレーウェリー族のところに来た後で、 *duabus de causis Rhenum transire constituit; **二つの理由からレーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>を渡ることを決めた。 :  *<!--❷-->quarum una erat, quod <span style="color:#009900;">&lt;Germani&gt;</span> auxilia contra se Treveris miserant; **その<small></small>(理由の)一つは、<span style="color:#009900;">&lt;ゲルマーニア人が&gt;</span>自分<small>〔カエサル〕</small>に対抗して、トレーウェリー族に援軍を派遣していたことであった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:&lt;Germani&gt; は、主要写本&omega;にはなく、<br>     [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Hotomanus|Hotomanus]] による挿入提案。)</span> *altera, ne ad eos Ambiorix receptum haberet. **もう一つ<small></small>(の理由)は、彼らのところへ[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が避難所を持たないように、ということであった。 :  [[画像:Caesar's Rhine Crossing.jpg|thumb|right|250px|カエサルがライン川に橋を架けたとされる有力な地点の図示。ライン川と[[w:モーゼル川|モーゼル川]]の合流点にある[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[w:en:Koblenz|Koblenz]])と下流の[[w:アンダーナッハ|アンダーナッハ]]([[w:en:Andernach|Andernach]])との間の[[w:ノイヴィート|ノイヴィート]]([[w:en:Neuwied|Neuwied]])辺りが有力な地点の一つとされる。'''([[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図を再掲)''']] *<!--❸-->His constitutis rebus, **これらの事柄を決定すると、 *[[wikt:en:paulum#Adverb|paulum]] supra eum locum, quo ante exercitum traduxerat, facere pontem instituit. **<u>以前に軍隊を渡らせていた場所</u>の少し上流に、橋を造ることを決意した。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]] でカエサルが[[w:ライン川|ライン川]]に架橋した場所のこと。<br>    第4巻の'''[[ガリア戦記_第4巻#コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」|コラム]]''' や [[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図で説明したように、<br>    カエサルの最初の架橋地点には異論もあるが、<br>    今回の架橋地点がトレーウェリー族領であった<br>    [[w:モーゼル川|モーゼル川]]渓谷から近かったであろうことから有力視される。)</span> :  *<!--❹-->Nota atque instituta ratione, **経験しかつ建造していた方法で、 *magno militum studio **兵士の大きな熱意により *paucis diebus opus efficitur. **わずかな日数で作業が完遂された。 :  *<!--❺-->Firmo in Treveris ad pontem praesidio relicto, **トレーウェリー族(の領内)の橋のたもとへ強力な守備隊を残した。 *ne quis ab his subito motus <u>oreretur</u>, **彼らによる何らかの動乱が突然に起こされないように。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・&rho;系写本では [[wikt:en:oreretur|oreretur]]、<br>         &phi;系・&pi;系写本では [[wikt:en:oriretur|oriretur]] だが、語形の相異。)</span> *reliquas copias equitatumque traducit. **残りの軍勢と騎兵隊を(レーヌスの東岸へ)渡らせた。 :  *<!--❻-->Ubii, qui ante obsides dederant atque in deditionem venerant, **ウビイー族は、以前に(カエサルに対して)人質たちを供出していて、降伏していたが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この事はすでに[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]で述べられている。)</span> *<u>purgandi sui</u> causa ad eum legatos mittunt, **自分たちの申し開きをすることのために、彼(カエサル)のところへ使節たちを遣わして、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:purgandi|purgandi]] [[wikt:en:sui#Pronoun|sui]] だが、<br>         &beta;系写本では purgandi のみ。)</span> *qui doceant, **(以下のように)説かせた。 *neque <u>auxilia ex sua civitate</u> in Treveros missa **自分たちの部族から援軍をトレーウェリー族のところに派遣してもいないし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・M・S写本では [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] ex sua [[wikt:en:civitate|civitate]]、<br>         L・N・&beta;系写本では ex sua civitate auxilia の語順になっている。)</span> *neque ab se fidem laesam: **自分らにより(ローマへの)信義を傷つけてもいない、と。 :  *<!--❼-->petunt atque orant, **(ウビイー族の使節たちは、以下のように)求め、かつ願った。 *ut sibi parcat, **自分たちを容赦し、 *ne communi odio Germanorum innocentes pro nocentibus poenas pendant; **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人一般への憎しみから、潔白な者たちが加害者たちのために罰を償うことがないように、と。 *si amplius obsidum <u>vellet, dare</u> pollicentur. **もし、より多くの人質を欲するのなら、供出することを約束する、と。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]] <small>(未完了過去・接続法)</small> [[wikt:en:dare#Latin|dare]] <small>(現在・能動・不定)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:velit#Latin|velit]] <small>(現在・接続法)</small> [[wikt:en:dari#Latin|dari]] <small>(現在・受動・不定法)</small> となっている。)</span> :  *<!--❽-->Cognita Caesar causa **カエサルは事情を調査して、 *<u>repperit</u> ab Suebis auxilia missa esse; **スエービー族により(トレーウェリー族に)援軍が派遣されていたことを見出した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:repperit|repperit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         近世以降の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.]] では [[wikt:en:reperit|reperit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> :  *Ubiorum satisfactionem <u>accepit</u>, **ウビイー族の弁解を受け入れて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:accepit|accepit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Davisius|Davisius]] の修正提案では [[wikt:en:accipit|accipit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> *aditus viasque in Suebos perquirit. **スエービー族のところに出入りする道筋を問い質した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===10節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2024-11-16}}</span> ;ウビイー族を通じてスエービー族の動静を探る *<!--❶-->Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior, **わずかな日々の後の間に、ウビイー族によって報告されたことには、 *Suebos omnes in unum locum copias cogere **スエービー族は、すべての軍勢を一か所に集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後述するように、これはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] のことであろう。)</span> *atque iis nationibus, quae sub eorum sint imperio, **彼らの支配下にある種族たちに *denuntiare, ut auxilia peditatus equitatusque mittant. **[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の援軍を派遣するように指示した。 :  *<!--❷-->His cognitis rebus, **<small>(カエサルは)</small>これらの事情を知ると、 *rem frumentariam providet, **糧食調達を準備して、 *castris idoneum locum deligit; **[[w:カストラ|陣営]]<small>(を設置するの)</small>に適切な場所を選んだ。 *Ubiis imperat, ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, **ウビイー族には、家畜を連れ去り、自分たちの一切合財を土地から[[w:オッピドゥム|城市]]に運び集めるように命令した。 *sperans barbaros atque imperitos homines **<small>(カエサルが)</small>期待したのは、野蛮で無知な連中が *inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; **糧秣の欠乏に動かされて、不都合な条件のもとで戦うことがあり得るように誘引されることであった。 :  *<!--❸-->mandat, ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. **偵察者たちをたびたびスエービー族内に遣わして、彼らのもとで遂行されていることを知るように<small>(ウビイー族に)</small>委ねた。 :  *<!--❹-->Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: **彼ら<small>〔ウビイー族〕</small>は、命令されたことを実行して、わずかな日々を間に置いて(以下のことを)報告する。 *Suebos omnes, posteaquam certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, **スエービー族は皆、ローマ人の軍隊についてより確実な報告がもたらされた後で、 *cum omnibus suis sociorumque copiis, quas coegissent, **自分たちの軍勢と集結していた同盟者たちの軍勢とともに、 *penitus ad extremos fines se recepisse; **領土の最も遠い奥深くまで撤退していた。 :  *<!--❺-->silvam esse ibi infinita magnitudine, quae appellatur <u>Bacenis</u>; **そこには、'''バケーニス'''と呼ばれている限りない大きさの森林がある。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:バケーニス [[wikt:en:Bacenis#Latin|Băcēnis]] は、ギリシア語で Βακέννη とも表記されるが、どこなのかは諸説ある。<br>     ①ドイツ西部[[w:ヘッセン州|ヘッセン州]]にあったブコニアの森 ''[[w:de:Buchonia|Buchonia]]; [[w:fr:Forêt de Buconia|Buconia]]'' は有力。<br>     ②ドイツの奥地・中東部の[[w:テューリンゲン州|テューリンゲン州]]にある[[w:テューリンゲンの森|テューリンゲンの森]]という説<ref>[[s:de:RE:Bacenis silva]], [[wikt:de:Bacenis]] 等を参照。</ref><br>     ③ドイツ西部[[w:ラインラント=プファルツ州|ラインラント=プファルツ州]]ライン川沿岸のニールシュタイン [[w:en:Nierstein|Nierstein]] 説、<br>    などがある。史実としてスエービーという部族連合が居住していたのはテューリンゲンであろうが、<br>    ライン川からはあまりにも遠すぎる。)</span> *hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam **これは、はるか内陸に及んでいて、天然の防壁として横たわっており、 *[[wikt:en:Cheruscos|Cheruscos]] ab Suebis Suebosque ab [[wikt:en:Cheruscis|Cheruscis]] iniuriis incursionibusque prohibere: **ケールスキー族をスエービー族から、スエービー族をケールスキー族から、無法行為や襲撃から防いでいる。 *ad eius initium silvae Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. **その森の始まりのところで、スエービー族はローマ人の到来を待ち構えることを決定した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」=== [[画像:Hermann (Arminius) at the battle of the Teutoburg Forest in 9 CE by Peter Jannsen, 1873, with painting creases and damage removed.jpg|thumb|right|250px|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)で戦う、ゲルマーニア軍とローマ軍(Johann Peter Theodor Janssen画、1870~1873年頃)。中央上の人物はケールスキー族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]。<br>アルミニウスが率いるケールスキー族・カッティー族らゲルマーニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。]] <br> <div style="background:#ecf;">  '''スエービー族とカッティー族'''</div> :『ガリア戦記』では、第1巻・第4巻および第6巻でたびたび[[w:スエビ族|スエービー族]]の名が言及される。タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の38章「スエービー」などを参照。</ref>など多くの史家が伝えるようにスエービー族 [[wikt:en:Suebi#Latin|Suēbī]] またはスエウィ族 Suēvī とは、単一の部族名ではなく、多くの独立した部族国家から構成される連合体の総称とされる。 :19世紀のローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]によれば<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、のp.201, p.224, p.232などを参照。</ref>、カエサルの時代のローマ人には 「スエービー」とは遊牧民を指す一般的な呼称で、カエサルがスエービーと呼ぶのはカッティー族だという。 :カッティー族とスエービー系諸部族の異同は明確ではないが、多くの史家は両者を区別して伝えている。 : 第1巻37節・51節・53節~54節、第4巻1節~4節・7節などで言及され、「百の郷を持つ」と されている「スエービー族」は、スエービー系諸部族の総称、あるいは遊牧系の部族を指すのであろう。 : 他方、第4巻16節・19節・第6巻9節~10節・29節で、ウビイー族を圧迫する存在として言及される :「スエービー族」はモムゼンの指摘のように、カッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] であることが考えられる。 :タキトゥス著『ゲルマーニア』<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の36章「ケルスキー」などを参照。</ref>でも、カッティー族はケールスキー族と隣接する宿敵として描写され、本節の説明に合致する。 <div style="background:#ecf;">  '''ケールスキー族'''</div> :ケールスキー族は、『ガリア戦記』では[[#10節|本節]]でカッティー族と隣接する部族として名を挙げられる :のみである。しかしながら、本巻の年(BC53年)から61年後(AD9年)には、帝政ローマの :[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]がゲルマーニアに派遣していたプブリウス・クィンクティリウス・ウァルス :([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Publius Quinctilius Varus]])が率いるローマ軍3個軍団に対して、名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]を :指導者とするケールスキー族は、カッティー族ら諸部族の同盟軍を組織して、ウァルスの3個軍団を :[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]において壊滅させ、老帝アウグストゥスを嘆かせたという。 <div style="background:#ecf;">  '''ウビイー族'''</div> :ウビイー族は『ガリア戦記』の第4巻・第6巻でも説明されているように、ローマ人への忠節を :認められていた。そのため、タキトゥスによれば<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の28章などを参照。</ref>、ゲルマニアへのローマ人の守りとして :BC38年頃にレヌス(ライン川)左岸のコロニア([[w:la:Colonia_Agrippina|Colonia]];植民市)すなわち現在の[[w:ケルン|ケルン市]]に移された。) </div> ==ガッリア人の社会と風習について== <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」=== [[画像:Testa di saggio o principe, forse il filosofo poseidonio, 50 ac. ca 01.JPG|thumb|right|200px|アパメアの[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]の胸像。地中海世界やガッリアなどを広く訪れて、膨大な著作を残した。<br>『ガリア戦記』の地誌・民族誌的な説明も、その多くを彼の著作に依拠していると考えられている。]] :これ以降、11節~20節の10節にわたってガッリアの地誌・民族誌的な説明が展開され、さらには、ゲルマーニアの地誌・民族誌的な説明などが21節~28節の8節にわたって続く。ガッリア戦争の背景説明となるこのような地誌・民族誌は、本来ならば第1巻の冒頭に置かれてもおかしくはない。しかしながら、この第6巻の年(BC53年)は、カエサル指揮下のローマ勢にとってはよほど書かれるべき戦果が上がらなかったためか、ガッリア北部の平定とエブロネス族の追討戦だけでは非常に短い巻となってしまうため、このような位置に置いたとも考えられる。ゲルマーニアの森にどんな獣が住んでいるかなど、本筋にほとんど影響のないと思われる記述も見られる。 :『ガリア戦記』におけるガッリアの地誌・民族誌的な説明、特にこの11節以降の部分は、文化史的に重要なものと見なされ、考古学やケルトの伝承などからも裏付けられる。しかし、これらの記述はカエサル自身が見聞したというよりも、むしろ先人の記述、とりわけBC2~1世紀のギリシア哲学ストア派の哲学者・地理学者・歴史学者であった[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]([[w:la:Posidonius Apameus|Posidonius Apameus]])の著作に依拠していたと考えられている<ref>『ケルト事典』ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、創元社の「ポセイドニオス」「カエサル」の項を参照。</ref> <ref>『ケルト人』ヴァンセスラス・クルータ([[w:fr:Venceslas Kruta|Venceslas Kruta]])著、鶴岡真弓訳、白水社 のp.20-21を参照。</ref>。ポセイドニオスは、ローマが支配する地中海世界やガッリア地域などを広く旅行した。彼の52巻からなる膨大な歴史書は現存しないが、その第23巻にガッリアに関する詳細な記述があったとされ、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、[[w:ストラボン|ストラボン]]、[[w:アテナイオス|アテナイオス]]らによって引用され、同時代および近代のケルト人観に多大な影響を与えたと考えられている。 :現存するガッリアの地誌・民族誌は、ストラボン<ref>『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』ストラボン著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ディオドロス<ref>『神代地誌』ディオドロス著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>『世界地理』ポンポニウス・メラ著、飯尾都人訳(上掲『神代地誌』に所収)</ref>のものなどがある。現存するゲルマーニアの地誌・民族誌は、ストラボン、タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫などを参照。</ref>、ポンポニウス・メラなどのものがある。 </div> ===11節=== '''ガッリア人の派閥性''' *① Quoniam ad hunc locum perventum est, **この地(ゲルマーニア)にまで到達したので、 *non alienum esse videtur de Galliae Germaniaeque moribus et, quo differant hae nationes inter sese proponere. **[[w:ガリア|ガッリア]]と[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]の風習について、これらの種族が互いにどのように異なるか述べることは不適切でないと思われる。 *② In Gallia non solum in omnibus civitatibus atque in omnibus <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagis]]</u> partibusque, **ガッリアにおいては、すべての部族において、さらにすべての<u>郷</u>や地方においてのみならず、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span> *sed paene etiam in singulis domibus factiones sunt, **ほとんどの個々の氏族においてさえも、派閥があり、 *earumque factionum principes sunt, **それらの派閥には、領袖がいる。 *③ qui summam auctoritatem eorum iudicio habere existimantur, **その者(領袖)らは、彼ら(派閥)の判断に対して、最高の影響力を持っていると考えられている。 *quorum ad arbitrium iudiciumque summa omnium rerum consiliorumque redeat. **すべての事柄と協議は結局のところ、その者(領袖)らの裁量や判断へ帰する。 *④ Idque eius rei causa antiquitus institutum videtur, **それは、それらの事柄のために昔から取り決められたものと見られ、 *ne quis ex plebe contra potentiorem auxilii egeret: **平民のある者が、より権力のある者に対して、援助を欠くことがないように、ということである。 *suos enim quisque opprimi et circumveniri non patitur, **すなわち(領袖たちの)誰も、身内の者たちが抑圧されたり欺かれたりすることを容認しない。 *neque, aliter si faciat, ullam inter suos habet auctoritatem. **もし(領袖が)そうでなくふるまったならば、身内の者たちの間で何ら影響力を持てない。 *⑤ Haec eadem ratio est in summa totius Galliae; **これと同じ理屈が、ガッリア全体の究極において存在する。 *namque omnes civitates in partes divisae sunt duas. **すなわち、すべての部族が二つの党派に分けられているのである。 ===12節=== '''ハエドゥイ族、セクァニ族、レミ族の覇権争い''' *① Cum Caesar in Galliam venit, **カエサルがガッリアに来たときに、 *alterius factionis principes erant Haedui, alterius Sequani. **(二つの)派閥の一方の盟主は[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]であり、他方は[[w:セクァニ族|セクァニ族]]であった。 **:(訳注:第1巻31節の記述によれば、ハエドゥイ族と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]がそれぞれの盟主であった。 **:カエサルが本節でアルウェルニ族の名を伏せている理由は不明である。 **:また、[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.330)</ref>、ハエドゥイ族とセクァニ族の敵対関係においては、 **:両部族を隔てるアラル川の水利権(川舟の通行税)をめぐる争いが敵意を助長していたという。) *② Hi cum per se minus valerent, **後者(セクァニ族)は自力ではあまり優勢ではなかったので、 *quod summa auctoritas antiquitus erat in Haeduis **というのは、昔から最大の影響力はハエドゥイ族にあって、 *magnaeque eorum erant clientelae, **彼ら(ハエドゥイ族)には多くの庇護民があったからであるが、 *Germanos atque Ariovistum sibi adiunxerant **[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人と[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]を自分たちに会盟させ、 *eosque ad se magnis iacturis pollicitationibusque perduxerant. **多くの負担と約束で 彼らを自分たちのところに引き入れた。 *③ Proeliis vero compluribus factis secundis **実にいくつもの戦闘を順調に行なって、 *atque omni nobilitate Haeduorum interfecta **ハエドゥイ族のすべての高貴な者たちを殺害して、 *tantum potentia antecesserant, **かなりの勢力で抜きん出たので、 *④ ut magnam partem clientium ab Haeduis ad se traducerent **結果として、ハエドゥイ族から庇護民の大部分を自分たちへ味方に付けて、 *obsidesque ab iis principum filios acciperent **彼らから領袖の息子たちを人質として受け取り、 *et publice iurare cogerent nihil se contra Sequanos consilii inituros, **自分たち(ハエドゥイ族)がセクァニ族に対して何ら謀計を始めるつもりではない、と公に誓うことを強いて、 *et partem finitimi agri per vim occupatam possiderent **近隣の土地の一部を力ずくで占領して所有地とした。 *Galliaeque totius principatum obtinerent. **ガッリア全体の指導権を手に入れた。 *⑤ Qua necessitate adductus **それにより、やむを得ずに動かされて、 *Diviciacus auxilii petendi causa Romam ad senatum profectus infecta re redierat. **[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]は支援を求めるために[[w:ローマ|ローマ市]]に元老院のところへ赴いたが、事を成就せずに帰った。 *⑥ Adventu Caesaris facta commutatione rerum, **カエサルの到来で事態の変化がなされて、 *obsidibus Haeduis redditis, **ハエドゥイ族の人質たちは戻されて、 *veteribus clientelis restitutis, **昔からの庇護民が復帰して、 *novis per Caesarem comparatis, **カエサルを通じて新参者たちを仲間にした。 *quod ii qui se ad eorum amicitiam adgregaverant, **というのは、彼ら(ハエドゥイ族)の友好のもとに仲間となっていた者たちが、 *⑦ meliore condicione atque aequiore imperio se uti videbant, **(セクァニ族)より良い条件とより公平な支配を享受しているように見えて、 *reliquis rebus eorum gratia dignitateque amplificata **ほかの事柄においても彼ら(ハエドゥイ族)の信望と品格がより増されて、 *Sequani principatum dimiserant. **セクァニ族は指導権を放棄したのだ。 *In eorum locum Remi successerant: **彼ら(セクァニ族)の地位において、[[w:レミ族|レミ族]]が取って代わった。 *quos quod adaequare apud Caesarem gratia intellegebatur, **その者ら(レミ族)はカエサルのもとで信望において(ハエドゥイ族と)同等であると認識されたので、 *ii qui propter veteres inimicitias nullo modo cum Haeduis coniungi poterant, **昔からの敵対関係のためにハエドゥイ族とどのようなやり方でも結ぶことができなかった者たちは、 *se Remis in clientelam dicabant. **レミ族との庇護関係に自らを委ねたのだ。 *⑧ Hos illi diligenter tuebantur; **この者ら(レミ族)はあの者ら(庇護民)を誠実に保護して、 *ita et novam et repente collectam auctoritatem tenebant. **このようにして、最近に得られた新しい影響力を保持した。 *⑨ Eo tum statu res erat, ut longe principes haberentur Haedui, **当時、ハエドゥイ族の位置付けは、まったく盟主と見なされるような状態であって、 *secundum locum dignitatis Remi obtinerent. **レミ族の品格は第二の地位を占めたのだ。 ===13節=== '''ガッリア人の社会階級、平民およびドルイドについて(1)''' *① In omni Gallia eorum hominum, qui aliquo sunt numero atque honore, genera sunt duo. **全ガッリアにおいて、何らかの地位や顕職にある人々の階級は二つである。 '''平民について''' *Nam plebes paene servorum habetur loco, **これに対して、平民はほとんど奴隷の地位として扱われており、 *quae nihil audet per se, nullo adhibetur consilio. **自分たちを通じては何らあえてすることはないし、誰も相談をされることもない。 *② Plerique, cum aut aere alieno aut magnitudine tributorum aut iniuria potentiorum premuntur, **多くの者は、あるいは負債、あるいは貢納の多さ、あるいはより権力のある者に抑圧されているので、 *sese in servitutem dicant. **自らを奴隷身分に差し出している。 *Nobilibus in hos eadem omnia sunt iura, quae dominis in servos. **高貴な者たちには彼ら(平民)において、奴隷において主人にあるのと同様なすべての権利がある。 '''ドルイドについて''' *③ Sed de his duobus generibus alterum est druidum, alterum equitum. **ともかく、これら二つの階級について、一方は[[w:ドルイド|ドルイド]](神官)であり、他方は[[w:騎士|騎士]]である。 *④ Illi rebus divinis intersunt, sacrificia publica ac privata procurant, religiones interpretantur: **前者(ドルイド)は神事に介在し、公・私の<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を司り、信仰のことを講釈する。 **:(訳注:供犠とは、人や獣を生け贄として神前に捧げることである。<ruby><rb>[[w:人身御供|人身御供]]</rb><rp>(</rp><rt>ひとみごくう</rt><rp>)</rp></ruby>とも。) [[画像:Two_Druids.PNG|thumb|right|200px|二人のドルイド。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガッリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。]] *ad hos magnus adulescentium numerus disciplinae causa concurrit, **この者ら(ドルイド)のもとへ、若者の多数が教えのために群り集まり、 *magnoque hi sunt apud eos honore. **この者ら(ドルイド)は、彼ら(ガッリア人)のもとで大いなる地位にある。 *⑤ Nam fere de omnibus controversiis publicis privatisque constituunt, **なぜなら(ドルイドは)ほとんどすべての公・私の訴訟ごとに判決をするのである。 *et, si quod est admissum facinus, si caedes facta, **もし何らかの罪悪が犯されれば、もし殺害がなされれば、 *si de hereditate, de finibus controversia est, **もし、遺産について、地所について、訴訟ごとがあれば、 *idem decernunt, praemia poenasque constituunt; **同じ人たち(ドルイド)が裁決し、補償や懲罰を判決するのである。 *⑥ si qui aut privatus aut populus eorum decreto non stetit, sacrificiis interdicunt. **もし何らかの個人あるいは集団が彼ら(ドルイド)の裁決を遵守しなければ、(その者らに)供犠を禁じる。 *Haec poena apud eos est gravissima. **これは、彼ら(ガッリア人)のもとでは、非常に重い懲罰である。 *⑦ Quibus ita est interdictum, **このように(供犠を)禁じられた者たちは、 *hi numero impiorum ac sceleratorum habentur, **彼らは、不信心で不浄な輩と見なされて、 *his omnes decedunt, aditum sermonemque defugiunt, **皆が彼らを忌避して、近づくことや会話を避ける。 *ne quid ex contagione incommodi accipiant, **(彼らとの)接触から、何らかの災厄を負うことがないようにである。 *neque his petentibus ius redditur **彼らが請願しても(元通りの)権利は戻されないし、 *neque honos ullus communicatur. **いかなる地位(に就くこと)も許されない。 *⑧ His autem omnibus druidibus praeest unus, **ところで、これらすべてのドルイドを一人が指導しており、 *qui summam inter eos habet auctoritatem. **その者は彼ら(ドルイドたち)の間に最高の影響力を持っている。 *⑨ Hoc mortuo **この者が死んだならば、 *aut, si qui ex reliquis excellit dignitate, succedit, **あるいは、もし残りの者たちの中から品格に秀でた者がおれば、継承して、 *aut, si sunt plures pares, suffragio druidum {adlegitur}<ref>adlegitur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>; **あるいは、もしより多くの者たちが同等であれば、ドルイドの投票で{選ばれる}。 *nonnumquam etiam armis de principatu contendunt. **ときどきは、武力でさえも首座を争うことがある。 *⑩ Hi certo anni tempore **彼ら(ドルイド)は年間の定められた時期に *in finibus Carnutum, quae regio totius Galliae media habetur, considunt in loco consecrato. **ガッリア全体の中心地方と見なされている[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の領土において、[[w:聖地|聖地]]に集合する。 **:(訳注:これはカエサルが支配する「ガッリア全体」の話で、他の地方には別の中心地があったようである。) *Huc omnes undique, qui controversias habent, conveniunt **ここへ、至る所から訴訟などを持つあらゆる者たちが集まって、 *eorumque decretis iudiciisque parent. **彼ら(ドルイド)の裁決や判断に服従する。 *⑪ Disciplina in Britannia reperta atque inde in Galliam translata esse existimatur, **(ドルイドの)教えは[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]で見出され、そこからガッリアにもたらされたと考えられている。 **:(訳注:これに対して、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]は、ガッリア人の信仰は[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。 **:[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば、これは東方のゲタエ人([[w:en:Getae|Getae]];[[w:トラキア|トラキア]]系ないし[[w:ダキア|ダキア]]系)を通じて取り入れたものだという<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、第7巻 第3章 第5節)</ref>。) *⑫ et nunc, qui diligentius eam rem cognoscere volunt, **今でも、その事柄をより入念に探究することを欲する者たちは、 *plerumque illo discendi causa proficiscuntur. **たいてい、かの地に研究するために旅立つ。 ===14節=== '''ドルイドについて(2)''' *① Druides a bello abesse consuerunt **[[w:ドルイド|ドルイド]]たちは、戦争に関与しない習慣であり、 *neque tributa una cum reliquis pendunt; **ほかの者と一緒に貢納(租税)を支払うこともない。 *militiae vacationem omniumque rerum habent immunitatem. **[[w:徴兵制度|兵役]]の免除や、すべての事柄において免除特権を持っているのである。 [[画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|thumb|right|200px|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち]] *② Tantis excitati praemiis **このような特典に駆り立てられて *et sua sponte multi in disciplinam conveniunt **自らの意思で多くの者が教え(の場)に集まっても来るし、 *et a parentibus propinquisque mittuntur. **親たちや縁者たちによって送られても来る。 *③ Magnum ibi numerum versuum ediscere dicuntur. **(彼らは)そこで詩句の多数を習得すると言われている。 *Itaque annos nonnulli vicenos in disciplina permanent. **こうして、少なからぬ者たちが、20年にもわたって教え(の場)に残留する。 [[画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|thumb|right|200px|ギリシア文字で刻まれたガッリアの碑文]] *Neque fas esse existimant ea litteris mandare, **それら(の詩句)を文字で刻み込むことは、神意に背くと考えている。 *cum in reliquis fere rebus, publicis privatisque rationibus, Graecis litteris utantur. **もっとも、ほかの事柄においては、公・私の用件に[[w:ギリシア文字|ギリシア文字]]を用いる。 *④ Id mihi duabus de causis instituisse videntur, **それは、私(カエサル)には、二つの理由で(ドルイドが)定めたことと思われる。 **:(訳注:これは、カエサルが自らを一人称で示している珍しい個所である。) *quod neque in vulgum disciplinam efferri velint **というのは、教えが一般大衆にもたらされることは欲していないし、 *neque eos, qui discunt, litteris confisos minus memoriae studere: **(教えを)学ぶ者が、文字を頼りにして、あまり暗記することに努めなくならないようにである。 [[画像:Dying_gaul.jpg|thumb|right|200px|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])]] *quod fere plerisque accidit, ut **というのも、ほとんど多くの場合に起こることには、 *praesidio litterarum diligentiam in perdiscendo ac memoriam remittant. **文字の助けによって、入念に猛勉強することや暗記することを放棄してしまうのである。 *⑤ In primis hoc volunt persuadere, **とりわけ、彼ら(ドルイド)が説くことを欲しているのは、 *non interire animas, sed ab aliis post mortem transire ad alios, **霊魂は滅びることがないのみならず、死後にある者から別のある者へ乗り移るということである。 **:(訳注:ガッリア人の[[w:輪廻転生|転生信仰]]は、[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]が伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。) *atque hoc maxime ad virtutem excitari putant metu mortis neglecto. **これによって(ガッリア人は)死の恐怖に無頓着になって最も武勇へ駆り立てられると(ドルイドは)思っている。 [[画像:Universum.jpg|thumb|right|200px|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。]] *Multa praeterea de sideribus atque eorum motu, **さらに多く、星々とその動きについて、 *de mundi ac terrarum magnitudine, de rerum natura, **天空と大地の大きさについて、物事の本質について、 *de deorum immortalium vi ac potestate **不死の神々の力と支配について、 *disputant et iuventuti tradunt. **研究して、青年たちに教示するのである。 <br> <br> *('''訳注:ドルイドについて''' :ケルト社会の神官・祭司・僧などとされるドルイドについては、おそらくは[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]、そしてカエサル、 :および[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410-p.411)</ref>、[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.341-p.342)</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>ポンポニウス・メラ『世界地理』(前掲、p.549)</ref>などのギリシア人・ローマ人の著述家たちがそれぞれ :書き残しているために同時代や現代に知られている。しかし、本節にもあるように、その秘密主義からか、 :古代ギリシア・ローマの著作にあるほかには、その詳細については不明である。) ===15節=== [[画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|thumb|right|200px|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。]] [[画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|thumb|right|200px|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)]] '''ガッリア人の騎士階級について''' *① Alterum genus est equitum. **(ドルイドと並ぶ)もう一つの階級は、[[w:騎士|騎士]]である。 *Hi, cum est usus atque aliquod bellum incidit **彼らは、必要とされ、かつ何らかの戦争が勃発したときには、 *─ quod fere ante Caesaris adventum quotannis accidere solebat, **─ それ(戦争)はカエサルの到来以前にはほとんど毎年のように起こるのが常であり、 *uti aut ipsi iniurias inferrent aut inlatas propulsarent ─, **自身が侵犯行為を引き起こすためか、あるいは引き起こされて撃退するためであったが、─ *omnes in bello versantur, **総勢が戦争に従事した。 *② atque eorum ut quisque est genere copiisque amplissimus, **さらに彼らは、高貴な生まれで財産が非常に大きければ大きいほど、 **:(訳注:ut quisque ~ ita;おのおのが~であればあるほどますます) *ita plurimos circum se ambactos clientesque habet. **自らの周囲に非常に多くの臣下や庇護民たちを侍らせる。 *Hanc unam gratiam potentiamque noverunt. **(騎士たちは)これが信望や権勢(を示すこと)の一つであると認識しているのである。 ===16節=== '''ガッリア人の信仰と生け贄、ウィッカーマン''' *① Natio est omnis Gallorum admodum dedita religionibus, **ガッリア人のすべての部族民は、まったく信仰行為に身を捧げている。 *② atque ob eam causam, **その理由のために、 *qui sunt adfecti gravioribus morbis **非常に重い病気を患った者たち *quique in proeliis periculisque versantur, **および戦闘において危険に苦しめられる者たちは、 *aut pro victimis homines immolant **あるいは<ruby><rb>[[w:生贄|生け贄]]</rb><rp>(</rp><rt>いけにえ</rt><rp>)</rp></ruby>の獣(犠牲獣)の代わりに人間を供えたり、 *aut se immolaturos vovent, **あるいは自らを犠牲にするつもりであると誓願し、 *administrisque ad ea sacrificia druidibus utuntur, **その<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を執り行う者として[[w:ドルイド|ドルイド]]を利用するのである。 *③ quod, pro vita hominis nisi hominis vita reddatur, **というのは(一人の)人間の生命のためには、(もう一人の)人間の生命が償われない限り、 *non posse deorum immortalium numen placari arbitrantur, **不死の神々の<ruby><rb>御霊</rb><rp>(</rp><rt>みたま</rt><rp>)</rp></ruby>がなだめられることができないと思われているからである。 *publiceque eiusdem generis habent instituta sacrificia. **同じような類いの供儀が公けに定められているのである。 [[画像:WickerManIllustration.jpg|thumb|right|310px|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた<ref>例えば『ケルト人─蘇るヨーロッパ<幻の民>』C.エリュエール著、鶴岡真弓監修、創元社、p.130の挿絵などを参照。</ref>。1973年にはイギリスで映画化され<ref>“[[w:en:The Wicker Man (1973 film)|The Wicker Man]]”はウィッカーマンを題材にした1973年のイギリスのカルト映画作品。</ref>、2006年にはアメリカなどでも映画化された<ref>“[[w:en:The Wicker Man (2006 film)|The Wicker Man]]”は上記作品をリメイクした2006年のアメリカ・カナダ・ドイツの映画作品。</ref>。]] [[画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|thumb|right|100px|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)]] '''ウィッカーマン''' *④ Alii immani magnitudine simulacra habent, **ある者たちは、恐ろしく大規模な像を持って、 *quorum contexta viminibus membra vivis hominibus complent; **その柳の枝で編み込まれた肢体を人間たちで満杯にして、 *quibus succensis **それらを燃やして、 *circumventi flamma exanimantur homines. **人々は炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。 *⑤ Supplicia eorum qui in furto aut in latrocinio **窃盗あるいは追い剥ぎに関わった者たちを処刑することにより、 *aut aliqua noxia sint comprehensi, **あるいは何らかの罪状により捕らわれた者たち(の処刑)により、 *gratiora dis immortalibus esse arbitrantur; **不死の神々に感謝されると思っている。 *sed, cum eius generis copia defecit, **しかしながら、その類いの量が欠けたときには、 *etiam ad innocentium supplicia descendunt. **潔白な者たちさえも犠牲にすることに頼るのである。 <br><br> :('''訳注''':このような'''[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]'''の供犠については[[w:ストラボン|ストラボン]]も伝えており<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.343)</ref>、 :[[w:人身御供|人身御供]]の種類の一つとして、干し草やたきぎで巨像を作り、その中へあらゆる :家畜・野生動物や人間たちを投げ込んで丸焼きにする習慣があったという。 : また、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410~p.411)</ref>やストラボンによれば、ドルイドはむしろ'''[[w:予言|予言者]]・[[w:占い|占い師]]''' :であるという。ドルイドが重要な問題について占うときには、供犠される人間の :腹または背中を剣などで刺して、犠牲者の倒れ方、肢体のけいれん、出血の様子 :などを観察して、将来の出来事を占うのだという。) ===17節=== '''ガッリアの神々(ローマ風解釈)''' *① Deum maxime [[w:la:Mercurius_(deus)|Mercurium]] colunt. **(ガッリア人は)神々のうちでとりわけ[[w:メルクリウス|メルクリウス]]を崇拝する。 **:(訳注:メルクリウスは[[w:ローマ神話|ローマ神話]]の神名であり、本節の神名はすべてローマ風解釈である。) *Huius sunt plurima simulacra: **彼の偶像が最も多い。 *hunc omnium inventorem artium ferunt, **(ガッリア人は)彼をすべての技芸の発明者であると言い伝えており、 *hunc viarum atque itinerum ducem, **彼を道および旅の案内者として、 *hunc ad quaestus pecuniae mercaturasque habere vim maximam arbitrantur. **彼が金銭の利得や商取引で絶大な力を持つと思われている。 [[画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。]] [[画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。]] *Post hunc [[w:la:Apollo|Apollinem]] et [[w:la:Minerva|Martem]] et [[w:la:Iuppiter|Iovem]] et [[w:la:Mars_(deus)|Minervam]]. **彼に続いて、[[w:アポローン|アポロ]]と[[w:マルス (ローマ神話)|マルス]]と[[w:ユーピテル|ユピテル]]と[[w:ミネルウァ|ミネルウァ]]を(ガッリア人は崇拝する)。 *② De his eandem fere, quam reliquae gentes, habent opinionem: **これら(の神々)について、ほかの種族とほぼ同じ見解を持っている。 *Apollinem morbos depellere, **アポロは病気を追い払い、 *Minervam operum atque artificiorum initia tradere, **ミネルウァは工芸や技術の初歩を教示し、 *Iovem imperium caelestium tenere, **ユピテルは天界の統治を司り、 *Martem bella regere. **マルスは戦争を支配する。 *③ Huic, cum proelio dimicare constituerunt, **彼(マルス)には、(ガッリア人が)戦闘で干戈を交えることを決心したときに、 *ea quae bello ceperint, plerumque devovent: **戦争で捕獲したものを、たいていは奉納するものである。 *cum superaverunt, animalia capta immolant **(戦闘で)打ち勝ったときには、捕獲された獣を生け贄に供えて、 *reliquasque res in unum locum conferunt. **残りの物を1か所に運び集める。 *④ Multis in civitatibus harum rerum ex(s)tructos tumulos locis consecratis conspicari licet; **多くの部族において、これらの物が積み上げられた塚を、神聖な地で見ることができる。 *⑤ neque saepe accidit, ut neglecta quispiam religione **何らかの者が信仰を軽視するようなことが、しばしば起こることはない。 *aut capta apud se occultare aut posita tollere auderet, **捕獲されたものを自分のもとに隠すこと、あるいは(塚に)置かれたものをあえて運び去ることは。 *gravissimumque ei rei supplicium cum cruciatu constitutum est. **そんな事には、拷問を伴う最も重い刑罰が決められている。 **:(訳注:最も重い刑罰とは、処刑であると思われる。) <br> :(訳注:'''ローマ風解釈について''' :ガッリアなどケルト文化の社会においては、非常に多くの神々が信仰されており、 :ケルト語による多くの神名が知られており、考古学的にも多くの神像が遺されている。 :しかしながら、これらの神々がどのような性格や権能を持っていたのか、詳しくは判っていない。 :ローマ人は、数多くのケルトの神々をローマ神話の神々の型に当てはめて解釈した。 :[[w:タキトゥス|タキトゥス]]はこれを「[[w:ローマ風解釈|ローマ風解釈]]」[[w:en:Interpretatio_Romana#Roman_version|Interpretatio Romana]] <ref>タキトゥス『ゲルマーニア』43章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XLIII|ラテン語原文]])を参照。</ref>と呼んでいる<ref>『ケルト事典』(前掲)「ローマ風解釈」の項を参照。</ref>。) ===18節=== [[画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。]] '''ガッリア人の時間や子供についての観念''' *① Galli se omnes ab Dite patre prognatos praedicant **ガッリア人は、自分たちは皆、ディス・パテルの末裔であると公言しており、 **:(訳注:ディス・パテル [[w:en:Dis_Pater|Dis Pater]] も前節と同様にローマ神話の神名である。) *idque ab druidibus proditum dicunt. **それは[[w:ドルイド|ドルイド]]たちにより伝えられたと言う。 ;時間の観念 *② Ob eam causam spatia omnis temporis non numero dierum, sed noctium finiunt; **その理由のために、すべての[[w:時間|時間]]の間隔を、[[w:昼|昼間]]の数ではなく、[[w:夜|夜間]](の数)で区切る。 *dies natales et mensum et annorum initia sic observant, ut noctem dies subsequatur. **誕生日も、月や年の初めも、夜間に昼間が続くように注意を払っている。 ;子供についての観念 *③ In reliquis vitae institutis hoc fere ab reliquis differunt, **人生のほかの風習において、以下の点でほかの者たち(種族)からほぼ異なっている。 *quod suos liberos, nisi cum adoleverunt, ut munus militiae sustinere possint, **自分の子供たちが、[[w:徴兵制度|兵役の義務]]を果たすことができるように成長したときでない限り、 *palam ad se adire non patiuntur **公然と自分のところへ近づくことは許されないし、 *filiumque puerili aetate in publico in conspectu patris adsistere turpe ducunt. **少年期の息子が公けに父親の見ているところでそばに立つことは恥ずべきと見なしている。 ===19節=== '''ガッリア人の婚姻と財産・葬儀の制度''' *① Viri, quantas pecunias ab uxoribus dotis nomine acceperunt, **夫は、妻から[[w:持参金|持参金]]の名目で受け取った金銭の分だけ、 *tantas ex suis bonis aestimatione facta cum dotibus communicant. **自分の財産のうちから見積もられた分を、持参金とともに一つにする。 *② Huius omnis pecuniae coniunctim ratio habetur fructusque servantur: **これらのすべての金銭は共同に算定が行なわれて、[[w:利子|利子]]が貯蓄される。 *uter eorum vita superarit, **彼ら2人のいずれかが、人生において生き残ったら、 *ad eum pars utriusque cum fructibus superiorum temporum pervenit. **双方の分がかつての期間の利子とともに(生き残った)その者(の所有)に帰する。 [[画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガッリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。]] *③ Viri in uxores, sicuti in liberos, vitae necisque habent potestatem; **夫は、妻において、子供におけるのと同様に、生かすも殺すも勝手である。 *et cum pater familiae inllustriore loco natus decessit, eius propinqui conveniunt **上流身分に生まれた家族の父親が死去したとき、彼の近縁の者たちが集まって、 *et de morte, si res in suspicionem venit, de uxoribus in servilem modum quaestionem habent, **死について、もし疑念が出来したならば、妻について、[[w:奴隷|奴隷]]におけるようなやり方で審問して、 *et si compertum est, igni atque omnibus tormentis excruciatas interficiunt. **もし(疑念が)確認されたならば、火やあらゆる責め道具によって[[w:拷問|拷問]]にかけて誅殺する。 *④ Funera sunt pro cultu Gallorum magnifica et sumptuosa; **[[w:葬儀|葬儀]]は、ガッリア人の生活習慣の割には派手でぜいたくなものである。 *omniaque quae vivis cordi fuisse arbitrantur in ignem inferunt, etiam animalia, **生前に大切であったと思われるもの一切合財を、獣でさえも、火の中に投げ入れる。 *ac paulo supra hanc memoriam servi et clientes, quos ab his dilectos esse constabat, **さらに、より以前のこの記憶では、彼ら(亡者)により寵愛されていたことが知られていた奴隷や庇護民をも、 *iustis funeribus confectis una cremabantur. **慣習による葬儀が成し遂げられたら、一緒に火葬されていたのである。 ===20節=== '''ガッリア部族国家の情報統制''' *① Quae civitates commodius suam rem publicam administrare existimantur, **より適切に自分たちの公儀(=国家体制)を治めると考えられているような部族は、 *habent legibus sanctum, **(以下のように)定められた法度を持つ。 *si quis quid de re publica a finitimis rumore aut fama acceperit, **もし、ある者が公儀に関して近隣の者たちから何らかの噂や風聞を受け取ったならば、 *uti ad magistratum deferat neve cum quo alio communicet, **官吏に報告して、他の者と伝え合ってはならないと。 *② quod saepe homines temerarios atque imperitos falsis rumoribus terreri **というのは、無分別で無知な人間たちはしばしば虚偽の噂に恐れて、 *et ad facinus impelli et de summis rebus consilium capere cognitum est. **罪業に駆り立てられ、重大な事態についての考えを企てると認識されているからである。 *③ Magistratus quae visa sunt occultant, **官吏は、(隠すことが)良いと思われることを隠して、 *quaeque esse ex usu iudicaverunt, multitudini produnt. **有益と判断していたことを、民衆に明らかにする。 *De re publica nisi per concilium loqui non conceditur. **公儀について、集会を通じてでない限り、語ることは認められていない。 ==ゲルマーニアの風習と自然について== ===21節=== '''ゲルマーニア人の信仰と性''' *① Germani multum ab hac consuetudine differunt. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人はこれに対し、風習が大いに異なっている。 *Nam neque druides habent, qui rebus divinis praesint, neque sacrificiis student. **すなわち、神事を司る[[w:ドルイド|ドルイド]]も持たないし、供犠に熱心でもない。 *② Deorum numero **神々に数えるものとして、 *eos solos ducunt, quos cernunt et quorum aperte opibus iuvantur, Solem et Vulcanum et Lunam, **(彼らが)見分けるものや明らかにその力で助けられるもの、[[w:太陽|太陽]]と[[w:ウォルカヌス|ウォルカヌス]](火の神)と[[w:月|月]]だけを信仰して、 *reliquos ne fama quidem acceperunt. **ほかのものは風聞によってさえも受け入れていない。 **:(訳注:これに対して、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]は、ゲルマーニア人はメルクリウスやマルスなどを信仰すると伝えている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』2章・9章を参照</ref>。) *③ Vita omnis in venationibus atque in studiis rei militaris consistit: **すべての人生は、[[w:狩猟|狩猟]]に、および[[w:軍事|軍事]]への執心に依拠しており、 *ab parvulis labori ac duritiae student. **幼時より労役や負担に努める。 *④ Qui diutissime impuberes permanserunt, maximam inter suos ferunt laudem: **最も長く純潔に留まった者は、自分たちの間で最大の賞賛を得る。 *hoc ali staturam, ali vires nervosque confirmari putant. **これによって、ある者には背の高さが、ある者には力と筋肉が強化されると、思っている。 *⑤ Intra annum vero vicesimum feminae notitiam habuisse in turpissimis habent rebus; **20歳にならない内に女を知ってしまうことは、とても恥ずべきことであると見なしている。 *cuius rei nulla est occultatio, **その(性の)事を何ら隠すことはない。 *quod et promiscue in fluminibus perluuntur **というのは、川の中で(男女が)混じって入浴しても、 *et pellibus aut parvis renonum tegimentis utuntur, magna corporis parte nuda. **なめし皮や、小さな毛皮の覆いを用いるが、体の大部分は裸なのである。 ===22節=== '''ゲルマーニア人の土地制度''' *① Agri culturae non student, **(ゲルマーニア人は)[[w:農耕|土地を耕すこと]]に熱心ではなく、 *maiorque pars eorum victus in lacte, caseo, carne consistit. **彼らの大部分は、生活の糧が[[w:乳|乳]]、[[w:チーズ|チーズ]]、[[w:肉|肉]]で成り立っている。 *② Neque quisquam agri modum certum aut fines habet proprios; **何者も、土地を確定した境界で、しかも持続的な領地として、持ってはいない。 *sed magistratus ac principes in annos singulos **けれども、官吏や領袖たちは、各年ごとに、 *gentibus cognationibusque hominum, quique una coierunt, **一緒に集住していた種族や血縁の人々に、 *quantum et quo loco visum est agri adtribuunt **適切と思われる土地の規模と場所を割り当てて、 *atque anno post alio transire cogunt. **翌年には他(の土地)へ移ることを強いるのである。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#1節|第4巻1節]]には、スエービー族の説明として同様の記述がある。) *③ Eius rei multas adferunt causas: **(官吏たちは)その事の多くの理由を説明する。 *ne adsidua consuetudine capti studium belli gerendi agricultura commutent; **(部族民が)[[w:居住|定住]]する習慣にとらわれて、戦争遂行の熱意を土地を耕すことに変えてしまわないように。 *ne latos fines parare studeant, potentioresque humiliores possessionibus expellant; **広大な領地を獲得することに熱心になって、有力者たちが弱者たちを地所から追い出さないように。 *ne accuratius ad frigora atque aestus vitandos aedificent; **寒さや暑さを避けるために(住居を)非常な入念さで建築することがないように。 *ne qua oriatur pecuniae cupiditas, qua ex re factiones dissensionesque nascuntur; **金銭への欲望が増して、その事から派閥や不和が生ずることのないように。 *ut animi aequitate plebem contineant, cum suas quisque opes cum potentissimis aequari videat. **おのおのが自分の財産も最有力者のも同列に置かれていると見ることで、心の平静により民衆を抑えるように。 <br> :(訳注:[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.510)</ref>や[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』23章・16章などを参照。26章では農耕についても解説されている。</ref>などの著述家たちも、ゲルマーニアの住民が農耕をせず、 :遊牧民のように移動しながら暮らし、小さな住居に住み、食料を家畜に頼っていると記述している。) ===23節=== '''ゲルマーニア諸部族のあり方''' *① Civitatibus maxima laus est **諸部族にとって、最も称賛されることは、 *quam latissime circum se vastatis finibus solitudines habere. **できる限り広く自分たちの周辺で領土を荒らして荒野に保っておくことである。 *② Hoc proprium virtutis existimant, **以下のことを(自分たちの)武勇の特質と考えている。 *expulsos agris finitimos cedere, **近隣の者たちが土地から追い払われて立ち去ること、 *neque quemquam prope {se} audere consistere; **および、何者も自分たちの近くにあえて定住しないこと、である。 *③ simul hoc se fore tutiores arbitrantur, repentinae incursionis timore sublato. **他方、これにより、予期せぬ襲撃の恐れを取り除いて、自分たちはより安全であろうと思われた。 *④ Cum bellum civitas aut inlatum defendit aut infert, **部族に戦争がしかけられて防戦したり、あるいはしかけたりしたときには、 *magistratus, qui ei bello praesint, ut vitae necisque habeant potestatem, deliguntur. **その戦争を指揮して、生かすも殺すも勝手な権力を持つ将官が選び出される。 *⑤ In pace nullus est communis magistratus, **平時においては、(部族に)共通の将官は誰もいないが、 *sed principes regionum atque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagorum]]</u> inter suos ius dicunt controversiasque minuunt. **地域や<u>郷</u>の領袖たちが、身内の間で判決を下して、訴訟ごとを減らす。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus"/>。)</span> *⑥ Latrocinia nullam habent infamiam, quae extra fines cuiusque civitatis fiunt, **それぞれの部族の領土の外で行なう略奪のことは、何ら恥辱とは見なしていない。 *atque ea iuventutis exercendae ac desidiae minuendae causa fieri praedicant. **さらに、それ(略奪)は、青年たちを訓練することや、怠惰を減らすことのために行なわれる、と公言している。 *⑦ Atque ubi quis ex principibus in concilio dixit **そして、領袖たちのうちのある者が(次のように)言うや否や、 *se ducem fore, qui sequi velint, profiteantur, **《自分が(略奪の)引率者となるから、追随したい者は申し出るように》と(言うや否や)、 *consurgunt ii qui et causam et hominem probant, suumque auxilium pollicentur **(略奪の)口実にも(引率する)人物にも賛同する者は立ち上がって、自らの支援を約束して、 *atque ab multitudine conlaudantur: **群衆から大いに誉められる。 *⑧ qui ex his secuti non sunt, **これら(約束した者)のうちで(略奪に)追随しない者は、 *in desertorum ac proditorum numero ducuntur, **逃亡兵や裏切り者と見なされて、 *omniumque his rerum postea fides derogatur. **その後は、彼らにとってあらゆる事の信頼が(皆から)拒まれる。 *⑨ Hospitem violare fas non putant; **客人に暴行することは道理に適うとは思ってはいない。 *qui quacumque de causa ad eos venerunt, **彼ら(ゲルマーニア人)のところへ理由があって来た者(=客人)は誰であれ、 *ab iniuria prohibent, sanctos habent, **無法行為から防ぎ、尊ぶべきであると思っている。 *hisque omnium domus patent victusque communicatur. **彼ら(客人)にとってすべての者の家は開放されており、生活用品は共有される。 **:(訳注:客人への接待ぶりについては、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』21章を参照。</ref>も伝えている。) ===24節=== [[画像:Celts.svg|thumb|right|200px|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。]] [[画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|thumb|right|200px|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。]] [[画像:Hallstatt_LaTene.png|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。]] '''ゲルマーニア人とガッリア人''' *① Ac fuit antea tempus, **かつてある時代があって、 *cum Germanos Galli virtute superarent, **そのとき、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人を[[w:ガリア|ガッリア]]人が武勇で優っており、 *ultro bella inferrent, propter hominum multitudinem agrique inopiam **人間の多さと土地の欠乏のために(ガッリア人は)自発的に戦争をしかけて、 *trans Rhenum colonias mitterent. **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側へ入植者たちを送り込んでいた。 *② Itaque ea quae fertilissima Germaniae sunt loca circum Hercyniam silvam, **[[w:ヘルキュニア|ヘルキュニア]]の森の周辺のゲルマーニアで最も肥沃な地を、 *quam Eratostheni et quibusdam Graecis fama notam esse video, **それを[[w:エラトステネス|エラトステネス]]や[[w:ギリシア人|ギリシア人]]のある者たちも風聞により知っていたと私は見出して、 *quam illi Orcyniam appellant, **それを彼らはオルキュニアと呼んでいるが、 *Volcae Tectosages occupaverunt atque ibi consederunt; **(その地を)ウォルカエ族系のテクトサゲス族が占領して、そこに定住していた。 *③ quae gens ad hoc tempus his sedibus sese continet **その種族は、この時代までこの居場所に留まっており、 *summamque habet iustitiae et bellicae laudis opinionem. **公正さと戦いの称賛で最高の評判を得ている。 *④ Nunc quod in eadem inopia, egestate, patientia qua Germani permanent, **今も、窮乏や貧困を、ゲルマーニア人が持ちこたえているのと同じ忍耐をもって、 *eodem victu et cultu corporis utuntur; **同じ食物および体の衣服を用いている。 *⑤ Gallis autem provinciarum propinquitas et transmarinarum rerum notitia **これに対して、ガッリア人にとって(ローマの)属州に近接していること、および海外のものを知っていることは、 *multa ad copiam atque usus largitur, **富や用品の多くが供給されている。 *paulatim adsuefacti superari multisque victi proeliis **(ガッリア人は)しだいに圧倒されることや多くの戦闘で打ち負かされることに慣らされて、 *ne se quidem ipsi cum illis virtute comparant. **(ガッリア人)自身でさえも彼ら(ゲルマーニア人)と武勇で肩を並べようとはしないのである。 <br> :('''訳注''':本節の①項については、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]が著書『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』28章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XXVIII|原文]])において、次のように言及している。 :''Validiores olim Gallorum res fuisse summus auctorum divus Iulius tradit; '' :かつてガッリア人の勢力がより強力であったことは、最高の証言者である神君ユリウス(・カエサル)も伝えている。 :''eoque credibile est etiam Gallos in Germaniam transgressos:'' :それゆえに、ガッリア人でさえもゲルマーニアに渡って行ったと信ずるに値するのである。) ===25節=== '''ヘルキュニアの森林地帯''' *① Huius Hercyniae silvae, quae supra demonstrata est, latitudo **前に述べたヘルキュニアの森の幅は、 *novem dierum iter expedito patet: **軽装の旅で9日間(かかるだけ)広がっている。 *non enim aliter finiri potest, **なぜなら(ゲルマーニア人は)他に境界を定めることができないし、 *neque mensuras itinerum noverunt. **道のりの測量というものを知っていないのである。 [[画像:FeldbergPanorama.jpg|thumb|center|1000px|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)]] *② Oritur ab Helvetiorum et Nemetum et Rauracorum finibus **(その森は)[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]とネメテス族とラウラキ族の領土から発しており、 **:(訳注:これはライン川東岸に沿って南北に長い現在の[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]のことである。) *rectaque fluminis [[w:la:Danubius|Danubii]] regione **ダヌビウス川に沿って真っ直ぐに(流れ)、 **:(訳注:ダヌビウス Danubius はダヌウィウス Danuvius とも呼ばれ、現在の[[w:ドナウ川|ドナウ川]]である。) *pertinet ad fines Dacorum et Anartium; **[[w:ダキア人|ダキ族]]やアナルテス族の領土へ至る。 **:(訳注:これは[[w:ダキア|ダキア]] [[w:la:Dacia|Dacia]] すなわち現在の[[w:ルーマニア|ルーマニア]]辺りの地域である。) *③ hinc se flectit sinistrorsus diversis ab flumine regionibus **ここ(ダヌビウス川)から(森は)左方へ向きを変えて、川の地域からそれて、 **:(訳注:川が南へ折れるのとは逆に、森は北へそれて[[w:エルツ山地|エルツ山地]]を通って[[w:カルパティア山脈|カルパティア山脈]]に至ると考えられている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳注、岩波文庫、p.131-132の注などを参照</ref>。) *multarumque gentium fines propter magnitudinem attingit; **(森の)大きさのために、多くの種族の領土に接しているのである。 *④ neque quisquam est huius Germaniae, qui se aut adisse ad initium eius silvae dicat, **その森の(東の)端緒へ訪れたと言う者は、こちら(西側)の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に属する者では誰もいないし、 *cum dierum iter LX processerit, **60日間の旅で進んでも(いないのであるが)、 *aut, quo ex loco oriatur, acceperit: **あるいは(森が)どの場所から生じているか把握した(者もいないのである)。 *⑤ multaque in ea genera ferarum nasci constat, quae reliquis in locis visa non sint; **それ(=森)の中には、ほかの地では見られない野獣の多くの種類が生息していることが知られている。 *ex quibus quae maxime differant ab ceteris et memoriae prodenda videantur, **それらのうちで、ほかの(地の)ものと大きく異なったものは、記録で伝えるべきものであり、 *haec sunt. **以下のものである。 ===26節=== [[画像:Rentier fws 1.jpg|thumb|right|200px|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。]] '''ヘルキュニアの野獣①''' *① Est [[w:la:Bos|bos]] [[w:la:Cervus|cervi]] figura, **雄[[w:シカ|鹿]]の姿形をした[[w:ウシ|牛]]がいる。 *cuius a media fronte inter aures unum [[w:la:Cornu|cornu]] existit **それの両耳の間の額の真ん中から一つの角が出ており、 *excelsius magisque derectum his, quae nobis nota sunt, cornibus; **我々(ローマ人)に知られている角よりも非常に高くて真っ直ぐである。 *ab eius summo sicut palmae ramique late diffunduntur. **その先端部から、手のひらや枝のように幅広く広がっている。 *Eadem est feminae marisque natura, **雌と雄の特徴は同じであり、 *eadem forma magnitudoque cornuum. **角の形や大きさも同じである。 <br> :('''訳注''':カエサルによる本節の記述は[[w:ユニコーン|ユニコーン]](一角獣)の伝説に :結び付けられている。しかし本節における発達した枝角の説明は、むしろ :[[w:トナカイ|トナカイ]]や[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]]のような獣を想起させる。) ===27節=== [[画像:Bigbullmoose.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。]] [[画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG 1824.JPG|thumb|right|250px|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。]] '''ヘルキュニアの野獣②''' *① Sunt item, quae appellantur [[w:la:Alces|alces]]. **アルケスと呼ばれるものもいる。 **:(訳注:アルケス alces とは[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](オオシカ)を指す単語であるが本節の説明と矛盾する。) *Harum est consimilis [[w:la:Capra|capris]] figura et varietas pellium, **これらの姿形や毛皮のまだらは雄[[w:ヤギ|山羊]]に似ている。 *sed magnitudine paulo antecedunt **が、(山羊を)大きさで少し優っており、 *mutilaeque sunt cornibus **角は欠けていて、 *et crura sine nodis articulisque habent. **脚部には関節の類いがない。 **:(訳注:nodus も articulus も関節の類いを意味する) *② Neque quietis causa procumbunt **休息のために横たわらないし、 *neque, si quo adflictae casu conciderunt, **もし何か不幸なことで偶然にも倒れたならば、 *erigere sese aut sublevare possunt. **自らを起こすことも立ち上げることもできない。 *③ His sunt arbores pro cubilibus; **これらにとって木々は寝床の代わりである。 *ad eas se adplicant **それら(の木々)へ自らを寄りかからせて、 *atque ita paulum modo reclinatae quietem capiunt. **こうして少しだけもたれかかって休息を取るのである。 *④ Quarum ex vestigiis **それらの足跡から *cum est animadversum a venatoribus, quo se recipere consuerint, **(鹿が)どこへ戻ることを常としているかを狩人によって気付かれたときには、 *omnes eo loco aut ab radicibus subruunt aut accidunt arbores, **その地のすべての木々を(狩人は)根から倒すか、あるいは傷つけて、 *tantum ut summa species earum stantium relinquatur. **それらの(木々の)いちばん(外側)の見かけが、立っているかのように残して置かれる。 *⑤ Huc cum se consuetudine reclinaverunt, **そこに(鹿が)習性によってもたれかかったとき、 *infirmas arbores pondere adfligunt atque una ipsae concidunt. **弱った木々を重みで倒してしまい、自身も一緒に倒れるのである。 ===28節=== [[画像:Wisent.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。]] [[画像:Muybridge Buffalo galloping.gif|thumb|right|200px|疾走するバイソン]] [[画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|thumb|right|200px|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。]] '''ヘルキュニアの野獣③''' *③ Tertium est genus eorum, qui uri appellantur. **第3のものは、野牛と呼ばれる種類である。 *Hi sunt magnitudine paulo infra [[w:la:Elephantidae|elephantos]], **これらは、大きさで少し[[w:ゾウ|象]]に劣るが、 *specie et colore et figura [[w:la:Taurus|tauri]]. **見かけと色と姿形は雄[[w:ウシ|牛]]である。 *② Magna vis eorum est et magna velocitas, **それらの力は大きく、(動きも)とても速く、 *neque homini neque ferae, quam conspexerunt, parcunt. **人間でも野獣でも、見かけたものには容赦しない。 *Hos studiose foveis captos interficiunt. **(ゲルマーニア人は)これらを熱心に落とし穴で捕らえたものとして殺す。 *③ Hoc se labore durant adulescentes **この労苦により青年たちを鍛え、 *atque hoc genere venationis exercent, **[[w:狩猟|狩猟]]のこの類いで鍛錬するのであり、 *et qui plurimos ex his interfecerunt, **これら(の野牛)のうちから最も多くを殺した者は、 *relatis in publicum [[w:la:Cornu|cornibus]], quae sint testimonio, **証拠になるための[[w:角|角]]を公の場に持参して、 *magnam ferunt laudem. **大きな賞賛を得るのである。 *④ Sed adsuescere ad homines et mansuefieri ne parvuli quidem excepti possunt. **けれども(野牛は)幼くして捕らえられてさえも、人間に慣れ親しんで飼い慣らされることはできない。 *⑤ Amplitudo cornuum et figura et species multum a nostrorum boum cornibus differt. **角の大きさや形や見かけは、我々(ローマ人)の牛の角とは大いに異なる。 *⑥ Haec studiose conquisita ab labris argento circumcludunt **これらは熱心に探し求められて、縁を[[w:銀|銀]]で囲って、 *atque in amplissimis epulis pro poculis utuntur. **とても贅沢な祝宴において[[w:盃|杯]]として用いられるのである。 ==対エブロネス族追討戦(1)== ===29節=== '''ゲルマーニアから撤兵、対アンビオリクス戦へ出発''' *① Caesar, postquam per Ubios exploratores comperit Suebos sese in silvas recepisse, **カエサルは、ウビイー族の偵察者たちを通じてスエービー族が森に撤退したことを確報を受けた後で、 **:(訳注:[[#10節|10節]]によれば、バケニス Bacenis の森。[[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について|既述]]のように、スエービー族とはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] と考えられる。) *inopiam frumenti veritus, **糧食の欠乏を恐れて、 *quod, ut supra demonstravimus, minime omnes Germani agri culturae student, **というのは、前に説明したように、ゲルマーニア人は皆が土地を耕すことに決して熱心でないので、 **:(訳注:[[#22節|22節]]を参照。耕地がなければ、ローマ軍は穀物の現地調達ができない。) *constituit non progredi longius; **より遠くへ前進しないことを決めた。 *② sed, ne omnino metum reditus sui barbaris tolleret **けれども、自分たち(ローマ軍)が戻って来る恐れを蛮族からまったく取り去ってしまわないように、 *atque ut eorum auxilia tardaret, **かつ、彼ら(ゲルマーニア人)の(ガッリア人への)支援を遅らせるように、 *reducto exercitu partem ultimam pontis, quae ripas Ubiorum contingebat, **ウビイー族側の岸(=レーヌス川東岸)につなげていた橋の最後の部分に軍隊を連れ戻して、 *in longitudinem pedum ducentorum rescindit **(橋を)長さ200[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約60m)切り裂いて、 *③ atque in extremo ponte turrim tabulatorum quattuor constituit **橋の先端のところに4層の櫓を建てて、 *praesidiumque cohortium duodecim pontis tuendi causa ponit **12個[[w:コホルス|歩兵大隊]]の守備隊を橋を防護するために配置して、 *magnisque eum locum munitionibus firmat. **その場所を大きな城砦で固めた。 *Ei loco praesidioque C.(Gaium) Volcacium Tullum adulescentem praeficit. **その場所と守備隊を青年ガイウス・ウォルカキウス・トゥッルスに指揮させた。 **:(訳注:元執政官 [[w:en:Lucius_Volcatius_Tullus_(consul_66_BC)|Lucius Volcatius Tullus]] に対して、青年 adulescentem と区別したのであろう。 **:ウォルカキウス Volcacium の綴りは、写本により相異する。) *④ Ipse, cum maturescere frumenta inciperent, **(カエサル)自身は、穀物が熟し始めたので、 *ad bellum [[w:la:Ambiorix|Ambiorigis]] profectus per Arduennam silvam, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]との戦争へ、アルドゥエンナの森を通って進発した。 **:(訳注:アルドゥエンナの森については、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]ですでに説明されている。) *quae est totius Galliae maxima **それ(=森)は全ガッリアで最も大きく、 *atque ab ripis Rheni finibusque Treverorum ad Nervios pertinet **レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の岸およびトレーウェリー族の境界から、[[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]](の領土)へ及んでおり、 *milibusque amplius quingentis in longitudinem patet, **長さは500ローママイル(=約740km)より大きく広がっている。 *L.(Lucium) Minucium Basilum cum omni equitatu praemittit, **ルキウス・ミヌキウス・バスィルスをすべての騎兵隊とともに先遣した。 *si quid celeritate itineris atque opportunitate temporis proficere possit; **行軍の迅速さと時間の有利さによって、何かを得られるかどうかということである。 *⑤ monet, ut ignes in castris fieri prohibeat, ne qua eius adventus procul significatio fiat: **野営において火を生じることを禁じるように、何事かにより遠くから彼の到来の予兆を生じないように、戒めた。 *sese confestim subsequi dicit. **(カエサル)自らは、ただちに後から続くと言った。 ===30節=== '''アンビオリクスがバスィリスのローマ騎兵から逃れる''' *① Basilus, ut imperatum est, facit. **バスィルスは、命令されたように、行なった。 *Celeriter contraque omnium opinionem confecto itinere **速やかに、かつ皆の予想に反して、行軍を成し遂げて、 *multos in agris inopinantes deprehendit: **(城市でない)土地にいた気付かないでいる多くの者を捕らえた。 *eorum indicio ad ipsum Ambiorigem contendit, quo in loco cum paucis equitibus esse dicebatur. **彼らの申し立てにより、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]その人がわずかな騎兵たちとともにいると言われていた場所に急いだ。 *② Multum cum in omnibus rebus, tum in re militari potest Fortuna. **あらゆる事柄においても、とりわけ軍事においても、運命(の女神)が大いに力がある。 *Nam magno accidit casu, **実際のところ、大きな偶然により生じたのは、 *ut in ipsum incautum etiam atque imparatum incideret, **(アンビオリクス)自身でさえも油断していて不用意なところに(バスィルスが)遭遇したが、 *priusque eius adventus ab omnibus videretur, quam fama ac nuntius adferretur: **彼の到来が(ガッリア勢の)皆により見られたのが、風聞や報告により知らされるよりも早かったのである。 *sic magnae fuit fortunae **同様に(アンビオリクスにとって)大きな幸運に属したのは、 *omni militari instrumento, quod circum se habebat, erepto, **自らの周りに持っていたすべての武具を奪われて、 *raedis equisque comprehensis **四輪馬車や馬を差し押さえられても、 *ipsum effugere mortem. **(アンビオリクス)自身は死を逃れたことである。 *③ Sed hoc quoque factum est, **しかし、以下のこともまた起こった。 *quod aedificio circumdato silva, **(アンビオリクスの)館が森で取り巻かれており、 *─ ut sunt fere domicilia Gallorum, qui vitandi aestus causa **─ ガッリア人の住居はほぼ、暑さを避けることのために、 *plerumque silvarum atque fluminum petunt propinquitates ─, **たいてい森や川の近接したところに求めるのであるが ─ *comites familiaresque eius angusto in loco paulisper equitum nostrorum vim sustinuerunt. **彼の従者や郎党どもが、狭い場所でしばらく、我が方(ローマ勢)の騎兵の力を持ちこたえたのだ。 *④ His pugnantibus illum in equum quidam ex suis intulit: **彼らが戦っているときに、彼(アンビオリクス)を配下のある者が馬に押し上げて、 *fugientem silvae texerunt. **逃げて行く者(アンビオリクス)を森が覆い隠した。 *Sic et ad subeundum periculum et ad vitandum multum Fortuna valuit. **このように(アンビオリクスが)危険に突き進んだことや避けられたことに対して、運命(の女神)が力をもったのである。 ===31節=== '''エブロネス族の退避、カトゥウォルクスの最期''' *① [[w:la:Ambiorix|Ambiorix]] copias suas iudicione non conduxerit, quod proelio dimicandum non existimarit, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]は、戦闘で争闘するべきとは考えていなかったので、自らの判断で軍勢を集めなかったのか、 *an tempore exclusus et repentino equitum adventu prohibitus, **あるいは、時間に阻まれ、予期せぬ[[w:騎兵|騎兵]]の到来に妨げられて、 *cum reliquum exercitum subsequi crederet, **(ローマ勢の)残りの軍隊(=軍団兵)が後続して来ることを信じたためなのか、 *dubium est. **不確かなことである。 *② Sed certe dimissis per agros nuntiis sibi quemque consulere iussit. **けれども、確かに領地を通じて伝令を四方に遣わして、おのおのに自らを助けることを命じた。 *Quorum pars in Arduennam silvam, pars in continentes paludes profugit; **それらの者たち(領民)のある一部はアルドゥエンナの森に、一部は絶え間ない沼地に退避した。 *③ qui proximi Oceano fuerunt, **<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>にとても近いところにいた者たちは、 *hi insulis sese occultaverunt, quas aestus efficere consuerunt: **[[w:潮汐|満潮]]が形成するのが常であった島々に身を隠した。 [[画像:Taxus baccata MHNT.jpg|thumb|right|300px|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。]] *④ multi ex suis finibus egressi **多くの者たちは、自分たちの領土から出て行って、 *se suaque omnia alienissimis crediderunt. **自分たちとその一切合財をまったく異邦の者たちに委ねた。 *⑤Catuvolcus, rex dimidiae partis Eburonum, **[[w:カトゥウォルクス|カトゥウォルクス]]は、[[w:エブロネス族|エブロネス族]]の半分の地方の王であり、 *qui una cum Ambiorige consilium inierat, **アンビオリクスと一緒に(カエサルに造反する)企てに取りかかった者であるが、 **:(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#26節|第5巻26節]]を参照。) *aetate iam confectus, cum laborem aut belli aut fugae ferre non posset, **もはや老衰していたので、戦争の労苦、あるいは逃亡の労苦に耐えることができなかったので、 **:(訳注:aetate confectus 老衰した) *omnibus precibus detestatus Ambiorigem, qui eius consilii auctor fuisset, **その企ての張本人であったアンビオリクスをあらゆる呪詛のことばで呪って、 *taxo, cuius magna in Gallia Germaniaque copia est, se exanimavit. **[[w:ガリア|ガッリア]]や[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に大量にあった[[w:イチイ属|イチイ]]によって、息絶えたのであった。 ===32節=== '''ゲルマーニア部族の弁明、アドゥアトゥカに輜重を集める''' *① Segni Condrusique, ex gente et numero Germanorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の種族や集団のうち、[[w:セグニ族|セグニ族]]と[[w:コンドルスィ族|コンドルスィ族]]は、 *qui sunt inter Eburones Treverosque, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]とトレーウェリー族の間にいたが、 *legatos ad Caesarem miserunt oratum, **カエサルのところへ嘆願するために使節たちを遣わした。 *ne se in hostium numero duceret **自分たちを敵として見なさないように、と。 *neve omnium Germanorum, qui essent citra Rhenum, unam esse causam iudicaret; **しかも、レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])のこちら側にいるゲルマーニア人すべての事情は1つであると裁断しないように、と。 *nihil se de bello cogitavisse, nulla Ambiorigi auxilia misisse. **自分たちは、戦争についてまったく考えたことはないし、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]に何ら援軍を派遣したことはない、と。 *② Caesar explorata re quaestione captivorum, **カエサルは捕虜を審問することによってその事を探り出すと、 *si qui ad eos Eburones ex fuga convenissent, **もし彼らのところへ逃亡しているエブロネス族の者たちの誰かが訪れたならば、 *ad se ut reducerentur, imperavit; **自分(カエサル)のところへ連れ戻されるようにと、命令した。 *si ita fecissent, fines eorum se violaturum negavit. **もしそのように行なったならば、彼らの領土を自分(カエサル)が侵害することはないであろうと主張した。 *③ Tum copiis in tres partes distributis **それから、軍勢を3方面に分散して、 *impedimenta omnium legionum Aduatucam contulit. **すべての軍団の[[w:輜重|輜重]]を[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に運び集めた。 **:(訳注:アドゥアトゥカ Aduatuca の表記は、写本によってはアトゥアトゥカ Atuatuca となっている。現在の[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]。) *④ Id castelli nomen est. **それは、城砦の名前である。 *Hoc fere est in mediis Eburonum finibus, **これは、エブロネス族の領土のほぼ真ん中にあり、 *ubi Titurius atque Aurunculeius hiemandi causa consederant. **そこには、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]と[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|アウルンクレイウス(・コッタ)]]が越冬するために陣取っていた。 *⑤ Hunc cum reliquis rebus locum probabat, **(カエサルは)この場所を、ほかの事柄によっても是認したし、 *tum quod superioris anni munitiones integrae manebant, ut militum laborem sublevaret. **またとりわけ前年の防備が損なわれずに存続していたので、兵士の労苦を軽減するためでもある。 *Praesidio impedimentis legionem quartamdecimam reliquit, **(全軍の)輜重の守備隊として第14軍団を(そこに)残した。 *unam ex his tribus, quas proxime conscriptas ex Italia traduxerat. **(それは)最近にイタリアから徴集されたものとして連れて来られた3個(軍団)のうちの1個である。 **:(訳注:[[#1節|1節]]を参照。イタリア Italia とはカエサルが総督であった[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。) *Ei legioni castrisque Q.(Quintum) Tullium Ciceronem praeficit ducentosque equites ei attribuit. **その[[w:ローマ軍団|軍団]]と陣営には[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]を指揮者として、200騎の騎兵を彼に割り当てた。 ===33節=== '''軍勢をカエサル、ラビエヌス、トレボニウスの三隊に分散''' *① Partito exercitu **軍隊を分配して、 *T.(Titum) Labienum cum legionibus tribus ad Oceanum versus **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]]には、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに、<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>の方へ向けて、 *in eas partes, quae Menapios attingunt, proficisci iubet; **[[w:メナピイ族|メナピイ族]]に接する地方に出発することを命じた。 *② C.(Gaium) Trebonium cum pari legionum numero **[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]には、軍団の同数とともに、 *ad eam regionem, quae Aduatucis adiacet, depopulandam mittit; **[[w:アドゥアトゥキ族|アドゥアトゥキ族]]に隣接する領域へ、荒らすために派遣した。 [[画像:Locatie-Maas-3.png|thumb|right|200px|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。]] [[画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|thumb|right|200px|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。]] *③ ipse cum reliquis tribus ad flumen [[w:la:Scaldis|Scaldim]], quod influit in [[w:la:Mosa|Mosam]], **(カエサル)自身は、残りの3個(軍団)とともに、モサ(川)に流れ込むスカルディス川のところへ、 **:(訳注:スカルディス Scaldis は現在の[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]] Schelde で、フランス北部からベルギー、オランダへ流れている。 **:モサ川 Mosa すなわち現在の[[w:マース川|マース川]] Maas とは運河でつながるが、当時の関係およびカエサルの目的地は不詳。) *extremasque Arduennae partes ire constituit, **かつ[[w:アルデンヌ|アルドゥエンナ]](の森林)の外縁の地方へ行軍することを決めた。 *quo cum paucis equitibus profectum Ambiorigem audiebat. **そこへは、アンビオリクスがわずかな騎兵たちとともに出発したと聞いていたのだ。 *④ Discedens post diem septimum sese reversurum confirmat; **(カエサルは陣営を)離れるに当たって、7日目の後(=6日後)に自分は引き返して来るであろうと断言した。 *quam ad diem ei legioni, quae in praesidio relinquebatur, deberi frumentum sciebat. **その当日には、守備に残される軍団にとって糧食が必要とされることを(カエサルは)知っていたのだ。 *⑤ Labienum Treboniumque hortatur, **(カエサルは)ラビエヌスとトレボニウスを(以下のように)鼓舞した。 *si rei publicae commodo facere possint, **もし(ローマ軍全体の)公務のために都合良く行動することができるならば、 *ad eum diem revertantur, **その日には戻って、 *ut rursus communicato consilio exploratisque hostium rationibus **再び(互いの)考えを伝達して、敵たちの作戦を探り出し、 *aliud initium belli capere possint. **次なる戦争の端緒を捉えようではないか、と。 <br> :('''訳注:カエサル麾下の軍団配分について''' :[[ガリア戦記 第5巻#8節|第5巻8節]]の記述によれば、ブリタンニアへ2度目の遠征をする前(BC54年)のカエサルは少なくとも8個軍団と騎兵4000騎を :指揮していた。[[ガリア戦記 第5巻#24節|第5巻24節]]によれば、帰還後は8個軍団および軍団から離れた5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を指揮していたが、 :アンビオリクスによる[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]らとともに1個軍団と5個大隊が壊滅したので、残りは7個軍団となる。 :[[#1節|本巻1節]]によれば、この年(BC53年)には3個軍団を新たに徴集したので、計10個軍団となったはずである。 :[[#29節|29節]]では、このうちから12個大隊をライン川に架かる橋の守備に残し、[[#32節|32節]]では輜重の守備としてアドゥアトゥカに1個軍団を残した。 :本節の記述通りにラビエヌス、トレボニウス、カエサルがそれぞれ3個軍団(計9個)を受け持ったとすると、あわせて10個軍団と12個大隊という勘定になる。 :したがって、この勘定が正しいのであれば、ライン川に残した12個大隊は各軍団から引き抜いたものであり、各軍団は定員を割っていると考えられる。) ===34節=== '''夷を以って夷を制す対エブロネス族包囲網''' *① Erat, ut supra demonstravimus, manus certa nulla, **前に説明したように、(エブロネス族には)決まった手勢がなかったし、 **:(訳注:[[#31節|31節]]を参照。) *non oppidum, non praesidium, quod se armis defenderet, **自分たちが武器で防衛するような[[w:オッピドゥム|城市]]も、防塁もなかった。 *sed in omnes partes dispersa multitudo. **けれども、あらゆる方面に大勢が分散されていた。 *② Ubi cuique aut valles abdita aut locus silvestris aut palus impedita **おのおのが、密かな峡谷、あるいは森に覆われた土地といったところに、 *spem praesidi aut salutis aliquam offerebat, consederat. **守備あるいは身の安全の何らかの希望を提供するところに、陣取っていた。 *③ Haec loca vicinitatibus erant nota, **これらの場所は、近隣の者たちは知っていたので、 **:(訳注:すなわち、近隣のガッリア人には地の利があり、ローマ人には地の利がなかったので) *magnamque res diligentiam requirebat **事態はたいへんな注意深さを必要としていた。 *non in summa exercitus tuenda **(ローマ人の)軍隊全体を守るためではなく、 *─ nullum enim poterat universis &lt;a&gt; perterritis ac dispersis periculum accidere ─, **─なぜなら、脅かされ分散されている者たちにより(ローマ軍)総勢が危険を生じることはありえなかったので─ *sed in singulis militibus conservandis; **けれども、個々の(ローマ人の)兵士たちを守ることのために(注意深さを必要としていた)。 *quae tamen ex parte res ad salutem exercitus pertinebat. **少なくとも、ある面では、そういう事態は軍隊の安全に及んでいた。 *④ Nam et praedae cupiditas multos longius evocabat, **すなわち、略奪品への欲望が多くの者たちをより遠くへ呼び寄せていたし、 *et silvae incertis occultisque itineribus confertos adire prohibebant. **森林の不確かで隠された道のりによって密集した行軍を妨げていた。 *⑤ Si negotium confici stirpemque hominum sceleratorum interfici vellent, **もし、戦役が完遂されること、および非道な連中(=エブロネス族)の血筋が滅ぼされることを欲するならば、 *dimittendae plures manus diducendique erant milites; **いくつもの部隊が分遣され、兵士たちが展開されるべきである。 *⑥ si continere ad signa manipulos vellent, ut instituta ratio et consuetudo exercitus Romani postulabat, **もし、ローマ軍が決められた流儀や慣行を要求するように、[[w:マニプルス|中隊]]が軍旗のもとにとどまることを欲するならば、 *locus ipse erat praesidio barbaris, **その場所が蛮族にとって守りとなるであろう。 *neque ex occulto insidiandi et dispersos circumveniendi **隠れたところから待ち伏せするため、分散した者たち(=ローマ兵)を包囲するために、 *singulis deerat audacia. **(エブロネス族の)おのおのにとって勇敢さには事欠かなかった。 *⑦ Ut in eiusmodi difficultatibus, quantum diligentia provideri poterat providebatur, **そのような困難さにおいては、できるかぎりの注意深さで用心されるほどに、用心されるものであるが、 *ut potius in nocendo aliquid praetermitteretur, **結果として、むしろ(敵勢への)何らかの加害は差し控えられることになった。 *etsi omnium animi ad ulciscendum ardebant, **たとえ、皆の心が(エブロネス族に)報復するために燃え立っていたとしても、 *quam cum aliquo militum detrimento noceretur. **兵士たちの何らかの損失を伴って(敵に)加害がなされるよりも。 **:(訳注:伏兵によって被害をこうむるよりは、ローマ人の安全のために、ローマ兵による攻撃は避けられた。) *⑧ Dimittit ad finitimas civitates nuntios Caesar; **カエサルは、近隣の諸部族のところへ伝令たちを分遣した。 *omnes ad se vocat spe praedae ad diripiendos Eburones, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]に対して戦利品を略奪することの望みを呼びかけた。 *ut potius in silvis Gallorum vita quam legionarius miles periclitetur, **森の中で、軍団の兵士たちよりも、むしろガッリア人たちの生命が危険にさらされるように、 *simul ut magna multitudine circumfusa **同時にまた、たいへんな大勢で取り囲むことによって、 *pro tali facinore stirps ac nomen civitatis tollatur. **(サビヌスらを滅ぼした)あれほどの罪業の報いとして、部族の血筋と名前が抹殺されるように、と。 *Magnus undique numerus celeriter convenit. **至る所から多数の者が速やかに集結した。 ==スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦== ===35節=== '''スガンブリー族が略奪に駆り立てられてアドゥアトゥカへ向かう''' *① Haec in omnibus Eburonum partibus gerebantur, **これらのこと(=追討戦)が[[w:エブロネス族|エブロネス族]]のすべての地方で遂行されていたが、 *diesque adpetebat septimus, quem ad diem Caesar ad impedimenta legionemque reverti constituerat. **カエサルがその日に[[w:輜重|輜重]]と(キケロの)[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ引き返すと決めていた7日目が近づいていた。 *② Hic quantum in bello Fortuna possit et quantos adferat casus, cognosci potuit. **ここに、戦争では運命(の女神)がどれほどのことに力を持ち、どれほどの結末を引き起こすかを知ることができた。 **:(訳注:[[#30節|30節]]でもそうだが、カエサルは戦況が芳しくないと運命 Fortuna を持ち出すようである。[[#42節|42節]]も参照。) *③ Dissipatis ac perterritis hostibus, ut demonstravimus, **(前節で)説明したように、追い散らされて、脅かされている敵たちには、 *manus erat nulla quae parvam modo causam timoris adferret. **(ローマ勢に敵を)恐れる理由を少しの程度も引き起こすようないかなる手勢もなかった。 *④ Trans Rhenum ad Germanos **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人のところへ、 *pervenit fama, diripi Eburones atque ultro omnes ad praedam evocari. **エブロネス族が収奪され、(近隣部族の)皆が略奪品へ向けて自発的に誘惑されているという風評が達した。 *⑤ Cogunt equitum duo milia Sugambri, qui sunt proximi Rheno, **レーヌスの近隣にいたスガンブリ族は、騎兵2000騎を徴集した。 *a quibus receptos ex fuga Tenctheros atque Usipetes supra docuimus. **前に説明したように、彼らによって[[w:テンクテリ族|テンクテリ族]]と[[w:ウスィペテス族|ウスィペテス族]]が逃亡から迎え入れられたのだ。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]および[[ガリア戦記 第4巻#18節|18~19節]]を参照。) *⑥ Transeunt Rhenum navibus ratibusque **(スガンブリー族は)レーヌスを船団や筏で渡河した。 *triginta milibus passuum infra eum locum, ubi pons erat perfectus praesidiumque ab Caesare relictum. **カエサルにより橋が造り上げられて守備隊が残された地点よりも下流に30ローママイル(約44km)のところを。 *Primos Eburonum fines adeunt; **手始めとしてエブロネス族の領土に殺到して、 *multos ex fuga dispersos excipiunt, **逃亡からちりぢりにさせられた多くの者たちを追い捕らえて、 *magno pecoris numero, cuius sunt cupidissimi barbari, potiuntur. **蛮族たちが最も熱望している家畜の多数をわがものにした。 *⑦ Invitati praeda longius procedunt. **(スガンブリー族の軍勢は)略奪品に誘われて、より遠くに進み出た。 *Non hos palus ─ in bello latrociniisque natos ─, non silvae morantur. **戦争や追いはぎに生まれついていたので、沼地も森林も彼らを妨げることがなかった。 *Quibus in locis sit Caesar, ex captivis quaerunt; **カエサルがどの場所にいるのか、捕虜から問い質した。 *profectum longius reperiunt omnemque exercitum discessisse cognoscunt. **(彼が)より遠くに旅立って、軍隊の総勢が立ち去ったことを、知った。 *⑧ Atque unus ex captivis "Quid vos," inquit, **なおかつ、捕虜たちのうちの一人が「なぜ、あんたたちは」と言い出した。 *"hanc miseram ac tenuem sectamini praedam, **「この取るに足らない、ちっぽけな略奪品を追い求めるのか。 **:(訳注:sectamini はデポネンティア動詞 sector の直説法・2人称複数・現在形) *quibus licet iam esse fortunatissimos? **(あんたたちは)今や、最も富裕な者に成り得るのに。 *⑨ Tribus horis Aduatucam venire potestis: **(この場所から)3時間で[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に到達できる。 **:(訳注:古代ローマの時間は、不定時法であり、当地の緯度や季節により長さは異なる。) *huc omnes suas fortunas exercitus Romanorum contulit; **ここへ、ローマ軍がすべての財産を運び集めたのだ。 *praesidii tantum est, ut ne murus quidem cingi possit, **守備隊は、城壁が取り巻かれることさえできないほどの(貧弱な)ものでしかない。 *neque quisquam egredi extra munitiones audeat." **何者も防備の外側へあえて出て行こうとはしないのだ。」 *⑩ Oblata spe Germani, **ゲルマーニア人たちは(ローマ軍の財産という)望みを提示されて、 *quam nacti erant praedam, in occulto relinquunt; **(すでにエブロネス族の者たちから)獲得していた略奪品を秘されたところに残しておいて、 *ipsi Aduatucam contendunt usi eodem duce, cuius haec indicio cognoverant. **自身は、このことを申告により知ったところの同じ(捕虜の)案内人を使役して、アドゥアトゥカに急いだ。 <br> :('''訳注:部族名・地名の表記について''' :スガンブリー族 Sugambri:α系写本では Sugambri、T・U写本では Sygambri、V・R写本では Sigambri :テンクテリ族 Tenctheri:β系写本では Tenctheri、α系写本では Thenctheri :アドゥアトゥカ Aduatuca:α系・T写本では Aduatuca、V・ρ系写本では Atuatuca) ===36節=== '''アドゥアトゥカのキケロが糧秣徴発に派兵する''' *① [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|Cicero]], qui omnes superiores dies **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は(期日の7日目)より以前の日々すべてを *praeceptis Caesaris cum summa diligentia milites in castris continuisset **カエサルの指図により、最高の入念さとともに、兵士たちを陣営の中に留めておき、 *ac ne calonem quidem quemquam extra munitionem egredi passus esset, **<ruby><rb>[[w:カロネス|軍属奴隷]]</rb><rp>(</rp><rt>カロネス</rt><rp>)</rp></ruby> でさえも、何者も防備の外側に出て行くことを許されなかった。 *septimo die diffidens de numero dierum Caesarem fidem servaturum, **(期日の)7日目に、カエサルが日数についての約束を守るであろうか、という不信を抱いた。 *quod longius eum<ref>eum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> progressum audiebat, **というのは、彼(カエサル)は、はるか遠くに前進したと聞いていたのだし、 *neque ulla de reditu eius fama adferebatur, **彼の帰還については何ら伝言を届けられていなかったからである。 *② simul eorum permotus vocibus, **同時に(キケロは)以下のような者たちの声に揺り動かされた。 *qui illius patientiam paene obsessionem appellabant, siquidem ex castris egredi non liceret, **もし本当に陣営から出て行くことが許されないならば、彼の忍耐はほぼ攻囲(籠城)であるというのだ。 *nullum eiusmodi casum exspectans, **以下のような事態を予期してもいなかった。 *quo novem oppositis legionibus maximoque equitatu, **9個[[w:ローマ軍団|軍団]]と最大限の[[w:騎兵|騎兵]]隊が(敵と)対峙して、 *dispersis ac paene deletis hostibus **敵たちは散らばらされて、ほとんど抹殺されたのに、 *in milibus passuum tribus offendi posset, **(自陣から)3ローママイルの内で(敵対勢力から)襲撃され得るとは。 [[画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|thumb|right|200px|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。]] *quinque cohortes frumentatum in proximas segetes mittit, **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を糧秣徴発するために、近隣の耕地に派遣した。 *quas inter et castra unus omnino collis intererat. **それら(の耕地)と陣営の間には、ただ一つの丘陵が介在するだけであった。 *③ Complures erant in castris<ref>in castris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ex legionibus aegri relicti; **陣営の中には、諸軍団のうちから少なからぬ傷病者たちが残留していた。 *ex quibus qui hoc spatio dierum convaluerant, circiter trecenti(CCC), **その者たちのうちから、この日々の間に回復していた約300名が、 *sub vexillo una mittuntur; **<ruby><rb>[[w:ウェクスィッルム|軍旗]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェクスィッルム</rt><rp>)</rp></ruby>のもとで一緒に派遣された。 *magna praeterea multitudo calonum, magna vis iumentorum quae in castris subsederant, **そのうえに、軍属奴隷の大多数、陣営の中に残留していた(ロバなどの)役畜の多数が、 *facta potestate sequitur. **機会を与えられて、随行した。 ===37節=== [[画像:Castra1.png|thumb|right|200px|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。]] '''スガンブリー族がキケロの陣営に襲来''' *① Hoc ipso tempore et casu Germani equites interveniunt **このまさにその時と状況に、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の[[w:騎兵|騎兵]]たちが出現して、 *protinusque eodem illo, quo venerant, cursu **さらに前方へ(彼らが)やって来たのと同じ突進でもって、 *ab decumana porta in castra inrumpere conantur, **第10大隊の門(=裏門)から陣営の中に突入することを試みた。 **:(訳注:decumana porta は[[ガリア戦記 第2巻#24節|第2巻24節]]で既出、図を参照。) *② nec prius sunt visi obiectis ab ea parte silvis, quam [[wikt:la:castrum|castris]] adpropinquarent, **その方面については森林がじゃま立てしていたので(彼らは)陣営に接近するまでは視認されなかったのだ。 *usque eo ut qui sub [[w:la:Vallum|vallo]] tenderent mercatores, recipiendi sui facultatem non haberent. **そこまで(敵が急に来たので)、防柵の下に宿営していた商人たちが退避する機会を持たなかったほどであった。 *③ Inopinantes nostri re nova perturbantur, **予感していなかった我が方は、新しい事態に混乱させられて、 *ac vix primum impetum cohors in statione sustinet. **やっとのことで[[w:歩哨|歩哨]]に就いていた[[w:コホルス|歩兵大隊]]が(敵の)最初の突撃を持ちこたえた。 *④ Circumfunduntur ex reliquis hostes partibus, si quem aditum reperire possent. **敵たちは、何らかの入口を探り出せないかと、ほかの方面から取り囲んだ。 *⑤ Aegre portas nostri tuentur; **我が方(=ローマ勢)は辛うじて(四方の)諸門を固守して、 *reliquos aditus locus ipse per se munitioque defendit. **ほかの入口を、その位置そのものと防備が(敵の突入から)防護した。 *⑥ Totis trepidatur castris, **陣営の全体が震撼させられて、 *atque alius ex alio causam tumultus quaerit; **各人がほかの者に騒乱の原因を尋ね合った。 **:(訳注:エブロネス族を追討している最中に、スガンブリー族が来襲するとは予想だにしなかったからである。) *neque quo signa ferantur, neque quam in partem quisque conveniat provident. **が、どこへ軍旗が運ばれるのか、どの方面におのおのが集結するのか、判らなかった。 *⑦ Alius iam castra capta pronuntiat, **ある者は、すでに陣営は占拠されたと公言し、 *alius deleto exercitu atque imperatore victores barbaros venisse contendit; **別のある者は、軍隊も将軍(カエサル)も滅びて蛮族が勝利者としてやって来たのだ、と断言した。 *⑧ plerique novas sibi ex loco religiones fingunt **たいていの者たちは、その場所から、新奇な迷信的感情を創り上げ、 *Cottaeque et Tituri calamitatem, qui in eodem occiderint castello, **同じ砦のところで斃れた[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|コッタ]]と[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]の敗亡を *ante oculos ponunt. **眼前に想い描いた。 *⑨ Tali timore omnibus perterritis **このような怖れによって(陣営内部の)皆が脅えており、 *confirmatur opinio barbaris, ut ex captivo audierant, nullum esse intus praesidium. **蛮族にとっては、捕虜から聞いていたように、内部に守備隊が存在していないという見解が強められた。 *⑩ Perrumpere nituntur **(スガンブリー勢は、陣営の防備を)突破することに努め、 *seque ipsi adhortantur, ne tantam fortunam ex manibus dimittant. **これほどの幸運を手から取りこぼさないように、自分たちが自身を鼓舞した。 ===38節=== '''バクルスと百人隊長たちが防戦する''' *① Erat aeger cum<ref>cum はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> praesidio relictus P.(Publius) Sextius Baculus, **(キケロの陣営には)プーブリウス・セクスティウス・バクルスが傷病者として、守備兵とともに残されていた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span> *qui primum pilum ad<ref>ad はα系写本の記述で、β系写本では apud となっている。</ref> Caesarem duxerat, **その者はカエサルのもとで<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリムス・ピルス</rt><rp>)</rp></ruby> の座に就いていたことがあり、 *cuius mentionem superioribus proeliis fecimus, **かつての戦闘で彼に言及したが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]] および [[ガリア戦記 第3巻#5節|第3巻5節]]を参照。)</span> *ac diem iam quintum cibo caruerat. **(このとき)食物を欠いてすでに5日目であった。 *② Hic diffisus suae atque omnium saluti inermis ex tabernaculo prodit; **彼は、自らと皆の身の安全に疑念を抱いて、非武装のまま天幕小屋から出て来て、 *videt imminere hostes atque in summo esse rem discrimine; **敵たちが迫って来ていること、および事態が重大な危急にあることを目の当たりにして、 *capit arma a proximis atque in porta consistit. **すぐ近くの者から武器を取って、門のところに陣取った。 *③ Consequuntur hunc centuriones eius cohortis quae in statione erat; **歩哨に立っていた(1個)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> たちが彼に追随して、 **:(訳注:1個歩兵大隊の百人隊長は、定員通りであれば、6名いた。) *paulisper una proelium sustinent. **しばらく一緒に戦闘を持ちこたえた。 *④ Relinquit animus Sextium gravibus acceptis vulneribus; **セクスティウス(・バクルス)は重い傷を受けて、気を失った。 *Deficiens<ref>deficiens はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aegre per manus tractus servatur. **(彼は)衰弱して、(味方の)手から手に運ばれて辛うじて救助された。 *⑤ Hoc spatio interposito reliqui sese confirmant **こうしてしばらくした後で、ほかの者たちは意を強くした。 *tantum, ut in munitionibus consistere audeant speciemque defensorum praebeant. **(それは)防壁にあえて陣取って、防戦者たちの姿を示したほどであった。 ===39節=== '''スガンブリー族が糧秣徴発部隊をも襲う''' *① Interim confecta frumentatione milites nostri clamorem exaudiunt; **その間に、糧秣徴発を成し遂げると、我が方の兵士たち(=ローマ軍団兵)は叫び声を聞きつけて、 *praecurrunt equites; **[[w:騎兵|騎兵]]たちが先駆けして、 *quanto res sit in periculo cognoscunt. **事態がどれほどの危険にあるかを認識した。 *② Hic vero nulla munitio est quae perterritos recipiat; **そこには、まさに、脅え上がった者たちを受け入れるような、いかなる防備もなかったのである。 *modo conscripti atque usus militaris imperiti **やっと徴集されたばかりの者たち、なおかつ兵役の経験に通じていない者たちは、 *ad tribunum militum centurionesque ora convertunt; **<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちの方へ顔を向けた。 *quid ab his praecipiatur exspectant. **彼ら(上官たち)によって何を指図されるか、待っていたのである。 *③ Nemo est tam fortis, quin rei novitate perturbetur. **新奇な事態に不安にさせられないほど勇敢な者は、誰もいなかった。 *④ Barbari signa procul conspicati oppugnatione desistunt, **蛮族たちは、(糧秣徴発隊の)軍旗を遠くから視認すると、(陣営への)攻囲を停止した。 *redisse primo legiones credunt, quas longius discessisse ex captivis cognoverant; **(彼らは)当初は、より遠くに立ち去ったことを捕虜から知っていた(ローマの)諸軍団が戻って来たと思ったが、 *postea despecta paucitate ex omnibus partibus impetum faciunt. **後には、(糧秣徴発隊の)寡勢ぶりを侮って、あらゆる方向から突撃して来た。 ===40節=== '''敵中突破して陣営へ戻る糧秣徴発部隊の明暗''' *① Calones in proximum tumulum procurrunt. **[[w:カロネス|軍属奴隷]]たちは、近隣の丘に先駆けした。 *Hinc celeriter deiecti **(彼らは)ここから、(突撃して来る敵の軍勢を眺めて)たちまち当てが外れて、 *se in signa manipulosque coniciunt; **(後方にいた)軍旗と[[w:マニプルス|歩兵中隊]]のところに身を投じた。 *eo magis timidos perterrent milites. **それゆえに、臆病な兵士たちを大いに脅かした。 [[画像:Wedge-diagram.svg|thumb|right|200px|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。]] *② Alii cuneo facto ut celeriter perrumpant, censent **(ローマ兵の)ある者たちは、速やかに(敵中を)突破するように、<ruby><rb>[[w:くさび|楔形]]</rb><rp>(</rp><rt>くさびがた</rt><rp>)</rp></ruby>隊列を形成しようと考慮した。 *─ quoniam tam propinqua sint castra, **─ 陣営がこれほどまで近隣にあるので、 *etsi pars aliqua circumventa ceciderit, at reliquos servari posse confidunt ─, **たとえ、一部の誰かが包囲されて斃れたとしても、残りの者たちは救われることが可能だと確信したのだ ─。 *③ alii ut in iugo consistant atque eundem omnes ferant casum. **別のある者たちは、(丘の)尾根に陣取って、皆が同じ命運に耐え忍ぼうと(考えた)。 *④ Hoc veteres non probant milites, quos sub vexillo una profectos docuimus. **既述したように軍旗のもとで一緒に発って来た古参兵たちは、後者(の案)を承認しなかった。 **:(訳注:[[#36節|36節]]③項で既述のように、回復した傷病兵たちが同行してきていた。) *Itaque inter se cohortati **こうして、(古参の傷病兵たちは)互いに激励し合って、 *duce C.(Gaio) Trebonio equite Romano, qui iis erat praepositus, **彼らの指揮を委ねられていたローマ人[[w:騎士|騎士階級]]のガイウス・トレボニウスを統率者として、 **:(訳注:[[#33節|33節]]で3個軍団を率いて出発した副官の[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]とは明らかに同名の別人である。) *per medios hostes perrumpunt incolumesque ad unum omnes in castra perveniunt. **敵たちの中央を突破して、一人に至るまで皆が無傷で陣営に到着した。 *⑤ Hos subsecuti calones equitesque eodem impetu militum virtute servantur. **彼らに追随して、軍属奴隷と[[w:騎兵|騎兵]]たちが同様の突撃をして、兵士たちの武勇により救われた。 *⑥ At ii qui in iugo constiterant, **それに対して(丘の)尾根に陣取った者たちは、 *nullo etiam nunc usu rei militaris percepto **今になってさえも、軍事的行動というものを把握しておらず、 *neque in eo quod probaverant consilio permanere, ut se loco superiore defenderent, **より高い場所で身を守るという、彼らが承認していた考えに留まりもせず、 *neque eam quam prodesse aliis vim celeritatemque viderant, imitari potuerunt, **(彼らが)別の者たち(=古参兵)に役立ったのを見ていたところの力と迅速さを真似することもできなかった。 *sed se in castra recipere conati iniquum in locum demiserunt. **けれども、陣営に退却することを試みたが、不利な場所に落ち込んで行った。 *⑦ Centuriones, quorum nonnulli ex inferioribus ordinibus reliquarum legionum **[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]たちといえば、彼らの少なからぬ者たちは、ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]のより低い序列から、 *virtutis causa in superiores erant ordines huius legionis traducti, **武勇のおかげで、この軍団のより高い序列に異動させられていたが、 *ne ante partam rei militaris laudem amitterent, fortissime pugnantes conciderunt. **かつて獲得した軍事的な賞賛を失わないように、とても果敢に奮戦して斃れた。 *⑧ Militum pars horum virtute **兵士たちの一部は、これら(討ち死にした百人隊長たち)の武勇により、 *submotis hostibus praeter spem incolumis in castra pervenit, **予想に反して敵たちが撃退されたので、無傷で陣営に到着した。 *pars a barbaris circumventa periit. **別の一部は、蛮族によって包囲されて、討ち死にした。 ===41節=== '''スガンブリー族の撤退、カエサルの帰還''' *① Germani desperata expugnatione castrorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちは(キケロの)[[w:カストラ|陣営]]の攻略に絶望して、 *quod nostros iam constitisse in munitionibus videbant, **というのは、我が方(ローマ勢)が防備のところに立っているのを見たからであるが、 *cum ea praeda quam in silvis deposuerant, trans Rhenum sese receperunt. **森の中にしまい込んでいた略奪品とともに、レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側に撤退した。 *② Ac tantus fuit etiam post discessum hostium terror, **敵たちの立ち去った後でさえ(ローマ勢の)畏怖はたいへんなものであったので、 *ut ea nocte, cum C.(Gaius) Volusenus missus cum equitatu ad castra venisset, **その夜に、(追討戦に)派遣されていたガーイウス・ウォルセーヌスが騎兵隊とともに陣営へ帰着したときに **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' は、[[ガリア戦記_第3巻#5節|第3巻5節]]のアルプス・オクトードゥールスの戦い、<br>    [[ガリア戦記_第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記_第4巻#23節|23節]]のブリタンニアへの先遣で既述。<br>    この後、さらに第8巻23節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#23|s]])</sub>、48節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#48|s]])</sub>でも活躍する。)</span> *fidem non faceret adesse cum incolumi Caesarem exercitu. **カエサルが無傷の軍隊とともに近くに来ていることを(陣営の残留組に)信用させなかったほどである。 *③ Sic omnino animos timor praeoccupaverat, ut paene alienata mente **ほとんど気でも違ったかのように、皆の心を怖れが占めていた。 **:(訳注:sic … ut ~ の構文;「~と同様に…である」) *deletis omnibus copiis equitatum se ex fuga recepisse dicerent **(残留者たちは、カエサルら)全軍勢が滅ぼされて、[[w:騎兵|騎兵隊]]が敗走から退いて来たのだ、と言った。 *neque incolumi exercitu Germanos castra oppugnaturos fuisse contenderent. **(カエサルら)軍隊が無傷であれば、ゲルマーニア人が陣営を襲撃しなかっただろう、と断言した。 **:(訳注:oppugnaturos fuisse ;間接話法では非現実な[[w:条件法|条件文]]の帰結は「未来分詞+fuisse」で表される。) *④ Quem timorem Caesaris adventus sustulit. **その怖れをカエサルの到着が取り除いた。 **:(訳注:sustulit は tollō の完了・能動3人称単数形) ===42節=== '''カエサルがスガンブリー族の襲来と撤退を運命に帰する''' *① Reversus ille, eventus belli non ignorans, **引き返して来た彼(カエサル)は、戦争の成り行きというものを知らないはずがないので、 *unum quod cohortes ex statione et praesidio essent emissae, **ひとつ(だけ)、<ruby><rb>[[w:コホルス|諸大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> が[[w:歩哨|歩哨]]や守備から(糧秣徴発に)派遣されたことを *questus ─ ne minimo quidem casu locum relinqui debuisse ─ **不慮の事態に対して最小限のいかなる余地も残されるべきではなかった、と嘆いた。 *multum Fortunam in repentino hostium adventu potuisse iudicavit, **不意の敵たちの到来においては運命(の女神)が大いに力を持つ、と断じた。 *② multo etiam amplius, quod paene ab ipso vallo portisque castrorum barbaros avertisset. **さらに、より一層大きかったのは、(運命が)ほとんど蛮族をその陣営の防柵と諸門から追い返してしまったことである。 *③ Quarum omnium rerum maxime admirandum videbatur, **それらのすべての事態でとりわけ驚くべきと思われたのは、 *quod Germani, qui eo consilio Rhenum transierant, ut Ambiorigis fines depopularentur, **その意図で[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]の領土を荒らすようにレヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])を渡河していた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が、 *ad castra Romanorum delati **ローマ人の陣営の方へそらされて、 *optatissimum Ambiorigi beneficium obtulerunt. **アンビオリクスに最も望ましい恩恵を施してしまったことである。 ==対エブロネス族追討戦(2)== ===43節=== '''アンビオリクスが辛うじて追討を逃れる''' *① Caesar rursus ad vexandos hostes profectus **カエサルは再び敵たちを苦しめるために出発して、 *magno coacto &lt;equitum&gt; numero ex finitimis civitatibus in omnes partes dimittit. **[[w:騎兵|騎兵]]の多数を隣接する諸部族から徴集して、あらゆる方面に派遣した。 **:(訳注:&lt;equitum&gt; 「騎兵の」は近代の校訂者による挿入である。) *② Omnes vici atque omnia aedificia quae quisque conspexerat incendebantur, **おのおのが目にしたすべての村々およびすべての建物が焼き打ちされた。 *pecora interficiebantur<ref>pecora interficiebantur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, praeda ex omnibus locis agebatur; **家畜は屠殺され、あらゆる場所から略奪品が奪い去られた。 *③ frumenta non solum tanta multitudine iumentorum atque hominum consumebantur, **役畜および人間たちのこれほど大勢により穀物が消費され尽くしたのみならず、 *sed etiam anni tempore atque imbribus procubuerant, **季節と豪雨によってさえも(穀物が)倒れた。 *ut si qui etiam in praesentia se occultassent, **その結果、もし(エブロネス族の)何者かが現状では身を隠しているとしても、 *tamen his deducto exercitu rerum omnium inopia pereundum videretur. **それでも彼らは(ローマ人の)軍隊が引き揚げれば、あらゆるものの欠乏により死滅するはずと思われた。 *④ Ac saepe in eum locum ventum est tanto in omnes partes diviso equitatu, **たいへん多くの騎兵隊があらゆる方面に分遣されて、しばしば以下のような状態に出くわした。 *ut non modo visum ab se Ambiorigem in fuga circumspicerent captivi **捕虜たちが、自分たちによって逃亡中の[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]が目撃されたと見回しただけでなく、 *nec plane etiam abisse ex conspectu contenderent, **(アンビオリクスが)視界からまったく消え去ってはいないとさえ主張した。 *⑤ ut spe consequendi inlata atque infinito labore suscepto, **その結果、(アンビオリクスを)追跡する希望がもたらされて、さらに限りない労苦が従事された。 *qui se summam ab Caesare gratiam inituros putarent, **カエサルから最高の恩恵を得ようと思った者たちは、 *paene naturam studio vincerent, **熱意により(身体的な)資質にほとんど打ち克ったが、 *semperque paulum ad summam felicitatem defuisse videretur, **いつも最高の恵みにあと少しで足りなかったと思われる。 *⑥ atque ille latebris aut silvis<ref>aut silvis はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aut saltibus se eriperet **かつ彼(アンビオリクス)は隠れ処、あるいは森林、あるいは峡谷によって自らを救い、 *et noctu occultatus alias regiones partesque peteret **夜に秘されて、別の地方や方面をめざした。 *non maiore equitum praesidio quam quattuor, **4名より多くない騎兵の護衛によって、 *quibus solis vitam suam committere audebat. **自らの生命をその者たちだけにあえて委ねたのだ。 ===44節=== '''カエサルが撤退し、造反者アッコを処刑する''' *① Tali modo vastatis regionibus **このようなやり方で(エブロネス族の)諸地域を荒廃させて、 [[画像:Porte_Mars_01.jpg|thumb|right|200px|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。]] *exercitum Caesar duarum cohortium damno [[w:la:Remi|Durocortorum]] Remorum reducit **カエサルは、2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の損失(だけ)で、軍隊を[[w:レミ族|レミ族]]の[[w:ドゥロコルトルム|ドゥロコルトルム]]に連れ戻して、 **:(訳注:ドゥロコルトルムはレミ族の首邑で、現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]] Reims である。) *concilioque in eum locum Galliae indicto **その地においてガッリアの(領袖たちの)会合を公示して、 *de coniuratione Senonum et Carnutum quaestionem habere instituit **[[w:セノネス族|セノネス族]]と[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の共謀について詮議することを決定した。 *② et de Accone, qui princeps eius consilii fuerat, **その謀計の首謀者であった[[w:アッコ (セノネス族)|アッコ]]については *graviore sententia pronuntiata more maiorum supplicium sumpsit. **より重い判決が布告され、(ローマ人の)先祖の習慣により極刑に処した。 **:(訳注:ローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|モムゼン]]は、アッコはローマの<ruby><rb>[[w:リクトル|先導吏]]</rb><rp>(</rp><rt>リクトル</rt><rp>)</rp></ruby> により[[w:斬首刑|斬首]]されたと言及している<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、p.233 を参照。</ref>。 **:外国から来た侵略者カエサルがこのような刑罰を下したことに、ガッリア人たちは憤激した。[[ガリア戦記 第7巻#1節|第7巻1節]]を参照。) *③ Nonnulli iudicium veriti profugerunt. **少なからぬ者たちは、裁判を恐れて逃走した。 *Quibus cum aqua atque igni interdixisset, **その者たちには水と火が禁じられたうえで、 **:(訳注:「水と火を禁じる」とは追放処分のことで、居住権や財産の没収などを指す。) *duas legiones ad fines Treverorum, duas in Lingonibus, **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]をトレーウェリー族の領土へ、2個(軍団)を[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](の領土)に、 *sex reliquas in Senonum finibus [[w:la:Agedincum|Agedinci]] in hibernis conlocavit **残りの6個(軍団)を[[w:セノネス族|セノネス族]]の領土の[[w:アゲディンクム|アゲディンクム]]に、冬営地に宿営させた。 **:(訳注:アゲディンクムは、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]] Sens である。) *frumentoque exercitui proviso, **軍隊の糧秣を調達してから、 *ut instituerat, in Italiam ad conventus agendos profectus est. **定めていたように、イタリアに開廷(巡回裁判)を行なうために出発した。 **:(訳注:ここで「イタリア」とはカエサルが総督を務める[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことと思われる。) ---- *<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第6巻」了。「[[ガリア戦記 第7巻]]」へ続く。</span> ==脚注== <references /> ==参考リンク== *ウィキペディア英語版・日本語版 **[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]([[w:Category:ガリアの部族|Category:ガッリアの部族]]) ***[[w:en:Eburones|Eburones]]([[w:エブロネス族|エブロネス族]]) ***[[w:en:Nervii|Nervii]]([[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]]) ***[[w:en:Senones|Senones]](セノネス族)- [[w:la:Senones|la:Senones]] ***[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌテス族) ***[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィ族]]) ****[[w:en:Lutetia|Lutetia]]([[w:ルテティア|ルテティア]]) ***[[w:en:Menapii|Menapii]](メナピイ族) ***[[w:en:Treveri|Treveri]](トレーウェリー族) ***[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]) ***[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族) ***[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族) **[[w:en:Category:Germanic peoples|Category:Germanic peoples]](ゲルマーニア人のカテゴリ) ***[[w:en:Category:Ancient Germanic peoples|Category:Ancient Germanic peoples]](古代ゲルマーニア人) ***[[w:en:Germanic peoples|Germanic peoples]](ゲルマーニア人) ***[[w:en:Ubii|Ubii]](ウビイー族) ***[[w:en:Suebi|Suebi]]([[w:スエビ族|スエービー族]]) ***[[w:en:Chatti|Chatti]](カッティー族) ***[[w:en:Cherusci|Cherusci]](ケールスキー族) ***[[w:en:Sicambri|Sicambri]](スガンブリー族) ***[[w:en:Hercynian Forest|Hercynian Forest]](ヘルキュニアの森) **地理学者・史家 ***[[w:en:Posidonius|Posidonius]]([[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]];BC135-51年頃)- [[w:la:Posidonius Apameus|la:Posidonius Apameus]] ***[[w:en:Diodorus Siculus|Diodorus Siculus]]([[w:シケリアのディオドロス|シケリアのディオドロス]];BC1世紀) - [[w:la:Diodorus Siculus|la:Diodorus Siculus]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Διόδωρος Σικελιώτης|Διόδωρος Σικελιώτης]](シケリアのディオドロス)- [[s:el:Ιστορική Βιβλιοθήκη|Ιστορική Βιβλιοθήκη]](歴史叢書)〕 ***[[w:en:Strabo|Strabo]]([[w:ストラボン|ストラボン]];BC63年頃–AD24年頃)- [[w:la:Strabo|la:Strabo]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Στράβων|Στράβων]](ストラボン) - [[s:el:Γεωγραφία|Γεωγραφία]](世界地誌)〕 ***[[w:en:Tacitus|Tacitus]]([[w:タキトゥス|タキトゥス]];56年頃–117年頃)- [[w:la:Cornelius Tacitus|la:Cornelius Tacitus]] ****[[w:en:Germania (book)|Germania (book)]]([[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア (書物)]])- [[w:la:Germania (opus 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**カエサルの副官たち ***[[w:en:Titus_Labienus|Titus Labienus]]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]])- [[w:la:Titus_Labienus|la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Trebonius|Gaius Trebonius]]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]])- [[w:la:Gaius Trebonius|la:Gaius Trebonius]] ***[[w:en:Quintus_Tullius_Cicero|Quintus Tullius Cicero]]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]] ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) *ウィクショナリー フランス語版 **[[wikt:fr:calo]](カーロー、軍属奴隷) rr0h86lgxjmluo6xz5510rs2icpr7oi 263559 263556 2024-11-16T05:26:02Z Linguae 449 /* 9節 */ 修整 263559 wikitext text/x-wiki [[Category:ガリア戦記|6]] [[ガリア戦記]]>&nbsp;'''第6巻'''&nbsp;>[[ガリア戦記 第6巻/注解|注解]] <div style="text-align:center"> <span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;C&nbsp;IVLII&nbsp;CAESARIS&nbsp;COMMENTARIORVM&nbsp;BELLI&nbsp;GALLICI&nbsp;</span> <span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;LIBER SEXTVS&nbsp;</span> </div> [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] {| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5" ! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第6巻 目次 |- | style="text-align:right; font-size: 0.86em;"| '''[[#ガッリア北部の平定|ガッリア北部の平定]]''':<br /> '''[[#第二次ゲルマーニア遠征|第二次ゲルマーニア遠征]]''':<br /> '''[[#ガッリア人の社会と風習について|ガッリア人の社会と風習について]]''':<br /> '''[[#ゲルマーニアの風習と自然について|ゲルマーニアの風習と自然について]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(1)|対エブロネス族追討戦(1)]]''':<br /> '''[[#スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦|スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(2)|対エブロネス族追討戦(2)]]''':<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> | style="text-align:left; font-size: 0.86em;"| [[#1節|01節]] | [[#2節|02節]] | [[#3節|03節]] | [[#4節|04節]] | [[#5節|05節]] | [[#6節|06節]] | [[#7節|07節]] | [[#8節|08節]] <br /> [[#9節|09節]] | [[#10節|10節]] <br /> [[#11節|11節]] | [[#12節|12節]] | [[#13節|13節]] | [[#14節|14節]] | [[#15節|15節]] | [[#16節|16節]] | [[#17節|17節]] | [[#18節|18節]] | [[#19節|19節]] | [[#20節|20節]] <br /> [[#21節|21節]] | [[#22節|22節]] | [[#23節|23節]] | [[#24節|24節]] | [[#25節|25節]] | [[#26節|26節]] | [[#27節|27節]] | [[#28節|28節]] <br /> [[#29節|29節]] | [[#30節|30節]] | [[#31節|31節]] | [[#32節|32節]] | [[#33節|33節]] | [[#34節|34節]] <br /> [[#35節|35節]] | [[#36節|36節]] | [[#37節|37節]] | [[#38節|38節]] | [[#39節|39節]] | [[#40節|40節]] | [[#41節|41節]] | [[#42節|42節]] <br/> [[#43節|43節]] | [[#44節|44節]] <br/> &nbsp;&nbsp;1節 [[#コラム「カエサルの軍団」|コラム「カエサルの軍団」]]<br> 10節 [[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」|コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」]]<br>10節 [[#コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」|コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」]]<br /> [[#脚注|脚注]]<br /> [[#参考リンク|参考リンク]]<br /> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ <div style="background-color:#dfffdf;"> ==<span style="color:#009900;">はじめに</span>== :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルは、第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])から<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>として属州総督に赴任した。が、これは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]、[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]および[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]の三属州の統治、および4個軍団を5年間にもわたって任されるというローマ史上前代未聞のものであった。これはカエサルが[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]と非公式な盟約を結んだ[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]]の成果であった。カエサルには属州の行政に従事する気持ちははじめからなく、任期のほとんどを夏季は[[w:ガリア戦争|ガッリア侵攻]]に、冬季は首都ローマへの政界工作に費やした。[[ガリア戦記_第3巻#はじめに|第3巻]]の年([[w:紀元前56年|紀元前56年]])に3人は[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の会談を行い、カエサルはクラッススとポンペイウスが翌年に執政官になること、カエサルの総督の任期をさらに5年間延長されることを求めた。会談の結果、任期が大幅に延長されることになったカエサルは、もはや軍事的征服の野望を隠そうとせず、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススが[[w:シリア属州|シュリア]]総督になること、ポンペイウスがカエサルと同様に[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の三属州の総督になって4個軍団を任されることを決める。</div> <div style="text-align:center"> {| |- |[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人の同盟はついに破綻の時を迎える。]] |} </div> :<div style="color:#009900;width:85%;">[[w:ガリア戦記 第5巻|第5巻]]の年([[w:紀元前54年|前54年]])、カエサルは満を持して二回目の[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|ブリタンニア侵攻]]を敢行するが、大した戦果は得られず、背後のガッリア情勢を気にしながら帰還する。ついに[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]率いる[[w:エブロネス族|エブローネース族]]、ついで[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]が反乱を起こし、カエサルは何とか動乱を鎮めるが、ガッリア諸部族の動きは不穏であり、カエサルは諸軍団とともに越冬することを決める。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルがブリタンニア遠征で不在の間に、ポンペイウスに嫁していたカエサルの一人娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が[[w:産褥|産褥]]で命を落とす。一方、クラッススは属州[[w:シリア属州|シュリア]]に向かうが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">本巻の年([[w:紀元前53年|前53年]])、カエサルは[[w:エブロネス族|エブローネース族]]追討戦に向かうが、これは大きな嵐の前の出来事に過ぎない。</div> </div> <!-- **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==ガッリア北部の平定== ===1節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-09-18}}</span> ;カエサルがポンペイウスの助けにより新兵を徴募する *<!--❶-->Multis de causis Caesar maiorem Galliae [[wikt:en:motus#Noun_2|motum]] [[wikt:en:exspectans|exspectans]] **多くの理由から、カエサルは、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、 *per [[wikt:en:Marcus#Latin|Marcum]] [[wikt:en:Silanus#Latin|Silanum]], [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Antistius#Latin|Antistium]] Reginum, [[wikt:en:Titus#Latin|Titum]] [[wikt:en:Sextius#Latin|Sextium]], legatos, **<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:マルクス・ユニウス・シラヌス (紀元前25年の執政官)|マールクス・スィーラーヌス]]、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌス、ティトゥス・セクスティウスを介して **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Marcus Junius Silanus (consul 25 BC)|Mārcus Iūnius Sīlānus]] はこの年([[w:紀元前53年|前53年]])からカエサルの副官、[[w:紀元前25年|前25年]]に執政官。<br>    ''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は副官として[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]と[[ガリア戦記_第7巻#90節|90節]]でも後出。<br>    [[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] はこの年からカエサルの副官、[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]でも後出、<br>     [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)</span> *[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]; **<small>(兵士の)</small>徴募を行なうことを決める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dīlēctus]] = [[wikt:en:delectus#Noun_2|dēlēctus]]「選択、徴募」)</span> :  *<!--❷-->simul ab [[wikt:en:Gnaeus#Latin|Gnaeo]] [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeio]] [[wikt:en:proconsul#Latin|proconsule]] [[wikt:en:peto#Latin|petit]], **同時に、<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]に<small>(以下のことを)</small>求める。 *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] ipse ad <u>urbem</u> cum imperio rei publicae causa [[wikt:en:remaneo#Latin|remaneret]], **<small>(ポンペイウス)</small>自身は<u>首都</u><small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の辺りに、<ruby><rb>[[w:インペリウム|軍隊司令権]]</rb><rp>(</rp><rt>インペリウム</rt><rp>)</rp></ruby>を伴って、国務のために留まっていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbs#Latin|urbs (urbem)]] は普通名詞として「都市・街」を意味するが、特に首都'''[[w:ローマ|ローマ市]]'''を指す。)</span> **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]とともに[[w:執政官|執政官]]を務め、<br>    第5巻の年(昨年=[[w:紀元前54年|前54年]])には[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の属州総督となったが、<br>    首都ローマの政局が気がかりであったため、任地には副官を派遣して、<br>    自らはローマ郊外に滞在していた。ただ彼は属州総督であったため、<br>    [[w:ポメリウム|ポメリウム]]と呼ばれるローマ市中心部に立ち入ることは禁じられていた。)</span> *quos ex [[wikt:en:cisalpinus#Latin|Cisalpina]] Gallia <u>consulis</u> [[wikt:en:sacramentum#Latin|sacramento]] [[wikt:en:rogo#Latin|rogavisset]], **[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]の内から、<ruby><rb>[[w:執政官|執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>コンスル</rt><rp>)</rp></ruby>のための宣誓を求めていた者たちに、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは執政官のときに元老院の許可を得て、<br>    カエサルの属州で、自らの属州に派遣するための4個軍団の徴募を行った。<br>    徴集された新兵たちは執政官に宣誓したようである。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega; では [[wikt:en:consulis#Noun|consulis]]「執政官の」だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]は [[wikt:en:consul#Latin|consul]]「執政官が」と修正提案している。)</span> *ad signa [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] et ad se [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iuberet]], **軍旗のもとに集まって、自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ進発することを命じるようにと。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、ポンペイウスに軍団兵の融通を求めたわけだ。<br>    ポンペイウスが執政官のときに徴募していたうちの1個軍団がカエサルに貸し出された。<br>    ところがその後、<u>第8巻54節の記述</u>によれば <ref>ラテン語文は、[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#54]] などを参照。</ref><ref>英訳は、[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_8#54]] などを参照。</ref>、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]の死後に、[[w:元老院|元老院]]は、<br>    対[[w:パルティア|パルティア]]戦争のために、カエサルとポンペイウスがそれぞれ1個軍団を供出することを可決したが、<br>    ポンペイウスはカエサルに1個軍団の返還を求めたので、<br>    カエサルは計2個軍団の引き渡しを求められることになる。<br>    このことは、[[内乱記_第1巻#2節|『内乱記』第1巻2節]]以降でも言及される。)</span> :  *<!--❸-->magni [[wikt:en:intersum#Latin|interesse]] etiam in reliquum tempus ad [[wikt:en:opinio#Latin|opinionem]] Galliae [[wikt:en:existimans#Latin|existimans]] **ガッリアの世論に対して、これから後の時期にさえも、(カエサルが)大いに重要であると考えていたのは、 *tantas videri Italiae [[wikt:en:facultas#Latin|facultates]] **(以下の程度に)イタリアの(動員)能力が豊富であると見えることである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:Italiaという語は多義的でさまざまに解釈できるが、<br>    本書ではガッリア・キサルピーナを指すことが多い。)</span> *ut, si [[wikt:en:aliquid#Etymology_2|quid]] esset in bello [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimenti]] acceptum, **もし、戦争において何がしかの(兵員の)損害を蒙ったとしても、 *non modo id [[wikt:en:brevis#Latin|brevi]] tempore [[wikt:en:sarcio#Latin|sarciri]], **それが短期間で修復(できる)だけでなく、 *sed etiam [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:augeo#Latin|augeri]] copiis posset. **より多く軍勢で増されることが可能だ<br>(とガッリアの世論に思われることが重要であるとカエサルは考えたのである)。 :  *<!--❹-->Quod cum [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeius]] et rei publicae et amicitiae [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuisset]], **そのことを、ポンペイウスは公儀<small>〔ローマ国家〕</small>のためにも(三頭政治の)盟約のためにも認めたので、 *celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] per suos [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectu]] **(カエサルの)配下の者たちを介して速やかに徴募が成し遂げられて *tribus ante [[wikt:en:exactus#Latin|exactam]] [[wikt:en:hiems#Latin|hiemem]] et [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] et [[wikt:en:adductus#Latin|adductis]] legionibus **冬が過ぎ去る前に、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]が組織されて<small>(カエサルのもとへ)</small>もたらされ、 *[[wikt:en:duplicatus#Latin|duplicato]]<nowiki>que</nowiki> earum [[wikt:en:cohors#Latin|cohortium]] numero, quas cum [[wikt:en:Quintus#Latin|Quinto]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurio]] [[wikt:en:amitto#Latin|amiserat]], **それらの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の数は、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥーリウス(・サビーヌス)]]とともに失っていたものの倍にされた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前巻でサビーヌスとコッタは1個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]](=15個歩兵大隊)を失ったが、<br>    代わりに3個軍団(=30個歩兵大隊)を得たということ。)</span> *et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] et copiis [[wikt:en:doceo#Latin|docuit]], **<small>(徴兵の)</small>迅速さと軍勢<small>(の多さ)</small>において<small>(ガッリア人たちに)</small>示したのは、 *quid populi Romani [[wikt:en:disciplina#Latin|disciplina]] atque [[wikt:en:ops#Noun_4|opes]] possent. **ローマ国民の規律と能力がいかに有力であるかということである。 {| class="wikitable" |- | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Hw-pompey.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。]] | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Theatre of Pompey 3D cut out.png|thumb|left|400px|'''[[w:ポンペイウス劇場|ポンペイウス劇場]]'''の復元図。[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]の名を冠したこの劇場は、彼が執政官であった[[w:紀元前55年|紀元前55年]]頃に竣工し、当時最大の劇場であった。<br> 伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は以下のように伝えている<ref>[[s:en:Plutarch%27s_Lives_(Clough)/Life_of_Pompey]] より</ref>:「クラッススは執政官の任期が切れるとすぐに属州へと出発したが、ポンペイウスはローマで劇場の開館式や奉献式に出席し、その式にはあらゆる競技・ショー・運動・体操・音楽などで人々を楽しませた。野獣の狩猟や餌付け、野獣との闘いもあり、500頭のライオンが殺された。しかし何よりも、象の闘いは、恐怖と驚きに満ちた見世物であった」と。<br><br> カエサルの最期の場所でもあり、血みどろのカエサルはポンペイウスの胸像の前で絶命したとされている。]] |} <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="background-color:#dfffdf;"> ===<span style="color:#009900;">コラム「カエサルの軍団」</span>=== :<div style="color:#009900;width:75%;">カエサルは第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])に三属州の総督に任官するとともに4個軍団(VI・VII・[[w:en:Legio VIII Augusta|VIII]]・[[w:en:Legio IX Hispana|IX]])を任された。[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]([[w:la:Helvetii|Helvetii]])と対峙するうちに、元老院に諮らずに独断で2個軍団([[w:en:Legio X Equestris|X]]・[[w:en:Legio XI Claudia|XI]])を徴募する(1巻10節)。<br> 第2巻の年([[w:紀元前57年|紀元前57年]])に3個軍団([[w:en:Legio XII Fulminata|XII]]・[[w:en:Legio XIII Gemina|XIII]]・[[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])を徴募して、計9個軍団。<br><br> [[ガリア戦記_第5巻#24節|『第5巻』24節]]の時点で、カエサルは8個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を保持していると記されている。最古参の第6軍団が半減していると考えると、[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]によって、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]やコッタらとともに滅ぼされたのは、第14軍団([[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])と古い第6軍団(VI)の生き残りの5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]と考えることができる。<br><br> 本巻の年([[w:紀元前53年|紀元前53年]])では、ポンペイウスの第1軍団がカエサルに譲られ、後にカエサルの軍団の番号系列に合わせて第6軍団(VI)と改称されたようだ。「第14軍団」は全滅させられたので通常は欠番にするところだが、カエサルはあえて再建して第14軍団と第15軍団が徴募され、これら3個軍団を加えると、カエサルが保持するのは計10個軍団となる。<br> もっとも本巻ではカエサルは明瞭な記述をしておらず、上述のように後に2個軍団を引き渡すことになるためか、伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は、ポンペイウスがカエサルに2個軍団を貸し出した、と説明している。 </div> </div> ===2節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2024-09-29}}</span> ;ガッリア北部の不穏な情勢、トレーウェリー族がライン川東岸のゲルマーニア人を勧誘 *<!--❶-->[[wikt:en:interfectus#Latin|Interfecto]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomaro]], ut [[wikt:en:doceo#Latin|docuimus]], **<small>([[ガリア戦記 第5巻#58節|第5巻58節]]で)</small>述べたように、インドゥーティオマールスが殺害されると、 *ad eius propinquos a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] imperium [[wikt:en:defero#Latin|defertur]]. **トレーウェリー族の者たちにより彼の縁者たちへ支配権がもたらされる。 *Illi finitimos [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitare]] et [[wikt:en:pecunia#Latin|pecuniam]] [[wikt:en:polliceor#Latin|polliceri]] non [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]]. **彼らは隣接する[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちをそそのかすこと、および金銭を約束することをやめない。 *Cum ab proximis [[wikt:en:impetro#Latin|impetrare]] non possent, [[wikt:en:ulterior#Latin|ulteriores]] [[wikt:en:tempto#Latin|temptant]]. **たとえ隣人たちによって(盟約を)成し遂げることができなくても、より向こう側の者たちに試みる。 :  *<!--❷-->[[wikt:en:inventus#Latin|Inventis]] [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullis]] civitatibus **少なからぬ部族国家を見出して *[[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] inter se [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmant]] **互いに誓約し合って(支持を)固め、 *obsidibusque de pecunia [[wikt:en:caveo#Latin|cavent]]; **金銭(の保証)のために人質たちを提供する。 *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] sibi [[wikt:en:societas#Latin|societate]] et [[wikt:en:foedus#Latin|foedere]] [[wikt:en:adiungo#Latin|adiungunt]]. **[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]を自分たちにとっての連合や同盟に加盟させる。 :  *<!--❸-->Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]] Caesar, **それらの事情を知るや、カエサルは、 *cum undique bellum [[wikt:en:paro#Latin|parari]] videret, **至る所で戦争が準備されていることを見ていたので、 *[[wikt:en:Nervii#Latin|Nervios]], [[wikt:en:Aduatuci#Latin|Atuatucos]] ac [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:adiunctus#Participle|adiunctis]] **(すなわち)[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]、アトゥアトゥキー族とメナピイー族を加盟させたうえに *<u>Cisrhenanis</u> omnibus <u>[[wikt:en:Germanus#Noun|Germanis]]</u> esse in armis, **レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>のこちら側のすべてのゲルマーニア人たちが武装していて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) は西岸部族の総称。<br>    ''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族) の対義語で、<br>     西岸の諸部族が東岸の諸部族を招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> *[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] ad [[wikt:en:imperatum#Latin|imperatum]] non venire **セノネース族は<small>(カエサルから)</small>命令されたことに従わずに *et cum [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]] finitimisque civitatibus consilia [[wikt:en:communico#Latin|communicare]], **カルヌーテース族および隣接する諸部族とともに謀計を共有しており、 *a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] crebris [[wikt:en:legatio#Latin|legationibus]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitari]], **ゲルマーニア人たちがたびたびトレーウェリー族の使節団によってそそのかされていたので、 *[[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] sibi de bello [[wikt:en:cogitandus#Latin|cogitandum]] [[wikt:en:puto#Latin|putavit]]. **<small>(カエサルは)</small>自分にとって<small>(例年)</small>より早めに戦争を計画するべきだと見なした。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===3節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2024-10-06}}</span> ;カエサルがネルウィイー族を降し、ガッリアの領袖たちの会合を召集する *<!--❶-->Itaque [[wikt:en:nondum#Latin|nondum]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]] **<small>(カエサルは)</small>こうして、まだ冬が終わらないうちに、 *proximis quattuor [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] legionibus **近隣の4個[[w:ローマ軍団|軍団]]を集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記_第5巻#52節|第5巻52節]]で言及されたように、カエサルは、本営を置いていた<br>    サマロブリーウァ(現在の[[w:アミアン|アミアン]])周辺の冬営に3個軍団、<br>    およびファビウスの軍団を配置していたと思われる。)</span> *[[wikt:en:de_improviso#Latin|de improviso]] in fines [[wikt:en:Nervii#Latin|Nerviorum]] [[wikt:en:contendo#Latin|contendit]] **不意に[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]の領土に急いだ。 :  *<!--❷-->et, [[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] illi aut [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] aut [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]] possent, **そして、彼ら<small>(の軍勢)</small>は、集結したり、あるいは逃亡したりできるより前に、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:captus#Latin|capto]] **家畜たちおよび人間たちの多数を捕らえて、 *atque ea [[wikt:en:praeda#Latin|praeda]] militibus [[wikt:en:concessus#Participle|concessa]] **それらの戦利品を兵士たちに譲り、 *[[wikt:en:vastatus#Latin|vastatis]]<nowiki>que</nowiki> agris **耕地を荒らして、 *in [[wikt:en:deditio#Latin|deditionem]] venire atque obsides sibi dare [[wikt:en:cogo#Latin|coegit]]. **<small>(ネルウィイー族に、ローマ勢へ)</small>降伏すること、人質たちを自分<small>〔カエサル〕</small>に供出することを強いた。 :  *<!--❸-->Eo celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] [[wikt:en:negotium#Latin|negotio]] **その戦役は速やかに成し遂げられたので、 *rursus in [[wikt:en:hibernum#Latin|hiberna]] legiones [[wikt:en:reduco#Latin|reduxit]]. **再び諸軍団を冬営に連れ戻した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:本営を置いていたサマロブリーウァ周辺の冬営。)</span> :  *'''ガッリアの領袖たちの会合''' *<!--❹-->[[wikt:en:concilium#Latin|Concilio]] Galliae primo [[wikt:en:ver#Latin|vere]], ut [[wikt:en:instituo#Latin|instituerat]], [[wikt:en:indictus#Participle|indicto]], **ガッリアの<small>(領袖たちの)</small>会合を、定めていたように、春の初めに通告すると、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:会合の集合場所は、当初は本営のあるサマロブリーウァだったであろう。)</span> *cum reliqui praeter [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]]<nowiki>que</nowiki> venissent, **[[w:セノネス族|セノネース族]]、カルヌーテース族とトレーウェリー族を除いて、ほかの者たちは(会合に)現われていたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ガッリア北部では、このほかエブローネース族とメナピイー族が参加していないはずである。)</span> *initium belli ac [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] hoc esse [[wikt:en:arbitratus#Latin|arbitratus]], **このこと<span style="color:#009900;">〔3部族の不参加〕</span>は戦争と背反の始まりであると思われて、 *ut omnia [[wikt:en:postpono#Latin|postponere]] videretur, **<small>(他の)</small>すべて<small>(の事柄)</small>を後回しにすることと見なされるように、 *[[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:Lutetia#Latin|Lutetiam]] [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisiorum]] [[wikt:en:transfero#Latin|transfert]]. **会合を[[w:パリシイ族|パリースィイー族]]の(城塞都市である)[[w:ルテティア|ルーテーティア]]に移す。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ルーテーティア Lutetia は、写本によってはルーテーキア Lutecia とも表記されている。<br>    ラテン語では Lutetia Parisiorum「パリースィイー族の泥土」と呼ばれ、現在の[[w:パリ|パリ市]]である。<br>    [[w:ストラボン|ストラボーン]]などによれば[[w:ケルト語|ケルト語]]でルコテキア Lukotekia と呼ばれていたらしい。)</span> :  ;   セノネース族について [[画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|thumb|right|200px|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)]] *<!--❺-->[[wikt:en:confinis#Latin|Confines]] erant hi [[wikt:en:Senones#Latin|Senonibus]] **彼ら<small>〔パリースィイー族〕</small>はセノネース族に隣接していて、 *civitatemque patrum memoria [[wikt:en:coniungo#Latin|coniunxerant]], **父祖の伝承では<small>(セノネース族と一つの)</small>部族として結びついていた。 *sed ab hoc consilio [[wikt:en:absum#Latin|afuisse]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabantur]]. **しかし<small>(パリースィイー族は)</small>これらの謀計には関与していなかったと考えられていた。 :  *<!--❻-->Hac re pro [[wikt:en:suggestus#Latin|suggestu]] [[wikt:en:pronuntiatus#Latin|pronuntiata]] **<small>(カエサルは)</small>この事を演壇の前で宣言すると、 *eodem die cum legionibus in [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **同日に諸軍団とともにセノネース族のところに出発して、 *magnisque itineribus eo [[wikt:en:pervenio#Latin|pervenit]]. **強行軍でもってそこに到着した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===4節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2024-10-09}}</span> ;セノネース族のアッコーが造反するが、カエサルはセノネース族とカルヌーテース族を降伏させる *<!--❶-->[[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]], **彼<small>〔カエサル〕</small>の到来を知ると、 *[[wikt:en:Acco#Latin|Acco]], qui princeps eius consilii fuerat, **その画策の首謀者であった<small>(セノネース族の)</small>'''アッコー''' は、 *[[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]] in oppida multitudinem [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]]. **群衆に諸[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に集結することを命じる。 :  *[[wikt:en:conans#Latin|Conantibus]], [[wikt:en:priusquam|prius quam]] id [[wikt:en:effici|effici]] posset, [[wikt:en:adsum#Latin|adesse]] Romanos [[wikt:en:nuntio#Verb|nuntiatur]]. **そのことが遂行され得るより前に、ローマ人が接近していることが、企てている者たちに報告される。 :  *<!--❷-->Necessario [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]] **<small>(セノネース族は)</small>やむなく<small>(カエサルへの謀反の)</small>意図を思いとどまって、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:necessario#Adverb|necessāriō]] = [[wikt:en:necessarie#Adverb|necessāriē]]「やむを得ず」)</span> *legatosque [[wikt:en:deprecor#Latin|deprecandi]] causa ad Caesarem mittunt; **<small>(恩赦を)</small>嘆願するために、使節たちをカエサルのもとへ遣わして、 *<u>adeunt</u> per [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduos]], quorum [[wikt:en:antiquitus|antiquitus]] erat in fide civitas. **部族国家が昔から<small>(ローマ人に対して)</small>忠実であった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を介して、頼み込む。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この部分は、セノネース族がハエドゥイー族の庇護下にあったように訳されることも多いが、<br>    [[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]における両部族とローマ人の関係の記述を考慮して、上のように訳した<ref>[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_6#4|英語版ウィキソース]]では「they make advances to him through the Aedui, whose state was from ancient times under the protection of Rome.」と英訳されている。</ref>。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:de:adire|adeō]]「(誰かに)アプローチする」「(誰かに)頼る、頼む、懇願する」<ref>[https://www.frag-caesar.de/lateinwoerterbuch/adeo-uebersetzung-1.html adeo-Übersetzung im Latein Wörterbuch]</ref>)</span> :  *<!--❸-->Libenter Caesar [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] dat [[wikt:en:venia#Latin|veniam]] **カエサルは、懇願するハエドゥイー族に対して、喜んで<small>(セノネース族への)</small>恩赦を与え、 *[[wikt:en:excusatio#Latin|excusationem]]<nowiki>que</nowiki> accipit, **<small>(セノネース族の)</small>弁解を受け入れる。 *quod [[wikt:en:aestivus#Latin|aestivum]] tempus [[wikt:en:instans#Latin|instantis]] belli, **というのは、夏の時季は差し迫っている<small>(エブローネース族らとの)</small>戦争のためのものであり、 *non [[wikt:en:quaestio#Latin|quaestionis]] esse [[wikt:en:arbitror#Latin|arbitrabatur]]. **<small>(謀反人に対する)</small>尋問のためのものではないと<small>(カエサルが)</small>判断していたからである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:エブローネース族との戦争が終わった後に、謀反人への尋問が行なわれることになる。[[#44節|44節]]参照。)</span> :  *<!--❹-->Obsidibus [[wikt:en:imperatus#Latin|imperatis]] centum, **<small>(カエサルは)</small>100人の人質<small>(の供出)</small>を命令すると、 *hos Haeduis [[wikt:en:custodiendus#Latin|custodiendos]] [[wikt:en:trado#Latin|tradit]]. **彼ら<small>〔人質たち〕</small>を監視するべく[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に引き渡す。 :  *<!--❺-->[[wikt:en:eodem#Adverb|Eodem]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] legatos obsidesque [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]], **ちょうどそこに、カルヌーテース族が使節たちと人質たちを遣わして、 *[[wikt:en:usus#Participle|usi]] [[wikt:en:deprecator#Latin|deprecatoribus]] [[wikt:en:Remi#Proper_noun_3|Remis]], quorum erant in [[wikt:en:clientela#Latin|clientela]]; **<small>(カルヌーテース族が)</small><ruby><rb>[[w:クリエンテス|庇護]]</rb><rp>(</rp><rt>クリエンテーラ</rt><rp>)</rp></ruby>を受ける関係にあったレーミー族を<ruby><rb>助命仲介者</rb><rp>(</rp><rt>デープレカートル</rt><rp>)</rp></ruby>として利用して、 *eadem ferunt [[wikt:en:responsum#Latin|responsa]]. **<small>(セノネース族のときと)</small>同じ返答を獲得する。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:perago#Latin|Peragit]] [[wikt:en:concilium#Noun|concilium]] Caesar **カエサルは<small>(ガッリア諸部族の領袖たちの)</small>会合を完了して、 *equitesque [[wikt:en:impero#Latin|imperat]] civitatibus. **[[w:騎兵|騎兵]]たち<small>(の供出)</small>を諸部族に命令する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===5節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2024-10-10}}</span> ;アンビオリークスへの策を練り、メナピイー族へ向かう *<!--❶-->Hac parte Galliae [[wikt:en:pacatus#Latin|pacata]], **ガッリアのこの方面が平定されたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#3節|3節]]~[[#4節|4節]]でネルウィイー族、セノネース族とカルヌーテース族がカエサルに降伏したことを指す。)</span> *totus et mente et animo in bellum [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] et [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigis]] [[wikt:en:insisto#Latin|insistit]]. **<small>(カエサルは)</small>全身全霊をかけて、トレーウェリー族と[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]との戦争に着手する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totus et [[wikt:en:mens#Latin|mente]] et [[wikt:en:animus#Latin|animo]] 「全身全霊をかけて」''with all his heart and soul'' )</span> :  *<!--❷-->[[wikt:en:Cavarinus#Latin|Cavarinum]] cum equitatu [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:secum#Latin|secum]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **カウァリーヌスに、セノネース族の[[w:騎兵|騎兵]]隊を伴って、自分<small>〔カエサル〕</small>とともに出発することを命じる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:de:Cavarinus|Cavarinus]]'' は、[[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]で前述のように、<br>    カエサルにより王位に据えられていたが、独立主義勢力により追放された。)</span> *ne [[wikt:en:aliquis#Latin|quis]] <u>aut</u> ex huius [[wikt:en:iracundia#Latin|iracundia]] <u>aut</u> ex eo, quod [[wikt:en:mereo#Latin|meruerat]], [[wikt:en:odium#Latin|odio]] civitatis [[wikt:en:motus#Noun_2|motus]] [[wikt:en:exsistat|exsistat]]. **彼の激しやすさから、<u>あるいは</u>彼が招来していた反感から、部族国家の何らかの動乱が起こらないようにである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節でアッコーら独立主義者たちがカエサルに降伏して、<br>    カウァリーヌスが王位に戻されたために、<br>    部族内で反感をかっていたのであろう。)</span> :  *<!--❸-->His rebus [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]], **これらの事柄が取り決められると、 *quod pro explorato habebat, [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] non esse <u>concertaturum</u>, **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が戦闘で激しく争うつもりではないことを、確実と見なしていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pro#Latin|pro]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorato]] = [[wikt:en:exploratus#Latin|exploratum]]「確かなものとして(''as certain'')」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系(A・Q)およびL・N写本では non esse <u>[[wikt:en:concertaturum|concertaturum]]</u>「激しくつもりではないこと」だが、<br>         &beta;系写本では non esse <u>[[wikt:en:contenturum|contenturum]]</u><br>         B・M・S写本では non esse <u>concertaturum [[wikt:en:tenturum|tenturum]]</u> となっている。)</span> *reliqua eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] animo [[wikt:en:circumspicio#Latin|circumspiciebat]]. **彼<small>〔アンビオリークス〕</small>のほかの計略に思いをめぐらせていた。 :  ;   カエサルがメナピイー族の攻略を決意 *<!--❹-->Erant [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] propinqui [[wikt:en:Eburones#Latin|Eburonum]] finibus, **メナピイー族は[[w:エブロネス族|エブローネース族]]の領土に隣り合っていて、 *[[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|muniti]], **絶え間ない沼地と森林によって守られており、 *qui uni ex Gallia de pace ad Caesarem legatos [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]. **彼らは[[w:ガリア|ガッリア]]のうちでカエサルのもとへ講和の使節たちを決して遣わさなかった唯一の者たちであった。 :  *Cum his esse [[wikt:en:hospitium#Latin|hospitium]] [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigi]] [[wikt:en:scio#Latin|sciebat]]; **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が彼らのもとで歓待されていることを知っていたし、 *item per [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venisse Germanis in [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitiam]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoverat]]. **同様にトレーウェリー族を通じて[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人と盟約を結んだことも探知していた。 :  *<!--❺-->Haec <u>prius</u> illi [[wikt:en:detrahendus#Latin|detrahenda]] auxilia [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]] <u>quam</u> ipsum bello [[wikt:en:lacesso#Latin|lacesseret]], **<ruby><rb>彼奴</rb><rp>(</rp><rt>あやつ</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔アンビオリークス〕</small>へのこれらの支援は、彼奴自身に戦争で挑みかかる<u>より前に</u>引き離されるべきだと考えていた。 *ne [[wikt:en:desperatus#Latin|desperata]] [[wikt:en:salus#Latin|salute]] **<small>(アンビオリークスが)</small>身の安全に絶望して、 *<u>aut</u> se in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:abdo#Latin|abderet]], **<u>あるいは</u>メナピイー族のところに身を隠したりしないように、 *<u>aut</u> cum [[wikt:en:Transrhenanus#Latin|Transrhenanis]] [[wikt:en:congredior#Latin|congredi]] [[wikt:en:cogo#Latin|cogeretur]]. **<u>あるいは</u>レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>の向こう側の者たちと合同することを強いられないように、である。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族)を<br>    ''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) が<br>    招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> :  *<!--❻-->Hoc [[wikt:en:initus#Participle|inito]] consilio, **この計略を決断すると、 *[[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] exercitus [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]] ad [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:mitto#Latin|mittit]] **<small>(カエサルは)</small>全軍の[[w:輜重|輜重]]を、トレーウェリー族のところにいる[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]のもとへ送り、 *duasque ad eum legiones [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]; **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に彼<small>〔ラビエーヌス〕</small>のもとへ出発することを命じる。 :  *ipse cum legionibus [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]] quinque in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身は軽装の5個軍団とともにメナピイー族のところに出発する。 :  *<!--❼-->Illi, [[wikt:en:nullus#Adjective|nulla]] [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]], **あの者らは、何ら手勢を集めず、 *loci [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] [[wikt:en:fretus#Adjective|freti]], **地勢の要害を信頼して、 *in [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:palus#Latin|paludes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:confugio#Latin|confugiunt]] **森林や沼地に避難して、 *[[wikt:en:suus#Latin|sua]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eodem#Adverb|eodem]] [[wikt:en:confero#Latin|conferunt]]. **自分たちの家財を同じところに運び集める。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===6節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2024-10-20}}</span> ;メナピイー族がついにカエサルの軍門に降る *<!--❶-->Caesar, **カエサルは、 *[[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] copiis cum [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaio]] [[wikt:en:Fabius#Latin|Fabio]] legato et [[wikt:en:Marcus#Latin|Marco]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crasso]] [[wikt:en:quaestor#Latin|quaestore]] **[[w:レガトゥス|副官]]である[[w:ガイウス・ファビウス|ガーイウス・ファビウス]]と[[w:クァエストル|財務官]]である[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス (財務官)|マールクス・クラッスス]]とともに軍勢を分配して、 *celeriterque [[wikt:en:effectus#Participle|effectis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]] **速やかに橋梁を造って、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:橋梁は軽装の軍団兵が沼地を渡るためのものなので、丸太道のようなものであろうか。)</span> *[[wikt:en:adeo#Verb|adit]] [[wikt:en:tripertito|tripertito]], **三方面から<small>(メナピイー族の領土に)</small>接近して、 [[画像:GallischeHoeve.jpg|thumb|right|200px|復元されたメナピイー族の住居(再掲)]] *[[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incendo#Latin|incendit]], **建物や村々を焼き討ちして、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:potior#Latin|potitur]]. **家畜や人間の多数を<small>(戦利品として)</small>獲得する。 :  *<!--❷-->Quibus rebus [[wikt:en:coactus#Participle|coacti]] **そのような事態に強いられて、 *[[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] legatos ad eum [[wikt:en:pax#Latin|pacis]] [[wikt:en:petendus#Latin|petendae]] causa [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]]. **メナピイー族は和平を求めるための使節たちを彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ遣わす。 :  *<!--❸-->Ille [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]], **彼<small>〔カエサル〕</small>は人質たちを受け取ると、 *hostium se [[wikt:en:habiturus#Latin|habiturum]] numero [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmat]], si aut [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] aut eius legatos finibus suis [[wikt:en:recipio#Latin|recepissent]]. **もし[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]か彼の使節を自領に迎え入れたら、自分は<small>(メナピイー族を)</small>敵として見なすだろうと断言する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:属格の名詞 + numero「〜として」) :  *<!--❹-->His [[wikt:en:confirmatus#Latin|confirmatis]] rebus, **これらの事柄を確立すると、 *[[wikt:en:Commius#Latin|Commium]] [[wikt:en:Atrebas#Latin|Atrebatem]] cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:custos#Latin|custodis]] loco in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] [[wikt:en:relinquo#Latin|relinquit]]; **アトレバーテース族である[[w:コンミウス|コンミウス]]を[[w:騎兵|騎兵]]隊とともに、目付け役として、メナピイー族のところに残す。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、カエサルがアトレバテース族の王にすえて、ブリタンニア遠征の先導役として遣わし、<br>    カッスィウェッラウヌスの降伏の仲介を</span>果たしていた。[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・27節や[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]などを参照。) *ipse in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身はトレーウェリー族のところに出発する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===7節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2024-10-27}}</span> [[画像:Titelberg_01.jpg|thumb|right|200px|トレーウェリー族の城砦跡(再掲)]] ;トレーウェリー族の開戦準備、ラビエーヌスの計略 *<!--❶-->Dum haec a Caesare [[wikt:en:gero#Latin|geruntur]], **これらのことがカエサルによって遂行されている間に、 *[[wikt:en:Treveri#Latin|Treveri]] magnis [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]] [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> copiis **トレーウェリー族は、[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の大軍勢を徴集して、 *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] cum una legione, quae in eorum finibus <u>[[wikt:en:hiemo#Latin|hiemaverat]]</u>, **彼らの領土において越冬していた1個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:hiemaverat|hiemaverat]] <small>(過去完了形)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:hiemabat|hiemabat]] <small>(未完了過去形)</small> などとなっている。)</span> *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] [[wikt:en:paro#Latin|parabant]], **襲撃することを準備していた。 :  *<!--❷-->iamque ab eo non longius [[wikt:en:biduum#Latin|bidui]] via [[wikt:en:absum#Verb|aberant]], **すでに、そこ<small>〔ラビエーヌスの冬営〕</small>から2日間の道のりより遠く離れていなかったが、 *cum duas venisse legiones [[wikt:en:missus#Noun_2|missu]] Caesaris [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscunt]]. **そのときに、カエサルが派遣した2個軍団が到着したことを知る。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]で既述のように、カエサルはラビエーヌスのところへ全軍の輜重と2個軍団を派遣していた。<br>    こうして、ラビエーヌスはローマ全軍の輜重と3個軍団を任されることになった。) :  *<!--❸-->[[wikt:en:positus#Latin|Positis]] <u>castris</u> a milibus passuum [[wikt:en:quindecim#Latin|quindecim]](XV) **<small>(トレーウェリー勢は、ラビエーヌスの冬営から)</small>15ローママイルのところに<u>野営地</u>を設置して、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、15マイルは約22 km)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:カストラ|カストラ]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] という語はローマ勢の行軍中の野営地や常設の宿営地に用いられ、<br>    非ローマ系部族の野営地に用いられることは稀である。)</span> *auxilia [[wikt:en:Germani#Latin|Germanorum]] [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituunt]]. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の援軍を待つことを決める。 :  *<!--❹-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] hostium [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]] consilio **ラビエーヌスは、敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>の計略を知ると、 *[[wikt:en:sperans#Latin|sperans]] [[wikt:en:temeritas#Latin|temeritate]] eorum [[wikt:en:fore#Etymology_2_2|fore]] [[wikt:en:aliqui#Latin|aliquam]] [[wikt:en:dimico#Latin|dimicandi]] facultatem, **彼らの無謀さにより何らかの争闘する機会が生ずるであろうと期待して、 *[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] quinque(V) cohortium [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:relictus#Latin|relicto]] **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の守備隊を[[w:輜重|輜重]]のために残し、 *cum XXV(viginti quinque) cohortibus magnoque [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatu]] contra hostem [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **25個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>および多勢の騎兵隊とともに、敵に抗して進発する。 *et mille passuum [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]] spatio castra [[wikt:en:communio#Latin|communit]]. **<small>(トレーウェリー勢から)</small>1ローママイルの間隔を置いて、[[w:カストラ|陣営]]<small>〔野営地〕</small>を固める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 km)</span> :  *<!--❺-->Erat inter [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] atque hostem [[wikt:en:difficilis#Latin|difficili]] [[wikt:en:transitus#Latin|transitu]] flumen [[wikt:en:ripa#Latin|ripis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:praeruptus#Adjective|praeruptis]]. **ラビエーヌスと敵の間には、渡ることが困難な川が、急峻な岸とともにあった。 *Hoc <u>neque</u> ipse [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] habebat in animo **これを<small>(ラビエーヌス)</small>自身は渡河するつもりではなかったし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ habeo in animo「~するつもりである」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~, neque …「~でもないし、…でもない」)</span> *<u>neque</u> hostes [[wikt:en:transiturus#Latin|transituros]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]]. **敵勢も渡河して来ないであろうと<small>(ラビエーヌスは)</small>考えていた。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:augeo#Latin|Augebatur]] auxiliorum [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] spes. **<small>(トレーウェリー勢にとって、ゲルマーニア人の)</small>援軍への期待は日ごとに増されるばかりであった。 *[[wikt:en:loquor#Latin|Loquitur]] <u>in consilio</u> [[wikt:en:palam#Adverb|palam]]: **<small>(ラビエーヌスは)</small>会議において公然と<small>(以下のように)</small>述べる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega;では in [[wikt:en:consilio|consilio]] だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]] は in [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] と修正提案し、<br>         Hecker は [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] と修正提案している。)</span> *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]] [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:dico#Latin|dicantur]], **ゲルマーニア人<small>(の軍勢)</small>が近づいていることが言われているので、 *sese suas exercitusque fortunas in [[wikt:en:dubium#Noun|dubium]] non [[wikt:en:devocaturus#Latin|devocaturum]] **自分は自らと軍隊の命運を不確実さの中に引きずり込むことはないであろうし、 *et postero die prima luce castra [[wikt:en:moturus#Latin|moturum]]. **翌日の夜明けには陣営を引き払うであろう。 :  *<!--❼-->Celeriter haec ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]], **これら<small>(のラビエーヌスの発言)</small>は速やかに敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>のもとへ報じられたので、 *ut ex magno Gallorum equitum numero [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullos]] <u>Gallos</u> [[wikt:en:gallicus#Latin|Gallicis]] rebus [[wikt:en:faveo#Latin|favere]] natura [[wikt:en:cogo#Latin|cogebat]]. **ガッリア人の境遇を想う気質が、<small>(ローマ側)</small>ガッリア人騎兵の多数のうちの若干名を励ましていたほどである。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallos]] は &alpha;系写本の記述で、&beta;系写本では欠く。)</span> :  *<!--❽-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], noctu tribunis militum primisque ordinibus <u>convocatis</u>, **ラビエーヌスは、夜間に<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちと第一序列(の[[w:ケントゥリオ|百人隊長]])たちを召集すると、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1個軍団当たりの<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby> の定員は計6名。<br>    第一序列の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たち primorum ordinum centuriones は、軍団内における[[w:下士官|下士官]]のトップであり、<br>     第一<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> においては定員5名だが、<br>     ほかの歩兵大隊においては定員6名であった。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] などとなっている。)</span> *quid sui sit consilii, [[wikt:en:propono#Latin|proponit]] **自分の計略がいかなるものであるかを呈示して、 *et, quo facilius hostibus [[wikt:en:timor#Latin|timoris]] [[wikt:en:det#Latin|det]] [[wikt:en:suspicio#Noun|suspicionem]], **それ<small>〔計略〕</small>によって、よりたやすく敵勢に<small>(ローマ勢の)</small>恐怖心という推測を起こすべく、 *maiore [[wikt:en:strepitus#Latin|strepitu]] et [[wikt:en:tumultus#Latin|tumultu]], quam populi Romani fert [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudo]] **ローマ国民の習慣が引き起こすよりもより大きな騒音や喧騒をもって *castra [[wikt:en:moveo#Latin|moveri]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]. **陣営を引き払うことを命じる。 *His rebus fugae [[wikt:en:similis#Latin|similem]] [[wikt:en:profectio#Latin|profectionem]] [[wikt:en:efficio#Latin|effecit]]. **<small>(ラビエーヌスは)</small>これらの事によって、逃亡に似た進発を実現した。 :  *<!--❾-->Haec quoque per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] **これらのこともまた、<small>(トレーウェリー勢の)</small>斥候たちを通じて、 *ante [[wikt:en:lux#Latin|lucem]] in tanta [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitate]] castrorum ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]]. **夜明け前には、陣営のこれほどの近さにより、敵勢へ報じられる。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===8節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2024-10-28}}</span> ;ラビエーヌスがトレーウェリー族を降す :  ;   トレーウェリー勢が、渡河してラビエーヌスの軍勢に攻めかかろうとする *<!--❶-->[[wikt:en:vix#Latin|Vix]] [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:novissimus#Latin|novissimum]] extra [[wikt:en:munitio#Latin|munitiones]] [[wikt:en:procedo#Latin|processerat]], **<small>(ローマ勢の)</small>行軍隊列の最後尾が防塁の外側にほぼ進み出ようとしていた、 *cum Galli [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortati]] inter se, ne [[wikt:en:speratus#Latin|speratam]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] ex manibus [[wikt:en:dimitto#Latin|dimitterent]] **そのときにガッリア人たちは、期待していた戦利品を<small>(彼らの)</small>手から逸しないように、互いに鼓舞し合って、 *── longum esse, [[wikt:en:perterritus#Latin|perterritis]] Romanis [[wikt:en:Germani#Proper_noun|Germanorum]] auxilium [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]]; **── ローマ人が<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ているのに、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の支援を待つことは悠長なものである。 *neque suam [[wikt:en:patior#Latin|pati]] [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitatem]], **<small>(以下のことは)</small>自分たちの尊厳が耐えられない。 *ut [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] copiis [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:exiguus#Latin|exiguam]] manum, praesertim [[wikt:en:fugiens#Latin|fugientem]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impeditam]], **これほどの大軍勢で<small>(ローマの)</small>それほどの貧弱な手勢を、特に逃げ出して<small>(荷物で)</small>妨げられている者たちを *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] non [[wikt:en:audeo#Latin|audeant]] ── **あえて襲撃しないとは──<small>(と鼓舞し合って)</small> *flumen [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] et iniquo loco [[wikt:en:committo#Latin|committere]] proelium non [[wikt:en:dubito#Latin|dubitant]]. **川を渡って<small>(切り立った岸を登りながら)</small>不利な場所で交戦することをためらわない。 :  ;   ラビエーヌス勢が怖気を装いながら、そろりそろりと進む *<!--❷-->Quae fore [[wikt:en:suspicatus#Latin|suspicatus]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], **こうしたことが生じるであろうと想像していた[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、 *ut omnes citra flumen [[wikt:en:elicio#Latin|eliceret]], **<small>(敵の)</small>総勢を川のこちら側に誘い出すように、 *[[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:usus#Participle|usus]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] itineris **行軍の同じ見せかけを用いて、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で語られたように、<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>て今にも逃げ出しそうな風に装いながらの行軍。)</span> *[[wikt:en:placide#Adverb|placide]] [[wikt:en:progredior#Latin|progrediebatur]]. **穏やかに前進していた。 :  ;   ラビエーヌスが全軍の兵を叱咤激励する *<!--❸-->Tum [[wikt:en:praemissus#Latin|praemissis]] paulum impedimentis **それから、[[w:輜重|輜重]]<small>(の隊列)</small>を少し先に遣わして、 *atque in [[wikt:en:tumulus#Latin|tumulo]] [[wikt:en:quidam#Adjective|quodam]] [[wikt:en:collocatus#Latin|conlocatis]], **とある高台に配置すると、 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>&nbsp;[[wikt:en:habetis|Habetis]],<span style="color:#009900;">»</span></span> [[wikt:en:inquam#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>milites, quam [[wikt:en:petistis|petistis]], [[wikt:en:facultas#Latin|facultatem]]; </span> **<small>(ラビエーヌスは)</small>「兵士らよ、<small>(諸君は)</small>求めていた機会を得たぞ」と言った。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">&nbsp;<span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span>&nbsp;</span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span> *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">hostem [[wikt:en:impeditus#Latin|impedito]] atque [[wikt:en:iniquus#Latin|iniquo]] loco [[wikt:en:tenetis|tenetis]]: </span> **「<small>(諸君は)</small>敵を<small>(川岸で)</small>妨げられた不利な場所に追いやった。」 *<!--❹--><!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">[[wikt:en:praestate|praestate]] eandem nobis [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]] [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]], quam saepe numero [[wikt:en:imperator#Latin|imperatori]] [[wikt:en:praestitistis|praestitistis]], </span> **「我々<ruby><rb>将帥</rb><rp>(</rp><rt>ドゥクス</rt><rp>)</rp></ruby>らに、<small>(諸君が)</small>しばしば<ruby><rb>将軍</rb><rp>(</rp><rt>インペラートル</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔カエサル〕</small>に見せて来たのと同じ武勇を見せてくれ。」 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">atque illum adesse et haec [[wikt:en:coram#Adverb|coram]] [[wikt:en:cerno#Latin|cernere]] [[wikt:en:existimate|existimate]].<span style="color:#009900;">»</span></span> **「彼<small>〔カエサル〕</small>が訪れて、これ<small>〔武勇〕</small>を目の前で見ていると思ってくれ。」 :  ;   ラビエーヌスが軍を反転させて攻撃態勢を整える *<!--❺-->Simul signa ad hostem [[wikt:en:converto#Latin|converti]] aciemque [[wikt:en:dirigo#Latin|dirigi]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **同時に、軍旗が敵の方へ向きを変えられることと、戦列が整えられること、を命じる。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:軍勢が敵側へ向けて反転して、戦列を整えること、を命じた。)</span> [[画像:Pilensalve.jpg|thumb|right|250px|[[w:ピルム|ピールム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演]] *et paucis [[wikt:en:turma#Latin|turmis]] praesidio ad impedimenta [[wikt:en:dimissus#Latin|dimissis]], **かつ若干の<ruby><rb>[[w:トゥルマ|騎兵小隊]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を輜重のための守備隊として送り出して、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:騎兵小隊 turma はローマ軍の<br>    [[w:アウクシリア|支援軍]]における中規模の編成単位で、<br>    各30騎ほどと考えられている。)</span> *reliquos equites ad latera [[wikt:en:dispono#Latin|disponit]]. **残りの[[w:騎兵|騎兵]]たちを<small>(軍勢の)</small>両側面へ分置する。 :  ;   ラビエーヌス勢が喊声を上げて、投げ槍を投げ始める *<!--❻-->Celeriter nostri, clamore [[wikt:en:sublatus#Latin|sublato]], [[wikt:en:pilum#Latin|pila]] in hostes [[wikt:en:inmitto#Latin|inmittunt]]. **我が方<small>〔ローマ勢〕</small>は、雄叫びを上げると、速やかに<ruby><rb>[[w:ピルム|投げ槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピールム</rt><rp>)</rp></ruby>を敵勢へ放り入れる。 :  ;   不意を突かれたトレーウェリー勢が、一目散に逃げ出して、最寄りの森林を目指す *Illi, ubi [[wikt:en:praeter#Latin|praeter]] spem, quos <span style="color:#009900;">&lt;modo&gt;</span> [[wikt:en:fugio#Latin|fugere]] [[wikt:en:credo#Latin|credebant]], [[wikt:en:infestus#Latin|infestis]] signis ad se ire viderunt, **<span style="font-size:11pt;">彼らは、期待に反して、<span style="color:#009900;">&lt;ただ&gt;</span>逃げていると信じていた者たちが、軍旗を攻勢にして自分らの方へ来るのを見るや否や、</span> *[[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] <u>modo</u> ferre non potuerunt **<small>(ローマ勢の)</small>突撃を持ちこたえることができずに、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部 modo は主要写本&omega;ではこの位置にあるが、<br>    上記の &lt;modo&gt; に移す修正提案がある。)</span> *ac primo [[wikt:en:concursus#Noun|concursu]] in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]] **最初の猛攻で敗走に追い込まれて、 *proximas silvas [[wikt:en:peto#Latin|petierunt]]. **近隣の森を目指した。 :  ;   ラビエーヌス勢が、トレーウェリー勢の多数を死傷させ、部族国家を奪回する *<!--❼-->Quos [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] equitatu [[wikt:en:consectatus#Latin|consectatus]], **<small>(敗走した)</small>その者たちを、ラビエーヌスは騎兵隊で追撃して、 *magno numero [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecto]], **多数の者を<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>して、 *compluribus [[wikt:en:captus#Latin|captis]], **かなりの者たちを捕らえて、 *paucis post diebus civitatem recepit. **数日後に<small>(トレーウェリーの)</small>部族国家を<small>(蜂起の前の状態に)</small>戻した。 :  [[画像:Bund-ro-altburg.jpg|thumb|right|180px|トレーウェリー族の再現された住居(再掲)]] [[画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|thumb|right|180px|トレーウェリー族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡]] ;   ゲルマーニア人の援軍が故国へ引き返す *Nam [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]], qui auxilio veniebant, **なぜなら、援軍として来ようとしていたゲルマーニア人たちは、 *[[wikt:en:perceptus#Latin|percepta]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] fuga **トレーウェリー族の敗走を把握したので、 *sese [[wikt:en:domus#Latin|domum]] <u>receperunt</u>. **故国に撤退していった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:receperunt|receperunt]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:contulerunt|contulerunt]] となっている。)</span> :  ;   インドゥーティオマールスの残党がゲルマーニアへ出奔する *<!--❽-->Cum his [[wikt:en:propinquus#Latin|propinqui]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomari]], **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>とともに、インドゥーティオマールスの縁者たちは、 *qui [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] [[wikt:en:auctor#Latin|auctores]] fuerant, **その者らは<small>(トレーウェリー族におけるカエサルへの)</small>謀反の張本人であったが、 *[[wikt:en:comitatus#Participle|comitati]] eos ex civitate [[wikt:en:excedo#Latin|excesserunt]]. **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>を伴って、部族国家から出て行った。 :  ;   カエサルとローマに忠節なキンゲトリークスに、部族の統治権が託される *<!--❾-->[[wikt:en:Cingetorix#Latin|Cingetorigi]], **キンゲトリークスに対しては、 *quem ab initio [[wikt:en:permaneo#Latin|permansisse]] in [[wikt:en:officium#Latin|officio]] [[wikt:en:demonstravimus|demonstravimus]], **──その者が当初から<small>(ローマへの)</small>忠義に留まり続けたことは前述したが── **:<span style="color:#009900;">(訳注:キンゲトリークスについては、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]~4節・[[ガリア戦記 第5巻#56節|56節]]~57節で述べられている。)</span> *[[wikt:en:principatus#Latin|principatus]] atque [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]] est traditum. **首長の地位と支配権が託された。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <span style="font-size:11pt;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==第二次ゲルマーニア遠征== ===9節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2024-11-06}}</span> ;再びレーヌスを渡河、ウビイー族を調べる *<!--❶-->Caesar, [[wikt:en:postquam#Latin|postquam]] ex [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venit, **カエサルは、メナピイー族のところからトレーウェリー族のところに来た後で、 *duabus de causis [[wikt:en:Rhenus#Latin|Rhenum]] [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituit]]; **二つの理由からレーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>を渡ることを決めた。 :  *<!--❷-->quarum una erat, quod <span style="color:#009900;">&lt;Germani&gt;</span> auxilia contra se Treveris miserant; **その<small></small>(理由の)一つは、<span style="color:#009900;">&lt;ゲルマーニア人が&gt;</span>自分<small>〔カエサル〕</small>に対抗して、トレーウェリー族に援軍を派遣していたことであった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:&lt;Germani&gt; は、主要写本&omega;にはなく、<br>     [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Hotomanus|Hotomanus]] による挿入提案。)</span> *altera, ne ad eos Ambiorix receptum haberet. **もう一つ<small></small>(の理由)は、彼らのところへ[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が避難所を持たないように、ということであった。 :  [[画像:Caesar's Rhine Crossing.jpg|thumb|right|250px|カエサルがライン川に橋を架けたとされる有力な地点の図示。ライン川と[[w:モーゼル川|モーゼル川]]の合流点にある[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[w:en:Koblenz|Koblenz]])と下流の[[w:アンダーナッハ|アンダーナッハ]]([[w:en:Andernach|Andernach]])との間の[[w:ノイヴィート|ノイヴィート]]([[w:en:Neuwied|Neuwied]])辺りが有力な地点の一つとされる。'''([[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図を再掲)''']] *<!--❸-->His constitutis rebus, **これらの事柄を決定すると、 *[[wikt:en:paulum#Adverb|paulum]] supra eum locum, quo ante exercitum traduxerat, facere pontem instituit. **<u>以前に軍隊を渡らせていた場所</u>の少し上流に、橋を造ることを決意した。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]] でカエサルが[[w:ライン川|ライン川]]に架橋した場所のこと。<br>    第4巻の'''[[ガリア戦記_第4巻#コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」|コラム]]''' や [[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図で説明したように、<br>    カエサルの最初の架橋地点には異論もあるが、<br>    今回の架橋地点がトレーウェリー族領であった<br>    [[w:モーゼル川|モーゼル川]]渓谷から近かったであろうことから有力視される。)</span> :  *<!--❹-->Nota atque instituta ratione, **経験しかつ建造していた方法で、 *magno militum studio **兵士の大きな熱意により *paucis diebus opus efficitur. **わずかな日数で作業が完遂された。 :  *<!--❺-->Firmo in Treveris ad pontem praesidio relicto, **トレーウェリー族(の領内)の橋のたもとへ強力な守備隊を残した。 *ne quis ab his subito motus <u>oreretur</u>, **彼らによる何らかの動乱が突然に起こされないように。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・&rho;系写本では [[wikt:en:oreretur|oreretur]]、<br>         &phi;系・&pi;系写本では [[wikt:en:oriretur|oriretur]] だが、語形の相異。)</span> *reliquas copias equitatumque traducit. **残りの軍勢と騎兵隊を(レーヌスの東岸へ)渡らせた。 :  *<!--❻-->Ubii, qui ante obsides dederant atque in deditionem venerant, **ウビイー族は、以前に(カエサルに対して)人質たちを供出していて、降伏していたが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この事はすでに[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]で述べられている。)</span> *<u>purgandi sui</u> causa ad eum legatos mittunt, **自分たちの申し開きをすることのために、彼(カエサル)のところへ使節たちを遣わして、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:purgandi|purgandi]] [[wikt:en:sui#Pronoun|sui]] だが、<br>         &beta;系写本では purgandi のみ。)</span> *qui doceant, **(以下のように)説かせた。 *neque <u>auxilia ex sua civitate</u> in Treveros missa **自分たちの部族から援軍をトレーウェリー族のところに派遣してもいないし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・M・S写本では [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] ex sua [[wikt:en:civitate|civitate]]、<br>         L・N・&beta;系写本では ex sua civitate auxilia の語順になっている。)</span> *neque ab se fidem laesam: **自分らにより(ローマへの)信義を傷つけてもいない、と。 :  *<!--❼-->petunt atque orant, **(ウビイー族の使節たちは、以下のように)求め、かつ願った。 *ut sibi parcat, **自分たちを容赦し、 *ne communi odio Germanorum innocentes pro nocentibus poenas pendant; **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人一般への憎しみから、潔白な者たちが加害者たちのために罰を償うことがないように、と。 *si amplius obsidum <u>vellet, dare</u> pollicentur. **もし、より多くの人質を欲するのなら、供出することを約束する、と。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]] <small>(未完了過去・接続法)</small> [[wikt:en:dare#Latin|dare]] <small>(現在・能動・不定)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:velit#Latin|velit]] <small>(現在・接続法)</small> [[wikt:en:dari#Latin|dari]] <small>(現在・受動・不定法)</small> となっている。)</span> :  *<!--❽-->Cognita Caesar causa **カエサルは事情を調査して、 *<u>repperit</u> ab Suebis auxilia missa esse; **スエービー族により(トレーウェリー族に)援軍が派遣されていたことを見出した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:repperit|repperit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         近世以降の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.]] では [[wikt:en:reperit|reperit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> :  *Ubiorum satisfactionem <u>accepit</u>, **ウビイー族の弁解を受け入れて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:accepit|accepit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Davisius|Davisius]] の修正提案では [[wikt:en:accipit|accipit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> *aditus viasque in Suebos perquirit. **スエービー族のところに出入りする道筋を問い質した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===10節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2024-11-16}}</span> ;ウビイー族を通じてスエービー族の動静を探る *<!--❶-->Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior, **わずかな日々の後の間に、ウビイー族によって報告されたことには、 *Suebos omnes in unum locum copias cogere **スエービー族は、すべての軍勢を一か所に集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後述するように、これはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] のことであろう。)</span> *atque iis nationibus, quae sub eorum sint imperio, **彼らの支配下にある種族たちに *denuntiare, ut auxilia peditatus equitatusque mittant. **[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の援軍を派遣するように指示した。 :  *<!--❷-->His cognitis rebus, **<small>(カエサルは)</small>これらの事情を知ると、 *rem frumentariam providet, **糧食調達を準備して、 *castris idoneum locum deligit; **[[w:カストラ|陣営]]<small>(を設置するの)</small>に適切な場所を選んだ。 *Ubiis imperat, ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, **ウビイー族には、家畜を連れ去り、自分たちの一切合財を土地から[[w:オッピドゥム|城市]]に運び集めるように命令した。 *sperans barbaros atque imperitos homines **<small>(カエサルが)</small>期待したのは、野蛮で無知な連中が *inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; **糧秣の欠乏に動かされて、不都合な条件のもとで戦うことがあり得るように誘引されることであった。 :  *<!--❸-->mandat, ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. **偵察者たちをたびたびスエービー族内に遣わして、彼らのもとで遂行されていることを知るように<small>(ウビイー族に)</small>委ねた。 :  *<!--❹-->Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: **彼ら<small>〔ウビイー族〕</small>は、命令されたことを実行して、わずかな日々を間に置いて(以下のことを)報告する。 *Suebos omnes, posteaquam certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, **スエービー族は皆、ローマ人の軍隊についてより確実な報告がもたらされた後で、 *cum omnibus suis sociorumque copiis, quas coegissent, **自分たちの軍勢と集結していた同盟者たちの軍勢とともに、 *penitus ad extremos fines se recepisse; **領土の最も遠い奥深くまで撤退していた。 :  *<!--❺-->silvam esse ibi infinita magnitudine, quae appellatur <u>Bacenis</u>; **そこには、'''バケーニス'''と呼ばれている限りない大きさの森林がある。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:バケーニス [[wikt:en:Bacenis#Latin|Băcēnis]] は、ギリシア語で Βακέννη とも表記されるが、どこなのかは諸説ある。<br>     ①ドイツ西部[[w:ヘッセン州|ヘッセン州]]にあったブコニアの森 ''[[w:de:Buchonia|Buchonia]]; [[w:fr:Forêt de Buconia|Buconia]]'' は有力。<br>     ②ドイツの奥地・中東部の[[w:テューリンゲン州|テューリンゲン州]]にある[[w:テューリンゲンの森|テューリンゲンの森]]という説<ref>[[s:de:RE:Bacenis silva]], [[wikt:de:Bacenis]] 等を参照。</ref><br>     ③ドイツ西部[[w:ラインラント=プファルツ州|ラインラント=プファルツ州]]ライン川沿岸のニールシュタイン [[w:en:Nierstein|Nierstein]] 説、<br>    などがある。史実としてスエービーという部族連合が居住していたのはテューリンゲンであろうが、<br>    ライン川からはあまりにも遠すぎる。)</span> *hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam **これは、はるか内陸に及んでいて、天然の防壁として横たわっており、 *[[wikt:en:Cheruscos|Cheruscos]] ab Suebis Suebosque ab [[wikt:en:Cheruscis|Cheruscis]] iniuriis incursionibusque prohibere: **ケールスキー族をスエービー族から、スエービー族をケールスキー族から、無法行為や襲撃から防いでいる。 *ad eius initium silvae Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. **その森の始まりのところで、スエービー族はローマ人の到来を待ち構えることを決定した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」=== [[画像:Hermann (Arminius) at the battle of the Teutoburg Forest in 9 CE by Peter Jannsen, 1873, with painting creases and damage removed.jpg|thumb|right|250px|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)で戦う、ゲルマーニア軍とローマ軍(Johann Peter Theodor Janssen画、1870~1873年頃)。中央上の人物はケールスキー族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]。<br>アルミニウスが率いるケールスキー族・カッティー族らゲルマーニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。]] <br> <div style="background:#ecf;">  '''スエービー族とカッティー族'''</div> :『ガリア戦記』では、第1巻・第4巻および第6巻でたびたび[[w:スエビ族|スエービー族]]の名が言及される。タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の38章「スエービー」などを参照。</ref>など多くの史家が伝えるようにスエービー族 [[wikt:en:Suebi#Latin|Suēbī]] またはスエウィ族 Suēvī とは、単一の部族名ではなく、多くの独立した部族国家から構成される連合体の総称とされる。 :19世紀のローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]によれば<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、のp.201, p.224, p.232などを参照。</ref>、カエサルの時代のローマ人には 「スエービー」とは遊牧民を指す一般的な呼称で、カエサルがスエービーと呼ぶのはカッティー族だという。 :カッティー族とスエービー系諸部族の異同は明確ではないが、多くの史家は両者を区別して伝えている。 : 第1巻37節・51節・53節~54節、第4巻1節~4節・7節などで言及され、「百の郷を持つ」と されている「スエービー族」は、スエービー系諸部族の総称、あるいは遊牧系の部族を指すのであろう。 : 他方、第4巻16節・19節・第6巻9節~10節・29節で、ウビイー族を圧迫する存在として言及される :「スエービー族」はモムゼンの指摘のように、カッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] であることが考えられる。 :タキトゥス著『ゲルマーニア』<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の36章「ケルスキー」などを参照。</ref>でも、カッティー族はケールスキー族と隣接する宿敵として描写され、本節の説明に合致する。 <div style="background:#ecf;">  '''ケールスキー族'''</div> :ケールスキー族は、『ガリア戦記』では[[#10節|本節]]でカッティー族と隣接する部族として名を挙げられる :のみである。しかしながら、本巻の年(BC53年)から61年後(AD9年)には、帝政ローマの :[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]がゲルマーニアに派遣していたプブリウス・クィンクティリウス・ウァルス :([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Publius Quinctilius Varus]])が率いるローマ軍3個軍団に対して、名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]を :指導者とするケールスキー族は、カッティー族ら諸部族の同盟軍を組織して、ウァルスの3個軍団を :[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]において壊滅させ、老帝アウグストゥスを嘆かせたという。 <div style="background:#ecf;">  '''ウビイー族'''</div> :ウビイー族は『ガリア戦記』の第4巻・第6巻でも説明されているように、ローマ人への忠節を :認められていた。そのため、タキトゥスによれば<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の28章などを参照。</ref>、ゲルマニアへのローマ人の守りとして :BC38年頃にレヌス(ライン川)左岸のコロニア([[w:la:Colonia_Agrippina|Colonia]];植民市)すなわち現在の[[w:ケルン|ケルン市]]に移された。) </div> ==ガッリア人の社会と風習について== <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」=== [[画像:Testa di saggio o principe, forse il filosofo poseidonio, 50 ac. ca 01.JPG|thumb|right|200px|アパメアの[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]の胸像。地中海世界やガッリアなどを広く訪れて、膨大な著作を残した。<br>『ガリア戦記』の地誌・民族誌的な説明も、その多くを彼の著作に依拠していると考えられている。]] :これ以降、11節~20節の10節にわたってガッリアの地誌・民族誌的な説明が展開され、さらには、ゲルマーニアの地誌・民族誌的な説明などが21節~28節の8節にわたって続く。ガッリア戦争の背景説明となるこのような地誌・民族誌は、本来ならば第1巻の冒頭に置かれてもおかしくはない。しかしながら、この第6巻の年(BC53年)は、カエサル指揮下のローマ勢にとってはよほど書かれるべき戦果が上がらなかったためか、ガッリア北部の平定とエブロネス族の追討戦だけでは非常に短い巻となってしまうため、このような位置に置いたとも考えられる。ゲルマーニアの森にどんな獣が住んでいるかなど、本筋にほとんど影響のないと思われる記述も見られる。 :『ガリア戦記』におけるガッリアの地誌・民族誌的な説明、特にこの11節以降の部分は、文化史的に重要なものと見なされ、考古学やケルトの伝承などからも裏付けられる。しかし、これらの記述はカエサル自身が見聞したというよりも、むしろ先人の記述、とりわけBC2~1世紀のギリシア哲学ストア派の哲学者・地理学者・歴史学者であった[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]([[w:la:Posidonius Apameus|Posidonius Apameus]])の著作に依拠していたと考えられている<ref>『ケルト事典』ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、創元社の「ポセイドニオス」「カエサル」の項を参照。</ref> <ref>『ケルト人』ヴァンセスラス・クルータ([[w:fr:Venceslas Kruta|Venceslas Kruta]])著、鶴岡真弓訳、白水社 のp.20-21を参照。</ref>。ポセイドニオスは、ローマが支配する地中海世界やガッリア地域などを広く旅行した。彼の52巻からなる膨大な歴史書は現存しないが、その第23巻にガッリアに関する詳細な記述があったとされ、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、[[w:ストラボン|ストラボン]]、[[w:アテナイオス|アテナイオス]]らによって引用され、同時代および近代のケルト人観に多大な影響を与えたと考えられている。 :現存するガッリアの地誌・民族誌は、ストラボン<ref>『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』ストラボン著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ディオドロス<ref>『神代地誌』ディオドロス著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>『世界地理』ポンポニウス・メラ著、飯尾都人訳(上掲『神代地誌』に所収)</ref>のものなどがある。現存するゲルマーニアの地誌・民族誌は、ストラボン、タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫などを参照。</ref>、ポンポニウス・メラなどのものがある。 </div> ===11節=== '''ガッリア人の派閥性''' *① Quoniam ad hunc locum perventum est, **この地(ゲルマーニア)にまで到達したので、 *non alienum esse videtur de Galliae Germaniaeque moribus et, quo differant hae nationes inter sese proponere. **[[w:ガリア|ガッリア]]と[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]の風習について、これらの種族が互いにどのように異なるか述べることは不適切でないと思われる。 *② In Gallia non solum in omnibus civitatibus atque in omnibus <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagis]]</u> partibusque, **ガッリアにおいては、すべての部族において、さらにすべての<u>郷</u>や地方においてのみならず、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span> *sed paene etiam in singulis domibus factiones sunt, **ほとんどの個々の氏族においてさえも、派閥があり、 *earumque factionum principes sunt, **それらの派閥には、領袖がいる。 *③ qui summam auctoritatem eorum iudicio habere existimantur, **その者(領袖)らは、彼ら(派閥)の判断に対して、最高の影響力を持っていると考えられている。 *quorum ad arbitrium iudiciumque summa omnium rerum consiliorumque redeat. **すべての事柄と協議は結局のところ、その者(領袖)らの裁量や判断へ帰する。 *④ Idque eius rei causa antiquitus institutum videtur, **それは、それらの事柄のために昔から取り決められたものと見られ、 *ne quis ex plebe contra potentiorem auxilii egeret: **平民のある者が、より権力のある者に対して、援助を欠くことがないように、ということである。 *suos enim quisque opprimi et circumveniri non patitur, **すなわち(領袖たちの)誰も、身内の者たちが抑圧されたり欺かれたりすることを容認しない。 *neque, aliter si faciat, ullam inter suos habet auctoritatem. **もし(領袖が)そうでなくふるまったならば、身内の者たちの間で何ら影響力を持てない。 *⑤ Haec eadem ratio est in summa totius Galliae; **これと同じ理屈が、ガッリア全体の究極において存在する。 *namque omnes civitates in partes divisae sunt duas. **すなわち、すべての部族が二つの党派に分けられているのである。 ===12節=== '''ハエドゥイ族、セクァニ族、レミ族の覇権争い''' *① Cum Caesar in Galliam venit, **カエサルがガッリアに来たときに、 *alterius factionis principes erant Haedui, alterius Sequani. **(二つの)派閥の一方の盟主は[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]であり、他方は[[w:セクァニ族|セクァニ族]]であった。 **:(訳注:第1巻31節の記述によれば、ハエドゥイ族と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]がそれぞれの盟主であった。 **:カエサルが本節でアルウェルニ族の名を伏せている理由は不明である。 **:また、[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.330)</ref>、ハエドゥイ族とセクァニ族の敵対関係においては、 **:両部族を隔てるアラル川の水利権(川舟の通行税)をめぐる争いが敵意を助長していたという。) *② Hi cum per se minus valerent, **後者(セクァニ族)は自力ではあまり優勢ではなかったので、 *quod summa auctoritas antiquitus erat in Haeduis **というのは、昔から最大の影響力はハエドゥイ族にあって、 *magnaeque eorum erant clientelae, **彼ら(ハエドゥイ族)には多くの庇護民があったからであるが、 *Germanos atque Ariovistum sibi adiunxerant **[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人と[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]を自分たちに会盟させ、 *eosque ad se magnis iacturis pollicitationibusque perduxerant. **多くの負担と約束で 彼らを自分たちのところに引き入れた。 *③ Proeliis vero compluribus factis secundis **実にいくつもの戦闘を順調に行なって、 *atque omni nobilitate Haeduorum interfecta **ハエドゥイ族のすべての高貴な者たちを殺害して、 *tantum potentia antecesserant, **かなりの勢力で抜きん出たので、 *④ ut magnam partem clientium ab Haeduis ad se traducerent **結果として、ハエドゥイ族から庇護民の大部分を自分たちへ味方に付けて、 *obsidesque ab iis principum filios acciperent **彼らから領袖の息子たちを人質として受け取り、 *et publice iurare cogerent nihil se contra Sequanos consilii inituros, **自分たち(ハエドゥイ族)がセクァニ族に対して何ら謀計を始めるつもりではない、と公に誓うことを強いて、 *et partem finitimi agri per vim occupatam possiderent **近隣の土地の一部を力ずくで占領して所有地とした。 *Galliaeque totius principatum obtinerent. **ガッリア全体の指導権を手に入れた。 *⑤ Qua necessitate adductus **それにより、やむを得ずに動かされて、 *Diviciacus auxilii petendi causa Romam ad senatum profectus infecta re redierat. **[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]は支援を求めるために[[w:ローマ|ローマ市]]に元老院のところへ赴いたが、事を成就せずに帰った。 *⑥ Adventu Caesaris facta commutatione rerum, **カエサルの到来で事態の変化がなされて、 *obsidibus Haeduis redditis, **ハエドゥイ族の人質たちは戻されて、 *veteribus clientelis restitutis, **昔からの庇護民が復帰して、 *novis per Caesarem comparatis, **カエサルを通じて新参者たちを仲間にした。 *quod ii qui se ad eorum amicitiam adgregaverant, **というのは、彼ら(ハエドゥイ族)の友好のもとに仲間となっていた者たちが、 *⑦ meliore condicione atque aequiore imperio se uti videbant, **(セクァニ族)より良い条件とより公平な支配を享受しているように見えて、 *reliquis rebus eorum gratia dignitateque amplificata **ほかの事柄においても彼ら(ハエドゥイ族)の信望と品格がより増されて、 *Sequani principatum dimiserant. **セクァニ族は指導権を放棄したのだ。 *In eorum locum Remi successerant: **彼ら(セクァニ族)の地位において、[[w:レミ族|レミ族]]が取って代わった。 *quos quod adaequare apud Caesarem gratia intellegebatur, **その者ら(レミ族)はカエサルのもとで信望において(ハエドゥイ族と)同等であると認識されたので、 *ii qui propter veteres inimicitias nullo modo cum Haeduis coniungi poterant, **昔からの敵対関係のためにハエドゥイ族とどのようなやり方でも結ぶことができなかった者たちは、 *se Remis in clientelam dicabant. **レミ族との庇護関係に自らを委ねたのだ。 *⑧ Hos illi diligenter tuebantur; **この者ら(レミ族)はあの者ら(庇護民)を誠実に保護して、 *ita et novam et repente collectam auctoritatem tenebant. **このようにして、最近に得られた新しい影響力を保持した。 *⑨ Eo tum statu res erat, ut longe principes haberentur Haedui, **当時、ハエドゥイ族の位置付けは、まったく盟主と見なされるような状態であって、 *secundum locum dignitatis Remi obtinerent. **レミ族の品格は第二の地位を占めたのだ。 ===13節=== '''ガッリア人の社会階級、平民およびドルイドについて(1)''' *① In omni Gallia eorum hominum, qui aliquo sunt numero atque honore, genera sunt duo. **全ガッリアにおいて、何らかの地位や顕職にある人々の階級は二つである。 '''平民について''' *Nam plebes paene servorum habetur loco, **これに対して、平民はほとんど奴隷の地位として扱われており、 *quae nihil audet per se, nullo adhibetur consilio. **自分たちを通じては何らあえてすることはないし、誰も相談をされることもない。 *② Plerique, cum aut aere alieno aut magnitudine tributorum aut iniuria potentiorum premuntur, **多くの者は、あるいは負債、あるいは貢納の多さ、あるいはより権力のある者に抑圧されているので、 *sese in servitutem dicant. **自らを奴隷身分に差し出している。 *Nobilibus in hos eadem omnia sunt iura, quae dominis in servos. **高貴な者たちには彼ら(平民)において、奴隷において主人にあるのと同様なすべての権利がある。 '''ドルイドについて''' *③ Sed de his duobus generibus alterum est druidum, alterum equitum. **ともかく、これら二つの階級について、一方は[[w:ドルイド|ドルイド]](神官)であり、他方は[[w:騎士|騎士]]である。 *④ Illi rebus divinis intersunt, sacrificia publica ac privata procurant, religiones interpretantur: **前者(ドルイド)は神事に介在し、公・私の<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を司り、信仰のことを講釈する。 **:(訳注:供犠とは、人や獣を生け贄として神前に捧げることである。<ruby><rb>[[w:人身御供|人身御供]]</rb><rp>(</rp><rt>ひとみごくう</rt><rp>)</rp></ruby>とも。) [[画像:Two_Druids.PNG|thumb|right|200px|二人のドルイド。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガッリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。]] *ad hos magnus adulescentium numerus disciplinae causa concurrit, **この者ら(ドルイド)のもとへ、若者の多数が教えのために群り集まり、 *magnoque hi sunt apud eos honore. **この者ら(ドルイド)は、彼ら(ガッリア人)のもとで大いなる地位にある。 *⑤ Nam fere de omnibus controversiis publicis privatisque constituunt, **なぜなら(ドルイドは)ほとんどすべての公・私の訴訟ごとに判決をするのである。 *et, si quod est admissum facinus, si caedes facta, **もし何らかの罪悪が犯されれば、もし殺害がなされれば、 *si de hereditate, de finibus controversia est, **もし、遺産について、地所について、訴訟ごとがあれば、 *idem decernunt, praemia poenasque constituunt; **同じ人たち(ドルイド)が裁決し、補償や懲罰を判決するのである。 *⑥ si qui aut privatus aut populus eorum decreto non stetit, sacrificiis interdicunt. **もし何らかの個人あるいは集団が彼ら(ドルイド)の裁決を遵守しなければ、(その者らに)供犠を禁じる。 *Haec poena apud eos est gravissima. **これは、彼ら(ガッリア人)のもとでは、非常に重い懲罰である。 *⑦ Quibus ita est interdictum, **このように(供犠を)禁じられた者たちは、 *hi numero impiorum ac sceleratorum habentur, **彼らは、不信心で不浄な輩と見なされて、 *his omnes decedunt, aditum sermonemque defugiunt, **皆が彼らを忌避して、近づくことや会話を避ける。 *ne quid ex contagione incommodi accipiant, **(彼らとの)接触から、何らかの災厄を負うことがないようにである。 *neque his petentibus ius redditur **彼らが請願しても(元通りの)権利は戻されないし、 *neque honos ullus communicatur. **いかなる地位(に就くこと)も許されない。 *⑧ His autem omnibus druidibus praeest unus, **ところで、これらすべてのドルイドを一人が指導しており、 *qui summam inter eos habet auctoritatem. **その者は彼ら(ドルイドたち)の間に最高の影響力を持っている。 *⑨ Hoc mortuo **この者が死んだならば、 *aut, si qui ex reliquis excellit dignitate, succedit, **あるいは、もし残りの者たちの中から品格に秀でた者がおれば、継承して、 *aut, si sunt plures pares, suffragio druidum {adlegitur}<ref>adlegitur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>; **あるいは、もしより多くの者たちが同等であれば、ドルイドの投票で{選ばれる}。 *nonnumquam etiam armis de principatu contendunt. **ときどきは、武力でさえも首座を争うことがある。 *⑩ Hi certo anni tempore **彼ら(ドルイド)は年間の定められた時期に *in finibus Carnutum, quae regio totius Galliae media habetur, considunt in loco consecrato. **ガッリア全体の中心地方と見なされている[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の領土において、[[w:聖地|聖地]]に集合する。 **:(訳注:これはカエサルが支配する「ガッリア全体」の話で、他の地方には別の中心地があったようである。) *Huc omnes undique, qui controversias habent, conveniunt **ここへ、至る所から訴訟などを持つあらゆる者たちが集まって、 *eorumque decretis iudiciisque parent. **彼ら(ドルイド)の裁決や判断に服従する。 *⑪ Disciplina in Britannia reperta atque inde in Galliam translata esse existimatur, **(ドルイドの)教えは[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]で見出され、そこからガッリアにもたらされたと考えられている。 **:(訳注:これに対して、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]は、ガッリア人の信仰は[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。 **:[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば、これは東方のゲタエ人([[w:en:Getae|Getae]];[[w:トラキア|トラキア]]系ないし[[w:ダキア|ダキア]]系)を通じて取り入れたものだという<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、第7巻 第3章 第5節)</ref>。) *⑫ et nunc, qui diligentius eam rem cognoscere volunt, **今でも、その事柄をより入念に探究することを欲する者たちは、 *plerumque illo discendi causa proficiscuntur. **たいてい、かの地に研究するために旅立つ。 ===14節=== '''ドルイドについて(2)''' *① Druides a bello abesse consuerunt **[[w:ドルイド|ドルイド]]たちは、戦争に関与しない習慣であり、 *neque tributa una cum reliquis pendunt; **ほかの者と一緒に貢納(租税)を支払うこともない。 *militiae vacationem omniumque rerum habent immunitatem. **[[w:徴兵制度|兵役]]の免除や、すべての事柄において免除特権を持っているのである。 [[画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|thumb|right|200px|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち]] *② Tantis excitati praemiis **このような特典に駆り立てられて *et sua sponte multi in disciplinam conveniunt **自らの意思で多くの者が教え(の場)に集まっても来るし、 *et a parentibus propinquisque mittuntur. **親たちや縁者たちによって送られても来る。 *③ Magnum ibi numerum versuum ediscere dicuntur. **(彼らは)そこで詩句の多数を習得すると言われている。 *Itaque annos nonnulli vicenos in disciplina permanent. **こうして、少なからぬ者たちが、20年にもわたって教え(の場)に残留する。 [[画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|thumb|right|200px|ギリシア文字で刻まれたガッリアの碑文]] *Neque fas esse existimant ea litteris mandare, **それら(の詩句)を文字で刻み込むことは、神意に背くと考えている。 *cum in reliquis fere rebus, publicis privatisque rationibus, Graecis litteris utantur. **もっとも、ほかの事柄においては、公・私の用件に[[w:ギリシア文字|ギリシア文字]]を用いる。 *④ Id mihi duabus de causis instituisse videntur, **それは、私(カエサル)には、二つの理由で(ドルイドが)定めたことと思われる。 **:(訳注:これは、カエサルが自らを一人称で示している珍しい個所である。) *quod neque in vulgum disciplinam efferri velint **というのは、教えが一般大衆にもたらされることは欲していないし、 *neque eos, qui discunt, litteris confisos minus memoriae studere: **(教えを)学ぶ者が、文字を頼りにして、あまり暗記することに努めなくならないようにである。 [[画像:Dying_gaul.jpg|thumb|right|200px|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])]] *quod fere plerisque accidit, ut **というのも、ほとんど多くの場合に起こることには、 *praesidio litterarum diligentiam in perdiscendo ac memoriam remittant. **文字の助けによって、入念に猛勉強することや暗記することを放棄してしまうのである。 *⑤ In primis hoc volunt persuadere, **とりわけ、彼ら(ドルイド)が説くことを欲しているのは、 *non interire animas, sed ab aliis post mortem transire ad alios, **霊魂は滅びることがないのみならず、死後にある者から別のある者へ乗り移るということである。 **:(訳注:ガッリア人の[[w:輪廻転生|転生信仰]]は、[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]が伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。) *atque hoc maxime ad virtutem excitari putant metu mortis neglecto. **これによって(ガッリア人は)死の恐怖に無頓着になって最も武勇へ駆り立てられると(ドルイドは)思っている。 [[画像:Universum.jpg|thumb|right|200px|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。]] *Multa praeterea de sideribus atque eorum motu, **さらに多く、星々とその動きについて、 *de mundi ac terrarum magnitudine, de rerum natura, **天空と大地の大きさについて、物事の本質について、 *de deorum immortalium vi ac potestate **不死の神々の力と支配について、 *disputant et iuventuti tradunt. **研究して、青年たちに教示するのである。 <br> <br> *('''訳注:ドルイドについて''' :ケルト社会の神官・祭司・僧などとされるドルイドについては、おそらくは[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]、そしてカエサル、 :および[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410-p.411)</ref>、[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.341-p.342)</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>ポンポニウス・メラ『世界地理』(前掲、p.549)</ref>などのギリシア人・ローマ人の著述家たちがそれぞれ :書き残しているために同時代や現代に知られている。しかし、本節にもあるように、その秘密主義からか、 :古代ギリシア・ローマの著作にあるほかには、その詳細については不明である。) ===15節=== [[画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|thumb|right|200px|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。]] [[画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|thumb|right|200px|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)]] '''ガッリア人の騎士階級について''' *① Alterum genus est equitum. **(ドルイドと並ぶ)もう一つの階級は、[[w:騎士|騎士]]である。 *Hi, cum est usus atque aliquod bellum incidit **彼らは、必要とされ、かつ何らかの戦争が勃発したときには、 *─ quod fere ante Caesaris adventum quotannis accidere solebat, **─ それ(戦争)はカエサルの到来以前にはほとんど毎年のように起こるのが常であり、 *uti aut ipsi iniurias inferrent aut inlatas propulsarent ─, **自身が侵犯行為を引き起こすためか、あるいは引き起こされて撃退するためであったが、─ *omnes in bello versantur, **総勢が戦争に従事した。 *② atque eorum ut quisque est genere copiisque amplissimus, **さらに彼らは、高貴な生まれで財産が非常に大きければ大きいほど、 **:(訳注:ut quisque ~ ita;おのおのが~であればあるほどますます) *ita plurimos circum se ambactos clientesque habet. **自らの周囲に非常に多くの臣下や庇護民たちを侍らせる。 *Hanc unam gratiam potentiamque noverunt. **(騎士たちは)これが信望や権勢(を示すこと)の一つであると認識しているのである。 ===16節=== '''ガッリア人の信仰と生け贄、ウィッカーマン''' *① Natio est omnis Gallorum admodum dedita religionibus, **ガッリア人のすべての部族民は、まったく信仰行為に身を捧げている。 *② atque ob eam causam, **その理由のために、 *qui sunt adfecti gravioribus morbis **非常に重い病気を患った者たち *quique in proeliis periculisque versantur, **および戦闘において危険に苦しめられる者たちは、 *aut pro victimis homines immolant **あるいは<ruby><rb>[[w:生贄|生け贄]]</rb><rp>(</rp><rt>いけにえ</rt><rp>)</rp></ruby>の獣(犠牲獣)の代わりに人間を供えたり、 *aut se immolaturos vovent, **あるいは自らを犠牲にするつもりであると誓願し、 *administrisque ad ea sacrificia druidibus utuntur, **その<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を執り行う者として[[w:ドルイド|ドルイド]]を利用するのである。 *③ quod, pro vita hominis nisi hominis vita reddatur, **というのは(一人の)人間の生命のためには、(もう一人の)人間の生命が償われない限り、 *non posse deorum immortalium numen placari arbitrantur, **不死の神々の<ruby><rb>御霊</rb><rp>(</rp><rt>みたま</rt><rp>)</rp></ruby>がなだめられることができないと思われているからである。 *publiceque eiusdem generis habent instituta sacrificia. **同じような類いの供儀が公けに定められているのである。 [[画像:WickerManIllustration.jpg|thumb|right|310px|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた<ref>例えば『ケルト人─蘇るヨーロッパ<幻の民>』C.エリュエール著、鶴岡真弓監修、創元社、p.130の挿絵などを参照。</ref>。1973年にはイギリスで映画化され<ref>“[[w:en:The Wicker Man (1973 film)|The Wicker Man]]”はウィッカーマンを題材にした1973年のイギリスのカルト映画作品。</ref>、2006年にはアメリカなどでも映画化された<ref>“[[w:en:The Wicker Man (2006 film)|The Wicker Man]]”は上記作品をリメイクした2006年のアメリカ・カナダ・ドイツの映画作品。</ref>。]] [[画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|thumb|right|100px|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)]] '''ウィッカーマン''' *④ Alii immani magnitudine simulacra habent, **ある者たちは、恐ろしく大規模な像を持って、 *quorum contexta viminibus membra vivis hominibus complent; **その柳の枝で編み込まれた肢体を人間たちで満杯にして、 *quibus succensis **それらを燃やして、 *circumventi flamma exanimantur homines. **人々は炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。 *⑤ Supplicia eorum qui in furto aut in latrocinio **窃盗あるいは追い剥ぎに関わった者たちを処刑することにより、 *aut aliqua noxia sint comprehensi, **あるいは何らかの罪状により捕らわれた者たち(の処刑)により、 *gratiora dis immortalibus esse arbitrantur; **不死の神々に感謝されると思っている。 *sed, cum eius generis copia defecit, **しかしながら、その類いの量が欠けたときには、 *etiam ad innocentium supplicia descendunt. **潔白な者たちさえも犠牲にすることに頼るのである。 <br><br> :('''訳注''':このような'''[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]'''の供犠については[[w:ストラボン|ストラボン]]も伝えており<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.343)</ref>、 :[[w:人身御供|人身御供]]の種類の一つとして、干し草やたきぎで巨像を作り、その中へあらゆる :家畜・野生動物や人間たちを投げ込んで丸焼きにする習慣があったという。 : また、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410~p.411)</ref>やストラボンによれば、ドルイドはむしろ'''[[w:予言|予言者]]・[[w:占い|占い師]]''' :であるという。ドルイドが重要な問題について占うときには、供犠される人間の :腹または背中を剣などで刺して、犠牲者の倒れ方、肢体のけいれん、出血の様子 :などを観察して、将来の出来事を占うのだという。) ===17節=== '''ガッリアの神々(ローマ風解釈)''' *① Deum maxime [[w:la:Mercurius_(deus)|Mercurium]] colunt. **(ガッリア人は)神々のうちでとりわけ[[w:メルクリウス|メルクリウス]]を崇拝する。 **:(訳注:メルクリウスは[[w:ローマ神話|ローマ神話]]の神名であり、本節の神名はすべてローマ風解釈である。) *Huius sunt plurima simulacra: **彼の偶像が最も多い。 *hunc omnium inventorem artium ferunt, **(ガッリア人は)彼をすべての技芸の発明者であると言い伝えており、 *hunc viarum atque itinerum ducem, **彼を道および旅の案内者として、 *hunc ad quaestus pecuniae mercaturasque habere vim maximam arbitrantur. **彼が金銭の利得や商取引で絶大な力を持つと思われている。 [[画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。]] [[画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。]] *Post hunc [[w:la:Apollo|Apollinem]] et [[w:la:Minerva|Martem]] et [[w:la:Iuppiter|Iovem]] et [[w:la:Mars_(deus)|Minervam]]. **彼に続いて、[[w:アポローン|アポロ]]と[[w:マルス (ローマ神話)|マルス]]と[[w:ユーピテル|ユピテル]]と[[w:ミネルウァ|ミネルウァ]]を(ガッリア人は崇拝する)。 *② De his eandem fere, quam reliquae gentes, habent opinionem: **これら(の神々)について、ほかの種族とほぼ同じ見解を持っている。 *Apollinem morbos depellere, **アポロは病気を追い払い、 *Minervam operum atque artificiorum initia tradere, **ミネルウァは工芸や技術の初歩を教示し、 *Iovem imperium caelestium tenere, **ユピテルは天界の統治を司り、 *Martem bella regere. **マルスは戦争を支配する。 *③ Huic, cum proelio dimicare constituerunt, **彼(マルス)には、(ガッリア人が)戦闘で干戈を交えることを決心したときに、 *ea quae bello ceperint, plerumque devovent: **戦争で捕獲したものを、たいていは奉納するものである。 *cum superaverunt, animalia capta immolant **(戦闘で)打ち勝ったときには、捕獲された獣を生け贄に供えて、 *reliquasque res in unum locum conferunt. **残りの物を1か所に運び集める。 *④ Multis in civitatibus harum rerum ex(s)tructos tumulos locis consecratis conspicari licet; **多くの部族において、これらの物が積み上げられた塚を、神聖な地で見ることができる。 *⑤ neque saepe accidit, ut neglecta quispiam religione **何らかの者が信仰を軽視するようなことが、しばしば起こることはない。 *aut capta apud se occultare aut posita tollere auderet, **捕獲されたものを自分のもとに隠すこと、あるいは(塚に)置かれたものをあえて運び去ることは。 *gravissimumque ei rei supplicium cum cruciatu constitutum est. **そんな事には、拷問を伴う最も重い刑罰が決められている。 **:(訳注:最も重い刑罰とは、処刑であると思われる。) <br> :(訳注:'''ローマ風解釈について''' :ガッリアなどケルト文化の社会においては、非常に多くの神々が信仰されており、 :ケルト語による多くの神名が知られており、考古学的にも多くの神像が遺されている。 :しかしながら、これらの神々がどのような性格や権能を持っていたのか、詳しくは判っていない。 :ローマ人は、数多くのケルトの神々をローマ神話の神々の型に当てはめて解釈した。 :[[w:タキトゥス|タキトゥス]]はこれを「[[w:ローマ風解釈|ローマ風解釈]]」[[w:en:Interpretatio_Romana#Roman_version|Interpretatio Romana]] <ref>タキトゥス『ゲルマーニア』43章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XLIII|ラテン語原文]])を参照。</ref>と呼んでいる<ref>『ケルト事典』(前掲)「ローマ風解釈」の項を参照。</ref>。) ===18節=== [[画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。]] '''ガッリア人の時間や子供についての観念''' *① Galli se omnes ab Dite patre prognatos praedicant **ガッリア人は、自分たちは皆、ディス・パテルの末裔であると公言しており、 **:(訳注:ディス・パテル [[w:en:Dis_Pater|Dis Pater]] も前節と同様にローマ神話の神名である。) *idque ab druidibus proditum dicunt. **それは[[w:ドルイド|ドルイド]]たちにより伝えられたと言う。 ;時間の観念 *② Ob eam causam spatia omnis temporis non numero dierum, sed noctium finiunt; **その理由のために、すべての[[w:時間|時間]]の間隔を、[[w:昼|昼間]]の数ではなく、[[w:夜|夜間]](の数)で区切る。 *dies natales et mensum et annorum initia sic observant, ut noctem dies subsequatur. **誕生日も、月や年の初めも、夜間に昼間が続くように注意を払っている。 ;子供についての観念 *③ In reliquis vitae institutis hoc fere ab reliquis differunt, **人生のほかの風習において、以下の点でほかの者たち(種族)からほぼ異なっている。 *quod suos liberos, nisi cum adoleverunt, ut munus militiae sustinere possint, **自分の子供たちが、[[w:徴兵制度|兵役の義務]]を果たすことができるように成長したときでない限り、 *palam ad se adire non patiuntur **公然と自分のところへ近づくことは許されないし、 *filiumque puerili aetate in publico in conspectu patris adsistere turpe ducunt. **少年期の息子が公けに父親の見ているところでそばに立つことは恥ずべきと見なしている。 ===19節=== '''ガッリア人の婚姻と財産・葬儀の制度''' *① Viri, quantas pecunias ab uxoribus dotis nomine acceperunt, **夫は、妻から[[w:持参金|持参金]]の名目で受け取った金銭の分だけ、 *tantas ex suis bonis aestimatione facta cum dotibus communicant. **自分の財産のうちから見積もられた分を、持参金とともに一つにする。 *② Huius omnis pecuniae coniunctim ratio habetur fructusque servantur: **これらのすべての金銭は共同に算定が行なわれて、[[w:利子|利子]]が貯蓄される。 *uter eorum vita superarit, **彼ら2人のいずれかが、人生において生き残ったら、 *ad eum pars utriusque cum fructibus superiorum temporum pervenit. **双方の分がかつての期間の利子とともに(生き残った)その者(の所有)に帰する。 [[画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガッリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。]] *③ Viri in uxores, sicuti in liberos, vitae necisque habent potestatem; **夫は、妻において、子供におけるのと同様に、生かすも殺すも勝手である。 *et cum pater familiae inllustriore loco natus decessit, eius propinqui conveniunt **上流身分に生まれた家族の父親が死去したとき、彼の近縁の者たちが集まって、 *et de morte, si res in suspicionem venit, de uxoribus in servilem modum quaestionem habent, **死について、もし疑念が出来したならば、妻について、[[w:奴隷|奴隷]]におけるようなやり方で審問して、 *et si compertum est, igni atque omnibus tormentis excruciatas interficiunt. **もし(疑念が)確認されたならば、火やあらゆる責め道具によって[[w:拷問|拷問]]にかけて誅殺する。 *④ Funera sunt pro cultu Gallorum magnifica et sumptuosa; **[[w:葬儀|葬儀]]は、ガッリア人の生活習慣の割には派手でぜいたくなものである。 *omniaque quae vivis cordi fuisse arbitrantur in ignem inferunt, etiam animalia, **生前に大切であったと思われるもの一切合財を、獣でさえも、火の中に投げ入れる。 *ac paulo supra hanc memoriam servi et clientes, quos ab his dilectos esse constabat, **さらに、より以前のこの記憶では、彼ら(亡者)により寵愛されていたことが知られていた奴隷や庇護民をも、 *iustis funeribus confectis una cremabantur. **慣習による葬儀が成し遂げられたら、一緒に火葬されていたのである。 ===20節=== '''ガッリア部族国家の情報統制''' *① Quae civitates commodius suam rem publicam administrare existimantur, **より適切に自分たちの公儀(=国家体制)を治めると考えられているような部族は、 *habent legibus sanctum, **(以下のように)定められた法度を持つ。 *si quis quid de re publica a finitimis rumore aut fama acceperit, **もし、ある者が公儀に関して近隣の者たちから何らかの噂や風聞を受け取ったならば、 *uti ad magistratum deferat neve cum quo alio communicet, **官吏に報告して、他の者と伝え合ってはならないと。 *② quod saepe homines temerarios atque imperitos falsis rumoribus terreri **というのは、無分別で無知な人間たちはしばしば虚偽の噂に恐れて、 *et ad facinus impelli et de summis rebus consilium capere cognitum est. **罪業に駆り立てられ、重大な事態についての考えを企てると認識されているからである。 *③ Magistratus quae visa sunt occultant, **官吏は、(隠すことが)良いと思われることを隠して、 *quaeque esse ex usu iudicaverunt, multitudini produnt. **有益と判断していたことを、民衆に明らかにする。 *De re publica nisi per concilium loqui non conceditur. **公儀について、集会を通じてでない限り、語ることは認められていない。 ==ゲルマーニアの風習と自然について== ===21節=== '''ゲルマーニア人の信仰と性''' *① Germani multum ab hac consuetudine differunt. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人はこれに対し、風習が大いに異なっている。 *Nam neque druides habent, qui rebus divinis praesint, neque sacrificiis student. **すなわち、神事を司る[[w:ドルイド|ドルイド]]も持たないし、供犠に熱心でもない。 *② Deorum numero **神々に数えるものとして、 *eos solos ducunt, quos cernunt et quorum aperte opibus iuvantur, Solem et Vulcanum et Lunam, **(彼らが)見分けるものや明らかにその力で助けられるもの、[[w:太陽|太陽]]と[[w:ウォルカヌス|ウォルカヌス]](火の神)と[[w:月|月]]だけを信仰して、 *reliquos ne fama quidem acceperunt. **ほかのものは風聞によってさえも受け入れていない。 **:(訳注:これに対して、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]は、ゲルマーニア人はメルクリウスやマルスなどを信仰すると伝えている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』2章・9章を参照</ref>。) *③ Vita omnis in venationibus atque in studiis rei militaris consistit: **すべての人生は、[[w:狩猟|狩猟]]に、および[[w:軍事|軍事]]への執心に依拠しており、 *ab parvulis labori ac duritiae student. **幼時より労役や負担に努める。 *④ Qui diutissime impuberes permanserunt, maximam inter suos ferunt laudem: **最も長く純潔に留まった者は、自分たちの間で最大の賞賛を得る。 *hoc ali staturam, ali vires nervosque confirmari putant. **これによって、ある者には背の高さが、ある者には力と筋肉が強化されると、思っている。 *⑤ Intra annum vero vicesimum feminae notitiam habuisse in turpissimis habent rebus; **20歳にならない内に女を知ってしまうことは、とても恥ずべきことであると見なしている。 *cuius rei nulla est occultatio, **その(性の)事を何ら隠すことはない。 *quod et promiscue in fluminibus perluuntur **というのは、川の中で(男女が)混じって入浴しても、 *et pellibus aut parvis renonum tegimentis utuntur, magna corporis parte nuda. **なめし皮や、小さな毛皮の覆いを用いるが、体の大部分は裸なのである。 ===22節=== '''ゲルマーニア人の土地制度''' *① Agri culturae non student, **(ゲルマーニア人は)[[w:農耕|土地を耕すこと]]に熱心ではなく、 *maiorque pars eorum victus in lacte, caseo, carne consistit. **彼らの大部分は、生活の糧が[[w:乳|乳]]、[[w:チーズ|チーズ]]、[[w:肉|肉]]で成り立っている。 *② Neque quisquam agri modum certum aut fines habet proprios; **何者も、土地を確定した境界で、しかも持続的な領地として、持ってはいない。 *sed magistratus ac principes in annos singulos **けれども、官吏や領袖たちは、各年ごとに、 *gentibus cognationibusque hominum, quique una coierunt, **一緒に集住していた種族や血縁の人々に、 *quantum et quo loco visum est agri adtribuunt **適切と思われる土地の規模と場所を割り当てて、 *atque anno post alio transire cogunt. **翌年には他(の土地)へ移ることを強いるのである。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#1節|第4巻1節]]には、スエービー族の説明として同様の記述がある。) *③ Eius rei multas adferunt causas: **(官吏たちは)その事の多くの理由を説明する。 *ne adsidua consuetudine capti studium belli gerendi agricultura commutent; **(部族民が)[[w:居住|定住]]する習慣にとらわれて、戦争遂行の熱意を土地を耕すことに変えてしまわないように。 *ne latos fines parare studeant, potentioresque humiliores possessionibus expellant; **広大な領地を獲得することに熱心になって、有力者たちが弱者たちを地所から追い出さないように。 *ne accuratius ad frigora atque aestus vitandos aedificent; **寒さや暑さを避けるために(住居を)非常な入念さで建築することがないように。 *ne qua oriatur pecuniae cupiditas, qua ex re factiones dissensionesque nascuntur; **金銭への欲望が増して、その事から派閥や不和が生ずることのないように。 *ut animi aequitate plebem contineant, cum suas quisque opes cum potentissimis aequari videat. **おのおのが自分の財産も最有力者のも同列に置かれていると見ることで、心の平静により民衆を抑えるように。 <br> :(訳注:[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.510)</ref>や[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』23章・16章などを参照。26章では農耕についても解説されている。</ref>などの著述家たちも、ゲルマーニアの住民が農耕をせず、 :遊牧民のように移動しながら暮らし、小さな住居に住み、食料を家畜に頼っていると記述している。) ===23節=== '''ゲルマーニア諸部族のあり方''' *① Civitatibus maxima laus est **諸部族にとって、最も称賛されることは、 *quam latissime circum se vastatis finibus solitudines habere. **できる限り広く自分たちの周辺で領土を荒らして荒野に保っておくことである。 *② Hoc proprium virtutis existimant, **以下のことを(自分たちの)武勇の特質と考えている。 *expulsos agris finitimos cedere, **近隣の者たちが土地から追い払われて立ち去ること、 *neque quemquam prope {se} audere consistere; **および、何者も自分たちの近くにあえて定住しないこと、である。 *③ simul hoc se fore tutiores arbitrantur, repentinae incursionis timore sublato. **他方、これにより、予期せぬ襲撃の恐れを取り除いて、自分たちはより安全であろうと思われた。 *④ Cum bellum civitas aut inlatum defendit aut infert, **部族に戦争がしかけられて防戦したり、あるいはしかけたりしたときには、 *magistratus, qui ei bello praesint, ut vitae necisque habeant potestatem, deliguntur. **その戦争を指揮して、生かすも殺すも勝手な権力を持つ将官が選び出される。 *⑤ In pace nullus est communis magistratus, **平時においては、(部族に)共通の将官は誰もいないが、 *sed principes regionum atque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagorum]]</u> inter suos ius dicunt controversiasque minuunt. **地域や<u>郷</u>の領袖たちが、身内の間で判決を下して、訴訟ごとを減らす。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus"/>。)</span> *⑥ Latrocinia nullam habent infamiam, quae extra fines cuiusque civitatis fiunt, **それぞれの部族の領土の外で行なう略奪のことは、何ら恥辱とは見なしていない。 *atque ea iuventutis exercendae ac desidiae minuendae causa fieri praedicant. **さらに、それ(略奪)は、青年たちを訓練することや、怠惰を減らすことのために行なわれる、と公言している。 *⑦ Atque ubi quis ex principibus in concilio dixit **そして、領袖たちのうちのある者が(次のように)言うや否や、 *se ducem fore, qui sequi velint, profiteantur, **《自分が(略奪の)引率者となるから、追随したい者は申し出るように》と(言うや否や)、 *consurgunt ii qui et causam et hominem probant, suumque auxilium pollicentur **(略奪の)口実にも(引率する)人物にも賛同する者は立ち上がって、自らの支援を約束して、 *atque ab multitudine conlaudantur: **群衆から大いに誉められる。 *⑧ qui ex his secuti non sunt, **これら(約束した者)のうちで(略奪に)追随しない者は、 *in desertorum ac proditorum numero ducuntur, **逃亡兵や裏切り者と見なされて、 *omniumque his rerum postea fides derogatur. **その後は、彼らにとってあらゆる事の信頼が(皆から)拒まれる。 *⑨ Hospitem violare fas non putant; **客人に暴行することは道理に適うとは思ってはいない。 *qui quacumque de causa ad eos venerunt, **彼ら(ゲルマーニア人)のところへ理由があって来た者(=客人)は誰であれ、 *ab iniuria prohibent, sanctos habent, **無法行為から防ぎ、尊ぶべきであると思っている。 *hisque omnium domus patent victusque communicatur. **彼ら(客人)にとってすべての者の家は開放されており、生活用品は共有される。 **:(訳注:客人への接待ぶりについては、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』21章を参照。</ref>も伝えている。) ===24節=== [[画像:Celts.svg|thumb|right|200px|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。]] [[画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|thumb|right|200px|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。]] [[画像:Hallstatt_LaTene.png|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。]] '''ゲルマーニア人とガッリア人''' *① Ac fuit antea tempus, **かつてある時代があって、 *cum Germanos Galli virtute superarent, **そのとき、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人を[[w:ガリア|ガッリア]]人が武勇で優っており、 *ultro bella inferrent, propter hominum multitudinem agrique inopiam **人間の多さと土地の欠乏のために(ガッリア人は)自発的に戦争をしかけて、 *trans Rhenum colonias mitterent. **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側へ入植者たちを送り込んでいた。 *② Itaque ea quae fertilissima Germaniae sunt loca circum Hercyniam silvam, **[[w:ヘルキュニア|ヘルキュニア]]の森の周辺のゲルマーニアで最も肥沃な地を、 *quam Eratostheni et quibusdam Graecis fama notam esse video, **それを[[w:エラトステネス|エラトステネス]]や[[w:ギリシア人|ギリシア人]]のある者たちも風聞により知っていたと私は見出して、 *quam illi Orcyniam appellant, **それを彼らはオルキュニアと呼んでいるが、 *Volcae Tectosages occupaverunt atque ibi consederunt; **(その地を)ウォルカエ族系のテクトサゲス族が占領して、そこに定住していた。 *③ quae gens ad hoc tempus his sedibus sese continet **その種族は、この時代までこの居場所に留まっており、 *summamque habet iustitiae et bellicae laudis opinionem. **公正さと戦いの称賛で最高の評判を得ている。 *④ Nunc quod in eadem inopia, egestate, patientia qua Germani permanent, **今も、窮乏や貧困を、ゲルマーニア人が持ちこたえているのと同じ忍耐をもって、 *eodem victu et cultu corporis utuntur; **同じ食物および体の衣服を用いている。 *⑤ Gallis autem provinciarum propinquitas et transmarinarum rerum notitia **これに対して、ガッリア人にとって(ローマの)属州に近接していること、および海外のものを知っていることは、 *multa ad copiam atque usus largitur, **富や用品の多くが供給されている。 *paulatim adsuefacti superari multisque victi proeliis **(ガッリア人は)しだいに圧倒されることや多くの戦闘で打ち負かされることに慣らされて、 *ne se quidem ipsi cum illis virtute comparant. **(ガッリア人)自身でさえも彼ら(ゲルマーニア人)と武勇で肩を並べようとはしないのである。 <br> :('''訳注''':本節の①項については、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]が著書『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』28章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XXVIII|原文]])において、次のように言及している。 :''Validiores olim Gallorum res fuisse summus auctorum divus Iulius tradit; '' :かつてガッリア人の勢力がより強力であったことは、最高の証言者である神君ユリウス(・カエサル)も伝えている。 :''eoque credibile est etiam Gallos in Germaniam transgressos:'' :それゆえに、ガッリア人でさえもゲルマーニアに渡って行ったと信ずるに値するのである。) ===25節=== '''ヘルキュニアの森林地帯''' *① Huius Hercyniae silvae, quae supra demonstrata est, latitudo **前に述べたヘルキュニアの森の幅は、 *novem dierum iter expedito patet: **軽装の旅で9日間(かかるだけ)広がっている。 *non enim aliter finiri potest, **なぜなら(ゲルマーニア人は)他に境界を定めることができないし、 *neque mensuras itinerum noverunt. **道のりの測量というものを知っていないのである。 [[画像:FeldbergPanorama.jpg|thumb|center|1000px|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)]] *② Oritur ab Helvetiorum et Nemetum et Rauracorum finibus **(その森は)[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]とネメテス族とラウラキ族の領土から発しており、 **:(訳注:これはライン川東岸に沿って南北に長い現在の[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]のことである。) *rectaque fluminis [[w:la:Danubius|Danubii]] regione **ダヌビウス川に沿って真っ直ぐに(流れ)、 **:(訳注:ダヌビウス Danubius はダヌウィウス Danuvius とも呼ばれ、現在の[[w:ドナウ川|ドナウ川]]である。) *pertinet ad fines Dacorum et Anartium; **[[w:ダキア人|ダキ族]]やアナルテス族の領土へ至る。 **:(訳注:これは[[w:ダキア|ダキア]] [[w:la:Dacia|Dacia]] すなわち現在の[[w:ルーマニア|ルーマニア]]辺りの地域である。) *③ hinc se flectit sinistrorsus diversis ab flumine regionibus **ここ(ダヌビウス川)から(森は)左方へ向きを変えて、川の地域からそれて、 **:(訳注:川が南へ折れるのとは逆に、森は北へそれて[[w:エルツ山地|エルツ山地]]を通って[[w:カルパティア山脈|カルパティア山脈]]に至ると考えられている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳注、岩波文庫、p.131-132の注などを参照</ref>。) *multarumque gentium fines propter magnitudinem attingit; **(森の)大きさのために、多くの種族の領土に接しているのである。 *④ neque quisquam est huius Germaniae, qui se aut adisse ad initium eius silvae dicat, **その森の(東の)端緒へ訪れたと言う者は、こちら(西側)の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に属する者では誰もいないし、 *cum dierum iter LX processerit, **60日間の旅で進んでも(いないのであるが)、 *aut, quo ex loco oriatur, acceperit: **あるいは(森が)どの場所から生じているか把握した(者もいないのである)。 *⑤ multaque in ea genera ferarum nasci constat, quae reliquis in locis visa non sint; **それ(=森)の中には、ほかの地では見られない野獣の多くの種類が生息していることが知られている。 *ex quibus quae maxime differant ab ceteris et memoriae prodenda videantur, **それらのうちで、ほかの(地の)ものと大きく異なったものは、記録で伝えるべきものであり、 *haec sunt. **以下のものである。 ===26節=== [[画像:Rentier fws 1.jpg|thumb|right|200px|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。]] '''ヘルキュニアの野獣①''' *① Est [[w:la:Bos|bos]] [[w:la:Cervus|cervi]] figura, **雄[[w:シカ|鹿]]の姿形をした[[w:ウシ|牛]]がいる。 *cuius a media fronte inter aures unum [[w:la:Cornu|cornu]] existit **それの両耳の間の額の真ん中から一つの角が出ており、 *excelsius magisque derectum his, quae nobis nota sunt, cornibus; **我々(ローマ人)に知られている角よりも非常に高くて真っ直ぐである。 *ab eius summo sicut palmae ramique late diffunduntur. **その先端部から、手のひらや枝のように幅広く広がっている。 *Eadem est feminae marisque natura, **雌と雄の特徴は同じであり、 *eadem forma magnitudoque cornuum. **角の形や大きさも同じである。 <br> :('''訳注''':カエサルによる本節の記述は[[w:ユニコーン|ユニコーン]](一角獣)の伝説に :結び付けられている。しかし本節における発達した枝角の説明は、むしろ :[[w:トナカイ|トナカイ]]や[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]]のような獣を想起させる。) ===27節=== [[画像:Bigbullmoose.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。]] [[画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG 1824.JPG|thumb|right|250px|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。]] '''ヘルキュニアの野獣②''' *① Sunt item, quae appellantur [[w:la:Alces|alces]]. **アルケスと呼ばれるものもいる。 **:(訳注:アルケス alces とは[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](オオシカ)を指す単語であるが本節の説明と矛盾する。) *Harum est consimilis [[w:la:Capra|capris]] figura et varietas pellium, **これらの姿形や毛皮のまだらは雄[[w:ヤギ|山羊]]に似ている。 *sed magnitudine paulo antecedunt **が、(山羊を)大きさで少し優っており、 *mutilaeque sunt cornibus **角は欠けていて、 *et crura sine nodis articulisque habent. **脚部には関節の類いがない。 **:(訳注:nodus も articulus も関節の類いを意味する) *② Neque quietis causa procumbunt **休息のために横たわらないし、 *neque, si quo adflictae casu conciderunt, **もし何か不幸なことで偶然にも倒れたならば、 *erigere sese aut sublevare possunt. **自らを起こすことも立ち上げることもできない。 *③ His sunt arbores pro cubilibus; **これらにとって木々は寝床の代わりである。 *ad eas se adplicant **それら(の木々)へ自らを寄りかからせて、 *atque ita paulum modo reclinatae quietem capiunt. **こうして少しだけもたれかかって休息を取るのである。 *④ Quarum ex vestigiis **それらの足跡から *cum est animadversum a venatoribus, quo se recipere consuerint, **(鹿が)どこへ戻ることを常としているかを狩人によって気付かれたときには、 *omnes eo loco aut ab radicibus subruunt aut accidunt arbores, **その地のすべての木々を(狩人は)根から倒すか、あるいは傷つけて、 *tantum ut summa species earum stantium relinquatur. **それらの(木々の)いちばん(外側)の見かけが、立っているかのように残して置かれる。 *⑤ Huc cum se consuetudine reclinaverunt, **そこに(鹿が)習性によってもたれかかったとき、 *infirmas arbores pondere adfligunt atque una ipsae concidunt. **弱った木々を重みで倒してしまい、自身も一緒に倒れるのである。 ===28節=== [[画像:Wisent.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。]] [[画像:Muybridge Buffalo galloping.gif|thumb|right|200px|疾走するバイソン]] [[画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|thumb|right|200px|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。]] '''ヘルキュニアの野獣③''' *③ Tertium est genus eorum, qui uri appellantur. **第3のものは、野牛と呼ばれる種類である。 *Hi sunt magnitudine paulo infra [[w:la:Elephantidae|elephantos]], **これらは、大きさで少し[[w:ゾウ|象]]に劣るが、 *specie et colore et figura [[w:la:Taurus|tauri]]. **見かけと色と姿形は雄[[w:ウシ|牛]]である。 *② Magna vis eorum est et magna velocitas, **それらの力は大きく、(動きも)とても速く、 *neque homini neque ferae, quam conspexerunt, parcunt. **人間でも野獣でも、見かけたものには容赦しない。 *Hos studiose foveis captos interficiunt. **(ゲルマーニア人は)これらを熱心に落とし穴で捕らえたものとして殺す。 *③ Hoc se labore durant adulescentes **この労苦により青年たちを鍛え、 *atque hoc genere venationis exercent, **[[w:狩猟|狩猟]]のこの類いで鍛錬するのであり、 *et qui plurimos ex his interfecerunt, **これら(の野牛)のうちから最も多くを殺した者は、 *relatis in publicum [[w:la:Cornu|cornibus]], quae sint testimonio, **証拠になるための[[w:角|角]]を公の場に持参して、 *magnam ferunt laudem. **大きな賞賛を得るのである。 *④ Sed adsuescere ad homines et mansuefieri ne parvuli quidem excepti possunt. **けれども(野牛は)幼くして捕らえられてさえも、人間に慣れ親しんで飼い慣らされることはできない。 *⑤ Amplitudo cornuum et figura et species multum a nostrorum boum cornibus differt. **角の大きさや形や見かけは、我々(ローマ人)の牛の角とは大いに異なる。 *⑥ Haec studiose conquisita ab labris argento circumcludunt **これらは熱心に探し求められて、縁を[[w:銀|銀]]で囲って、 *atque in amplissimis epulis pro poculis utuntur. **とても贅沢な祝宴において[[w:盃|杯]]として用いられるのである。 ==対エブロネス族追討戦(1)== ===29節=== '''ゲルマーニアから撤兵、対アンビオリクス戦へ出発''' *① Caesar, postquam per Ubios exploratores comperit Suebos sese in silvas recepisse, **カエサルは、ウビイー族の偵察者たちを通じてスエービー族が森に撤退したことを確報を受けた後で、 **:(訳注:[[#10節|10節]]によれば、バケニス Bacenis の森。[[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について|既述]]のように、スエービー族とはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] と考えられる。) *inopiam frumenti veritus, **糧食の欠乏を恐れて、 *quod, ut supra demonstravimus, minime omnes Germani agri culturae student, **というのは、前に説明したように、ゲルマーニア人は皆が土地を耕すことに決して熱心でないので、 **:(訳注:[[#22節|22節]]を参照。耕地がなければ、ローマ軍は穀物の現地調達ができない。) *constituit non progredi longius; **より遠くへ前進しないことを決めた。 *② sed, ne omnino metum reditus sui barbaris tolleret **けれども、自分たち(ローマ軍)が戻って来る恐れを蛮族からまったく取り去ってしまわないように、 *atque ut eorum auxilia tardaret, **かつ、彼ら(ゲルマーニア人)の(ガッリア人への)支援を遅らせるように、 *reducto exercitu partem ultimam pontis, quae ripas Ubiorum contingebat, **ウビイー族側の岸(=レーヌス川東岸)につなげていた橋の最後の部分に軍隊を連れ戻して、 *in longitudinem pedum ducentorum rescindit **(橋を)長さ200[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約60m)切り裂いて、 *③ atque in extremo ponte turrim tabulatorum quattuor constituit **橋の先端のところに4層の櫓を建てて、 *praesidiumque cohortium duodecim pontis tuendi causa ponit **12個[[w:コホルス|歩兵大隊]]の守備隊を橋を防護するために配置して、 *magnisque eum locum munitionibus firmat. **その場所を大きな城砦で固めた。 *Ei loco praesidioque C.(Gaium) Volcacium Tullum adulescentem praeficit. **その場所と守備隊を青年ガイウス・ウォルカキウス・トゥッルスに指揮させた。 **:(訳注:元執政官 [[w:en:Lucius_Volcatius_Tullus_(consul_66_BC)|Lucius Volcatius Tullus]] に対して、青年 adulescentem と区別したのであろう。 **:ウォルカキウス Volcacium の綴りは、写本により相異する。) *④ Ipse, cum maturescere frumenta inciperent, **(カエサル)自身は、穀物が熟し始めたので、 *ad bellum [[w:la:Ambiorix|Ambiorigis]] profectus per Arduennam silvam, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]との戦争へ、アルドゥエンナの森を通って進発した。 **:(訳注:アルドゥエンナの森については、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]ですでに説明されている。) *quae est totius Galliae maxima **それ(=森)は全ガッリアで最も大きく、 *atque ab ripis Rheni finibusque Treverorum ad Nervios pertinet **レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の岸およびトレーウェリー族の境界から、[[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]](の領土)へ及んでおり、 *milibusque amplius quingentis in longitudinem patet, **長さは500ローママイル(=約740km)より大きく広がっている。 *L.(Lucium) Minucium Basilum cum omni equitatu praemittit, **ルキウス・ミヌキウス・バスィルスをすべての騎兵隊とともに先遣した。 *si quid celeritate itineris atque opportunitate temporis proficere possit; **行軍の迅速さと時間の有利さによって、何かを得られるかどうかということである。 *⑤ monet, ut ignes in castris fieri prohibeat, ne qua eius adventus procul significatio fiat: **野営において火を生じることを禁じるように、何事かにより遠くから彼の到来の予兆を生じないように、戒めた。 *sese confestim subsequi dicit. **(カエサル)自らは、ただちに後から続くと言った。 ===30節=== '''アンビオリクスがバスィリスのローマ騎兵から逃れる''' *① Basilus, ut imperatum est, facit. **バスィルスは、命令されたように、行なった。 *Celeriter contraque omnium opinionem confecto itinere **速やかに、かつ皆の予想に反して、行軍を成し遂げて、 *multos in agris inopinantes deprehendit: **(城市でない)土地にいた気付かないでいる多くの者を捕らえた。 *eorum indicio ad ipsum Ambiorigem contendit, quo in loco cum paucis equitibus esse dicebatur. **彼らの申し立てにより、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]その人がわずかな騎兵たちとともにいると言われていた場所に急いだ。 *② Multum cum in omnibus rebus, tum in re militari potest Fortuna. **あらゆる事柄においても、とりわけ軍事においても、運命(の女神)が大いに力がある。 *Nam magno accidit casu, **実際のところ、大きな偶然により生じたのは、 *ut in ipsum incautum etiam atque imparatum incideret, **(アンビオリクス)自身でさえも油断していて不用意なところに(バスィルスが)遭遇したが、 *priusque eius adventus ab omnibus videretur, quam fama ac nuntius adferretur: **彼の到来が(ガッリア勢の)皆により見られたのが、風聞や報告により知らされるよりも早かったのである。 *sic magnae fuit fortunae **同様に(アンビオリクスにとって)大きな幸運に属したのは、 *omni militari instrumento, quod circum se habebat, erepto, **自らの周りに持っていたすべての武具を奪われて、 *raedis equisque comprehensis **四輪馬車や馬を差し押さえられても、 *ipsum effugere mortem. **(アンビオリクス)自身は死を逃れたことである。 *③ Sed hoc quoque factum est, **しかし、以下のこともまた起こった。 *quod aedificio circumdato silva, **(アンビオリクスの)館が森で取り巻かれており、 *─ ut sunt fere domicilia Gallorum, qui vitandi aestus causa **─ ガッリア人の住居はほぼ、暑さを避けることのために、 *plerumque silvarum atque fluminum petunt propinquitates ─, **たいてい森や川の近接したところに求めるのであるが ─ *comites familiaresque eius angusto in loco paulisper equitum nostrorum vim sustinuerunt. **彼の従者や郎党どもが、狭い場所でしばらく、我が方(ローマ勢)の騎兵の力を持ちこたえたのだ。 *④ His pugnantibus illum in equum quidam ex suis intulit: **彼らが戦っているときに、彼(アンビオリクス)を配下のある者が馬に押し上げて、 *fugientem silvae texerunt. **逃げて行く者(アンビオリクス)を森が覆い隠した。 *Sic et ad subeundum periculum et ad vitandum multum Fortuna valuit. **このように(アンビオリクスが)危険に突き進んだことや避けられたことに対して、運命(の女神)が力をもったのである。 ===31節=== '''エブロネス族の退避、カトゥウォルクスの最期''' *① [[w:la:Ambiorix|Ambiorix]] copias suas iudicione non conduxerit, quod proelio dimicandum non existimarit, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]は、戦闘で争闘するべきとは考えていなかったので、自らの判断で軍勢を集めなかったのか、 *an tempore exclusus et repentino equitum adventu prohibitus, **あるいは、時間に阻まれ、予期せぬ[[w:騎兵|騎兵]]の到来に妨げられて、 *cum reliquum exercitum subsequi crederet, **(ローマ勢の)残りの軍隊(=軍団兵)が後続して来ることを信じたためなのか、 *dubium est. **不確かなことである。 *② Sed certe dimissis per agros nuntiis sibi quemque consulere iussit. **けれども、確かに領地を通じて伝令を四方に遣わして、おのおのに自らを助けることを命じた。 *Quorum pars in Arduennam silvam, pars in continentes paludes profugit; **それらの者たち(領民)のある一部はアルドゥエンナの森に、一部は絶え間ない沼地に退避した。 *③ qui proximi Oceano fuerunt, **<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>にとても近いところにいた者たちは、 *hi insulis sese occultaverunt, quas aestus efficere consuerunt: **[[w:潮汐|満潮]]が形成するのが常であった島々に身を隠した。 [[画像:Taxus baccata MHNT.jpg|thumb|right|300px|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。]] *④ multi ex suis finibus egressi **多くの者たちは、自分たちの領土から出て行って、 *se suaque omnia alienissimis crediderunt. **自分たちとその一切合財をまったく異邦の者たちに委ねた。 *⑤Catuvolcus, rex dimidiae partis Eburonum, **[[w:カトゥウォルクス|カトゥウォルクス]]は、[[w:エブロネス族|エブロネス族]]の半分の地方の王であり、 *qui una cum Ambiorige consilium inierat, **アンビオリクスと一緒に(カエサルに造反する)企てに取りかかった者であるが、 **:(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#26節|第5巻26節]]を参照。) *aetate iam confectus, cum laborem aut belli aut fugae ferre non posset, **もはや老衰していたので、戦争の労苦、あるいは逃亡の労苦に耐えることができなかったので、 **:(訳注:aetate confectus 老衰した) *omnibus precibus detestatus Ambiorigem, qui eius consilii auctor fuisset, **その企ての張本人であったアンビオリクスをあらゆる呪詛のことばで呪って、 *taxo, cuius magna in Gallia Germaniaque copia est, se exanimavit. **[[w:ガリア|ガッリア]]や[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に大量にあった[[w:イチイ属|イチイ]]によって、息絶えたのであった。 ===32節=== '''ゲルマーニア部族の弁明、アドゥアトゥカに輜重を集める''' *① Segni Condrusique, ex gente et numero Germanorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の種族や集団のうち、[[w:セグニ族|セグニ族]]と[[w:コンドルスィ族|コンドルスィ族]]は、 *qui sunt inter Eburones Treverosque, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]とトレーウェリー族の間にいたが、 *legatos ad Caesarem miserunt oratum, **カエサルのところへ嘆願するために使節たちを遣わした。 *ne se in hostium numero duceret **自分たちを敵として見なさないように、と。 *neve omnium Germanorum, qui essent citra Rhenum, unam esse causam iudicaret; **しかも、レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])のこちら側にいるゲルマーニア人すべての事情は1つであると裁断しないように、と。 *nihil se de bello cogitavisse, nulla Ambiorigi auxilia misisse. **自分たちは、戦争についてまったく考えたことはないし、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]に何ら援軍を派遣したことはない、と。 *② Caesar explorata re quaestione captivorum, **カエサルは捕虜を審問することによってその事を探り出すと、 *si qui ad eos Eburones ex fuga convenissent, **もし彼らのところへ逃亡しているエブロネス族の者たちの誰かが訪れたならば、 *ad se ut reducerentur, imperavit; **自分(カエサル)のところへ連れ戻されるようにと、命令した。 *si ita fecissent, fines eorum se violaturum negavit. **もしそのように行なったならば、彼らの領土を自分(カエサル)が侵害することはないであろうと主張した。 *③ Tum copiis in tres partes distributis **それから、軍勢を3方面に分散して、 *impedimenta omnium legionum Aduatucam contulit. **すべての軍団の[[w:輜重|輜重]]を[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に運び集めた。 **:(訳注:アドゥアトゥカ Aduatuca の表記は、写本によってはアトゥアトゥカ Atuatuca となっている。現在の[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]。) *④ Id castelli nomen est. **それは、城砦の名前である。 *Hoc fere est in mediis Eburonum finibus, **これは、エブロネス族の領土のほぼ真ん中にあり、 *ubi Titurius atque Aurunculeius hiemandi causa consederant. **そこには、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]と[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|アウルンクレイウス(・コッタ)]]が越冬するために陣取っていた。 *⑤ Hunc cum reliquis rebus locum probabat, **(カエサルは)この場所を、ほかの事柄によっても是認したし、 *tum quod superioris anni munitiones integrae manebant, ut militum laborem sublevaret. **またとりわけ前年の防備が損なわれずに存続していたので、兵士の労苦を軽減するためでもある。 *Praesidio impedimentis legionem quartamdecimam reliquit, **(全軍の)輜重の守備隊として第14軍団を(そこに)残した。 *unam ex his tribus, quas proxime conscriptas ex Italia traduxerat. **(それは)最近にイタリアから徴集されたものとして連れて来られた3個(軍団)のうちの1個である。 **:(訳注:[[#1節|1節]]を参照。イタリア Italia とはカエサルが総督であった[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。) *Ei legioni castrisque Q.(Quintum) Tullium Ciceronem praeficit ducentosque equites ei attribuit. **その[[w:ローマ軍団|軍団]]と陣営には[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]を指揮者として、200騎の騎兵を彼に割り当てた。 ===33節=== '''軍勢をカエサル、ラビエヌス、トレボニウスの三隊に分散''' *① Partito exercitu **軍隊を分配して、 *T.(Titum) Labienum cum legionibus tribus ad Oceanum versus **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]]には、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに、<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>の方へ向けて、 *in eas partes, quae Menapios attingunt, proficisci iubet; **[[w:メナピイ族|メナピイ族]]に接する地方に出発することを命じた。 *② C.(Gaium) Trebonium cum pari legionum numero **[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]には、軍団の同数とともに、 *ad eam regionem, quae Aduatucis adiacet, depopulandam mittit; **[[w:アドゥアトゥキ族|アドゥアトゥキ族]]に隣接する領域へ、荒らすために派遣した。 [[画像:Locatie-Maas-3.png|thumb|right|200px|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。]] [[画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|thumb|right|200px|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。]] *③ ipse cum reliquis tribus ad flumen [[w:la:Scaldis|Scaldim]], quod influit in [[w:la:Mosa|Mosam]], **(カエサル)自身は、残りの3個(軍団)とともに、モサ(川)に流れ込むスカルディス川のところへ、 **:(訳注:スカルディス Scaldis は現在の[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]] Schelde で、フランス北部からベルギー、オランダへ流れている。 **:モサ川 Mosa すなわち現在の[[w:マース川|マース川]] Maas とは運河でつながるが、当時の関係およびカエサルの目的地は不詳。) *extremasque Arduennae partes ire constituit, **かつ[[w:アルデンヌ|アルドゥエンナ]](の森林)の外縁の地方へ行軍することを決めた。 *quo cum paucis equitibus profectum Ambiorigem audiebat. **そこへは、アンビオリクスがわずかな騎兵たちとともに出発したと聞いていたのだ。 *④ Discedens post diem septimum sese reversurum confirmat; **(カエサルは陣営を)離れるに当たって、7日目の後(=6日後)に自分は引き返して来るであろうと断言した。 *quam ad diem ei legioni, quae in praesidio relinquebatur, deberi frumentum sciebat. **その当日には、守備に残される軍団にとって糧食が必要とされることを(カエサルは)知っていたのだ。 *⑤ Labienum Treboniumque hortatur, **(カエサルは)ラビエヌスとトレボニウスを(以下のように)鼓舞した。 *si rei publicae commodo facere possint, **もし(ローマ軍全体の)公務のために都合良く行動することができるならば、 *ad eum diem revertantur, **その日には戻って、 *ut rursus communicato consilio exploratisque hostium rationibus **再び(互いの)考えを伝達して、敵たちの作戦を探り出し、 *aliud initium belli capere possint. **次なる戦争の端緒を捉えようではないか、と。 <br> :('''訳注:カエサル麾下の軍団配分について''' :[[ガリア戦記 第5巻#8節|第5巻8節]]の記述によれば、ブリタンニアへ2度目の遠征をする前(BC54年)のカエサルは少なくとも8個軍団と騎兵4000騎を :指揮していた。[[ガリア戦記 第5巻#24節|第5巻24節]]によれば、帰還後は8個軍団および軍団から離れた5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を指揮していたが、 :アンビオリクスによる[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]らとともに1個軍団と5個大隊が壊滅したので、残りは7個軍団となる。 :[[#1節|本巻1節]]によれば、この年(BC53年)には3個軍団を新たに徴集したので、計10個軍団となったはずである。 :[[#29節|29節]]では、このうちから12個大隊をライン川に架かる橋の守備に残し、[[#32節|32節]]では輜重の守備としてアドゥアトゥカに1個軍団を残した。 :本節の記述通りにラビエヌス、トレボニウス、カエサルがそれぞれ3個軍団(計9個)を受け持ったとすると、あわせて10個軍団と12個大隊という勘定になる。 :したがって、この勘定が正しいのであれば、ライン川に残した12個大隊は各軍団から引き抜いたものであり、各軍団は定員を割っていると考えられる。) ===34節=== '''夷を以って夷を制す対エブロネス族包囲網''' *① Erat, ut supra demonstravimus, manus certa nulla, **前に説明したように、(エブロネス族には)決まった手勢がなかったし、 **:(訳注:[[#31節|31節]]を参照。) *non oppidum, non praesidium, quod se armis defenderet, **自分たちが武器で防衛するような[[w:オッピドゥム|城市]]も、防塁もなかった。 *sed in omnes partes dispersa multitudo. **けれども、あらゆる方面に大勢が分散されていた。 *② Ubi cuique aut valles abdita aut locus silvestris aut palus impedita **おのおのが、密かな峡谷、あるいは森に覆われた土地といったところに、 *spem praesidi aut salutis aliquam offerebat, consederat. **守備あるいは身の安全の何らかの希望を提供するところに、陣取っていた。 *③ Haec loca vicinitatibus erant nota, **これらの場所は、近隣の者たちは知っていたので、 **:(訳注:すなわち、近隣のガッリア人には地の利があり、ローマ人には地の利がなかったので) *magnamque res diligentiam requirebat **事態はたいへんな注意深さを必要としていた。 *non in summa exercitus tuenda **(ローマ人の)軍隊全体を守るためではなく、 *─ nullum enim poterat universis &lt;a&gt; perterritis ac dispersis periculum accidere ─, **─なぜなら、脅かされ分散されている者たちにより(ローマ軍)総勢が危険を生じることはありえなかったので─ *sed in singulis militibus conservandis; **けれども、個々の(ローマ人の)兵士たちを守ることのために(注意深さを必要としていた)。 *quae tamen ex parte res ad salutem exercitus pertinebat. **少なくとも、ある面では、そういう事態は軍隊の安全に及んでいた。 *④ Nam et praedae cupiditas multos longius evocabat, **すなわち、略奪品への欲望が多くの者たちをより遠くへ呼び寄せていたし、 *et silvae incertis occultisque itineribus confertos adire prohibebant. **森林の不確かで隠された道のりによって密集した行軍を妨げていた。 *⑤ Si negotium confici stirpemque hominum sceleratorum interfici vellent, **もし、戦役が完遂されること、および非道な連中(=エブロネス族)の血筋が滅ぼされることを欲するならば、 *dimittendae plures manus diducendique erant milites; **いくつもの部隊が分遣され、兵士たちが展開されるべきである。 *⑥ si continere ad signa manipulos vellent, ut instituta ratio et consuetudo exercitus Romani postulabat, **もし、ローマ軍が決められた流儀や慣行を要求するように、[[w:マニプルス|中隊]]が軍旗のもとにとどまることを欲するならば、 *locus ipse erat praesidio barbaris, **その場所が蛮族にとって守りとなるであろう。 *neque ex occulto insidiandi et dispersos circumveniendi **隠れたところから待ち伏せするため、分散した者たち(=ローマ兵)を包囲するために、 *singulis deerat audacia. **(エブロネス族の)おのおのにとって勇敢さには事欠かなかった。 *⑦ Ut in eiusmodi difficultatibus, quantum diligentia provideri poterat providebatur, **そのような困難さにおいては、できるかぎりの注意深さで用心されるほどに、用心されるものであるが、 *ut potius in nocendo aliquid praetermitteretur, **結果として、むしろ(敵勢への)何らかの加害は差し控えられることになった。 *etsi omnium animi ad ulciscendum ardebant, **たとえ、皆の心が(エブロネス族に)報復するために燃え立っていたとしても、 *quam cum aliquo militum detrimento noceretur. **兵士たちの何らかの損失を伴って(敵に)加害がなされるよりも。 **:(訳注:伏兵によって被害をこうむるよりは、ローマ人の安全のために、ローマ兵による攻撃は避けられた。) *⑧ Dimittit ad finitimas civitates nuntios Caesar; **カエサルは、近隣の諸部族のところへ伝令たちを分遣した。 *omnes ad se vocat spe praedae ad diripiendos Eburones, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]に対して戦利品を略奪することの望みを呼びかけた。 *ut potius in silvis Gallorum vita quam legionarius miles periclitetur, **森の中で、軍団の兵士たちよりも、むしろガッリア人たちの生命が危険にさらされるように、 *simul ut magna multitudine circumfusa **同時にまた、たいへんな大勢で取り囲むことによって、 *pro tali facinore stirps ac nomen civitatis tollatur. **(サビヌスらを滅ぼした)あれほどの罪業の報いとして、部族の血筋と名前が抹殺されるように、と。 *Magnus undique numerus celeriter convenit. **至る所から多数の者が速やかに集結した。 ==スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦== ===35節=== '''スガンブリー族が略奪に駆り立てられてアドゥアトゥカへ向かう''' *① Haec in omnibus Eburonum partibus gerebantur, **これらのこと(=追討戦)が[[w:エブロネス族|エブロネス族]]のすべての地方で遂行されていたが、 *diesque adpetebat septimus, quem ad diem Caesar ad impedimenta legionemque reverti constituerat. **カエサルがその日に[[w:輜重|輜重]]と(キケロの)[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ引き返すと決めていた7日目が近づいていた。 *② Hic quantum in bello Fortuna possit et quantos adferat casus, cognosci potuit. **ここに、戦争では運命(の女神)がどれほどのことに力を持ち、どれほどの結末を引き起こすかを知ることができた。 **:(訳注:[[#30節|30節]]でもそうだが、カエサルは戦況が芳しくないと運命 Fortuna を持ち出すようである。[[#42節|42節]]も参照。) *③ Dissipatis ac perterritis hostibus, ut demonstravimus, **(前節で)説明したように、追い散らされて、脅かされている敵たちには、 *manus erat nulla quae parvam modo causam timoris adferret. **(ローマ勢に敵を)恐れる理由を少しの程度も引き起こすようないかなる手勢もなかった。 *④ Trans Rhenum ad Germanos **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人のところへ、 *pervenit fama, diripi Eburones atque ultro omnes ad praedam evocari. **エブロネス族が収奪され、(近隣部族の)皆が略奪品へ向けて自発的に誘惑されているという風評が達した。 *⑤ Cogunt equitum duo milia Sugambri, qui sunt proximi Rheno, **レーヌスの近隣にいたスガンブリ族は、騎兵2000騎を徴集した。 *a quibus receptos ex fuga Tenctheros atque Usipetes supra docuimus. **前に説明したように、彼らによって[[w:テンクテリ族|テンクテリ族]]と[[w:ウスィペテス族|ウスィペテス族]]が逃亡から迎え入れられたのだ。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]および[[ガリア戦記 第4巻#18節|18~19節]]を参照。) *⑥ Transeunt Rhenum navibus ratibusque **(スガンブリー族は)レーヌスを船団や筏で渡河した。 *triginta milibus passuum infra eum locum, ubi pons erat perfectus praesidiumque ab Caesare relictum. **カエサルにより橋が造り上げられて守備隊が残された地点よりも下流に30ローママイル(約44km)のところを。 *Primos Eburonum fines adeunt; **手始めとしてエブロネス族の領土に殺到して、 *multos ex fuga dispersos excipiunt, **逃亡からちりぢりにさせられた多くの者たちを追い捕らえて、 *magno pecoris numero, cuius sunt cupidissimi barbari, potiuntur. **蛮族たちが最も熱望している家畜の多数をわがものにした。 *⑦ Invitati praeda longius procedunt. **(スガンブリー族の軍勢は)略奪品に誘われて、より遠くに進み出た。 *Non hos palus ─ in bello latrociniisque natos ─, non silvae morantur. **戦争や追いはぎに生まれついていたので、沼地も森林も彼らを妨げることがなかった。 *Quibus in locis sit Caesar, ex captivis quaerunt; **カエサルがどの場所にいるのか、捕虜から問い質した。 *profectum longius reperiunt omnemque exercitum discessisse cognoscunt. **(彼が)より遠くに旅立って、軍隊の総勢が立ち去ったことを、知った。 *⑧ Atque unus ex captivis "Quid vos," inquit, **なおかつ、捕虜たちのうちの一人が「なぜ、あんたたちは」と言い出した。 *"hanc miseram ac tenuem sectamini praedam, **「この取るに足らない、ちっぽけな略奪品を追い求めるのか。 **:(訳注:sectamini はデポネンティア動詞 sector の直説法・2人称複数・現在形) *quibus licet iam esse fortunatissimos? **(あんたたちは)今や、最も富裕な者に成り得るのに。 *⑨ Tribus horis Aduatucam venire potestis: **(この場所から)3時間で[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に到達できる。 **:(訳注:古代ローマの時間は、不定時法であり、当地の緯度や季節により長さは異なる。) *huc omnes suas fortunas exercitus Romanorum contulit; **ここへ、ローマ軍がすべての財産を運び集めたのだ。 *praesidii tantum est, ut ne murus quidem cingi possit, **守備隊は、城壁が取り巻かれることさえできないほどの(貧弱な)ものでしかない。 *neque quisquam egredi extra munitiones audeat." **何者も防備の外側へあえて出て行こうとはしないのだ。」 *⑩ Oblata spe Germani, **ゲルマーニア人たちは(ローマ軍の財産という)望みを提示されて、 *quam nacti erant praedam, in occulto relinquunt; **(すでにエブロネス族の者たちから)獲得していた略奪品を秘されたところに残しておいて、 *ipsi Aduatucam contendunt usi eodem duce, cuius haec indicio cognoverant. **自身は、このことを申告により知ったところの同じ(捕虜の)案内人を使役して、アドゥアトゥカに急いだ。 <br> :('''訳注:部族名・地名の表記について''' :スガンブリー族 Sugambri:α系写本では Sugambri、T・U写本では Sygambri、V・R写本では Sigambri :テンクテリ族 Tenctheri:β系写本では Tenctheri、α系写本では Thenctheri :アドゥアトゥカ Aduatuca:α系・T写本では Aduatuca、V・ρ系写本では Atuatuca) ===36節=== '''アドゥアトゥカのキケロが糧秣徴発に派兵する''' *① [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|Cicero]], qui omnes superiores dies **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は(期日の7日目)より以前の日々すべてを *praeceptis Caesaris cum summa diligentia milites in castris continuisset **カエサルの指図により、最高の入念さとともに、兵士たちを陣営の中に留めておき、 *ac ne calonem quidem quemquam extra munitionem egredi passus esset, **<ruby><rb>[[w:カロネス|軍属奴隷]]</rb><rp>(</rp><rt>カロネス</rt><rp>)</rp></ruby> でさえも、何者も防備の外側に出て行くことを許されなかった。 *septimo die diffidens de numero dierum Caesarem fidem servaturum, **(期日の)7日目に、カエサルが日数についての約束を守るであろうか、という不信を抱いた。 *quod longius eum<ref>eum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> progressum audiebat, **というのは、彼(カエサル)は、はるか遠くに前進したと聞いていたのだし、 *neque ulla de reditu eius fama adferebatur, **彼の帰還については何ら伝言を届けられていなかったからである。 *② simul eorum permotus vocibus, **同時に(キケロは)以下のような者たちの声に揺り動かされた。 *qui illius patientiam paene obsessionem appellabant, siquidem ex castris egredi non liceret, **もし本当に陣営から出て行くことが許されないならば、彼の忍耐はほぼ攻囲(籠城)であるというのだ。 *nullum eiusmodi casum exspectans, **以下のような事態を予期してもいなかった。 *quo novem oppositis legionibus maximoque equitatu, **9個[[w:ローマ軍団|軍団]]と最大限の[[w:騎兵|騎兵]]隊が(敵と)対峙して、 *dispersis ac paene deletis hostibus **敵たちは散らばらされて、ほとんど抹殺されたのに、 *in milibus passuum tribus offendi posset, **(自陣から)3ローママイルの内で(敵対勢力から)襲撃され得るとは。 [[画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|thumb|right|200px|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。]] *quinque cohortes frumentatum in proximas segetes mittit, **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を糧秣徴発するために、近隣の耕地に派遣した。 *quas inter et castra unus omnino collis intererat. **それら(の耕地)と陣営の間には、ただ一つの丘陵が介在するだけであった。 *③ Complures erant in castris<ref>in castris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ex legionibus aegri relicti; **陣営の中には、諸軍団のうちから少なからぬ傷病者たちが残留していた。 *ex quibus qui hoc spatio dierum convaluerant, circiter trecenti(CCC), **その者たちのうちから、この日々の間に回復していた約300名が、 *sub vexillo una mittuntur; **<ruby><rb>[[w:ウェクスィッルム|軍旗]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェクスィッルム</rt><rp>)</rp></ruby>のもとで一緒に派遣された。 *magna praeterea multitudo calonum, magna vis iumentorum quae in castris subsederant, **そのうえに、軍属奴隷の大多数、陣営の中に残留していた(ロバなどの)役畜の多数が、 *facta potestate sequitur. **機会を与えられて、随行した。 ===37節=== [[画像:Castra1.png|thumb|right|200px|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。]] '''スガンブリー族がキケロの陣営に襲来''' *① Hoc ipso tempore et casu Germani equites interveniunt **このまさにその時と状況に、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の[[w:騎兵|騎兵]]たちが出現して、 *protinusque eodem illo, quo venerant, cursu **さらに前方へ(彼らが)やって来たのと同じ突進でもって、 *ab decumana porta in castra inrumpere conantur, **第10大隊の門(=裏門)から陣営の中に突入することを試みた。 **:(訳注:decumana porta は[[ガリア戦記 第2巻#24節|第2巻24節]]で既出、図を参照。) *② nec prius sunt visi obiectis ab ea parte silvis, quam [[wikt:la:castrum|castris]] adpropinquarent, **その方面については森林がじゃま立てしていたので(彼らは)陣営に接近するまでは視認されなかったのだ。 *usque eo ut qui sub [[w:la:Vallum|vallo]] tenderent mercatores, recipiendi sui facultatem non haberent. **そこまで(敵が急に来たので)、防柵の下に宿営していた商人たちが退避する機会を持たなかったほどであった。 *③ Inopinantes nostri re nova perturbantur, **予感していなかった我が方は、新しい事態に混乱させられて、 *ac vix primum impetum cohors in statione sustinet. **やっとのことで[[w:歩哨|歩哨]]に就いていた[[w:コホルス|歩兵大隊]]が(敵の)最初の突撃を持ちこたえた。 *④ Circumfunduntur ex reliquis hostes partibus, si quem aditum reperire possent. **敵たちは、何らかの入口を探り出せないかと、ほかの方面から取り囲んだ。 *⑤ Aegre portas nostri tuentur; **我が方(=ローマ勢)は辛うじて(四方の)諸門を固守して、 *reliquos aditus locus ipse per se munitioque defendit. **ほかの入口を、その位置そのものと防備が(敵の突入から)防護した。 *⑥ Totis trepidatur castris, **陣営の全体が震撼させられて、 *atque alius ex alio causam tumultus quaerit; **各人がほかの者に騒乱の原因を尋ね合った。 **:(訳注:エブロネス族を追討している最中に、スガンブリー族が来襲するとは予想だにしなかったからである。) *neque quo signa ferantur, neque quam in partem quisque conveniat provident. **が、どこへ軍旗が運ばれるのか、どの方面におのおのが集結するのか、判らなかった。 *⑦ Alius iam castra capta pronuntiat, **ある者は、すでに陣営は占拠されたと公言し、 *alius deleto exercitu atque imperatore victores barbaros venisse contendit; **別のある者は、軍隊も将軍(カエサル)も滅びて蛮族が勝利者としてやって来たのだ、と断言した。 *⑧ plerique novas sibi ex loco religiones fingunt **たいていの者たちは、その場所から、新奇な迷信的感情を創り上げ、 *Cottaeque et Tituri calamitatem, qui in eodem occiderint castello, **同じ砦のところで斃れた[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|コッタ]]と[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]の敗亡を *ante oculos ponunt. **眼前に想い描いた。 *⑨ Tali timore omnibus perterritis **このような怖れによって(陣営内部の)皆が脅えており、 *confirmatur opinio barbaris, ut ex captivo audierant, nullum esse intus praesidium. **蛮族にとっては、捕虜から聞いていたように、内部に守備隊が存在していないという見解が強められた。 *⑩ Perrumpere nituntur **(スガンブリー勢は、陣営の防備を)突破することに努め、 *seque ipsi adhortantur, ne tantam fortunam ex manibus dimittant. **これほどの幸運を手から取りこぼさないように、自分たちが自身を鼓舞した。 ===38節=== '''バクルスと百人隊長たちが防戦する''' *① Erat aeger cum<ref>cum はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> praesidio relictus P.(Publius) Sextius Baculus, **(キケロの陣営には)プーブリウス・セクスティウス・バクルスが傷病者として、守備兵とともに残されていた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span> *qui primum pilum ad<ref>ad はα系写本の記述で、β系写本では apud となっている。</ref> Caesarem duxerat, **その者はカエサルのもとで<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリムス・ピルス</rt><rp>)</rp></ruby> の座に就いていたことがあり、 *cuius mentionem superioribus proeliis fecimus, **かつての戦闘で彼に言及したが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]] および [[ガリア戦記 第3巻#5節|第3巻5節]]を参照。)</span> *ac diem iam quintum cibo caruerat. **(このとき)食物を欠いてすでに5日目であった。 *② Hic diffisus suae atque omnium saluti inermis ex tabernaculo prodit; **彼は、自らと皆の身の安全に疑念を抱いて、非武装のまま天幕小屋から出て来て、 *videt imminere hostes atque in summo esse rem discrimine; **敵たちが迫って来ていること、および事態が重大な危急にあることを目の当たりにして、 *capit arma a proximis atque in porta consistit. **すぐ近くの者から武器を取って、門のところに陣取った。 *③ Consequuntur hunc centuriones eius cohortis quae in statione erat; **歩哨に立っていた(1個)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> たちが彼に追随して、 **:(訳注:1個歩兵大隊の百人隊長は、定員通りであれば、6名いた。) *paulisper una proelium sustinent. **しばらく一緒に戦闘を持ちこたえた。 *④ Relinquit animus Sextium gravibus acceptis vulneribus; **セクスティウス(・バクルス)は重い傷を受けて、気を失った。 *Deficiens<ref>deficiens はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aegre per manus tractus servatur. **(彼は)衰弱して、(味方の)手から手に運ばれて辛うじて救助された。 *⑤ Hoc spatio interposito reliqui sese confirmant **こうしてしばらくした後で、ほかの者たちは意を強くした。 *tantum, ut in munitionibus consistere audeant speciemque defensorum praebeant. **(それは)防壁にあえて陣取って、防戦者たちの姿を示したほどであった。 ===39節=== '''スガンブリー族が糧秣徴発部隊をも襲う''' *① Interim confecta frumentatione milites nostri clamorem exaudiunt; **その間に、糧秣徴発を成し遂げると、我が方の兵士たち(=ローマ軍団兵)は叫び声を聞きつけて、 *praecurrunt equites; **[[w:騎兵|騎兵]]たちが先駆けして、 *quanto res sit in periculo cognoscunt. **事態がどれほどの危険にあるかを認識した。 *② Hic vero nulla munitio est quae perterritos recipiat; **そこには、まさに、脅え上がった者たちを受け入れるような、いかなる防備もなかったのである。 *modo conscripti atque usus militaris imperiti **やっと徴集されたばかりの者たち、なおかつ兵役の経験に通じていない者たちは、 *ad tribunum militum centurionesque ora convertunt; **<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちの方へ顔を向けた。 *quid ab his praecipiatur exspectant. **彼ら(上官たち)によって何を指図されるか、待っていたのである。 *③ Nemo est tam fortis, quin rei novitate perturbetur. **新奇な事態に不安にさせられないほど勇敢な者は、誰もいなかった。 *④ Barbari signa procul conspicati oppugnatione desistunt, **蛮族たちは、(糧秣徴発隊の)軍旗を遠くから視認すると、(陣営への)攻囲を停止した。 *redisse primo legiones credunt, quas longius discessisse ex captivis cognoverant; **(彼らは)当初は、より遠くに立ち去ったことを捕虜から知っていた(ローマの)諸軍団が戻って来たと思ったが、 *postea despecta paucitate ex omnibus partibus impetum faciunt. **後には、(糧秣徴発隊の)寡勢ぶりを侮って、あらゆる方向から突撃して来た。 ===40節=== '''敵中突破して陣営へ戻る糧秣徴発部隊の明暗''' *① Calones in proximum tumulum procurrunt. **[[w:カロネス|軍属奴隷]]たちは、近隣の丘に先駆けした。 *Hinc celeriter deiecti **(彼らは)ここから、(突撃して来る敵の軍勢を眺めて)たちまち当てが外れて、 *se in signa manipulosque coniciunt; **(後方にいた)軍旗と[[w:マニプルス|歩兵中隊]]のところに身を投じた。 *eo magis timidos perterrent milites. **それゆえに、臆病な兵士たちを大いに脅かした。 [[画像:Wedge-diagram.svg|thumb|right|200px|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。]] *② Alii cuneo facto ut celeriter perrumpant, censent **(ローマ兵の)ある者たちは、速やかに(敵中を)突破するように、<ruby><rb>[[w:くさび|楔形]]</rb><rp>(</rp><rt>くさびがた</rt><rp>)</rp></ruby>隊列を形成しようと考慮した。 *─ quoniam tam propinqua sint castra, **─ 陣営がこれほどまで近隣にあるので、 *etsi pars aliqua circumventa ceciderit, at reliquos servari posse confidunt ─, **たとえ、一部の誰かが包囲されて斃れたとしても、残りの者たちは救われることが可能だと確信したのだ ─。 *③ alii ut in iugo consistant atque eundem omnes ferant casum. **別のある者たちは、(丘の)尾根に陣取って、皆が同じ命運に耐え忍ぼうと(考えた)。 *④ Hoc veteres non probant milites, quos sub vexillo una profectos docuimus. **既述したように軍旗のもとで一緒に発って来た古参兵たちは、後者(の案)を承認しなかった。 **:(訳注:[[#36節|36節]]③項で既述のように、回復した傷病兵たちが同行してきていた。) *Itaque inter se cohortati **こうして、(古参の傷病兵たちは)互いに激励し合って、 *duce C.(Gaio) Trebonio equite Romano, qui iis erat praepositus, **彼らの指揮を委ねられていたローマ人[[w:騎士|騎士階級]]のガイウス・トレボニウスを統率者として、 **:(訳注:[[#33節|33節]]で3個軍団を率いて出発した副官の[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]とは明らかに同名の別人である。) *per medios hostes perrumpunt incolumesque ad unum omnes in castra perveniunt. **敵たちの中央を突破して、一人に至るまで皆が無傷で陣営に到着した。 *⑤ Hos subsecuti calones equitesque eodem impetu militum virtute servantur. **彼らに追随して、軍属奴隷と[[w:騎兵|騎兵]]たちが同様の突撃をして、兵士たちの武勇により救われた。 *⑥ At ii qui in iugo constiterant, **それに対して(丘の)尾根に陣取った者たちは、 *nullo etiam nunc usu rei militaris percepto **今になってさえも、軍事的行動というものを把握しておらず、 *neque in eo quod probaverant consilio permanere, ut se loco superiore defenderent, **より高い場所で身を守るという、彼らが承認していた考えに留まりもせず、 *neque eam quam prodesse aliis vim celeritatemque viderant, imitari potuerunt, **(彼らが)別の者たち(=古参兵)に役立ったのを見ていたところの力と迅速さを真似することもできなかった。 *sed se in castra recipere conati iniquum in locum demiserunt. **けれども、陣営に退却することを試みたが、不利な場所に落ち込んで行った。 *⑦ Centuriones, quorum nonnulli ex inferioribus ordinibus reliquarum legionum **[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]たちといえば、彼らの少なからぬ者たちは、ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]のより低い序列から、 *virtutis causa in superiores erant ordines huius legionis traducti, **武勇のおかげで、この軍団のより高い序列に異動させられていたが、 *ne ante partam rei militaris laudem amitterent, fortissime pugnantes conciderunt. **かつて獲得した軍事的な賞賛を失わないように、とても果敢に奮戦して斃れた。 *⑧ Militum pars horum virtute **兵士たちの一部は、これら(討ち死にした百人隊長たち)の武勇により、 *submotis hostibus praeter spem incolumis in castra pervenit, **予想に反して敵たちが撃退されたので、無傷で陣営に到着した。 *pars a barbaris circumventa periit. **別の一部は、蛮族によって包囲されて、討ち死にした。 ===41節=== '''スガンブリー族の撤退、カエサルの帰還''' *① Germani desperata expugnatione castrorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちは(キケロの)[[w:カストラ|陣営]]の攻略に絶望して、 *quod nostros iam constitisse in munitionibus videbant, **というのは、我が方(ローマ勢)が防備のところに立っているのを見たからであるが、 *cum ea praeda quam in silvis deposuerant, trans Rhenum sese receperunt. **森の中にしまい込んでいた略奪品とともに、レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側に撤退した。 *② Ac tantus fuit etiam post discessum hostium terror, **敵たちの立ち去った後でさえ(ローマ勢の)畏怖はたいへんなものであったので、 *ut ea nocte, cum C.(Gaius) Volusenus missus cum equitatu ad castra venisset, **その夜に、(追討戦に)派遣されていたガーイウス・ウォルセーヌスが騎兵隊とともに陣営へ帰着したときに **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' は、[[ガリア戦記_第3巻#5節|第3巻5節]]のアルプス・オクトードゥールスの戦い、<br>    [[ガリア戦記_第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記_第4巻#23節|23節]]のブリタンニアへの先遣で既述。<br>    この後、さらに第8巻23節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#23|s]])</sub>、48節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#48|s]])</sub>でも活躍する。)</span> *fidem non faceret adesse cum incolumi Caesarem exercitu. **カエサルが無傷の軍隊とともに近くに来ていることを(陣営の残留組に)信用させなかったほどである。 *③ Sic omnino animos timor praeoccupaverat, ut paene alienata mente **ほとんど気でも違ったかのように、皆の心を怖れが占めていた。 **:(訳注:sic … ut ~ の構文;「~と同様に…である」) *deletis omnibus copiis equitatum se ex fuga recepisse dicerent **(残留者たちは、カエサルら)全軍勢が滅ぼされて、[[w:騎兵|騎兵隊]]が敗走から退いて来たのだ、と言った。 *neque incolumi exercitu Germanos castra oppugnaturos fuisse contenderent. **(カエサルら)軍隊が無傷であれば、ゲルマーニア人が陣営を襲撃しなかっただろう、と断言した。 **:(訳注:oppugnaturos fuisse ;間接話法では非現実な[[w:条件法|条件文]]の帰結は「未来分詞+fuisse」で表される。) *④ Quem timorem Caesaris adventus sustulit. **その怖れをカエサルの到着が取り除いた。 **:(訳注:sustulit は tollō の完了・能動3人称単数形) ===42節=== '''カエサルがスガンブリー族の襲来と撤退を運命に帰する''' *① Reversus ille, eventus belli non ignorans, **引き返して来た彼(カエサル)は、戦争の成り行きというものを知らないはずがないので、 *unum quod cohortes ex statione et praesidio essent emissae, **ひとつ(だけ)、<ruby><rb>[[w:コホルス|諸大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> が[[w:歩哨|歩哨]]や守備から(糧秣徴発に)派遣されたことを *questus ─ ne minimo quidem casu locum relinqui debuisse ─ **不慮の事態に対して最小限のいかなる余地も残されるべきではなかった、と嘆いた。 *multum Fortunam in repentino hostium adventu potuisse iudicavit, **不意の敵たちの到来においては運命(の女神)が大いに力を持つ、と断じた。 *② multo etiam amplius, quod paene ab ipso vallo portisque castrorum barbaros avertisset. **さらに、より一層大きかったのは、(運命が)ほとんど蛮族をその陣営の防柵と諸門から追い返してしまったことである。 *③ Quarum omnium rerum maxime admirandum videbatur, **それらのすべての事態でとりわけ驚くべきと思われたのは、 *quod Germani, qui eo consilio Rhenum transierant, ut Ambiorigis fines depopularentur, **その意図で[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]の領土を荒らすようにレヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])を渡河していた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が、 *ad castra Romanorum delati **ローマ人の陣営の方へそらされて、 *optatissimum Ambiorigi beneficium obtulerunt. **アンビオリクスに最も望ましい恩恵を施してしまったことである。 ==対エブロネス族追討戦(2)== ===43節=== '''アンビオリクスが辛うじて追討を逃れる''' *① Caesar rursus ad vexandos hostes profectus **カエサルは再び敵たちを苦しめるために出発して、 *magno coacto &lt;equitum&gt; numero ex finitimis civitatibus in omnes partes dimittit. **[[w:騎兵|騎兵]]の多数を隣接する諸部族から徴集して、あらゆる方面に派遣した。 **:(訳注:&lt;equitum&gt; 「騎兵の」は近代の校訂者による挿入である。) *② Omnes vici atque omnia aedificia quae quisque conspexerat incendebantur, **おのおのが目にしたすべての村々およびすべての建物が焼き打ちされた。 *pecora interficiebantur<ref>pecora interficiebantur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, praeda ex omnibus locis agebatur; **家畜は屠殺され、あらゆる場所から略奪品が奪い去られた。 *③ frumenta non solum tanta multitudine iumentorum atque hominum consumebantur, **役畜および人間たちのこれほど大勢により穀物が消費され尽くしたのみならず、 *sed etiam anni tempore atque imbribus procubuerant, **季節と豪雨によってさえも(穀物が)倒れた。 *ut si qui etiam in praesentia se occultassent, **その結果、もし(エブロネス族の)何者かが現状では身を隠しているとしても、 *tamen his deducto exercitu rerum omnium inopia pereundum videretur. **それでも彼らは(ローマ人の)軍隊が引き揚げれば、あらゆるものの欠乏により死滅するはずと思われた。 *④ Ac saepe in eum locum ventum est tanto in omnes partes diviso equitatu, **たいへん多くの騎兵隊があらゆる方面に分遣されて、しばしば以下のような状態に出くわした。 *ut non modo visum ab se Ambiorigem in fuga circumspicerent captivi **捕虜たちが、自分たちによって逃亡中の[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]が目撃されたと見回しただけでなく、 *nec plane etiam abisse ex conspectu contenderent, **(アンビオリクスが)視界からまったく消え去ってはいないとさえ主張した。 *⑤ ut spe consequendi inlata atque infinito labore suscepto, **その結果、(アンビオリクスを)追跡する希望がもたらされて、さらに限りない労苦が従事された。 *qui se summam ab Caesare gratiam inituros putarent, **カエサルから最高の恩恵を得ようと思った者たちは、 *paene naturam studio vincerent, **熱意により(身体的な)資質にほとんど打ち克ったが、 *semperque paulum ad summam felicitatem defuisse videretur, **いつも最高の恵みにあと少しで足りなかったと思われる。 *⑥ atque ille latebris aut silvis<ref>aut silvis はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aut saltibus se eriperet **かつ彼(アンビオリクス)は隠れ処、あるいは森林、あるいは峡谷によって自らを救い、 *et noctu occultatus alias regiones partesque peteret **夜に秘されて、別の地方や方面をめざした。 *non maiore equitum praesidio quam quattuor, **4名より多くない騎兵の護衛によって、 *quibus solis vitam suam committere audebat. **自らの生命をその者たちだけにあえて委ねたのだ。 ===44節=== '''カエサルが撤退し、造反者アッコを処刑する''' *① Tali modo vastatis regionibus **このようなやり方で(エブロネス族の)諸地域を荒廃させて、 [[画像:Porte_Mars_01.jpg|thumb|right|200px|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。]] *exercitum Caesar duarum cohortium damno [[w:la:Remi|Durocortorum]] Remorum reducit **カエサルは、2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の損失(だけ)で、軍隊を[[w:レミ族|レミ族]]の[[w:ドゥロコルトルム|ドゥロコルトルム]]に連れ戻して、 **:(訳注:ドゥロコルトルムはレミ族の首邑で、現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]] Reims である。) *concilioque in eum locum Galliae indicto **その地においてガッリアの(領袖たちの)会合を公示して、 *de coniuratione Senonum et Carnutum quaestionem habere instituit **[[w:セノネス族|セノネス族]]と[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の共謀について詮議することを決定した。 *② et de Accone, qui princeps eius consilii fuerat, **その謀計の首謀者であった[[w:アッコ (セノネス族)|アッコ]]については *graviore sententia pronuntiata more maiorum supplicium sumpsit. **より重い判決が布告され、(ローマ人の)先祖の習慣により極刑に処した。 **:(訳注:ローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|モムゼン]]は、アッコはローマの<ruby><rb>[[w:リクトル|先導吏]]</rb><rp>(</rp><rt>リクトル</rt><rp>)</rp></ruby> により[[w:斬首刑|斬首]]されたと言及している<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、p.233 を参照。</ref>。 **:外国から来た侵略者カエサルがこのような刑罰を下したことに、ガッリア人たちは憤激した。[[ガリア戦記 第7巻#1節|第7巻1節]]を参照。) *③ Nonnulli iudicium veriti profugerunt. **少なからぬ者たちは、裁判を恐れて逃走した。 *Quibus cum aqua atque igni interdixisset, **その者たちには水と火が禁じられたうえで、 **:(訳注:「水と火を禁じる」とは追放処分のことで、居住権や財産の没収などを指す。) *duas legiones ad fines Treverorum, duas in Lingonibus, **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]をトレーウェリー族の領土へ、2個(軍団)を[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](の領土)に、 *sex reliquas in Senonum finibus [[w:la:Agedincum|Agedinci]] in hibernis conlocavit **残りの6個(軍団)を[[w:セノネス族|セノネス族]]の領土の[[w:アゲディンクム|アゲディンクム]]に、冬営地に宿営させた。 **:(訳注:アゲディンクムは、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]] Sens である。) *frumentoque exercitui proviso, **軍隊の糧秣を調達してから、 *ut instituerat, in Italiam ad conventus agendos profectus est. **定めていたように、イタリアに開廷(巡回裁判)を行なうために出発した。 **:(訳注:ここで「イタリア」とはカエサルが総督を務める[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことと思われる。) ---- *<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第6巻」了。「[[ガリア戦記 第7巻]]」へ続く。</span> ==脚注== <references /> ==参考リンク== *ウィキペディア英語版・日本語版 **[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]([[w:Category:ガリアの部族|Category:ガッリアの部族]]) ***[[w:en:Eburones|Eburones]]([[w:エブロネス族|エブロネス族]]) ***[[w:en:Nervii|Nervii]]([[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]]) ***[[w:en:Senones|Senones]](セノネス族)- [[w:la:Senones|la:Senones]] ***[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌテス族) ***[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィ族]]) ****[[w:en:Lutetia|Lutetia]]([[w:ルテティア|ルテティア]]) ***[[w:en:Menapii|Menapii]](メナピイ族) ***[[w:en:Treveri|Treveri]](トレーウェリー族) ***[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]) ***[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族) ***[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族) **[[w:en:Category:Germanic peoples|Category:Germanic peoples]](ゲルマーニア人のカテゴリ) ***[[w:en:Category:Ancient Germanic peoples|Category:Ancient Germanic peoples]](古代ゲルマーニア人) ***[[w:en:Germanic peoples|Germanic peoples]](ゲルマーニア人) ***[[w:en:Ubii|Ubii]](ウビイー族) ***[[w:en:Suebi|Suebi]]([[w:スエビ族|スエービー族]]) ***[[w:en:Chatti|Chatti]](カッティー族) ***[[w:en:Cherusci|Cherusci]](ケールスキー族) ***[[w:en:Sicambri|Sicambri]](スガンブリー族) ***[[w:en:Hercynian Forest|Hercynian Forest]](ヘルキュニアの森) **地理学者・史家 ***[[w:en:Posidonius|Posidonius]]([[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]];BC135-51年頃)- [[w:la:Posidonius Apameus|la:Posidonius Apameus]] ***[[w:en:Diodorus Siculus|Diodorus Siculus]]([[w:シケリアのディオドロス|シケリアのディオドロス]];BC1世紀) - [[w:la:Diodorus Siculus|la:Diodorus Siculus]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Διόδωρος Σικελιώτης|Διόδωρος Σικελιώτης]](シケリアのディオドロス)- [[s:el:Ιστορική Βιβλιοθήκη|Ιστορική Βιβλιοθήκη]](歴史叢書)〕 ***[[w:en:Strabo|Strabo]]([[w:ストラボン|ストラボン]];BC63年頃–AD24年頃)- [[w:la:Strabo|la:Strabo]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Στράβων|Στράβων]](ストラボン) - [[s:el:Γεωγραφία|Γεωγραφία]](世界地誌)〕 ***[[w:en:Tacitus|Tacitus]]([[w:タキトゥス|タキトゥス]];56年頃–117年頃)- [[w:la:Cornelius Tacitus|la:Cornelius Tacitus]] ****[[w:en:Germania (book)|Germania (book)]]([[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア (書物)]])- [[w:la:Germania (opus 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**カエサルの副官たち ***[[w:en:Titus_Labienus|Titus Labienus]]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]])- [[w:la:Titus_Labienus|la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Trebonius|Gaius Trebonius]]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]])- [[w:la:Gaius Trebonius|la:Gaius Trebonius]] ***[[w:en:Quintus_Tullius_Cicero|Quintus Tullius Cicero]]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]] ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) *ウィクショナリー フランス語版 **[[wikt:fr:calo]](カーロー、軍属奴隷) tlzgkgigdo8kxtnwpivb20da4mxiz97 263562 263559 2024-11-16T06:27:54Z Linguae 449 /* 9節 */ 修整 263562 wikitext text/x-wiki [[Category:ガリア戦記|6]] [[ガリア戦記]]>&nbsp;'''第6巻'''&nbsp;>[[ガリア戦記 第6巻/注解|注解]] <div style="text-align:center"> <span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;C&nbsp;IVLII&nbsp;CAESARIS&nbsp;COMMENTARIORVM&nbsp;BELLI&nbsp;GALLICI&nbsp;</span> <span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;LIBER SEXTVS&nbsp;</span> </div> [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] {| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5" ! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第6巻 目次 |- | style="text-align:right; font-size: 0.86em;"| '''[[#ガッリア北部の平定|ガッリア北部の平定]]''':<br /> '''[[#第二次ゲルマーニア遠征|第二次ゲルマーニア遠征]]''':<br /> '''[[#ガッリア人の社会と風習について|ガッリア人の社会と風習について]]''':<br /> '''[[#ゲルマーニアの風習と自然について|ゲルマーニアの風習と自然について]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(1)|対エブロネス族追討戦(1)]]''':<br /> '''[[#スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦|スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(2)|対エブロネス族追討戦(2)]]''':<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> | style="text-align:left; font-size: 0.86em;"| [[#1節|01節]] | [[#2節|02節]] | [[#3節|03節]] | [[#4節|04節]] | [[#5節|05節]] | [[#6節|06節]] | [[#7節|07節]] | [[#8節|08節]] <br /> [[#9節|09節]] | [[#10節|10節]] <br /> [[#11節|11節]] | [[#12節|12節]] | [[#13節|13節]] | [[#14節|14節]] | [[#15節|15節]] | [[#16節|16節]] | [[#17節|17節]] | [[#18節|18節]] | [[#19節|19節]] | [[#20節|20節]] <br /> [[#21節|21節]] | [[#22節|22節]] | [[#23節|23節]] | [[#24節|24節]] | [[#25節|25節]] | [[#26節|26節]] | [[#27節|27節]] | [[#28節|28節]] <br /> [[#29節|29節]] | [[#30節|30節]] | [[#31節|31節]] | [[#32節|32節]] | [[#33節|33節]] | [[#34節|34節]] <br /> [[#35節|35節]] | [[#36節|36節]] | [[#37節|37節]] | [[#38節|38節]] | [[#39節|39節]] | [[#40節|40節]] | [[#41節|41節]] | [[#42節|42節]] <br/> [[#43節|43節]] | [[#44節|44節]] <br/> &nbsp;&nbsp;1節 [[#コラム「カエサルの軍団」|コラム「カエサルの軍団」]]<br> 10節 [[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」|コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」]]<br>10節 [[#コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」|コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」]]<br /> [[#脚注|脚注]]<br /> [[#参考リンク|参考リンク]]<br /> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ <div style="background-color:#dfffdf;"> ==<span style="color:#009900;">はじめに</span>== :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルは、第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])から<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>として属州総督に赴任した。が、これは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]、[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]および[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]の三属州の統治、および4個軍団を5年間にもわたって任されるというローマ史上前代未聞のものであった。これはカエサルが[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]と非公式な盟約を結んだ[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]]の成果であった。カエサルには属州の行政に従事する気持ちははじめからなく、任期のほとんどを夏季は[[w:ガリア戦争|ガッリア侵攻]]に、冬季は首都ローマへの政界工作に費やした。[[ガリア戦記_第3巻#はじめに|第3巻]]の年([[w:紀元前56年|紀元前56年]])に3人は[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の会談を行い、カエサルはクラッススとポンペイウスが翌年に執政官になること、カエサルの総督の任期をさらに5年間延長されることを求めた。会談の結果、任期が大幅に延長されることになったカエサルは、もはや軍事的征服の野望を隠そうとせず、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススが[[w:シリア属州|シュリア]]総督になること、ポンペイウスがカエサルと同様に[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の三属州の総督になって4個軍団を任されることを決める。</div> <div style="text-align:center"> {| |- |[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人の同盟はついに破綻の時を迎える。]] |} </div> :<div style="color:#009900;width:85%;">[[w:ガリア戦記 第5巻|第5巻]]の年([[w:紀元前54年|前54年]])、カエサルは満を持して二回目の[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|ブリタンニア侵攻]]を敢行するが、大した戦果は得られず、背後のガッリア情勢を気にしながら帰還する。ついに[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]率いる[[w:エブロネス族|エブローネース族]]、ついで[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]が反乱を起こし、カエサルは何とか動乱を鎮めるが、ガッリア諸部族の動きは不穏であり、カエサルは諸軍団とともに越冬することを決める。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルがブリタンニア遠征で不在の間に、ポンペイウスに嫁していたカエサルの一人娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が[[w:産褥|産褥]]で命を落とす。一方、クラッススは属州[[w:シリア属州|シュリア]]に向かうが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">本巻の年([[w:紀元前53年|前53年]])、カエサルは[[w:エブロネス族|エブローネース族]]追討戦に向かうが、これは大きな嵐の前の出来事に過ぎない。</div> </div> <!-- **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==ガッリア北部の平定== ===1節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-09-18}}</span> ;カエサルがポンペイウスの助けにより新兵を徴募する *<!--❶-->Multis de causis Caesar maiorem Galliae [[wikt:en:motus#Noun_2|motum]] [[wikt:en:exspectans|exspectans]] **多くの理由から、カエサルは、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、 *per [[wikt:en:Marcus#Latin|Marcum]] [[wikt:en:Silanus#Latin|Silanum]], [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Antistius#Latin|Antistium]] Reginum, [[wikt:en:Titus#Latin|Titum]] [[wikt:en:Sextius#Latin|Sextium]], legatos, **<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:マルクス・ユニウス・シラヌス (紀元前25年の執政官)|マールクス・スィーラーヌス]]、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌス、ティトゥス・セクスティウスを介して **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Marcus Junius Silanus (consul 25 BC)|Mārcus Iūnius Sīlānus]] はこの年([[w:紀元前53年|前53年]])からカエサルの副官、[[w:紀元前25年|前25年]]に執政官。<br>    ''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は副官として[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]と[[ガリア戦記_第7巻#90節|90節]]でも後出。<br>    [[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] はこの年からカエサルの副官、[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]でも後出、<br>     [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)</span> *[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]; **<small>(兵士の)</small>徴募を行なうことを決める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dīlēctus]] = [[wikt:en:delectus#Noun_2|dēlēctus]]「選択、徴募」)</span> :  *<!--❷-->simul ab [[wikt:en:Gnaeus#Latin|Gnaeo]] [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeio]] [[wikt:en:proconsul#Latin|proconsule]] [[wikt:en:peto#Latin|petit]], **同時に、<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]に<small>(以下のことを)</small>求める。 *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] ipse ad <u>urbem</u> cum imperio rei publicae causa [[wikt:en:remaneo#Latin|remaneret]], **<small>(ポンペイウス)</small>自身は<u>首都</u><small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の辺りに、<ruby><rb>[[w:インペリウム|軍隊司令権]]</rb><rp>(</rp><rt>インペリウム</rt><rp>)</rp></ruby>を伴って、国務のために留まっていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbs#Latin|urbs (urbem)]] は普通名詞として「都市・街」を意味するが、特に首都'''[[w:ローマ|ローマ市]]'''を指す。)</span> **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]とともに[[w:執政官|執政官]]を務め、<br>    第5巻の年(昨年=[[w:紀元前54年|前54年]])には[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の属州総督となったが、<br>    首都ローマの政局が気がかりであったため、任地には副官を派遣して、<br>    自らはローマ郊外に滞在していた。ただ彼は属州総督であったため、<br>    [[w:ポメリウム|ポメリウム]]と呼ばれるローマ市中心部に立ち入ることは禁じられていた。)</span> *quos ex [[wikt:en:cisalpinus#Latin|Cisalpina]] Gallia <u>consulis</u> [[wikt:en:sacramentum#Latin|sacramento]] [[wikt:en:rogo#Latin|rogavisset]], **[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]の内から、<ruby><rb>[[w:執政官|執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>コンスル</rt><rp>)</rp></ruby>のための宣誓を求めていた者たちに、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは執政官のときに元老院の許可を得て、<br>    カエサルの属州で、自らの属州に派遣するための4個軍団の徴募を行った。<br>    徴集された新兵たちは執政官に宣誓したようである。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega; では [[wikt:en:consulis#Noun|consulis]]「執政官の」だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]は [[wikt:en:consul#Latin|consul]]「執政官が」と修正提案している。)</span> *ad signa [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] et ad se [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iuberet]], **軍旗のもとに集まって、自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ進発することを命じるようにと。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、ポンペイウスに軍団兵の融通を求めたわけだ。<br>    ポンペイウスが執政官のときに徴募していたうちの1個軍団がカエサルに貸し出された。<br>    ところがその後、<u>第8巻54節の記述</u>によれば <ref>ラテン語文は、[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#54]] などを参照。</ref><ref>英訳は、[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_8#54]] などを参照。</ref>、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]の死後に、[[w:元老院|元老院]]は、<br>    対[[w:パルティア|パルティア]]戦争のために、カエサルとポンペイウスがそれぞれ1個軍団を供出することを可決したが、<br>    ポンペイウスはカエサルに1個軍団の返還を求めたので、<br>    カエサルは計2個軍団の引き渡しを求められることになる。<br>    このことは、[[内乱記_第1巻#2節|『内乱記』第1巻2節]]以降でも言及される。)</span> :  *<!--❸-->magni [[wikt:en:intersum#Latin|interesse]] etiam in reliquum tempus ad [[wikt:en:opinio#Latin|opinionem]] Galliae [[wikt:en:existimans#Latin|existimans]] **ガッリアの世論に対して、これから後の時期にさえも、(カエサルが)大いに重要であると考えていたのは、 *tantas videri Italiae [[wikt:en:facultas#Latin|facultates]] **(以下の程度に)イタリアの(動員)能力が豊富であると見えることである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:Italiaという語は多義的でさまざまに解釈できるが、<br>    本書ではガッリア・キサルピーナを指すことが多い。)</span> *ut, si [[wikt:en:aliquid#Etymology_2|quid]] esset in bello [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimenti]] acceptum, **もし、戦争において何がしかの(兵員の)損害を蒙ったとしても、 *non modo id [[wikt:en:brevis#Latin|brevi]] tempore [[wikt:en:sarcio#Latin|sarciri]], **それが短期間で修復(できる)だけでなく、 *sed etiam [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:augeo#Latin|augeri]] copiis posset. **より多く軍勢で増されることが可能だ<br>(とガッリアの世論に思われることが重要であるとカエサルは考えたのである)。 :  *<!--❹-->Quod cum [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeius]] et rei publicae et amicitiae [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuisset]], **そのことを、ポンペイウスは公儀<small>〔ローマ国家〕</small>のためにも(三頭政治の)盟約のためにも認めたので、 *celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] per suos [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectu]] **(カエサルの)配下の者たちを介して速やかに徴募が成し遂げられて *tribus ante [[wikt:en:exactus#Latin|exactam]] [[wikt:en:hiems#Latin|hiemem]] et [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] et [[wikt:en:adductus#Latin|adductis]] legionibus **冬が過ぎ去る前に、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]が組織されて<small>(カエサルのもとへ)</small>もたらされ、 *[[wikt:en:duplicatus#Latin|duplicato]]<nowiki>que</nowiki> earum [[wikt:en:cohors#Latin|cohortium]] numero, quas cum [[wikt:en:Quintus#Latin|Quinto]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurio]] [[wikt:en:amitto#Latin|amiserat]], **それらの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の数は、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥーリウス(・サビーヌス)]]とともに失っていたものの倍にされた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前巻でサビーヌスとコッタは1個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]](=15個歩兵大隊)を失ったが、<br>    代わりに3個軍団(=30個歩兵大隊)を得たということ。)</span> *et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] et copiis [[wikt:en:doceo#Latin|docuit]], **<small>(徴兵の)</small>迅速さと軍勢<small>(の多さ)</small>において<small>(ガッリア人たちに)</small>示したのは、 *quid populi Romani [[wikt:en:disciplina#Latin|disciplina]] atque [[wikt:en:ops#Noun_4|opes]] possent. **ローマ国民の規律と能力がいかに有力であるかということである。 {| class="wikitable" |- | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Hw-pompey.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。]] | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Theatre of Pompey 3D cut out.png|thumb|left|400px|'''[[w:ポンペイウス劇場|ポンペイウス劇場]]'''の復元図。[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]の名を冠したこの劇場は、彼が執政官であった[[w:紀元前55年|紀元前55年]]頃に竣工し、当時最大の劇場であった。<br> 伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は以下のように伝えている<ref>[[s:en:Plutarch%27s_Lives_(Clough)/Life_of_Pompey]] より</ref>:「クラッススは執政官の任期が切れるとすぐに属州へと出発したが、ポンペイウスはローマで劇場の開館式や奉献式に出席し、その式にはあらゆる競技・ショー・運動・体操・音楽などで人々を楽しませた。野獣の狩猟や餌付け、野獣との闘いもあり、500頭のライオンが殺された。しかし何よりも、象の闘いは、恐怖と驚きに満ちた見世物であった」と。<br><br> カエサルの最期の場所でもあり、血みどろのカエサルはポンペイウスの胸像の前で絶命したとされている。]] |} <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="background-color:#dfffdf;"> ===<span style="color:#009900;">コラム「カエサルの軍団」</span>=== :<div style="color:#009900;width:75%;">カエサルは第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])に三属州の総督に任官するとともに4個軍団(VI・VII・[[w:en:Legio VIII Augusta|VIII]]・[[w:en:Legio IX Hispana|IX]])を任された。[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]([[w:la:Helvetii|Helvetii]])と対峙するうちに、元老院に諮らずに独断で2個軍団([[w:en:Legio X Equestris|X]]・[[w:en:Legio XI Claudia|XI]])を徴募する(1巻10節)。<br> 第2巻の年([[w:紀元前57年|紀元前57年]])に3個軍団([[w:en:Legio XII Fulminata|XII]]・[[w:en:Legio XIII Gemina|XIII]]・[[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])を徴募して、計9個軍団。<br><br> [[ガリア戦記_第5巻#24節|『第5巻』24節]]の時点で、カエサルは8個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を保持していると記されている。最古参の第6軍団が半減していると考えると、[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]によって、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]やコッタらとともに滅ぼされたのは、第14軍団([[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])と古い第6軍団(VI)の生き残りの5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]と考えることができる。<br><br> 本巻の年([[w:紀元前53年|紀元前53年]])では、ポンペイウスの第1軍団がカエサルに譲られ、後にカエサルの軍団の番号系列に合わせて第6軍団(VI)と改称されたようだ。「第14軍団」は全滅させられたので通常は欠番にするところだが、カエサルはあえて再建して第14軍団と第15軍団が徴募され、これら3個軍団を加えると、カエサルが保持するのは計10個軍団となる。<br> もっとも本巻ではカエサルは明瞭な記述をしておらず、上述のように後に2個軍団を引き渡すことになるためか、伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は、ポンペイウスがカエサルに2個軍団を貸し出した、と説明している。 </div> </div> ===2節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2024-09-29}}</span> ;ガッリア北部の不穏な情勢、トレーウェリー族がライン川東岸のゲルマーニア人を勧誘 *<!--❶-->[[wikt:en:interfectus#Latin|Interfecto]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomaro]], ut [[wikt:en:doceo#Latin|docuimus]], **<small>([[ガリア戦記 第5巻#58節|第5巻58節]]で)</small>述べたように、インドゥーティオマールスが殺害されると、 *ad eius propinquos a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] imperium [[wikt:en:defero#Latin|defertur]]. **トレーウェリー族の者たちにより彼の縁者たちへ支配権がもたらされる。 *Illi finitimos [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitare]] et [[wikt:en:pecunia#Latin|pecuniam]] [[wikt:en:polliceor#Latin|polliceri]] non [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]]. **彼らは隣接する[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちをそそのかすこと、および金銭を約束することをやめない。 *Cum ab proximis [[wikt:en:impetro#Latin|impetrare]] non possent, [[wikt:en:ulterior#Latin|ulteriores]] [[wikt:en:tempto#Latin|temptant]]. **たとえ隣人たちによって(盟約を)成し遂げることができなくても、より向こう側の者たちに試みる。 :  *<!--❷-->[[wikt:en:inventus#Latin|Inventis]] [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullis]] civitatibus **少なからぬ部族国家を見出して *[[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] inter se [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmant]] **互いに誓約し合って(支持を)固め、 *obsidibusque de pecunia [[wikt:en:caveo#Latin|cavent]]; **金銭(の保証)のために人質たちを提供する。 *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] sibi [[wikt:en:societas#Latin|societate]] et [[wikt:en:foedus#Latin|foedere]] [[wikt:en:adiungo#Latin|adiungunt]]. **[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]を自分たちにとっての連合や同盟に加盟させる。 :  *<!--❸-->Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]] Caesar, **それらの事情を知るや、カエサルは、 *cum undique bellum [[wikt:en:paro#Latin|parari]] videret, **至る所で戦争が準備されていることを見ていたので、 *[[wikt:en:Nervii#Latin|Nervios]], [[wikt:en:Aduatuci#Latin|Atuatucos]] ac [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:adiunctus#Participle|adiunctis]] **(すなわち)[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]、アトゥアトゥキー族とメナピイー族を加盟させたうえに *<u>Cisrhenanis</u> omnibus <u>[[wikt:en:Germanus#Noun|Germanis]]</u> esse in armis, **レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>のこちら側のすべてのゲルマーニア人たちが武装していて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) は西岸部族の総称。<br>    ''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族) の対義語で、<br>     西岸の諸部族が東岸の諸部族を招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> *[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] ad [[wikt:en:imperatum#Latin|imperatum]] non venire **セノネース族は<small>(カエサルから)</small>命令されたことに従わずに *et cum [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]] finitimisque civitatibus consilia [[wikt:en:communico#Latin|communicare]], **カルヌーテース族および隣接する諸部族とともに謀計を共有しており、 *a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] crebris [[wikt:en:legatio#Latin|legationibus]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitari]], **ゲルマーニア人たちがたびたびトレーウェリー族の使節団によってそそのかされていたので、 *[[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] sibi de bello [[wikt:en:cogitandus#Latin|cogitandum]] [[wikt:en:puto#Latin|putavit]]. **<small>(カエサルは)</small>自分にとって<small>(例年)</small>より早めに戦争を計画するべきだと見なした。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===3節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2024-10-06}}</span> ;カエサルがネルウィイー族を降し、ガッリアの領袖たちの会合を召集する *<!--❶-->Itaque [[wikt:en:nondum#Latin|nondum]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]] **<small>(カエサルは)</small>こうして、まだ冬が終わらないうちに、 *proximis quattuor [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] legionibus **近隣の4個[[w:ローマ軍団|軍団]]を集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記_第5巻#52節|第5巻52節]]で言及されたように、カエサルは、本営を置いていた<br>    サマロブリーウァ(現在の[[w:アミアン|アミアン]])周辺の冬営に3個軍団、<br>    およびファビウスの軍団を配置していたと思われる。)</span> *[[wikt:en:de_improviso#Latin|de improviso]] in fines [[wikt:en:Nervii#Latin|Nerviorum]] [[wikt:en:contendo#Latin|contendit]] **不意に[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]の領土に急いだ。 :  *<!--❷-->et, [[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] illi aut [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] aut [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]] possent, **そして、彼ら<small>(の軍勢)</small>は、集結したり、あるいは逃亡したりできるより前に、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:captus#Latin|capto]] **家畜たちおよび人間たちの多数を捕らえて、 *atque ea [[wikt:en:praeda#Latin|praeda]] militibus [[wikt:en:concessus#Participle|concessa]] **それらの戦利品を兵士たちに譲り、 *[[wikt:en:vastatus#Latin|vastatis]]<nowiki>que</nowiki> agris **耕地を荒らして、 *in [[wikt:en:deditio#Latin|deditionem]] venire atque obsides sibi dare [[wikt:en:cogo#Latin|coegit]]. **<small>(ネルウィイー族に、ローマ勢へ)</small>降伏すること、人質たちを自分<small>〔カエサル〕</small>に供出することを強いた。 :  *<!--❸-->Eo celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] [[wikt:en:negotium#Latin|negotio]] **その戦役は速やかに成し遂げられたので、 *rursus in [[wikt:en:hibernum#Latin|hiberna]] legiones [[wikt:en:reduco#Latin|reduxit]]. **再び諸軍団を冬営に連れ戻した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:本営を置いていたサマロブリーウァ周辺の冬営。)</span> :  *'''ガッリアの領袖たちの会合''' *<!--❹-->[[wikt:en:concilium#Latin|Concilio]] Galliae primo [[wikt:en:ver#Latin|vere]], ut [[wikt:en:instituo#Latin|instituerat]], [[wikt:en:indictus#Participle|indicto]], **ガッリアの<small>(領袖たちの)</small>会合を、定めていたように、春の初めに通告すると、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:会合の集合場所は、当初は本営のあるサマロブリーウァだったであろう。)</span> *cum reliqui praeter [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]]<nowiki>que</nowiki> venissent, **[[w:セノネス族|セノネース族]]、カルヌーテース族とトレーウェリー族を除いて、ほかの者たちは(会合に)現われていたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ガッリア北部では、このほかエブローネース族とメナピイー族が参加していないはずである。)</span> *initium belli ac [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] hoc esse [[wikt:en:arbitratus#Latin|arbitratus]], **このこと<span style="color:#009900;">〔3部族の不参加〕</span>は戦争と背反の始まりであると思われて、 *ut omnia [[wikt:en:postpono#Latin|postponere]] videretur, **<small>(他の)</small>すべて<small>(の事柄)</small>を後回しにすることと見なされるように、 *[[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:Lutetia#Latin|Lutetiam]] [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisiorum]] [[wikt:en:transfero#Latin|transfert]]. **会合を[[w:パリシイ族|パリースィイー族]]の(城塞都市である)[[w:ルテティア|ルーテーティア]]に移す。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ルーテーティア Lutetia は、写本によってはルーテーキア Lutecia とも表記されている。<br>    ラテン語では Lutetia Parisiorum「パリースィイー族の泥土」と呼ばれ、現在の[[w:パリ|パリ市]]である。<br>    [[w:ストラボン|ストラボーン]]などによれば[[w:ケルト語|ケルト語]]でルコテキア Lukotekia と呼ばれていたらしい。)</span> :  ;   セノネース族について [[画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|thumb|right|200px|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)]] *<!--❺-->[[wikt:en:confinis#Latin|Confines]] erant hi [[wikt:en:Senones#Latin|Senonibus]] **彼ら<small>〔パリースィイー族〕</small>はセノネース族に隣接していて、 *civitatemque patrum memoria [[wikt:en:coniungo#Latin|coniunxerant]], **父祖の伝承では<small>(セノネース族と一つの)</small>部族として結びついていた。 *sed ab hoc consilio [[wikt:en:absum#Latin|afuisse]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabantur]]. **しかし<small>(パリースィイー族は)</small>これらの謀計には関与していなかったと考えられていた。 :  *<!--❻-->Hac re pro [[wikt:en:suggestus#Latin|suggestu]] [[wikt:en:pronuntiatus#Latin|pronuntiata]] **<small>(カエサルは)</small>この事を演壇の前で宣言すると、 *eodem die cum legionibus in [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **同日に諸軍団とともにセノネース族のところに出発して、 *magnisque itineribus eo [[wikt:en:pervenio#Latin|pervenit]]. **強行軍でもってそこに到着した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===4節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2024-10-09}}</span> ;セノネース族のアッコーが造反するが、カエサルはセノネース族とカルヌーテース族を降伏させる *<!--❶-->[[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]], **彼<small>〔カエサル〕</small>の到来を知ると、 *[[wikt:en:Acco#Latin|Acco]], qui princeps eius consilii fuerat, **その画策の首謀者であった<small>(セノネース族の)</small>'''アッコー''' は、 *[[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]] in oppida multitudinem [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]]. **群衆に諸[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に集結することを命じる。 :  *[[wikt:en:conans#Latin|Conantibus]], [[wikt:en:priusquam|prius quam]] id [[wikt:en:effici|effici]] posset, [[wikt:en:adsum#Latin|adesse]] Romanos [[wikt:en:nuntio#Verb|nuntiatur]]. **そのことが遂行され得るより前に、ローマ人が接近していることが、企てている者たちに報告される。 :  *<!--❷-->Necessario [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]] **<small>(セノネース族は)</small>やむなく<small>(カエサルへの謀反の)</small>意図を思いとどまって、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:necessario#Adverb|necessāriō]] = [[wikt:en:necessarie#Adverb|necessāriē]]「やむを得ず」)</span> *legatosque [[wikt:en:deprecor#Latin|deprecandi]] causa ad Caesarem mittunt; **<small>(恩赦を)</small>嘆願するために、使節たちをカエサルのもとへ遣わして、 *<u>adeunt</u> per [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduos]], quorum [[wikt:en:antiquitus|antiquitus]] erat in fide civitas. **部族国家が昔から<small>(ローマ人に対して)</small>忠実であった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を介して、頼み込む。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この部分は、セノネース族がハエドゥイー族の庇護下にあったように訳されることも多いが、<br>    [[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]における両部族とローマ人の関係の記述を考慮して、上のように訳した<ref>[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_6#4|英語版ウィキソース]]では「they make advances to him through the Aedui, whose state was from ancient times under the protection of Rome.」と英訳されている。</ref>。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:de:adire|adeō]]「(誰かに)アプローチする」「(誰かに)頼る、頼む、懇願する」<ref>[https://www.frag-caesar.de/lateinwoerterbuch/adeo-uebersetzung-1.html adeo-Übersetzung im Latein Wörterbuch]</ref>)</span> :  *<!--❸-->Libenter Caesar [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] dat [[wikt:en:venia#Latin|veniam]] **カエサルは、懇願するハエドゥイー族に対して、喜んで<small>(セノネース族への)</small>恩赦を与え、 *[[wikt:en:excusatio#Latin|excusationem]]<nowiki>que</nowiki> accipit, **<small>(セノネース族の)</small>弁解を受け入れる。 *quod [[wikt:en:aestivus#Latin|aestivum]] tempus [[wikt:en:instans#Latin|instantis]] belli, **というのは、夏の時季は差し迫っている<small>(エブローネース族らとの)</small>戦争のためのものであり、 *non [[wikt:en:quaestio#Latin|quaestionis]] esse [[wikt:en:arbitror#Latin|arbitrabatur]]. **<small>(謀反人に対する)</small>尋問のためのものではないと<small>(カエサルが)</small>判断していたからである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:エブローネース族との戦争が終わった後に、謀反人への尋問が行なわれることになる。[[#44節|44節]]参照。)</span> :  *<!--❹-->Obsidibus [[wikt:en:imperatus#Latin|imperatis]] centum, **<small>(カエサルは)</small>100人の人質<small>(の供出)</small>を命令すると、 *hos Haeduis [[wikt:en:custodiendus#Latin|custodiendos]] [[wikt:en:trado#Latin|tradit]]. **彼ら<small>〔人質たち〕</small>を監視するべく[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に引き渡す。 :  *<!--❺-->[[wikt:en:eodem#Adverb|Eodem]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] legatos obsidesque [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]], **ちょうどそこに、カルヌーテース族が使節たちと人質たちを遣わして、 *[[wikt:en:usus#Participle|usi]] [[wikt:en:deprecator#Latin|deprecatoribus]] [[wikt:en:Remi#Proper_noun_3|Remis]], quorum erant in [[wikt:en:clientela#Latin|clientela]]; **<small>(カルヌーテース族が)</small><ruby><rb>[[w:クリエンテス|庇護]]</rb><rp>(</rp><rt>クリエンテーラ</rt><rp>)</rp></ruby>を受ける関係にあったレーミー族を<ruby><rb>助命仲介者</rb><rp>(</rp><rt>デープレカートル</rt><rp>)</rp></ruby>として利用して、 *eadem ferunt [[wikt:en:responsum#Latin|responsa]]. **<small>(セノネース族のときと)</small>同じ返答を獲得する。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:perago#Latin|Peragit]] [[wikt:en:concilium#Noun|concilium]] Caesar **カエサルは<small>(ガッリア諸部族の領袖たちの)</small>会合を完了して、 *equitesque [[wikt:en:impero#Latin|imperat]] civitatibus. **[[w:騎兵|騎兵]]たち<small>(の供出)</small>を諸部族に命令する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===5節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2024-10-10}}</span> ;アンビオリークスへの策を練り、メナピイー族へ向かう *<!--❶-->Hac parte Galliae [[wikt:en:pacatus#Latin|pacata]], **ガッリアのこの方面が平定されたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#3節|3節]]~[[#4節|4節]]でネルウィイー族、セノネース族とカルヌーテース族がカエサルに降伏したことを指す。)</span> *totus et mente et animo in bellum [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] et [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigis]] [[wikt:en:insisto#Latin|insistit]]. **<small>(カエサルは)</small>全身全霊をかけて、トレーウェリー族と[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]との戦争に着手する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totus et [[wikt:en:mens#Latin|mente]] et [[wikt:en:animus#Latin|animo]] 「全身全霊をかけて」''with all his heart and soul'' )</span> :  *<!--❷-->[[wikt:en:Cavarinus#Latin|Cavarinum]] cum equitatu [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:secum#Latin|secum]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **カウァリーヌスに、セノネース族の[[w:騎兵|騎兵]]隊を伴って、自分<small>〔カエサル〕</small>とともに出発することを命じる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:de:Cavarinus|Cavarinus]]'' は、[[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]で前述のように、<br>    カエサルにより王位に据えられていたが、独立主義勢力により追放された。)</span> *ne [[wikt:en:aliquis#Latin|quis]] <u>aut</u> ex huius [[wikt:en:iracundia#Latin|iracundia]] <u>aut</u> ex eo, quod [[wikt:en:mereo#Latin|meruerat]], [[wikt:en:odium#Latin|odio]] civitatis [[wikt:en:motus#Noun_2|motus]] [[wikt:en:exsistat|exsistat]]. **彼の激しやすさから、<u>あるいは</u>彼が招来していた反感から、部族国家の何らかの動乱が起こらないようにである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節でアッコーら独立主義者たちがカエサルに降伏して、<br>    カウァリーヌスが王位に戻されたために、<br>    部族内で反感をかっていたのであろう。)</span> :  *<!--❸-->His rebus [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]], **これらの事柄が取り決められると、 *quod pro explorato habebat, [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] non esse <u>concertaturum</u>, **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が戦闘で激しく争うつもりではないことを、確実と見なしていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pro#Latin|pro]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorato]] = [[wikt:en:exploratus#Latin|exploratum]]「確かなものとして(''as certain'')」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系(A・Q)およびL・N写本では non esse <u>[[wikt:en:concertaturum|concertaturum]]</u>「激しくつもりではないこと」だが、<br>         &beta;系写本では non esse <u>[[wikt:en:contenturum|contenturum]]</u><br>         B・M・S写本では non esse <u>concertaturum [[wikt:en:tenturum|tenturum]]</u> となっている。)</span> *reliqua eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] animo [[wikt:en:circumspicio#Latin|circumspiciebat]]. **彼<small>〔アンビオリークス〕</small>のほかの計略に思いをめぐらせていた。 :  ;   カエサルがメナピイー族の攻略を決意 *<!--❹-->Erant [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] propinqui [[wikt:en:Eburones#Latin|Eburonum]] finibus, **メナピイー族は[[w:エブロネス族|エブローネース族]]の領土に隣り合っていて、 *[[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|muniti]], **絶え間ない沼地と森林によって守られており、 *qui uni ex Gallia de pace ad Caesarem legatos [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]. **彼らは[[w:ガリア|ガッリア]]のうちでカエサルのもとへ講和の使節たちを決して遣わさなかった唯一の者たちであった。 :  *Cum his esse [[wikt:en:hospitium#Latin|hospitium]] [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigi]] [[wikt:en:scio#Latin|sciebat]]; **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が彼らのもとで歓待されていることを知っていたし、 *item per [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venisse Germanis in [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitiam]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoverat]]. **同様にトレーウェリー族を通じて[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人と盟約を結んだことも探知していた。 :  *<!--❺-->Haec <u>prius</u> illi [[wikt:en:detrahendus#Latin|detrahenda]] auxilia [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]] <u>quam</u> ipsum bello [[wikt:en:lacesso#Latin|lacesseret]], **<ruby><rb>彼奴</rb><rp>(</rp><rt>あやつ</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔アンビオリークス〕</small>へのこれらの支援は、彼奴自身に戦争で挑みかかる<u>より前に</u>引き離されるべきだと考えていた。 *ne [[wikt:en:desperatus#Latin|desperata]] [[wikt:en:salus#Latin|salute]] **<small>(アンビオリークスが)</small>身の安全に絶望して、 *<u>aut</u> se in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:abdo#Latin|abderet]], **<u>あるいは</u>メナピイー族のところに身を隠したりしないように、 *<u>aut</u> cum [[wikt:en:Transrhenanus#Latin|Transrhenanis]] [[wikt:en:congredior#Latin|congredi]] [[wikt:en:cogo#Latin|cogeretur]]. **<u>あるいは</u>レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>の向こう側の者たちと合同することを強いられないように、である。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族)を<br>    ''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) が<br>    招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> :  *<!--❻-->Hoc [[wikt:en:initus#Participle|inito]] consilio, **この計略を決断すると、 *[[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] exercitus [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]] ad [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:mitto#Latin|mittit]] **<small>(カエサルは)</small>全軍の[[w:輜重|輜重]]を、トレーウェリー族のところにいる[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]のもとへ送り、 *duasque ad eum legiones [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]; **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に彼<small>〔ラビエーヌス〕</small>のもとへ出発することを命じる。 :  *ipse cum legionibus [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]] quinque in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身は軽装の5個軍団とともにメナピイー族のところに出発する。 :  *<!--❼-->Illi, [[wikt:en:nullus#Adjective|nulla]] [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]], **あの者らは、何ら手勢を集めず、 *loci [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] [[wikt:en:fretus#Adjective|freti]], **地勢の要害を信頼して、 *in [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:palus#Latin|paludes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:confugio#Latin|confugiunt]] **森林や沼地に避難して、 *[[wikt:en:suus#Latin|sua]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eodem#Adverb|eodem]] [[wikt:en:confero#Latin|conferunt]]. **自分たちの家財を同じところに運び集める。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===6節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2024-10-20}}</span> ;メナピイー族がついにカエサルの軍門に降る *<!--❶-->Caesar, **カエサルは、 *[[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] copiis cum [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaio]] [[wikt:en:Fabius#Latin|Fabio]] legato et [[wikt:en:Marcus#Latin|Marco]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crasso]] [[wikt:en:quaestor#Latin|quaestore]] **[[w:レガトゥス|副官]]である[[w:ガイウス・ファビウス|ガーイウス・ファビウス]]と[[w:クァエストル|財務官]]である[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス (財務官)|マールクス・クラッスス]]とともに軍勢を分配して、 *celeriterque [[wikt:en:effectus#Participle|effectis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]] **速やかに橋梁を造って、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:橋梁は軽装の軍団兵が沼地を渡るためのものなので、丸太道のようなものであろうか。)</span> *[[wikt:en:adeo#Verb|adit]] [[wikt:en:tripertito|tripertito]], **三方面から<small>(メナピイー族の領土に)</small>接近して、 [[画像:GallischeHoeve.jpg|thumb|right|200px|復元されたメナピイー族の住居(再掲)]] *[[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incendo#Latin|incendit]], **建物や村々を焼き討ちして、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:potior#Latin|potitur]]. **家畜や人間の多数を<small>(戦利品として)</small>獲得する。 :  *<!--❷-->Quibus rebus [[wikt:en:coactus#Participle|coacti]] **そのような事態に強いられて、 *[[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] legatos ad eum [[wikt:en:pax#Latin|pacis]] [[wikt:en:petendus#Latin|petendae]] causa [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]]. **メナピイー族は和平を求めるための使節たちを彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ遣わす。 :  *<!--❸-->Ille [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]], **彼<small>〔カエサル〕</small>は人質たちを受け取ると、 *hostium se [[wikt:en:habiturus#Latin|habiturum]] numero [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmat]], si aut [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] aut eius legatos finibus suis [[wikt:en:recipio#Latin|recepissent]]. **もし[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]か彼の使節を自領に迎え入れたら、自分は<small>(メナピイー族を)</small>敵として見なすだろうと断言する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:属格の名詞 + numero「〜として」) :  *<!--❹-->His [[wikt:en:confirmatus#Latin|confirmatis]] rebus, **これらの事柄を確立すると、 *[[wikt:en:Commius#Latin|Commium]] [[wikt:en:Atrebas#Latin|Atrebatem]] cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:custos#Latin|custodis]] loco in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] [[wikt:en:relinquo#Latin|relinquit]]; **アトレバーテース族である[[w:コンミウス|コンミウス]]を[[w:騎兵|騎兵]]隊とともに、目付け役として、メナピイー族のところに残す。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、カエサルがアトレバテース族の王にすえて、ブリタンニア遠征の先導役として遣わし、<br>    カッスィウェッラウヌスの降伏の仲介を</span>果たしていた。[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・27節や[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]などを参照。) *ipse in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身はトレーウェリー族のところに出発する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===7節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2024-10-27}}</span> [[画像:Titelberg_01.jpg|thumb|right|200px|トレーウェリー族の城砦跡(再掲)]] ;トレーウェリー族の開戦準備、ラビエーヌスの計略 *<!--❶-->Dum haec a Caesare [[wikt:en:gero#Latin|geruntur]], **これらのことがカエサルによって遂行されている間に、 *[[wikt:en:Treveri#Latin|Treveri]] magnis [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]] [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> copiis **トレーウェリー族は、[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の大軍勢を徴集して、 *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] cum una legione, quae in eorum finibus <u>[[wikt:en:hiemo#Latin|hiemaverat]]</u>, **彼らの領土において越冬していた1個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:hiemaverat|hiemaverat]] <small>(過去完了形)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:hiemabat|hiemabat]] <small>(未完了過去形)</small> などとなっている。)</span> *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] [[wikt:en:paro#Latin|parabant]], **襲撃することを準備していた。 :  *<!--❷-->iamque ab eo non longius [[wikt:en:biduum#Latin|bidui]] via [[wikt:en:absum#Verb|aberant]], **すでに、そこ<small>〔ラビエーヌスの冬営〕</small>から2日間の道のりより遠く離れていなかったが、 *cum duas venisse legiones [[wikt:en:missus#Noun_2|missu]] Caesaris [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscunt]]. **そのときに、カエサルが派遣した2個軍団が到着したことを知る。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]で既述のように、カエサルはラビエーヌスのところへ全軍の輜重と2個軍団を派遣していた。<br>    こうして、ラビエーヌスはローマ全軍の輜重と3個軍団を任されることになった。) :  *<!--❸-->[[wikt:en:positus#Latin|Positis]] <u>castris</u> a milibus passuum [[wikt:en:quindecim#Latin|quindecim]](XV) **<small>(トレーウェリー勢は、ラビエーヌスの冬営から)</small>15ローママイルのところに<u>野営地</u>を設置して、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、15マイルは約22 km)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:カストラ|カストラ]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] という語はローマ勢の行軍中の野営地や常設の宿営地に用いられ、<br>    非ローマ系部族の野営地に用いられることは稀である。)</span> *auxilia [[wikt:en:Germani#Latin|Germanorum]] [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituunt]]. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の援軍を待つことを決める。 :  *<!--❹-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] hostium [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]] consilio **ラビエーヌスは、敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>の計略を知ると、 *[[wikt:en:sperans#Latin|sperans]] [[wikt:en:temeritas#Latin|temeritate]] eorum [[wikt:en:fore#Etymology_2_2|fore]] [[wikt:en:aliqui#Latin|aliquam]] [[wikt:en:dimico#Latin|dimicandi]] facultatem, **彼らの無謀さにより何らかの争闘する機会が生ずるであろうと期待して、 *[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] quinque(V) cohortium [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:relictus#Latin|relicto]] **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の守備隊を[[w:輜重|輜重]]のために残し、 *cum XXV(viginti quinque) cohortibus magnoque [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatu]] contra hostem [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **25個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>および多勢の騎兵隊とともに、敵に抗して進発する。 *et mille passuum [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]] spatio castra [[wikt:en:communio#Latin|communit]]. **<small>(トレーウェリー勢から)</small>1ローママイルの間隔を置いて、[[w:カストラ|陣営]]<small>〔野営地〕</small>を固める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 km)</span> :  *<!--❺-->Erat inter [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] atque hostem [[wikt:en:difficilis#Latin|difficili]] [[wikt:en:transitus#Latin|transitu]] flumen [[wikt:en:ripa#Latin|ripis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:praeruptus#Adjective|praeruptis]]. **ラビエーヌスと敵の間には、渡ることが困難な川が、急峻な岸とともにあった。 *Hoc <u>neque</u> ipse [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] habebat in animo **これを<small>(ラビエーヌス)</small>自身は渡河するつもりではなかったし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ habeo in animo「~するつもりである」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~, neque …「~でもないし、…でもない」)</span> *<u>neque</u> hostes [[wikt:en:transiturus#Latin|transituros]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]]. **敵勢も渡河して来ないであろうと<small>(ラビエーヌスは)</small>考えていた。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:augeo#Latin|Augebatur]] auxiliorum [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] spes. **<small>(トレーウェリー勢にとって、ゲルマーニア人の)</small>援軍への期待は日ごとに増されるばかりであった。 *[[wikt:en:loquor#Latin|Loquitur]] <u>in consilio</u> [[wikt:en:palam#Adverb|palam]]: **<small>(ラビエーヌスは)</small>会議において公然と<small>(以下のように)</small>述べる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega;では in [[wikt:en:consilio|consilio]] だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]] は in [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] と修正提案し、<br>         Hecker は [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] と修正提案している。)</span> *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]] [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:dico#Latin|dicantur]], **ゲルマーニア人<small>(の軍勢)</small>が近づいていることが言われているので、 *sese suas exercitusque fortunas in [[wikt:en:dubium#Noun|dubium]] non [[wikt:en:devocaturus#Latin|devocaturum]] **自分は自らと軍隊の命運を不確実さの中に引きずり込むことはないであろうし、 *et postero die prima luce castra [[wikt:en:moturus#Latin|moturum]]. **翌日の夜明けには陣営を引き払うであろう。 :  *<!--❼-->Celeriter haec ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]], **これら<small>(のラビエーヌスの発言)</small>は速やかに敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>のもとへ報じられたので、 *ut ex magno Gallorum equitum numero [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullos]] <u>Gallos</u> [[wikt:en:gallicus#Latin|Gallicis]] rebus [[wikt:en:faveo#Latin|favere]] natura [[wikt:en:cogo#Latin|cogebat]]. **ガッリア人の境遇を想う気質が、<small>(ローマ側)</small>ガッリア人騎兵の多数のうちの若干名を励ましていたほどである。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallos]] は &alpha;系写本の記述で、&beta;系写本では欠く。)</span> :  *<!--❽-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], noctu tribunis militum primisque ordinibus <u>convocatis</u>, **ラビエーヌスは、夜間に<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちと第一序列(の[[w:ケントゥリオ|百人隊長]])たちを召集すると、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1個軍団当たりの<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby> の定員は計6名。<br>    第一序列の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たち primorum ordinum centuriones は、軍団内における[[w:下士官|下士官]]のトップであり、<br>     第一<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> においては定員5名だが、<br>     ほかの歩兵大隊においては定員6名であった。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] などとなっている。)</span> *quid sui sit consilii, [[wikt:en:propono#Latin|proponit]] **自分の計略がいかなるものであるかを呈示して、 *et, quo facilius hostibus [[wikt:en:timor#Latin|timoris]] [[wikt:en:det#Latin|det]] [[wikt:en:suspicio#Noun|suspicionem]], **それ<small>〔計略〕</small>によって、よりたやすく敵勢に<small>(ローマ勢の)</small>恐怖心という推測を起こすべく、 *maiore [[wikt:en:strepitus#Latin|strepitu]] et [[wikt:en:tumultus#Latin|tumultu]], quam populi Romani fert [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudo]] **ローマ国民の習慣が引き起こすよりもより大きな騒音や喧騒をもって *castra [[wikt:en:moveo#Latin|moveri]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]. **陣営を引き払うことを命じる。 *His rebus fugae [[wikt:en:similis#Latin|similem]] [[wikt:en:profectio#Latin|profectionem]] [[wikt:en:efficio#Latin|effecit]]. **<small>(ラビエーヌスは)</small>これらの事によって、逃亡に似た進発を実現した。 :  *<!--❾-->Haec quoque per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] **これらのこともまた、<small>(トレーウェリー勢の)</small>斥候たちを通じて、 *ante [[wikt:en:lux#Latin|lucem]] in tanta [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitate]] castrorum ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]]. **夜明け前には、陣営のこれほどの近さにより、敵勢へ報じられる。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===8節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2024-10-28}}</span> ;ラビエーヌスがトレーウェリー族を降す :  ;   トレーウェリー勢が、渡河してラビエーヌスの軍勢に攻めかかろうとする *<!--❶-->[[wikt:en:vix#Latin|Vix]] [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:novissimus#Latin|novissimum]] extra [[wikt:en:munitio#Latin|munitiones]] [[wikt:en:procedo#Latin|processerat]], **<small>(ローマ勢の)</small>行軍隊列の最後尾が防塁の外側にほぼ進み出ようとしていた、 *cum Galli [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortati]] inter se, ne [[wikt:en:speratus#Latin|speratam]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] ex manibus [[wikt:en:dimitto#Latin|dimitterent]] **そのときにガッリア人たちは、期待していた戦利品を<small>(彼らの)</small>手から逸しないように、互いに鼓舞し合って、 *── longum esse, [[wikt:en:perterritus#Latin|perterritis]] Romanis [[wikt:en:Germani#Proper_noun|Germanorum]] auxilium [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]]; **── ローマ人が<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ているのに、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の支援を待つことは悠長なものである。 *neque suam [[wikt:en:patior#Latin|pati]] [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitatem]], **<small>(以下のことは)</small>自分たちの尊厳が耐えられない。 *ut [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] copiis [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:exiguus#Latin|exiguam]] manum, praesertim [[wikt:en:fugiens#Latin|fugientem]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impeditam]], **これほどの大軍勢で<small>(ローマの)</small>それほどの貧弱な手勢を、特に逃げ出して<small>(荷物で)</small>妨げられている者たちを *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] non [[wikt:en:audeo#Latin|audeant]] ── **あえて襲撃しないとは──<small>(と鼓舞し合って)</small> *flumen [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] et iniquo loco [[wikt:en:committo#Latin|committere]] proelium non [[wikt:en:dubito#Latin|dubitant]]. **川を渡って<small>(切り立った岸を登りながら)</small>不利な場所で交戦することをためらわない。 :  ;   ラビエーヌス勢が怖気を装いながら、そろりそろりと進む *<!--❷-->Quae fore [[wikt:en:suspicatus#Latin|suspicatus]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], **こうしたことが生じるであろうと想像していた[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、 *ut omnes citra flumen [[wikt:en:elicio#Latin|eliceret]], **<small>(敵の)</small>総勢を川のこちら側に誘い出すように、 *[[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:usus#Participle|usus]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] itineris **行軍の同じ見せかけを用いて、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で語られたように、<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>て今にも逃げ出しそうな風に装いながらの行軍。)</span> *[[wikt:en:placide#Adverb|placide]] [[wikt:en:progredior#Latin|progrediebatur]]. **穏やかに前進していた。 :  ;   ラビエーヌスが全軍の兵を叱咤激励する *<!--❸-->Tum [[wikt:en:praemissus#Latin|praemissis]] paulum impedimentis **それから、[[w:輜重|輜重]]<small>(の隊列)</small>を少し先に遣わして、 *atque in [[wikt:en:tumulus#Latin|tumulo]] [[wikt:en:quidam#Adjective|quodam]] [[wikt:en:collocatus#Latin|conlocatis]], **とある高台に配置すると、 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>&nbsp;[[wikt:en:habetis|Habetis]],<span style="color:#009900;">»</span></span> [[wikt:en:inquam#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>milites, quam [[wikt:en:petistis|petistis]], [[wikt:en:facultas#Latin|facultatem]]; </span> **<small>(ラビエーヌスは)</small>「兵士らよ、<small>(諸君は)</small>求めていた機会を得たぞ」と言った。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">&nbsp;<span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span>&nbsp;</span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span> *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">hostem [[wikt:en:impeditus#Latin|impedito]] atque [[wikt:en:iniquus#Latin|iniquo]] loco [[wikt:en:tenetis|tenetis]]: </span> **「<small>(諸君は)</small>敵を<small>(川岸で)</small>妨げられた不利な場所に追いやった。」 *<!--❹--><!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">[[wikt:en:praestate|praestate]] eandem nobis [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]] [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]], quam saepe numero [[wikt:en:imperator#Latin|imperatori]] [[wikt:en:praestitistis|praestitistis]], </span> **「我々<ruby><rb>将帥</rb><rp>(</rp><rt>ドゥクス</rt><rp>)</rp></ruby>らに、<small>(諸君が)</small>しばしば<ruby><rb>将軍</rb><rp>(</rp><rt>インペラートル</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔カエサル〕</small>に見せて来たのと同じ武勇を見せてくれ。」 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">atque illum adesse et haec [[wikt:en:coram#Adverb|coram]] [[wikt:en:cerno#Latin|cernere]] [[wikt:en:existimate|existimate]].<span style="color:#009900;">»</span></span> **「彼<small>〔カエサル〕</small>が訪れて、これ<small>〔武勇〕</small>を目の前で見ていると思ってくれ。」 :  ;   ラビエーヌスが軍を反転させて攻撃態勢を整える *<!--❺-->Simul signa ad hostem [[wikt:en:converto#Latin|converti]] aciemque [[wikt:en:dirigo#Latin|dirigi]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **同時に、軍旗が敵の方へ向きを変えられることと、戦列が整えられること、を命じる。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:軍勢が敵側へ向けて反転して、戦列を整えること、を命じた。)</span> [[画像:Pilensalve.jpg|thumb|right|250px|[[w:ピルム|ピールム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演]] *et paucis [[wikt:en:turma#Latin|turmis]] praesidio ad impedimenta [[wikt:en:dimissus#Latin|dimissis]], **かつ若干の<ruby><rb>[[w:トゥルマ|騎兵小隊]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を輜重のための守備隊として送り出して、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:騎兵小隊 turma はローマ軍の<br>    [[w:アウクシリア|支援軍]]における中規模の編成単位で、<br>    各30騎ほどと考えられている。)</span> *reliquos equites ad latera [[wikt:en:dispono#Latin|disponit]]. **残りの[[w:騎兵|騎兵]]たちを<small>(軍勢の)</small>両側面へ分置する。 :  ;   ラビエーヌス勢が喊声を上げて、投げ槍を投げ始める *<!--❻-->Celeriter nostri, clamore [[wikt:en:sublatus#Latin|sublato]], [[wikt:en:pilum#Latin|pila]] in hostes [[wikt:en:inmitto#Latin|inmittunt]]. **我が方<small>〔ローマ勢〕</small>は、雄叫びを上げると、速やかに<ruby><rb>[[w:ピルム|投げ槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピールム</rt><rp>)</rp></ruby>を敵勢へ放り入れる。 :  ;   不意を突かれたトレーウェリー勢が、一目散に逃げ出して、最寄りの森林を目指す *Illi, ubi [[wikt:en:praeter#Latin|praeter]] spem, quos <span style="color:#009900;">&lt;modo&gt;</span> [[wikt:en:fugio#Latin|fugere]] [[wikt:en:credo#Latin|credebant]], [[wikt:en:infestus#Latin|infestis]] signis ad se ire viderunt, **<span style="font-size:11pt;">彼らは、期待に反して、<span style="color:#009900;">&lt;ただ&gt;</span>逃げていると信じていた者たちが、軍旗を攻勢にして自分らの方へ来るのを見るや否や、</span> *[[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] <u>modo</u> ferre non potuerunt **<small>(ローマ勢の)</small>突撃を持ちこたえることができずに、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部 modo は主要写本&omega;ではこの位置にあるが、<br>    上記の &lt;modo&gt; に移す修正提案がある。)</span> *ac primo [[wikt:en:concursus#Noun|concursu]] in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]] **最初の猛攻で敗走に追い込まれて、 *proximas silvas [[wikt:en:peto#Latin|petierunt]]. **近隣の森を目指した。 :  ;   ラビエーヌス勢が、トレーウェリー勢の多数を死傷させ、部族国家を奪回する *<!--❼-->Quos [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] equitatu [[wikt:en:consectatus#Latin|consectatus]], **<small>(敗走した)</small>その者たちを、ラビエーヌスは騎兵隊で追撃して、 *magno numero [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecto]], **多数の者を<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>して、 *compluribus [[wikt:en:captus#Latin|captis]], **かなりの者たちを捕らえて、 *paucis post diebus civitatem recepit. **数日後に<small>(トレーウェリーの)</small>部族国家を<small>(蜂起の前の状態に)</small>戻した。 :  [[画像:Bund-ro-altburg.jpg|thumb|right|180px|トレーウェリー族の再現された住居(再掲)]] [[画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|thumb|right|180px|トレーウェリー族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡]] ;   ゲルマーニア人の援軍が故国へ引き返す *Nam [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]], qui auxilio veniebant, **なぜなら、援軍として来ようとしていたゲルマーニア人たちは、 *[[wikt:en:perceptus#Latin|percepta]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] fuga **トレーウェリー族の敗走を把握したので、 *sese [[wikt:en:domus#Latin|domum]] <u>receperunt</u>. **故国に撤退していった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:receperunt|receperunt]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:contulerunt|contulerunt]] となっている。)</span> :  ;   インドゥーティオマールスの残党がゲルマーニアへ出奔する *<!--❽-->Cum his [[wikt:en:propinquus#Latin|propinqui]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomari]], **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>とともに、インドゥーティオマールスの縁者たちは、 *qui [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] [[wikt:en:auctor#Latin|auctores]] fuerant, **その者らは<small>(トレーウェリー族におけるカエサルへの)</small>謀反の張本人であったが、 *[[wikt:en:comitatus#Participle|comitati]] eos ex civitate [[wikt:en:excedo#Latin|excesserunt]]. **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>を伴って、部族国家から出て行った。 :  ;   カエサルとローマに忠節なキンゲトリークスに、部族の統治権が託される *<!--❾-->[[wikt:en:Cingetorix#Latin|Cingetorigi]], **キンゲトリークスに対しては、 *quem ab initio [[wikt:en:permaneo#Latin|permansisse]] in [[wikt:en:officium#Latin|officio]] [[wikt:en:demonstravimus|demonstravimus]], **──その者が当初から<small>(ローマへの)</small>忠義に留まり続けたことは前述したが── **:<span style="color:#009900;">(訳注:キンゲトリークスについては、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]~4節・[[ガリア戦記 第5巻#56節|56節]]~57節で述べられている。)</span> *[[wikt:en:principatus#Latin|principatus]] atque [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]] est traditum. **首長の地位と支配権が託された。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <span style="font-size:11pt;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==第二次ゲルマーニア遠征== ===9節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2024-11-06}}</span> ;再びレーヌスを渡河、ウビイー族を調べる *<!--❶-->Caesar, [[wikt:en:postquam#Latin|postquam]] ex [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venit, **カエサルは、メナピイー族のところからトレーウェリー族のところに来た後で、 *duabus de causis [[wikt:en:Rhenus#Latin|Rhenum]] [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituit]]; **二つの理由からレーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>を渡ることを決めた。 :  *<!--❷-->quarum una erat, quod <span style="color:#009900;">&lt;Germani&gt;</span> auxilia contra se [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]; **その<small></small>(理由の)一つは、<span style="color:#009900;">&lt;ゲルマーニア人が&gt;</span>自分<small>〔カエサル〕</small>に対抗して、トレーウェリー族に援軍を派遣していたことであった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:&lt;Germani&gt; は、主要写本&omega;にはなく、[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Hotomanus|Hotomanus]] による挿入提案。)</span> *<span style="color:#009900;">(quarum)</span> altera <span style="color:#009900;">(erat)</span>, ne ad eos [[wikt:en:|Ambiorix]] [[wikt:en:receptus#Noun|receptum]] haberet. **もう一つ<small></small>(の理由)は、彼らのもとへ[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が避難所を持たないように、ということであった。 :  [[画像:Caesar's Rhine Crossing.jpg|thumb|right|250px|カエサルがライン川に橋を架けたとされる有力な地点の図示。ライン川と[[w:モーゼル川|モーゼル川]]の合流点にある[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[w:en:Koblenz|Koblenz]])と下流の[[w:アンダーナッハ|アンダーナッハ]]([[w:en:Andernach|Andernach]])との間の[[w:ノイヴィート|ノイヴィート]]([[w:en:Neuwied|Neuwied]])辺りが有力な地点の一つとされる。'''([[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図を再掲)''']] *<!--❸-->His constitutis rebus, **これらの事柄を決定すると、 *[[wikt:en:paulum#Adverb|paulum]] supra eum locum, quo ante exercitum traduxerat, facere pontem instituit. **<u>以前に軍隊を渡らせていた場所</u>の少し上流に、橋を造ることを決意した。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]] でカエサルが[[w:ライン川|ライン川]]に架橋した場所のこと。<br>    第4巻の'''[[ガリア戦記_第4巻#コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」|コラム]]''' や [[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図で説明したように、<br>    カエサルの最初の架橋地点には異論もあるが、<br>    今回の架橋地点がトレーウェリー族領であった<br>    [[w:モーゼル川|モーゼル川]]渓谷から近かったであろうことから有力視される。)</span> :  *<!--❹-->Nota atque instituta ratione, **経験しかつ建造していた方法で、 *magno militum studio **兵士の大きな熱意により *paucis diebus opus efficitur. **わずかな日数で作業が完遂された。 :  *<!--❺-->Firmo in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] ad pontem praesidio relicto, **トレーウェリー族(の領内)の橋のたもとへ強力な守備隊を残した。 *ne quis ab his subito motus <u>oreretur</u>, **彼らによる何らかの動乱が突然に起こされないように。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・&rho;系写本では [[wikt:en:oreretur|oreretur]]、<br>         &phi;系・&pi;系写本では [[wikt:en:oriretur|oriretur]] だが、語形の相異。)</span> *reliquas copias equitatumque traducit. **残りの軍勢と騎兵隊を(レーヌスの東岸へ)渡らせた。 :  *<!--❻-->Ubii, qui ante obsides dederant atque in deditionem venerant, **ウビイー族は、以前に(カエサルに対して)人質たちを供出していて、降伏していたが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この事はすでに[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]で述べられている。)</span> *<u>purgandi sui</u> causa ad eum legatos mittunt, **自分たちの申し開きをすることのために、彼(カエサル)のところへ使節たちを遣わして、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:purgandi|purgandi]] [[wikt:en:sui#Pronoun|sui]] だが、<br>         &beta;系写本では purgandi のみ。)</span> *qui doceant, **(以下のように)説かせた。 *neque <u>auxilia ex sua civitate</u> in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] missa **自分たちの部族から援軍をトレーウェリー族のところに派遣してもいないし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・M・S写本では [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] ex sua [[wikt:en:civitate|civitate]]、<br>         L・N・&beta;系写本では ex sua civitate auxilia の語順になっている。)</span> *neque ab se fidem laesam: **自分らにより(ローマへの)信義を傷つけてもいない、と。 :  *<!--❼-->petunt atque orant, **(ウビイー族の使節たちは、以下のように)求め、かつ願った。 *ut sibi parcat, **自分たちを容赦し、 *ne communi odio Germanorum innocentes pro nocentibus poenas pendant; **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人一般への憎しみから、潔白な者たちが加害者たちのために罰を償うことがないように、と。 *si amplius obsidum <u>vellet, dare</u> pollicentur. **もし、より多くの人質を欲するのなら、供出することを約束する、と。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]] <small>(未完了過去・接続法)</small> [[wikt:en:dare#Latin|dare]] <small>(現在・能動・不定)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:velit#Latin|velit]] <small>(現在・接続法)</small> [[wikt:en:dari#Latin|dari]] <small>(現在・受動・不定法)</small> となっている。)</span> :  *<!--❽-->Cognita Caesar causa **カエサルは事情を調査して、 *<u>repperit</u> ab Suebis auxilia missa esse; **スエービー族により(トレーウェリー族に)援軍が派遣されていたことを見出した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:repperit|repperit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         近世以降の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.]] では [[wikt:en:reperit|reperit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> :  *Ubiorum satisfactionem <u>accepit</u>, **ウビイー族の弁解を受け入れて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:accepit|accepit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Davisius|Davisius]] の修正提案では [[wikt:en:accipit|accipit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> *aditus viasque in Suebos perquirit. **スエービー族のところに出入りする道筋を問い質した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===10節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2024-11-16}}</span> ;ウビイー族を通じてスエービー族の動静を探る *<!--❶-->Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior, **わずかな日々の後の間に、ウビイー族によって報告されたことには、 *Suebos omnes in unum locum copias cogere **スエービー族は、すべての軍勢を一か所に集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後述するように、これはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] のことであろう。)</span> *atque iis nationibus, quae sub eorum sint imperio, **彼らの支配下にある種族たちに *denuntiare, ut auxilia peditatus equitatusque mittant. **[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の援軍を派遣するように指示した。 :  *<!--❷-->His cognitis rebus, **<small>(カエサルは)</small>これらの事情を知ると、 *rem frumentariam providet, **糧食調達を準備して、 *castris idoneum locum deligit; **[[w:カストラ|陣営]]<small>(を設置するの)</small>に適切な場所を選んだ。 *Ubiis imperat, ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, **ウビイー族には、家畜を連れ去り、自分たちの一切合財を土地から[[w:オッピドゥム|城市]]に運び集めるように命令した。 *sperans barbaros atque imperitos homines **<small>(カエサルが)</small>期待したのは、野蛮で無知な連中が *inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; **糧秣の欠乏に動かされて、不都合な条件のもとで戦うことがあり得るように誘引されることであった。 :  *<!--❸-->mandat, ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. **偵察者たちをたびたびスエービー族内に遣わして、彼らのもとで遂行されていることを知るように<small>(ウビイー族に)</small>委ねた。 :  *<!--❹-->Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: **彼ら<small>〔ウビイー族〕</small>は、命令されたことを実行して、わずかな日々を間に置いて(以下のことを)報告する。 *Suebos omnes, posteaquam certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, **スエービー族は皆、ローマ人の軍隊についてより確実な報告がもたらされた後で、 *cum omnibus suis sociorumque copiis, quas coegissent, **自分たちの軍勢と集結していた同盟者たちの軍勢とともに、 *penitus ad extremos fines se recepisse; **領土の最も遠い奥深くまで撤退していた。 :  *<!--❺-->silvam esse ibi infinita magnitudine, quae appellatur <u>Bacenis</u>; **そこには、'''バケーニス'''と呼ばれている限りない大きさの森林がある。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:バケーニス [[wikt:en:Bacenis#Latin|Băcēnis]] は、ギリシア語で Βακέννη とも表記されるが、どこなのかは諸説ある。<br>     ①ドイツ西部[[w:ヘッセン州|ヘッセン州]]にあったブコニアの森 ''[[w:de:Buchonia|Buchonia]]; [[w:fr:Forêt de Buconia|Buconia]]'' は有力。<br>     ②ドイツの奥地・中東部の[[w:テューリンゲン州|テューリンゲン州]]にある[[w:テューリンゲンの森|テューリンゲンの森]]という説<ref>[[s:de:RE:Bacenis silva]], [[wikt:de:Bacenis]] 等を参照。</ref><br>     ③ドイツ西部[[w:ラインラント=プファルツ州|ラインラント=プファルツ州]]ライン川沿岸のニールシュタイン [[w:en:Nierstein|Nierstein]] 説、<br>    などがある。史実としてスエービーという部族連合が居住していたのはテューリンゲンであろうが、<br>    ライン川からはあまりにも遠すぎる。)</span> *hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam **これは、はるか内陸に及んでいて、天然の防壁として横たわっており、 *[[wikt:en:Cheruscos|Cheruscos]] ab Suebis Suebosque ab [[wikt:en:Cheruscis|Cheruscis]] iniuriis incursionibusque prohibere: **ケールスキー族をスエービー族から、スエービー族をケールスキー族から、無法行為や襲撃から防いでいる。 *ad eius initium silvae Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. **その森の始まりのところで、スエービー族はローマ人の到来を待ち構えることを決定した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」=== [[画像:Hermann (Arminius) at the battle of the Teutoburg Forest in 9 CE by Peter Jannsen, 1873, with painting creases and damage removed.jpg|thumb|right|250px|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)で戦う、ゲルマーニア軍とローマ軍(Johann Peter Theodor Janssen画、1870~1873年頃)。中央上の人物はケールスキー族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]。<br>アルミニウスが率いるケールスキー族・カッティー族らゲルマーニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。]] <br> <div style="background:#ecf;">  '''スエービー族とカッティー族'''</div> :『ガリア戦記』では、第1巻・第4巻および第6巻でたびたび[[w:スエビ族|スエービー族]]の名が言及される。タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の38章「スエービー」などを参照。</ref>など多くの史家が伝えるようにスエービー族 [[wikt:en:Suebi#Latin|Suēbī]] またはスエウィ族 Suēvī とは、単一の部族名ではなく、多くの独立した部族国家から構成される連合体の総称とされる。 :19世紀のローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]によれば<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、のp.201, p.224, p.232などを参照。</ref>、カエサルの時代のローマ人には 「スエービー」とは遊牧民を指す一般的な呼称で、カエサルがスエービーと呼ぶのはカッティー族だという。 :カッティー族とスエービー系諸部族の異同は明確ではないが、多くの史家は両者を区別して伝えている。 : 第1巻37節・51節・53節~54節、第4巻1節~4節・7節などで言及され、「百の郷を持つ」と されている「スエービー族」は、スエービー系諸部族の総称、あるいは遊牧系の部族を指すのであろう。 : 他方、第4巻16節・19節・第6巻9節~10節・29節で、ウビイー族を圧迫する存在として言及される :「スエービー族」はモムゼンの指摘のように、カッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] であることが考えられる。 :タキトゥス著『ゲルマーニア』<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の36章「ケルスキー」などを参照。</ref>でも、カッティー族はケールスキー族と隣接する宿敵として描写され、本節の説明に合致する。 <div style="background:#ecf;">  '''ケールスキー族'''</div> :ケールスキー族は、『ガリア戦記』では[[#10節|本節]]でカッティー族と隣接する部族として名を挙げられる :のみである。しかしながら、本巻の年(BC53年)から61年後(AD9年)には、帝政ローマの :[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]がゲルマーニアに派遣していたプブリウス・クィンクティリウス・ウァルス :([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Publius Quinctilius Varus]])が率いるローマ軍3個軍団に対して、名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]を :指導者とするケールスキー族は、カッティー族ら諸部族の同盟軍を組織して、ウァルスの3個軍団を :[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]において壊滅させ、老帝アウグストゥスを嘆かせたという。 <div style="background:#ecf;">  '''ウビイー族'''</div> :ウビイー族は『ガリア戦記』の第4巻・第6巻でも説明されているように、ローマ人への忠節を :認められていた。そのため、タキトゥスによれば<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の28章などを参照。</ref>、ゲルマニアへのローマ人の守りとして :BC38年頃にレヌス(ライン川)左岸のコロニア([[w:la:Colonia_Agrippina|Colonia]];植民市)すなわち現在の[[w:ケルン|ケルン市]]に移された。) </div> ==ガッリア人の社会と風習について== <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」=== [[画像:Testa di saggio o principe, forse il filosofo poseidonio, 50 ac. ca 01.JPG|thumb|right|200px|アパメアの[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]の胸像。地中海世界やガッリアなどを広く訪れて、膨大な著作を残した。<br>『ガリア戦記』の地誌・民族誌的な説明も、その多くを彼の著作に依拠していると考えられている。]] :これ以降、11節~20節の10節にわたってガッリアの地誌・民族誌的な説明が展開され、さらには、ゲルマーニアの地誌・民族誌的な説明などが21節~28節の8節にわたって続く。ガッリア戦争の背景説明となるこのような地誌・民族誌は、本来ならば第1巻の冒頭に置かれてもおかしくはない。しかしながら、この第6巻の年(BC53年)は、カエサル指揮下のローマ勢にとってはよほど書かれるべき戦果が上がらなかったためか、ガッリア北部の平定とエブロネス族の追討戦だけでは非常に短い巻となってしまうため、このような位置に置いたとも考えられる。ゲルマーニアの森にどんな獣が住んでいるかなど、本筋にほとんど影響のないと思われる記述も見られる。 :『ガリア戦記』におけるガッリアの地誌・民族誌的な説明、特にこの11節以降の部分は、文化史的に重要なものと見なされ、考古学やケルトの伝承などからも裏付けられる。しかし、これらの記述はカエサル自身が見聞したというよりも、むしろ先人の記述、とりわけBC2~1世紀のギリシア哲学ストア派の哲学者・地理学者・歴史学者であった[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]([[w:la:Posidonius Apameus|Posidonius Apameus]])の著作に依拠していたと考えられている<ref>『ケルト事典』ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、創元社の「ポセイドニオス」「カエサル」の項を参照。</ref> <ref>『ケルト人』ヴァンセスラス・クルータ([[w:fr:Venceslas Kruta|Venceslas Kruta]])著、鶴岡真弓訳、白水社 のp.20-21を参照。</ref>。ポセイドニオスは、ローマが支配する地中海世界やガッリア地域などを広く旅行した。彼の52巻からなる膨大な歴史書は現存しないが、その第23巻にガッリアに関する詳細な記述があったとされ、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、[[w:ストラボン|ストラボン]]、[[w:アテナイオス|アテナイオス]]らによって引用され、同時代および近代のケルト人観に多大な影響を与えたと考えられている。 :現存するガッリアの地誌・民族誌は、ストラボン<ref>『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』ストラボン著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ディオドロス<ref>『神代地誌』ディオドロス著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>『世界地理』ポンポニウス・メラ著、飯尾都人訳(上掲『神代地誌』に所収)</ref>のものなどがある。現存するゲルマーニアの地誌・民族誌は、ストラボン、タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫などを参照。</ref>、ポンポニウス・メラなどのものがある。 </div> ===11節=== '''ガッリア人の派閥性''' *① Quoniam ad hunc locum perventum est, **この地(ゲルマーニア)にまで到達したので、 *non alienum esse videtur de Galliae Germaniaeque moribus et, quo differant hae nationes inter sese proponere. **[[w:ガリア|ガッリア]]と[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]の風習について、これらの種族が互いにどのように異なるか述べることは不適切でないと思われる。 *② In Gallia non solum in omnibus civitatibus atque in omnibus <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagis]]</u> partibusque, **ガッリアにおいては、すべての部族において、さらにすべての<u>郷</u>や地方においてのみならず、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span> *sed paene etiam in singulis domibus factiones sunt, **ほとんどの個々の氏族においてさえも、派閥があり、 *earumque factionum principes sunt, **それらの派閥には、領袖がいる。 *③ qui summam auctoritatem eorum iudicio habere existimantur, **その者(領袖)らは、彼ら(派閥)の判断に対して、最高の影響力を持っていると考えられている。 *quorum ad arbitrium iudiciumque summa omnium rerum consiliorumque redeat. **すべての事柄と協議は結局のところ、その者(領袖)らの裁量や判断へ帰する。 *④ Idque eius rei causa antiquitus institutum videtur, **それは、それらの事柄のために昔から取り決められたものと見られ、 *ne quis ex plebe contra potentiorem auxilii egeret: **平民のある者が、より権力のある者に対して、援助を欠くことがないように、ということである。 *suos enim quisque opprimi et circumveniri non patitur, **すなわち(領袖たちの)誰も、身内の者たちが抑圧されたり欺かれたりすることを容認しない。 *neque, aliter si faciat, ullam inter suos habet auctoritatem. **もし(領袖が)そうでなくふるまったならば、身内の者たちの間で何ら影響力を持てない。 *⑤ Haec eadem ratio est in summa totius Galliae; **これと同じ理屈が、ガッリア全体の究極において存在する。 *namque omnes civitates in partes divisae sunt duas. **すなわち、すべての部族が二つの党派に分けられているのである。 ===12節=== '''ハエドゥイ族、セクァニ族、レミ族の覇権争い''' *① Cum Caesar in Galliam venit, **カエサルがガッリアに来たときに、 *alterius factionis principes erant Haedui, alterius Sequani. **(二つの)派閥の一方の盟主は[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]であり、他方は[[w:セクァニ族|セクァニ族]]であった。 **:(訳注:第1巻31節の記述によれば、ハエドゥイ族と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]がそれぞれの盟主であった。 **:カエサルが本節でアルウェルニ族の名を伏せている理由は不明である。 **:また、[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.330)</ref>、ハエドゥイ族とセクァニ族の敵対関係においては、 **:両部族を隔てるアラル川の水利権(川舟の通行税)をめぐる争いが敵意を助長していたという。) *② Hi cum per se minus valerent, **後者(セクァニ族)は自力ではあまり優勢ではなかったので、 *quod summa auctoritas antiquitus erat in Haeduis **というのは、昔から最大の影響力はハエドゥイ族にあって、 *magnaeque eorum erant clientelae, **彼ら(ハエドゥイ族)には多くの庇護民があったからであるが、 *Germanos atque Ariovistum sibi adiunxerant **[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人と[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]を自分たちに会盟させ、 *eosque ad se magnis iacturis pollicitationibusque perduxerant. **多くの負担と約束で 彼らを自分たちのところに引き入れた。 *③ Proeliis vero compluribus factis secundis **実にいくつもの戦闘を順調に行なって、 *atque omni nobilitate Haeduorum interfecta **ハエドゥイ族のすべての高貴な者たちを殺害して、 *tantum potentia antecesserant, **かなりの勢力で抜きん出たので、 *④ ut magnam partem clientium ab Haeduis ad se traducerent **結果として、ハエドゥイ族から庇護民の大部分を自分たちへ味方に付けて、 *obsidesque ab iis principum filios acciperent **彼らから領袖の息子たちを人質として受け取り、 *et publice iurare cogerent nihil se contra Sequanos consilii inituros, **自分たち(ハエドゥイ族)がセクァニ族に対して何ら謀計を始めるつもりではない、と公に誓うことを強いて、 *et partem finitimi agri per vim occupatam possiderent **近隣の土地の一部を力ずくで占領して所有地とした。 *Galliaeque totius principatum obtinerent. **ガッリア全体の指導権を手に入れた。 *⑤ Qua necessitate adductus **それにより、やむを得ずに動かされて、 *Diviciacus auxilii petendi causa Romam ad senatum profectus infecta re redierat. **[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]は支援を求めるために[[w:ローマ|ローマ市]]に元老院のところへ赴いたが、事を成就せずに帰った。 *⑥ Adventu Caesaris facta commutatione rerum, **カエサルの到来で事態の変化がなされて、 *obsidibus Haeduis redditis, **ハエドゥイ族の人質たちは戻されて、 *veteribus clientelis restitutis, **昔からの庇護民が復帰して、 *novis per Caesarem comparatis, **カエサルを通じて新参者たちを仲間にした。 *quod ii qui se ad eorum amicitiam adgregaverant, **というのは、彼ら(ハエドゥイ族)の友好のもとに仲間となっていた者たちが、 *⑦ meliore condicione atque aequiore imperio se uti videbant, **(セクァニ族)より良い条件とより公平な支配を享受しているように見えて、 *reliquis rebus eorum gratia dignitateque amplificata **ほかの事柄においても彼ら(ハエドゥイ族)の信望と品格がより増されて、 *Sequani principatum dimiserant. **セクァニ族は指導権を放棄したのだ。 *In eorum locum Remi successerant: **彼ら(セクァニ族)の地位において、[[w:レミ族|レミ族]]が取って代わった。 *quos quod adaequare apud Caesarem gratia intellegebatur, **その者ら(レミ族)はカエサルのもとで信望において(ハエドゥイ族と)同等であると認識されたので、 *ii qui propter veteres inimicitias nullo modo cum Haeduis coniungi poterant, **昔からの敵対関係のためにハエドゥイ族とどのようなやり方でも結ぶことができなかった者たちは、 *se Remis in clientelam dicabant. **レミ族との庇護関係に自らを委ねたのだ。 *⑧ Hos illi diligenter tuebantur; **この者ら(レミ族)はあの者ら(庇護民)を誠実に保護して、 *ita et novam et repente collectam auctoritatem tenebant. **このようにして、最近に得られた新しい影響力を保持した。 *⑨ Eo tum statu res erat, ut longe principes haberentur Haedui, **当時、ハエドゥイ族の位置付けは、まったく盟主と見なされるような状態であって、 *secundum locum dignitatis Remi obtinerent. **レミ族の品格は第二の地位を占めたのだ。 ===13節=== '''ガッリア人の社会階級、平民およびドルイドについて(1)''' *① In omni Gallia eorum hominum, qui aliquo sunt numero atque honore, genera sunt duo. **全ガッリアにおいて、何らかの地位や顕職にある人々の階級は二つである。 '''平民について''' *Nam plebes paene servorum habetur loco, **これに対して、平民はほとんど奴隷の地位として扱われており、 *quae nihil audet per se, nullo adhibetur consilio. **自分たちを通じては何らあえてすることはないし、誰も相談をされることもない。 *② Plerique, cum aut aere alieno aut magnitudine tributorum aut iniuria potentiorum premuntur, **多くの者は、あるいは負債、あるいは貢納の多さ、あるいはより権力のある者に抑圧されているので、 *sese in servitutem dicant. **自らを奴隷身分に差し出している。 *Nobilibus in hos eadem omnia sunt iura, quae dominis in servos. **高貴な者たちには彼ら(平民)において、奴隷において主人にあるのと同様なすべての権利がある。 '''ドルイドについて''' *③ Sed de his duobus generibus alterum est druidum, alterum equitum. **ともかく、これら二つの階級について、一方は[[w:ドルイド|ドルイド]](神官)であり、他方は[[w:騎士|騎士]]である。 *④ Illi rebus divinis intersunt, sacrificia publica ac privata procurant, religiones interpretantur: **前者(ドルイド)は神事に介在し、公・私の<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を司り、信仰のことを講釈する。 **:(訳注:供犠とは、人や獣を生け贄として神前に捧げることである。<ruby><rb>[[w:人身御供|人身御供]]</rb><rp>(</rp><rt>ひとみごくう</rt><rp>)</rp></ruby>とも。) [[画像:Two_Druids.PNG|thumb|right|200px|二人のドルイド。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガッリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。]] *ad hos magnus adulescentium numerus disciplinae causa concurrit, **この者ら(ドルイド)のもとへ、若者の多数が教えのために群り集まり、 *magnoque hi sunt apud eos honore. **この者ら(ドルイド)は、彼ら(ガッリア人)のもとで大いなる地位にある。 *⑤ Nam fere de omnibus controversiis publicis privatisque constituunt, **なぜなら(ドルイドは)ほとんどすべての公・私の訴訟ごとに判決をするのである。 *et, si quod est admissum facinus, si caedes facta, **もし何らかの罪悪が犯されれば、もし殺害がなされれば、 *si de hereditate, de finibus controversia est, **もし、遺産について、地所について、訴訟ごとがあれば、 *idem decernunt, praemia poenasque constituunt; **同じ人たち(ドルイド)が裁決し、補償や懲罰を判決するのである。 *⑥ si qui aut privatus aut populus eorum decreto non stetit, sacrificiis interdicunt. **もし何らかの個人あるいは集団が彼ら(ドルイド)の裁決を遵守しなければ、(その者らに)供犠を禁じる。 *Haec poena apud eos est gravissima. **これは、彼ら(ガッリア人)のもとでは、非常に重い懲罰である。 *⑦ Quibus ita est interdictum, **このように(供犠を)禁じられた者たちは、 *hi numero impiorum ac sceleratorum habentur, **彼らは、不信心で不浄な輩と見なされて、 *his omnes decedunt, aditum sermonemque defugiunt, **皆が彼らを忌避して、近づくことや会話を避ける。 *ne quid ex contagione incommodi accipiant, **(彼らとの)接触から、何らかの災厄を負うことがないようにである。 *neque his petentibus ius redditur **彼らが請願しても(元通りの)権利は戻されないし、 *neque honos ullus communicatur. **いかなる地位(に就くこと)も許されない。 *⑧ His autem omnibus druidibus praeest unus, **ところで、これらすべてのドルイドを一人が指導しており、 *qui summam inter eos habet auctoritatem. **その者は彼ら(ドルイドたち)の間に最高の影響力を持っている。 *⑨ Hoc mortuo **この者が死んだならば、 *aut, si qui ex reliquis excellit dignitate, succedit, **あるいは、もし残りの者たちの中から品格に秀でた者がおれば、継承して、 *aut, si sunt plures pares, suffragio druidum {adlegitur}<ref>adlegitur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>; **あるいは、もしより多くの者たちが同等であれば、ドルイドの投票で{選ばれる}。 *nonnumquam etiam armis de principatu contendunt. **ときどきは、武力でさえも首座を争うことがある。 *⑩ Hi certo anni tempore **彼ら(ドルイド)は年間の定められた時期に *in finibus Carnutum, quae regio totius Galliae media habetur, considunt in loco consecrato. **ガッリア全体の中心地方と見なされている[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の領土において、[[w:聖地|聖地]]に集合する。 **:(訳注:これはカエサルが支配する「ガッリア全体」の話で、他の地方には別の中心地があったようである。) *Huc omnes undique, qui controversias habent, conveniunt **ここへ、至る所から訴訟などを持つあらゆる者たちが集まって、 *eorumque decretis iudiciisque parent. **彼ら(ドルイド)の裁決や判断に服従する。 *⑪ Disciplina in Britannia reperta atque inde in Galliam translata esse existimatur, **(ドルイドの)教えは[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]で見出され、そこからガッリアにもたらされたと考えられている。 **:(訳注:これに対して、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]は、ガッリア人の信仰は[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。 **:[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば、これは東方のゲタエ人([[w:en:Getae|Getae]];[[w:トラキア|トラキア]]系ないし[[w:ダキア|ダキア]]系)を通じて取り入れたものだという<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、第7巻 第3章 第5節)</ref>。) *⑫ et nunc, qui diligentius eam rem cognoscere volunt, **今でも、その事柄をより入念に探究することを欲する者たちは、 *plerumque illo discendi causa proficiscuntur. **たいてい、かの地に研究するために旅立つ。 ===14節=== '''ドルイドについて(2)''' *① Druides a bello abesse consuerunt **[[w:ドルイド|ドルイド]]たちは、戦争に関与しない習慣であり、 *neque tributa una cum reliquis pendunt; **ほかの者と一緒に貢納(租税)を支払うこともない。 *militiae vacationem omniumque rerum habent immunitatem. **[[w:徴兵制度|兵役]]の免除や、すべての事柄において免除特権を持っているのである。 [[画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|thumb|right|200px|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち]] *② Tantis excitati praemiis **このような特典に駆り立てられて *et sua sponte multi in disciplinam conveniunt **自らの意思で多くの者が教え(の場)に集まっても来るし、 *et a parentibus propinquisque mittuntur. **親たちや縁者たちによって送られても来る。 *③ Magnum ibi numerum versuum ediscere dicuntur. **(彼らは)そこで詩句の多数を習得すると言われている。 *Itaque annos nonnulli vicenos in disciplina permanent. **こうして、少なからぬ者たちが、20年にもわたって教え(の場)に残留する。 [[画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|thumb|right|200px|ギリシア文字で刻まれたガッリアの碑文]] *Neque fas esse existimant ea litteris mandare, **それら(の詩句)を文字で刻み込むことは、神意に背くと考えている。 *cum in reliquis fere rebus, publicis privatisque rationibus, Graecis litteris utantur. **もっとも、ほかの事柄においては、公・私の用件に[[w:ギリシア文字|ギリシア文字]]を用いる。 *④ Id mihi duabus de causis instituisse videntur, **それは、私(カエサル)には、二つの理由で(ドルイドが)定めたことと思われる。 **:(訳注:これは、カエサルが自らを一人称で示している珍しい個所である。) *quod neque in vulgum disciplinam efferri velint **というのは、教えが一般大衆にもたらされることは欲していないし、 *neque eos, qui discunt, litteris confisos minus memoriae studere: **(教えを)学ぶ者が、文字を頼りにして、あまり暗記することに努めなくならないようにである。 [[画像:Dying_gaul.jpg|thumb|right|200px|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])]] *quod fere plerisque accidit, ut **というのも、ほとんど多くの場合に起こることには、 *praesidio litterarum diligentiam in perdiscendo ac memoriam remittant. **文字の助けによって、入念に猛勉強することや暗記することを放棄してしまうのである。 *⑤ In primis hoc volunt persuadere, **とりわけ、彼ら(ドルイド)が説くことを欲しているのは、 *non interire animas, sed ab aliis post mortem transire ad alios, **霊魂は滅びることがないのみならず、死後にある者から別のある者へ乗り移るということである。 **:(訳注:ガッリア人の[[w:輪廻転生|転生信仰]]は、[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]が伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。) *atque hoc maxime ad virtutem excitari putant metu mortis neglecto. **これによって(ガッリア人は)死の恐怖に無頓着になって最も武勇へ駆り立てられると(ドルイドは)思っている。 [[画像:Universum.jpg|thumb|right|200px|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。]] *Multa praeterea de sideribus atque eorum motu, **さらに多く、星々とその動きについて、 *de mundi ac terrarum magnitudine, de rerum natura, **天空と大地の大きさについて、物事の本質について、 *de deorum immortalium vi ac potestate **不死の神々の力と支配について、 *disputant et iuventuti tradunt. **研究して、青年たちに教示するのである。 <br> <br> *('''訳注:ドルイドについて''' :ケルト社会の神官・祭司・僧などとされるドルイドについては、おそらくは[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]、そしてカエサル、 :および[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410-p.411)</ref>、[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.341-p.342)</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>ポンポニウス・メラ『世界地理』(前掲、p.549)</ref>などのギリシア人・ローマ人の著述家たちがそれぞれ :書き残しているために同時代や現代に知られている。しかし、本節にもあるように、その秘密主義からか、 :古代ギリシア・ローマの著作にあるほかには、その詳細については不明である。) ===15節=== [[画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|thumb|right|200px|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。]] [[画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|thumb|right|200px|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)]] '''ガッリア人の騎士階級について''' *① Alterum genus est equitum. **(ドルイドと並ぶ)もう一つの階級は、[[w:騎士|騎士]]である。 *Hi, cum est usus atque aliquod bellum incidit **彼らは、必要とされ、かつ何らかの戦争が勃発したときには、 *─ quod fere ante Caesaris adventum quotannis accidere solebat, **─ それ(戦争)はカエサルの到来以前にはほとんど毎年のように起こるのが常であり、 *uti aut ipsi iniurias inferrent aut inlatas propulsarent ─, **自身が侵犯行為を引き起こすためか、あるいは引き起こされて撃退するためであったが、─ *omnes in bello versantur, **総勢が戦争に従事した。 *② atque eorum ut quisque est genere copiisque amplissimus, **さらに彼らは、高貴な生まれで財産が非常に大きければ大きいほど、 **:(訳注:ut quisque ~ ita;おのおのが~であればあるほどますます) *ita plurimos circum se ambactos clientesque habet. **自らの周囲に非常に多くの臣下や庇護民たちを侍らせる。 *Hanc unam gratiam potentiamque noverunt. **(騎士たちは)これが信望や権勢(を示すこと)の一つであると認識しているのである。 ===16節=== '''ガッリア人の信仰と生け贄、ウィッカーマン''' *① Natio est omnis Gallorum admodum dedita religionibus, **ガッリア人のすべての部族民は、まったく信仰行為に身を捧げている。 *② atque ob eam causam, **その理由のために、 *qui sunt adfecti gravioribus morbis **非常に重い病気を患った者たち *quique in proeliis periculisque versantur, **および戦闘において危険に苦しめられる者たちは、 *aut pro victimis homines immolant **あるいは<ruby><rb>[[w:生贄|生け贄]]</rb><rp>(</rp><rt>いけにえ</rt><rp>)</rp></ruby>の獣(犠牲獣)の代わりに人間を供えたり、 *aut se immolaturos vovent, **あるいは自らを犠牲にするつもりであると誓願し、 *administrisque ad ea sacrificia druidibus utuntur, **その<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を執り行う者として[[w:ドルイド|ドルイド]]を利用するのである。 *③ quod, pro vita hominis nisi hominis vita reddatur, **というのは(一人の)人間の生命のためには、(もう一人の)人間の生命が償われない限り、 *non posse deorum immortalium numen placari arbitrantur, **不死の神々の<ruby><rb>御霊</rb><rp>(</rp><rt>みたま</rt><rp>)</rp></ruby>がなだめられることができないと思われているからである。 *publiceque eiusdem generis habent instituta sacrificia. **同じような類いの供儀が公けに定められているのである。 [[画像:WickerManIllustration.jpg|thumb|right|310px|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた<ref>例えば『ケルト人─蘇るヨーロッパ<幻の民>』C.エリュエール著、鶴岡真弓監修、創元社、p.130の挿絵などを参照。</ref>。1973年にはイギリスで映画化され<ref>“[[w:en:The Wicker Man (1973 film)|The Wicker Man]]”はウィッカーマンを題材にした1973年のイギリスのカルト映画作品。</ref>、2006年にはアメリカなどでも映画化された<ref>“[[w:en:The Wicker Man (2006 film)|The Wicker Man]]”は上記作品をリメイクした2006年のアメリカ・カナダ・ドイツの映画作品。</ref>。]] [[画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|thumb|right|100px|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)]] '''ウィッカーマン''' *④ Alii immani magnitudine simulacra habent, **ある者たちは、恐ろしく大規模な像を持って、 *quorum contexta viminibus membra vivis hominibus complent; **その柳の枝で編み込まれた肢体を人間たちで満杯にして、 *quibus succensis **それらを燃やして、 *circumventi flamma exanimantur homines. **人々は炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。 *⑤ Supplicia eorum qui in furto aut in latrocinio **窃盗あるいは追い剥ぎに関わった者たちを処刑することにより、 *aut aliqua noxia sint comprehensi, **あるいは何らかの罪状により捕らわれた者たち(の処刑)により、 *gratiora dis immortalibus esse arbitrantur; **不死の神々に感謝されると思っている。 *sed, cum eius generis copia defecit, **しかしながら、その類いの量が欠けたときには、 *etiam ad innocentium supplicia descendunt. **潔白な者たちさえも犠牲にすることに頼るのである。 <br><br> :('''訳注''':このような'''[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]'''の供犠については[[w:ストラボン|ストラボン]]も伝えており<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.343)</ref>、 :[[w:人身御供|人身御供]]の種類の一つとして、干し草やたきぎで巨像を作り、その中へあらゆる :家畜・野生動物や人間たちを投げ込んで丸焼きにする習慣があったという。 : また、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410~p.411)</ref>やストラボンによれば、ドルイドはむしろ'''[[w:予言|予言者]]・[[w:占い|占い師]]''' :であるという。ドルイドが重要な問題について占うときには、供犠される人間の :腹または背中を剣などで刺して、犠牲者の倒れ方、肢体のけいれん、出血の様子 :などを観察して、将来の出来事を占うのだという。) ===17節=== '''ガッリアの神々(ローマ風解釈)''' *① Deum maxime [[w:la:Mercurius_(deus)|Mercurium]] colunt. **(ガッリア人は)神々のうちでとりわけ[[w:メルクリウス|メルクリウス]]を崇拝する。 **:(訳注:メルクリウスは[[w:ローマ神話|ローマ神話]]の神名であり、本節の神名はすべてローマ風解釈である。) *Huius sunt plurima simulacra: **彼の偶像が最も多い。 *hunc omnium inventorem artium ferunt, **(ガッリア人は)彼をすべての技芸の発明者であると言い伝えており、 *hunc viarum atque itinerum ducem, **彼を道および旅の案内者として、 *hunc ad quaestus pecuniae mercaturasque habere vim maximam arbitrantur. **彼が金銭の利得や商取引で絶大な力を持つと思われている。 [[画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。]] [[画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。]] *Post hunc [[w:la:Apollo|Apollinem]] et [[w:la:Minerva|Martem]] et [[w:la:Iuppiter|Iovem]] et [[w:la:Mars_(deus)|Minervam]]. **彼に続いて、[[w:アポローン|アポロ]]と[[w:マルス (ローマ神話)|マルス]]と[[w:ユーピテル|ユピテル]]と[[w:ミネルウァ|ミネルウァ]]を(ガッリア人は崇拝する)。 *② De his eandem fere, quam reliquae gentes, habent opinionem: **これら(の神々)について、ほかの種族とほぼ同じ見解を持っている。 *Apollinem morbos depellere, **アポロは病気を追い払い、 *Minervam operum atque artificiorum initia tradere, **ミネルウァは工芸や技術の初歩を教示し、 *Iovem imperium caelestium tenere, **ユピテルは天界の統治を司り、 *Martem bella regere. **マルスは戦争を支配する。 *③ Huic, cum proelio dimicare constituerunt, **彼(マルス)には、(ガッリア人が)戦闘で干戈を交えることを決心したときに、 *ea quae bello ceperint, plerumque devovent: **戦争で捕獲したものを、たいていは奉納するものである。 *cum superaverunt, animalia capta immolant **(戦闘で)打ち勝ったときには、捕獲された獣を生け贄に供えて、 *reliquasque res in unum locum conferunt. **残りの物を1か所に運び集める。 *④ Multis in civitatibus harum rerum ex(s)tructos tumulos locis consecratis conspicari licet; **多くの部族において、これらの物が積み上げられた塚を、神聖な地で見ることができる。 *⑤ neque saepe accidit, ut neglecta quispiam religione **何らかの者が信仰を軽視するようなことが、しばしば起こることはない。 *aut capta apud se occultare aut posita tollere auderet, **捕獲されたものを自分のもとに隠すこと、あるいは(塚に)置かれたものをあえて運び去ることは。 *gravissimumque ei rei supplicium cum cruciatu constitutum est. **そんな事には、拷問を伴う最も重い刑罰が決められている。 **:(訳注:最も重い刑罰とは、処刑であると思われる。) <br> :(訳注:'''ローマ風解釈について''' :ガッリアなどケルト文化の社会においては、非常に多くの神々が信仰されており、 :ケルト語による多くの神名が知られており、考古学的にも多くの神像が遺されている。 :しかしながら、これらの神々がどのような性格や権能を持っていたのか、詳しくは判っていない。 :ローマ人は、数多くのケルトの神々をローマ神話の神々の型に当てはめて解釈した。 :[[w:タキトゥス|タキトゥス]]はこれを「[[w:ローマ風解釈|ローマ風解釈]]」[[w:en:Interpretatio_Romana#Roman_version|Interpretatio Romana]] <ref>タキトゥス『ゲルマーニア』43章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XLIII|ラテン語原文]])を参照。</ref>と呼んでいる<ref>『ケルト事典』(前掲)「ローマ風解釈」の項を参照。</ref>。) ===18節=== [[画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。]] '''ガッリア人の時間や子供についての観念''' *① Galli se omnes ab Dite patre prognatos praedicant **ガッリア人は、自分たちは皆、ディス・パテルの末裔であると公言しており、 **:(訳注:ディス・パテル [[w:en:Dis_Pater|Dis Pater]] も前節と同様にローマ神話の神名である。) *idque ab druidibus proditum dicunt. **それは[[w:ドルイド|ドルイド]]たちにより伝えられたと言う。 ;時間の観念 *② Ob eam causam spatia omnis temporis non numero dierum, sed noctium finiunt; **その理由のために、すべての[[w:時間|時間]]の間隔を、[[w:昼|昼間]]の数ではなく、[[w:夜|夜間]](の数)で区切る。 *dies natales et mensum et annorum initia sic observant, ut noctem dies subsequatur. **誕生日も、月や年の初めも、夜間に昼間が続くように注意を払っている。 ;子供についての観念 *③ In reliquis vitae institutis hoc fere ab reliquis differunt, **人生のほかの風習において、以下の点でほかの者たち(種族)からほぼ異なっている。 *quod suos liberos, nisi cum adoleverunt, ut munus militiae sustinere possint, **自分の子供たちが、[[w:徴兵制度|兵役の義務]]を果たすことができるように成長したときでない限り、 *palam ad se adire non patiuntur **公然と自分のところへ近づくことは許されないし、 *filiumque puerili aetate in publico in conspectu patris adsistere turpe ducunt. **少年期の息子が公けに父親の見ているところでそばに立つことは恥ずべきと見なしている。 ===19節=== '''ガッリア人の婚姻と財産・葬儀の制度''' *① Viri, quantas pecunias ab uxoribus dotis nomine acceperunt, **夫は、妻から[[w:持参金|持参金]]の名目で受け取った金銭の分だけ、 *tantas ex suis bonis aestimatione facta cum dotibus communicant. **自分の財産のうちから見積もられた分を、持参金とともに一つにする。 *② Huius omnis pecuniae coniunctim ratio habetur fructusque servantur: **これらのすべての金銭は共同に算定が行なわれて、[[w:利子|利子]]が貯蓄される。 *uter eorum vita superarit, **彼ら2人のいずれかが、人生において生き残ったら、 *ad eum pars utriusque cum fructibus superiorum temporum pervenit. **双方の分がかつての期間の利子とともに(生き残った)その者(の所有)に帰する。 [[画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガッリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。]] *③ Viri in uxores, sicuti in liberos, vitae necisque habent potestatem; **夫は、妻において、子供におけるのと同様に、生かすも殺すも勝手である。 *et cum pater familiae inllustriore loco natus decessit, eius propinqui conveniunt **上流身分に生まれた家族の父親が死去したとき、彼の近縁の者たちが集まって、 *et de morte, si res in suspicionem venit, de uxoribus in servilem modum quaestionem habent, **死について、もし疑念が出来したならば、妻について、[[w:奴隷|奴隷]]におけるようなやり方で審問して、 *et si compertum est, igni atque omnibus tormentis excruciatas interficiunt. **もし(疑念が)確認されたならば、火やあらゆる責め道具によって[[w:拷問|拷問]]にかけて誅殺する。 *④ Funera sunt pro cultu Gallorum magnifica et sumptuosa; **[[w:葬儀|葬儀]]は、ガッリア人の生活習慣の割には派手でぜいたくなものである。 *omniaque quae vivis cordi fuisse arbitrantur in ignem inferunt, etiam animalia, **生前に大切であったと思われるもの一切合財を、獣でさえも、火の中に投げ入れる。 *ac paulo supra hanc memoriam servi et clientes, quos ab his dilectos esse constabat, **さらに、より以前のこの記憶では、彼ら(亡者)により寵愛されていたことが知られていた奴隷や庇護民をも、 *iustis funeribus confectis una cremabantur. **慣習による葬儀が成し遂げられたら、一緒に火葬されていたのである。 ===20節=== '''ガッリア部族国家の情報統制''' *① Quae civitates commodius suam rem publicam administrare existimantur, **より適切に自分たちの公儀(=国家体制)を治めると考えられているような部族は、 *habent legibus sanctum, **(以下のように)定められた法度を持つ。 *si quis quid de re publica a finitimis rumore aut fama acceperit, **もし、ある者が公儀に関して近隣の者たちから何らかの噂や風聞を受け取ったならば、 *uti ad magistratum deferat neve cum quo alio communicet, **官吏に報告して、他の者と伝え合ってはならないと。 *② quod saepe homines temerarios atque imperitos falsis rumoribus terreri **というのは、無分別で無知な人間たちはしばしば虚偽の噂に恐れて、 *et ad facinus impelli et de summis rebus consilium capere cognitum est. **罪業に駆り立てられ、重大な事態についての考えを企てると認識されているからである。 *③ Magistratus quae visa sunt occultant, **官吏は、(隠すことが)良いと思われることを隠して、 *quaeque esse ex usu iudicaverunt, multitudini produnt. **有益と判断していたことを、民衆に明らかにする。 *De re publica nisi per concilium loqui non conceditur. **公儀について、集会を通じてでない限り、語ることは認められていない。 ==ゲルマーニアの風習と自然について== ===21節=== '''ゲルマーニア人の信仰と性''' *① Germani multum ab hac consuetudine differunt. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人はこれに対し、風習が大いに異なっている。 *Nam neque druides habent, qui rebus divinis praesint, neque sacrificiis student. **すなわち、神事を司る[[w:ドルイド|ドルイド]]も持たないし、供犠に熱心でもない。 *② Deorum numero **神々に数えるものとして、 *eos solos ducunt, quos cernunt et quorum aperte opibus iuvantur, Solem et Vulcanum et Lunam, **(彼らが)見分けるものや明らかにその力で助けられるもの、[[w:太陽|太陽]]と[[w:ウォルカヌス|ウォルカヌス]](火の神)と[[w:月|月]]だけを信仰して、 *reliquos ne fama quidem acceperunt. **ほかのものは風聞によってさえも受け入れていない。 **:(訳注:これに対して、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]は、ゲルマーニア人はメルクリウスやマルスなどを信仰すると伝えている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』2章・9章を参照</ref>。) *③ Vita omnis in venationibus atque in studiis rei militaris consistit: **すべての人生は、[[w:狩猟|狩猟]]に、および[[w:軍事|軍事]]への執心に依拠しており、 *ab parvulis labori ac duritiae student. **幼時より労役や負担に努める。 *④ Qui diutissime impuberes permanserunt, maximam inter suos ferunt laudem: **最も長く純潔に留まった者は、自分たちの間で最大の賞賛を得る。 *hoc ali staturam, ali vires nervosque confirmari putant. **これによって、ある者には背の高さが、ある者には力と筋肉が強化されると、思っている。 *⑤ Intra annum vero vicesimum feminae notitiam habuisse in turpissimis habent rebus; **20歳にならない内に女を知ってしまうことは、とても恥ずべきことであると見なしている。 *cuius rei nulla est occultatio, **その(性の)事を何ら隠すことはない。 *quod et promiscue in fluminibus perluuntur **というのは、川の中で(男女が)混じって入浴しても、 *et pellibus aut parvis renonum tegimentis utuntur, magna corporis parte nuda. **なめし皮や、小さな毛皮の覆いを用いるが、体の大部分は裸なのである。 ===22節=== '''ゲルマーニア人の土地制度''' *① Agri culturae non student, **(ゲルマーニア人は)[[w:農耕|土地を耕すこと]]に熱心ではなく、 *maiorque pars eorum victus in lacte, caseo, carne consistit. **彼らの大部分は、生活の糧が[[w:乳|乳]]、[[w:チーズ|チーズ]]、[[w:肉|肉]]で成り立っている。 *② Neque quisquam agri modum certum aut fines habet proprios; **何者も、土地を確定した境界で、しかも持続的な領地として、持ってはいない。 *sed magistratus ac principes in annos singulos **けれども、官吏や領袖たちは、各年ごとに、 *gentibus cognationibusque hominum, quique una coierunt, **一緒に集住していた種族や血縁の人々に、 *quantum et quo loco visum est agri adtribuunt **適切と思われる土地の規模と場所を割り当てて、 *atque anno post alio transire cogunt. **翌年には他(の土地)へ移ることを強いるのである。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#1節|第4巻1節]]には、スエービー族の説明として同様の記述がある。) *③ Eius rei multas adferunt causas: **(官吏たちは)その事の多くの理由を説明する。 *ne adsidua consuetudine capti studium belli gerendi agricultura commutent; **(部族民が)[[w:居住|定住]]する習慣にとらわれて、戦争遂行の熱意を土地を耕すことに変えてしまわないように。 *ne latos fines parare studeant, potentioresque humiliores possessionibus expellant; **広大な領地を獲得することに熱心になって、有力者たちが弱者たちを地所から追い出さないように。 *ne accuratius ad frigora atque aestus vitandos aedificent; **寒さや暑さを避けるために(住居を)非常な入念さで建築することがないように。 *ne qua oriatur pecuniae cupiditas, qua ex re factiones dissensionesque nascuntur; **金銭への欲望が増して、その事から派閥や不和が生ずることのないように。 *ut animi aequitate plebem contineant, cum suas quisque opes cum potentissimis aequari videat. **おのおのが自分の財産も最有力者のも同列に置かれていると見ることで、心の平静により民衆を抑えるように。 <br> :(訳注:[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.510)</ref>や[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』23章・16章などを参照。26章では農耕についても解説されている。</ref>などの著述家たちも、ゲルマーニアの住民が農耕をせず、 :遊牧民のように移動しながら暮らし、小さな住居に住み、食料を家畜に頼っていると記述している。) ===23節=== '''ゲルマーニア諸部族のあり方''' *① Civitatibus maxima laus est **諸部族にとって、最も称賛されることは、 *quam latissime circum se vastatis finibus solitudines habere. **できる限り広く自分たちの周辺で領土を荒らして荒野に保っておくことである。 *② Hoc proprium virtutis existimant, **以下のことを(自分たちの)武勇の特質と考えている。 *expulsos agris finitimos cedere, **近隣の者たちが土地から追い払われて立ち去ること、 *neque quemquam prope {se} audere consistere; **および、何者も自分たちの近くにあえて定住しないこと、である。 *③ simul hoc se fore tutiores arbitrantur, repentinae incursionis timore sublato. **他方、これにより、予期せぬ襲撃の恐れを取り除いて、自分たちはより安全であろうと思われた。 *④ Cum bellum civitas aut inlatum defendit aut infert, **部族に戦争がしかけられて防戦したり、あるいはしかけたりしたときには、 *magistratus, qui ei bello praesint, ut vitae necisque habeant potestatem, deliguntur. **その戦争を指揮して、生かすも殺すも勝手な権力を持つ将官が選び出される。 *⑤ In pace nullus est communis magistratus, **平時においては、(部族に)共通の将官は誰もいないが、 *sed principes regionum atque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagorum]]</u> inter suos ius dicunt controversiasque minuunt. **地域や<u>郷</u>の領袖たちが、身内の間で判決を下して、訴訟ごとを減らす。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus"/>。)</span> *⑥ Latrocinia nullam habent infamiam, quae extra fines cuiusque civitatis fiunt, **それぞれの部族の領土の外で行なう略奪のことは、何ら恥辱とは見なしていない。 *atque ea iuventutis exercendae ac desidiae minuendae causa fieri praedicant. **さらに、それ(略奪)は、青年たちを訓練することや、怠惰を減らすことのために行なわれる、と公言している。 *⑦ Atque ubi quis ex principibus in concilio dixit **そして、領袖たちのうちのある者が(次のように)言うや否や、 *se ducem fore, qui sequi velint, profiteantur, **《自分が(略奪の)引率者となるから、追随したい者は申し出るように》と(言うや否や)、 *consurgunt ii qui et causam et hominem probant, suumque auxilium pollicentur **(略奪の)口実にも(引率する)人物にも賛同する者は立ち上がって、自らの支援を約束して、 *atque ab multitudine conlaudantur: **群衆から大いに誉められる。 *⑧ qui ex his secuti non sunt, **これら(約束した者)のうちで(略奪に)追随しない者は、 *in desertorum ac proditorum numero ducuntur, **逃亡兵や裏切り者と見なされて、 *omniumque his rerum postea fides derogatur. **その後は、彼らにとってあらゆる事の信頼が(皆から)拒まれる。 *⑨ Hospitem violare fas non putant; **客人に暴行することは道理に適うとは思ってはいない。 *qui quacumque de causa ad eos venerunt, **彼ら(ゲルマーニア人)のところへ理由があって来た者(=客人)は誰であれ、 *ab iniuria prohibent, sanctos habent, **無法行為から防ぎ、尊ぶべきであると思っている。 *hisque omnium domus patent victusque communicatur. **彼ら(客人)にとってすべての者の家は開放されており、生活用品は共有される。 **:(訳注:客人への接待ぶりについては、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』21章を参照。</ref>も伝えている。) ===24節=== [[画像:Celts.svg|thumb|right|200px|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。]] [[画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|thumb|right|200px|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。]] [[画像:Hallstatt_LaTene.png|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。]] '''ゲルマーニア人とガッリア人''' *① Ac fuit antea tempus, **かつてある時代があって、 *cum Germanos Galli virtute superarent, **そのとき、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人を[[w:ガリア|ガッリア]]人が武勇で優っており、 *ultro bella inferrent, propter hominum multitudinem agrique inopiam **人間の多さと土地の欠乏のために(ガッリア人は)自発的に戦争をしかけて、 *trans Rhenum colonias mitterent. **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側へ入植者たちを送り込んでいた。 *② Itaque ea quae fertilissima Germaniae sunt loca circum Hercyniam silvam, **[[w:ヘルキュニア|ヘルキュニア]]の森の周辺のゲルマーニアで最も肥沃な地を、 *quam Eratostheni et quibusdam Graecis fama notam esse video, **それを[[w:エラトステネス|エラトステネス]]や[[w:ギリシア人|ギリシア人]]のある者たちも風聞により知っていたと私は見出して、 *quam illi Orcyniam appellant, **それを彼らはオルキュニアと呼んでいるが、 *Volcae Tectosages occupaverunt atque ibi consederunt; **(その地を)ウォルカエ族系のテクトサゲス族が占領して、そこに定住していた。 *③ quae gens ad hoc tempus his sedibus sese continet **その種族は、この時代までこの居場所に留まっており、 *summamque habet iustitiae et bellicae laudis opinionem. **公正さと戦いの称賛で最高の評判を得ている。 *④ Nunc quod in eadem inopia, egestate, patientia qua Germani permanent, **今も、窮乏や貧困を、ゲルマーニア人が持ちこたえているのと同じ忍耐をもって、 *eodem victu et cultu corporis utuntur; **同じ食物および体の衣服を用いている。 *⑤ Gallis autem provinciarum propinquitas et transmarinarum rerum notitia **これに対して、ガッリア人にとって(ローマの)属州に近接していること、および海外のものを知っていることは、 *multa ad copiam atque usus largitur, **富や用品の多くが供給されている。 *paulatim adsuefacti superari multisque victi proeliis **(ガッリア人は)しだいに圧倒されることや多くの戦闘で打ち負かされることに慣らされて、 *ne se quidem ipsi cum illis virtute comparant. **(ガッリア人)自身でさえも彼ら(ゲルマーニア人)と武勇で肩を並べようとはしないのである。 <br> :('''訳注''':本節の①項については、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]が著書『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』28章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XXVIII|原文]])において、次のように言及している。 :''Validiores olim Gallorum res fuisse summus auctorum divus Iulius tradit; '' :かつてガッリア人の勢力がより強力であったことは、最高の証言者である神君ユリウス(・カエサル)も伝えている。 :''eoque credibile est etiam Gallos in Germaniam transgressos:'' :それゆえに、ガッリア人でさえもゲルマーニアに渡って行ったと信ずるに値するのである。) ===25節=== '''ヘルキュニアの森林地帯''' *① Huius Hercyniae silvae, quae supra demonstrata est, latitudo **前に述べたヘルキュニアの森の幅は、 *novem dierum iter expedito patet: **軽装の旅で9日間(かかるだけ)広がっている。 *non enim aliter finiri potest, **なぜなら(ゲルマーニア人は)他に境界を定めることができないし、 *neque mensuras itinerum noverunt. **道のりの測量というものを知っていないのである。 [[画像:FeldbergPanorama.jpg|thumb|center|1000px|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)]] *② Oritur ab Helvetiorum et Nemetum et Rauracorum finibus **(その森は)[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]とネメテス族とラウラキ族の領土から発しており、 **:(訳注:これはライン川東岸に沿って南北に長い現在の[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]のことである。) *rectaque fluminis [[w:la:Danubius|Danubii]] regione **ダヌビウス川に沿って真っ直ぐに(流れ)、 **:(訳注:ダヌビウス Danubius はダヌウィウス Danuvius とも呼ばれ、現在の[[w:ドナウ川|ドナウ川]]である。) *pertinet ad fines Dacorum et Anartium; **[[w:ダキア人|ダキ族]]やアナルテス族の領土へ至る。 **:(訳注:これは[[w:ダキア|ダキア]] [[w:la:Dacia|Dacia]] すなわち現在の[[w:ルーマニア|ルーマニア]]辺りの地域である。) *③ hinc se flectit sinistrorsus diversis ab flumine regionibus **ここ(ダヌビウス川)から(森は)左方へ向きを変えて、川の地域からそれて、 **:(訳注:川が南へ折れるのとは逆に、森は北へそれて[[w:エルツ山地|エルツ山地]]を通って[[w:カルパティア山脈|カルパティア山脈]]に至ると考えられている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳注、岩波文庫、p.131-132の注などを参照</ref>。) *multarumque gentium fines propter magnitudinem attingit; **(森の)大きさのために、多くの種族の領土に接しているのである。 *④ neque quisquam est huius Germaniae, qui se aut adisse ad initium eius silvae dicat, **その森の(東の)端緒へ訪れたと言う者は、こちら(西側)の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に属する者では誰もいないし、 *cum dierum iter LX processerit, **60日間の旅で進んでも(いないのであるが)、 *aut, quo ex loco oriatur, acceperit: **あるいは(森が)どの場所から生じているか把握した(者もいないのである)。 *⑤ multaque in ea genera ferarum nasci constat, quae reliquis in locis visa non sint; **それ(=森)の中には、ほかの地では見られない野獣の多くの種類が生息していることが知られている。 *ex quibus quae maxime differant ab ceteris et memoriae prodenda videantur, **それらのうちで、ほかの(地の)ものと大きく異なったものは、記録で伝えるべきものであり、 *haec sunt. **以下のものである。 ===26節=== [[画像:Rentier fws 1.jpg|thumb|right|200px|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。]] '''ヘルキュニアの野獣①''' *① Est [[w:la:Bos|bos]] [[w:la:Cervus|cervi]] figura, **雄[[w:シカ|鹿]]の姿形をした[[w:ウシ|牛]]がいる。 *cuius a media fronte inter aures unum [[w:la:Cornu|cornu]] existit **それの両耳の間の額の真ん中から一つの角が出ており、 *excelsius magisque derectum his, quae nobis nota sunt, cornibus; **我々(ローマ人)に知られている角よりも非常に高くて真っ直ぐである。 *ab eius summo sicut palmae ramique late diffunduntur. **その先端部から、手のひらや枝のように幅広く広がっている。 *Eadem est feminae marisque natura, **雌と雄の特徴は同じであり、 *eadem forma magnitudoque cornuum. **角の形や大きさも同じである。 <br> :('''訳注''':カエサルによる本節の記述は[[w:ユニコーン|ユニコーン]](一角獣)の伝説に :結び付けられている。しかし本節における発達した枝角の説明は、むしろ :[[w:トナカイ|トナカイ]]や[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]]のような獣を想起させる。) ===27節=== [[画像:Bigbullmoose.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。]] [[画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG 1824.JPG|thumb|right|250px|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。]] '''ヘルキュニアの野獣②''' *① Sunt item, quae appellantur [[w:la:Alces|alces]]. **アルケスと呼ばれるものもいる。 **:(訳注:アルケス alces とは[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](オオシカ)を指す単語であるが本節の説明と矛盾する。) *Harum est consimilis [[w:la:Capra|capris]] figura et varietas pellium, **これらの姿形や毛皮のまだらは雄[[w:ヤギ|山羊]]に似ている。 *sed magnitudine paulo antecedunt **が、(山羊を)大きさで少し優っており、 *mutilaeque sunt cornibus **角は欠けていて、 *et crura sine nodis articulisque habent. **脚部には関節の類いがない。 **:(訳注:nodus も articulus も関節の類いを意味する) *② Neque quietis causa procumbunt **休息のために横たわらないし、 *neque, si quo adflictae casu conciderunt, **もし何か不幸なことで偶然にも倒れたならば、 *erigere sese aut sublevare possunt. **自らを起こすことも立ち上げることもできない。 *③ His sunt arbores pro cubilibus; **これらにとって木々は寝床の代わりである。 *ad eas se adplicant **それら(の木々)へ自らを寄りかからせて、 *atque ita paulum modo reclinatae quietem capiunt. **こうして少しだけもたれかかって休息を取るのである。 *④ Quarum ex vestigiis **それらの足跡から *cum est animadversum a venatoribus, quo se recipere consuerint, **(鹿が)どこへ戻ることを常としているかを狩人によって気付かれたときには、 *omnes eo loco aut ab radicibus subruunt aut accidunt arbores, **その地のすべての木々を(狩人は)根から倒すか、あるいは傷つけて、 *tantum ut summa species earum stantium relinquatur. **それらの(木々の)いちばん(外側)の見かけが、立っているかのように残して置かれる。 *⑤ Huc cum se consuetudine reclinaverunt, **そこに(鹿が)習性によってもたれかかったとき、 *infirmas arbores pondere adfligunt atque una ipsae concidunt. **弱った木々を重みで倒してしまい、自身も一緒に倒れるのである。 ===28節=== [[画像:Wisent.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。]] [[画像:Muybridge Buffalo galloping.gif|thumb|right|200px|疾走するバイソン]] [[画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|thumb|right|200px|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。]] '''ヘルキュニアの野獣③''' *③ Tertium est genus eorum, qui uri appellantur. **第3のものは、野牛と呼ばれる種類である。 *Hi sunt magnitudine paulo infra [[w:la:Elephantidae|elephantos]], **これらは、大きさで少し[[w:ゾウ|象]]に劣るが、 *specie et colore et figura [[w:la:Taurus|tauri]]. **見かけと色と姿形は雄[[w:ウシ|牛]]である。 *② Magna vis eorum est et magna velocitas, **それらの力は大きく、(動きも)とても速く、 *neque homini neque ferae, quam conspexerunt, parcunt. **人間でも野獣でも、見かけたものには容赦しない。 *Hos studiose foveis captos interficiunt. **(ゲルマーニア人は)これらを熱心に落とし穴で捕らえたものとして殺す。 *③ Hoc se labore durant adulescentes **この労苦により青年たちを鍛え、 *atque hoc genere venationis exercent, **[[w:狩猟|狩猟]]のこの類いで鍛錬するのであり、 *et qui plurimos ex his interfecerunt, **これら(の野牛)のうちから最も多くを殺した者は、 *relatis in publicum [[w:la:Cornu|cornibus]], quae sint testimonio, **証拠になるための[[w:角|角]]を公の場に持参して、 *magnam ferunt laudem. **大きな賞賛を得るのである。 *④ Sed adsuescere ad homines et mansuefieri ne parvuli quidem excepti possunt. **けれども(野牛は)幼くして捕らえられてさえも、人間に慣れ親しんで飼い慣らされることはできない。 *⑤ Amplitudo cornuum et figura et species multum a nostrorum boum cornibus differt. **角の大きさや形や見かけは、我々(ローマ人)の牛の角とは大いに異なる。 *⑥ Haec studiose conquisita ab labris argento circumcludunt **これらは熱心に探し求められて、縁を[[w:銀|銀]]で囲って、 *atque in amplissimis epulis pro poculis utuntur. **とても贅沢な祝宴において[[w:盃|杯]]として用いられるのである。 ==対エブロネス族追討戦(1)== ===29節=== '''ゲルマーニアから撤兵、対アンビオリクス戦へ出発''' *① Caesar, postquam per Ubios exploratores comperit Suebos sese in silvas recepisse, **カエサルは、ウビイー族の偵察者たちを通じてスエービー族が森に撤退したことを確報を受けた後で、 **:(訳注:[[#10節|10節]]によれば、バケニス Bacenis の森。[[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について|既述]]のように、スエービー族とはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] と考えられる。) *inopiam frumenti veritus, **糧食の欠乏を恐れて、 *quod, ut supra demonstravimus, minime omnes Germani agri culturae student, **というのは、前に説明したように、ゲルマーニア人は皆が土地を耕すことに決して熱心でないので、 **:(訳注:[[#22節|22節]]を参照。耕地がなければ、ローマ軍は穀物の現地調達ができない。) *constituit non progredi longius; **より遠くへ前進しないことを決めた。 *② sed, ne omnino metum reditus sui barbaris tolleret **けれども、自分たち(ローマ軍)が戻って来る恐れを蛮族からまったく取り去ってしまわないように、 *atque ut eorum auxilia tardaret, **かつ、彼ら(ゲルマーニア人)の(ガッリア人への)支援を遅らせるように、 *reducto exercitu partem ultimam pontis, quae ripas Ubiorum contingebat, **ウビイー族側の岸(=レーヌス川東岸)につなげていた橋の最後の部分に軍隊を連れ戻して、 *in longitudinem pedum ducentorum rescindit **(橋を)長さ200[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約60m)切り裂いて、 *③ atque in extremo ponte turrim tabulatorum quattuor constituit **橋の先端のところに4層の櫓を建てて、 *praesidiumque cohortium duodecim pontis tuendi causa ponit **12個[[w:コホルス|歩兵大隊]]の守備隊を橋を防護するために配置して、 *magnisque eum locum munitionibus firmat. **その場所を大きな城砦で固めた。 *Ei loco praesidioque C.(Gaium) Volcacium Tullum adulescentem praeficit. **その場所と守備隊を青年ガイウス・ウォルカキウス・トゥッルスに指揮させた。 **:(訳注:元執政官 [[w:en:Lucius_Volcatius_Tullus_(consul_66_BC)|Lucius Volcatius Tullus]] に対して、青年 adulescentem と区別したのであろう。 **:ウォルカキウス Volcacium の綴りは、写本により相異する。) *④ Ipse, cum maturescere frumenta inciperent, **(カエサル)自身は、穀物が熟し始めたので、 *ad bellum [[w:la:Ambiorix|Ambiorigis]] profectus per Arduennam silvam, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]との戦争へ、アルドゥエンナの森を通って進発した。 **:(訳注:アルドゥエンナの森については、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]ですでに説明されている。) *quae est totius Galliae maxima **それ(=森)は全ガッリアで最も大きく、 *atque ab ripis Rheni finibusque Treverorum ad Nervios pertinet **レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の岸およびトレーウェリー族の境界から、[[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]](の領土)へ及んでおり、 *milibusque amplius quingentis in longitudinem patet, **長さは500ローママイル(=約740km)より大きく広がっている。 *L.(Lucium) Minucium Basilum cum omni equitatu praemittit, **ルキウス・ミヌキウス・バスィルスをすべての騎兵隊とともに先遣した。 *si quid celeritate itineris atque opportunitate temporis proficere possit; **行軍の迅速さと時間の有利さによって、何かを得られるかどうかということである。 *⑤ monet, ut ignes in castris fieri prohibeat, ne qua eius adventus procul significatio fiat: **野営において火を生じることを禁じるように、何事かにより遠くから彼の到来の予兆を生じないように、戒めた。 *sese confestim subsequi dicit. **(カエサル)自らは、ただちに後から続くと言った。 ===30節=== '''アンビオリクスがバスィリスのローマ騎兵から逃れる''' *① Basilus, ut imperatum est, facit. **バスィルスは、命令されたように、行なった。 *Celeriter contraque omnium opinionem confecto itinere **速やかに、かつ皆の予想に反して、行軍を成し遂げて、 *multos in agris inopinantes deprehendit: **(城市でない)土地にいた気付かないでいる多くの者を捕らえた。 *eorum indicio ad ipsum Ambiorigem contendit, quo in loco cum paucis equitibus esse dicebatur. **彼らの申し立てにより、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]その人がわずかな騎兵たちとともにいると言われていた場所に急いだ。 *② Multum cum in omnibus rebus, tum in re militari potest Fortuna. **あらゆる事柄においても、とりわけ軍事においても、運命(の女神)が大いに力がある。 *Nam magno accidit casu, **実際のところ、大きな偶然により生じたのは、 *ut in ipsum incautum etiam atque imparatum incideret, **(アンビオリクス)自身でさえも油断していて不用意なところに(バスィルスが)遭遇したが、 *priusque eius adventus ab omnibus videretur, quam fama ac nuntius adferretur: **彼の到来が(ガッリア勢の)皆により見られたのが、風聞や報告により知らされるよりも早かったのである。 *sic magnae fuit fortunae **同様に(アンビオリクスにとって)大きな幸運に属したのは、 *omni militari instrumento, quod circum se habebat, erepto, **自らの周りに持っていたすべての武具を奪われて、 *raedis equisque comprehensis **四輪馬車や馬を差し押さえられても、 *ipsum effugere mortem. **(アンビオリクス)自身は死を逃れたことである。 *③ Sed hoc quoque factum est, **しかし、以下のこともまた起こった。 *quod aedificio circumdato silva, **(アンビオリクスの)館が森で取り巻かれており、 *─ ut sunt fere domicilia Gallorum, qui vitandi aestus causa **─ ガッリア人の住居はほぼ、暑さを避けることのために、 *plerumque silvarum atque fluminum petunt propinquitates ─, **たいてい森や川の近接したところに求めるのであるが ─ *comites familiaresque eius angusto in loco paulisper equitum nostrorum vim sustinuerunt. **彼の従者や郎党どもが、狭い場所でしばらく、我が方(ローマ勢)の騎兵の力を持ちこたえたのだ。 *④ His pugnantibus illum in equum quidam ex suis intulit: **彼らが戦っているときに、彼(アンビオリクス)を配下のある者が馬に押し上げて、 *fugientem silvae texerunt. **逃げて行く者(アンビオリクス)を森が覆い隠した。 *Sic et ad subeundum periculum et ad vitandum multum Fortuna valuit. **このように(アンビオリクスが)危険に突き進んだことや避けられたことに対して、運命(の女神)が力をもったのである。 ===31節=== '''エブロネス族の退避、カトゥウォルクスの最期''' *① [[w:la:Ambiorix|Ambiorix]] copias suas iudicione non conduxerit, quod proelio dimicandum non existimarit, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]は、戦闘で争闘するべきとは考えていなかったので、自らの判断で軍勢を集めなかったのか、 *an tempore exclusus et repentino equitum adventu prohibitus, **あるいは、時間に阻まれ、予期せぬ[[w:騎兵|騎兵]]の到来に妨げられて、 *cum reliquum exercitum subsequi crederet, **(ローマ勢の)残りの軍隊(=軍団兵)が後続して来ることを信じたためなのか、 *dubium est. **不確かなことである。 *② Sed certe dimissis per agros nuntiis sibi quemque consulere iussit. **けれども、確かに領地を通じて伝令を四方に遣わして、おのおのに自らを助けることを命じた。 *Quorum pars in Arduennam silvam, pars in continentes paludes profugit; **それらの者たち(領民)のある一部はアルドゥエンナの森に、一部は絶え間ない沼地に退避した。 *③ qui proximi Oceano fuerunt, **<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>にとても近いところにいた者たちは、 *hi insulis sese occultaverunt, quas aestus efficere consuerunt: **[[w:潮汐|満潮]]が形成するのが常であった島々に身を隠した。 [[画像:Taxus baccata MHNT.jpg|thumb|right|300px|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。]] *④ multi ex suis finibus egressi **多くの者たちは、自分たちの領土から出て行って、 *se suaque omnia alienissimis crediderunt. **自分たちとその一切合財をまったく異邦の者たちに委ねた。 *⑤Catuvolcus, rex dimidiae partis Eburonum, **[[w:カトゥウォルクス|カトゥウォルクス]]は、[[w:エブロネス族|エブロネス族]]の半分の地方の王であり、 *qui una cum Ambiorige consilium inierat, **アンビオリクスと一緒に(カエサルに造反する)企てに取りかかった者であるが、 **:(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#26節|第5巻26節]]を参照。) *aetate iam confectus, cum laborem aut belli aut fugae ferre non posset, **もはや老衰していたので、戦争の労苦、あるいは逃亡の労苦に耐えることができなかったので、 **:(訳注:aetate confectus 老衰した) *omnibus precibus detestatus Ambiorigem, qui eius consilii auctor fuisset, **その企ての張本人であったアンビオリクスをあらゆる呪詛のことばで呪って、 *taxo, cuius magna in Gallia Germaniaque copia est, se exanimavit. **[[w:ガリア|ガッリア]]や[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に大量にあった[[w:イチイ属|イチイ]]によって、息絶えたのであった。 ===32節=== '''ゲルマーニア部族の弁明、アドゥアトゥカに輜重を集める''' *① Segni Condrusique, ex gente et numero Germanorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の種族や集団のうち、[[w:セグニ族|セグニ族]]と[[w:コンドルスィ族|コンドルスィ族]]は、 *qui sunt inter Eburones Treverosque, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]とトレーウェリー族の間にいたが、 *legatos ad Caesarem miserunt oratum, **カエサルのところへ嘆願するために使節たちを遣わした。 *ne se in hostium numero duceret **自分たちを敵として見なさないように、と。 *neve omnium Germanorum, qui essent citra Rhenum, unam esse causam iudicaret; **しかも、レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])のこちら側にいるゲルマーニア人すべての事情は1つであると裁断しないように、と。 *nihil se de bello cogitavisse, nulla Ambiorigi auxilia misisse. **自分たちは、戦争についてまったく考えたことはないし、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]に何ら援軍を派遣したことはない、と。 *② Caesar explorata re quaestione captivorum, **カエサルは捕虜を審問することによってその事を探り出すと、 *si qui ad eos Eburones ex fuga convenissent, **もし彼らのところへ逃亡しているエブロネス族の者たちの誰かが訪れたならば、 *ad se ut reducerentur, imperavit; **自分(カエサル)のところへ連れ戻されるようにと、命令した。 *si ita fecissent, fines eorum se violaturum negavit. **もしそのように行なったならば、彼らの領土を自分(カエサル)が侵害することはないであろうと主張した。 *③ Tum copiis in tres partes distributis **それから、軍勢を3方面に分散して、 *impedimenta omnium legionum Aduatucam contulit. **すべての軍団の[[w:輜重|輜重]]を[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に運び集めた。 **:(訳注:アドゥアトゥカ Aduatuca の表記は、写本によってはアトゥアトゥカ Atuatuca となっている。現在の[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]。) *④ Id castelli nomen est. **それは、城砦の名前である。 *Hoc fere est in mediis Eburonum finibus, **これは、エブロネス族の領土のほぼ真ん中にあり、 *ubi Titurius atque Aurunculeius hiemandi causa consederant. **そこには、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]と[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|アウルンクレイウス(・コッタ)]]が越冬するために陣取っていた。 *⑤ Hunc cum reliquis rebus locum probabat, **(カエサルは)この場所を、ほかの事柄によっても是認したし、 *tum quod superioris anni munitiones integrae manebant, ut militum laborem sublevaret. **またとりわけ前年の防備が損なわれずに存続していたので、兵士の労苦を軽減するためでもある。 *Praesidio impedimentis legionem quartamdecimam reliquit, **(全軍の)輜重の守備隊として第14軍団を(そこに)残した。 *unam ex his tribus, quas proxime conscriptas ex Italia traduxerat. **(それは)最近にイタリアから徴集されたものとして連れて来られた3個(軍団)のうちの1個である。 **:(訳注:[[#1節|1節]]を参照。イタリア Italia とはカエサルが総督であった[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。) *Ei legioni castrisque Q.(Quintum) Tullium Ciceronem praeficit ducentosque equites ei attribuit. **その[[w:ローマ軍団|軍団]]と陣営には[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]を指揮者として、200騎の騎兵を彼に割り当てた。 ===33節=== '''軍勢をカエサル、ラビエヌス、トレボニウスの三隊に分散''' *① Partito exercitu **軍隊を分配して、 *T.(Titum) Labienum cum legionibus tribus ad Oceanum versus **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]]には、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに、<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>の方へ向けて、 *in eas partes, quae Menapios attingunt, proficisci iubet; **[[w:メナピイ族|メナピイ族]]に接する地方に出発することを命じた。 *② C.(Gaium) Trebonium cum pari legionum numero **[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]には、軍団の同数とともに、 *ad eam regionem, quae Aduatucis adiacet, depopulandam mittit; **[[w:アドゥアトゥキ族|アドゥアトゥキ族]]に隣接する領域へ、荒らすために派遣した。 [[画像:Locatie-Maas-3.png|thumb|right|200px|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。]] [[画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|thumb|right|200px|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。]] *③ ipse cum reliquis tribus ad flumen [[w:la:Scaldis|Scaldim]], quod influit in [[w:la:Mosa|Mosam]], **(カエサル)自身は、残りの3個(軍団)とともに、モサ(川)に流れ込むスカルディス川のところへ、 **:(訳注:スカルディス Scaldis は現在の[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]] Schelde で、フランス北部からベルギー、オランダへ流れている。 **:モサ川 Mosa すなわち現在の[[w:マース川|マース川]] Maas とは運河でつながるが、当時の関係およびカエサルの目的地は不詳。) *extremasque Arduennae partes ire constituit, **かつ[[w:アルデンヌ|アルドゥエンナ]](の森林)の外縁の地方へ行軍することを決めた。 *quo cum paucis equitibus profectum Ambiorigem audiebat. **そこへは、アンビオリクスがわずかな騎兵たちとともに出発したと聞いていたのだ。 *④ Discedens post diem septimum sese reversurum confirmat; **(カエサルは陣営を)離れるに当たって、7日目の後(=6日後)に自分は引き返して来るであろうと断言した。 *quam ad diem ei legioni, quae in praesidio relinquebatur, deberi frumentum sciebat. **その当日には、守備に残される軍団にとって糧食が必要とされることを(カエサルは)知っていたのだ。 *⑤ Labienum Treboniumque hortatur, **(カエサルは)ラビエヌスとトレボニウスを(以下のように)鼓舞した。 *si rei publicae commodo facere possint, **もし(ローマ軍全体の)公務のために都合良く行動することができるならば、 *ad eum diem revertantur, **その日には戻って、 *ut rursus communicato consilio exploratisque hostium rationibus **再び(互いの)考えを伝達して、敵たちの作戦を探り出し、 *aliud initium belli capere possint. **次なる戦争の端緒を捉えようではないか、と。 <br> :('''訳注:カエサル麾下の軍団配分について''' :[[ガリア戦記 第5巻#8節|第5巻8節]]の記述によれば、ブリタンニアへ2度目の遠征をする前(BC54年)のカエサルは少なくとも8個軍団と騎兵4000騎を :指揮していた。[[ガリア戦記 第5巻#24節|第5巻24節]]によれば、帰還後は8個軍団および軍団から離れた5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を指揮していたが、 :アンビオリクスによる[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]らとともに1個軍団と5個大隊が壊滅したので、残りは7個軍団となる。 :[[#1節|本巻1節]]によれば、この年(BC53年)には3個軍団を新たに徴集したので、計10個軍団となったはずである。 :[[#29節|29節]]では、このうちから12個大隊をライン川に架かる橋の守備に残し、[[#32節|32節]]では輜重の守備としてアドゥアトゥカに1個軍団を残した。 :本節の記述通りにラビエヌス、トレボニウス、カエサルがそれぞれ3個軍団(計9個)を受け持ったとすると、あわせて10個軍団と12個大隊という勘定になる。 :したがって、この勘定が正しいのであれば、ライン川に残した12個大隊は各軍団から引き抜いたものであり、各軍団は定員を割っていると考えられる。) ===34節=== '''夷を以って夷を制す対エブロネス族包囲網''' *① Erat, ut supra demonstravimus, manus certa nulla, **前に説明したように、(エブロネス族には)決まった手勢がなかったし、 **:(訳注:[[#31節|31節]]を参照。) *non oppidum, non praesidium, quod se armis defenderet, **自分たちが武器で防衛するような[[w:オッピドゥム|城市]]も、防塁もなかった。 *sed in omnes partes dispersa multitudo. **けれども、あらゆる方面に大勢が分散されていた。 *② Ubi cuique aut valles abdita aut locus silvestris aut palus impedita **おのおのが、密かな峡谷、あるいは森に覆われた土地といったところに、 *spem praesidi aut salutis aliquam offerebat, consederat. **守備あるいは身の安全の何らかの希望を提供するところに、陣取っていた。 *③ Haec loca vicinitatibus erant nota, **これらの場所は、近隣の者たちは知っていたので、 **:(訳注:すなわち、近隣のガッリア人には地の利があり、ローマ人には地の利がなかったので) *magnamque res diligentiam requirebat **事態はたいへんな注意深さを必要としていた。 *non in summa exercitus tuenda **(ローマ人の)軍隊全体を守るためではなく、 *─ nullum enim poterat universis &lt;a&gt; perterritis ac dispersis periculum accidere ─, **─なぜなら、脅かされ分散されている者たちにより(ローマ軍)総勢が危険を生じることはありえなかったので─ *sed in singulis militibus conservandis; **けれども、個々の(ローマ人の)兵士たちを守ることのために(注意深さを必要としていた)。 *quae tamen ex parte res ad salutem exercitus pertinebat. **少なくとも、ある面では、そういう事態は軍隊の安全に及んでいた。 *④ Nam et praedae cupiditas multos longius evocabat, **すなわち、略奪品への欲望が多くの者たちをより遠くへ呼び寄せていたし、 *et silvae incertis occultisque itineribus confertos adire prohibebant. **森林の不確かで隠された道のりによって密集した行軍を妨げていた。 *⑤ Si negotium confici stirpemque hominum sceleratorum interfici vellent, **もし、戦役が完遂されること、および非道な連中(=エブロネス族)の血筋が滅ぼされることを欲するならば、 *dimittendae plures manus diducendique erant milites; **いくつもの部隊が分遣され、兵士たちが展開されるべきである。 *⑥ si continere ad signa manipulos vellent, ut instituta ratio et consuetudo exercitus Romani postulabat, **もし、ローマ軍が決められた流儀や慣行を要求するように、[[w:マニプルス|中隊]]が軍旗のもとにとどまることを欲するならば、 *locus ipse erat praesidio barbaris, **その場所が蛮族にとって守りとなるであろう。 *neque ex occulto insidiandi et dispersos circumveniendi **隠れたところから待ち伏せするため、分散した者たち(=ローマ兵)を包囲するために、 *singulis deerat audacia. **(エブロネス族の)おのおのにとって勇敢さには事欠かなかった。 *⑦ Ut in eiusmodi difficultatibus, quantum diligentia provideri poterat providebatur, **そのような困難さにおいては、できるかぎりの注意深さで用心されるほどに、用心されるものであるが、 *ut potius in nocendo aliquid praetermitteretur, **結果として、むしろ(敵勢への)何らかの加害は差し控えられることになった。 *etsi omnium animi ad ulciscendum ardebant, **たとえ、皆の心が(エブロネス族に)報復するために燃え立っていたとしても、 *quam cum aliquo militum detrimento noceretur. **兵士たちの何らかの損失を伴って(敵に)加害がなされるよりも。 **:(訳注:伏兵によって被害をこうむるよりは、ローマ人の安全のために、ローマ兵による攻撃は避けられた。) *⑧ Dimittit ad finitimas civitates nuntios Caesar; **カエサルは、近隣の諸部族のところへ伝令たちを分遣した。 *omnes ad se vocat spe praedae ad diripiendos Eburones, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]に対して戦利品を略奪することの望みを呼びかけた。 *ut potius in silvis Gallorum vita quam legionarius miles periclitetur, **森の中で、軍団の兵士たちよりも、むしろガッリア人たちの生命が危険にさらされるように、 *simul ut magna multitudine circumfusa **同時にまた、たいへんな大勢で取り囲むことによって、 *pro tali facinore stirps ac nomen civitatis tollatur. **(サビヌスらを滅ぼした)あれほどの罪業の報いとして、部族の血筋と名前が抹殺されるように、と。 *Magnus undique numerus celeriter convenit. **至る所から多数の者が速やかに集結した。 ==スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦== ===35節=== '''スガンブリー族が略奪に駆り立てられてアドゥアトゥカへ向かう''' *① Haec in omnibus Eburonum partibus gerebantur, **これらのこと(=追討戦)が[[w:エブロネス族|エブロネス族]]のすべての地方で遂行されていたが、 *diesque adpetebat septimus, quem ad diem Caesar ad impedimenta legionemque reverti constituerat. **カエサルがその日に[[w:輜重|輜重]]と(キケロの)[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ引き返すと決めていた7日目が近づいていた。 *② Hic quantum in bello Fortuna possit et quantos adferat casus, cognosci potuit. **ここに、戦争では運命(の女神)がどれほどのことに力を持ち、どれほどの結末を引き起こすかを知ることができた。 **:(訳注:[[#30節|30節]]でもそうだが、カエサルは戦況が芳しくないと運命 Fortuna を持ち出すようである。[[#42節|42節]]も参照。) *③ Dissipatis ac perterritis hostibus, ut demonstravimus, **(前節で)説明したように、追い散らされて、脅かされている敵たちには、 *manus erat nulla quae parvam modo causam timoris adferret. **(ローマ勢に敵を)恐れる理由を少しの程度も引き起こすようないかなる手勢もなかった。 *④ Trans Rhenum ad Germanos **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人のところへ、 *pervenit fama, diripi Eburones atque ultro omnes ad praedam evocari. **エブロネス族が収奪され、(近隣部族の)皆が略奪品へ向けて自発的に誘惑されているという風評が達した。 *⑤ Cogunt equitum duo milia Sugambri, qui sunt proximi Rheno, **レーヌスの近隣にいたスガンブリ族は、騎兵2000騎を徴集した。 *a quibus receptos ex fuga Tenctheros atque Usipetes supra docuimus. **前に説明したように、彼らによって[[w:テンクテリ族|テンクテリ族]]と[[w:ウスィペテス族|ウスィペテス族]]が逃亡から迎え入れられたのだ。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]および[[ガリア戦記 第4巻#18節|18~19節]]を参照。) *⑥ Transeunt Rhenum navibus ratibusque **(スガンブリー族は)レーヌスを船団や筏で渡河した。 *triginta milibus passuum infra eum locum, ubi pons erat perfectus praesidiumque ab Caesare relictum. **カエサルにより橋が造り上げられて守備隊が残された地点よりも下流に30ローママイル(約44km)のところを。 *Primos Eburonum fines adeunt; **手始めとしてエブロネス族の領土に殺到して、 *multos ex fuga dispersos excipiunt, **逃亡からちりぢりにさせられた多くの者たちを追い捕らえて、 *magno pecoris numero, cuius sunt cupidissimi barbari, potiuntur. **蛮族たちが最も熱望している家畜の多数をわがものにした。 *⑦ Invitati praeda longius procedunt. **(スガンブリー族の軍勢は)略奪品に誘われて、より遠くに進み出た。 *Non hos palus ─ in bello latrociniisque natos ─, non silvae morantur. **戦争や追いはぎに生まれついていたので、沼地も森林も彼らを妨げることがなかった。 *Quibus in locis sit Caesar, ex captivis quaerunt; **カエサルがどの場所にいるのか、捕虜から問い質した。 *profectum longius reperiunt omnemque exercitum discessisse cognoscunt. **(彼が)より遠くに旅立って、軍隊の総勢が立ち去ったことを、知った。 *⑧ Atque unus ex captivis "Quid vos," inquit, **なおかつ、捕虜たちのうちの一人が「なぜ、あんたたちは」と言い出した。 *"hanc miseram ac tenuem sectamini praedam, **「この取るに足らない、ちっぽけな略奪品を追い求めるのか。 **:(訳注:sectamini はデポネンティア動詞 sector の直説法・2人称複数・現在形) *quibus licet iam esse fortunatissimos? **(あんたたちは)今や、最も富裕な者に成り得るのに。 *⑨ Tribus horis Aduatucam venire potestis: **(この場所から)3時間で[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に到達できる。 **:(訳注:古代ローマの時間は、不定時法であり、当地の緯度や季節により長さは異なる。) *huc omnes suas fortunas exercitus Romanorum contulit; **ここへ、ローマ軍がすべての財産を運び集めたのだ。 *praesidii tantum est, ut ne murus quidem cingi possit, **守備隊は、城壁が取り巻かれることさえできないほどの(貧弱な)ものでしかない。 *neque quisquam egredi extra munitiones audeat." **何者も防備の外側へあえて出て行こうとはしないのだ。」 *⑩ Oblata spe Germani, **ゲルマーニア人たちは(ローマ軍の財産という)望みを提示されて、 *quam nacti erant praedam, in occulto relinquunt; **(すでにエブロネス族の者たちから)獲得していた略奪品を秘されたところに残しておいて、 *ipsi Aduatucam contendunt usi eodem duce, cuius haec indicio cognoverant. **自身は、このことを申告により知ったところの同じ(捕虜の)案内人を使役して、アドゥアトゥカに急いだ。 <br> :('''訳注:部族名・地名の表記について''' :スガンブリー族 Sugambri:α系写本では Sugambri、T・U写本では Sygambri、V・R写本では Sigambri :テンクテリ族 Tenctheri:β系写本では Tenctheri、α系写本では Thenctheri :アドゥアトゥカ Aduatuca:α系・T写本では Aduatuca、V・ρ系写本では Atuatuca) ===36節=== '''アドゥアトゥカのキケロが糧秣徴発に派兵する''' *① [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|Cicero]], qui omnes superiores dies **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は(期日の7日目)より以前の日々すべてを *praeceptis Caesaris cum summa diligentia milites in castris continuisset **カエサルの指図により、最高の入念さとともに、兵士たちを陣営の中に留めておき、 *ac ne calonem quidem quemquam extra munitionem egredi passus esset, **<ruby><rb>[[w:カロネス|軍属奴隷]]</rb><rp>(</rp><rt>カロネス</rt><rp>)</rp></ruby> でさえも、何者も防備の外側に出て行くことを許されなかった。 *septimo die diffidens de numero dierum Caesarem fidem servaturum, **(期日の)7日目に、カエサルが日数についての約束を守るであろうか、という不信を抱いた。 *quod longius eum<ref>eum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> progressum audiebat, **というのは、彼(カエサル)は、はるか遠くに前進したと聞いていたのだし、 *neque ulla de reditu eius fama adferebatur, **彼の帰還については何ら伝言を届けられていなかったからである。 *② simul eorum permotus vocibus, **同時に(キケロは)以下のような者たちの声に揺り動かされた。 *qui illius patientiam paene obsessionem appellabant, siquidem ex castris egredi non liceret, **もし本当に陣営から出て行くことが許されないならば、彼の忍耐はほぼ攻囲(籠城)であるというのだ。 *nullum eiusmodi casum exspectans, **以下のような事態を予期してもいなかった。 *quo novem oppositis legionibus maximoque equitatu, **9個[[w:ローマ軍団|軍団]]と最大限の[[w:騎兵|騎兵]]隊が(敵と)対峙して、 *dispersis ac paene deletis hostibus **敵たちは散らばらされて、ほとんど抹殺されたのに、 *in milibus passuum tribus offendi posset, **(自陣から)3ローママイルの内で(敵対勢力から)襲撃され得るとは。 [[画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|thumb|right|200px|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。]] *quinque cohortes frumentatum in proximas segetes mittit, **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を糧秣徴発するために、近隣の耕地に派遣した。 *quas inter et castra unus omnino collis intererat. **それら(の耕地)と陣営の間には、ただ一つの丘陵が介在するだけであった。 *③ Complures erant in castris<ref>in castris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ex legionibus aegri relicti; **陣営の中には、諸軍団のうちから少なからぬ傷病者たちが残留していた。 *ex quibus qui hoc spatio dierum convaluerant, circiter trecenti(CCC), **その者たちのうちから、この日々の間に回復していた約300名が、 *sub vexillo una mittuntur; **<ruby><rb>[[w:ウェクスィッルム|軍旗]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェクスィッルム</rt><rp>)</rp></ruby>のもとで一緒に派遣された。 *magna praeterea multitudo calonum, magna vis iumentorum quae in castris subsederant, **そのうえに、軍属奴隷の大多数、陣営の中に残留していた(ロバなどの)役畜の多数が、 *facta potestate sequitur. **機会を与えられて、随行した。 ===37節=== [[画像:Castra1.png|thumb|right|200px|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。]] '''スガンブリー族がキケロの陣営に襲来''' *① Hoc ipso tempore et casu Germani equites interveniunt **このまさにその時と状況に、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の[[w:騎兵|騎兵]]たちが出現して、 *protinusque eodem illo, quo venerant, cursu **さらに前方へ(彼らが)やって来たのと同じ突進でもって、 *ab decumana porta in castra inrumpere conantur, **第10大隊の門(=裏門)から陣営の中に突入することを試みた。 **:(訳注:decumana porta は[[ガリア戦記 第2巻#24節|第2巻24節]]で既出、図を参照。) *② nec prius sunt visi obiectis ab ea parte silvis, quam [[wikt:la:castrum|castris]] adpropinquarent, **その方面については森林がじゃま立てしていたので(彼らは)陣営に接近するまでは視認されなかったのだ。 *usque eo ut qui sub [[w:la:Vallum|vallo]] tenderent mercatores, recipiendi sui facultatem non haberent. **そこまで(敵が急に来たので)、防柵の下に宿営していた商人たちが退避する機会を持たなかったほどであった。 *③ Inopinantes nostri re nova perturbantur, **予感していなかった我が方は、新しい事態に混乱させられて、 *ac vix primum impetum cohors in statione sustinet. **やっとのことで[[w:歩哨|歩哨]]に就いていた[[w:コホルス|歩兵大隊]]が(敵の)最初の突撃を持ちこたえた。 *④ Circumfunduntur ex reliquis hostes partibus, si quem aditum reperire possent. **敵たちは、何らかの入口を探り出せないかと、ほかの方面から取り囲んだ。 *⑤ Aegre portas nostri tuentur; **我が方(=ローマ勢)は辛うじて(四方の)諸門を固守して、 *reliquos aditus locus ipse per se munitioque defendit. **ほかの入口を、その位置そのものと防備が(敵の突入から)防護した。 *⑥ Totis trepidatur castris, **陣営の全体が震撼させられて、 *atque alius ex alio causam tumultus quaerit; **各人がほかの者に騒乱の原因を尋ね合った。 **:(訳注:エブロネス族を追討している最中に、スガンブリー族が来襲するとは予想だにしなかったからである。) *neque quo signa ferantur, neque quam in partem quisque conveniat provident. **が、どこへ軍旗が運ばれるのか、どの方面におのおのが集結するのか、判らなかった。 *⑦ Alius iam castra capta pronuntiat, **ある者は、すでに陣営は占拠されたと公言し、 *alius deleto exercitu atque imperatore victores barbaros venisse contendit; **別のある者は、軍隊も将軍(カエサル)も滅びて蛮族が勝利者としてやって来たのだ、と断言した。 *⑧ plerique novas sibi ex loco religiones fingunt **たいていの者たちは、その場所から、新奇な迷信的感情を創り上げ、 *Cottaeque et Tituri calamitatem, qui in eodem occiderint castello, **同じ砦のところで斃れた[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|コッタ]]と[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]の敗亡を *ante oculos ponunt. **眼前に想い描いた。 *⑨ Tali timore omnibus perterritis **このような怖れによって(陣営内部の)皆が脅えており、 *confirmatur opinio barbaris, ut ex captivo audierant, nullum esse intus praesidium. **蛮族にとっては、捕虜から聞いていたように、内部に守備隊が存在していないという見解が強められた。 *⑩ Perrumpere nituntur **(スガンブリー勢は、陣営の防備を)突破することに努め、 *seque ipsi adhortantur, ne tantam fortunam ex manibus dimittant. **これほどの幸運を手から取りこぼさないように、自分たちが自身を鼓舞した。 ===38節=== '''バクルスと百人隊長たちが防戦する''' *① Erat aeger cum<ref>cum はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> praesidio relictus P.(Publius) Sextius Baculus, **(キケロの陣営には)プーブリウス・セクスティウス・バクルスが傷病者として、守備兵とともに残されていた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span> *qui primum pilum ad<ref>ad はα系写本の記述で、β系写本では apud となっている。</ref> Caesarem duxerat, **その者はカエサルのもとで<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリムス・ピルス</rt><rp>)</rp></ruby> の座に就いていたことがあり、 *cuius mentionem superioribus proeliis fecimus, **かつての戦闘で彼に言及したが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]] および [[ガリア戦記 第3巻#5節|第3巻5節]]を参照。)</span> *ac diem iam quintum cibo caruerat. **(このとき)食物を欠いてすでに5日目であった。 *② Hic diffisus suae atque omnium saluti inermis ex tabernaculo prodit; **彼は、自らと皆の身の安全に疑念を抱いて、非武装のまま天幕小屋から出て来て、 *videt imminere hostes atque in summo esse rem discrimine; **敵たちが迫って来ていること、および事態が重大な危急にあることを目の当たりにして、 *capit arma a proximis atque in porta consistit. **すぐ近くの者から武器を取って、門のところに陣取った。 *③ Consequuntur hunc centuriones eius cohortis quae in statione erat; **歩哨に立っていた(1個)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> たちが彼に追随して、 **:(訳注:1個歩兵大隊の百人隊長は、定員通りであれば、6名いた。) *paulisper una proelium sustinent. **しばらく一緒に戦闘を持ちこたえた。 *④ Relinquit animus Sextium gravibus acceptis vulneribus; **セクスティウス(・バクルス)は重い傷を受けて、気を失った。 *Deficiens<ref>deficiens はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aegre per manus tractus servatur. **(彼は)衰弱して、(味方の)手から手に運ばれて辛うじて救助された。 *⑤ Hoc spatio interposito reliqui sese confirmant **こうしてしばらくした後で、ほかの者たちは意を強くした。 *tantum, ut in munitionibus consistere audeant speciemque defensorum praebeant. **(それは)防壁にあえて陣取って、防戦者たちの姿を示したほどであった。 ===39節=== '''スガンブリー族が糧秣徴発部隊をも襲う''' *① Interim confecta frumentatione milites nostri clamorem exaudiunt; **その間に、糧秣徴発を成し遂げると、我が方の兵士たち(=ローマ軍団兵)は叫び声を聞きつけて、 *praecurrunt equites; **[[w:騎兵|騎兵]]たちが先駆けして、 *quanto res sit in periculo cognoscunt. **事態がどれほどの危険にあるかを認識した。 *② Hic vero nulla munitio est quae perterritos recipiat; **そこには、まさに、脅え上がった者たちを受け入れるような、いかなる防備もなかったのである。 *modo conscripti atque usus militaris imperiti **やっと徴集されたばかりの者たち、なおかつ兵役の経験に通じていない者たちは、 *ad tribunum militum centurionesque ora convertunt; **<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちの方へ顔を向けた。 *quid ab his praecipiatur exspectant. **彼ら(上官たち)によって何を指図されるか、待っていたのである。 *③ Nemo est tam fortis, quin rei novitate perturbetur. **新奇な事態に不安にさせられないほど勇敢な者は、誰もいなかった。 *④ Barbari signa procul conspicati oppugnatione desistunt, **蛮族たちは、(糧秣徴発隊の)軍旗を遠くから視認すると、(陣営への)攻囲を停止した。 *redisse primo legiones credunt, quas longius discessisse ex captivis cognoverant; **(彼らは)当初は、より遠くに立ち去ったことを捕虜から知っていた(ローマの)諸軍団が戻って来たと思ったが、 *postea despecta paucitate ex omnibus partibus impetum faciunt. **後には、(糧秣徴発隊の)寡勢ぶりを侮って、あらゆる方向から突撃して来た。 ===40節=== '''敵中突破して陣営へ戻る糧秣徴発部隊の明暗''' *① Calones in proximum tumulum procurrunt. **[[w:カロネス|軍属奴隷]]たちは、近隣の丘に先駆けした。 *Hinc celeriter deiecti **(彼らは)ここから、(突撃して来る敵の軍勢を眺めて)たちまち当てが外れて、 *se in signa manipulosque coniciunt; **(後方にいた)軍旗と[[w:マニプルス|歩兵中隊]]のところに身を投じた。 *eo magis timidos perterrent milites. **それゆえに、臆病な兵士たちを大いに脅かした。 [[画像:Wedge-diagram.svg|thumb|right|200px|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。]] *② Alii cuneo facto ut celeriter perrumpant, censent **(ローマ兵の)ある者たちは、速やかに(敵中を)突破するように、<ruby><rb>[[w:くさび|楔形]]</rb><rp>(</rp><rt>くさびがた</rt><rp>)</rp></ruby>隊列を形成しようと考慮した。 *─ quoniam tam propinqua sint castra, **─ 陣営がこれほどまで近隣にあるので、 *etsi pars aliqua circumventa ceciderit, at reliquos servari posse confidunt ─, **たとえ、一部の誰かが包囲されて斃れたとしても、残りの者たちは救われることが可能だと確信したのだ ─。 *③ alii ut in iugo consistant atque eundem omnes ferant casum. **別のある者たちは、(丘の)尾根に陣取って、皆が同じ命運に耐え忍ぼうと(考えた)。 *④ Hoc veteres non probant milites, quos sub vexillo una profectos docuimus. **既述したように軍旗のもとで一緒に発って来た古参兵たちは、後者(の案)を承認しなかった。 **:(訳注:[[#36節|36節]]③項で既述のように、回復した傷病兵たちが同行してきていた。) *Itaque inter se cohortati **こうして、(古参の傷病兵たちは)互いに激励し合って、 *duce C.(Gaio) Trebonio equite Romano, qui iis erat praepositus, **彼らの指揮を委ねられていたローマ人[[w:騎士|騎士階級]]のガイウス・トレボニウスを統率者として、 **:(訳注:[[#33節|33節]]で3個軍団を率いて出発した副官の[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]とは明らかに同名の別人である。) *per medios hostes perrumpunt incolumesque ad unum omnes in castra perveniunt. **敵たちの中央を突破して、一人に至るまで皆が無傷で陣営に到着した。 *⑤ Hos subsecuti calones equitesque eodem impetu militum virtute servantur. **彼らに追随して、軍属奴隷と[[w:騎兵|騎兵]]たちが同様の突撃をして、兵士たちの武勇により救われた。 *⑥ At ii qui in iugo constiterant, **それに対して(丘の)尾根に陣取った者たちは、 *nullo etiam nunc usu rei militaris percepto **今になってさえも、軍事的行動というものを把握しておらず、 *neque in eo quod probaverant consilio permanere, ut se loco superiore defenderent, **より高い場所で身を守るという、彼らが承認していた考えに留まりもせず、 *neque eam quam prodesse aliis vim celeritatemque viderant, imitari potuerunt, **(彼らが)別の者たち(=古参兵)に役立ったのを見ていたところの力と迅速さを真似することもできなかった。 *sed se in castra recipere conati iniquum in locum demiserunt. **けれども、陣営に退却することを試みたが、不利な場所に落ち込んで行った。 *⑦ Centuriones, quorum nonnulli ex inferioribus ordinibus reliquarum legionum **[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]たちといえば、彼らの少なからぬ者たちは、ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]のより低い序列から、 *virtutis causa in superiores erant ordines huius legionis traducti, **武勇のおかげで、この軍団のより高い序列に異動させられていたが、 *ne ante partam rei militaris laudem amitterent, fortissime pugnantes conciderunt. **かつて獲得した軍事的な賞賛を失わないように、とても果敢に奮戦して斃れた。 *⑧ Militum pars horum virtute **兵士たちの一部は、これら(討ち死にした百人隊長たち)の武勇により、 *submotis hostibus praeter spem incolumis in castra pervenit, **予想に反して敵たちが撃退されたので、無傷で陣営に到着した。 *pars a barbaris circumventa periit. **別の一部は、蛮族によって包囲されて、討ち死にした。 ===41節=== '''スガンブリー族の撤退、カエサルの帰還''' *① Germani desperata expugnatione castrorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちは(キケロの)[[w:カストラ|陣営]]の攻略に絶望して、 *quod nostros iam constitisse in munitionibus videbant, **というのは、我が方(ローマ勢)が防備のところに立っているのを見たからであるが、 *cum ea praeda quam in silvis deposuerant, trans Rhenum sese receperunt. **森の中にしまい込んでいた略奪品とともに、レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側に撤退した。 *② Ac tantus fuit etiam post discessum hostium terror, **敵たちの立ち去った後でさえ(ローマ勢の)畏怖はたいへんなものであったので、 *ut ea nocte, cum C.(Gaius) Volusenus missus cum equitatu ad castra venisset, **その夜に、(追討戦に)派遣されていたガーイウス・ウォルセーヌスが騎兵隊とともに陣営へ帰着したときに **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' は、[[ガリア戦記_第3巻#5節|第3巻5節]]のアルプス・オクトードゥールスの戦い、<br>    [[ガリア戦記_第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記_第4巻#23節|23節]]のブリタンニアへの先遣で既述。<br>    この後、さらに第8巻23節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#23|s]])</sub>、48節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#48|s]])</sub>でも活躍する。)</span> *fidem non faceret adesse cum incolumi Caesarem exercitu. **カエサルが無傷の軍隊とともに近くに来ていることを(陣営の残留組に)信用させなかったほどである。 *③ Sic omnino animos timor praeoccupaverat, ut paene alienata mente **ほとんど気でも違ったかのように、皆の心を怖れが占めていた。 **:(訳注:sic … ut ~ の構文;「~と同様に…である」) *deletis omnibus copiis equitatum se ex fuga recepisse dicerent **(残留者たちは、カエサルら)全軍勢が滅ぼされて、[[w:騎兵|騎兵隊]]が敗走から退いて来たのだ、と言った。 *neque incolumi exercitu Germanos castra oppugnaturos fuisse contenderent. **(カエサルら)軍隊が無傷であれば、ゲルマーニア人が陣営を襲撃しなかっただろう、と断言した。 **:(訳注:oppugnaturos fuisse ;間接話法では非現実な[[w:条件法|条件文]]の帰結は「未来分詞+fuisse」で表される。) *④ Quem timorem Caesaris adventus sustulit. **その怖れをカエサルの到着が取り除いた。 **:(訳注:sustulit は tollō の完了・能動3人称単数形) ===42節=== '''カエサルがスガンブリー族の襲来と撤退を運命に帰する''' *① Reversus ille, eventus belli non ignorans, **引き返して来た彼(カエサル)は、戦争の成り行きというものを知らないはずがないので、 *unum quod cohortes ex statione et praesidio essent emissae, **ひとつ(だけ)、<ruby><rb>[[w:コホルス|諸大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> が[[w:歩哨|歩哨]]や守備から(糧秣徴発に)派遣されたことを *questus ─ ne minimo quidem casu locum relinqui debuisse ─ **不慮の事態に対して最小限のいかなる余地も残されるべきではなかった、と嘆いた。 *multum Fortunam in repentino hostium adventu potuisse iudicavit, **不意の敵たちの到来においては運命(の女神)が大いに力を持つ、と断じた。 *② multo etiam amplius, quod paene ab ipso vallo portisque castrorum barbaros avertisset. **さらに、より一層大きかったのは、(運命が)ほとんど蛮族をその陣営の防柵と諸門から追い返してしまったことである。 *③ Quarum omnium rerum maxime admirandum videbatur, **それらのすべての事態でとりわけ驚くべきと思われたのは、 *quod Germani, qui eo consilio Rhenum transierant, ut Ambiorigis fines depopularentur, **その意図で[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]の領土を荒らすようにレヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])を渡河していた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が、 *ad castra Romanorum delati **ローマ人の陣営の方へそらされて、 *optatissimum Ambiorigi beneficium obtulerunt. **アンビオリクスに最も望ましい恩恵を施してしまったことである。 ==対エブロネス族追討戦(2)== ===43節=== '''アンビオリクスが辛うじて追討を逃れる''' *① Caesar rursus ad vexandos hostes profectus **カエサルは再び敵たちを苦しめるために出発して、 *magno coacto &lt;equitum&gt; numero ex finitimis civitatibus in omnes partes dimittit. **[[w:騎兵|騎兵]]の多数を隣接する諸部族から徴集して、あらゆる方面に派遣した。 **:(訳注:&lt;equitum&gt; 「騎兵の」は近代の校訂者による挿入である。) *② Omnes vici atque omnia aedificia quae quisque conspexerat incendebantur, **おのおのが目にしたすべての村々およびすべての建物が焼き打ちされた。 *pecora interficiebantur<ref>pecora interficiebantur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, praeda ex omnibus locis agebatur; **家畜は屠殺され、あらゆる場所から略奪品が奪い去られた。 *③ frumenta non solum tanta multitudine iumentorum atque hominum consumebantur, **役畜および人間たちのこれほど大勢により穀物が消費され尽くしたのみならず、 *sed etiam anni tempore atque imbribus procubuerant, **季節と豪雨によってさえも(穀物が)倒れた。 *ut si qui etiam in praesentia se occultassent, **その結果、もし(エブロネス族の)何者かが現状では身を隠しているとしても、 *tamen his deducto exercitu rerum omnium inopia pereundum videretur. **それでも彼らは(ローマ人の)軍隊が引き揚げれば、あらゆるものの欠乏により死滅するはずと思われた。 *④ Ac saepe in eum locum ventum est tanto in omnes partes diviso equitatu, **たいへん多くの騎兵隊があらゆる方面に分遣されて、しばしば以下のような状態に出くわした。 *ut non modo visum ab se Ambiorigem in fuga circumspicerent captivi **捕虜たちが、自分たちによって逃亡中の[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]が目撃されたと見回しただけでなく、 *nec plane etiam abisse ex conspectu contenderent, **(アンビオリクスが)視界からまったく消え去ってはいないとさえ主張した。 *⑤ ut spe consequendi inlata atque infinito labore suscepto, **その結果、(アンビオリクスを)追跡する希望がもたらされて、さらに限りない労苦が従事された。 *qui se summam ab Caesare gratiam inituros putarent, **カエサルから最高の恩恵を得ようと思った者たちは、 *paene naturam studio vincerent, **熱意により(身体的な)資質にほとんど打ち克ったが、 *semperque paulum ad summam felicitatem defuisse videretur, **いつも最高の恵みにあと少しで足りなかったと思われる。 *⑥ atque ille latebris aut silvis<ref>aut silvis はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aut saltibus se eriperet **かつ彼(アンビオリクス)は隠れ処、あるいは森林、あるいは峡谷によって自らを救い、 *et noctu occultatus alias regiones partesque peteret **夜に秘されて、別の地方や方面をめざした。 *non maiore equitum praesidio quam quattuor, **4名より多くない騎兵の護衛によって、 *quibus solis vitam suam committere audebat. **自らの生命をその者たちだけにあえて委ねたのだ。 ===44節=== '''カエサルが撤退し、造反者アッコを処刑する''' *① Tali modo vastatis regionibus **このようなやり方で(エブロネス族の)諸地域を荒廃させて、 [[画像:Porte_Mars_01.jpg|thumb|right|200px|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。]] *exercitum Caesar duarum cohortium damno [[w:la:Remi|Durocortorum]] Remorum reducit **カエサルは、2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の損失(だけ)で、軍隊を[[w:レミ族|レミ族]]の[[w:ドゥロコルトルム|ドゥロコルトルム]]に連れ戻して、 **:(訳注:ドゥロコルトルムはレミ族の首邑で、現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]] Reims である。) *concilioque in eum locum Galliae indicto **その地においてガッリアの(領袖たちの)会合を公示して、 *de coniuratione Senonum et Carnutum quaestionem habere instituit **[[w:セノネス族|セノネス族]]と[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の共謀について詮議することを決定した。 *② et de Accone, qui princeps eius consilii fuerat, **その謀計の首謀者であった[[w:アッコ (セノネス族)|アッコ]]については *graviore sententia pronuntiata more maiorum supplicium sumpsit. **より重い判決が布告され、(ローマ人の)先祖の習慣により極刑に処した。 **:(訳注:ローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|モムゼン]]は、アッコはローマの<ruby><rb>[[w:リクトル|先導吏]]</rb><rp>(</rp><rt>リクトル</rt><rp>)</rp></ruby> により[[w:斬首刑|斬首]]されたと言及している<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、p.233 を参照。</ref>。 **:外国から来た侵略者カエサルがこのような刑罰を下したことに、ガッリア人たちは憤激した。[[ガリア戦記 第7巻#1節|第7巻1節]]を参照。) *③ Nonnulli iudicium veriti profugerunt. **少なからぬ者たちは、裁判を恐れて逃走した。 *Quibus cum aqua atque igni interdixisset, **その者たちには水と火が禁じられたうえで、 **:(訳注:「水と火を禁じる」とは追放処分のことで、居住権や財産の没収などを指す。) *duas legiones ad fines Treverorum, duas in Lingonibus, **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]をトレーウェリー族の領土へ、2個(軍団)を[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](の領土)に、 *sex reliquas in Senonum finibus [[w:la:Agedincum|Agedinci]] in hibernis conlocavit **残りの6個(軍団)を[[w:セノネス族|セノネス族]]の領土の[[w:アゲディンクム|アゲディンクム]]に、冬営地に宿営させた。 **:(訳注:アゲディンクムは、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]] Sens である。) *frumentoque exercitui proviso, **軍隊の糧秣を調達してから、 *ut instituerat, in Italiam ad conventus agendos profectus est. **定めていたように、イタリアに開廷(巡回裁判)を行なうために出発した。 **:(訳注:ここで「イタリア」とはカエサルが総督を務める[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことと思われる。) ---- *<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第6巻」了。「[[ガリア戦記 第7巻]]」へ続く。</span> ==脚注== <references /> ==参考リンク== *ウィキペディア英語版・日本語版 **[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]([[w:Category:ガリアの部族|Category:ガッリアの部族]]) ***[[w:en:Eburones|Eburones]]([[w:エブロネス族|エブロネス族]]) ***[[w:en:Nervii|Nervii]]([[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]]) ***[[w:en:Senones|Senones]](セノネス族)- [[w:la:Senones|la:Senones]] ***[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌテス族) ***[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィ族]]) ****[[w:en:Lutetia|Lutetia]]([[w:ルテティア|ルテティア]]) ***[[w:en:Menapii|Menapii]](メナピイ族) ***[[w:en:Treveri|Treveri]](トレーウェリー族) ***[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]) ***[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族) ***[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族) **[[w:en:Category:Germanic peoples|Category:Germanic peoples]](ゲルマーニア人のカテゴリ) ***[[w:en:Category:Ancient Germanic peoples|Category:Ancient Germanic peoples]](古代ゲルマーニア人) ***[[w:en:Germanic peoples|Germanic peoples]](ゲルマーニア人) ***[[w:en:Ubii|Ubii]](ウビイー族) ***[[w:en:Suebi|Suebi]]([[w:スエビ族|スエービー族]]) ***[[w:en:Chatti|Chatti]](カッティー族) ***[[w:en:Cherusci|Cherusci]](ケールスキー族) ***[[w:en:Sicambri|Sicambri]](スガンブリー族) ***[[w:en:Hercynian Forest|Hercynian Forest]](ヘルキュニアの森) **地理学者・史家 ***[[w:en:Posidonius|Posidonius]]([[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]];BC135-51年頃)- [[w:la:Posidonius Apameus|la:Posidonius Apameus]] ***[[w:en:Diodorus Siculus|Diodorus Siculus]]([[w:シケリアのディオドロス|シケリアのディオドロス]];BC1世紀) - [[w:la:Diodorus Siculus|la:Diodorus Siculus]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Διόδωρος Σικελιώτης|Διόδωρος Σικελιώτης]](シケリアのディオドロス)- [[s:el:Ιστορική Βιβλιοθήκη|Ιστορική Βιβλιοθήκη]](歴史叢書)〕 ***[[w:en:Strabo|Strabo]]([[w:ストラボン|ストラボン]];BC63年頃–AD24年頃)- [[w:la:Strabo|la:Strabo]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Στράβων|Στράβων]](ストラボン) - [[s:el:Γεωγραφία|Γεωγραφία]](世界地誌)〕 ***[[w:en:Tacitus|Tacitus]]([[w:タキトゥス|タキトゥス]];56年頃–117年頃)- [[w:la:Cornelius Tacitus|la:Cornelius Tacitus]] ****[[w:en:Germania (book)|Germania (book)]]([[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア (書物)]])- [[w:la:Germania (opus 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**カエサルの副官たち ***[[w:en:Titus_Labienus|Titus Labienus]]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]])- [[w:la:Titus_Labienus|la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Trebonius|Gaius Trebonius]]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]])- [[w:la:Gaius Trebonius|la:Gaius Trebonius]] ***[[w:en:Quintus_Tullius_Cicero|Quintus Tullius Cicero]]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]] ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) *ウィクショナリー フランス語版 **[[wikt:fr:calo]](カーロー、軍属奴隷) 2688wkwpoj20cqa2cpipxyg1v3gq08n 263571 263562 2024-11-16T07:42:40Z Linguae 449 /* 9節 */ 修整 263571 wikitext text/x-wiki [[Category:ガリア戦記|6]] [[ガリア戦記]]>&nbsp;'''第6巻'''&nbsp;>[[ガリア戦記 第6巻/注解|注解]] <div style="text-align:center"> <span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;C&nbsp;IVLII&nbsp;CAESARIS&nbsp;COMMENTARIORVM&nbsp;BELLI&nbsp;GALLICI&nbsp;</span> <span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;LIBER SEXTVS&nbsp;</span> </div> [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] {| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5" ! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第6巻 目次 |- | style="text-align:right; font-size: 0.86em;"| '''[[#ガッリア北部の平定|ガッリア北部の平定]]''':<br /> '''[[#第二次ゲルマーニア遠征|第二次ゲルマーニア遠征]]''':<br /> '''[[#ガッリア人の社会と風習について|ガッリア人の社会と風習について]]''':<br /> '''[[#ゲルマーニアの風習と自然について|ゲルマーニアの風習と自然について]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(1)|対エブロネス族追討戦(1)]]''':<br /> '''[[#スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦|スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(2)|対エブロネス族追討戦(2)]]''':<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> | style="text-align:left; font-size: 0.86em;"| [[#1節|01節]] | [[#2節|02節]] | [[#3節|03節]] | [[#4節|04節]] | [[#5節|05節]] | [[#6節|06節]] | [[#7節|07節]] | [[#8節|08節]] <br /> [[#9節|09節]] | [[#10節|10節]] <br /> [[#11節|11節]] | [[#12節|12節]] | [[#13節|13節]] | [[#14節|14節]] | [[#15節|15節]] | [[#16節|16節]] | [[#17節|17節]] | [[#18節|18節]] | [[#19節|19節]] | [[#20節|20節]] <br /> [[#21節|21節]] | [[#22節|22節]] | [[#23節|23節]] | [[#24節|24節]] | [[#25節|25節]] | [[#26節|26節]] | [[#27節|27節]] | [[#28節|28節]] <br /> [[#29節|29節]] | [[#30節|30節]] | [[#31節|31節]] | [[#32節|32節]] | [[#33節|33節]] | [[#34節|34節]] <br /> [[#35節|35節]] | [[#36節|36節]] | [[#37節|37節]] | [[#38節|38節]] | [[#39節|39節]] | [[#40節|40節]] | [[#41節|41節]] | [[#42節|42節]] <br/> [[#43節|43節]] | [[#44節|44節]] <br/> &nbsp;&nbsp;1節 [[#コラム「カエサルの軍団」|コラム「カエサルの軍団」]]<br> 10節 [[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」|コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」]]<br>10節 [[#コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」|コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」]]<br /> [[#脚注|脚注]]<br /> [[#参考リンク|参考リンク]]<br /> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ <div style="background-color:#dfffdf;"> ==<span style="color:#009900;">はじめに</span>== :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルは、第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])から<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>として属州総督に赴任した。が、これは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]、[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]および[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]の三属州の統治、および4個軍団を5年間にもわたって任されるというローマ史上前代未聞のものであった。これはカエサルが[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]と非公式な盟約を結んだ[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]]の成果であった。カエサルには属州の行政に従事する気持ちははじめからなく、任期のほとんどを夏季は[[w:ガリア戦争|ガッリア侵攻]]に、冬季は首都ローマへの政界工作に費やした。[[ガリア戦記_第3巻#はじめに|第3巻]]の年([[w:紀元前56年|紀元前56年]])に3人は[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の会談を行い、カエサルはクラッススとポンペイウスが翌年に執政官になること、カエサルの総督の任期をさらに5年間延長されることを求めた。会談の結果、任期が大幅に延長されることになったカエサルは、もはや軍事的征服の野望を隠そうとせず、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススが[[w:シリア属州|シュリア]]総督になること、ポンペイウスがカエサルと同様に[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の三属州の総督になって4個軍団を任されることを決める。</div> <div style="text-align:center"> {| |- |[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人の同盟はついに破綻の時を迎える。]] |} </div> :<div style="color:#009900;width:85%;">[[w:ガリア戦記 第5巻|第5巻]]の年([[w:紀元前54年|前54年]])、カエサルは満を持して二回目の[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|ブリタンニア侵攻]]を敢行するが、大した戦果は得られず、背後のガッリア情勢を気にしながら帰還する。ついに[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]率いる[[w:エブロネス族|エブローネース族]]、ついで[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]が反乱を起こし、カエサルは何とか動乱を鎮めるが、ガッリア諸部族の動きは不穏であり、カエサルは諸軍団とともに越冬することを決める。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルがブリタンニア遠征で不在の間に、ポンペイウスに嫁していたカエサルの一人娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が[[w:産褥|産褥]]で命を落とす。一方、クラッススは属州[[w:シリア属州|シュリア]]に向かうが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">本巻の年([[w:紀元前53年|前53年]])、カエサルは[[w:エブロネス族|エブローネース族]]追討戦に向かうが、これは大きな嵐の前の出来事に過ぎない。</div> </div> <!-- **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==ガッリア北部の平定== ===1節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-09-18}}</span> ;カエサルがポンペイウスの助けにより新兵を徴募する *<!--❶-->Multis de causis Caesar maiorem Galliae [[wikt:en:motus#Noun_2|motum]] [[wikt:en:exspectans|exspectans]] **多くの理由から、カエサルは、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、 *per [[wikt:en:Marcus#Latin|Marcum]] [[wikt:en:Silanus#Latin|Silanum]], [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Antistius#Latin|Antistium]] Reginum, [[wikt:en:Titus#Latin|Titum]] [[wikt:en:Sextius#Latin|Sextium]], legatos, **<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:マルクス・ユニウス・シラヌス (紀元前25年の執政官)|マールクス・スィーラーヌス]]、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌス、ティトゥス・セクスティウスを介して **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Marcus Junius Silanus (consul 25 BC)|Mārcus Iūnius Sīlānus]] はこの年([[w:紀元前53年|前53年]])からカエサルの副官、[[w:紀元前25年|前25年]]に執政官。<br>    ''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は副官として[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]と[[ガリア戦記_第7巻#90節|90節]]でも後出。<br>    [[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] はこの年からカエサルの副官、[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]でも後出、<br>     [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)</span> *[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]; **<small>(兵士の)</small>徴募を行なうことを決める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dīlēctus]] = [[wikt:en:delectus#Noun_2|dēlēctus]]「選択、徴募」)</span> :  *<!--❷-->simul ab [[wikt:en:Gnaeus#Latin|Gnaeo]] [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeio]] [[wikt:en:proconsul#Latin|proconsule]] [[wikt:en:peto#Latin|petit]], **同時に、<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]に<small>(以下のことを)</small>求める。 *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] ipse ad <u>urbem</u> cum imperio rei publicae causa [[wikt:en:remaneo#Latin|remaneret]], **<small>(ポンペイウス)</small>自身は<u>首都</u><small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の辺りに、<ruby><rb>[[w:インペリウム|軍隊司令権]]</rb><rp>(</rp><rt>インペリウム</rt><rp>)</rp></ruby>を伴って、国務のために留まっていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbs#Latin|urbs (urbem)]] は普通名詞として「都市・街」を意味するが、特に首都'''[[w:ローマ|ローマ市]]'''を指す。)</span> **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]とともに[[w:執政官|執政官]]を務め、<br>    第5巻の年(昨年=[[w:紀元前54年|前54年]])には[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の属州総督となったが、<br>    首都ローマの政局が気がかりであったため、任地には副官を派遣して、<br>    自らはローマ郊外に滞在していた。ただ彼は属州総督であったため、<br>    [[w:ポメリウム|ポメリウム]]と呼ばれるローマ市中心部に立ち入ることは禁じられていた。)</span> *quos ex [[wikt:en:cisalpinus#Latin|Cisalpina]] Gallia <u>consulis</u> [[wikt:en:sacramentum#Latin|sacramento]] [[wikt:en:rogo#Latin|rogavisset]], **[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]の内から、<ruby><rb>[[w:執政官|執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>コンスル</rt><rp>)</rp></ruby>のための宣誓を求めていた者たちに、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは執政官のときに元老院の許可を得て、<br>    カエサルの属州で、自らの属州に派遣するための4個軍団の徴募を行った。<br>    徴集された新兵たちは執政官に宣誓したようである。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega; では [[wikt:en:consulis#Noun|consulis]]「執政官の」だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]は [[wikt:en:consul#Latin|consul]]「執政官が」と修正提案している。)</span> *ad signa [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] et ad se [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iuberet]], **軍旗のもとに集まって、自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ進発することを命じるようにと。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、ポンペイウスに軍団兵の融通を求めたわけだ。<br>    ポンペイウスが執政官のときに徴募していたうちの1個軍団がカエサルに貸し出された。<br>    ところがその後、<u>第8巻54節の記述</u>によれば <ref>ラテン語文は、[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#54]] などを参照。</ref><ref>英訳は、[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_8#54]] などを参照。</ref>、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]の死後に、[[w:元老院|元老院]]は、<br>    対[[w:パルティア|パルティア]]戦争のために、カエサルとポンペイウスがそれぞれ1個軍団を供出することを可決したが、<br>    ポンペイウスはカエサルに1個軍団の返還を求めたので、<br>    カエサルは計2個軍団の引き渡しを求められることになる。<br>    このことは、[[内乱記_第1巻#2節|『内乱記』第1巻2節]]以降でも言及される。)</span> :  *<!--❸-->magni [[wikt:en:intersum#Latin|interesse]] etiam in reliquum tempus ad [[wikt:en:opinio#Latin|opinionem]] Galliae [[wikt:en:existimans#Latin|existimans]] **ガッリアの世論に対して、これから後の時期にさえも、(カエサルが)大いに重要であると考えていたのは、 *tantas videri Italiae [[wikt:en:facultas#Latin|facultates]] **(以下の程度に)イタリアの(動員)能力が豊富であると見えることである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:Italiaという語は多義的でさまざまに解釈できるが、<br>    本書ではガッリア・キサルピーナを指すことが多い。)</span> *ut, si [[wikt:en:aliquid#Etymology_2|quid]] esset in bello [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimenti]] acceptum, **もし、戦争において何がしかの(兵員の)損害を蒙ったとしても、 *non modo id [[wikt:en:brevis#Latin|brevi]] tempore [[wikt:en:sarcio#Latin|sarciri]], **それが短期間で修復(できる)だけでなく、 *sed etiam [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:augeo#Latin|augeri]] copiis posset. **より多く軍勢で増されることが可能だ<br>(とガッリアの世論に思われることが重要であるとカエサルは考えたのである)。 :  *<!--❹-->Quod cum [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeius]] et rei publicae et amicitiae [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuisset]], **そのことを、ポンペイウスは公儀<small>〔ローマ国家〕</small>のためにも(三頭政治の)盟約のためにも認めたので、 *celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] per suos [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectu]] **(カエサルの)配下の者たちを介して速やかに徴募が成し遂げられて *tribus ante [[wikt:en:exactus#Latin|exactam]] [[wikt:en:hiems#Latin|hiemem]] et [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] et [[wikt:en:adductus#Latin|adductis]] legionibus **冬が過ぎ去る前に、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]が組織されて<small>(カエサルのもとへ)</small>もたらされ、 *[[wikt:en:duplicatus#Latin|duplicato]]<nowiki>que</nowiki> earum [[wikt:en:cohors#Latin|cohortium]] numero, quas cum [[wikt:en:Quintus#Latin|Quinto]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurio]] [[wikt:en:amitto#Latin|amiserat]], **それらの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の数は、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥーリウス(・サビーヌス)]]とともに失っていたものの倍にされた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前巻でサビーヌスとコッタは1個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]](=15個歩兵大隊)を失ったが、<br>    代わりに3個軍団(=30個歩兵大隊)を得たということ。)</span> *et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] et copiis [[wikt:en:doceo#Latin|docuit]], **<small>(徴兵の)</small>迅速さと軍勢<small>(の多さ)</small>において<small>(ガッリア人たちに)</small>示したのは、 *quid populi Romani [[wikt:en:disciplina#Latin|disciplina]] atque [[wikt:en:ops#Noun_4|opes]] possent. **ローマ国民の規律と能力がいかに有力であるかということである。 {| class="wikitable" |- | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Hw-pompey.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。]] | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Theatre of Pompey 3D cut out.png|thumb|left|400px|'''[[w:ポンペイウス劇場|ポンペイウス劇場]]'''の復元図。[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]の名を冠したこの劇場は、彼が執政官であった[[w:紀元前55年|紀元前55年]]頃に竣工し、当時最大の劇場であった。<br> 伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は以下のように伝えている<ref>[[s:en:Plutarch%27s_Lives_(Clough)/Life_of_Pompey]] より</ref>:「クラッススは執政官の任期が切れるとすぐに属州へと出発したが、ポンペイウスはローマで劇場の開館式や奉献式に出席し、その式にはあらゆる競技・ショー・運動・体操・音楽などで人々を楽しませた。野獣の狩猟や餌付け、野獣との闘いもあり、500頭のライオンが殺された。しかし何よりも、象の闘いは、恐怖と驚きに満ちた見世物であった」と。<br><br> カエサルの最期の場所でもあり、血みどろのカエサルはポンペイウスの胸像の前で絶命したとされている。]] |} <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="background-color:#dfffdf;"> ===<span style="color:#009900;">コラム「カエサルの軍団」</span>=== :<div style="color:#009900;width:75%;">カエサルは第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])に三属州の総督に任官するとともに4個軍団(VI・VII・[[w:en:Legio VIII Augusta|VIII]]・[[w:en:Legio IX Hispana|IX]])を任された。[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]([[w:la:Helvetii|Helvetii]])と対峙するうちに、元老院に諮らずに独断で2個軍団([[w:en:Legio X Equestris|X]]・[[w:en:Legio XI Claudia|XI]])を徴募する(1巻10節)。<br> 第2巻の年([[w:紀元前57年|紀元前57年]])に3個軍団([[w:en:Legio XII Fulminata|XII]]・[[w:en:Legio XIII Gemina|XIII]]・[[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])を徴募して、計9個軍団。<br><br> [[ガリア戦記_第5巻#24節|『第5巻』24節]]の時点で、カエサルは8個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を保持していると記されている。最古参の第6軍団が半減していると考えると、[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]によって、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]やコッタらとともに滅ぼされたのは、第14軍団([[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])と古い第6軍団(VI)の生き残りの5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]と考えることができる。<br><br> 本巻の年([[w:紀元前53年|紀元前53年]])では、ポンペイウスの第1軍団がカエサルに譲られ、後にカエサルの軍団の番号系列に合わせて第6軍団(VI)と改称されたようだ。「第14軍団」は全滅させられたので通常は欠番にするところだが、カエサルはあえて再建して第14軍団と第15軍団が徴募され、これら3個軍団を加えると、カエサルが保持するのは計10個軍団となる。<br> もっとも本巻ではカエサルは明瞭な記述をしておらず、上述のように後に2個軍団を引き渡すことになるためか、伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は、ポンペイウスがカエサルに2個軍団を貸し出した、と説明している。 </div> </div> ===2節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2024-09-29}}</span> ;ガッリア北部の不穏な情勢、トレーウェリー族がライン川東岸のゲルマーニア人を勧誘 *<!--❶-->[[wikt:en:interfectus#Latin|Interfecto]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomaro]], ut [[wikt:en:doceo#Latin|docuimus]], **<small>([[ガリア戦記 第5巻#58節|第5巻58節]]で)</small>述べたように、インドゥーティオマールスが殺害されると、 *ad eius propinquos a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] imperium [[wikt:en:defero#Latin|defertur]]. **トレーウェリー族の者たちにより彼の縁者たちへ支配権がもたらされる。 *Illi finitimos [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitare]] et [[wikt:en:pecunia#Latin|pecuniam]] [[wikt:en:polliceor#Latin|polliceri]] non [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]]. **彼らは隣接する[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちをそそのかすこと、および金銭を約束することをやめない。 *Cum ab proximis [[wikt:en:impetro#Latin|impetrare]] non possent, [[wikt:en:ulterior#Latin|ulteriores]] [[wikt:en:tempto#Latin|temptant]]. **たとえ隣人たちによって(盟約を)成し遂げることができなくても、より向こう側の者たちに試みる。 :  *<!--❷-->[[wikt:en:inventus#Latin|Inventis]] [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullis]] civitatibus **少なからぬ部族国家を見出して *[[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] inter se [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmant]] **互いに誓約し合って(支持を)固め、 *obsidibusque de pecunia [[wikt:en:caveo#Latin|cavent]]; **金銭(の保証)のために人質たちを提供する。 *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] sibi [[wikt:en:societas#Latin|societate]] et [[wikt:en:foedus#Latin|foedere]] [[wikt:en:adiungo#Latin|adiungunt]]. **[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]を自分たちにとっての連合や同盟に加盟させる。 :  *<!--❸-->Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]] Caesar, **それらの事情を知るや、カエサルは、 *cum undique bellum [[wikt:en:paro#Latin|parari]] videret, **至る所で戦争が準備されていることを見ていたので、 *[[wikt:en:Nervii#Latin|Nervios]], [[wikt:en:Aduatuci#Latin|Atuatucos]] ac [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:adiunctus#Participle|adiunctis]] **(すなわち)[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]、アトゥアトゥキー族とメナピイー族を加盟させたうえに *<u>Cisrhenanis</u> omnibus <u>[[wikt:en:Germanus#Noun|Germanis]]</u> esse in armis, **レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>のこちら側のすべてのゲルマーニア人たちが武装していて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) は西岸部族の総称。<br>    ''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族) の対義語で、<br>     西岸の諸部族が東岸の諸部族を招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> *[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] ad [[wikt:en:imperatum#Latin|imperatum]] non venire **セノネース族は<small>(カエサルから)</small>命令されたことに従わずに *et cum [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]] finitimisque civitatibus consilia [[wikt:en:communico#Latin|communicare]], **カルヌーテース族および隣接する諸部族とともに謀計を共有しており、 *a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] crebris [[wikt:en:legatio#Latin|legationibus]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitari]], **ゲルマーニア人たちがたびたびトレーウェリー族の使節団によってそそのかされていたので、 *[[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] sibi de bello [[wikt:en:cogitandus#Latin|cogitandum]] [[wikt:en:puto#Latin|putavit]]. **<small>(カエサルは)</small>自分にとって<small>(例年)</small>より早めに戦争を計画するべきだと見なした。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===3節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2024-10-06}}</span> ;カエサルがネルウィイー族を降し、ガッリアの領袖たちの会合を召集する *<!--❶-->Itaque [[wikt:en:nondum#Latin|nondum]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]] **<small>(カエサルは)</small>こうして、まだ冬が終わらないうちに、 *proximis quattuor [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] legionibus **近隣の4個[[w:ローマ軍団|軍団]]を集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記_第5巻#52節|第5巻52節]]で言及されたように、カエサルは、本営を置いていた<br>    サマロブリーウァ(現在の[[w:アミアン|アミアン]])周辺の冬営に3個軍団、<br>    およびファビウスの軍団を配置していたと思われる。)</span> *[[wikt:en:de_improviso#Latin|de improviso]] in fines [[wikt:en:Nervii#Latin|Nerviorum]] [[wikt:en:contendo#Latin|contendit]] **不意に[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]の領土に急いだ。 :  *<!--❷-->et, [[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] illi aut [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] aut [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]] possent, **そして、彼ら<small>(の軍勢)</small>は、集結したり、あるいは逃亡したりできるより前に、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:captus#Latin|capto]] **家畜たちおよび人間たちの多数を捕らえて、 *atque ea [[wikt:en:praeda#Latin|praeda]] militibus [[wikt:en:concessus#Participle|concessa]] **それらの戦利品を兵士たちに譲り、 *[[wikt:en:vastatus#Latin|vastatis]]<nowiki>que</nowiki> agris **耕地を荒らして、 *in [[wikt:en:deditio#Latin|deditionem]] venire atque obsides sibi dare [[wikt:en:cogo#Latin|coegit]]. **<small>(ネルウィイー族に、ローマ勢へ)</small>降伏すること、人質たちを自分<small>〔カエサル〕</small>に供出することを強いた。 :  *<!--❸-->Eo celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] [[wikt:en:negotium#Latin|negotio]] **その戦役は速やかに成し遂げられたので、 *rursus in [[wikt:en:hibernum#Latin|hiberna]] legiones [[wikt:en:reduco#Latin|reduxit]]. **再び諸軍団を冬営に連れ戻した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:本営を置いていたサマロブリーウァ周辺の冬営。)</span> :  *'''ガッリアの領袖たちの会合''' *<!--❹-->[[wikt:en:concilium#Latin|Concilio]] Galliae primo [[wikt:en:ver#Latin|vere]], ut [[wikt:en:instituo#Latin|instituerat]], [[wikt:en:indictus#Participle|indicto]], **ガッリアの<small>(領袖たちの)</small>会合を、定めていたように、春の初めに通告すると、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:会合の集合場所は、当初は本営のあるサマロブリーウァだったであろう。)</span> *cum reliqui praeter [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]]<nowiki>que</nowiki> venissent, **[[w:セノネス族|セノネース族]]、カルヌーテース族とトレーウェリー族を除いて、ほかの者たちは(会合に)現われていたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ガッリア北部では、このほかエブローネース族とメナピイー族が参加していないはずである。)</span> *initium belli ac [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] hoc esse [[wikt:en:arbitratus#Latin|arbitratus]], **このこと<span style="color:#009900;">〔3部族の不参加〕</span>は戦争と背反の始まりであると思われて、 *ut omnia [[wikt:en:postpono#Latin|postponere]] videretur, **<small>(他の)</small>すべて<small>(の事柄)</small>を後回しにすることと見なされるように、 *[[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:Lutetia#Latin|Lutetiam]] [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisiorum]] [[wikt:en:transfero#Latin|transfert]]. **会合を[[w:パリシイ族|パリースィイー族]]の(城塞都市である)[[w:ルテティア|ルーテーティア]]に移す。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ルーテーティア Lutetia は、写本によってはルーテーキア Lutecia とも表記されている。<br>    ラテン語では Lutetia Parisiorum「パリースィイー族の泥土」と呼ばれ、現在の[[w:パリ|パリ市]]である。<br>    [[w:ストラボン|ストラボーン]]などによれば[[w:ケルト語|ケルト語]]でルコテキア Lukotekia と呼ばれていたらしい。)</span> :  ;   セノネース族について [[画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|thumb|right|200px|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)]] *<!--❺-->[[wikt:en:confinis#Latin|Confines]] erant hi [[wikt:en:Senones#Latin|Senonibus]] **彼ら<small>〔パリースィイー族〕</small>はセノネース族に隣接していて、 *civitatemque patrum memoria [[wikt:en:coniungo#Latin|coniunxerant]], **父祖の伝承では<small>(セノネース族と一つの)</small>部族として結びついていた。 *sed ab hoc consilio [[wikt:en:absum#Latin|afuisse]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabantur]]. **しかし<small>(パリースィイー族は)</small>これらの謀計には関与していなかったと考えられていた。 :  *<!--❻-->Hac re pro [[wikt:en:suggestus#Latin|suggestu]] [[wikt:en:pronuntiatus#Latin|pronuntiata]] **<small>(カエサルは)</small>この事を演壇の前で宣言すると、 *eodem die cum legionibus in [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **同日に諸軍団とともにセノネース族のところに出発して、 *magnisque itineribus eo [[wikt:en:pervenio#Latin|pervenit]]. **強行軍でもってそこに到着した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===4節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2024-10-09}}</span> ;セノネース族のアッコーが造反するが、カエサルはセノネース族とカルヌーテース族を降伏させる *<!--❶-->[[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]], **彼<small>〔カエサル〕</small>の到来を知ると、 *[[wikt:en:Acco#Latin|Acco]], qui princeps eius consilii fuerat, **その画策の首謀者であった<small>(セノネース族の)</small>'''アッコー''' は、 *[[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]] in oppida multitudinem [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]]. **群衆に諸[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に集結することを命じる。 :  *[[wikt:en:conans#Latin|Conantibus]], [[wikt:en:priusquam|prius quam]] id [[wikt:en:effici|effici]] posset, [[wikt:en:adsum#Latin|adesse]] Romanos [[wikt:en:nuntio#Verb|nuntiatur]]. **そのことが遂行され得るより前に、ローマ人が接近していることが、企てている者たちに報告される。 :  *<!--❷-->Necessario [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]] **<small>(セノネース族は)</small>やむなく<small>(カエサルへの謀反の)</small>意図を思いとどまって、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:necessario#Adverb|necessāriō]] = [[wikt:en:necessarie#Adverb|necessāriē]]「やむを得ず」)</span> *legatosque [[wikt:en:deprecor#Latin|deprecandi]] causa ad Caesarem mittunt; **<small>(恩赦を)</small>嘆願するために、使節たちをカエサルのもとへ遣わして、 *<u>adeunt</u> per [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduos]], quorum [[wikt:en:antiquitus|antiquitus]] erat in fide civitas. **部族国家が昔から<small>(ローマ人に対して)</small>忠実であった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を介して、頼み込む。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この部分は、セノネース族がハエドゥイー族の庇護下にあったように訳されることも多いが、<br>    [[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]における両部族とローマ人の関係の記述を考慮して、上のように訳した<ref>[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_6#4|英語版ウィキソース]]では「they make advances to him through the Aedui, whose state was from ancient times under the protection of Rome.」と英訳されている。</ref>。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:de:adire|adeō]]「(誰かに)アプローチする」「(誰かに)頼る、頼む、懇願する」<ref>[https://www.frag-caesar.de/lateinwoerterbuch/adeo-uebersetzung-1.html adeo-Übersetzung im Latein Wörterbuch]</ref>)</span> :  *<!--❸-->Libenter Caesar [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] dat [[wikt:en:venia#Latin|veniam]] **カエサルは、懇願するハエドゥイー族に対して、喜んで<small>(セノネース族への)</small>恩赦を与え、 *[[wikt:en:excusatio#Latin|excusationem]]<nowiki>que</nowiki> accipit, **<small>(セノネース族の)</small>弁解を受け入れる。 *quod [[wikt:en:aestivus#Latin|aestivum]] tempus [[wikt:en:instans#Latin|instantis]] belli, **というのは、夏の時季は差し迫っている<small>(エブローネース族らとの)</small>戦争のためのものであり、 *non [[wikt:en:quaestio#Latin|quaestionis]] esse [[wikt:en:arbitror#Latin|arbitrabatur]]. **<small>(謀反人に対する)</small>尋問のためのものではないと<small>(カエサルが)</small>判断していたからである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:エブローネース族との戦争が終わった後に、謀反人への尋問が行なわれることになる。[[#44節|44節]]参照。)</span> :  *<!--❹-->Obsidibus [[wikt:en:imperatus#Latin|imperatis]] centum, **<small>(カエサルは)</small>100人の人質<small>(の供出)</small>を命令すると、 *hos Haeduis [[wikt:en:custodiendus#Latin|custodiendos]] [[wikt:en:trado#Latin|tradit]]. **彼ら<small>〔人質たち〕</small>を監視するべく[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に引き渡す。 :  *<!--❺-->[[wikt:en:eodem#Adverb|Eodem]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] legatos obsidesque [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]], **ちょうどそこに、カルヌーテース族が使節たちと人質たちを遣わして、 *[[wikt:en:usus#Participle|usi]] [[wikt:en:deprecator#Latin|deprecatoribus]] [[wikt:en:Remi#Proper_noun_3|Remis]], quorum erant in [[wikt:en:clientela#Latin|clientela]]; **<small>(カルヌーテース族が)</small><ruby><rb>[[w:クリエンテス|庇護]]</rb><rp>(</rp><rt>クリエンテーラ</rt><rp>)</rp></ruby>を受ける関係にあったレーミー族を<ruby><rb>助命仲介者</rb><rp>(</rp><rt>デープレカートル</rt><rp>)</rp></ruby>として利用して、 *eadem ferunt [[wikt:en:responsum#Latin|responsa]]. **<small>(セノネース族のときと)</small>同じ返答を獲得する。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:perago#Latin|Peragit]] [[wikt:en:concilium#Noun|concilium]] Caesar **カエサルは<small>(ガッリア諸部族の領袖たちの)</small>会合を完了して、 *equitesque [[wikt:en:impero#Latin|imperat]] civitatibus. **[[w:騎兵|騎兵]]たち<small>(の供出)</small>を諸部族に命令する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===5節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2024-10-10}}</span> ;アンビオリークスへの策を練り、メナピイー族へ向かう *<!--❶-->Hac parte Galliae [[wikt:en:pacatus#Latin|pacata]], **ガッリアのこの方面が平定されたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#3節|3節]]~[[#4節|4節]]でネルウィイー族、セノネース族とカルヌーテース族がカエサルに降伏したことを指す。)</span> *totus et mente et animo in bellum [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] et [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigis]] [[wikt:en:insisto#Latin|insistit]]. **<small>(カエサルは)</small>全身全霊をかけて、トレーウェリー族と[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]との戦争に着手する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totus et [[wikt:en:mens#Latin|mente]] et [[wikt:en:animus#Latin|animo]] 「全身全霊をかけて」''with all his heart and soul'' )</span> :  *<!--❷-->[[wikt:en:Cavarinus#Latin|Cavarinum]] cum equitatu [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:secum#Latin|secum]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **カウァリーヌスに、セノネース族の[[w:騎兵|騎兵]]隊を伴って、自分<small>〔カエサル〕</small>とともに出発することを命じる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:de:Cavarinus|Cavarinus]]'' は、[[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]で前述のように、<br>    カエサルにより王位に据えられていたが、独立主義勢力により追放された。)</span> *ne [[wikt:en:aliquis#Latin|quis]] <u>aut</u> ex huius [[wikt:en:iracundia#Latin|iracundia]] <u>aut</u> ex eo, quod [[wikt:en:mereo#Latin|meruerat]], [[wikt:en:odium#Latin|odio]] civitatis [[wikt:en:motus#Noun_2|motus]] [[wikt:en:exsistat|exsistat]]. **彼の激しやすさから、<u>あるいは</u>彼が招来していた反感から、部族国家の何らかの動乱が起こらないようにである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節でアッコーら独立主義者たちがカエサルに降伏して、<br>    カウァリーヌスが王位に戻されたために、<br>    部族内で反感をかっていたのであろう。)</span> :  *<!--❸-->His rebus [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]], **これらの事柄が取り決められると、 *quod pro explorato habebat, [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] non esse <u>concertaturum</u>, **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が戦闘で激しく争うつもりではないことを、確実と見なしていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pro#Latin|pro]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorato]] = [[wikt:en:exploratus#Latin|exploratum]]「確かなものとして(''as certain'')」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系(A・Q)およびL・N写本では non esse <u>[[wikt:en:concertaturum|concertaturum]]</u>「激しくつもりではないこと」だが、<br>         &beta;系写本では non esse <u>[[wikt:en:contenturum|contenturum]]</u><br>         B・M・S写本では non esse <u>concertaturum [[wikt:en:tenturum|tenturum]]</u> となっている。)</span> *reliqua eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] animo [[wikt:en:circumspicio#Latin|circumspiciebat]]. **彼<small>〔アンビオリークス〕</small>のほかの計略に思いをめぐらせていた。 :  ;   カエサルがメナピイー族の攻略を決意 *<!--❹-->Erant [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] propinqui [[wikt:en:Eburones#Latin|Eburonum]] finibus, **メナピイー族は[[w:エブロネス族|エブローネース族]]の領土に隣り合っていて、 *[[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|muniti]], **絶え間ない沼地と森林によって守られており、 *qui uni ex Gallia de pace ad Caesarem legatos [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]. **彼らは[[w:ガリア|ガッリア]]のうちでカエサルのもとへ講和の使節たちを決して遣わさなかった唯一の者たちであった。 :  *Cum his esse [[wikt:en:hospitium#Latin|hospitium]] [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigi]] [[wikt:en:scio#Latin|sciebat]]; **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が彼らのもとで歓待されていることを知っていたし、 *item per [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venisse Germanis in [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitiam]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoverat]]. **同様にトレーウェリー族を通じて[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人と盟約を結んだことも探知していた。 :  *<!--❺-->Haec <u>prius</u> illi [[wikt:en:detrahendus#Latin|detrahenda]] auxilia [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]] <u>quam</u> ipsum bello [[wikt:en:lacesso#Latin|lacesseret]], **<ruby><rb>彼奴</rb><rp>(</rp><rt>あやつ</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔アンビオリークス〕</small>へのこれらの支援は、彼奴自身に戦争で挑みかかる<u>より前に</u>引き離されるべきだと考えていた。 *ne [[wikt:en:desperatus#Latin|desperata]] [[wikt:en:salus#Latin|salute]] **<small>(アンビオリークスが)</small>身の安全に絶望して、 *<u>aut</u> se in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:abdo#Latin|abderet]], **<u>あるいは</u>メナピイー族のところに身を隠したりしないように、 *<u>aut</u> cum [[wikt:en:Transrhenanus#Latin|Transrhenanis]] [[wikt:en:congredior#Latin|congredi]] [[wikt:en:cogo#Latin|cogeretur]]. **<u>あるいは</u>レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>の向こう側の者たちと合同することを強いられないように、である。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族)を<br>    ''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) が<br>    招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> :  *<!--❻-->Hoc [[wikt:en:initus#Participle|inito]] consilio, **この計略を決断すると、 *[[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] exercitus [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]] ad [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:mitto#Latin|mittit]] **<small>(カエサルは)</small>全軍の[[w:輜重|輜重]]を、トレーウェリー族のところにいる[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]のもとへ送り、 *duasque ad eum legiones [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]; **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に彼<small>〔ラビエーヌス〕</small>のもとへ出発することを命じる。 :  *ipse cum legionibus [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]] quinque in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身は軽装の5個軍団とともにメナピイー族のところに出発する。 :  *<!--❼-->Illi, [[wikt:en:nullus#Adjective|nulla]] [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]], **あの者らは、何ら手勢を集めず、 *loci [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] [[wikt:en:fretus#Adjective|freti]], **地勢の要害を信頼して、 *in [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:palus#Latin|paludes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:confugio#Latin|confugiunt]] **森林や沼地に避難して、 *[[wikt:en:suus#Latin|sua]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eodem#Adverb|eodem]] [[wikt:en:confero#Latin|conferunt]]. **自分たちの家財を同じところに運び集める。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===6節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2024-10-20}}</span> ;メナピイー族がついにカエサルの軍門に降る *<!--❶-->Caesar, **カエサルは、 *[[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] copiis cum [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaio]] [[wikt:en:Fabius#Latin|Fabio]] legato et [[wikt:en:Marcus#Latin|Marco]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crasso]] [[wikt:en:quaestor#Latin|quaestore]] **[[w:レガトゥス|副官]]である[[w:ガイウス・ファビウス|ガーイウス・ファビウス]]と[[w:クァエストル|財務官]]である[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス (財務官)|マールクス・クラッスス]]とともに軍勢を分配して、 *celeriterque [[wikt:en:effectus#Participle|effectis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]] **速やかに橋梁を造って、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:橋梁は軽装の軍団兵が沼地を渡るためのものなので、丸太道のようなものであろうか。)</span> *[[wikt:en:adeo#Verb|adit]] [[wikt:en:tripertito|tripertito]], **三方面から<small>(メナピイー族の領土に)</small>接近して、 [[画像:GallischeHoeve.jpg|thumb|right|200px|復元されたメナピイー族の住居(再掲)]] *[[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incendo#Latin|incendit]], **建物や村々を焼き討ちして、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:potior#Latin|potitur]]. **家畜や人間の多数を<small>(戦利品として)</small>獲得する。 :  *<!--❷-->Quibus rebus [[wikt:en:coactus#Participle|coacti]] **そのような事態に強いられて、 *[[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] legatos ad eum [[wikt:en:pax#Latin|pacis]] [[wikt:en:petendus#Latin|petendae]] causa [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]]. **メナピイー族は和平を求めるための使節たちを彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ遣わす。 :  *<!--❸-->Ille [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]], **彼<small>〔カエサル〕</small>は人質たちを受け取ると、 *hostium se [[wikt:en:habiturus#Latin|habiturum]] numero [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmat]], si aut [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] aut eius legatos finibus suis [[wikt:en:recipio#Latin|recepissent]]. **もし[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]か彼の使節を自領に迎え入れたら、自分は<small>(メナピイー族を)</small>敵として見なすだろうと断言する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:属格の名詞 + numero「〜として」) :  *<!--❹-->His [[wikt:en:confirmatus#Latin|confirmatis]] rebus, **これらの事柄を確立すると、 *[[wikt:en:Commius#Latin|Commium]] [[wikt:en:Atrebas#Latin|Atrebatem]] cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:custos#Latin|custodis]] loco in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] [[wikt:en:relinquo#Latin|relinquit]]; **アトレバーテース族である[[w:コンミウス|コンミウス]]を[[w:騎兵|騎兵]]隊とともに、目付け役として、メナピイー族のところに残す。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、カエサルがアトレバテース族の王にすえて、ブリタンニア遠征の先導役として遣わし、<br>    カッスィウェッラウヌスの降伏の仲介を</span>果たしていた。[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・27節や[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]などを参照。) *ipse in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身はトレーウェリー族のところに出発する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===7節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2024-10-27}}</span> [[画像:Titelberg_01.jpg|thumb|right|200px|トレーウェリー族の城砦跡(再掲)]] ;トレーウェリー族の開戦準備、ラビエーヌスの計略 *<!--❶-->Dum haec a Caesare [[wikt:en:gero#Latin|geruntur]], **これらのことがカエサルによって遂行されている間に、 *[[wikt:en:Treveri#Latin|Treveri]] magnis [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]] [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> copiis **トレーウェリー族は、[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の大軍勢を徴集して、 *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] cum una legione, quae in eorum finibus <u>[[wikt:en:hiemo#Latin|hiemaverat]]</u>, **彼らの領土において越冬していた1個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:hiemaverat|hiemaverat]] <small>(過去完了形)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:hiemabat|hiemabat]] <small>(未完了過去形)</small> などとなっている。)</span> *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] [[wikt:en:paro#Latin|parabant]], **襲撃することを準備していた。 :  *<!--❷-->iamque ab eo non longius [[wikt:en:biduum#Latin|bidui]] via [[wikt:en:absum#Verb|aberant]], **すでに、そこ<small>〔ラビエーヌスの冬営〕</small>から2日間の道のりより遠く離れていなかったが、 *cum duas venisse legiones [[wikt:en:missus#Noun_2|missu]] Caesaris [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscunt]]. **そのときに、カエサルが派遣した2個軍団が到着したことを知る。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]で既述のように、カエサルはラビエーヌスのところへ全軍の輜重と2個軍団を派遣していた。<br>    こうして、ラビエーヌスはローマ全軍の輜重と3個軍団を任されることになった。) :  *<!--❸-->[[wikt:en:positus#Latin|Positis]] <u>castris</u> a milibus passuum [[wikt:en:quindecim#Latin|quindecim]](XV) **<small>(トレーウェリー勢は、ラビエーヌスの冬営から)</small>15ローママイルのところに<u>野営地</u>を設置して、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、15マイルは約22 km)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:カストラ|カストラ]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] という語はローマ勢の行軍中の野営地や常設の宿営地に用いられ、<br>    非ローマ系部族の野営地に用いられることは稀である。)</span> *auxilia [[wikt:en:Germani#Latin|Germanorum]] [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituunt]]. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の援軍を待つことを決める。 :  *<!--❹-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] hostium [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]] consilio **ラビエーヌスは、敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>の計略を知ると、 *[[wikt:en:sperans#Latin|sperans]] [[wikt:en:temeritas#Latin|temeritate]] eorum [[wikt:en:fore#Etymology_2_2|fore]] [[wikt:en:aliqui#Latin|aliquam]] [[wikt:en:dimico#Latin|dimicandi]] facultatem, **彼らの無謀さにより何らかの争闘する機会が生ずるであろうと期待して、 *[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] quinque(V) cohortium [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:relictus#Latin|relicto]] **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の守備隊を[[w:輜重|輜重]]のために残し、 *cum XXV(viginti quinque) cohortibus magnoque [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatu]] contra hostem [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **25個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>および多勢の騎兵隊とともに、敵に抗して進発する。 *et mille passuum [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]] spatio castra [[wikt:en:communio#Latin|communit]]. **<small>(トレーウェリー勢から)</small>1ローママイルの間隔を置いて、[[w:カストラ|陣営]]<small>〔野営地〕</small>を固める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 km)</span> :  *<!--❺-->Erat inter [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] atque hostem [[wikt:en:difficilis#Latin|difficili]] [[wikt:en:transitus#Latin|transitu]] flumen [[wikt:en:ripa#Latin|ripis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:praeruptus#Adjective|praeruptis]]. **ラビエーヌスと敵の間には、渡ることが困難な川が、急峻な岸とともにあった。 *Hoc <u>neque</u> ipse [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] habebat in animo **これを<small>(ラビエーヌス)</small>自身は渡河するつもりではなかったし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ habeo in animo「~するつもりである」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~, neque …「~でもないし、…でもない」)</span> *<u>neque</u> hostes [[wikt:en:transiturus#Latin|transituros]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]]. **敵勢も渡河して来ないであろうと<small>(ラビエーヌスは)</small>考えていた。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:augeo#Latin|Augebatur]] auxiliorum [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] spes. **<small>(トレーウェリー勢にとって、ゲルマーニア人の)</small>援軍への期待は日ごとに増されるばかりであった。 *[[wikt:en:loquor#Latin|Loquitur]] <u>in consilio</u> [[wikt:en:palam#Adverb|palam]]: **<small>(ラビエーヌスは)</small>会議において公然と<small>(以下のように)</small>述べる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega;では in [[wikt:en:consilio|consilio]] だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]] は in [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] と修正提案し、<br>         Hecker は [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] と修正提案している。)</span> *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]] [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:dico#Latin|dicantur]], **ゲルマーニア人<small>(の軍勢)</small>が近づいていることが言われているので、 *sese suas exercitusque fortunas in [[wikt:en:dubium#Noun|dubium]] non [[wikt:en:devocaturus#Latin|devocaturum]] **自分は自らと軍隊の命運を不確実さの中に引きずり込むことはないであろうし、 *et postero die prima luce castra [[wikt:en:moturus#Latin|moturum]]. **翌日の夜明けには陣営を引き払うであろう。 :  *<!--❼-->Celeriter haec ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]], **これら<small>(のラビエーヌスの発言)</small>は速やかに敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>のもとへ報じられたので、 *ut ex magno Gallorum equitum numero [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullos]] <u>Gallos</u> [[wikt:en:gallicus#Latin|Gallicis]] rebus [[wikt:en:faveo#Latin|favere]] natura [[wikt:en:cogo#Latin|cogebat]]. **ガッリア人の境遇を想う気質が、<small>(ローマ側)</small>ガッリア人騎兵の多数のうちの若干名を励ましていたほどである。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallos]] は &alpha;系写本の記述で、&beta;系写本では欠く。)</span> :  *<!--❽-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], noctu tribunis militum primisque ordinibus <u>convocatis</u>, **ラビエーヌスは、夜間に<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちと第一序列(の[[w:ケントゥリオ|百人隊長]])たちを召集すると、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1個軍団当たりの<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby> の定員は計6名。<br>    第一序列の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たち primorum ordinum centuriones は、軍団内における[[w:下士官|下士官]]のトップであり、<br>     第一<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> においては定員5名だが、<br>     ほかの歩兵大隊においては定員6名であった。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] などとなっている。)</span> *quid sui sit consilii, [[wikt:en:propono#Latin|proponit]] **自分の計略がいかなるものであるかを呈示して、 *et, quo facilius hostibus [[wikt:en:timor#Latin|timoris]] [[wikt:en:det#Latin|det]] [[wikt:en:suspicio#Noun|suspicionem]], **それ<small>〔計略〕</small>によって、よりたやすく敵勢に<small>(ローマ勢の)</small>恐怖心という推測を起こすべく、 *maiore [[wikt:en:strepitus#Latin|strepitu]] et [[wikt:en:tumultus#Latin|tumultu]], quam populi Romani fert [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudo]] **ローマ国民の習慣が引き起こすよりもより大きな騒音や喧騒をもって *castra [[wikt:en:moveo#Latin|moveri]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]. **陣営を引き払うことを命じる。 *His rebus fugae [[wikt:en:similis#Latin|similem]] [[wikt:en:profectio#Latin|profectionem]] [[wikt:en:efficio#Latin|effecit]]. **<small>(ラビエーヌスは)</small>これらの事によって、逃亡に似た進発を実現した。 :  *<!--❾-->Haec quoque per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] **これらのこともまた、<small>(トレーウェリー勢の)</small>斥候たちを通じて、 *ante [[wikt:en:lux#Latin|lucem]] in tanta [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitate]] castrorum ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]]. **夜明け前には、陣営のこれほどの近さにより、敵勢へ報じられる。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===8節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2024-10-28}}</span> ;ラビエーヌスがトレーウェリー族を降す :  ;   トレーウェリー勢が、渡河してラビエーヌスの軍勢に攻めかかろうとする *<!--❶-->[[wikt:en:vix#Latin|Vix]] [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:novissimus#Latin|novissimum]] extra [[wikt:en:munitio#Latin|munitiones]] [[wikt:en:procedo#Latin|processerat]], **<small>(ローマ勢の)</small>行軍隊列の最後尾が防塁の外側にほぼ進み出ようとしていた、 *cum Galli [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortati]] inter se, ne [[wikt:en:speratus#Latin|speratam]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] ex manibus [[wikt:en:dimitto#Latin|dimitterent]] **そのときにガッリア人たちは、期待していた戦利品を<small>(彼らの)</small>手から逸しないように、互いに鼓舞し合って、 *── longum esse, [[wikt:en:perterritus#Latin|perterritis]] Romanis [[wikt:en:Germani#Proper_noun|Germanorum]] auxilium [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]]; **── ローマ人が<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ているのに、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の支援を待つことは悠長なものである。 *neque suam [[wikt:en:patior#Latin|pati]] [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitatem]], **<small>(以下のことは)</small>自分たちの尊厳が耐えられない。 *ut [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] copiis [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:exiguus#Latin|exiguam]] manum, praesertim [[wikt:en:fugiens#Latin|fugientem]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impeditam]], **これほどの大軍勢で<small>(ローマの)</small>それほどの貧弱な手勢を、特に逃げ出して<small>(荷物で)</small>妨げられている者たちを *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] non [[wikt:en:audeo#Latin|audeant]] ── **あえて襲撃しないとは──<small>(と鼓舞し合って)</small> *flumen [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] et iniquo loco [[wikt:en:committo#Latin|committere]] proelium non [[wikt:en:dubito#Latin|dubitant]]. **川を渡って<small>(切り立った岸を登りながら)</small>不利な場所で交戦することをためらわない。 :  ;   ラビエーヌス勢が怖気を装いながら、そろりそろりと進む *<!--❷-->Quae fore [[wikt:en:suspicatus#Latin|suspicatus]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], **こうしたことが生じるであろうと想像していた[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、 *ut omnes citra flumen [[wikt:en:elicio#Latin|eliceret]], **<small>(敵の)</small>総勢を川のこちら側に誘い出すように、 *[[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:usus#Participle|usus]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] itineris **行軍の同じ見せかけを用いて、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で語られたように、<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>て今にも逃げ出しそうな風に装いながらの行軍。)</span> *[[wikt:en:placide#Adverb|placide]] [[wikt:en:progredior#Latin|progrediebatur]]. **穏やかに前進していた。 :  ;   ラビエーヌスが全軍の兵を叱咤激励する *<!--❸-->Tum [[wikt:en:praemissus#Latin|praemissis]] paulum impedimentis **それから、[[w:輜重|輜重]]<small>(の隊列)</small>を少し先に遣わして、 *atque in [[wikt:en:tumulus#Latin|tumulo]] [[wikt:en:quidam#Adjective|quodam]] [[wikt:en:collocatus#Latin|conlocatis]], **とある高台に配置すると、 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>&nbsp;[[wikt:en:habetis|Habetis]],<span style="color:#009900;">»</span></span> [[wikt:en:inquam#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>milites, quam [[wikt:en:petistis|petistis]], [[wikt:en:facultas#Latin|facultatem]]; </span> **<small>(ラビエーヌスは)</small>「兵士らよ、<small>(諸君は)</small>求めていた機会を得たぞ」と言った。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">&nbsp;<span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span>&nbsp;</span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span> *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">hostem [[wikt:en:impeditus#Latin|impedito]] atque [[wikt:en:iniquus#Latin|iniquo]] loco [[wikt:en:tenetis|tenetis]]: </span> **「<small>(諸君は)</small>敵を<small>(川岸で)</small>妨げられた不利な場所に追いやった。」 *<!--❹--><!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">[[wikt:en:praestate|praestate]] eandem nobis [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]] [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]], quam saepe numero [[wikt:en:imperator#Latin|imperatori]] [[wikt:en:praestitistis|praestitistis]], </span> **「我々<ruby><rb>将帥</rb><rp>(</rp><rt>ドゥクス</rt><rp>)</rp></ruby>らに、<small>(諸君が)</small>しばしば<ruby><rb>将軍</rb><rp>(</rp><rt>インペラートル</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔カエサル〕</small>に見せて来たのと同じ武勇を見せてくれ。」 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">atque illum adesse et haec [[wikt:en:coram#Adverb|coram]] [[wikt:en:cerno#Latin|cernere]] [[wikt:en:existimate|existimate]].<span style="color:#009900;">»</span></span> **「彼<small>〔カエサル〕</small>が訪れて、これ<small>〔武勇〕</small>を目の前で見ていると思ってくれ。」 :  ;   ラビエーヌスが軍を反転させて攻撃態勢を整える *<!--❺-->Simul signa ad hostem [[wikt:en:converto#Latin|converti]] aciemque [[wikt:en:dirigo#Latin|dirigi]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **同時に、軍旗が敵の方へ向きを変えられることと、戦列が整えられること、を命じる。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:軍勢が敵側へ向けて反転して、戦列を整えること、を命じた。)</span> [[画像:Pilensalve.jpg|thumb|right|250px|[[w:ピルム|ピールム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演]] *et paucis [[wikt:en:turma#Latin|turmis]] praesidio ad impedimenta [[wikt:en:dimissus#Latin|dimissis]], **かつ若干の<ruby><rb>[[w:トゥルマ|騎兵小隊]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を輜重のための守備隊として送り出して、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:騎兵小隊 turma はローマ軍の<br>    [[w:アウクシリア|支援軍]]における中規模の編成単位で、<br>    各30騎ほどと考えられている。)</span> *reliquos equites ad latera [[wikt:en:dispono#Latin|disponit]]. **残りの[[w:騎兵|騎兵]]たちを<small>(軍勢の)</small>両側面へ分置する。 :  ;   ラビエーヌス勢が喊声を上げて、投げ槍を投げ始める *<!--❻-->Celeriter nostri, clamore [[wikt:en:sublatus#Latin|sublato]], [[wikt:en:pilum#Latin|pila]] in hostes [[wikt:en:inmitto#Latin|inmittunt]]. **我が方<small>〔ローマ勢〕</small>は、雄叫びを上げると、速やかに<ruby><rb>[[w:ピルム|投げ槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピールム</rt><rp>)</rp></ruby>を敵勢へ放り入れる。 :  ;   不意を突かれたトレーウェリー勢が、一目散に逃げ出して、最寄りの森林を目指す *Illi, ubi [[wikt:en:praeter#Latin|praeter]] spem, quos <span style="color:#009900;">&lt;modo&gt;</span> [[wikt:en:fugio#Latin|fugere]] [[wikt:en:credo#Latin|credebant]], [[wikt:en:infestus#Latin|infestis]] signis ad se ire viderunt, **<span style="font-size:11pt;">彼らは、期待に反して、<span style="color:#009900;">&lt;ただ&gt;</span>逃げていると信じていた者たちが、軍旗を攻勢にして自分らの方へ来るのを見るや否や、</span> *[[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] <u>modo</u> ferre non potuerunt **<small>(ローマ勢の)</small>突撃を持ちこたえることができずに、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部 modo は主要写本&omega;ではこの位置にあるが、<br>    上記の &lt;modo&gt; に移す修正提案がある。)</span> *ac primo [[wikt:en:concursus#Noun|concursu]] in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]] **最初の猛攻で敗走に追い込まれて、 *proximas silvas [[wikt:en:peto#Latin|petierunt]]. **近隣の森を目指した。 :  ;   ラビエーヌス勢が、トレーウェリー勢の多数を死傷させ、部族国家を奪回する *<!--❼-->Quos [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] equitatu [[wikt:en:consectatus#Latin|consectatus]], **<small>(敗走した)</small>その者たちを、ラビエーヌスは騎兵隊で追撃して、 *magno numero [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecto]], **多数の者を<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>して、 *compluribus [[wikt:en:captus#Latin|captis]], **かなりの者たちを捕らえて、 *paucis post diebus civitatem recepit. **数日後に<small>(トレーウェリーの)</small>部族国家を<small>(蜂起の前の状態に)</small>戻した。 :  [[画像:Bund-ro-altburg.jpg|thumb|right|180px|トレーウェリー族の再現された住居(再掲)]] [[画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|thumb|right|180px|トレーウェリー族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡]] ;   ゲルマーニア人の援軍が故国へ引き返す *Nam [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]], qui auxilio veniebant, **なぜなら、援軍として来ようとしていたゲルマーニア人たちは、 *[[wikt:en:perceptus#Latin|percepta]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] fuga **トレーウェリー族の敗走を把握したので、 *sese [[wikt:en:domus#Latin|domum]] <u>receperunt</u>. **故国に撤退していった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:receperunt|receperunt]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:contulerunt|contulerunt]] となっている。)</span> :  ;   インドゥーティオマールスの残党がゲルマーニアへ出奔する *<!--❽-->Cum his [[wikt:en:propinquus#Latin|propinqui]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomari]], **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>とともに、インドゥーティオマールスの縁者たちは、 *qui [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] [[wikt:en:auctor#Latin|auctores]] fuerant, **その者らは<small>(トレーウェリー族におけるカエサルへの)</small>謀反の張本人であったが、 *[[wikt:en:comitatus#Participle|comitati]] eos ex civitate [[wikt:en:excedo#Latin|excesserunt]]. **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>を伴って、部族国家から出て行った。 :  ;   カエサルとローマに忠節なキンゲトリークスに、部族の統治権が託される *<!--❾-->[[wikt:en:Cingetorix#Latin|Cingetorigi]], **キンゲトリークスに対しては、 *quem ab initio [[wikt:en:permaneo#Latin|permansisse]] in [[wikt:en:officium#Latin|officio]] [[wikt:en:demonstravimus|demonstravimus]], **──その者が当初から<small>(ローマへの)</small>忠義に留まり続けたことは前述したが── **:<span style="color:#009900;">(訳注:キンゲトリークスについては、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]~4節・[[ガリア戦記 第5巻#56節|56節]]~57節で述べられている。)</span> *[[wikt:en:principatus#Latin|principatus]] atque [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]] est traditum. **首長の地位と支配権が託された。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <span style="font-size:11pt;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==第二次ゲルマーニア遠征== ===9節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2024-11-06}}</span> ;再びレーヌスを渡河、ウビイー族を調べる *<!--❶-->Caesar, [[wikt:en:postquam#Latin|postquam]] ex [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venit, **カエサルは、メナピイー族のところからトレーウェリー族のところに来た後で、 *duabus de causis [[wikt:en:Rhenus#Latin|Rhenum]] [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituit]]; **二つの理由からレーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>を渡ることを決めた。 :  *<!--❷-->quarum una erat, quod <span style="color:#009900;">&lt;Germani&gt;</span> auxilia contra se [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]; **その<small></small>(理由の)一つは、<span style="color:#009900;">&lt;ゲルマーニア人が&gt;</span>自分<small>〔カエサル〕</small>に対抗して、トレーウェリー族に援軍を派遣していたことであった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:&lt;Germani&gt; は、主要写本&omega;にはなく、[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Hotomanus|Hotomanus]] による挿入提案。)</span> *<span style="color:#009900;">(quarum)</span> altera <span style="color:#009900;">(erat)</span>, ne ad eos [[wikt:en:|Ambiorix]] [[wikt:en:receptus#Noun|receptum]] haberet. **もう一つ<small></small>(の理由)は、彼らのもとへ[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が避難所を持たないように、ということであった。 :  [[画像:Caesar's Rhine Crossing.jpg|thumb|right|250px|カエサルがライン川に橋を架けたとされる有力な地点の図示。ライン川と[[w:モーゼル川|モーゼル川]]の合流点にある[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[w:en:Koblenz|Koblenz]])と下流の[[w:アンダーナッハ|アンダーナッハ]]([[w:en:Andernach|Andernach]])との間の[[w:ノイヴィート|ノイヴィート]]([[w:en:Neuwied|Neuwied]])辺りが有力な地点の一つとされる。'''([[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図を再掲)''']] *<!--❸-->His [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] rebus, **これらの事柄を決定すると、 *[[wikt:en:paulum#Adverb|paulum]] supra eum locum, [[wikt:en:quo#Adverb|quo]] ante exercitum [[wikt:en:traduco#Latin|traduxerat]], **<u>以前に軍隊を渡らせていた場所</u>の少し上流に、 *facere [[wikt:en:pons#Latin|pontem]] [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]. **橋を造ることを決意する。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]] でカエサルが[[w:ライン川|ライン川]]に架橋した場所のこと。<br>    第4巻の'''[[ガリア戦記_第4巻#コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」|コラム]]''' や [[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図で説明したように、<br>    カエサルの最初の架橋地点には異論もあるが、<br>    今回の架橋地点がトレーウェリー族領であった<br>    [[w:モーゼル川|モーゼル川]]渓谷から近かったであろうことから有力視される。)</span> :  *<!--❹-->Nota atque instituta ratione, **経験しかつ建造していた方法で、 *magno militum studio **兵士の大きな熱意により *paucis diebus opus efficitur. **わずかな日数で作業が完遂された。 :  *<!--❺-->Firmo in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] ad pontem praesidio relicto, **トレーウェリー族(の領内)の橋のたもとへ強力な守備隊を残した。 *ne quis ab his subito motus <u>oreretur</u>, **彼らによる何らかの動乱が突然に起こされないように。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・&rho;系写本では [[wikt:en:oreretur|oreretur]]、<br>         &phi;系・&pi;系写本では [[wikt:en:oriretur|oriretur]] だが、語形の相異。)</span> *reliquas copias equitatumque traducit. **残りの軍勢と騎兵隊を(レーヌスの東岸へ)渡らせた。 :  *<!--❻-->Ubii, qui ante obsides dederant atque in deditionem venerant, **ウビイー族は、以前に(カエサルに対して)人質たちを供出していて、降伏していたが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この事はすでに[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]で述べられている。)</span> *<u>purgandi sui</u> causa ad eum legatos mittunt, **自分たちの申し開きをすることのために、彼(カエサル)のところへ使節たちを遣わして、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:purgandi|purgandi]] [[wikt:en:sui#Pronoun|sui]] だが、<br>         &beta;系写本では purgandi のみ。)</span> *qui doceant, **(以下のように)説かせた。 *neque <u>auxilia ex sua civitate</u> in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] missa **自分たちの部族から援軍をトレーウェリー族のところに派遣してもいないし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・M・S写本では [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] ex sua [[wikt:en:civitate|civitate]]、<br>         L・N・&beta;系写本では ex sua civitate auxilia の語順になっている。)</span> *neque ab se fidem laesam: **自分らにより(ローマへの)信義を傷つけてもいない、と。 :  *<!--❼-->petunt atque orant, **(ウビイー族の使節たちは、以下のように)求め、かつ願った。 *ut sibi parcat, **自分たちを容赦し、 *ne communi odio Germanorum innocentes pro nocentibus poenas pendant; **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人一般への憎しみから、潔白な者たちが加害者たちのために罰を償うことがないように、と。 *si amplius obsidum <u>vellet, dare</u> pollicentur. **もし、より多くの人質を欲するのなら、供出することを約束する、と。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]] <small>(未完了過去・接続法)</small> [[wikt:en:dare#Latin|dare]] <small>(現在・能動・不定)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:velit#Latin|velit]] <small>(現在・接続法)</small> [[wikt:en:dari#Latin|dari]] <small>(現在・受動・不定法)</small> となっている。)</span> :  *<!--❽-->Cognita Caesar causa **カエサルは事情を調査して、 *<u>repperit</u> ab Suebis auxilia missa esse; **スエービー族により(トレーウェリー族に)援軍が派遣されていたことを見出した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:repperit|repperit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         近世以降の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.]] では [[wikt:en:reperit|reperit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> :  *Ubiorum satisfactionem <u>accepit</u>, **ウビイー族の弁解を受け入れて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:accepit|accepit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Davisius|Davisius]] の修正提案では [[wikt:en:accipit|accipit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> *aditus viasque in Suebos perquirit. **スエービー族のところに出入りする道筋を問い質した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===10節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2024-11-16}}</span> ;ウビイー族を通じてスエービー族の動静を探る *<!--❶-->Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior, **わずかな日々の後の間に、ウビイー族によって報告されたことには、 *Suebos omnes in unum locum copias cogere **スエービー族は、すべての軍勢を一か所に集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後述するように、これはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] のことであろう。)</span> *atque iis nationibus, quae sub eorum sint imperio, **彼らの支配下にある種族たちに *denuntiare, ut auxilia peditatus equitatusque mittant. **[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の援軍を派遣するように指示した。 :  *<!--❷-->His cognitis rebus, **<small>(カエサルは)</small>これらの事情を知ると、 *rem frumentariam providet, **糧食調達を準備して、 *castris idoneum locum deligit; **[[w:カストラ|陣営]]<small>(を設置するの)</small>に適切な場所を選んだ。 *Ubiis imperat, ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, **ウビイー族には、家畜を連れ去り、自分たちの一切合財を土地から[[w:オッピドゥム|城市]]に運び集めるように命令した。 *sperans barbaros atque imperitos homines **<small>(カエサルが)</small>期待したのは、野蛮で無知な連中が *inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; **糧秣の欠乏に動かされて、不都合な条件のもとで戦うことがあり得るように誘引されることであった。 :  *<!--❸-->mandat, ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. **偵察者たちをたびたびスエービー族内に遣わして、彼らのもとで遂行されていることを知るように<small>(ウビイー族に)</small>委ねた。 :  *<!--❹-->Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: **彼ら<small>〔ウビイー族〕</small>は、命令されたことを実行して、わずかな日々を間に置いて(以下のことを)報告する。 *Suebos omnes, posteaquam certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, **スエービー族は皆、ローマ人の軍隊についてより確実な報告がもたらされた後で、 *cum omnibus suis sociorumque copiis, quas coegissent, **自分たちの軍勢と集結していた同盟者たちの軍勢とともに、 *penitus ad extremos fines se recepisse; **領土の最も遠い奥深くまで撤退していた。 :  *<!--❺-->silvam esse ibi infinita magnitudine, quae appellatur <u>Bacenis</u>; **そこには、'''バケーニス'''と呼ばれている限りない大きさの森林がある。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:バケーニス [[wikt:en:Bacenis#Latin|Băcēnis]] は、ギリシア語で Βακέννη とも表記されるが、どこなのかは諸説ある。<br>     ①ドイツ西部[[w:ヘッセン州|ヘッセン州]]にあったブコニアの森 ''[[w:de:Buchonia|Buchonia]]; [[w:fr:Forêt de Buconia|Buconia]]'' は有力。<br>     ②ドイツの奥地・中東部の[[w:テューリンゲン州|テューリンゲン州]]にある[[w:テューリンゲンの森|テューリンゲンの森]]という説<ref>[[s:de:RE:Bacenis silva]], [[wikt:de:Bacenis]] 等を参照。</ref><br>     ③ドイツ西部[[w:ラインラント=プファルツ州|ラインラント=プファルツ州]]ライン川沿岸のニールシュタイン [[w:en:Nierstein|Nierstein]] 説、<br>    などがある。史実としてスエービーという部族連合が居住していたのはテューリンゲンであろうが、<br>    ライン川からはあまりにも遠すぎる。)</span> *hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam **これは、はるか内陸に及んでいて、天然の防壁として横たわっており、 *[[wikt:en:Cheruscos|Cheruscos]] ab Suebis Suebosque ab [[wikt:en:Cheruscis|Cheruscis]] iniuriis incursionibusque prohibere: **ケールスキー族をスエービー族から、スエービー族をケールスキー族から、無法行為や襲撃から防いでいる。 *ad eius initium silvae Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. **その森の始まりのところで、スエービー族はローマ人の到来を待ち構えることを決定した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」=== [[画像:Hermann (Arminius) at the battle of the Teutoburg Forest in 9 CE by Peter Jannsen, 1873, with painting creases and damage removed.jpg|thumb|right|250px|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)で戦う、ゲルマーニア軍とローマ軍(Johann Peter Theodor Janssen画、1870~1873年頃)。中央上の人物はケールスキー族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]。<br>アルミニウスが率いるケールスキー族・カッティー族らゲルマーニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。]] <br> <div style="background:#ecf;">  '''スエービー族とカッティー族'''</div> :『ガリア戦記』では、第1巻・第4巻および第6巻でたびたび[[w:スエビ族|スエービー族]]の名が言及される。タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の38章「スエービー」などを参照。</ref>など多くの史家が伝えるようにスエービー族 [[wikt:en:Suebi#Latin|Suēbī]] またはスエウィ族 Suēvī とは、単一の部族名ではなく、多くの独立した部族国家から構成される連合体の総称とされる。 :19世紀のローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]によれば<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、のp.201, p.224, p.232などを参照。</ref>、カエサルの時代のローマ人には 「スエービー」とは遊牧民を指す一般的な呼称で、カエサルがスエービーと呼ぶのはカッティー族だという。 :カッティー族とスエービー系諸部族の異同は明確ではないが、多くの史家は両者を区別して伝えている。 : 第1巻37節・51節・53節~54節、第4巻1節~4節・7節などで言及され、「百の郷を持つ」と されている「スエービー族」は、スエービー系諸部族の総称、あるいは遊牧系の部族を指すのであろう。 : 他方、第4巻16節・19節・第6巻9節~10節・29節で、ウビイー族を圧迫する存在として言及される :「スエービー族」はモムゼンの指摘のように、カッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] であることが考えられる。 :タキトゥス著『ゲルマーニア』<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の36章「ケルスキー」などを参照。</ref>でも、カッティー族はケールスキー族と隣接する宿敵として描写され、本節の説明に合致する。 <div style="background:#ecf;">  '''ケールスキー族'''</div> :ケールスキー族は、『ガリア戦記』では[[#10節|本節]]でカッティー族と隣接する部族として名を挙げられる :のみである。しかしながら、本巻の年(BC53年)から61年後(AD9年)には、帝政ローマの :[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]がゲルマーニアに派遣していたプブリウス・クィンクティリウス・ウァルス :([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Publius Quinctilius Varus]])が率いるローマ軍3個軍団に対して、名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]を :指導者とするケールスキー族は、カッティー族ら諸部族の同盟軍を組織して、ウァルスの3個軍団を :[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]において壊滅させ、老帝アウグストゥスを嘆かせたという。 <div style="background:#ecf;">  '''ウビイー族'''</div> :ウビイー族は『ガリア戦記』の第4巻・第6巻でも説明されているように、ローマ人への忠節を :認められていた。そのため、タキトゥスによれば<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の28章などを参照。</ref>、ゲルマニアへのローマ人の守りとして :BC38年頃にレヌス(ライン川)左岸のコロニア([[w:la:Colonia_Agrippina|Colonia]];植民市)すなわち現在の[[w:ケルン|ケルン市]]に移された。) </div> ==ガッリア人の社会と風習について== <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」=== [[画像:Testa di saggio o principe, forse il filosofo poseidonio, 50 ac. ca 01.JPG|thumb|right|200px|アパメアの[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]の胸像。地中海世界やガッリアなどを広く訪れて、膨大な著作を残した。<br>『ガリア戦記』の地誌・民族誌的な説明も、その多くを彼の著作に依拠していると考えられている。]] :これ以降、11節~20節の10節にわたってガッリアの地誌・民族誌的な説明が展開され、さらには、ゲルマーニアの地誌・民族誌的な説明などが21節~28節の8節にわたって続く。ガッリア戦争の背景説明となるこのような地誌・民族誌は、本来ならば第1巻の冒頭に置かれてもおかしくはない。しかしながら、この第6巻の年(BC53年)は、カエサル指揮下のローマ勢にとってはよほど書かれるべき戦果が上がらなかったためか、ガッリア北部の平定とエブロネス族の追討戦だけでは非常に短い巻となってしまうため、このような位置に置いたとも考えられる。ゲルマーニアの森にどんな獣が住んでいるかなど、本筋にほとんど影響のないと思われる記述も見られる。 :『ガリア戦記』におけるガッリアの地誌・民族誌的な説明、特にこの11節以降の部分は、文化史的に重要なものと見なされ、考古学やケルトの伝承などからも裏付けられる。しかし、これらの記述はカエサル自身が見聞したというよりも、むしろ先人の記述、とりわけBC2~1世紀のギリシア哲学ストア派の哲学者・地理学者・歴史学者であった[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]([[w:la:Posidonius Apameus|Posidonius Apameus]])の著作に依拠していたと考えられている<ref>『ケルト事典』ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、創元社の「ポセイドニオス」「カエサル」の項を参照。</ref> <ref>『ケルト人』ヴァンセスラス・クルータ([[w:fr:Venceslas Kruta|Venceslas Kruta]])著、鶴岡真弓訳、白水社 のp.20-21を参照。</ref>。ポセイドニオスは、ローマが支配する地中海世界やガッリア地域などを広く旅行した。彼の52巻からなる膨大な歴史書は現存しないが、その第23巻にガッリアに関する詳細な記述があったとされ、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、[[w:ストラボン|ストラボン]]、[[w:アテナイオス|アテナイオス]]らによって引用され、同時代および近代のケルト人観に多大な影響を与えたと考えられている。 :現存するガッリアの地誌・民族誌は、ストラボン<ref>『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』ストラボン著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ディオドロス<ref>『神代地誌』ディオドロス著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>『世界地理』ポンポニウス・メラ著、飯尾都人訳(上掲『神代地誌』に所収)</ref>のものなどがある。現存するゲルマーニアの地誌・民族誌は、ストラボン、タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫などを参照。</ref>、ポンポニウス・メラなどのものがある。 </div> ===11節=== '''ガッリア人の派閥性''' *① Quoniam ad hunc locum perventum est, **この地(ゲルマーニア)にまで到達したので、 *non alienum esse videtur de Galliae Germaniaeque moribus et, quo differant hae nationes inter sese proponere. **[[w:ガリア|ガッリア]]と[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]の風習について、これらの種族が互いにどのように異なるか述べることは不適切でないと思われる。 *② In Gallia non solum in omnibus civitatibus atque in omnibus <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagis]]</u> partibusque, **ガッリアにおいては、すべての部族において、さらにすべての<u>郷</u>や地方においてのみならず、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span> *sed paene etiam in singulis domibus factiones sunt, **ほとんどの個々の氏族においてさえも、派閥があり、 *earumque factionum principes sunt, **それらの派閥には、領袖がいる。 *③ qui summam auctoritatem eorum iudicio habere existimantur, **その者(領袖)らは、彼ら(派閥)の判断に対して、最高の影響力を持っていると考えられている。 *quorum ad arbitrium iudiciumque summa omnium rerum consiliorumque redeat. **すべての事柄と協議は結局のところ、その者(領袖)らの裁量や判断へ帰する。 *④ Idque eius rei causa antiquitus institutum videtur, **それは、それらの事柄のために昔から取り決められたものと見られ、 *ne quis ex plebe contra potentiorem auxilii egeret: **平民のある者が、より権力のある者に対して、援助を欠くことがないように、ということである。 *suos enim quisque opprimi et circumveniri non patitur, **すなわち(領袖たちの)誰も、身内の者たちが抑圧されたり欺かれたりすることを容認しない。 *neque, aliter si faciat, ullam inter suos habet auctoritatem. **もし(領袖が)そうでなくふるまったならば、身内の者たちの間で何ら影響力を持てない。 *⑤ Haec eadem ratio est in summa totius Galliae; **これと同じ理屈が、ガッリア全体の究極において存在する。 *namque omnes civitates in partes divisae sunt duas. **すなわち、すべての部族が二つの党派に分けられているのである。 ===12節=== '''ハエドゥイ族、セクァニ族、レミ族の覇権争い''' *① Cum Caesar in Galliam venit, **カエサルがガッリアに来たときに、 *alterius factionis principes erant Haedui, alterius Sequani. **(二つの)派閥の一方の盟主は[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]であり、他方は[[w:セクァニ族|セクァニ族]]であった。 **:(訳注:第1巻31節の記述によれば、ハエドゥイ族と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]がそれぞれの盟主であった。 **:カエサルが本節でアルウェルニ族の名を伏せている理由は不明である。 **:また、[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.330)</ref>、ハエドゥイ族とセクァニ族の敵対関係においては、 **:両部族を隔てるアラル川の水利権(川舟の通行税)をめぐる争いが敵意を助長していたという。) *② Hi cum per se minus valerent, **後者(セクァニ族)は自力ではあまり優勢ではなかったので、 *quod summa auctoritas antiquitus erat in Haeduis **というのは、昔から最大の影響力はハエドゥイ族にあって、 *magnaeque eorum erant clientelae, **彼ら(ハエドゥイ族)には多くの庇護民があったからであるが、 *Germanos atque Ariovistum sibi adiunxerant **[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人と[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]を自分たちに会盟させ、 *eosque ad se magnis iacturis pollicitationibusque perduxerant. **多くの負担と約束で 彼らを自分たちのところに引き入れた。 *③ Proeliis vero compluribus factis secundis **実にいくつもの戦闘を順調に行なって、 *atque omni nobilitate Haeduorum interfecta **ハエドゥイ族のすべての高貴な者たちを殺害して、 *tantum potentia antecesserant, **かなりの勢力で抜きん出たので、 *④ ut magnam partem clientium ab Haeduis ad se traducerent **結果として、ハエドゥイ族から庇護民の大部分を自分たちへ味方に付けて、 *obsidesque ab iis principum filios acciperent **彼らから領袖の息子たちを人質として受け取り、 *et publice iurare cogerent nihil se contra Sequanos consilii inituros, **自分たち(ハエドゥイ族)がセクァニ族に対して何ら謀計を始めるつもりではない、と公に誓うことを強いて、 *et partem finitimi agri per vim occupatam possiderent **近隣の土地の一部を力ずくで占領して所有地とした。 *Galliaeque totius principatum obtinerent. **ガッリア全体の指導権を手に入れた。 *⑤ Qua necessitate adductus **それにより、やむを得ずに動かされて、 *Diviciacus auxilii petendi causa Romam ad senatum profectus infecta re redierat. **[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]は支援を求めるために[[w:ローマ|ローマ市]]に元老院のところへ赴いたが、事を成就せずに帰った。 *⑥ Adventu Caesaris facta commutatione rerum, **カエサルの到来で事態の変化がなされて、 *obsidibus Haeduis redditis, **ハエドゥイ族の人質たちは戻されて、 *veteribus clientelis restitutis, **昔からの庇護民が復帰して、 *novis per Caesarem comparatis, **カエサルを通じて新参者たちを仲間にした。 *quod ii qui se ad eorum amicitiam adgregaverant, **というのは、彼ら(ハエドゥイ族)の友好のもとに仲間となっていた者たちが、 *⑦ meliore condicione atque aequiore imperio se uti videbant, **(セクァニ族)より良い条件とより公平な支配を享受しているように見えて、 *reliquis rebus eorum gratia dignitateque amplificata **ほかの事柄においても彼ら(ハエドゥイ族)の信望と品格がより増されて、 *Sequani principatum dimiserant. **セクァニ族は指導権を放棄したのだ。 *In eorum locum Remi successerant: **彼ら(セクァニ族)の地位において、[[w:レミ族|レミ族]]が取って代わった。 *quos quod adaequare apud Caesarem gratia intellegebatur, **その者ら(レミ族)はカエサルのもとで信望において(ハエドゥイ族と)同等であると認識されたので、 *ii qui propter veteres inimicitias nullo modo cum Haeduis coniungi poterant, **昔からの敵対関係のためにハエドゥイ族とどのようなやり方でも結ぶことができなかった者たちは、 *se Remis in clientelam dicabant. **レミ族との庇護関係に自らを委ねたのだ。 *⑧ Hos illi diligenter tuebantur; **この者ら(レミ族)はあの者ら(庇護民)を誠実に保護して、 *ita et novam et repente collectam auctoritatem tenebant. **このようにして、最近に得られた新しい影響力を保持した。 *⑨ Eo tum statu res erat, ut longe principes haberentur Haedui, **当時、ハエドゥイ族の位置付けは、まったく盟主と見なされるような状態であって、 *secundum locum dignitatis Remi obtinerent. **レミ族の品格は第二の地位を占めたのだ。 ===13節=== '''ガッリア人の社会階級、平民およびドルイドについて(1)''' *① In omni Gallia eorum hominum, qui aliquo sunt numero atque honore, genera sunt duo. **全ガッリアにおいて、何らかの地位や顕職にある人々の階級は二つである。 '''平民について''' *Nam plebes paene servorum habetur loco, **これに対して、平民はほとんど奴隷の地位として扱われており、 *quae nihil audet per se, nullo adhibetur consilio. **自分たちを通じては何らあえてすることはないし、誰も相談をされることもない。 *② Plerique, cum aut aere alieno aut magnitudine tributorum aut iniuria potentiorum premuntur, **多くの者は、あるいは負債、あるいは貢納の多さ、あるいはより権力のある者に抑圧されているので、 *sese in servitutem dicant. **自らを奴隷身分に差し出している。 *Nobilibus in hos eadem omnia sunt iura, quae dominis in servos. **高貴な者たちには彼ら(平民)において、奴隷において主人にあるのと同様なすべての権利がある。 '''ドルイドについて''' *③ Sed de his duobus generibus alterum est druidum, alterum equitum. **ともかく、これら二つの階級について、一方は[[w:ドルイド|ドルイド]](神官)であり、他方は[[w:騎士|騎士]]である。 *④ Illi rebus divinis intersunt, sacrificia publica ac privata procurant, religiones interpretantur: **前者(ドルイド)は神事に介在し、公・私の<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を司り、信仰のことを講釈する。 **:(訳注:供犠とは、人や獣を生け贄として神前に捧げることである。<ruby><rb>[[w:人身御供|人身御供]]</rb><rp>(</rp><rt>ひとみごくう</rt><rp>)</rp></ruby>とも。) [[画像:Two_Druids.PNG|thumb|right|200px|二人のドルイド。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガッリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。]] *ad hos magnus adulescentium numerus disciplinae causa concurrit, **この者ら(ドルイド)のもとへ、若者の多数が教えのために群り集まり、 *magnoque hi sunt apud eos honore. **この者ら(ドルイド)は、彼ら(ガッリア人)のもとで大いなる地位にある。 *⑤ Nam fere de omnibus controversiis publicis privatisque constituunt, **なぜなら(ドルイドは)ほとんどすべての公・私の訴訟ごとに判決をするのである。 *et, si quod est admissum facinus, si caedes facta, **もし何らかの罪悪が犯されれば、もし殺害がなされれば、 *si de hereditate, de finibus controversia est, **もし、遺産について、地所について、訴訟ごとがあれば、 *idem decernunt, praemia poenasque constituunt; **同じ人たち(ドルイド)が裁決し、補償や懲罰を判決するのである。 *⑥ si qui aut privatus aut populus eorum decreto non stetit, sacrificiis interdicunt. **もし何らかの個人あるいは集団が彼ら(ドルイド)の裁決を遵守しなければ、(その者らに)供犠を禁じる。 *Haec poena apud eos est gravissima. **これは、彼ら(ガッリア人)のもとでは、非常に重い懲罰である。 *⑦ Quibus ita est interdictum, **このように(供犠を)禁じられた者たちは、 *hi numero impiorum ac sceleratorum habentur, **彼らは、不信心で不浄な輩と見なされて、 *his omnes decedunt, aditum sermonemque defugiunt, **皆が彼らを忌避して、近づくことや会話を避ける。 *ne quid ex contagione incommodi accipiant, **(彼らとの)接触から、何らかの災厄を負うことがないようにである。 *neque his petentibus ius redditur **彼らが請願しても(元通りの)権利は戻されないし、 *neque honos ullus communicatur. **いかなる地位(に就くこと)も許されない。 *⑧ His autem omnibus druidibus praeest unus, **ところで、これらすべてのドルイドを一人が指導しており、 *qui summam inter eos habet auctoritatem. **その者は彼ら(ドルイドたち)の間に最高の影響力を持っている。 *⑨ Hoc mortuo **この者が死んだならば、 *aut, si qui ex reliquis excellit dignitate, succedit, **あるいは、もし残りの者たちの中から品格に秀でた者がおれば、継承して、 *aut, si sunt plures pares, suffragio druidum {adlegitur}<ref>adlegitur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>; **あるいは、もしより多くの者たちが同等であれば、ドルイドの投票で{選ばれる}。 *nonnumquam etiam armis de principatu contendunt. **ときどきは、武力でさえも首座を争うことがある。 *⑩ Hi certo anni tempore **彼ら(ドルイド)は年間の定められた時期に *in finibus Carnutum, quae regio totius Galliae media habetur, considunt in loco consecrato. **ガッリア全体の中心地方と見なされている[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の領土において、[[w:聖地|聖地]]に集合する。 **:(訳注:これはカエサルが支配する「ガッリア全体」の話で、他の地方には別の中心地があったようである。) *Huc omnes undique, qui controversias habent, conveniunt **ここへ、至る所から訴訟などを持つあらゆる者たちが集まって、 *eorumque decretis iudiciisque parent. **彼ら(ドルイド)の裁決や判断に服従する。 *⑪ Disciplina in Britannia reperta atque inde in Galliam translata esse existimatur, **(ドルイドの)教えは[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]で見出され、そこからガッリアにもたらされたと考えられている。 **:(訳注:これに対して、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]は、ガッリア人の信仰は[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。 **:[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば、これは東方のゲタエ人([[w:en:Getae|Getae]];[[w:トラキア|トラキア]]系ないし[[w:ダキア|ダキア]]系)を通じて取り入れたものだという<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、第7巻 第3章 第5節)</ref>。) *⑫ et nunc, qui diligentius eam rem cognoscere volunt, **今でも、その事柄をより入念に探究することを欲する者たちは、 *plerumque illo discendi causa proficiscuntur. **たいてい、かの地に研究するために旅立つ。 ===14節=== '''ドルイドについて(2)''' *① Druides a bello abesse consuerunt **[[w:ドルイド|ドルイド]]たちは、戦争に関与しない習慣であり、 *neque tributa una cum reliquis pendunt; **ほかの者と一緒に貢納(租税)を支払うこともない。 *militiae vacationem omniumque rerum habent immunitatem. **[[w:徴兵制度|兵役]]の免除や、すべての事柄において免除特権を持っているのである。 [[画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|thumb|right|200px|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち]] *② Tantis excitati praemiis **このような特典に駆り立てられて *et sua sponte multi in disciplinam conveniunt **自らの意思で多くの者が教え(の場)に集まっても来るし、 *et a parentibus propinquisque mittuntur. **親たちや縁者たちによって送られても来る。 *③ Magnum ibi numerum versuum ediscere dicuntur. **(彼らは)そこで詩句の多数を習得すると言われている。 *Itaque annos nonnulli vicenos in disciplina permanent. **こうして、少なからぬ者たちが、20年にもわたって教え(の場)に残留する。 [[画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|thumb|right|200px|ギリシア文字で刻まれたガッリアの碑文]] *Neque fas esse existimant ea litteris mandare, **それら(の詩句)を文字で刻み込むことは、神意に背くと考えている。 *cum in reliquis fere rebus, publicis privatisque rationibus, Graecis litteris utantur. **もっとも、ほかの事柄においては、公・私の用件に[[w:ギリシア文字|ギリシア文字]]を用いる。 *④ Id mihi duabus de causis instituisse videntur, **それは、私(カエサル)には、二つの理由で(ドルイドが)定めたことと思われる。 **:(訳注:これは、カエサルが自らを一人称で示している珍しい個所である。) *quod neque in vulgum disciplinam efferri velint **というのは、教えが一般大衆にもたらされることは欲していないし、 *neque eos, qui discunt, litteris confisos minus memoriae studere: **(教えを)学ぶ者が、文字を頼りにして、あまり暗記することに努めなくならないようにである。 [[画像:Dying_gaul.jpg|thumb|right|200px|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])]] *quod fere plerisque accidit, ut **というのも、ほとんど多くの場合に起こることには、 *praesidio litterarum diligentiam in perdiscendo ac memoriam remittant. **文字の助けによって、入念に猛勉強することや暗記することを放棄してしまうのである。 *⑤ In primis hoc volunt persuadere, **とりわけ、彼ら(ドルイド)が説くことを欲しているのは、 *non interire animas, sed ab aliis post mortem transire ad alios, **霊魂は滅びることがないのみならず、死後にある者から別のある者へ乗り移るということである。 **:(訳注:ガッリア人の[[w:輪廻転生|転生信仰]]は、[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]が伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。) *atque hoc maxime ad virtutem excitari putant metu mortis neglecto. **これによって(ガッリア人は)死の恐怖に無頓着になって最も武勇へ駆り立てられると(ドルイドは)思っている。 [[画像:Universum.jpg|thumb|right|200px|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。]] *Multa praeterea de sideribus atque eorum motu, **さらに多く、星々とその動きについて、 *de mundi ac terrarum magnitudine, de rerum natura, **天空と大地の大きさについて、物事の本質について、 *de deorum immortalium vi ac potestate **不死の神々の力と支配について、 *disputant et iuventuti tradunt. **研究して、青年たちに教示するのである。 <br> <br> *('''訳注:ドルイドについて''' :ケルト社会の神官・祭司・僧などとされるドルイドについては、おそらくは[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]、そしてカエサル、 :および[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410-p.411)</ref>、[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.341-p.342)</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>ポンポニウス・メラ『世界地理』(前掲、p.549)</ref>などのギリシア人・ローマ人の著述家たちがそれぞれ :書き残しているために同時代や現代に知られている。しかし、本節にもあるように、その秘密主義からか、 :古代ギリシア・ローマの著作にあるほかには、その詳細については不明である。) ===15節=== [[画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|thumb|right|200px|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。]] [[画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|thumb|right|200px|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)]] '''ガッリア人の騎士階級について''' *① Alterum genus est equitum. **(ドルイドと並ぶ)もう一つの階級は、[[w:騎士|騎士]]である。 *Hi, cum est usus atque aliquod bellum incidit **彼らは、必要とされ、かつ何らかの戦争が勃発したときには、 *─ quod fere ante Caesaris adventum quotannis accidere solebat, **─ それ(戦争)はカエサルの到来以前にはほとんど毎年のように起こるのが常であり、 *uti aut ipsi iniurias inferrent aut inlatas propulsarent ─, **自身が侵犯行為を引き起こすためか、あるいは引き起こされて撃退するためであったが、─ *omnes in bello versantur, **総勢が戦争に従事した。 *② atque eorum ut quisque est genere copiisque amplissimus, **さらに彼らは、高貴な生まれで財産が非常に大きければ大きいほど、 **:(訳注:ut quisque ~ ita;おのおのが~であればあるほどますます) *ita plurimos circum se ambactos clientesque habet. **自らの周囲に非常に多くの臣下や庇護民たちを侍らせる。 *Hanc unam gratiam potentiamque noverunt. **(騎士たちは)これが信望や権勢(を示すこと)の一つであると認識しているのである。 ===16節=== '''ガッリア人の信仰と生け贄、ウィッカーマン''' *① Natio est omnis Gallorum admodum dedita religionibus, **ガッリア人のすべての部族民は、まったく信仰行為に身を捧げている。 *② atque ob eam causam, **その理由のために、 *qui sunt adfecti gravioribus morbis **非常に重い病気を患った者たち *quique in proeliis periculisque versantur, **および戦闘において危険に苦しめられる者たちは、 *aut pro victimis homines immolant **あるいは<ruby><rb>[[w:生贄|生け贄]]</rb><rp>(</rp><rt>いけにえ</rt><rp>)</rp></ruby>の獣(犠牲獣)の代わりに人間を供えたり、 *aut se immolaturos vovent, **あるいは自らを犠牲にするつもりであると誓願し、 *administrisque ad ea sacrificia druidibus utuntur, **その<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を執り行う者として[[w:ドルイド|ドルイド]]を利用するのである。 *③ quod, pro vita hominis nisi hominis vita reddatur, **というのは(一人の)人間の生命のためには、(もう一人の)人間の生命が償われない限り、 *non posse deorum immortalium numen placari arbitrantur, **不死の神々の<ruby><rb>御霊</rb><rp>(</rp><rt>みたま</rt><rp>)</rp></ruby>がなだめられることができないと思われているからである。 *publiceque eiusdem generis habent instituta sacrificia. **同じような類いの供儀が公けに定められているのである。 [[画像:WickerManIllustration.jpg|thumb|right|310px|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた<ref>例えば『ケルト人─蘇るヨーロッパ<幻の民>』C.エリュエール著、鶴岡真弓監修、創元社、p.130の挿絵などを参照。</ref>。1973年にはイギリスで映画化され<ref>“[[w:en:The Wicker Man (1973 film)|The Wicker Man]]”はウィッカーマンを題材にした1973年のイギリスのカルト映画作品。</ref>、2006年にはアメリカなどでも映画化された<ref>“[[w:en:The Wicker Man (2006 film)|The Wicker Man]]”は上記作品をリメイクした2006年のアメリカ・カナダ・ドイツの映画作品。</ref>。]] [[画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|thumb|right|100px|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)]] '''ウィッカーマン''' *④ Alii immani magnitudine simulacra habent, **ある者たちは、恐ろしく大規模な像を持って、 *quorum contexta viminibus membra vivis hominibus complent; **その柳の枝で編み込まれた肢体を人間たちで満杯にして、 *quibus succensis **それらを燃やして、 *circumventi flamma exanimantur homines. **人々は炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。 *⑤ Supplicia eorum qui in furto aut in latrocinio **窃盗あるいは追い剥ぎに関わった者たちを処刑することにより、 *aut aliqua noxia sint comprehensi, **あるいは何らかの罪状により捕らわれた者たち(の処刑)により、 *gratiora dis immortalibus esse arbitrantur; **不死の神々に感謝されると思っている。 *sed, cum eius generis copia defecit, **しかしながら、その類いの量が欠けたときには、 *etiam ad innocentium supplicia descendunt. **潔白な者たちさえも犠牲にすることに頼るのである。 <br><br> :('''訳注''':このような'''[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]'''の供犠については[[w:ストラボン|ストラボン]]も伝えており<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.343)</ref>、 :[[w:人身御供|人身御供]]の種類の一つとして、干し草やたきぎで巨像を作り、その中へあらゆる :家畜・野生動物や人間たちを投げ込んで丸焼きにする習慣があったという。 : また、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410~p.411)</ref>やストラボンによれば、ドルイドはむしろ'''[[w:予言|予言者]]・[[w:占い|占い師]]''' :であるという。ドルイドが重要な問題について占うときには、供犠される人間の :腹または背中を剣などで刺して、犠牲者の倒れ方、肢体のけいれん、出血の様子 :などを観察して、将来の出来事を占うのだという。) ===17節=== '''ガッリアの神々(ローマ風解釈)''' *① Deum maxime [[w:la:Mercurius_(deus)|Mercurium]] colunt. **(ガッリア人は)神々のうちでとりわけ[[w:メルクリウス|メルクリウス]]を崇拝する。 **:(訳注:メルクリウスは[[w:ローマ神話|ローマ神話]]の神名であり、本節の神名はすべてローマ風解釈である。) *Huius sunt plurima simulacra: **彼の偶像が最も多い。 *hunc omnium inventorem artium ferunt, **(ガッリア人は)彼をすべての技芸の発明者であると言い伝えており、 *hunc viarum atque itinerum ducem, **彼を道および旅の案内者として、 *hunc ad quaestus pecuniae mercaturasque habere vim maximam arbitrantur. **彼が金銭の利得や商取引で絶大な力を持つと思われている。 [[画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。]] [[画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。]] *Post hunc [[w:la:Apollo|Apollinem]] et [[w:la:Minerva|Martem]] et [[w:la:Iuppiter|Iovem]] et [[w:la:Mars_(deus)|Minervam]]. **彼に続いて、[[w:アポローン|アポロ]]と[[w:マルス (ローマ神話)|マルス]]と[[w:ユーピテル|ユピテル]]と[[w:ミネルウァ|ミネルウァ]]を(ガッリア人は崇拝する)。 *② De his eandem fere, quam reliquae gentes, habent opinionem: **これら(の神々)について、ほかの種族とほぼ同じ見解を持っている。 *Apollinem morbos depellere, **アポロは病気を追い払い、 *Minervam operum atque artificiorum initia tradere, **ミネルウァは工芸や技術の初歩を教示し、 *Iovem imperium caelestium tenere, **ユピテルは天界の統治を司り、 *Martem bella regere. **マルスは戦争を支配する。 *③ Huic, cum proelio dimicare constituerunt, **彼(マルス)には、(ガッリア人が)戦闘で干戈を交えることを決心したときに、 *ea quae bello ceperint, plerumque devovent: **戦争で捕獲したものを、たいていは奉納するものである。 *cum superaverunt, animalia capta immolant **(戦闘で)打ち勝ったときには、捕獲された獣を生け贄に供えて、 *reliquasque res in unum locum conferunt. **残りの物を1か所に運び集める。 *④ Multis in civitatibus harum rerum ex(s)tructos tumulos locis consecratis conspicari licet; **多くの部族において、これらの物が積み上げられた塚を、神聖な地で見ることができる。 *⑤ neque saepe accidit, ut neglecta quispiam religione **何らかの者が信仰を軽視するようなことが、しばしば起こることはない。 *aut capta apud se occultare aut posita tollere auderet, **捕獲されたものを自分のもとに隠すこと、あるいは(塚に)置かれたものをあえて運び去ることは。 *gravissimumque ei rei supplicium cum cruciatu constitutum est. **そんな事には、拷問を伴う最も重い刑罰が決められている。 **:(訳注:最も重い刑罰とは、処刑であると思われる。) <br> :(訳注:'''ローマ風解釈について''' :ガッリアなどケルト文化の社会においては、非常に多くの神々が信仰されており、 :ケルト語による多くの神名が知られており、考古学的にも多くの神像が遺されている。 :しかしながら、これらの神々がどのような性格や権能を持っていたのか、詳しくは判っていない。 :ローマ人は、数多くのケルトの神々をローマ神話の神々の型に当てはめて解釈した。 :[[w:タキトゥス|タキトゥス]]はこれを「[[w:ローマ風解釈|ローマ風解釈]]」[[w:en:Interpretatio_Romana#Roman_version|Interpretatio Romana]] <ref>タキトゥス『ゲルマーニア』43章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XLIII|ラテン語原文]])を参照。</ref>と呼んでいる<ref>『ケルト事典』(前掲)「ローマ風解釈」の項を参照。</ref>。) ===18節=== [[画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。]] '''ガッリア人の時間や子供についての観念''' *① Galli se omnes ab Dite patre prognatos praedicant **ガッリア人は、自分たちは皆、ディス・パテルの末裔であると公言しており、 **:(訳注:ディス・パテル [[w:en:Dis_Pater|Dis Pater]] も前節と同様にローマ神話の神名である。) *idque ab druidibus proditum dicunt. **それは[[w:ドルイド|ドルイド]]たちにより伝えられたと言う。 ;時間の観念 *② Ob eam causam spatia omnis temporis non numero dierum, sed noctium finiunt; **その理由のために、すべての[[w:時間|時間]]の間隔を、[[w:昼|昼間]]の数ではなく、[[w:夜|夜間]](の数)で区切る。 *dies natales et mensum et annorum initia sic observant, ut noctem dies subsequatur. **誕生日も、月や年の初めも、夜間に昼間が続くように注意を払っている。 ;子供についての観念 *③ In reliquis vitae institutis hoc fere ab reliquis differunt, **人生のほかの風習において、以下の点でほかの者たち(種族)からほぼ異なっている。 *quod suos liberos, nisi cum adoleverunt, ut munus militiae sustinere possint, **自分の子供たちが、[[w:徴兵制度|兵役の義務]]を果たすことができるように成長したときでない限り、 *palam ad se adire non patiuntur **公然と自分のところへ近づくことは許されないし、 *filiumque puerili aetate in publico in conspectu patris adsistere turpe ducunt. **少年期の息子が公けに父親の見ているところでそばに立つことは恥ずべきと見なしている。 ===19節=== '''ガッリア人の婚姻と財産・葬儀の制度''' *① Viri, quantas pecunias ab uxoribus dotis nomine acceperunt, **夫は、妻から[[w:持参金|持参金]]の名目で受け取った金銭の分だけ、 *tantas ex suis bonis aestimatione facta cum dotibus communicant. **自分の財産のうちから見積もられた分を、持参金とともに一つにする。 *② Huius omnis pecuniae coniunctim ratio habetur fructusque servantur: **これらのすべての金銭は共同に算定が行なわれて、[[w:利子|利子]]が貯蓄される。 *uter eorum vita superarit, **彼ら2人のいずれかが、人生において生き残ったら、 *ad eum pars utriusque cum fructibus superiorum temporum pervenit. **双方の分がかつての期間の利子とともに(生き残った)その者(の所有)に帰する。 [[画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガッリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。]] *③ Viri in uxores, sicuti in liberos, vitae necisque habent potestatem; **夫は、妻において、子供におけるのと同様に、生かすも殺すも勝手である。 *et cum pater familiae inllustriore loco natus decessit, eius propinqui conveniunt **上流身分に生まれた家族の父親が死去したとき、彼の近縁の者たちが集まって、 *et de morte, si res in suspicionem venit, de uxoribus in servilem modum quaestionem habent, **死について、もし疑念が出来したならば、妻について、[[w:奴隷|奴隷]]におけるようなやり方で審問して、 *et si compertum est, igni atque omnibus tormentis excruciatas interficiunt. **もし(疑念が)確認されたならば、火やあらゆる責め道具によって[[w:拷問|拷問]]にかけて誅殺する。 *④ Funera sunt pro cultu Gallorum magnifica et sumptuosa; **[[w:葬儀|葬儀]]は、ガッリア人の生活習慣の割には派手でぜいたくなものである。 *omniaque quae vivis cordi fuisse arbitrantur in ignem inferunt, etiam animalia, **生前に大切であったと思われるもの一切合財を、獣でさえも、火の中に投げ入れる。 *ac paulo supra hanc memoriam servi et clientes, quos ab his dilectos esse constabat, **さらに、より以前のこの記憶では、彼ら(亡者)により寵愛されていたことが知られていた奴隷や庇護民をも、 *iustis funeribus confectis una cremabantur. **慣習による葬儀が成し遂げられたら、一緒に火葬されていたのである。 ===20節=== '''ガッリア部族国家の情報統制''' *① Quae civitates commodius suam rem publicam administrare existimantur, **より適切に自分たちの公儀(=国家体制)を治めると考えられているような部族は、 *habent legibus sanctum, **(以下のように)定められた法度を持つ。 *si quis quid de re publica a finitimis rumore aut fama acceperit, **もし、ある者が公儀に関して近隣の者たちから何らかの噂や風聞を受け取ったならば、 *uti ad magistratum deferat neve cum quo alio communicet, **官吏に報告して、他の者と伝え合ってはならないと。 *② quod saepe homines temerarios atque imperitos falsis rumoribus terreri **というのは、無分別で無知な人間たちはしばしば虚偽の噂に恐れて、 *et ad facinus impelli et de summis rebus consilium capere cognitum est. **罪業に駆り立てられ、重大な事態についての考えを企てると認識されているからである。 *③ Magistratus quae visa sunt occultant, **官吏は、(隠すことが)良いと思われることを隠して、 *quaeque esse ex usu iudicaverunt, multitudini produnt. **有益と判断していたことを、民衆に明らかにする。 *De re publica nisi per concilium loqui non conceditur. **公儀について、集会を通じてでない限り、語ることは認められていない。 ==ゲルマーニアの風習と自然について== ===21節=== '''ゲルマーニア人の信仰と性''' *① Germani multum ab hac consuetudine differunt. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人はこれに対し、風習が大いに異なっている。 *Nam neque druides habent, qui rebus divinis praesint, neque sacrificiis student. **すなわち、神事を司る[[w:ドルイド|ドルイド]]も持たないし、供犠に熱心でもない。 *② Deorum numero **神々に数えるものとして、 *eos solos ducunt, quos cernunt et quorum aperte opibus iuvantur, Solem et Vulcanum et Lunam, **(彼らが)見分けるものや明らかにその力で助けられるもの、[[w:太陽|太陽]]と[[w:ウォルカヌス|ウォルカヌス]](火の神)と[[w:月|月]]だけを信仰して、 *reliquos ne fama quidem acceperunt. **ほかのものは風聞によってさえも受け入れていない。 **:(訳注:これに対して、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]は、ゲルマーニア人はメルクリウスやマルスなどを信仰すると伝えている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』2章・9章を参照</ref>。) *③ Vita omnis in venationibus atque in studiis rei militaris consistit: **すべての人生は、[[w:狩猟|狩猟]]に、および[[w:軍事|軍事]]への執心に依拠しており、 *ab parvulis labori ac duritiae student. **幼時より労役や負担に努める。 *④ Qui diutissime impuberes permanserunt, maximam inter suos ferunt laudem: **最も長く純潔に留まった者は、自分たちの間で最大の賞賛を得る。 *hoc ali staturam, ali vires nervosque confirmari putant. **これによって、ある者には背の高さが、ある者には力と筋肉が強化されると、思っている。 *⑤ Intra annum vero vicesimum feminae notitiam habuisse in turpissimis habent rebus; **20歳にならない内に女を知ってしまうことは、とても恥ずべきことであると見なしている。 *cuius rei nulla est occultatio, **その(性の)事を何ら隠すことはない。 *quod et promiscue in fluminibus perluuntur **というのは、川の中で(男女が)混じって入浴しても、 *et pellibus aut parvis renonum tegimentis utuntur, magna corporis parte nuda. **なめし皮や、小さな毛皮の覆いを用いるが、体の大部分は裸なのである。 ===22節=== '''ゲルマーニア人の土地制度''' *① Agri culturae non student, **(ゲルマーニア人は)[[w:農耕|土地を耕すこと]]に熱心ではなく、 *maiorque pars eorum victus in lacte, caseo, carne consistit. **彼らの大部分は、生活の糧が[[w:乳|乳]]、[[w:チーズ|チーズ]]、[[w:肉|肉]]で成り立っている。 *② Neque quisquam agri modum certum aut fines habet proprios; **何者も、土地を確定した境界で、しかも持続的な領地として、持ってはいない。 *sed magistratus ac principes in annos singulos **けれども、官吏や領袖たちは、各年ごとに、 *gentibus cognationibusque hominum, quique una coierunt, **一緒に集住していた種族や血縁の人々に、 *quantum et quo loco visum est agri adtribuunt **適切と思われる土地の規模と場所を割り当てて、 *atque anno post alio transire cogunt. **翌年には他(の土地)へ移ることを強いるのである。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#1節|第4巻1節]]には、スエービー族の説明として同様の記述がある。) *③ Eius rei multas adferunt causas: **(官吏たちは)その事の多くの理由を説明する。 *ne adsidua consuetudine capti studium belli gerendi agricultura commutent; **(部族民が)[[w:居住|定住]]する習慣にとらわれて、戦争遂行の熱意を土地を耕すことに変えてしまわないように。 *ne latos fines parare studeant, potentioresque humiliores possessionibus expellant; **広大な領地を獲得することに熱心になって、有力者たちが弱者たちを地所から追い出さないように。 *ne accuratius ad frigora atque aestus vitandos aedificent; **寒さや暑さを避けるために(住居を)非常な入念さで建築することがないように。 *ne qua oriatur pecuniae cupiditas, qua ex re factiones dissensionesque nascuntur; **金銭への欲望が増して、その事から派閥や不和が生ずることのないように。 *ut animi aequitate plebem contineant, cum suas quisque opes cum potentissimis aequari videat. **おのおのが自分の財産も最有力者のも同列に置かれていると見ることで、心の平静により民衆を抑えるように。 <br> :(訳注:[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.510)</ref>や[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』23章・16章などを参照。26章では農耕についても解説されている。</ref>などの著述家たちも、ゲルマーニアの住民が農耕をせず、 :遊牧民のように移動しながら暮らし、小さな住居に住み、食料を家畜に頼っていると記述している。) ===23節=== '''ゲルマーニア諸部族のあり方''' *① Civitatibus maxima laus est **諸部族にとって、最も称賛されることは、 *quam latissime circum se vastatis finibus solitudines habere. **できる限り広く自分たちの周辺で領土を荒らして荒野に保っておくことである。 *② Hoc proprium virtutis existimant, **以下のことを(自分たちの)武勇の特質と考えている。 *expulsos agris finitimos cedere, **近隣の者たちが土地から追い払われて立ち去ること、 *neque quemquam prope {se} audere consistere; **および、何者も自分たちの近くにあえて定住しないこと、である。 *③ simul hoc se fore tutiores arbitrantur, repentinae incursionis timore sublato. **他方、これにより、予期せぬ襲撃の恐れを取り除いて、自分たちはより安全であろうと思われた。 *④ Cum bellum civitas aut inlatum defendit aut infert, **部族に戦争がしかけられて防戦したり、あるいはしかけたりしたときには、 *magistratus, qui ei bello praesint, ut vitae necisque habeant potestatem, deliguntur. **その戦争を指揮して、生かすも殺すも勝手な権力を持つ将官が選び出される。 *⑤ In pace nullus est communis magistratus, **平時においては、(部族に)共通の将官は誰もいないが、 *sed principes regionum atque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagorum]]</u> inter suos ius dicunt controversiasque minuunt. **地域や<u>郷</u>の領袖たちが、身内の間で判決を下して、訴訟ごとを減らす。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus"/>。)</span> *⑥ Latrocinia nullam habent infamiam, quae extra fines cuiusque civitatis fiunt, **それぞれの部族の領土の外で行なう略奪のことは、何ら恥辱とは見なしていない。 *atque ea iuventutis exercendae ac desidiae minuendae causa fieri praedicant. **さらに、それ(略奪)は、青年たちを訓練することや、怠惰を減らすことのために行なわれる、と公言している。 *⑦ Atque ubi quis ex principibus in concilio dixit **そして、領袖たちのうちのある者が(次のように)言うや否や、 *se ducem fore, qui sequi velint, profiteantur, **《自分が(略奪の)引率者となるから、追随したい者は申し出るように》と(言うや否や)、 *consurgunt ii qui et causam et hominem probant, suumque auxilium pollicentur **(略奪の)口実にも(引率する)人物にも賛同する者は立ち上がって、自らの支援を約束して、 *atque ab multitudine conlaudantur: **群衆から大いに誉められる。 *⑧ qui ex his secuti non sunt, **これら(約束した者)のうちで(略奪に)追随しない者は、 *in desertorum ac proditorum numero ducuntur, **逃亡兵や裏切り者と見なされて、 *omniumque his rerum postea fides derogatur. **その後は、彼らにとってあらゆる事の信頼が(皆から)拒まれる。 *⑨ Hospitem violare fas non putant; **客人に暴行することは道理に適うとは思ってはいない。 *qui quacumque de causa ad eos venerunt, **彼ら(ゲルマーニア人)のところへ理由があって来た者(=客人)は誰であれ、 *ab iniuria prohibent, sanctos habent, **無法行為から防ぎ、尊ぶべきであると思っている。 *hisque omnium domus patent victusque communicatur. **彼ら(客人)にとってすべての者の家は開放されており、生活用品は共有される。 **:(訳注:客人への接待ぶりについては、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』21章を参照。</ref>も伝えている。) ===24節=== [[画像:Celts.svg|thumb|right|200px|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。]] [[画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|thumb|right|200px|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。]] [[画像:Hallstatt_LaTene.png|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。]] '''ゲルマーニア人とガッリア人''' *① Ac fuit antea tempus, **かつてある時代があって、 *cum Germanos Galli virtute superarent, **そのとき、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人を[[w:ガリア|ガッリア]]人が武勇で優っており、 *ultro bella inferrent, propter hominum multitudinem agrique inopiam **人間の多さと土地の欠乏のために(ガッリア人は)自発的に戦争をしかけて、 *trans Rhenum colonias mitterent. **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側へ入植者たちを送り込んでいた。 *② Itaque ea quae fertilissima Germaniae sunt loca circum Hercyniam silvam, **[[w:ヘルキュニア|ヘルキュニア]]の森の周辺のゲルマーニアで最も肥沃な地を、 *quam Eratostheni et quibusdam Graecis fama notam esse video, **それを[[w:エラトステネス|エラトステネス]]や[[w:ギリシア人|ギリシア人]]のある者たちも風聞により知っていたと私は見出して、 *quam illi Orcyniam appellant, **それを彼らはオルキュニアと呼んでいるが、 *Volcae Tectosages occupaverunt atque ibi consederunt; **(その地を)ウォルカエ族系のテクトサゲス族が占領して、そこに定住していた。 *③ quae gens ad hoc tempus his sedibus sese continet **その種族は、この時代までこの居場所に留まっており、 *summamque habet iustitiae et bellicae laudis opinionem. **公正さと戦いの称賛で最高の評判を得ている。 *④ Nunc quod in eadem inopia, egestate, patientia qua Germani permanent, **今も、窮乏や貧困を、ゲルマーニア人が持ちこたえているのと同じ忍耐をもって、 *eodem victu et cultu corporis utuntur; **同じ食物および体の衣服を用いている。 *⑤ Gallis autem provinciarum propinquitas et transmarinarum rerum notitia **これに対して、ガッリア人にとって(ローマの)属州に近接していること、および海外のものを知っていることは、 *multa ad copiam atque usus largitur, **富や用品の多くが供給されている。 *paulatim adsuefacti superari multisque victi proeliis **(ガッリア人は)しだいに圧倒されることや多くの戦闘で打ち負かされることに慣らされて、 *ne se quidem ipsi cum illis virtute comparant. **(ガッリア人)自身でさえも彼ら(ゲルマーニア人)と武勇で肩を並べようとはしないのである。 <br> :('''訳注''':本節の①項については、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]が著書『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』28章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XXVIII|原文]])において、次のように言及している。 :''Validiores olim Gallorum res fuisse summus auctorum divus Iulius tradit; '' :かつてガッリア人の勢力がより強力であったことは、最高の証言者である神君ユリウス(・カエサル)も伝えている。 :''eoque credibile est etiam Gallos in Germaniam transgressos:'' :それゆえに、ガッリア人でさえもゲルマーニアに渡って行ったと信ずるに値するのである。) ===25節=== '''ヘルキュニアの森林地帯''' *① Huius Hercyniae silvae, quae supra demonstrata est, latitudo **前に述べたヘルキュニアの森の幅は、 *novem dierum iter expedito patet: **軽装の旅で9日間(かかるだけ)広がっている。 *non enim aliter finiri potest, **なぜなら(ゲルマーニア人は)他に境界を定めることができないし、 *neque mensuras itinerum noverunt. **道のりの測量というものを知っていないのである。 [[画像:FeldbergPanorama.jpg|thumb|center|1000px|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)]] *② Oritur ab Helvetiorum et Nemetum et Rauracorum finibus **(その森は)[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]とネメテス族とラウラキ族の領土から発しており、 **:(訳注:これはライン川東岸に沿って南北に長い現在の[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]のことである。) *rectaque fluminis [[w:la:Danubius|Danubii]] regione **ダヌビウス川に沿って真っ直ぐに(流れ)、 **:(訳注:ダヌビウス Danubius はダヌウィウス Danuvius とも呼ばれ、現在の[[w:ドナウ川|ドナウ川]]である。) *pertinet ad fines Dacorum et Anartium; **[[w:ダキア人|ダキ族]]やアナルテス族の領土へ至る。 **:(訳注:これは[[w:ダキア|ダキア]] [[w:la:Dacia|Dacia]] すなわち現在の[[w:ルーマニア|ルーマニア]]辺りの地域である。) *③ hinc se flectit sinistrorsus diversis ab flumine regionibus **ここ(ダヌビウス川)から(森は)左方へ向きを変えて、川の地域からそれて、 **:(訳注:川が南へ折れるのとは逆に、森は北へそれて[[w:エルツ山地|エルツ山地]]を通って[[w:カルパティア山脈|カルパティア山脈]]に至ると考えられている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳注、岩波文庫、p.131-132の注などを参照</ref>。) *multarumque gentium fines propter magnitudinem attingit; **(森の)大きさのために、多くの種族の領土に接しているのである。 *④ neque quisquam est huius Germaniae, qui se aut adisse ad initium eius silvae dicat, **その森の(東の)端緒へ訪れたと言う者は、こちら(西側)の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に属する者では誰もいないし、 *cum dierum iter LX processerit, **60日間の旅で進んでも(いないのであるが)、 *aut, quo ex loco oriatur, acceperit: **あるいは(森が)どの場所から生じているか把握した(者もいないのである)。 *⑤ multaque in ea genera ferarum nasci constat, quae reliquis in locis visa non sint; **それ(=森)の中には、ほかの地では見られない野獣の多くの種類が生息していることが知られている。 *ex quibus quae maxime differant ab ceteris et memoriae prodenda videantur, **それらのうちで、ほかの(地の)ものと大きく異なったものは、記録で伝えるべきものであり、 *haec sunt. **以下のものである。 ===26節=== [[画像:Rentier fws 1.jpg|thumb|right|200px|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。]] '''ヘルキュニアの野獣①''' *① Est [[w:la:Bos|bos]] [[w:la:Cervus|cervi]] figura, **雄[[w:シカ|鹿]]の姿形をした[[w:ウシ|牛]]がいる。 *cuius a media fronte inter aures unum [[w:la:Cornu|cornu]] existit **それの両耳の間の額の真ん中から一つの角が出ており、 *excelsius magisque derectum his, quae nobis nota sunt, cornibus; **我々(ローマ人)に知られている角よりも非常に高くて真っ直ぐである。 *ab eius summo sicut palmae ramique late diffunduntur. **その先端部から、手のひらや枝のように幅広く広がっている。 *Eadem est feminae marisque natura, **雌と雄の特徴は同じであり、 *eadem forma magnitudoque cornuum. **角の形や大きさも同じである。 <br> :('''訳注''':カエサルによる本節の記述は[[w:ユニコーン|ユニコーン]](一角獣)の伝説に :結び付けられている。しかし本節における発達した枝角の説明は、むしろ :[[w:トナカイ|トナカイ]]や[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]]のような獣を想起させる。) ===27節=== [[画像:Bigbullmoose.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。]] [[画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG 1824.JPG|thumb|right|250px|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。]] '''ヘルキュニアの野獣②''' *① Sunt item, quae appellantur [[w:la:Alces|alces]]. **アルケスと呼ばれるものもいる。 **:(訳注:アルケス alces とは[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](オオシカ)を指す単語であるが本節の説明と矛盾する。) *Harum est consimilis [[w:la:Capra|capris]] figura et varietas pellium, **これらの姿形や毛皮のまだらは雄[[w:ヤギ|山羊]]に似ている。 *sed magnitudine paulo antecedunt **が、(山羊を)大きさで少し優っており、 *mutilaeque sunt cornibus **角は欠けていて、 *et crura sine nodis articulisque habent. **脚部には関節の類いがない。 **:(訳注:nodus も articulus も関節の類いを意味する) *② Neque quietis causa procumbunt **休息のために横たわらないし、 *neque, si quo adflictae casu conciderunt, **もし何か不幸なことで偶然にも倒れたならば、 *erigere sese aut sublevare possunt. **自らを起こすことも立ち上げることもできない。 *③ His sunt arbores pro cubilibus; **これらにとって木々は寝床の代わりである。 *ad eas se adplicant **それら(の木々)へ自らを寄りかからせて、 *atque ita paulum modo reclinatae quietem capiunt. **こうして少しだけもたれかかって休息を取るのである。 *④ Quarum ex vestigiis **それらの足跡から *cum est animadversum a venatoribus, quo se recipere consuerint, **(鹿が)どこへ戻ることを常としているかを狩人によって気付かれたときには、 *omnes eo loco aut ab radicibus subruunt aut accidunt arbores, **その地のすべての木々を(狩人は)根から倒すか、あるいは傷つけて、 *tantum ut summa species earum stantium relinquatur. **それらの(木々の)いちばん(外側)の見かけが、立っているかのように残して置かれる。 *⑤ Huc cum se consuetudine reclinaverunt, **そこに(鹿が)習性によってもたれかかったとき、 *infirmas arbores pondere adfligunt atque una ipsae concidunt. **弱った木々を重みで倒してしまい、自身も一緒に倒れるのである。 ===28節=== [[画像:Wisent.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。]] [[画像:Muybridge Buffalo galloping.gif|thumb|right|200px|疾走するバイソン]] [[画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|thumb|right|200px|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。]] '''ヘルキュニアの野獣③''' *③ Tertium est genus eorum, qui uri appellantur. **第3のものは、野牛と呼ばれる種類である。 *Hi sunt magnitudine paulo infra [[w:la:Elephantidae|elephantos]], **これらは、大きさで少し[[w:ゾウ|象]]に劣るが、 *specie et colore et figura [[w:la:Taurus|tauri]]. **見かけと色と姿形は雄[[w:ウシ|牛]]である。 *② Magna vis eorum est et magna velocitas, **それらの力は大きく、(動きも)とても速く、 *neque homini neque ferae, quam conspexerunt, parcunt. **人間でも野獣でも、見かけたものには容赦しない。 *Hos studiose foveis captos interficiunt. **(ゲルマーニア人は)これらを熱心に落とし穴で捕らえたものとして殺す。 *③ Hoc se labore durant adulescentes **この労苦により青年たちを鍛え、 *atque hoc genere venationis exercent, **[[w:狩猟|狩猟]]のこの類いで鍛錬するのであり、 *et qui plurimos ex his interfecerunt, **これら(の野牛)のうちから最も多くを殺した者は、 *relatis in publicum [[w:la:Cornu|cornibus]], quae sint testimonio, **証拠になるための[[w:角|角]]を公の場に持参して、 *magnam ferunt laudem. **大きな賞賛を得るのである。 *④ Sed adsuescere ad homines et mansuefieri ne parvuli quidem excepti possunt. **けれども(野牛は)幼くして捕らえられてさえも、人間に慣れ親しんで飼い慣らされることはできない。 *⑤ Amplitudo cornuum et figura et species multum a nostrorum boum cornibus differt. **角の大きさや形や見かけは、我々(ローマ人)の牛の角とは大いに異なる。 *⑥ Haec studiose conquisita ab labris argento circumcludunt **これらは熱心に探し求められて、縁を[[w:銀|銀]]で囲って、 *atque in amplissimis epulis pro poculis utuntur. **とても贅沢な祝宴において[[w:盃|杯]]として用いられるのである。 ==対エブロネス族追討戦(1)== ===29節=== '''ゲルマーニアから撤兵、対アンビオリクス戦へ出発''' *① Caesar, postquam per Ubios exploratores comperit Suebos sese in silvas recepisse, **カエサルは、ウビイー族の偵察者たちを通じてスエービー族が森に撤退したことを確報を受けた後で、 **:(訳注:[[#10節|10節]]によれば、バケニス Bacenis の森。[[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について|既述]]のように、スエービー族とはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] と考えられる。) *inopiam frumenti veritus, **糧食の欠乏を恐れて、 *quod, ut supra demonstravimus, minime omnes Germani agri culturae student, **というのは、前に説明したように、ゲルマーニア人は皆が土地を耕すことに決して熱心でないので、 **:(訳注:[[#22節|22節]]を参照。耕地がなければ、ローマ軍は穀物の現地調達ができない。) *constituit non progredi longius; **より遠くへ前進しないことを決めた。 *② sed, ne omnino metum reditus sui barbaris tolleret **けれども、自分たち(ローマ軍)が戻って来る恐れを蛮族からまったく取り去ってしまわないように、 *atque ut eorum auxilia tardaret, **かつ、彼ら(ゲルマーニア人)の(ガッリア人への)支援を遅らせるように、 *reducto exercitu partem ultimam pontis, quae ripas Ubiorum contingebat, **ウビイー族側の岸(=レーヌス川東岸)につなげていた橋の最後の部分に軍隊を連れ戻して、 *in longitudinem pedum ducentorum rescindit **(橋を)長さ200[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約60m)切り裂いて、 *③ atque in extremo ponte turrim tabulatorum quattuor constituit **橋の先端のところに4層の櫓を建てて、 *praesidiumque cohortium duodecim pontis tuendi causa ponit **12個[[w:コホルス|歩兵大隊]]の守備隊を橋を防護するために配置して、 *magnisque eum locum munitionibus firmat. **その場所を大きな城砦で固めた。 *Ei loco praesidioque C.(Gaium) Volcacium Tullum adulescentem praeficit. **その場所と守備隊を青年ガイウス・ウォルカキウス・トゥッルスに指揮させた。 **:(訳注:元執政官 [[w:en:Lucius_Volcatius_Tullus_(consul_66_BC)|Lucius Volcatius Tullus]] に対して、青年 adulescentem と区別したのであろう。 **:ウォルカキウス Volcacium の綴りは、写本により相異する。) *④ Ipse, cum maturescere frumenta inciperent, **(カエサル)自身は、穀物が熟し始めたので、 *ad bellum [[w:la:Ambiorix|Ambiorigis]] profectus per Arduennam silvam, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]との戦争へ、アルドゥエンナの森を通って進発した。 **:(訳注:アルドゥエンナの森については、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]ですでに説明されている。) *quae est totius Galliae maxima **それ(=森)は全ガッリアで最も大きく、 *atque ab ripis Rheni finibusque Treverorum ad Nervios pertinet **レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の岸およびトレーウェリー族の境界から、[[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]](の領土)へ及んでおり、 *milibusque amplius quingentis in longitudinem patet, **長さは500ローママイル(=約740km)より大きく広がっている。 *L.(Lucium) Minucium Basilum cum omni equitatu praemittit, **ルキウス・ミヌキウス・バスィルスをすべての騎兵隊とともに先遣した。 *si quid celeritate itineris atque opportunitate temporis proficere possit; **行軍の迅速さと時間の有利さによって、何かを得られるかどうかということである。 *⑤ monet, ut ignes in castris fieri prohibeat, ne qua eius adventus procul significatio fiat: **野営において火を生じることを禁じるように、何事かにより遠くから彼の到来の予兆を生じないように、戒めた。 *sese confestim subsequi dicit. **(カエサル)自らは、ただちに後から続くと言った。 ===30節=== '''アンビオリクスがバスィリスのローマ騎兵から逃れる''' *① Basilus, ut imperatum est, facit. **バスィルスは、命令されたように、行なった。 *Celeriter contraque omnium opinionem confecto itinere **速やかに、かつ皆の予想に反して、行軍を成し遂げて、 *multos in agris inopinantes deprehendit: **(城市でない)土地にいた気付かないでいる多くの者を捕らえた。 *eorum indicio ad ipsum Ambiorigem contendit, quo in loco cum paucis equitibus esse dicebatur. **彼らの申し立てにより、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]その人がわずかな騎兵たちとともにいると言われていた場所に急いだ。 *② Multum cum in omnibus rebus, tum in re militari potest Fortuna. **あらゆる事柄においても、とりわけ軍事においても、運命(の女神)が大いに力がある。 *Nam magno accidit casu, **実際のところ、大きな偶然により生じたのは、 *ut in ipsum incautum etiam atque imparatum incideret, **(アンビオリクス)自身でさえも油断していて不用意なところに(バスィルスが)遭遇したが、 *priusque eius adventus ab omnibus videretur, quam fama ac nuntius adferretur: **彼の到来が(ガッリア勢の)皆により見られたのが、風聞や報告により知らされるよりも早かったのである。 *sic magnae fuit fortunae **同様に(アンビオリクスにとって)大きな幸運に属したのは、 *omni militari instrumento, quod circum se habebat, erepto, **自らの周りに持っていたすべての武具を奪われて、 *raedis equisque comprehensis **四輪馬車や馬を差し押さえられても、 *ipsum effugere mortem. **(アンビオリクス)自身は死を逃れたことである。 *③ Sed hoc quoque factum est, **しかし、以下のこともまた起こった。 *quod aedificio circumdato silva, **(アンビオリクスの)館が森で取り巻かれており、 *─ ut sunt fere domicilia Gallorum, qui vitandi aestus causa **─ ガッリア人の住居はほぼ、暑さを避けることのために、 *plerumque silvarum atque fluminum petunt propinquitates ─, **たいてい森や川の近接したところに求めるのであるが ─ *comites familiaresque eius angusto in loco paulisper equitum nostrorum vim sustinuerunt. **彼の従者や郎党どもが、狭い場所でしばらく、我が方(ローマ勢)の騎兵の力を持ちこたえたのだ。 *④ His pugnantibus illum in equum quidam ex suis intulit: **彼らが戦っているときに、彼(アンビオリクス)を配下のある者が馬に押し上げて、 *fugientem silvae texerunt. **逃げて行く者(アンビオリクス)を森が覆い隠した。 *Sic et ad subeundum periculum et ad vitandum multum Fortuna valuit. **このように(アンビオリクスが)危険に突き進んだことや避けられたことに対して、運命(の女神)が力をもったのである。 ===31節=== '''エブロネス族の退避、カトゥウォルクスの最期''' *① [[w:la:Ambiorix|Ambiorix]] copias suas iudicione non conduxerit, quod proelio dimicandum non existimarit, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]は、戦闘で争闘するべきとは考えていなかったので、自らの判断で軍勢を集めなかったのか、 *an tempore exclusus et repentino equitum adventu prohibitus, **あるいは、時間に阻まれ、予期せぬ[[w:騎兵|騎兵]]の到来に妨げられて、 *cum reliquum exercitum subsequi crederet, **(ローマ勢の)残りの軍隊(=軍団兵)が後続して来ることを信じたためなのか、 *dubium est. **不確かなことである。 *② Sed certe dimissis per agros nuntiis sibi quemque consulere iussit. **けれども、確かに領地を通じて伝令を四方に遣わして、おのおのに自らを助けることを命じた。 *Quorum pars in Arduennam silvam, pars in continentes paludes profugit; **それらの者たち(領民)のある一部はアルドゥエンナの森に、一部は絶え間ない沼地に退避した。 *③ qui proximi Oceano fuerunt, **<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>にとても近いところにいた者たちは、 *hi insulis sese occultaverunt, quas aestus efficere consuerunt: **[[w:潮汐|満潮]]が形成するのが常であった島々に身を隠した。 [[画像:Taxus baccata MHNT.jpg|thumb|right|300px|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。]] *④ multi ex suis finibus egressi **多くの者たちは、自分たちの領土から出て行って、 *se suaque omnia alienissimis crediderunt. **自分たちとその一切合財をまったく異邦の者たちに委ねた。 *⑤Catuvolcus, rex dimidiae partis Eburonum, **[[w:カトゥウォルクス|カトゥウォルクス]]は、[[w:エブロネス族|エブロネス族]]の半分の地方の王であり、 *qui una cum Ambiorige consilium inierat, **アンビオリクスと一緒に(カエサルに造反する)企てに取りかかった者であるが、 **:(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#26節|第5巻26節]]を参照。) *aetate iam confectus, cum laborem aut belli aut fugae ferre non posset, **もはや老衰していたので、戦争の労苦、あるいは逃亡の労苦に耐えることができなかったので、 **:(訳注:aetate confectus 老衰した) *omnibus precibus detestatus Ambiorigem, qui eius consilii auctor fuisset, **その企ての張本人であったアンビオリクスをあらゆる呪詛のことばで呪って、 *taxo, cuius magna in Gallia Germaniaque copia est, se exanimavit. **[[w:ガリア|ガッリア]]や[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に大量にあった[[w:イチイ属|イチイ]]によって、息絶えたのであった。 ===32節=== '''ゲルマーニア部族の弁明、アドゥアトゥカに輜重を集める''' *① Segni Condrusique, ex gente et numero Germanorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の種族や集団のうち、[[w:セグニ族|セグニ族]]と[[w:コンドルスィ族|コンドルスィ族]]は、 *qui sunt inter Eburones Treverosque, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]とトレーウェリー族の間にいたが、 *legatos ad Caesarem miserunt oratum, **カエサルのところへ嘆願するために使節たちを遣わした。 *ne se in hostium numero duceret **自分たちを敵として見なさないように、と。 *neve omnium Germanorum, qui essent citra Rhenum, unam esse causam iudicaret; **しかも、レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])のこちら側にいるゲルマーニア人すべての事情は1つであると裁断しないように、と。 *nihil se de bello cogitavisse, nulla Ambiorigi auxilia misisse. **自分たちは、戦争についてまったく考えたことはないし、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]に何ら援軍を派遣したことはない、と。 *② Caesar explorata re quaestione captivorum, **カエサルは捕虜を審問することによってその事を探り出すと、 *si qui ad eos Eburones ex fuga convenissent, **もし彼らのところへ逃亡しているエブロネス族の者たちの誰かが訪れたならば、 *ad se ut reducerentur, imperavit; **自分(カエサル)のところへ連れ戻されるようにと、命令した。 *si ita fecissent, fines eorum se violaturum negavit. **もしそのように行なったならば、彼らの領土を自分(カエサル)が侵害することはないであろうと主張した。 *③ Tum copiis in tres partes distributis **それから、軍勢を3方面に分散して、 *impedimenta omnium legionum Aduatucam contulit. **すべての軍団の[[w:輜重|輜重]]を[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に運び集めた。 **:(訳注:アドゥアトゥカ Aduatuca の表記は、写本によってはアトゥアトゥカ Atuatuca となっている。現在の[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]。) *④ Id castelli nomen est. **それは、城砦の名前である。 *Hoc fere est in mediis Eburonum finibus, **これは、エブロネス族の領土のほぼ真ん中にあり、 *ubi Titurius atque Aurunculeius hiemandi causa consederant. **そこには、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]と[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|アウルンクレイウス(・コッタ)]]が越冬するために陣取っていた。 *⑤ Hunc cum reliquis rebus locum probabat, **(カエサルは)この場所を、ほかの事柄によっても是認したし、 *tum quod superioris anni munitiones integrae manebant, ut militum laborem sublevaret. **またとりわけ前年の防備が損なわれずに存続していたので、兵士の労苦を軽減するためでもある。 *Praesidio impedimentis legionem quartamdecimam reliquit, **(全軍の)輜重の守備隊として第14軍団を(そこに)残した。 *unam ex his tribus, quas proxime conscriptas ex Italia traduxerat. **(それは)最近にイタリアから徴集されたものとして連れて来られた3個(軍団)のうちの1個である。 **:(訳注:[[#1節|1節]]を参照。イタリア Italia とはカエサルが総督であった[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。) *Ei legioni castrisque Q.(Quintum) Tullium Ciceronem praeficit ducentosque equites ei attribuit. **その[[w:ローマ軍団|軍団]]と陣営には[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]を指揮者として、200騎の騎兵を彼に割り当てた。 ===33節=== '''軍勢をカエサル、ラビエヌス、トレボニウスの三隊に分散''' *① Partito exercitu **軍隊を分配して、 *T.(Titum) Labienum cum legionibus tribus ad Oceanum versus **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]]には、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに、<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>の方へ向けて、 *in eas partes, quae Menapios attingunt, proficisci iubet; **[[w:メナピイ族|メナピイ族]]に接する地方に出発することを命じた。 *② C.(Gaium) Trebonium cum pari legionum numero **[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]には、軍団の同数とともに、 *ad eam regionem, quae Aduatucis adiacet, depopulandam mittit; **[[w:アドゥアトゥキ族|アドゥアトゥキ族]]に隣接する領域へ、荒らすために派遣した。 [[画像:Locatie-Maas-3.png|thumb|right|200px|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。]] [[画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|thumb|right|200px|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。]] *③ ipse cum reliquis tribus ad flumen [[w:la:Scaldis|Scaldim]], quod influit in [[w:la:Mosa|Mosam]], **(カエサル)自身は、残りの3個(軍団)とともに、モサ(川)に流れ込むスカルディス川のところへ、 **:(訳注:スカルディス Scaldis は現在の[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]] Schelde で、フランス北部からベルギー、オランダへ流れている。 **:モサ川 Mosa すなわち現在の[[w:マース川|マース川]] Maas とは運河でつながるが、当時の関係およびカエサルの目的地は不詳。) *extremasque Arduennae partes ire constituit, **かつ[[w:アルデンヌ|アルドゥエンナ]](の森林)の外縁の地方へ行軍することを決めた。 *quo cum paucis equitibus profectum Ambiorigem audiebat. **そこへは、アンビオリクスがわずかな騎兵たちとともに出発したと聞いていたのだ。 *④ Discedens post diem septimum sese reversurum confirmat; **(カエサルは陣営を)離れるに当たって、7日目の後(=6日後)に自分は引き返して来るであろうと断言した。 *quam ad diem ei legioni, quae in praesidio relinquebatur, deberi frumentum sciebat. **その当日には、守備に残される軍団にとって糧食が必要とされることを(カエサルは)知っていたのだ。 *⑤ Labienum Treboniumque hortatur, **(カエサルは)ラビエヌスとトレボニウスを(以下のように)鼓舞した。 *si rei publicae commodo facere possint, **もし(ローマ軍全体の)公務のために都合良く行動することができるならば、 *ad eum diem revertantur, **その日には戻って、 *ut rursus communicato consilio exploratisque hostium rationibus **再び(互いの)考えを伝達して、敵たちの作戦を探り出し、 *aliud initium belli capere possint. **次なる戦争の端緒を捉えようではないか、と。 <br> :('''訳注:カエサル麾下の軍団配分について''' :[[ガリア戦記 第5巻#8節|第5巻8節]]の記述によれば、ブリタンニアへ2度目の遠征をする前(BC54年)のカエサルは少なくとも8個軍団と騎兵4000騎を :指揮していた。[[ガリア戦記 第5巻#24節|第5巻24節]]によれば、帰還後は8個軍団および軍団から離れた5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を指揮していたが、 :アンビオリクスによる[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]らとともに1個軍団と5個大隊が壊滅したので、残りは7個軍団となる。 :[[#1節|本巻1節]]によれば、この年(BC53年)には3個軍団を新たに徴集したので、計10個軍団となったはずである。 :[[#29節|29節]]では、このうちから12個大隊をライン川に架かる橋の守備に残し、[[#32節|32節]]では輜重の守備としてアドゥアトゥカに1個軍団を残した。 :本節の記述通りにラビエヌス、トレボニウス、カエサルがそれぞれ3個軍団(計9個)を受け持ったとすると、あわせて10個軍団と12個大隊という勘定になる。 :したがって、この勘定が正しいのであれば、ライン川に残した12個大隊は各軍団から引き抜いたものであり、各軍団は定員を割っていると考えられる。) ===34節=== '''夷を以って夷を制す対エブロネス族包囲網''' *① Erat, ut supra demonstravimus, manus certa nulla, **前に説明したように、(エブロネス族には)決まった手勢がなかったし、 **:(訳注:[[#31節|31節]]を参照。) *non oppidum, non praesidium, quod se armis defenderet, **自分たちが武器で防衛するような[[w:オッピドゥム|城市]]も、防塁もなかった。 *sed in omnes partes dispersa multitudo. **けれども、あらゆる方面に大勢が分散されていた。 *② Ubi cuique aut valles abdita aut locus silvestris aut palus impedita **おのおのが、密かな峡谷、あるいは森に覆われた土地といったところに、 *spem praesidi aut salutis aliquam offerebat, consederat. **守備あるいは身の安全の何らかの希望を提供するところに、陣取っていた。 *③ Haec loca vicinitatibus erant nota, **これらの場所は、近隣の者たちは知っていたので、 **:(訳注:すなわち、近隣のガッリア人には地の利があり、ローマ人には地の利がなかったので) *magnamque res diligentiam requirebat **事態はたいへんな注意深さを必要としていた。 *non in summa exercitus tuenda **(ローマ人の)軍隊全体を守るためではなく、 *─ nullum enim poterat universis &lt;a&gt; perterritis ac dispersis periculum accidere ─, **─なぜなら、脅かされ分散されている者たちにより(ローマ軍)総勢が危険を生じることはありえなかったので─ *sed in singulis militibus conservandis; **けれども、個々の(ローマ人の)兵士たちを守ることのために(注意深さを必要としていた)。 *quae tamen ex parte res ad salutem exercitus pertinebat. **少なくとも、ある面では、そういう事態は軍隊の安全に及んでいた。 *④ Nam et praedae cupiditas multos longius evocabat, **すなわち、略奪品への欲望が多くの者たちをより遠くへ呼び寄せていたし、 *et silvae incertis occultisque itineribus confertos adire prohibebant. **森林の不確かで隠された道のりによって密集した行軍を妨げていた。 *⑤ Si negotium confici stirpemque hominum sceleratorum interfici vellent, **もし、戦役が完遂されること、および非道な連中(=エブロネス族)の血筋が滅ぼされることを欲するならば、 *dimittendae plures manus diducendique erant milites; **いくつもの部隊が分遣され、兵士たちが展開されるべきである。 *⑥ si continere ad signa manipulos vellent, ut instituta ratio et consuetudo exercitus Romani postulabat, **もし、ローマ軍が決められた流儀や慣行を要求するように、[[w:マニプルス|中隊]]が軍旗のもとにとどまることを欲するならば、 *locus ipse erat praesidio barbaris, **その場所が蛮族にとって守りとなるであろう。 *neque ex occulto insidiandi et dispersos circumveniendi **隠れたところから待ち伏せするため、分散した者たち(=ローマ兵)を包囲するために、 *singulis deerat audacia. **(エブロネス族の)おのおのにとって勇敢さには事欠かなかった。 *⑦ Ut in eiusmodi difficultatibus, quantum diligentia provideri poterat providebatur, **そのような困難さにおいては、できるかぎりの注意深さで用心されるほどに、用心されるものであるが、 *ut potius in nocendo aliquid praetermitteretur, **結果として、むしろ(敵勢への)何らかの加害は差し控えられることになった。 *etsi omnium animi ad ulciscendum ardebant, **たとえ、皆の心が(エブロネス族に)報復するために燃え立っていたとしても、 *quam cum aliquo militum detrimento noceretur. **兵士たちの何らかの損失を伴って(敵に)加害がなされるよりも。 **:(訳注:伏兵によって被害をこうむるよりは、ローマ人の安全のために、ローマ兵による攻撃は避けられた。) *⑧ Dimittit ad finitimas civitates nuntios Caesar; **カエサルは、近隣の諸部族のところへ伝令たちを分遣した。 *omnes ad se vocat spe praedae ad diripiendos Eburones, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]に対して戦利品を略奪することの望みを呼びかけた。 *ut potius in silvis Gallorum vita quam legionarius miles periclitetur, **森の中で、軍団の兵士たちよりも、むしろガッリア人たちの生命が危険にさらされるように、 *simul ut magna multitudine circumfusa **同時にまた、たいへんな大勢で取り囲むことによって、 *pro tali facinore stirps ac nomen civitatis tollatur. **(サビヌスらを滅ぼした)あれほどの罪業の報いとして、部族の血筋と名前が抹殺されるように、と。 *Magnus undique numerus celeriter convenit. **至る所から多数の者が速やかに集結した。 ==スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦== ===35節=== '''スガンブリー族が略奪に駆り立てられてアドゥアトゥカへ向かう''' *① Haec in omnibus Eburonum partibus gerebantur, **これらのこと(=追討戦)が[[w:エブロネス族|エブロネス族]]のすべての地方で遂行されていたが、 *diesque adpetebat septimus, quem ad diem Caesar ad impedimenta legionemque reverti constituerat. **カエサルがその日に[[w:輜重|輜重]]と(キケロの)[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ引き返すと決めていた7日目が近づいていた。 *② Hic quantum in bello Fortuna possit et quantos adferat casus, cognosci potuit. **ここに、戦争では運命(の女神)がどれほどのことに力を持ち、どれほどの結末を引き起こすかを知ることができた。 **:(訳注:[[#30節|30節]]でもそうだが、カエサルは戦況が芳しくないと運命 Fortuna を持ち出すようである。[[#42節|42節]]も参照。) *③ Dissipatis ac perterritis hostibus, ut demonstravimus, **(前節で)説明したように、追い散らされて、脅かされている敵たちには、 *manus erat nulla quae parvam modo causam timoris adferret. **(ローマ勢に敵を)恐れる理由を少しの程度も引き起こすようないかなる手勢もなかった。 *④ Trans Rhenum ad Germanos **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人のところへ、 *pervenit fama, diripi Eburones atque ultro omnes ad praedam evocari. **エブロネス族が収奪され、(近隣部族の)皆が略奪品へ向けて自発的に誘惑されているという風評が達した。 *⑤ Cogunt equitum duo milia Sugambri, qui sunt proximi Rheno, **レーヌスの近隣にいたスガンブリ族は、騎兵2000騎を徴集した。 *a quibus receptos ex fuga Tenctheros atque Usipetes supra docuimus. **前に説明したように、彼らによって[[w:テンクテリ族|テンクテリ族]]と[[w:ウスィペテス族|ウスィペテス族]]が逃亡から迎え入れられたのだ。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]および[[ガリア戦記 第4巻#18節|18~19節]]を参照。) *⑥ Transeunt Rhenum navibus ratibusque **(スガンブリー族は)レーヌスを船団や筏で渡河した。 *triginta milibus passuum infra eum locum, ubi pons erat perfectus praesidiumque ab Caesare relictum. **カエサルにより橋が造り上げられて守備隊が残された地点よりも下流に30ローママイル(約44km)のところを。 *Primos Eburonum fines adeunt; **手始めとしてエブロネス族の領土に殺到して、 *multos ex fuga dispersos excipiunt, **逃亡からちりぢりにさせられた多くの者たちを追い捕らえて、 *magno pecoris numero, cuius sunt cupidissimi barbari, potiuntur. **蛮族たちが最も熱望している家畜の多数をわがものにした。 *⑦ Invitati praeda longius procedunt. **(スガンブリー族の軍勢は)略奪品に誘われて、より遠くに進み出た。 *Non hos palus ─ in bello latrociniisque natos ─, non silvae morantur. **戦争や追いはぎに生まれついていたので、沼地も森林も彼らを妨げることがなかった。 *Quibus in locis sit Caesar, ex captivis quaerunt; **カエサルがどの場所にいるのか、捕虜から問い質した。 *profectum longius reperiunt omnemque exercitum discessisse cognoscunt. **(彼が)より遠くに旅立って、軍隊の総勢が立ち去ったことを、知った。 *⑧ Atque unus ex captivis "Quid vos," inquit, **なおかつ、捕虜たちのうちの一人が「なぜ、あんたたちは」と言い出した。 *"hanc miseram ac tenuem sectamini praedam, **「この取るに足らない、ちっぽけな略奪品を追い求めるのか。 **:(訳注:sectamini はデポネンティア動詞 sector の直説法・2人称複数・現在形) *quibus licet iam esse fortunatissimos? **(あんたたちは)今や、最も富裕な者に成り得るのに。 *⑨ Tribus horis Aduatucam venire potestis: **(この場所から)3時間で[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に到達できる。 **:(訳注:古代ローマの時間は、不定時法であり、当地の緯度や季節により長さは異なる。) *huc omnes suas fortunas exercitus Romanorum contulit; **ここへ、ローマ軍がすべての財産を運び集めたのだ。 *praesidii tantum est, ut ne murus quidem cingi possit, **守備隊は、城壁が取り巻かれることさえできないほどの(貧弱な)ものでしかない。 *neque quisquam egredi extra munitiones audeat." **何者も防備の外側へあえて出て行こうとはしないのだ。」 *⑩ Oblata spe Germani, **ゲルマーニア人たちは(ローマ軍の財産という)望みを提示されて、 *quam nacti erant praedam, in occulto relinquunt; **(すでにエブロネス族の者たちから)獲得していた略奪品を秘されたところに残しておいて、 *ipsi Aduatucam contendunt usi eodem duce, cuius haec indicio cognoverant. **自身は、このことを申告により知ったところの同じ(捕虜の)案内人を使役して、アドゥアトゥカに急いだ。 <br> :('''訳注:部族名・地名の表記について''' :スガンブリー族 Sugambri:α系写本では Sugambri、T・U写本では Sygambri、V・R写本では Sigambri :テンクテリ族 Tenctheri:β系写本では Tenctheri、α系写本では Thenctheri :アドゥアトゥカ Aduatuca:α系・T写本では Aduatuca、V・ρ系写本では Atuatuca) ===36節=== '''アドゥアトゥカのキケロが糧秣徴発に派兵する''' *① [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|Cicero]], qui omnes superiores dies **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は(期日の7日目)より以前の日々すべてを *praeceptis Caesaris cum summa diligentia milites in castris continuisset **カエサルの指図により、最高の入念さとともに、兵士たちを陣営の中に留めておき、 *ac ne calonem quidem quemquam extra munitionem egredi passus esset, **<ruby><rb>[[w:カロネス|軍属奴隷]]</rb><rp>(</rp><rt>カロネス</rt><rp>)</rp></ruby> でさえも、何者も防備の外側に出て行くことを許されなかった。 *septimo die diffidens de numero dierum Caesarem fidem servaturum, **(期日の)7日目に、カエサルが日数についての約束を守るであろうか、という不信を抱いた。 *quod longius eum<ref>eum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> progressum audiebat, **というのは、彼(カエサル)は、はるか遠くに前進したと聞いていたのだし、 *neque ulla de reditu eius fama adferebatur, **彼の帰還については何ら伝言を届けられていなかったからである。 *② simul eorum permotus vocibus, **同時に(キケロは)以下のような者たちの声に揺り動かされた。 *qui illius patientiam paene obsessionem appellabant, siquidem ex castris egredi non liceret, **もし本当に陣営から出て行くことが許されないならば、彼の忍耐はほぼ攻囲(籠城)であるというのだ。 *nullum eiusmodi casum exspectans, **以下のような事態を予期してもいなかった。 *quo novem oppositis legionibus maximoque equitatu, **9個[[w:ローマ軍団|軍団]]と最大限の[[w:騎兵|騎兵]]隊が(敵と)対峙して、 *dispersis ac paene deletis hostibus **敵たちは散らばらされて、ほとんど抹殺されたのに、 *in milibus passuum tribus offendi posset, **(自陣から)3ローママイルの内で(敵対勢力から)襲撃され得るとは。 [[画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|thumb|right|200px|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。]] *quinque cohortes frumentatum in proximas segetes mittit, **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を糧秣徴発するために、近隣の耕地に派遣した。 *quas inter et castra unus omnino collis intererat. **それら(の耕地)と陣営の間には、ただ一つの丘陵が介在するだけであった。 *③ Complures erant in castris<ref>in castris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ex legionibus aegri relicti; **陣営の中には、諸軍団のうちから少なからぬ傷病者たちが残留していた。 *ex quibus qui hoc spatio dierum convaluerant, circiter trecenti(CCC), **その者たちのうちから、この日々の間に回復していた約300名が、 *sub vexillo una mittuntur; **<ruby><rb>[[w:ウェクスィッルム|軍旗]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェクスィッルム</rt><rp>)</rp></ruby>のもとで一緒に派遣された。 *magna praeterea multitudo calonum, magna vis iumentorum quae in castris subsederant, **そのうえに、軍属奴隷の大多数、陣営の中に残留していた(ロバなどの)役畜の多数が、 *facta potestate sequitur. **機会を与えられて、随行した。 ===37節=== [[画像:Castra1.png|thumb|right|200px|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。]] '''スガンブリー族がキケロの陣営に襲来''' *① Hoc ipso tempore et casu Germani equites interveniunt **このまさにその時と状況に、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の[[w:騎兵|騎兵]]たちが出現して、 *protinusque eodem illo, quo venerant, cursu **さらに前方へ(彼らが)やって来たのと同じ突進でもって、 *ab decumana porta in castra inrumpere conantur, **第10大隊の門(=裏門)から陣営の中に突入することを試みた。 **:(訳注:decumana porta は[[ガリア戦記 第2巻#24節|第2巻24節]]で既出、図を参照。) *② nec prius sunt visi obiectis ab ea parte silvis, quam [[wikt:la:castrum|castris]] adpropinquarent, **その方面については森林がじゃま立てしていたので(彼らは)陣営に接近するまでは視認されなかったのだ。 *usque eo ut qui sub [[w:la:Vallum|vallo]] tenderent mercatores, recipiendi sui facultatem non haberent. **そこまで(敵が急に来たので)、防柵の下に宿営していた商人たちが退避する機会を持たなかったほどであった。 *③ Inopinantes nostri re nova perturbantur, **予感していなかった我が方は、新しい事態に混乱させられて、 *ac vix primum impetum cohors in statione sustinet. **やっとのことで[[w:歩哨|歩哨]]に就いていた[[w:コホルス|歩兵大隊]]が(敵の)最初の突撃を持ちこたえた。 *④ Circumfunduntur ex reliquis hostes partibus, si quem aditum reperire possent. **敵たちは、何らかの入口を探り出せないかと、ほかの方面から取り囲んだ。 *⑤ Aegre portas nostri tuentur; **我が方(=ローマ勢)は辛うじて(四方の)諸門を固守して、 *reliquos aditus locus ipse per se munitioque defendit. **ほかの入口を、その位置そのものと防備が(敵の突入から)防護した。 *⑥ Totis trepidatur castris, **陣営の全体が震撼させられて、 *atque alius ex alio causam tumultus quaerit; **各人がほかの者に騒乱の原因を尋ね合った。 **:(訳注:エブロネス族を追討している最中に、スガンブリー族が来襲するとは予想だにしなかったからである。) *neque quo signa ferantur, neque quam in partem quisque conveniat provident. **が、どこへ軍旗が運ばれるのか、どの方面におのおのが集結するのか、判らなかった。 *⑦ Alius iam castra capta pronuntiat, **ある者は、すでに陣営は占拠されたと公言し、 *alius deleto exercitu atque imperatore victores barbaros venisse contendit; **別のある者は、軍隊も将軍(カエサル)も滅びて蛮族が勝利者としてやって来たのだ、と断言した。 *⑧ plerique novas sibi ex loco religiones fingunt **たいていの者たちは、その場所から、新奇な迷信的感情を創り上げ、 *Cottaeque et Tituri calamitatem, qui in eodem occiderint castello, **同じ砦のところで斃れた[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|コッタ]]と[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]の敗亡を *ante oculos ponunt. **眼前に想い描いた。 *⑨ Tali timore omnibus perterritis **このような怖れによって(陣営内部の)皆が脅えており、 *confirmatur opinio barbaris, ut ex captivo audierant, nullum esse intus praesidium. **蛮族にとっては、捕虜から聞いていたように、内部に守備隊が存在していないという見解が強められた。 *⑩ Perrumpere nituntur **(スガンブリー勢は、陣営の防備を)突破することに努め、 *seque ipsi adhortantur, ne tantam fortunam ex manibus dimittant. **これほどの幸運を手から取りこぼさないように、自分たちが自身を鼓舞した。 ===38節=== '''バクルスと百人隊長たちが防戦する''' *① Erat aeger cum<ref>cum はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> praesidio relictus P.(Publius) Sextius Baculus, **(キケロの陣営には)プーブリウス・セクスティウス・バクルスが傷病者として、守備兵とともに残されていた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span> *qui primum pilum ad<ref>ad はα系写本の記述で、β系写本では apud となっている。</ref> Caesarem duxerat, **その者はカエサルのもとで<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリムス・ピルス</rt><rp>)</rp></ruby> の座に就いていたことがあり、 *cuius mentionem superioribus proeliis fecimus, **かつての戦闘で彼に言及したが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]] および [[ガリア戦記 第3巻#5節|第3巻5節]]を参照。)</span> *ac diem iam quintum cibo caruerat. **(このとき)食物を欠いてすでに5日目であった。 *② Hic diffisus suae atque omnium saluti inermis ex tabernaculo prodit; **彼は、自らと皆の身の安全に疑念を抱いて、非武装のまま天幕小屋から出て来て、 *videt imminere hostes atque in summo esse rem discrimine; **敵たちが迫って来ていること、および事態が重大な危急にあることを目の当たりにして、 *capit arma a proximis atque in porta consistit. **すぐ近くの者から武器を取って、門のところに陣取った。 *③ Consequuntur hunc centuriones eius cohortis quae in statione erat; **歩哨に立っていた(1個)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> たちが彼に追随して、 **:(訳注:1個歩兵大隊の百人隊長は、定員通りであれば、6名いた。) *paulisper una proelium sustinent. **しばらく一緒に戦闘を持ちこたえた。 *④ Relinquit animus Sextium gravibus acceptis vulneribus; **セクスティウス(・バクルス)は重い傷を受けて、気を失った。 *Deficiens<ref>deficiens はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aegre per manus tractus servatur. **(彼は)衰弱して、(味方の)手から手に運ばれて辛うじて救助された。 *⑤ Hoc spatio interposito reliqui sese confirmant **こうしてしばらくした後で、ほかの者たちは意を強くした。 *tantum, ut in munitionibus consistere audeant speciemque defensorum praebeant. **(それは)防壁にあえて陣取って、防戦者たちの姿を示したほどであった。 ===39節=== '''スガンブリー族が糧秣徴発部隊をも襲う''' *① Interim confecta frumentatione milites nostri clamorem exaudiunt; **その間に、糧秣徴発を成し遂げると、我が方の兵士たち(=ローマ軍団兵)は叫び声を聞きつけて、 *praecurrunt equites; **[[w:騎兵|騎兵]]たちが先駆けして、 *quanto res sit in periculo cognoscunt. **事態がどれほどの危険にあるかを認識した。 *② Hic vero nulla munitio est quae perterritos recipiat; **そこには、まさに、脅え上がった者たちを受け入れるような、いかなる防備もなかったのである。 *modo conscripti atque usus militaris imperiti **やっと徴集されたばかりの者たち、なおかつ兵役の経験に通じていない者たちは、 *ad tribunum militum centurionesque ora convertunt; **<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちの方へ顔を向けた。 *quid ab his praecipiatur exspectant. **彼ら(上官たち)によって何を指図されるか、待っていたのである。 *③ Nemo est tam fortis, quin rei novitate perturbetur. **新奇な事態に不安にさせられないほど勇敢な者は、誰もいなかった。 *④ Barbari signa procul conspicati oppugnatione desistunt, **蛮族たちは、(糧秣徴発隊の)軍旗を遠くから視認すると、(陣営への)攻囲を停止した。 *redisse primo legiones credunt, quas longius discessisse ex captivis cognoverant; **(彼らは)当初は、より遠くに立ち去ったことを捕虜から知っていた(ローマの)諸軍団が戻って来たと思ったが、 *postea despecta paucitate ex omnibus partibus impetum faciunt. **後には、(糧秣徴発隊の)寡勢ぶりを侮って、あらゆる方向から突撃して来た。 ===40節=== '''敵中突破して陣営へ戻る糧秣徴発部隊の明暗''' *① Calones in proximum tumulum procurrunt. **[[w:カロネス|軍属奴隷]]たちは、近隣の丘に先駆けした。 *Hinc celeriter deiecti **(彼らは)ここから、(突撃して来る敵の軍勢を眺めて)たちまち当てが外れて、 *se in signa manipulosque coniciunt; **(後方にいた)軍旗と[[w:マニプルス|歩兵中隊]]のところに身を投じた。 *eo magis timidos perterrent milites. **それゆえに、臆病な兵士たちを大いに脅かした。 [[画像:Wedge-diagram.svg|thumb|right|200px|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。]] *② Alii cuneo facto ut celeriter perrumpant, censent **(ローマ兵の)ある者たちは、速やかに(敵中を)突破するように、<ruby><rb>[[w:くさび|楔形]]</rb><rp>(</rp><rt>くさびがた</rt><rp>)</rp></ruby>隊列を形成しようと考慮した。 *─ quoniam tam propinqua sint castra, **─ 陣営がこれほどまで近隣にあるので、 *etsi pars aliqua circumventa ceciderit, at reliquos servari posse confidunt ─, **たとえ、一部の誰かが包囲されて斃れたとしても、残りの者たちは救われることが可能だと確信したのだ ─。 *③ alii ut in iugo consistant atque eundem omnes ferant casum. **別のある者たちは、(丘の)尾根に陣取って、皆が同じ命運に耐え忍ぼうと(考えた)。 *④ Hoc veteres non probant milites, quos sub vexillo una profectos docuimus. **既述したように軍旗のもとで一緒に発って来た古参兵たちは、後者(の案)を承認しなかった。 **:(訳注:[[#36節|36節]]③項で既述のように、回復した傷病兵たちが同行してきていた。) *Itaque inter se cohortati **こうして、(古参の傷病兵たちは)互いに激励し合って、 *duce C.(Gaio) Trebonio equite Romano, qui iis erat praepositus, **彼らの指揮を委ねられていたローマ人[[w:騎士|騎士階級]]のガイウス・トレボニウスを統率者として、 **:(訳注:[[#33節|33節]]で3個軍団を率いて出発した副官の[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]とは明らかに同名の別人である。) *per medios hostes perrumpunt incolumesque ad unum omnes in castra perveniunt. **敵たちの中央を突破して、一人に至るまで皆が無傷で陣営に到着した。 *⑤ Hos subsecuti calones equitesque eodem impetu militum virtute servantur. **彼らに追随して、軍属奴隷と[[w:騎兵|騎兵]]たちが同様の突撃をして、兵士たちの武勇により救われた。 *⑥ At ii qui in iugo constiterant, **それに対して(丘の)尾根に陣取った者たちは、 *nullo etiam nunc usu rei militaris percepto **今になってさえも、軍事的行動というものを把握しておらず、 *neque in eo quod probaverant consilio permanere, ut se loco superiore defenderent, **より高い場所で身を守るという、彼らが承認していた考えに留まりもせず、 *neque eam quam prodesse aliis vim celeritatemque viderant, imitari potuerunt, **(彼らが)別の者たち(=古参兵)に役立ったのを見ていたところの力と迅速さを真似することもできなかった。 *sed se in castra recipere conati iniquum in locum demiserunt. **けれども、陣営に退却することを試みたが、不利な場所に落ち込んで行った。 *⑦ Centuriones, quorum nonnulli ex inferioribus ordinibus reliquarum legionum **[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]たちといえば、彼らの少なからぬ者たちは、ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]のより低い序列から、 *virtutis causa in superiores erant ordines huius legionis traducti, **武勇のおかげで、この軍団のより高い序列に異動させられていたが、 *ne ante partam rei militaris laudem amitterent, fortissime pugnantes conciderunt. **かつて獲得した軍事的な賞賛を失わないように、とても果敢に奮戦して斃れた。 *⑧ Militum pars horum virtute **兵士たちの一部は、これら(討ち死にした百人隊長たち)の武勇により、 *submotis hostibus praeter spem incolumis in castra pervenit, **予想に反して敵たちが撃退されたので、無傷で陣営に到着した。 *pars a barbaris circumventa periit. **別の一部は、蛮族によって包囲されて、討ち死にした。 ===41節=== '''スガンブリー族の撤退、カエサルの帰還''' *① Germani desperata expugnatione castrorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちは(キケロの)[[w:カストラ|陣営]]の攻略に絶望して、 *quod nostros iam constitisse in munitionibus videbant, **というのは、我が方(ローマ勢)が防備のところに立っているのを見たからであるが、 *cum ea praeda quam in silvis deposuerant, trans Rhenum sese receperunt. **森の中にしまい込んでいた略奪品とともに、レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側に撤退した。 *② Ac tantus fuit etiam post discessum hostium terror, **敵たちの立ち去った後でさえ(ローマ勢の)畏怖はたいへんなものであったので、 *ut ea nocte, cum C.(Gaius) Volusenus missus cum equitatu ad castra venisset, **その夜に、(追討戦に)派遣されていたガーイウス・ウォルセーヌスが騎兵隊とともに陣営へ帰着したときに **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' は、[[ガリア戦記_第3巻#5節|第3巻5節]]のアルプス・オクトードゥールスの戦い、<br>    [[ガリア戦記_第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記_第4巻#23節|23節]]のブリタンニアへの先遣で既述。<br>    この後、さらに第8巻23節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#23|s]])</sub>、48節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#48|s]])</sub>でも活躍する。)</span> *fidem non faceret adesse cum incolumi Caesarem exercitu. **カエサルが無傷の軍隊とともに近くに来ていることを(陣営の残留組に)信用させなかったほどである。 *③ Sic omnino animos timor praeoccupaverat, ut paene alienata mente **ほとんど気でも違ったかのように、皆の心を怖れが占めていた。 **:(訳注:sic … ut ~ の構文;「~と同様に…である」) *deletis omnibus copiis equitatum se ex fuga recepisse dicerent **(残留者たちは、カエサルら)全軍勢が滅ぼされて、[[w:騎兵|騎兵隊]]が敗走から退いて来たのだ、と言った。 *neque incolumi exercitu Germanos castra oppugnaturos fuisse contenderent. **(カエサルら)軍隊が無傷であれば、ゲルマーニア人が陣営を襲撃しなかっただろう、と断言した。 **:(訳注:oppugnaturos fuisse ;間接話法では非現実な[[w:条件法|条件文]]の帰結は「未来分詞+fuisse」で表される。) *④ Quem timorem Caesaris adventus sustulit. **その怖れをカエサルの到着が取り除いた。 **:(訳注:sustulit は tollō の完了・能動3人称単数形) ===42節=== '''カエサルがスガンブリー族の襲来と撤退を運命に帰する''' *① Reversus ille, eventus belli non ignorans, **引き返して来た彼(カエサル)は、戦争の成り行きというものを知らないはずがないので、 *unum quod cohortes ex statione et praesidio essent emissae, **ひとつ(だけ)、<ruby><rb>[[w:コホルス|諸大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> が[[w:歩哨|歩哨]]や守備から(糧秣徴発に)派遣されたことを *questus ─ ne minimo quidem casu locum relinqui debuisse ─ **不慮の事態に対して最小限のいかなる余地も残されるべきではなかった、と嘆いた。 *multum Fortunam in repentino hostium adventu potuisse iudicavit, **不意の敵たちの到来においては運命(の女神)が大いに力を持つ、と断じた。 *② multo etiam amplius, quod paene ab ipso vallo portisque castrorum barbaros avertisset. **さらに、より一層大きかったのは、(運命が)ほとんど蛮族をその陣営の防柵と諸門から追い返してしまったことである。 *③ Quarum omnium rerum maxime admirandum videbatur, **それらのすべての事態でとりわけ驚くべきと思われたのは、 *quod Germani, qui eo consilio Rhenum transierant, ut Ambiorigis fines depopularentur, **その意図で[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]の領土を荒らすようにレヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])を渡河していた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が、 *ad castra Romanorum delati **ローマ人の陣営の方へそらされて、 *optatissimum Ambiorigi beneficium obtulerunt. **アンビオリクスに最も望ましい恩恵を施してしまったことである。 ==対エブロネス族追討戦(2)== ===43節=== '''アンビオリクスが辛うじて追討を逃れる''' *① Caesar rursus ad vexandos hostes profectus **カエサルは再び敵たちを苦しめるために出発して、 *magno coacto &lt;equitum&gt; numero ex finitimis civitatibus in omnes partes dimittit. **[[w:騎兵|騎兵]]の多数を隣接する諸部族から徴集して、あらゆる方面に派遣した。 **:(訳注:&lt;equitum&gt; 「騎兵の」は近代の校訂者による挿入である。) *② Omnes vici atque omnia aedificia quae quisque conspexerat incendebantur, **おのおのが目にしたすべての村々およびすべての建物が焼き打ちされた。 *pecora interficiebantur<ref>pecora interficiebantur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, praeda ex omnibus locis agebatur; **家畜は屠殺され、あらゆる場所から略奪品が奪い去られた。 *③ frumenta non solum tanta multitudine iumentorum atque hominum consumebantur, **役畜および人間たちのこれほど大勢により穀物が消費され尽くしたのみならず、 *sed etiam anni tempore atque imbribus procubuerant, **季節と豪雨によってさえも(穀物が)倒れた。 *ut si qui etiam in praesentia se occultassent, **その結果、もし(エブロネス族の)何者かが現状では身を隠しているとしても、 *tamen his deducto exercitu rerum omnium inopia pereundum videretur. **それでも彼らは(ローマ人の)軍隊が引き揚げれば、あらゆるものの欠乏により死滅するはずと思われた。 *④ Ac saepe in eum locum ventum est tanto in omnes partes diviso equitatu, **たいへん多くの騎兵隊があらゆる方面に分遣されて、しばしば以下のような状態に出くわした。 *ut non modo visum ab se Ambiorigem in fuga circumspicerent captivi **捕虜たちが、自分たちによって逃亡中の[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]が目撃されたと見回しただけでなく、 *nec plane etiam abisse ex conspectu contenderent, **(アンビオリクスが)視界からまったく消え去ってはいないとさえ主張した。 *⑤ ut spe consequendi inlata atque infinito labore suscepto, **その結果、(アンビオリクスを)追跡する希望がもたらされて、さらに限りない労苦が従事された。 *qui se summam ab Caesare gratiam inituros putarent, **カエサルから最高の恩恵を得ようと思った者たちは、 *paene naturam studio vincerent, **熱意により(身体的な)資質にほとんど打ち克ったが、 *semperque paulum ad summam felicitatem defuisse videretur, **いつも最高の恵みにあと少しで足りなかったと思われる。 *⑥ atque ille latebris aut silvis<ref>aut silvis はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aut saltibus se eriperet **かつ彼(アンビオリクス)は隠れ処、あるいは森林、あるいは峡谷によって自らを救い、 *et noctu occultatus alias regiones partesque peteret **夜に秘されて、別の地方や方面をめざした。 *non maiore equitum praesidio quam quattuor, **4名より多くない騎兵の護衛によって、 *quibus solis vitam suam committere audebat. **自らの生命をその者たちだけにあえて委ねたのだ。 ===44節=== '''カエサルが撤退し、造反者アッコを処刑する''' *① Tali modo vastatis regionibus **このようなやり方で(エブロネス族の)諸地域を荒廃させて、 [[画像:Porte_Mars_01.jpg|thumb|right|200px|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。]] *exercitum Caesar duarum cohortium damno [[w:la:Remi|Durocortorum]] Remorum reducit **カエサルは、2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の損失(だけ)で、軍隊を[[w:レミ族|レミ族]]の[[w:ドゥロコルトルム|ドゥロコルトルム]]に連れ戻して、 **:(訳注:ドゥロコルトルムはレミ族の首邑で、現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]] Reims である。) *concilioque in eum locum Galliae indicto **その地においてガッリアの(領袖たちの)会合を公示して、 *de coniuratione Senonum et Carnutum quaestionem habere instituit **[[w:セノネス族|セノネス族]]と[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の共謀について詮議することを決定した。 *② et de Accone, qui princeps eius consilii fuerat, **その謀計の首謀者であった[[w:アッコ (セノネス族)|アッコ]]については *graviore sententia pronuntiata more maiorum supplicium sumpsit. **より重い判決が布告され、(ローマ人の)先祖の習慣により極刑に処した。 **:(訳注:ローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|モムゼン]]は、アッコはローマの<ruby><rb>[[w:リクトル|先導吏]]</rb><rp>(</rp><rt>リクトル</rt><rp>)</rp></ruby> により[[w:斬首刑|斬首]]されたと言及している<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、p.233 を参照。</ref>。 **:外国から来た侵略者カエサルがこのような刑罰を下したことに、ガッリア人たちは憤激した。[[ガリア戦記 第7巻#1節|第7巻1節]]を参照。) *③ Nonnulli iudicium veriti profugerunt. **少なからぬ者たちは、裁判を恐れて逃走した。 *Quibus cum aqua atque igni interdixisset, **その者たちには水と火が禁じられたうえで、 **:(訳注:「水と火を禁じる」とは追放処分のことで、居住権や財産の没収などを指す。) *duas legiones ad fines Treverorum, duas in Lingonibus, **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]をトレーウェリー族の領土へ、2個(軍団)を[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](の領土)に、 *sex reliquas in Senonum finibus [[w:la:Agedincum|Agedinci]] in hibernis conlocavit **残りの6個(軍団)を[[w:セノネス族|セノネス族]]の領土の[[w:アゲディンクム|アゲディンクム]]に、冬営地に宿営させた。 **:(訳注:アゲディンクムは、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]] Sens である。) *frumentoque exercitui proviso, **軍隊の糧秣を調達してから、 *ut instituerat, in Italiam ad conventus agendos profectus est. **定めていたように、イタリアに開廷(巡回裁判)を行なうために出発した。 **:(訳注:ここで「イタリア」とはカエサルが総督を務める[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことと思われる。) ---- *<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第6巻」了。「[[ガリア戦記 第7巻]]」へ続く。</span> ==脚注== <references /> ==参考リンク== *ウィキペディア英語版・日本語版 **[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]([[w:Category:ガリアの部族|Category:ガッリアの部族]]) ***[[w:en:Eburones|Eburones]]([[w:エブロネス族|エブロネス族]]) ***[[w:en:Nervii|Nervii]]([[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]]) ***[[w:en:Senones|Senones]](セノネス族)- [[w:la:Senones|la:Senones]] ***[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌテス族) ***[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィ族]]) ****[[w:en:Lutetia|Lutetia]]([[w:ルテティア|ルテティア]]) ***[[w:en:Menapii|Menapii]](メナピイ族) ***[[w:en:Treveri|Treveri]](トレーウェリー族) ***[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]) ***[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族) ***[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族) **[[w:en:Category:Germanic peoples|Category:Germanic peoples]](ゲルマーニア人のカテゴリ) ***[[w:en:Category:Ancient Germanic peoples|Category:Ancient Germanic peoples]](古代ゲルマーニア人) ***[[w:en:Germanic peoples|Germanic peoples]](ゲルマーニア人) ***[[w:en:Ubii|Ubii]](ウビイー族) ***[[w:en:Suebi|Suebi]]([[w:スエビ族|スエービー族]]) ***[[w:en:Chatti|Chatti]](カッティー族) ***[[w:en:Cherusci|Cherusci]](ケールスキー族) ***[[w:en:Sicambri|Sicambri]](スガンブリー族) ***[[w:en:Hercynian Forest|Hercynian Forest]](ヘルキュニアの森) **地理学者・史家 ***[[w:en:Posidonius|Posidonius]]([[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]];BC135-51年頃)- [[w:la:Posidonius Apameus|la:Posidonius Apameus]] ***[[w:en:Diodorus Siculus|Diodorus Siculus]]([[w:シケリアのディオドロス|シケリアのディオドロス]];BC1世紀) - [[w:la:Diodorus Siculus|la:Diodorus Siculus]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Διόδωρος Σικελιώτης|Διόδωρος Σικελιώτης]](シケリアのディオドロス)- [[s:el:Ιστορική Βιβλιοθήκη|Ιστορική Βιβλιοθήκη]](歴史叢書)〕 ***[[w:en:Strabo|Strabo]]([[w:ストラボン|ストラボン]];BC63年頃–AD24年頃)- [[w:la:Strabo|la:Strabo]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Στράβων|Στράβων]](ストラボン) - [[s:el:Γεωγραφία|Γεωγραφία]](世界地誌)〕 ***[[w:en:Tacitus|Tacitus]]([[w:タキトゥス|タキトゥス]];56年頃–117年頃)- [[w:la:Cornelius Tacitus|la:Cornelius Tacitus]] ****[[w:en:Germania (book)|Germania (book)]]([[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア (書物)]])- [[w:la:Germania (opus 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**カエサルの副官たち ***[[w:en:Titus_Labienus|Titus Labienus]]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]])- [[w:la:Titus_Labienus|la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Trebonius|Gaius Trebonius]]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]])- [[w:la:Gaius Trebonius|la:Gaius Trebonius]] ***[[w:en:Quintus_Tullius_Cicero|Quintus Tullius Cicero]]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]] ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) *ウィクショナリー フランス語版 **[[wikt:fr:calo]](カーロー、軍属奴隷) oq3s6pm2ifuvxajncnfwd3p572kzm4g 263580 263571 2024-11-16T08:36:56Z Linguae 449 /* 9節 */ 修整 263580 wikitext text/x-wiki [[Category:ガリア戦記|6]] [[ガリア戦記]]>&nbsp;'''第6巻'''&nbsp;>[[ガリア戦記 第6巻/注解|注解]] <div style="text-align:center"> <span style="font-size:20px; font-weight:bold; font-variant-caps: petite-caps; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;C&nbsp;IVLII&nbsp;CAESARIS&nbsp;COMMENTARIORVM&nbsp;BELLI&nbsp;GALLICI&nbsp;</span> <span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);">&nbsp;LIBER SEXTVS&nbsp;</span> </div> [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] {| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5" ! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第6巻 目次 |- | style="text-align:right; font-size: 0.86em;"| '''[[#ガッリア北部の平定|ガッリア北部の平定]]''':<br /> '''[[#第二次ゲルマーニア遠征|第二次ゲルマーニア遠征]]''':<br /> '''[[#ガッリア人の社会と風習について|ガッリア人の社会と風習について]]''':<br /> '''[[#ゲルマーニアの風習と自然について|ゲルマーニアの風習と自然について]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(1)|対エブロネス族追討戦(1)]]''':<br /> '''[[#スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦|スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦]]''':<br /> '''[[#対エブロネス族追討戦(2)|対エブロネス族追討戦(2)]]''':<br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> | style="text-align:left; font-size: 0.86em;"| [[#1節|01節]] | [[#2節|02節]] | [[#3節|03節]] | [[#4節|04節]] | [[#5節|05節]] | [[#6節|06節]] | [[#7節|07節]] | [[#8節|08節]] <br /> [[#9節|09節]] | [[#10節|10節]] <br /> [[#11節|11節]] | [[#12節|12節]] | [[#13節|13節]] | [[#14節|14節]] | [[#15節|15節]] | [[#16節|16節]] | [[#17節|17節]] | [[#18節|18節]] | [[#19節|19節]] | [[#20節|20節]] <br /> [[#21節|21節]] | [[#22節|22節]] | [[#23節|23節]] | [[#24節|24節]] | [[#25節|25節]] | [[#26節|26節]] | [[#27節|27節]] | [[#28節|28節]] <br /> [[#29節|29節]] | [[#30節|30節]] | [[#31節|31節]] | [[#32節|32節]] | [[#33節|33節]] | [[#34節|34節]] <br /> [[#35節|35節]] | [[#36節|36節]] | [[#37節|37節]] | [[#38節|38節]] | [[#39節|39節]] | [[#40節|40節]] | [[#41節|41節]] | [[#42節|42節]] <br/> [[#43節|43節]] | [[#44節|44節]] <br/> &nbsp;&nbsp;1節 [[#コラム「カエサルの軍団」|コラム「カエサルの軍団」]]<br> 10節 [[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」|コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」]]<br>10節 [[#コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」|コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」]]<br /> [[#脚注|脚注]]<br /> [[#参考リンク|参考リンク]]<br /> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ <div style="background-color:#dfffdf;"> ==<span style="color:#009900;">はじめに</span>== :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルは、第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])から<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>として属州総督に赴任した。が、これは[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]、[[w:イリュリクム|イッリュリクム]]および[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガッリア・トラーンサルピーナ]]の三属州の統治、および4個軍団を5年間にもわたって任されるというローマ史上前代未聞のものであった。これはカエサルが[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]と非公式な盟約を結んだ[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]]の成果であった。カエサルには属州の行政に従事する気持ちははじめからなく、任期のほとんどを夏季は[[w:ガリア戦争|ガッリア侵攻]]に、冬季は首都ローマへの政界工作に費やした。[[ガリア戦記_第3巻#はじめに|第3巻]]の年([[w:紀元前56年|紀元前56年]])に3人は[[w:ルッカ|ルカ]]([[w:la:Luca|Luca]])の会談を行い、カエサルはクラッススとポンペイウスが翌年に執政官になること、カエサルの総督の任期をさらに5年間延長されることを求めた。会談の結果、任期が大幅に延長されることになったカエサルは、もはや軍事的征服の野望を隠そうとせず、ガッリアに止まらず、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]や[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]の征服へと向かっていく。一方、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に再び執政官になった二人は、[[w:パルティア|パルティア]]を攻略するためにクラッススが[[w:シリア属州|シュリア]]総督になること、ポンペイウスがカエサルと同様に[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の三属州の総督になって4個軍団を任されることを決める。</div> <div style="text-align:center"> {| |- |[[画像:First Triumvirate of Caesar, Crassius and Pompey.jpg|thumb|right|500px|後に[[w:三頭政治#第一回三頭政治|三頭政治]](<span style="font-family:Times New Roman;">[[w:la:Triumviratus|Triumviratus]]</span>)と呼ばれることになる非公式な盟約を結んでいた、左から[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]、[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]。<br>3人の同盟はついに破綻の時を迎える。]] |} </div> :<div style="color:#009900;width:85%;">[[w:ガリア戦記 第5巻|第5巻]]の年([[w:紀元前54年|前54年]])、カエサルは満を持して二回目の[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|ブリタンニア侵攻]]を敢行するが、大した戦果は得られず、背後のガッリア情勢を気にしながら帰還する。ついに[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]率いる[[w:エブロネス族|エブローネース族]]、ついで[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]が反乱を起こし、カエサルは何とか動乱を鎮めるが、ガッリア諸部族の動きは不穏であり、カエサルは諸軍団とともに越冬することを決める。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">カエサルがブリタンニア遠征で不在の間に、ポンペイウスに嫁していたカエサルの一人娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が[[w:産褥|産褥]]で命を落とす。一方、クラッススは属州[[w:シリア属州|シュリア]]に向かうが、これはクラッススの命運とともに三頭政治の瓦解、カエサルとポンペイウスの関係悪化を招来することになる。</div> :<div style="color:#009900;width:85%;">本巻の年([[w:紀元前53年|前53年]])、カエサルは[[w:エブロネス族|エブローネース族]]追討戦に向かうが、これは大きな嵐の前の出来事に過ぎない。</div> </div> <!-- **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==ガッリア北部の平定== ===1節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-09-18}}</span> ;カエサルがポンペイウスの助けにより新兵を徴募する *<!--❶-->Multis de causis Caesar maiorem Galliae [[wikt:en:motus#Noun_2|motum]] [[wikt:en:exspectans|exspectans]] **多くの理由から、カエサルは、ガッリアのより大きな動乱を予期しており、 *per [[wikt:en:Marcus#Latin|Marcum]] [[wikt:en:Silanus#Latin|Silanum]], [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaium]] [[wikt:en:Antistius#Latin|Antistium]] Reginum, [[wikt:en:Titus#Latin|Titum]] [[wikt:en:Sextius#Latin|Sextium]], legatos, **<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:マルクス・ユニウス・シラヌス (紀元前25年の執政官)|マールクス・スィーラーヌス]]、ガーイウス・アンティスティウス・レーギーヌス、ティトゥス・セクスティウスを介して **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:en:Marcus Junius Silanus (consul 25 BC)|Mārcus Iūnius Sīlānus]] はこの年([[w:紀元前53年|前53年]])からカエサルの副官、[[w:紀元前25年|前25年]]に執政官。<br>    ''[[w:fr:Caius Antistius Reginus|Gaius Antistius Reginus]]'' は副官として[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]と[[ガリア戦記_第7巻#90節|90節]]でも後出。<br>    [[w:en:Titus Sextius|Titus Sextius]] はこの年からカエサルの副官、[[ガリア戦記_第7巻#83節|第7巻83節]]でも後出、<br>     [[w:三頭政治#第二回三頭政治|第二回三頭政治]]では[[w:アフリカ属州|アフリカ属州]]の総督を務め、[[w:マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]に引き継ぐ。)</span> *[[wikt:en:dilectus#Noun|dilectum]] habere [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]; **<small>(兵士の)</small>徴募を行なうことを決める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:dilectus#Noun|dīlēctus]] = [[wikt:en:delectus#Noun_2|dēlēctus]]「選択、徴募」)</span> :  *<!--❷-->simul ab [[wikt:en:Gnaeus#Latin|Gnaeo]] [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeio]] [[wikt:en:proconsul#Latin|proconsule]] [[wikt:en:peto#Latin|petit]], **同時に、<ruby><rb>[[w:プロコンスル|前執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>プロコンスル</rt><rp>)</rp></ruby>の[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]に<small>(以下のことを)</small>求める。 *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] ipse ad <u>urbem</u> cum imperio rei publicae causa [[wikt:en:remaneo#Latin|remaneret]], **<small>(ポンペイウス)</small>自身は<u>首都</u><small>〔[[w:ローマ|ローマ市]]〕</small>の辺りに、<ruby><rb>[[w:インペリウム|軍隊司令権]]</rb><rp>(</rp><rt>インペリウム</rt><rp>)</rp></ruby>を伴って、国務のために留まっていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:urbs#Latin|urbs (urbem)]] は普通名詞として「都市・街」を意味するが、特に首都'''[[w:ローマ|ローマ市]]'''を指す。)</span> **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは、第4巻の年([[w:紀元前55年|前55年]])に[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]とともに[[w:執政官|執政官]]を務め、<br>    第5巻の年(昨年=[[w:紀元前54年|前54年]])には[[w:ヒスパニア|両ヒスパーニア]]と[[w:アフリカ属州|アフリカ]]の属州総督となったが、<br>    首都ローマの政局が気がかりであったため、任地には副官を派遣して、<br>    自らはローマ郊外に滞在していた。ただ彼は属州総督であったため、<br>    [[w:ポメリウム|ポメリウム]]と呼ばれるローマ市中心部に立ち入ることは禁じられていた。)</span> *quos ex [[wikt:en:cisalpinus#Latin|Cisalpina]] Gallia <u>consulis</u> [[wikt:en:sacramentum#Latin|sacramento]] [[wikt:en:rogo#Latin|rogavisset]], **[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]の内から、<ruby><rb>[[w:執政官|執政官]]</rb><rp>(</rp><rt>コンスル</rt><rp>)</rp></ruby>のための宣誓を求めていた者たちに、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ポンペイウスは執政官のときに元老院の許可を得て、<br>    カエサルの属州で、自らの属州に派遣するための4個軍団の徴募を行った。<br>    徴集された新兵たちは執政官に宣誓したようである。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega; では [[wikt:en:consulis#Noun|consulis]]「執政官の」だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Ciacconius|Ciacconius]]は [[wikt:en:consul#Latin|consul]]「執政官が」と修正提案している。)</span> *ad signa [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] et ad se [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iuberet]], **軍旗のもとに集まって、自分<small>〔カエサル〕</small>のもとへ進発することを命じるようにと。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、ポンペイウスに軍団兵の融通を求めたわけだ。<br>    ポンペイウスが執政官のときに徴募していたうちの1個軍団がカエサルに貸し出された。<br>    ところがその後、<u>第8巻54節の記述</u>によれば <ref>ラテン語文は、[[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#54]] などを参照。</ref><ref>英訳は、[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_8#54]] などを参照。</ref>、[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]の死後に、[[w:元老院|元老院]]は、<br>    対[[w:パルティア|パルティア]]戦争のために、カエサルとポンペイウスがそれぞれ1個軍団を供出することを可決したが、<br>    ポンペイウスはカエサルに1個軍団の返還を求めたので、<br>    カエサルは計2個軍団の引き渡しを求められることになる。<br>    このことは、[[内乱記_第1巻#2節|『内乱記』第1巻2節]]以降でも言及される。)</span> :  *<!--❸-->magni [[wikt:en:intersum#Latin|interesse]] etiam in reliquum tempus ad [[wikt:en:opinio#Latin|opinionem]] Galliae [[wikt:en:existimans#Latin|existimans]] **ガッリアの世論に対して、これから後の時期にさえも、(カエサルが)大いに重要であると考えていたのは、 *tantas videri Italiae [[wikt:en:facultas#Latin|facultates]] **(以下の程度に)イタリアの(動員)能力が豊富であると見えることである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:Italiaという語は多義的でさまざまに解釈できるが、<br>    本書ではガッリア・キサルピーナを指すことが多い。)</span> *ut, si [[wikt:en:aliquid#Etymology_2|quid]] esset in bello [[wikt:en:detrimentum#Latin|detrimenti]] acceptum, **もし、戦争において何がしかの(兵員の)損害を蒙ったとしても、 *non modo id [[wikt:en:brevis#Latin|brevi]] tempore [[wikt:en:sarcio#Latin|sarciri]], **それが短期間で修復(できる)だけでなく、 *sed etiam [[wikt:en:maior#Adjective_2|maioribus]] [[wikt:en:augeo#Latin|augeri]] copiis posset. **より多く軍勢で増されることが可能だ<br>(とガッリアの世論に思われることが重要であるとカエサルは考えたのである)。 :  *<!--❹-->Quod cum [[wikt:en:Pompeius#Proper_noun|Pompeius]] et rei publicae et amicitiae [[wikt:en:tribuo#Latin|tribuisset]], **そのことを、ポンペイウスは公儀<small>〔ローマ国家〕</small>のためにも(三頭政治の)盟約のためにも認めたので、 *celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] per suos [[wikt:en:dilectus#Noun|dilectu]] **(カエサルの)配下の者たちを介して速やかに徴募が成し遂げられて *tribus ante [[wikt:en:exactus#Latin|exactam]] [[wikt:en:hiems#Latin|hiemem]] et [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] et [[wikt:en:adductus#Latin|adductis]] legionibus **冬が過ぎ去る前に、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]が組織されて<small>(カエサルのもとへ)</small>もたらされ、 *[[wikt:en:duplicatus#Latin|duplicato]]<nowiki>que</nowiki> earum [[wikt:en:cohors#Latin|cohortium]] numero, quas cum [[wikt:en:Quintus#Latin|Quinto]] [[wikt:en:Titurius#Latin|Titurio]] [[wikt:en:amitto#Latin|amiserat]], **それらの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の数は、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|クィーントゥス・ティトゥーリウス(・サビーヌス)]]とともに失っていたものの倍にされた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前巻でサビーヌスとコッタは1個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]](=15個歩兵大隊)を失ったが、<br>    代わりに3個軍団(=30個歩兵大隊)を得たということ。)</span> *et [[wikt:en:celeritas#Latin|celeritate]] et copiis [[wikt:en:doceo#Latin|docuit]], **<small>(徴兵の)</small>迅速さと軍勢<small>(の多さ)</small>において<small>(ガッリア人たちに)</small>示したのは、 *quid populi Romani [[wikt:en:disciplina#Latin|disciplina]] atque [[wikt:en:ops#Noun_4|opes]] possent. **ローマ国民の規律と能力がいかに有力であるかということである。 {| class="wikitable" |- | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Hw-pompey.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。カエサルおよび[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|マルクス・クラッスス]]とともに[[w:三頭政治|三頭政治]]を行ない、[[w:共和政ローマ|共和政末期のローマ]]を支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘[[w:ユリア (ガイウス・ユリウス・カエサルの娘)|ユーリア]]が前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]へ向かう。]] | style="vertical-align:top; text-align:left;" |[[画像:Theatre of Pompey 3D cut out.png|thumb|left|400px|'''[[w:ポンペイウス劇場|ポンペイウス劇場]]'''の復元図。[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]の名を冠したこの劇場は、彼が執政官であった[[w:紀元前55年|紀元前55年]]頃に竣工し、当時最大の劇場であった。<br> 伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は以下のように伝えている<ref>[[s:en:Plutarch%27s_Lives_(Clough)/Life_of_Pompey]] より</ref>:「クラッススは執政官の任期が切れるとすぐに属州へと出発したが、ポンペイウスはローマで劇場の開館式や奉献式に出席し、その式にはあらゆる競技・ショー・運動・体操・音楽などで人々を楽しませた。野獣の狩猟や餌付け、野獣との闘いもあり、500頭のライオンが殺された。しかし何よりも、象の闘いは、恐怖と驚きに満ちた見世物であった」と。<br><br> カエサルの最期の場所でもあり、血みどろのカエサルはポンペイウスの胸像の前で絶命したとされている。]] |} <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="background-color:#dfffdf;"> ===<span style="color:#009900;">コラム「カエサルの軍団」</span>=== :<div style="color:#009900;width:75%;">カエサルは第1巻の年([[w:紀元前58年|紀元前58年]])に三属州の総督に任官するとともに4個軍団(VI・VII・[[w:en:Legio VIII Augusta|VIII]]・[[w:en:Legio IX Hispana|IX]])を任された。[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェーティイー族]]([[w:la:Helvetii|Helvetii]])と対峙するうちに、元老院に諮らずに独断で2個軍団([[w:en:Legio X Equestris|X]]・[[w:en:Legio XI Claudia|XI]])を徴募する(1巻10節)。<br> 第2巻の年([[w:紀元前57年|紀元前57年]])に3個軍団([[w:en:Legio XII Fulminata|XII]]・[[w:en:Legio XIII Gemina|XIII]]・[[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])を徴募して、計9個軍団。<br><br> [[ガリア戦記_第5巻#24節|『第5巻』24節]]の時点で、カエサルは8個軍団と5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を保持していると記されている。最古参の第6軍団が半減していると考えると、[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]によって、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビーヌス]]やコッタらとともに滅ぼされたのは、第14軍団([[w:en:Legio XIV Gemina|XIV]])と古い第6軍団(VI)の生き残りの5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]と考えることができる。<br><br> 本巻の年([[w:紀元前53年|紀元前53年]])では、ポンペイウスの第1軍団がカエサルに譲られ、後にカエサルの軍団の番号系列に合わせて第6軍団(VI)と改称されたようだ。「第14軍団」は全滅させられたので通常は欠番にするところだが、カエサルはあえて再建して第14軍団と第15軍団が徴募され、これら3個軍団を加えると、カエサルが保持するのは計10個軍団となる。<br> もっとも本巻ではカエサルは明瞭な記述をしておらず、上述のように後に2個軍団を引き渡すことになるためか、伝記作家[[w:プルタルコス|プルータルコス]]は、ポンペイウスがカエサルに2個軍団を貸し出した、と説明している。 </div> </div> ===2節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/2節]] {{進捗|00%|2024-09-29}}</span> ;ガッリア北部の不穏な情勢、トレーウェリー族がライン川東岸のゲルマーニア人を勧誘 *<!--❶-->[[wikt:en:interfectus#Latin|Interfecto]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomaro]], ut [[wikt:en:doceo#Latin|docuimus]], **<small>([[ガリア戦記 第5巻#58節|第5巻58節]]で)</small>述べたように、インドゥーティオマールスが殺害されると、 *ad eius propinquos a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] imperium [[wikt:en:defero#Latin|defertur]]. **トレーウェリー族の者たちにより彼の縁者たちへ支配権がもたらされる。 *Illi finitimos [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitare]] et [[wikt:en:pecunia#Latin|pecuniam]] [[wikt:en:polliceor#Latin|polliceri]] non [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]]. **彼らは隣接する[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちをそそのかすこと、および金銭を約束することをやめない。 *Cum ab proximis [[wikt:en:impetro#Latin|impetrare]] non possent, [[wikt:en:ulterior#Latin|ulteriores]] [[wikt:en:tempto#Latin|temptant]]. **たとえ隣人たちによって(盟約を)成し遂げることができなくても、より向こう側の者たちに試みる。 :  *<!--❷-->[[wikt:en:inventus#Latin|Inventis]] [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullis]] civitatibus **少なからぬ部族国家を見出して *[[wikt:en:ius_iurandum#Latin|iure iurando]] inter se [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmant]] **互いに誓約し合って(支持を)固め、 *obsidibusque de pecunia [[wikt:en:caveo#Latin|cavent]]; **金銭(の保証)のために人質たちを提供する。 *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] sibi [[wikt:en:societas#Latin|societate]] et [[wikt:en:foedus#Latin|foedere]] [[wikt:en:adiungo#Latin|adiungunt]]. **[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]を自分たちにとっての連合や同盟に加盟させる。 :  *<!--❸-->Quibus rebus [[wikt:en:cognitus#Participle|cognitis]] Caesar, **それらの事情を知るや、カエサルは、 *cum undique bellum [[wikt:en:paro#Latin|parari]] videret, **至る所で戦争が準備されていることを見ていたので、 *[[wikt:en:Nervii#Latin|Nervios]], [[wikt:en:Aduatuci#Latin|Atuatucos]] ac [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:adiunctus#Participle|adiunctis]] **(すなわち)[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]、アトゥアトゥキー族とメナピイー族を加盟させたうえに *<u>Cisrhenanis</u> omnibus <u>[[wikt:en:Germanus#Noun|Germanis]]</u> esse in armis, **レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>のこちら側のすべてのゲルマーニア人たちが武装していて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) は西岸部族の総称。<br>    ''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族) の対義語で、<br>     西岸の諸部族が東岸の諸部族を招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> *[[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] ad [[wikt:en:imperatum#Latin|imperatum]] non venire **セノネース族は<small>(カエサルから)</small>命令されたことに従わずに *et cum [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutibus]] finitimisque civitatibus consilia [[wikt:en:communico#Latin|communicare]], **カルヌーテース族および隣接する諸部族とともに謀計を共有しており、 *a [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:Germanus#Noun|Germanos]] crebris [[wikt:en:legatio#Latin|legationibus]] [[wikt:en:sollicito#Latin|sollicitari]], **ゲルマーニア人たちがたびたびトレーウェリー族の使節団によってそそのかされていたので、 *[[wikt:en:mature#Adverb|maturius]] sibi de bello [[wikt:en:cogitandus#Latin|cogitandum]] [[wikt:en:puto#Latin|putavit]]. **<small>(カエサルは)</small>自分にとって<small>(例年)</small>より早めに戦争を計画するべきだと見なした。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===3節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/3節]] {{進捗|00%|2024-10-06}}</span> ;カエサルがネルウィイー族を降し、ガッリアの領袖たちの会合を召集する *<!--❶-->Itaque [[wikt:en:nondum#Latin|nondum]] [[wikt:en:hiems#Latin|hieme]] [[wikt:en:confectus#Latin|confecta]] **<small>(カエサルは)</small>こうして、まだ冬が終わらないうちに、 *proximis quattuor [[wikt:en:coactus#Latin|coactis]] legionibus **近隣の4個[[w:ローマ軍団|軍団]]を集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[ガリア戦記_第5巻#52節|第5巻52節]]で言及されたように、カエサルは、本営を置いていた<br>    サマロブリーウァ(現在の[[w:アミアン|アミアン]])周辺の冬営に3個軍団、<br>    およびファビウスの軍団を配置していたと思われる。)</span> *[[wikt:en:de_improviso#Latin|de improviso]] in fines [[wikt:en:Nervii#Latin|Nerviorum]] [[wikt:en:contendo#Latin|contendit]] **不意に[[w:ネルウィイ族|ネルウィイー族]]の領土に急いだ。 :  *<!--❷-->et, [[wikt:en:priusquam#Latin|prius quam]] illi aut [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]] aut [[wikt:en:profugio#Latin|profugere]] possent, **そして、彼ら<small>(の軍勢)</small>は、集結したり、あるいは逃亡したりできるより前に、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:captus#Latin|capto]] **家畜たちおよび人間たちの多数を捕らえて、 *atque ea [[wikt:en:praeda#Latin|praeda]] militibus [[wikt:en:concessus#Participle|concessa]] **それらの戦利品を兵士たちに譲り、 *[[wikt:en:vastatus#Latin|vastatis]]<nowiki>que</nowiki> agris **耕地を荒らして、 *in [[wikt:en:deditio#Latin|deditionem]] venire atque obsides sibi dare [[wikt:en:cogo#Latin|coegit]]. **<small>(ネルウィイー族に、ローマ勢へ)</small>降伏すること、人質たちを自分<small>〔カエサル〕</small>に供出することを強いた。 :  *<!--❸-->Eo celeriter [[wikt:en:confectus#Latin|confecto]] [[wikt:en:negotium#Latin|negotio]] **その戦役は速やかに成し遂げられたので、 *rursus in [[wikt:en:hibernum#Latin|hiberna]] legiones [[wikt:en:reduco#Latin|reduxit]]. **再び諸軍団を冬営に連れ戻した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:本営を置いていたサマロブリーウァ周辺の冬営。)</span> :  *'''ガッリアの領袖たちの会合''' *<!--❹-->[[wikt:en:concilium#Latin|Concilio]] Galliae primo [[wikt:en:ver#Latin|vere]], ut [[wikt:en:instituo#Latin|instituerat]], [[wikt:en:indictus#Participle|indicto]], **ガッリアの<small>(領袖たちの)</small>会合を、定めていたように、春の初めに通告すると、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:会合の集合場所は、当初は本営のあるサマロブリーウァだったであろう。)</span> *cum reliqui praeter [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]], [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]]<nowiki>que</nowiki> venissent, **[[w:セノネス族|セノネース族]]、カルヌーテース族とトレーウェリー族を除いて、ほかの者たちは(会合に)現われていたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:ガッリア北部では、このほかエブローネース族とメナピイー族が参加していないはずである。)</span> *initium belli ac [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] hoc esse [[wikt:en:arbitratus#Latin|arbitratus]], **このこと<span style="color:#009900;">〔3部族の不参加〕</span>は戦争と背反の始まりであると思われて、 *ut omnia [[wikt:en:postpono#Latin|postponere]] videretur, **<small>(他の)</small>すべて<small>(の事柄)</small>を後回しにすることと見なされるように、 *[[wikt:en:concilium#Latin|concilium]] [[wikt:en:Lutetia#Latin|Lutetiam]] [[wikt:en:Parisii#Latin|Parisiorum]] [[wikt:en:transfero#Latin|transfert]]. **会合を[[w:パリシイ族|パリースィイー族]]の(城塞都市である)[[w:ルテティア|ルーテーティア]]に移す。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:ルーテーティア Lutetia は、写本によってはルーテーキア Lutecia とも表記されている。<br>    ラテン語では Lutetia Parisiorum「パリースィイー族の泥土」と呼ばれ、現在の[[w:パリ|パリ市]]である。<br>    [[w:ストラボン|ストラボーン]]などによれば[[w:ケルト語|ケルト語]]でルコテキア Lukotekia と呼ばれていたらしい。)</span> :  ;   セノネース族について [[画像:Plan_de_Paris_Lutece2_BNF07710745.png|thumb|right|200px|ルテティア周辺の地図(18世紀頃)]] *<!--❺-->[[wikt:en:confinis#Latin|Confines]] erant hi [[wikt:en:Senones#Latin|Senonibus]] **彼ら<small>〔パリースィイー族〕</small>はセノネース族に隣接していて、 *civitatemque patrum memoria [[wikt:en:coniungo#Latin|coniunxerant]], **父祖の伝承では<small>(セノネース族と一つの)</small>部族として結びついていた。 *sed ab hoc consilio [[wikt:en:absum#Latin|afuisse]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabantur]]. **しかし<small>(パリースィイー族は)</small>これらの謀計には関与していなかったと考えられていた。 :  *<!--❻-->Hac re pro [[wikt:en:suggestus#Latin|suggestu]] [[wikt:en:pronuntiatus#Latin|pronuntiata]] **<small>(カエサルは)</small>この事を演壇の前で宣言すると、 *eodem die cum legionibus in [[wikt:en:Senones#Latin|Senones]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **同日に諸軍団とともにセノネース族のところに出発して、 *magnisque itineribus eo [[wikt:en:pervenio#Latin|pervenit]]. **強行軍でもってそこに到着した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===4節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/4節]] {{進捗|00%|2024-10-09}}</span> ;セノネース族のアッコーが造反するが、カエサルはセノネース族とカルヌーテース族を降伏させる *<!--❶-->[[wikt:en:cognitus#Participle|Cognito]] eius [[wikt:en:adventus#Latin|adventu]], **彼<small>〔カエサル〕</small>の到来を知ると、 *[[wikt:en:Acco#Latin|Acco]], qui princeps eius consilii fuerat, **その画策の首謀者であった<small>(セノネース族の)</small>'''アッコー''' は、 *[[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]] in oppida multitudinem [[wikt:en:convenio#Latin|convenire]]. **群衆に諸[[w:オッピドゥム|城塞都市]]に集結することを命じる。 :  *[[wikt:en:conans#Latin|Conantibus]], [[wikt:en:priusquam|prius quam]] id [[wikt:en:effici|effici]] posset, [[wikt:en:adsum#Latin|adesse]] Romanos [[wikt:en:nuntio#Verb|nuntiatur]]. **そのことが遂行され得るより前に、ローマ人が接近していることが、企てている者たちに報告される。 :  *<!--❷-->Necessario [[wikt:en:sententia#Latin|sententia]] [[wikt:en:desisto#Latin|desistunt]] **<small>(セノネース族は)</small>やむなく<small>(カエサルへの謀反の)</small>意図を思いとどまって、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:necessario#Adverb|necessāriō]] = [[wikt:en:necessarie#Adverb|necessāriē]]「やむを得ず」)</span> *legatosque [[wikt:en:deprecor#Latin|deprecandi]] causa ad Caesarem mittunt; **<small>(恩赦を)</small>嘆願するために、使節たちをカエサルのもとへ遣わして、 *<u>adeunt</u> per [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduos]], quorum [[wikt:en:antiquitus|antiquitus]] erat in fide civitas. **部族国家が昔から<small>(ローマ人に対して)</small>忠実であった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]を介して、頼み込む。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この部分は、セノネース族がハエドゥイー族の庇護下にあったように訳されることも多いが、<br>    [[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]における両部族とローマ人の関係の記述を考慮して、上のように訳した<ref>[[s:en:Commentaries_on_the_Gallic_War/Book_6#4|英語版ウィキソース]]では「they make advances to him through the Aedui, whose state was from ancient times under the protection of Rome.」と英訳されている。</ref>。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:de:adire|adeō]]「(誰かに)アプローチする」「(誰かに)頼る、頼む、懇願する」<ref>[https://www.frag-caesar.de/lateinwoerterbuch/adeo-uebersetzung-1.html adeo-Übersetzung im Latein Wörterbuch]</ref>)</span> :  *<!--❸-->Libenter Caesar [[wikt:en:petens#Latin|petentibus]] [[wikt:en:Aedui#Latin|Haeduis]] dat [[wikt:en:venia#Latin|veniam]] **カエサルは、懇願するハエドゥイー族に対して、喜んで<small>(セノネース族への)</small>恩赦を与え、 *[[wikt:en:excusatio#Latin|excusationem]]<nowiki>que</nowiki> accipit, **<small>(セノネース族の)</small>弁解を受け入れる。 *quod [[wikt:en:aestivus#Latin|aestivum]] tempus [[wikt:en:instans#Latin|instantis]] belli, **というのは、夏の時季は差し迫っている<small>(エブローネース族らとの)</small>戦争のためのものであり、 *non [[wikt:en:quaestio#Latin|quaestionis]] esse [[wikt:en:arbitror#Latin|arbitrabatur]]. **<small>(謀反人に対する)</small>尋問のためのものではないと<small>(カエサルが)</small>判断していたからである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:エブローネース族との戦争が終わった後に、謀反人への尋問が行なわれることになる。[[#44節|44節]]参照。)</span> :  *<!--❹-->Obsidibus [[wikt:en:imperatus#Latin|imperatis]] centum, **<small>(カエサルは)</small>100人の人質<small>(の供出)</small>を命令すると、 *hos Haeduis [[wikt:en:custodiendus#Latin|custodiendos]] [[wikt:en:trado#Latin|tradit]]. **彼ら<small>〔人質たち〕</small>を監視するべく[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイー族]]に引き渡す。 :  *<!--❺-->[[wikt:en:eodem#Adverb|Eodem]] [[wikt:en:Carnutes#Latin|Carnutes]] legatos obsidesque [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]], **ちょうどそこに、カルヌーテース族が使節たちと人質たちを遣わして、 *[[wikt:en:usus#Participle|usi]] [[wikt:en:deprecator#Latin|deprecatoribus]] [[wikt:en:Remi#Proper_noun_3|Remis]], quorum erant in [[wikt:en:clientela#Latin|clientela]]; **<small>(カルヌーテース族が)</small><ruby><rb>[[w:クリエンテス|庇護]]</rb><rp>(</rp><rt>クリエンテーラ</rt><rp>)</rp></ruby>を受ける関係にあったレーミー族を<ruby><rb>助命仲介者</rb><rp>(</rp><rt>デープレカートル</rt><rp>)</rp></ruby>として利用して、 *eadem ferunt [[wikt:en:responsum#Latin|responsa]]. **<small>(セノネース族のときと)</small>同じ返答を獲得する。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:perago#Latin|Peragit]] [[wikt:en:concilium#Noun|concilium]] Caesar **カエサルは<small>(ガッリア諸部族の領袖たちの)</small>会合を完了して、 *equitesque [[wikt:en:impero#Latin|imperat]] civitatibus. **[[w:騎兵|騎兵]]たち<small>(の供出)</small>を諸部族に命令する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===5節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/5節]] {{進捗|00%|2024-10-10}}</span> ;アンビオリークスへの策を練り、メナピイー族へ向かう *<!--❶-->Hac parte Galliae [[wikt:en:pacatus#Latin|pacata]], **ガッリアのこの方面が平定されたので、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#3節|3節]]~[[#4節|4節]]でネルウィイー族、セノネース族とカルヌーテース族がカエサルに降伏したことを指す。)</span> *totus et mente et animo in bellum [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] et [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigis]] [[wikt:en:insisto#Latin|insistit]]. **<small>(カエサルは)</small>全身全霊をかけて、トレーウェリー族と[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]との戦争に着手する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:totus et [[wikt:en:mens#Latin|mente]] et [[wikt:en:animus#Latin|animo]] 「全身全霊をかけて」''with all his heart and soul'' )</span> :  *<!--❷-->[[wikt:en:Cavarinus#Latin|Cavarinum]] cum equitatu [[wikt:en:Senones#Latin|Senonum]] [[wikt:en:secum#Latin|secum]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **カウァリーヌスに、セノネース族の[[w:騎兵|騎兵]]隊を伴って、自分<small>〔カエサル〕</small>とともに出発することを命じる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:de:Cavarinus|Cavarinus]]'' は、[[ガリア戦記 第5巻#54節|第5巻54節]]で前述のように、<br>    カエサルにより王位に据えられていたが、独立主義勢力により追放された。)</span> *ne [[wikt:en:aliquis#Latin|quis]] <u>aut</u> ex huius [[wikt:en:iracundia#Latin|iracundia]] <u>aut</u> ex eo, quod [[wikt:en:mereo#Latin|meruerat]], [[wikt:en:odium#Latin|odio]] civitatis [[wikt:en:motus#Noun_2|motus]] [[wikt:en:exsistat|exsistat]]. **彼の激しやすさから、<u>あるいは</u>彼が招来していた反感から、部族国家の何らかの動乱が起こらないようにである。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節でアッコーら独立主義者たちがカエサルに降伏して、<br>    カウァリーヌスが王位に戻されたために、<br>    部族内で反感をかっていたのであろう。)</span> :  *<!--❸-->His rebus [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]], **これらの事柄が取り決められると、 *quod pro explorato habebat, [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] [[wikt:en:proelium#Latin|proelio]] non esse <u>concertaturum</u>, **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が戦闘で激しく争うつもりではないことを、確実と見なしていたので、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[wikt:en:pro#Latin|pro]] [[wikt:en:exploratus#Latin|explorato]] = [[wikt:en:exploratus#Latin|exploratum]]「確かなものとして(''as certain'')」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系(A・Q)およびL・N写本では non esse <u>[[wikt:en:concertaturum|concertaturum]]</u>「激しくつもりではないこと」だが、<br>         &beta;系写本では non esse <u>[[wikt:en:contenturum|contenturum]]</u><br>         B・M・S写本では non esse <u>concertaturum [[wikt:en:tenturum|tenturum]]</u> となっている。)</span> *reliqua eius [[wikt:en:consilium#Latin|consilia]] animo [[wikt:en:circumspicio#Latin|circumspiciebat]]. **彼<small>〔アンビオリークス〕</small>のほかの計略に思いをめぐらせていた。 :  ;   カエサルがメナピイー族の攻略を決意 *<!--❹-->Erant [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] propinqui [[wikt:en:Eburones#Latin|Eburonum]] finibus, **メナピイー族は[[w:エブロネス族|エブローネース族]]の領土に隣り合っていて、 *[[wikt:en:perpetuus#Latin|perpetuis]] [[wikt:en:palus#Latin|paludibus]] [[wikt:en:silva#Latin|silvis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:munitus#Latin|muniti]], **絶え間ない沼地と森林によって守られており、 *qui uni ex Gallia de pace ad Caesarem legatos [[wikt:en:numquam#Latin|numquam]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]. **彼らは[[w:ガリア|ガッリア]]のうちでカエサルのもとへ講和の使節たちを決して遣わさなかった唯一の者たちであった。 :  *Cum his esse [[wikt:en:hospitium#Latin|hospitium]] [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigi]] [[wikt:en:scio#Latin|sciebat]]; **<small>(カエサルは)</small>[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が彼らのもとで歓待されていることを知っていたし、 *item per [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venisse Germanis in [[wikt:en:amicitia#Latin|amicitiam]] [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoverat]]. **同様にトレーウェリー族を通じて[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人と盟約を結んだことも探知していた。 :  *<!--❺-->Haec <u>prius</u> illi [[wikt:en:detrahendus#Latin|detrahenda]] auxilia [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]] <u>quam</u> ipsum bello [[wikt:en:lacesso#Latin|lacesseret]], **<ruby><rb>彼奴</rb><rp>(</rp><rt>あやつ</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔アンビオリークス〕</small>へのこれらの支援は、彼奴自身に戦争で挑みかかる<u>より前に</u>引き離されるべきだと考えていた。 *ne [[wikt:en:desperatus#Latin|desperata]] [[wikt:en:salus#Latin|salute]] **<small>(アンビオリークスが)</small>身の安全に絶望して、 *<u>aut</u> se in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:abdo#Latin|abderet]], **<u>あるいは</u>メナピイー族のところに身を隠したりしないように、 *<u>aut</u> cum [[wikt:en:Transrhenanus#Latin|Transrhenanis]] [[wikt:en:congredior#Latin|congredi]] [[wikt:en:cogo#Latin|cogeretur]]. **<u>あるいは</u>レーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>の向こう側の者たちと合同することを強いられないように、である。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''Germani Transrhenani'' 「レーヌスの向こう側のゲルマーニア人」(東岸の諸部族)を<br>    ''[[w:en:Germani cisrhenani|Germani Cisrhenani]]''「レーヌスのこちら側のゲルマーニア人」(西岸の諸部族) が<br>    招き寄せているというのが『ガリア戦記』の主張である。)</span> :  *<!--❻-->Hoc [[wikt:en:initus#Participle|inito]] consilio, **この計略を決断すると、 *[[wikt:en:totus#Etymology_1|totius]] exercitus [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimenta]] ad [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:mitto#Latin|mittit]] **<small>(カエサルは)</small>全軍の[[w:輜重|輜重]]を、トレーウェリー族のところにいる[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]のもとへ送り、 *duasque ad eum legiones [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficisci]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]; **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に彼<small>〔ラビエーヌス〕</small>のもとへ出発することを命じる。 :  *ipse cum legionibus [[wikt:en:expeditus#Participle|expeditis]] quinque in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapios]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身は軽装の5個軍団とともにメナピイー族のところに出発する。 :  *<!--❼-->Illi, [[wikt:en:nullus#Adjective|nulla]] [[wikt:en:coactus#Latin|coacta]] [[wikt:en:manus#Latin|manu]], **あの者らは、何ら手勢を集めず、 *loci [[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] [[wikt:en:fretus#Adjective|freti]], **地勢の要害を信頼して、 *in [[wikt:en:silva#Latin|silvas]] [[wikt:en:palus#Latin|paludes]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:confugio#Latin|confugiunt]] **森林や沼地に避難して、 *[[wikt:en:suus#Latin|sua]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:eodem#Adverb|eodem]] [[wikt:en:confero#Latin|conferunt]]. **自分たちの家財を同じところに運び集める。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===6節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/6節]] {{進捗|00%|2024-10-20}}</span> ;メナピイー族がついにカエサルの軍門に降る *<!--❶-->Caesar, **カエサルは、 *[[wikt:en:partitus#Latin|partitis]] copiis cum [[wikt:en:Gaius#Latin|Gaio]] [[wikt:en:Fabius#Latin|Fabio]] legato et [[wikt:en:Marcus#Latin|Marco]] [[wikt:en:Crassus#Latin|Crasso]] [[wikt:en:quaestor#Latin|quaestore]] **[[w:レガトゥス|副官]]である[[w:ガイウス・ファビウス|ガーイウス・ファビウス]]と[[w:クァエストル|財務官]]である[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス (財務官)|マールクス・クラッスス]]とともに軍勢を分配して、 *celeriterque [[wikt:en:effectus#Participle|effectis]] [[wikt:en:pons#Latin|pontibus]] **速やかに橋梁を造って、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:橋梁は軽装の軍団兵が沼地を渡るためのものなので、丸太道のようなものであろうか。)</span> *[[wikt:en:adeo#Verb|adit]] [[wikt:en:tripertito|tripertito]], **三方面から<small>(メナピイー族の領土に)</small>接近して、 [[画像:GallischeHoeve.jpg|thumb|right|200px|復元されたメナピイー族の住居(再掲)]] *[[wikt:en:aedificium#Latin|aedificia]] [[wikt:en:vicus#Latin|vicos]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:incendo#Latin|incendit]], **建物や村々を焼き討ちして、 *magno [[wikt:en:pecus#Latin|pecoris]] atque hominum numero [[wikt:en:potior#Latin|potitur]]. **家畜や人間の多数を<small>(戦利品として)</small>獲得する。 :  *<!--❷-->Quibus rebus [[wikt:en:coactus#Participle|coacti]] **そのような事態に強いられて、 *[[wikt:en:Menapii#Latin|Menapii]] legatos ad eum [[wikt:en:pax#Latin|pacis]] [[wikt:en:petendus#Latin|petendae]] causa [[wikt:en:mitto#Latin|mittunt]]. **メナピイー族は和平を求めるための使節たちを彼<small>〔カエサル〕</small>のもとへ遣わす。 :  *<!--❸-->Ille [[wikt:en:obses#Latin|obsidibus]] [[wikt:en:acceptus#Latin|acceptis]], **彼<small>〔カエサル〕</small>は人質たちを受け取ると、 *hostium se [[wikt:en:habiturus#Latin|habiturum]] numero [[wikt:en:confirmo#Latin|confirmat]], si aut [[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorigem]] aut eius legatos finibus suis [[wikt:en:recipio#Latin|recepissent]]. **もし[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]か彼の使節を自領に迎え入れたら、自分は<small>(メナピイー族を)</small>敵として見なすだろうと断言する。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:属格の名詞 + numero「〜として」) :  *<!--❹-->His [[wikt:en:confirmatus#Latin|confirmatis]] rebus, **これらの事柄を確立すると、 *[[wikt:en:Commius#Latin|Commium]] [[wikt:en:Atrebas#Latin|Atrebatem]] cum [[wikt:en:equitatus#Latin|equitatu]] [[wikt:en:custos#Latin|custodis]] loco in [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] [[wikt:en:relinquo#Latin|relinquit]]; **アトレバーテース族である[[w:コンミウス|コンミウス]]を[[w:騎兵|騎兵]]隊とともに、目付け役として、メナピイー族のところに残す。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、カエサルがアトレバテース族の王にすえて、ブリタンニア遠征の先導役として遣わし、<br>    カッスィウェッラウヌスの降伏の仲介を</span>果たしていた。[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・27節や[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]などを参照。) *ipse in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]]. **<small>(カエサル)</small>自身はトレーウェリー族のところに出発する。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===7節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/7節]] {{進捗|00%|2024-10-27}}</span> [[画像:Titelberg_01.jpg|thumb|right|200px|トレーウェリー族の城砦跡(再掲)]] ;トレーウェリー族の開戦準備、ラビエーヌスの計略 *<!--❶-->Dum haec a Caesare [[wikt:en:gero#Latin|geruntur]], **これらのことがカエサルによって遂行されている間に、 *[[wikt:en:Treveri#Latin|Treveri]] magnis [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] [[wikt:en:peditatus#Latin|peditatus]] [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatus]]<nowiki>que</nowiki> copiis **トレーウェリー族は、[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の大軍勢を徴集して、 *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] cum una legione, quae in eorum finibus <u>[[wikt:en:hiemo#Latin|hiemaverat]]</u>, **彼らの領土において越冬していた1個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]を、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:hiemaverat|hiemaverat]] <small>(過去完了形)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:hiemabat|hiemabat]] <small>(未完了過去形)</small> などとなっている。)</span> *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] [[wikt:en:paro#Latin|parabant]], **襲撃することを準備していた。 :  *<!--❷-->iamque ab eo non longius [[wikt:en:biduum#Latin|bidui]] via [[wikt:en:absum#Verb|aberant]], **すでに、そこ<small>〔ラビエーヌスの冬営〕</small>から2日間の道のりより遠く離れていなかったが、 *cum duas venisse legiones [[wikt:en:missus#Noun_2|missu]] Caesaris [[wikt:en:cognosco#Latin|cognoscunt]]. **そのときに、カエサルが派遣した2個軍団が到着したことを知る。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[#5節|5節]]で既述のように、カエサルはラビエーヌスのところへ全軍の輜重と2個軍団を派遣していた。<br>    こうして、ラビエーヌスはローマ全軍の輜重と3個軍団を任されることになった。) :  *<!--❸-->[[wikt:en:positus#Latin|Positis]] <u>castris</u> a milibus passuum [[wikt:en:quindecim#Latin|quindecim]](XV) **<small>(トレーウェリー勢は、ラビエーヌスの冬営から)</small>15ローママイルのところに<u>野営地</u>を設置して、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 kmで、15マイルは約22 km)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:[[w:カストラ|カストラ]] [[wikt:en:castra#Latin|castra]] という語はローマ勢の行軍中の野営地や常設の宿営地に用いられ、<br>    非ローマ系部族の野営地に用いられることは稀である。)</span> *auxilia [[wikt:en:Germani#Latin|Germanorum]] [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituunt]]. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の援軍を待つことを決める。 :  *<!--❹-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] hostium [[wikt:en:cognitus#Participle|cognito]] consilio **ラビエーヌスは、敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>の計略を知ると、 *[[wikt:en:sperans#Latin|sperans]] [[wikt:en:temeritas#Latin|temeritate]] eorum [[wikt:en:fore#Etymology_2_2|fore]] [[wikt:en:aliqui#Latin|aliquam]] [[wikt:en:dimico#Latin|dimicandi]] facultatem, **彼らの無謀さにより何らかの争闘する機会が生ずるであろうと期待して、 *[[wikt:en:praesidium#Latin|praesidio]] quinque(V) cohortium [[wikt:en:impedimentum#Latin|impedimentis]] [[wikt:en:relictus#Latin|relicto]] **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>の守備隊を[[w:輜重|輜重]]のために残し、 *cum XXV(viginti quinque) cohortibus magnoque [[wikt:en:equitatus#Etymology_1|equitatu]] contra hostem [[wikt:en:proficiscor#Latin|proficiscitur]] **25個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>および多勢の騎兵隊とともに、敵に抗して進発する。 *et mille passuum [[wikt:en:intermissus#Latin|intermisso]] spatio castra [[wikt:en:communio#Latin|communit]]. **<small>(トレーウェリー勢から)</small>1ローママイルの間隔を置いて、[[w:カストラ|陣営]]<small>〔野営地〕</small>を固める。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作/通貨・計量単位#ミーッレ・パッスーム、ミーリア(ローママイル)|ローママイル]]は約1.48 km)</span> :  *<!--❺-->Erat inter [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienum]] atque hostem [[wikt:en:difficilis#Latin|difficili]] [[wikt:en:transitus#Latin|transitu]] flumen [[wikt:en:ripa#Latin|ripis]]<nowiki>que</nowiki> [[wikt:en:praeruptus#Adjective|praeruptis]]. **ラビエーヌスと敵の間には、渡ることが困難な川が、急峻な岸とともにあった。 *Hoc <u>neque</u> ipse [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] habebat in animo **これを<small>(ラビエーヌス)</small>自身は渡河するつもりではなかったし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:~ habeo in animo「~するつもりである」)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:neque ~, neque …「~でもないし、…でもない」)</span> *<u>neque</u> hostes [[wikt:en:transiturus#Latin|transituros]] [[wikt:en:existimo#Latin|existimabat]]. **敵勢も渡河して来ないであろうと<small>(ラビエーヌスは)</small>考えていた。 :  *<!--❻-->[[wikt:en:augeo#Latin|Augebatur]] auxiliorum [[wikt:en:cotidie#Latin|cotidie]] spes. **<small>(トレーウェリー勢にとって、ゲルマーニア人の)</small>援軍への期待は日ごとに増されるばかりであった。 *[[wikt:en:loquor#Latin|Loquitur]] <u>in consilio</u> [[wikt:en:palam#Adverb|palam]]: **<small>(ラビエーヌスは)</small>会議において公然と<small>(以下のように)</small>述べる。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本&omega;では in [[wikt:en:consilio|consilio]] だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Aldus|Aldus]] は in [[wikt:en:concilium#Latin|concilio]] と修正提案し、<br>         Hecker は [[wikt:en:consulto#Adverb|consulto]] と修正提案している。)</span> *[[wikt:en:quoniam#Latin|quoniam]] [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]] [[wikt:en:adpropinquo#Latin|adpropinquare]] [[wikt:en:dico#Latin|dicantur]], **ゲルマーニア人<small>(の軍勢)</small>が近づいていることが言われているので、 *sese suas exercitusque fortunas in [[wikt:en:dubium#Noun|dubium]] non [[wikt:en:devocaturus#Latin|devocaturum]] **自分は自らと軍隊の命運を不確実さの中に引きずり込むことはないであろうし、 *et postero die prima luce castra [[wikt:en:moturus#Latin|moturum]]. **翌日の夜明けには陣営を引き払うであろう。 :  *<!--❼-->Celeriter haec ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]], **これら<small>(のラビエーヌスの発言)</small>は速やかに敵勢<small>〔トレーウェリー族〕</small>のもとへ報じられたので、 *ut ex magno Gallorum equitum numero [[wikt:en:nonnullus#Latin|non nullos]] <u>Gallos</u> [[wikt:en:gallicus#Latin|Gallicis]] rebus [[wikt:en:faveo#Latin|favere]] natura [[wikt:en:cogo#Latin|cogebat]]. **ガッリア人の境遇を想う気質が、<small>(ローマ側)</small>ガッリア人騎兵の多数のうちの若干名を励ましていたほどである。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部の [[wikt:en:Gallus#Noun|Gallos]] は &alpha;系写本の記述で、&beta;系写本では欠く。)</span> :  *<!--❽-->[[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], noctu tribunis militum primisque ordinibus <u>convocatis</u>, **ラビエーヌスは、夜間に<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちと第一序列(の[[w:ケントゥリオ|百人隊長]])たちを召集すると、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:1個軍団当たりの<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby> の定員は計6名。<br>    第一序列の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオー</rt><rp>)</rp></ruby>たち primorum ordinum centuriones は、軍団内における[[w:下士官|下士官]]のトップであり、<br>     第一<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> においては定員5名だが、<br>     ほかの歩兵大隊においては定員6名であった。)</span> **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:convocatus#Latin|convocatis]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:coactus#Participle|coactis]] などとなっている。)</span> *quid sui sit consilii, [[wikt:en:propono#Latin|proponit]] **自分の計略がいかなるものであるかを呈示して、 *et, quo facilius hostibus [[wikt:en:timor#Latin|timoris]] [[wikt:en:det#Latin|det]] [[wikt:en:suspicio#Noun|suspicionem]], **それ<small>〔計略〕</small>によって、よりたやすく敵勢に<small>(ローマ勢の)</small>恐怖心という推測を起こすべく、 *maiore [[wikt:en:strepitus#Latin|strepitu]] et [[wikt:en:tumultus#Latin|tumultu]], quam populi Romani fert [[wikt:en:consuetudo#Latin|consuetudo]] **ローマ国民の習慣が引き起こすよりもより大きな騒音や喧騒をもって *castra [[wikt:en:moveo#Latin|moveri]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]]. **陣営を引き払うことを命じる。 *His rebus fugae [[wikt:en:similis#Latin|similem]] [[wikt:en:profectio#Latin|profectionem]] [[wikt:en:efficio#Latin|effecit]]. **<small>(ラビエーヌスは)</small>これらの事によって、逃亡に似た進発を実現した。 :  *<!--❾-->Haec quoque per [[wikt:en:explorator#Latin|exploratores]] **これらのこともまた、<small>(トレーウェリー勢の)</small>斥候たちを通じて、 *ante [[wikt:en:lux#Latin|lucem]] in tanta [[wikt:en:propinquitas#Latin|propinquitate]] castrorum ad hostes [[wikt:en:defero#Latin|deferuntur]]. **夜明け前には、陣営のこれほどの近さにより、敵勢へ報じられる。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===8節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/8節]] {{進捗|00%|2024-10-28}}</span> ;ラビエーヌスがトレーウェリー族を降す :  ;   トレーウェリー勢が、渡河してラビエーヌスの軍勢に攻めかかろうとする *<!--❶-->[[wikt:en:vix#Latin|Vix]] [[wikt:en:agmen#Latin|agmen]] [[wikt:en:novissimus#Latin|novissimum]] extra [[wikt:en:munitio#Latin|munitiones]] [[wikt:en:procedo#Latin|processerat]], **<small>(ローマ勢の)</small>行軍隊列の最後尾が防塁の外側にほぼ進み出ようとしていた、 *cum Galli [[wikt:en:cohortatus#Latin|cohortati]] inter se, ne [[wikt:en:speratus#Latin|speratam]] [[wikt:en:praeda#Latin|praedam]] ex manibus [[wikt:en:dimitto#Latin|dimitterent]] **そのときにガッリア人たちは、期待していた戦利品を<small>(彼らの)</small>手から逸しないように、互いに鼓舞し合って、 *── longum esse, [[wikt:en:perterritus#Latin|perterritis]] Romanis [[wikt:en:Germani#Proper_noun|Germanorum]] auxilium [[wikt:en:exspecto#Latin|exspectare]]; **── ローマ人が<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>ているのに、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の支援を待つことは悠長なものである。 *neque suam [[wikt:en:patior#Latin|pati]] [[wikt:en:dignitas#Latin|dignitatem]], **<small>(以下のことは)</small>自分たちの尊厳が耐えられない。 *ut [[wikt:en:tantus#Latin|tantis]] copiis [[wikt:en:tam#Latin|tam]] [[wikt:en:exiguus#Latin|exiguam]] manum, praesertim [[wikt:en:fugiens#Latin|fugientem]] atque [[wikt:en:impeditus#Latin|impeditam]], **これほどの大軍勢で<small>(ローマの)</small>それほどの貧弱な手勢を、特に逃げ出して<small>(荷物で)</small>妨げられている者たちを *[[wikt:en:adorior#Latin|adoriri]] non [[wikt:en:audeo#Latin|audeant]] ── **あえて襲撃しないとは──<small>(と鼓舞し合って)</small> *flumen [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] et iniquo loco [[wikt:en:committo#Latin|committere]] proelium non [[wikt:en:dubito#Latin|dubitant]]. **川を渡って<small>(切り立った岸を登りながら)</small>不利な場所で交戦することをためらわない。 :  ;   ラビエーヌス勢が怖気を装いながら、そろりそろりと進む *<!--❷-->Quae fore [[wikt:en:suspicatus#Latin|suspicatus]] [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]], **こうしたことが生じるであろうと想像していた[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエーヌス]]は、 *ut omnes citra flumen [[wikt:en:elicio#Latin|eliceret]], **<small>(敵の)</small>総勢を川のこちら側に誘い出すように、 *[[wikt:en:idem#Latin|eadem]] [[wikt:en:usus#Participle|usus]] [[wikt:en:simulatio#Latin|simulatione]] itineris **行軍の同じ見せかけを用いて、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:前節で語られたように、<ruby><rb>怖気</rb><rp>(</rp><rt>おじけ</rt><rp>)</rp></ruby>て今にも逃げ出しそうな風に装いながらの行軍。)</span> *[[wikt:en:placide#Adverb|placide]] [[wikt:en:progredior#Latin|progrediebatur]]. **穏やかに前進していた。 :  ;   ラビエーヌスが全軍の兵を叱咤激励する *<!--❸-->Tum [[wikt:en:praemissus#Latin|praemissis]] paulum impedimentis **それから、[[w:輜重|輜重]]<small>(の隊列)</small>を少し先に遣わして、 *atque in [[wikt:en:tumulus#Latin|tumulo]] [[wikt:en:quidam#Adjective|quodam]] [[wikt:en:collocatus#Latin|conlocatis]], **とある高台に配置すると、 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>&nbsp;[[wikt:en:habetis|Habetis]],<span style="color:#009900;">»</span></span> [[wikt:en:inquam#Latin|inquit]], <!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;"><span style="color:#009900;">«</span>milites, quam [[wikt:en:petistis|petistis]], [[wikt:en:facultas#Latin|facultatem]]; </span> **<small>(ラビエーヌスは)</small>「兵士らよ、<small>(諸君は)</small>求めていた機会を得たぞ」と言った。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:以下、<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">&nbsp;<span style="color:#009900;">«</span> ~ <span style="color:#009900;">»</span>&nbsp;</span> の箇所は、直接話法で記されている。)</span> *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">hostem [[wikt:en:impeditus#Latin|impedito]] atque [[wikt:en:iniquus#Latin|iniquo]] loco [[wikt:en:tenetis|tenetis]]: </span> **「<small>(諸君は)</small>敵を<small>(川岸で)</small>妨げられた不利な場所に追いやった。」 *<!--❹--><!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">[[wikt:en:praestate|praestate]] eandem nobis [[wikt:en:dux#Latin|ducibus]] [[wikt:en:virtus#Latin|virtutem]], quam saepe numero [[wikt:en:imperator#Latin|imperatori]] [[wikt:en:praestitistis|praestitistis]], </span> **「我々<ruby><rb>将帥</rb><rp>(</rp><rt>ドゥクス</rt><rp>)</rp></ruby>らに、<small>(諸君が)</small>しばしば<ruby><rb>将軍</rb><rp>(</rp><rt>インペラートル</rt><rp>)</rp></ruby><small>〔カエサル〕</small>に見せて来たのと同じ武勇を見せてくれ。」 *<!--▲直接話法--><span style="background-color:#e8e8ff;">atque illum adesse et haec [[wikt:en:coram#Adverb|coram]] [[wikt:en:cerno#Latin|cernere]] [[wikt:en:existimate|existimate]].<span style="color:#009900;">»</span></span> **「彼<small>〔カエサル〕</small>が訪れて、これ<small>〔武勇〕</small>を目の前で見ていると思ってくれ。」 :  ;   ラビエーヌスが軍を反転させて攻撃態勢を整える *<!--❺-->Simul signa ad hostem [[wikt:en:converto#Latin|converti]] aciemque [[wikt:en:dirigo#Latin|dirigi]] [[wikt:en:iubeo#Latin|iubet]], **同時に、軍旗が敵の方へ向きを変えられることと、戦列が整えられること、を命じる。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:軍勢が敵側へ向けて反転して、戦列を整えること、を命じた。)</span> [[画像:Pilensalve.jpg|thumb|right|250px|[[w:ピルム|ピールム]](投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演]] *et paucis [[wikt:en:turma#Latin|turmis]] praesidio ad impedimenta [[wikt:en:dimissus#Latin|dimissis]], **かつ若干の<ruby><rb>[[w:トゥルマ|騎兵小隊]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を輜重のための守備隊として送り出して、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:騎兵小隊 turma はローマ軍の<br>    [[w:アウクシリア|支援軍]]における中規模の編成単位で、<br>    各30騎ほどと考えられている。)</span> *reliquos equites ad latera [[wikt:en:dispono#Latin|disponit]]. **残りの[[w:騎兵|騎兵]]たちを<small>(軍勢の)</small>両側面へ分置する。 :  ;   ラビエーヌス勢が喊声を上げて、投げ槍を投げ始める *<!--❻-->Celeriter nostri, clamore [[wikt:en:sublatus#Latin|sublato]], [[wikt:en:pilum#Latin|pila]] in hostes [[wikt:en:inmitto#Latin|inmittunt]]. **我が方<small>〔ローマ勢〕</small>は、雄叫びを上げると、速やかに<ruby><rb>[[w:ピルム|投げ槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピールム</rt><rp>)</rp></ruby>を敵勢へ放り入れる。 :  ;   不意を突かれたトレーウェリー勢が、一目散に逃げ出して、最寄りの森林を目指す *Illi, ubi [[wikt:en:praeter#Latin|praeter]] spem, quos <span style="color:#009900;">&lt;modo&gt;</span> [[wikt:en:fugio#Latin|fugere]] [[wikt:en:credo#Latin|credebant]], [[wikt:en:infestus#Latin|infestis]] signis ad se ire viderunt, **<span style="font-size:11pt;">彼らは、期待に反して、<span style="color:#009900;">&lt;ただ&gt;</span>逃げていると信じていた者たちが、軍旗を攻勢にして自分らの方へ来るのを見るや否や、</span> *[[wikt:en:impetus#Latin|impetum]] <u>modo</u> ferre non potuerunt **<small>(ローマ勢の)</small>突撃を持ちこたえることができずに、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部 modo は主要写本&omega;ではこの位置にあるが、<br>    上記の &lt;modo&gt; に移す修正提案がある。)</span> *ac primo [[wikt:en:concursus#Noun|concursu]] in fugam [[wikt:en:coniectus#Participle|coniecti]] **最初の猛攻で敗走に追い込まれて、 *proximas silvas [[wikt:en:peto#Latin|petierunt]]. **近隣の森を目指した。 :  ;   ラビエーヌス勢が、トレーウェリー勢の多数を死傷させ、部族国家を奪回する *<!--❼-->Quos [[wikt:en:Labienus#Latin|Labienus]] equitatu [[wikt:en:consectatus#Latin|consectatus]], **<small>(敗走した)</small>その者たちを、ラビエーヌスは騎兵隊で追撃して、 *magno numero [[wikt:en:interfectus#Latin|interfecto]], **多数の者を<ruby><rb>殺戮</rb><rp>(</rp><rt>さつりく</rt><rp>)</rp></ruby>して、 *compluribus [[wikt:en:captus#Latin|captis]], **かなりの者たちを捕らえて、 *paucis post diebus civitatem recepit. **数日後に<small>(トレーウェリーの)</small>部族国家を<small>(蜂起の前の状態に)</small>戻した。 :  [[画像:Bund-ro-altburg.jpg|thumb|right|180px|トレーウェリー族の再現された住居(再掲)]] [[画像:Trier_Kaiserthermen_BW_1.JPG|thumb|right|180px|トレーウェリー族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツの[[w:トリーア|トリーア市]](Trier)に残るローマ時代の浴場跡]] ;   ゲルマーニア人の援軍が故国へ引き返す *Nam [[wikt:en:Germani#Latin|Germani]], qui auxilio veniebant, **なぜなら、援軍として来ようとしていたゲルマーニア人たちは、 *[[wikt:en:perceptus#Latin|percepta]] [[wikt:en:Treveri#Latin|Treverorum]] fuga **トレーウェリー族の敗走を把握したので、 *sese [[wikt:en:domus#Latin|domum]] <u>receperunt</u>. **故国に撤退していった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:receperunt|receperunt]] だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:contulerunt|contulerunt]] となっている。)</span> :  ;   インドゥーティオマールスの残党がゲルマーニアへ出奔する *<!--❽-->Cum his [[wikt:en:propinquus#Latin|propinqui]] [[wikt:en:Indutiomarus#Latin|Indutiomari]], **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>とともに、インドゥーティオマールスの縁者たちは、 *qui [[wikt:en:defectio#Latin|defectionis]] [[wikt:en:auctor#Latin|auctores]] fuerant, **その者らは<small>(トレーウェリー族におけるカエサルへの)</small>謀反の張本人であったが、 *[[wikt:en:comitatus#Participle|comitati]] eos ex civitate [[wikt:en:excedo#Latin|excesserunt]]. **彼ら<small>〔ゲルマーニア人〕</small>を伴って、部族国家から出て行った。 :  ;   カエサルとローマに忠節なキンゲトリークスに、部族の統治権が託される *<!--❾-->[[wikt:en:Cingetorix#Latin|Cingetorigi]], **キンゲトリークスに対しては、 *quem ab initio [[wikt:en:permaneo#Latin|permansisse]] in [[wikt:en:officium#Latin|officio]] [[wikt:en:demonstravimus|demonstravimus]], **──その者が当初から<small>(ローマへの)</small>忠義に留まり続けたことは前述したが── **:<span style="color:#009900;">(訳注:キンゲトリークスについては、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]~4節・[[ガリア戦記 第5巻#56節|56節]]~57節で述べられている。)</span> *[[wikt:en:principatus#Latin|principatus]] atque [[wikt:en:imperium#Latin|imperium]] est traditum. **首長の地位と支配権が託された。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <span style="font-size:11pt;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ==第二次ゲルマーニア遠征== ===9節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/9節]] {{進捗|00%|2024-11-06}}</span> ;再びレーヌスを渡河、ウビイー族を調べる *<!--❶-->Caesar, [[wikt:en:postquam#Latin|postquam]] ex [[wikt:en:Menapii#Latin|Menapiis]] in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] venit, **カエサルは、メナピイー族のところからトレーウェリー族のところに来た後で、 *duabus de causis [[wikt:en:Rhenus#Latin|Rhenum]] [[wikt:en:transeo#Latin|transire]] [[wikt:en:constituo#Latin|constituit]]; **二つの理由からレーヌス<small>〔[[w:ライン川|ライン川]]〕</small>を渡ることを決めた。 :  *<!--❷-->quarum una erat, quod <span style="color:#009900;">&lt;Germani&gt;</span> auxilia contra se [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] [[wikt:en:mitto#Latin|miserant]]; **その<small></small>(理由の)一つは、<span style="color:#009900;">&lt;ゲルマーニア人が&gt;</span>自分<small>〔カエサル〕</small>に対抗して、トレーウェリー族に援軍を派遣していたことであった。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:&lt;Germani&gt; は、主要写本&omega;にはなく、[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Hotomanus|Hotomanus]] による挿入提案。)</span> *<span style="color:#009900;">(quarum)</span> altera <span style="color:#009900;">(erat)</span>, ne ad eos [[wikt:en:|Ambiorix]] [[wikt:en:receptus#Noun|receptum]] haberet. **もう一つ<small></small>(の理由)は、彼らのもとへ[[w:アンビオリクス|アンビオリークス]]が避難所を持たないように、ということであった。 :  [[画像:Caesar's Rhine Crossing.jpg|thumb|right|250px|カエサルがライン川に橋を架けたとされる有力な地点の図示。ライン川と[[w:モーゼル川|モーゼル川]]の合流点にある[[w:コブレンツ|コブレンツ]]([[w:en:Koblenz|Koblenz]])と下流の[[w:アンダーナッハ|アンダーナッハ]]([[w:en:Andernach|Andernach]])との間の[[w:ノイヴィート|ノイヴィート]]([[w:en:Neuwied|Neuwied]])辺りが有力な地点の一つとされる。'''([[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図を再掲)''']] *<!--❸-->His [[wikt:en:constitutus#Participle|constitutis]] rebus, **これらの事柄を決定すると、 *[[wikt:en:paulum#Adverb|paulum]] supra eum locum, [[wikt:en:quo#Adverb|quo]] ante exercitum [[wikt:en:traduco#Latin|traduxerat]], **<u>以前に軍隊を渡らせていた場所</u>の少し上流に、 *facere [[wikt:en:pons#Latin|pontem]] [[wikt:en:instituo#Latin|instituit]]. **橋を造ることを決意する。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]] でカエサルが[[w:ライン川|ライン川]]に架橋した場所のこと。<br>    第4巻の'''[[ガリア戦記_第4巻#コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」|コラム]]''' や [[ガリア戦記_第4巻#17節|第4巻17節]]の図で説明したように、<br>    カエサルの最初の架橋地点には異論もあるが、<br>    今回の架橋地点がトレーウェリー族領であった<br>    [[w:モーゼル川|モーゼル川]]渓谷から近かったであろうことから有力視される。)</span> :  *<!--❹-->[[wikt:en:notus#Latin|Nota]] atque [[wikt:en:institutus#Latin|instituta]] ratione, **経験しかつ建造していた方法で、 *magno militum [[wikt:en:studium#Latin|studio]] **兵士たちの大きな熱意により *paucis diebus [[wikt:en:opus#Latin|opus]] [[wikt:en:efficio#Latin|efficitur]]. **わずかな日数で作業が完遂される。 :  *<!--❺-->Firmo in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveris]] ad pontem praesidio relicto, **トレーウェリー族(の領内)の橋のたもとへ強力な守備隊を残した。 *ne quis ab his subito motus <u>oreretur</u>, **彼らによる何らかの動乱が突然に起こされないように。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・&rho;系写本では [[wikt:en:oreretur|oreretur]]、<br>         &phi;系・&pi;系写本では [[wikt:en:oriretur|oriretur]] だが、語形の相異。)</span> *reliquas copias equitatumque traducit. **残りの軍勢と騎兵隊を(レーヌスの東岸へ)渡らせた。 :  *<!--❻-->Ubii, qui ante obsides dederant atque in deditionem venerant, **ウビイー族は、以前に(カエサルに対して)人質たちを供出していて、降伏していたが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:この事はすでに[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]で述べられている。)</span> *<u>purgandi sui</u> causa ad eum legatos mittunt, **自分たちの申し開きをすることのために、彼(カエサル)のところへ使節たちを遣わして、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:purgandi|purgandi]] [[wikt:en:sui#Pronoun|sui]] だが、<br>         &beta;系写本では purgandi のみ。)</span> *qui doceant, **(以下のように)説かせた。 *neque <u>auxilia ex sua civitate</u> in [[wikt:en:Treveri#Latin|Treveros]] missa **自分たちの部族から援軍をトレーウェリー族のところに派遣してもいないし、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&chi;系・B・M・S写本では [[wikt:en:auxilia#Latin|auxilia]] ex sua [[wikt:en:civitate|civitate]]、<br>         L・N・&beta;系写本では ex sua civitate auxilia の語順になっている。)</span> *neque ab se fidem laesam: **自分らにより(ローマへの)信義を傷つけてもいない、と。 :  *<!--❼-->petunt atque orant, **(ウビイー族の使節たちは、以下のように)求め、かつ願った。 *ut sibi parcat, **自分たちを容赦し、 *ne communi odio Germanorum innocentes pro nocentibus poenas pendant; **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人一般への憎しみから、潔白な者たちが加害者たちのために罰を償うことがないように、と。 *si amplius obsidum <u>vellet, dare</u> pollicentur. **もし、より多くの人質を欲するのなら、供出することを約束する、と。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、&alpha;系写本では [[wikt:en:vellet#Latin|vellet]] <small>(未完了過去・接続法)</small> [[wikt:en:dare#Latin|dare]] <small>(現在・能動・不定)</small> だが、<br>         &beta;系写本では [[wikt:en:velit#Latin|velit]] <small>(現在・接続法)</small> [[wikt:en:dari#Latin|dari]] <small>(現在・受動・不定法)</small> となっている。)</span> :  *<!--❽-->Cognita Caesar causa **カエサルは事情を調査して、 *<u>repperit</u> ab Suebis auxilia missa esse; **スエービー族により(トレーウェリー族に)援軍が派遣されていたことを見出した。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:repperit|repperit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         近世以降の印刷本 [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#クリティカル・アパラトゥスとその略号|edd.]] では [[wikt:en:reperit|reperit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> :  *Ubiorum satisfactionem <u>accepit</u>, **ウビイー族の弁解を受け入れて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:下線部は、主要写本 &omega; では [[wikt:en:accepit|accepit]] <small>(完了形)</small> だが、<br>         [[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#Davisius|Davisius]] の修正提案では [[wikt:en:accipit|accipit]] <small>(現在形)</small> となっている。)</span> *aditus viasque in Suebos perquirit. **スエービー族のところに出入りする道筋を問い質した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> ===10節=== *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/10節]] {{進捗|00%|2024-11-16}}</span> ;ウビイー族を通じてスエービー族の動静を探る *<!--❶-->Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior, **わずかな日々の後の間に、ウビイー族によって報告されたことには、 *Suebos omnes in unum locum copias cogere **スエービー族は、すべての軍勢を一か所に集めて、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:後述するように、これはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] のことであろう。)</span> *atque iis nationibus, quae sub eorum sint imperio, **彼らの支配下にある種族たちに *denuntiare, ut auxilia peditatus equitatusque mittant. **[[w:歩兵|歩兵]]隊と[[w:騎兵|騎兵]]隊の援軍を派遣するように指示した。 :  *<!--❷-->His cognitis rebus, **<small>(カエサルは)</small>これらの事情を知ると、 *rem frumentariam providet, **糧食調達を準備して、 *castris idoneum locum deligit; **[[w:カストラ|陣営]]<small>(を設置するの)</small>に適切な場所を選んだ。 *Ubiis imperat, ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, **ウビイー族には、家畜を連れ去り、自分たちの一切合財を土地から[[w:オッピドゥム|城市]]に運び集めるように命令した。 *sperans barbaros atque imperitos homines **<small>(カエサルが)</small>期待したのは、野蛮で無知な連中が *inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; **糧秣の欠乏に動かされて、不都合な条件のもとで戦うことがあり得るように誘引されることであった。 :  *<!--❸-->mandat, ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. **偵察者たちをたびたびスエービー族内に遣わして、彼らのもとで遂行されていることを知るように<small>(ウビイー族に)</small>委ねた。 :  *<!--❹-->Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: **彼ら<small>〔ウビイー族〕</small>は、命令されたことを実行して、わずかな日々を間に置いて(以下のことを)報告する。 *Suebos omnes, posteaquam certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, **スエービー族は皆、ローマ人の軍隊についてより確実な報告がもたらされた後で、 *cum omnibus suis sociorumque copiis, quas coegissent, **自分たちの軍勢と集結していた同盟者たちの軍勢とともに、 *penitus ad extremos fines se recepisse; **領土の最も遠い奥深くまで撤退していた。 :  *<!--❺-->silvam esse ibi infinita magnitudine, quae appellatur <u>Bacenis</u>; **そこには、'''バケーニス'''と呼ばれている限りない大きさの森林がある。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:バケーニス [[wikt:en:Bacenis#Latin|Băcēnis]] は、ギリシア語で Βακέννη とも表記されるが、どこなのかは諸説ある。<br>     ①ドイツ西部[[w:ヘッセン州|ヘッセン州]]にあったブコニアの森 ''[[w:de:Buchonia|Buchonia]]; [[w:fr:Forêt de Buconia|Buconia]]'' は有力。<br>     ②ドイツの奥地・中東部の[[w:テューリンゲン州|テューリンゲン州]]にある[[w:テューリンゲンの森|テューリンゲンの森]]という説<ref>[[s:de:RE:Bacenis silva]], [[wikt:de:Bacenis]] 等を参照。</ref><br>     ③ドイツ西部[[w:ラインラント=プファルツ州|ラインラント=プファルツ州]]ライン川沿岸のニールシュタイン [[w:en:Nierstein|Nierstein]] 説、<br>    などがある。史実としてスエービーという部族連合が居住していたのはテューリンゲンであろうが、<br>    ライン川からはあまりにも遠すぎる。)</span> *hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam **これは、はるか内陸に及んでいて、天然の防壁として横たわっており、 *[[wikt:en:Cheruscos|Cheruscos]] ab Suebis Suebosque ab [[wikt:en:Cheruscis|Cheruscis]] iniuriis incursionibusque prohibere: **ケールスキー族をスエービー族から、スエービー族をケールスキー族から、無法行為や襲撃から防いでいる。 *ad eius initium silvae Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. **その森の始まりのところで、スエービー族はローマ人の到来を待ち構えることを決定した。 <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について」=== [[画像:Hermann (Arminius) at the battle of the Teutoburg Forest in 9 CE by Peter Jannsen, 1873, with painting creases and damage removed.jpg|thumb|right|250px|ウァルスの戦い([[w:de:Varusschlacht|Varusschlacht]])こと[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]](AD9年)で戦う、ゲルマーニア軍とローマ軍(Johann Peter Theodor Janssen画、1870~1873年頃)。中央上の人物はケールスキー族の名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]。<br>アルミニウスが率いるケールスキー族・カッティー族らゲルマーニア諸部族同盟軍は、P.クィン(ク)ティリウス・ウァルス麾下ローマ3個軍団を壊滅させ、アウグストゥスに「ウァルスよ諸軍団を返せ([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Quintili Vare]], legiones redde!)」と嘆かせた。]] <br> <div style="background:#ecf;">  '''スエービー族とカッティー族'''</div> :『ガリア戦記』では、第1巻・第4巻および第6巻でたびたび[[w:スエビ族|スエービー族]]の名が言及される。タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の38章「スエービー」などを参照。</ref>など多くの史家が伝えるようにスエービー族 [[wikt:en:Suebi#Latin|Suēbī]] またはスエウィ族 Suēvī とは、単一の部族名ではなく、多くの独立した部族国家から構成される連合体の総称とされる。 :19世紀のローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]]によれば<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、のp.201, p.224, p.232などを参照。</ref>、カエサルの時代のローマ人には 「スエービー」とは遊牧民を指す一般的な呼称で、カエサルがスエービーと呼ぶのはカッティー族だという。 :カッティー族とスエービー系諸部族の異同は明確ではないが、多くの史家は両者を区別して伝えている。 : 第1巻37節・51節・53節~54節、第4巻1節~4節・7節などで言及され、「百の郷を持つ」と されている「スエービー族」は、スエービー系諸部族の総称、あるいは遊牧系の部族を指すのであろう。 : 他方、第4巻16節・19節・第6巻9節~10節・29節で、ウビイー族を圧迫する存在として言及される :「スエービー族」はモムゼンの指摘のように、カッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] であることが考えられる。 :タキトゥス著『ゲルマーニア』<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の36章「ケルスキー」などを参照。</ref>でも、カッティー族はケールスキー族と隣接する宿敵として描写され、本節の説明に合致する。 <div style="background:#ecf;">  '''ケールスキー族'''</div> :ケールスキー族は、『ガリア戦記』では[[#10節|本節]]でカッティー族と隣接する部族として名を挙げられる :のみである。しかしながら、本巻の年(BC53年)から61年後(AD9年)には、帝政ローマの :[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]がゲルマーニアに派遣していたプブリウス・クィンクティリウス・ウァルス :([[w:la:Publius_Quinctilius_Varus|Publius Quinctilius Varus]])が率いるローマ軍3個軍団に対して、名将[[w:アルミニウス (ゲルマン人)|アルミニウス]]を :指導者とするケールスキー族は、カッティー族ら諸部族の同盟軍を組織して、ウァルスの3個軍団を :[[w:トイトブルク森の戦い|トイトブルク森の戦い]]において壊滅させ、老帝アウグストゥスを嘆かせたという。 <div style="background:#ecf;">  '''ウビイー族'''</div> :ウビイー族は『ガリア戦記』の第4巻・第6巻でも説明されているように、ローマ人への忠節を :認められていた。そのため、タキトゥスによれば<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫の28章などを参照。</ref>、ゲルマニアへのローマ人の守りとして :BC38年頃にレヌス(ライン川)左岸のコロニア([[w:la:Colonia_Agrippina|Colonia]];植民市)すなわち現在の[[w:ケルン|ケルン市]]に移された。) </div> ==ガッリア人の社会と風習について== <div style="border:solid #999 1px;background:#feedff;max-width:80%;padding:0.25em 1em;margin:0.5em auto;align:left;overflow:auto;text-align:justify;"> ===コラム「ガッリア・ゲルマーニアの地誌・民族誌について」=== [[画像:Testa di saggio o principe, forse il filosofo poseidonio, 50 ac. ca 01.JPG|thumb|right|200px|アパメアの[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]の胸像。地中海世界やガッリアなどを広く訪れて、膨大な著作を残した。<br>『ガリア戦記』の地誌・民族誌的な説明も、その多くを彼の著作に依拠していると考えられている。]] :これ以降、11節~20節の10節にわたってガッリアの地誌・民族誌的な説明が展開され、さらには、ゲルマーニアの地誌・民族誌的な説明などが21節~28節の8節にわたって続く。ガッリア戦争の背景説明となるこのような地誌・民族誌は、本来ならば第1巻の冒頭に置かれてもおかしくはない。しかしながら、この第6巻の年(BC53年)は、カエサル指揮下のローマ勢にとってはよほど書かれるべき戦果が上がらなかったためか、ガッリア北部の平定とエブロネス族の追討戦だけでは非常に短い巻となってしまうため、このような位置に置いたとも考えられる。ゲルマーニアの森にどんな獣が住んでいるかなど、本筋にほとんど影響のないと思われる記述も見られる。 :『ガリア戦記』におけるガッリアの地誌・民族誌的な説明、特にこの11節以降の部分は、文化史的に重要なものと見なされ、考古学やケルトの伝承などからも裏付けられる。しかし、これらの記述はカエサル自身が見聞したというよりも、むしろ先人の記述、とりわけBC2~1世紀のギリシア哲学ストア派の哲学者・地理学者・歴史学者であった[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]([[w:la:Posidonius Apameus|Posidonius Apameus]])の著作に依拠していたと考えられている<ref>『ケルト事典』ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、創元社の「ポセイドニオス」「カエサル」の項を参照。</ref> <ref>『ケルト人』ヴァンセスラス・クルータ([[w:fr:Venceslas Kruta|Venceslas Kruta]])著、鶴岡真弓訳、白水社 のp.20-21を参照。</ref>。ポセイドニオスは、ローマが支配する地中海世界やガッリア地域などを広く旅行した。彼の52巻からなる膨大な歴史書は現存しないが、その第23巻にガッリアに関する詳細な記述があったとされ、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、[[w:ストラボン|ストラボン]]、[[w:アテナイオス|アテナイオス]]らによって引用され、同時代および近代のケルト人観に多大な影響を与えたと考えられている。 :現存するガッリアの地誌・民族誌は、ストラボン<ref>『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』ストラボン著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ディオドロス<ref>『神代地誌』ディオドロス著、飯尾都人訳、龍溪書舎を参照。</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>『世界地理』ポンポニウス・メラ著、飯尾都人訳(上掲『神代地誌』に所収)</ref>のものなどがある。現存するゲルマーニアの地誌・民族誌は、ストラボン、タキトゥス<ref>『ゲルマーニア』タキトゥス著、泉井久之助訳注、岩波文庫などを参照。</ref>、ポンポニウス・メラなどのものがある。 </div> ===11節=== '''ガッリア人の派閥性''' *① Quoniam ad hunc locum perventum est, **この地(ゲルマーニア)にまで到達したので、 *non alienum esse videtur de Galliae Germaniaeque moribus et, quo differant hae nationes inter sese proponere. **[[w:ガリア|ガッリア]]と[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]の風習について、これらの種族が互いにどのように異なるか述べることは不適切でないと思われる。 *② In Gallia non solum in omnibus civitatibus atque in omnibus <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagis]]</u> partibusque, **ガッリアにおいては、すべての部族において、さらにすべての<u>郷</u>や地方においてのみならず、 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus">''[[w:en:Pagus]]'' 等を参照。</ref>。)</span> *sed paene etiam in singulis domibus factiones sunt, **ほとんどの個々の氏族においてさえも、派閥があり、 *earumque factionum principes sunt, **それらの派閥には、領袖がいる。 *③ qui summam auctoritatem eorum iudicio habere existimantur, **その者(領袖)らは、彼ら(派閥)の判断に対して、最高の影響力を持っていると考えられている。 *quorum ad arbitrium iudiciumque summa omnium rerum consiliorumque redeat. **すべての事柄と協議は結局のところ、その者(領袖)らの裁量や判断へ帰する。 *④ Idque eius rei causa antiquitus institutum videtur, **それは、それらの事柄のために昔から取り決められたものと見られ、 *ne quis ex plebe contra potentiorem auxilii egeret: **平民のある者が、より権力のある者に対して、援助を欠くことがないように、ということである。 *suos enim quisque opprimi et circumveniri non patitur, **すなわち(領袖たちの)誰も、身内の者たちが抑圧されたり欺かれたりすることを容認しない。 *neque, aliter si faciat, ullam inter suos habet auctoritatem. **もし(領袖が)そうでなくふるまったならば、身内の者たちの間で何ら影響力を持てない。 *⑤ Haec eadem ratio est in summa totius Galliae; **これと同じ理屈が、ガッリア全体の究極において存在する。 *namque omnes civitates in partes divisae sunt duas. **すなわち、すべての部族が二つの党派に分けられているのである。 ===12節=== '''ハエドゥイ族、セクァニ族、レミ族の覇権争い''' *① Cum Caesar in Galliam venit, **カエサルがガッリアに来たときに、 *alterius factionis principes erant Haedui, alterius Sequani. **(二つの)派閥の一方の盟主は[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]であり、他方は[[w:セクァニ族|セクァニ族]]であった。 **:(訳注:第1巻31節の記述によれば、ハエドゥイ族と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]がそれぞれの盟主であった。 **:カエサルが本節でアルウェルニ族の名を伏せている理由は不明である。 **:また、[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.330)</ref>、ハエドゥイ族とセクァニ族の敵対関係においては、 **:両部族を隔てるアラル川の水利権(川舟の通行税)をめぐる争いが敵意を助長していたという。) *② Hi cum per se minus valerent, **後者(セクァニ族)は自力ではあまり優勢ではなかったので、 *quod summa auctoritas antiquitus erat in Haeduis **というのは、昔から最大の影響力はハエドゥイ族にあって、 *magnaeque eorum erant clientelae, **彼ら(ハエドゥイ族)には多くの庇護民があったからであるが、 *Germanos atque Ariovistum sibi adiunxerant **[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人と[[w:アリオウィストゥス|アリオウィストゥス]]を自分たちに会盟させ、 *eosque ad se magnis iacturis pollicitationibusque perduxerant. **多くの負担と約束で 彼らを自分たちのところに引き入れた。 *③ Proeliis vero compluribus factis secundis **実にいくつもの戦闘を順調に行なって、 *atque omni nobilitate Haeduorum interfecta **ハエドゥイ族のすべての高貴な者たちを殺害して、 *tantum potentia antecesserant, **かなりの勢力で抜きん出たので、 *④ ut magnam partem clientium ab Haeduis ad se traducerent **結果として、ハエドゥイ族から庇護民の大部分を自分たちへ味方に付けて、 *obsidesque ab iis principum filios acciperent **彼らから領袖の息子たちを人質として受け取り、 *et publice iurare cogerent nihil se contra Sequanos consilii inituros, **自分たち(ハエドゥイ族)がセクァニ族に対して何ら謀計を始めるつもりではない、と公に誓うことを強いて、 *et partem finitimi agri per vim occupatam possiderent **近隣の土地の一部を力ずくで占領して所有地とした。 *Galliaeque totius principatum obtinerent. **ガッリア全体の指導権を手に入れた。 *⑤ Qua necessitate adductus **それにより、やむを得ずに動かされて、 *Diviciacus auxilii petendi causa Romam ad senatum profectus infecta re redierat. **[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]は支援を求めるために[[w:ローマ|ローマ市]]に元老院のところへ赴いたが、事を成就せずに帰った。 *⑥ Adventu Caesaris facta commutatione rerum, **カエサルの到来で事態の変化がなされて、 *obsidibus Haeduis redditis, **ハエドゥイ族の人質たちは戻されて、 *veteribus clientelis restitutis, **昔からの庇護民が復帰して、 *novis per Caesarem comparatis, **カエサルを通じて新参者たちを仲間にした。 *quod ii qui se ad eorum amicitiam adgregaverant, **というのは、彼ら(ハエドゥイ族)の友好のもとに仲間となっていた者たちが、 *⑦ meliore condicione atque aequiore imperio se uti videbant, **(セクァニ族)より良い条件とより公平な支配を享受しているように見えて、 *reliquis rebus eorum gratia dignitateque amplificata **ほかの事柄においても彼ら(ハエドゥイ族)の信望と品格がより増されて、 *Sequani principatum dimiserant. **セクァニ族は指導権を放棄したのだ。 *In eorum locum Remi successerant: **彼ら(セクァニ族)の地位において、[[w:レミ族|レミ族]]が取って代わった。 *quos quod adaequare apud Caesarem gratia intellegebatur, **その者ら(レミ族)はカエサルのもとで信望において(ハエドゥイ族と)同等であると認識されたので、 *ii qui propter veteres inimicitias nullo modo cum Haeduis coniungi poterant, **昔からの敵対関係のためにハエドゥイ族とどのようなやり方でも結ぶことができなかった者たちは、 *se Remis in clientelam dicabant. **レミ族との庇護関係に自らを委ねたのだ。 *⑧ Hos illi diligenter tuebantur; **この者ら(レミ族)はあの者ら(庇護民)を誠実に保護して、 *ita et novam et repente collectam auctoritatem tenebant. **このようにして、最近に得られた新しい影響力を保持した。 *⑨ Eo tum statu res erat, ut longe principes haberentur Haedui, **当時、ハエドゥイ族の位置付けは、まったく盟主と見なされるような状態であって、 *secundum locum dignitatis Remi obtinerent. **レミ族の品格は第二の地位を占めたのだ。 ===13節=== '''ガッリア人の社会階級、平民およびドルイドについて(1)''' *① In omni Gallia eorum hominum, qui aliquo sunt numero atque honore, genera sunt duo. **全ガッリアにおいて、何らかの地位や顕職にある人々の階級は二つである。 '''平民について''' *Nam plebes paene servorum habetur loco, **これに対して、平民はほとんど奴隷の地位として扱われており、 *quae nihil audet per se, nullo adhibetur consilio. **自分たちを通じては何らあえてすることはないし、誰も相談をされることもない。 *② Plerique, cum aut aere alieno aut magnitudine tributorum aut iniuria potentiorum premuntur, **多くの者は、あるいは負債、あるいは貢納の多さ、あるいはより権力のある者に抑圧されているので、 *sese in servitutem dicant. **自らを奴隷身分に差し出している。 *Nobilibus in hos eadem omnia sunt iura, quae dominis in servos. **高貴な者たちには彼ら(平民)において、奴隷において主人にあるのと同様なすべての権利がある。 '''ドルイドについて''' *③ Sed de his duobus generibus alterum est druidum, alterum equitum. **ともかく、これら二つの階級について、一方は[[w:ドルイド|ドルイド]](神官)であり、他方は[[w:騎士|騎士]]である。 *④ Illi rebus divinis intersunt, sacrificia publica ac privata procurant, religiones interpretantur: **前者(ドルイド)は神事に介在し、公・私の<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を司り、信仰のことを講釈する。 **:(訳注:供犠とは、人や獣を生け贄として神前に捧げることである。<ruby><rb>[[w:人身御供|人身御供]]</rb><rp>(</rp><rt>ひとみごくう</rt><rp>)</rp></ruby>とも。) [[画像:Two_Druids.PNG|thumb|right|200px|二人のドルイド。フランスの[[w:オータン|オータン]]、すなわちガッリア中部のビブラクテ辺りで発見された[[w:レリーフ|レリーフ]]。]] *ad hos magnus adulescentium numerus disciplinae causa concurrit, **この者ら(ドルイド)のもとへ、若者の多数が教えのために群り集まり、 *magnoque hi sunt apud eos honore. **この者ら(ドルイド)は、彼ら(ガッリア人)のもとで大いなる地位にある。 *⑤ Nam fere de omnibus controversiis publicis privatisque constituunt, **なぜなら(ドルイドは)ほとんどすべての公・私の訴訟ごとに判決をするのである。 *et, si quod est admissum facinus, si caedes facta, **もし何らかの罪悪が犯されれば、もし殺害がなされれば、 *si de hereditate, de finibus controversia est, **もし、遺産について、地所について、訴訟ごとがあれば、 *idem decernunt, praemia poenasque constituunt; **同じ人たち(ドルイド)が裁決し、補償や懲罰を判決するのである。 *⑥ si qui aut privatus aut populus eorum decreto non stetit, sacrificiis interdicunt. **もし何らかの個人あるいは集団が彼ら(ドルイド)の裁決を遵守しなければ、(その者らに)供犠を禁じる。 *Haec poena apud eos est gravissima. **これは、彼ら(ガッリア人)のもとでは、非常に重い懲罰である。 *⑦ Quibus ita est interdictum, **このように(供犠を)禁じられた者たちは、 *hi numero impiorum ac sceleratorum habentur, **彼らは、不信心で不浄な輩と見なされて、 *his omnes decedunt, aditum sermonemque defugiunt, **皆が彼らを忌避して、近づくことや会話を避ける。 *ne quid ex contagione incommodi accipiant, **(彼らとの)接触から、何らかの災厄を負うことがないようにである。 *neque his petentibus ius redditur **彼らが請願しても(元通りの)権利は戻されないし、 *neque honos ullus communicatur. **いかなる地位(に就くこと)も許されない。 *⑧ His autem omnibus druidibus praeest unus, **ところで、これらすべてのドルイドを一人が指導しており、 *qui summam inter eos habet auctoritatem. **その者は彼ら(ドルイドたち)の間に最高の影響力を持っている。 *⑨ Hoc mortuo **この者が死んだならば、 *aut, si qui ex reliquis excellit dignitate, succedit, **あるいは、もし残りの者たちの中から品格に秀でた者がおれば、継承して、 *aut, si sunt plures pares, suffragio druidum {adlegitur}<ref>adlegitur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>; **あるいは、もしより多くの者たちが同等であれば、ドルイドの投票で{選ばれる}。 *nonnumquam etiam armis de principatu contendunt. **ときどきは、武力でさえも首座を争うことがある。 *⑩ Hi certo anni tempore **彼ら(ドルイド)は年間の定められた時期に *in finibus Carnutum, quae regio totius Galliae media habetur, considunt in loco consecrato. **ガッリア全体の中心地方と見なされている[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の領土において、[[w:聖地|聖地]]に集合する。 **:(訳注:これはカエサルが支配する「ガッリア全体」の話で、他の地方には別の中心地があったようである。) *Huc omnes undique, qui controversias habent, conveniunt **ここへ、至る所から訴訟などを持つあらゆる者たちが集まって、 *eorumque decretis iudiciisque parent. **彼ら(ドルイド)の裁決や判断に服従する。 *⑪ Disciplina in Britannia reperta atque inde in Galliam translata esse existimatur, **(ドルイドの)教えは[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]で見出され、そこからガッリアにもたらされたと考えられている。 **:(訳注:これに対して、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]は、ガッリア人の信仰は[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。 **:[[w:ストラボン|ストラボン]]によれば、これは東方のゲタエ人([[w:en:Getae|Getae]];[[w:トラキア|トラキア]]系ないし[[w:ダキア|ダキア]]系)を通じて取り入れたものだという<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、第7巻 第3章 第5節)</ref>。) *⑫ et nunc, qui diligentius eam rem cognoscere volunt, **今でも、その事柄をより入念に探究することを欲する者たちは、 *plerumque illo discendi causa proficiscuntur. **たいてい、かの地に研究するために旅立つ。 ===14節=== '''ドルイドについて(2)''' *① Druides a bello abesse consuerunt **[[w:ドルイド|ドルイド]]たちは、戦争に関与しない習慣であり、 *neque tributa una cum reliquis pendunt; **ほかの者と一緒に貢納(租税)を支払うこともない。 *militiae vacationem omniumque rerum habent immunitatem. **[[w:徴兵制度|兵役]]の免除や、すべての事柄において免除特権を持っているのである。 [[画像:Druids,_in_the_early_morning_glow_of_the_sun.jpg|thumb|right|200px|現代イギリスのドルイド教復興主義者たち]] *② Tantis excitati praemiis **このような特典に駆り立てられて *et sua sponte multi in disciplinam conveniunt **自らの意思で多くの者が教え(の場)に集まっても来るし、 *et a parentibus propinquisque mittuntur. **親たちや縁者たちによって送られても来る。 *③ Magnum ibi numerum versuum ediscere dicuntur. **(彼らは)そこで詩句の多数を習得すると言われている。 *Itaque annos nonnulli vicenos in disciplina permanent. **こうして、少なからぬ者たちが、20年にもわたって教え(の場)に残留する。 [[画像:Dédicace_de_Segomaros_(inscription gallo-grecque).png|thumb|right|200px|ギリシア文字で刻まれたガッリアの碑文]] *Neque fas esse existimant ea litteris mandare, **それら(の詩句)を文字で刻み込むことは、神意に背くと考えている。 *cum in reliquis fere rebus, publicis privatisque rationibus, Graecis litteris utantur. **もっとも、ほかの事柄においては、公・私の用件に[[w:ギリシア文字|ギリシア文字]]を用いる。 *④ Id mihi duabus de causis instituisse videntur, **それは、私(カエサル)には、二つの理由で(ドルイドが)定めたことと思われる。 **:(訳注:これは、カエサルが自らを一人称で示している珍しい個所である。) *quod neque in vulgum disciplinam efferri velint **というのは、教えが一般大衆にもたらされることは欲していないし、 *neque eos, qui discunt, litteris confisos minus memoriae studere: **(教えを)学ぶ者が、文字を頼りにして、あまり暗記することに努めなくならないようにである。 [[画像:Dying_gaul.jpg|thumb|right|200px|『[[w:瀕死のガリア人|瀕死のガリア人]]』([[w:en:Dying_Gaul|Dying Gaul]])像(ローマ市の[[w:カピトリーノ美術館|カピトリーノ美術館]])]] *quod fere plerisque accidit, ut **というのも、ほとんど多くの場合に起こることには、 *praesidio litterarum diligentiam in perdiscendo ac memoriam remittant. **文字の助けによって、入念に猛勉強することや暗記することを放棄してしまうのである。 *⑤ In primis hoc volunt persuadere, **とりわけ、彼ら(ドルイド)が説くことを欲しているのは、 *non interire animas, sed ab aliis post mortem transire ad alios, **霊魂は滅びることがないのみならず、死後にある者から別のある者へ乗り移るということである。 **:(訳注:ガッリア人の[[w:輪廻転生|転生信仰]]は、[[w:ピュタゴラス教団|ピュタゴラスの教説]]であると、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]が伝えている<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.408)</ref>。) *atque hoc maxime ad virtutem excitari putant metu mortis neglecto. **これによって(ガッリア人は)死の恐怖に無頓着になって最も武勇へ駆り立てられると(ドルイドは)思っている。 [[画像:Universum.jpg|thumb|right|200px|古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。]] *Multa praeterea de sideribus atque eorum motu, **さらに多く、星々とその動きについて、 *de mundi ac terrarum magnitudine, de rerum natura, **天空と大地の大きさについて、物事の本質について、 *de deorum immortalium vi ac potestate **不死の神々の力と支配について、 *disputant et iuventuti tradunt. **研究して、青年たちに教示するのである。 <br> <br> *('''訳注:ドルイドについて''' :ケルト社会の神官・祭司・僧などとされるドルイドについては、おそらくは[[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]]、そしてカエサル、 :および[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410-p.411)</ref>、[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.341-p.342)</ref>、ポンポニウス・メラ<ref>ポンポニウス・メラ『世界地理』(前掲、p.549)</ref>などのギリシア人・ローマ人の著述家たちがそれぞれ :書き残しているために同時代や現代に知られている。しかし、本節にもあるように、その秘密主義からか、 :古代ギリシア・ローマの著作にあるほかには、その詳細については不明である。) ===15節=== [[画像:BIATEC_pri_NBS_1.jpg|thumb|right|200px|ケルト系の王ビアテック([[w:en:Biatec|Biatec]])の騎馬像([[w:スロバキア国立銀行|スロバキア国立銀行]])。彼はBC1世紀のケルトの硬貨に刻まれた人物で、現代[[w:スロバキア・コルナ|スロバキアの5コルナ]]硬貨にも刻まれている。]] [[画像:Bige_Musée_de_Laon_050208.jpg|thumb|right|200px|二頭立て二輪馬車([[w:チャリオット|戦車]])に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)]] '''ガッリア人の騎士階級について''' *① Alterum genus est equitum. **(ドルイドと並ぶ)もう一つの階級は、[[w:騎士|騎士]]である。 *Hi, cum est usus atque aliquod bellum incidit **彼らは、必要とされ、かつ何らかの戦争が勃発したときには、 *─ quod fere ante Caesaris adventum quotannis accidere solebat, **─ それ(戦争)はカエサルの到来以前にはほとんど毎年のように起こるのが常であり、 *uti aut ipsi iniurias inferrent aut inlatas propulsarent ─, **自身が侵犯行為を引き起こすためか、あるいは引き起こされて撃退するためであったが、─ *omnes in bello versantur, **総勢が戦争に従事した。 *② atque eorum ut quisque est genere copiisque amplissimus, **さらに彼らは、高貴な生まれで財産が非常に大きければ大きいほど、 **:(訳注:ut quisque ~ ita;おのおのが~であればあるほどますます) *ita plurimos circum se ambactos clientesque habet. **自らの周囲に非常に多くの臣下や庇護民たちを侍らせる。 *Hanc unam gratiam potentiamque noverunt. **(騎士たちは)これが信望や権勢(を示すこと)の一つであると認識しているのである。 ===16節=== '''ガッリア人の信仰と生け贄、ウィッカーマン''' *① Natio est omnis Gallorum admodum dedita religionibus, **ガッリア人のすべての部族民は、まったく信仰行為に身を捧げている。 *② atque ob eam causam, **その理由のために、 *qui sunt adfecti gravioribus morbis **非常に重い病気を患った者たち *quique in proeliis periculisque versantur, **および戦闘において危険に苦しめられる者たちは、 *aut pro victimis homines immolant **あるいは<ruby><rb>[[w:生贄|生け贄]]</rb><rp>(</rp><rt>いけにえ</rt><rp>)</rp></ruby>の獣(犠牲獣)の代わりに人間を供えたり、 *aut se immolaturos vovent, **あるいは自らを犠牲にするつもりであると誓願し、 *administrisque ad ea sacrificia druidibus utuntur, **その<ruby><rb>[[w:供犠|供犠]]</rb><rp>(</rp><rt>くぎ</rt><rp>)</rp></ruby>を執り行う者として[[w:ドルイド|ドルイド]]を利用するのである。 *③ quod, pro vita hominis nisi hominis vita reddatur, **というのは(一人の)人間の生命のためには、(もう一人の)人間の生命が償われない限り、 *non posse deorum immortalium numen placari arbitrantur, **不死の神々の<ruby><rb>御霊</rb><rp>(</rp><rt>みたま</rt><rp>)</rp></ruby>がなだめられることができないと思われているからである。 *publiceque eiusdem generis habent instituta sacrificia. **同じような類いの供儀が公けに定められているのである。 [[画像:WickerManIllustration.jpg|thumb|right|310px|柳の枝で編んだ巨人[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]([[w:en:Wicker_Man|Wicker Man]])の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた<ref>例えば『ケルト人─蘇るヨーロッパ<幻の民>』C.エリュエール著、鶴岡真弓監修、創元社、p.130の挿絵などを参照。</ref>。1973年にはイギリスで映画化され<ref>“[[w:en:The Wicker Man (1973 film)|The Wicker Man]]”はウィッカーマンを題材にした1973年のイギリスのカルト映画作品。</ref>、2006年にはアメリカなどでも映画化された<ref>“[[w:en:The Wicker Man (2006 film)|The Wicker Man]]”は上記作品をリメイクした2006年のアメリカ・カナダ・ドイツの映画作品。</ref>。]] [[画像:Burning_wicker_man_by_Bruce_McAdam.jpg|thumb|right|100px|スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)]] '''ウィッカーマン''' *④ Alii immani magnitudine simulacra habent, **ある者たちは、恐ろしく大規模な像を持って、 *quorum contexta viminibus membra vivis hominibus complent; **その柳の枝で編み込まれた肢体を人間たちで満杯にして、 *quibus succensis **それらを燃やして、 *circumventi flamma exanimantur homines. **人々は炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。 *⑤ Supplicia eorum qui in furto aut in latrocinio **窃盗あるいは追い剥ぎに関わった者たちを処刑することにより、 *aut aliqua noxia sint comprehensi, **あるいは何らかの罪状により捕らわれた者たち(の処刑)により、 *gratiora dis immortalibus esse arbitrantur; **不死の神々に感謝されると思っている。 *sed, cum eius generis copia defecit, **しかしながら、その類いの量が欠けたときには、 *etiam ad innocentium supplicia descendunt. **潔白な者たちさえも犠牲にすることに頼るのである。 <br><br> :('''訳注''':このような'''[[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]'''の供犠については[[w:ストラボン|ストラボン]]も伝えており<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.343)</ref>、 :[[w:人身御供|人身御供]]の種類の一つとして、干し草やたきぎで巨像を作り、その中へあらゆる :家畜・野生動物や人間たちを投げ込んで丸焼きにする習慣があったという。 : また、[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]<ref>ディオドロス『神代地誌』(前掲、p.410~p.411)</ref>やストラボンによれば、ドルイドはむしろ'''[[w:予言|予言者]]・[[w:占い|占い師]]''' :であるという。ドルイドが重要な問題について占うときには、供犠される人間の :腹または背中を剣などで刺して、犠牲者の倒れ方、肢体のけいれん、出血の様子 :などを観察して、将来の出来事を占うのだという。) ===17節=== '''ガッリアの神々(ローマ風解釈)''' *① Deum maxime [[w:la:Mercurius_(deus)|Mercurium]] colunt. **(ガッリア人は)神々のうちでとりわけ[[w:メルクリウス|メルクリウス]]を崇拝する。 **:(訳注:メルクリウスは[[w:ローマ神話|ローマ神話]]の神名であり、本節の神名はすべてローマ風解釈である。) *Huius sunt plurima simulacra: **彼の偶像が最も多い。 *hunc omnium inventorem artium ferunt, **(ガッリア人は)彼をすべての技芸の発明者であると言い伝えており、 *hunc viarum atque itinerum ducem, **彼を道および旅の案内者として、 *hunc ad quaestus pecuniae mercaturasque habere vim maximam arbitrantur. **彼が金銭の利得や商取引で絶大な力を持つと思われている。 [[画像:Taranis_Jupiter_with_wheel_and_thunderbolt_Le_Chatelet_Gourzon_Haute_Marne.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの雷神タラニス([[w:en:Taranis|Taranis]])の神像([[w:en:National_Archaeological_Museum_(France)|フランス国立考古学博物館]])。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。]] [[画像:God_of_Etang_sur_Arroux_possible_depiction_of_Cernunnos.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神ケルヌンノス([[w:en:Cernunnos|Cernunnos]])の神像(フランス国立考古学博物館)。]] *Post hunc [[w:la:Apollo|Apollinem]] et [[w:la:Minerva|Martem]] et [[w:la:Iuppiter|Iovem]] et [[w:la:Mars_(deus)|Minervam]]. **彼に続いて、[[w:アポローン|アポロ]]と[[w:マルス (ローマ神話)|マルス]]と[[w:ユーピテル|ユピテル]]と[[w:ミネルウァ|ミネルウァ]]を(ガッリア人は崇拝する)。 *② De his eandem fere, quam reliquae gentes, habent opinionem: **これら(の神々)について、ほかの種族とほぼ同じ見解を持っている。 *Apollinem morbos depellere, **アポロは病気を追い払い、 *Minervam operum atque artificiorum initia tradere, **ミネルウァは工芸や技術の初歩を教示し、 *Iovem imperium caelestium tenere, **ユピテルは天界の統治を司り、 *Martem bella regere. **マルスは戦争を支配する。 *③ Huic, cum proelio dimicare constituerunt, **彼(マルス)には、(ガッリア人が)戦闘で干戈を交えることを決心したときに、 *ea quae bello ceperint, plerumque devovent: **戦争で捕獲したものを、たいていは奉納するものである。 *cum superaverunt, animalia capta immolant **(戦闘で)打ち勝ったときには、捕獲された獣を生け贄に供えて、 *reliquasque res in unum locum conferunt. **残りの物を1か所に運び集める。 *④ Multis in civitatibus harum rerum ex(s)tructos tumulos locis consecratis conspicari licet; **多くの部族において、これらの物が積み上げられた塚を、神聖な地で見ることができる。 *⑤ neque saepe accidit, ut neglecta quispiam religione **何らかの者が信仰を軽視するようなことが、しばしば起こることはない。 *aut capta apud se occultare aut posita tollere auderet, **捕獲されたものを自分のもとに隠すこと、あるいは(塚に)置かれたものをあえて運び去ることは。 *gravissimumque ei rei supplicium cum cruciatu constitutum est. **そんな事には、拷問を伴う最も重い刑罰が決められている。 **:(訳注:最も重い刑罰とは、処刑であると思われる。) <br> :(訳注:'''ローマ風解釈について''' :ガッリアなどケルト文化の社会においては、非常に多くの神々が信仰されており、 :ケルト語による多くの神名が知られており、考古学的にも多くの神像が遺されている。 :しかしながら、これらの神々がどのような性格や権能を持っていたのか、詳しくは判っていない。 :ローマ人は、数多くのケルトの神々をローマ神話の神々の型に当てはめて解釈した。 :[[w:タキトゥス|タキトゥス]]はこれを「[[w:ローマ風解釈|ローマ風解釈]]」[[w:en:Interpretatio_Romana#Roman_version|Interpretatio Romana]] <ref>タキトゥス『ゲルマーニア』43章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XLIII|ラテン語原文]])を参照。</ref>と呼んでいる<ref>『ケルト事典』(前掲)「ローマ風解釈」の項を参照。</ref>。) ===18節=== [[画像:Gaul_god_Sucellus.jpg|thumb|right|200px|ガッリアの神スケッルス([[w:en:Sucellus|Sucellus]])の神像。[[w:冥界|冥界]]の神とされ、ディス・パテルと同一視されたと考えられている。]] '''ガッリア人の時間や子供についての観念''' *① Galli se omnes ab Dite patre prognatos praedicant **ガッリア人は、自分たちは皆、ディス・パテルの末裔であると公言しており、 **:(訳注:ディス・パテル [[w:en:Dis_Pater|Dis Pater]] も前節と同様にローマ神話の神名である。) *idque ab druidibus proditum dicunt. **それは[[w:ドルイド|ドルイド]]たちにより伝えられたと言う。 ;時間の観念 *② Ob eam causam spatia omnis temporis non numero dierum, sed noctium finiunt; **その理由のために、すべての[[w:時間|時間]]の間隔を、[[w:昼|昼間]]の数ではなく、[[w:夜|夜間]](の数)で区切る。 *dies natales et mensum et annorum initia sic observant, ut noctem dies subsequatur. **誕生日も、月や年の初めも、夜間に昼間が続くように注意を払っている。 ;子供についての観念 *③ In reliquis vitae institutis hoc fere ab reliquis differunt, **人生のほかの風習において、以下の点でほかの者たち(種族)からほぼ異なっている。 *quod suos liberos, nisi cum adoleverunt, ut munus militiae sustinere possint, **自分の子供たちが、[[w:徴兵制度|兵役の義務]]を果たすことができるように成長したときでない限り、 *palam ad se adire non patiuntur **公然と自分のところへ近づくことは許されないし、 *filiumque puerili aetate in publico in conspectu patris adsistere turpe ducunt. **少年期の息子が公けに父親の見ているところでそばに立つことは恥ずべきと見なしている。 ===19節=== '''ガッリア人の婚姻と財産・葬儀の制度''' *① Viri, quantas pecunias ab uxoribus dotis nomine acceperunt, **夫は、妻から[[w:持参金|持参金]]の名目で受け取った金銭の分だけ、 *tantas ex suis bonis aestimatione facta cum dotibus communicant. **自分の財産のうちから見積もられた分を、持参金とともに一つにする。 *② Huius omnis pecuniae coniunctim ratio habetur fructusque servantur: **これらのすべての金銭は共同に算定が行なわれて、[[w:利子|利子]]が貯蓄される。 *uter eorum vita superarit, **彼ら2人のいずれかが、人生において生き残ったら、 *ad eum pars utriusque cum fructibus superiorum temporum pervenit. **双方の分がかつての期間の利子とともに(生き残った)その者(の所有)に帰する。 [[画像:Hallstatt_culture_ramsauer.jpg|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]の[[w:墳丘墓|墳丘墓]]から発掘された遺骸と[[w:副葬品|副葬品]](19世紀の模写)。ガッリアなどではハルシュタット文化後期から[[w:土葬|土葬]]が普及したが、[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]中期から再び[[w:火葬|火葬]]が主流になったと考えられている。]] *③ Viri in uxores, sicuti in liberos, vitae necisque habent potestatem; **夫は、妻において、子供におけるのと同様に、生かすも殺すも勝手である。 *et cum pater familiae inllustriore loco natus decessit, eius propinqui conveniunt **上流身分に生まれた家族の父親が死去したとき、彼の近縁の者たちが集まって、 *et de morte, si res in suspicionem venit, de uxoribus in servilem modum quaestionem habent, **死について、もし疑念が出来したならば、妻について、[[w:奴隷|奴隷]]におけるようなやり方で審問して、 *et si compertum est, igni atque omnibus tormentis excruciatas interficiunt. **もし(疑念が)確認されたならば、火やあらゆる責め道具によって[[w:拷問|拷問]]にかけて誅殺する。 *④ Funera sunt pro cultu Gallorum magnifica et sumptuosa; **[[w:葬儀|葬儀]]は、ガッリア人の生活習慣の割には派手でぜいたくなものである。 *omniaque quae vivis cordi fuisse arbitrantur in ignem inferunt, etiam animalia, **生前に大切であったと思われるもの一切合財を、獣でさえも、火の中に投げ入れる。 *ac paulo supra hanc memoriam servi et clientes, quos ab his dilectos esse constabat, **さらに、より以前のこの記憶では、彼ら(亡者)により寵愛されていたことが知られていた奴隷や庇護民をも、 *iustis funeribus confectis una cremabantur. **慣習による葬儀が成し遂げられたら、一緒に火葬されていたのである。 ===20節=== '''ガッリア部族国家の情報統制''' *① Quae civitates commodius suam rem publicam administrare existimantur, **より適切に自分たちの公儀(=国家体制)を治めると考えられているような部族は、 *habent legibus sanctum, **(以下のように)定められた法度を持つ。 *si quis quid de re publica a finitimis rumore aut fama acceperit, **もし、ある者が公儀に関して近隣の者たちから何らかの噂や風聞を受け取ったならば、 *uti ad magistratum deferat neve cum quo alio communicet, **官吏に報告して、他の者と伝え合ってはならないと。 *② quod saepe homines temerarios atque imperitos falsis rumoribus terreri **というのは、無分別で無知な人間たちはしばしば虚偽の噂に恐れて、 *et ad facinus impelli et de summis rebus consilium capere cognitum est. **罪業に駆り立てられ、重大な事態についての考えを企てると認識されているからである。 *③ Magistratus quae visa sunt occultant, **官吏は、(隠すことが)良いと思われることを隠して、 *quaeque esse ex usu iudicaverunt, multitudini produnt. **有益と判断していたことを、民衆に明らかにする。 *De re publica nisi per concilium loqui non conceditur. **公儀について、集会を通じてでない限り、語ることは認められていない。 ==ゲルマーニアの風習と自然について== ===21節=== '''ゲルマーニア人の信仰と性''' *① Germani multum ab hac consuetudine differunt. **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人はこれに対し、風習が大いに異なっている。 *Nam neque druides habent, qui rebus divinis praesint, neque sacrificiis student. **すなわち、神事を司る[[w:ドルイド|ドルイド]]も持たないし、供犠に熱心でもない。 *② Deorum numero **神々に数えるものとして、 *eos solos ducunt, quos cernunt et quorum aperte opibus iuvantur, Solem et Vulcanum et Lunam, **(彼らが)見分けるものや明らかにその力で助けられるもの、[[w:太陽|太陽]]と[[w:ウォルカヌス|ウォルカヌス]](火の神)と[[w:月|月]]だけを信仰して、 *reliquos ne fama quidem acceperunt. **ほかのものは風聞によってさえも受け入れていない。 **:(訳注:これに対して、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]は、ゲルマーニア人はメルクリウスやマルスなどを信仰すると伝えている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』2章・9章を参照</ref>。) *③ Vita omnis in venationibus atque in studiis rei militaris consistit: **すべての人生は、[[w:狩猟|狩猟]]に、および[[w:軍事|軍事]]への執心に依拠しており、 *ab parvulis labori ac duritiae student. **幼時より労役や負担に努める。 *④ Qui diutissime impuberes permanserunt, maximam inter suos ferunt laudem: **最も長く純潔に留まった者は、自分たちの間で最大の賞賛を得る。 *hoc ali staturam, ali vires nervosque confirmari putant. **これによって、ある者には背の高さが、ある者には力と筋肉が強化されると、思っている。 *⑤ Intra annum vero vicesimum feminae notitiam habuisse in turpissimis habent rebus; **20歳にならない内に女を知ってしまうことは、とても恥ずべきことであると見なしている。 *cuius rei nulla est occultatio, **その(性の)事を何ら隠すことはない。 *quod et promiscue in fluminibus perluuntur **というのは、川の中で(男女が)混じって入浴しても、 *et pellibus aut parvis renonum tegimentis utuntur, magna corporis parte nuda. **なめし皮や、小さな毛皮の覆いを用いるが、体の大部分は裸なのである。 ===22節=== '''ゲルマーニア人の土地制度''' *① Agri culturae non student, **(ゲルマーニア人は)[[w:農耕|土地を耕すこと]]に熱心ではなく、 *maiorque pars eorum victus in lacte, caseo, carne consistit. **彼らの大部分は、生活の糧が[[w:乳|乳]]、[[w:チーズ|チーズ]]、[[w:肉|肉]]で成り立っている。 *② Neque quisquam agri modum certum aut fines habet proprios; **何者も、土地を確定した境界で、しかも持続的な領地として、持ってはいない。 *sed magistratus ac principes in annos singulos **けれども、官吏や領袖たちは、各年ごとに、 *gentibus cognationibusque hominum, quique una coierunt, **一緒に集住していた種族や血縁の人々に、 *quantum et quo loco visum est agri adtribuunt **適切と思われる土地の規模と場所を割り当てて、 *atque anno post alio transire cogunt. **翌年には他(の土地)へ移ることを強いるのである。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#1節|第4巻1節]]には、スエービー族の説明として同様の記述がある。) *③ Eius rei multas adferunt causas: **(官吏たちは)その事の多くの理由を説明する。 *ne adsidua consuetudine capti studium belli gerendi agricultura commutent; **(部族民が)[[w:居住|定住]]する習慣にとらわれて、戦争遂行の熱意を土地を耕すことに変えてしまわないように。 *ne latos fines parare studeant, potentioresque humiliores possessionibus expellant; **広大な領地を獲得することに熱心になって、有力者たちが弱者たちを地所から追い出さないように。 *ne accuratius ad frigora atque aestus vitandos aedificent; **寒さや暑さを避けるために(住居を)非常な入念さで建築することがないように。 *ne qua oriatur pecuniae cupiditas, qua ex re factiones dissensionesque nascuntur; **金銭への欲望が増して、その事から派閥や不和が生ずることのないように。 *ut animi aequitate plebem contineant, cum suas quisque opes cum potentissimis aequari videat. **おのおのが自分の財産も最有力者のも同列に置かれていると見ることで、心の平静により民衆を抑えるように。 <br> :(訳注:[[w:ストラボン|ストラボン]]<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅰ』(前掲、p.510)</ref>や[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』23章・16章などを参照。26章では農耕についても解説されている。</ref>などの著述家たちも、ゲルマーニアの住民が農耕をせず、 :遊牧民のように移動しながら暮らし、小さな住居に住み、食料を家畜に頼っていると記述している。) ===23節=== '''ゲルマーニア諸部族のあり方''' *① Civitatibus maxima laus est **諸部族にとって、最も称賛されることは、 *quam latissime circum se vastatis finibus solitudines habere. **できる限り広く自分たちの周辺で領土を荒らして荒野に保っておくことである。 *② Hoc proprium virtutis existimant, **以下のことを(自分たちの)武勇の特質と考えている。 *expulsos agris finitimos cedere, **近隣の者たちが土地から追い払われて立ち去ること、 *neque quemquam prope {se} audere consistere; **および、何者も自分たちの近くにあえて定住しないこと、である。 *③ simul hoc se fore tutiores arbitrantur, repentinae incursionis timore sublato. **他方、これにより、予期せぬ襲撃の恐れを取り除いて、自分たちはより安全であろうと思われた。 *④ Cum bellum civitas aut inlatum defendit aut infert, **部族に戦争がしかけられて防戦したり、あるいはしかけたりしたときには、 *magistratus, qui ei bello praesint, ut vitae necisque habeant potestatem, deliguntur. **その戦争を指揮して、生かすも殺すも勝手な権力を持つ将官が選び出される。 *⑤ In pace nullus est communis magistratus, **平時においては、(部族に)共通の将官は誰もいないが、 *sed principes regionum atque <u>[[wikt:en:pagus#Latin|pagorum]]</u> inter suos ius dicunt controversiasque minuunt. **地域や<u>郷</u>の領袖たちが、身内の間で判決を下して、訴訟ごとを減らす。 **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''pagus'' (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語<ref name="pagus"/>。)</span> *⑥ Latrocinia nullam habent infamiam, quae extra fines cuiusque civitatis fiunt, **それぞれの部族の領土の外で行なう略奪のことは、何ら恥辱とは見なしていない。 *atque ea iuventutis exercendae ac desidiae minuendae causa fieri praedicant. **さらに、それ(略奪)は、青年たちを訓練することや、怠惰を減らすことのために行なわれる、と公言している。 *⑦ Atque ubi quis ex principibus in concilio dixit **そして、領袖たちのうちのある者が(次のように)言うや否や、 *se ducem fore, qui sequi velint, profiteantur, **《自分が(略奪の)引率者となるから、追随したい者は申し出るように》と(言うや否や)、 *consurgunt ii qui et causam et hominem probant, suumque auxilium pollicentur **(略奪の)口実にも(引率する)人物にも賛同する者は立ち上がって、自らの支援を約束して、 *atque ab multitudine conlaudantur: **群衆から大いに誉められる。 *⑧ qui ex his secuti non sunt, **これら(約束した者)のうちで(略奪に)追随しない者は、 *in desertorum ac proditorum numero ducuntur, **逃亡兵や裏切り者と見なされて、 *omniumque his rerum postea fides derogatur. **その後は、彼らにとってあらゆる事の信頼が(皆から)拒まれる。 *⑨ Hospitem violare fas non putant; **客人に暴行することは道理に適うとは思ってはいない。 *qui quacumque de causa ad eos venerunt, **彼ら(ゲルマーニア人)のところへ理由があって来た者(=客人)は誰であれ、 *ab iniuria prohibent, sanctos habent, **無法行為から防ぎ、尊ぶべきであると思っている。 *hisque omnium domus patent victusque communicatur. **彼ら(客人)にとってすべての者の家は開放されており、生活用品は共有される。 **:(訳注:客人への接待ぶりについては、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』21章を参照。</ref>も伝えている。) ===24節=== [[画像:Celts.svg|thumb|right|200px|ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、[[w:鉄器|鉄器]]文化の発達などによると考えられている。]] [[画像:Mappa_di_Eratostene.jpg|thumb|right|200px|[[w:エラトステネス|エラトステネス]]の地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。]] [[画像:Hallstatt_LaTene.png|thumb|right|200px|[[w:ハルシュタット文化|ハルシュタット文化]]期と[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]期におけるケルト系部族の分布。右上にウォルカエ族(Volcae)やボイイ族(Boii)の名が見える。ボイイ族が居住していた地域はボイオハエムム(Boihaemum)と呼ばれ、[[w:ボヘミア|ボヘミア]](Bohemia)として現在に残る。]] '''ゲルマーニア人とガッリア人''' *① Ac fuit antea tempus, **かつてある時代があって、 *cum Germanos Galli virtute superarent, **そのとき、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人を[[w:ガリア|ガッリア]]人が武勇で優っており、 *ultro bella inferrent, propter hominum multitudinem agrique inopiam **人間の多さと土地の欠乏のために(ガッリア人は)自発的に戦争をしかけて、 *trans Rhenum colonias mitterent. **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側へ入植者たちを送り込んでいた。 *② Itaque ea quae fertilissima Germaniae sunt loca circum Hercyniam silvam, **[[w:ヘルキュニア|ヘルキュニア]]の森の周辺のゲルマーニアで最も肥沃な地を、 *quam Eratostheni et quibusdam Graecis fama notam esse video, **それを[[w:エラトステネス|エラトステネス]]や[[w:ギリシア人|ギリシア人]]のある者たちも風聞により知っていたと私は見出して、 *quam illi Orcyniam appellant, **それを彼らはオルキュニアと呼んでいるが、 *Volcae Tectosages occupaverunt atque ibi consederunt; **(その地を)ウォルカエ族系のテクトサゲス族が占領して、そこに定住していた。 *③ quae gens ad hoc tempus his sedibus sese continet **その種族は、この時代までこの居場所に留まっており、 *summamque habet iustitiae et bellicae laudis opinionem. **公正さと戦いの称賛で最高の評判を得ている。 *④ Nunc quod in eadem inopia, egestate, patientia qua Germani permanent, **今も、窮乏や貧困を、ゲルマーニア人が持ちこたえているのと同じ忍耐をもって、 *eodem victu et cultu corporis utuntur; **同じ食物および体の衣服を用いている。 *⑤ Gallis autem provinciarum propinquitas et transmarinarum rerum notitia **これに対して、ガッリア人にとって(ローマの)属州に近接していること、および海外のものを知っていることは、 *multa ad copiam atque usus largitur, **富や用品の多くが供給されている。 *paulatim adsuefacti superari multisque victi proeliis **(ガッリア人は)しだいに圧倒されることや多くの戦闘で打ち負かされることに慣らされて、 *ne se quidem ipsi cum illis virtute comparant. **(ガッリア人)自身でさえも彼ら(ゲルマーニア人)と武勇で肩を並べようとはしないのである。 <br> :('''訳注''':本節の①項については、[[w:タキトゥス|タキトゥス]]が著書『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』28章([[s:la:De_origine_et_situ_Germanorum_(Germania)#XXVIII|原文]])において、次のように言及している。 :''Validiores olim Gallorum res fuisse summus auctorum divus Iulius tradit; '' :かつてガッリア人の勢力がより強力であったことは、最高の証言者である神君ユリウス(・カエサル)も伝えている。 :''eoque credibile est etiam Gallos in Germaniam transgressos:'' :それゆえに、ガッリア人でさえもゲルマーニアに渡って行ったと信ずるに値するのである。) ===25節=== '''ヘルキュニアの森林地帯''' *① Huius Hercyniae silvae, quae supra demonstrata est, latitudo **前に述べたヘルキュニアの森の幅は、 *novem dierum iter expedito patet: **軽装の旅で9日間(かかるだけ)広がっている。 *non enim aliter finiri potest, **なぜなら(ゲルマーニア人は)他に境界を定めることができないし、 *neque mensuras itinerum noverunt. **道のりの測量というものを知っていないのである。 [[画像:FeldbergPanorama.jpg|thumb|center|1000px|ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の最高峰フェルドベルク山 [[w:en:Feldberg_(Black Forest)|Feldberg]] の眺望)]] *② Oritur ab Helvetiorum et Nemetum et Rauracorum finibus **(その森は)[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]とネメテス族とラウラキ族の領土から発しており、 **:(訳注:これはライン川東岸に沿って南北に長い現在の[[w:シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]のことである。) *rectaque fluminis [[w:la:Danubius|Danubii]] regione **ダヌビウス川に沿って真っ直ぐに(流れ)、 **:(訳注:ダヌビウス Danubius はダヌウィウス Danuvius とも呼ばれ、現在の[[w:ドナウ川|ドナウ川]]である。) *pertinet ad fines Dacorum et Anartium; **[[w:ダキア人|ダキ族]]やアナルテス族の領土へ至る。 **:(訳注:これは[[w:ダキア|ダキア]] [[w:la:Dacia|Dacia]] すなわち現在の[[w:ルーマニア|ルーマニア]]辺りの地域である。) *③ hinc se flectit sinistrorsus diversis ab flumine regionibus **ここ(ダヌビウス川)から(森は)左方へ向きを変えて、川の地域からそれて、 **:(訳注:川が南へ折れるのとは逆に、森は北へそれて[[w:エルツ山地|エルツ山地]]を通って[[w:カルパティア山脈|カルパティア山脈]]に至ると考えられている<ref>タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳注、岩波文庫、p.131-132の注などを参照</ref>。) *multarumque gentium fines propter magnitudinem attingit; **(森の)大きさのために、多くの種族の領土に接しているのである。 *④ neque quisquam est huius Germaniae, qui se aut adisse ad initium eius silvae dicat, **その森の(東の)端緒へ訪れたと言う者は、こちら(西側)の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に属する者では誰もいないし、 *cum dierum iter LX processerit, **60日間の旅で進んでも(いないのであるが)、 *aut, quo ex loco oriatur, acceperit: **あるいは(森が)どの場所から生じているか把握した(者もいないのである)。 *⑤ multaque in ea genera ferarum nasci constat, quae reliquis in locis visa non sint; **それ(=森)の中には、ほかの地では見られない野獣の多くの種類が生息していることが知られている。 *ex quibus quae maxime differant ab ceteris et memoriae prodenda videantur, **それらのうちで、ほかの(地の)ものと大きく異なったものは、記録で伝えるべきものであり、 *haec sunt. **以下のものである。 ===26節=== [[画像:Rentier fws 1.jpg|thumb|right|200px|[[w:トナカイ|トナカイ]]([[w:la:Tarandrus|Rangifer tarandus]])。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。]] '''ヘルキュニアの野獣①''' *① Est [[w:la:Bos|bos]] [[w:la:Cervus|cervi]] figura, **雄[[w:シカ|鹿]]の姿形をした[[w:ウシ|牛]]がいる。 *cuius a media fronte inter aures unum [[w:la:Cornu|cornu]] existit **それの両耳の間の額の真ん中から一つの角が出ており、 *excelsius magisque derectum his, quae nobis nota sunt, cornibus; **我々(ローマ人)に知られている角よりも非常に高くて真っ直ぐである。 *ab eius summo sicut palmae ramique late diffunduntur. **その先端部から、手のひらや枝のように幅広く広がっている。 *Eadem est feminae marisque natura, **雌と雄の特徴は同じであり、 *eadem forma magnitudoque cornuum. **角の形や大きさも同じである。 <br> :('''訳注''':カエサルによる本節の記述は[[w:ユニコーン|ユニコーン]](一角獣)の伝説に :結び付けられている。しかし本節における発達した枝角の説明は、むしろ :[[w:トナカイ|トナカイ]]や[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]]のような獣を想起させる。) ===27節=== [[画像:Bigbullmoose.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](Alces alces)。<br>発達した枝角と大きな体を持ち、名称以外は本節の説明とまったく合致しない。<br>しかしながら、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[w:博物誌|博物誌]]』第8巻(16章・39節)には、[[w:アクリス|アクリス]]([[w:en:Achlis|achlis]])という一見ヘラジカ(alces)のような奇獣が紹介され、その特徴は本節②項以下のカエサルの説明とほぼ同じであることが知られている。]] [[画像:Gressoney-Saint-Jean-Museo-IMG 1824.JPG|thumb|right|250px|[[w:ノロジカ|ノロジカ]](Capreolus capreolus)。<br>ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。]] '''ヘルキュニアの野獣②''' *① Sunt item, quae appellantur [[w:la:Alces|alces]]. **アルケスと呼ばれるものもいる。 **:(訳注:アルケス alces とは[[w:ヘラジカ|ヘラジカ]](オオシカ)を指す単語であるが本節の説明と矛盾する。) *Harum est consimilis [[w:la:Capra|capris]] figura et varietas pellium, **これらの姿形や毛皮のまだらは雄[[w:ヤギ|山羊]]に似ている。 *sed magnitudine paulo antecedunt **が、(山羊を)大きさで少し優っており、 *mutilaeque sunt cornibus **角は欠けていて、 *et crura sine nodis articulisque habent. **脚部には関節の類いがない。 **:(訳注:nodus も articulus も関節の類いを意味する) *② Neque quietis causa procumbunt **休息のために横たわらないし、 *neque, si quo adflictae casu conciderunt, **もし何か不幸なことで偶然にも倒れたならば、 *erigere sese aut sublevare possunt. **自らを起こすことも立ち上げることもできない。 *③ His sunt arbores pro cubilibus; **これらにとって木々は寝床の代わりである。 *ad eas se adplicant **それら(の木々)へ自らを寄りかからせて、 *atque ita paulum modo reclinatae quietem capiunt. **こうして少しだけもたれかかって休息を取るのである。 *④ Quarum ex vestigiis **それらの足跡から *cum est animadversum a venatoribus, quo se recipere consuerint, **(鹿が)どこへ戻ることを常としているかを狩人によって気付かれたときには、 *omnes eo loco aut ab radicibus subruunt aut accidunt arbores, **その地のすべての木々を(狩人は)根から倒すか、あるいは傷つけて、 *tantum ut summa species earum stantium relinquatur. **それらの(木々の)いちばん(外側)の見かけが、立っているかのように残して置かれる。 *⑤ Huc cum se consuetudine reclinaverunt, **そこに(鹿が)習性によってもたれかかったとき、 *infirmas arbores pondere adfligunt atque una ipsae concidunt. **弱った木々を重みで倒してしまい、自身も一緒に倒れるのである。 ===28節=== [[画像:Wisent.jpg|thumb|right|250px|[[w:ヨーロッパバイソン|ヨーロッパバイソン]]([[w:la:Bison|Bison bonasus]])。<br>かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。]] [[画像:Muybridge Buffalo galloping.gif|thumb|right|200px|疾走するバイソン]] [[画像:Drinkhoorn_roordahuizum.JPG|thumb|right|200px|酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。]] '''ヘルキュニアの野獣③''' *③ Tertium est genus eorum, qui uri appellantur. **第3のものは、野牛と呼ばれる種類である。 *Hi sunt magnitudine paulo infra [[w:la:Elephantidae|elephantos]], **これらは、大きさで少し[[w:ゾウ|象]]に劣るが、 *specie et colore et figura [[w:la:Taurus|tauri]]. **見かけと色と姿形は雄[[w:ウシ|牛]]である。 *② Magna vis eorum est et magna velocitas, **それらの力は大きく、(動きも)とても速く、 *neque homini neque ferae, quam conspexerunt, parcunt. **人間でも野獣でも、見かけたものには容赦しない。 *Hos studiose foveis captos interficiunt. **(ゲルマーニア人は)これらを熱心に落とし穴で捕らえたものとして殺す。 *③ Hoc se labore durant adulescentes **この労苦により青年たちを鍛え、 *atque hoc genere venationis exercent, **[[w:狩猟|狩猟]]のこの類いで鍛錬するのであり、 *et qui plurimos ex his interfecerunt, **これら(の野牛)のうちから最も多くを殺した者は、 *relatis in publicum [[w:la:Cornu|cornibus]], quae sint testimonio, **証拠になるための[[w:角|角]]を公の場に持参して、 *magnam ferunt laudem. **大きな賞賛を得るのである。 *④ Sed adsuescere ad homines et mansuefieri ne parvuli quidem excepti possunt. **けれども(野牛は)幼くして捕らえられてさえも、人間に慣れ親しんで飼い慣らされることはできない。 *⑤ Amplitudo cornuum et figura et species multum a nostrorum boum cornibus differt. **角の大きさや形や見かけは、我々(ローマ人)の牛の角とは大いに異なる。 *⑥ Haec studiose conquisita ab labris argento circumcludunt **これらは熱心に探し求められて、縁を[[w:銀|銀]]で囲って、 *atque in amplissimis epulis pro poculis utuntur. **とても贅沢な祝宴において[[w:盃|杯]]として用いられるのである。 ==対エブロネス族追討戦(1)== ===29節=== '''ゲルマーニアから撤兵、対アンビオリクス戦へ出発''' *① Caesar, postquam per Ubios exploratores comperit Suebos sese in silvas recepisse, **カエサルは、ウビイー族の偵察者たちを通じてスエービー族が森に撤退したことを確報を受けた後で、 **:(訳注:[[#10節|10節]]によれば、バケニス Bacenis の森。[[#コラム「スエービー族とカッティー族・ケールスキー族・ウビイー族について|既述]]のように、スエービー族とはカッティー族 [[w:en:Chatti|Chatti]] と考えられる。) *inopiam frumenti veritus, **糧食の欠乏を恐れて、 *quod, ut supra demonstravimus, minime omnes Germani agri culturae student, **というのは、前に説明したように、ゲルマーニア人は皆が土地を耕すことに決して熱心でないので、 **:(訳注:[[#22節|22節]]を参照。耕地がなければ、ローマ軍は穀物の現地調達ができない。) *constituit non progredi longius; **より遠くへ前進しないことを決めた。 *② sed, ne omnino metum reditus sui barbaris tolleret **けれども、自分たち(ローマ軍)が戻って来る恐れを蛮族からまったく取り去ってしまわないように、 *atque ut eorum auxilia tardaret, **かつ、彼ら(ゲルマーニア人)の(ガッリア人への)支援を遅らせるように、 *reducto exercitu partem ultimam pontis, quae ripas Ubiorum contingebat, **ウビイー族側の岸(=レーヌス川東岸)につなげていた橋の最後の部分に軍隊を連れ戻して、 *in longitudinem pedum ducentorum rescindit **(橋を)長さ200[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約60m)切り裂いて、 *③ atque in extremo ponte turrim tabulatorum quattuor constituit **橋の先端のところに4層の櫓を建てて、 *praesidiumque cohortium duodecim pontis tuendi causa ponit **12個[[w:コホルス|歩兵大隊]]の守備隊を橋を防護するために配置して、 *magnisque eum locum munitionibus firmat. **その場所を大きな城砦で固めた。 *Ei loco praesidioque C.(Gaium) Volcacium Tullum adulescentem praeficit. **その場所と守備隊を青年ガイウス・ウォルカキウス・トゥッルスに指揮させた。 **:(訳注:元執政官 [[w:en:Lucius_Volcatius_Tullus_(consul_66_BC)|Lucius Volcatius Tullus]] に対して、青年 adulescentem と区別したのであろう。 **:ウォルカキウス Volcacium の綴りは、写本により相異する。) *④ Ipse, cum maturescere frumenta inciperent, **(カエサル)自身は、穀物が熟し始めたので、 *ad bellum [[w:la:Ambiorix|Ambiorigis]] profectus per Arduennam silvam, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]との戦争へ、アルドゥエンナの森を通って進発した。 **:(訳注:アルドゥエンナの森については、[[ガリア戦記 第5巻#3節|第5巻3節]]ですでに説明されている。) *quae est totius Galliae maxima **それ(=森)は全ガッリアで最も大きく、 *atque ab ripis Rheni finibusque Treverorum ad Nervios pertinet **レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の岸およびトレーウェリー族の境界から、[[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]](の領土)へ及んでおり、 *milibusque amplius quingentis in longitudinem patet, **長さは500ローママイル(=約740km)より大きく広がっている。 *L.(Lucium) Minucium Basilum cum omni equitatu praemittit, **ルキウス・ミヌキウス・バスィルスをすべての騎兵隊とともに先遣した。 *si quid celeritate itineris atque opportunitate temporis proficere possit; **行軍の迅速さと時間の有利さによって、何かを得られるかどうかということである。 *⑤ monet, ut ignes in castris fieri prohibeat, ne qua eius adventus procul significatio fiat: **野営において火を生じることを禁じるように、何事かにより遠くから彼の到来の予兆を生じないように、戒めた。 *sese confestim subsequi dicit. **(カエサル)自らは、ただちに後から続くと言った。 ===30節=== '''アンビオリクスがバスィリスのローマ騎兵から逃れる''' *① Basilus, ut imperatum est, facit. **バスィルスは、命令されたように、行なった。 *Celeriter contraque omnium opinionem confecto itinere **速やかに、かつ皆の予想に反して、行軍を成し遂げて、 *multos in agris inopinantes deprehendit: **(城市でない)土地にいた気付かないでいる多くの者を捕らえた。 *eorum indicio ad ipsum Ambiorigem contendit, quo in loco cum paucis equitibus esse dicebatur. **彼らの申し立てにより、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]その人がわずかな騎兵たちとともにいると言われていた場所に急いだ。 *② Multum cum in omnibus rebus, tum in re militari potest Fortuna. **あらゆる事柄においても、とりわけ軍事においても、運命(の女神)が大いに力がある。 *Nam magno accidit casu, **実際のところ、大きな偶然により生じたのは、 *ut in ipsum incautum etiam atque imparatum incideret, **(アンビオリクス)自身でさえも油断していて不用意なところに(バスィルスが)遭遇したが、 *priusque eius adventus ab omnibus videretur, quam fama ac nuntius adferretur: **彼の到来が(ガッリア勢の)皆により見られたのが、風聞や報告により知らされるよりも早かったのである。 *sic magnae fuit fortunae **同様に(アンビオリクスにとって)大きな幸運に属したのは、 *omni militari instrumento, quod circum se habebat, erepto, **自らの周りに持っていたすべての武具を奪われて、 *raedis equisque comprehensis **四輪馬車や馬を差し押さえられても、 *ipsum effugere mortem. **(アンビオリクス)自身は死を逃れたことである。 *③ Sed hoc quoque factum est, **しかし、以下のこともまた起こった。 *quod aedificio circumdato silva, **(アンビオリクスの)館が森で取り巻かれており、 *─ ut sunt fere domicilia Gallorum, qui vitandi aestus causa **─ ガッリア人の住居はほぼ、暑さを避けることのために、 *plerumque silvarum atque fluminum petunt propinquitates ─, **たいてい森や川の近接したところに求めるのであるが ─ *comites familiaresque eius angusto in loco paulisper equitum nostrorum vim sustinuerunt. **彼の従者や郎党どもが、狭い場所でしばらく、我が方(ローマ勢)の騎兵の力を持ちこたえたのだ。 *④ His pugnantibus illum in equum quidam ex suis intulit: **彼らが戦っているときに、彼(アンビオリクス)を配下のある者が馬に押し上げて、 *fugientem silvae texerunt. **逃げて行く者(アンビオリクス)を森が覆い隠した。 *Sic et ad subeundum periculum et ad vitandum multum Fortuna valuit. **このように(アンビオリクスが)危険に突き進んだことや避けられたことに対して、運命(の女神)が力をもったのである。 ===31節=== '''エブロネス族の退避、カトゥウォルクスの最期''' *① [[w:la:Ambiorix|Ambiorix]] copias suas iudicione non conduxerit, quod proelio dimicandum non existimarit, **[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]は、戦闘で争闘するべきとは考えていなかったので、自らの判断で軍勢を集めなかったのか、 *an tempore exclusus et repentino equitum adventu prohibitus, **あるいは、時間に阻まれ、予期せぬ[[w:騎兵|騎兵]]の到来に妨げられて、 *cum reliquum exercitum subsequi crederet, **(ローマ勢の)残りの軍隊(=軍団兵)が後続して来ることを信じたためなのか、 *dubium est. **不確かなことである。 *② Sed certe dimissis per agros nuntiis sibi quemque consulere iussit. **けれども、確かに領地を通じて伝令を四方に遣わして、おのおのに自らを助けることを命じた。 *Quorum pars in Arduennam silvam, pars in continentes paludes profugit; **それらの者たち(領民)のある一部はアルドゥエンナの森に、一部は絶え間ない沼地に退避した。 *③ qui proximi Oceano fuerunt, **<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>にとても近いところにいた者たちは、 *hi insulis sese occultaverunt, quas aestus efficere consuerunt: **[[w:潮汐|満潮]]が形成するのが常であった島々に身を隠した。 [[画像:Taxus baccata MHNT.jpg|thumb|right|300px|[[w:ヨーロッパイチイ|ヨーロッパイチイ]]([[w:en:Taxus baccata|Taxus baccata]])<br>欧州などに広く自生するイチイ科の[[w:針葉樹|針葉樹]]。赤い果実は食用で甘い味だが、種子には[[w:タキシン|タキシン]](taxine)という[[w:アルカロイド|アルカロイド]]系の毒物が含まれており、種子を多量に摂れば[[w:痙攣|けいれん]]を起こして[[w:呼吸困難|呼吸困難]]で死に至る。<br>他方、[[w:タキサン|タキサン]](taxane)という成分は[[w:抗がん剤|抗がん剤]]などの[[w:医薬品|医薬品]]に用いられる。]] *④ multi ex suis finibus egressi **多くの者たちは、自分たちの領土から出て行って、 *se suaque omnia alienissimis crediderunt. **自分たちとその一切合財をまったく異邦の者たちに委ねた。 *⑤Catuvolcus, rex dimidiae partis Eburonum, **[[w:カトゥウォルクス|カトゥウォルクス]]は、[[w:エブロネス族|エブロネス族]]の半分の地方の王であり、 *qui una cum Ambiorige consilium inierat, **アンビオリクスと一緒に(カエサルに造反する)企てに取りかかった者であるが、 **:(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#26節|第5巻26節]]を参照。) *aetate iam confectus, cum laborem aut belli aut fugae ferre non posset, **もはや老衰していたので、戦争の労苦、あるいは逃亡の労苦に耐えることができなかったので、 **:(訳注:aetate confectus 老衰した) *omnibus precibus detestatus Ambiorigem, qui eius consilii auctor fuisset, **その企ての張本人であったアンビオリクスをあらゆる呪詛のことばで呪って、 *taxo, cuius magna in Gallia Germaniaque copia est, se exanimavit. **[[w:ガリア|ガッリア]]や[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]に大量にあった[[w:イチイ属|イチイ]]によって、息絶えたのであった。 ===32節=== '''ゲルマーニア部族の弁明、アドゥアトゥカに輜重を集める''' *① Segni Condrusique, ex gente et numero Germanorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の種族や集団のうち、[[w:セグニ族|セグニ族]]と[[w:コンドルスィ族|コンドルスィ族]]は、 *qui sunt inter Eburones Treverosque, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]とトレーウェリー族の間にいたが、 *legatos ad Caesarem miserunt oratum, **カエサルのところへ嘆願するために使節たちを遣わした。 *ne se in hostium numero duceret **自分たちを敵として見なさないように、と。 *neve omnium Germanorum, qui essent citra Rhenum, unam esse causam iudicaret; **しかも、レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])のこちら側にいるゲルマーニア人すべての事情は1つであると裁断しないように、と。 *nihil se de bello cogitavisse, nulla Ambiorigi auxilia misisse. **自分たちは、戦争についてまったく考えたことはないし、[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]に何ら援軍を派遣したことはない、と。 *② Caesar explorata re quaestione captivorum, **カエサルは捕虜を審問することによってその事を探り出すと、 *si qui ad eos Eburones ex fuga convenissent, **もし彼らのところへ逃亡しているエブロネス族の者たちの誰かが訪れたならば、 *ad se ut reducerentur, imperavit; **自分(カエサル)のところへ連れ戻されるようにと、命令した。 *si ita fecissent, fines eorum se violaturum negavit. **もしそのように行なったならば、彼らの領土を自分(カエサル)が侵害することはないであろうと主張した。 *③ Tum copiis in tres partes distributis **それから、軍勢を3方面に分散して、 *impedimenta omnium legionum Aduatucam contulit. **すべての軍団の[[w:輜重|輜重]]を[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に運び集めた。 **:(訳注:アドゥアトゥカ Aduatuca の表記は、写本によってはアトゥアトゥカ Atuatuca となっている。現在の[[w:トンゲレン|トンゲレン市]]。) *④ Id castelli nomen est. **それは、城砦の名前である。 *Hoc fere est in mediis Eburonum finibus, **これは、エブロネス族の領土のほぼ真ん中にあり、 *ubi Titurius atque Aurunculeius hiemandi causa consederant. **そこには、[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]と[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|アウルンクレイウス(・コッタ)]]が越冬するために陣取っていた。 *⑤ Hunc cum reliquis rebus locum probabat, **(カエサルは)この場所を、ほかの事柄によっても是認したし、 *tum quod superioris anni munitiones integrae manebant, ut militum laborem sublevaret. **またとりわけ前年の防備が損なわれずに存続していたので、兵士の労苦を軽減するためでもある。 *Praesidio impedimentis legionem quartamdecimam reliquit, **(全軍の)輜重の守備隊として第14軍団を(そこに)残した。 *unam ex his tribus, quas proxime conscriptas ex Italia traduxerat. **(それは)最近にイタリアから徴集されたものとして連れて来られた3個(軍団)のうちの1個である。 **:(訳注:[[#1節|1節]]を参照。イタリア Italia とはカエサルが総督であった[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことであろう。) *Ei legioni castrisque Q.(Quintum) Tullium Ciceronem praeficit ducentosque equites ei attribuit. **その[[w:ローマ軍団|軍団]]と陣営には[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]を指揮者として、200騎の騎兵を彼に割り当てた。 ===33節=== '''軍勢をカエサル、ラビエヌス、トレボニウスの三隊に分散''' *① Partito exercitu **軍隊を分配して、 *T.(Titum) Labienum cum legionibus tribus ad Oceanum versus **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]]には、3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに、<ruby><rb>大洋<span style="color:#009900;">〔[[w:大西洋|大西洋]]〕</span></rb><rp>(</rp><rt>オーケアヌス</rt><rp>)</rp></ruby>の方へ向けて、 *in eas partes, quae Menapios attingunt, proficisci iubet; **[[w:メナピイ族|メナピイ族]]に接する地方に出発することを命じた。 *② C.(Gaium) Trebonium cum pari legionum numero **[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]には、軍団の同数とともに、 *ad eam regionem, quae Aduatucis adiacet, depopulandam mittit; **[[w:アドゥアトゥキ族|アドゥアトゥキ族]]に隣接する領域へ、荒らすために派遣した。 [[画像:Locatie-Maas-3.png|thumb|right|200px|[[w:ベルギー|ベルギー]]周辺の地図。図の左側を[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]が、右側を[[w:マース川|マース川]]が流れているため、両河川は離れており、カエサルがどの地に言及しているのかはわからない。]] [[画像:Schelde_4.25121E_51.26519N.jpg|thumb|right|200px|ベルギーの[[w:アントウェルペン|アントウェルペン]]周辺を流れる[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]]河口付近の[[w:衛星画像|衛星画像]]。ラビエヌスが向かったメナピイ族に接する地方である。]] *③ ipse cum reliquis tribus ad flumen [[w:la:Scaldis|Scaldim]], quod influit in [[w:la:Mosa|Mosam]], **(カエサル)自身は、残りの3個(軍団)とともに、モサ(川)に流れ込むスカルディス川のところへ、 **:(訳注:スカルディス Scaldis は現在の[[w:スヘルデ川|スヘルデ川]] Schelde で、フランス北部からベルギー、オランダへ流れている。 **:モサ川 Mosa すなわち現在の[[w:マース川|マース川]] Maas とは運河でつながるが、当時の関係およびカエサルの目的地は不詳。) *extremasque Arduennae partes ire constituit, **かつ[[w:アルデンヌ|アルドゥエンナ]](の森林)の外縁の地方へ行軍することを決めた。 *quo cum paucis equitibus profectum Ambiorigem audiebat. **そこへは、アンビオリクスがわずかな騎兵たちとともに出発したと聞いていたのだ。 *④ Discedens post diem septimum sese reversurum confirmat; **(カエサルは陣営を)離れるに当たって、7日目の後(=6日後)に自分は引き返して来るであろうと断言した。 *quam ad diem ei legioni, quae in praesidio relinquebatur, deberi frumentum sciebat. **その当日には、守備に残される軍団にとって糧食が必要とされることを(カエサルは)知っていたのだ。 *⑤ Labienum Treboniumque hortatur, **(カエサルは)ラビエヌスとトレボニウスを(以下のように)鼓舞した。 *si rei publicae commodo facere possint, **もし(ローマ軍全体の)公務のために都合良く行動することができるならば、 *ad eum diem revertantur, **その日には戻って、 *ut rursus communicato consilio exploratisque hostium rationibus **再び(互いの)考えを伝達して、敵たちの作戦を探り出し、 *aliud initium belli capere possint. **次なる戦争の端緒を捉えようではないか、と。 <br> :('''訳注:カエサル麾下の軍団配分について''' :[[ガリア戦記 第5巻#8節|第5巻8節]]の記述によれば、ブリタンニアへ2度目の遠征をする前(BC54年)のカエサルは少なくとも8個軍団と騎兵4000騎を :指揮していた。[[ガリア戦記 第5巻#24節|第5巻24節]]によれば、帰還後は8個軍団および軍団から離れた5個[[w:コホルス|歩兵大隊]]を指揮していたが、 :アンビオリクスによる[[w:アドゥアトゥカの戦い|アドゥアトゥカの戦い]]で[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|サビヌス]]らとともに1個軍団と5個大隊が壊滅したので、残りは7個軍団となる。 :[[#1節|本巻1節]]によれば、この年(BC53年)には3個軍団を新たに徴集したので、計10個軍団となったはずである。 :[[#29節|29節]]では、このうちから12個大隊をライン川に架かる橋の守備に残し、[[#32節|32節]]では輜重の守備としてアドゥアトゥカに1個軍団を残した。 :本節の記述通りにラビエヌス、トレボニウス、カエサルがそれぞれ3個軍団(計9個)を受け持ったとすると、あわせて10個軍団と12個大隊という勘定になる。 :したがって、この勘定が正しいのであれば、ライン川に残した12個大隊は各軍団から引き抜いたものであり、各軍団は定員を割っていると考えられる。) ===34節=== '''夷を以って夷を制す対エブロネス族包囲網''' *① Erat, ut supra demonstravimus, manus certa nulla, **前に説明したように、(エブロネス族には)決まった手勢がなかったし、 **:(訳注:[[#31節|31節]]を参照。) *non oppidum, non praesidium, quod se armis defenderet, **自分たちが武器で防衛するような[[w:オッピドゥム|城市]]も、防塁もなかった。 *sed in omnes partes dispersa multitudo. **けれども、あらゆる方面に大勢が分散されていた。 *② Ubi cuique aut valles abdita aut locus silvestris aut palus impedita **おのおのが、密かな峡谷、あるいは森に覆われた土地といったところに、 *spem praesidi aut salutis aliquam offerebat, consederat. **守備あるいは身の安全の何らかの希望を提供するところに、陣取っていた。 *③ Haec loca vicinitatibus erant nota, **これらの場所は、近隣の者たちは知っていたので、 **:(訳注:すなわち、近隣のガッリア人には地の利があり、ローマ人には地の利がなかったので) *magnamque res diligentiam requirebat **事態はたいへんな注意深さを必要としていた。 *non in summa exercitus tuenda **(ローマ人の)軍隊全体を守るためではなく、 *─ nullum enim poterat universis &lt;a&gt; perterritis ac dispersis periculum accidere ─, **─なぜなら、脅かされ分散されている者たちにより(ローマ軍)総勢が危険を生じることはありえなかったので─ *sed in singulis militibus conservandis; **けれども、個々の(ローマ人の)兵士たちを守ることのために(注意深さを必要としていた)。 *quae tamen ex parte res ad salutem exercitus pertinebat. **少なくとも、ある面では、そういう事態は軍隊の安全に及んでいた。 *④ Nam et praedae cupiditas multos longius evocabat, **すなわち、略奪品への欲望が多くの者たちをより遠くへ呼び寄せていたし、 *et silvae incertis occultisque itineribus confertos adire prohibebant. **森林の不確かで隠された道のりによって密集した行軍を妨げていた。 *⑤ Si negotium confici stirpemque hominum sceleratorum interfici vellent, **もし、戦役が完遂されること、および非道な連中(=エブロネス族)の血筋が滅ぼされることを欲するならば、 *dimittendae plures manus diducendique erant milites; **いくつもの部隊が分遣され、兵士たちが展開されるべきである。 *⑥ si continere ad signa manipulos vellent, ut instituta ratio et consuetudo exercitus Romani postulabat, **もし、ローマ軍が決められた流儀や慣行を要求するように、[[w:マニプルス|中隊]]が軍旗のもとにとどまることを欲するならば、 *locus ipse erat praesidio barbaris, **その場所が蛮族にとって守りとなるであろう。 *neque ex occulto insidiandi et dispersos circumveniendi **隠れたところから待ち伏せするため、分散した者たち(=ローマ兵)を包囲するために、 *singulis deerat audacia. **(エブロネス族の)おのおのにとって勇敢さには事欠かなかった。 *⑦ Ut in eiusmodi difficultatibus, quantum diligentia provideri poterat providebatur, **そのような困難さにおいては、できるかぎりの注意深さで用心されるほどに、用心されるものであるが、 *ut potius in nocendo aliquid praetermitteretur, **結果として、むしろ(敵勢への)何らかの加害は差し控えられることになった。 *etsi omnium animi ad ulciscendum ardebant, **たとえ、皆の心が(エブロネス族に)報復するために燃え立っていたとしても、 *quam cum aliquo militum detrimento noceretur. **兵士たちの何らかの損失を伴って(敵に)加害がなされるよりも。 **:(訳注:伏兵によって被害をこうむるよりは、ローマ人の安全のために、ローマ兵による攻撃は避けられた。) *⑧ Dimittit ad finitimas civitates nuntios Caesar; **カエサルは、近隣の諸部族のところへ伝令たちを分遣した。 *omnes ad se vocat spe praedae ad diripiendos Eburones, **[[w:エブロネス族|エブロネス族]]に対して戦利品を略奪することの望みを呼びかけた。 *ut potius in silvis Gallorum vita quam legionarius miles periclitetur, **森の中で、軍団の兵士たちよりも、むしろガッリア人たちの生命が危険にさらされるように、 *simul ut magna multitudine circumfusa **同時にまた、たいへんな大勢で取り囲むことによって、 *pro tali facinore stirps ac nomen civitatis tollatur. **(サビヌスらを滅ぼした)あれほどの罪業の報いとして、部族の血筋と名前が抹殺されるように、と。 *Magnus undique numerus celeriter convenit. **至る所から多数の者が速やかに集結した。 ==スガンブリー族のアドゥアトゥカ攻略戦== ===35節=== '''スガンブリー族が略奪に駆り立てられてアドゥアトゥカへ向かう''' *① Haec in omnibus Eburonum partibus gerebantur, **これらのこと(=追討戦)が[[w:エブロネス族|エブロネス族]]のすべての地方で遂行されていたが、 *diesque adpetebat septimus, quem ad diem Caesar ad impedimenta legionemque reverti constituerat. **カエサルがその日に[[w:輜重|輜重]]と(キケロの)[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ引き返すと決めていた7日目が近づいていた。 *② Hic quantum in bello Fortuna possit et quantos adferat casus, cognosci potuit. **ここに、戦争では運命(の女神)がどれほどのことに力を持ち、どれほどの結末を引き起こすかを知ることができた。 **:(訳注:[[#30節|30節]]でもそうだが、カエサルは戦況が芳しくないと運命 Fortuna を持ち出すようである。[[#42節|42節]]も参照。) *③ Dissipatis ac perterritis hostibus, ut demonstravimus, **(前節で)説明したように、追い散らされて、脅かされている敵たちには、 *manus erat nulla quae parvam modo causam timoris adferret. **(ローマ勢に敵を)恐れる理由を少しの程度も引き起こすようないかなる手勢もなかった。 *④ Trans Rhenum ad Germanos **レーヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人のところへ、 *pervenit fama, diripi Eburones atque ultro omnes ad praedam evocari. **エブロネス族が収奪され、(近隣部族の)皆が略奪品へ向けて自発的に誘惑されているという風評が達した。 *⑤ Cogunt equitum duo milia Sugambri, qui sunt proximi Rheno, **レーヌスの近隣にいたスガンブリ族は、騎兵2000騎を徴集した。 *a quibus receptos ex fuga Tenctheros atque Usipetes supra docuimus. **前に説明したように、彼らによって[[w:テンクテリ族|テンクテリ族]]と[[w:ウスィペテス族|ウスィペテス族]]が逃亡から迎え入れられたのだ。 **:(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]および[[ガリア戦記 第4巻#18節|18~19節]]を参照。) *⑥ Transeunt Rhenum navibus ratibusque **(スガンブリー族は)レーヌスを船団や筏で渡河した。 *triginta milibus passuum infra eum locum, ubi pons erat perfectus praesidiumque ab Caesare relictum. **カエサルにより橋が造り上げられて守備隊が残された地点よりも下流に30ローママイル(約44km)のところを。 *Primos Eburonum fines adeunt; **手始めとしてエブロネス族の領土に殺到して、 *multos ex fuga dispersos excipiunt, **逃亡からちりぢりにさせられた多くの者たちを追い捕らえて、 *magno pecoris numero, cuius sunt cupidissimi barbari, potiuntur. **蛮族たちが最も熱望している家畜の多数をわがものにした。 *⑦ Invitati praeda longius procedunt. **(スガンブリー族の軍勢は)略奪品に誘われて、より遠くに進み出た。 *Non hos palus ─ in bello latrociniisque natos ─, non silvae morantur. **戦争や追いはぎに生まれついていたので、沼地も森林も彼らを妨げることがなかった。 *Quibus in locis sit Caesar, ex captivis quaerunt; **カエサルがどの場所にいるのか、捕虜から問い質した。 *profectum longius reperiunt omnemque exercitum discessisse cognoscunt. **(彼が)より遠くに旅立って、軍隊の総勢が立ち去ったことを、知った。 *⑧ Atque unus ex captivis "Quid vos," inquit, **なおかつ、捕虜たちのうちの一人が「なぜ、あんたたちは」と言い出した。 *"hanc miseram ac tenuem sectamini praedam, **「この取るに足らない、ちっぽけな略奪品を追い求めるのか。 **:(訳注:sectamini はデポネンティア動詞 sector の直説法・2人称複数・現在形) *quibus licet iam esse fortunatissimos? **(あんたたちは)今や、最も富裕な者に成り得るのに。 *⑨ Tribus horis Aduatucam venire potestis: **(この場所から)3時間で[[w:アドゥアトゥカ|アドゥアトゥカ]]に到達できる。 **:(訳注:古代ローマの時間は、不定時法であり、当地の緯度や季節により長さは異なる。) *huc omnes suas fortunas exercitus Romanorum contulit; **ここへ、ローマ軍がすべての財産を運び集めたのだ。 *praesidii tantum est, ut ne murus quidem cingi possit, **守備隊は、城壁が取り巻かれることさえできないほどの(貧弱な)ものでしかない。 *neque quisquam egredi extra munitiones audeat." **何者も防備の外側へあえて出て行こうとはしないのだ。」 *⑩ Oblata spe Germani, **ゲルマーニア人たちは(ローマ軍の財産という)望みを提示されて、 *quam nacti erant praedam, in occulto relinquunt; **(すでにエブロネス族の者たちから)獲得していた略奪品を秘されたところに残しておいて、 *ipsi Aduatucam contendunt usi eodem duce, cuius haec indicio cognoverant. **自身は、このことを申告により知ったところの同じ(捕虜の)案内人を使役して、アドゥアトゥカに急いだ。 <br> :('''訳注:部族名・地名の表記について''' :スガンブリー族 Sugambri:α系写本では Sugambri、T・U写本では Sygambri、V・R写本では Sigambri :テンクテリ族 Tenctheri:β系写本では Tenctheri、α系写本では Thenctheri :アドゥアトゥカ Aduatuca:α系・T写本では Aduatuca、V・ρ系写本では Atuatuca) ===36節=== '''アドゥアトゥカのキケロが糧秣徴発に派兵する''' *① [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|Cicero]], qui omnes superiores dies **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は(期日の7日目)より以前の日々すべてを *praeceptis Caesaris cum summa diligentia milites in castris continuisset **カエサルの指図により、最高の入念さとともに、兵士たちを陣営の中に留めておき、 *ac ne calonem quidem quemquam extra munitionem egredi passus esset, **<ruby><rb>[[w:カロネス|軍属奴隷]]</rb><rp>(</rp><rt>カロネス</rt><rp>)</rp></ruby> でさえも、何者も防備の外側に出て行くことを許されなかった。 *septimo die diffidens de numero dierum Caesarem fidem servaturum, **(期日の)7日目に、カエサルが日数についての約束を守るであろうか、という不信を抱いた。 *quod longius eum<ref>eum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> progressum audiebat, **というのは、彼(カエサル)は、はるか遠くに前進したと聞いていたのだし、 *neque ulla de reditu eius fama adferebatur, **彼の帰還については何ら伝言を届けられていなかったからである。 *② simul eorum permotus vocibus, **同時に(キケロは)以下のような者たちの声に揺り動かされた。 *qui illius patientiam paene obsessionem appellabant, siquidem ex castris egredi non liceret, **もし本当に陣営から出て行くことが許されないならば、彼の忍耐はほぼ攻囲(籠城)であるというのだ。 *nullum eiusmodi casum exspectans, **以下のような事態を予期してもいなかった。 *quo novem oppositis legionibus maximoque equitatu, **9個[[w:ローマ軍団|軍団]]と最大限の[[w:騎兵|騎兵]]隊が(敵と)対峙して、 *dispersis ac paene deletis hostibus **敵たちは散らばらされて、ほとんど抹殺されたのに、 *in milibus passuum tribus offendi posset, **(自陣から)3ローママイルの内で(敵対勢力から)襲撃され得るとは。 [[画像:PraetorianVexillifer_1.jpg|thumb|right|200px|帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。]] *quinque cohortes frumentatum in proximas segetes mittit, **5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を糧秣徴発するために、近隣の耕地に派遣した。 *quas inter et castra unus omnino collis intererat. **それら(の耕地)と陣営の間には、ただ一つの丘陵が介在するだけであった。 *③ Complures erant in castris<ref>in castris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ex legionibus aegri relicti; **陣営の中には、諸軍団のうちから少なからぬ傷病者たちが残留していた。 *ex quibus qui hoc spatio dierum convaluerant, circiter trecenti(CCC), **その者たちのうちから、この日々の間に回復していた約300名が、 *sub vexillo una mittuntur; **<ruby><rb>[[w:ウェクスィッルム|軍旗]]</rb><rp>(</rp><rt>ウェクスィッルム</rt><rp>)</rp></ruby>のもとで一緒に派遣された。 *magna praeterea multitudo calonum, magna vis iumentorum quae in castris subsederant, **そのうえに、軍属奴隷の大多数、陣営の中に残留していた(ロバなどの)役畜の多数が、 *facta potestate sequitur. **機会を与えられて、随行した。 ===37節=== [[画像:Castra1.png|thumb|right|200px|ローマ式[[w:カストラ|陣営]]([[w:la:Castra_Romana|castra Romana]])の概略図(再掲)。'''7'''が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。]] '''スガンブリー族がキケロの陣営に襲来''' *① Hoc ipso tempore et casu Germani equites interveniunt **このまさにその時と状況に、[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人の[[w:騎兵|騎兵]]たちが出現して、 *protinusque eodem illo, quo venerant, cursu **さらに前方へ(彼らが)やって来たのと同じ突進でもって、 *ab decumana porta in castra inrumpere conantur, **第10大隊の門(=裏門)から陣営の中に突入することを試みた。 **:(訳注:decumana porta は[[ガリア戦記 第2巻#24節|第2巻24節]]で既出、図を参照。) *② nec prius sunt visi obiectis ab ea parte silvis, quam [[wikt:la:castrum|castris]] adpropinquarent, **その方面については森林がじゃま立てしていたので(彼らは)陣営に接近するまでは視認されなかったのだ。 *usque eo ut qui sub [[w:la:Vallum|vallo]] tenderent mercatores, recipiendi sui facultatem non haberent. **そこまで(敵が急に来たので)、防柵の下に宿営していた商人たちが退避する機会を持たなかったほどであった。 *③ Inopinantes nostri re nova perturbantur, **予感していなかった我が方は、新しい事態に混乱させられて、 *ac vix primum impetum cohors in statione sustinet. **やっとのことで[[w:歩哨|歩哨]]に就いていた[[w:コホルス|歩兵大隊]]が(敵の)最初の突撃を持ちこたえた。 *④ Circumfunduntur ex reliquis hostes partibus, si quem aditum reperire possent. **敵たちは、何らかの入口を探り出せないかと、ほかの方面から取り囲んだ。 *⑤ Aegre portas nostri tuentur; **我が方(=ローマ勢)は辛うじて(四方の)諸門を固守して、 *reliquos aditus locus ipse per se munitioque defendit. **ほかの入口を、その位置そのものと防備が(敵の突入から)防護した。 *⑥ Totis trepidatur castris, **陣営の全体が震撼させられて、 *atque alius ex alio causam tumultus quaerit; **各人がほかの者に騒乱の原因を尋ね合った。 **:(訳注:エブロネス族を追討している最中に、スガンブリー族が来襲するとは予想だにしなかったからである。) *neque quo signa ferantur, neque quam in partem quisque conveniat provident. **が、どこへ軍旗が運ばれるのか、どの方面におのおのが集結するのか、判らなかった。 *⑦ Alius iam castra capta pronuntiat, **ある者は、すでに陣営は占拠されたと公言し、 *alius deleto exercitu atque imperatore victores barbaros venisse contendit; **別のある者は、軍隊も将軍(カエサル)も滅びて蛮族が勝利者としてやって来たのだ、と断言した。 *⑧ plerique novas sibi ex loco religiones fingunt **たいていの者たちは、その場所から、新奇な迷信的感情を創り上げ、 *Cottaeque et Tituri calamitatem, qui in eodem occiderint castello, **同じ砦のところで斃れた[[w:ルキウス・アウルンクレイウス・コッタ|コッタ]]と[[w:クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌス|ティトゥリウス(・サビヌス)]]の敗亡を *ante oculos ponunt. **眼前に想い描いた。 *⑨ Tali timore omnibus perterritis **このような怖れによって(陣営内部の)皆が脅えており、 *confirmatur opinio barbaris, ut ex captivo audierant, nullum esse intus praesidium. **蛮族にとっては、捕虜から聞いていたように、内部に守備隊が存在していないという見解が強められた。 *⑩ Perrumpere nituntur **(スガンブリー勢は、陣営の防備を)突破することに努め、 *seque ipsi adhortantur, ne tantam fortunam ex manibus dimittant. **これほどの幸運を手から取りこぼさないように、自分たちが自身を鼓舞した。 ===38節=== '''バクルスと百人隊長たちが防戦する''' *① Erat aeger cum<ref>cum はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> praesidio relictus P.(Publius) Sextius Baculus, **(キケロの陣営には)プーブリウス・セクスティウス・バクルスが傷病者として、守備兵とともに残されていた。 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[w:la:Publius Sextius Baculus|Publius Sextius Baculus]] などの記事を参照。)</span> *qui primum pilum ad<ref>ad はα系写本の記述で、β系写本では apud となっている。</ref> Caesarem duxerat, **その者はカエサルのもとで<ruby><rb>[[w:プリムス・ピルス|首位百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>プリムス・ピルス</rt><rp>)</rp></ruby> の座に就いていたことがあり、 *cuius mentionem superioribus proeliis fecimus, **かつての戦闘で彼に言及したが、 **:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#25節|第2巻25節]] および [[ガリア戦記 第3巻#5節|第3巻5節]]を参照。)</span> *ac diem iam quintum cibo caruerat. **(このとき)食物を欠いてすでに5日目であった。 *② Hic diffisus suae atque omnium saluti inermis ex tabernaculo prodit; **彼は、自らと皆の身の安全に疑念を抱いて、非武装のまま天幕小屋から出て来て、 *videt imminere hostes atque in summo esse rem discrimine; **敵たちが迫って来ていること、および事態が重大な危急にあることを目の当たりにして、 *capit arma a proximis atque in porta consistit. **すぐ近くの者から武器を取って、門のところに陣取った。 *③ Consequuntur hunc centuriones eius cohortis quae in statione erat; **歩哨に立っていた(1個)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> たちが彼に追随して、 **:(訳注:1個歩兵大隊の百人隊長は、定員通りであれば、6名いた。) *paulisper una proelium sustinent. **しばらく一緒に戦闘を持ちこたえた。 *④ Relinquit animus Sextium gravibus acceptis vulneribus; **セクスティウス(・バクルス)は重い傷を受けて、気を失った。 *Deficiens<ref>deficiens はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aegre per manus tractus servatur. **(彼は)衰弱して、(味方の)手から手に運ばれて辛うじて救助された。 *⑤ Hoc spatio interposito reliqui sese confirmant **こうしてしばらくした後で、ほかの者たちは意を強くした。 *tantum, ut in munitionibus consistere audeant speciemque defensorum praebeant. **(それは)防壁にあえて陣取って、防戦者たちの姿を示したほどであった。 ===39節=== '''スガンブリー族が糧秣徴発部隊をも襲う''' *① Interim confecta frumentatione milites nostri clamorem exaudiunt; **その間に、糧秣徴発を成し遂げると、我が方の兵士たち(=ローマ軍団兵)は叫び声を聞きつけて、 *praecurrunt equites; **[[w:騎兵|騎兵]]たちが先駆けして、 *quanto res sit in periculo cognoscunt. **事態がどれほどの危険にあるかを認識した。 *② Hic vero nulla munitio est quae perterritos recipiat; **そこには、まさに、脅え上がった者たちを受け入れるような、いかなる防備もなかったのである。 *modo conscripti atque usus militaris imperiti **やっと徴集されたばかりの者たち、なおかつ兵役の経験に通じていない者たちは、 *ad tribunum militum centurionesque ora convertunt; **<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|兵士長官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちの方へ顔を向けた。 *quid ab his praecipiatur exspectant. **彼ら(上官たち)によって何を指図されるか、待っていたのである。 *③ Nemo est tam fortis, quin rei novitate perturbetur. **新奇な事態に不安にさせられないほど勇敢な者は、誰もいなかった。 *④ Barbari signa procul conspicati oppugnatione desistunt, **蛮族たちは、(糧秣徴発隊の)軍旗を遠くから視認すると、(陣営への)攻囲を停止した。 *redisse primo legiones credunt, quas longius discessisse ex captivis cognoverant; **(彼らは)当初は、より遠くに立ち去ったことを捕虜から知っていた(ローマの)諸軍団が戻って来たと思ったが、 *postea despecta paucitate ex omnibus partibus impetum faciunt. **後には、(糧秣徴発隊の)寡勢ぶりを侮って、あらゆる方向から突撃して来た。 ===40節=== '''敵中突破して陣営へ戻る糧秣徴発部隊の明暗''' *① Calones in proximum tumulum procurrunt. **[[w:カロネス|軍属奴隷]]たちは、近隣の丘に先駆けした。 *Hinc celeriter deiecti **(彼らは)ここから、(突撃して来る敵の軍勢を眺めて)たちまち当てが外れて、 *se in signa manipulosque coniciunt; **(後方にいた)軍旗と[[w:マニプルス|歩兵中隊]]のところに身を投じた。 *eo magis timidos perterrent milites. **それゆえに、臆病な兵士たちを大いに脅かした。 [[画像:Wedge-diagram.svg|thumb|right|200px|[[w:くさび|楔(くさび)]]の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。]] *② Alii cuneo facto ut celeriter perrumpant, censent **(ローマ兵の)ある者たちは、速やかに(敵中を)突破するように、<ruby><rb>[[w:くさび|楔形]]</rb><rp>(</rp><rt>くさびがた</rt><rp>)</rp></ruby>隊列を形成しようと考慮した。 *─ quoniam tam propinqua sint castra, **─ 陣営がこれほどまで近隣にあるので、 *etsi pars aliqua circumventa ceciderit, at reliquos servari posse confidunt ─, **たとえ、一部の誰かが包囲されて斃れたとしても、残りの者たちは救われることが可能だと確信したのだ ─。 *③ alii ut in iugo consistant atque eundem omnes ferant casum. **別のある者たちは、(丘の)尾根に陣取って、皆が同じ命運に耐え忍ぼうと(考えた)。 *④ Hoc veteres non probant milites, quos sub vexillo una profectos docuimus. **既述したように軍旗のもとで一緒に発って来た古参兵たちは、後者(の案)を承認しなかった。 **:(訳注:[[#36節|36節]]③項で既述のように、回復した傷病兵たちが同行してきていた。) *Itaque inter se cohortati **こうして、(古参の傷病兵たちは)互いに激励し合って、 *duce C.(Gaio) Trebonio equite Romano, qui iis erat praepositus, **彼らの指揮を委ねられていたローマ人[[w:騎士|騎士階級]]のガイウス・トレボニウスを統率者として、 **:(訳注:[[#33節|33節]]で3個軍団を率いて出発した副官の[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]とは明らかに同名の別人である。) *per medios hostes perrumpunt incolumesque ad unum omnes in castra perveniunt. **敵たちの中央を突破して、一人に至るまで皆が無傷で陣営に到着した。 *⑤ Hos subsecuti calones equitesque eodem impetu militum virtute servantur. **彼らに追随して、軍属奴隷と[[w:騎兵|騎兵]]たちが同様の突撃をして、兵士たちの武勇により救われた。 *⑥ At ii qui in iugo constiterant, **それに対して(丘の)尾根に陣取った者たちは、 *nullo etiam nunc usu rei militaris percepto **今になってさえも、軍事的行動というものを把握しておらず、 *neque in eo quod probaverant consilio permanere, ut se loco superiore defenderent, **より高い場所で身を守るという、彼らが承認していた考えに留まりもせず、 *neque eam quam prodesse aliis vim celeritatemque viderant, imitari potuerunt, **(彼らが)別の者たち(=古参兵)に役立ったのを見ていたところの力と迅速さを真似することもできなかった。 *sed se in castra recipere conati iniquum in locum demiserunt. **けれども、陣営に退却することを試みたが、不利な場所に落ち込んで行った。 *⑦ Centuriones, quorum nonnulli ex inferioribus ordinibus reliquarum legionum **[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]たちといえば、彼らの少なからぬ者たちは、ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]のより低い序列から、 *virtutis causa in superiores erant ordines huius legionis traducti, **武勇のおかげで、この軍団のより高い序列に異動させられていたが、 *ne ante partam rei militaris laudem amitterent, fortissime pugnantes conciderunt. **かつて獲得した軍事的な賞賛を失わないように、とても果敢に奮戦して斃れた。 *⑧ Militum pars horum virtute **兵士たちの一部は、これら(討ち死にした百人隊長たち)の武勇により、 *submotis hostibus praeter spem incolumis in castra pervenit, **予想に反して敵たちが撃退されたので、無傷で陣営に到着した。 *pars a barbaris circumventa periit. **別の一部は、蛮族によって包囲されて、討ち死にした。 ===41節=== '''スガンブリー族の撤退、カエサルの帰還''' *① Germani desperata expugnatione castrorum, **[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人たちは(キケロの)[[w:カストラ|陣営]]の攻略に絶望して、 *quod nostros iam constitisse in munitionibus videbant, **というのは、我が方(ローマ勢)が防備のところに立っているのを見たからであるが、 *cum ea praeda quam in silvis deposuerant, trans Rhenum sese receperunt. **森の中にしまい込んでいた略奪品とともに、レヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側に撤退した。 *② Ac tantus fuit etiam post discessum hostium terror, **敵たちの立ち去った後でさえ(ローマ勢の)畏怖はたいへんなものであったので、 *ut ea nocte, cum C.(Gaius) Volusenus missus cum equitatu ad castra venisset, **その夜に、(追討戦に)派遣されていたガーイウス・ウォルセーヌスが騎兵隊とともに陣営へ帰着したときに **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注:''[[w:en:Gaius Volusenus|Gaius Volusenus]]'' は、[[ガリア戦記_第3巻#5節|第3巻5節]]のアルプス・オクトードゥールスの戦い、<br>    [[ガリア戦記_第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記_第4巻#23節|23節]]のブリタンニアへの先遣で既述。<br>    この後、さらに第8巻23節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#23|s]])</sub>、48節<sub>([[s:la:Commentarii_de_bello_Gallico/Liber_VIII#48|s]])</sub>でも活躍する。)</span> *fidem non faceret adesse cum incolumi Caesarem exercitu. **カエサルが無傷の軍隊とともに近くに来ていることを(陣営の残留組に)信用させなかったほどである。 *③ Sic omnino animos timor praeoccupaverat, ut paene alienata mente **ほとんど気でも違ったかのように、皆の心を怖れが占めていた。 **:(訳注:sic … ut ~ の構文;「~と同様に…である」) *deletis omnibus copiis equitatum se ex fuga recepisse dicerent **(残留者たちは、カエサルら)全軍勢が滅ぼされて、[[w:騎兵|騎兵隊]]が敗走から退いて来たのだ、と言った。 *neque incolumi exercitu Germanos castra oppugnaturos fuisse contenderent. **(カエサルら)軍隊が無傷であれば、ゲルマーニア人が陣営を襲撃しなかっただろう、と断言した。 **:(訳注:oppugnaturos fuisse ;間接話法では非現実な[[w:条件法|条件文]]の帰結は「未来分詞+fuisse」で表される。) *④ Quem timorem Caesaris adventus sustulit. **その怖れをカエサルの到着が取り除いた。 **:(訳注:sustulit は tollō の完了・能動3人称単数形) ===42節=== '''カエサルがスガンブリー族の襲来と撤退を運命に帰する''' *① Reversus ille, eventus belli non ignorans, **引き返して来た彼(カエサル)は、戦争の成り行きというものを知らないはずがないので、 *unum quod cohortes ex statione et praesidio essent emissae, **ひとつ(だけ)、<ruby><rb>[[w:コホルス|諸大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> が[[w:歩哨|歩哨]]や守備から(糧秣徴発に)派遣されたことを *questus ─ ne minimo quidem casu locum relinqui debuisse ─ **不慮の事態に対して最小限のいかなる余地も残されるべきではなかった、と嘆いた。 *multum Fortunam in repentino hostium adventu potuisse iudicavit, **不意の敵たちの到来においては運命(の女神)が大いに力を持つ、と断じた。 *② multo etiam amplius, quod paene ab ipso vallo portisque castrorum barbaros avertisset. **さらに、より一層大きかったのは、(運命が)ほとんど蛮族をその陣営の防柵と諸門から追い返してしまったことである。 *③ Quarum omnium rerum maxime admirandum videbatur, **それらのすべての事態でとりわけ驚くべきと思われたのは、 *quod Germani, qui eo consilio Rhenum transierant, ut Ambiorigis fines depopularentur, **その意図で[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]の領土を荒らすようにレヌス(=[[w:ライン川|ライン川]])を渡河していた[[w:ゲルマニア|ゲルマーニア]]人が、 *ad castra Romanorum delati **ローマ人の陣営の方へそらされて、 *optatissimum Ambiorigi beneficium obtulerunt. **アンビオリクスに最も望ましい恩恵を施してしまったことである。 ==対エブロネス族追討戦(2)== ===43節=== '''アンビオリクスが辛うじて追討を逃れる''' *① Caesar rursus ad vexandos hostes profectus **カエサルは再び敵たちを苦しめるために出発して、 *magno coacto &lt;equitum&gt; numero ex finitimis civitatibus in omnes partes dimittit. **[[w:騎兵|騎兵]]の多数を隣接する諸部族から徴集して、あらゆる方面に派遣した。 **:(訳注:&lt;equitum&gt; 「騎兵の」は近代の校訂者による挿入である。) *② Omnes vici atque omnia aedificia quae quisque conspexerat incendebantur, **おのおのが目にしたすべての村々およびすべての建物が焼き打ちされた。 *pecora interficiebantur<ref>pecora interficiebantur はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, praeda ex omnibus locis agebatur; **家畜は屠殺され、あらゆる場所から略奪品が奪い去られた。 *③ frumenta non solum tanta multitudine iumentorum atque hominum consumebantur, **役畜および人間たちのこれほど大勢により穀物が消費され尽くしたのみならず、 *sed etiam anni tempore atque imbribus procubuerant, **季節と豪雨によってさえも(穀物が)倒れた。 *ut si qui etiam in praesentia se occultassent, **その結果、もし(エブロネス族の)何者かが現状では身を隠しているとしても、 *tamen his deducto exercitu rerum omnium inopia pereundum videretur. **それでも彼らは(ローマ人の)軍隊が引き揚げれば、あらゆるものの欠乏により死滅するはずと思われた。 *④ Ac saepe in eum locum ventum est tanto in omnes partes diviso equitatu, **たいへん多くの騎兵隊があらゆる方面に分遣されて、しばしば以下のような状態に出くわした。 *ut non modo visum ab se Ambiorigem in fuga circumspicerent captivi **捕虜たちが、自分たちによって逃亡中の[[w:アンビオリクス|アンビオリクス]]が目撃されたと見回しただけでなく、 *nec plane etiam abisse ex conspectu contenderent, **(アンビオリクスが)視界からまったく消え去ってはいないとさえ主張した。 *⑤ ut spe consequendi inlata atque infinito labore suscepto, **その結果、(アンビオリクスを)追跡する希望がもたらされて、さらに限りない労苦が従事された。 *qui se summam ab Caesare gratiam inituros putarent, **カエサルから最高の恩恵を得ようと思った者たちは、 *paene naturam studio vincerent, **熱意により(身体的な)資質にほとんど打ち克ったが、 *semperque paulum ad summam felicitatem defuisse videretur, **いつも最高の恵みにあと少しで足りなかったと思われる。 *⑥ atque ille latebris aut silvis<ref>aut silvis はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> aut saltibus se eriperet **かつ彼(アンビオリクス)は隠れ処、あるいは森林、あるいは峡谷によって自らを救い、 *et noctu occultatus alias regiones partesque peteret **夜に秘されて、別の地方や方面をめざした。 *non maiore equitum praesidio quam quattuor, **4名より多くない騎兵の護衛によって、 *quibus solis vitam suam committere audebat. **自らの生命をその者たちだけにあえて委ねたのだ。 ===44節=== '''カエサルが撤退し、造反者アッコを処刑する''' *① Tali modo vastatis regionibus **このようなやり方で(エブロネス族の)諸地域を荒廃させて、 [[画像:Porte_Mars_01.jpg|thumb|right|200px|ドゥロコルトルム(現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]])に建てられた帝政ローマ時代(3世紀)の[[w:凱旋門|凱旋門]]。]] *exercitum Caesar duarum cohortium damno [[w:la:Remi|Durocortorum]] Remorum reducit **カエサルは、2個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby> の損失(だけ)で、軍隊を[[w:レミ族|レミ族]]の[[w:ドゥロコルトルム|ドゥロコルトルム]]に連れ戻して、 **:(訳注:ドゥロコルトルムはレミ族の首邑で、現在の[[w:ランス (マルヌ県)|ランス]] Reims である。) *concilioque in eum locum Galliae indicto **その地においてガッリアの(領袖たちの)会合を公示して、 *de coniuratione Senonum et Carnutum quaestionem habere instituit **[[w:セノネス族|セノネス族]]と[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の共謀について詮議することを決定した。 *② et de Accone, qui princeps eius consilii fuerat, **その謀計の首謀者であった[[w:アッコ (セノネス族)|アッコ]]については *graviore sententia pronuntiata more maiorum supplicium sumpsit. **より重い判決が布告され、(ローマ人の)先祖の習慣により極刑に処した。 **:(訳注:ローマ史家[[w:テオドール・モムゼン|モムゼン]]は、アッコはローマの<ruby><rb>[[w:リクトル|先導吏]]</rb><rp>(</rp><rt>リクトル</rt><rp>)</rp></ruby> により[[w:斬首刑|斬首]]されたと言及している<ref>『モムゼン ローマの歴史Ⅳ』長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、p.233 を参照。</ref>。 **:外国から来た侵略者カエサルがこのような刑罰を下したことに、ガッリア人たちは憤激した。[[ガリア戦記 第7巻#1節|第7巻1節]]を参照。) *③ Nonnulli iudicium veriti profugerunt. **少なからぬ者たちは、裁判を恐れて逃走した。 *Quibus cum aqua atque igni interdixisset, **その者たちには水と火が禁じられたうえで、 **:(訳注:「水と火を禁じる」とは追放処分のことで、居住権や財産の没収などを指す。) *duas legiones ad fines Treverorum, duas in Lingonibus, **2個[[w:ローマ軍団|軍団]]をトレーウェリー族の領土へ、2個(軍団)を[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](の領土)に、 *sex reliquas in Senonum finibus [[w:la:Agedincum|Agedinci]] in hibernis conlocavit **残りの6個(軍団)を[[w:セノネス族|セノネス族]]の領土の[[w:アゲディンクム|アゲディンクム]]に、冬営地に宿営させた。 **:(訳注:アゲディンクムは、現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]] Sens である。) *frumentoque exercitui proviso, **軍隊の糧秣を調達してから、 *ut instituerat, in Italiam ad conventus agendos profectus est. **定めていたように、イタリアに開廷(巡回裁判)を行なうために出発した。 **:(訳注:ここで「イタリア」とはカエサルが総督を務める[[w:ガリア・キサルピナ|ガッリア・キサルピーナ]]のことと思われる。) ---- *<span style="background-color:#99ff99;">「ガリア戦記 第6巻」了。「[[ガリア戦記 第7巻]]」へ続く。</span> ==脚注== <references /> ==参考リンク== *ウィキペディア英語版・日本語版 **[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]([[w:Category:ガリアの部族|Category:ガッリアの部族]]) ***[[w:en:Eburones|Eburones]]([[w:エブロネス族|エブロネス族]]) ***[[w:en:Nervii|Nervii]]([[w:ネルウィイ族|ネルウィイ族]]) ***[[w:en:Senones|Senones]](セノネス族)- [[w:la:Senones|la:Senones]] ***[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌテス族) ***[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィ族]]) ****[[w:en:Lutetia|Lutetia]]([[w:ルテティア|ルテティア]]) ***[[w:en:Menapii|Menapii]](メナピイ族) ***[[w:en:Treveri|Treveri]](トレーウェリー族) ***[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]) ***[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族) ***[[w:en:Remi|Remi]](レーミー族) **[[w:en:Category:Germanic peoples|Category:Germanic peoples]](ゲルマーニア人のカテゴリ) ***[[w:en:Category:Ancient Germanic peoples|Category:Ancient Germanic peoples]](古代ゲルマーニア人) ***[[w:en:Germanic peoples|Germanic peoples]](ゲルマーニア人) ***[[w:en:Ubii|Ubii]](ウビイー族) ***[[w:en:Suebi|Suebi]]([[w:スエビ族|スエービー族]]) ***[[w:en:Chatti|Chatti]](カッティー族) ***[[w:en:Cherusci|Cherusci]](ケールスキー族) ***[[w:en:Sicambri|Sicambri]](スガンブリー族) ***[[w:en:Hercynian Forest|Hercynian Forest]](ヘルキュニアの森) **地理学者・史家 ***[[w:en:Posidonius|Posidonius]]([[w:ポセイドニオス|ポセイドニオス]];BC135-51年頃)- [[w:la:Posidonius Apameus|la:Posidonius Apameus]] ***[[w:en:Diodorus Siculus|Diodorus Siculus]]([[w:シケリアのディオドロス|シケリアのディオドロス]];BC1世紀) - [[w:la:Diodorus Siculus|la:Diodorus Siculus]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Διόδωρος Σικελιώτης|Διόδωρος Σικελιώτης]](シケリアのディオドロス)- [[s:el:Ιστορική Βιβλιοθήκη|Ιστορική Βιβλιοθήκη]](歴史叢書)〕 ***[[w:en:Strabo|Strabo]]([[w:ストラボン|ストラボン]];BC63年頃–AD24年頃)- [[w:la:Strabo|la:Strabo]] ****〔ウィキソース ギリシア語版:[[s:el:Στράβων|Στράβων]](ストラボン) - [[s:el:Γεωγραφία|Γεωγραφία]](世界地誌)〕 ***[[w:en:Tacitus|Tacitus]]([[w:タキトゥス|タキトゥス]];56年頃–117年頃)- [[w:la:Cornelius Tacitus|la:Cornelius Tacitus]] ****[[w:en:Germania (book)|Germania (book)]]([[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア (書物)]])- [[w:la:Germania (opus Taciti)|la:Germania (opus Taciti)]] ***[[w:en:Pomponius Mela|Pomponius Mela]](ポンポニウス・メラ;1世紀)- [[w:la:Pomponius Mela|Pomponius Mela]] ***[[w:en:Athenaeus|Athenaeus]]([[w:アテナイオス|アテナイオス]];2世紀頃)- [[w:la:Athenaeus Naucratita|la:Athenaeus Naucratita]] ***[[w:en:Theodor Mommsen|Theodor Mommsen]]([[w:テオドール・モムゼン|テオドール・モムゼン]];19世紀)- [[w:la:Theodorus Mommsen|la:Theodorus Mommsen]] **[[w:en:Category:Celtic culture|Category:Celtic culture]](ケルト文化) **[[w:en:Category:Celtic mythology|Category:Celtic mythology]]([[w:Category:ケルト神話|Category:ケルト神話]]) ***[[w:en:Druid|Druid]]([[w:ドルイド|ドルイド]]) - [[w:la:Druis|la:Druis]] ***[[w:en:Wicker Man|Wicker Man]]([[w:ウィッカーマン|ウィッカーマン]]) **[[w:en:Category::Celtic_gods|Category::Celtic_gods]](ケルトの神々) **[[w:en:Category:Ancient Gaulish and British gods|Category:Ancient Gaulish and British gods]](古代ガッリアとブリタニアの神々) ***[[w:en:Taranis|Taranis]](タラニス) ***[[w:en:Cernunnos|Cernunnos]](ケルヌンノス) ***[[w:en:Dis Pater|Dis Pater]](ディス・パテル) ***[[w:en:Sucellus|Sucellus]](スケッルス) **カエサルの副官たち ***[[w:en:Titus_Labienus|Titus Labienus]]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]])- [[w:la:Titus_Labienus|la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Trebonius|Gaius Trebonius]]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]])- [[w:la:Gaius Trebonius|la:Gaius Trebonius]] ***[[w:en:Quintus_Tullius_Cicero|Quintus Tullius Cicero]]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Quintus_Tullius_Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]] ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) ***[[w:en:|en:]]([[w:|w:]]) *ウィクショナリー フランス語版 **[[wikt:fr:calo]](カーロー、軍属奴隷) sbavrlw2jvadwlogmohgwf390i47ode JavaScript/配列 0 13860 263549 242265 2024-11-16T01:31:03Z Ef3 694 s/(:<syntaxhighlight lang=js.*)>/$1 copy>/19 263549 wikitext text/x-wiki {{Nav}} JavaScriptには、配列という便利なデータ構造があります。配列は、複数の値を一つのインスタンスに格納することができます。これにより、複数の値を扱う場合に便利です。配列には、文字列や数値などのプリミティブ型の値をはじめ、JavaScriptの全てのオブジェクトを格納することができます。 この章では、配列とその操作について学びます。配列の作成、要素の追加や削除、配列の検索など、配列に対する基本的な操作を学びます。また、配列を扱う上で役立つメソッドについても学びます。 配列はJavaScriptにおいて非常に重要なデータ構造であり、JavaScriptを学ぶ上で欠かせない部分です。この章を通じて、配列について深く理解し、JavaScriptのプログラミング能力を向上させてください。 == 配列リテラル == JavaScriptでは、配列を作成するために配列リテラルと呼ばれる構文があります。配列リテラルは、角括弧( [ ] )で要素を囲んで定義されます。 以下は、配列リテラルを用いた配列の作成の例です。 :<syntaxhighlight lang=js copy> // 配列リテラルで配列を作成する const fruits = ['apple', 'banana', 'orange']; // 配列の中身を表示する console.log(fruits); // ['apple', 'banana', 'orange'] </syntaxhighlight> 上記の例では、<code>fruits</code>という名前の配列を作成しています。配列リテラルの中に<code>'apple'</code>、<code>'banana'</code>、<code>'orange'</code>という3つの文字列が要素として含まれています。<code>console.log()</code>を用いて、配列の内容をコンソールに表示しています。 また、配列リテラルを使用することで、空の配列を作成することもできます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> // 空の配列を作成する const emptyArray = []; </syntaxhighlight> 異なる型のオブジェクトを含んだ配列を作ることも出来ます。 :<syntaxhighlight lang=javascript line copy> const ary = [null, false, true, { a: 0, b: 1 }, 123, 3.14, 5n, [0, 1, 2], undefined]; console.log(ary); // ,false,true,[object Object],123,3.14,5,0,1,2, console.log(ary[4]); // 123 </syntaxhighlight> :# 配列<code>ary</code>を定義しています。配列の中には、<code>null</code>、<code>false</code>、<code>true</code>、オブジェクト <code>{ a: 0, b: 1 }</code>、数値 <code>123</code>、小数 <code>3.14</code>、BigInt <code>5n</code>、配列 <code>[0, 1, 2]</code>、<code>undefined</code> が含まれています。 :# <code>ary</code>配列を <code>console.log()</code> 関数を用いて表示しています。<code>console.log()</code> 関数は、与えられた値をコンソールに表示します。配列を表示する場合、要素が <code>,</code> で区切られて並べられます。オブジェクト <code>{ a: 0, b: 1 }</code> は <code>[object Object]</code> と表示されます。 :# <code>ary</code>配列の4番目の要素を <code>console.log()</code> 関数を用いて表示しています。配列のインデックスは、0から始まるため、4番目の要素は <code>123</code> です。<code>console.log()</code> 関数によって、 <code>123</code> がコンソールに表示されます。 このように、配列リテラルは配列を簡単に作成するための便利な構文です。 === 添字を使った要素の参照 === JavaScriptの配列は、複数の値を格納できるデータ構造で、それぞれの値は配列内で一意のインデックス番号によって参照されます。インデックス番号は、0から始まる整数値で、配列内の要素の順序に従って割り当てられます。 配列の要素を参照するには、角括弧 <code>[]</code> 内に要素のインデックス番号を指定します。例えば、以下のように書くことで、配列<code>ary</code>の2番目の要素にアクセスすることができます。 :<syntaxhighlight lang=js line copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; const secondElement = ary[1]; // "banana" const noExistElement = ary[3]; // undefined </syntaxhighlight> :# このコードでは、文字列の配列 <code>ary</code> を定義しています。配列の各要素には、それぞれインデックス番号が割り当てられ、0から始まる整数値がインデックス番号になります。この場合、<code>ary</code> 配列の最初の要素は "apple" で、インデックス番号は 0 です。次の要素は "banana" で、インデックス番号は 1 です。最後の要素は "cherry" で、インデックス番号は 2 です。 :# 次に、<code>ary[1]</code> という表記を使用して、<code>ary</code> 配列の 1 番目の要素 "banana" にアクセスしています。この要素は、変数 <code>secondElement</code> に代入され、文字列 "banana" が格納されます。 :# さらに、<code>ary[3]</code> という表記を使用して、<code>ary</code> 配列の存在しないインデックス番号である 3 番目の要素にアクセスしています。この場合、配列に存在しない要素にアクセスしているため、<code>undefined</code> が返され、変数 <code>noExistElement</code> に代入されます。 ---- C言語の配列のように、要素数を予め決め全ての要素の型が同じオブジェクトに[[JavaScript/型付き配列|型付き配列]]があります。 {{コラム|疎な配列|width=100%|2=配列の length プロパティを変更したり、大きなインデックスを使って要素の書き換えを行ったらどうなるでしょう。 :<syntaxhighlight lang=javascript line copy> let ary = [1, 2, 3]; ary.length = 10; console.log(ary); // "1,2,3,,,,,,," console.log(ary[7]); // undefined ary[6] = 99; ary[8] = void 0; ary[100] = "str"; delete ary[1]; ary.forEach((x,i) => console.log(`${i}: ${x}`)); // 0: 1 // 2: 3 // 6: 99 // 8: undefined // 100: str </syntaxhighlight> * 3行目: 元々の配列 ary のlength 3 を超える 10 をlengthに代入 * 4行目: ary を文字列化すると "1,2,3,,,,,,," * 5行目: 拡大された範囲の要素は、 undefined (に見えます、本当?) * 6行目: 拡大された範囲の要素に数値を代入 * 7行目: 拡大された範囲の要素に void 0 を代入(undefinedを得るイディオム) * 8行目: 拡大された範囲すら超える遠い位置に文字列を代入 * 9行目: ary の二番目の要素を delete * 10行目: forEach メソッドでそれぞれの要素をインデックスとともに表示すると、削除された2番目の配列要素と代入していない 4,5,7,9..99番目要素は callback 関数の呼び出しそのものが有りません。<br>void 0 を代入した8番目の要素は callback 関数が呼び出されています(未代入と削除された要素が undefined に見えるのは表現上の問題です)。 このように初期化されていない要素を持つ配列の要素の事を、'''疎な配列'''と言います。数学の[[w:疎行列|疎行列]](要素の殆どが 0 な行列)とは異なる概念なので字面に騙されないようにして下さい。 }} == Array == {{See also|[[JavaScript/Array|Arrayオブジェクト]]}} JavaScriptにおける配列は、Arrayコンストラクタ関数を使用して作成することができます。Arrayコンストラクタ関数は、以下のように使われます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const myArray = new Array(); // 空の配列を作成 const myArray2 = new Array(length); // length要素の配列を作成 const myArray3 = new Array(element0, element1, ..., elementN); // element0, element1, ..., elementNを含む配列を作成 </syntaxhighlight> 上記のコードの<code>length</code>は、配列の長さを表します。<code>element0</code>、<code>element1</code>、...、<code>elementN</code>は、配列に含める要素を表します。 また、Arrayコンストラクタ関数の代わりに、配列リテラルを使用することもできます。例えば、以下のように書くことができます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const myArray = []; // 空の配列を作成 const myArray2 = [element0, element1, ..., elementN]; // element0, element1, ..., elementNを含む配列を作成 </syntaxhighlight> こちらは、より簡潔で一般的に使用されます。 === スプレッド構文 === JavaScriptにおけるスプレッド構文は、配列の要素を展開するために使用されます。配列の要素を展開することにより、別の配列に追加することができます。スプレッド構文は、<code>...</code>という記号で表されます。 例えば、以下のように配列を作成して、スプレッド構文を使用して配列の要素を展開し、新しい配列に追加することができます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const myArray = [1, 2, 3]; const myNewArray = [...myArray, 4, 5, 6]; console.log(myNewArray); // [1, 2, 3, 4, 5, 6] </syntaxhighlight> 上記の例では、<code>...myArray</code>を使用して、<code>myArray</code>の要素を新しい配列に追加しています。<code>[...myArray, 4, 5, 6]</code>は、<code>myArray</code>の要素に<code>4</code>、<code>5</code>、<code>6</code>を追加した新しい配列を作成することになります。 また、スプレッド構文を使用して、配列を結合することもできます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const array1 = [1, 2, 3]; const array2 = [4, 5, 6]; const array3 = [...array1, ...array2]; console.log(array3); // [1, 2, 3, 4, 5, 6] </syntaxhighlight> 上記の例では、スプレッド構文を使用して、<code>array1</code>と<code>array2</code>を結合し、新しい配列<code>array3</code>を作成しています。 スプレッド構文と Arrray.prototype.map メソッドを組み合わせたトリック :<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = [...Array(5)].map((_, n) => n) // [ 0, 1, 2, 3, 4 ] </syntaxhighlight> このコードは、5つの要素を持つ配列を作成し、それをスプレッド演算子 <code>...</code> を使って展開します。この結果、空で、要素数が5の配列が作成されます。 そして、mapメソッドが配列の各要素に対して繰り返し処理を実行します。ここで、第一引数 <code>_</code> は無視され、第二引数 <code>n</code> には現在のインデックスが渡されます。このコードでは、繰り返し処理の中で、各要素にインデックス番号を割り当てています。 その結果、最終的に <code>[0, 1, 2, 3, 4]</code> という配列が作成されます。つまり、このコードは、0から始まり、5未満の整数を持つ配列を作成するための一般的な方法の一例です。 === 配列の反復処理 === JavaScriptの配列をイテレーションする方法には、以下のような方法があります。 # forループを使う #: forループは、配列のインデックス番号を使用して、配列の各要素を反復処理するための古典的な方法です。以下は、forループを使用して配列をイテレーションする例です。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; for (let i = 0; i < ary.length; i++) { console.log(ary[i]); } </syntaxhighlight> #: この場合、forループ内で <code>ary.length</code> プロパティを使用して、配列の長さを取得し、ループ回数を制御しています。 # forEachメソッドを使う #: 配列には、forEachメソッドが用意されており、このメソッドを使用すると、簡潔に配列の各要素を反復処理することができます。以下は、forEachメソッドを使用して配列をイテレーションする例です。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; ary.forEach((element) => { console.log(element); }); </syntaxhighlight> #:この場合、forEachメソッドには、コールバック関数が渡されます。コールバック関数は、配列の各要素に対して一度ずつ実行されます。この場合、各要素を <code>element</code> という引数で受け取り、<code>console.log()</code> メソッドで出力しています。 # for...ofループを使う #:ES6以降、for...ofループが導入されました。このループは、配列の各要素に対して反復処理を行うための構文です。以下は、for...ofループを使用して配列をイテレーションする例です。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; for (const element of ary) { console.log(element); } </syntaxhighlight> :# この場合、for...ofループにより、配列 <code>ary</code> の各要素が <code>element</code> という変数に順番に代入され、ループが実行されます。ループ本体では、各要素を <code>console.log()</code> メソッドで出力しています。 以上のように、JavaScriptの配列をイテレーションする方法は複数ありますが、どの方法でも同じ結果を得ることができます。 === for-in構文の罠 === JavaScriptには、for...inループという構文があります。この構文は、オブジェクトのプロパティを列挙するためのものですが、配列でも使用することができます。 しかし、配列をfor...inループで列挙する場合、以下のような問題が発生することがあります。 # 配列のインデックスは文字列型であるため、文字列型のプロパティも一緒に列挙される。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; ary.foo = "bar"; for (const index in ary) { console.log(index); } // Output: // 0 // 1 // 2 // foo </syntaxhighlight> #:この場合、配列に <code>foo</code> というプロパティを追加していますが、for...inループで列挙すると、配列のインデックスとともに、追加されたプロパティも列挙されます。 # 配列のプロトタイプチェーンにあるプロパティも列挙される。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> Array.prototype.foo = "bar"; const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; for (const index in ary) { console.log(index); } // Output: // 0 // 1 // 2 // foo </syntaxhighlight> :# この場合、配列のプロトタイプチェーンにある <code>foo</code> プロパティも列挙されます。 上記のような問題があるため、配列を列挙する場合は、for...inループを使用せず、forループやforEachメソッド、for...ofループなど、適切な方法を使用することが推奨されます。 === Array.prototype.reduceメソッド === ==== 配列の中から最大値を探す ==== :<syntaxhighlight lang=js copy> const a = []; //巨大配列を乱数で埋め尽くす for (let i = 0; i < 999999; i++) a[i] = Math.random() * 100; console.log(a.reduce((a, b) => Math.max(a, b), -Infinity)); //reduceは出来る! console.log(Math.max(...a)); // エラー! RangeError: Maximum call stack size exceeded </syntaxhighlight> このコードは、まず空の配列 <code>a</code> を作成し、ループ内で <code>Math.random()</code> を使用して <code>a</code> 配列に999999個のランダムな数字を詰め込んでいます。 次に、<code>a.reduce((a, b) => Math.max(a, b), -Infinity)</code> を使用して、<code>a</code> 配列の最大値を取得しようとしています。 <code>reduce</code> メソッドは、配列の要素を1つずつ処理し、それらを単一の値にまとめるために使用されます。第1引数の関数は、2つの引数を受け取り、それらの中からどちらが大きいかを返します。ここでは <code>-Infinity</code> が初期値として渡されており、それはすべての値よりも小さいので、<code>reduce</code> メソッドは <code>a</code> 配列の最大値を返します。 <code>Math.max</code> は可変長引数を受け取るため、スプレッド構文を使用して配列 <code>a</code> をそのまま引数として渡すことができます。しかし、可変長引数には引数の数に上限があるため、巨大な配列を引数として渡すと <code>RangeError: Maximum call stack size exceeded</code> エラーが発生します。 一方、 <code>reduce</code> メソッドは引数として渡されるコールバック関数の第1引数に累積値を、第2引数に現在の要素を渡して順次処理を行うため、配列を引数として渡してもスタックオーバーフローは発生しません。 ==== 最小値・最大値・合計・総積を一度に求める ==== :<syntaxhighlight lang=js copy> const a = []; for (let i = 0; i < 100; i++) a[i] = Math.random() * 100; ans = a.reduce(({min, max, sum, infProd}, n) => { min = Math.min(min, n); max = Math.max(max, n); sum += n; infProd *= n; return {min, max, sum, infProd}; }, { min: Infinity, max: -Infinity, sum: 0, infProd: 1, }); console.log(`最小値 = ${ans.min} 最大値 = ${ans.max} 算術平均 = ${ans.sum/a.length} 幾何平均 = ${Math.pow(ans.infProd, 1/a.length)} `); </syntaxhighlight> このコードは、配列<code>a</code>の最小値、最大値、算術平均、幾何平均を求めるものです。配列<code>a</code>は、<code>Math.random()</code>を用いて0以上100未満の数値が100個ランダムに生成されます。 <code>reduce</code>メソッドを使用して、配列<code>a</code>の要素を1つずつ処理していき、その過程で最小値、最大値、総和、無限積を計算しています。<code>reduce</code>メソッドは、第1引数にコールバック関数を取り、第2引数に初期値を取ります。このコードでは、初期値として、最小値には正の無限大、最大値には負の無限大、総和には0、無限積には1を指定しています。コールバック関数の第1引数には、前の処理結果のオブジェクトが、第2引数には現在処理している要素の値が渡されます。コールバック関数では、最小値、最大値、総和、無限積を更新した後、オブジェクトとして返します。 最後に、各値を求めたオブジェクトから取り出して、<code>console.log</code>で出力しています。算術平均は、<code>ans.sum</code>を要素数で割ったもので求められます。幾何平均は、無限積を要素数乗根で割ったもので求められます。 ;精度改善版 :<syntaxhighlight lang=js copy> const a = []; for (let i = 0; i < 100; i++) a[i] = Math.random() * 100; const ans = a.reduce(({min, max, sum, geoMean, c}, n) => { // Kahan Summation Algorithm を使用して合計を更新 const y = n - c; const t = sum + y; c = (t - sum) - y; sum = t; // 他の統計的な値も更新 min = Math.min(min, n); max = Math.max(max, n); // 幾何平均の計算(Math.hypot()を使用) if (isNaN(geoMean)) { geoMean = n; } else { geoMean = Math.hypot(geoMean, n); } return {min, max, sum, geoMean, c}; }, { min: Infinity, max: -Infinity, sum: 0, geoMean: NaN, c: 0, }); // 結果を出力 console.log(`最小値 = ${ans.min} 最大値 = ${ans.max} 算術平均 = ${ans.sum / a.length} 幾何平均 = ${ans.geoMean} `); </syntaxhighlight> * Kahan Summation Algorithmを使用しているため、数値の精度が向上しています。 * 幾何平均の計算に <code>Math.hypot()</code>を使用しており、数値のオーバーフローに対処しています。 * 初期状態で <code>geoMean</code> をNaNにしておくことで、非数値の場合にも適切に処理できます。 == 配列の配列 == JavaScriptでは、配列の要素として、他の配列を含めることができます。このように、配列の中に配列が含まれる構造を「配列の配列」と呼びます。 以下は、配列の配列の例です。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const matrix = [ [1, 2, 3], [4, 5, 6], [7, 8, 9] ]; </syntaxhighlight> この場合、matrix は3つの要素を持ち、それぞれが配列です。各配列の要素は、[行][列] のようにアクセスすることができます。たとえば、行番号が 1、列番号が 2 の要素にアクセスするには、以下のようにします。 :<syntaxhighlight lang=js copy> console.log(matrix[1][2]); // Output: 6 </syntaxhighlight> また、配列の配列に対して、forループやforEachメソッド、for...ofループなどのイテレーションを行うこともできます。ただし、配列の配列を列挙する際には、二重のループが必要になるため、処理が複雑になることがあります。 == at()メソッドと仕様バグ == ;ECMA2022から <code>at() </code>メソッドが追加されましたが、引数を整数に変換するときに値の'''妥当性をチェックしない仕様'''なので、整数以外がわたらないことを'''プログラマが保証する'''必要があり、自明なリテラルを渡す以外の使い方は避けるべきです<ref>[https://github.com/tc39/proposal-relative-indexing-method/issues/49 Should it really be Math.trunc(n) || 0 #49]</ref>。 at()の機能は、配列に対して <code>.at(-2) </code>のようにメソッド指定すると、末尾から2番目の値を返す配列の要素参照です(ただし[ ]のように左辺値化は'''できません''')。つまり、マイナスのインデックス値を指定すると、末尾から数えた位置にある値を返します。 一方、atメソッドで0以上のインデックスを指定した場合は、通常の配列の数え方と同様に、前から数えた数え方をします。 ;[https://paiza.io/projects/qsALgeimU-_0GQYt1fA8FQ?language=javascript コード例]:<syntaxhighlight lang=js copy> const b = [15 ,3 ,7, 41]; console.log(b.at(-2) ); console.log(b.at(0) ); console.log(b.at("foo")); console.log(b.at(NaN)); console.log(b.at(1.5)); console.log(b["foo"]); console.log(b[NaN]); console.log(b[1.5]); </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang=text> 7 15 15 15 3 undefined undefined undefined </syntaxhighlight> :; at()の引数に整数以外を与えた時の挙動が異常です。 : これは、負のインデックスに対応するために一度引数を整数に強制変換していることが原因です。 : ”foo” ⇒ 0, NaN ⇒ 0, 1.5 ⇒ 1 : この様な挙動をするので、at()を使う場合は、'''プログラマの責任で整数であることを保証する必要があります。''' {{コラム|width=100%|Relative Indexing Method|2=「Relative Indexing Method」は、配列の中で負のインデックスを使って末尾からのインデックス指定ができるようにする提案です。 例えば、配列の末尾から2番目の要素を取得する場合、通常は<code>ary[ary.length - 2]</code>と記述する必要がありますが、この提案が採用されると<code>ary.at(-2)</code>と記述できるようになります。 このIssueでは、提案に関連する<code>at()</code>メソッドの仕様について議論されています。具体的には、以下のような問題が報告されています。 # <code>at()</code>メソッドに渡される引数が数値型ではない場合、エラーが発生するかどうかについての仕様が不明瞭である。 # <code>at()</code>メソッドに渡される引数がNaNである場合、エラーが発生するべきかどうかについての仕様が不明瞭である。 # <code>at()</code>メソッドに渡される引数が小数である場合、どのように振る舞うべきかについての仕様が不明瞭である。 このような問題が提起されたため、仕様の改善が求められています。 }} == 附録 == === チートシート === :<syntaxhighlight lang=js copy> // 配列の作成 const ary = [1, 2, 3]; const emptyArr = []; // 配列の要素数 const length = ary.length; // 配列の要素の取得 const firstElement = ary[0]; const lastElement = ary[ary.length - 1]; const secondToFourthElements = ary.slice(1, 4); // [2, 3] const lastTwoElements = ary.slice(-2); // [2, 3] // 配列の要素の変更 ary[0] = 0; ary.push(4); ary.pop(); ary.unshift(-1); ary.shift(); // 配列の要素の追加・削除 ary.push(4); ary.splice(1, 1); // [0, 2, 3, 4] ary.splice(1, 0, 1.5); // [0, 1.5, 2, 3, 4] // 配列の要素の検索 const index = ary.indexOf(2); const lastIndex = ary.lastIndexOf(2); const includes2 = ary.includes(2); // 配列の要素のフィルタリング・マッピング const filtered = ary.filter(num => num % 2 === 0); const mapped = ary.map(num => num * 2); // 配列の要素の結合 const ary1 = [1, 2]; const ary2 = [3, 4]; const concatArr = ary1.concat(ary2); // [1, 2, 3, 4] const spreadArr = [...ary1, ...ary2]; // [1, 2, 3, 4] // 配列の要素のソート const sorted = ary.sort((a, b) => a - b); const reversed = ary.reverse(); // 配列のイテレーション ary.forEach(num => console.log(num)); const result = ary.reduce((total, num) => total + num, 0); const mappedArr = ary.map(num => num * 2); const filteredArr = ary.filter(num => num % 2 === 0); const every = ary.every(num => num >= 0); const some = ary.some(num => num === 2); const found = ary.find(num => num > 2); const foundIndex = ary.findIndex(num => num > 2); // 配列の空要素の作成 const emptyArray = Array(5); // [empty × 5] const filledArray = Array(5).fill(0); // [0, 0, 0, 0, 0] </syntaxhighlight> === 用語集 === # 配列 (Array): 複数の値を一つの変数に格納するデータ構造。配列内の各要素にはインデックス番号が割り当てられており、各要素はそのインデックス番号で参照される。 # 要素 (Element): 配列内の各値のこと。インデックス番号によってアクセスされる。 # インデックス (Index): 配列内の各要素に割り当てられた番号。通常、0から始まる整数値である。 # 配列リテラル (Array Literal): 配列を作成するための簡潔な構文。[ ] の中に、カンマで区切った値を列挙する。 # 配列要素の追加 (Push): 配列の末尾に新しい要素を追加するメソッド。 # 配列要素の削除 (Pop): 配列の末尾の要素を削除するメソッド。 # 配列要素の取得 (Get): 配列内の要素にアクセスするための方法。添字演算子 [ ] を使用し、インデックス番号を指定する。 # 配列要素の変更 (Set): 配列内の要素を変更するための方法。添字演算子 [ ] を使用し、インデックス番号を指定し、新しい値を代入する。 # 配列の長さ (Length): 配列内の要素数を取得するプロパティ。配列の末尾のインデックス番号に 1 を加えたものと等しい。 # 配列の反復処理 (Iteration): 配列内の要素を順番に処理する方法。forループ、for...ofループ、forEachメソッドなどがある。 # スプレッド構文 (Spread Syntax): 配列を展開して、個々の要素を別々の引数や別の配列に挿入するための構文。 # 分割代入 (Destructuring Assignment): 配列内の要素を個別の変数に割り当てるための構文。配列の各要素が変数に一致するように、[ ] 内に変数を列挙する。 {{Nav}} [[Category:JavaScript|{{SUBPAGENAME}}]] [[カテゴリ:配列]] h7gjkm5bp2u6qy73348u6rljo75nptn 263550 263549 2024-11-16T01:52:26Z Ef3 694 /* 最小値・最大値・合計・総積を一度に求める */ リファクタリング 263550 wikitext text/x-wiki {{Nav}} JavaScriptには、配列という便利なデータ構造があります。配列は、複数の値を一つのインスタンスに格納することができます。これにより、複数の値を扱う場合に便利です。配列には、文字列や数値などのプリミティブ型の値をはじめ、JavaScriptの全てのオブジェクトを格納することができます。 この章では、配列とその操作について学びます。配列の作成、要素の追加や削除、配列の検索など、配列に対する基本的な操作を学びます。また、配列を扱う上で役立つメソッドについても学びます。 配列はJavaScriptにおいて非常に重要なデータ構造であり、JavaScriptを学ぶ上で欠かせない部分です。この章を通じて、配列について深く理解し、JavaScriptのプログラミング能力を向上させてください。 == 配列リテラル == JavaScriptでは、配列を作成するために配列リテラルと呼ばれる構文があります。配列リテラルは、角括弧( [ ] )で要素を囲んで定義されます。 以下は、配列リテラルを用いた配列の作成の例です。 :<syntaxhighlight lang=js copy> // 配列リテラルで配列を作成する const fruits = ['apple', 'banana', 'orange']; // 配列の中身を表示する console.log(fruits); // ['apple', 'banana', 'orange'] </syntaxhighlight> 上記の例では、<code>fruits</code>という名前の配列を作成しています。配列リテラルの中に<code>'apple'</code>、<code>'banana'</code>、<code>'orange'</code>という3つの文字列が要素として含まれています。<code>console.log()</code>を用いて、配列の内容をコンソールに表示しています。 また、配列リテラルを使用することで、空の配列を作成することもできます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> // 空の配列を作成する const emptyArray = []; </syntaxhighlight> 異なる型のオブジェクトを含んだ配列を作ることも出来ます。 :<syntaxhighlight lang=javascript line copy> const ary = [null, false, true, { a: 0, b: 1 }, 123, 3.14, 5n, [0, 1, 2], undefined]; console.log(ary); // ,false,true,[object Object],123,3.14,5,0,1,2, console.log(ary[4]); // 123 </syntaxhighlight> :# 配列<code>ary</code>を定義しています。配列の中には、<code>null</code>、<code>false</code>、<code>true</code>、オブジェクト <code>{ a: 0, b: 1 }</code>、数値 <code>123</code>、小数 <code>3.14</code>、BigInt <code>5n</code>、配列 <code>[0, 1, 2]</code>、<code>undefined</code> が含まれています。 :# <code>ary</code>配列を <code>console.log()</code> 関数を用いて表示しています。<code>console.log()</code> 関数は、与えられた値をコンソールに表示します。配列を表示する場合、要素が <code>,</code> で区切られて並べられます。オブジェクト <code>{ a: 0, b: 1 }</code> は <code>[object Object]</code> と表示されます。 :# <code>ary</code>配列の4番目の要素を <code>console.log()</code> 関数を用いて表示しています。配列のインデックスは、0から始まるため、4番目の要素は <code>123</code> です。<code>console.log()</code> 関数によって、 <code>123</code> がコンソールに表示されます。 このように、配列リテラルは配列を簡単に作成するための便利な構文です。 === 添字を使った要素の参照 === JavaScriptの配列は、複数の値を格納できるデータ構造で、それぞれの値は配列内で一意のインデックス番号によって参照されます。インデックス番号は、0から始まる整数値で、配列内の要素の順序に従って割り当てられます。 配列の要素を参照するには、角括弧 <code>[]</code> 内に要素のインデックス番号を指定します。例えば、以下のように書くことで、配列<code>ary</code>の2番目の要素にアクセスすることができます。 :<syntaxhighlight lang=js line copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; const secondElement = ary[1]; // "banana" const noExistElement = ary[3]; // undefined </syntaxhighlight> :# このコードでは、文字列の配列 <code>ary</code> を定義しています。配列の各要素には、それぞれインデックス番号が割り当てられ、0から始まる整数値がインデックス番号になります。この場合、<code>ary</code> 配列の最初の要素は "apple" で、インデックス番号は 0 です。次の要素は "banana" で、インデックス番号は 1 です。最後の要素は "cherry" で、インデックス番号は 2 です。 :# 次に、<code>ary[1]</code> という表記を使用して、<code>ary</code> 配列の 1 番目の要素 "banana" にアクセスしています。この要素は、変数 <code>secondElement</code> に代入され、文字列 "banana" が格納されます。 :# さらに、<code>ary[3]</code> という表記を使用して、<code>ary</code> 配列の存在しないインデックス番号である 3 番目の要素にアクセスしています。この場合、配列に存在しない要素にアクセスしているため、<code>undefined</code> が返され、変数 <code>noExistElement</code> に代入されます。 ---- C言語の配列のように、要素数を予め決め全ての要素の型が同じオブジェクトに[[JavaScript/型付き配列|型付き配列]]があります。 {{コラム|疎な配列|width=100%|2=配列の length プロパティを変更したり、大きなインデックスを使って要素の書き換えを行ったらどうなるでしょう。 :<syntaxhighlight lang=javascript line copy> let ary = [1, 2, 3]; ary.length = 10; console.log(ary); // "1,2,3,,,,,,," console.log(ary[7]); // undefined ary[6] = 99; ary[8] = void 0; ary[100] = "str"; delete ary[1]; ary.forEach((x,i) => console.log(`${i}: ${x}`)); // 0: 1 // 2: 3 // 6: 99 // 8: undefined // 100: str </syntaxhighlight> * 3行目: 元々の配列 ary のlength 3 を超える 10 をlengthに代入 * 4行目: ary を文字列化すると "1,2,3,,,,,,," * 5行目: 拡大された範囲の要素は、 undefined (に見えます、本当?) * 6行目: 拡大された範囲の要素に数値を代入 * 7行目: 拡大された範囲の要素に void 0 を代入(undefinedを得るイディオム) * 8行目: 拡大された範囲すら超える遠い位置に文字列を代入 * 9行目: ary の二番目の要素を delete * 10行目: forEach メソッドでそれぞれの要素をインデックスとともに表示すると、削除された2番目の配列要素と代入していない 4,5,7,9..99番目要素は callback 関数の呼び出しそのものが有りません。<br>void 0 を代入した8番目の要素は callback 関数が呼び出されています(未代入と削除された要素が undefined に見えるのは表現上の問題です)。 このように初期化されていない要素を持つ配列の要素の事を、'''疎な配列'''と言います。数学の[[w:疎行列|疎行列]](要素の殆どが 0 な行列)とは異なる概念なので字面に騙されないようにして下さい。 }} == Array == {{See also|[[JavaScript/Array|Arrayオブジェクト]]}} JavaScriptにおける配列は、Arrayコンストラクタ関数を使用して作成することができます。Arrayコンストラクタ関数は、以下のように使われます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const myArray = new Array(); // 空の配列を作成 const myArray2 = new Array(length); // length要素の配列を作成 const myArray3 = new Array(element0, element1, ..., elementN); // element0, element1, ..., elementNを含む配列を作成 </syntaxhighlight> 上記のコードの<code>length</code>は、配列の長さを表します。<code>element0</code>、<code>element1</code>、...、<code>elementN</code>は、配列に含める要素を表します。 また、Arrayコンストラクタ関数の代わりに、配列リテラルを使用することもできます。例えば、以下のように書くことができます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const myArray = []; // 空の配列を作成 const myArray2 = [element0, element1, ..., elementN]; // element0, element1, ..., elementNを含む配列を作成 </syntaxhighlight> こちらは、より簡潔で一般的に使用されます。 === スプレッド構文 === JavaScriptにおけるスプレッド構文は、配列の要素を展開するために使用されます。配列の要素を展開することにより、別の配列に追加することができます。スプレッド構文は、<code>...</code>という記号で表されます。 例えば、以下のように配列を作成して、スプレッド構文を使用して配列の要素を展開し、新しい配列に追加することができます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const myArray = [1, 2, 3]; const myNewArray = [...myArray, 4, 5, 6]; console.log(myNewArray); // [1, 2, 3, 4, 5, 6] </syntaxhighlight> 上記の例では、<code>...myArray</code>を使用して、<code>myArray</code>の要素を新しい配列に追加しています。<code>[...myArray, 4, 5, 6]</code>は、<code>myArray</code>の要素に<code>4</code>、<code>5</code>、<code>6</code>を追加した新しい配列を作成することになります。 また、スプレッド構文を使用して、配列を結合することもできます。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const array1 = [1, 2, 3]; const array2 = [4, 5, 6]; const array3 = [...array1, ...array2]; console.log(array3); // [1, 2, 3, 4, 5, 6] </syntaxhighlight> 上記の例では、スプレッド構文を使用して、<code>array1</code>と<code>array2</code>を結合し、新しい配列<code>array3</code>を作成しています。 スプレッド構文と Arrray.prototype.map メソッドを組み合わせたトリック :<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = [...Array(5)].map((_, n) => n) // [ 0, 1, 2, 3, 4 ] </syntaxhighlight> このコードは、5つの要素を持つ配列を作成し、それをスプレッド演算子 <code>...</code> を使って展開します。この結果、空で、要素数が5の配列が作成されます。 そして、mapメソッドが配列の各要素に対して繰り返し処理を実行します。ここで、第一引数 <code>_</code> は無視され、第二引数 <code>n</code> には現在のインデックスが渡されます。このコードでは、繰り返し処理の中で、各要素にインデックス番号を割り当てています。 その結果、最終的に <code>[0, 1, 2, 3, 4]</code> という配列が作成されます。つまり、このコードは、0から始まり、5未満の整数を持つ配列を作成するための一般的な方法の一例です。 === 配列の反復処理 === JavaScriptの配列をイテレーションする方法には、以下のような方法があります。 # forループを使う #: forループは、配列のインデックス番号を使用して、配列の各要素を反復処理するための古典的な方法です。以下は、forループを使用して配列をイテレーションする例です。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; for (let i = 0; i < ary.length; i++) { console.log(ary[i]); } </syntaxhighlight> #: この場合、forループ内で <code>ary.length</code> プロパティを使用して、配列の長さを取得し、ループ回数を制御しています。 # forEachメソッドを使う #: 配列には、forEachメソッドが用意されており、このメソッドを使用すると、簡潔に配列の各要素を反復処理することができます。以下は、forEachメソッドを使用して配列をイテレーションする例です。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; ary.forEach((element) => { console.log(element); }); </syntaxhighlight> #:この場合、forEachメソッドには、コールバック関数が渡されます。コールバック関数は、配列の各要素に対して一度ずつ実行されます。この場合、各要素を <code>element</code> という引数で受け取り、<code>console.log()</code> メソッドで出力しています。 # for...ofループを使う #:ES6以降、for...ofループが導入されました。このループは、配列の各要素に対して反復処理を行うための構文です。以下は、for...ofループを使用して配列をイテレーションする例です。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; for (const element of ary) { console.log(element); } </syntaxhighlight> :# この場合、for...ofループにより、配列 <code>ary</code> の各要素が <code>element</code> という変数に順番に代入され、ループが実行されます。ループ本体では、各要素を <code>console.log()</code> メソッドで出力しています。 以上のように、JavaScriptの配列をイテレーションする方法は複数ありますが、どの方法でも同じ結果を得ることができます。 === for-in構文の罠 === JavaScriptには、for...inループという構文があります。この構文は、オブジェクトのプロパティを列挙するためのものですが、配列でも使用することができます。 しかし、配列をfor...inループで列挙する場合、以下のような問題が発生することがあります。 # 配列のインデックスは文字列型であるため、文字列型のプロパティも一緒に列挙される。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; ary.foo = "bar"; for (const index in ary) { console.log(index); } // Output: // 0 // 1 // 2 // foo </syntaxhighlight> #:この場合、配列に <code>foo</code> というプロパティを追加していますが、for...inループで列挙すると、配列のインデックスとともに、追加されたプロパティも列挙されます。 # 配列のプロトタイプチェーンにあるプロパティも列挙される。 #:<syntaxhighlight lang=js copy> Array.prototype.foo = "bar"; const ary = ["apple", "banana", "cherry"]; for (const index in ary) { console.log(index); } // Output: // 0 // 1 // 2 // foo </syntaxhighlight> :# この場合、配列のプロトタイプチェーンにある <code>foo</code> プロパティも列挙されます。 上記のような問題があるため、配列を列挙する場合は、for...inループを使用せず、forループやforEachメソッド、for...ofループなど、適切な方法を使用することが推奨されます。 === Array.prototype.reduceメソッド === ==== 配列の中から最大値を探す ==== :<syntaxhighlight lang=js copy> const a = []; //巨大配列を乱数で埋め尽くす for (let i = 0; i < 999999; i++) a[i] = Math.random() * 100; console.log(a.reduce((a, b) => Math.max(a, b), -Infinity)); //reduceは出来る! console.log(Math.max(...a)); // エラー! RangeError: Maximum call stack size exceeded </syntaxhighlight> このコードは、まず空の配列 <code>a</code> を作成し、ループ内で <code>Math.random()</code> を使用して <code>a</code> 配列に999999個のランダムな数字を詰め込んでいます。 次に、<code>a.reduce((a, b) => Math.max(a, b), -Infinity)</code> を使用して、<code>a</code> 配列の最大値を取得しようとしています。 <code>reduce</code> メソッドは、配列の要素を1つずつ処理し、それらを単一の値にまとめるために使用されます。第1引数の関数は、2つの引数を受け取り、それらの中からどちらが大きいかを返します。ここでは <code>-Infinity</code> が初期値として渡されており、それはすべての値よりも小さいので、<code>reduce</code> メソッドは <code>a</code> 配列の最大値を返します。 <code>Math.max</code> は可変長引数を受け取るため、スプレッド構文を使用して配列 <code>a</code> をそのまま引数として渡すことができます。しかし、可変長引数には引数の数に上限があるため、巨大な配列を引数として渡すと <code>RangeError: Maximum call stack size exceeded</code> エラーが発生します。 一方、 <code>reduce</code> メソッドは引数として渡されるコールバック関数の第1引数に累積値を、第2引数に現在の要素を渡して順次処理を行うため、配列を引数として渡してもスタックオーバーフローは発生しません。 ==== 最小値・最大値・合計・総積を一度に求める ==== :<syntaxhighlight lang=js copy> const a = []; for (let i = 0; i < 100; i++) a[i] = Math.random() * 100; ans = a.reduce(({min, max, sum, infProd}, n) => { min = Math.min(min, n); max = Math.max(max, n); sum += n; infProd *= n; return {min, max, sum, infProd}; }, { min: Infinity, max: -Infinity, sum: 0, infProd: 1, }); console.log(`最小値 = ${ans.min} 最大値 = ${ans.max} 算術平均 = ${ans.sum/a.length} 幾何平均 = ${Math.pow(ans.infProd, 1/a.length)} `); </syntaxhighlight> このコードは、配列<code>a</code>の最小値、最大値、算術平均、幾何平均を求めるものです。配列<code>a</code>は、<code>Math.random()</code>を用いて0以上100未満の数値が100個ランダムに生成されます。 <code>reduce</code>メソッドを使用して、配列<code>a</code>の要素を1つずつ処理していき、その過程で最小値、最大値、総和、無限積を計算しています。<code>reduce</code>メソッドは、第1引数にコールバック関数を取り、第2引数に初期値を取ります。このコードでは、初期値として、最小値には正の無限大、最大値には負の無限大、総和には0、無限積には1を指定しています。コールバック関数の第1引数には、前の処理結果のオブジェクトが、第2引数には現在処理している要素の値が渡されます。コールバック関数では、最小値、最大値、総和、無限積を更新した後、オブジェクトとして返します。 最後に、各値を求めたオブジェクトから取り出して、<code>console.log</code>で出力しています。算術平均は、<code>ans.sum</code>を要素数で割ったもので求められます。幾何平均は、無限積を要素数乗根で割ったもので求められます。 ;精度改善版 :<syntaxhighlight lang=js copy> const a = []; for (let i = 0; i < 100; i++) { a[i] = Math.random() * 100; } const ans = a.reduce(({min, max, sum, geoMean, c}, n) => { // Kahan Summation Algorithm を使用して合計を更新 const y = n - c; const t = sum + y; c = (t - sum) - y; sum = t; // 他の統計的な値も更新 min = Math.min(min, n); max = Math.max(max, n); // 幾何平均の計算(Math.hypot()を使用) geoMean = Math.hypot(geoMean, n); return {min, max, sum, geoMean, c}; }, { min: Infinity, max: -Infinity, sum: 0, geoMean: 1, c: 0, }); // 結果を出力 console.log(`最小値 = ${ans.min} 最大値 = ${ans.max} 算術平均 = ${ans.sum / a.length} 幾何平均 = ${ans.geoMean} `); </syntaxhighlight> * Kahan Summation Algorithmを使用しているため、数値の精度が向上しています。 * 幾何平均の計算に <code>Math.hypot()</code>を使用しており、数値のオーバーフローに対処しています。 * 初期状態で <code>geoMean</code> をNaNにしておくことで、非数値の場合にも適切に処理できます。 == 配列の配列 == JavaScriptでは、配列の要素として、他の配列を含めることができます。このように、配列の中に配列が含まれる構造を「配列の配列」と呼びます。 以下は、配列の配列の例です。 :<syntaxhighlight lang=js copy> const matrix = [ [1, 2, 3], [4, 5, 6], [7, 8, 9] ]; </syntaxhighlight> この場合、matrix は3つの要素を持ち、それぞれが配列です。各配列の要素は、[行][列] のようにアクセスすることができます。たとえば、行番号が 1、列番号が 2 の要素にアクセスするには、以下のようにします。 :<syntaxhighlight lang=js copy> console.log(matrix[1][2]); // Output: 6 </syntaxhighlight> また、配列の配列に対して、forループやforEachメソッド、for...ofループなどのイテレーションを行うこともできます。ただし、配列の配列を列挙する際には、二重のループが必要になるため、処理が複雑になることがあります。 == at()メソッドと仕様バグ == ;ECMA2022から <code>at() </code>メソッドが追加されましたが、引数を整数に変換するときに値の'''妥当性をチェックしない仕様'''なので、整数以外がわたらないことを'''プログラマが保証する'''必要があり、自明なリテラルを渡す以外の使い方は避けるべきです<ref>[https://github.com/tc39/proposal-relative-indexing-method/issues/49 Should it really be Math.trunc(n) || 0 #49]</ref>。 at()の機能は、配列に対して <code>.at(-2) </code>のようにメソッド指定すると、末尾から2番目の値を返す配列の要素参照です(ただし[ ]のように左辺値化は'''できません''')。つまり、マイナスのインデックス値を指定すると、末尾から数えた位置にある値を返します。 一方、atメソッドで0以上のインデックスを指定した場合は、通常の配列の数え方と同様に、前から数えた数え方をします。 ;[https://paiza.io/projects/qsALgeimU-_0GQYt1fA8FQ?language=javascript コード例]:<syntaxhighlight lang=js copy> const b = [15 ,3 ,7, 41]; console.log(b.at(-2) ); console.log(b.at(0) ); console.log(b.at("foo")); console.log(b.at(NaN)); console.log(b.at(1.5)); console.log(b["foo"]); console.log(b[NaN]); console.log(b[1.5]); </syntaxhighlight> ;実行結果:<syntaxhighlight lang=text> 7 15 15 15 3 undefined undefined undefined </syntaxhighlight> :; at()の引数に整数以外を与えた時の挙動が異常です。 : これは、負のインデックスに対応するために一度引数を整数に強制変換していることが原因です。 : ”foo” ⇒ 0, NaN ⇒ 0, 1.5 ⇒ 1 : この様な挙動をするので、at()を使う場合は、'''プログラマの責任で整数であることを保証する必要があります。''' {{コラム|width=100%|Relative Indexing Method|2=「Relative Indexing Method」は、配列の中で負のインデックスを使って末尾からのインデックス指定ができるようにする提案です。 例えば、配列の末尾から2番目の要素を取得する場合、通常は<code>ary[ary.length - 2]</code>と記述する必要がありますが、この提案が採用されると<code>ary.at(-2)</code>と記述できるようになります。 このIssueでは、提案に関連する<code>at()</code>メソッドの仕様について議論されています。具体的には、以下のような問題が報告されています。 # <code>at()</code>メソッドに渡される引数が数値型ではない場合、エラーが発生するかどうかについての仕様が不明瞭である。 # <code>at()</code>メソッドに渡される引数がNaNである場合、エラーが発生するべきかどうかについての仕様が不明瞭である。 # <code>at()</code>メソッドに渡される引数が小数である場合、どのように振る舞うべきかについての仕様が不明瞭である。 このような問題が提起されたため、仕様の改善が求められています。 }} == 附録 == === チートシート === :<syntaxhighlight lang=js copy> // 配列の作成 const ary = [1, 2, 3]; const emptyArr = []; // 配列の要素数 const length = ary.length; // 配列の要素の取得 const firstElement = ary[0]; const lastElement = ary[ary.length - 1]; const secondToFourthElements = ary.slice(1, 4); // [2, 3] const lastTwoElements = ary.slice(-2); // [2, 3] // 配列の要素の変更 ary[0] = 0; ary.push(4); ary.pop(); ary.unshift(-1); ary.shift(); // 配列の要素の追加・削除 ary.push(4); ary.splice(1, 1); // [0, 2, 3, 4] ary.splice(1, 0, 1.5); // [0, 1.5, 2, 3, 4] // 配列の要素の検索 const index = ary.indexOf(2); const lastIndex = ary.lastIndexOf(2); const includes2 = ary.includes(2); // 配列の要素のフィルタリング・マッピング const filtered = ary.filter(num => num % 2 === 0); const mapped = ary.map(num => num * 2); // 配列の要素の結合 const ary1 = [1, 2]; const ary2 = [3, 4]; const concatArr = ary1.concat(ary2); // [1, 2, 3, 4] const spreadArr = [...ary1, ...ary2]; // [1, 2, 3, 4] // 配列の要素のソート const sorted = ary.sort((a, b) => a - b); const reversed = ary.reverse(); // 配列のイテレーション ary.forEach(num => console.log(num)); const result = ary.reduce((total, num) => total + num, 0); const mappedArr = ary.map(num => num * 2); const filteredArr = ary.filter(num => num % 2 === 0); const every = ary.every(num => num >= 0); const some = ary.some(num => num === 2); const found = ary.find(num => num > 2); const foundIndex = ary.findIndex(num => num > 2); // 配列の空要素の作成 const emptyArray = Array(5); // [empty × 5] const filledArray = Array(5).fill(0); // [0, 0, 0, 0, 0] </syntaxhighlight> === 用語集 === # 配列 (Array): 複数の値を一つの変数に格納するデータ構造。配列内の各要素にはインデックス番号が割り当てられており、各要素はそのインデックス番号で参照される。 # 要素 (Element): 配列内の各値のこと。インデックス番号によってアクセスされる。 # インデックス (Index): 配列内の各要素に割り当てられた番号。通常、0から始まる整数値である。 # 配列リテラル (Array Literal): 配列を作成するための簡潔な構文。[ ] の中に、カンマで区切った値を列挙する。 # 配列要素の追加 (Push): 配列の末尾に新しい要素を追加するメソッド。 # 配列要素の削除 (Pop): 配列の末尾の要素を削除するメソッド。 # 配列要素の取得 (Get): 配列内の要素にアクセスするための方法。添字演算子 [ ] を使用し、インデックス番号を指定する。 # 配列要素の変更 (Set): 配列内の要素を変更するための方法。添字演算子 [ ] を使用し、インデックス番号を指定し、新しい値を代入する。 # 配列の長さ (Length): 配列内の要素数を取得するプロパティ。配列の末尾のインデックス番号に 1 を加えたものと等しい。 # 配列の反復処理 (Iteration): 配列内の要素を順番に処理する方法。forループ、for...ofループ、forEachメソッドなどがある。 # スプレッド構文 (Spread Syntax): 配列を展開して、個々の要素を別々の引数や別の配列に挿入するための構文。 # 分割代入 (Destructuring Assignment): 配列内の要素を個別の変数に割り当てるための構文。配列の各要素が変数に一致するように、[ ] 内に変数を列挙する。 {{Nav}} [[Category:JavaScript|{{SUBPAGENAME}}]] [[カテゴリ:配列]] sgytcba9muv05ej6pfh05sllaxibtm5 法の適用に関する通則法第24条 0 14419 263619 212801 2024-11-16T11:46:19Z Fukupow 34984 /* 解説 */ 加筆 263619 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (婚姻の成立及び方式) ; 第24条 # 婚姻の成立は、各当事者につき、その本国法による。 # 婚姻の方式は、婚姻挙行地の法による。 # 前項の規定にかかわらず、当事者の一方の本国法に適合する方式は、有効とする。ただし、日本において婚姻が挙行された場合において、当事者の一方が日本人であるときは、この限りでない。 === 翻訳 === (Formation and Formalities of Marriage)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 24 # The formation of a marriage is governed by the national law of each party. # The formalities for a marriage are governed by the law of the place where the marriage is celebrated (lex loci celebrationis). # Notwithstanding the preceding paragraph, the formalities that comply with the national law of either party to a marriage are valid; provided, however, that this does not apply where a marriage is celebrated in Japan and either party to the marriage is a Japanese national. === 法例 === ; 第13条 # 婚姻成立ノ要件ハ各当事者ニ付キ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム # 婚姻ノ方式ハ婚姻挙行地ノ法律ニ依ル # 当事者ノ一方ノ本国法ニ依リタル方式ハ前項ノ規定ニ拘ハラズ之ヲ有効トス但日本ニ於テ婚姻ヲ挙行シタル場合ニ於テ当事者ノ一方ガ日本人ナルトキハ此限ニ在ラズ == 解説 == 本条は、[[w:婚姻|婚姻]]の成立および方式を規定している。 [[w:日本|日本]]では原則として'''婚姻挙行地法主義'''を採用しており、同時に'''本国法主義'''を採用している。したがって、婚姻の当事者は挙行地法かいずれかの本国法かを選択することができるが、日本人が日本国内において外国人と婚姻する場合には相手方の外国人の本国法の方式によらず、日本法によることとしている('''日本人条項''')。 == 参照条文 == * [[民法第739条]](婚姻の届出) * [[戸籍法第74条]](婚姻届) == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第5節 親族 |[[法の適用に関する通則法第23条]]<br />(債権の譲渡) |[[法の適用に関する通則法第25条]]<br />(婚姻の効力) }} [[category:法の適用に関する通則法|24]] jqcbwygzsyfn0dlbt924ptf6l4jthxt ラテン文学/ローマ文学の年表 0 25846 263555 263509 2024-11-16T04:44:07Z Linguae 449 /* 白銀期の年表 */ +ポンポーニウス・メラ 263555 wikitext text/x-wiki == はじめに == '''ローマ文学''' (古典古代・古代ローマ時代のラテン文学) '''の年表'''。 {| class="wikitable" |+ ローマ文学の時代区分 |- | style="text-align:center;" rowspan="2" |区 分 ! style="width:8em; background-color:lightsalmon;" rowspan="2" | [[w:古ラテン語|古ラテン語]] ! style="width:24em; background-color:yellow;" colspan="3" | [[w:古典ラテン語|古典ラテン語]] ! style="width:8em; background-color:yellowgreen;" rowspan="2" colspan="2" | <small>後期ラテン語</small> |- ! style="width:9em; background-color:gold;" colspan="1" | 黄金期 ! style="width:14em; background-color:silver;" colspan="1" colspan="2" | 白銀期 |- !ローマ時代区分 |ローマ共和制中期<br>(前240頃~75頃) |<small>共和制末期~帝制初期</small><br>(前75頃~後17) | style="text-align:center;" colspan="2" |帝制前期<br>(後17~2世紀頃) | style="text-align:center;" |帝制後期以降<br>(後2世紀以降) |- !代表的な作家 |プラウトゥス、<br>テレンティウス |キケロー、<br>カエサル、<br>ウェルギリウス、<br>ホラーティウス、<br>オウィディウス、<br >リーウィウス |セネカ、<br>プリーニウス、<br>タキトゥス<br> |スエートーニウス、<br>アープレーイウス |アンブロシウス<br>アウグスティーヌス |- ! rowspan="3" |同時代の<br>作家・著作 !ヘレニズム期 ! colspan="4" |ローマ帝制期 |- | style="font-size:8pt;" |[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]、<br>[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、<br>ストラボーン | style="font-size:8pt;" |[[w:プルタルコス|プルータルコス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:アッピアノス|アッピアーノス]]、<br>[[w:アッリアノス|アッリアーノス]]、<br>[[w:パウサニアス|パウサーニアース]]、<br>[[w:ルキアノス|ルーキアーノス]] | style="font-size:8pt;" |[[w:アテナイオス|アテーナイオス]]、<br> |- | style="font-size:9pt;" |司馬遷『史記』 | | style="font-size:9pt;" |班固『漢書』 | | style="font-size:9pt;" |陳寿『三国志』、<br>『マハーバーラタ』 |} == 古ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/古ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前290頃 | |<small>ギリシアの喜劇作家[[w:メナンドロス (作家)|メナンドロス]]が没す</small> |- |前284 |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]がこの頃生まれたとされる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前280 | |[[w:ピュロス戦争|ピュロス戦争]](~275) |- |前270 |叙事詩人[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |<small>ギリシアの哲学者[[w:エピクロス|エピクロス]]が没す</small> |- |前264 | |[[w:第一次ポエニ戦争|第一次ポエニ戦役]](~241) |- |前254頃 |ローマ喜劇最大の作家[[w:プラウトゥス|プラウトゥス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前250年 </ref> | |- |前240 | style="background-color:#ffdede;" |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]が最初の悲劇を上演 | |- |前239 |「ラテン詩の父」[[w:エンニウス|エンニウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前235 | style="background-color:#ffdede;" |ローマ国民叙事詩の創始者[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が『ポエニ戦争』の創作開始 | |- |前234 |「ラテン散文の父」[[w:マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|大カトー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前219 |喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前218 | |[[w:第二次ポエニ戦争|第二次ポエニ戦役]](~202)<br><small>前218 [[w:ハンニバルのアルプス越え|ハンニバルのアルプス越え]]<br>前216 [[w:カンナエの戦い|カンナエの戦い]]<br>前202 [[w:ザマの戦い|ザマの戦い]]</small> |- |前215 | |<small>『[[w:アルゴナウティカ|アルゴナウティカ]]』の著者<br>[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]がこの頃没す</small> |- |前212 | |<small>ギリシアの数学者[[w:アルキメデス|アルキメデス]]が没す</small> |- |前210 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最初の喜劇が上演される | |- |前208頃 | |<small>ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]が生まれる</small><ref>[[#高津 (1967)]]では前200年 </ref> |- |前205-4 |この頃、「ラテン文学の父」リーウィウス・アンドロニークスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前204年 </ref> | |- |前201 |この頃、ナエウィウスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前201年以後 </ref> |<small>ギリシア語でローマ史を著した、<br>[[w:クィントゥス・ファビウス・ピクトル|ファビウス・ピクトル]]が没す</small> |- |前195か<br>前185 |プラウトゥスに次ぐ喜劇作家[[w:プビリウス・テレンティウス・アフェル|テレンティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前195年 </ref> | |- |前194頃 | |<small>ギリシア人学者[[w:エラトステネス|エラトステネース]]が没す</small> |- |前186 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最後の喜劇が上演される | |- |前184 |プラウトゥスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |前184-182 大カトーが監察官 |- |前180 |風刺詩の創始者ルーキーリウスが生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前170 |悲劇詩人アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前169 |エンニウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前168 | |<small>[[w:ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]でローマが[[w:アンティゴノス朝|マケドニア]]を破る。<br> ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]らがローマへ連行される(167~151)</small><ref>[[#高津 (1967)]]</ref> |- | rowspan="2" |前166 | この頃、喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前168年没 </ref> | |- | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最初の喜劇上演 『アンドロス(島)の女』 [[w:la:Andria (Terentius)|Andria]] | |- |前161 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの喜劇上演 『宦官』 [[w:la:Eunuchus (Terentius)|Eunuchus]] | |- |前160 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最後の喜劇上演 『兄弟』 [[w:la:Adelphoe|Adelphoe]] | |- |前159 |テレンティウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前149 |大カトーが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |[[w:第三次ポエニ戦争|第三次ポエニ戦役]]勃発(~146) |- ! colspan="3" |共和制末期の[[w:内乱の一世紀|内乱時代]]が始まる |- |前133 | |[[w:グラックス兄弟|グラックス兄弟]](兄)の改革頓挫 |- | rowspan="2" |前130頃 |この頃、悲劇作家パークウィウス [[w:la:Marcus Pacuvius|Pacuvius]] が没す | |- | style="background-color:#ffdede;" |ルーキーリウスが『風刺詩』で風刺詩を創始 | |- |前125頃 | |『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の著者ポリュビオスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前120年 </ref> |- |前123 | |グラックス兄弟(弟)の改革頓挫 |- |前116 |ローマの大学者[[w:マルクス・テレンティウス・ウァロ|ウァッロー(ワロ)]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前113 | |[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](~101) |- |前112 | |[[w:ユグルタ戦争|ユグルタ戦争]](~106) |- |前107 | |[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]が執政官 |- |前106 |ラテン散文の完成者・模範とされる[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前102頃 |ルーキーリウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前100 |キケローと並びラテン散文の模範とされる[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前102年 </ref> | |- |前99? |哲学的叙事詩人[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref><br>伝記作家[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前91 | |[[w:同盟市戦争|同盟市戦争]](~88) |- |前88 | |[[w:第一次ミトリダテス戦争|第一次ミトリダテス戦役]](~85) |- |前87 | |マリウスと[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の内戦勃発 |- | rowspan="2" |前86 |政治家・歴史家[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |マリウスが没す |- |この頃、悲劇作家アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前84頃 |抒情詩人[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前82 | |[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]が独裁官 |- |前79 | |独裁官スッラが没す |- | | | |} == 黄金期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/黄金期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" | 黄金期前半:キケローの時代 |- |前76 | | style="font-size:9pt;" |キケローが[[w:クァエストル|財務官]] |- |前73 | | style="font-size:9pt;" |[[w:第三次奴隷戦争|スパルタクスの反乱]](~71) |- |前71 | | style="font-size:9pt;" |[[w:スパルタクス|スパルタクス]]の集団が鎮圧される |- | rowspan="2" |前70 |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が生まれる | rowspan="2" style="font-size:9pt; vertical-align:bottom;" |[[w:アエディリス|按察官]]キケローがウェッレースを弾劾 |- | style="background-color:khaki;" |キケロー『ウェッレース弾劾演説』 [[w:la:Orationes Verrinae|In Verrem]] <ref>[[s:la:In Verrem]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> |- |前65 |ラテン文学黄金期の抒情詩人 [[w:ホラティウス|ホラーティウス]] が生まれる | |- |前65-60頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]の哲学的叙事詩『物の本質について』 [[w:la:De rerum natura (Lucretius)|De rerum natura]] <ref>[[s:la:De rerum natura (Titus Lucretius Carus)]] ([[s:la:Scriptor:Titus Lucretius Carus|Lucretius]])</ref> | |- |前63 | style="background-color:khaki;" |キケロー『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリーナ弾劾演説]]』 [[w:la:In Catilinam|In Catilinam]] <ref>[[s:la:In L. Catilinam orationes]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |[[w:執政官|執政官]]キケローが[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|カティリーナ]]を弾劾 |- |前61-54頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]『詩集』 [[s:la:Carmina (Catullus)|Carmina]] <ref>[[s:la:Liber Catulli]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Valerius Catullus|Catullus]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前60 | | style="font-size:8pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]・[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]が<br>非公式な協定を結ぶ([[w:三頭政治|三頭政治]]) |- |前59頃? |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が生まれる |59 カエサルが執政官 |- |前58-50 | | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ガリア戦争|ガリア遠征]](~50) |- | rowspan="2" |前55 | style="background-color:khaki;" |キケロー『弁論家について』 [[w:la:De oratore|De oratore]] <ref>[[s:la:De oratore]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |哲学的叙事詩人 ルクレーティウスが没す | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前54 | style="background-color:khaki;" |この頃(54-51頃)、キケロー『国家について』 [[w:la:De re publica (Cicero)|De re publica]] <ref>[[s:la:De re publica]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |抒情詩人 カトゥッルスが没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が生まれる<br>この頃、白銀期の修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前52 | style="background-color:khaki;" |この頃(52-51頃)、キケロー『法律について』 [[w:la:De legibus (Cicero)|De legibus]] <ref>[[s:la:De legibus]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]<br>([[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]])の反乱を平定 |- |前51頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[ガリア戦記]]'''』 [[w:la:De bello Gallico|Commentarii de bello Gallico]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello Gallico]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前50 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前49-45 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|カエサルとポンペイウス・門閥派の内戦]] |- |前48 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[内乱記]]'''』 [[w:la:De bello civili|Commentarii de bello civili]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello civili]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ファルサルスの戦い|パルサルスの戦い]]で[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]を破る。<br>ポンペイウスがエジプトで殺害される。 |- | rowspan="2" |前44 | style="background-color:khaki;" |キケロー『義務について』 [[w:la:De officiis|De officiis]] <ref>[[s:la:De officiis]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref>、<br>キケロー『友情について』 [[w:la:Laelius de amicitia|Laelius de amicitia]] <ref>[[s:la:Laelius de Amicitia]] (Cicero)</ref>、<br>キケロー『老年について』 [[w:la:Cato maior de senectute|Cato maior de senectute]] <ref>[[s:la:Cato Maior de Senectute]] (Cicero)</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]がブルートゥスらによって殺害される。 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が共和派によって暗殺される。 |- ! colspan="3" | 黄金期後半:アウグストゥスの時代(''[[w:en:Augustan literature (ancient Rome)|Augustan literature]]'' ) |- | rowspan="3" |前43 |キケローがアントニウスによって暗殺される | rowspan="2" style="font-size:9pt;" | |- |ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] が生まれる |- | style="background-color:khaki;" |43-40頃、[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]『カティリーナの陰謀』 [[w:la:Catilinae coniuratio (Sallustius)|Catilinae coniuratio]] <ref>[[s:la:De Catilinae coniuratione]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前41/40 | style="background-color:khaki;" |この頃(41-35)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『諷刺詩』 [[w:la:Sermones (Horatius)|Sermones (Saturae)]] <ref>[[s:la:Sermones (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前40 | style="background-color:khaki;" |この頃、サッルスティウス『ユグルタ戦記』''[[w:en:Bellum Jugurthinum|Bellum Jugurthinum]]'' <ref>[[s:la:Bellum Iugurthinum]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前39 | style="background-color:khaki;" |この頃(42-39頃)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:牧歌 (ウェルギリウス)|牧歌]] (詩選)』 [[w:la:Bucolica|Bucolica]] (Eclogae) <ref>[[s:la:Eclogae vel bucolica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前37 | style="background-color:khaki;" |[[w:マルクス・テレンティウス・ウァッロ|ウァッロー(ワロ)]]『農業論』 [[w:la:De re rustica (Varro)|De re rustica]] <ref>[[s:la:Rerum rusticarum]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Terentius Varro|Varro]]</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前34(?) | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]『著名人伝記集』 ''[[w:en:Cornelius_Nepos#De_viris_illustribus|De viris illustribus]]'' <ref>[[s:la:De viris illustribus (Cornelius Nepos)]] ([[s:la:Scriptor:Cornelius Nepos|Cornelius Nepos]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前31 | | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]が[[w:アクティウムの海戦|アクティウムの海戦]]<br>([[w:la:Bellum Actiacum|Bellum Actiacum]])に勝利。 |- |前30 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アントニウス|アントニウス]]と[[w:クレオパトラ7世|クレオパトラ7世]]が自決。<br>[[w:プトレマイオス朝|プトレマイオス朝]]の滅亡。 |- |前29 | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:農耕詩|農事詩]]』 [[w:la:Georgica|Georgica]] <ref>[[s:la:Georgica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref>、<br>この頃、ウェルギリウスが『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』の執筆に着手。 | style="font-size:9pt;" | |- |前27 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』の執筆に着手(27-9) | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]がローマ国家の実権を掌握、<br>[[w:アウグストゥス (称号)|アウグストゥス]]の称号を贈られる。 |- |前25 |この頃、白銀期の博物学者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前23 | style="background-color:khaki;" |[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『歌章』 [[w:la:Carmina (Horatius)|Carmina]] ''([[w:en:Odes (Horace)|Odes]])'' <ref>[[s:la:Carmina (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前19 | style="background-color:khaki;" |この頃(29-19)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』(未完) [[w:la:Aeneis|Aeneis]] <ref>[[s:la:Aeneis]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> |- |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が没す<br>この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が没す<br>この頃、寓話作家 パエドルス が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前13 | style="background-color:khaki;" |この頃(24-13)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『書簡詩』 [[w:la:Epistulae (Horatius)|Epistulae]] <ref>[[s:la:Epistulae (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前9 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』 [[w:la:Ab urbe condita libri|Ab urbe condita]] <ref>[[s:la:Ab Urbe Condita]] ([[s:la:Scriptor:Titus Livius|Livius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |後8 |[[w:オウィディウス|オウィディウス]] が[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の命で[[w:黒海|黒海]]沿岸のトミスに流刑となる | style="font-size:9pt;" | |- |後14 |ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 |- |後17 |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が没す<br>ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] がこの頃(17/18)没す | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 白銀期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/白銀期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" |白銀期前期:ティベリウス帝からトラヤヌス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#From Tiberius to Trajan|From Tiberius to Trajan]]'') |- |後14 |(ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御) | style="font-size:9pt;" |第2代[[w:ティベリウス|ティベリウス帝]]の治世(14-37) |- |後23 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後31 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後34 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後39 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後37 | | style="font-size:9pt;" |第3代[[w:カリグラ|カリグラ帝]]の在位(37-41) |- |後41 | | style="font-size:9pt;" |第4代[[w:クラウディウス|クラウディウス帝]]の在位(41-54) |- |後43 | style="font-size:9pt;" |ポンポーニウス・メラ『世界地誌』 [[w:la:De situ orbis (Pomponius Mela)|"De situ orbis" vel " De chorographia"]] | style="font-size:9pt;" | |- |後45 |地理学者ポンポーニウス・メラ [[w:la:Pomponius Mela|Pomponius Mela]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後50 |この頃、寓話作家パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後54 | | style="font-size:9pt;" |第5代[[w:ネロ|ネロ帝]]の在位(54-68) |- |後62 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後68 | | style="font-size:9pt;" |ネロが自決。<br>[[w:ローマ内戦 (68年-70年)|ローマ内戦]]勃発。[[w:ガルバ|ガルバ帝]] |- |後69 | | style="font-size:9pt;" |「四皇帝の年」ガルバ帝・[[w:オト|オト帝]]・[[w:アウルス・ウィテッリウス|ウィテッリウス帝]]・<br>'''[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]''' [[w:ウェスパシアヌス|ウェスパシアヌス帝]]の在位(69-79) |- |後70 |この頃、農学者コルメッラ [[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Columella]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後79 | | style="font-size:9pt;" |第10代[[w:ティトゥス|ティトゥス帝]]の在位(79-81) |- |後81 | | style="font-size:9pt;" |第11代[[w:ドミティアヌス|ドミティアヌス帝]]の在位(81-96) |- |後96 | | style="font-size:9pt;" |[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]の断絶<br>第12代[[w:ネルウァ|ネルウァ帝]]の治世(96-98)「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最初 |- |後98 | | style="font-size:9pt;" |第13代[[w:トラヤヌス|トラヤヌス帝]]の治世(98-117) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期後期:マルクス・アウレリウス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD|Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD]]'') |- |117 | | style="font-size:9pt;" |第14代[[w:ハドリアヌス|ハドリアヌス帝]]の治世(117-138) |- |138 | | style="font-size:9pt;" |第15代[[w:アントニヌス・ピウス|アントニヌス・ピウス帝]]の治世(138-161) |- |161 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の治世(161-180)<br>[[w:ルキウス・ウェルス|ウェルス帝]]との共同統治(161-169) |- |177 | | style="font-size:9pt;" |[[w:コンモドゥス|コンモドゥス帝]]とマルクス・アウレリウス帝の共同統治(177-180) |- |180 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の崩御(「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最後) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 後期ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/後期ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |192 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (192年-197年)|ローマ内戦]](192-197) |- |193 | | style="font-size:9pt;" |「五皇帝の年」 [[w:セウェルス朝|セウェルス朝]](193-235) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 中世ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/中世ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 脚 注 == <references /> == 参考文献 == *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学事典''' |ref=集英社 (2002)}} *:(『世界文学事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、2002年2月、<nowiki>ISBN 4-08-143007-1</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学大事典''' |ref=集英社 (1997)}} *:(『世界文学大事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、全6巻) *# 第1巻 人名 ア~クリメ (1996年10月、<nowiki>ISBN 4-08-143001-2</nowiki>) *# 第2巻 人名 クリヤ~チ (1997年1月、<nowiki>ISBN 4-08-143002-0</nowiki>) *# 第3巻 人名 ツ~ヘメ  (1997年4月、<nowiki>ISBN 4-08-143003-9</nowiki>) *# 第4巻 人名 ヘヤ~ン (1997年7月、<nowiki>ISBN 4-08-143004-7</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''増補改訂 新潮世界文学辞典'''|ref=新潮社 (1990)}} *:(新潮社辞典編集部 編、[[w:新潮社|新潮社]]、1990年4月、<nowiki>ISBN 4-10-730209-1</nowiki>) *: *{{Cite book |和書 |title='''ギリシア・ローマの文学''' |ref=高津 (1967)}} *:([[w:高津春繁|高津春繁]] 著、[[w:明治書院|明治書院]]「世界の文学史 1」、1967年3月) *:巻末の「ギリシア・ローマ文学年表」を参考にした。 == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン文学]]'''</span> *[[ラテン語学習モジュール]] **<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン語の時代区分]]'''</span> *'''[[ラテン文学の作家と著作]]''' **'''[[ラテン文学の作家と著作/原文リソース|/原文リソース]]''' **[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧|/邦訳書の一覧]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/電子書籍|/電子書籍]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/邦訳者の一覧|/邦訳者の一覧]] == 外部リンク == ;コトバンク *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6-147454 ラテン文学(ラテンぶんがく)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614696 ラテン文学史(年表)(らてんぶんがくしねんぴょう)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614703 ローマ史(年表)(ろーましねんぴょう)とは - コトバンク] [[Category:ラテン文学|年表]] [[Category:ラテン語の時代区分|年表]] [[Category:ラテン語学習モジュール|文学]] i8b73bb29y5ruwimejgkbtt9xjuolyv 263557 263555 2024-11-16T04:52:16Z Linguae 449 /* 白銀期の年表 */ ケルスス 263557 wikitext text/x-wiki == はじめに == '''ローマ文学''' (古典古代・古代ローマ時代のラテン文学) '''の年表'''。 {| class="wikitable" |+ ローマ文学の時代区分 |- | style="text-align:center;" rowspan="2" |区 分 ! style="width:8em; background-color:lightsalmon;" rowspan="2" | [[w:古ラテン語|古ラテン語]] ! style="width:24em; background-color:yellow;" colspan="3" | [[w:古典ラテン語|古典ラテン語]] ! style="width:8em; background-color:yellowgreen;" rowspan="2" colspan="2" | <small>後期ラテン語</small> |- ! style="width:9em; background-color:gold;" colspan="1" | 黄金期 ! style="width:14em; background-color:silver;" colspan="1" colspan="2" | 白銀期 |- !ローマ時代区分 |ローマ共和制中期<br>(前240頃~75頃) |<small>共和制末期~帝制初期</small><br>(前75頃~後17) | style="text-align:center;" colspan="2" |帝制前期<br>(後17~2世紀頃) | style="text-align:center;" |帝制後期以降<br>(後2世紀以降) |- !代表的な作家 |プラウトゥス、<br>テレンティウス |キケロー、<br>カエサル、<br>ウェルギリウス、<br>ホラーティウス、<br>オウィディウス、<br >リーウィウス |セネカ、<br>プリーニウス、<br>タキトゥス<br> |スエートーニウス、<br>アープレーイウス |アンブロシウス<br>アウグスティーヌス |- ! rowspan="3" |同時代の<br>作家・著作 !ヘレニズム期 ! colspan="4" |ローマ帝制期 |- | style="font-size:8pt;" |[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]、<br>[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、<br>ストラボーン | style="font-size:8pt;" |[[w:プルタルコス|プルータルコス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:アッピアノス|アッピアーノス]]、<br>[[w:アッリアノス|アッリアーノス]]、<br>[[w:パウサニアス|パウサーニアース]]、<br>[[w:ルキアノス|ルーキアーノス]] | style="font-size:8pt;" |[[w:アテナイオス|アテーナイオス]]、<br> |- | style="font-size:9pt;" |司馬遷『史記』 | | style="font-size:9pt;" |班固『漢書』 | | style="font-size:9pt;" |陳寿『三国志』、<br>『マハーバーラタ』 |} == 古ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/古ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前290頃 | |<small>ギリシアの喜劇作家[[w:メナンドロス (作家)|メナンドロス]]が没す</small> |- |前284 |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]がこの頃生まれたとされる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前280 | |[[w:ピュロス戦争|ピュロス戦争]](~275) |- |前270 |叙事詩人[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |<small>ギリシアの哲学者[[w:エピクロス|エピクロス]]が没す</small> |- |前264 | |[[w:第一次ポエニ戦争|第一次ポエニ戦役]](~241) |- |前254頃 |ローマ喜劇最大の作家[[w:プラウトゥス|プラウトゥス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前250年 </ref> | |- |前240 | style="background-color:#ffdede;" |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]が最初の悲劇を上演 | |- |前239 |「ラテン詩の父」[[w:エンニウス|エンニウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前235 | style="background-color:#ffdede;" |ローマ国民叙事詩の創始者[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が『ポエニ戦争』の創作開始 | |- |前234 |「ラテン散文の父」[[w:マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|大カトー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前219 |喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前218 | |[[w:第二次ポエニ戦争|第二次ポエニ戦役]](~202)<br><small>前218 [[w:ハンニバルのアルプス越え|ハンニバルのアルプス越え]]<br>前216 [[w:カンナエの戦い|カンナエの戦い]]<br>前202 [[w:ザマの戦い|ザマの戦い]]</small> |- |前215 | |<small>『[[w:アルゴナウティカ|アルゴナウティカ]]』の著者<br>[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]がこの頃没す</small> |- |前212 | |<small>ギリシアの数学者[[w:アルキメデス|アルキメデス]]が没す</small> |- |前210 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最初の喜劇が上演される | |- |前208頃 | |<small>ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]が生まれる</small><ref>[[#高津 (1967)]]では前200年 </ref> |- |前205-4 |この頃、「ラテン文学の父」リーウィウス・アンドロニークスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前204年 </ref> | |- |前201 |この頃、ナエウィウスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前201年以後 </ref> |<small>ギリシア語でローマ史を著した、<br>[[w:クィントゥス・ファビウス・ピクトル|ファビウス・ピクトル]]が没す</small> |- |前195か<br>前185 |プラウトゥスに次ぐ喜劇作家[[w:プビリウス・テレンティウス・アフェル|テレンティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前195年 </ref> | |- |前194頃 | |<small>ギリシア人学者[[w:エラトステネス|エラトステネース]]が没す</small> |- |前186 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最後の喜劇が上演される | |- |前184 |プラウトゥスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |前184-182 大カトーが監察官 |- |前180 |風刺詩の創始者ルーキーリウスが生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前170 |悲劇詩人アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前169 |エンニウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前168 | |<small>[[w:ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]でローマが[[w:アンティゴノス朝|マケドニア]]を破る。<br> ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]らがローマへ連行される(167~151)</small><ref>[[#高津 (1967)]]</ref> |- | rowspan="2" |前166 | この頃、喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前168年没 </ref> | |- | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最初の喜劇上演 『アンドロス(島)の女』 [[w:la:Andria (Terentius)|Andria]] | |- |前161 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの喜劇上演 『宦官』 [[w:la:Eunuchus (Terentius)|Eunuchus]] | |- |前160 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最後の喜劇上演 『兄弟』 [[w:la:Adelphoe|Adelphoe]] | |- |前159 |テレンティウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前149 |大カトーが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |[[w:第三次ポエニ戦争|第三次ポエニ戦役]]勃発(~146) |- ! colspan="3" |共和制末期の[[w:内乱の一世紀|内乱時代]]が始まる |- |前133 | |[[w:グラックス兄弟|グラックス兄弟]](兄)の改革頓挫 |- | rowspan="2" |前130頃 |この頃、悲劇作家パークウィウス [[w:la:Marcus Pacuvius|Pacuvius]] が没す | |- | style="background-color:#ffdede;" |ルーキーリウスが『風刺詩』で風刺詩を創始 | |- |前125頃 | |『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の著者ポリュビオスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前120年 </ref> |- |前123 | |グラックス兄弟(弟)の改革頓挫 |- |前116 |ローマの大学者[[w:マルクス・テレンティウス・ウァロ|ウァッロー(ワロ)]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前113 | |[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](~101) |- |前112 | |[[w:ユグルタ戦争|ユグルタ戦争]](~106) |- |前107 | |[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]が執政官 |- |前106 |ラテン散文の完成者・模範とされる[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前102頃 |ルーキーリウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前100 |キケローと並びラテン散文の模範とされる[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前102年 </ref> | |- |前99? |哲学的叙事詩人[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref><br>伝記作家[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前91 | |[[w:同盟市戦争|同盟市戦争]](~88) |- |前88 | |[[w:第一次ミトリダテス戦争|第一次ミトリダテス戦役]](~85) |- |前87 | |マリウスと[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の内戦勃発 |- | rowspan="2" |前86 |政治家・歴史家[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |マリウスが没す |- |この頃、悲劇作家アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前84頃 |抒情詩人[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前82 | |[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]が独裁官 |- |前79 | |独裁官スッラが没す |- | | | |} == 黄金期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/黄金期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" | 黄金期前半:キケローの時代 |- |前76 | | style="font-size:9pt;" |キケローが[[w:クァエストル|財務官]] |- |前73 | | style="font-size:9pt;" |[[w:第三次奴隷戦争|スパルタクスの反乱]](~71) |- |前71 | | style="font-size:9pt;" |[[w:スパルタクス|スパルタクス]]の集団が鎮圧される |- | rowspan="2" |前70 |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が生まれる | rowspan="2" style="font-size:9pt; vertical-align:bottom;" |[[w:アエディリス|按察官]]キケローがウェッレースを弾劾 |- | style="background-color:khaki;" |キケロー『ウェッレース弾劾演説』 [[w:la:Orationes Verrinae|In Verrem]] <ref>[[s:la:In Verrem]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> |- |前65 |ラテン文学黄金期の抒情詩人 [[w:ホラティウス|ホラーティウス]] が生まれる | |- |前65-60頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]の哲学的叙事詩『物の本質について』 [[w:la:De rerum natura (Lucretius)|De rerum natura]] <ref>[[s:la:De rerum natura (Titus Lucretius Carus)]] ([[s:la:Scriptor:Titus Lucretius Carus|Lucretius]])</ref> | |- |前63 | style="background-color:khaki;" |キケロー『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリーナ弾劾演説]]』 [[w:la:In Catilinam|In Catilinam]] <ref>[[s:la:In L. Catilinam orationes]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |[[w:執政官|執政官]]キケローが[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|カティリーナ]]を弾劾 |- |前61-54頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]『詩集』 [[s:la:Carmina (Catullus)|Carmina]] <ref>[[s:la:Liber Catulli]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Valerius Catullus|Catullus]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前60 | | style="font-size:8pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]・[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]が<br>非公式な協定を結ぶ([[w:三頭政治|三頭政治]]) |- |前59頃? |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が生まれる |59 カエサルが執政官 |- |前58-50 | | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ガリア戦争|ガリア遠征]](~50) |- | rowspan="2" |前55 | style="background-color:khaki;" |キケロー『弁論家について』 [[w:la:De oratore|De oratore]] <ref>[[s:la:De oratore]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |哲学的叙事詩人 ルクレーティウスが没す | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前54 | style="background-color:khaki;" |この頃(54-51頃)、キケロー『国家について』 [[w:la:De re publica (Cicero)|De re publica]] <ref>[[s:la:De re publica]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |抒情詩人 カトゥッルスが没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が生まれる<br>この頃、白銀期の修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前52 | style="background-color:khaki;" |この頃(52-51頃)、キケロー『法律について』 [[w:la:De legibus (Cicero)|De legibus]] <ref>[[s:la:De legibus]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]<br>([[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]])の反乱を平定 |- |前51頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[ガリア戦記]]'''』 [[w:la:De bello Gallico|Commentarii de bello Gallico]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello Gallico]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前50 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前49-45 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|カエサルとポンペイウス・門閥派の内戦]] |- |前48 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[内乱記]]'''』 [[w:la:De bello civili|Commentarii de bello civili]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello civili]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ファルサルスの戦い|パルサルスの戦い]]で[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]を破る。<br>ポンペイウスがエジプトで殺害される。 |- | rowspan="2" |前44 | style="background-color:khaki;" |キケロー『義務について』 [[w:la:De officiis|De officiis]] <ref>[[s:la:De officiis]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref>、<br>キケロー『友情について』 [[w:la:Laelius de amicitia|Laelius de amicitia]] <ref>[[s:la:Laelius de Amicitia]] (Cicero)</ref>、<br>キケロー『老年について』 [[w:la:Cato maior de senectute|Cato maior de senectute]] <ref>[[s:la:Cato Maior de Senectute]] (Cicero)</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]がブルートゥスらによって殺害される。 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が共和派によって暗殺される。 |- ! colspan="3" | 黄金期後半:アウグストゥスの時代(''[[w:en:Augustan literature (ancient Rome)|Augustan literature]]'' ) |- | rowspan="3" |前43 |キケローがアントニウスによって暗殺される | rowspan="2" style="font-size:9pt;" | |- |ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] が生まれる |- | style="background-color:khaki;" |43-40頃、[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]『カティリーナの陰謀』 [[w:la:Catilinae coniuratio (Sallustius)|Catilinae coniuratio]] <ref>[[s:la:De Catilinae coniuratione]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前41/40 | style="background-color:khaki;" |この頃(41-35)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『諷刺詩』 [[w:la:Sermones (Horatius)|Sermones (Saturae)]] <ref>[[s:la:Sermones (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前40 | style="background-color:khaki;" |この頃、サッルスティウス『ユグルタ戦記』''[[w:en:Bellum Jugurthinum|Bellum Jugurthinum]]'' <ref>[[s:la:Bellum Iugurthinum]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前39 | style="background-color:khaki;" |この頃(42-39頃)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:牧歌 (ウェルギリウス)|牧歌]] (詩選)』 [[w:la:Bucolica|Bucolica]] (Eclogae) <ref>[[s:la:Eclogae vel bucolica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前37 | style="background-color:khaki;" |[[w:マルクス・テレンティウス・ウァッロ|ウァッロー(ワロ)]]『農業論』 [[w:la:De re rustica (Varro)|De re rustica]] <ref>[[s:la:Rerum rusticarum]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Terentius Varro|Varro]]</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前34(?) | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]『著名人伝記集』 ''[[w:en:Cornelius_Nepos#De_viris_illustribus|De viris illustribus]]'' <ref>[[s:la:De viris illustribus (Cornelius Nepos)]] ([[s:la:Scriptor:Cornelius Nepos|Cornelius Nepos]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前31 | | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]が[[w:アクティウムの海戦|アクティウムの海戦]]<br>([[w:la:Bellum Actiacum|Bellum Actiacum]])に勝利。 |- |前30 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アントニウス|アントニウス]]と[[w:クレオパトラ7世|クレオパトラ7世]]が自決。<br>[[w:プトレマイオス朝|プトレマイオス朝]]の滅亡。 |- |前29 | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:農耕詩|農事詩]]』 [[w:la:Georgica|Georgica]] <ref>[[s:la:Georgica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref>、<br>この頃、ウェルギリウスが『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』の執筆に着手。 | style="font-size:9pt;" | |- |前27 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』の執筆に着手(27-9) | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]がローマ国家の実権を掌握、<br>[[w:アウグストゥス (称号)|アウグストゥス]]の称号を贈られる。 |- |前25 |この頃、白銀期の博物学者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前23 | style="background-color:khaki;" |[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『歌章』 [[w:la:Carmina (Horatius)|Carmina]] ''([[w:en:Odes (Horace)|Odes]])'' <ref>[[s:la:Carmina (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前19 | style="background-color:khaki;" |この頃(29-19)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』(未完) [[w:la:Aeneis|Aeneis]] <ref>[[s:la:Aeneis]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> |- |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が没す<br>この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が没す<br>この頃、寓話作家 パエドルス が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前13 | style="background-color:khaki;" |この頃(24-13)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『書簡詩』 [[w:la:Epistulae (Horatius)|Epistulae]] <ref>[[s:la:Epistulae (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前9 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』 [[w:la:Ab urbe condita libri|Ab urbe condita]] <ref>[[s:la:Ab Urbe Condita]] ([[s:la:Scriptor:Titus Livius|Livius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |後8 |[[w:オウィディウス|オウィディウス]] が[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の命で[[w:黒海|黒海]]沿岸のトミスに流刑となる | style="font-size:9pt;" | |- |後14 |ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 |- |後17 |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が没す<br>ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] がこの頃(17/18)没す | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 白銀期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/白銀期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" |白銀期前期:ティベリウス帝からトラヤヌス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#From Tiberius to Trajan|From Tiberius to Trajan]]'') |- |後14 |(ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御) | style="font-size:9pt;" |第2代[[w:ティベリウス|ティベリウス帝]]の治世(14-37) |- |後23 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後31 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後34 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後39 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後37 | | style="font-size:9pt;" |第3代[[w:カリグラ|カリグラ帝]]の在位(37-41) |- |後41 | | style="font-size:9pt;" |第4代[[w:クラウディウス|クラウディウス帝]]の在位(41-54) |- |後43 | style="font-size:9pt;" |ポンポーニウス・メラ『世界地誌』 [[w:la:De situ orbis (Pomponius Mela)|"De situ orbis" vel " De chorographia"]] | style="font-size:9pt;" | |- |後45 |地理学者ポンポーニウス・メラ [[w:la:Pomponius Mela|Pomponius Mela]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後50 |この頃、百科事典編纂者ケルスス [[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] が没す<br>この頃、寓話作家パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後54 | | style="font-size:9pt;" |第5代[[w:ネロ|ネロ帝]]の在位(54-68) |- |後62 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後68 | | style="font-size:9pt;" |ネロが自決。<br>[[w:ローマ内戦 (68年-70年)|ローマ内戦]]勃発。[[w:ガルバ|ガルバ帝]] |- |後69 | | style="font-size:9pt;" |「四皇帝の年」ガルバ帝・[[w:オト|オト帝]]・[[w:アウルス・ウィテッリウス|ウィテッリウス帝]]・<br>'''[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]''' [[w:ウェスパシアヌス|ウェスパシアヌス帝]]の在位(69-79) |- |後70 |この頃、農学者コルメッラ [[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Columella]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後79 | | style="font-size:9pt;" |第10代[[w:ティトゥス|ティトゥス帝]]の在位(79-81) |- |後81 | | style="font-size:9pt;" |第11代[[w:ドミティアヌス|ドミティアヌス帝]]の在位(81-96) |- |後96 | | style="font-size:9pt;" |[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]の断絶<br>第12代[[w:ネルウァ|ネルウァ帝]]の治世(96-98)「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最初 |- |後98 | | style="font-size:9pt;" |第13代[[w:トラヤヌス|トラヤヌス帝]]の治世(98-117) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期後期:マルクス・アウレリウス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD|Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD]]'') |- |117 | | style="font-size:9pt;" |第14代[[w:ハドリアヌス|ハドリアヌス帝]]の治世(117-138) |- |138 | | style="font-size:9pt;" |第15代[[w:アントニヌス・ピウス|アントニヌス・ピウス帝]]の治世(138-161) |- |161 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の治世(161-180)<br>[[w:ルキウス・ウェルス|ウェルス帝]]との共同統治(161-169) |- |177 | | style="font-size:9pt;" |[[w:コンモドゥス|コンモドゥス帝]]とマルクス・アウレリウス帝の共同統治(177-180) |- |180 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の崩御(「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最後) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 後期ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/後期ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |192 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (192年-197年)|ローマ内戦]](192-197) |- |193 | | style="font-size:9pt;" |「五皇帝の年」 [[w:セウェルス朝|セウェルス朝]](193-235) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 中世ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/中世ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 脚 注 == <references /> == 参考文献 == *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学事典''' |ref=集英社 (2002)}} *:(『世界文学事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、2002年2月、<nowiki>ISBN 4-08-143007-1</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学大事典''' |ref=集英社 (1997)}} *:(『世界文学大事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、全6巻) *# 第1巻 人名 ア~クリメ (1996年10月、<nowiki>ISBN 4-08-143001-2</nowiki>) *# 第2巻 人名 クリヤ~チ (1997年1月、<nowiki>ISBN 4-08-143002-0</nowiki>) *# 第3巻 人名 ツ~ヘメ  (1997年4月、<nowiki>ISBN 4-08-143003-9</nowiki>) *# 第4巻 人名 ヘヤ~ン (1997年7月、<nowiki>ISBN 4-08-143004-7</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''増補改訂 新潮世界文学辞典'''|ref=新潮社 (1990)}} *:(新潮社辞典編集部 編、[[w:新潮社|新潮社]]、1990年4月、<nowiki>ISBN 4-10-730209-1</nowiki>) *: *{{Cite book |和書 |title='''ギリシア・ローマの文学''' |ref=高津 (1967)}} *:([[w:高津春繁|高津春繁]] 著、[[w:明治書院|明治書院]]「世界の文学史 1」、1967年3月) *:巻末の「ギリシア・ローマ文学年表」を参考にした。 == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン文学]]'''</span> *[[ラテン語学習モジュール]] **<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン語の時代区分]]'''</span> *'''[[ラテン文学の作家と著作]]''' **'''[[ラテン文学の作家と著作/原文リソース|/原文リソース]]''' **[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧|/邦訳書の一覧]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/電子書籍|/電子書籍]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/邦訳者の一覧|/邦訳者の一覧]] == 外部リンク == ;コトバンク *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6-147454 ラテン文学(ラテンぶんがく)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614696 ラテン文学史(年表)(らてんぶんがくしねんぴょう)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614703 ローマ史(年表)(ろーましねんぴょう)とは - コトバンク] [[Category:ラテン文学|年表]] [[Category:ラテン語の時代区分|年表]] [[Category:ラテン語学習モジュール|文学]] 4p50rhqmtcp6zgizzh6g3fa81f1mlu0 263560 263557 2024-11-16T05:27:59Z Linguae 449 ケルスス 263560 wikitext text/x-wiki == はじめに == '''ローマ文学''' (古典古代・古代ローマ時代のラテン文学) '''の年表'''。 {| class="wikitable" |+ ローマ文学の時代区分 |- | style="text-align:center;" rowspan="2" |区 分 ! style="width:8em; background-color:lightsalmon;" rowspan="2" | [[w:古ラテン語|古ラテン語]] ! style="width:24em; background-color:yellow;" colspan="3" | [[w:古典ラテン語|古典ラテン語]] ! style="width:8em; background-color:yellowgreen;" rowspan="2" colspan="2" | <small>後期ラテン語</small> |- ! style="width:9em; background-color:gold;" colspan="1" | 黄金期 ! style="width:14em; background-color:silver;" colspan="1" colspan="2" | 白銀期 |- !ローマ時代区分 |ローマ共和制中期<br>(前240頃~75頃) |<small>共和制末期~帝制初期</small><br>(前75頃~後17) | style="text-align:center;" colspan="2" |帝制前期<br>(後17~2世紀頃) | style="text-align:center;" |帝制後期以降<br>(後2世紀以降) |- !代表的な作家 |プラウトゥス、<br>テレンティウス |キケロー、<br>カエサル、<br>ウェルギリウス、<br>ホラーティウス、<br>オウィディウス、<br >リーウィウス |セネカ、<br>プリーニウス、<br>タキトゥス<br> |スエートーニウス、<br>アープレーイウス |アンブロシウス<br>アウグスティーヌス |- ! rowspan="3" |同時代の<br>作家・著作 !ヘレニズム期 ! colspan="4" |ローマ帝制期 |- | style="font-size:8pt;" |[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]、<br>[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、<br>ストラボーン | style="font-size:8pt;" |[[w:プルタルコス|プルータルコス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:アッピアノス|アッピアーノス]]、<br>[[w:アッリアノス|アッリアーノス]]、<br>[[w:パウサニアス|パウサーニアース]]、<br>[[w:ルキアノス|ルーキアーノス]] | style="font-size:8pt;" |[[w:アテナイオス|アテーナイオス]]、<br> |- | style="font-size:9pt;" |司馬遷『史記』 | | style="font-size:9pt;" |班固『漢書』 | | style="font-size:9pt;" |陳寿『三国志』、<br>『マハーバーラタ』 |} == 古ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/古ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前290頃 | |<small>ギリシアの喜劇作家[[w:メナンドロス (作家)|メナンドロス]]が没す</small> |- |前284 |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]がこの頃生まれたとされる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前280 | |[[w:ピュロス戦争|ピュロス戦争]](~275) |- |前270 |叙事詩人[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |<small>ギリシアの哲学者[[w:エピクロス|エピクロス]]が没す</small> |- |前264 | |[[w:第一次ポエニ戦争|第一次ポエニ戦役]](~241) |- |前254頃 |ローマ喜劇最大の作家[[w:プラウトゥス|プラウトゥス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前250年 </ref> | |- |前240 | style="background-color:#ffdede;" |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]が最初の悲劇を上演 | |- |前239 |「ラテン詩の父」[[w:エンニウス|エンニウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前235 | style="background-color:#ffdede;" |ローマ国民叙事詩の創始者[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が『ポエニ戦争』の創作開始 | |- |前234 |「ラテン散文の父」[[w:マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|大カトー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前219 |喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前218 | |[[w:第二次ポエニ戦争|第二次ポエニ戦役]](~202)<br><small>前218 [[w:ハンニバルのアルプス越え|ハンニバルのアルプス越え]]<br>前216 [[w:カンナエの戦い|カンナエの戦い]]<br>前202 [[w:ザマの戦い|ザマの戦い]]</small> |- |前215 | |<small>『[[w:アルゴナウティカ|アルゴナウティカ]]』の著者<br>[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]がこの頃没す</small> |- |前212 | |<small>ギリシアの数学者[[w:アルキメデス|アルキメデス]]が没す</small> |- |前210 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最初の喜劇が上演される | |- |前208頃 | |<small>ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]が生まれる</small><ref>[[#高津 (1967)]]では前200年 </ref> |- |前205-4 |この頃、「ラテン文学の父」リーウィウス・アンドロニークスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前204年 </ref> | |- |前201 |この頃、ナエウィウスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前201年以後 </ref> |<small>ギリシア語でローマ史を著した、<br>[[w:クィントゥス・ファビウス・ピクトル|ファビウス・ピクトル]]が没す</small> |- |前195か<br>前185 |プラウトゥスに次ぐ喜劇作家[[w:プビリウス・テレンティウス・アフェル|テレンティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前195年 </ref> | |- |前194頃 | |<small>ギリシア人学者[[w:エラトステネス|エラトステネース]]が没す</small> |- |前186 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最後の喜劇が上演される | |- |前184 |プラウトゥスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |前184-182 大カトーが監察官 |- |前180 |風刺詩の創始者ルーキーリウスが生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前170 |悲劇詩人アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前169 |エンニウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前168 | |<small>[[w:ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]でローマが[[w:アンティゴノス朝|マケドニア]]を破る。<br> ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]らがローマへ連行される(167~151)</small><ref>[[#高津 (1967)]]</ref> |- | rowspan="2" |前166 | この頃、喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前168年没 </ref> | |- | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最初の喜劇上演 『アンドロス(島)の女』 [[w:la:Andria (Terentius)|Andria]] | |- |前161 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの喜劇上演 『宦官』 [[w:la:Eunuchus (Terentius)|Eunuchus]] | |- |前160 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最後の喜劇上演 『兄弟』 [[w:la:Adelphoe|Adelphoe]] | |- |前159 |テレンティウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前149 |大カトーが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |[[w:第三次ポエニ戦争|第三次ポエニ戦役]]勃発(~146) |- ! colspan="3" |共和制末期の[[w:内乱の一世紀|内乱時代]]が始まる |- |前133 | |[[w:グラックス兄弟|グラックス兄弟]](兄)の改革頓挫 |- | rowspan="2" |前130頃 |この頃、悲劇作家パークウィウス [[w:la:Marcus Pacuvius|Pacuvius]] が没す | |- | style="background-color:#ffdede;" |ルーキーリウスが『風刺詩』で風刺詩を創始 | |- |前125頃 | |『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の著者ポリュビオスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前120年 </ref> |- |前123 | |グラックス兄弟(弟)の改革頓挫 |- |前116 |ローマの大学者[[w:マルクス・テレンティウス・ウァロ|ウァッロー(ワロ)]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前113 | |[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](~101) |- |前112 | |[[w:ユグルタ戦争|ユグルタ戦争]](~106) |- |前107 | |[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]が執政官 |- |前106 |ラテン散文の完成者・模範とされる[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前102頃 |ルーキーリウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前100 |キケローと並びラテン散文の模範とされる[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前102年 </ref> | |- |前99? |哲学的叙事詩人[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref><br>伝記作家[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前91 | |[[w:同盟市戦争|同盟市戦争]](~88) |- |前88 | |[[w:第一次ミトリダテス戦争|第一次ミトリダテス戦役]](~85) |- |前87 | |マリウスと[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の内戦勃発 |- | rowspan="2" |前86 |政治家・歴史家[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |マリウスが没す |- |この頃、悲劇作家アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前84頃 |抒情詩人[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前82 | |[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]が独裁官 |- |前79 | |独裁官スッラが没す |- | | | |} == 黄金期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/黄金期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" | 黄金期前半:キケローの時代 |- |前76 | | style="font-size:9pt;" |キケローが[[w:クァエストル|財務官]] |- |前73 | | style="font-size:9pt;" |[[w:第三次奴隷戦争|スパルタクスの反乱]](~71) |- |前71 | | style="font-size:9pt;" |[[w:スパルタクス|スパルタクス]]の集団が鎮圧される |- | rowspan="2" |前70 |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が生まれる | rowspan="2" style="font-size:9pt; vertical-align:bottom;" |[[w:アエディリス|按察官]]キケローがウェッレースを弾劾 |- | style="background-color:khaki;" |キケロー『ウェッレース弾劾演説』 [[w:la:Orationes Verrinae|In Verrem]] <ref>[[s:la:In Verrem]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> |- |前65 |ラテン文学黄金期の抒情詩人 [[w:ホラティウス|ホラーティウス]] が生まれる | |- |前65-60頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]の哲学的叙事詩『物の本質について』 [[w:la:De rerum natura (Lucretius)|De rerum natura]] <ref>[[s:la:De rerum natura (Titus Lucretius Carus)]] ([[s:la:Scriptor:Titus Lucretius Carus|Lucretius]])</ref> | |- |前63 | style="background-color:khaki;" |キケロー『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリーナ弾劾演説]]』 [[w:la:In Catilinam|In Catilinam]] <ref>[[s:la:In L. Catilinam orationes]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |[[w:執政官|執政官]]キケローが[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|カティリーナ]]を弾劾 |- |前61-54頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]『詩集』 [[s:la:Carmina (Catullus)|Carmina]] <ref>[[s:la:Liber Catulli]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Valerius Catullus|Catullus]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前60 | | style="font-size:8pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]・[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]が<br>非公式な協定を結ぶ([[w:三頭政治|三頭政治]]) |- |前59頃? |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が生まれる |59 カエサルが執政官 |- |前58-50 | | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ガリア戦争|ガリア遠征]](~50) |- | rowspan="2" |前55 | style="background-color:khaki;" |キケロー『弁論家について』 [[w:la:De oratore|De oratore]] <ref>[[s:la:De oratore]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |哲学的叙事詩人 ルクレーティウスが没す | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前54 | style="background-color:khaki;" |この頃(54-51頃)、キケロー『国家について』 [[w:la:De re publica (Cicero)|De re publica]] <ref>[[s:la:De re publica]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |抒情詩人 カトゥッルスが没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が生まれる<br>この頃、白銀期の修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前52 | style="background-color:khaki;" |この頃(52-51頃)、キケロー『法律について』 [[w:la:De legibus (Cicero)|De legibus]] <ref>[[s:la:De legibus]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]<br>([[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]])の反乱を平定 |- |前51頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[ガリア戦記]]'''』 [[w:la:De bello Gallico|Commentarii de bello Gallico]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello Gallico]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前50 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前49-45 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|カエサルとポンペイウス・門閥派の内戦]] |- |前48 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[内乱記]]'''』 [[w:la:De bello civili|Commentarii de bello civili]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello civili]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ファルサルスの戦い|パルサルスの戦い]]で[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]を破る。<br>ポンペイウスがエジプトで殺害される。 |- | rowspan="2" |前44 | style="background-color:khaki;" |キケロー『義務について』 [[w:la:De officiis|De officiis]] <ref>[[s:la:De officiis]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref>、<br>キケロー『友情について』 [[w:la:Laelius de amicitia|Laelius de amicitia]] <ref>[[s:la:Laelius de Amicitia]] (Cicero)</ref>、<br>キケロー『老年について』 [[w:la:Cato maior de senectute|Cato maior de senectute]] <ref>[[s:la:Cato Maior de Senectute]] (Cicero)</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]がブルートゥスらによって殺害される。 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が共和派によって暗殺される。 |- ! colspan="3" | 黄金期後半:アウグストゥスの時代(''[[w:en:Augustan literature (ancient Rome)|Augustan literature]]'' ) |- | rowspan="3" |前43 |キケローがアントニウスによって暗殺される | rowspan="2" style="font-size:9pt;" | |- |ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] が生まれる |- | style="background-color:khaki;" |43-40頃、[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]『カティリーナの陰謀』 [[w:la:Catilinae coniuratio (Sallustius)|Catilinae coniuratio]] <ref>[[s:la:De Catilinae coniuratione]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前41/40 | style="background-color:khaki;" |この頃(41-35)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『諷刺詩』 [[w:la:Sermones (Horatius)|Sermones (Saturae)]] <ref>[[s:la:Sermones (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前40 | style="background-color:khaki;" |この頃、サッルスティウス『ユグルタ戦記』''[[w:en:Bellum Jugurthinum|Bellum Jugurthinum]]'' <ref>[[s:la:Bellum Iugurthinum]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前39 | style="background-color:khaki;" |この頃(42-39頃)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:牧歌 (ウェルギリウス)|牧歌]] (詩選)』 [[w:la:Bucolica|Bucolica]] (Eclogae) <ref>[[s:la:Eclogae vel bucolica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前37 | style="background-color:khaki;" |[[w:マルクス・テレンティウス・ウァッロ|ウァッロー(ワロ)]]『農業論』 [[w:la:De re rustica (Varro)|De re rustica]] <ref>[[s:la:Rerum rusticarum]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Terentius Varro|Varro]]</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前34(?) | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]『著名人伝記集』 ''[[w:en:Cornelius_Nepos#De_viris_illustribus|De viris illustribus]]'' <ref>[[s:la:De viris illustribus (Cornelius Nepos)]] ([[s:la:Scriptor:Cornelius Nepos|Cornelius Nepos]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前31 | | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]が[[w:アクティウムの海戦|アクティウムの海戦]]<br>([[w:la:Bellum Actiacum|Bellum Actiacum]])に勝利。 |- |前30 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アントニウス|アントニウス]]と[[w:クレオパトラ7世|クレオパトラ7世]]が自決。<br>[[w:プトレマイオス朝|プトレマイオス朝]]の滅亡。 |- |前29 | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:農耕詩|農事詩]]』 [[w:la:Georgica|Georgica]] <ref>[[s:la:Georgica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref>、<br>この頃、ウェルギリウスが『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』の執筆に着手。 | style="font-size:9pt;" | |- |前27 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』の執筆に着手(27-9) | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]がローマ国家の実権を掌握、<br>[[w:アウグストゥス (称号)|アウグストゥス]]の称号を贈られる。 |- |前25 |この頃、白銀期の百科事典編纂者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前23 | style="background-color:khaki;" |[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『歌章』 [[w:la:Carmina (Horatius)|Carmina]] ''([[w:en:Odes (Horace)|Odes]])'' <ref>[[s:la:Carmina (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前19 | style="background-color:khaki;" |この頃(29-19)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』(未完) [[w:la:Aeneis|Aeneis]] <ref>[[s:la:Aeneis]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> |- |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が没す<br>この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が没す<br>この頃、寓話作家 パエドルス が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前13 | style="background-color:khaki;" |この頃(24-13)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『書簡詩』 [[w:la:Epistulae (Horatius)|Epistulae]] <ref>[[s:la:Epistulae (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前9 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』 [[w:la:Ab urbe condita libri|Ab urbe condita]] <ref>[[s:la:Ab Urbe Condita]] ([[s:la:Scriptor:Titus Livius|Livius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |後8 |[[w:オウィディウス|オウィディウス]] が[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の命で[[w:黒海|黒海]]沿岸のトミスに流刑となる | style="font-size:9pt;" | |- |後14 |ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 |- |後17 |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が没す<br>ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] がこの頃(17/18)没す | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 白銀期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/白銀期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" |白銀期前期:ティベリウス帝からトラヤヌス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#From Tiberius to Trajan|From Tiberius to Trajan]]'') |- |後14 |(ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御) | style="font-size:9pt;" |第2代[[w:ティベリウス|ティベリウス帝]]の治世(14-37) |- |後23 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後31 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後34 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後39 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後37 | | style="font-size:9pt;" |第3代[[w:カリグラ|カリグラ帝]]の在位(37-41) |- |後41 | | style="font-size:9pt;" |第4代[[w:クラウディウス|クラウディウス帝]]の在位(41-54) |- |後43 | style="font-size:9pt;" |ポンポーニウス・メラ『世界地誌』 [[w:la:De situ orbis (Pomponius Mela)|"De situ orbis" vel " De chorographia"]] | style="font-size:9pt;" | |- |後45 |地理学者ポンポーニウス・メラ [[w:la:Pomponius Mela|Pomponius Mela]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後50 |この頃、百科事典編纂者[[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] [[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] が没す<br>この頃、寓話作家パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後54 | | style="font-size:9pt;" |第5代[[w:ネロ|ネロ帝]]の在位(54-68) |- |後62 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後68 | | style="font-size:9pt;" |ネロが自決。<br>[[w:ローマ内戦 (68年-70年)|ローマ内戦]]勃発。[[w:ガルバ|ガルバ帝]] |- |後69 | | style="font-size:9pt;" |「四皇帝の年」ガルバ帝・[[w:オト|オト帝]]・[[w:アウルス・ウィテッリウス|ウィテッリウス帝]]・<br>'''[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]''' [[w:ウェスパシアヌス|ウェスパシアヌス帝]]の在位(69-79) |- |後70 |この頃、農学者コルメッラ [[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Columella]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後79 | | style="font-size:9pt;" |第10代[[w:ティトゥス|ティトゥス帝]]の在位(79-81) |- |後81 | | style="font-size:9pt;" |第11代[[w:ドミティアヌス|ドミティアヌス帝]]の在位(81-96) |- |後96 | | style="font-size:9pt;" |[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]の断絶<br>第12代[[w:ネルウァ|ネルウァ帝]]の治世(96-98)「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最初 |- |後98 | | style="font-size:9pt;" |第13代[[w:トラヤヌス|トラヤヌス帝]]の治世(98-117) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期後期:マルクス・アウレリウス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD|Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD]]'') |- |117 | | style="font-size:9pt;" |第14代[[w:ハドリアヌス|ハドリアヌス帝]]の治世(117-138) |- |138 | | style="font-size:9pt;" |第15代[[w:アントニヌス・ピウス|アントニヌス・ピウス帝]]の治世(138-161) |- |161 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の治世(161-180)<br>[[w:ルキウス・ウェルス|ウェルス帝]]との共同統治(161-169) |- |177 | | style="font-size:9pt;" |[[w:コンモドゥス|コンモドゥス帝]]とマルクス・アウレリウス帝の共同統治(177-180) |- |180 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の崩御(「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最後) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 後期ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/後期ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |192 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (192年-197年)|ローマ内戦]](192-197) |- |193 | | style="font-size:9pt;" |「五皇帝の年」 [[w:セウェルス朝|セウェルス朝]](193-235) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 中世ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/中世ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 脚 注 == <references /> == 参考文献 == *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学事典''' |ref=集英社 (2002)}} *:(『世界文学事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、2002年2月、<nowiki>ISBN 4-08-143007-1</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学大事典''' |ref=集英社 (1997)}} *:(『世界文学大事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、全6巻) *# 第1巻 人名 ア~クリメ (1996年10月、<nowiki>ISBN 4-08-143001-2</nowiki>) *# 第2巻 人名 クリヤ~チ (1997年1月、<nowiki>ISBN 4-08-143002-0</nowiki>) *# 第3巻 人名 ツ~ヘメ  (1997年4月、<nowiki>ISBN 4-08-143003-9</nowiki>) *# 第4巻 人名 ヘヤ~ン (1997年7月、<nowiki>ISBN 4-08-143004-7</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''増補改訂 新潮世界文学辞典'''|ref=新潮社 (1990)}} *:(新潮社辞典編集部 編、[[w:新潮社|新潮社]]、1990年4月、<nowiki>ISBN 4-10-730209-1</nowiki>) *: *{{Cite book |和書 |title='''ギリシア・ローマの文学''' |ref=高津 (1967)}} *:([[w:高津春繁|高津春繁]] 著、[[w:明治書院|明治書院]]「世界の文学史 1」、1967年3月) *:巻末の「ギリシア・ローマ文学年表」を参考にした。 == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン文学]]'''</span> *[[ラテン語学習モジュール]] **<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン語の時代区分]]'''</span> *'''[[ラテン文学の作家と著作]]''' **'''[[ラテン文学の作家と著作/原文リソース|/原文リソース]]''' **[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧|/邦訳書の一覧]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/電子書籍|/電子書籍]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/邦訳者の一覧|/邦訳者の一覧]] == 外部リンク == ;コトバンク *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6-147454 ラテン文学(ラテンぶんがく)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614696 ラテン文学史(年表)(らてんぶんがくしねんぴょう)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614703 ローマ史(年表)(ろーましねんぴょう)とは - コトバンク] [[Category:ラテン文学|年表]] [[Category:ラテン語の時代区分|年表]] [[Category:ラテン語学習モジュール|文学]] 6z1fawdzfna7jonka4kfvotb8bh2km3 263570 263560 2024-11-16T07:14:15Z Linguae 449 /* 白銀期の年表 */ 追加 263570 wikitext text/x-wiki == はじめに == '''ローマ文学''' (古典古代・古代ローマ時代のラテン文学) '''の年表'''。 {| class="wikitable" |+ ローマ文学の時代区分 |- | style="text-align:center;" rowspan="2" |区 分 ! style="width:8em; background-color:lightsalmon;" rowspan="2" | [[w:古ラテン語|古ラテン語]] ! style="width:24em; background-color:yellow;" colspan="3" | [[w:古典ラテン語|古典ラテン語]] ! style="width:8em; background-color:yellowgreen;" rowspan="2" colspan="2" | <small>後期ラテン語</small> |- ! style="width:9em; background-color:gold;" colspan="1" | 黄金期 ! style="width:14em; background-color:silver;" colspan="1" colspan="2" | 白銀期 |- !ローマ時代区分 |ローマ共和制中期<br>(前240頃~75頃) |<small>共和制末期~帝制初期</small><br>(前75頃~後17) | style="text-align:center;" colspan="2" |帝制前期<br>(後17~2世紀頃) | style="text-align:center;" |帝制後期以降<br>(後2世紀以降) |- !代表的な作家 |プラウトゥス、<br>テレンティウス |キケロー、<br>カエサル、<br>ウェルギリウス、<br>ホラーティウス、<br>オウィディウス、<br >リーウィウス |セネカ、<br>プリーニウス、<br>タキトゥス<br> |スエートーニウス、<br>アープレーイウス |アンブロシウス<br>アウグスティーヌス |- ! rowspan="3" |同時代の<br>作家・著作 !ヘレニズム期 ! colspan="4" |ローマ帝制期 |- | style="font-size:8pt;" |[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]、<br>[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、<br>ストラボーン | style="font-size:8pt;" |[[w:プルタルコス|プルータルコス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:アッピアノス|アッピアーノス]]、<br>[[w:アッリアノス|アッリアーノス]]、<br>[[w:パウサニアス|パウサーニアース]]、<br>[[w:ルキアノス|ルーキアーノス]] | style="font-size:8pt;" |[[w:アテナイオス|アテーナイオス]]、<br> |- | style="font-size:9pt;" |司馬遷『史記』 | | style="font-size:9pt;" |班固『漢書』 | | style="font-size:9pt;" |陳寿『三国志』、<br>『マハーバーラタ』 |} == 古ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/古ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前290頃 | |<small>ギリシアの喜劇作家[[w:メナンドロス (作家)|メナンドロス]]が没す</small> |- |前284 |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]がこの頃生まれたとされる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前280 | |[[w:ピュロス戦争|ピュロス戦争]](~275) |- |前270 |叙事詩人[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |<small>ギリシアの哲学者[[w:エピクロス|エピクロス]]が没す</small> |- |前264 | |[[w:第一次ポエニ戦争|第一次ポエニ戦役]](~241) |- |前254頃 |ローマ喜劇最大の作家[[w:プラウトゥス|プラウトゥス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前250年 </ref> | |- |前240 | style="background-color:#ffdede;" |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]が最初の悲劇を上演 | |- |前239 |「ラテン詩の父」[[w:エンニウス|エンニウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前235 | style="background-color:#ffdede;" |ローマ国民叙事詩の創始者[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が『ポエニ戦争』の創作開始 | |- |前234 |「ラテン散文の父」[[w:マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|大カトー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前219 |喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前218 | |[[w:第二次ポエニ戦争|第二次ポエニ戦役]](~202)<br><small>前218 [[w:ハンニバルのアルプス越え|ハンニバルのアルプス越え]]<br>前216 [[w:カンナエの戦い|カンナエの戦い]]<br>前202 [[w:ザマの戦い|ザマの戦い]]</small> |- |前215 | |<small>『[[w:アルゴナウティカ|アルゴナウティカ]]』の著者<br>[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]がこの頃没す</small> |- |前212 | |<small>ギリシアの数学者[[w:アルキメデス|アルキメデス]]が没す</small> |- |前210 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最初の喜劇が上演される | |- |前208頃 | |<small>ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]が生まれる</small><ref>[[#高津 (1967)]]では前200年 </ref> |- |前205-4 |この頃、「ラテン文学の父」リーウィウス・アンドロニークスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前204年 </ref> | |- |前201 |この頃、ナエウィウスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前201年以後 </ref> |<small>ギリシア語でローマ史を著した、<br>[[w:クィントゥス・ファビウス・ピクトル|ファビウス・ピクトル]]が没す</small> |- |前195か<br>前185 |プラウトゥスに次ぐ喜劇作家[[w:プビリウス・テレンティウス・アフェル|テレンティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前195年 </ref> | |- |前194頃 | |<small>ギリシア人学者[[w:エラトステネス|エラトステネース]]が没す</small> |- |前186 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最後の喜劇が上演される | |- |前184 |プラウトゥスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |前184-182 大カトーが監察官 |- |前180 |風刺詩の創始者ルーキーリウスが生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前170 |悲劇詩人アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前169 |エンニウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前168 | |<small>[[w:ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]でローマが[[w:アンティゴノス朝|マケドニア]]を破る。<br> ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]らがローマへ連行される(167~151)</small><ref>[[#高津 (1967)]]</ref> |- | rowspan="2" |前166 | この頃、喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前168年没 </ref> | |- | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最初の喜劇上演 『アンドロス(島)の女』 [[w:la:Andria (Terentius)|Andria]] | |- |前161 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの喜劇上演 『宦官』 [[w:la:Eunuchus (Terentius)|Eunuchus]] | |- |前160 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最後の喜劇上演 『兄弟』 [[w:la:Adelphoe|Adelphoe]] | |- |前159 |テレンティウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前149 |大カトーが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |[[w:第三次ポエニ戦争|第三次ポエニ戦役]]勃発(~146) |- ! colspan="3" |共和制末期の[[w:内乱の一世紀|内乱時代]]が始まる |- |前133 | |[[w:グラックス兄弟|グラックス兄弟]](兄)の改革頓挫 |- | rowspan="2" |前130頃 |この頃、悲劇作家パークウィウス [[w:la:Marcus Pacuvius|Pacuvius]] が没す | |- | style="background-color:#ffdede;" |ルーキーリウスが『風刺詩』で風刺詩を創始 | |- |前125頃 | |『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の著者ポリュビオスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前120年 </ref> |- |前123 | |グラックス兄弟(弟)の改革頓挫 |- |前116 |ローマの大学者[[w:マルクス・テレンティウス・ウァロ|ウァッロー(ワロ)]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前113 | |[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](~101) |- |前112 | |[[w:ユグルタ戦争|ユグルタ戦争]](~106) |- |前107 | |[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]が執政官 |- |前106 |ラテン散文の完成者・模範とされる[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前102頃 |ルーキーリウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前100 |キケローと並びラテン散文の模範とされる[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前102年 </ref> | |- |前99? |哲学的叙事詩人[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref><br>伝記作家[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前91 | |[[w:同盟市戦争|同盟市戦争]](~88) |- |前88 | |[[w:第一次ミトリダテス戦争|第一次ミトリダテス戦役]](~85) |- |前87 | |マリウスと[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の内戦勃発 |- | rowspan="2" |前86 |政治家・歴史家[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |マリウスが没す |- |この頃、悲劇作家アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前84頃 |抒情詩人[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前82 | |[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]が独裁官 |- |前79 | |独裁官スッラが没す |- | | | |} == 黄金期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/黄金期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" | 黄金期前半:キケローの時代 |- |前76 | | style="font-size:9pt;" |キケローが[[w:クァエストル|財務官]] |- |前73 | | style="font-size:9pt;" |[[w:第三次奴隷戦争|スパルタクスの反乱]](~71) |- |前71 | | style="font-size:9pt;" |[[w:スパルタクス|スパルタクス]]の集団が鎮圧される |- | rowspan="2" |前70 |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が生まれる | rowspan="2" style="font-size:9pt; vertical-align:bottom;" |[[w:アエディリス|按察官]]キケローがウェッレースを弾劾 |- | style="background-color:khaki;" |キケロー『ウェッレース弾劾演説』 [[w:la:Orationes Verrinae|In Verrem]] <ref>[[s:la:In Verrem]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> |- |前65 |ラテン文学黄金期の抒情詩人 [[w:ホラティウス|ホラーティウス]] が生まれる | |- |前65-60頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]の哲学的叙事詩『物の本質について』 [[w:la:De rerum natura (Lucretius)|De rerum natura]] <ref>[[s:la:De rerum natura (Titus Lucretius Carus)]] ([[s:la:Scriptor:Titus Lucretius Carus|Lucretius]])</ref> | |- |前63 | style="background-color:khaki;" |キケロー『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリーナ弾劾演説]]』 [[w:la:In Catilinam|In Catilinam]] <ref>[[s:la:In L. Catilinam orationes]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |[[w:執政官|執政官]]キケローが[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|カティリーナ]]を弾劾 |- |前61-54頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]『詩集』 [[s:la:Carmina (Catullus)|Carmina]] <ref>[[s:la:Liber Catulli]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Valerius Catullus|Catullus]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前60 | | style="font-size:8pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]・[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]が<br>非公式な協定を結ぶ([[w:三頭政治|三頭政治]]) |- |前59頃? |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が生まれる |59 カエサルが執政官 |- |前58-50 | | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ガリア戦争|ガリア遠征]](~50) |- | rowspan="2" |前55 | style="background-color:khaki;" |キケロー『弁論家について』 [[w:la:De oratore|De oratore]] <ref>[[s:la:De oratore]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |哲学的叙事詩人 ルクレーティウスが没す | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前54 | style="background-color:khaki;" |この頃(54-51頃)、キケロー『国家について』 [[w:la:De re publica (Cicero)|De re publica]] <ref>[[s:la:De re publica]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |抒情詩人 カトゥッルスが没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が生まれる<br>この頃、白銀期の修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前52 | style="background-color:khaki;" |この頃(52-51頃)、キケロー『法律について』 [[w:la:De legibus (Cicero)|De legibus]] <ref>[[s:la:De legibus]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]<br>([[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]])の反乱を平定 |- |前51頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[ガリア戦記]]'''』 [[w:la:De bello Gallico|Commentarii de bello Gallico]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello Gallico]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前50 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前49-45 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|カエサルとポンペイウス・門閥派の内戦]] |- |前48 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[内乱記]]'''』 [[w:la:De bello civili|Commentarii de bello civili]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello civili]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ファルサルスの戦い|パルサルスの戦い]]で[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]を破る。<br>ポンペイウスがエジプトで殺害される。 |- | rowspan="2" |前44 | style="background-color:khaki;" |キケロー『義務について』 [[w:la:De officiis|De officiis]] <ref>[[s:la:De officiis]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref>、<br>キケロー『友情について』 [[w:la:Laelius de amicitia|Laelius de amicitia]] <ref>[[s:la:Laelius de Amicitia]] (Cicero)</ref>、<br>キケロー『老年について』 [[w:la:Cato maior de senectute|Cato maior de senectute]] <ref>[[s:la:Cato Maior de Senectute]] (Cicero)</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]がブルートゥスらによって殺害される。 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が共和派によって暗殺される。 |- ! colspan="3" | 黄金期後半:アウグストゥスの時代(''[[w:en:Augustan literature (ancient Rome)|Augustan literature]]'' ) |- | rowspan="3" |前43 |キケローがアントニウスによって暗殺される | rowspan="2" style="font-size:9pt;" | |- |ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] が生まれる |- | style="background-color:khaki;" |43-40頃、[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]『カティリーナの陰謀』 [[w:la:Catilinae coniuratio (Sallustius)|Catilinae coniuratio]] <ref>[[s:la:De Catilinae coniuratione]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前41/40 | style="background-color:khaki;" |この頃(41-35)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『諷刺詩』 [[w:la:Sermones (Horatius)|Sermones (Saturae)]] <ref>[[s:la:Sermones (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前40 | style="background-color:khaki;" |この頃、サッルスティウス『ユグルタ戦記』''[[w:en:Bellum Jugurthinum|Bellum Jugurthinum]]'' <ref>[[s:la:Bellum Iugurthinum]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前39 | style="background-color:khaki;" |この頃(42-39頃)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:牧歌 (ウェルギリウス)|牧歌]] (詩選)』 [[w:la:Bucolica|Bucolica]] (Eclogae) <ref>[[s:la:Eclogae vel bucolica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前37 | style="background-color:khaki;" |[[w:マルクス・テレンティウス・ウァッロ|ウァッロー(ワロ)]]『農業論』 [[w:la:De re rustica (Varro)|De re rustica]] <ref>[[s:la:Rerum rusticarum]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Terentius Varro|Varro]]</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前34(?) | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]『著名人伝記集』 ''[[w:en:Cornelius_Nepos#De_viris_illustribus|De viris illustribus]]'' <ref>[[s:la:De viris illustribus (Cornelius Nepos)]] ([[s:la:Scriptor:Cornelius Nepos|Cornelius Nepos]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前31 | | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]が[[w:アクティウムの海戦|アクティウムの海戦]]<br>([[w:la:Bellum Actiacum|Bellum Actiacum]])に勝利。 |- |前30 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アントニウス|アントニウス]]と[[w:クレオパトラ7世|クレオパトラ7世]]が自決。<br>[[w:プトレマイオス朝|プトレマイオス朝]]の滅亡。 |- |前29 | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:農耕詩|農事詩]]』 [[w:la:Georgica|Georgica]] <ref>[[s:la:Georgica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref>、<br>この頃、ウェルギリウスが『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』の執筆に着手。 | style="font-size:9pt;" | |- |前27 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』の執筆に着手(27-9) | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]がローマ国家の実権を掌握、<br>[[w:アウグストゥス (称号)|アウグストゥス]]の称号を贈られる。 |- |前25 |この頃、白銀期の百科事典編纂者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前23 | style="background-color:khaki;" |[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『歌章』 [[w:la:Carmina (Horatius)|Carmina]] ''([[w:en:Odes (Horace)|Odes]])'' <ref>[[s:la:Carmina (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前19 | style="background-color:khaki;" |この頃(29-19)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』(未完) [[w:la:Aeneis|Aeneis]] <ref>[[s:la:Aeneis]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> |- |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が没す<br>この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が没す<br>この頃、寓話作家 パエドルス が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前13 | style="background-color:khaki;" |この頃(24-13)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『書簡詩』 [[w:la:Epistulae (Horatius)|Epistulae]] <ref>[[s:la:Epistulae (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前9 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』 [[w:la:Ab urbe condita libri|Ab urbe condita]] <ref>[[s:la:Ab Urbe Condita]] ([[s:la:Scriptor:Titus Livius|Livius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |後8 |[[w:オウィディウス|オウィディウス]] が[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の命で[[w:黒海|黒海]]沿岸のトミスに流刑となる | style="font-size:9pt;" | |- |後14 |ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 |- |後17 |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が没す<br>ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] がこの頃(17/18)没す | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 白銀期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/白銀期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前54 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前25 |この頃、百科事典編纂者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] [[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前19 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |この頃、寓話作家 パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期前期:ティベリウス帝からトラヤヌス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#From Tiberius to Trajan|From Tiberius to Trajan]]'') |- |後14 |(ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御) | style="font-size:9pt;" |第2代[[w:ティベリウス|ティベリウス帝]]の治世(14-37) |- |後23 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後28 |この頃、抒情詩人[[w:シリウス・イタリクス|シーリウス・イータリクス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後31 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後34 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後39 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後37 | | style="font-size:9pt;" |第3代[[w:カリグラ|カリグラ帝]]の在位(37-41) |- |後41 | | style="font-size:9pt;" |第4代[[w:クラウディウス|クラウディウス帝]]の在位(41-54) |- |後43 | style="font-size:9pt;" style="background-color:#e3e3e3;" |ポンポーニウス・メラ『世界地誌』<br> [[w:la:De situ orbis (Pomponius Mela)|"De situ orbis" vel " De chorographia"]] | style="font-size:9pt;" | |- |後45 |地理学者ポンポーニウス・メラ [[w:la:Pomponius Mela|Pomponius Mela]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後50 |この頃、百科事典編纂者[[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] [[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] が没す<br>この頃、寓話作家パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後54 | | style="font-size:9pt;" |第5代[[w:ネロ|ネロ帝]]の在位(54-68) |- |後62 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後68 | | style="font-size:9pt;" |ネロが自決。<br>[[w:ローマ内戦 (68年-70年)|ローマ内戦]]勃発。[[w:ガルバ|ガルバ帝]] |- |後69 | | style="font-size:9pt;" |「四皇帝の年」ガルバ帝・[[w:オト|オト帝]]・[[w:アウルス・ウィテッリウス|ウィテッリウス帝]]・<br>'''[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]''' [[w:ウェスパシアヌス|ウェスパシアヌス帝]]の在位(69-79) |- |後70 |この頃、農学者コルメッラ [[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Columella]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後79 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が没す | style="font-size:9pt;" |第10代[[w:ティトゥス|ティトゥス帝]]の在位(79-81) |- |後81 | | style="font-size:9pt;" |第11代[[w:ドミティアヌス|ドミティアヌス帝]]の在位(81-96) |- |後96 | | style="font-size:9pt;" |[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]の断絶<br>第12代[[w:ネルウァ|ネルウァ帝]]の治世(96-98)「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最初 |- |後98 | | style="font-size:9pt;" |第13代[[w:トラヤヌス|トラヤヌス帝]]の治世(98-117) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期後期:マルクス・アウレリウス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD|Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD]]'') |- |117 | | style="font-size:9pt;" |第14代[[w:ハドリアヌス|ハドリアヌス帝]]の治世(117-138) |- |138 | | style="font-size:9pt;" |第15代[[w:アントニヌス・ピウス|アントニヌス・ピウス帝]]の治世(138-161) |- |161 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の治世(161-180)<br>[[w:ルキウス・ウェルス|ウェルス帝]]との共同統治(161-169) |- |177 | | style="font-size:9pt;" |[[w:コンモドゥス|コンモドゥス帝]]とマルクス・アウレリウス帝の共同統治(177-180) |- |180 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の崩御(「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最後) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 後期ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/後期ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |192 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (192年-197年)|ローマ内戦]](192-197) |- |193 | | style="font-size:9pt;" |「五皇帝の年」 [[w:セウェルス朝|セウェルス朝]](193-235) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 中世ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/中世ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 脚 注 == <references /> == 参考文献 == *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学事典''' |ref=集英社 (2002)}} *:(『世界文学事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、2002年2月、<nowiki>ISBN 4-08-143007-1</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学大事典''' |ref=集英社 (1997)}} *:(『世界文学大事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、全6巻) *# 第1巻 人名 ア~クリメ (1996年10月、<nowiki>ISBN 4-08-143001-2</nowiki>) *# 第2巻 人名 クリヤ~チ (1997年1月、<nowiki>ISBN 4-08-143002-0</nowiki>) *# 第3巻 人名 ツ~ヘメ  (1997年4月、<nowiki>ISBN 4-08-143003-9</nowiki>) *# 第4巻 人名 ヘヤ~ン (1997年7月、<nowiki>ISBN 4-08-143004-7</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''増補改訂 新潮世界文学辞典'''|ref=新潮社 (1990)}} *:(新潮社辞典編集部 編、[[w:新潮社|新潮社]]、1990年4月、<nowiki>ISBN 4-10-730209-1</nowiki>) *: *{{Cite book |和書 |title='''ギリシア・ローマの文学''' |ref=高津 (1967)}} *:([[w:高津春繁|高津春繁]] 著、[[w:明治書院|明治書院]]「世界の文学史 1」、1967年3月) *:巻末の「ギリシア・ローマ文学年表」を参考にした。 == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン文学]]'''</span> *[[ラテン語学習モジュール]] **<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン語の時代区分]]'''</span> *'''[[ラテン文学の作家と著作]]''' **'''[[ラテン文学の作家と著作/原文リソース|/原文リソース]]''' **[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧|/邦訳書の一覧]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/電子書籍|/電子書籍]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/邦訳者の一覧|/邦訳者の一覧]] == 外部リンク == ;コトバンク *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6-147454 ラテン文学(ラテンぶんがく)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614696 ラテン文学史(年表)(らてんぶんがくしねんぴょう)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614703 ローマ史(年表)(ろーましねんぴょう)とは - コトバンク] [[Category:ラテン文学|年表]] [[Category:ラテン語の時代区分|年表]] [[Category:ラテン語学習モジュール|文学]] 9fr02k52zlo7qgajqdkhf6zrs7gc9z0 263573 263570 2024-11-16T07:51:09Z Linguae 449 /* 白銀期の年表 */ +ウァレリウス・マクシムス 263573 wikitext text/x-wiki == はじめに == '''ローマ文学''' (古典古代・古代ローマ時代のラテン文学) '''の年表'''。 {| class="wikitable" |+ ローマ文学の時代区分 |- | style="text-align:center;" rowspan="2" |区 分 ! style="width:8em; background-color:lightsalmon;" rowspan="2" | [[w:古ラテン語|古ラテン語]] ! style="width:24em; background-color:yellow;" colspan="3" | [[w:古典ラテン語|古典ラテン語]] ! style="width:8em; background-color:yellowgreen;" rowspan="2" colspan="2" | <small>後期ラテン語</small> |- ! style="width:9em; background-color:gold;" colspan="1" | 黄金期 ! style="width:14em; background-color:silver;" colspan="1" colspan="2" | 白銀期 |- !ローマ時代区分 |ローマ共和制中期<br>(前240頃~75頃) |<small>共和制末期~帝制初期</small><br>(前75頃~後17) | style="text-align:center;" colspan="2" |帝制前期<br>(後17~2世紀頃) | style="text-align:center;" |帝制後期以降<br>(後2世紀以降) |- !代表的な作家 |プラウトゥス、<br>テレンティウス |キケロー、<br>カエサル、<br>ウェルギリウス、<br>ホラーティウス、<br>オウィディウス、<br >リーウィウス |セネカ、<br>プリーニウス、<br>タキトゥス<br> |スエートーニウス、<br>アープレーイウス |アンブロシウス<br>アウグスティーヌス |- ! rowspan="3" |同時代の<br>作家・著作 !ヘレニズム期 ! colspan="4" |ローマ帝制期 |- | style="font-size:8pt;" |[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]、<br>[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、<br>ストラボーン | style="font-size:8pt;" |[[w:プルタルコス|プルータルコス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:アッピアノス|アッピアーノス]]、<br>[[w:アッリアノス|アッリアーノス]]、<br>[[w:パウサニアス|パウサーニアース]]、<br>[[w:ルキアノス|ルーキアーノス]] | style="font-size:8pt;" |[[w:アテナイオス|アテーナイオス]]、<br> |- | style="font-size:9pt;" |司馬遷『史記』 | | style="font-size:9pt;" |班固『漢書』 | | style="font-size:9pt;" |陳寿『三国志』、<br>『マハーバーラタ』 |} == 古ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/古ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前290頃 | |<small>ギリシアの喜劇作家[[w:メナンドロス (作家)|メナンドロス]]が没す</small> |- |前284 |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]がこの頃生まれたとされる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前280 | |[[w:ピュロス戦争|ピュロス戦争]](~275) |- |前270 |叙事詩人[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |<small>ギリシアの哲学者[[w:エピクロス|エピクロス]]が没す</small> |- |前264 | |[[w:第一次ポエニ戦争|第一次ポエニ戦役]](~241) |- |前254頃 |ローマ喜劇最大の作家[[w:プラウトゥス|プラウトゥス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前250年 </ref> | |- |前240 | style="background-color:#ffdede;" |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]が最初の悲劇を上演 | |- |前239 |「ラテン詩の父」[[w:エンニウス|エンニウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前235 | style="background-color:#ffdede;" |ローマ国民叙事詩の創始者[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が『ポエニ戦争』の創作開始 | |- |前234 |「ラテン散文の父」[[w:マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|大カトー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前219 |喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前218 | |[[w:第二次ポエニ戦争|第二次ポエニ戦役]](~202)<br><small>前218 [[w:ハンニバルのアルプス越え|ハンニバルのアルプス越え]]<br>前216 [[w:カンナエの戦い|カンナエの戦い]]<br>前202 [[w:ザマの戦い|ザマの戦い]]</small> |- |前215 | |<small>『[[w:アルゴナウティカ|アルゴナウティカ]]』の著者<br>[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]がこの頃没す</small> |- |前212 | |<small>ギリシアの数学者[[w:アルキメデス|アルキメデス]]が没す</small> |- |前210 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最初の喜劇が上演される | |- |前208頃 | |<small>ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]が生まれる</small><ref>[[#高津 (1967)]]では前200年 </ref> |- |前205-4 |この頃、「ラテン文学の父」リーウィウス・アンドロニークスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前204年 </ref> | |- |前201 |この頃、ナエウィウスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前201年以後 </ref> |<small>ギリシア語でローマ史を著した、<br>[[w:クィントゥス・ファビウス・ピクトル|ファビウス・ピクトル]]が没す</small> |- |前195か<br>前185 |プラウトゥスに次ぐ喜劇作家[[w:プビリウス・テレンティウス・アフェル|テレンティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前195年 </ref> | |- |前194頃 | |<small>ギリシア人学者[[w:エラトステネス|エラトステネース]]が没す</small> |- |前186 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最後の喜劇が上演される | |- |前184 |プラウトゥスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |前184-182 大カトーが監察官 |- |前180 |風刺詩の創始者ルーキーリウスが生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前170 |悲劇詩人アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前169 |エンニウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前168 | |<small>[[w:ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]でローマが[[w:アンティゴノス朝|マケドニア]]を破る。<br> ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]らがローマへ連行される(167~151)</small><ref>[[#高津 (1967)]]</ref> |- | rowspan="2" |前166 | この頃、喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前168年没 </ref> | |- | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最初の喜劇上演 『アンドロス(島)の女』 [[w:la:Andria (Terentius)|Andria]] | |- |前161 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの喜劇上演 『宦官』 [[w:la:Eunuchus (Terentius)|Eunuchus]] | |- |前160 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最後の喜劇上演 『兄弟』 [[w:la:Adelphoe|Adelphoe]] | |- |前159 |テレンティウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前149 |大カトーが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |[[w:第三次ポエニ戦争|第三次ポエニ戦役]]勃発(~146) |- ! colspan="3" |共和制末期の[[w:内乱の一世紀|内乱時代]]が始まる |- |前133 | |[[w:グラックス兄弟|グラックス兄弟]](兄)の改革頓挫 |- | rowspan="2" |前130頃 |この頃、悲劇作家パークウィウス [[w:la:Marcus Pacuvius|Pacuvius]] が没す | |- | style="background-color:#ffdede;" |ルーキーリウスが『風刺詩』で風刺詩を創始 | |- |前125頃 | |『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の著者ポリュビオスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前120年 </ref> |- |前123 | |グラックス兄弟(弟)の改革頓挫 |- |前116 |ローマの大学者[[w:マルクス・テレンティウス・ウァロ|ウァッロー(ワロ)]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前113 | |[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](~101) |- |前112 | |[[w:ユグルタ戦争|ユグルタ戦争]](~106) |- |前107 | |[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]が執政官 |- |前106 |ラテン散文の完成者・模範とされる[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前102頃 |ルーキーリウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前100 |キケローと並びラテン散文の模範とされる[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前102年 </ref> | |- |前99? |哲学的叙事詩人[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref><br>伝記作家[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前91 | |[[w:同盟市戦争|同盟市戦争]](~88) |- |前88 | |[[w:第一次ミトリダテス戦争|第一次ミトリダテス戦役]](~85) |- |前87 | |マリウスと[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の内戦勃発 |- | rowspan="2" |前86 |政治家・歴史家[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |マリウスが没す |- |この頃、悲劇作家アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前84頃 |抒情詩人[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前82 | |[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]が独裁官 |- |前79 | |独裁官スッラが没す |- | | | |} == 黄金期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/黄金期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" | 黄金期前半:キケローの時代 |- |前76 | | style="font-size:9pt;" |キケローが[[w:クァエストル|財務官]] |- |前73 | | style="font-size:9pt;" |[[w:第三次奴隷戦争|スパルタクスの反乱]](~71) |- |前71 | | style="font-size:9pt;" |[[w:スパルタクス|スパルタクス]]の集団が鎮圧される |- | rowspan="2" |前70 |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が生まれる | rowspan="2" style="font-size:9pt; vertical-align:bottom;" |[[w:アエディリス|按察官]]キケローがウェッレースを弾劾 |- | style="background-color:khaki;" |キケロー『ウェッレース弾劾演説』 [[w:la:Orationes Verrinae|In Verrem]] <ref>[[s:la:In Verrem]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> |- |前65 |ラテン文学黄金期の抒情詩人 [[w:ホラティウス|ホラーティウス]] が生まれる | |- |前65-60頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]の哲学的叙事詩『物の本質について』 [[w:la:De rerum natura (Lucretius)|De rerum natura]] <ref>[[s:la:De rerum natura (Titus Lucretius Carus)]] ([[s:la:Scriptor:Titus Lucretius Carus|Lucretius]])</ref> | |- |前63 | style="background-color:khaki;" |キケロー『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリーナ弾劾演説]]』 [[w:la:In Catilinam|In Catilinam]] <ref>[[s:la:In L. Catilinam orationes]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |[[w:執政官|執政官]]キケローが[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|カティリーナ]]を弾劾 |- |前61-54頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]『詩集』 [[s:la:Carmina (Catullus)|Carmina]] <ref>[[s:la:Liber Catulli]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Valerius Catullus|Catullus]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前60 | | style="font-size:8pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]・[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]が<br>非公式な協定を結ぶ([[w:三頭政治|三頭政治]]) |- |前59頃? |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が生まれる |59 カエサルが執政官 |- |前58-50 | | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ガリア戦争|ガリア遠征]](~50) |- | rowspan="2" |前55 | style="background-color:khaki;" |キケロー『弁論家について』 [[w:la:De oratore|De oratore]] <ref>[[s:la:De oratore]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |哲学的叙事詩人 ルクレーティウスが没す | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前54 | style="background-color:khaki;" |この頃(54-51頃)、キケロー『国家について』 [[w:la:De re publica (Cicero)|De re publica]] <ref>[[s:la:De re publica]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |抒情詩人 カトゥッルスが没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が生まれる<br>この頃、白銀期の修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前52 | style="background-color:khaki;" |この頃(52-51頃)、キケロー『法律について』 [[w:la:De legibus (Cicero)|De legibus]] <ref>[[s:la:De legibus]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]<br>([[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]])の反乱を平定 |- |前51頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[ガリア戦記]]'''』 [[w:la:De bello Gallico|Commentarii de bello Gallico]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello Gallico]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前50 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前49-45 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|カエサルとポンペイウス・門閥派の内戦]] |- |前48 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[内乱記]]'''』 [[w:la:De bello civili|Commentarii de bello civili]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello civili]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ファルサルスの戦い|パルサルスの戦い]]で[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]を破る。<br>ポンペイウスがエジプトで殺害される。 |- | rowspan="2" |前44 | style="background-color:khaki;" |キケロー『義務について』 [[w:la:De officiis|De officiis]] <ref>[[s:la:De officiis]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref>、<br>キケロー『友情について』 [[w:la:Laelius de amicitia|Laelius de amicitia]] <ref>[[s:la:Laelius de Amicitia]] (Cicero)</ref>、<br>キケロー『老年について』 [[w:la:Cato maior de senectute|Cato maior de senectute]] <ref>[[s:la:Cato Maior de Senectute]] (Cicero)</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]がブルートゥスらによって殺害される。 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が共和派によって暗殺される。 |- ! colspan="3" | 黄金期後半:アウグストゥスの時代(''[[w:en:Augustan literature (ancient Rome)|Augustan literature]]'' ) |- | rowspan="3" |前43 |キケローがアントニウスによって暗殺される | rowspan="2" style="font-size:9pt;" | |- |ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] が生まれる |- | style="background-color:khaki;" |43-40頃、[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]『カティリーナの陰謀』 [[w:la:Catilinae coniuratio (Sallustius)|Catilinae coniuratio]] <ref>[[s:la:De Catilinae coniuratione]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前41/40 | style="background-color:khaki;" |この頃(41-35)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『諷刺詩』 [[w:la:Sermones (Horatius)|Sermones (Saturae)]] <ref>[[s:la:Sermones (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前40 | style="background-color:khaki;" |この頃、サッルスティウス『ユグルタ戦記』''[[w:en:Bellum Jugurthinum|Bellum Jugurthinum]]'' <ref>[[s:la:Bellum Iugurthinum]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前39 | style="background-color:khaki;" |この頃(42-39頃)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:牧歌 (ウェルギリウス)|牧歌]] (詩選)』 [[w:la:Bucolica|Bucolica]] (Eclogae) <ref>[[s:la:Eclogae vel bucolica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前37 | style="background-color:khaki;" |[[w:マルクス・テレンティウス・ウァッロ|ウァッロー(ワロ)]]『農業論』 [[w:la:De re rustica (Varro)|De re rustica]] <ref>[[s:la:Rerum rusticarum]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Terentius Varro|Varro]]</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前34(?) | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]『著名人伝記集』 ''[[w:en:Cornelius_Nepos#De_viris_illustribus|De viris illustribus]]'' <ref>[[s:la:De viris illustribus (Cornelius Nepos)]] ([[s:la:Scriptor:Cornelius Nepos|Cornelius Nepos]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前31 | | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]が[[w:アクティウムの海戦|アクティウムの海戦]]<br>([[w:la:Bellum Actiacum|Bellum Actiacum]])に勝利。 |- |前30 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アントニウス|アントニウス]]と[[w:クレオパトラ7世|クレオパトラ7世]]が自決。<br>[[w:プトレマイオス朝|プトレマイオス朝]]の滅亡。 |- |前29 | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:農耕詩|農事詩]]』 [[w:la:Georgica|Georgica]] <ref>[[s:la:Georgica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref>、<br>この頃、ウェルギリウスが『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』の執筆に着手。 | style="font-size:9pt;" | |- |前27 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』の執筆に着手(27-9) | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]がローマ国家の実権を掌握、<br>[[w:アウグストゥス (称号)|アウグストゥス]]の称号を贈られる。 |- |前25 |この頃、白銀期の百科事典編纂者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前23 | style="background-color:khaki;" |[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『歌章』 [[w:la:Carmina (Horatius)|Carmina]] ''([[w:en:Odes (Horace)|Odes]])'' <ref>[[s:la:Carmina (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前19 | style="background-color:khaki;" |この頃(29-19)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』(未完) [[w:la:Aeneis|Aeneis]] <ref>[[s:la:Aeneis]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> |- |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が没す<br>この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が没す<br>この頃、寓話作家 パエドルス が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前13 | style="background-color:khaki;" |この頃(24-13)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『書簡詩』 [[w:la:Epistulae (Horatius)|Epistulae]] <ref>[[s:la:Epistulae (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前9 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』 [[w:la:Ab urbe condita libri|Ab urbe condita]] <ref>[[s:la:Ab Urbe Condita]] ([[s:la:Scriptor:Titus Livius|Livius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |後8 |[[w:オウィディウス|オウィディウス]] が[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の命で[[w:黒海|黒海]]沿岸のトミスに流刑となる | style="font-size:9pt;" | |- |後14 |ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 |- |後17 |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が没す<br>ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] がこの頃(17/18)没す | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 白銀期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/白銀期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前54 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前25 |この頃、百科事典編纂者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] [[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前19 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |この頃、寓話作家 パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期前期:ティベリウス帝からトラヤヌス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#From Tiberius to Trajan|From Tiberius to Trajan]]'') |- |後14 |(ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御) | style="font-size:9pt;" |第2代[[w:ティベリウス|ティベリウス帝]]の治世(14-37) |- |後23 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後28 |この頃、抒情詩人[[w:シリウス・イタリクス|シーリウス・イータリクス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |後31 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- | style="font-size:9pt;" style="background-color:#e3e3e3;" |この頃(31-37)、説話作家[[w:ウァレリウス・マクシムス|ウァレリウス・マクシムス]]<br>『有名言行録』[[w:la:Factorum et dictorum memorabilium libri IX|Factorum et dictorum memorabilium]] | style="font-size:9pt;" | |- |後34 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後39 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後37 | | style="font-size:9pt;" |第3代[[w:カリグラ|カリグラ帝]]の在位(37-41) |- |後41 | | style="font-size:9pt;" |第4代[[w:クラウディウス|クラウディウス帝]]の在位(41-54) |- |後43 | style="font-size:9pt;" style="background-color:#e3e3e3;" |ポンポーニウス・メラ『世界地誌』<br> [[w:la:De situ orbis (Pomponius Mela)|"De situ orbis" vel " De chorographia"]] | style="font-size:9pt;" | |- |後45 |地理学者ポンポーニウス・メラ [[w:la:Pomponius Mela|Pomponius Mela]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後50 |この頃、百科事典編纂者[[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] [[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] が没す<br>この頃、寓話作家パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後54 | | style="font-size:9pt;" |第5代[[w:ネロ|ネロ帝]]の在位(54-68) |- |後62 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後68 | | style="font-size:9pt;" |ネロが自決。<br>[[w:ローマ内戦 (68年-70年)|ローマ内戦]]勃発。[[w:ガルバ|ガルバ帝]] |- |後69 | | style="font-size:9pt;" |「四皇帝の年」ガルバ帝・[[w:オト|オト帝]]・[[w:アウルス・ウィテッリウス|ウィテッリウス帝]]・<br>'''[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]''' [[w:ウェスパシアヌス|ウェスパシアヌス帝]]の在位(69-79) |- |後70 |この頃、農学者コルメッラ [[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Columella]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後79 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が没す | style="font-size:9pt;" |第10代[[w:ティトゥス|ティトゥス帝]]の在位(79-81) |- |後81 | | style="font-size:9pt;" |第11代[[w:ドミティアヌス|ドミティアヌス帝]]の在位(81-96) |- |後96 | | style="font-size:9pt;" |[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]の断絶<br>第12代[[w:ネルウァ|ネルウァ帝]]の治世(96-98)「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最初 |- |後98 | | style="font-size:9pt;" |第13代[[w:トラヤヌス|トラヤヌス帝]]の治世(98-117) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期後期:マルクス・アウレリウス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD|Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD]]'') |- |117 | | style="font-size:9pt;" |第14代[[w:ハドリアヌス|ハドリアヌス帝]]の治世(117-138) |- |138 | | style="font-size:9pt;" |第15代[[w:アントニヌス・ピウス|アントニヌス・ピウス帝]]の治世(138-161) |- |161 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の治世(161-180)<br>[[w:ルキウス・ウェルス|ウェルス帝]]との共同統治(161-169) |- |177 | | style="font-size:9pt;" |[[w:コンモドゥス|コンモドゥス帝]]とマルクス・アウレリウス帝の共同統治(177-180) |- |180 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の崩御(「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最後) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 後期ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/後期ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |192 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (192年-197年)|ローマ内戦]](192-197) |- |193 | | style="font-size:9pt;" |「五皇帝の年」 [[w:セウェルス朝|セウェルス朝]](193-235) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 中世ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/中世ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 脚 注 == <references /> == 参考文献 == *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学事典''' |ref=集英社 (2002)}} *:(『世界文学事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、2002年2月、<nowiki>ISBN 4-08-143007-1</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学大事典''' |ref=集英社 (1997)}} *:(『世界文学大事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、全6巻) *# 第1巻 人名 ア~クリメ (1996年10月、<nowiki>ISBN 4-08-143001-2</nowiki>) *# 第2巻 人名 クリヤ~チ (1997年1月、<nowiki>ISBN 4-08-143002-0</nowiki>) *# 第3巻 人名 ツ~ヘメ  (1997年4月、<nowiki>ISBN 4-08-143003-9</nowiki>) *# 第4巻 人名 ヘヤ~ン (1997年7月、<nowiki>ISBN 4-08-143004-7</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''増補改訂 新潮世界文学辞典'''|ref=新潮社 (1990)}} *:(新潮社辞典編集部 編、[[w:新潮社|新潮社]]、1990年4月、<nowiki>ISBN 4-10-730209-1</nowiki>) *: *{{Cite book |和書 |title='''ギリシア・ローマの文学''' |ref=高津 (1967)}} *:([[w:高津春繁|高津春繁]] 著、[[w:明治書院|明治書院]]「世界の文学史 1」、1967年3月) *:巻末の「ギリシア・ローマ文学年表」を参考にした。 == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン文学]]'''</span> *[[ラテン語学習モジュール]] **<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン語の時代区分]]'''</span> *'''[[ラテン文学の作家と著作]]''' **'''[[ラテン文学の作家と著作/原文リソース|/原文リソース]]''' **[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧|/邦訳書の一覧]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/電子書籍|/電子書籍]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/邦訳者の一覧|/邦訳者の一覧]] == 外部リンク == ;コトバンク *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6-147454 ラテン文学(ラテンぶんがく)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614696 ラテン文学史(年表)(らてんぶんがくしねんぴょう)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614703 ローマ史(年表)(ろーましねんぴょう)とは - コトバンク] [[Category:ラテン文学|年表]] [[Category:ラテン語の時代区分|年表]] [[Category:ラテン語学習モジュール|文学]] gggvotyl49d2oa53bun7w5k0xi375gy 263610 263573 2024-11-16T10:39:52Z Linguae 449 /* 白銀期の年表 */ 加筆 263610 wikitext text/x-wiki == はじめに == '''ローマ文学''' (古典古代・古代ローマ時代のラテン文学) '''の年表'''。 {| class="wikitable" |+ ローマ文学の時代区分 |- | style="text-align:center;" rowspan="2" |区 分 ! style="width:8em; background-color:lightsalmon;" rowspan="2" | [[w:古ラテン語|古ラテン語]] ! style="width:24em; background-color:yellow;" colspan="3" | [[w:古典ラテン語|古典ラテン語]] ! style="width:8em; background-color:yellowgreen;" rowspan="2" colspan="2" | <small>後期ラテン語</small> |- ! style="width:9em; background-color:gold;" colspan="1" | 黄金期 ! style="width:14em; background-color:silver;" colspan="1" colspan="2" | 白銀期 |- !ローマ時代区分 |ローマ共和制中期<br>(前240頃~75頃) |<small>共和制末期~帝制初期</small><br>(前75頃~後17) | style="text-align:center;" colspan="2" |帝制前期<br>(後17~2世紀頃) | style="text-align:center;" |帝制後期以降<br>(後2世紀以降) |- !代表的な作家 |プラウトゥス、<br>テレンティウス |キケロー、<br>カエサル、<br>ウェルギリウス、<br>ホラーティウス、<br>オウィディウス、<br >リーウィウス |セネカ、<br>プリーニウス、<br>タキトゥス<br> |スエートーニウス、<br>アープレーイウス |アンブロシウス<br>アウグスティーヌス |- ! rowspan="3" |同時代の<br>作家・著作 !ヘレニズム期 ! colspan="4" |ローマ帝制期 |- | style="font-size:8pt;" |[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]、<br>[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:シケリアのディオドロス|ディオドロス]]、<br>ストラボーン | style="font-size:8pt;" |[[w:プルタルコス|プルータルコス]]<br> | style="font-size:8pt;" |[[w:アッピアノス|アッピアーノス]]、<br>[[w:アッリアノス|アッリアーノス]]、<br>[[w:パウサニアス|パウサーニアース]]、<br>[[w:ルキアノス|ルーキアーノス]] | style="font-size:8pt;" |[[w:アテナイオス|アテーナイオス]]、<br> |- | style="font-size:9pt;" |司馬遷『史記』 | | style="font-size:9pt;" |班固『漢書』 | | style="font-size:9pt;" |陳寿『三国志』、<br>『マハーバーラタ』 |} == 古ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/古ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前290頃 | |<small>ギリシアの喜劇作家[[w:メナンドロス (作家)|メナンドロス]]が没す</small> |- |前284 |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]がこの頃生まれたとされる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前280 | |[[w:ピュロス戦争|ピュロス戦争]](~275) |- |前270 |叙事詩人[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |<small>ギリシアの哲学者[[w:エピクロス|エピクロス]]が没す</small> |- |前264 | |[[w:第一次ポエニ戦争|第一次ポエニ戦役]](~241) |- |前254頃 |ローマ喜劇最大の作家[[w:プラウトゥス|プラウトゥス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前250年 </ref> | |- |前240 | style="background-color:#ffdede;" |「ラテン文学の父」[[w:ルキウス・リウィウス・アンドロニクス|リーウィウス・アンドロニークス]]が最初の悲劇を上演 | |- |前239 |「ラテン詩の父」[[w:エンニウス|エンニウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前235 | style="background-color:#ffdede;" |ローマ国民叙事詩の創始者[[w:グナエウス・ナエウィウス|ナエウィウス]]が『ポエニ戦争』の創作開始 | |- |前234 |「ラテン散文の父」[[w:マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|大カトー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前219 |喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前218 | |[[w:第二次ポエニ戦争|第二次ポエニ戦役]](~202)<br><small>前218 [[w:ハンニバルのアルプス越え|ハンニバルのアルプス越え]]<br>前216 [[w:カンナエの戦い|カンナエの戦い]]<br>前202 [[w:ザマの戦い|ザマの戦い]]</small> |- |前215 | |<small>『[[w:アルゴナウティカ|アルゴナウティカ]]』の著者<br>[[w:ロドスのアポローニオス|アポローニオス]]がこの頃没す</small> |- |前212 | |<small>ギリシアの数学者[[w:アルキメデス|アルキメデス]]が没す</small> |- |前210 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最初の喜劇が上演される | |- |前208頃 | |<small>ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]が生まれる</small><ref>[[#高津 (1967)]]では前200年 </ref> |- |前205-4 |この頃、「ラテン文学の父」リーウィウス・アンドロニークスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前204年 </ref> | |- |前201 |この頃、ナエウィウスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前201年以後 </ref> |<small>ギリシア語でローマ史を著した、<br>[[w:クィントゥス・ファビウス・ピクトル|ファビウス・ピクトル]]が没す</small> |- |前195か<br>前185 |プラウトゥスに次ぐ喜劇作家[[w:プビリウス・テレンティウス・アフェル|テレンティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前195年 </ref> | |- |前194頃 | |<small>ギリシア人学者[[w:エラトステネス|エラトステネース]]が没す</small> |- |前186 | style="background-color:#ffdede;" |プラウトゥスの最後の喜劇が上演される | |- |前184 |プラウトゥスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |前184-182 大カトーが監察官 |- |前180 |風刺詩の創始者ルーキーリウスが生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前170 |悲劇詩人アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前169 |エンニウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前168 | |<small>[[w:ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]でローマが[[w:アンティゴノス朝|マケドニア]]を破る。<br> ギリシアの史家[[w:ポリュビオス|ポリュビオス]]らがローマへ連行される(167~151)</small><ref>[[#高津 (1967)]]</ref> |- | rowspan="2" |前166 | この頃、喜劇作家カエキリウス・スターティウス [[w:la:Caecilius Statius|Caecilius Statius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前168年没 </ref> | |- | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最初の喜劇上演 『アンドロス(島)の女』 [[w:la:Andria (Terentius)|Andria]] | |- |前161 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの喜劇上演 『宦官』 [[w:la:Eunuchus (Terentius)|Eunuchus]] | |- |前160 | style="background-color:#ffdede;" |テレンティウスの最後の喜劇上演 『兄弟』 [[w:la:Adelphoe|Adelphoe]] | |- |前159 |テレンティウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前149 |大カトーが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |[[w:第三次ポエニ戦争|第三次ポエニ戦役]]勃発(~146) |- ! colspan="3" |共和制末期の[[w:内乱の一世紀|内乱時代]]が始まる |- |前133 | |[[w:グラックス兄弟|グラックス兄弟]](兄)の改革頓挫 |- | rowspan="2" |前130頃 |この頃、悲劇作家パークウィウス [[w:la:Marcus Pacuvius|Pacuvius]] が没す | |- | style="background-color:#ffdede;" |ルーキーリウスが『風刺詩』で風刺詩を創始 | |- |前125頃 | |『[[w:歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の著者ポリュビオスが没す<ref>[[#高津 (1967)]]では前120年 </ref> |- |前123 | |グラックス兄弟(弟)の改革頓挫 |- |前116 |ローマの大学者[[w:マルクス・テレンティウス・ウァロ|ウァッロー(ワロ)]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前113 | |[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ・テウトニ戦争]](~101) |- |前112 | |[[w:ユグルタ戦争|ユグルタ戦争]](~106) |- |前107 | |[[w:ガイウス・マリウス|マリウス]]が執政官 |- |前106 |ラテン散文の完成者・模範とされる[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロー]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前102頃 |ルーキーリウスが没する<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前100 |キケローと並びラテン散文の模範とされる[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]]では前102年 </ref> | |- |前99? |哲学的叙事詩人[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref><br>伝記作家[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]がこの頃生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前91 | |[[w:同盟市戦争|同盟市戦争]](~88) |- |前88 | |[[w:第一次ミトリダテス戦争|第一次ミトリダテス戦役]](~85) |- |前87 | |マリウスと[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]の内戦勃発 |- | rowspan="2" |前86 |政治家・歴史家[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> |マリウスが没す |- |この頃、悲劇作家アッキウス [[w:la:Lucius Accius|Accius]] が没す<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前84頃 |抒情詩人[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]が生まれる<ref>[[#高津 (1967)]] </ref> | |- |前82 | |[[w:ルキウス・コルネリウス・スッラ|スッラ]]が独裁官 |- |前79 | |独裁官スッラが没す |- | | | |} == 黄金期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/黄金期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- ! colspan="3" | 黄金期前半:キケローの時代 |- |前76 | | style="font-size:9pt;" |キケローが[[w:クァエストル|財務官]] |- |前73 | | style="font-size:9pt;" |[[w:第三次奴隷戦争|スパルタクスの反乱]](~71) |- |前71 | | style="font-size:9pt;" |[[w:スパルタクス|スパルタクス]]の集団が鎮圧される |- | rowspan="2" |前70 |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が生まれる | rowspan="2" style="font-size:9pt; vertical-align:bottom;" |[[w:アエディリス|按察官]]キケローがウェッレースを弾劾 |- | style="background-color:khaki;" |キケロー『ウェッレース弾劾演説』 [[w:la:Orationes Verrinae|In Verrem]] <ref>[[s:la:In Verrem]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> |- |前65 |ラテン文学黄金期の抒情詩人 [[w:ホラティウス|ホラーティウス]] が生まれる | |- |前65-60頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ルクレティウス|ルクレーティウス]]の哲学的叙事詩『物の本質について』 [[w:la:De rerum natura (Lucretius)|De rerum natura]] <ref>[[s:la:De rerum natura (Titus Lucretius Carus)]] ([[s:la:Scriptor:Titus Lucretius Carus|Lucretius]])</ref> | |- |前63 | style="background-color:khaki;" |キケロー『[[w:カティリナ弾劾演説|カティリーナ弾劾演説]]』 [[w:la:In Catilinam|In Catilinam]] <ref>[[s:la:In L. Catilinam orationes]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |[[w:執政官|執政官]]キケローが[[w:ルキウス・セルギウス・カティリナ|カティリーナ]]を弾劾 |- |前61-54頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥッルス]]『詩集』 [[s:la:Carmina (Catullus)|Carmina]] <ref>[[s:la:Liber Catulli]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Valerius Catullus|Catullus]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前60 | | style="font-size:8pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]・[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]・[[w:マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]が<br>非公式な協定を結ぶ([[w:三頭政治|三頭政治]]) |- |前59頃? |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が生まれる |59 カエサルが執政官 |- |前58-50 | | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ガリア戦争|ガリア遠征]](~50) |- | rowspan="2" |前55 | style="background-color:khaki;" |キケロー『弁論家について』 [[w:la:De oratore|De oratore]] <ref>[[s:la:De oratore]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |哲学的叙事詩人 ルクレーティウスが没す | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前54 | style="background-color:khaki;" |この頃(54-51頃)、キケロー『国家について』 [[w:la:De re publica (Cicero)|De re publica]] <ref>[[s:la:De re publica]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |抒情詩人 カトゥッルスが没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が生まれる<br>この頃、白銀期の修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前52 | style="background-color:khaki;" |この頃(52-51頃)、キケロー『法律について』 [[w:la:De legibus (Cicero)|De legibus]] <ref>[[s:la:De legibus]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリークス]]<br>([[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]])の反乱を平定 |- |前51頃 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[ガリア戦記]]'''』 [[w:la:De bello Gallico|Commentarii de bello Gallico]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello Gallico]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前50 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前49-45 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|カエサルとポンペイウス・門閥派の内戦]] |- |前48 | style="background-color:khaki;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]『'''[[内乱記]]'''』 [[w:la:De bello civili|Commentarii de bello civili]] <ref>[[s:la:Commentarii de bello civili]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Iulius Caesar|Caesar]])</ref> | style="font-size:9pt;" |カエサルが[[w:ファルサルスの戦い|パルサルスの戦い]]で[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]を破る。<br>ポンペイウスがエジプトで殺害される。 |- | rowspan="2" |前44 | style="background-color:khaki;" |キケロー『義務について』 [[w:la:De officiis|De officiis]] <ref>[[s:la:De officiis]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Tullius Cicero|Cicero]])</ref>、<br>キケロー『友情について』 [[w:la:Laelius de amicitia|Laelius de amicitia]] <ref>[[s:la:Laelius de Amicitia]] (Cicero)</ref>、<br>キケロー『老年について』 [[w:la:Cato maior de senectute|Cato maior de senectute]] <ref>[[s:la:Cato Maior de Senectute]] (Cicero)</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]がブルートゥスらによって殺害される。 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が共和派によって暗殺される。 |- ! colspan="3" | 黄金期後半:アウグストゥスの時代(''[[w:en:Augustan literature (ancient Rome)|Augustan literature]]'' ) |- | rowspan="3" |前43 |キケローがアントニウスによって暗殺される | rowspan="2" style="font-size:9pt;" | |- |ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] が生まれる |- | style="background-color:khaki;" |43-40頃、[[w:ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]『カティリーナの陰謀』 [[w:la:Catilinae coniuratio (Sallustius)|Catilinae coniuratio]] <ref>[[s:la:De Catilinae coniuratione]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前41/40 | style="background-color:khaki;" |この頃(41-35)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『諷刺詩』 [[w:la:Sermones (Horatius)|Sermones (Saturae)]] <ref>[[s:la:Sermones (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前40 | style="background-color:khaki;" |この頃、サッルスティウス『ユグルタ戦記』''[[w:en:Bellum Jugurthinum|Bellum Jugurthinum]]'' <ref>[[s:la:Bellum Iugurthinum]] ([[s:la:Scriptor:Gaius Sallustius Crispus|Sallustius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前39 | style="background-color:khaki;" |この頃(42-39頃)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:牧歌 (ウェルギリウス)|牧歌]] (詩選)』 [[w:la:Bucolica|Bucolica]] (Eclogae) <ref>[[s:la:Eclogae vel bucolica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前37 | style="background-color:khaki;" |[[w:マルクス・テレンティウス・ウァッロ|ウァッロー(ワロ)]]『農業論』 [[w:la:De re rustica (Varro)|De re rustica]] <ref>[[s:la:Rerum rusticarum]] ([[s:la:Scriptor:Marcus Terentius Varro|Varro]]</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前34(?) | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:コルネリウス・ネポス|コルネリウス・ネポース]]『著名人伝記集』 ''[[w:en:Cornelius_Nepos#De_viris_illustribus|De viris illustribus]]'' <ref>[[s:la:De viris illustribus (Cornelius Nepos)]] ([[s:la:Scriptor:Cornelius Nepos|Cornelius Nepos]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前31 | | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]が[[w:アクティウムの海戦|アクティウムの海戦]]<br>([[w:la:Bellum Actiacum|Bellum Actiacum]])に勝利。 |- |前30 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アントニウス|アントニウス]]と[[w:クレオパトラ7世|クレオパトラ7世]]が自決。<br>[[w:プトレマイオス朝|プトレマイオス朝]]の滅亡。 |- |前29 | style="background-color:khaki;" |この頃、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:農耕詩|農事詩]]』 [[w:la:Georgica|Georgica]] <ref>[[s:la:Georgica]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref>、<br>この頃、ウェルギリウスが『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』の執筆に着手。 | style="font-size:9pt;" | |- |前27 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』の執筆に着手(27-9) | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|オクタウィアーヌス]]がローマ国家の実権を掌握、<br>[[w:アウグストゥス (称号)|アウグストゥス]]の称号を贈られる。 |- |前25 |この頃、白銀期の百科事典編纂者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前23 | style="background-color:khaki;" |[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『歌章』 [[w:la:Carmina (Horatius)|Carmina]] ''([[w:en:Odes (Horace)|Odes]])'' <ref>[[s:la:Carmina (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |前19 | style="background-color:khaki;" |この頃(29-19)、[[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]]『[[w:アエネーイス|アエネーイス]]』(未完) [[w:la:Aeneis|Aeneis]] <ref>[[s:la:Aeneis]] ([[s:la:Scriptor:Publius Vergilius Maro|Vergilius]])</ref> |- |ラテン文学黄金期最高の詩人 [[w:ウェルギリウス|ウェルギリウス]] が没す<br>エレゲイア詩人 [[w:アルビウス・ティブッルス|ティブッルス]] が没す<br>この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |エレゲイア詩人 [[w:セクストゥス・プロペルティウス|プロペルティウス]] が没す<br>この頃、寓話作家 パエドルス が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前13 | style="background-color:khaki;" |この頃(24-13)、[[w:ホラティウス|ホラーティウス]]『書簡詩』 [[w:la:Epistulae (Horatius)|Epistulae]] <ref>[[s:la:Epistulae (Horatius)]] ([[s:la:Scriptor:Quintus Horatius Flaccus|Horatius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |前9 | style="background-color:khaki;" |[[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]]が『[[w:ローマ建国史|ローマ建国史]]』 [[w:la:Ab urbe condita libri|Ab urbe condita]] <ref>[[s:la:Ab Urbe Condita]] ([[s:la:Scriptor:Titus Livius|Livius]])</ref> | style="font-size:9pt;" | |- |後8 |[[w:オウィディウス|オウィディウス]] が[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]の命で[[w:黒海|黒海]]沿岸のトミスに流刑となる | style="font-size:9pt;" | |- |後14 |ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 | style="font-size:9pt;" |[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御 |- |後17 |ラテン文学黄金期を代表する年代記作家 [[w:ティトゥス・リウィウス|リーウィウス]] が没す<br>ラテン文学黄金期の第三の詩人 [[w:オウィディウス|オウィディウス]] がこの頃(17/18)没す | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 白銀期の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/白銀期]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |前54 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前25 |この頃、百科事典編纂者 [[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] [[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前19 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前15 |この頃、寓話作家 パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |前4 |この頃、白銀期を代表する文人[[w:ルキウス・アンナエウス・セネカ|セネカ(小セネカ)]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後4 |農学者コルメッラ [[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Columella]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期前期:ティベリウス帝からトラヤヌス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#From Tiberius to Trajan|From Tiberius to Trajan]]'') |- |後14 |(ラテン文学の保護者であった[[w:アウグストゥス|アウグストゥス帝]]が崩御) | style="font-size:9pt;" |第2代[[w:ティベリウス|ティベリウス帝]]の治世(14-37) |- |後23 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後26 |この頃、抒情詩人[[w:シリウス・イタリクス|シーリウス・イータリクス]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後27 |この頃(14<sup>?</sup>,20<sup>?</sup>,27<sup>?</sup>)、諷刺小説家[[w:ペトロニウス|ペトローニウス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- | rowspan="2" |後31 |この頃、歴史家 [[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス・パテルクルス]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- | style="font-size:9pt;" style="background-color:#e3e3e3;" |この頃(31-37)、説話作家[[w:ウァレリウス・マクシムス|ウァレリウス・マクシムス]]<br>『有名言行録』[[w:la:Factorum et dictorum memorabilium libri IX|Factorum et dictorum memorabilium]] | style="font-size:9pt;" | |- |後34 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後35 |この頃、修辞学者[[w:クインティリアヌス|クィーンティリアーヌス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後39 |この頃、修辞学者 [[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] が没す<br>叙事詩人[[w:マルクス・アンナエウス・ルカヌス|ルーカーヌス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後37 | | style="font-size:9pt;" |第3代[[w:カリグラ|カリグラ帝]]の在位(37-41) |- |後40 |この頃、技術書の著作家[[w:セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス|フロンティーヌス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後41 |この頃(38-41)、[[w:エピグラム|エピグラム]]詩人[[w:マルティアリス|マルティアーリス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" |第4代[[w:クラウディウス|クラウディウス帝]]の在位(41-54) |- |後43 | style="font-size:9pt;" style="background-color:#e3e3e3;" |ポンポーニウス・メラ『世界地誌』<br> [[w:la:De situ orbis (Pomponius Mela)|"De situ orbis" vel " De chorographia"]] | style="font-size:9pt;" | |- |後45 |地理学者ポンポーニウス・メラ [[w:la:Pomponius Mela|Pomponius Mela]] が没す<br>この頃、叙事詩人[[w:ガイウス・ウァレリウス・フラックス|ウァレリウス・フラックス]] が生まれる<br>この頃、叙事詩人[[w:スタティウス|スターティウス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後48 | | style="font-size:9pt;" |皇后[[w:メッサリナ|メッサーリーナ]]が謀反を企て、誅殺される |- |後49 | | style="font-size:9pt;" |クラウディウス帝が[[w:叔姪婚|叔姪婚]]の禁忌を破り、<br>姪の[[w:小アグリッピナ|小アグリッピーナ]]を二人目の皇后とする |- |後50 |この頃、百科事典編纂者[[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] [[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] が没す<br>この頃、寓話作家パエドルス [[w:la:Phaedrus|Phaedrus]] が没す | style="font-size:9pt;" |[[w:ルキウス・アンナエウス・セネカ|セネカ]]が皇位継承者[[w:ネロ|ネロ]]の家庭教師になる |- |後54 | | style="font-size:9pt;" |第5代[[w:ネロ|ネロ帝]]の在位(54-68) |- |後55 |この頃、諷刺詩人[[w:ユウェナリス|ユウェナーリス]]が生まれる | style="font-size:9pt;" | |- |後59 | | style="font-size:9pt;" |ネロ帝が母后[[w:小アグリッピナ|アグリッピーナ]]を殺害 |- |後62 |諷刺詩人ペルシウス [[w:la:Aulus Persius Flaccus|Persius]] が没す | style="font-size:9pt;" |ネロ帝が皇后[[w:クラウディア・オクタウィア|オクターウィア]]を流刑とし、自害させる |- |後64 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ大火|ローマの大火]] |- |後65 |白銀期を代表する文人[[w:ルキウス・アンナエウス・セネカ|セネカ(小セネカ)]]が、謀反の疑いにより<br>ネロ帝の命令で自害させられる<br>セネカの甥である叙事詩人[[w:マルクス・アンナエウス・ルカヌス|ルーカーヌス]]も同様に自害させられる | style="font-size:9pt;" | |- |後66 |この頃、諷刺小説『[[w:サテュリコン|サテュリコン]]』[[w:la:Satyricon|Satyricon]] <ref>[[s:la:The Satyricon of Petronius Arbiter]]</ref> を著した<br>[[w:ペトロニウス|ペトローニウス]]が没す | style="font-size:9pt;" |[[w:ユダヤ戦争|ユダヤ戦争]](66-73)勃発 |- |後68 | | style="font-size:9pt;" |ネロが自決。<br>[[w:ローマ内戦 (68年-70年)|ローマ内戦]]勃発。[[w:ガルバ|ガルバ帝]] |- |後69 | | style="font-size:9pt;" |「四皇帝の年」ガルバ帝・[[w:オト|オト帝]]・[[w:アウルス・ウィテッリウス|ウィテッリウス帝]]・<br>'''[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]''' [[w:ウェスパシアヌス|ウェスパシアヌス帝]]の在位(69-79) |- | rowspan="2" |後70 |この頃、農学者コルメッラ [[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Columella]] が没す | rowspan="2" style="font-size:9pt;" |[[w:ユダヤ戦争|ユダヤ戦争]]の[[w:エルサレム攻囲戦 (70年)|エルサレム攻囲戦]](エルサレムの陥落) |- | style="font-size:9pt;" style="background-color:#e3e3e3;" |この頃、[[w:ガイウス・ウァレリウス・フラックス|ウァレリウス・フラックス]]の叙事詩<br>『アルゴナウティカ』 [[w:la:Argonautica (Valerius Flaccus)|Argonautica]] |- |後73 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マサダ|マサダ]]が陥落し、[[w:ユダヤ戦争|ユダヤ戦争]]終結 |- |後77 | style="font-size:9pt;" style="background-color:#e3e3e3;" |この頃(77-79)、[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]『[[w:博物誌|博物誌]]』[[w:la:Naturalis historia (Plinius)|Naturalis historia]] | style="font-size:9pt;" | |- |後79 |博物学者[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリーニウス]]が没す | style="font-size:9pt;" |第10代[[w:ティトゥス|ティトゥス帝]]の在位(79-81) |- |後81 | | style="font-size:9pt;" |第11代[[w:ドミティアヌス|ドミティアヌス帝]]の在位(81-96) |- |後95 |この頃、叙事詩人[[w:ガイウス・ウァレリウス・フラックス|ウァレリウス・フラックス]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |後96 |この頃、『[[w:テーバイド#テーバイド(スタティウス)|テーバイ物語]]』『シルウァエ』などを著した<br>叙事詩人[[w:スタティウス|スターティウス]]が没す | style="font-size:9pt;" |[[w:フラウィウス朝|フラウィウス朝]]の断絶<br>第12代[[w:ネルウァ|ネルウァ帝]]の治世(96-98)「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最初 |- |後98 | | style="font-size:9pt;" |第13代[[w:トラヤヌス|トラヤヌス帝]]の治世(98-117) |- |100 |この頃、修辞学者[[w:クインティリアヌス|クィーンティリアーヌス]]が没す | style="font-size:9pt;" | |- |101 |この頃、[[w:第二次ポエニ戦争|第二次ポエニ戦争]]を描いた長編叙事詩『プニカ』<br>[[w:la:Punica (Silius Italicus)|Punica]] を著した抒情詩人[[w:シリウス・イタリクス|シーリウス・イータリクス]] が没す | style="font-size:9pt;" | |- |103 |『水道論』『戦術論』を著した[[w:セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス|フロンティーヌス]]が没す | style="font-size:9pt;" | |- |104 |この頃(102-104)、[[w:エピグラム|エピグラム]]集 <ref>[[s:la:Epigrammaton libri XII]]</ref> などを著した<br>詩人[[w:マルティアリス|マルティアーリス]]が没す | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |- ! colspan="3" |白銀期後期:マルクス・アウレリウス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD|Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD]]'') |- |117 | | style="font-size:9pt;" |第14代[[w:ハドリアヌス|ハドリアヌス帝]]の治世(117-138) |- |128 |『諷刺詩集』Saturae<ref>[[s:la:Saturae (Iuvenalis, Bucheler)]]</ref> を著した諷刺詩人[[w:ユウェナリス|ユウェナーリス]]が没す | style="font-size:9pt;" | |- |138 | | style="font-size:9pt;" |第15代[[w:アントニヌス・ピウス|アントニヌス・ピウス帝]]の治世(138-161) |- |161 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の治世(161-180)<br>[[w:ルキウス・ウェルス|ウェルス帝]]との共同統治(161-169) |- |177 | | style="font-size:9pt;" |[[w:コンモドゥス|コンモドゥス帝]]とマルクス・アウレリウス帝の共同統治(177-180) |- |180 | | style="font-size:9pt;" |[[w:マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス帝]]の崩御(「[[w:五賢帝|五賢帝]]」の最後) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 後期ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/後期ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- |192 | | style="font-size:9pt;" |[[w:ローマ内戦 (192年-197年)|ローマ内戦]](192-197) |- |193 | | style="font-size:9pt;" |「五皇帝の年」 [[w:セウェルス朝|セウェルス朝]](193-235) |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 中世ラテン語文学の年表 == *[[ラテン文学の作家と著作/中世ラテン語]] も参照せよ。 {| class="wikitable" |- !西暦 !ラテン文学のできごと !同時代のできごと |- | | | style="font-size:9pt;" | |- | | | style="font-size:9pt;" | |} == 脚 注 == <references /> == 参考文献 == *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学事典''' |ref=集英社 (2002)}} *:(『世界文学事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、2002年2月、<nowiki>ISBN 4-08-143007-1</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''集英社 世界文学大事典''' |ref=集英社 (1997)}} *:(『世界文学大事典』編集委員会 編、[[w:集英社|集英社]]、全6巻) *# 第1巻 人名 ア~クリメ (1996年10月、<nowiki>ISBN 4-08-143001-2</nowiki>) *# 第2巻 人名 クリヤ~チ (1997年1月、<nowiki>ISBN 4-08-143002-0</nowiki>) *# 第3巻 人名 ツ~ヘメ  (1997年4月、<nowiki>ISBN 4-08-143003-9</nowiki>) *# 第4巻 人名 ヘヤ~ン (1997年7月、<nowiki>ISBN 4-08-143004-7</nowiki>) *{{Cite book |和書 |title='''増補改訂 新潮世界文学辞典'''|ref=新潮社 (1990)}} *:(新潮社辞典編集部 編、[[w:新潮社|新潮社]]、1990年4月、<nowiki>ISBN 4-10-730209-1</nowiki>) *: *{{Cite book |和書 |title='''ギリシア・ローマの文学''' |ref=高津 (1967)}} *:([[w:高津春繁|高津春繁]] 著、[[w:明治書院|明治書院]]「世界の文学史 1」、1967年3月) *:巻末の「ギリシア・ローマ文学年表」を参考にした。 == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン文学]]'''</span> *[[ラテン語学習モジュール]] **<span style="background-color:#ffffaa;">'''[[ラテン語の時代区分]]'''</span> *'''[[ラテン文学の作家と著作]]''' **'''[[ラテン文学の作家と著作/原文リソース|/原文リソース]]''' **[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧|/邦訳書の一覧]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/電子書籍|/電子書籍]] ***[[ラテン文学の作家と著作/邦訳書の一覧/邦訳者の一覧|/邦訳者の一覧]] == 外部リンク == ;コトバンク *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6-147454 ラテン文学(ラテンぶんがく)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614696 ラテン文学史(年表)(らてんぶんがくしねんぴょう)とは - コトバンク] *[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%8F%B2%28%E5%B9%B4%E8%A1%A8%29-1614703 ローマ史(年表)(ろーましねんぴょう)とは - コトバンク] [[Category:ラテン文学|年表]] [[Category:ラテン語の時代区分|年表]] [[Category:ラテン語学習モジュール|文学]] miyutg3evp2n37cdkfk3blrpm9lpgg5 ラテン文学の作家と著作/白銀期 0 26326 263572 263501 2024-11-16T07:47:19Z Linguae 449 /* 著名な作家の一覧 */ ウァレリウス・マクシムス 263572 wikitext text/x-wiki == はじめに == ここでは、古典ラテン文学黄金期に著作を表した作家(''[[:w:en:Category:Silver Age Latin writers|Silver Age Latin writers]]'' )とその著作について、それぞれ紹介する。 白銀期は、さらに、 *帝制前期:ティベリウス帝からトラヤヌス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#From_Tiberius_to_Trajan|From Tiberius to Trajan]]'') *帝制中期:マルクス・アウレリウス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD|Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD]]'') などと細分化されることがある。 === 著名な作家の一覧 === ラテン語で著作を著わした著名な作家を、時代区分・生没年の順に配列した一覧表。<br>日本語名・ラテン語名・英語名・仏語名ごとにソートすることができるようになっている。 {| class="wikitable sortable" ! style="width:3em; font-size:9pt;" |時代<br>区分 ! style="width:4em; font-size:9pt;" |生没年 ! style="width:9em;" |日本語名!!ラテン語名!!英語名!!仏語名!!全 名!!ジャンル!!代表作!!備  考 |- <!--【大セネカ】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前54頃-後39頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] | style="font-size:11pt;" |Seneca <br>maior | style="font-size:10pt;" |[[w:en:Seneca the Elder|Seneca<br> the Elder]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Sénèque l'Ancien|Sénèque<br> l'Ancien]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Annaeus Seneca maior|Annaeus <br>Seneca <br>maior]] |修辞学 |<small>『論争と説得法』</small> |<small>小セネカの父で、<br>ルーカーヌスの祖父</small> |- <!--【ポンポーニウス・メラ】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |?-後45頃 | style="font-size:11pt;" |ポンポーニウス<br>・メラ | style="font-size:11pt;" |Pomponius<br> Mela | style="font-size:8pt;" |[[w:en:Pomponius Mela|Pomponius<br> Mela]] | style="font-size:8pt;" |[[w:fr:Pomponius Mela|Pomponius<br> Mela]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Pomponius Mela|Pomponius<br> Mela]] |地誌 |<small>『世界地理』</small> | |- <!--【ケルスス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前25頃-後50頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] | style="font-size:13pt;" |Celsus | style="font-size:10pt;" |[[w:en:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Aulus Cornelius Celsus|Celse]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Aulus <br>Cornelius<br> Celsus]] |博物 |<small>百科事典を著したが、<br>医学論のみ現存</small> | |- <!--【クルティウス・ルフス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後1世紀頃 | style="font-size:11pt;" |クルティウス<br>・ルフス | style="font-size:11pt;" |Curtius<br> Rufus | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Quintus Curtius Rufus|Curtius <br>Rufus]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Quinte-Curce|Quinte<br>-Curce]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Quintus Curtius Rufus|Quintus <br>Curtius <br>Rufus]] |伝記 |<span style="font-size:8pt;">『アレクサンドロス大王伝』</span> | |- <!--【ウァレリウス・マクシムス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後1世紀頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:ウァレリウス・マクシムス|ウァレリウス<br>・マクシムス]] | style="font-size:11pt;" |Valerius Maximus | style="font-size:9pt;" |[[w:en:Valerius Maximus|Valerius <br>Maximus]] | style="font-size:10pt;" |[[w:fr:Valère Maxime|Valère <br>Maxime]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Valerius Maximus|Valerius <br>Maximus]] |説話 |<small>『有名言行録』</small> | |- <!--【ウェッレーイウス・パテルクルス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前19頃-後31頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス<br>・パテルクルス]] | style="font-size:11pt;" |Velleius <br>Paterculus | style="font-size:8pt;" |[[w:en:Marcus Velleius Paterculus|Velleius]] | style="font-size:8pt;" |[[w:fr:Velleius Paterculus|Velleius <br>Paterculus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Velleius Paterculus|Velleius <br>Paterculus]] |歴史 |<small>『歴史』</small> | |- <!--【パエドルス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前15頃-後50頃 | style="font-size:11pt;background-color:lightgray;" |パエドルス<br>(ファエドルス) | style="font-size:13pt;" |Phaedrus | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Phaedrus (fabulist)|Phaedrus]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Phèdre (fabuliste)|Phèdre]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Phaedrus|Gaius <br>Iulius <br>Phaedrus]] |寓話 |<small>『寓話集』</small> | |- <!--【小セネカ】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前4頃-後65 | style="font-size:17pt;background-color:silver;" |[[w:ルキウス・アンナエウス・セネカ|セネカ]]<br><small>(小セネカ)</small> | style="font-size:17pt;background-color:silver;" |Seneca<br> minor | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Seneca the Younger|Seneca <br>the Younger]] | style="font-size:15pt;" |[[w:fr:Sénèque|Sénèque]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Lucius Annaeus Seneca minor|Lucius <br>Annaeus <br>Seneca<br> minor]] |道徳哲学・<br>政治哲学・<br>悲劇 |『幸福なる生活』<br>『道徳書簡』<br>ほか<small></small> |<small>ストア哲学者、<br>白銀期を<br>代表する文人</small> |- <!--【コルメッラ】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後4-70頃 | style="font-size:11pt;" |コルメッラ<!--[[w:| ]]--> | style="font-size:12pt;" |Columella | style="font-size:10pt;" |[[w:en:Columella|Columella]] | style="font-size:12pt;" |[[w:fr:Columelle|Columelle]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Lucius <br>Iunius <br>Moderatus <br>Columella]] |農学 |<small>『農耕論』</small> | |- <!--【ウァレリウス・フラックス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後22頃-95頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス・ウァレリウス・フラックス|ウァレリウス<br>・フラックス]] | style="font-size:11pt;" |Valerius <br>Flaccus | style="font-size:9pt;" |[[w:en:Gaius Valerius Flaccus|Valerius <br>Flaccus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:fr:Caius Valerius Flaccus|Valerius <br>Flaccus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Gaius Valerius Flaccus|Gaius <br>Valerius <br>Flaccus]] |叙事詩 |<small>『アルゴナウティカ』<br>ラテン語版</small> | |- <!--【大プリーニウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後23頃-79 | style="font-size:16pt;background-color:silver;" |[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリーニウス]]<br><small>(大プリーニウス)</small> | style="font-size:16pt;background-color:silver;" |Plinius<br> Maior | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Pliny the Elder|Pliny <br>the Elder]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Pline l'Ancien|Pline <br>l'Ancien]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Gaius Plinius Secundus|Gaius <br>Plinius <br>Secundus]] |博物 |<big>『[[w:博物誌|博物誌]]』</big><small></small> | |- <!--【シーリウス・イータリクス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後28頃-103頃 | style="font-size:13pt;" |[[w:シリウス・イタリクス|シーリウス<br>・イータリクス]] | style="font-size:11pt;" |Silius <br>Italicus | style="font-size:9pt;" |[[w:en:Silius Italicus|Silius <br>Italicus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:fr:Silius Italicus|Silius <br>Italicus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Silius Italicus|Tiberius <br>Catius <br>Asconius <br>Silius <br>Italicus]] |叙事詩 |<small>『プニカ』</small> | |- <!--【ペトローニウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後27頃-66 | style="font-size:15pt; background-color:lightgray;" |[[w:ペトロニウス|ペトローニウス]] | style="font-size:13pt;" |Petronius | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Petronius|Petronius]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Pétrone|Pétrone]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Publius Petronius Niger|Publius <br>Petronius <br>Niger]] |諷刺小説 |<small>『[[w:サテュリコン|サテュリコン]]』</small> | |- <!--【ペルシウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後34-62 | style="font-size:13pt;" |ペルシウス | style="font-size:12pt;" |Persius | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Persius|Persius]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Perse (poète)|Perse]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Aulus Persius Flaccus|Aulus <br>Persius <br>Flaccus]] |諷刺詩 |<small>『諷刺詩』</small> | |- <!--【クインティリアーヌス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後35頃-100頃 | style="font-size:11pt; background-color:lightgray;" |[[w:クインティリアヌス|クインティリアーヌス]] | style="font-size:12pt;" |Quintilianus | style="font-size:12pt;" |[[w:en:Quintilian|Quintilian]] | style="font-size:12pt;" |[[w:fr:Quintilien|Quintilien]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Marcus Fabius Quintilianus|Marcus <br>Fabius <br>Quintilianus]] |修辞学 |<small>『弁論術教程』</small> | |- <!--【ルーカーヌス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後39-65 | style="font-size:13pt; background-color:lightgray;" |[[w:マルクス・アンナエウス・ルカヌス|ルーカーヌス]] | style="font-size:13pt;" |Lucanus | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Lucan|Lucan]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Lucain|Lucain]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Lucanus|Marcus <br>Annaeus <br>Lucanus]] |叙事詩 |<small>『内乱記』<br>(『パルサリア』)</small> | |- <!--【フロンティーヌス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後40頃-103頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス|フロンティーヌス]] | style="font-size:11pt;" |Frontinus | style="font-size:10pt;" |[[w:en:Frontinus|Frontinus]] | style="font-size:10pt;" |[[w:fr:Frontin|Frontin]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Sextus Iulius Frontinus|Sextus <br>Iulius <br>Frontinus]] |ローマ水道<br>・戦術 |<small>『水道論』<br>『戦術論』</small> | |- <!--【マルティアーリス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後41頃-104頃 | style="font-size:13pt; background-color:lightgray;" |[[w:マルティアリス|マルティアーリス]] | style="font-size:13pt;" |Martialis | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Martial|Martial]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Martial (poète)|Martial]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Marcus Valerius Martialis|Marcus <br>Valerius <br>Martialis]] |エピグラム詩<br>・諷刺 |<small>『エピグラム集』</small> | |- <!--【スターティウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後45頃-96頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:スタティウス|スターティウス]] | style="font-size:11pt;" |Statius | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Statius|Statius]] | style="font-size:12pt;" |[[w:fr:Stace|Stace]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Publius Papinius Statius|Publius <br>Papinius <br>Statius]] |叙事詩 |<small>『[[w:テーバイド#テーバイド(スタティウス)|テーバイ物語]]』<br>『シルウァエ』</small> | |- <!--【ユウェナーリス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後50頃-2世紀頃 | style="font-size:13pt;" |[[w:ユウェナリス|ユウェナーリス]] | style="font-size:11pt;" |Iuvenalis | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Juvenal|Juvenal]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Juvénal|Juvénal]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Decimus Iunius Iuvenalis|Decimus <br>Iunius <br>Iuvenalis]] |諷刺詩 |<small>『諷刺詩集』</small> | |- <!--【タキトゥス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後56頃-120頃 | style="font-size:16pt; background-color:silver;" |[[w:タキトゥス|タキトゥス]] | style="font-size:16pt; background-color:silver;" |Tacitus | style="font-size:15pt;" |[[w:en:Tacitus|Tacitus]] | style="font-size:15pt;" |[[w:fr:Tacite|Tacite]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Cornelius Tacitus|Cornelius <br>Tacitus]] |年代記など |『年代記』<br>『同時代史』<br><small>『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』<br><span style="font-size:8pt;">『アグリコラの生涯と性格』</span></small> | |- <!--【小プリーニウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後61-113頃 | style="font-size:13pt; background-color:silver;" |[[w:ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス|小プリーニウス]] | style="font-size:15pt; background-color:silver;" |Plinius<br> minor | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Pliny the Younger|Pliny <br>the Younger]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Pline le Jeune|Pline<br> le Jeune]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Gaius Plinius Caecilius Secundus|Gaius <br>Plinius <br>Caecilius <br>Secundus]] |雄弁・書簡 |<small>『書簡集』</small> | |- <!--【スエートーニウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lavender;" |中期 |後69頃-122以降 | style="font-size:14pt; background-color:silver;" |[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]] | style="font-size:15pt; background-color:silver;" |Suetonius | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Suetonius|Suetonius]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Suétone|Suétone]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Suetonius|Gaius <br>Suetonius <br>Tranquillus]] |伝記 |『ローマ皇帝伝』<small></small> | |- <!--【フロールス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lavender;" |中期 |後70頃-140頃 | style="font-size:13pt; background-color:lightgray;" |フロールス | style="font-size:13pt;" |Florus | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Works attributed to Florus|Florus]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Florus|Florus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Publius Annius Florus|Publius <br>Annius <br>Florus]] |歴史・<br>詩 |<span style="font-size:9pt;">『ローマ史概略』<br>『ウェルギリウスは弁論家か詩人か</span> |<small>Lucius Annaeus Florusなどとされる場合もある</small> |- <!--【アープレーイウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lavender;" |中期 |後124頃-170頃 | style="font-size:15pt; background-color:silver;" |[[w:アプレイウス|アープレーイウス]] | style="font-size:15pt; background-color:silver;" |Apuleius | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Apuleius|Apuleius]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Apulée|Apulée]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Lucius Apuleius|Lucius <br>Apuleius]] |小説 |<small>『変身物語』<br>(『黄金のろば』)</small> | |- <!--【ゲッリウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lavender;" |中期 |後125頃-180頃 | style="font-size:13pt; background-color:lightgray;" |[[w:アウルス・ゲッリウス|ゲッリウス]] | style="font-size:13pt;" |Gellius | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Aulus Gellius|Gellius]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Aulu-Gelle|Aulu-Gelle]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Aulus Gellius|Aulus <br>Gellius]] |小説 |<small>『アッティカ夜話』</small> | |- <!--【ガイウス】--> | style="background-color:lavender;" |中期 |後130頃-180頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス (法学者)|ガイウス]] | style="font-size:11pt;" |Gaius | style="font-size:8pt;" |[[w:en:Gaius (jurist)|Gaius]] | style="font-size:8pt;" |[[w:fr:Gaius|Gaius]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Gaius (iuris consultus)|Gaius]] |法学 |<small>『法学提要』</small> | |- <!--【】--> | style="background-color:lavender;" | |- | style="font-size:11pt;" | | style="font-size:11pt;" | | style="font-size:8pt;" |[[w:en:|en:]] | style="font-size:8pt;" |[[w:fr:|fr:]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:|la:]] |<br> |<small></small> | |} === 目次 === ;帝制前期(トラヤヌス帝崩御まで)の作家 :[[#大セネカ]] :[[#ポンポーニウス・メラ]] :[[#ケルスス]] :[[#クルティウス・ルフス]] :[[#ウァレリウス・マクシムス]] :[[#ウェッレーイウス・パテルクルス]] :[[#パエドルス]] :[[#セネカ(小セネカ)]] :[[#コルメッラ]] :[[#ウァレリウス・フラックス]] :[[#大プリーニウス]] :[[#シーリウス・イータリクス]] :[[#ペトローニウス]] :[[#ペルシウス]] :[[#クインティリアーヌス]] :[[#ルーカーヌス]] :[[#フロンティーヌス]] :[[#マルティアーリス]] :[[#スターティウス]] :[[#ユウェナーリス]] :[[#タキトゥス]] :[[#小プリーニウス]] ;帝制中期(マルクス・アウレリウス帝崩御まで)の作家 :[[#スエトーニウス]] :[[#フロールス]] :[[#アープレーイウス]] :[[#ゲッリウス]] :[[#ガイウス]] == 大セネカ == == ポンポーニウス・メラ == == ケルスス == == クルティウス・ルフス == == ウァレリウス・マクシムス == == ウェッレーイウス・パテルクルス == == パエドルス == == セネカ(小セネカ) == == コルメッラ == == ウァレリウス・フラックス == == 大プリーニウス == == シーリウス・イータリクス == == ペトローニウス == == ペルシウス == == クインティリアーヌス == == ルーカーヌス == == フロンティーヌス == == マルティアーリス == == スターティウス == == ユウェナーリス == == タキトゥス == == 小プリーニウス == == スエトーニウス == == フロールス == == アープレーイウス == == ゲッリウス == == ガイウス == == そのほかの作家 == == 脚 注 == <references /> == 参考文献 == <!-- *{{Cite book |和書 |author=[[w:|]] |title= |publisher=[[w:|]] |date=2007-1|isbn=978-4---|ref= }} --> == 関連項目 == *[[ラテン語学習モジュール]] **'''[[ラテン語の時代区分]]''' **'''[[ラテン文学]]''' ***'''[[ラテン文学/ローマ文学の年表|/ローマ文学の年表]]''' *英語版記事 **[[:w:en:Category:Silver Age Latin writers]] **[[:w:en:Classical_Latin#Authors_of_the_Silver_Age]] *仏語版記事 **[[:w:fr:Latin_classique#L'âge_d'argent_du_latin_classique]] *ラテン語版記事 **[[:w:la:Litterae Latinae]] == 外部リンク == <!-- [[Category:ラテン文学白銀期|*]] --> [[Category:ラテン文学の作家と著作|銀]] [[Category:ラテン語の時代区分|作家]] [[Category:ラテン語学習モジュール|文学]] 0wk7do1k4pso2cye7kveoa6r2w1498e 263596 263572 2024-11-16T09:25:11Z Linguae 449 /* 著名な作家の一覧 */ 263596 wikitext text/x-wiki == はじめに == ここでは、古典ラテン文学黄金期に著作を表した作家(''[[:w:en:Category:Silver Age Latin writers|Silver Age Latin writers]]'' )とその著作について、それぞれ紹介する。 白銀期は、さらに、 *帝制前期:ティベリウス帝からトラヤヌス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#From_Tiberius_to_Trajan|From Tiberius to Trajan]]'') *帝制中期:マルクス・アウレリウス帝の崩御まで(''[[:w:en:Classical_Latin#Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD|Through the death of Marcus Aurelius, 180 AD]]'') などと細分化されることがある。 === 著名な作家の一覧 === ラテン語で著作を著わした著名な作家を、時代区分・生没年の順に配列した一覧表。<br>日本語名・ラテン語名・英語名・仏語名ごとにソートすることができるようになっている。 {| class="wikitable sortable" ! style="width:3em; font-size:9pt;" |時代<br>区分 ! style="width:4em; font-size:9pt;" |生没年 ! style="width:9em;" |日本語名!!ラテン語名!!英語名!!仏語名!!全 名!!ジャンル!!代表作!!備  考 |- <!--【大セネカ】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前54頃-後39頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:マルクス・アンナエウス・セネカ|大セネカ]] | style="font-size:11pt;" |Seneca <br>maior | style="font-size:10pt;" |[[w:en:Seneca the Elder|Seneca<br> the Elder]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Sénèque l'Ancien|Sénèque<br> l'Ancien]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Annaeus Seneca maior|Annaeus <br>Seneca <br>maior]] |修辞学 |<small>『論争と説得法』</small> |<small>小セネカの父で、<br>ルーカーヌスの祖父</small> |- <!--【ポンポーニウス・メラ】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |?-後45頃 | style="font-size:11pt;" |ポンポーニウス<br>・メラ | style="font-size:11pt;" |Pomponius<br> Mela | style="font-size:8pt;" |[[w:en:Pomponius Mela|Pomponius<br> Mela]] | style="font-size:8pt;" |[[w:fr:Pomponius Mela|Pomponius<br> Mela]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Pomponius Mela|Pomponius<br> Mela]] |地誌 |<small>『世界地理』</small> | |- <!--【ケルスス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前25頃-後50頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:アウルス・コルネリウス・ケルスス|ケルスス]] | style="font-size:13pt;" |Celsus | style="font-size:10pt;" |[[w:en:Aulus Cornelius Celsus|Celsus]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Aulus Cornelius Celsus|Celse]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Aulus Cornelius Celsus|Aulus <br>Cornelius<br> Celsus]] |博物 |<small>百科事典を著したが、<br>医学論のみ現存</small> | |- <!--【クルティウス・ルフス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後1世紀頃 | style="font-size:11pt;" |クルティウス<br>・ルフス | style="font-size:11pt;" |Curtius<br> Rufus | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Quintus Curtius Rufus|Curtius <br>Rufus]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Quinte-Curce|Quinte<br>-Curce]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Quintus Curtius Rufus|Quintus <br>Curtius <br>Rufus]] |伝記 |<span style="font-size:8pt;">『アレクサンドロス大王伝』</span> | |- <!--【ウァレリウス・マクシムス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後1世紀頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:ウァレリウス・マクシムス|ウァレリウス<br>・マクシムス]] | style="font-size:11pt;" |Valerius Maximus | style="font-size:9pt;" |[[w:en:Valerius Maximus|Valerius <br>Maximus]] | style="font-size:10pt;" |[[w:fr:Valère Maxime|Valère <br>Maxime]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Valerius Maximus|Valerius <br>Maximus]] |説話 |<small>『有名言行録』</small> | |- <!--【ウェッレーイウス・パテルクルス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前19頃-後31頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:ウェッレイウス・パテルクルス|ウェッレーイウス<br>・パテルクルス]] | style="font-size:11pt;" |Velleius <br>Paterculus | style="font-size:8pt;" |[[w:en:Marcus Velleius Paterculus|Velleius]] | style="font-size:8pt;" |[[w:fr:Velleius Paterculus|Velleius <br>Paterculus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Velleius Paterculus|Velleius <br>Paterculus]] |歴史 |<small>『歴史』</small> | |- <!--【パエドルス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前15頃-後50頃 | style="font-size:11pt;background-color:lightgray;" |パエドルス<br>(ファエドルス) | style="font-size:13pt;" |Phaedrus | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Phaedrus (fabulist)|Phaedrus]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Phèdre (fabuliste)|Phèdre]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Phaedrus|Gaius <br>Iulius <br>Phaedrus]] |寓話 |<small>『寓話集』</small> | |- <!--【小セネカ】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |前4頃-後65 | style="font-size:17pt;background-color:silver;" |[[w:ルキウス・アンナエウス・セネカ|セネカ]]<br><small>(小セネカ)</small> | style="font-size:17pt;background-color:silver;" |Seneca<br> minor | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Seneca the Younger|Seneca <br>the Younger]] | style="font-size:15pt;" |[[w:fr:Sénèque|Sénèque]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Lucius Annaeus Seneca minor|Lucius <br>Annaeus <br>Seneca<br> minor]] |道徳哲学・<br>政治哲学・<br>悲劇 |『幸福なる生活』<br>『道徳書簡』<br>ほか<small></small> |<small>ストア哲学者、<br>白銀期を<br>代表する文人</small> |- <!--【コルメッラ】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後4-70頃 | style="font-size:11pt;" |コルメッラ<!--[[w:| ]]--> | style="font-size:12pt;" |Columella | style="font-size:10pt;" |[[w:en:Columella|Columella]] | style="font-size:12pt;" |[[w:fr:Columelle|Columelle]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Lucius Iunius Moderatus Columella|Lucius <br>Iunius <br>Moderatus <br>Columella]] |農学 |<small>『農耕論』</small> | |- <!--【大プリーニウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後23頃-79 | style="font-size:16pt;background-color:silver;" |[[w:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリーニウス]]<br><small>(大プリーニウス)</small> | style="font-size:16pt;background-color:silver;" |Plinius<br> Maior | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Pliny the Elder|Pliny <br>the Elder]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Pline l'Ancien|Pline <br>l'Ancien]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Gaius Plinius Secundus|Gaius <br>Plinius <br>Secundus]] |博物 |<big>『[[w:博物誌|博物誌]]』</big><small></small> | |- <!--【シーリウス・イータリクス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後28頃-103頃 | style="font-size:13pt;" |[[w:シリウス・イタリクス|シーリウス<br>・イータリクス]] | style="font-size:11pt;" |Silius <br>Italicus | style="font-size:9pt;" |[[w:en:Silius Italicus|Silius <br>Italicus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:fr:Silius Italicus|Silius <br>Italicus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Silius Italicus|Tiberius <br>Catius <br>Asconius <br>Silius <br>Italicus]] |叙事詩 |<small>『プニカ』</small> | |- <!--【ペトローニウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後27頃-66 | style="font-size:15pt; background-color:lightgray;" |[[w:ペトロニウス|ペトローニウス]] | style="font-size:13pt;" |Petronius | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Petronius|Petronius]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Pétrone|Pétrone]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Publius Petronius Niger|Publius <br>Petronius <br>Niger]] |諷刺小説 |<small>『[[w:サテュリコン|サテュリコン]]』</small> | |- <!--【ペルシウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後34-62 | style="font-size:13pt;" |ペルシウス | style="font-size:12pt;" |Persius | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Persius|Persius]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Perse (poète)|Perse]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Aulus Persius Flaccus|Aulus <br>Persius <br>Flaccus]] |諷刺詩 |<small>『諷刺詩』</small> | |- <!--【クインティリアーヌス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後35頃-100頃 | style="font-size:11pt; background-color:lightgray;" |[[w:クインティリアヌス|クインティリアーヌス]] | style="font-size:12pt;" |Quintilianus | style="font-size:12pt;" |[[w:en:Quintilian|Quintilian]] | style="font-size:12pt;" |[[w:fr:Quintilien|Quintilien]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Marcus Fabius Quintilianus|Marcus <br>Fabius <br>Quintilianus]] |修辞学 |<small>『弁論術教程』</small> | |- <!--【ルーカーヌス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後39-65 | style="font-size:13pt; background-color:lightgray;" |[[w:マルクス・アンナエウス・ルカヌス|ルーカーヌス]] | style="font-size:13pt;" |Lucanus | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Lucan|Lucan]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Lucain|Lucain]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Lucanus|Marcus <br>Annaeus <br>Lucanus]] |叙事詩 |<small>『内乱記』<br>(『パルサリア』)</small> | |- <!--【フロンティーヌス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後40頃-103頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス|フロンティーヌス]] | style="font-size:11pt;" |Frontinus | style="font-size:10pt;" |[[w:en:Frontinus|Frontinus]] | style="font-size:10pt;" |[[w:fr:Frontin|Frontin]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Sextus Iulius Frontinus|Sextus <br>Iulius <br>Frontinus]] |ローマ水道<br>・戦術 |<small>『水道論』<br>『戦術論』</small> | |- <!--【マルティアーリス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後41頃-104頃 | style="font-size:13pt; background-color:lightgray;" |[[w:マルティアリス|マルティアーリス]] | style="font-size:13pt;" |Martialis | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Martial|Martial]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Martial (poète)|Martial]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Marcus Valerius Martialis|Marcus <br>Valerius <br>Martialis]] |エピグラム詩<br>・諷刺 |<small>『エピグラム集』</small> | |- <!--【ウァレリウス・フラックス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後45頃-95頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス・ウァレリウス・フラックス|ウァレリウス<br>・フラックス]] | style="font-size:11pt;" |Valerius <br>Flaccus | style="font-size:9pt;" |[[w:en:Gaius Valerius Flaccus|Valerius <br>Flaccus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:fr:Caius Valerius Flaccus|Valerius <br>Flaccus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Gaius Valerius Flaccus|Gaius <br>Valerius <br>Flaccus]] |叙事詩 |<small>『アルゴナウティカ』<br>ラテン語版</small> | |- <!--【スターティウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後45頃-96頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:スタティウス|スターティウス]] | style="font-size:11pt;" |Statius | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Statius|Statius]] | style="font-size:12pt;" |[[w:fr:Stace|Stace]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Publius Papinius Statius|Publius <br>Papinius <br>Statius]] |叙事詩 |<small>『[[w:テーバイド#テーバイド(スタティウス)|テーバイ物語]]』<br>『シルウァエ』</small> | |- <!--【ユウェナーリス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後50頃-2世紀頃 | style="font-size:13pt;" |[[w:ユウェナリス|ユウェナーリス]] | style="font-size:11pt;" |Iuvenalis | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Juvenal|Juvenal]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Juvénal|Juvénal]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Decimus Iunius Iuvenalis|Decimus <br>Iunius <br>Iuvenalis]] |諷刺詩 |<small>『諷刺詩集』</small> | |- <!--【タキトゥス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後56頃-120頃 | style="font-size:16pt; background-color:silver;" |[[w:タキトゥス|タキトゥス]] | style="font-size:16pt; background-color:silver;" |Tacitus | style="font-size:15pt;" |[[w:en:Tacitus|Tacitus]] | style="font-size:15pt;" |[[w:fr:Tacite|Tacite]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Cornelius Tacitus|Cornelius <br>Tacitus]] |年代記など |『年代記』<br>『同時代史』<br><small>『[[w:ゲルマニア (書物)|ゲルマーニア]]』<br><span style="font-size:8pt;">『アグリコラの生涯と性格』</span></small> | |- <!--【小プリーニウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lightgray;" |前期 |後61-113頃 | style="font-size:13pt; background-color:silver;" |[[w:ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス|小プリーニウス]] | style="font-size:15pt; background-color:silver;" |Plinius<br> minor | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Pliny the Younger|Pliny <br>the Younger]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Pline le Jeune|Pline<br> le Jeune]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Gaius Plinius Caecilius Secundus|Gaius <br>Plinius <br>Caecilius <br>Secundus]] |雄弁・書簡 |<small>『書簡集』</small> | |- <!--【スエートーニウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lavender;" |中期 |後69頃-122以降 | style="font-size:14pt; background-color:silver;" |[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエートーニウス]] | style="font-size:15pt; background-color:silver;" |Suetonius | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Suetonius|Suetonius]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Suétone|Suétone]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Suetonius|Gaius <br>Suetonius <br>Tranquillus]] |伝記 |『ローマ皇帝伝』<small></small> | |- <!--【フロールス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lavender;" |中期 |後70頃-140頃 | style="font-size:13pt; background-color:lightgray;" |フロールス | style="font-size:13pt;" |Florus | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Works attributed to Florus|Florus]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Florus|Florus]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Publius Annius Florus|Publius <br>Annius <br>Florus]] |歴史・<br>詩 |<span style="font-size:9pt;">『ローマ史概略』<br>『ウェルギリウスは弁論家か詩人か</span> |<small>Lucius Annaeus Florusなどとされる場合もある</small> |- <!--【アープレーイウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lavender;" |中期 |後124頃-170頃 | style="font-size:15pt; background-color:silver;" |[[w:アプレイウス|アープレーイウス]] | style="font-size:15pt; background-color:silver;" |Apuleius | style="font-size:13pt;" |[[w:en:Apuleius|Apuleius]] | style="font-size:13pt;" |[[w:fr:Apulée|Apulée]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Lucius Apuleius|Lucius <br>Apuleius]] |小説 |<small>『変身物語』<br>(『黄金のろば』)</small> | |- <!--【ゲッリウス】--> | style="font-size:9pt; background-color:lavender;" |中期 |後125頃-180頃 | style="font-size:13pt; background-color:lightgray;" |[[w:アウルス・ゲッリウス|ゲッリウス]] | style="font-size:13pt;" |Gellius | style="font-size:11pt;" |[[w:en:Aulus Gellius|Gellius]] | style="font-size:11pt;" |[[w:fr:Aulu-Gelle|Aulu-Gelle]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Aulus Gellius|Aulus <br>Gellius]] |小説 |<small>『アッティカ夜話』</small> | |- <!--【ガイウス】--> | style="background-color:lavender;" |中期 |後130頃-180頃 | style="font-size:11pt;" |[[w:ガイウス (法学者)|ガイウス]] | style="font-size:11pt;" |Gaius | style="font-size:8pt;" |[[w:en:Gaius (jurist)|Gaius]] | style="font-size:8pt;" |[[w:fr:Gaius|Gaius]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:Gaius (iuris consultus)|Gaius]] |法学 |<small>『法学提要』</small> | |- <!--【】--> | style="background-color:lavender;" | |- | style="font-size:11pt;" | | style="font-size:11pt;" | | style="font-size:8pt;" |[[w:en:|en:]] | style="font-size:8pt;" |[[w:fr:|fr:]] | style="font-size:9pt;" |[[w:la:|la:]] |<br> |<small></small> | |} === 目次 === ;帝制前期(トラヤヌス帝崩御まで)の作家 :[[#大セネカ]] :[[#ポンポーニウス・メラ]] :[[#ケルスス]] :[[#クルティウス・ルフス]] :[[#ウァレリウス・マクシムス]] :[[#ウェッレーイウス・パテルクルス]] :[[#パエドルス]] :[[#セネカ(小セネカ)]] :[[#コルメッラ]] :[[#ウァレリウス・フラックス]] :[[#大プリーニウス]] :[[#シーリウス・イータリクス]] :[[#ペトローニウス]] :[[#ペルシウス]] :[[#クインティリアーヌス]] :[[#ルーカーヌス]] :[[#フロンティーヌス]] :[[#マルティアーリス]] :[[#スターティウス]] :[[#ユウェナーリス]] :[[#タキトゥス]] :[[#小プリーニウス]] ;帝制中期(マルクス・アウレリウス帝崩御まで)の作家 :[[#スエトーニウス]] :[[#フロールス]] :[[#アープレーイウス]] :[[#ゲッリウス]] :[[#ガイウス]] == 大セネカ == == ポンポーニウス・メラ == == ケルスス == == クルティウス・ルフス == == ウァレリウス・マクシムス == == ウェッレーイウス・パテルクルス == == パエドルス == == セネカ(小セネカ) == == コルメッラ == == ウァレリウス・フラックス == == 大プリーニウス == == シーリウス・イータリクス == == ペトローニウス == == ペルシウス == == クインティリアーヌス == == ルーカーヌス == == フロンティーヌス == == マルティアーリス == == スターティウス == == ユウェナーリス == == タキトゥス == == 小プリーニウス == == スエトーニウス == == フロールス == == アープレーイウス == == ゲッリウス == == ガイウス == == そのほかの作家 == == 脚 注 == <references /> == 参考文献 == <!-- *{{Cite book |和書 |author=[[w:|]] |title= |publisher=[[w:|]] |date=2007-1|isbn=978-4---|ref= }} --> == 関連項目 == *[[ラテン語学習モジュール]] **'''[[ラテン語の時代区分]]''' **'''[[ラテン文学]]''' ***'''[[ラテン文学/ローマ文学の年表|/ローマ文学の年表]]''' *英語版記事 **[[:w:en:Category:Silver Age Latin writers]] **[[:w:en:Classical_Latin#Authors_of_the_Silver_Age]] *仏語版記事 **[[:w:fr:Latin_classique#L'âge_d'argent_du_latin_classique]] *ラテン語版記事 **[[:w:la:Litterae Latinae]] == 外部リンク == <!-- [[Category:ラテン文学白銀期|*]] --> [[Category:ラテン文学の作家と著作|銀]] [[Category:ラテン語の時代区分|作家]] [[Category:ラテン語学習モジュール|文学]] f5vmyx9gxasftedwjr93gcgq4lulw1y 機械語 0 26647 263541 263411 2024-11-15T23:58:22Z Ef3 694 機械語(きかいご、machine language)とは、コンピュータの中央処理装置(CPU)が直接解釈して実行できる命令の集合のことを指します。これは、コンピュータの最も基本的なプログラム言語であり、0と1のビット列(バイナリ形式)で表されます。 263541 wikitext text/x-wiki '''機械語'''(きかいご、machine language)とは、コンピュータの中央処理装置(CPU)が直接解釈して実行できる'''命令の集合'''のことを指します。これは、コンピュータの最も基本的なプログラム言語であり、'''0と1のビット列'''(バイナリ形式)で表されます。 == 主な特徴 == # '''CPU固有''' #* 機械語はCPUのアーキテクチャに依存しており、異なるCPU(例: x86、ARM)では異なる機械語が用いられます。 # '''直接実行可能''' #* 機械語は、中間的な翻訳や解釈を必要とせず、CPUがそのまま実行します。 # '''低水準言語''' #* 高水準言語(例: C、Python)とは異なり、機械語はハードウェアに近い抽象度の低い言語です。プログラミングには非常に細かい作業が必要です。 # '''命令セットアーキテクチャ(ISA)'''に基づく #* 機械語は、特定のCPUがサポートする'''命令セットアーキテクチャ'''(Instruction Set Architecture)に準拠しています。例えば、「データをロードする」「加算する」「分岐する」などの命令が含まれます。 == 機械語の例(x86-64アーキテクチャの場合) == 以下は、<code>add eax, 1</code>(EAXレジスタの値に1を加算する)の機械語表現です: * バイナリ: <code>00000001 11000000</code> * 16進数: <code>01 C0</code> == 機械語と関連する他の言語 == * '''アセンブリ言語''' *: 機械語に対して、'''人間が理解しやすい表現'''(ニーモニック)を使った低水準言語。アセンブリ言語をアセンブラで翻訳すると機械語になります。 *:* 例: <code>mov eax, 1</code> * '''高水準言語''' *: 機械語やアセンブリ言語よりも人間にとって理解しやすい言語。コンパイラやインタプリタによって、最終的に機械語に変換されます。 *:* 例: <code>x = x + 1</code>(C言語の場合) == 機械語の利点と欠点 == ; 利点 :* '''高速な実行''': 中間翻訳が不要なため、直接CPUで実行できます。 :* '''細かい制御''': ハードウェアの動作を詳細に制御できます。 ; 欠点 :* '''難解さ''': 人間には理解しにくく、プログラミングが非常に難しい。 :* '''非移植性''': CPU固有のため、異なるCPU間で互換性がありません。 == 機械語の使用例 == 現代では、プログラマーが直接機械語を書くことはほとんどありませんが、次のような場面で関わります: * 組み込みシステムの最適化 * OSのカーネルやドライバの設計 * セキュリティ関連の研究(例: バイナリ解析やリバースエンジニアリング) 以上が、機械語の基本的な説明です。興味があれば、具体的なCPUアーキテクチャ(例: x86-64、ARM)の命令セットを学ぶと、より深く理解できます。 == ソースコードからどんな機械語が生成されるか == ;フィボナッチ数を返す関数(C言語):<syntaxhighlight lang=c line copy> int fibo(int n) { *: if (n == 0 || n == 1) *: return n; *: return fibo(n-1) + fibo(n-2); } </syntaxhighlight> === 32bitARMプロセッサーの例 === ;コンパイラーによって生成されたコード:<syntaxhighlight lang=c-objdump line> $ clang-19 --target=arm -mfloat-abi=soft -c -Oz -g fibo.c $ llvm-objdump-19 --triple=arm -S fibo.o fibo.o: file format elf32-littlearm Disassembly of section .text: 00000000 <fibo>: ; int fibo(int n) { *: 0: e92d4830 push {r4, r5, r11, lr} *: 4: e28db008 add r11, sp, #8 *: 8: e1a04000 mov r4, r0 *: c: e3a05000 mov r5, #0 ; if (n == 0 || n == 1) *: 10: e3540002 cmp r4, #2 ; } *: 14: 30840005 addlo r0, r4, r5 *: 18: 38bd8830 poplo {r4, r5, r11, pc} ; return fibo(n-1) + fibo(n-2); *: 1c: e2440001 sub r0, r4, #1 *: 20: ebfffffe bl 0x20 <fibo+0x20> @ imm = #-0x8 *: 24: e0805005 add r5, r0, r5 *: 28: e2444002 sub r4, r4, #2 *: 2c: eafffff7 b 0x10 <fibo+0x10> @ imm = #-0x24 </syntaxhighlight> このコードは[[W:ARMアーキテクチャ#32ビットARM|32bitARMプロセッサ]]をターゲットとしたもので、すべての命令が32ビット長なのでアセンブラーの初学者向きです。 また、ARMアーキテクチャは多くのスマートフォンやタブレットで採用されていたり、組込み用途での採用も多いので最も普及しているコンピュータ・アーキテクチャの1つです。 ==== 各命令の説明 ==== 出力されたアセンブリの各行を詳細に見ていきます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=10> *: 0: e92d4830 push {r4, r5, r11, lr} </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>push {r4, r5, r11, lr}</code> :* '''解説''': 関数のエントリポイントです。レジスタ<code>r4</code>, <code>r5</code>, <code>r11</code>, <code>lr</code>(リンクレジスタ)をスタックに保存して、<code>lr</code>は関数の復帰先アドレスを保持します。この命令によりスタックフレームが作成され、レジスタの内容が保存されます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=11> *: 4: e28db008 add r11, sp, #8 </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>add r11, sp, #8</code> :* '''解説''': フレームポインタ<code>r11</code>を現在のスタックポインタにオフセットを追加した値に設定し、スタックフレームの開始位置を決めます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=12> *: 8: e1a04000 mov r4, r0 </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>mov r4, r0</code> :* '''解説''': 引数<code>n</code>(<code>r0</code>に格納されている)をレジスタ<code>r4</code>に移動します。この<code>r4</code>が以降で引数<code>n</code>として使われます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=13> *: c: e3a05000 mov r5, #0 </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>mov r5, #0</code> :* '''解説''': レジスタ<code>r5</code>に<code>0</code>を設定します。<code>r5</code>はこの後の計算結果の累積値を保持します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=15> *: 10: e3540002 cmp r4, #2 </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>cmp r4, #2</code> :* '''解説''': <code>n < 2</code>を判定するため、<code>r4</code>と<code>2</code>を比較しています。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=17> *: 14: 30840005 addlo r0, r4, r5 *: 18: 38bd8830 poplo {r4, r5, r11, pc} </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>addlo r0, r4, r5</code> :** '''解説''': <code>n</code>が<code>0</code>か<code>1</code>のとき、つまり<code>n < 2</code>の場合、<code>r0</code>に<code>r4</code>と<code>r5</code>の和を返します<ref>ARMアーキテクチャでは、多くの命令でキャリーなどのコンディションコードによって実行する・しないを制御できるのが大きな特徴で、他のアーキテクチャではジャンプ命令以外でコンディションコードによって実行する・しないを制御できるのは稀です(他にはIA-64がプレディケート可能です)。</ref>。 :* '''命令''': <code>poplo {r4, r5, r11, pc}</code> :** '''解説''': 条件が成立(<code>n < 2</code>)した場合、関数から復帰します。スタックからレジスタ<code>r4</code>, <code>r5</code>, <code>r11</code>, <code>pc</code>(プログラムカウンタ)を復元し、<code>pc</code>に復帰アドレスが入ることで呼び出し元に戻ります。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=20> *: 1c: e2440001 sub r0, r4, #1 *: 20: ebfffffe bl 0x20 <fibo+0x20> </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>sub r0, r4, #1</code> :** '''解説''': <code>n-1</code>を計算し、再帰呼び出しのために<code>r0</code>にセットします。 :* '''命令''': <code>bl 0x20 <fibo+0x20></code> :** '''解説''': <code>fibo(n-1)</code>を再帰的に呼び出します。このとき、リンクレジスタ<code>lr</code>に次の命令アドレスが保存されます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=22> *: 24: e0805005 add r5, r0, r5 </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>add r5, r0, r5</code> :* '''解説''': <code>fibo(n-1)</code>の戻り値が<code>r0</code>に格納されているため、それを累積値<code>r5</code>に加算します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=23> *: 28: e2444002 sub r4, r4, #2 </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>sub r4, r4, #2</code> :* '''解説''': <code>n-2</code>を計算し、次の再帰呼び出しのために<code>r4</code>にセットします。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=24> *: 2c: eafffff7 b 0x10 <fibo+0x10> </syntaxhighlight> :* '''命令''': <code>b 0x10 <fibo+0x10></code> :* '''解説''': ラベル<code>0x10</code>(再帰処理の比較部分)に無条件分岐します。 ==== Thumb命令の例 ==== ARMプロセッサはThumbと呼ばれるコード効率の向上を意図した16ビット長の[[W:ARMアーキテクチャ#Thumb|Thumb命令モード]]を持っています。 ;コンパイラーによって生成されたコード:<syntaxhighlight lang=c-objdump line> $ clang-19 --target=thumb -mfloat-abi=soft -mthumb -c -Oz -g fibo.c $ llvm-objdump-19 --triple=thumb -S fibo.o fibo.o: file format elf32-littlearm Disassembly of section .text: 00000000 <fibo>: ; int fibo(int n) { *: 0: b5b0 push {r4, r5, r7, lr} *: 2: af02 add r7, sp, #0x8 *: 4: 0004 movs r4, r0 *: 6: 2500 movs r5, #0x0 ; if (n == 0 || n == 1) *: 8: 2c02 cmp r4, #0x2 *: a: d305 blo 0x18 <fibo+0x18> @ imm = #0xa ; return fibo(n-1) + fibo(n-2); *: c: 1e60 subs r0, r4, #0x1 *: e: f7ff fffe bl 0xe <fibo+0xe> @ imm = #-0x4 *: 12: 1945 adds r5, r0, r5 *: 14: 1ea4 subs r4, r4, #0x2 *: 16: e7f7 b 0x8 <fibo+0x8> @ imm = #-0x12 ; } *: 18: 1960 adds r0, r4, r5 *: 1a: bdb0 pop {r4, r5, r7, pc} </syntaxhighlight> ==== 各命令の説明 ==== 出力されたアセンブリの各行を詳細に見ていきます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=8> 00000000 <fibo>: ; int fibo(int n) { *: 0: b5b0 push {r4, r5, r7, lr} </syntaxhighlight> :* '''命令 <code>push {r4, r5, r7, lr}</code>''': レジスタ <code>r4</code>、<code>r5</code>、<code>r7</code>、<code>lr</code> (リンクレジスタ) をスタックに保存し、再帰的な呼び出しでもレジスタの値を保持します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=11> *: 2: af02 add r7, sp, #0x8 </syntaxhighlight> :* '''命令 <code>add r7, sp, #0x8</code>''': フレームポインタレジスタ <code>r7</code> をスタックポインタから8バイト分ずらして設定します。ローカル変数や引数へのアクセスを簡単にするために使用されます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=12> *: 4: 0004 movs r4, r0 *: 6: 2500 movs r5, #0x0 </syntaxhighlight> :* '''命令 <code>movs r4, r0</code>''': 引数 <code>n</code> をレジスタ <code>r4</code> に保存します。 :* '''命令 <code>movs r5, #0x0</code>''': レジスタ <code>r5</code> に0を設定します。これはフィボナッチ計算の一部で、計算結果を保存していくためのレジスタです。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=14> ; if (n == 0 || n == 1) *: 8: 2c02 cmp r4, #0x2 *: a: d305 blo 0x18 <fibo+0x18> </syntaxhighlight> :* '''命令 <code>cmp r4, #0x2</code>''': <code>n</code> の値 (<code>r4</code>) を2と比較します。 :* '''命令 <code>blo 0x18 <fibo+0x18></code>''': <code>n</code> が2未満(すなわち0か1)なら、条件分岐して0x18番地にジャンプします。ここで関数の終了処理に進みます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=17> ; return fibo(n-1) + fibo(n-2); *: c: 1e60 subs r0, r4, #0x1 *: e: f7ff fffe bl 0xe <fibo+0xe> *: 12: 1945 adds r5, r0, r5 *: 14: 1ea4 subs r4, r4, #0x2 *: 16: e7f7 b 0x8 <fibo+0x8> </syntaxhighlight> :* '''命令 <code>subs r0, r4, #0x1</code>''': <code>r4</code> から1を引き、<code>fibo(n-1)</code> を計算するための引数を設定します。 :* '''命令 <code>bl 0xe <fibo+0xe></code>''': <code>fibo</code> 関数を再帰的に呼び出します。この再帰呼び出しは <code>fibo(n-1)</code> を求めます。 :* '''命令 <code>adds r5, r0, r5</code>''': 呼び出しの結果が <code>r0</code> に格納され、これを <code>r5</code> に加えます。 :* '''命令 <code>subs r4, r4, #0x2</code>''': <code>n</code> の値から2を引き、<code>fibo(n-2)</code> を求める準備をします。 :* '''命令 <code>b 0x8 <fibo+0x8></code>''': 再度 <code>fibo</code> 関数に戻ってループを繰り返し、 <code>fibo(n-1) + fibo(n-2)</code> を計算します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=24> *: 18: 1960 adds r0, r4, r5 *: 1a: bdb0 pop {r4, r5, r7, pc} </syntaxhighlight> :* '''命令 <code>adds r0, r4, r5</code>''': 最終的な結果を <code>r0</code> に格納し、戻り値として設定します。 :* '''命令 <code>pop {r4, r5, r7, pc}</code>''': スタックからレジスタの内容を復元し、関数の実行を終了します。 Thumb命令は概ね命令長は16ビットで、長いオペランドが必要な命令(この場合は bl)だけが追加のオペランドを持ちます。 === 64bitARMプロセッサーの例 === ARMアーキテクチャーは、ARMv8-Aから64ビットモードアーキテクチャーAArch64を採用してます。 AArch64は、32本の64ビットレジスター(うち1本はスタックポインター兼ゼロレジスタ、1本は戻り番地を保持するリンクレジスタ)を持ち、Xnnレジスターは64ビットレジスターのnn本目、WnnはXnnレジスターの下位32ビットです。 ;コンパイラーによって生成されたコード:<syntaxhighlight lang=c-objdump line> $ clang-19 --target=aarch64 -c -Oz -g fibo.c $ llvm-objdump-19 --triple=aarch64 -S fibo.o fibo.o: file format elf64-littleaarch64 Disassembly of section .text: 0000000000000000 <fibo>: ; int fibo(int n) { *: 0: a9be7bfd stp x29, x30, [sp, #-0x20]! *: 4: a9014ff4 stp x20, x19, [sp, #0x10] *: 8: 910003fd mov x29, sp *: c: 2a1f03f3 mov w19, wzr ; if (n == 0 || n == 1) *: 10: 71000814 subs w20, w0, #0x2 *: 14: 540000e3 b.lo 0x30 <fibo+0x30> ; return fibo(n-1) + fibo(n-2); *: 18: 51000400 sub w0, w0, #0x1 *: 1c: 94000000 bl 0x1c <fibo+0x1c> *: 20: 2a0003e8 mov w8, w0 *: 24: 2a1403e0 mov w0, w20 *: 28: 0b130113 add w19, w8, w19 *: 2c: 17fffff9 b 0x10 <fibo+0x10> ; } *: 30: 0b130000 add w0, w0, w19 *: 34: a9414ff4 ldp x20, x19, [sp, #0x10] *: 38: a8c27bfd ldp x29, x30, [sp], #0x20 *: 3c: d65f03c0 ret </syntaxhighlight> このコードは、AArch64アーキテクチャ用にコンパイルされた再帰的なフィボナッチ関数 <code>fibo</code> のアセンブリリストです。以下で各部分を解説します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=10> 0: a9be7bfd stp x29, x30, [sp, #-0x20]! 4: a9014ff4 stp x20, x19, [sp, #0x10] 8: 910003fd mov x29, sp c: 2a1f03f3 mov w19, wzr </syntaxhighlight> :* '''スタックフレームの設定''':<code>stp</code> 命令でリンクレジスタ (<code>x30</code>) とフレームポインタ (<code>x29</code>) をスタックに保存し、<code>sp</code>(スタックポインタ)を更新しています。また、<code>x20</code> と <code>x19</code> の値もスタックに保存しています。これにより、関数が呼び出されるたびにスタック上に新しいフレームが作成され、レジスタの状態が保持されます。 :* '''初期化''':<code>mov w19, wzr</code> によって、<code>w19</code> にゼロ (<code>wzr</code>はゼロレジスタ) を設定しています。これは <code>n = 0</code> または <code>n = 1</code> の場合の初期戻り値として使用されます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=15> 10: 71000814 subs w20, w0, #0x2 14: 540000e3 b.lo 0x30 <fibo+0x30> </syntaxhighlight> :* '''条件チェック''':引数 <code>n</code>(<code>w0</code>に格納)を使って <code>n < 2</code> かどうかをチェックしています。<code>subs w20, w0, #0x2</code> によって、<code>n - 2</code> の結果が <code>w20</code> に格納され、<code>b.lo</code> 命令で <code>n < 2</code> の場合に <code>0x30</code> のラベルにジャンプします。これにより <code>n</code> が 0 または 1 の場合は直接 <code>n</code> を返す処理に移行します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=18> 18: 51000400 sub w0, w0, #0x1 1c: 94000000 bl 0x1c <fibo+0x1c> 20: 2a0003e8 mov w8, w0 24: 2a1403e0 mov w0, w20 28: 0b130113 add w19, w8, w19 2c: 17fffff9 b 0x10 <fibo+0x10> </syntaxhighlight> :* '''再帰呼び出し''':<code>w0</code> を <code>n-1</code> として設定して <code>fibo(n-1)</code> を呼び出します。この結果が <code>w0</code> に返され、<code>mov w8, w0</code> で一時保存します。その後 <code>w0</code> に <code>n-2</code> を設定し、再度 <code>fibo(n-2)</code> を呼び出し、その結果を <code>w19</code> に加算します。<code>b 0x10</code> によってループに戻り、これを繰り返して <code>fibo</code> を計算します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=25> 30: 0b130000 add w0, w0, w19 34: a9414ff4 ldp x20, x19, [sp, #0x10] 38: a8c27bfd ldp x29, x30, [sp], #0x20 3c: d65f03c0 ret </syntaxhighlight> :* '''結果を返す''':計算が完了したら、結果(<code>w0</code>)を返します。スタック上に保存していた <code>x20</code>、<code>x19</code>、<code>x29</code>、および <code>x30</code> を復元し、<code>ret</code> で関数から戻ります。 wzrはゼロレジスターを32bitで参照しています、spはスタックポインターでアドレス演算の文脈と左辺値の文脈ではスタックポインター、右辺値の場合はゼロレジスターになりレジスタインデックス(31番)を共有しています。 aarch64 では32bitARMと違って全ての命令に条件フラッグ参照が着くわけではないので、どちらかというと Thumb に似ていますが最小命令サイズは32bitです。 === amd64プロセッサーの例 === amd64(X86-64とも)の命令は最小単位は1バイトで、バイト数あたりの操作が多いのが特徴です。 逆アッセンブルされたコードを読む限り不便は感じませんが、ハンドディスアッセンブルする場合は1バイトずれるとまるで違った意味になるのが厄介で、プロセッサーの中でも数命令先の命令を読み込み実行効率を上げる為に命令の切れ目を探すことが性能向上のボトルネックになっています(ARMなら次の命令は4バイト先と決まっているので深い先読みが相対的に容易)。 ;同じコードをamd64向けにコンパイル:<syntaxhighlight lang=c-objdump line> $ clang-19 --target=amd64 -c -Oz -g fibo.c $ llvm-objdump-19 --triple=amd64 -S fibo.o fibo.o: file format elf64-x86-64 Disassembly of section .text: 0000000000000000 <fibo>: ; int fibo(int n) { *: 0: 55 pushq %rbp *: 1: 48 89 e5 movq %rsp, %rbp *: 4: 41 56 pushq %r14 *: 6: 53 pushq %rbx *: 7: 89 fb movl %edi, %ebx *: 9: 45 31 f6 xorl %r14d, %r14d ; if (n == 0 || n == 1) *: c: 83 fb 02 cmpl $0x2, %ebx *: f: 72 10 jb 0x21 <fibo+0x21> ; return fibo(n-1) + fibo(n-2); *: 11: 8d 7b ff leal -0x1(%rbx), %edi *: 14: e8 00 00 00 00 callq 0x19 <fibo+0x19> *: 19: 41 01 c6 addl %eax, %r14d *: 1c: 83 c3 fe addl $-0x2, %ebx *: 1f: eb eb jmp 0xc <fibo+0xc> ; } *: 21: 44 01 f3 addl %r14d, %ebx *: 24: 89 d8 movl %ebx, %eax *: 26: 5b popq %rbx *: 27: 41 5e popq %r14 *: 29: 5d popq %rbp *: 2a: c3 retq </syntaxhighlight> このアセンブリコードは、x86-64 アーキテクチャ用にコンパイルされた再帰的なフィボナッチ関数 <code>fibo</code> の内容を示しています。各命令が何をしているか解説します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=10> 0: 55 pushq %rbp 1: 48 89 e5 movq %rsp, %rbp 4: 41 56 pushq %r14 6: 53 pushq %rbx 7: 89 fb movl %edi, %ebx 9: 45 31 f6 xorl %r14d, %r14d </syntaxhighlight> :* '''スタックフレームの設定''':<code>pushq %rbp</code> と <code>movq %rsp, %rbp</code> によってスタックフレームを設定しています。また、関数内で使用する <code>%r14</code> と <code>%rbx</code> レジスタをスタックに退避させ、関数終了時に復元できるようにしています。 :* '''引数の格納と初期化''':引数 <code>n</code> は <code>%edi</code> レジスタに格納されているため、これを <code>%ebx</code> に移しています(<code>movl %edi, %ebx</code>)。また、<code>%r14d</code> をゼロクリアして初期化しています。この <code>%r14</code> は、最終的な戻り値のための一時的な蓄積レジスタとして使用されます。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=17> c: 83 fb 02 cmpl $0x2, %ebx f: 72 10 jb 0x21 <fibo+0x21> </syntaxhighlight> :* '''条件チェック''':引数 <code>n</code> の値が 2 未満 (<code>n < 2</code>) かどうかを比較しています。<code>cmpl $0x2, %ebx</code> によって <code>%ebx</code>(<code>n</code> の値)と定数 <code>2</code> を比較し、<code>jb</code>(jump if below)命令によって <code>n < 2</code> の場合は、アドレス <code>0x21</code> にジャンプします。これは、フィボナッチ数列の初期条件に当たるケースです。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=20> 11: 8d 7b ff leal -0x1(%rbx), %edi 14: e8 00 00 00 00 callq 0x19 <fibo+0x19> 19: 41 01 c6 addl %eax, %r14d 1c: 83 c3 fe addl $-0x2, %ebx 1f: eb eb jmp 0xc <fibo+0xc> </syntaxhighlight> :* '''再帰呼び出し''': :** <code>leal -0x1(%rbx), %edi</code> によって、<code>%edi</code> に <code>n - 1</code> を設定し、<code>fibo(n-1)</code> を呼び出します。 :** <code>callq</code> 命令の後で <code>%eax</code> に返り値が格納されます。この <code>%eax</code> の値(<code>fibo(n-1)</code> の結果)を <code>%r14d</code> に加算して、合計を蓄積します。 :** 次に、<code>%ebx</code>(<code>n</code> の値)を <code>n - 2</code> に更新し、再び <code>jmp 0xc</code> によって <code>n - 2</code> での再帰を行い、計算が完了するまで繰り返します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=26> 21: 44 01 f3 addl %r14d, %ebx 24: 89 d8 movl %ebx, %eax 26: 5b popq %rbx 27: 41 5e popq %r14 29: 5d popq %rbp 2a: c3 retq </syntaxhighlight> :* '''戻り値の設定と終了処理''':ここで蓄積していた <code>%r14d</code> を <code>%ebx</code> に加算し、最終的な戻り値を <code>%eax</code> に格納します。そして、保存しておいたレジスタ <code>%rbx</code>、<code>%r14</code>、<code>%rbp</code> を復元し、<code>retq</code> 命令で関数から戻ります。 このコードは再帰的なフィボナッチ関数を最適化していますが、各再帰呼び出しの後に部分的な結果を加算していくため、再帰が深くなるとスタックの使用量が増えます。このコードは、コンパイラの最適化オプション <code>-Oz</code> によりコードサイズが最小化されています。 ==== x86(32ビット)のコード ==== ;x86(32ビット)のコード:<syntaxhighlight lang=c-objdump line> $ clang-19 --target=i686 -c -Oz -g fibo.c $ llvm-objdump-19 --triple=i686 -S fibo.o fibo.o: file format elf32-i386 Disassembly of section .text: 00000000 <fibo>: ; int fibo(int n) { *: 0: 55 pushl %ebp *: 1: 89 e5 movl %esp, %ebp *: 3: 57 pushl %edi *: 4: 56 pushl %esi *: 5: 31 ff xorl %edi, %edi *: 7: 8b 75 08 movl 0x8(%ebp), %esi ; if (n == 0 || n == 1) *: a: 83 fe 02 cmpl $0x2, %esi *: d: 72 11 jb 0x20 <fibo+0x20> ; return fibo(n-1) + fibo(n-2); *: f: 8d 46 ff leal -0x1(%esi), %eax *: 12: 50 pushl %eax *: 13: e8 fc ff ff ff calll 0x14 <fibo+0x14> *: 18: 59 popl %ecx *: 19: 01 c7 addl %eax, %edi *: 1b: 83 c6 fe addl $-0x2, %esi *: 1e: eb ea jmp 0xa <fibo+0xa> ; } *: 20: 01 fe addl %edi, %esi *: 22: 89 f0 movl %esi, %eax *: 24: 5e popl %esi *: 25: 5f popl %edi *: 26: 5d popl %ebp *: 27: c3 retl </syntaxhighlight> このアセンブリコードは、i386(32ビット)アーキテクチャ用にコンパイルされた再帰的なフィボナッチ関数 <code>fibo</code> の内容を示しています。各命令が何をしているかを解説します。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=10> 0: 55 pushl %ebp 1: 89 e5 movl %esp, %ebp 3: 57 pushl %edi 4: 56 pushl %esi 5: 31 ff xorl %edi, %edi 7: 8b 75 08 movl 0x8(%ebp), %esi </syntaxhighlight> :* '''スタックフレームの設定''':<code>pushl %ebp</code> と <code>movl %esp, %ebp</code> で新しいスタックフレームを作成します。また、関数内で使用するレジスタ <code>%edi</code> と <code>%esi</code> をスタックに保存して、関数終了時に復元できるようにしています。 :* '''初期化''':<code>xorl %edi, %edi</code> によって <code>%edi</code> をゼロクリアしています。このレジスタは結果の一時的な蓄積に使われます。 :* '''引数の取得''':引数 <code>n</code> はスタックから取り出して <code>%esi</code> に格納しています(<code>movl 0x8(%ebp), %esi</code>)。これは、<code>fibo</code> 関数の引数 <code>n</code> です。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=17> a: 83 fe 02 cmpl $0x2, %esi d: 72 11 jb 0x20 <fibo+0x20> </syntaxhighlight> :* '''条件チェック''':<code>cmpl $0x2, %esi</code> で <code>%esi</code>(引数 <code>n</code>)と <code>2</code> を比較し、<code>jb</code>(jump if below)命令によって <code>n < 2</code> の場合にアドレス <code>0x20</code> にジャンプします。これは、フィボナッチ数列の初期条件をチェックする部分です。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=20> f: 8d 46 ff leal -0x1(%esi), %eax 12: 50 pushl %eax 13: e8 fc ff ff ff calll 0x14 <fibo+0x14> 18: 59 popl %ecx 19: 01 c7 addl %eax, %edi 1b: 83 c6 fe addl $-0x2, %esi 1e: eb ea jmp 0xa <fibo+0xa> </syntaxhighlight> :* '''再帰呼び出し''': :** <code>leal -0x1(%esi), %eax</code> によって、<code>%eax</code> に <code>n - 1</code> を設定し、次の再帰呼び出しの引数とします。 :** <code>pushl %eax</code> で引数をスタックにプッシュし、<code>calll</code> によって <code>fibo(n-1)</code> を再帰呼び出しします。 :** 呼び出しが終わったら <code>%eax</code> に戻り値が格納されます。これを <code>%edi</code> に加算して、合計を蓄積します。 :** <code>addl $-0x2, %esi</code> により <code>%esi</code> を <code>n - 2</code> に更新し、<code>jmp 0xa</code> で <code>n - 2</code> の場合の計算を再び行います。 :<syntaxhighlight lang=c-objdump line start=28> 20: 01 fe addl %edi, %esi 22: 89 f0 movl %esi, %eax 24: 5e popl %esi 25: 5f popl %edi 26: 5d popl %ebp 27: c3 retl </syntaxhighlight> :* '''戻り値の設定と終了処理''':最終的に <code>%edi</code>(<code>fibo(n-1)</code> の結果の蓄積)が <code>%esi</code> に加算され、戻り値として <code>%eax</code> に格納されます。スタックから <code>%esi</code>、<code>%edi</code>、<code>%ebp</code> を復元し、<code>retl</code> によって関数から戻ります。 このコードも再帰的なフィボナッチ関数を実装しています。再帰呼び出しでの部分的な計算結果が <code>%edi</code> に蓄積され、スタックの使用が少ないように最適化されています。 == まとめ == * 異なるプロセッサーでは、同じ高級言語のコードが全く違う機械語命令列にコンパイルされる。 * 同じプロセッサーでも命令モードによって、同じ高級言語のコードが全く違う機械語命令列にコンパイルされる。 * 再帰などのプログラム構造もコンパイラーによって(意味解析され)等価のより速度的に(あるいはメモリーフットプリント的に)優れたコードに置き換えられる(事がある)。 {{コラム|width=100%|機械語 = バイナリーデータ?|2=機械語はバイナリーデータですが、全てのバイナリーデータが機械語ではありません。 例えば、画像データや映像データはバイナリーデータですが機械語ではありません。 実行ファイルもバイナリーデータですが、オペレーションシステムが「どの様に配置するのか?」「どの位置から実行するのか?」あるいは「初期化済みのデータ領域の値」など機械語以外の付帯的な情報(一般にヘッダーと呼ばれます)を重層的に持っているので、機械語を含んでいますが機械語そのものではありません。 機械語は、アセンブラのニーモニックに一対一で対応するコードと理解するとわかりやすいと思います。 }} == 用語集 == 機械語に関する用語集 * オペコード(Opcode) - 機械語命令の操作コード。特定の動作を実行するための識別子。 * オペランド(Operand) - オペコードによって指定された操作対象。演算の対象となる数値やアドレス。 * レジスタ(Register) - CPU内にある高速なメモリ領域で、演算に使用されるデータやアドレスを格納するために使用される。 * フラグ(Flag) - CPUの状態を示すビットで、演算の結果を表す。フラグは、CPU内部で条件分岐を行うために使用される。 * メモリアドレス(Memory Address) - メモリ内の特定の場所を示す番号。機械語のオペランドとして使用されることが多い。 * メモリマップドI/O(Memory-mapped I/O) - I/Oデバイスを制御するために、メモリアドレスを使用する方法。 * ファイルI/O(File I/O) - ディスクやネットワーク上のファイルを操作するために使用される命令。 * 命令ポインタ(Instruction Pointer) - CPUが次に実行する機械語命令のアドレスを示すレジスタ。 * サブルーチン(Subroutine) - 他の部分から呼び出される、独立した機械語のブロック。 * スタック(Stack) - プログラム内で一時的なデータを格納するためのメモリ領域。 * エンディアン(Endian) - データの並び順を示す方法。リトルエンディアンは、最下位バイトから順にデータを配置する方式。ビッグエンディアンは、最上位バイトから順にデータを配置する方式。 * マシンサイクル(Machine Cycle) - CPUが一つの命令を実行するために必要なサイクル数。 * 命令セット(Instruction Set) - 特定のCPUが実行できる機械語命令の集合。 * アセンブラ(Assembler) - アセンブリ言語を機械語に変換するプログラム。 * リンカ(Linker) - 複数のオブジェクトファイルを結合して、実行可能なプログラムを生成するプログラム。 * デバッガ(Debugger) - プログラムの実行中に、機械語命令やレジスタの値を監視し、プログラムの動作を解析するツール。 * トレース(Trace) - プログラムの実行中に、実行された命令やメモリアクセスなどの履歴を保存すること。 * ブレークポイント(Breakpoint) - プログラムの実行中に、特定の命令の実行を一時停止し、デバッグのために命令の内容やレジスタの値を確認するために使用されるポイント。 * クロスコンパイラ(Cross-compiler) - 特定のCPU向けに、異なるプラットフォームでコンパイルするためのコンパイラ。 * リバースエンジニアリング(Reverse Engineering) - プログラムやハードウェアの動作を解析して、仕様や設計図を作成するプロセス。 * コンパイル(Compile) - 高水準言語で書かれたプログラムを、機械語に変換するプロセス。 * リンク(Link) - コンパイルされた複数のオブジェクトファイルを、実行可能なプログラムに結合するプロセス。 * アセンブル(Assemble) - アセンブリ言語で書かれたプログラムを、機械語に変換するプロセス。 * ローダ(Loader) - プログラムをメモリに読み込み、実行可能な状態にするプログラム。 * バイトコード(Bytecode) - 実行環境に依存しない、仮想マシン上で実行される機械語。 * オーバーフロー(Overflow) - データ型の最大値を超える演算が行われた場合に発生する、予期しない結果のこと。 * セグメンテーション違反(Segmentation Fault) - プログラムがメモリの範囲外をアクセスしようとした場合に発生するエラー。 * プロセス(Process) - プログラムの実行中に割り当てられる、メモリやレジスタ、実行状態などのリソースの集合。 * マルチプロセッシング(Multiprocessing) - 複数のプロセッサを使用して、プログラムを並列に処理する方式。 == 脚註 == <references/> [[Category:機械語|*]] [[Category:プログラミング言語]] jyjxc9e2cuqs73dkqbbepi7hevs0mh1 小学校社会/私たちの住む都道府県の特ちょう 0 27378 263544 263385 2024-11-16T00:31:20Z Ef3 694 /* 都道府県 */ {{Ruby}} 263544 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|小学校の学習|小学校社会|frame=1}} このページでは、日本の'''{{Ruby|都道府県|とどうふけん}}'''について{{Ruby|紹介|しょうかい}}します。 == 都道府県 == [[ファイル:Map of the prefectures of Japan with claimed territories.png|right|400px|thumb|都道府県区分]] 日本には、{{ruby|都道府県|とどうふけん}}と いって、{{ruby|国土|こくど}}が、{{ruby|区分|くわ|け}}されています。{{Ruby|青森県|あおもりけん}}や{{Ruby|鹿児島県|かごしまけん}}などの {{big|{{Ruby|県|けん}}}} が43個で、{{big|{{Ruby|東京都|とうきょうと}}}}で {{big|{{Ruby|都|と}}}}が1個で、{{big|{{Ruby|北海道|ほっかいどう}}}} で {{big|{{Ruby|道|どう}}}} が1個で、{{big|{{Ruby|府|ふ}}}}が {{big|{{Ruby|京都府|きょうとふ}}}} および {{big|{{Ruby|大阪府|おおさかふ}}}} の2個で、つまり「1都1道2府43県」、あわせると47個あるので {{big|{{Ruby|47都道府県|よんじゅうなな とどうふけん}}}} と言います。 日本の都道府県は8つの{{big|{{Ruby|地方|ちほう}}}}に、分けられます。 県名と県庁所在地名を、おぼえてください。 :{| style="margin:auto;" |+ 地方区分と都道府県 | style="padding-right:1em; vertical-align:top;" | <div class="center">{{Ruby|北海道|ほっかいどう}}地方</div> ---- # 北海道 | style="padding-right:1em; vertical-align:top;" | <div class="center">{{Ruby|東北地方|とうほく ちほう}}</div> ---- # <li value="2">{{Ruby|青森|あおもり}}県 # {{Ruby|岩手|いわて}}県 # {{Ruby|宮城|みやぎ}}県 # {{Ruby|秋田|あきた}}県 # {{Ruby|山形|やまがた}}県 # {{Ruby|福島|ふくしま}}県 | style="padding-right:1em; vertical-align:top;" | <div class="center">{{Ruby|関東地方|かんとう ちほう}}</div> ---- # <li value="8">{{Ruby|茨城|いばらき}}県 # {{Ruby|栃木|とちぎ}}県 # {{Ruby|群馬|ぐんま}}県 # {{Ruby|埼玉|さいたま}}県 # {{Ruby|千葉|ちば}}県 # {{Ruby|東京都|とうきょうと}} # {{Ruby|神奈川|かながわ}}県 | style="padding-right:1em; vertical-align:top;" | <div class="center">{{Ruby|中部地方|ちゅうぶ ちほう}}</div> ---- # <li value="15">{{Ruby|新潟|にいがた}}県 # {{Ruby|富山|とやま}}県 # {{Ruby|石川|いしかわ}}県 # {{Ruby|福井|ふくい}}県 # {{Ruby|山梨|やまなし}}県 # {{Ruby|長野|ながの}}県 # {{Ruby|岐阜|ぎふ}}県 # {{Ruby|静岡|しずおか}}県 # {{Ruby|愛知|あいち}}県 |- | style="padding-right:1em; vertical-align:top;" | <div class="center">{{Ruby|近畿地方|きんき ちほう}}</div> ---- # <li value="24">{{Ruby|三重|みえ}}県 # {{Ruby|滋賀|しが}}県 # {{Ruby|京都府|きょうとふ}} # {{Ruby|大阪府|おおさかふ}} # {{Ruby|兵庫|ひょうご}}県 # {{Ruby|奈良|なら}}県 # {{Ruby|和歌山|わかやま}}県 | style="padding-right:1em; vertical-align:top;" | <div class="center">{{Ruby|中国地方|ちゅうごく ちほう}}</div> ---- # <li value="31">{{Ruby|鳥取|とっとり}}県 # {{Ruby|島根|しまね}}県 # {{Ruby|岡山|おかやま}}県 # {{Ruby|広島|ひろしま}}県 # {{Ruby|山口|やまぐち}}県 | style="padding-right:1em; vertical-align:top;" | <div class="center">{{Ruby|四国地方|しこく ちほう}}</div> ---- # <li value="36">{{Ruby|徳島|とくしま}}県 # {{Ruby|香川|かがわ}}県 # {{Ruby|愛媛|えひめ}}県 # {{Ruby|高知|こうち}}県 | style="padding-right:1em; vertical-align:top;" | <div class="center">{{Ruby|九州地方|きゅうしゅう ちほう}}</div> ---- # <li value="40">{{Ruby|福岡|ふくおか}}県 # {{Ruby|佐賀|さが}}県 # {{Ruby|長崎|ながさき}}県 # {{Ruby|熊本|くまもと}}県 # {{Ruby|大分|おおいた}}県 # {{Ruby|宮崎|みやざき}}県 # {{Ruby|鹿児島|かごしま}}県 # {{Ruby|沖縄|おきなわ}}県 |} くわしくは、4年生や5年生でならいます。 3年生は、いろんな地域の{{Ruby|気候|きこう}}と、その地域での暮らしを勉強していきましょう。 さいしょから全部をじゅんばんに、おぼえようとするのでなく、いろんな地方をかたよりなく学んでください。 たとえば九州について、県を1つか2つぐらい勉強をしたら、つぎは東北や北海道など、北のほうの地方を勉強してください。 都道府県の数は40個以上もあるので、じゅんばんにしらべようとすると、南西のほうの県ばかりを勉強してしまったり、あるいは北東のほうの県ばかりを勉強してしまいます。 ※注意 画像素材の関係で、紹介する画像の内容が偏っています。ウィキペディアに地名の場所を説明した画像が少ないです。勉強する人は、他の書籍で地名の場所を学んでください。 :{| class="wikitable" style="text-align:center" |+ 都道府県の県庁所在地 ! 県名 !! 県庁所在地 !! 県名 !! 県庁所在地 |- ! 北海道 | 札幌市 ! 青森県 | 青森市 |- ! 岩手県 | {{Ruby|盛岡|もりおか}}市 ! 宮城県 | {{Ruby|仙台|せんだい}}市 |- ! 秋田県 | 秋田市 ! 山形県 | 山形市 |- ! 福島県 | 福島市 ! 茨城県 | {{Ruby|水戸|みと}}市 |- ! 栃木県 | {{Ruby|宇都宮|うつのみや}}市 ! 群馬県 | {{Ruby|前橋|まえばし}}市 |- ! 埼玉県 | さいたま市 ! 千葉県 | 千葉市 |- ! 東京都 | 東京<ref>表記上では東京ですが、実際に都庁があるのは新宿区です。</ref> ! 神奈川県 | {{Ruby|横浜|よこはま}}市 |- ! 新潟県 | 新潟市 ! 富山県 | 富山市 |- ! 石川県 | 金沢市 ! 福井県 | 福井市 |- ! 山梨県 | {{Ruby|甲府|こうふ}}市 ! 長野県 | 長野市 |- ! 岐阜県 | 岐阜市 ! 静岡県 | 静岡市 |- ! 愛知県 | {{Ruby|名古屋|なごや}}市 ! 三重県 | {{Ruby|津|つ}}市 |- ! 滋賀県 | {{Ruby|大津|おおつ}}市 ! 京都府 | 京都市 |- ! 大阪府 | 大阪市 ! 兵庫県 | {{Ruby|神戸|こうべ}}市 |- ! 奈良県 | 奈良市 ! 和歌山県 | 和歌山市 |- ! 鳥取県 | 鳥取市 ! 島根県 | {{Ruby|松江|まつえ}}市 |- ! 岡山県 | 岡山市 ! 広島県 | 広島市 |- ! 山口県 | 山口市 ! 徳島県 | 徳島市 |- ! 香川県 | {{Ruby|高松|たかまつ}}市 ! 愛媛県 | {{Ruby|松山|まつやま}}市 |- ! 高知県 | 高知市 ! 福岡県 | 福岡市 |- ! 佐賀県 | 佐賀市 ! 長崎県 | 長崎市 |- ! 熊本県 | 熊本市 ! 大分県 | 大分市 |- ! 宮崎県 | 宮崎市 ! 鹿児島県 | 鹿児島市 |- ! 沖縄県 | {{Ruby|那覇|なは}}市 |- |} == 九州地方 == [[ファイル:Kyushu-jp.png|upright|250px|thumb|light|九州地方の地図]] 九州は気候があたたかいので、野菜の早づくり「{{Ruby|促成栽培|そくせい さいばい}}」が多いです。九州南部は台風の通り道になることが多いです。 九州北部の福岡県や佐賀県には{{Ruby|筑紫山地|つくしさんち}}があり、九州中部の熊本県や宮崎県には九州山地があります。 工業については、1970年代ごろから、コンピュータ部品のICなどの電子部品の工場が、九州の各地に進出している。このため、九州は全国的にも電子部品の生産が、さかんな地域になっており、九州をシリコン アイランドという<ref>「シリコン」とは、電子部品に使われている材料の一種であり、半導体という材料の一種である。</ref>。 === 沖縄県 === ;県庁所在地 {{Ruby|:那覇|なは}}市 {{Ruby|沖縄県|おきなわけん}}は、一年中あたたかいです。 いっぱんに、気候は{{Ruby|赤道|せきどう}}に近い地域ほど、あたたかいのが普通です。 沖縄は、雨が多いです。 沖縄は、あたたかく、雨が多いので、農業はパイナップルやサトウキビづくりやマンゴーづくりが、さかんです。 沖縄の農業は、食べ物だけでは、ありません。 キクやランなどの、花をつくっている農家もあります。沖縄は、あたたかいので、冬でも花がよく育つのです。また、促成栽培も、あたたかいのでできます。 工業は、食品加工が中心です。サトウキビの加工などです。 沖縄は、かつて、琉球王国などのいくつかの国からなる、日本とはべつの国だったこともあり、独自の文化があるので、そのことを{{Ruby|観光資源|かんこうしげん}}にした観光業もさかんです。 * 台風 沖縄は、{{Ruby|台風|たいふう}}が多いです。 なので、伝統的な家は、{{Ruby|屋根|やね}}が{{Ruby|低|ひく}}いです。そのような伝統的な家は、{{Ruby|石垣|いしがき}}が多いです。屋根は、かわらをしっくいでかためてあります。 {{Ruby|{{big|防風林}}|ぼうふうりん}}も多いです。 石垣や防風林は、台風の風を防ぐためです。 最近では、コンクリートづくりの家も、おおいです。このような家のおおくは、屋根がたいらです。屋根がたいらなのは、家をひくくすることで台風のえいきょうをへらすためです。 * 水不足 沖縄では、川が短くすぐ海にながれでてしまうので、{{Ruby|飲水|のみみず}}がたりなくなる、つまり水不足になりやすいです。なので、地下ダムをつくって水をためたりします。家庭に貯水タンクをそなえるばあいもあります。 * {{Ruby|生態系|せいたいけい}} 沖縄には、ほかの地方には見られない、独自の動物や植物もいます。たとえば、イリオモテヤマネコというネコ科のヤマネコの動物も生息しています。 ほかにも、ヤンバルクイナという鳥の生息地でもあります。 沖縄のまわりの海には、さんごしょうが生息しています。さんごしょうは、あたたかい海域でないと生きられません。 <gallery> File:Iriomote cat Stuffed specimen.jpg|イリオモテヤマネコの{{Ruby|剥製|はくせい}}。東京の国立科学博物館の展示。 File:Gallirallus okinawae Stuffed specimen.jpg|ヤンバルクイナの剥製。(東京の国立科学博物館の展示) File:Micro cosmos (2113152913).jpg|サンゴ礁(沖縄県本部町) </gallery> * 沖縄のれきし [[ファイル:Naha Shuri Castle16s5s3200.jpg|thumb|300px|首里城]] 沖縄は、もともと,江戸時代までは、{{Ruby|{{big|琉球}}|りゅうきゅう}}という、日本とは、べつの国でした。今の沖縄の島々のあたりで、もっとも大きな国が琉球という王国だったので、琉球王国が沖縄県の前の名前のように、言うことがあります。 沖縄県の{{Ruby|那覇市|なはし}}にある{{Ruby|{{big|守礼門}}|しゅれいもん}}は、この琉球の王朝のころに琉球国の国王が住んでいた{{Ruby|{{big|首里城}}|しゅりじょう}}という{{Ruby|城|しろ}}の正門です。首里城は{{Ruby|世界遺産|せかいいさん}}に登録されています。{{Ruby|首里|しゅり}}は、今でいう{{Ruby|那覇|なは}}のことです。 琉球は、江戸時代に日本国の領土になりました。 そのあと、明治時代の{{Ruby|廃藩置県|はいはんちけん}}のときに、琉球が沖縄県になりました。 第二次大戦のあと、沖縄はアメリカ合衆国に占領されました。そのあと、日本に沖縄が1972年に返還されました。 沖縄には、おおくのアメリカ軍の基地などの軍用地があります。アメリカの軍用地の70%くらいが沖縄県にあります。 なお、アメリカの{{Ruby|軍事基地|ぐんじきち}}は沖縄以外の場所にもあります。たとえば青森県の{{Ruby|三沢基地|みさわ きち}}とか、東京都の{{Ruby|横田基地|よこたきち}}とか、神奈川県の{{Ruby|横須賀基地|よこすかきち}}とか、山口県の{{Ruby|岩国基地|いわくにきち}}です。 外国で言う軍隊に{{Ruby|相当|そうとう}}する、日本の役所はどこかというと、{{Ruby|自衛隊|じえいたい}}という役所が相当します。自衛隊の{{Ruby|駐屯地|ちゅうとんち}}は日本の各地にあります。 日本国は、アメリカと同盟(どうめい)をむすんでいます。同盟とは、自分の国が、ほかの国の軍隊などから、攻め(せめ)こまれた時に、協力しあって攻め込んできた相手をやっつけるという、国と国どうしの約束です。 [[ファイル:Himeyuri Monument-2.jpg|thumb|250px|沖縄のひめゆりの塔]] 第二次世界大戦の戦争中には、男の多くは、国の命令で兵士として、かりだされました。女も人手(ひとで)が足りないので、国の命令で女も働き手としてはたらかされます。 学生も、例外ではありません。 このうち、沖縄のいくつかの女学校で女生徒らが看護要員として、傷病兵の看護要員としてかりだされます。学生が兵士や軍隊での働き手として、戦場や戦場に近いところにかりだすことを、{{big|学徒動員}}(がくとどういん)といいます。 終戦間近の沖縄戦で、沖縄の女学校の学徒隊らも、アメリカ軍の攻撃のまきぞえになります。 {{big|ひめゆりの塔}} は、そのような悲劇の記憶を風化させないように残すための慰霊碑(いれいひ)です。 {{clear}} === 鹿児島県 === [[ファイル:Osumi Peninsula Kagoshima Japan SRTM.jpg|thumb|240px|衛星から見た桜島(写真左上部)]] ;県庁所在地 :鹿児島市 鹿児島県は、火山が多いです。たとえば、桜島(さくらじま)の活火山や、霧島(きりしま)などです。そのため、鹿児島の土は火山灰を多く含んでいます。 火山灰を多く含んだ土地の台地を {{big|シラス台地}}(シラスだいち)といいます。 *農業 シラス台地の多い九州南部では、畑作(はたさく)が、さかんです。 シラスは、水を通しやすいので、水がたまりにくいです。 なので、鹿児島の農業では水が使いづらいので、鹿児島では、稲(いね)が育てにくいのです。 鹿児島の農業では、このシラス台地でそだつ農作物でないと、よく育ちません。なので、作物に与える水が少なくても、よく育つ作物が、鹿児島の農業では多いです。 たとえば サツマイモ や 茶(ちゃ) です。 サツマイモの生産は2014年現在、日本一です。サツマイモは水不足につよく、長持ちしやすいです。 茶の生産もさかんです。 鹿児島も沖縄のように、台風が通りやすいです。 台風は沖縄ほど多くは無いですが、東京や北海道などとくらべると、鹿児島は台風にあいやすいです。 鹿児島や宮崎県でも、防風林が多いです。 鹿児島の水の不足の理由は、シラス台地によるものなので、雨そのものの多さはふつうです。 * 沖合 南方の沖合には、種子島(たねがしま)や屋久島(やくしま)や奄美諸島(あまみしょとう)、奄美大島(あまみおおしま)や徳之島(とくのしま)などがあります。 種子島は、戦国時代の1543年(天文(てんぶん)12年)に鉄砲が伝来した土地です。種子島に流れ着いたポルトガル人によって、鉄砲が伝来しました。 * 畜産業 鹿児島の畜産業では、ニワトリを育てたり、ブタを育てたりする畜産業もさかんです。 鹿児島湾をはさんで、地図の右側(つまり西側)が大隅半島(おおすみ はんとう)で、左側(東側)の半島が薩摩半島(さつま はんとう)です。 薩摩半島の先端にある枕崎港(まくらざき こう)は、カツオ漁の遠洋漁業の拠点です。そのため鹿児島はカツオ節の生産も有名です。 薩摩(さつま)とは、鹿児島の地方のことを言う古いよび方で、明治時代よりも前のよび方です。 * 工業 :福岡などの九州北部はIC産業で有名で、九州のIC工場などのコンピュータ部品の工業地域が{{big|シリコンアイランド}}などと呼ばれていますが、近年では鹿児島にもIC工場などが進出しています。 * 宇宙開発 :種子島には、ロケット打ち上げなどの宇宙開発の施設である種子島宇宙センターがあります。 {{clear}} === 宮崎県 === :県庁所在地・・・宮崎市 沖合を、暖流である黒潮(日本海流)が流れているので、一年中、あたたかい。 宮崎平野(みやざき へいや)の農家では、暖かい気候を利用して、米の早づくりが多いです。 平野(へいや)とは、平らな場所で、とても広い場所です。 米だけでなく、野菜や果物も、早づくりが多いです。キュウリ・ピーマン・カボチャ・トマトなどの早づくりです。 早づくりは、促成栽培(そくせい さいばい)のことです。 なので、ビニールハウスが多いです。 畜産業もさかんである。ブタやニワトリの飼育がさかん。 宮崎県の北西部には九州山地があります。 工業では、延岡(のべおか)市の化学工業や、日南(にちなん)市のパルプ工業です。九州北部は、コンピュータ部品の製造が活発ですが、わりと九州南部である宮崎市にもIC部品などの工場が進出しています。 {{clear}} === 熊本県 === :県庁所在地・・・熊本市 [[File:Edge of Aso caldera.jpg|right|thumb|right|220px|日本の阿蘇カルデラ(カルデラ壁の一部)。南北25km、東西18km]] [[File:Pinatubo92pinatubo caldera crater lake.jpg|thumb|right|220px|カルデラの参考。フィリピンのピナトゥボ山。]] 地図で見た場合、熊本県は、宮崎の西側。位置を間違えないように注意。 有明海に面してるほうが熊本県と覚えると、まちがえにくいだろう。 長崎と宮崎の間に、熊本がある。あるいは有明海に面しているのが熊本県で、宮崎は有明海に面していない、とでも覚える。 阿蘇山(あそざん)という山が熊本県の北西部の、大分県の境とのちかくにある。 阿蘇山は{{big|カルデラ}}という火山の頂上がくぼんだ地形で有名。 熊本は農業県。米作や、トマトやスイカ、ミカンなどの生産が有名。 水産業では、有明海では、のり、真珠、くるまえびの養殖がさかん。 四台公害病の一つの水俣病(みなまたびょう)が、熊本県の水俣湾の周辺で起きた。 熊本県の南西部の島は天草諸島(あまくさ しょとう)。 天草諸島では戦国時代にキリスト教が信仰されました。その後の江戸時代にキリスト教の信仰が禁止されたため、天草諸島で反乱が起きます。このときのキリスト教徒(当時の言葉では「キリシタン」)の反乱を、島原の乱(しまばらのらん)と言います。 九州北部は、コンピュータ部品のIC工場が多い地域であるが、熊本県も同様にIC工場が多く進出している。 {{clear}} === 大分県 === :県庁所在地・・・大分市 [[ファイル:Beppu Gulf.jpg|thumb|国東半島と瀬戸内海]] [[ファイル:Yufuin Onsen -Musōen 02.jpg|thumb|由布院温泉。]] 九州の北東部にあり、県の北東部は瀬戸内海(せとないかい)に面している。 ちなみに大分県北部の海は周防灘(すおうなだ)である。 県南東部の海は豊後水道(ぶんご すいどう)である。 北東部の、瀬戸内海につきでている半島が国東半島(くにさき はんとう)である。 北東部の沿岸の気候は、温暖(おんだん)で雨が少ない、瀬戸内海式気候(せとないかいしき きこう)です。 県中部あたりにある別府(べっぷ)が温泉で有名。由布院(ゆふいん、湯布院)も温泉で有名。 県南部の沿岸はリアス式海岸です。 水産では、アジやサバの漁で有名。 大分県は、工業がさかんな県です。 臨海部には石油精製工場や石油化学工場などのコンビナートがあります。また、大分空港の周辺は、コンピュータ部品のIC産業がさかんです。 歴史的には、戦国時代にはキリスト教が、さかんな地域でした。 この戦国時代に、この地域を治めた戦国大名の大友宗麟は、熱心なキリスト教徒でした。 {{clear}} === 長崎県 === :県庁所在地・・・長崎市 西部の海岸は{{big|リアス式海岸}}(リアスしき かいがん)である。 長崎港では、漁業が、さかん。 大村湾や九十九島などでは、ぶり や かき や 真珠の養殖が、さかん。 長崎市と佐世保(させぼ)では、造船業がさかん。 大村湾の東部の大村市では、コンピュータ部品のIC産業がさかん。 雲仙岳(うんぜんだけ)が1990年〜1991年に噴火し、大きな被害が出た。 大村湾(おおむらわん)では、真珠(しんじゅ)の養殖がさかん。 [[ファイル:Tsushima island ja.png|thumb|対馬]] 離島の対馬(つしま)、壱岐(いき)、五島列島(ごとうれっとう)は長崎県。 江戸時代には、長崎の出島(でじま)が、オランダや今の中華人民共和国(当時はべつの国名)との貿易の拠点になった。 太平洋戦争中の1945年に、8月9日に長崎県に、アメリカにより原子爆弾が投下され、大きな被害を受けた。 長崎県は島の数がとても多く、島が971個あり、日本一の数である。県の面積のおよそ45%が離島である。 海岸線の長さは、北海道についで、第二位。海岸線の長さは4000km以上。 海岸線の近くに山地がせまっており、よって県内に大きな平野は無い。 {{clear}} === 佐賀県 === :県庁所在地・・・佐賀市 九州の北西部にあり、長崎と福岡の中間のあたりに位置している。長崎と熊本の間といってもよい。有明海の北部に佐賀県がある、とも言えるだろう。 有明海に面した筑紫平野では、江戸時代から干拓(かんたく)によって陸地が広げられてきた。 有明海では、のりの養殖などが、さかんである。 伝統工芸の焼き物の、有田焼(ありたやき)や伊万里焼(いまりやき)が有名である。 [[ファイル:ImariA.JPG|thumb|right|250px|18世紀に作られたと見られる有田焼(伊万里焼)]] 筑紫平野(つくしへいや)がある。筑後川(ちくごがわ)があり、クリークとよばれる、水路のいりくんだ地形が多い。 筑紫平野では、稲作がさかんである。筑紫平野を中心に、稲作や麦作がさかんです。 くだものの生産もさかんです。 弥生時代(6年生に詳しく勉強します)の遺跡である{{big|吉野ケ里遺跡}}(よしのがり いせき)は、佐賀県にある。 ※ 佐賀の焼き物にかぎらず、陶磁器(とうじき)などの焼き物は、ねん土(ねんど)などの土をやいて作ったものです。 * 工業 鳥栖(とす)市ではゴムなどの化学工業があり、佐賀市は食品工業があります。 {{clear}} === 福岡県 === :県庁所在地・・・福岡市 伝統工芸では博多人形(はかたにんぎょう)がある。 [[File:武者人形.jpg|250px|right|thumb|侵略者を懲らしめる武士(白水六三郎 作)<br/>「元寇史料館」]] 中部に筑紫山地(つくしさんち)があり、筑紫山地の南部を筑後川(ちくごがわ)が流れており、筑後川は佐賀県へと通じる。 日本海の一部である北西部の海は玄界灘(げんかいなだ)と言います。 山口県と福岡県の間の海峡(かいきょう)は、関門海峡(かんもんかいきょう)といいます。 県庁所在地の福岡市は、人口が百万人をこえている百万都市であり、政令指定都市でもある。 筑紫平野で稲作や野菜、い草、茶の栽培がさかんです。 水産業は玄界灘では沿岸漁業がさかんです。南部の有明海に面している地域では のり の養殖がさかんです。 工業では、北九州工業地域の中心地域である。 {{clear}} == 中国地方と四国地方 == 中国地方と、四国地方のあいだにある海を、{{big|瀬戸内海}}(せとないかい)と言います。その、瀬戸内海に面している県(岡山県・広島県・香川県・愛媛県)を瀬戸内という場合があります。 瀬戸内では「雨がすくない」と聞くと、つい水不足などを想像して「発展がおくれている?」と想像しがちですが、中国地方の広島などは、まわりよりも発展しています。 交通では、{{big|瀬戸大橋}}(せとおおはし)という、中国地方の岡山県と、四国地方の香川県をむすぶ、大きな橋があります。 * 気候 四国地方では、四国どうしの県でも、四国山地の南北で気候がちがいます。 四国山地の北は、山にさえぎられるため、夏は雨が少なくなります。 中国地方は、中国地方どうしの県でも、中国山地の南北で気候がちがいます。中国山地の南は、山にさえぎられるため、冬は雨が少なくなります。 四国山地の北と、中国山地の南の、瀬戸内海の沿岸の地域では、一年中雨が少なくなります。このような瀬戸内の気候を瀬戸内気候(せとうち きこう)とか、瀬戸内海式気候(せとないかいしき きこう)などといいます。 中国地方のうち、鳥取などの中国山地の北側を 山陰(さんいん) といい、岡山や広島など中国山地の南のがわを 山陽(さんよう) といいます。 山陰地方では、冬には雪が多くふります。北陸ほどではないが、雪がふります。 * 瀬戸内工業地域 1960年代の高度経済成長のころから、重化学工場が、山口県岩国市などの瀬戸内地方の山陽の側に進出している。この地域は工業地域になっており、瀬戸内工業地域を、なしている。 <gallery> File:季節風と山地 夏.svg|季節風と山地の関係(夏) File:季節風と山地 冬.svg|季節風と山地の関係(冬) ファイル:MinamiBisanSetoOhashi.jpg|手前が四国側。奥が中国側。 </gallery> === 香川県 === [[ファイル:Mannou-ike reservoir.jpg|thumb|250px|満濃池(まんのういけ)]] :県庁所在地 ・・・ 高松市 :旧地名 ・・・ 讃岐(さぬき) 南方にある讃岐山脈(さぬきさんみゃく)と、さらに南方にある四国山地(しこくさんち)に雲をさえぎられるので、夏は雨が少ないです。 四国地方の上には中国地方があります。中国地方には東西に長く中国山地がのびているので、雲がさえぎられます。 このため、中国山地の南側は冬は雨が少ないです。 この中国地方の中国山地の南側と、四国地方の四国山地の北側のあいだにある海を、{{big|瀬戸内海}}(せとないかい)と言います。 香川県では、雨が少ないので {{big|ため池}}(ためいけ) が、つくられています。有名なため池に、満濃池(まんのういけ)が有名です。 また、香川用水(かがわようすい)が、あります。 北部では、讃岐平野(さぬき へいや)がひろがっています。 香川県の、瀬戸内海にうかぶ小豆島(しょうどしま)では、オリーブの栽培がさかんです。 食品の名物で、讃岐うどん(さぬき うどん)があります。 * 工業 北西部の坂出市で、化学工場などが、多いです。この地域は、瀬戸内工業地域に、ふくまれます。 {{clear}} === 徳島県 === [[File:Naruto-Strait 1.png|thumb|250px|鳴門海峡。]] [[Image:Naruto Whirlpools taken 4-21-2008.jpg|250px|thumb|鳴門の渦潮]] 北部には讃岐山脈(さぬきさんみゃく)があります。讃岐山脈の北側は香川県です。 徳島県の南西部には、四国山地が、愛媛県から高知県をとおり徳島県まで、つづいています。 徳島県は、山がちの県です。県の面積の約8割が山地です。 ですが、徳島平野(とくしま へいや)は、四国で最大の面積です。 毎年、夏には、阿波踊りが行われます。阿波(あわ)とは、明治時代よりも前の古いよび方です。 藍染め(あいぞめ)という伝統工芸品があります。 鳴門海峡(なるとかいきょう)に大鳴門橋(おおなるときょう)がある。鳴門海峡は、'''うずしお'''で有名。 {{clear}} === 愛媛県 === 西部は宇和海(うわかい)に面している。北部は瀬戸内海に面している。西部の宇和海に面した海岸は、{{big|リアス式海岸}}である。 '''みかん''' や '''いよかん''' の生産がさかんである。オレンジの輸入自由化などの影響で、みかん・いよかん・キウイフルーツ・レモンなどの生産にうつっている。 県庁所在地は、松山(まつやま)。 明治の俳句で有名な正岡子規(まさおか しき)や、正岡の親友で後に海軍中将になった秋山真之(あきやまさねゆき)は、愛媛県の松山の出身。 夏目漱石の小説「坊っちゃん」(ぼっちゃん)の舞台は松山であるが、夏目漱石は正岡および秋山と学生時代の知人である。 {{clear}} === 高知県 === :県庁所在地 ・・・ 高知市 高知県では、あたたかく雨が多いです。 高知の農業では、野菜の促成栽培、早つくりが有名です。なす・ピーマン・きゅうりなどが有名です。 漁業では、かつおが有名。カツオの一本づりやカツオぶしが有名。 坂本竜馬は、今でいう高知県の出身。 {{clear}} === 広島県 === [[File:20100723 Miyajima Itsukushima 5122.jpg|thumb|right|250px|厳島神社(いつくしま じんじゃ)]] :県庁所在地 ・・・ 広島市 水産業は、'''かき'''の養殖で有名。 呉(くれ)市は造船業が、さかん。広島市の周辺では、自動車工業が、さかんである。 呉は、第二次大戦の終戦までは、海軍の拠点の軍港(ぐんこう)であり、また軍艦の造船所があった。 第二次世界大戦で、1945年の8月6日に、アメリカにより原子爆弾を投下される。 厳島神社(いつくしま じんじゃ)や、原爆ドームは世界文化遺産に、なっている。 {{clear}} === 岡山県 === :県庁所在地 ・・・ 岡山市 中国地方にあり、瀬戸内海に面している。県の北部には中国山地(ちゅうごく さんち)がある。蒜山(ひるぜん)には、ジャージー牛もいます。 四国の香川県と {{big|瀬戸大橋}}(せとおおはし) で、つながっている。 伝統工芸では、陶磁器(とうじき)で 備前焼(びぜんやき) が有名。(※ 瀬戸焼(せとやき)は愛知県の焼き物なので、まちがえないように。) 備前焼では、土を使います。たしか、田んぼの下とかの土を使います。 備前焼の土は、少なくなってきているといわれます(2019年の情報)。 岡山県民の方であれば、校外学習(こうがいがくしゅう)や社会科見学(しゃかいかげんがく)と呼(よ)ばれる行事(ぎょうじ)で、備前焼をつくると思います。 岡山には、埋立地(うめたてち)の岡山平野(おかやまへいや)があります。 倉敷(くらしき)に石油化学のコンビナートがある。 {{clear}} === 山口県 === :県庁所在地 ・・・ 山口市 水産業が、さかん。 下関では、ふぐ の水揚げが有名。 瀬戸内海の沿岸では重化学工業が発達しています。 岩国(いわくに)や周南(しゅうなん)などでは、化学工業などもさかんである。宇部市(うべ し)や小野田市(おのだ し)では、化学工業やセメント工業が、さかんである。 秋吉台(あきよしだい)は、カルスト地形で有名。 {{clear}} === 島根県 === :県庁所在地 ・・・ 松江(まつえ)市 島根県は、鳥取の西側。山口県と鳥取県のあいだに島根県がある。 水産業では、しじみ の養殖が、宍道湖(しんじこ)で、さかんである。 竹島(たけしま)は、韓国が不法に占拠しているが、本来は日本の領土であり、島根県に属する。 石見銀山(いわみぎんざん)の遺跡は世界遺産に登録されている。 {{clear}} === 鳥取県 === :県庁所在地 ・・・ 鳥取市 鳥取は中国地方にあり、日本海に面しています。 海岸にひろがる鳥取砂丘が(とっとり さきゅう)有名です。 [[ファイル:Tottori-Sakyu Tottori Japan.JPG|thumb|left|300px|鳥取砂丘]] 砂丘では、らっきょう、すいか、ながいも、なし などを生産している。 特産品で、二十世紀なし(にじっせいき なし) が有名です。 [[File:Nijusseiki nashi - Japanese pears by akira yamada.jpg|thumb|120px|二十世紀なし]] 2014年現在、47都道府県の中で、人口がもっとも少ない。 大山(だいせん)は、中国地方で、もっとも高い山である。標高1,729m。 {{clear}} == 近畿地方 == === 和歌山県 === 紀伊半島(きい はんとう)の南西部にある。 温暖で、降水量が多い。 有田川(ありたがわ)の流域および紀ノ川(きのがわ)の流域で、みかんの栽培が、さかんです。 それ他に、はっさく・ゆず ・うめ・かきの栽培もさかんです。 参詣道(さんけいみち)は世界遺産。 和歌山県の南端の潮岬(しおの みさき)は、本州で最南端。 {{clear}} === 奈良県 === [[ファイル:Horyu-ji10s3200.jpg|300px|thumb|法隆寺]] 海に面していない。このように、海に面していない県のことを内陸県(ないりくけん)という。 温暖で、降水量が多い。 林業がさかんで、吉野杉(よしのすぎ)が有名。 かつて、奈良時代には日本の政治の中心地であった。そのため寺院などが多い。法隆寺(ほうりゅうじ)や東大寺(とうだいじ)は、世界遺産。 {{clear}} === 兵庫県 === [[画像:Akashi Bridge.JPG|300px|thumb|明石海峡大橋]] 日本標準時の子午線(しごせん)が明石(あかし)市に通る。東経135度の明石市がある。 瀬戸内海沿岸に工業地域があり、重化学工業が発達している。 姫路城(ひめじじょう)が、世界遺産に登録されている。 瀬戸内海に淡路島(あわじしま)が、うかんでいる。 本州と淡路島とのあいだに明石海峡大橋(あかしかいきょう おおはし)があり、また四国の徳島県鳴門市と淡路島とのあいだに大鳴門橋(おおなると きょう)がある。 {{clear}} === 大阪府 === 古くから商業がさかんであり、江戸時代には「天下の台所」(てんか の だいどころ)と言われた。 大阪湾(おおさかわん)に面している。 工業では、阪神工業地帯(はんしん こうぎょうちたい)の中心である。 {{clear}} === 京都府 === 794年に平安京が出来てから、江戸時代のおわりまで、京都に首都があった。 1994年に文化遺産として、京都市、宇治市、滋賀県の大津市の社寺が、文化遺産に登録された。 伝統工芸に、織物の西陣織(にしじんおり)や、焼き物の清水焼(きよみずやき)などがある。 北は日本海に面しており若狭湾(わかさわん)に接する。 {{clear}} === 三重県 === 志摩半島(しまはんとう)の海岸はリアス式海岸である。 英虞湾(あごわん)では、真珠(しんじゅ)の養殖がさかん。 伊勢神宮(いせじんぐう)が志摩半島にある。 四日市市(よっかいちし)は、中共工業地帯の一部で、石油化学工業などが発達している。1960年代に公害(こうがい)で、'''四日市ぜんそく'''を起こした。排煙などにふくまれる亜硫酸(ありゅうさん)ガスが原因である。 {{clear}} === 滋賀県 === [[ファイル:Lake_biwa.jpg|300px|thumb|琵琶湖の衛星写真]] 滋賀県にある琵琶湖(びわこ)は、日本にある湖のなかでは、琵琶湖がもっとも面積が広く、県全体の面積の約6分の1を占める。琵琶湖には4つの島が浮かぶが、その中で最も面積が広い沖島は、日本の淡水湖で唯一人が住む島である。 海に面していない内陸県である。 琵琶湖の東岸の近江(おうみ)では米作がさかん。 延暦寺(えんりゃくじ)がある。延暦寺は平安時代に最澄が比叡山(ひえいざん)に開いた寺。 {{clear}} == 中部地方 == 中部地方は、以下のように分けることができます。 * 愛知県・静岡県・岐阜県(・三重県)…{{big|'''{{Ruby|東海|とうかい}}地方'''}} * 新潟県・富山県・石川県・福井県…{{big|'''{{Ruby|北陸|ほくりく}}地方'''}} * 長野県・山梨県…{{big|'''{{Ruby|甲信|こうしん}}地方'''}} 北陸地方は、日本海に面しており冬は雪が多いです。冬は日本海からしめりけをおびた空気がくるので、雪がふりやすいのです。 このような、ある季節にだけやってくる、とくちょうのある風を''' {{big|季節風}}'''(きせつふう) と言います。 雲は、列島をよこぎる山々にさえぎられるので、太平洋側にはあまり雪はふりません。たとえば、新潟の内陸側には越後山脈(えちごさんみゃく)があるので、山脈のむこうの太平洋側の内陸には、あまり雪はふりません。 日本海側に面する地域で、山々にさえぎられた雲はそこで雪を降らすので、日本海側は冬は雪が多くなります。 冬のあいだ、農家は雪で田畑が使えないので、べつの仕事をしていることが多いです。農家に限らず、ほかの仕事でも冬のあいだは、雪で交通もマヒ(麻痺)するので、はかどりません。 出かせぎ(でかせぎ) と言って、一家の働き手が冬のあいだ、他のあたたかい地方に働きに出る場合もあります。 雪国では、冬のあいだは、家につもった雪を、雪かきで下ろさないといけません。そのため、おろしやすくするためや、雪の荷重が一点にかたよらないようにするため、屋根はななめについています。また、家の柱は雪の重みにたえられるように、太くつくられます。窓は二重窓(にじゅうまど)です。 古いよび方で、富山県のあたりを古くは越中(えっちゅう)と言い、新潟県のあたりを越後(えちご)と言います。 むかし、富山の{{Ruby|商人|しょうにん}}は、日本中に薬をで有名でした。「越中富山の薬売り」として、言葉が伝えられています。 === 山梨県 === [[File:KofuBonchi.jpg|thumb|260px|{{Ruby|甲府|こうふ}}の{{Ruby|街並|まちな}}み。平地にたてられた街が山にかこまれている。]] *昔の名前({{Ruby|旧国名|きゅうこくめい}}):{{Ruby|甲斐|かい}}</br> *県庁所在地:{{big|'''{{Ruby|甲府|こうふ}}市'''}} ---- 県のまわりをいくつかの山にかこまれている、海のない{{Ruby|内陸県|ないりくけん}}です。 *'''自然''' 県{{Ruby|中央部|ちゅうおうぶ}}の '''{{Ruby|甲府盆地|こうふぼんち}}''' では、夏はとてもあつく、冬は寒いです。</br> 甲府盆地のような{{Ruby|盆地|ぼんち}}は、まわりが山で囲まれているので、空気がたまったままとなり、気温が変わりづらいのです。</br> また、盆地は{{Ruby|最低|さいてい}}気温と{{Ruby|最高|さいこう}}気温の差が大きくなります。 甲府盆地では、ぶどうや{{Ruby|桃|もも}}の{{Ruby|栽培|さいばい}}がさかんです。</br> これもまた、盆地は雨が少なく、日当たりがよいのが理由です。 *'''まわりの山地・山脈''' 長野県との{{Ruby|境目|さかいめ}}には{{Ruby|明石山脈|あかしさんみゃく}}が、南西部の静岡県との境目には、{{Ruby|身延山地|みのぶさんち}}がそびえています。 また、関東地方の東京都や埼玉県との境目のちかくには、{{Ruby|関東山地|かんとうさんち}}がそびえています。 東京都に接しており、鉄道や道路が東京とつながっているので、山梨県は{{Ruby|首都圏|しゅとけん}}(東京とつながりのふかい地域)にふくまれます。 {{clear}} === 愛知県 === *旧国名:西部→{{Ruby|尾張|おわり}}・東部→{{Ruby|三河|みかわ}}</br> *県庁所在地:{{big|'''{{Ruby|名古屋|なごや}}市'''}} ---- 西部に{{Ruby|濃尾平野|のうびへいや}}が、南部には{{Ruby|岡崎平野|おかざきへいや}}という平野がある。 *'''工業''' [[画像:Nagoya Port 02.jpg|thumb|230px|名古屋{{Ruby|港|こう}}のようす]] 愛知県は、'''{{Ruby|中京工業地帯|ちゅうきょうこうぎょうちたい}}'''の中心地である。特に、トヨタ自動車{{Ruby|株式会社|かぶしきがいしゃ}}の本社がある{{Ruby|豊田|とよた}}市を中心に 自動車工業が さかん。豊田市は、むかしは「{{Ruby|挙母|ころも}}市」という名前だったが、1959年にトヨタにちなんで挙母市の市名を「豊田市」に変えた。 (トヨタ・・・豊田市に本社をおく、自動車を作る会社。2022年時点で、世界でいちばん自動車をはん売している。) 愛知県では、現在では自動車工業を中心にした{{Ruby|機械|きかい}}工業がさかんだが、古くは焼き物や{{Ruby|繊維|せんい}}産業がさかんであった。 伝統工芸では{{Ruby|瀬戸|せと}}市の '''{{Ruby|瀬戸焼|せとやき}}''' という焼き物も有名である。</br> 愛知県では{{Ruby|窯業|ようぎょう}}(焼き物づくり)でつくられた{{Ruby|製品|せいひん}}の出荷額が日本一。(2014年時点) ほかには、東海市では{{Ruby|鉄鋼業|てっこうぎょう}}(鉄を加工する産業)が、{{Ruby|一宮|いちのみや}}市では、せんい工業がさかん。 *'''農業''' [[画像:Mikawa_Bay_Aichi_Japan_SRTM.jpg|thumb|260px|{{Ruby|渥美半島|あつみはんとう}}(右)、{{Ruby|知多半島|ちたはんとう}}(左)、{{Ruby|三河湾|みかわわん}}(間の海)]] 農業では、{{Ruby|渥美半島|あつみはんとう}}の{{Ruby|電照|でんしょう}} ぎくの栽培が有名。温室メロンも有名である。</br> 南東部にある渥美半島には{{Ruby|豊川用水|とよかわようすい}}、西部にある{{Ruby|知多半島|ちたはんとう}}には{{Ruby|愛知用水|あいちようすい}}という水路が引かれている。 *'''その他''' 県庁所在地の名古屋市は、中部地方で一番の人口をほこる東海地方の中心都市。</br> ちなみに、{{Ruby|織田信長|おだのぶなが}}・{{Ruby|豊臣秀吉|とよとみひでよし}}・{{Ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}の三人の{{Ruby|戦国武将|せんごくぶしょう}}は全員、げんざいの愛知県で生まれた。とくに、徳川家康はぶんれつしていた日本を統一し、{{Ruby|江戸|えど}}時代には日本全国を{{Ruby|治|おさ}}めた。 {| class="wikitable" |- ![[File:Found MUJI Setoyaki (6910176253).jpg|x110px]] ![[File:電照菊 2011-05B.JPG|x110px]] ![[File:View from the Observation Room of Higashiyama Sky Tower (12), Tashiro-cho Chikusa Ward Nagoya 2021.jpg|x110px]] ![[File:Tokugawa Ieyasu2.JPG|x110px]] |- | style="font-size:smaller;" |{{Ruby|瀬戸焼|せとやき}} | style="font-size:smaller;" |{{Ruby|電照|でんしょう}}ぎく | style="font-size:smaller;" |名古屋市の{{Ruby|夜景|やけい}} | style="font-size:smaller;" |{{Ruby|徳川家康|とくがわいえやす}} |} {{clear}} === 岐阜県 === *旧国名:北部→{{Ruby|飛騨|ひだ}}・南部→{{Ruby|美濃|みの}}</br> *県庁所在地:{{big|'''{{Ruby|岐阜|ぎふ}}市'''}} ---- *'''自然''' [[ファイル:Ogi Shirakawa06n3200.jpg|thumb|280px|right|合掌造り(白川郷)]] 海に面さない、内陸県である。 県南部の{{Ruby|美濃|みの}}地方は、平野や高原があるが、県北部の{{Ruby|飛騨|ひだ}}地方は高地や山地の場所が多い。 県の北西部に'''{{Ruby|飛騨山脈|ひださんみゃく}}'''があり、長野県との境い目になっている。 また、岐阜県は夏と冬、昼と夜の気温の{{Ruby|差|さ}}が大きい。(かつて、夏には40℃を超える気温を<ref>{{cite news|url=https://weathernews.jp/s/topics/201808/080195/ |title=岐阜県で今年三度目の41℃台 |publisher=ウェザーニュース|accessdate=2023-2-7}}</ref>、冬には-25℃を下回る気温を{{Ruby|観測|かんそく}}したこともあった。) 南西部に{{Ruby|濃尾平野|のうびへいや}}という平地がある。濃尾平野の岐阜県のほうには、{{Ruby|木曽川|きそがわ}}・{{Ruby|長良川|ながらがわ}}・{{Ruby|揖斐川|いびがわ}}が流れている。この三つの川を、'''{{Ruby|木曽三川|きそさんせん}}'''という。昔の木曽三川はよく{{Ruby|氾濫|はんらん}}したので、川の周辺には、まわりを{{Ruby|堤防|ていぼう}}で囲った、'''{{Ruby|輪中|わじゅう}}'''という集落がある。 *'''文化''' 岐阜県では{{Ruby|製造業|せいぞうぎょう}}(ものづくり)がさかん。とくに、南部の{{Ruby|多治見|たじみ}}市などの{{Ruby|陶磁器|とうじき}}づくりが有名である。 {{Ruby|観光地|かんこうち}}としては、{{Ruby|下呂|げろ}}市にある{{Ruby|下呂温泉|げろおんせん}}が、有名な温泉地として日本中から人気をあつめている。 また、飛騨地方にある{{Ruby|白川郷|しらかわごう}}の'''{{Ruby|合掌造り|がっしょうづくり}}'''の家の集落が世界文化{{Ruby|遺産|いさん}}である。 {{clear}} === 長野県 === *旧国名:{{Ruby|信濃|しなの}}</br> *県庁所在地:{{big|'''{{Ruby|長野|ながの}}市'''}} ---- *'''文化''' [[file:Mikasa-Dori2.jpg|thumb|280px|right|{{Ruby|軽井沢|かるいざわ}}のカラマツ{{Ruby|並木|なみき}}]] 江戸時代から、長野県は東日本と西日本をつなぐ場所としてさかえた。</br> 明治時代に入ってからは、東京や名古屋・大阪から近いことを生かし、{{Ruby|軽井沢|かるいざわ}}を中心にリゾート地として人気を集めている。 *'''地形''' [[ファイル:Geofeatures map of Chubu Japan ja.svg|thumb|280px|right|長野県{{Ruby|周辺|しゅうへん}}の地形をまとめた図。山脈の{{Ruby|位置|いち}}を{{Ruby|確認|かくにん}}してみよう。]] 県の80%が山である。{{Ruby|内陸県|ないりくけん}}であり、まわりでは8つの県に{{Ruby|接|せっ}}している。 {{Ruby|飛騨山脈|ひださんみゃく}}・{{Ruby|木曽山脈|きそさんみゃく}}・{{Ruby|明石山脈|あかしさんみゃく}}の山々からなる'''日本アルプス'''がある。</br> 北西部の飛騨山脈のことを「北アルプス」、木曽山脈を「中央アルプス」、赤石山脈を「南アルプス」とよぶこともある。 このような山が多い地形のため、山と山との間にある平地である、'''{{Ruby|盆地|ぼんち}}'''も多い。</br> たとえば、長野盆地、{{Ruby|上田|うえだ}}盆地、{{Ruby|諏訪|すわ}}盆地、{{Ruby|伊那|いな}}盆地、{{Ruby|佐久|さく}}盆地などの盆地がある。 山梨県も盆地で有名なので、参考にしつつも、長野県と山梨県を混同しないように注意しよう。 *'''気候''' 長野県は、一年を通して雨が少なく、気温も低い、'''{{Ruby|中央高地式気候|ちゅうおうこうちしききこう}}'''である。 中でも、長野県北部の{{Ruby|気候|きこう}}は日本海{{Ruby|側|がわ}}の気候に近く、冬には雪も多い。南部は太平洋側の気候に近い。</br> 長野県の北どなりは{{Ruby|新潟|にいがた}}県であり、長野県の南どなりは静岡県や愛知県である、と聞けば、長野での気候の{{Ruby|地域差|ちいきさ}}(地域ごとの差)をイメージしやすいだろう。 *'''農業''' 長野県の盆地では、りんご・なし・ぶどうなど果物の{{Ruby|栽培|さいばい}}がさかん。すずしい気候がりんごなどの栽培に向いているのだ。 {{Ruby|八ヶ岳|やつがたけ}}のふもとなどの高地で'''、{{Ruby|高原野菜|こうげんやさい}}'''の栽培がさかん。(高原野菜:すずしい気候を生かし、売りに出す{{Ruby|時期|じき}}をずらした野菜) *'''{{Ruby|林業|りんぎょう}}''' 山脈が多いので、林業がさかん。木曽山脈は'''{{Ruby|木曽|きそ}}ひのき'''の{{Ruby|産地|さんち}}として有名である。</br> ちなみに、木曽ひのきは「{{Ruby|日本三大美林|にほんさんだいびりん}}」の一つとされている。 *'''工業''' {{Ruby|諏訪|すわ}}市や{{Ruby|岡谷|おかや}}市で、カメラや時計やレンズ・{{Ruby|顕微鏡|けんびきょう}}などの{{Ruby|精密機械工業|せいみつきかいこうぎょう}}が、さかん。 {{clear}} === 静岡県 === *旧国名:{{Ruby|伊豆半島|いずはんとう}}→{{Ruby|伊豆|いず}}、東部→{{Ruby|駿河|するが}}、西部→{{Ruby|遠江|とおとうみ}}</br> *県庁所在地:{{big|'''{{Ruby|静岡|しずおか}}市'''}} ---- *'''地形''' [[ファイル:MtFuji FujiCity.jpg|thumb|300px|right|富士山。]] [[ファイル:Shizuoka Prefecture 3D 2012.jpg|thumb|300px|right|静岡県の地形をあらわした図。出っぱっている部分が{{Ruby|伊豆半島|いずはんとう}}で、その西の海が{{Ruby|駿河湾|するがわん}}。]] 山梨県との{{Ruby|県境|けんざかい}}に、日本一高い山である'''{{Ruby|富士山|ふじさん}}'''がそびえている。 静岡県は山が多い。 県の北部には{{Ruby|明石山脈|あかしさんみゃく}}がそびえ、けわしい{{Ruby|山岳地帯|さんがくちたい}}となっている。</br> 南部の平地には、県庁所在地の静岡市や{{Ruby|浜松|はままつ}}市などの大きな都市がつくられている</br> また、南部の'''{{Ruby|伊豆半島|いずはんとう}}'''がかこんでいる部分の海を'''{{Ruby|駿河湾|するがわん}}'''という。 *'''気候''' 県の北部の山が多い地域は、{{Ruby|中央高地式気候|ちゅうおうこうちしききこう}}に入っており、冬にはたくさんの雪がふるところもある。</br> しかし、県の南部は{{Ruby|太平洋側気候|たいへいようがわきこう}}であり、{{Ruby|黒潮|くろしお}}の{{Ruby|影響|えいきょう}}もあって九州と同じくらいあたたかい。 夏から秋にかけては、'''台風'''の{{Ruby|影響|えいきょう}}も大きい。 *'''農業''' 静岡県は、{{Ruby|牧之原|まきのはら}}市などを中心に'''茶'''の{{Ruby|生産|せいさん}}が有名。 また、みかんやメロン、{{Ruby|石垣|いしがき}}イチゴの{{Ruby|栽培|さいばい}}も有名である。 *'''工業''' '''{{Ruby|東海工業地域|とうかいこうぎょうちいき}}'''の一部である。{{Ruby|浜松|はままつ}}市では、オートバイや楽器の生産がさかん。 *'''水産業''' [[file:Port of Yaizu 2020-04 ac (2).jpg|thumb|200px|right|{{Ruby|焼津漁港|やいずぎょこう}}]] 駿河湾{{Ruby|沿|ぞ}}いにある'''{{Ruby|焼津漁港|やいずぎょこう}}'''や{{Ruby|清水港|しみずこう}}は、カツオ・マグロが有名で、{{Ruby|水揚|みずあ}}げ{{Ruby|量|りょう}}も多い。たとえば2008年のデータ(農林水産省 水産物流通統計)では、マグロの水揚げは焼津港が全国一位である。 県西部にある{{Ruby|浜名湖|はまなこ}}では、うなぎの{{Ruby|養殖|ようしょく}}が有名である。 *'''文化''' {{Ruby|弥生|やよい}}時代の{{Ruby|遺跡|いせき}}である{{Ruby|登呂遺跡|とろいせき}}は、静岡県にある。(六年生で習うので、今のうちにおぼえてしまおう。)</br> 他にも、{{Ruby|熱海|あたみ}}温泉が{{Ruby|観光地|かんこうち}}として有名で、静岡県全体では一年で1{{Ruby|億|おく}}人をこえる{{Ruby|観光客|かんこうきゃく}}がおとずれる。<ref>{{Cite web|url=https://toukei.pref.shizuoka.jp/kankouseisakuka/data/21-010/documents/h30kankoukouryunodoukou.pdf|title=H30観光交流客数の動向冊子(校正版)|accessdate=2023/2/7|publisher=静岡県文化・観光部観光交流局、観光政策課}}</ref> {{clear}} === 新潟県 === *旧国名:本州→{{Ruby|越後|えちご}}、{{Ruby|佐渡島|さどがしま}}→{{Ruby|佐渡|さど}}</br> *県庁所在地:{{big|'''{{Ruby|新潟|にいがた}}市'''}} ---- *'''地形''' [[file:Hiroshige, Gold mine in Sado province, 1853.jpg|thumb|200px|right|江戸時代にえがかれた、{{Ruby|佐渡|さど}}の{{Ruby|金山|きんざん}}のようす。]] 福島県・群馬県との{{Ruby|県境|けんざかい}}に{{Ruby|越後山脈|えちごさんみゃく}}がそびえている。 また、長野県からは日本一長い川である'''{{Ruby|信濃川|しなのがわ}}'''が流れてくる。</br> その信濃川のまわりには、米作りがさかんな'''{{Ruby|越後平野|えちごへいや}}'''が広がっている。 そのほか、日本海上に'''{{Ruby|佐渡島|さどがしま}}'''という島がある。この島は、かつては{{Ruby|金|きん}}の{{Ruby|産地|さんち}}として有名だった。(金がとれた{{Ruby|佐渡|さど}}の{{Ruby|金山|きんざん}}は、{{Ruby|世界遺産|せかいいさん}}の{{Ruby|候補|こうほ}}になっている。) *'''気候''' 冬にはたくさんの雪がふる、{{Ruby|豪雪地帯|ごうせつちたい}}である。</br> また、夏の気温は関東地方と同じくらい高い。 *'''農業''' '''新潟の農業といえば、米作りである。'''越後平野では米作りがさかんにおこなわれており、そのこともあってか新潟県の米の{{Ruby|収穫量|しゅうかくりょう}}は日本一になっている(2021年時点)。</br> 新潟でつくられる米の{{Ruby|品種|ひんしゅ}}としては、'''コシヒカリ'''という品種がとくに有名。(コシヒカリの{{Ruby|収穫|しゅうかく}}がさかんな{{Ruby|魚沼|うおぬま}}市は、越後平野にはふくまれないので注意。) *'''文化''' 伝統工芸として、{{Ruby|燕|つばめ}}市の{{Ruby|金属洋食器|きんぞくようしょっき}}、{{Ruby|三条|さんじょう}}市の{{Ruby|金物|かなもの}}、{{Ruby|小千谷|おぢや}}市の{{Ruby|織物|おりもの}}である 小千谷ちぢみ などがある。 === 石川県 === [[ファイル:131109 Kenrokuen Kanazawa Ishikawa pref Japan01s3.jpg|thumb|兼六園(けんろくえん)]] 県の北部は、日本海につきでた半島で、能登半島(のと はんとう)である。 西部の海岸は、日本海に長く面しており、冬には北西からの季節風により、雪が多く、ふる。 伝統工芸では、{{big|輪島塗}}(わじまぬり)や九谷焼(くたにやき)や加賀友禅(かがゆうぜん)が、有名。 江戸時代の初期には、加賀藩(かがはん)の藩主(はんしゅ)の前田利家(まえだ としいえ)の領地として栄え、「加賀百万石」(かがひゃくまんごく)とも呼ばれた。 21世紀の現在、金沢平野で米作が、さかんである。 金沢は、江戸時代には加賀藩の城下町であった。戦争にも、その名残(なごり)が残っており、武家屋敷なども残っており、金沢は道が迷路(めいろ)のように複雑(ふくざつ)である。 金沢の道が迷路のようになっているのは、もし戦争がおきたときに、敵を迷わすためであった<ref>戦国時代や江戸時代では、飛行機も自動車も無いので、敵は歩いて攻める必要があった。</ref>。 金沢は、今では県庁所在地になっている。 石川県には兼六園(けんろくえん)があり、日本三名園(にほんさいめいえん)の一つである。 === 富山県 === [[ファイル:Kurobe Dam survey 2.jpg|250px|thumb|黒部ダム]] 黒部川(くろべがわ)の流域(りゅういき)に、黒部ダムなどの多くのダムがある。また、水力発電所も多い。 周辺の山地などから河川が多く集まり、富山県は水が豊富である。 農業は稲作が中心。富山平野で稲作(いなさく)がさかん。砺波平野ではチューリップの栽培が、裏作(うらさく)などでさかん。 富山県の五箇山(ごかやま)の合掌造り集落が、岐阜県の白川郷の合掌造り集落とともに、世界文化遺産になっている。 === 福井県 === 日本海に面する。若狭湾(わかさわん)の海岸は、リアス式海岸である。 冬は北からの季節風により、雪が多い。 若狭湾の沿岸(えんがん)に、原子力発電所が多い。 {{clear}} == 関東地方 == [[ファイル:Kanto plain.png|thumb|300px|関東平野のCG画像]] [[ファイル:Geofeatures map of Kanto Japan ja.svg|thumb|300px|関東地方の地理的な特ちょうをまとめた地図。]] 関東地方の南東部には、{{big|'''関東平野'''}}(かんとうへいや)が広がっています。 また、火山灰がつもって風化した {{big|'''関東ローム'''}}(かんとうローム)という土地が広がっています。 積もった火山灰は、静岡県の富士山(ふじさん)や・神奈川の箱根山(はこねやま)・長野県の浅間山(あさまさん)や、群馬県の榛名山(はるなさん)などの火山灰がつもった物だと考えられています。 関東ロームの土は赤いので、赤土(あかつち)とも言われます。 === 神奈川県 === 県庁所在地:<ruby><rb>'''横浜'''</rb><rp>(</rp><rt>'''よこはま'''</rt><rp>)</rp></ruby>'''市''' 南西部に箱根山がある。西部は丹沢山地(たんざわさんち)。</br> 南部は相模湾(さがみわん)に面し、東部は東京湾(とうきょうわん)に面する。 東京湾沿岸は、'''京浜工業地帯(けいひんこうぎょうちたい)'''の一部で、東京湾沿岸を中心に工業化がさかん。 県庁所在地の横浜にある横浜港(よこはまこう)は、<ruby><rb>貿易港</rb><rp>(</rp><rt>ぼうえきこう</rt><rp>)</rp></ruby>(貿易がさかんな港)として有名。明治時代から貿易港としてすでにさかえており、横浜の周辺には、おおくの洋風の建物や、中華街(ちゅうかがい)がある。 鎌倉時代に、鎌倉幕府(かまくらばくふ)が、現在の神奈川県の鎌倉市にあった。 === 東京都 === 県庁所在地:<ruby><rb>'''新宿'''</rb><rp>(</rp><rt>'''しんじゅく'''</rt><rp>)</rp></ruby>'''区''' '''日本の首都'''で、日本で一番人口が多い。</br> 日本の経済や政治は、東京が中心になって回っている。 東部は、関東ロームにおおわれた武蔵野台地(むさしのだいち)が広がっている。また、'''東京湾'''に面している。 日本最南端の沖ノ鳥島(おきのとりしま)や 日本最東端の南鳥島(みなみとりしま)も東京都。 === 千葉県 === 県庁所在地:<ruby><rb>'''千葉'''</rb><rp>(</rp><rt>'''ちば'''</rt><rp>)</rp></ruby>'''市''' '''房総半島(ぼうそうはんとう)'''が、県の大部分である。 近郊農業がさかん。 ラッカセイは千葉の特産品であり、2022年現在日本一の出荷量である。 カブ・さといも・ほうれんそう・ネギなどの栽培がさかん。 京葉工業地域(けいようこうぎょうちいき)の一部。 石油化学工業(せきゆかがくこうぎょう)や鉄鋼業(てっこうぎょう)など、重化学工業がさかんなのが、京葉工業地域の特ちょうである。 県東部の銚子港(ちょうしこう)は、漁港として有名。茨城県との県ざかいに利根川(とねがわ)が流れる。 野田(のだ)は、しょうゆの産地として有名。 === 埼玉県 === 県庁所在地:'''さいたま市''' 南東部は東京に近く、交通機関も発達しており工業化もしているため、都心への通勤のためのベッドタウンとして有名。</br> 「ベッドタウン」とは、昼間は東京へ仕事に出かけており、夜中に家のある埼玉に帰ってきて寝る(ねる)ので、ベッドタウンと言う。 県の西部は秩父山地(ちちぶさんち)という山地であり、東部は関東平野の平地である。 内陸県であり、海に面してない。</br> 県全体の面積のうち、川や湖が占める割合が、日本一である。 伝統工芸では、さいたま市岩槻(いわつき)区(旧:岩槻市)の人形づくりが有名。 工業では、川口市に鋳物(いもの)工場が多い。鋳物(いもの)とは、溶けた鉄を固めてつくる製品のことである。</br> 東部は機械工業が発達している。 農業は近こう農業であり、ネギ、ほうれんそう、ブロッコリーなどの栽培が、さかん。 === 群馬県 === 県庁所在地:<ruby><rb>'''前橋'''</rb><rp>(</rp><rt>'''まえばし'''</rt><rp>)</rp></ruby>'''市''' 山地が多い県である。内陸県であり、海に面してない。'''浅間山'''というおおきな火山がある。 冬に、北西からの季節風である「からっかぜ(空っ風)」がふく。 農業では、西部の嬬恋村(つまごいむら)のキャベツづくりが有名。</br> コンニャクの原料のコンニャクイモの産地としても、群馬県は有名である。 草津温泉(くさつおんせん)という温泉地があり、毎年たくさんの観光客がおとずれている。 === 栃木県 === [[ファイル:NikkoYomeimon5005.jpg|thumb|300px|東照宮]] 県庁所在地:<ruby><rb>'''宇都宮'''</rb><rp>(</rp><rt>'''うつのみや'''</rt><rp>)</rp></ruby>'''市''' 内陸県であり、海に面してない。 日光市にある日光東照宮(にっこう とうしょうぐう)は世界遺産になっている。 栃木県は、「とちおとめ」といういちごの産地で、栃木県は日本で一番いちごの生産量が多い。(2022年現在) === 茨城県 === 県庁所在地:<ruby><rb>'''水戸'''</rb><rp>(</rp><rt>'''みと'''</rt><rp>)</rp></ruby>'''市''' 太平洋に面している。 工業は、臨海部は鹿島臨海工業地域の中心地であり、臨海部は石油化学工業などが、さかん。</br> 大手の電機(でんき)メーカーの日立(ひたち)の創業地が、茨城県の日立(ひたち)市なので、関連の工場が多い。 農業は、近郊農業である。はくさい、ごぼう、ピーマン、レンコン、レタスなどの生産がさかん。 水戸は江戸時代は、水戸藩(はん)の城下町であった。その水戸市では、水戸納豆(みとなっとう)の生産がさかんに行われている。 千葉県との県ざかいに、'''利根川(とねがわ)'''が流れる。 '''筑波研究学園都市(つくば けんきゅう がくえんとし)'''に、国の科学系の研究所が多くある。国土地理院(こくどちりいん)・産業技術総合研究所(さんぎょうぎじゅつそうごうけんきゅうじょ)の筑波センター・筑波宇宙センター・希少研究所など、多くの研究所がある。 == 東北地方 == 東北では稲作もさかんです。山形県の庄内平野や、秋田県の秋田平野では、稲作がさかんです。 たとえば、米の品種の「あきたこまち」は、秋田県の品種です。「ササニシキ」は、宮城県の米の品種です。 山形では「おうとう」(さくらんぼ)の栽培もさかんです。 ===青森県=== * 農業 青森県では、りんごの栽培がさかんです。りんごは、すずしい場所のほうが育ちやすいのです。 青森県では、漁業(ぎょぎょう)もさかんです。 また、陸奥湾(むつわん)では ほたて の養殖(ようしょく)がさかんです。 太平洋側にある三陸海岸(さんりく かいがん)の {{big|八戸}}港 (はちのへ こう)は、漁港(ぎょこう)として有名です。 青森県の八戸あたりから、宮城県の牡鹿半島(おじかはんとう)のあたりまでの海岸を、三陸海岸といいます。 三陸の沖合は、サンマやカツオやマグロの漁場として有名です。 * 三陸沖 三陸沖にある、青森県の八戸(はちのへ)、岩手県の宮古(みやこ)、宮城の気仙沼(けせんぬま)や女川(おながわ)は、漁港として有名です。 三陸海岸を地図で見ると、海岸線が、ギザギザした形になっています。いくつもの、多くの、入り江(いりえ)が、あります。このようなギザギザした海岸を {{big|リアス式海岸}} (リアスしき かいがん)と言います。 三陸海岸のここの入り江は深く、また入り江は陸で波がさえぎられ波がしずかなので、港になっているのです。 リアス式海岸は、漁港に向いていますが、このような地形の場所は地震のとき、大きな波にあいやすいのです。 このような地震のときに、大きな波がおしよせることを、 {{big|津波}} (つなみ)と、いいます。 入り江が、おくのほうへとせばまっていくので、波もせばまったぶん、高くなりやすいのです。この三陸の地方は、昔からたびたび、津波におそわれてきました。 住んでいる人は対策として、なるべく家を高いところにたてたり、防潮堤(ぼうちょうてい)をつくったり、避難場所(ひなんばしょ)に高い建物(たてもの)をつくったりしています。 * 北部太平洋漁場 日本の近海は、南西から流れてくる暖かい海流の日本海流(にほんかいりゅう)と、北東から流れてくる冷たい千島海流(ちしまかいりゅう)などが、日本近海であわさるので、さまざまな種類の魚があつまります。 日本海流は {{big|黒潮}}(くろしお) ともいいます。千島海流は {{big|親潮}}(おやしお) ともいいます。 東北の三陸海岸の沖は、親潮(おやしお)と黒潮(くろしお)のまざるばしょで、古くから、良い漁場として知られている。 三陸沖では、さんま・たら・かつお・まぐろ・いわし、などがよく取れる。千島列島から三陸沖までの漁場を、北部太平洋漁場(ほくぶ たいへよう ぎょじょう) という。 日本海流のような暖かい海水を運んでくる海流を、暖流(だんりゅう)と言います。日本近海の暖流には、日本海流の他にも対馬海流(つしまかいりゅう)があります。 対馬海流と千島海流は、発音が似ているのでまちがえないでください。千島海流のような、冷たい海水を運んでくる海流を寒流(かんりゅう)と言います。 === 福島県 === 県の東は、太平洋に面している。県中部には、南北に阿武隈高地(あぶくまこうち)と奥羽山脈(おううさんみゃく)があり、それによって中通り、会津、浜通りの3地方に分けられる。 浜通り(太平洋側)には、原子力発電所が多い。福島県の原子力発電所は、2011年の東北大地震および津波で、大きな被害を受けた。このため、2014年の時点では、産業に大きな影響が出ている。 ※紹介内容が事故の前のものである場合、事故の後とは一致しない場合があるので、本節をよむときは注意してください。 中通り(県中央部)には猪苗代湖(いなわしろこ)を中心に、明治維新後は安積疎水(あさかそすい)が開かれ、土地の開拓が進んだ。 漁業がさかんである。農業では、ももの栽培がさかんである。 米の生産量も多い。 === 宮城県 === 太平洋に面し、海岸はリアス海岸である。海岸に漁港が多く、気仙沼(けせんぬま)・石巻(いしのまき)・女川(おながわ)が漁港として有名である。 漁港が多いことに関連して、周辺には水産加工業も多い。 県西部には、奥羽山脈が走る。 仙台平野で米作りがさかん。米の銘柄(めいがら)の「ひとめぼれ」の産地である。 伝統工芸で、こけし が有名。 === 山形県 === 日本海側に面し、東部に奥羽山脈(おうう さんみゃく)が、ある。 農業は、おうとう(さくらんぼ) の産地として有名。 最上川(もがみがわ)が流れる。最上川の下流域の日本海側にある庄内平野(しょうない へいや)では、米作りが、さかん。庄内平野の銘柄米(めいがらまい)の名前は「はえぬき」である。 工業は東北地方の中では、IC工場などのコンピュータ部品関連の工場が多く、シリコンロードの一部である。高速道路ぞいに工場が進出したのでシリコンロードと呼ばれる。ロード(road)とは、道路という意味。 畜産(ちくさん)では、米沢(よねざわ)市は、高級和牛の米沢牛(よねざわぎゅう)の産地でも有名。 === 秋田県 === 山形県の北にある県で、日本海に面する県。秋田県の東に、岩手県が、ある。 県中部には、出羽山脈(でわ さんみゃく)が、南北に走る。 県庁所在地(けんちょうしょざいち)は、'''秋田市'''(あきたし)である。 日本海側の半島が県中部にあるが、これは男鹿半島(おが はんとう)という。 林業がさかんで、秋田杉(あきたすぎ)で有名。 秋田平野で米作りがさかんであり、銘柄米(めいがらまい)の「'''あきたこまち'''」が有名である。 伝統行事の「'''なまはげ'''」が有名である。「なまはげ」の内容は、毎年年末の大みそかに、鬼の面をした男が、「泣く子はいねえがー」とか言いながら、家々をねり歩く。 === 岩手県 === [[File:Nambu Tetsubin.jpg|right|thumb|南部鉄器(なんぶてっき)の鉄びん]] 太平洋側にあり、宮城県の北にあり、秋田県の東にある。 県庁所在地(けんちょうしょざいち)は、'''盛岡市'''(もりおかし)である。 三陸海岸はリアス海岸であり、また、三陸沖(さんりくおき)は良い漁場(ぎょじょう)である。 畜産業(ちくさんぎょう)も、さかんであり、肉牛(にくぎゅう)の飼育(しいく)や、乳牛の酪農(らくのう)が、さかん。酪農では、小岩井(こいわい)が有名。 伝統工芸に南部鉄器(なんぶてっき)がある。 夏には、北東の寒流の親潮(おやしお)から、冷たい季節風の'''やませ'''が、ふきつける。このため、冷害が起きることがある。 === 青森県 === [[ファイル:Tohoku epco n1.jpg|300px|right|thumb|青森の ねぶたまつり]] 本州の最北端の県である。 北に半島が2つつきでており、東側が下北半島(しもきた はんとう)で、西側が津軽半島(つがる はんとう)である。 下北半島と津軽半島のあいだの湾は陸奥湾(むつわん)である。津軽半島と北海道のあいだの海峡が、津軽海峡(つがる かいきょう)である。 農業では、県西部の津軽平野で、りんごの栽培がさかん。 水産では、県の南東にある八戸港(はちのへ こう)が漁港として有名で、イワシ漁やイカ漁が有名である。陸奥湾(むつわん)では、ほたて の養殖がさかん。 伝統行事で,'''ねぶた祭'''(ねぶたまつり)がある。 下北半島の六ケ所村(ろっかしょむら)に、原子力関係の核処理(かくしょり)施設(しせつ)がある。 南西部の秋田県とのさかいに、白神山地(しらかみさんち)がある。白神山地はブナの原生林として有名で、世界遺産に登録されている。 {{clear}} == 北海道 == [[ファイル:Hokkaidomap-jp.png|thumb|250px|北海道地図]] 土地の広さをいかした、農業がさかんです。ジャガイモなどが有名です。 米は、もともと熱帯地方の作物ですが、品種改良で、北海道でも栽培できるようになっています。 雪どけ水(ゆきどけみず)が大量にあるので、水田の水にはこまりません。 酪農(らくのう)がさかんです。 酪農とは牛などを飼って、乳を生産することです。 牛乳(ぎゅうにゅう)を生産したり、牛乳からバターやチーズなどの乳製品を生産しています。乳牛から得られた牛乳(ぎゅうにゅう)は、まず加熱(かねつ)されることで殺菌(さっきん)されます。そのあと、冷やされた牛乳が飲用(いんよう)の牛乳(ぎゅうにゅう)に、なります。飲用の牛乳だけでなく、バターやチーズなどをつくるための牛乳も加熱殺菌されています。 東京などの首都圏からは遠いので、バターなどの乳製品に加工される割合が多いです。 [[ファイル:AinuGroup.JPG|thumb|250px|アイヌ]] 北海道には、昔は アイヌ とよばれる先住民の人々が住んでいました。 北海道の道庁(どうちょう)は、札幌市(さっぽろし)にあります。 * サイロ <gallery widths="200px" heights="180px" perrow="3"> ファイル:Rokkosan pasture11ps1920.jpg|日本のサイロ ファイル:Wooden silo.JPG|木製として日本最古のサイロ </gallery> 乳牛はエサとして、牧草を食べます。 冬は牧草が枯れたり雪に埋もれてしまうので、そのままでは、冬のエサが無くなってしまいます。 なので酪農家は、夏のうちに、牧草を刈り取り、 {{big|サイロ}} という建物(たてもの)に、たくわえます。 北海道では、てんさい(甜菜)の栽培もさかんです。甜菜(てんさい)とは、根をしぼった煮汁から砂糖がとれる植物です。サトウダイコンとも呼ばれますが、じつはテンサイは大根ではないです。寒いところでもよく育つので、北海道ではテンサイの栽培もさかんです。十勝平野を中心にテンサイは栽培されています。 2008年現在、じゃがいも・あずき・小麦の生産量が日本一。 県中南部の十勝平野(とかちへいや)で、じゃがいも・あずき・てんさい・小麦などの生産がさかん。 漁業もさかんです。 北海道の近くの海での漁業は 北洋漁業 (ほくよう ぎょぎょう) といいます。{{big|釧路}}(くしろ)や稚内(わっかない)などが漁港(ぎょこう)として有名です。 近海のオホーツク海やベーリング海では、さけ・たら・ます・かになどがとれます。 [[File:Northern-Territories-of-Japan-Map-日本の北方領土の地図.png|300px|thumb|歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島 <br />1. 色丹村、2.泊村、3. 留夜別村、4.留別村、5.紗那村、6. 蘂取村]] * 北方領土(ほっぽうりょうど) 択捉(えとろふ)・国後(くなしり)・歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)の4島は、ロシアに領有されている。 * 工業 室蘭市(むろらんし)で鉄鋼業、苫小牧(とまこまい)の製紙・パルプ工業が有名です。 ==脚注== <references/> {{Stub}} 3v7flguq54cnyhcul98o1wd5bj6cl2u 民法第412条の2 0 29853 263581 225560 2024-11-16T08:38:02Z Tomzo 248 263581 wikitext text/x-wiki {{pathnav|法学|民事法|民法|コンメンタール民法|第3編 債権 (コンメンタール民法)|frame=1}} ==条文== (履行不能) ;第412条の2 #債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは、債権者は、その債務の履行を請求することができない。 #契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは、[[民法第415条|第415条]]の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない。 ==解説== {{wikipedia|履行不能}} 2017年改正により新設。従来、民法に定めはなかったが通説を取り入れたもの。 #「履行不能」には、「事実的履行不能」と「法律的履行不能」がある。ただし取り扱いに差はない。 ##事実的履行不能 : いわゆる常識に照らして履行が不可能なもの。 ##*譲渡の時点で存在しないものの譲渡 ##*死者の復活等通常の科学では不可能な事項 ##法律的不能 : 履行を強制させるのに法律的な障害があるもの。 ##*二重売買で一方の譲受人が対抗要件を備えた場合 #:履行不能の債務については、その債務の内容にそった履行(本旨履行)を請求することはできない。 #履行不能の原因が契約等の法律行為当初からのものを「原始的不能」、当初は可能であったが履行期までに不能となったものを「後発的不能」と言う。 ##「原始的不能」については、契約等は無効なものであり、従って、損害賠償の請求はできないとする説もあったが、本条第2項により、契約は有効であって損害賠償請求も可能であると定めた。 ##「後発的不能」については、その発生原因が①債権者(履行請求者)と債務者(履行義務者)のいずれにも責任がない場合、②債権者に過失がある場合、③債務者に過失がある場合で評価を異にする。特に、①の事例においては、「[[危険負担]]」の事案となる。 ==参照条文== ==判例== ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第3編 債権 (コンメンタール民法)|第3編 債権]]<br> [[第3編 債権 (コンメンタール民法)#1|第1章 総則]]<br> [[第3編 債権 (コンメンタール民法)#1-2|第2節 債権の効力]] |[[民法第412条]]<br>(履行期と履行遅滞) |[[民法第413条]]<br>(受領遅滞) }} {{stub|law}} [[category:民法|412の2]] [[category:民法 2017年改正|412の2]] 8po9ucdfnh8nsu94vsby6ijwkfptj9l 民法第413条の2 0 29858 263586 225562 2024-11-16T08:50:11Z Tomzo 248 263586 wikitext text/x-wiki [[法学]]>[[民事法]]>[[民法]]>[[コンメンタール民法]]>[[第3編 債権 (コンメンタール民法)|第3編 債権]] ==条文== (履行遅滞中又は受領遅滞中の履行不能と帰責事由) ;第413条の2 #債務者がその債務について遅滞の責任を負っている間に当事者双方の責めに帰することができない事由によってその債務の履行が不能となったときは、その履行の不能は、債務者の責めに帰すべき事由によるものとみなす。 #債権者が債務の履行を受けることを拒み、又は受けることができない場合において、履行の提供があった時以後に当事者双方の責めに帰することができない事由によってその債務の履行が不能となったときは、その履行の不能は、債権者の責めに帰すべき事由によるものとみなす。 ==解説== 2017年改正により新設。 [[履行不能|履行が不能になった場合]]、債権者又は債務者のいずれかがその原因(帰責事由)を作出したならば当該当事者が責任を負うが、帰責事由が当事者のいずれにも求めがたい場合であって、履行不能となったのが履行遅滞又は受領遅滞中であるとき、 #履行遅滞であるならば、債務者の帰責事由とみなす。 #受領遅滞であるならば、債権者の帰責事由とみなす。 ==参照条文== ==判例== ---- {{前後 |[[コンメンタール民法|民法]] |[[第3編 債権 (コンメンタール民法)|第3編 債権]]<br> [[第3編 債権 (コンメンタール民法)#1|第1章 総則]]<br> [[第3編 債権 (コンメンタール民法)#1-2|第2節 債権の効力]] |[[民法第413条]]<br>(受領遅滞) |[[民法第414条]]<br>(履行の強制) }} {{stub|law}} [[category:民法|413の2]] [[category:民法 2017年改正|413の2]] mery336vsxjg7mzh3dregbt8fbkskbh 危険負担 0 30300 263601 173376 2024-11-16T10:05:33Z Tomzo 248 転送先を [[w:危険負担]] から [[民法第536条]] に変更しました 263601 wikitext text/x-wiki #redirect[[民法第536条]] 9w4ckz3u1sv3efdbsndzobadmwb7bnf 法の適用に関する通則法第1条 0 31278 263583 176739 2024-11-16T08:42:51Z Fukupow 34984 /* 翻訳 */ 263583 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (趣旨) ; 第1条 : この法律は、法の適用に関する通則について定めるものとする。 === 翻訳 === (Purport)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 1 : This Act is to provide for the general rules for the application of laws. == 解説 == 本条は、本法が「法の適用に関する通則」について定めるものであることを規定している。本法の前身にあたる「法例(明治31年6月21日法律第10号)」では趣旨規定は設けられていなかったが、本法への全文改正に際して新たに設けられた。 「法の適用に関する通則」とは、法律に関する通則(第2章)および準拠法に関する通則(第3章)を意味する。 本法は、法律および準拠法に関する通則を定めるものであり、他の法令により特則が定められている場合には、その特則が優先して適用されることとなる。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第1章 総則 |- |[[法の適用に関する通則法第2条]]<br />(法律の施行期日) }} [[category:法の適用に関する通則法|01]] 9d91xthc97y1b7bqt109hpq6fa7g53i 法の適用に関する通則法第2条 0 31279 263584 176740 2024-11-16T08:43:41Z Fukupow 34984 /* 翻訳 */ 263584 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (法律の施行期日) ; 第2条 : 法律は、公布の日から起算して20日を経過した日から施行する。ただし、法律でこれと異なる施行期日を定めたときは、その定めによる。 === 翻訳 === (Effective Date of Law)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 2 : A law comes into effect after the expiration of twenty days following the date of its promulgation; provided, however, that if a different effective date is provided by law, the provisions prevail. === 法例 === ; 第1条 : 法律ハ公布ノ日ヨリ起算シ満20日ヲ経テ之ヲ施行ス但法律ヲ以テ之ニ異ナリタル施行時期ヲ定メタルトキハ此限ニ在ラス == 解説 == 本条は、法律の施行期日を定める規定である。現代語に改められているが、実質的な内容としては、「法例(明治31年6月21日法律第10号)」と変わらない。 「公布の日から起算して20日を経過した日」とは、公布の日を含めて公布の日から20日を経過した日であり、例えば1月1日に公布した場合には、1月21日に施行されることとなる。 ただし、本法以外の法律で施行期日を定めた場合にはその施行期日が優先される。例えば、本法は附則第1条で「この法律は、公布の日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。」と定めており、「法の適用に関する通則法の施行期日を定める政令(平成18年9月8日政令第289号)」において、「法の適用に関する通則法の施行期日は、平成19年1月1日とする。」とされた。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第2章 法律に関する通則 |[[法の適用に関する通則法第1条]]<br />(趣旨) |[[法の適用に関する通則法第3条]]<br />(法律と同一の効力を有する慣習) }} [[category:法の適用に関する通則法|02]] 3cjqq3xxirpe5u8x5v5xsu7hxpdzngs 法の適用に関する通則法第3条 0 31280 263585 176741 2024-11-16T08:44:27Z Fukupow 34984 /* 翻訳 */ 263585 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (法律と同一の効力を有する慣習) ; 第3条 : 公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する。 === 翻訳 === (Customs Having the Same Effect as Laws)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 3 : Customs which are not against public policy have the same effect as laws, to the extent that they are authorized by the provisions of laws and regulations, or they relate to matters not provided for in laws and regulations. === 法例 === ; 第2条 : 公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反セサル慣習ハ法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ及ヒ法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノニ限リ法律ト同一ノ効力ヲ有ス == 解説 == 本条は、公序良に反しない慣習について、法令の規定によって認められたもの、または法令の規定にないものに限って、法律と同一の効力を有すると規定している。現代語に改められているが、実質的な内容としては、「法例(明治31年6月21日法律第10号)」と変わらない。 == 参照条文 == * [[民法第92条]](任意規定と異なる慣習) == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第2章 法律に関する通則 |[[法の適用に関する通則法第2条]]<br />(法律の施行期日) |[[法の適用に関する通則法第4条]]<br />(人の行為能力) }} [[category:法の適用に関する通則法|03]] cqdfrjtonz3jnt3qg7xenwas6qmoxr6 法の適用に関する通則法第25条 0 36008 263620 212802 2024-11-16T11:57:50Z Fukupow 34984 /* 解説 */ 加筆 263620 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (婚姻の効力) ; 第25条 : 婚姻の効力は、夫婦の本国法が同一であるときはその法により、その法がない場合において夫婦の常居所地法が同一であるときはその法により、そのいずれの法もないときは夫婦に最も密接な関係がある地の法による。 === 翻訳 === (Effect of Marriage)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 25 : The effect of a marriage is governed by the national law of the husband and wife if their national law is the same, or where that is not the case, by the law of the habitual residence of the husband and wife if their law of the habitual residence is the same, or where neither of these is the case, by the law of the place most closely connected with the husband and wife. === 法例 === ; 第14条 : 婚姻ノ効力ハ夫婦ノ本国法ガ同一ナルトキハ其法律ニ依リ其法律ナキ場合ニ於テ夫婦ノ常居所地法ガ同一ナルトキハ其法律ニ依ル其何レノ法律モナキトキハ夫婦ニ最モ密接ナル関係アル地ノ法律ニ依ル == 解説 == 本条は、[[w:婚姻|婚姻]]の効力について規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第5節 親族 |[[法の適用に関する通則法第24条]]<br />(婚姻の成立及び方式) |[[法の適用に関する通則法第26条]]<br />(夫婦財産制) }} [[category:法の適用に関する通則法|25]] qqu4b7njs5pqxz5zbaugjdvkcqjzyyy 高等学校日本史探究 0 36598 263540 263140 2024-11-15T23:51:43Z Kwawe 68789 /* 第3章 律令国家の形成 */ 263540 wikitext text/x-wiki [[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>高等学校日本史探究  高等学校日本史探究のページです。{{進捗状況}} 本ページの目次と項目の配列は、実教出版株式会社の新課程教科書「[https://www.jikkyo.co.jp/book/detail/23010423 日本史探究]」(日探702)に合わせて作成しています。文章の配列も原則上記教科書会社さんに従いました。学習指導要領に定められた日本史探究の標準単位数は'''3単位です。''' ※本ページは大学の二次試験まで対応させるため、日本史探究の完成時期は未定です。当面の間は日本史Bを参照して下さい。 == 第1部 原始・古代の日本と東アジア == INTRODUCTION === 第1章 日本文化のあけぼの === # [[高等学校日本史探究/日本列島最古の文化Ⅰ|日本列島最古の文化Ⅰ]]{{進捗|100%|2024-09-21}}(人類の誕生と日本列島への居住) # [[高等学校日本史探究/日本列島最古の文化Ⅱ|日本列島最古の文化Ⅱ]]{{進捗|100%|2024-10-01}}(日本の旧石器時代) # 縄文時代の社会と文化{{進捗|00%|2023-11-11}} # 弥生時代の社会と文化{{進捗|00%|2023-11-11}} 歴史資料と原始・古代の展望 === 第2章 ヤマト政権の成立と古墳文化 === # 小国の分立と邪馬台国 # 古墳の出現とヤマト政権の成立 # ヤマト政権の展開と統治の進展 # 古墳時代の生活と文化 === 第3章 律令国家の形成 === # [[高等学校日本史探究/古代国家の形成Ⅰ|古代国家の形成Ⅰ]]{{進捗|75%|2024-11-16}}(蘇我氏の台頭と東アジア) # [[高等学校日本史探究/古代国家の形成Ⅱ|古代国家の形成Ⅱ]]{{進捗|00%|2024-10-31}}(大化の改新と中大兄皇子) # [[高等学校日本史探究/古代国家の形成Ⅲ|古代国家の形成Ⅲ]]{{進捗|00%|2024-10-31}}(壬申の乱と天武持統期) # [[高等学校日本史探究/飛鳥文化・白鳳文化|飛鳥文化・白鳳文化]]{{進捗|100%|2024-11-06}} # [[高等学校日本史探究/律令制度|律令制度]]{{進捗|00%|2024-10-31}} # 奈良時代の政治 # 天平文化 STEP UP 1 奈良時代の人々の暮らし === 第4章 古代の国家・社会の変容 === # 律令体制再編期の政治と社会 # 摂関政治の成立と支配体制の転換 # 国風文化 == 第2部 中世の日本と世界 == INTRODUCTION === 第1章 荘園公領制の成立と院政 === 歴史資料と中世の展望 === 第2章 中世の国家・社会の展開 === # 鎌倉幕府の成立と朝廷 # 中世に生きる人々 # 蒙古襲来と幕府の衰退 # 鎌倉文化 === 第3章 中世の国家・社会の変容 === # 南北朝の動乱 # 室町幕府の政治と外交 # 室町社会の展開と応仁の乱 # 室町文化 # [[高等学校日本史探究/戦国大名の分国経営Ⅰ|戦国大名の分国経営Ⅰ]]{{進捗|75%|2023-11-10}}(戦国時代の特質~分国経営) # 戦国大名の分国経営Ⅱ{{進捗|00%|2023-00-00}} STEP UP 2 東アジアのなかのアイヌ文化・琉球文化 STEP UP 3 女性と仏教 == 第3部 近世の日本と世界 == INTRODUCTION === 第1章 東アジア世界の変容と天下統一 === # 織豊政権 # 天下統一の完成 # 近世成立期の文化 歴史資料と近世の展望 === 第2章 幕藩体制の成立と展開 === # 幕藩体制の成立 # 貿易の統制と対外関係 # 近世社会のしくみ # 幕府政治の展開 # 経済の発展 # 元禄文化と学芸の発展 STEP UP 4 近世の遊郭 === 第3章 近世の国家・社会の変容 === # 幕藩体制の動揺と幕政の改革 # 欧米列強の接近と天保の改革 # 近世文化の成熟と変容 STEP UP 5 百姓一揆と義民物語 == 第4部 近現代の地域・日本と世界 == INTRODUCTION(近代) === 第1章 開国から倒幕へ === 歴史資料と近代の展望 === 第2章 明治維新 === # 明治維新 # 文明開化 === 第3章 近代国家の形成 === # 立憲国家への道 # 議会政治の展開と日清・日露戦争 # 産業革命と社会の変化 # 近代文化の形成と展開 STEP UP 6 日露戦争のアジアへの影響 === 第4章 両大戦間の日本 === # 第一次世界大戦 # 政党政治の展開 # 市民文化の展開 STEP UP 7 近代日本の「食」と米 === 第5章 十五年戦争と日本 === # 満洲事変 # 日中戦争 # アジア・太平洋戦争(太平洋戦争) INTRODUCTION(現代) === 第6章 戦後日本の形成 === # 占領と民主改革 # 独立と日米安保体制の形成 # 高度経済成長下の日本 STEP UP 8 エネルギー革命 === 第7章 グローバル化のなかの現代日本 === # 「国際化」する経済大国Ⅰ{{進捗|00%|2023-00-00}}(ドル=ショックと石油危機~安定成長への転換まで) # 「国際化」する経済大国Ⅱ{{進捗|00%|2023-00-00}}(経済大国への道と国際化の時代) # 「国際化」する経済大国Ⅲ{{進捗|00%|2023-00-00}}(貿易摩擦とバブル経済~「豊かさ」と社会・生活の変容まで) # [[高等学校日本史探究/新たな世紀の日本へⅠ|新たな世紀の日本へⅠ]]{{進捗|100%|2023-08-24}}(冷戦の終結とグローバル化~湾岸戦争と平和維持活動まで) # [[高等学校日本史探究/新たな世紀の日本へⅡ|新たな世紀の日本へⅡ]]{{進捗|100%|2023-09-03}}(政界再編と55年体制の終結~行政改革と日米安保の変化まで) # [[高等学校日本史探究/新たな世紀の日本へⅢ|新たな世紀の日本へⅢ]]{{進捗|100%|2023-08-13}}(「構造改革」と対テロ戦争~新しい世界を目指してまで) 【STEP UP 9】[[高等学校日本史探究/多文化共生|多文化共生]]{{進捗|100%|2024-09-24}} 現代の日本の課題の探究 == 読書案内・学習方法 == [[高等学校日本史探究/資料出所・読書案内|資料出所・読書案内]] [[カテゴリ:高等学校日本史|探]] o989sgrh4wmilltivkpkd8udjq0mgfv ケーパビリティベース 0 37134 263542 224386 2024-11-16T00:09:19Z Ef3 694 /* Capsicum for FreeBSD */ {{Main|FreeBSD/Capsicum}} {{DEFAULTSORT:かはひりていへす}} [[Category:情報技術]] 263542 wikitext text/x-wiki ケーパビリティベース(Capability-based)とは、情報セキュリティやコンピュータシステムの設計において、アクセス制御を行うための一つの手法です。 この手法では、ユーザーが利用できる機能やリソースについて、そのユーザーの「能力」に基づいてアクセス権限を設定します。つまり、ユーザーの役割や資格に応じて、アクセス権限を制御することができます。 ケーパビリティベースのアクセス制御は、ユーザーが特定の資格を持っている場合にのみ、リソースにアクセスできるようにするため、安全性が高いとされています。また、この手法は、システム全体を把握してアクセス制御を設定する必要がなく、個々のリソースごとにアクセス権限を設定できるため、柔軟性が高く、セキュリティ管理が容易になります。 == ケーパビリティベースのOSフレームワーク == ケーパビリティベースのOSフレームワークは、セキュリティやプライバシーなどの要求事項に応えるために設計された、オペレーティングシステム(OS)のフレームワークです。 ケーパビリティベースのOSフレームワークでは、プログラムが必要とする権限を個別に付与することができます。これは、従来のUNIXなどのOSで使われているアクセス制御リスト(ACL)の代わりに、より柔軟性の高いアクセス制御方法を提供します。例えば、特定のファイルに対する読み取り権限だけを与えたり、ネットワークへのアクセス権限を制限することができます。 このフレームワークには、様々なOSがあります。代表的なものに、CapROS、Eros、Coyotosがあります。これらのOSは、セキュリティやプライバシーに特化しており、セキュリティの脆弱性を防ぐための機能が組み込まれています。また、ケーパビリティベースのOSフレームワークは、分散システムにも適しており、複数のマシン間での安全なデータの共有が可能です。 == Capsicum == Capsicumは、セキュリティに関する機能を提供するためにFreeBSDなどのUNIXとその他のUNIX互換OSに実装されたケーパビリティベースのセキュリティフレームワークです。 Capsicumは、プロセスのシステムコールへのアクセスを制限し、最小限の特権でアプリケーションを実行することができます。 Capsicumを使用することで、システムの安全性が向上し、攻撃者が悪用できる潜在的な脆弱性を減らすことができます。 Capsicumは、プロセスの権限を細かく制御できるため、プログラマーがより安全にアプリケーションを構築できるようになります。 Capsicumは、ファイルシステム、ネットワーク、プロセス、スレッドなど、様々なシステムリソースに適用できます。また、Capsicumは、セキュリティの問題を解決するために他のセキュリティフレームワークと組み合わせて使用することができます。 Capsicumは、Googleが開発したオープンソースのフレームワークであり、現在はFreeBSDとLinuxでサポートされています。 === Capsicum for FreeBSD === Robert WatsonとJonathan Andersonによって開発されたCapsicumのFreeBSD実装は、FreeBSD 10.0からリリースに含まれるようになりました(FreeBSD 9.0、9.1、および9.2ではオプションでコンパイルされた機能として提供されています)。FreeBSDのCapsicumは、Capsicum APIおよびセマンティクスのリファレンス実装であり、他のプラットフォーム向けのポートのための出発点となるソースコードも提供しています(例えば、Linux向けのCapsicumおよびDragonFlyBSD向けのCapsicum)。 ==== 実装状況 ==== Capsicum for FreeBSDは、Robert WatsonとJonathan Andersonによって実装されました。Capsicumは、最初にFreeBSD 9.0で実験的な機能として、カーネルからデフォルトでコンパイルされました。FreeBSD 10.0では、Capsicumの能力モード、機能、およびプロセス記述子がデフォルトでカーネルにコンパイルされ、ベースシステムとサードパーティのアプリケーションの両方で使用できるようになりました。 FreeBSD 10.0では、実験的なアプリケーションやFreeBSDベースシステムでCapsicumを展開した数年間の経験に基づいて、重要なKPIおよびAPIの変更が行われました。FreeBSD 10.0では、tcpdump、auditdistd、hastd、dhclient、kdump、rwhod、ctld、iscsid、さらにはuniqなどのベースシステムアプリケーションがリリース配布物の時点でCapsicumを使用しています。 {{Main|FreeBSD/Capsicum}} {{DEFAULTSORT:かはひりていへす}} [[Category:情報技術]] 354cnshedyssy098ctokqpxlnfrku3s 263543 263542 2024-11-16T00:14:38Z Ef3 694 /*POSIXケーパビリティ*/ POSIXケーパビリティは、従来のUNIXシステムにおけるスーパーユーザー(root)の特権を細分化し、特定の操作に必要な最小限の権限のみをプロセスに付与するための仕組みです。これにより、root権限を完全に与える必要がない場合でも、特定の操作を実行できるように設計されています。 263543 wikitext text/x-wiki ケーパビリティベース(Capability-based)とは、情報セキュリティやコンピュータシステムの設計において、アクセス制御を行うための一つの手法です。 この手法では、ユーザーが利用できる機能やリソースについて、そのユーザーの「能力」に基づいてアクセス権限を設定します。つまり、ユーザーの役割や資格に応じて、アクセス権限を制御することができます。 ケーパビリティベースのアクセス制御は、ユーザーが特定の資格を持っている場合にのみ、リソースにアクセスできるようにするため、安全性が高いとされています。また、この手法は、システム全体を把握してアクセス制御を設定する必要がなく、個々のリソースごとにアクセス権限を設定できるため、柔軟性が高く、セキュリティ管理が容易になります。 == ケーパビリティベースのOSフレームワーク == ケーパビリティベースのOSフレームワークは、セキュリティやプライバシーなどの要求事項に応えるために設計された、オペレーティングシステム(OS)のフレームワークです。 ケーパビリティベースのOSフレームワークでは、プログラムが必要とする権限を個別に付与することができます。これは、従来のUNIXなどのOSで使われているアクセス制御リスト(ACL)の代わりに、より柔軟性の高いアクセス制御方法を提供します。例えば、特定のファイルに対する読み取り権限だけを与えたり、ネットワークへのアクセス権限を制限することができます。 このフレームワークには、様々なOSがあります。代表的なものに、CapROS、Eros、Coyotosがあります。これらのOSは、セキュリティやプライバシーに特化しており、セキュリティの脆弱性を防ぐための機能が組み込まれています。また、ケーパビリティベースのOSフレームワークは、分散システムにも適しており、複数のマシン間での安全なデータの共有が可能です。 == Capsicum == Capsicumは、セキュリティに関する機能を提供するためにFreeBSDなどのUNIXとその他のUNIX互換OSに実装されたケーパビリティベースのセキュリティフレームワークです。 Capsicumは、プロセスのシステムコールへのアクセスを制限し、最小限の特権でアプリケーションを実行することができます。 Capsicumを使用することで、システムの安全性が向上し、攻撃者が悪用できる潜在的な脆弱性を減らすことができます。 Capsicumは、プロセスの権限を細かく制御できるため、プログラマーがより安全にアプリケーションを構築できるようになります。 Capsicumは、ファイルシステム、ネットワーク、プロセス、スレッドなど、様々なシステムリソースに適用できます。また、Capsicumは、セキュリティの問題を解決するために他のセキュリティフレームワークと組み合わせて使用することができます。 Capsicumは、Googleが開発したオープンソースのフレームワークであり、現在はFreeBSDとLinuxでサポートされています。 === Capsicum for FreeBSD === Robert WatsonとJonathan Andersonによって開発されたCapsicumのFreeBSD実装は、FreeBSD 10.0からリリースに含まれるようになりました(FreeBSD 9.0、9.1、および9.2ではオプションでコンパイルされた機能として提供されています)。FreeBSDのCapsicumは、Capsicum APIおよびセマンティクスのリファレンス実装であり、他のプラットフォーム向けのポートのための出発点となるソースコードも提供しています(例えば、Linux向けのCapsicumおよびDragonFlyBSD向けのCapsicum)。 ==== 実装状況 ==== Capsicum for FreeBSDは、Robert WatsonとJonathan Andersonによって実装されました。Capsicumは、最初にFreeBSD 9.0で実験的な機能として、カーネルからデフォルトでコンパイルされました。FreeBSD 10.0では、Capsicumの能力モード、機能、およびプロセス記述子がデフォルトでカーネルにコンパイルされ、ベースシステムとサードパーティのアプリケーションの両方で使用できるようになりました。 FreeBSD 10.0では、実験的なアプリケーションやFreeBSDベースシステムでCapsicumを展開した数年間の経験に基づいて、重要なKPIおよびAPIの変更が行われました。FreeBSD 10.0では、tcpdump、auditdistd、hastd、dhclient、kdump、rwhod、ctld、iscsid、さらにはuniqなどのベースシステムアプリケーションがリリース配布物の時点でCapsicumを使用しています。 {{Main|FreeBSD/Capsicum}} == POSIXケーパビリティ == POSIXケーパビリティは、従来のUNIXシステムにおけるスーパーユーザー(root)の特権を細分化し、特定の操作に必要な最小限の権限のみをプロセスに付与するための仕組みです。これにより、root権限を完全に与える必要がない場合でも、特定の操作を実行できるように設計されています。 === 主なPOSIXケーパビリティ === 以下は、POSIXケーパビリティの一部です: * '''CAP_CHOWN''': ファイルの所有者を変更する権限。 * '''CAP_NET_BIND_SERVICE''': 1024番以下のポートにバインドする権限。 * '''CAP_SYS_BOOT''': システムを再起動する権限。 * '''CAP_SETUID''': プロセスのUIDを変更する権限。 これらのケーパビリティを用いることで、アプリケーションやサービスに必要な最低限の権限を明確にすることができます。これにより、セキュリティリスクを軽減し、最小権限の原則を実現できます。 === 実装例 === Linuxカーネルでは、POSIXケーパビリティがサポートされており、<code>capabilities(7)</code>マニュアルで詳しく説明されています。アプリケーションに対するケーパビリティの付与は、<code>setcap</code>コマンドを使用して行います。たとえば、特定のポートにバインドするための権限をバイナリに付与するには、以下のようにします: :<syntaxhighlight lang=shell-session> # setcap 'cap_net_bind_service=+ep' /path/to/binary </syntaxhighlight> また、<code>getcap</code>コマンドを使用して、バイナリに付与されているケーパビリティを確認できます。 {{DEFAULTSORT:かはひりていへす}} [[Category:情報技術]] l8mkhikbuiu6pnjsr2cjbd2cmypdo85 履行不能 0 37358 263579 225555 2024-11-16T08:36:51Z Tomzo 248 転送先を [[w:履行不能]] から [[民法第412条の2]] に変更しました 263579 wikitext text/x-wiki #redirect[[民法第412条の2]] hbhl9lmu0v806v1mu1rqs3v1phn7088 アイヌ語 数の数え方 0 37831 263533 261595 2024-11-15T16:17:17Z トラネコマン 82435 省略形の追加 263533 wikitext text/x-wiki [[アイヌ語]] > [[アイヌ語 テーマ別重要語彙|テーマ別重要語彙]] > '''数の数え方''' アイヌ語の数詞は、全体としては二十進法であり、中に十進法が含まれています。また、完全に十進法の地域や、100までは二十進法で、百の位からは十進法になる地域もあります。日本語などの周辺の言語と異なる、独自の数体系を持っています。 地域や場合によっては、ここに示したものとは異なる言い方をする場合があります。地域名を示したものでも、示した地域すべてには当てはまらないことがあります。また、今のところ、各地の方言を網羅できていない他、誤りも多くは訂正できていません(特に90以降)。 == 0~10 == {| class="wikitable" |+1~10(数連体詞) !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !0<ref>「ただ(副詞)、ただの(連体詞)、空である(一項述詞)」という意味の語。数詞の0として使われるという説明・用例は、[https://wikitravel.org/ja/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E%E4%BC%9A%E8%A9%B1%E9%9B%86 これ]でしか確認できなかった。但し、アイヌ語の一項述詞は一般的に名詞としても使われるため、「空であるもの」という意味の言葉として解釈することはできる。</ref> |オ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ハ</span> |ohá |оха |- !1 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span> |siné |шинэ |- !2 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span> |tu |ту |- !3 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span>、<span style="text-emphasis-style: sesame;">ユ</span>ービ |re, jûpi |рэ, йуупи |- !4 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネ<ref name=":0">例外アクセントのため、樺太では「イーネ îne」となる。含まれる語も同様(イーネホッネ:40 等)。</ref> |íne |инэ |- !5 |ア<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ㇰネ |asíkne |ашикнэ |- !6 |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |iwán |иўан |- !7 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワ<small>ン</small> |árwan |арўан |- !8 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ペ</span>サ<small>ン</small> |tupésan |тупэшан |- !9 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small> |sinépesan |шинэпэшан |- !10 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |wan |ўан |} 基本になる数です。しっかり覚えましょう。 何かを数えるときには、この数詞のあとに数える物の名前を置きます。たとえば、二匹の猫(チャペ/サ゚ペ cápe ча́пэ)はツ゚ サ゚ペ、三人の人(アィヌ ajnu айну)はレ アィヌと言います。何を数えるときもこれは変わりません。 因みに、日本語での神聖数は4[よ]と8[や]ですが、アイヌ語における神聖数はイワ<small>ン</small> iwan иўан(6)です。しばしば日本語での8と同じように、ものがたくさんあることを表します。(例:iwan sike イワン シケ/イワイ シケ 六個の荷物、 たくさんの荷物。 <ref group="引用元">[https://ainugo.nam.go.jp/ 国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ]</ref>、「kokutkor kane, iwan kosonte opannere 帯をしめ、六枚の着物を羽織って<ref group="引用元">アイヌ神謡集p78 Nitatorunpe yaieyukar, “Harit kunna”</ref>」) {| class="wikitable" |+1〜10の個数、人数 ! ! colspan="3" |個数 ! colspan="3" |人数 |- !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !1 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ㇷ゚ |sinép |шинэп |シネ<small>ン</small> |sinen |шинэн |- !2 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ㇷ゚ |tup |туп |ツ゚<small>ン</small> |tun |тун |- !3 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span>ㇷ゚、<span style="text-emphasis-style: sesame;">ユ</span>ービヒ |rep, jûpihi |рэп, йуупихи |レ<small>ン</small> |ren |рэн |- !4 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネㇷ゚<ref name=":0" /> |ínep |инэп |イネ<small>ン</small> |ínen |инэн |- !5 |ア<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ㇰネㇷ゚ |asíknep |ашикнэп |アシㇰネ<small>ン</small> |asiknen |ашикнэн |- !6 |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |iwánpe |иўанпэ |イワニゥ |iwaniw |иўаниў |- !7 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワ<small>ン</small>ペ |árwanpe |арўанпэ |アㇻワニゥ |arwaniw |арўаниў |- !8 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ペ</span>サ<small>ン</small>ペ |tupésanpe |тупэшанпэ |ツ゚ペサニゥ |tupesaniw |тупэшаниў |- !9 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small>ペ |sinépesanpe |шинэпэшанпэ |シネペサニゥ |sinepesaniw |шинэпэшаниў |- !10 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |wanpe |ўанпэ |ワニゥ |waniw |ўаниў |} 個数を数えるとき、1から5までの数(e,u,e,e,eと、全て母音で終わっている)にはㇷ゚ p пを付け、6から10まで(全て子音(<small>ン</small> n)で終わっている)にはペpe пэを付けます。これは述詞を名詞化するときにつける接尾辞<ref>述詞を伴う形式名詞だとする考え方もあるが、ここでは触れない。</ref>p(e)の変化と全く同じです。トゥキ レㇷ゚<お椀3杯>、イナゥ イワ<small>ン</small>ペ<御幣6つ>などのように数えます。 人数を数えるときは、1から5までには𛅧 n нを付け、6から10までには[イ]ゥ iw иўを付けます。シサㇺウタㇻ アシㇰネ<small>ン</small><和人5人>のように数えます。 また、個数、人数は前に名詞がなくても単独で使えます。 == 10〜20 == {| class="wikitable" |+10~20 !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !10 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |wán |ўан |- !11 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |siné ikásma wán |шинэ икашма ўан |- !12 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |tú ikásma wán |ту икашма ўан |- !13 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |ré ikásma wán |рэ икашма ўан |- !14 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |íne ikásma wán |инэ икашма ўан |- !15 |ア<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ㇰネ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |asíkne ikásma wán |ашикнэ икашма ўан |- !16 |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |iwán ikasma wan |иўан икашма ўан |- !17 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワ<small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |arwan ikasma wan |арўан икашма ўан |- !18 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ペ</span>サ<small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |tupesan ikasma wan |тупэшан икашма ўан |- !19 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |sinepesan ikasma wan |шинэпэшан икашма ўан |- !20 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ<ref name=":1">この他にも「ホッ、ホワッ、シネホワッ」などの形がある。</ref> など |hótne |хотнэ |} イカㇱマとは、「余る」を意味する一項述詞(自動詞)です。日本語の「とあまりひとつ(11)」と同じような考え方ですが、アイヌ語では小さい数の方が先に来ます。 物を数えるとき、どちらの数字の後にも数える物の名前を付けます。例えば、14匹の犬(セタ seta сэта)はイネ セタ イカㇱマ ワ<small>ン</small> セタのように言います。 数える物の名前の前の数詞だけ連体詞にして、他の数詞を個数、人数にする省略形もあります。これは数える物の名前が1個で済みます。14匹の犬はイネㇷ゚ イカㇱマ ワン セタのように言います。 {{コラム|hot, hotneの品詞について|ここでは20を表すアイヌ語を「ホッネ」だと紹介しましたが、この元々の形は「ホッ」です。これまでのシネ「1の」〜ワ<small>ン</small>「10の」は全て、名詞の前に付くことでその物の数を表す「数連体詞」と呼ばれる品詞なのですが、ホッ「20」は名詞なので、そういった使い方が出来ないのです。(例えば、花 ノ<small>ン</small>ノを数えるとき、「シネ ノ<small>ン</small>ノ<1本の花>」や「ノ<small>ン</small>ノ アㇻワ<small>ン</small>ペ<花6本>」とは言えても「ホッ ノ<small>ン</small>ノ」や「ノ<small>ン</small>ノ ホッペ」などとは言えない。) そこで、物の数を数えるために「ネ」という辞をつけ、「ホッネ」という形にします。そうすることで数連体詞になり、これまで見てきた数と同じように、ホッネ エㇽム「20匹のネズミ」やエムㇱ ホッネㇷ゚「刀20本」、カッケマッ<ref>ká'''t'''kemat</ref> ホッネ<small>ン</small>「淑女20人」のように表すことができます。}} また、20を表す数詞には地域によって「ホッ」、「ホッネ」の他に「イㇰ」、「ホワッ」、「シネホッ」、「ホㇹ」などがあります。 {| class="wikitable" |+10〜20の個数 !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !10 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |wánpe |ўанпэ |- !11 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ㇷ゚ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |sinép ikásma wánpe |шинэп икашма ўанпэ |- !12 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ㇷ゚ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |túp ikásma wánpe |туп икашма ўанпэ |- !13 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span>ㇷ゚ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |rép ikásma wánpe |рэп икашма ўанпэ |- !14 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネㇷ゚ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |ínep ikásma wánpe |инэп икашма ўанпэ |- !15 |ア<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ㇰネㇷ゚ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |asíknep ikásma wánpe |ашикнэп икашма ўанпэ |- !16 |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |iwánpe ikasma wanpe |иўанпэ икашма ўанпэ |- !17 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワ<small>ン</small>ペ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |arwanpe ikasma wanpe |арўанпэ икашма ўанпэ |- !18 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ペ</span>サ<small>ン</small>ペ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |tupesanpe ikasma wanpe |тупэшанпэ икашма ўанпэ |- !19 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small>ペ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ペ |sinepesanpe ikasma wanpe |шинэпэшанпэ икашма ўанпэ |- !20 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネㇷ゚<ref name=":1" />、 |hótnep |хотнэп |} {| class="wikitable" |+10〜20の人数 !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !10 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |wániw |ўаниў |- !11 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ン イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |sinén ikásma wániw |шинэн икашма ўаниў |- !12 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ン イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |tún ikásma wániw |тун икашма ўаниў |- !13 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span>ン イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |rén ikásma wániw |рэн икашма ўаниў |- !14 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネン イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |ínen ikásma wániw |инэн икашма ўаниў |- !15 |ア<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ㇰネン イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |asíknen ikásma wániw |ашикнэн икашма ўаниў |- !16 |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |iwániw ikasma waniw |иўаниў икашма ўаниў |- !17 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワニゥ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |arwaniw ikasma waniw |арўаниў икашма ўаниў |- !18 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ペ</span>サニゥ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |tupesaniw ikasma waniw |тупэшаниў икашма ўаниў |- !19 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサニゥ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span>ニゥ |sinepesaniw ikasma waniw |шинэпэшаниў икашма ўаниў |- !20 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ<small>ン</small><ref name=":1" />、 |hótnen |хотнэн |} 人数、個数を数える場合でも同様に、各数詞のあとにp/peやn/iwを付けます。 == 20~40 == {| class="wikitable" |+20~40(20進法) !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !20 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ<ref>[ホッネ]の部分は方言によって異なる。「ホッネ」は北海道の中部・南部などで使われる。</ref> |hotne |хотнэ |- !21 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ (<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ) |sine ikasma hotne |шинэ икашма хотнэ |- !22 |ツ゚ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ (<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ) |tu ikasma hotne |ту икашма хотнэ |- !︙ |︙ |︙ |︙ |- !29 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small> イカㇱマ (<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ) |sinepesan ikasma hotne |шинэпэшан икашма хотнэ |- ! ! ! ! |- !30 |(<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ホッネ) または  (<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ) |wan-etuhotne |ўан-этухотнэ |- !31 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ (<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ホッネ) |sine ikasma wan-etuhotne |шинэ икашма ўан-этухотнэ |- !32 |ツ゚ イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ (<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ホッネ) |tu ikasma wan-etuhotne |ту икашма ўан-этухотнэ |- !︙ |︙ |︙ |︙ |- !39 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ (ワ<small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ホッネ) |sinepesan ikasma wan-etuhotne |шинэпэшан икашма ўан-этухотнэ |- !40 |ツ゚(<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ) |tuhotne |тухотнэ |} (ここでは「シネ イカㇱマ」と「ワ<small>ン</small> エツ゚ホッネ」で切っていますが、「シネ イカㇱマ ワン」と「エツ゚ホッネ」で切り、「『11が40に向かう』、『40に届かぬ11』」などとする解釈もあります。) 「エ」は「そこへ(向かう)」という意味があると考えられ「ツ゚ペサ<small>ン</small>・エツ゚ホッネ(8が2×20へ向かう)」で「32」を表した例もあります。また、「シネ イカㇱマ ワ<small>ン</small> イカㇱマ ホッネ」で「32」を表した例もあります。 {| class="wikitable" |+20~40(10進法) ! ! ! ! |- | | | | |- | | | | |- | | | | |} == 80まで == 同じようにしていくと、このようになります。 {| class="wikitable" |+10~80の十の位 !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !10 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |wan | |- !20 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |hotne | |- !30 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ホッネ / <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ <span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |wan-etuhotne | |- !40 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |tuhotne | |- !50 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span>ホッネ / <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |wan-erehotne | |- !60 |レ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |rehotne | |- !70 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネホッネ / <span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ レ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |wan-einehotne | |- !80 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネホッネ |inehotne | |} エ は「~に向かう」という意味があると考えられています。 ここまでをまとめると、このようになります。 {| class="wikitable" |+表し方(1~89) !一の位 ! !十の位 |- | {| class="wikitable" |- !1 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span> |- !2 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span> |- !3 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span> |- !4 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネ |- !5 |ア<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ㇰネ |- !6 |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |- !7 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワ<small>ン</small> |- !8 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ペ</span>サ<small>ン</small> |- !9 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small> |} | {| class="wikitable" |+ !+ |イカㇱマ |} | {| class="wikitable" |- !10 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |- !20 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |- !30 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ホッネ |- !40 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |- !50 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span>ホッネ |- !60 |レ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |- !70 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネホッネ |- !80 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネホッネ |} |} === 十進法を使う地域もある === 旭川・宗谷・樺太などでは、20進法が消え、10進法になっています。 {| class="wikitable" |+10進法の十(1~80) !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !10 |ツ゚ンクツ゚、ホッ | | |- !20 |ツ゚(ホッ) | | |- !30 |レ(ホッ) | | |- ! |イネ | | |- ! | | | |- ! | | | |- ! | | | |- ! | | | |- ! | | | |} == 90以降 == 90以降は、地域によって呼び名がかなり変わります。 {| class="wikitable" |+幌別・名寄・沙流など !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !90 |ワ<small>ン</small>・エアシㇰネホッネ | | |- !100 |アシㇰネホッネ | | |- !110 |ワ<small>ン</small>・エイワ<small>ン</small>ホッネ | | |- !120 |イワ<small>ン</small>ホッネ | | |} これはそのまま20進法を続けてゆくものです。 {| class="wikitable" |+沙流 樺太など !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !90 |ワ<small>ン</small>・エアシㇰネホッネ | | |- !100 |'''アシㇰネホッネ''' | | |- !110 |ワ<small>ン</small> イカㇱマ アシㇰネホッネ | | |- !120 |ホッネ イカㇱマ アシㇰネホッネ | | |} これは100で一区切りをつけ、そこに加算してゆくものです。 {| class="wikitable" |+八雲・帯広など !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !90 |ワ<small>ン</small>・エアシㇰネホッネ / ワ<small>ン</small>・エ(イㇰ) | | |- !100 |'''(シネ) イㇰ、 アツ゚ィタ、 シネ タ<small>ン</small>ツ゚、 タ<small>ン</small>ク 等様々''' | | |- !110 |ワ<small>ン</small> イカㇱマ (イㇰ) | | |- !120 |ホッネ イカㇱマ (イㇰ) | | |} これは100で新たな単位を導入したものです。 {| class="wikitable" |+樺太・旭川など !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !90 | | | |- !100 | | | |- !110 | | | |- !120 | | | |} {| class="wikitable" |+宗谷など !数 !カナ !ラテン文字 !キリル文字 |- !90 | | | |- !100 | | | |- !110 | | | |- !120 | | | |} 十進法でも、さまざまな表し方があります。 == 大きな数 == これがアイヌ語の基本的な(二十進法を使い続けたときの)数体系であると考えられます。この表では、0〜3999(4000は20×20×20)まで表せます。また、このほかに大きな数の表し方がある地域もあります。 {| class="wikitable" |+ ! !一の位 !+ !十(二十、廿)の位 !+ !二百(四百)の位 |- | {| class="wikitable" !0 |オ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ハ</span> |} | {| class="wikitable" !1 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span> |- !2 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span> |- !3 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span> |- !4 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネ |- !5 |ア<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ㇰネ |- !6 |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |- !7 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワ<small>ン</small> |- !8 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ペ</span>サ<small>ン</small> |- !9 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small> |} |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">カ</span>ㇱマ | {| class="wikitable" !10 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small> |- !20 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |- !30 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ホッネ |- !40 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |- !50 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">レ</span>ホッネ |- !60 |レ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ホ</span>ッネ |- !70 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネホッネ |- !80 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ネホッネ |- !90 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>シㇰネホッネ |- !100 |ア<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ㇰネホッネ |- !110 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">イ</span>ワ<small>ン</small>ホッネ<ref><span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・<span style="text-emphasis-style: sesame;">エ</span>ィワンホッネになる可能性もある。</ref> |- !120 |イ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ホッネ |- !130 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワ<small>ン</small>ホッネ |- !140 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ア</span>ㇻワ<small>ン</small>ホッネ |- !150 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ツ゚</span>ペサ<small>ン</small>ホッネ |- !160 |ツ゚<span style="text-emphasis-style: sesame;">ペ</span>サ<small>ン</small>ホッネ |- !170 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">シ</span>ネペサ<small>ン</small>ホッネ |- !180 |シ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ネ</span>ペサ<small>ン</small>ホッネ |- !190 |<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>・エ<span style="text-emphasis-style: sesame;">ワ</span><small>ン</small>ホッネ |} |イカㇱマ | {| class="wikitable" !200 |ワ<small>ン</small>ホッネ |- !400 |アツ゚ィタ<ref>ここでは「ホッネ」より一、二段階程度大きな数詞である「アツ゚ィタ」(示す数は地域によって異なる)を使いましたが、実際に400として使われていることを確かめたというわけではありません。</ref> |- !600 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エツ゚アツ゚ィタ |- !800 |ツ゚アツ゚ィタ |- !1000 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エレアツ゚ィタ |- !1200 |レアツ゚ィタ |- !1400 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エイネアツ゚ィタ |- !1600 |イネアツ゚ィタ |- !1800 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エアシㇰネアツ゚ィタ |- !2000 |アシㇰネアツ゚ィタ |- !2200 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エイワ<small>ン</small>アツ゚ィタ |- !2400 |イワ<small>ン</small>アツ゚ィタ |- !2600 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エアㇻワ<small>ン</small>アツ゚ィタ |- !2800 |アㇻワ<small>ン</small>アツ゚ィタ |- !3000 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エツ゚ぺサ<small>ン</small>アツ゚ィタ |- !3200 |ツ゚ぺサ<small>ン</small>アツ゚ィタ |- !3400 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エシネペサ<small>ン</small>アツ゚ィタ |- !3600 |シネペサ<small>ン</small>アツ゚ィタ |- !3800 |ワ<small>ン</small>ホッネ・エワ<small>ン</small>アツ゚ィタ     |} |} == 個数・人数 == 数を数えるときは、これらの数詞を「シネ メノコ(1人の女)」や「ツ゚ オㇰカヨ(2人の男)」、「レ セタ(三匹の犬)」のように、数えられる名詞の前に置きます。何を数えるときでも形は変わりません。 また、個数を表す「シネㇷ゚、ツ゚ㇷ゚、…アシㇰネㇷ゚、イワ<small>ン</small>ぺ、アㇻワ<small>ン</small>ペ…<ref>母音終わりならпㇷ゚p,子音終わりならpeペпэを付ける。(「もの」を表す言葉と同じもの。)樺太方言ではㇷ゚pはㇵㇶㇷㇸㇹxに変化している。</ref>」や、人数を表す「シネ<small>ン</small>、ツ゚<small>ン</small>、…アシㇰネ<small>ン</small>、イワニゥ、アㇻワニゥ…<ref>母音終わりならnンн,子音終わりならiwイゥиўを付ける。</ref>」を使って数えることもできます。この場合、「ポ<small>ン</small> チセ イネㇷ゚(小さな家一棟)」や「エユピヒ アシㇰネ<small>ン</small>(あなたのお兄さん5人)」などのように、数名詞を後に置きます。 11以上の数で、数詞が二つ出てくるときは、「シネㇷ゚ イカㇱマ ワ<small>ン</small>ぺsine''<u>p</u>'' ikasma wan''<u>pe</u>''(11個)」「ツ゚<small>ン</small> イカㇱマ ホッネ<small>ン</small>tu<u>''n''</u> ikasma hotne<u>''n''</u>(22人)」「レㇷ゚ イカㇱマ ワンぺ・エツ゚ホッネㇷ゚ re<u>''p''</u> ikasma wan<u>''pe''</u>-etuhotne<u>''p''</u>(33個)」「イワニゥ イカㇱマ ワニゥ・エレホッネ<small>ン</small>iwan<u>''iw''</u> ikasma wan<u>''iw''</u>-erehotne<u>''n''</u>(56人)」のように、1や2や-10の部分も、ワ<small>ン</small>やホッネも数名詞になります。同様に、「11匹のぬこ(チャペ/サ゚ペ<ref>表記法が違うだけで全く同じもの。</ref>cape:猫)」などという場合は、「シネ チャペ イカㇱマ ワ<small>ン</small> サ゚ペ」のように、「ねこ」の部分も繰り返して言います。 また、比較的少ない個数や人数を数える場合、固有の呼び方で呼ばれることがあります。下に示したものは沙流方言のものです。 {| class="wikitable" |+ !人数 !カナ !キリル !ラテン |- |5 |アシㇰ |ашик |asik |- |8 |ツペㇱ |тупэш |tupes |- |9 |シネペㇱ |шинэпэш |sinepes |- |5人 |ハィナ |һайна |hayna |- |8人 |ハ<small>ン</small>ピヤ |һанпийа |hanpiya |- |9人 |ハ<small>ン</small>チキ |һанчики |hanciki |} 序数(順番)は、「イイェエ~/iye-e-」を数詞の前に付けて表します。(国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブより)<blockquote>【接頭】[i-y-e-e もの・(挿入音)・(と一緒)で・で]…番目。(「二」以上の数詞と共に用いられる。) iye-einen イイェエイネン 四人目。 iye-einep ne イイェエイネプ ネ 四番目の。 iye-einep ne ku=poho イイェエイネプ ネ クポホ 四番目の息子。 iye-eiwan to イイェエイワン ト 六日目。(W神謡) iye-ere pa イイェエレ パ 三年目。(W民話) iye-erep イイェエレプ 三番目。 iye-erep ne イイェエレプネ 三番目の。 iye-ererko イイェエレレコ[名][i-e-e-rerko もの・で・それで・三日] 三日目。 iye-etup イイェエトゥプ 二番目。 a=o uske oro wa iye-erep oro ta ráp=an アオ ウシケ オロ ワ イイェエレプ オロ タ ラパン 乗った所から三つ目で降りましょう。(S) ☆参考 電車に乗ってから次の次の駅で降りることを言っている。 乗った駅を一つ目として数えている。 ☆発音 二語のアクセントで発音される。 iyé-etú、 iyé-eré。 ☆参考 このように iye-e- イイェ エ を使って言う「…番目」の言い方はサダモさんのみから聞いた。 ワテケさんによれば「…番目」という言い方はなく、 hoski a=ye p, iyos a=ye p, na iyos a=ye p ホシキ アイェプ、 イヨシ アイェプ、 ナ イヨシ アイェプ《最初に言ったこと、 その後に言ったこと、 さらに後に言ったこと》のように言う。 しかしワテケさんも、 神謡の中では iye-eiwan to イイェエイワン ト《六日目の日》のようにこの形を使って歌っている。 (出典:田村、方言:沙流)(国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブより)</blockquote> == 大きな数詞一覧<ref>数連体詞の形。「個数・人数など」であげたような使い方ももちろんする。</ref> == {| class="wikitable" |+ !カナ !キリル !ラテン !アラビア数字10進法 !品詞 |- |ヘ<small>ン</small>パㇰ |һэнпак |henpak |幾つの(疑問詞)<ref>ヘンパㇰぺ(幾つ)、ヘンパキゥ(何人)のほか、ヘンパㇰパ(何年)などとしても使う。</ref> |数連体詞<ref>通常の疑問詞と同じようにhempakpe, hempakiwで何個、何人という意味の名詞にもなる。</ref> |- |クンクツ゚ |кункуту |kunkutu |10 | |- |ホッ |һот |hot |20, 10 |名詞<ref>あくまで20や10という数を表す名詞であり、20個(10個)を表すわけではない。</ref> |- |ホッネ |һотнэ |hotne |20, 10 |数連体詞 |- |アツ゚ィタ |атуйта |atuyta |10, 40, 100, 200, 1000 | |- |イㇰ |ик |ik |20, 100, 1000 | |- |タ<small>ン</small>ク |танку |tanku |100 | |} これだけ種類がありますが数を作る規則は確固としてあり、どの数詞で何を表すかを文章の冒頭などで決めておけば、同じ表記で二通りに取れる、といったことは決して起こらないようになっているので誤解はなくなります。 == リンク・参考文献 == [https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/80943/1/NoLS11_03_099_IzumiOCHIAI.pdf アイヌ語の数詞再考 : 二十進法における下方算法から上方算法への切り替え] ニューエクスプレス アイヌ語(中川裕 著、白水社) <references group="引用元" /> == 註釈 == <references /> [[カテゴリ:アイヌ語|かすのかそえかた]] [[カテゴリ:数]] 84rn9mkm7llam3c3hhhkdjtgi9ahaj4 Fortran/Fortranの活用例 0 39104 263561 242737 2024-11-16T05:50:03Z Ef3 694 :<syntaxhighlight lang=fortranfixed copy> 263561 wikitext text/x-wiki {{nav}} 以下の'''Fortranのコード例'''やサンプルプログラムは、コンパイラに依存するさまざまな状況を示しています。最初の一連の例は、Fortran II、IV、および77のコンパイラ用です。残りの例は、新しい標準のFortranコンパイラでコンパイルおよび実行できます(コンパイラのリストについては[[Fortran#フリー(オープンソース)コンパイラ|Fortran記事の末尾]]を参照してください)。通常、ほとんどの現代のFortranコンパイラは、ソースコードファイル名の接尾辞に基づいてコンパイル中に使用する言語標準を選択します:<code>.f</code>(またはまれに<code>.for</code>)に対してFORTRAN 77、<code>.f90</code>に対してFortran 90、<code>.f95</code>に対してFortran 95。他の標準がサポートされている場合、コマンドラインオプションで手動で選択できます。 == FORTRAN II、IV、および77のコンパイラ == 注:FORTRAN 90以前では、ほとんどのFORTRANコンパイラが'''固定フォーマットのソースコード'''を強制しました。これは[http://en.wikipedia.org/wiki/Punch_card IBMパンチカード]の遺物です。 コメントは列1に'''*'''または'''C'''または'''!'''で始まる必要があります。 ステートメントラベルは列1から列5に配置する必要があります。 継続行には列6に非空白文字が必要です。 ステートメントは列7から始まる必要があります。 行の長さは72文字に制限される場合があります(パンチカードの80バイト幅から派生し、最後の8文字は(任意の)シーケンス番号用に予約されています)。 FORTRANコードをコンパイルする際にエラーが発生した場合は、まず列の整列を確認してください。 一部のコンパイラは、コンパイラフラグを使用してフリーフォームソースを提供します ===三角形の面積プログラム=== ====単純なFortran IIプログラム==== ; 1枚のデータカード入力 入力値の1つがゼロの場合、プログラムはプログラムの実行後のジョブコントロールカードリストでエラーコード「1」で終了します。通常、A、B、C、およびAREAが1行で印刷されます。特定の単位は指定されていません。 :<syntaxhighlight lang=fortranfixed copy> C 三角形の面積 - ヘロンの公式 C 入力 - カードリーダーユニット5、整数入力 C 出力 - C INTEGER VARIABLES START WITH I,J,K,L,M OR N READ(5,501) IA,IB,IC 501 FORMAT(3I5) IF (IA) 701, 777, 701 701 IF (IB) 702, 777, 702 702 IF (IC) 703, 777, 703 777 STOP 1 703 S = (IA + IB + IC) / 2.0 AREA = SQRT( S * (S - IA) * (S - IB) * (S - IC) ) WRITE(6,801) IA,IB,IC,AREA 801 FORMAT(4H A= ,I5,5H B= ,I5,5H C= ,I5,8H AREA= ,F10.2, $13H SQUARE UNITS) STOP END </syntaxhighlight> ====シンプルなFortran IVプログラム==== ; 複数のデータカード入力 このプログラムには2つの入力チェックがあります。1つはデータの終わりを示す空白のカード用であり、もう1つは入力データ内のゼロ値用です。どちらの条件でも、メッセージが表示されます。 :<syntaxhighlight lang=fortranfixed copy> C 三角形の面積 - ヘロンの公式 C 入力 - カードリーダーユニット5、整数入力、データの終わりのための1つの空白のカード C 出力 - ラインプリンターユニット6、実数出力 C 入力エラーは出力にエラーメッセージを表示します 501 FORMAT(3I5) 601 FORMAT(4H A= ,I5,5H B= ,I5,5H C= ,I5,8H AREA= ,F10.2, $13H SQUARE UNITS) 602 FORMAT(10HNORMAL END) 603 FORMAT(23HINPUT ERROR, ZERO VALUE) INTEGER A,B,C 10 READ(5,501) A,B,C IF(A.EQ.0 .AND. B.EQ.0 .AND. C.EQ.0) GO TO 50 IF(A.EQ.0 .OR. B.EQ.0 .OR. C.EQ.0) GO TO 90 S = (A + B + C) / 2.0 AREA = SQRT( S * (S - A) * (S - B) * (S - C) ) WRITE(6,601) A,B,C,AREA GO TO 10 50 WRITE(6,602) STOP 90 WRITE(6,603) STOP END </syntaxhighlight> ====シンプルなFortran 77プログラム==== ; 複数のデータカード入力 このプログラムには2つの入力チェックがあります。1つはデータの終わりを示す空白のカード用であり、もう1つはゼロ値と有効なデータが入力された場合のチェックです。どちらの条件でも、メッセージが表示されます。 :<syntaxhighlight lang=fortranfixed copy> C 三角形の面積 - ヘロンの公式 C 入力 - カードリーダーユニット5、整数入力、データの終わりのための空白のカードはありません C 出力 - ラインプリンターユニット6、実数出力 C 入力エラーは出力にエラーメッセージを表示します 501 FORMAT(3I5) 601 FORMAT(" A= ",I5," B= ",I5," C= ",I5," AREA= ",F10.2, $"SQUARE UNITS") 602 FORMAT("NORMAL END") 603 FORMAT("INPUT ERROR OR ZERO VALUE ERROR") INTEGER A,B,C 10 READ(5,501,END=50,ERR=90) A,B,C IF(A=0 .OR. B=0 .OR. C=0) GO TO 90 S = (A + B + C) / 2.0 AREA = SQRT( S * (S - A) * (S - B) * (S - C) ) WRITE(6,601) A,B,C,AREA GO TO 10 50 WRITE(6,602) STOP 90 WRITE(6,603) STOP END </syntaxhighlight> ==「レトロ」FORTRAN IV== FORTRAN IVのレトロなプログラムデッキの例が、[[:en:w:IBM 1130|IBM 1130]]ページで入手可能です。コンパイルと実行に必要なIBM 1130 DM2 JCLも含まれています。IBM 1130エミュレータは[http://ibm1130.org/ IBM 1130.org]で利用可能であり、FORTRAN IVプログラムを[[:en:w:Personal computer|PC]]上でコンパイルおよび実行することができます。 ===Hello, Worldプログラム=== コンピューティングの伝統に従って、最初に紹介される例は、画面(またはプリンター)に「Hello, world」と表示する単純なプログラムです。 ====FORTRAN 66(またFORTRAN IV)==== :<syntaxhighlight lang=fortranfixed copy> C FORTRAN IVは最初のプログラミング言語の一つで、 C ソースコメントをサポートしていました WRITE (6,7) 7 FORMAT(13H HELLO, WORLD) STOP END </syntaxhighlight> このプログラムは、「HELLO, WORLD」をFortranユニット番号6に出力します。ほとんどのマシンでは、これは[[:en:w:line printer|ラインプリンター]]または[[:en:w:Computer terminal|端末]]でした([[:en:w:Punch card|パンチカード]]リーダーや[[:en:w:Computer keyboard|キーボード]]は通常、ユニット5として接続されていました)。<code>WRITE</code>文中の数字7は、対応する<code>FORMAT</code>文の文番号を指します。<code>FORMAT</code>文は、それを参照する<code>WRITE</code>文と同じプログラムや関数/サブルーチンブロック内のどこにでも配置できます。通常、<code>FORMAT</code>文は、それを呼び出す<code>WRITE</code>文の直後に配置されますが、代替として、<code>FORMAT</code>文はプログラムやサブプログラムブロックの最後にまとめて配置されることもあります。実行が<code>FORMAT</code>文に流れ込んだ場合、それは[[:en:w:NOP|ノーオペレーション]]となります。したがって、上記の例では<code>WRITE</code>と<code>STOP</code>の2つの実行可能な文しかありません。 上記の例の<code>FORMAT</code>文内の最初の<code>13H</code>は、[[:en:w:Hollerith constant|ホーラス定数]]を定義しており、ここでは直後の13文字を文字定数として取り込むことを意味しています(ホーラス定数は区切り文字で囲まれていません)。(一部のコンパイラは、シングルクォーテーションで囲まれた文字リテラルをサポートしており、これはFORTRAN 77で標準となりました。) 13Hの直後のスペースは、出力時に新しい行に進むようにI/Oシステムに指示するキャリッジ制御文字です。この位置にゼロがあると、2行進みます(ダブルスペース)、1が新しいページの先頭に進みます。また、+文字は新しい行に進まず、上書きを許可します。 ====FORTRAN 77==== FORTRAN 77では、文字リテラルを区切るためにシングルクォーテーションが使用され、<code>FORMAT</code>文への参照の代わりにインラインの文字列が使用されるようになりました。コメント行は、列1に<code>C</code>またはアスタリスク(<code>*</code>)を使用して示すことができます。 :<syntaxhighlight lang=fortranfixed copy> PROGRAM HELLO * PRINT文はWRITEと似ていますが、 * 標準出力ユニットに出力します PRINT '(A)', 'Hello, world' STOP END </syntaxhighlight> ====Fortran 90==== Fortran 90では、シングルクォーテーションに加えて[[:en:w:quotation mark|ダブルクォーテーション]]が許可されます。FORTRAN 77でサポートされているように、''list-directed I/O''を使用した''Hello, world''の更新されたバージョンは、次のようにFortran 90で書くことができます: :<syntaxhighlight lang=fortran copy> program HelloWorld write (*,*) 'Hello, world!' ! これが一行コメント end program HelloWorld </syntaxhighlight> ==Fortran 77の例== ===最大公約数=== 以下のFORTRAN 77の入門的な例は、[[:en:w:greatest common divisor|最大公約数]]を<math>A</math>と<math>B</math>の2つの数に対して、[[:en:w:Euclidean algorithm#Description of the algorithm|ユークリッドのアルゴリズム]]を用いて求めます。 :<syntaxhighlight lang=fortranfixed copy> * euclid.f (FORTRAN 77) * ユークリッドのアルゴリズムを使用して最大公約数を見つける PROGRAM EUCLID PRINT *, 'A?' READ *, NA IF (NA.LE.0) THEN PRINT *, 'A must be a positive integer.' STOP END IF PRINT *, 'B?' READ *, NB IF (NB.LE.0) THEN PRINT *, 'B must be a positive integer.' STOP END IF PRINT *, 'The GCD of', NA, ' and', NB, ' is', NGCD(NA, NB), '.' STOP END FUNCTION NGCD(NA, NB) IA = NA IB = NB 1 IF (IB.NE.0) THEN ITEMP = IA IA = IB IB = MOD(ITEMP, IB) GOTO 1 END IF NGCD = IA RETURN END </syntaxhighlight> 上記の例は以下を示すために意図されています: * 上記の<code>PRINT</code>と<code>READ</code>文では、'<code>*</code>'をフォーマットとして使用しており、''リスト指向のフォーマット''を指定しています。リスト指向のフォーマットは、次の引数に基づいて必要な入力または出力のフォーマットをコンパイラに推測させるようにします。 * FORTRANの初期のマシンでは文字セットが制限されていたため、FORTRAN 77では関係演算子 =、≠、<、>、≤、および ≥ を表す<code>.EQ.</code>、<code>.NE.</code>、<code>.LT.</code>、<code>.GT.</code>、<code>.LE.</code>、<code>.GE.</code>のような略記が使用されます。 * この例では、暗黙の型指定機構を使用して、<code>NA</code>、<code>NB</code>、<code>IA</code>、<code>IB</code>、および <code>ITEMP</code> のINTEGER型を指定します。 * 関数<code>NGCD(NA, NB)</code>では、関数引数<code>NA</code>と<code>NB</code>の値がそれぞれローカル変数<code>IA</code>と<code>IB</code>にコピーされます。これは、<code>IA</code>と<code>IB</code>の値が関数内で変更されるために必要です。Fortranの関数およびサブルーチンでの引数の受け渡しはデフォルトで[[:en:w:evaluation strategy#Call by reference|参照渡し]]を利用します([[:en:w:evaluation strategy#Call by value|値渡し]]ではなく、例えば[[:en:w:C programming language|C]]のような言語のデフォルトとは異なります)。関数内から<code>NA</code>と<code>NB</code>を修正すると、関数を呼び出したメインの<code>PROGRAM</code>ユニット内の対応する ''実引数'' が実質的に修正されることになります。 以下に、プログラムのコンパイルと実行の結果を示します。 :<syntaxhighlight lang=console> $ g77 -o euclid euclid.f $ euclid A? 24 B? 36 The GCD of 24 and 36 is 12. </syntaxhighlight> ===複素数=== 以下のFORTRAN 77の例は、<math>j = \sqrt{-1}</math>としたときの<math>e^{j i \pi / 4}</math>の値(ここで<math>j</math>は[[:en:w:imaginary unit|虚数単位]] <math>\sqrt{-1}</math>です)を<math>i = 0, 1, \ldots, 7</math>の値に対して出力します。 :<syntaxhighlight lang=fortranfixed copy> * cmplxd.f (FORTRAN 77) * Demonstration of COMPLEX numbers * * Prints the values of e ** (j * i * pi / 4) for i = 0, 1, 2, ..., 7 * where j is the imaginary number sqrt(-1) PROGRAM CMPLXD IMPLICIT COMPLEX(X) PARAMETER (PI = 3.141592653589793, XJ = (0, 1)) DO 1, I = 0, 7 X = EXP(XJ * I * PI / 4) IF (AIMAG(X).LT.0) THEN PRINT 2, 'e**(j*', I, '*pi/4) = ', REAL(X), ' - j',-AIMAG(X) ELSE PRINT 2, 'e**(j*', I, '*pi/4) = ', REAL(X), ' + j', AIMAG(X) END IF 2 FORMAT (A, I1, A, F10.7, A, F9.7) 1 CONTINUE STOP END </syntaxhighlight> 上記の例は以下を示すために意図されています: * <code>IMPLICIT</code>文を使用して、変数の暗黙の型を指定することができます。デフォルトの暗黙の型付けスキームと異なる場合、変数の最初の文字に基づいてその暗黙の型を指定します。この例では、この文は変数の暗黙の型を<code>COMPLEX</code>に指定します。 * <code>PARAMETER</code>文は定数を指定するために使用できます。この例の2番目の定数(<code>XJ</code>)は、複素数値の値<math>0 + j1</math>を持ちます。ここで、<math>j</math>は[[:en:w:imaginary unit|虚数単位]]<math>\sqrt{-1}</math>です。 * <code>DO</code>文内の最初の数値は、<code>DO</code>ループ内の最終文とみなされる文の番号を指定します。この例では、<code>END IF</code>または<code>FORMAT</code>が単一の実行文ではないため、(何もしない) <code>CONTINUE</code>文が単にループの最終文として指定されます。 * <code>EXP()</code>は指数関数<math>e^x</math>に対応します。FORTRAN 77では、これは''ジェネリック関数''であり、複数の型(<code>REAL</code>や、この例では<code>COMPLEX</code>など)の引数を受け入れることを意味します。*FORTRAN 66では、''特殊関数''を呼び出す必要がありました。これは、関数引数の型に応じて名前が異なります(この例では<code>COMPLEX</code>値の場合に<code>CEXP()</code>)。 * <code>COMPLEX</code>値の場合、<code>REAL()</code>および<code>AIMAG()</code>は、それぞれ引数の実部と虚部の値を返します。 ちなみに、上記のプログラムの出力は以下の通りです(これらの値は、[[:en:w:Euler's formula|オイラーの公式]]による単位円周上に均等に配置された8つの点としての幾何学的解釈についての記事を参照してください)。 :<syntaxhighlight lang=console> $ cmplxd e**(j*0*pi/4) = 1.0000000 + j0.0000000 e**(j*1*pi/4) = 0.7071068 + j0.7071068 e**(j*2*pi/4) = 0.0000000 + j1.0000000 e**(j*3*pi/4) = -0.7071068 + j0.7071068 e**(j*4*pi/4) = -1.0000000 - j0.0000001 e**(j*5*pi/4) = -0.7071066 - j0.7071069 e**(j*6*pi/4) = 0.0000000 - j1.0000000 e**(j*7*pi/4) = 0.7071070 - j0.7071065 </syntaxhighlight> 上記の数値のいくつかの場合、最後の小数位でエラーが発生していることが見て取れます。これは、<code>COMPLEX</code>データ型が実部と虚部を単精度で表現しているためです。ちなみに、Fortran 90では倍精度の複素数データ型も標準化されました(しかし、いくつかのコンパイラはそれ以前からこのような型を提供していました)。 ===三角形の面積を求めるFORTRAN 90プログラム=== :<syntaxhighlight lang=fortran copy> program area implicit none real :: A, B, C, S ! area of a triangle read *, A, B, C S = (A + B + C)/2 A = sqrt(S*(S-A)*(S-B)*(S-C)) print *,"area =",A stop end program area </syntaxhighlight> == Fortran 90/95の例 == === DOループを使用した合計値の計算 === このFortran 90のコードの例では、プログラマーはコードの大部分をDOループの中に書いています。実行時には、指示が画面に表示され、SUM変数がループの外でゼロに初期化されます。ループが開始すると、ユーザーに任意の数値の入力を要求します。この数値は、ループが繰り返されるたびに変数SUMに加算されます。ユーザーが0を入力すると、EXIT文がループを終了し、SUMの値が画面に表示されます。 このプログラムには、データファイルも含まれています。ループが始まる前に、プログラムは(もしあれば) "SumData.DAT"というテキストファイルを作成(または開く)します。ループ中、WRITE文はこのファイルに入力された数値を保存し、ループが終了すると回答も保存します。 :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> ! sum.f90 ! EXIT文を使用してループを使用した合計値を計算します ! 入力情報と合計値をデータファイルに保存します program summation implicit none integer :: sum, a print *, "This program performs summations. Enter 0 to stop." open (unit=10, file="SumData.DAT") sum = 0 do print *, "Add:" read *, a if (a == 0) then exit else sum = sum + a end if write (10,*) a end do print *, "Summation =", sum write (10,*) "Summation =", sum close(10) end </syntaxhighlight> 実行すると、コンソールに次のように表示されます。 <syntaxhighlight lang="text"> This program performs summations. Enter 0 to stop. Add: 1 Add: 2 Add: 3 Add: 0 Summation = 6 </syntaxhighlight> そして、ファイルSumData.DATには次のように表示されます。 <syntaxhighlight lang="text"> 1 2 3 Summation = 6 </syntaxhighlight> === 円柱の表面積の計算 === 次のプログラムは、円柱の表面積を計算するものであり、自由形式のソース入力やFortran 90で導入された他の機能を示しています。 :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> program cylinder ! 円柱の表面積を計算します。 ! ! 変数と定数の宣言 ! 定数=pi ! 変数=半径の2乗と高さ implicit none ! すべての変数を明示的に宣言することを要求する integer :: ierr character(1) :: yn real :: radius, height, area real, parameter :: pi = 3.141592653589793 interactive_loop: do ! ユーザーに半径と高さを入力するように促し、それらを読み取ります。 write (*,*) 'Enter radius and height.' read (*,*,iostat=ierr) radius,height ! 半径と高さが入力から読み取れなかった場合、 ! ループを通じて進みます。 if (ierr /= 0) then write(*,*) 'Error, invalid input.' cycle interactive_loop end if ! 面積を計算します。 **は「累乗」を意味します。 area = 2*pi * (radius**2 + radius*height) ! 入力変数(半径、高さ)と出力(面積)を画面に書き込みます。 write (*,'(1x,a7,f6.2,5x,a7,f6.2,5x,a5,f6.2)') & 'radius=',radius,'height=',height,'area=',area yn = ' ' yn_loop: do write(*,*) 'Perform another calculation? y[n]' read(*,'(a1)') yn if (yn=='y' .or. yn=='Y') exit yn_loop if (yn=='n' .or. yn=='N' .or. yn==' ') exit interactive_loop end do yn_loop end do interactive_loop end program cylinder </syntaxhighlight> === 動的メモリ割り当てと配列 === 次のプログラムは、動的メモリ割り当てと配列ベースの操作を示しており、Fortran 90で導入された2つの機能を説明しています。配列の操作には、DOループやIF / THEN文がないことが特に注目されます。数学的な操作は配列全体に適用されます。また、記述的な変数名の使用と、現代のプログラミングスタイルに準拠した一般的なコードのフォーマットも明らかです。この例では、インタラクティブに入力されたデータの平均値を計算します。 :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> program average ! いくつかの数値を読み取り、平均値を取得します ! この例では、データポイントがない場合、ゼロの平均値が返されます ! これは望ましくない動作かもしれませんが、この例を単純化します implicit none integer :: number_of_points real, dimension(:), allocatable :: points real :: average_points=0., positive_average=0., negative_average=0. write (*,*) "Input number of points to average:" read (*,*) number_of_points allocate (points(number_of_points)) write (*,*) "Enter the points to average:" read (*,*) points ! ポイントを合計し、number_of_pointsで割ることで平均値を取ります if (number_of_points > 0) average_points = sum(points)/number_of_points ! 今度は正のポイントと負のポイントだけで平均を取ります if (count(points > 0.) > 0) positive_average = sum(points, points > 0.) & /count(points > 0.) if (count(points < 0.) > 0) negative_average = sum(points, points < 0.) & /count(points < 0.) deallocate (points) ! 結果を端末に出力します write (*,'(''Average = '', 1g12.4)') average_points write (*,'(''Average of positive points = '', 1g12.4)') positive_average write (*,'(''Average of negative points = '', 1g12.4)') negative_average end program average </syntaxhighlight> === 関数の記述 === 以下の例は、線形方程式系を解く関数を示しています。Fortranで利用可能なモダンな機能、例えば、遅延形状、保護された引数、オプション引数などが使用されています。 :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> function gauss_sparse(num_iter, tol, b, A, x, actual_iter) result(tol_max) ! この関数は、ガウス・ザイデル法を使用して方程式系(Ax = b)を解きます implicit none real :: tol_max ! 入力:その値は関数内で変更できません integer, intent(in) :: num_iter real, intent(in) :: tol real, intent(in), dimension(:) :: b, A(:,:) ! 入力/出力:その入力値は関数内で使用され、変更できます real, intent(inout) :: x(:) ! 出力:その値は関数内で変更されますが、引数が必要な場合のみ integer, optional, intent(out) :: actual_iter ! ローカル integer :: i, n, iter real :: xk ! 値を初期化します n = size(b) ! 配列のサイズ、size組込み関数を使用して取得します tol_max = 2. * tol iter = 0 ! 収束するまで解を計算します convergence_loop: do while (tol_max >= tol .and. iter < num_iter); iter = iter + 1 tol_max = -1. ! 許容誤差の値をリセットします ! k番目の反復の解を計算します iteration_loop: do i = 1, n ! 現在のx値を計算します xk = (b(i) - dot_product(A(i,:i-1),x(:i-1)) - dot_product(A(i,i+1:n),x(i+1:n))) / A(i, i) ! 解の誤差を計算します ! dot_product(a,v)=a'b tol_max = max((abs(x(i) - xk)/(1. + abs(xk))) ** 2, abs(A(i, i) * (x(i) - xk)), tol_max) x(i) = xk enddo iteration_loop enddo convergence_loop if (present(actual_iter)) actual_iter = iter end function gauss_sparse </syntaxhighlight> このルーチンへの明示的なインターフェースが、その呼び出し元によって利用可能である必要があります。これは、関数をモジュール内に配置し、呼び出しルーチンでそのモジュールをUSEすることによって、最も望ましい方法です。別の方法は、次の例に示すように、INTERFACEブロックを使用することです。 :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> program test_gauss_sparse implicit none ! gauss_sparse関数への明示的なインターフェース interface function gauss_sparse(num_iter, tol, b, A, x, actual_iter) result(tol_max) real :: tol_max integer, intent(in) :: num_iter real, intent(in) :: tol real, intent(in), dimension(:) :: b, A(:,:) real, intent(inout) :: x(:) integer, optional, intent(out) :: actual_iter end function end interface ! 変数の宣言 integer :: i, N = 3, actual_iter real :: residue real, allocatable :: A(:,:), x(:), b(:) ! 配列の割り当て allocate (A(N, N), b(N), x(N)) ! 行列の初期化 A = reshape([(real(i), i = 1, size(A))], shape(A)) ! 対角要素が他の要素の合計になるように行列を変更する do i = 1, size(A, 1) A(i,i) = sum(A(i,:)) + 1 enddo ! bの初期化 b = [(i, i = 1, size(b))] ! 初期解(予測解) x = b ! gauss_sparse関数の呼び出し residue = gauss_sparse(num_iter = 100, & tol = 1E-5, & b = b, & A = a, & x = x, & actual_iter = actual_iter) ! 出力 print '(/ "A = ")' do i = 1, size(A, 1) print '(100f6.1)', A(i,:) enddo print '(/ "b = " / (f6.1))', b print '(/ "残差 = ", g10.3 / "反復回数 = ", i0 / "解 = "/ (11x, g10.3))', & residue, actual_iter, x end program test_gauss_sparse </syntaxhighlight> === サブルーチンの記述 === 手続きの引数を介して値を返す場合は、関数よりもサブルーチンを使用することが好まれます。これは、2つの配列の内容を入れ替えるサブルーチンの例によって示されます: :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> subroutine swap_real(a1, a2) implicit none ! 入力/出力 real, intent(inout) :: a1(:), a2(:) ! ローカル変数 integer :: i real :: a ! 入れ替え do i = 1, min(size(a1), size(a2)) a = a1(i) a1(i) = a2(i) a2(i) = a enddo end subroutine swap_real </syntaxhighlight> 以前の例と同様に、このルーチンへの ''明示的インターフェース'' は、その [[w:型シグネチャ|型シグネチャ]] が呼び出し元で知られている必要があります。これは、関数を ''モジュール'' に配置し、呼び出しルーチンでモジュールを ''USE'' することによって、望ましい方法です。代替手段として、次の例に示すように ''INTERFACE'' ブロックを使用することもできます。 === 内部と要素手続き === 前の例の <code>swap_real</code> サブルーチンを書き直す別の方法は次の通りです: :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> subroutine swap_real(a1, a2) implicit none ! 入力/出力 real, intent(inout) :: a1(:), a2(:) ! ローカル変数 integer :: N ! 内部サブルーチンを使用して入れ替え N = min(size(a1), size(a2)) call swap_e(a1(:N), a2(:N)) contains elemental subroutine swap_e(a1, a2) real, intent(inout) :: a1, a2 real :: a a = a1 a1 = a2 a2 = a end subroutine swap_e end subroutine swap_real </syntaxhighlight> この例では、<code>swap_e</code> サブルーチンが要素であり、それは要素ごとの基準でその配列引数に作用します。要素手続きは [[w:純粋関数|純粋]] でなければならず(つまり、副作用を持たず、純粋な手続きのみを呼び出すことができます)、すべての引数はスカラーでなければなりません。<code>swap_e</code> が <code>swap_real</code> サブルーチンの内部であるため、他のプログラムユニットはそれを呼び出すことはできません。 次のプログラムは、2つの <code>swap_real</code> サブルーチンのいずれかをテストするためのものです: :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> program test_swap_real implicit none ! swap_realサブルーチンへの明示的なインターフェース interface subroutine swap_real(a1, a2) real, intent(inout) :: a1(:), a2(:) end subroutine swap_real end interface ! 変数の宣言 integer :: i real :: a(10), b(10) ! a、bの初期化 a = [(real(i), i = 1, 20, 2)] b = a + 1 ! 入れ替え前の出力 print '(/"入れ替え前:")' print '("a = [", 10f6.1, "]")', a print '("b = [", 10f6.1, "]")', b ! swap_realサブルーチンの呼び出し call swap_real(a, b) ! 入れ替え後の出力 print '(// "入れ替え後:")' print '("a = [", 10f6.1, "]")', a print '("b = [", 10f6.1, "]")', b end program test_swap_real </syntaxhighlight> === ポインタとターゲットメソッド === Fortranにおいて、[[w:Pointer (computing)|ポインタ]]の概念は、[[C programming language|C]]のような言語とは異なります。Fortran 90のポインタは単にターゲット変数のメモリアドレスを格納するだけでなく、追加の情報も含みます。その情報には、ターゲットのランク、各次元の上限と下限、さらにはメモリを通過する際のストライドさえ含まれます。これにより、Fortran 90のポインタはサブ行列を指すことができます。 Fortran 90のポインタは、ポインタ代入演算子 (<code>=></code>) または <code>ALLOCATE</code> 文を介して、明確に定義された ''ターゲット'' 変数と ''関連付け'' されます。式中に現れる場合、ポインタは常にデリファレンスされます。 ''ポインタ演算'' はできません。 次の例では、整数の配列を指すポインタを宣言し、そのポインタを介して配列の要素を変更します: :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> program pointer_example implicit none ! ポインタの宣言 integer, pointer :: ptr(:) ! ターゲット配列の宣言 integer, dimension(5) :: array ! ポインタをターゲットに関連付ける ptr => array ! ターゲット配列の要素を変更 ptr(1) = 10 ptr(2) = 20 ptr(3) = 30 ptr(4) = 40 ptr(5) = 50 ! 出力 print *, "ターゲット配列の要素:" print *, array end program pointer_example </syntaxhighlight> このプログラムは、ターゲット配列の要素を直接変更するのではなく、ポインタを介して変更することができます。ポインタには <code>=></code> 演算子を使用してターゲットを指定します。 ポインタには [[w:Dynamic memory allocation|動的メモリ割り当て]] にも使用できます。下記に、ポインタを使用して動的に配列を割り当てる方法を示します: :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> program dynamic_allocation implicit none ! ポインタの宣言 integer, pointer :: ptr(:) ! 配列のサイズ integer :: size ! ユーザーによる配列のサイズ入力 print *, "配列のサイズを入力してください:" read *, size ! ポインタを割り当て allocate(ptr(size)) ! ユーザーからの入力を配列に格納 print *, "配列の要素を入力してください:" read *, ptr ! 出力 print *, "入力された配列の要素:", ptr ! 割り当て解除 deallocate(ptr) end program dynamic_allocation </syntaxhighlight> このプログラムでは、ユーザーによって配列のサイズが入力され、そのサイズの配列が動的に割り当てられます。その後、ユーザーが要素を入力し、それがポインタに格納された配列に保存されます。 最後に、ポインタのメモリが解放されます。 === コメント === これらの例は、Fortran 90/95の基本的な構文や機能を示しています。Fortranの機能は非常に豊富であり、これらの例でカバーされていない多くの機能がありますが、これらの例で紹介された構文や機能をマスターすることで、Fortranで広範なプログラミングを行う上での基盤を築くことができます。 === モジュール === Fortranのモジュールは、変数、関数、手続きなどの ''公開インターフェース'' を定義するための便利な方法です。これにより、異なるプログラムユニット間で情報を共有することができます。たとえば、以下の例では、定数や手続きを含むモジュールを定義しています: モジュールを使用するプログラムでは、次のようにしてモジュールをインポートします: :<syntaxhighlight lang="fortran" copy> module GlobalModule ! Reference to a pair of procedures included in a previously compiled ! module named PortabilityLibrary use PortabilityLibrary, only: GetLastError, & ! Generic procedure Date ! Specific procedure ! Constants integer, parameter :: dp_k = kind (1.0d0) ! Double precision kind real, parameter :: zero = (0.) real(dp_k), parameter :: pi = 3.141592653589793_dp_k ! Variables integer :: n, m, retint logical :: status, retlog character(50) :: AppName ! Arrays real, allocatable, dimension(:,:,:) :: a, b, c, d complex(dp_k), allocatable, dimension(:) :: z ! Derived type definitions type ijk integer :: i integer :: j integer :: k end type ijk type matrix integer m, n real, allocatable :: a(:,:) ! Fortran 2003 feature. For Fortran 95, use the pointer attribute instead end type matrix ! All the variables and procedures from this module can be accessed ! by other program units, except for AppName public private :: AppName ! Generic procedure swap interface swap module procedure swap_integer, swap_real end interface swap interface GetLastError ! This adds a new, additional procedure to the ! generic procedure GetLastError module procedure GetLastError_GlobalModule end interface GetLastError ! Operator overloading interface operator(+) module procedure add_ijk end interface ! Prototype for external procedure interface function gauss_sparse(num_iter, tol, b, A, x, actual_iter) result(tol_max) real :: tol_max integer, intent(in) :: num_iter real, intent(in) :: tol real, intent(in), dimension(:) :: b, A(:,:) real, intent(inout) :: x(:) integer, optional, intent(out) :: actual_iter end function gauss_sparse end interface ! Procedures included in the module contains ! Internal function function add_ijk(ijk_1, ijk_2) type(ijk) add_ijk, ijk_1, ijk_2 intent(in) :: ijk_1, ijk_2 add_ijk = ijk(ijk_1%i + ijk_2%i, ijk_1%j + ijk_2%j, ijk_1%k + ijk_2%k) end function add_ijk ! Include external files include 'swap_integer.f90' ! Comments SHOULDN'T be added on include lines include 'swap_real.f90' end module GlobalModule </syntaxhighlight> j4vcm7tmkk30zc3arif63ag1kmh93ee ガリア戦記 第6巻/注解 0 42852 263548 263499 2024-11-16T01:21:44Z Linguae 449 /* 各節注解 */ 263548 wikitext text/x-wiki <div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:15pt;color:#990033;text-align:center;background-color:#fff0ff;">C &middot; IVLII &middot; CAESARIS &middot; COMMENTARIORVM &middot; BELLI &middot; GALLICI</div> <div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:30pt;color:#990033;text-align:center;background-color:#fff0ff;">LIBER &middot; SEXTVS</div> <span style="font-size:13pt;">『<span style="background-color:#ffc;">[[ガリア戦記 第6巻]]</span>』の単語や構文を詳しく読み解く <span style="background-color:#fc8;font-size:15pt;">'''[[ガリア戦記/注解編|注解編]]'''</span> の目次。</span> {| id="toc" style="border:0px #ddf; align:left;clear:all;" align="center" cellpadding="5" |- ! style="background:#ccf; text-align:center;" colspan="10"| ガリア戦記 第6巻 注解 |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/1節|1節]] |[[/2節|2節]] |[[/3節|3節]] |[[/4節|4節]] |[[/5節|5節]] |[[/6節|6節]] |[[/7節|7節]] |[[/8節|8節]] |[[/9節|9節]] |[[/10節|10節]] |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/11節|11節]] |[[/12節|12節]] |[[/13節|13節]] |[[/14節|14節]] |[[/15節|15節]] |[[/16節|16節]] |[[/17節|17節]] |[[/18節|18節]] |[[/19節|19節]] |[[/20節|20節]]<!-- |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/21節|21節]] |[[/22節|22節]] |[[/23節|23節]] |[[/24節|24節]] |[[/25節|25節]] |[[/26節|26節]] |[[/27節|27節]] |[[/28節|28節]] |[[/29節|29節]] |[[/30節|30節]] |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/31節|31節]] |[[/32節|32節]] |[[/33節|33節]] |[[/34節|34節]] |[[/35節|35節]] |[[/36節|36節]] |[[/37節|37節]] |[[/38節|38節]] |[[/39節|39節]] |[[/40節|40節]] |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/41節|41節]] |[[/42節|42節]] |[[/43節|43節]] |[[/44節|44節]] |[[/45節|45節]] |[[/46節|46節]] |[[/47節|47節]] |[[/48節|48節]] |[[/49節|49節]] |[[/50節|50節]] |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/51節|51節]] |[[/52節|52節]] |[[/53節|53節]] |[[/54節|54節]] |[[/55節|55節]] |[[/56節|56節]] |[[/57節|57節]] |[[/58節|58節]] | colspan="6" | |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/1節|1節]] |[[/2節|2節]] |[[/3節|3節]] |[[/4節|4節]] |[[/5節|5節]] |[[/6節|6節]] |[[/7節|7節]] |[[/8節|8節]] |[[/9節|9節]] |[[/0節|0節]] --> |- | style="background:#f5fefe; text-align:left; font-size: 0.8em;" colspan="10"| [[ガリア戦記 第1巻/注解|'''注解'''&nbsp; 第1巻]] | [[ガリア戦記 第2巻/注解|第2巻]] | [[ガリア戦記 第3巻/注解|第3巻]] | [[ガリア戦記 第4巻/注解|第4巻]] | [[ガリア戦記 第5巻/注解|第5巻]] | [[ガリア戦記 第6巻/注解|第6巻]] <!--| [[ガリア戦記 第7巻/注解|第7巻]] | [[ガリア戦記 第8巻/注解|第8巻]]--> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ == 各節注解 == [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] ===ガッリア北部の平定=== *<span style="background-color:#fff;">[[/1節]] {{進捗|25%|2024-09-23}}</span> (129語) *<span style="background-color:#fff;">[[/2節]] {{進捗|25%|2024-09-29}}</span> (89語)   短い節 *<span style="background-color:#fff;">[[/3節]] {{進捗|25%|2024-10-06}}</span> (112語) *<span style="background-color:#fff;">[[/4節]] {{進捗|25%|2024-10-13}}</span> (86語)   短い節 *<span style="background-color:#fff;">[[/5節]] {{進捗|25%|2024-10-14}}</span> (150語) *<span style="background-color:#fff;">[[/6節]] {{進捗|25%|2024-10-20}}</span> (69語)   短い節 *<span style="background-color:#fff;">[[/7節]] {{進捗|25%|2024-10-30}}</span> (196語) *<span style="background-color:#fff;">[[/8節]] {{進捗|25%|2024-11-10}}</span> (210語) *<span style="background-color:#fff;">[[/9節]] {{進捗|25%|2024-11-13}}</span> (141語) ===第二次ゲルマーニア遠征=== *<span style="background-color:#fff;">[[/10節]] {{進捗|25%|2024-11-16}}</span> (143語) *<span style="background-color:#fff;">[[/11節]] {{進捗|00%|2024-11-14}}</span>  == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffd;">[[ガリア戦記]]</span><!--【2006年4月23日起稿】--> **<span style="background-color:#ffd;">[[ガリア戦記/注解編]]</span><!--(2020-03-27)--> ***<span style="background-color:#ffd;">[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版]] {{進捗|00%|2020-04-17}}</span><!--(2020-04-17)--> **<span style="background-color:#ffd;">[[ガリア戦記/用例集]]          {{進捗|00%|2020-03-29}}</span><!--(2020-03-29)--> **[[ガリア戦記/内容目次]]:巻・章・節の内容を記した目次 {{進捗|75%|2011-04-02}} **[[ガリア戦記/参照画像一覧]]:本文で参照した画像一覧  {{進捗|75%|2011-04-16}} *<span style="background-color:#ffd;font-size:15px;">[[古典ラテン語]]                   {{進捗|00%|2018-04-18}} </span> <br><div style="font-size:20pt;"> Ā Ē Ī Ō Ū ā ē ī ō ū &nbsp; Ă Ĕ Ĭ Ŏ Ŭ ă ĕ ĭ ŏ ŭ </div> <div style="font-size:13pt;"> <math>\overline{\mbox{VIIII}} </math> </div><!-- [[w:Help:数式の表示]] --> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;background-color:#fff;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;"></span> <!-- *<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">† : </span>校訂者が、テクストが壊れていると判断した部分をこの記号で囲んでいる。 --> <!-- <ruby><rb>●漢字●</rb><rp>(</rp><rt>●ルビ●</rt><rp>)</rp></ruby> --> <!-- *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-11-06}}</span> --> <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <!--❶--><!--❷--><!--❸--><!--❹--><!--❺--><!--❻--><!--❼--><!--❽--><!--❾--><!----><!----><!----><!----><!----> == 関連記事 == {{Wikisource|la:Commentarii de bello Gallico/Liber VI|ガリア戦記 第6巻(ラテン語)}} *ウィキソース **<span style="font-family:Times New Roman;">[[s:la:Commentarii de bello Gallico/Liber VI]] (第6巻 ラテン語)</span> **<span style="font-family:Times New Roman;">[[s:en:Commentaries on the Gallic War/Book 6]] (第6巻 英訳)</span> **<span style="font-family:Times New Roman;">[[s:fr:La Guerre des Gaules/Livre VI]] (第6巻 仏訳)</span> ---- {{Commons|Category:Battles of Caesar's Gallic Wars|Battles of Caesar's Gallic Warsのカテゴリ}} *<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[wikt:fr:Catégorie:Mots en latin issus d’un mot en gaulois]]</span> ---- ;地名 *[[wikt:en:Gallia#Latin|Gallia]] **Gallia [[wikt:en:cisalpinus#Latin|cisalpīna]] **Gallia [[wikt:en:transalpinus#Latin|trānsalpīna]] **Gallia [[wikt:en:comatus#Latin|comāta]] ;部族 *[[wikt:en:Germani#Latin|Germānī]] ;第6巻の登場人物 *[[wikt:en:Caesar#Latin|Caesar]] :  *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorīx]] : *[[wikt:en:Commius|Commius]] **[[w:コンミウス]] **[[w:la:Commius]] **[[w:en:Commius]] **[[w:fr:Commios]] *[[wikt:en:Cicero#Latin|Cicerō]] **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クイーントゥス・トゥッリウス・キケロー]] **[[w:la:Quintus Tullius Cicero]] **[[w:en:Quintus Tullius Cicero]] **[[w:fr:Quintus Tullius Cicero]] *[[wikt:en:Crassus#Latin|Crassus]] *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labiēnus]] **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]] <!-- *? **Crassus ***[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス]] ***[[w:la:Publius Licinius Crassus]] ***[[w:en:Publius Licinius Crassus (son of triumvir)]] ***[[w:fr:Publius Crassus]] **Labienus (副官) ***[[w:la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Titus Labienus]] ***[[w:fr:Titus Labienus]] **Brutus ***[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス]] ***[[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus]] ***[[w:en:Decimus Junius Brutus Albinus]] ***[[w:fr:Decimus Junius Brutus Albinus]] --> <br> ===第6巻の関連記事=== <!--【第6巻の関連記事】--> {{Commons|Category:Roman Britain|Roman Britainのカテゴリ}} <div style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;"> <!-- *[[c:Category:Armorica]] **[[c:Category:Maps of the Antiquity of Bretagne]] --> <hr> *[[c:Category:Ancient Roman ships]] <br> </span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;"></span> == 外部リンク == *[[ガリア戦記/注解編#外部リンク]] を参照。 *[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#オンライン注釈書等]] 等を参照。 ===オンライン注釈書=== <div style="background-color:#eeeeee;"> ====Caesar's Gallic war : notes by F. W. Kelsey (1897)==== :C. Iuli Caesaris De bello gallico libri VII : ::Caesar's Gallic war : with an introduction, notes, and vocabulary ::: by [[w:en:Francis Kelsey|Francis Willey Kelsey (1858-1927)]], Fifteenth Edition (1897) :::: (HathiTrust Digital Library [[w:ハーティトラスト|ハーティトラスト・デジタルライブラリ]]で電子化) :: [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=19 Contents] (#19) ;:─TEXT─ :: '''Book 6''' : [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=219 Commentarius Sextus] &nbsp; (#219) ;:─NOTES─ :: '''Book 6''' # [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=441 I.] (#441), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=442 II.-III.] (#442), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=443 IV.-VII.] (#443), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=444 VIII.-IX.] (#444), # [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=445 X.-XI.] (#445), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=446 XII.-XIII.] (#446), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=447 XIV.-XV.] (#447), </div> ====English translation by W. A. McDevitte & W. S. Bohn (1869)==== # [http://www.forumromanum.org/literature/caesar/gallic.html (www.forumromanum.org)] # (www.perseus.tufts.edu) ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.1 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 1] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.2 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 2] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.3 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 3] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.4 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 4] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.5 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 5] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.6 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 6] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.7 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 7] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.8 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 8] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.9 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 9] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.10 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 10] <!-- ====Eastman, Frederick Carlos., D'Ooge, Benjamin L. 1860-1940.(1917)==== <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:13pt;"> *[https://catalog.hathitrust.org/Record/001058370 Catalog Record: Caesar in Gaul and selections from the third... | HathiTrust Digital Library] (catalog.hathitrust.org) :[https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn5cnb&view=1up&seq=7&skin=2021 #7 - Caesar in Gaul and selections from the third book of the Civil ... - Full View | HathiTrust Digital Library] (babel.hathitrust.org) :BOOK IV. [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn5cnb&view=1up&seq=393&skin=2021 #393 ] :IV.34,-38. [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn5cnb&view=1up&seq=403&skin=2021 #403 ] </span> --> ====Harkness, Albert (1889)==== <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;"><span style="font-size:15pt;">Caesar's Commentaries on the Gallic War,  </span><span style="font-size:13pt;">with notes, dictionary, and a map of Gaul.</span><br>  <span style="font-size:15pt;">   edited by <u>[[w:en:Albert Harkness|Albert Harkness (1822-1907)]]</u> <ref>[http://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/lookupname?key=Harkness%2C%20Albert%2C%201822%2D1907 Harkness, Albert, 1822-1907 | The Online Books Page]</ref>, New York, [[w:en:D. Appleton & Company|D. Appleton and Company]], 1889 (Rivised Edition)</span></span> ::Caesar's commentaries on the Gallic war; with notes, dictionary, ... (Full View | HathiTrust Digital Library) ;  BOOK SIXTH :VI. 1.  [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn3hve&view=1up&seq=365 #365] ====Incerti auctoris(編者不詳)==== ; [https://books.google.co.jp/books?id=uLA8AAAAIAAJ&lpg=PA98&dq=Caesar+to+Cicero.+Be+of+good+courage.+Expect+aid&pg=PP1&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false Caesar Gallic War V with vocabulary](第5巻)-Google ブックス(プレビュー) ;[https://www.latein.me/ Latein-Wörterbuch - Latein.me] # [https://www.latein.me/text/3/Caesar/37/De+Bello+Gallico+%28V%29/p/0 De Bello Gallico (V) - Caesar - Latein.me] <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:13pt;"></span> ;nodictionaries.com <!-- :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-1/1 '''Caesar De Bello Gallico 1''' 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-2/1 '''Caesar De Bello Gallico 2''' 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-3/1 '''Caesar De Bello Gallico 3''' 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-4/1 '''Caesar De Bello Gallico 4''' 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] --> :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-5/1 Caesar De Bello Gallico 5 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] ==脚注== <references /> [[Category:ガリア戦記 第6巻|*#]] jingjeqd4z99zr0cejozzicky2cnvaz 263552 263548 2024-11-16T03:58:12Z Linguae 449 /* 関連項目 */ 263552 wikitext text/x-wiki <div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:15pt;color:#990033;text-align:center;background-color:#fff0ff;">C &middot; IVLII &middot; CAESARIS &middot; COMMENTARIORVM &middot; BELLI &middot; GALLICI</div> <div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:30pt;color:#990033;text-align:center;background-color:#fff0ff;">LIBER &middot; SEXTVS</div> <span style="font-size:13pt;">『<span style="background-color:#ffc;">[[ガリア戦記 第6巻]]</span>』の単語や構文を詳しく読み解く <span style="background-color:#fc8;font-size:15pt;">'''[[ガリア戦記/注解編|注解編]]'''</span> の目次。</span> {| id="toc" style="border:0px #ddf; align:left;clear:all;" align="center" cellpadding="5" |- ! style="background:#ccf; text-align:center;" colspan="10"| ガリア戦記 第6巻 注解 |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/1節|1節]] |[[/2節|2節]] |[[/3節|3節]] |[[/4節|4節]] |[[/5節|5節]] |[[/6節|6節]] |[[/7節|7節]] |[[/8節|8節]] |[[/9節|9節]] |[[/10節|10節]] |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/11節|11節]] |[[/12節|12節]] |[[/13節|13節]] |[[/14節|14節]] |[[/15節|15節]] |[[/16節|16節]] |[[/17節|17節]] |[[/18節|18節]] |[[/19節|19節]] |[[/20節|20節]]<!-- |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/21節|21節]] |[[/22節|22節]] |[[/23節|23節]] |[[/24節|24節]] |[[/25節|25節]] |[[/26節|26節]] |[[/27節|27節]] |[[/28節|28節]] |[[/29節|29節]] |[[/30節|30節]] |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/31節|31節]] |[[/32節|32節]] |[[/33節|33節]] |[[/34節|34節]] |[[/35節|35節]] |[[/36節|36節]] |[[/37節|37節]] |[[/38節|38節]] |[[/39節|39節]] |[[/40節|40節]] |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/41節|41節]] |[[/42節|42節]] |[[/43節|43節]] |[[/44節|44節]] |[[/45節|45節]] |[[/46節|46節]] |[[/47節|47節]] |[[/48節|48節]] |[[/49節|49節]] |[[/50節|50節]] |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/51節|51節]] |[[/52節|52節]] |[[/53節|53節]] |[[/54節|54節]] |[[/55節|55節]] |[[/56節|56節]] |[[/57節|57節]] |[[/58節|58節]] | colspan="6" | |- style="background:#f8f8ff; text-align:right; font-size: 0.85em;" |[[/1節|1節]] |[[/2節|2節]] |[[/3節|3節]] |[[/4節|4節]] |[[/5節|5節]] |[[/6節|6節]] |[[/7節|7節]] |[[/8節|8節]] |[[/9節|9節]] |[[/0節|0節]] --> |- | style="background:#f5fefe; text-align:left; font-size: 0.8em;" colspan="10"| [[ガリア戦記 第1巻/注解|'''注解'''&nbsp; 第1巻]] | [[ガリア戦記 第2巻/注解|第2巻]] | [[ガリア戦記 第3巻/注解|第3巻]] | [[ガリア戦記 第4巻/注解|第4巻]] | [[ガリア戦記 第5巻/注解|第5巻]] | [[ガリア戦記 第6巻/注解|第6巻]] <!--| [[ガリア戦記 第7巻/注解|第7巻]] | [[ガリア戦記 第8巻/注解|第8巻]]--> |} <br style="clear:both;" /> __notoc__ == 各節注解 == [[画像:Gaule_-53.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]] ===ガッリア北部の平定=== *<span style="background-color:#fff;">[[/1節]] {{進捗|25%|2024-09-23}}</span> (129語) *<span style="background-color:#fff;">[[/2節]] {{進捗|25%|2024-09-29}}</span> (89語)   短い節 *<span style="background-color:#fff;">[[/3節]] {{進捗|25%|2024-10-06}}</span> (112語) *<span style="background-color:#fff;">[[/4節]] {{進捗|25%|2024-10-13}}</span> (86語)   短い節 *<span style="background-color:#fff;">[[/5節]] {{進捗|25%|2024-10-14}}</span> (150語) *<span style="background-color:#fff;">[[/6節]] {{進捗|25%|2024-10-20}}</span> (69語)   短い節 *<span style="background-color:#fff;">[[/7節]] {{進捗|25%|2024-10-30}}</span> (196語) *<span style="background-color:#fff;">[[/8節]] {{進捗|25%|2024-11-10}}</span> (210語) *<span style="background-color:#fff;">[[/9節]] {{進捗|25%|2024-11-13}}</span> (141語) ===第二次ゲルマーニア遠征=== *<span style="background-color:#fff;">[[/10節]] {{進捗|25%|2024-11-16}}</span> (143語) *<span style="background-color:#fff;">[[/11節]] {{進捗|00%|2024-11-14}}</span>  == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffd;">[[ガリア戦記]]</span><!--【2006年4月23日起稿】--> **<span style="background-color:#ffd;">[[ガリア戦記/注解編]]</span><!--(2020-03-27)--> ***<span style="background-color:#ffd;">[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版]] {{進捗|00%|2020-04-17}}</span><!--(2020-04-17)--> **<span style="background-color:#ffd;">[[ガリア戦記/用例集]]          {{進捗|00%|2020-03-29}}</span><!--(2020-03-29)--> **[[ガリア戦記/内容目次]]:巻・章・節の内容を記した目次 {{進捗|75%|2011-04-02}} **[[ガリア戦記/参照画像一覧]]:本文で参照した画像一覧  {{進捗|75%|2011-04-16}} *<span style="background-color:#ffd;font-size:15px;">[[古典ラテン語]]                   {{進捗|00%|2018-04-18}} </span> <br><div style="font-size:20pt;"> Ā Ē Ī Ō Ū ā ē ī ō ū &nbsp; Ă Ĕ Ĭ Ŏ Ŭ ă ĕ ĭ ŏ ŭ </div> <div style="font-size:13pt;"> <math>\overline{\mbox{VIIII}} </math> </div><!-- [[w:Help:数式の表示]] --> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;background-color:#fff;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;"></span> <!-- *<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">† : </span>校訂者が、テクストが壊れていると判断した部分をこの記号で囲んでいる。 --> <!-- <ruby><rb>●漢字●</rb><rp>(</rp><rt>●ルビ●</rt><rp>)</rp></ruby> --> <!-- *<span style="background-color:#ffd;">[[/注解/1節]] {{進捗|00%|2024-11-16}}</span> --> <!-- <span style="color:#009900;"></span> <small></small> **:<span style="color:#009900;">(訳注: **:<span style="color:#009900;font-family:Times New Roman;">(訳注: --> <!--❶--><!--❷--><!--❸--><!--❹--><!--❺--><!--❻--><!--❼--><!--❽--><!--❾--><!----><!----><!----><!----><!----> == 関連記事 == {{Wikisource|la:Commentarii de bello Gallico/Liber VI|ガリア戦記 第6巻(ラテン語)}} *ウィキソース **<span style="font-family:Times New Roman;">[[s:la:Commentarii de bello Gallico/Liber VI]] (第6巻 ラテン語)</span> **<span style="font-family:Times New Roman;">[[s:en:Commentaries on the Gallic War/Book 6]] (第6巻 英訳)</span> **<span style="font-family:Times New Roman;">[[s:fr:La Guerre des Gaules/Livre VI]] (第6巻 仏訳)</span> ---- {{Commons|Category:Battles of Caesar's Gallic Wars|Battles of Caesar's Gallic Warsのカテゴリ}} *<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[wikt:fr:Catégorie:Mots en latin issus d’un mot en gaulois]]</span> ---- ;地名 *[[wikt:en:Gallia#Latin|Gallia]] **Gallia [[wikt:en:cisalpinus#Latin|cisalpīna]] **Gallia [[wikt:en:transalpinus#Latin|trānsalpīna]] **Gallia [[wikt:en:comatus#Latin|comāta]] ;部族 *[[wikt:en:Germani#Latin|Germānī]] ;第6巻の登場人物 *[[wikt:en:Caesar#Latin|Caesar]] :  *[[wikt:en:Ambiorix#Latin|Ambiorīx]] : *[[wikt:en:Commius|Commius]] **[[w:コンミウス]] **[[w:la:Commius]] **[[w:en:Commius]] **[[w:fr:Commios]] *[[wikt:en:Cicero#Latin|Cicerō]] **[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クイーントゥス・トゥッリウス・キケロー]] **[[w:la:Quintus Tullius Cicero]] **[[w:en:Quintus Tullius Cicero]] **[[w:fr:Quintus Tullius Cicero]] *[[wikt:en:Crassus#Latin|Crassus]] *[[wikt:en:Labienus#Latin|Labiēnus]] **[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエーヌス]] <!-- *? **Crassus ***[[w:プブリウス・リキニウス・クラッスス]] ***[[w:la:Publius Licinius Crassus]] ***[[w:en:Publius Licinius Crassus (son of triumvir)]] ***[[w:fr:Publius Crassus]] **Labienus (副官) ***[[w:la:Titus Labienus]] ***[[w:en:Titus Labienus]] ***[[w:fr:Titus Labienus]] **Brutus ***[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス]] ***[[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus]] ***[[w:en:Decimus Junius Brutus Albinus]] ***[[w:fr:Decimus Junius Brutus Albinus]] --> <br> ===第6巻の関連記事=== <!--【第6巻の関連記事】--> {{Commons|Category:Roman Britain|Roman Britainのカテゴリ}} <div style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;"> <!-- *[[c:Category:Armorica]] **[[c:Category:Maps of the Antiquity of Bretagne]] --> <hr> *[[c:Category:Ancient Roman ships]] <br> </span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;"></span> == 外部リンク == *[[ガリア戦記/注解編#外部リンク]] を参照。 *[[ガリア戦記/注解編/写本と校訂版#オンライン注釈書等]] 等を参照。 ===オンライン注釈書=== <div style="background-color:#eeeeee;"> ====Caesar's Gallic war : notes by F. W. Kelsey (1897)==== :C. Iuli Caesaris De bello gallico libri VII : ::Caesar's Gallic war : with an introduction, notes, and vocabulary ::: by [[w:en:Francis Kelsey|Francis Willey Kelsey (1858-1927)]], Fifteenth Edition (1897) :::: (HathiTrust Digital Library [[w:ハーティトラスト|ハーティトラスト・デジタルライブラリ]]で電子化) :: [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=19 Contents] (#19) ;:─TEXT─ :: '''Book 6''' : [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=219 Commentarius Sextus] &nbsp; (#219) ;:─NOTES─ :: '''Book 6''' # [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=441 I.] (#441), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=442 II.-III.] (#442), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=443 IV.-VII.] (#443), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=444 VIII.-IX.] (#444), # [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=445 X.-XI.] (#445), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=446 XII.-XIII.] (#446), [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=447 XIV.-XV.] (#447), </div> ====English translation by W. A. McDevitte & W. S. Bohn (1869)==== # [http://www.forumromanum.org/literature/caesar/gallic.html (www.forumromanum.org)] # (www.perseus.tufts.edu) ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.1 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 1] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.2 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 2] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.3 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 3] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.4 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 4] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.5 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 5] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.6 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 6] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.7 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 7] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.8 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 8] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.9 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 9] ## [https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Caes.+Gal.+6.10 C. Julius Caesar, Gallic War, Book 6, chapter 10] <!-- ====Eastman, Frederick Carlos., D'Ooge, Benjamin L. 1860-1940.(1917)==== <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:13pt;"> *[https://catalog.hathitrust.org/Record/001058370 Catalog Record: Caesar in Gaul and selections from the third... | HathiTrust Digital Library] (catalog.hathitrust.org) :[https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn5cnb&view=1up&seq=7&skin=2021 #7 - Caesar in Gaul and selections from the third book of the Civil ... - Full View | HathiTrust Digital Library] (babel.hathitrust.org) :BOOK IV. [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn5cnb&view=1up&seq=393&skin=2021 #393 ] :IV.34,-38. [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn5cnb&view=1up&seq=403&skin=2021 #403 ] </span> --> ====Harkness, Albert (1889)==== <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;"><span style="font-size:15pt;">Caesar's Commentaries on the Gallic War,  </span><span style="font-size:13pt;">with notes, dictionary, and a map of Gaul.</span><br>  <span style="font-size:15pt;">   edited by <u>[[w:en:Albert Harkness|Albert Harkness (1822-1907)]]</u> <ref>[http://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/lookupname?key=Harkness%2C%20Albert%2C%201822%2D1907 Harkness, Albert, 1822-1907 | The Online Books Page]</ref>, New York, [[w:en:D. Appleton & Company|D. Appleton and Company]], 1889 (Rivised Edition)</span></span> ::Caesar's commentaries on the Gallic war; with notes, dictionary, ... (Full View | HathiTrust Digital Library) ;  BOOK SIXTH :VI. 1.  [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn3hve&view=1up&seq=365 #365] ====Incerti auctoris(編者不詳)==== ; [https://books.google.co.jp/books?id=uLA8AAAAIAAJ&lpg=PA98&dq=Caesar+to+Cicero.+Be+of+good+courage.+Expect+aid&pg=PP1&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false Caesar Gallic War V with vocabulary](第5巻)-Google ブックス(プレビュー) ;[https://www.latein.me/ Latein-Wörterbuch - Latein.me] # [https://www.latein.me/text/3/Caesar/37/De+Bello+Gallico+%28V%29/p/0 De Bello Gallico (V) - Caesar - Latein.me] <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:13pt;"></span> ;nodictionaries.com <!-- :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-1/1 '''Caesar De Bello Gallico 1''' 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-2/1 '''Caesar De Bello Gallico 2''' 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-3/1 '''Caesar De Bello Gallico 3''' 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-4/1 '''Caesar De Bello Gallico 4''' 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] --> :[https://nodictionaries.com/caesar/de-bello-gallico-5/1 Caesar De Bello Gallico 5 1 in Latin, with adjustable running vocabulary] ==脚注== <references /> [[Category:ガリア戦記 第6巻|*#]] owyqr7bqqc7vtu9vetu5vkgqrfs8aw2 高等学校日本史探究/古代国家の形成Ⅰ 0 43191 263535 263529 2024-11-15T23:38:14Z Kwawe 68789 /* 推古朝の外交と内政 */ /* 7世紀の東アジアと倭国 */ 東アジアの変化をもう少し詳しく解説しました(推敲)。 263535 wikitext text/x-wiki [[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>古代国家の形成Ⅰ ==6世紀の朝鮮半島と倭== 5世紀の朝鮮半島は、高句麗と百済の間で戦争になりました。475年、高句麗が漢城(百済の首都)を攻めました。その結果、百済の国王は降伏して、高句麗の兵士に殺されました。降伏後の百済は首都を熊津から扶余に引っ越し、加耶地域まで影響力を広げました。日本のヤマト政権も伽耶地域に関心がありました。加耶諸国と仲良くしたいので、兵士を朝鮮半島に送りました。しかし、伽耶諸国は「自分達の力だけで国を動かしていきたい」と考えるようになりました。512年、加耶地域の西側が百済の支配下に入るようになりました。6世紀を迎えると、新羅もかなり力をつけ始めます。新羅は百済と争いながら、伽耶諸国を新羅の領土に入れました。その結果、ヤマト政権は朝鮮半島の影響力を失いました。 継体天皇が亡くなると、ヤマト政権も大伴金村派(安閑天皇と宣化天皇)と蘇我稲目派(欽明天皇)に分かれました(二朝併立)。539年、大伴金村と蘇我稲目が仲直りします。仲直りすると、欽明天皇が国をまとめます。なお、大伴金村は物部尾輿から朝鮮半島政策でかなり怒られ、540年に政権を退くようになりました。 538年、仏教が朝鮮半島から日本に初めて伝わると、2つの意見に分かれました。蘇我稲目は「仏教を取り入れたい。」と考えました。一方、物部尾輿と中臣鎌子は「仏教を取り入れず、今までの神様を大切にしたい。」と考えました。こうして、蘇我稲目(蘇我氏)と物部尾輿(物部氏)・中臣鎌子(中臣氏)は争うようになります。この争いは子供にも引き継がれます。結局、<span style="color:#f29100">'''蘇我馬子'''</span>が仏教を取り入れるために王族や諸豪族を集めて、物部氏の代表(<span style="color:#f29100">'''物部守屋'''</span>)を587年に倒しました([[w:丁未の乱|丁未の乱]]<ref>この名称の記述は日本史探究の全教科書・全参考書・資料集に記載されていません。</ref>)。なお、考古学者は、奈良県明日香村の石舞台古墳を上円下方墳と考えられています。かなり大きな横穴式石室が石舞台古墳にそのまま残っています。石舞台古墳は蘇我馬子のお墓(桃原墓)と考えられています。また、石舞台古墳近くの島庄遺跡は蘇我馬子の屋敷跡だと考えられています。 当時、国の施設(屯倉)・特別な人(名代・子代)を全国各地に置きました。また、有力豪族の代表(大夫)同士で話し合いをする仕組みも作りました。さらに、専門職(品部)も作られました。このように、国の仕組みが整うと、倭国も大きく変わりました。 蘇我氏は、①大王家と婚姻関係を結ぶ②渡来人との連携を強化するなどの方法で勢力を拡大していきました。さらに、馬子は自身が擁立した崇峻天皇を592年に暗殺しました。このようにして、蘇我氏が実権を握りました。 ==推古朝の外交と内政==  崇峻天皇が暗殺されたのち、飛鳥で'''推古天皇'''が即位しました。初の女性の天皇です。ここで登用されたのが'''厩戸王'''(のちの'''聖徳太子''')でした。『日本書紀』にも、「摂政」という言葉があり、政治に参画したことがうかがえます。推古天皇も厩戸王も蘇我氏と血縁があり、蘇我馬子の影響力が強い政権でした。推古天皇は、厩戸王と蘇我馬子らに仏教を興隆させるよう命じました。これは、仏教が一部の人に信仰されるのにとどまっていたからです。蘇我馬子は、'''法興寺'''('''飛鳥寺''')を、厩戸王は、'''四天王寺'''や'''法隆寺'''('''斑鳩寺''')を、秦河勝も広隆寺を建立しました。  推古朝では、中国統一王朝である'''隋'''と外交を結ぶため、'''遣隋使'''を派遣しました。『隋書』によれば、600年に一度遣隋使を派遣していますが、『日本書紀』などにはその記述がありません。  遣隋使からの情報により、推古朝は、国家組織を再編成しようとしました。603年に'''冠位十二階'''を定め、個人の功績に応じて冠位を与えました。これにより、それまでの氏姓制度によって集団ごとに編成された身分秩序を再編しようとしました。翌604年にも'''憲法十七条'''を定めました。これは、役人を統制するための道徳規範としての意味を持ちます。憲法十七条は、仏教を重んじているのに加え、日本古来の精神性と儒教や道教など大陸からもたらされた教えを融合させているのが特徴です。  国家組織を再編成した推古朝は、607年にも'''小野妹子'''を遣隋使として、派遣しました。この時妹子は、国書を隋の皇帝であった煬帝に差し出しましたが、無礼だとされました。なぜならその国書は、倭が隋に従属しないという態度を示していたためです。倭の五王までは、中国の王朝に冊封をもとめていたので大きな変化でした。結局、煬帝は、高句麗に侵攻している情勢もあって、裴世清を倭に送りました。  国家体制が充実してきた推古朝は、歴史書編纂にも取り組みました。厩戸王と蘇我馬子が中心となり、620年に『天皇記』や『国記』などを編纂しました。これらは、6世紀に成立した「帝紀」や「旧辞」を基に、天皇と諸氏の関係性を示し、天皇の支配が正当であることを示そうとしていたと考えられます。3度目の遣隋使では、留学生や留学僧を同行させました。中国の制度や思想、文化などを取り込もうとしたのです。このとき、留学生の'''高向玄理'''や留学僧の'''旻'''・'''南淵請安'''が重要です。その後、4度目の遣隋使として犬上御田鍬を送りましたが、これが最後の遣隋使となります。 ==7世紀の東アジアと倭国== 最初に、中国の歴史を説明します。618年、隋王朝が終わり、唐王朝に変わりました。唐王朝は、土地を公平に分けたり、税金の仕組みを整えたりして国をまとめました。太宗皇帝の頃、唐王朝が最も栄えました。次に、朝鮮半島の歴史を説明します。641年、百済の義慈王は権力を奪いました。やがて、百済の義慈王は新羅へ翌年から攻めました。642年、高句麗宰相の泉蓋蘇文が権力を奪うために、国王・貴族を倒します。その後、百済と手を組んで、新羅の領土を狙うようになりました。こうして、新羅は四面楚歌の状態になったので、唐に助けを求めました。しかし、唐側は「助けてほしいなら、女王を変えてください。」と条件を出します。647年、新羅の中でも女王を交代するのか交代しないのかを巡って争いが始まりました。太宗皇帝は、644年から朝鮮半島の高句麗へ攻めました(駐蹕山の戦い)。この戦いから、東アジア全体が大きく変わります。倭国でも、「大きな戦いが朝鮮半島で起きているから、このままだと悪い方向に向かうようになるかもしれない。」と考えるようになりました。そこで、これまでの政治が大きく変わるようになりました。 父親の<span style="color:#f29100">'''蘇我蝦夷'''</span>は祖父の蘇我馬子から大臣の役目を引き継いで、少しずつ大きな力を持つようになります。舒明天皇~<span style="color:#f29100">'''皇極天皇'''</span>の時代を迎えると、息子の<span style="color:#f29100">'''蘇我入鹿'''</span>は父親の蘇我蝦夷よりもさらに大きな力を持つようになりました。643年、蘇我入鹿は'''山背大兄王'''(厩戸王の息子)とその家族を殺しました。蘇我氏は高句麗のやり方と同じように蘇我氏寄りの天皇を選んで、政治の実権を握ろうとしました。これに対して、<span style="color:#f29100">'''中大兄皇子・中臣鎌足'''</span>・蘇我倉山田石川麻呂は「このまま、蘇我氏が政治の実権を握ると問題になるかもしれない。」と考えるようになります。645年7月10日、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を殺しました。翌日、父親の蘇我蝦夷も追い詰められて自殺しました(<span style="color:#f29100">'''[[w:乙巳の変|乙巳の変]]'''</span>)。この後、朝廷が国をまとめていくようになります。 == 資料出所 == * 平雅行、横田冬彦ほか編著『[https://www.jikkyo.co.jp/material/dbook/R5_chireki_20220510/?pNo=6 日本史探究]』実教出版株式会社 2023年 * 佐藤信、五味文彦ほか編著『[https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history/ 詳説日本史探究]』株式会社山川出版社 2023年 * 『[https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/hs/shakai/16596/ 日本史探究]』東京書籍株式会社 2023年 * 山中裕典著'''『'''[https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E5%AD%A6%E5%85%B1%E9%80%9A%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2B%E3%81%AE%E7%82%B9%E6%95%B0%E3%81%8C%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%84%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%81%A8%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%9C%AC-%E5%B1%B1%E4%B8%AD-%E8%A3%95%E5%85%B8/dp/4046041994/ref=sr_1_7?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=36OGLMABMI16H&keywords=%E5%85%B1%E9%80%9A%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2&qid=1673018030&sprefix=%E4%BB%8A%E6%97%A5%E6%89%93%E3%81%A4%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%2Caps%2C248&sr=8-7 大学入学共通テスト 日本史Bの点数が面白いほどとれる本]'''』'''株式会社KADOKAWA 2020年 * 佐藤信、五味文彦ほか編著『[https://www.amazon.co.jp/%E8%A9%B3%E8%AA%AC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E4%BF%A1/dp/4634010739/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=2JVCFQ6ZSAM4W&keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6&qid=1673018227&sprefix=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%2Caps%2C229&sr=8-1 詳説日本史研究]』株式会社山川出版社 2017年 * 河合敦著『[https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%84-%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%95%A6%E3%81%AE-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2B-%E3%80%8C%E5%8E%9F%E5%A7%8B-%E9%8E%8C%E5%80%89%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E8%AC%9B%E5%BA%A7-%E6%B2%B3%E5%90%88/dp/404600794X/ref=d_pd_sbs_sccl_2_1/355-7112149-5713814?pd_rd_w=H8Pxa&content-id=amzn1.sym.820591ed-a555-4556-9bf6-5ebd5493c69e&pf_rd_p=820591ed-a555-4556-9bf6-5ebd5493c69e&pf_rd_r=ZWG9FNM6AD22NFF5WK2G&pd_rd_wg=scszo&pd_rd_r=8c1e9eda-f944-4c80-9e4e-7e35244ab2a6&pd_rd_i=404600794X&psc=1 世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座]』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本) == ここに注意!! == [[カテゴリ:高等学校日本史探究]] qhfbfkofthzcvwjefn8y85px254puhz 263536 263535 2024-11-15T23:41:32Z Kwawe 68789 263536 wikitext text/x-wiki [[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>古代国家の形成Ⅰ ==6世紀の朝鮮半島と倭== 5世紀の朝鮮半島は、高句麗と百済の間で戦争になりました。475年、高句麗が漢城(百済の首都)を攻めました。その結果、百済の国王は降伏して、高句麗の兵士に殺されました。降伏後の百済は首都を熊津から扶余に引っ越し、加耶地域まで影響力を広げました。日本のヤマト政権も伽耶地域に関心がありました。加耶諸国と仲良くしたいので、兵士を朝鮮半島に送りました。しかし、伽耶諸国は「自分達の力だけで国を動かしていきたい」と考えるようになりました。512年、加耶地域の西側が百済の支配下に入るようになりました。6世紀を迎えると、新羅もかなり力をつけ始めます。新羅は百済と争いながら、伽耶諸国を新羅の領土に入れました。その結果、ヤマト政権は朝鮮半島の影響力を失いました。 継体天皇が亡くなると、ヤマト政権も大伴金村派(安閑天皇と宣化天皇)と蘇我稲目派(欽明天皇)に分かれました(二朝併立)。539年、大伴金村と蘇我稲目が仲直りします。仲直りすると、欽明天皇が国をまとめます。なお、大伴金村は物部尾輿から朝鮮半島政策でかなり怒られ、540年に政権を退くようになりました。 538年、仏教が朝鮮半島から日本に初めて伝わると、2つの意見に分かれました。蘇我稲目は「仏教を取り入れたい。」と考えました。一方、物部尾輿と中臣鎌子は「仏教を取り入れず、今までの神様を大切にしたい。」と考えました。こうして、蘇我稲目(蘇我氏)と物部尾輿(物部氏)・中臣鎌子(中臣氏)は争うようになります。この争いは子供にも引き継がれます。結局、<span style="color:#f29100">'''蘇我馬子'''</span>が仏教を取り入れるために王族や諸豪族を集めて、物部氏の代表(<span style="color:#f29100">'''物部守屋'''</span>)を587年に倒しました([[w:丁未の乱|丁未の乱]]<ref>この名称の記述は日本史探究の全教科書・全参考書・資料集に記載されていません。</ref>)。なお、考古学者は、奈良県明日香村の石舞台古墳を上円下方墳と考えられています。かなり大きな横穴式石室が石舞台古墳にそのまま残っています。石舞台古墳は蘇我馬子のお墓(桃原墓)と考えられています。また、石舞台古墳近くの島庄遺跡は蘇我馬子の屋敷跡だと考えられています。 当時、国の施設(屯倉)・特別な人(名代・子代)を全国各地に置きました。また、有力豪族の代表(大夫)同士で話し合いをする仕組みも作りました。さらに、専門職(品部)も作られました。このように、国の仕組みが整うと、倭国も大きく変わりました。 蘇我氏は、①大王家と婚姻関係を結ぶ②渡来人との連携を強化するなどの方法で勢力を拡大していきました。さらに、馬子は自身が擁立した崇峻天皇を592年に暗殺しました。このようにして、蘇我氏が実権を握りました。 ==推古朝の外交と内政==  崇峻天皇が暗殺されたのち、飛鳥で'''推古天皇'''が即位しました。初の女性の天皇です。ここで登用されたのが'''厩戸王'''(のちの'''聖徳太子''')でした。『日本書紀』にも、「摂政」という言葉があり、政治に参画したことがうかがえます。推古天皇も厩戸王も蘇我氏と血縁があり、蘇我馬子の影響力が強い政権でした。推古天皇は、厩戸王と蘇我馬子らに仏教を興隆させるよう命じました。これは、仏教が一部の人に信仰されるのにとどまっていたからです。蘇我馬子は、'''法興寺'''('''飛鳥寺''')を、厩戸王は、'''四天王寺'''や'''法隆寺'''('''斑鳩寺''')を、秦河勝も広隆寺を建立しました。  推古朝では、中国統一王朝である'''隋'''と外交を結ぶため、'''遣隋使'''を派遣しました。『隋書』によれば、600年に一度遣隋使を派遣していますが、『日本書紀』などにはその記述がありません。  遣隋使からの情報により、推古朝は、国家組織を再編成しようとしました。603年に'''冠位十二階'''を定め、個人の功績に応じて冠位を与えました。これにより、それまでの氏姓制度によって集団ごとに編成された身分秩序を再編しようとしました。翌604年にも'''憲法十七条'''を定めました。これは、役人を統制するための道徳規範としての意味を持ちます。憲法十七条は、仏教を重んじているのに加え、日本古来の精神性と儒教や道教など大陸からもたらされた教えを融合させているのが特徴です。  国家組織を再編成した推古朝は、607年にも'''小野妹子'''を遣隋使として、派遣しました。この時妹子は、国書を隋の皇帝であった煬帝に差し出しましたが、無礼だとされました。なぜならその国書は、倭が隋に従属しないという態度を示していたためです。倭の五王までは、中国の王朝に冊封をもとめていたので大きな変化でした。結局、煬帝は、高句麗に侵攻している情勢もあって、裴世清を倭に送りました。  国家体制が充実してきた推古朝は、歴史書編纂にも取り組みました。厩戸王と蘇我馬子が中心となり、620年に『天皇記』や『国記』などを編纂しました。これらは、6世紀に成立した「帝紀」や「旧辞」を基に、天皇と諸氏の関係性を示し、天皇の支配が正当であることを示そうとしていたと考えられます。3度目の遣隋使では、留学生や留学僧を同行させました。中国の制度や思想、文化などを取り込もうとしたのです。このとき、留学生の'''高向玄理'''や留学僧の'''旻'''・'''南淵請安'''が重要です。その後、4度目の遣隋使として犬上御田鍬を送りましたが、これが最後の遣隋使となります。 ==7世紀の東アジアと倭国== 最初に、中国の歴史を説明します。618年、隋王朝が終わり、唐王朝に変わりました。唐王朝は、土地を公平に分けたり、税金の仕組みを整えたりして国をまとめました。太宗皇帝の頃、唐王朝が最も栄えました。次に、朝鮮半島の歴史を説明します。641年、百済の義慈王は権力を奪いました。やがて、百済の義慈王は新羅へ翌年から攻めました。642年、高句麗宰相の泉蓋蘇文が権力を奪うために、国王・貴族を倒します。その後、百済と手を組んで、新羅の領土を狙うようになりました。こうして、新羅は四面楚歌の状態になったので、唐に助けを求めました。しかし、唐側は「助けてほしいなら、女王を変えてください。」と条件を出します。647年、新羅の中でも女王を交代するのか交代しないのかを巡って争いが始まりました。太宗皇帝は、644年から朝鮮半島の高句麗へ攻めました(駐蹕山の戦い)。この戦いから、東アジア全体が大きく変わります。倭国でも、「大きな戦いが朝鮮半島で起きているから、このままだと悪い方向に向かうようになるかもしれない。」と考えるようになりました。そこで、これまでの政治が大きく変わるようになりました。 父親の<span style="color:#f29100">'''蘇我蝦夷'''</span>は祖父の蘇我馬子から大臣の役目を引き継いで、少しずつ大きな力を持つようになります。舒明天皇~<span style="color:#f29100">'''皇極天皇'''</span>の時代を迎えると、息子の<span style="color:#f29100">'''蘇我入鹿'''</span>は父親の蘇我蝦夷よりもさらに大きな力を持つようになりました。643年、蘇我入鹿は'''山背大兄王'''(厩戸王の息子)とその家族を殺しました。蘇我氏は高句麗のやり方と同じように蘇我氏寄りの天皇を選んで、政治の実権を握ろうとしました。これに対して、<span style="color:#f29100">'''中大兄皇子・中臣鎌足'''</span>・蘇我倉山田石川麻呂は「このまま、蘇我氏が政治の実権を握ると問題になるかもしれない。」と考えるようになります。645年7月10日、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を殺しました。翌日、父親の蘇我蝦夷も追い詰められて自殺しました(<span style="color:#f29100">'''[[w:乙巳の変|乙巳の変]]'''</span>)。この後、朝廷が国をまとめていくようになります。 == 資料出所 == * 平雅行、横田冬彦ほか編著『[https://www.jikkyo.co.jp/material/dbook/R5_chireki_20220510/?pNo=6 日本史探究]』実教出版株式会社 2023年 * 佐藤信、五味文彦ほか編著『[https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history/ 詳説日本史探究]』株式会社山川出版社 2023年 * 『[https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/hs/shakai/16596/ 日本史探究]』東京書籍株式会社 2023年 * 山中裕典著'''『'''[https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E5%AD%A6%E5%85%B1%E9%80%9A%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2B%E3%81%AE%E7%82%B9%E6%95%B0%E3%81%8C%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%84%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%81%A8%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%9C%AC-%E5%B1%B1%E4%B8%AD-%E8%A3%95%E5%85%B8/dp/4046041994/ref=sr_1_7?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=36OGLMABMI16H&keywords=%E5%85%B1%E9%80%9A%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2&qid=1673018030&sprefix=%E4%BB%8A%E6%97%A5%E6%89%93%E3%81%A4%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%2Caps%2C248&sr=8-7 大学入学共通テスト 日本史Bの点数が面白いほどとれる本]'''』'''株式会社KADOKAWA 2020年 * 佐藤信、五味文彦ほか編著『[https://www.amazon.co.jp/%E8%A9%B3%E8%AA%AC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E4%BF%A1/dp/4634010739/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=2JVCFQ6ZSAM4W&keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6&qid=1673018227&sprefix=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%2Caps%2C229&sr=8-1 詳説日本史研究]』株式会社山川出版社 2017年 * 河合敦著『[https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%84-%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%95%A6%E3%81%AE-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2B-%E3%80%8C%E5%8E%9F%E5%A7%8B-%E9%8E%8C%E5%80%89%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E8%AC%9B%E5%BA%A7-%E6%B2%B3%E5%90%88/dp/404600794X/ref=d_pd_sbs_sccl_2_1/355-7112149-5713814?pd_rd_w=H8Pxa&content-id=amzn1.sym.820591ed-a555-4556-9bf6-5ebd5493c69e&pf_rd_p=820591ed-a555-4556-9bf6-5ebd5493c69e&pf_rd_r=ZWG9FNM6AD22NFF5WK2G&pd_rd_wg=scszo&pd_rd_r=8c1e9eda-f944-4c80-9e4e-7e35244ab2a6&pd_rd_i=404600794X&psc=1 世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座]』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本) == ここに注意!! == [[カテゴリ:高等学校日本史探究]] nofs60qbjos7vn9yod60pcqnoutvml5 263539 263536 2024-11-15T23:50:13Z Kwawe 68789 /* 7世紀の東アジアと倭国 */ 重要用語を色太字化と黒太字化。また、貞観の治の用語を追加しました。 263539 wikitext text/x-wiki [[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校日本史探究]]>古代国家の形成Ⅰ ==6世紀の朝鮮半島と倭== 5世紀の朝鮮半島は、高句麗と百済の間で戦争になりました。475年、高句麗が漢城(百済の首都)を攻めました。その結果、百済の国王は降伏して、高句麗の兵士に殺されました。降伏後の百済は首都を熊津から扶余に引っ越し、加耶地域まで影響力を広げました。日本のヤマト政権も伽耶地域に関心がありました。加耶諸国と仲良くしたいので、兵士を朝鮮半島に送りました。しかし、伽耶諸国は「自分達の力だけで国を動かしていきたい」と考えるようになりました。512年、加耶地域の西側が百済の支配下に入るようになりました。6世紀を迎えると、新羅もかなり力をつけ始めます。新羅は百済と争いながら、伽耶諸国を新羅の領土に入れました。その結果、ヤマト政権は朝鮮半島の影響力を失いました。 継体天皇が亡くなると、ヤマト政権も大伴金村派(安閑天皇と宣化天皇)と蘇我稲目派(欽明天皇)に分かれました(二朝併立)。539年、大伴金村と蘇我稲目が仲直りします。仲直りすると、欽明天皇が国をまとめます。なお、大伴金村は物部尾輿から朝鮮半島政策でかなり怒られ、540年に政権を退くようになりました。 538年、仏教が朝鮮半島から日本に初めて伝わると、2つの意見に分かれました。蘇我稲目は「仏教を取り入れたい。」と考えました。一方、物部尾輿と中臣鎌子は「仏教を取り入れず、今までの神様を大切にしたい。」と考えました。こうして、蘇我稲目(蘇我氏)と物部尾輿(物部氏)・中臣鎌子(中臣氏)は争うようになります。この争いは子供にも引き継がれます。結局、<span style="color:#f29100">'''蘇我馬子'''</span>が仏教を取り入れるために王族や諸豪族を集めて、物部氏の代表(<span style="color:#f29100">'''物部守屋'''</span>)を587年に倒しました([[w:丁未の乱|丁未の乱]]<ref>この名称の記述は日本史探究の全教科書・全参考書・資料集に記載されていません。</ref>)。なお、考古学者は、奈良県明日香村の石舞台古墳を上円下方墳と考えられています。かなり大きな横穴式石室が石舞台古墳にそのまま残っています。石舞台古墳は蘇我馬子のお墓(桃原墓)と考えられています。また、石舞台古墳近くの島庄遺跡は蘇我馬子の屋敷跡だと考えられています。 当時、国の施設(屯倉)・特別な人(名代・子代)を全国各地に置きました。また、有力豪族の代表(大夫)同士で話し合いをする仕組みも作りました。さらに、専門職(品部)も作られました。このように、国の仕組みが整うと、倭国も大きく変わりました。 蘇我氏は、①大王家と婚姻関係を結ぶ②渡来人との連携を強化するなどの方法で勢力を拡大していきました。さらに、馬子は自身が擁立した崇峻天皇を592年に暗殺しました。このようにして、蘇我氏が実権を握りました。 ==推古朝の外交と内政==  崇峻天皇が暗殺されたのち、飛鳥で'''推古天皇'''が即位しました。初の女性の天皇です。ここで登用されたのが'''厩戸王'''(のちの'''聖徳太子''')でした。『日本書紀』にも、「摂政」という言葉があり、政治に参画したことがうかがえます。推古天皇も厩戸王も蘇我氏と血縁があり、蘇我馬子の影響力が強い政権でした。推古天皇は、厩戸王と蘇我馬子らに仏教を興隆させるよう命じました。これは、仏教が一部の人に信仰されるのにとどまっていたからです。蘇我馬子は、'''法興寺'''('''飛鳥寺''')を、厩戸王は、'''四天王寺'''や'''法隆寺'''('''斑鳩寺''')を、秦河勝も広隆寺を建立しました。  推古朝では、中国統一王朝である'''隋'''と外交を結ぶため、'''遣隋使'''を派遣しました。『隋書』によれば、600年に一度遣隋使を派遣していますが、『日本書紀』などにはその記述がありません。  遣隋使からの情報により、推古朝は、国家組織を再編成しようとしました。603年に'''冠位十二階'''を定め、個人の功績に応じて冠位を与えました。これにより、それまでの氏姓制度によって集団ごとに編成された身分秩序を再編しようとしました。翌604年にも'''憲法十七条'''を定めました。これは、役人を統制するための道徳規範としての意味を持ちます。憲法十七条は、仏教を重んじているのに加え、日本古来の精神性と儒教や道教など大陸からもたらされた教えを融合させているのが特徴です。  国家組織を再編成した推古朝は、607年にも'''小野妹子'''を遣隋使として、派遣しました。この時妹子は、国書を隋の皇帝であった煬帝に差し出しましたが、無礼だとされました。なぜならその国書は、倭が隋に従属しないという態度を示していたためです。倭の五王までは、中国の王朝に冊封をもとめていたので大きな変化でした。結局、煬帝は、高句麗に侵攻している情勢もあって、裴世清を倭に送りました。  国家体制が充実してきた推古朝は、歴史書編纂にも取り組みました。厩戸王と蘇我馬子が中心となり、620年に『天皇記』や『国記』などを編纂しました。これらは、6世紀に成立した「帝紀」や「旧辞」を基に、天皇と諸氏の関係性を示し、天皇の支配が正当であることを示そうとしていたと考えられます。3度目の遣隋使では、留学生や留学僧を同行させました。中国の制度や思想、文化などを取り込もうとしたのです。このとき、留学生の'''高向玄理'''や留学僧の'''旻'''・'''南淵請安'''が重要です。その後、4度目の遣隋使として犬上御田鍬を送りましたが、これが最後の遣隋使となります。 ==7世紀の東アジアと倭国== 最初に、中国の歴史を説明します。618年、隋王朝が終わり、<span style="color:#f29100">'''唐王朝'''</span>に変わりました。唐王朝は、土地を公平に分けたり、税金の仕組みを整えたりして国をまとめました。太宗皇帝の頃、唐王朝が最も栄えました('''貞観の治''')。次に、朝鮮半島の歴史を説明します。641年、百済の義慈王は権力を奪いました。やがて、百済の義慈王は新羅へ翌年から攻めました。642年、高句麗宰相の泉蓋蘇文が権力を奪うために、国王・貴族を倒します。その後、百済と手を組んで、新羅の領土を狙うようになりました。こうして、新羅は四面楚歌の状態になったので、唐に助けを求めました。しかし、唐側は「助けてほしいなら、女王を変えてください。」と条件を出します。647年、新羅の中でも女王を交代するのか交代しないのかを巡って争いが始まりました。太宗皇帝は、644年から朝鮮半島の高句麗へ攻めました(駐蹕山の戦い)。この戦いから、東アジア全体が大きく変わります。倭国でも、「大きな戦いが朝鮮半島で起きているから、このままだと悪い方向に向かうようになるかもしれない。」と考えるようになりました。そこで、これまでの政治が大きく変わるようになりました。 父親の<span style="color:#f29100">'''蘇我蝦夷'''</span>は祖父の蘇我馬子から大臣の役目を引き継いで、少しずつ大きな力を持つようになります。舒明天皇~<span style="color:#f29100">'''皇極天皇'''</span>の時代を迎えると、息子の<span style="color:#f29100">'''蘇我入鹿'''</span>は父親の蘇我蝦夷よりもさらに大きな力を持つようになりました。643年、蘇我入鹿は'''山背大兄王'''(厩戸王の息子)とその家族を殺しました。蘇我氏は高句麗のやり方と同じように蘇我氏寄りの天皇を選んで、政治の実権を握ろうとしました。これに対して、<span style="color:#f29100">'''中大兄皇子・中臣鎌足'''</span>・蘇我倉山田石川麻呂は「このまま、蘇我氏が政治の実権を握ると問題になるかもしれない。」と考えるようになります。645年7月10日、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を殺しました。翌日、父親の蘇我蝦夷も追い詰められて自殺しました(<span style="color:#f29100">'''[[w:乙巳の変|乙巳の変]]'''</span>)。この後、朝廷が国をまとめていくようになります。 == 資料出所 == * 平雅行、横田冬彦ほか編著『[https://www.jikkyo.co.jp/material/dbook/R5_chireki_20220510/?pNo=6 日本史探究]』実教出版株式会社 2023年 * 佐藤信、五味文彦ほか編著『[https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history/ 詳説日本史探究]』株式会社山川出版社 2023年 * 『[https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/hs/shakai/16596/ 日本史探究]』東京書籍株式会社 2023年 * 山中裕典著'''『'''[https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E5%AD%A6%E5%85%B1%E9%80%9A%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2B%E3%81%AE%E7%82%B9%E6%95%B0%E3%81%8C%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%84%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%81%A8%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%9C%AC-%E5%B1%B1%E4%B8%AD-%E8%A3%95%E5%85%B8/dp/4046041994/ref=sr_1_7?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=36OGLMABMI16H&keywords=%E5%85%B1%E9%80%9A%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2&qid=1673018030&sprefix=%E4%BB%8A%E6%97%A5%E6%89%93%E3%81%A4%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%2Caps%2C248&sr=8-7 大学入学共通テスト 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河合敦著『[https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%84-%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%95%A6%E3%81%AE-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2B-%E3%80%8C%E5%8E%9F%E5%A7%8B-%E9%8E%8C%E5%80%89%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E8%AC%9B%E5%BA%A7-%E6%B2%B3%E5%90%88/dp/404600794X/ref=d_pd_sbs_sccl_2_1/355-7112149-5713814?pd_rd_w=H8Pxa&content-id=amzn1.sym.820591ed-a555-4556-9bf6-5ebd5493c69e&pf_rd_p=820591ed-a555-4556-9bf6-5ebd5493c69e&pf_rd_r=ZWG9FNM6AD22NFF5WK2G&pd_rd_wg=scszo&pd_rd_r=8c1e9eda-f944-4c80-9e4e-7e35244ab2a6&pd_rd_i=404600794X&psc=1 世界一わかりやすい河合敦の日本史B[原始~鎌倉]の特別講座]』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本) == ここに注意!! == [[カテゴリ:高等学校日本史探究]] pa92vjy22pf7pa6jfr75guaa3bsqjmc ガリア戦記 第6巻/注解/10節 0 43304 263546 263495 2024-11-16T00:36:44Z Linguae 449 /* 外部リンク */ 263546 wikitext text/x-wiki <div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:15pt;color:#990033;text-align:center;">C &middot; IVLII &middot; CAESARIS &middot; COMMENTARIORVM &middot; BELLI &middot; GALLICI</div> <div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:30pt;color:#990033;text-align:center;">LIBER &middot; SEXTVS</div> <br> {| id="toc" style="align:center;clear:all;" align="center" cellpadding="5" |- ! style="background:#bbf; text-align:center;" |&nbsp; [[ガリア戦記/注解編|ガリア戦記 注解編]] &nbsp; | style="background:#ccf; text-align:center;" |&nbsp; [[ガリア戦記 第6巻/注解|第6巻]] &nbsp; | style="background:#eef; text-align:center;"| &nbsp;[[ガリア戦記 第6巻/注解/9節|9節]] | [[ガリア戦記 第6巻/注解/10節|10節]] | [[ガリア戦記 第6巻/注解/11節|11節]] &nbsp; |} __notoc__ == 原文テキスト == <div style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#333;text-align:left;"><ref>原文テキストについては[[ガリア戦記/注解編#原文テキスト]]を参照。</ref> 10. &nbsp;&nbsp; <!--❶--><sup>1</sup>Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior Suebos omnis<!--omnes--> <!--(α) -->in unum locum<!--(β) unum in locum--> copias cogere atque eis<!--iis--> nationibus<!--,--> quae sub eorum sint imperio<!--,--> denuntiare<!--,--> <!--(α) -->ut<!--(β) uti--> auxilia peditatus equitatusque mittant. &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❷--><sup>2</sup>His cognitis rebus, rem frumentariam providet, castris idoneum locum deligit; &nbsp;<!--◆-->&nbsp; Ubiis imperat<!--,--> ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, sperans barbaros atque imperitos homines inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❸--><sup>3</sup>mandat<!--,--> ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❹--><sup>4</sup>Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: &nbsp;<!--◆-->&nbsp; Suebos omnis<!--omnes-->, <span style="background-color:#ffc;">postea quam</span><!--posteaquam--> certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, cum omnibus suis sociorumque copiis<!--,--> quas coegissent<!--,--> penitus ad extremos finis<!--fines--> sese<!--(L?) se--> recepisse: &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❺--><sup>5</sup>silvam <!--(α) -->esse ibi<!--(β) ibi esse--> infinita magnitudine, quae appellatur Bacenis; hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam Cheruscos ab Suebis Suebosque ab<!--(?) a--> Cheruscis iniuriis incursionibusque prohibere:<!--,--> &nbsp;<!--◆-->&nbsp; ad eius <!--(α) -->initium silvae<!--(β) silvae initium--> Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. </div> <span style="background-color:#ffc;"></span> ---- ;テキスト引用についての注記 *<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">postea quam : [[wikt:en:posteaquam|posteaquam]]</span> と表記する校訂版もある。 <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:bold;font-size:15pt;"></span> == 整形テキスト == <div style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#333;text-align:left;"><ref>整形テキストについては[[ガリア戦記/注解編#凡例]]を参照。</ref> </div> <span style="color:#800;"></span> ---- ;注記 <!-- *原文の <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">[[wikt:en:accommodatae|accommodātae]], [[wikt:en:allatis|allātīs]], [[wikt:en:Aduatuci|Aduatucī]], [[wikt:en:Aduatucis|Aduatucīs]], [[wikt:en:Aduatucos|Aduatucōs]], [[wikt:en:Aeduae|Aeduae]], [[wikt:en:Aedui#Latin|Aeduī]], [[wikt:en:Aeduis|Aeduīs]], [[wikt:en:Aeduorum|Aeduōrum]], [[wikt:en:Aeduos|Aeduōs]], [[wikt:en:Aeduus#Latin|Aeduus]], [[wikt:en:aequinocti|aequinoctī]], [[wikt:en:affectus#Participle|affectus]], [[wikt:en:aggregabat|aggregābat]], [[wikt:en:allato|allātō]], [[wikt:en:Alpis#Latin|Alpīs]], [[wikt:en:appelluntur|appelluntur]], [[wikt:en:apportari|apportārī]], [[wikt:en:appropinquabat|appropinquābat]], [[wikt:en:appropinquare#Latin|appropinquāre]], [[wikt:en:appropinquarent|appropinquārent]], [[wikt:en:appropinquaverunt|appropinquāvērunt]] ([[wikt:en:appropinquarunt|appropinquārunt]]), [[wikt:en:appropinquavit|appropinquāvit]], [[wikt:en:appulso#Latin|appulsō]], [[wikt:en:arripere|arripere]], [[wikt:en:ascendissent#Latin|ascendissent]], [[wikt:en:ascensu#Noun|ascēnsū]], [[wikt:en:assuefacti|assuēfactī]], [[wikt:en:auxili#Latin|auxilī]], [[wikt:en:cedentis|cēdentīs]], [[wikt:en:cohortis|cohortīs]], [[wikt:en:coicere|coicere]], [[wikt:en:coicerent|coicerent]], [[wikt:en:coici|coicī]], [[wikt:en:coiciant|coiciant]], [[wikt:en:coiciebant|coiciēbant]], [[wikt:en:coiciunt|coiciunt]], [[wikt:en:coiecerant|coiēcerant]], [[wikt:en:coiecerunt|coiēcērunt]], [[wikt:en:coiecisse|coiēcisse]], [[wikt:en:coiecta|coiecta]], [[wikt:en:coiecti|coiectī]], [[wikt:en:coiectis|coiectīs]], [[wikt:en:collatis|collātīs]], [[wikt:en:collaudat|collaudat]], [[wikt:en:collaudatis#Participle|collaudātīs]], [[wikt:en:collis#Latin|collīs]], [[wikt:en:collocabant|collocābant]], [[wikt:en:collocabat|collocābat]], [[wikt:en:collocandis|collocandīs]], [[wikt:en:collocant#Latin|collocant]], [[wikt:en:collocarat|collocārat]], [[wikt:en:collocare#Latin|collocāre]], [[wikt:en:collocaret|collocāret]], [[wikt:en:collocari|collocārī]], [[wikt:en:collocatas|collocātās]], [[wikt:en:collocati#Latin|collocātī]], [[wikt:en:collocatis#Participle|collocātīs]], [[wikt:en:collocavit|collocāvit]], [[wikt:en:collocuti|collocūtī]], [[wikt:en:colloquantur|colloquantur]], [[wikt:en:colloquendi|colloquendī]], [[wikt:en:colloqui#Latin|colloquī]], [[wikt:en:colloquium#Latin|colloquium]], [[wikt:en:compluribus|complūribus]], [[wikt:en:compluris|complūrīs]], [[wikt:en:conantis|cōnantīs]], [[wikt:en:consili|cōnsilī]], [[wikt:en:egredientis#Etymology_2|ēgredientīs]], [[wikt:en:ei#Latin|eī]], [[wikt:en:eis#Latin|eīs]], [[wikt:en:ferventis#Latin|ferventīs]], [[wikt:en:finis#Latin|fīnīs]], [[wikt:en:glandis#Latin|glandīs]], [[wikt:en:hostis#Latin|hostīs]], [[wikt:en:immittit|immittit]], [[wikt:en:immittunt|immittunt]], [[wikt:en:imperi#Latin|imperī]], [[wikt:en:incolumis#Latin|incolumīs]], [[wikt:en:irridere#Latin|irrīdēre]], [[wikt:en:irrumpit|irrumpit]], [[wikt:en:irruperunt|irrūpērunt]], [[wikt:en:laborantis#Etymology_2|labōrantīs]], [[wikt:en:montis|montīs]], [[wikt:en:navis#Latin|nāvīs]], [[wikt:en:negoti|negōtī]], nōn nūllae, nōn nūllōs, [[wikt:en:offici#Noun_2|officī]], [[wikt:en:omnis#Latin|omnīs]], [[wikt:en:partis#Latin|partīs]], [[wikt:en:periclum#Latin|perīclum]], plūrīs, [[wikt:en:praesidi|praesidī]], [[wikt:en:proeli|proelī]], proficīscentīs, [[wikt:en:resistentis|resistentīs]], [[wikt:en:singularis#Latin|singulārīs]], [[wikt:en:spati#Latin|spatī]], [[wikt:en:subeuntis|subeuntīs]], [[wikt:en:suffossis|suffossīs]], [[wikt:en:sumministrata|sumministrāta]], [[wikt:en:summissis|summissīs]], [[wikt:en:summittebat|summittēbat]], [[wikt:en:summittit|summittit]], [[wikt:en:summoveri|summovērī]], [[wikt:en:Trinobantes#Latin|Trinobantēs]], trīs, [[wikt:en:turris#Latin|turrīs]], [[wikt:en:utilis#Latin|ūtilīs]], [[wikt:en:vectigalis#Latin|vectīgālīs]] </span> などは、<br>それぞれ <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">[[wikt:en:adcommodatae|adcommodātae]], [[wikt:en:adlatis|adlātīs]], [[wikt:de:Atuatuci|Atuatucī]], Atuatucīs, Atuatucōs, Haeduae, Haeduī, Haeduīs, Haeduōrum, Haeduōs, Haeduus, [[wikt:en:aequinoctii|aequinoctiī]], [[wikt:en:adfectus#Adjective|adfectus]], [[wikt:en:adgregabat|adgregābat]], [[wikt:en:adlato|adlātō]], [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpēs]], [[wikt:en:adpelluntur|adpelluntur]], [[wikt:en:adportari|adportārī]], [[wikt:en:adpropinquabat|adpropinquābat]], [[wikt:en:adpropinquare|adpropinquāre]], [[wikt:en:adpropinquarent|adpropinquārent]], [[wikt:en:adpropinquaverunt|adpropinquāvērunt]] ([[wikt:en:adpropinquarunt|adpropinquārunt]]), [[wikt:en:adpropinquavit|adpropinquāvit]], [[wikt:en:adpulso|adpulsō]], [[wikt:en:adripere|adripere]], [[wikt:en:adscendissent|adscendissent]], [[wikt:en:adscensu#Noun|adscēnsū]], [[wikt:en:adsuefacti|adsuēfactī]], [[wikt:en:auxilii|auxiliī]], [[wikt:en:cedentes#Latin|cēdentēs]], [[wikt:en:cohortes#Latin|cohortēs]], [[wikt:en:conicere|conicere]], [[wikt:en:conicerent|conicerent]], [[wikt:en:conici#Latin|conicī]], [[wikt:en:coniciant|coniciant]], [[wikt:en:coniciebant|coniciēbant]], [[wikt:en:coniciunt|coniciunt]], [[wikt:en:coniecerant|coniēcerant]], [[wikt:en:coniecerunt|coniēcērunt]], [[wikt:en:coniecisse|coniēcisse]], [[wikt:en:coniecta|coniecta]], [[wikt:en:coniecti|coniectī]], [[wikt:en:coniectis|coniectīs]], [[wikt:en:conlatis|conlātīs]], [[wikt:en:conlaudat|conlaudat]], [[wikt:en:conlaudatis#Participle|conlaudātīs]], [[wikt:en:colles#Latin|collēs]], [[wikt:en:conlocabant|conlocābant]], [[wikt:en:conlocabat|conlocābat]], [[wikt:en:conlocandis|conlocandīs]], [[wikt:en:conlocant|conlocant]], [[wikt:en:conlocarat|conlocārat]], [[wikt:en:conlocare|conlocāre]], [[wikt:en:conlocaret|conlocāret]], [[wikt:en:conlocari|conlocārī]], [[wikt:en:conlocatas|conlocātās]], [[wikt:en:conlocati|conlocātī]], [[wikt:en:conlocatis#Participle|conlocātīs]], [[wikt:en:conlocavit|conlocāvit]], [[wikt:en:conlocuti|conlocūtī]], [[wikt:en:conloquantur|conloquantur]], [[wikt:en:conloquendi|conloquendī]], [[wikt:en:conloqui#Latin|conloquī]], [[wikt:en:conloquium#Latin|conloquium]], [[wikt:en:conpluribus|conplūribus]], [[wikt:en:complures#Latin|complūrēs]], [[wikt:en:conantes|cōnantēs]], [[wikt:en:consilii|cōnsiliī]], [[wikt:en:egredientes|ēgredientēs]], [[wikt:en:ii#Latin|iī]], [[wikt:en:iis#Latin|iīs]], [[wikt:en:ferventes#Latin|ferventēs]], [[wikt:en:fines#Latin|fīnēs]], [[wikt:en:glandes#Latin|glandēs]], [[wikt:en:hostes#Latin|hostēs]], [[wikt:en:inmittit|inmittit]], [[wikt:en:inmittunt|inmittunt]], [[wikt:en:imperii#Latin|imperiī]], [[wikt:en:incolumes|incolumēs]], [[wikt:en:inridere|inrīdēre]], [[wikt:en:inrumpit|inrumpit]], [[wikt:en:inruperunt|inrūpērunt]], [[wikt:en:laborantes#Latin|labōrantēs]], [[wikt:en:montes#Latin|montēs]], [[wikt:en:naves#Latin|nāvēs]], [[wikt:en:negotii|negōtiī]], [[wikt:en:nonnullae|nōnnūllae]], [[wikt:en:nonnullos|nōnnūllōs]], [[wikt:en:officii#Latin|officiī]], [[wikt:en:omnes#Latin|omnēs]], [[wikt:en:partes#Latin|partēs]], [[wikt:en:periculum#Latin|perīculum]], [[wikt:en:plures|plūrēs]], [[wikt:en:praesidii|praesidiī]], [[wikt:en:proelii|proeliī]], [[wikt:en:proficiscentes|proficīscentēs]], [[wikt:en:resistentes#Latin|resistentēs]], [[wikt:en:singulares#Latin|singulārēs]], [[wikt:en:spatii#Latin|spatiī]], [[wikt:en:subeuntes|subeuntēs]], [[wikt:en:subfossis|subfossīs]], [[wikt:en:subministrata|subministrāta]], [[wikt:en:submissis|submissīs]], [[wikt:en:submittebat|submittēbat]], [[wikt:en:submittit|submittit]], [[wikt:en:submoveri|submovērī]], [[wikt:en:Trinovantes#Latin|Trinovantēs]], [[wikt:en:tres#Latin|trēs]], [[wikt:en:turres#Latin|turrēs]], [[wikt:en:utiles#Latin|ūtilēs]], [[wikt:en:vectigales|vectīgālēs]] </span> などとした。 --> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:15pt;"></span> <span style="color:#b00;"></span> <span style="color:#800;"></span> <span style="font-size:10pt;"></span> <span style="background-color:#ff0;"></span> == 注解 == === 1項 === <span style="font-family:Times New Roman;font-size:20pt;"></span> ;語釈 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;background-color:#fff;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> <span style="background-color:#ccffcc;"></span> <!-- ;対訳 《 》 内は、訳者が説明のために補った語。<span style="font-family:Times New Roman;font-size:30pt;">{</span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:30pt;">}</span> 内は関係文。 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> --> == 訳文 == *<span style="background-color:#dff;">訳文は、[[ガリア戦記_第6巻#10節]]</span> == 脚注 == {{Reflist}} == 解説 == <!-- {| class="wikitable" style="text-align:center" |- style="height:23em;" | | |} --> == 関連項目 == *[[ガリア戦記]] **[[ガリア戦記/注解編]] ***[[ガリア戦記 第6巻/注解]] **[[ガリア戦記/用例集]] == 関連記事 == == 外部リンク == *[https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=224 #224 - C. Iuli Caesaris De bello gallico libri VII : Caesar's Gallic ... - Full View | HathiTrust Digital Library] [[Category:ガリア戦記 第6巻|10節]] 89r89oz7krp818figtbq0ulrn52wyif 263547 263546 2024-11-16T01:20:36Z Linguae 449 /* 整形テキスト */ 263547 wikitext text/x-wiki <div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:15pt;color:#990033;text-align:center;">C &middot; IVLII &middot; CAESARIS &middot; COMMENTARIORVM &middot; BELLI &middot; GALLICI</div> <div style="font-family:Arial Black;font-style:normal;font-size:30pt;color:#990033;text-align:center;">LIBER &middot; SEXTVS</div> <br> {| id="toc" style="align:center;clear:all;" align="center" cellpadding="5" |- ! style="background:#bbf; text-align:center;" |&nbsp; [[ガリア戦記/注解編|ガリア戦記 注解編]] &nbsp; | style="background:#ccf; text-align:center;" |&nbsp; [[ガリア戦記 第6巻/注解|第6巻]] &nbsp; | style="background:#eef; text-align:center;"| &nbsp;[[ガリア戦記 第6巻/注解/9節|9節]] | [[ガリア戦記 第6巻/注解/10節|10節]] | [[ガリア戦記 第6巻/注解/11節|11節]] &nbsp; |} __notoc__ == 原文テキスト == <div style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#333;text-align:left;"><ref>原文テキストについては[[ガリア戦記/注解編#原文テキスト]]を参照。</ref> 10. &nbsp;&nbsp; <!--❶--><sup>1</sup>Interim paucis post diebus fit ab Ubiis certior Suebos omnis<!--omnes--> <!--(α) -->in unum locum<!--(β) unum in locum--> copias cogere atque eis<!--iis--> nationibus<!--,--> quae sub eorum sint imperio<!--,--> denuntiare<!--,--> <!--(α) -->ut<!--(β) uti--> auxilia peditatus equitatusque mittant. &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❷--><sup>2</sup>His cognitis rebus, rem frumentariam providet, castris idoneum locum deligit; &nbsp;<!--◆-->&nbsp; Ubiis imperat<!--,--> ut pecora deducant suaque omnia ex agris in oppida conferant, sperans barbaros atque imperitos homines inopia cibariorum adductos ad iniquam pugnandi condicionem posse deduci; &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❸--><sup>3</sup>mandat<!--,--> ut crebros exploratores in Suebos mittant quaeque apud eos gerantur cognoscant. &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❹--><sup>4</sup>Illi imperata faciunt et paucis diebus intermissis referunt: &nbsp;<!--◆-->&nbsp; Suebos omnis<!--omnes-->, <span style="background-color:#ffc;">postea quam</span><!--posteaquam--> certiores nuntii de exercitu Romanorum venerint, cum omnibus suis sociorumque copiis<!--,--> quas coegissent<!--,--> penitus ad extremos finis<!--fines--> sese<!--(L?) se--> recepisse: &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❺--><sup>5</sup>silvam <!--(α) -->esse ibi<!--(β) ibi esse--> infinita magnitudine, quae appellatur Bacenis; hanc longe introrsus pertinere et pro nativo muro obiectam Cheruscos ab Suebis Suebosque ab<!--(?) a--> Cheruscis iniuriis incursionibusque prohibere:<!--,--> &nbsp;<!--◆-->&nbsp; ad eius <!--(α) -->initium silvae<!--(β) silvae initium--> Suebos adventum Romanorum exspectare constituisse. </div> <span style="background-color:#ffc;"></span> ---- ;テキスト引用についての注記 *<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">postea quam : [[wikt:en:posteaquam|posteaquam]]</span> と表記する校訂版もある。 <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:bold;font-size:15pt;"></span> == 整形テキスト == <div style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#333;text-align:left;"><ref>整形テキストについては[[ガリア戦記/注解編#凡例]]を参照。</ref> X. &nbsp;&nbsp; <!--❶--><sup>①</sup>Interim paucīs post diēbus fit ab Ubiīs certior<!--,--> Suēbōs <span style="color:#800;">omnēs</span><!--omnīs--> <!--(α) --><u>in ūnum locum</u><!--(β) ūnum in locum--> cōpiās cōgere atque <span style="color:#800;">iīs</span><!--eīs--> nātiōnibus<!--,--> quae sub eōrum sint imperiō<!--,--> dēnūntiāre<!--,--> <!--(α) --><u>ut</u><!--(β) utī--> auxilia peditātūs equitātūsque mittant. &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❷--><sup>②</sup>Hīs cognitīs rēbus, rem frūmentāriam prōvidet, castrīs idōneum locum dēligit; &nbsp;<!--◆-->&nbsp; Ubiīs imperat<!--,--> ut pecora dēdūcant suaque omnia ex agrīs in oppida cōnferant, spērāns<!--,--> barbarōs atque imperītōs hominēs inopiā cibāriōrum adductōs ad inīquam pugnandī condiciōnem posse dēdūcī; &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❸--><sup>③</sup>mandat<!--,--> ut crēbrōs explōrātōrēs in Suēbōs mittant<!--,--> quaeque apud eōs gerantur<!--,--> cognōscant. &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--¶--><!--❹--><sup>④</sup>Illī imperāta faciunt et paucīs diēbus intermissīs referunt: Suēbōs <span style="color:#800;">omnēs</span><!--omnīs-->, posteā quam<!--posteāquam--> certiōrēs nūntiī dē exercitū Rōmānōrum vēnerint, cum omnibus suīs sociōrumque cōpiīs<!--,--> quās coēgissent<!--,--> penitus ad extrēmōs <span style="color:#800;">fīnēs</span><!--fīnīs--> sēsē<!--(L?) sē--> recēpisse: &nbsp;<!--◆-->&nbsp; <!--❺--><sup>⑤</sup>silvam <!--(α) --><u>esse ibi</u><!--(β) ibi esse--> īnfīnītā magnitūdine, quae appellātur Bācēnis; &nbsp;<!--◆-->&nbsp; hanc longē intrōrsus pertinēre et prō nātīvō mūrō obiectam Chēruscōs ab Suēbīs Suēbōsque <u>ab</u><!--(?) ā--> Chēruscīs iniūriīs incursiōnibusque prohibēre:<!--,--> &nbsp;<!--◆-->&nbsp; ad eius <!--(α) --><u>initium silvae</u><!--(β) silvae initium--> Suēbōs adventum Rōmānōrum exspectāre cōnstituisse. </div> <span style="color:#800;"></span> ---- ;注記 *原文の <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">[[wikt:en:eis#Latin|eīs]], [[wikt:en:finis#Latin|fīnīs]], [[wikt:en:omnis#Latin|omnīs]] <!--[[wikt:en:accommodatae|accommodātae]], [[wikt:en:allatis|allātīs]], [[wikt:en:Aduatuci|Aduatucī]], [[wikt:en:Aduatucis|Aduatucīs]], [[wikt:en:Aduatucos|Aduatucōs]], [[wikt:en:Aeduae|Aeduae]], [[wikt:en:Aedui#Latin|Aeduī]], [[wikt:en:Aeduis|Aeduīs]], [[wikt:en:Aeduorum|Aeduōrum]], [[wikt:en:Aeduos|Aeduōs]], [[wikt:en:Aeduus#Latin|Aeduus]], [[wikt:en:aequinocti|aequinoctī]], [[wikt:en:affectus#Participle|affectus]], [[wikt:en:aggregabat|aggregābat]], [[wikt:en:allato|allātō]], [[wikt:en:Alpis#Latin|Alpīs]], [[wikt:en:appelluntur|appelluntur]], [[wikt:en:apportari|apportārī]], [[wikt:en:appropinquabat|appropinquābat]], [[wikt:en:appropinquare#Latin|appropinquāre]], [[wikt:en:appropinquarent|appropinquārent]], [[wikt:en:appropinquaverunt|appropinquāvērunt]] ([[wikt:en:appropinquarunt|appropinquārunt]]), [[wikt:en:appropinquavit|appropinquāvit]], [[wikt:en:appulso#Latin|appulsō]], [[wikt:en:arripere|arripere]], [[wikt:en:ascendissent#Latin|ascendissent]], [[wikt:en:ascensu#Noun|ascēnsū]], [[wikt:en:assuefacti|assuēfactī]], [[wikt:en:auxili#Latin|auxilī]], [[wikt:en:cedentis|cēdentīs]], [[wikt:en:cohortis|cohortīs]], [[wikt:en:coicere|coicere]], [[wikt:en:coicerent|coicerent]], [[wikt:en:coici|coicī]], [[wikt:en:coiciant|coiciant]], [[wikt:en:coiciebant|coiciēbant]], [[wikt:en:coiciunt|coiciunt]], [[wikt:en:coiecerant|coiēcerant]], [[wikt:en:coiecerunt|coiēcērunt]], [[wikt:en:coiecisse|coiēcisse]], [[wikt:en:coiecta|coiecta]], [[wikt:en:coiecti|coiectī]], [[wikt:en:coiectis|coiectīs]], [[wikt:en:collatis|collātīs]], [[wikt:en:collaudat|collaudat]], [[wikt:en:collaudatis#Participle|collaudātīs]], [[wikt:en:collis#Latin|collīs]], [[wikt:en:collocabant|collocābant]], [[wikt:en:collocabat|collocābat]], [[wikt:en:collocandis|collocandīs]], [[wikt:en:collocant#Latin|collocant]], [[wikt:en:collocarat|collocārat]], [[wikt:en:collocare#Latin|collocāre]], [[wikt:en:collocaret|collocāret]], [[wikt:en:collocari|collocārī]], [[wikt:en:collocatas|collocātās]], [[wikt:en:collocati#Latin|collocātī]], [[wikt:en:collocatis#Participle|collocātīs]], [[wikt:en:collocavit|collocāvit]], [[wikt:en:collocuti|collocūtī]], [[wikt:en:colloquantur|colloquantur]], [[wikt:en:colloquendi|colloquendī]], [[wikt:en:colloqui#Latin|colloquī]], [[wikt:en:colloquium#Latin|colloquium]], [[wikt:en:compluribus|complūribus]], [[wikt:en:compluris|complūrīs]], [[wikt:en:conantis|cōnantīs]], [[wikt:en:consili|cōnsilī]], [[wikt:en:egredientis#Etymology_2|ēgredientīs]], [[wikt:en:ei#Latin|eī]], [[wikt:en:ferventis#Latin|ferventīs]], [[wikt:en:glandis#Latin|glandīs]], [[wikt:en:hostis#Latin|hostīs]], [[wikt:en:immittit|immittit]], [[wikt:en:immittunt|immittunt]], [[wikt:en:imperi#Latin|imperī]], [[wikt:en:incolumis#Latin|incolumīs]], [[wikt:en:irridere#Latin|irrīdēre]], [[wikt:en:irrumpit|irrumpit]], [[wikt:en:irruperunt|irrūpērunt]], [[wikt:en:laborantis#Etymology_2|labōrantīs]], [[wikt:en:montis|montīs]], [[wikt:en:navis#Latin|nāvīs]], [[wikt:en:negoti|negōtī]], nōn nūllae, nōn nūllōs, [[wikt:en:offici#Noun_2|officī]], [[wikt:en:partis#Latin|partīs]], [[wikt:en:periclum#Latin|perīclum]], plūrīs, [[wikt:en:praesidi|praesidī]], [[wikt:en:proeli|proelī]], proficīscentīs, [[wikt:en:resistentis|resistentīs]], [[wikt:en:singularis#Latin|singulārīs]], [[wikt:en:spati#Latin|spatī]], [[wikt:en:subeuntis|subeuntīs]], [[wikt:en:suffossis|suffossīs]], [[wikt:en:sumministrata|sumministrāta]], [[wikt:en:summissis|summissīs]], [[wikt:en:summittebat|summittēbat]], [[wikt:en:summittit|summittit]], [[wikt:en:summoveri|summovērī]], [[wikt:en:Trinobantes#Latin|Trinobantēs]], trīs, [[wikt:en:turris#Latin|turrīs]], [[wikt:en:utilis#Latin|ūtilīs]], [[wikt:en:vectigalis#Latin|vectīgālīs]] --></span> などは、<br>それぞれ <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">[[wikt:en:iis#Latin|iīs]], [[wikt:en:fines#Latin|fīnēs]], [[wikt:en:omnes#Latin|omnēs]] <!--[[wikt:en:adcommodatae|adcommodātae]], [[wikt:en:adlatis|adlātīs]], [[wikt:de:Atuatuci|Atuatucī]], Atuatucīs, Atuatucōs, Haeduae, Haeduī, Haeduīs, Haeduōrum, Haeduōs, Haeduus, [[wikt:en:aequinoctii|aequinoctiī]], [[wikt:en:adfectus#Adjective|adfectus]], [[wikt:en:adgregabat|adgregābat]], [[wikt:en:adlato|adlātō]], [[wikt:en:Alpes#Latin|Alpēs]], [[wikt:en:adpelluntur|adpelluntur]], [[wikt:en:adportari|adportārī]], [[wikt:en:adpropinquabat|adpropinquābat]], [[wikt:en:adpropinquare|adpropinquāre]], [[wikt:en:adpropinquarent|adpropinquārent]], [[wikt:en:adpropinquaverunt|adpropinquāvērunt]] ([[wikt:en:adpropinquarunt|adpropinquārunt]]), [[wikt:en:adpropinquavit|adpropinquāvit]], [[wikt:en:adpulso|adpulsō]], [[wikt:en:adripere|adripere]], [[wikt:en:adscendissent|adscendissent]], [[wikt:en:adscensu#Noun|adscēnsū]], [[wikt:en:adsuefacti|adsuēfactī]], [[wikt:en:auxilii|auxiliī]], [[wikt:en:cedentes#Latin|cēdentēs]], [[wikt:en:cohortes#Latin|cohortēs]], [[wikt:en:conicere|conicere]], [[wikt:en:conicerent|conicerent]], [[wikt:en:conici#Latin|conicī]], [[wikt:en:coniciant|coniciant]], [[wikt:en:coniciebant|coniciēbant]], [[wikt:en:coniciunt|coniciunt]], [[wikt:en:coniecerant|coniēcerant]], [[wikt:en:coniecerunt|coniēcērunt]], [[wikt:en:coniecisse|coniēcisse]], [[wikt:en:coniecta|coniecta]], [[wikt:en:coniecti|coniectī]], [[wikt:en:coniectis|coniectīs]], [[wikt:en:conlatis|conlātīs]], [[wikt:en:conlaudat|conlaudat]], [[wikt:en:conlaudatis#Participle|conlaudātīs]], [[wikt:en:colles#Latin|collēs]], [[wikt:en:conlocabant|conlocābant]], [[wikt:en:conlocabat|conlocābat]], [[wikt:en:conlocandis|conlocandīs]], [[wikt:en:conlocant|conlocant]], [[wikt:en:conlocarat|conlocārat]], [[wikt:en:conlocare|conlocāre]], [[wikt:en:conlocaret|conlocāret]], [[wikt:en:conlocari|conlocārī]], [[wikt:en:conlocatas|conlocātās]], [[wikt:en:conlocati|conlocātī]], [[wikt:en:conlocatis#Participle|conlocātīs]], [[wikt:en:conlocavit|conlocāvit]], [[wikt:en:conlocuti|conlocūtī]], [[wikt:en:conloquantur|conloquantur]], [[wikt:en:conloquendi|conloquendī]], [[wikt:en:conloqui#Latin|conloquī]], [[wikt:en:conloquium#Latin|conloquium]], [[wikt:en:conpluribus|conplūribus]], [[wikt:en:complures#Latin|complūrēs]], [[wikt:en:conantes|cōnantēs]], [[wikt:en:consilii|cōnsiliī]], [[wikt:en:egredientes|ēgredientēs]], [[wikt:en:ii#Latin|iī]], [[wikt:en:ferventes#Latin|ferventēs]], [[wikt:en:glandes#Latin|glandēs]], [[wikt:en:hostes#Latin|hostēs]], [[wikt:en:inmittit|inmittit]], [[wikt:en:inmittunt|inmittunt]], [[wikt:en:imperii#Latin|imperiī]], [[wikt:en:incolumes|incolumēs]], [[wikt:en:inridere|inrīdēre]], [[wikt:en:inrumpit|inrumpit]], [[wikt:en:inruperunt|inrūpērunt]], [[wikt:en:laborantes#Latin|labōrantēs]], [[wikt:en:montes#Latin|montēs]], [[wikt:en:naves#Latin|nāvēs]], [[wikt:en:negotii|negōtiī]], [[wikt:en:nonnullae|nōnnūllae]], [[wikt:en:nonnullos|nōnnūllōs]], [[wikt:en:officii#Latin|officiī]], [[wikt:en:partes#Latin|partēs]], [[wikt:en:periculum#Latin|perīculum]], [[wikt:en:plures|plūrēs]], [[wikt:en:praesidii|praesidiī]], [[wikt:en:proelii|proeliī]], [[wikt:en:proficiscentes|proficīscentēs]], [[wikt:en:resistentes#Latin|resistentēs]], [[wikt:en:singulares#Latin|singulārēs]], [[wikt:en:spatii#Latin|spatiī]], [[wikt:en:subeuntes|subeuntēs]], [[wikt:en:subfossis|subfossīs]], [[wikt:en:subministrata|subministrāta]], [[wikt:en:submissis|submissīs]], [[wikt:en:submittebat|submittēbat]], [[wikt:en:submittit|submittit]], [[wikt:en:submoveri|submovērī]], [[wikt:en:Trinovantes#Latin|Trinovantēs]], [[wikt:en:tres#Latin|trēs]], [[wikt:en:turres#Latin|turrēs]], [[wikt:en:utiles#Latin|ūtilēs]], [[wikt:en:vectigales|vectīgālēs]] --></span> などとした。 <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:oblique;font-size:15pt;"></span> <span style="color:#b00;"></span> <span style="color:#800;"></span> <span style="font-size:10pt;"></span> <span style="background-color:#ff0;"></span> == 注解 == === 1項 === <span style="font-family:Times New Roman;font-size:20pt;"></span> ;語釈 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;background-color:#fff;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> <span style="background-color:#ccffcc;"></span> <!-- ;対訳 《 》 内は、訳者が説明のために補った語。<span style="font-family:Times New Roman;font-size:30pt;">{</span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:30pt;">}</span> 内は関係文。 <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> --> == 訳文 == *<span style="background-color:#dff;">訳文は、[[ガリア戦記_第6巻#10節]]</span> == 脚注 == {{Reflist}} == 解説 == <!-- {| class="wikitable" style="text-align:center" |- style="height:23em;" | | |} --> == 関連項目 == *[[ガリア戦記]] **[[ガリア戦記/注解編]] ***[[ガリア戦記 第6巻/注解]] **[[ガリア戦記/用例集]] == 関連記事 == == 外部リンク == *[https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hn1tp9&seq=224 #224 - C. Iuli Caesaris De bello gallico libri VII : Caesar's Gallic ... - Full View | HathiTrust Digital Library] [[Category:ガリア戦記 第6巻|10節]] 526gs2fyveltmij4jk8iixlm3bedsd5 FreeBSD/Chflags 0 43338 263534 2024-11-15T23:34:42Z Ef3 694 chflagsはFreeBSDシステムにおいて、ファイルやディレクトリに特別な属性フラグを設定する重要な機能です。システムのセキュリティレベルと密接に連携しており、特にセキュリティレベル1以上で効果を発揮します。 263534 wikitext text/x-wiki '''chflags'''はFreeBSDシステムにおいて、ファイルやディレクトリに特別な属性フラグを設定する重要な機能です。システムのセキュリティレベルと密接に連携しており、特にセキュリティレベル1以上で効果を発揮します。 chflagsコマンドのフラッグについて表にまとめます。 {| class="wikitable" |+ フラッグ一覧 ! フラグ名 || 意味 |- | arch, archived || アーカイブフラグを設定(スーパーユーザーのみ) |- | nodump || ダンプ除外フラグを設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | opaque || オペークフラグを設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | sappnd, sappend || システム追記専用フラグを設定(スーパーユーザーのみ) |- | schg, schange, simmutable || システム不変フラグを設定(スーパーユーザーのみ) |- | snapshot || スナップショットフラグを設定(ファイルシステムによる変更不可) |- | sunlnk, sunlink || システム削除不可フラグを設定(スーパーユーザーのみ) |- | uappnd, uappend || ユーザー追記専用フラグを設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | uarch, uarchive || アーカイブフラグを設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | uchg, uchange, uimmutable || ユーザー不変フラグを設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | uhidden, hidden || 隠しファイル属性を設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | uoffline, offline || オフライン属性を設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | urdonly, rdonly, readonly || DOS、WindowsおよびCIFSの読み取り専用フラグを設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | usparse, sparse || スパースファイル属性を設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | usystem, system || DOS、WindowsおよびCIFSのシステムフラグを設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | ureparse, reparse || Windowsリパースポイントファイル属性を設定(所有者またはスーパーユーザー) |- | uunlnk, uunlink || ユーザー削除不可フラグを設定(所有者またはスーパーユーザー) |} :<syntaxhighlight lang=bash> chflags [フラッグ] ファイル名 </syntaxhighlight> 例えば: :<syntaxhighlight lang=bash> chflags hidden file.txt # ファイルを非表示にする chflags nohidden file.txt # 非表示を解除する </syntaxhighlight> == アーカイブフラグ == アーカイブフラグ(arch, archived)は、ファイルがバックアップされていないことを示すフラグです。このフラグは通常、バックアッププログラムによって管理され、ファイルが変更されると自動的に設定され、バックアップが完了すると解除されます。スーパーユーザーのみが手動で設定できる特別な属性です。 == ダンプ除外フラグ == ダンプ除外フラグ(nodump)は、バックアップユーティリティによるバックアップ対象から除外するためのフラグです。一時ファイルやキャッシュファイルなど、バックアップする必要のないファイルに対して設定します。このフラグは、ファイルの所有者またはスーパーユーザーが設定できます。 == オペークフラグ == オペークフラグ(opaque)は、主にユニオンマウントされたファイルシステムで使用される特別なフラグです。このフラグが設定されたディレクトリは、下位レイヤーのディレクトリの内容を完全に隠蔽します。ファイルの所有者またはスーパーユーザーが設定できます。 == システム追記専用フラグ == システム追記専用フラグ(sappnd, sappend)は、ファイルに対して追記操作のみを許可する強制的な制限を課すフラグです。このフラグが設定されたファイルは、root権限であっても既存の内容を変更や削除することができず、末尾への追記のみが許可されます。主にログファイルの保護に使用されます。 == システム不変フラグ == システム不変フラグ(schg, schange, simmutable)は、最も重要なセキュリティフラグの一つです。このフラグが設定されたファイルは、root権限であっても変更や削除ができなくなります。主にシステムの起動に関わる重要なファイルやバイナリの保護に使用されます。セキュリティレベル1以上では、このフラグの解除自体が禁止されます。 == スナップショットフラグ == スナップショットフラグ(snapshot)は、ファイルがスナップショットの一部であることを示す特別なフラグです。このフラグはファイルシステムによって自動的に管理され、手動での変更は許可されていません。スナップショットの整合性を保護するために使用されます。 == システム削除不可フラグ == システム削除不可フラグ(sunlnk, sunlink)は、ファイルの削除を防ぐシステムレベルの保護を提供します。このフラグが設定されたファイルは、root権限であっても削除することができません。重要なシステムファイルの誤削除を防ぐために使用されます。 == ユーザー追記専用フラグ == ユーザー追記専用フラグ(uappnd, uappend)は、ファイルに対して追記操作のみを許可する制限を課すフラグです。このフラグが設定されたファイルは、所有者であっても既存の内容を変更や削除することができず、末尾への追記のみが許可されます。ただし、スーパーユーザーはこの制限を解除できます。 == ユーザーアーカイブフラグ == ユーザーアーカイブフラグ(uarch, uarchive)は、ファイルがバックアップされていない状態であることを示すユーザーレベルのフラグです。アーカイブフラグと同様の機能を持ちますが、ファイルの所有者が設定できる点が異なります。 == ユーザー不変フラグ == ユーザー不変フラグ(uchg, uchange, uimmutable)は、ファイルの変更や削除を防ぐユーザーレベルの保護を提供します。このフラグが設定されたファイルは、所有者であっても変更や削除ができなくなりますが、スーパーユーザーはこの制限を解除できます。 == 隠しファイルフラグ == 隠しファイルフラグ(uhidden, hidden)は、ファイルやディレクトリをファイルブラウザやGUIで表示されないようにするフラグです。このフラグが設定されたファイルは、通常の表示では見えなくなりますが、コマンドラインからは通常通りアクセス可能です。 == オフラインフラグ == オフラインフラグ(uoffline, offline)は、ファイルの内容がオフラインストレージに移動されていることを示すフラグです。このフラグが設定されたファイルにアクセスする際、システムは自動的にデータの取得を試みます。主に階層型ストレージ管理システムで使用されます。 == 読み取り専用フラグ == 読み取り専用フラグ(urdonly, rdonly, readonly)は、DOS、WindowsおよびCIFSとの互換性のために提供される特別なフラグです。このフラグが設定されたファイルは読み取り専用となり、変更や削除が制限されます。クロスプラットフォーム環境での利用を想定しています。 == スパースファイルフラグ == スパースファイルフラグ(usparse, sparse)は、ファイルがスパースファイルとして扱われることを示すフラグです。スパースファイルは、連続したゼロデータを物理的に保存せず、効率的なストレージ使用を可能にします。主に大きなファイルで多くのゼロデータを含む場合に使用されます。 == システムファイルフラグ == システムファイルフラグ(usystem, system)は、DOS、WindowsおよびCIFSとの互換性のために提供される特別なフラグです。このフラグが設定されたファイルは、システムファイルとして扱われ、特別な保護が適用されます。クロスプラットフォーム環境での利用を想定しています。 == リパースポイントフラグ == リパースポイントフラグ(ureparse, reparse)は、Windowsのリパースポイント機能との互換性のために提供される特別なフラグです。このフラグが設定されたファイルは、ファイルシステムによって特別な処理が行われ、シンボリックリンクやマウントポイントなどの機能を実現します。 == ユーザー削除不可フラグ == ユーザー削除不可フラグ(uunlnk, uunlink)は、ファイルの削除を防ぐユーザーレベルの保護を提供します。このフラグが設定されたファイルは、所有者であっても削除することができませんが、スーパーユーザーはこの制限を解除できます。重要なファイルの誤削除を防ぐために使用されます。 これらのフラグは、ファイルシステムのセキュリティと整合性を維持するための重要な機能を提供し、システム管理者が効果的なファイル保護とデータ管理を行うことを可能にします。 == chflagsの起源 == chflagsコマンドは、BSD UNIXの一部として開発され、特にセキュリティ強化の一環として導入されました。元々は1980年代後半の4.4BSDで実装され、主にファイルシステムのセキュリティ機能を強化する目的で設計されました。 == BSD Security Levelsとの関連 == chflagsの重要な特徴の一つは、BSD Security Levels(セキュリティレベル)システムとの密接な統合です。特にシステムイミュータブルフラグ(schg)は、セキュリティレベル1以上で解除できなくなるという特徴があり、これはBSDのセキュリティモデルの重要な部分となっています。 == UFS(Unix File System)との関係 == chflagsは元々、UFSファイルシステムの拡張属性として実装されました。UFSはBSDの標準ファイルシステムとして長年使用されており、chflagsの機能はUFSの設計に深く組み込まれています。 == 機能の拡張 == 当初は単純なシステム保護機能として始まりましたが、時代とともに以下のような機能が追加されていきました: # バックアップ関連フラグ(arch, nodump) # Windows互換フラグ(rdonly, system) # 階層型ストレージ管理用フラグ(offline) # ユニオンマウント用フラグ(opaque) == 現代における役割 == 現在のchflagsは、以下のような用途で広く使用されています: * システムファイルの保護 * セキュリティ強化 * バックアップ管理 * クロスプラットフォーム互換性の確保 * ストレージ管理の最適化 == 他のOSへの影響 == chflagsの概念は、他のUNIX系OSやLinuxにも影響を与え、様々な形で類似の機能が実装されています。特にファイルシステムの拡張属性(extended attributes)という概念は、現代のほとんどのOSで採用されています。 == 標準化への貢献 == chflagsの機能の一部は、POSIX準拠のファイルシステム属性として標準化され、現代のファイルシステムセキュリティの基準となっています。特にイミュータブル属性の概念は、多くのファイルシステムセキュリティモデルに影響を与えています。 == 将来の展望 == クラウドコンピューティングやコンテナ技術の発展に伴い、chflagsの概念は新しい形で継承されています。特にイミュータブルインフラストラクチャの考え方は、chflagsの基本概念を現代的に解釈したものと言えます。 == 運用上の考慮事項 == フラグによる保護は、過度に適用すると運用上の問題を引き起こす可能性があります。システムのアップグレードが困難になり、また侵入検知の機会を失う可能性もあります。そのため、保護対象は必要最小限にとどめ、システムの保守性とのバランスを考慮することが重要です。 == 実装のベストプラクティス == フラグの実装は、システムの重要度に応じて段階的に行うべきです。まず起動に不可欠なスクリプトやバイナリに適用し、次に重要な設定ファイルへと展開していきます。定期的な見直しも必要で、システム更新時には一時的にセキュリティレベルを下げて作業を行う手順を確立しておく必要があります。 == トラブルシューティング == フラグの解除は、必ずシステムをシングルユーザーモードで起動し、セキュリティレベルを下げてから実施します。システム更新時には、更新対象のファイルのフラグを事前に解除し、更新後に再設定するという手順が必要です。予期せぬ問題が発生した場合に備え、フラグ設定の記録を保持しておくことも重要です。 == 参考文献 == * FreeBSD Handbook * "FreeBSD System Security" by Bruce Momjian * UNIX and Linux System Administration Handbook {{DEFAULTSORT:CHFLAGS}} [[Category:FreeBSD]] ny3ykab208pw4tdfzm5tam8fuie3uea FreeBSD/POSIX.1e 0 43339 263537 2024-11-15T23:42:06Z Ef3 694 FreeBSDは、POSIX.1e (POSIX.1e-1997, also known as "POSIX for security")の一部機能を実装していますが、完全な実装には至っていません。POSIX.1eは、セキュリティ強化を目的として、アクセス制御リスト(ACL)、能力(Capabilities)、強化された監査(Auditing)などの仕様を導入する規格です。 263537 wikitext text/x-wiki FreeBSDは、'''POSIX.1e (POSIX.1e-1997, also known as "POSIX for security")'''の一部機能を実装していますが、完全な実装には至っていません。POSIX.1eは、セキュリティ強化を目的として、アクセス制御リスト(ACL)、能力(Capabilities)、強化された監査(Auditing)などの仕様を導入する規格です。 以下は、FreeBSDにおけるPOSIX.1eの主要な実装状況についての概要です。 == ACL (Access Control Lists) == * FreeBSDはPOSIX.1e ACLをサポートしています。 * ファイルシステムごとにACLを有効にできます。たとえば、'''UFS2'''や'''ZFS'''はACLをサポートしています。 * '''getfacl''' と '''setfacl''' コマンドを使用してACLを操作できます。 * マウント時に <code>acl</code> オプションを指定することで、ACLの利用を有効化します。 :<syntaxhighlight lang=sh> # mount -o acl /dev/ada0p2 /mnt </syntaxhighlight> ; 使用例 :ACLを確認する: :<syntaxhighlight lang=sh> # getfacl ファイル名 </syntaxhighlight> ; ACLを設定する: :<syntaxhighlight lang=sh> # setfacl -m u:ユーザー名:rwx ファイル名 </syntaxhighlight> == Capabilities (能力) == * POSIX.1eで定義されるプロセスやファイルの特定の「能力」について、FreeBSDは直接のサポートを提供していません。 * ただし、FreeBSDの'''Capsicumフレームワーク'''は、POSIX.1eの能力とは異なる形で、より細粒度の権限委譲を実現しています。 ** Capsicumは、特定のシステムコールやファイルディスクリプタに基づく権限制御を提供します。 ** '''libcasper''' ライブラリを使って簡潔に実装できます。 ; Capsicumを使用する例(カプサムモードへの移行): :<syntaxhighlight lang=c> cap_enter(); // プロセスをカプサムモードに移行 </syntaxhighlight> == Auditing (監査) == * FreeBSDは、セキュリティ監査機能として'''OpenBSM (Basic Security Module)'''を採用しています。 * OpenBSMは、POSIX.1e監査機能をベースにした高度な監査フレームワークです。 * 監査ログは <code>/var/audit/</code> ディレクトリに保存され、<code>auditreduce</code> や <code>praudit</code> ツールを用いて解析可能です。 ; 監査システムを有効にする手順: : <code>/etc/rc.conf</code> に以下を追加: :<syntaxhighlight lang=text> auditd_enable="YES" </syntaxhighlight> ; サービスを起動: :<syntaxhighlight lang=sh> # service auditd start </syntaxhighlight> == 未実装部分 == * POSIX.1e全体の機能の中で、特に「Capabilities」の正式サポートが欠けています。 * FreeBSDコミュニティでは、セキュリティ機能の設計において、POSIX.1eを直接追従するのではなく、独自の方法(例えばCapsicum)で代替する方針が取られることが多いです。 == 参考情報 == FreeBSDのPOSIX.1e対応状況は、公式ドキュメントやFreeBSDセキュリティチームのリリースノートに記載されています。また、以下のマニュアルページが役立ちます: * '''acl(9)''': ACLに関する詳細 * '''audit(4)''': 監査サブシステム * '''capsicum(4)''': Capsicumフレームワーク 詳しい情報が必要であれば、具体的なユースケースや目的に応じて調査を進めますので教えてください! {{DEFAULTSORT:POSIX.1E}} [[Category:FreeBSD]] ambf12w8y5is9l7x1i5rl28rwzaan7r 法の適用に関する通則法第4条 0 43340 263574 2024-11-16T08:04:07Z Fukupow 34984 新規作成 263574 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (人の行為能力) ; 第4条 # 人の行為能力は、その本国法によって定める。 # 法律行為をした者がその本国法によれば行為能力の制限を受けた者となるときであっても行為地法によれば行為能力者となるべきときは、当該法律行為の当時そのすべての当事者が法を同じくする地に在った場合に限り、当該法律行為をした者は、前項の規定にかかわらず、行為能力者とみなす。 # 前項の規定は、親族法又は相続法の規定によるべき法律行為及び行為地と法を異にする地に在る不動産に関する法律行為については、適用しない。 === 翻訳 === (Person's Capacity to Act)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 4 # The legal capacity of a person to act is governed by their national law. # Notwithstanding the provisions of the preceding paragraph, when a person who has performed a juridical act is subject to the limitation of their capacity to act under their national law but has full capacity to act under the law of the place where the act is done (lex loci actus), that person is deemed to have full capacity to act, only in cases where all the parties were present in a place governed by the same law at the time of the juridical act. # The preceding paragraph does not apply to a juridical act to be governed by the provisions of family law or inheritance law, or a juridical act relating to real property situated in a place governed by a different law from the law of the place where the act was done. === 法例 === ; 第3条 # 人ノ能力ハ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム # 外国人カ日本ニ於テ法律行為ヲ為シタル場合ニ於テ其外国人カ本国法ニ依レハ能力ノ制限ヲ受ケタル者タルヘキトキト雖モ日本ノ法律ニ依レハ能力者タルヘキトキハ前項ノ規定ニ拘ハラス之ヲ能力者ト看做ス # 前項ノ規定ハ親族法又ハ相続法ノ規定ニ依ルヘキ法律行為及ヒ外国ニ在ル不動產ニ関スル法律行為ニ付テハ之ヲ適用セス == 解説 == 本条は、[[w:自然人|自然人]]の[[w:行為能力|行為能力]]について規定している。 第1項において、自然人の行為能力の[[w:準拠法|準拠法]]を本国法とする原則を規定している。第2項において、法律行為をした者が、本国法によれば行為能力の制限を受けている者であっても、行為地法によれば行為能力者となるべきときは、その者を行為能力者とみなす取引保護規定を置いている。また、第3項において、[[w:親族法|親族法]]・[[w:相続法|相続法]]の規定によるべき法律行為および行為地と法を異にする地に在る[[w:不動産|不動産]]に関する法律行為については第2項の規定を適用しないことを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第1節 人 |[[法の適用に関する通則法第3条]]<br />(法律と同一の効力を有する慣習) |[[法の適用に関する通則法第5条]]<br />(後見開始の審判等) }} [[category:法の適用に関する通則法|04]] pvjkjm13ib571m6an409ebuc5bs21e4 法の適用に関する通則法第5条 0 43341 263577 2024-11-16T08:17:24Z Fukupow 34984 新規作成 263577 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (後見開始の審判等) ; 第5条 : 裁判所は、成年被後見人、被保佐人又は被補助人となるべき者が日本に住所若しくは居所を有するとき又は日本の国籍を有するときは、日本法により、後見開始、保佐開始又は補助開始の審判(以下「後見開始の審判等」と総称する。)をすることができる。 === 翻訳 === (Ruling for Commencement of Guardianship)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 5 : The court may make a ruling for commencement of guardianship, curatorship or assistance (hereinafter collectively referred to as a "Ruling for Commencement of Guardianship, etc.") under Japanese law where a person who is to become an adult ward, person under curatorship or person under assistance has domicile or residence in Japan or has Japanese nationality. === 法例 === ; 第4条 # 後見開始ノ審判ノ原因ハ成年被後見人ノ本国法ニ依リ其審判ノ効力ハ審判ヲ為シタル国ノ法律ニ依ル # 日本ニ住所又ハ居所ヲ有スル外国人ニ付キ其本国法ニ依リ後見開始ノ審判ノ原因アルトキハ裁判所ハ其者ニ対シテ後見開始ノ審判ヲ為スコトヲ得但日本ノ法律カ其原因ヲ認メサルトキハ此限ニ在ラス == 解説 == 本条は、[[w:後見|後見]]の開始、[[w:成年後見制度#保佐|保佐]]の開始、[[w:成年後見制度#補助|補助]]の開始の審判の[[w:国際裁判管轄|国際裁判管轄]]ならびに原因および効力の[[w:準拠法|準拠法]]について規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第1節 人 |[[法の適用に関する通則法第4条]]<br />(人の行為能力) |[[法の適用に関する通則法第6条]]<br />(失{{ruby|踪|そう}}の宣告) }} [[category:法の適用に関する通則法|05]] r7dese5nd3e6kxwjewb94vikv0w5bp9 263578 263577 2024-11-16T08:30:09Z Fukupow 34984 /* 法例 */ 263578 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (後見開始の審判等) ; 第5条 : 裁判所は、成年被後見人、被保佐人又は被補助人となるべき者が日本に住所若しくは居所を有するとき又は日本の国籍を有するときは、日本法により、後見開始、保佐開始又は補助開始の審判(以下「後見開始の審判等」と総称する。)をすることができる。 === 翻訳 === (Ruling for Commencement of Guardianship)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 5 : The court may make a ruling for commencement of guardianship, curatorship or assistance (hereinafter collectively referred to as a "Ruling for Commencement of Guardianship, etc.") under Japanese law where a person who is to become an adult ward, person under curatorship or person under assistance has domicile or residence in Japan or has Japanese nationality. === 法例 === ; 第4条 # 後見開始ノ審判ノ原因ハ成年被後見人ノ本国法ニ依リ其審判ノ効力ハ審判ヲ為シタル国ノ法律ニ依ル # 日本ニ住所又ハ居所ヲ有スル外国人ニ付キ其本国法ニ依リ後見開始ノ審判ノ原因アルトキハ裁判所ハ其者ニ対シテ後見開始ノ審判ヲ為スコトヲ得但日本ノ法律カ其原因ヲ認メサルトキハ此限ニ在ラス ; 第5条 : 前条ノ規定ハ保佐開始ノ審判及ヒ補助開始ノ審判ニ之ヲ準用ス == 解説 == 本条は、[[w:後見|後見]]の開始、[[w:成年後見制度#保佐|保佐]]の開始、[[w:成年後見制度#補助|補助]]の開始の審判の[[w:国際裁判管轄|国際裁判管轄]]ならびに原因および効力の[[w:準拠法|準拠法]]について規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第1節 人 |[[法の適用に関する通則法第4条]]<br />(人の行為能力) |[[法の適用に関する通則法第6条]]<br />(失{{ruby|踪|そう}}の宣告) }} [[category:法の適用に関する通則法|05]] 6rdevl4alhdpeb8k13t3b8jvx2ni6m9 法の適用に関する通則法第6条 0 43342 263582 2024-11-16T08:40:12Z Fukupow 34984 新規作成 263582 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (失{{ruby|踪|そう}}の宣告) ; 第6条 # 裁判所は、不在者が生存していたと認められる最後の時点において、不在者が日本に住所を有していたとき又は日本の国籍を有していたときは、日本法により、失{{ruby|踪|そう}}の宣告をすることができる。 # 前項に規定する場合に該当しないときであっても、裁判所は、不在者の財産が日本に在るときはその財産についてのみ、不在者に関する法律関係が日本法によるべきときその他法律関係の性質、当事者の住所又は国籍その他の事情に照らして日本に関係があるときはその法律関係についてのみ、日本法により、失踪の宣告をすることができる。 === 翻訳 === (Adjudication of Disappearance)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 6 # The court may make an adjudication of their disappearance under Japanese law where an absentee had domicile in Japan or had Japanese nationality, at the latest point of time when they were found to be alive. # Even in the case where the preceding paragraph does not apply, if an absentee's property is situated in Japan, or if an absentee's legal relationship should be governed by Japanese law or is connected with Japan in light of the nature of the legal relationship, the domicile or nationality of the party and any other circumstances concerned, the court may, by applying Japanese law, make an adjudication of the absentee's disappearance only with regard to the property or the relevant legal relationship, respectively. === 法例 === ; 第6条 : 外国人ノ生死カ分明ナラサル場合ニ於テハ裁判所ハ日本ニ在ル財產及ヒ日本ノ法律ニ依ルヘキ法律関係ニ付テノミ日本ノ法律ニ依リテ失踪ノ宣吿ヲ為スコトヲ得 == 解説 == 本条は、[[w:失踪宣告|失踪宣告]]の[[w:国際裁判管轄|国際裁判管轄]]について規定している。 第1項において、[[w:不在者|不在者]]が生存していた最後の時点において[[w:日本国籍|日本国籍]]を有していた場合または[[w:日本|日本]]に[[w:住所を|住所]]を有していた場合には、[[w:日本の裁判所|日本の裁判所]]が失踪宣告について国際裁判管轄を有する旨を規定している。第2項において、不在者が日本国籍を有せず日本に住所を有していない場合には、不在者の財産が日本にあるときまたは不在者に関する[[w:法律関係|法律関係]]が[[w:日本法|日本法]]に関係があるときは、日本の裁判所に失踪宣告の例外的管轄が認められることを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第1節 人 |[[法の適用に関する通則法第5条]]<br />(後見開始の審判等) |[[法の適用に関する通則法第7条]]<br />(当事者による準拠法の選択) }} [[category:法の適用に関する通則法|06]] 3wgoe45ew3ri0ko24c1owa0lftzldr8 法の適用に関する通則法第7条 0 43343 263589 2024-11-16T09:10:47Z Fukupow 34984 新規作成 263589 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (当事者による準拠法の選択) ; 第7条 : 法律行為の成立及び効力は、当事者が当該法律行為の当時に選択した地の法による。 === 翻訳 === (Choice of Governing Law by the Parties)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 7 : The formation and effect of a juridical act are governed by the law of the place chosen by the parties at the time of the act. === 法例 === ; 第7条 # '''法律行為ノ成立及ヒ効力ニ付テハ当事者ノ意思ニ従ヒ其何レノ国ノ法律ニ依ルヘキカヲ定ム''' # 当事者ノ意思カ分明ナラサルトキハ行為地法ニ依ル == 解説 == 本条は、[[w:法律行為|法律行為]]の成立・効力の[[w:準拠法|準拠法]]について、当事者が当該法律行為の当時に選択した地の法によることを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第2節 法律行為 |[[法の適用に関する通則法第6条]]<br />(失{{ruby|踪|そう}}の宣告) |[[法の適用に関する通則法第8条]]<br />(当事者による準拠法の選択がない場合) }} [[category:法の適用に関する通則法|07]] bs4edoywjy528puul192jpxexzavkyu 法の適用に関する通則法第8条 0 43344 263590 2024-11-16T09:10:51Z Fukupow 34984 新規作成 263590 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (当事者による準拠法の選択がない場合) ; 第8条 # 前条の規定による選択がないときは、法律行為の成立及び効力は、当該法律行為の当時において当該法律行為に最も密接な関係がある地の法による。 # 前項の場合において、法律行為において特徴的な給付を当事者の一方のみが行うものであるときは、その給付を行う当事者の常居所地法(その当事者が当該法律行為に関係する事業所を有する場合にあっては当該事業所の所在地の法、その当事者が当該法律行為に関係する二以上の事業所で法を異にする地に所在するものを有する場合にあってはその主たる事業所の所在地の法)を当該法律行為に最も密接な関係がある地の法と推定する。 # 第1項の場合において、不動産を目的物とする法律行為については、前項の規定にかかわらず、その不動産の所在地法を当該法律行為に最も密接な関係がある地の法と推定する。 === 翻訳 === (In the Absence of Choice of Governing Law by the Parties)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 8 # In the absence of a choice of law under the preceding Article, the formation and effect of a juridical act are governed by the law of the place with which the act is most closely connected at the time of the act. # In the case referred to in the preceding paragraph, if only one of the parties is to provide a characteristic performance involved in a juridical act, the law of the habitual residence of the party providing the performance (in cases where the relevant party has a place of business connected with the juridical act, the law of the place of business; in cases where the relevant party has two or more the places of business which are connected with the juridical act and which are governed by different laws, the law of the principal place of business) is presumed to be the law of the place with which the act is most closely connected. # In the case referred to in paragraph (1), if the subject matter of the juridical act is real property, notwithstanding the provisions of the preceding paragraph, the law of the place where the real property is situated (lex rei sitae)is presumed to be the law of the place with which the act is most closely connected. === 法例 === ; 第7条 # 法律行為ノ成立及ヒ効力ニ付テハ当事者ノ意思ニ従ヒ其何レノ国ノ法律ニ依ルヘキカヲ定ム # '''当事者ノ意思カ分明ナラサルトキハ行為地法ニ依ル''' == 解説 == 本条は、[[w:法律行為|法律行為]]の成立・効力の[[w:準拠法|準拠法]]に関して、[[法の適用に関する通則法第7条|第7条]]の当事者による準拠法の選択がない場合について規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第2節 法律行為 |[[法の適用に関する通則法第7条]]<br />(当事者による準拠法の選択) |[[法の適用に関する通則法第9条]]<br />(当事者による準拠法の変更) }} [[category:法の適用に関する通則法|08]] 46ftbvdqcxcc54zwoq6bf95jtw5otyg カテゴリ:Pages using the JsonConfig extension 14 43345 263592 2024-11-16T09:12:43Z MathXplore 34897 ページの作成:「__HIDDENCAT__」 263592 wikitext text/x-wiki __HIDDENCAT__ 2twjmejn56ditxo46hqinfh52nh6flb 法の適用に関する通則法第9条 0 43346 263594 2024-11-16T09:20:15Z Fukupow 34984 新規作成 263594 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (当事者による準拠法の変更) ; 第9条 : 当事者は、法律行為の成立及び効力について適用すべき法を変更することができる。ただし、第三者の権利を害することとなるときは、その変更をその第三者に対抗することができない。 === 翻訳 === (Change of Governing Law by the Parties)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 9 : The parties may change the law otherwise applicable to the formation and effect of a juridical act; provided, however, that if that change prejudices the rights of a third party, it may not be duly asserted against the third party. == 解説 == 本条は、[[w:法律行為|法律行為]]の成立・効力の[[w:準拠法|準拠法]]に関して、当事者が変更することができることと、その場合に[[w:第三者|第三者]]の[[w:権利|権利]]を害することとなるときは、その変更をその第三者に対抗することができないことを規定している。 本法の前身にあたる「法例(明治31年6月21日法律第10号)」には明文規定がなく、学説においては準拠法の変更が可能であるする解釈が通説であった。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第2節 法律行為 |[[法の適用に関する通則法第8条]]<br />(当事者による準拠法の選択がない場合) |[[法の適用に関する通則法第10条]]<br />(法律行為の方式) }} [[category:法の適用に関する通則法|09]] 4off0r8h7inzvvfp3zc6zvfq6z2392o 法の適用に関する通則法第10条 0 43347 263597 2024-11-16T09:36:31Z Fukupow 34984 新規作成 263597 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (法律行為の方式) ; 第10条 # 法律行為の方式は、当該法律行為の成立について適用すべき法(当該法律行為の後に前条の規定による変更がされた場合にあっては、その変更前の法)による。 # 前項の規定にかかわらず、行為地法に適合する方式は、有効とする。 # 法を異にする地に在る者に対してされた意思表示については、前項の規定の適用に当たっては、その通知を発した地を行為地とみなす。 # 法を異にする地に在る者の間で締結された契約の方式については、前二項の規定は、適用しない。この場合においては、第1項の規定にかかわらず、申込みの通知を発した地の法又は承諾の通知を発した地の法のいずれかに適合する契約の方式は、有効とする。 # 前三項の規定は、動産又は不動産に関する物権及びその他の登記をすべき権利を設定し又は処分する法律行為の方式については、適用しない。 === 翻訳 === (Formalities for Juridical Act)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 10 # The formalities for a juridical act are governed by a law applicable to the formation of the act (the initially applicable law prior to the change is govern if the law was changed under the preceding Article after the juridical act). # Notwithstanding the provisions of the preceding paragraph, the formalities that comply with the law of the place where the relevant act was done are valid. # For the purpose of the application of the preceding paragraph, with regard to a manifestation of intention to a person in a place governed by a different law, the place from where the notice of the manifestation was dispatched is deemed to be the place where that act was done. # The preceding two paragraphs do not apply to the formalities for a contract concluded between persons in places governed by different laws.In this case, notwithstanding paragraph (1), the formalities for a contract that comply with either the law of the place from where the notice of offer was dispatched or the law of the place from where the notice of acceptance was dispatched are valid. # The preceding three paragraphs do not apply to the formalities for a juridical act to establish or dispose of a real right (a right in rem) with regard to movable or immovable, or any other right requiring registration. === 法例 === ; 第8条 # 法律行為ノ方式ハ其行為ノ効力ヲ定ムル法律ニ依ル # 行為地法ニ依リタル方式ハ前項ノ規定ニ拘ハラス之ヲ有効トス但物権其他登記スヘキ権利ヲ設定シ又ハ処分スル法律行為ニ付テハ此限ニ在ラス == 解説 == 本条は、形式的成立要件となる[[w:法律行為|法律行為]]の方式の[[w:準拠法|準拠法]]について規定している。 なお、法律行為のうち一定の消費者契約の方式に関しては、第11条第3項から第5項に特則が規定されている。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第2節 法律行為 |[[法の適用に関する通則法第9条]]<br />(当事者による準拠法の変更) |[[法の適用に関する通則法第11条]]<br />(消費者契約の特例) }} [[category:法の適用に関する通則法|10]] 1lrwedi5ze74f9lb7s3o7mjs838wvzj 法の適用に関する通則法第11条 0 43348 263598 2024-11-16T09:46:23Z Fukupow 34984 新規作成 263598 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (消費者契約の特例) ; 第11条 # 消費者(個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く。)をいう。以下この条において同じ。)と事業者(法人その他の社団又は財団及び事業として又は事業のために契約の当事者となる場合における個人をいう。以下この条において同じ。)との間で締結される契約(労働契約を除く。以下この条において「消費者契約」という。)の成立及び効力について第7条又は第9条の規定による選択又は変更により適用すべき法が消費者の常居所地法以外の法である場合であっても、消費者がその常居所地法中の特定の強行規定を適用すべき旨の意思を事業者に対し表示したときは、当該消費者契約の成立及び効力に関しその強行規定の定める事項については、その強行規定をも適用する。 # 消費者契約の成立及び効力について第7条の規定による選択がないときは、第8条の規定にかかわらず、当該消費者契約の成立及び効力は、消費者の常居所地法による。 # 消費者契約の成立について第7条の規定により消費者の常居所地法以外の法が選択された場合であっても、当該消費者契約の方式について消費者がその常居所地法中の特定の強行規定を適用すべき旨の意思を事業者に対し表示したときは、前条第1項、第2項及び第4項の規定にかかわらず、当該消費者契約の方式に関しその強行規定の定める事項については、専らその強行規定を適用する。 # 消費者契約の成立について第7条の規定により消費者の常居所地法が選択された場合において、当該消費者契約の方式について消費者が専らその常居所地法によるべき旨の意思を事業者に対し表示したときは、前条第2項及び第4項の規定にかかわらず、当該消費者契約の方式は、専ら消費者の常居所地法による。 # 消費者契約の成立について第7条の規定による選択がないときは、前条第1項、第2項及び第4項の規定にかかわらず、当該消費者契約の方式は、消費者の常居所地法による。 # 前各項の規定は、次のいずれかに該当する場合には、適用しない。 :# 事業者の事業所で消費者契約に関係するものが消費者の常居所地と法を異にする地に所在した場合であって、消費者が当該事業所の所在地と法を同じくする地に赴いて当該消費者契約を締結したとき。ただし、消費者が、当該事業者から、当該事業所の所在地と法を同じくする地において消費者契約を締結することについての勧誘をその常居所地において受けていたときを除く。 :# 事業者の事業所で消費者契約に関係するものが消費者の常居所地と法を異にする地に所在した場合であって、消費者が当該事業所の所在地と法を同じくする地において当該消費者契約に基づく債務の全部の履行を受けたとき、又は受けることとされていたとき。ただし、消費者が、当該事業者から、当該事業所の所在地と法を同じくする地において債務の全部の履行を受けることについての勧誘をその常居所地において受けていたときを除く。 :# 消費者契約の締結の当時、事業者が、消費者の常居所を知らず、かつ、知らなかったことについて相当の理由があるとき。 :# 消費者契約の締結の当時、事業者が、その相手方が消費者でないと誤認し、かつ、誤認したことについて相当の理由があるとき。 === 翻訳 === (Special Provisions for Consumer Contracts)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 11 # Even when the law applicable to the formation and effect of a contract (excluding a labor contract: hereinafter referred to as a "Consumer Contract" in this Article) between a consumer (meaning an individual, excluding an individual who becomes a party to a contract as a business or for a business; hereinafter the same applies in this Article) and a business operator (meaning a juridical person and any other association or foundation and an individual who becomes a party to a contract as a business or for a business; hereinafter the same applies in this Article) as a result of a choice or a change of law under Article 7 or Article 9 is a law other than the law of the consumer's habitual residence, if the consumer has manifested their intention to the business operator that a specific mandatory provisions from within the law of the consumer's habitual residence should be applied, the mandatory provisions also apply to the matters stipulated by the mandatory provisions with regard to the formation and effect of the Consumer Contract. # Notwithstanding Article 8, in the absence of a choice of law under Article 7 with regard to the formation and effect of a Consumer Contract, the formation and effect of the Consumer Contract are governed by the law of the consumer's habitual residence. # Even where a law other than the law of a consumer's habitual residence is chosen under Article 7 with regard to the formation of a Consumer Contract, if the consumer has manifested their intention to the business operator that a specific mandatory provisions from within the law of the consumer's habitual residence should be applied to the formalities for the Consumer Contract, the mandatory provisions exclusively apply to the matters stipulated by the mandatory provisions with regard to the formalities for the Consumer Contract, notwithstanding paragraphs (1), (2) and (4) of the preceding Article. # Where the law of a consumer's habitual residence is chosen under Article 7 with regard to the formation of a Consumer Contract, if the consumer has manifested their intention to the business operator that the formalities for the Consumer Contract should be governed exclusively by the law of the consumer's habitual residence, the formalities for the Consumer Contract are governed exclusively by the law of the consumer's habitual residence, notwithstanding paragraphs (2) and (4) of the preceding Article. # In the absence of a choice of law under Article 7 with regard to the formation of a Consumer Contract, notwithstanding paragraphs (1), (2) and (4) of the preceding Article, the formalities for the Consumer Contract are governed by the law of the consumer's habitual residence. # The preceding paragraphs of this Article do not apply in any of the following cases: :# where a business operator's place of business that is connected with a Consumer Contract is located in a place governed by a different law from the law of a consumer's habitual residence, and the consumer proceeds to a place governed by the same law as the law of the place of business and concludes the Consumer Contract there; provided, however, that this does not apply where the consumer has been, in the place of their habitual residence, solicited by the business operator to conclude the Consumer Contract in a place governed by the same law as the law of the place of business; :# where a business operator's place of business that is connected with a Consumer Contract is located in a place governed by a different law from the law of a consumer's habitual residence, and the consumer has received or has been supposed to receive the entire performance of the obligation under the Consumer Contract in a place governed by the same law as the law of the place of business; provided, however, that this does not apply where the consumer is, in the place of their habitual residence, solicited by the business operator to receive the entire performance of the obligation in a place governed by the same law as the law of the place of business; :# where at the time of conclusion of a Consumer Contract a business operator did not know a consumer's habitual residence, and had adequate grounds for not knowing that; or :# where at the time of conclusion of a Consumer Contract a business operator misidentified the counterparty as not being a consumer, and had adequate grounds for making that misidentification. == 解説 == 本条は、[[w:法律行為|法律行為]]のうち消費者契約について、[[w:消費者保護|消費者保護]]の観点から一定の消費者契約に対する特則を規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第2節 法律行為 |[[法の適用に関する通則法第10条]]<br />(法律行為の方式) |[[法の適用に関する通則法第12条]]<br />(労働契約の特例) }} [[category:法の適用に関する通則法|11]] 4v15cd67bozgdescc2g2j2edfpygil8 法の適用に関する通則法第12条 0 43349 263599 2024-11-16T09:50:28Z Fukupow 34984 新規作成 263599 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (労働契約の特例) ; 第12条 # 労働契約の成立及び効力について第7条又は第9条の規定による選択又は変更により適用すべき法が当該労働契約に最も密接な関係がある地の法以外の法である場合であっても、労働者が当該労働契約に最も密接な関係がある地の法中の特定の強行規定を適用すべき旨の意思を使用者に対し表示したときは、当該労働契約の成立及び効力に関しその強行規定の定める事項については、その強行規定をも適用する。 # 前項の規定の適用に当たっては、当該労働契約において労務を提供すべき地の法(その労務を提供すべき地を特定することができない場合にあっては、当該労働者を雇い入れた事業所の所在地の法。次項において同じ。)を当該労働契約に最も密接な関係がある地の法と推定する。 # 労働契約の成立及び効力について第7条の規定による選択がないときは、当該労働契約の成立及び効力については、第8条第2項の規定にかかわらず、当該労働契約において労務を提供すべき地の法を当該労働契約に最も密接な関係がある地の法と推定する。 === 翻訳 === (Special Provisions for Labor Contracts)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 12 # Even where the applicable law to the formation and effect of a labor contract as a result of a choice or change under Article 7 or Article 9 is a law other than the law of the place with which the labor contract is most closely connected, if a worker has manifested their intention to an employer that a specific mandatory provisions from within the law of the place with which the labor contract is most closely connected should be applied, that mandatory provisions also apply to the matters stipulated in the mandatory provisions with regard to the formation and effect of the labor contract. # For the purpose of the application of the preceding paragraph, the law of the place where the work should be provided under the labor contract (in cases where that place cannot be identified, the law of the place of business at which the worker was employed; the same applies in paragraph (3)) is presumed to be the law of the place with which the labor contract is most closely connected. # In the absence of a choice of law under Article 7 with regard to the formation and effect of a labor contract, notwithstanding Article 8, paragraph (2), the law of the place where the work should be provided under the labor contract is presumed to be the law of the place with which the labor contract is most closely connected with regard to the formation and effect of the labor contract. == 解説 == 本条は、[[w:法律行為|法律行為]]のうち[[w:労働契約|労働契約]]について、労働者保護の観点から労働契約に対する特則を規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第2節 法律行為 |[[法の適用に関する通則法第11条]]<br />(消費者契約の特例) |[[法の適用に関する通則法第13条]]<br />(物権及びその他の登記をすべき権利) }} [[category:法の適用に関する通則法|12]] kycnzdad7jeg4fsc9zriy240o1ye4i3 法の適用に関する通則法第13条 0 43350 263600 2024-11-16T09:58:02Z Fukupow 34984 新規作成 263600 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (物権及びその他の登記をすべき権利) ; 第13条 # 動産又は不動産に関する物権及びその他の登記をすべき権利は、その目的物の所在地法による。 # 前項の規定にかかわらず、同項に規定する権利の得喪は、その原因となる事実が完成した当時におけるその目的物の所在地法による。 === 翻訳 === (Real Right and Other Right Requiring Registration)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 13 # A real right to movables or immovables and any other right requiring registration are governed by the law of the place where the subject property of the right is situated. # Notwithstanding the provisions of the preceding paragraph, acquisition or loss of a right prescribed in that paragraph is governed by the law of the place where the subject property of the right is situated at the time when the facts constituting the cause of the acquisition or loss were completed. === 法例 === ; 第10条 # 動産及ヒ不動産ニ関スル物権其他登記スヘキ権利ハ其目的物ノ所在地法ニ依ル # 前項ニ掲ケタル権利ノ得喪ハ其原因タル事実ノ完成シタル当時ニ於ケル目的物ノ所在地法ニ依ル == 解説 == 本条は、[[w:動産|動産]]・[[w:不動産|不動産]]に関する物件およびその他の[[w:登記|登記]]をすべき[[w:権利|権利]]について規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第3節 物権等 |[[法の適用に関する通則法第12条]]<br />(消費者契約の特例) |[[法の適用に関する通則法第14条]]<br />(物権及びその他の登記をすべき権利) }} [[category:法の適用に関する通則法|13]] bb3fb2mi4wwg45sf67d9kkuvhe4lec6 法の適用に関する通則法第14条 0 43351 263605 2024-11-16T10:09:50Z Fukupow 34984 新規作成 263605 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (事務管理及び不当利得) ; 第14条 : 事務管理又は不当利得によって生ずる債権の成立及び効力は、その原因となる事実が発生した地の法による。 === 翻訳 === (Management Without Mandate and Unjust Enrichment)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 14 : The formation and effect of a claim arising from management without mandate (negotiorum gestio) or unjust enrichment are governed by the law of the place where the facts constituting the cause of it occurred. === 法例 === ; 第11条 # '''事務管理、不当利得又ハ不法行為ニ因リテ生スル債権ノ成立及ヒ効力ハ其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル''' # 前項ノ規定ハ不法行為ニ付テハ外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキハ之ヲ適用セス # 外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依リテ不法ナルトキト雖モ被害者ハ日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非サレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス == 解説 == 本条は、[[w:事務管理|事務管理]]・[[w:不当利得|不当利得]]によって生ずる[[w:債権|債権]]の成立および効力について、その原因となる事実が発生した地の法によることを規定している。 本法の前身にあたる「法例(明治31年6月21日法律第10号)」では、同条において[[w:不法行為|不法行為]]も併記しているが、不法行為については第17条から第21条までの規定を新設している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第13条]]<br />(物権及びその他の登記をすべき権利) |[[法の適用に関する通則法第15条]]<br />(明らかにより密接な関係がある地がある場合の例外) }} [[category:法の適用に関する通則法|14]] kiee37a6se5g4vlq5czfybsm76o9klp 法の適用に関する通則法第15条 0 43352 263606 2024-11-16T10:14:23Z Fukupow 34984 新規作成 263606 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (明らかにより密接な関係がある地がある場合の例外) ; 第15条 : 前条の規定にかかわらず、事務管理又は不当利得によって生ずる債権の成立及び効力は、その原因となる事実が発生した当時において当事者が法を同じくする地に常居所を有していたこと、当事者間の契約に関連して事務管理が行われ又は不当利得が生じたことその他の事情に照らして、明らかに同条の規定により適用すべき法の属する地よりも密接な関係がある他の地があるときは、当該他の地の法による。 === 翻訳 === (Exception for Cases Where Another Place Is Obviously More Closely Connected)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 15 : Notwithstanding the provisions of the preceding Article, the formation and effect of a claim arising from management without mandate or unjust enrichment are governed by the law of the place that is obviously more closely connected with the management without mandate or unjust enrichment than the place indicated in the that Article, in light of that the parties had their habitual residence in the places governed by the same law at the time of the occurrence of the facts constituting the cause of the management without mandate or unjust enrichment, that management without mandate was performed or unjust enrichment arose in connection with a contract concluded between the parties, or any other circumstances concerned. == 解説 == 本条は、[[w:事務管理|事務管理]]・[[w:不当利得|不当利得]]によって生ずる[[w:債権|債権]]の成立および効力について、[[法の適用に関する通則法第14条|第14条]]の規定によって定まる準拠法が属する地よりも明らかに密接な関係のある地があるときは、当該他の地の法による例外条項を規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第14条]]<br />(事務管理及び不当利得) |[[法の適用に関する通則法第16条]]<br />(当事者による準拠法の変更) }} [[category:法の適用に関する通則法|15]] p6k1wzjg8xpim4p9gtczyt2n6sn0xav 法の適用に関する通則法第16条 0 43353 263607 2024-11-16T10:19:51Z Fukupow 34984 新規作成 263607 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (当事者による準拠法の変更) ; 第16条 : 事務管理又は不当利得の当事者は、その原因となる事実が発生した後において、事務管理又は不当利得によって生ずる債権の成立及び効力について適用すべき法を変更することができる。ただし、第三者の権利を害することとなるときは、その変更をその第三者に対抗することができない。 === 翻訳 === (Change of Governing Law by the Parties)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 16 : The parties to the management without mandate or unjust enrichment may change a law applicable to the formation and effect of a claim arising from the management without mandate or unjust enrichment after the facts constituting the cause of it occurred; provided, however, that if the change prejudices the rights of a third party, it may not be duly asserted against the third party. == 解説 == 本条は、[[w:事務管理|事務管理]]・[[w:不当利得|不当利得]]によって生ずる[[w:債権|債権]]の成立および効力について、その原因となる事実が発生した後において、[[法の適用に関する通則法第14条|第14条]]または[[法の適用に関する通則法第15条|第15条]]の規定によって定まる[[w:準拠法|準拠法]]を変更できることを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第15条]]<br />(事務管理及び不当利得) |[[法の適用に関する通則法第17条]]<br />(当事者による準拠法の変更) }} [[category:法の適用に関する通則法|16]] n98zejkcnjqsmxdgp3vltv1yrf1zdwf 法の適用に関する通則法第17条 0 43354 263608 2024-11-16T10:28:22Z Fukupow 34984 新規作成 263608 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (不法行為) ; 第17条 : 不法行為によって生ずる債権の成立及び効力は、加害行為の結果が発生した地の法による。ただし、その地における結果の発生が通常予見することのできないものであったときは、加害行為が行われた地の法による。 === 翻訳 === (Tort)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 17 : The formation and effect of a claim arising from a tort is governed by the law of the place where the result of the wrongful act occurred; provided, however, that if the occurrence of the result at the relevant place was ordinarily unforeseeable, the law of the place where the wrongful act was committed is govern. === 法例 === ; 第11条 # '''事務管理、不当利得又ハ不法行為ニ因リテ生スル債権ノ成立及ヒ効力ハ其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル''' # 前項ノ規定ハ不法行為ニ付テハ外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキハ之ヲ適用セス # 外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依リテ不法ナルトキト雖モ被害者ハ日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非サレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス == 解説 == 本条は、[[w:不法行為|不法行為]]によって生ずる[[w:債権|債権]]の成立および効力について、原則として加害行為の結果が発生した地の法によるが、その地における結果の発生が通常予見することのできないものであったときは、加害行為が行われた地の法によることを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第16条]]<br />(事務管理及び不当利得) |[[法の適用に関する通則法第18条]]<br />(当事者による準拠法の変更) }} [[category:法の適用に関する通則法|17]] oqy5idfpufhz7gtoexkrqzsvgfajo3c 法の適用に関する通則法第18条 0 43355 263609 2024-11-16T10:35:48Z Fukupow 34984 新規作成 263609 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (生産物責任の特例) ; 第18条 : 前条の規定にかかわらず、生産物(生産され又は加工された物をいう。以下この条において同じ。)で引渡しがされたものの{{ruby|瑕疵|かし}}により他人の生命、身体又は財産を侵害する不法行為によって生ずる生産業者(生産物を業として生産し、加工し、輸入し、輸出し、流通させ、又は販売した者をいう。以下この条において同じ。)又は生産物にその生産業者と認めることができる表示をした者(以下この条において「生産業者等」と総称する。)に対する債権の成立及び効力は、被害者が生産物の引渡しを受けた地の法による。ただし、その地における生産物の引渡しが通常予見することのできないものであったときは、生産業者等の主たる事業所の所在地の法(生産業者等が事業所を有しない場合にあっては、その常居所地法)による。 === 翻訳 === (Special Provisions for Product Liability)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 18 : Notwithstanding the preceding Article, where a claim arises from a tort involving injury to life, body or property of others, caused by a defect in a product (meaning a thing produced or processed; hereinafter the same applies in this Article) that is delivered, against a producer (meaning a person who has produced, processed, imported, exported, distributed or sold a product in the course of trade; hereinafter the same applies in this Article) or a person who has provided a representation on the product in a manner which allows the others to recognize such person as its producer (hereinafter collectively referred to as a "Producer, etc." in this Article), the formation and effect of the claim is governed by the law of the place where the victim received the delivery of the product; provided, however, that if the delivery of the product at the relevant place was ordinarily unforeseeable, the law of the principal place of business of the Producer, etc. (in cases where the Producer, etc. has no place of business, the law of their habitual residence) is govern. == 解説 == 本条は、[[w:生産物|生産物]]の[[w:瑕疵|瑕疵]]によって生ずる[[w:不法行為|不法行為]]の[[w:責任|責任]]について、原則として[[w:被害者|被害者]]が生産物の引渡しを受けた地の法によるが、その地における生産物の引渡しが通常予見することのできないものであったときは、生産業者等の主たる事業所の所在地の法によることを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第17条]]<br />(不法行為) |[[法の適用に関する通則法第19条]]<br />(名誉又は信用の{{ruby|毀|き}}損の特例) }} [[category:法の適用に関する通則法|18]] 7i0fshauttyjbg6kd1no02wd0v79ipk 法の適用に関する通則法第19条 0 43356 263611 2024-11-16T10:42:32Z Fukupow 34984 新規作成 263611 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (名誉又は信用の{{ruby|毀|き}}損の特例) ; 第19条 : 第17条の規定にかかわらず、他人の名誉又は信用を{{ruby|毀|き}}損する不法行為によって生ずる債権の成立及び効力は、被害者の常居所地法(被害者が法人その他の社団又は財団である場合にあっては、その主たる事業所の所在地の法)による。 === 翻訳 === (Special Provisions for Defamation)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 19 : Notwithstanding Article 17, the formation and effect of a claim arising from a tort of defamation of others is governed by the law of the victim's habitual residence (in cases where the victim is a juridical person or any other association or foundation, the law of its principal place of business). == 解説 == 本条は、他人の名誉または信用を毀損する[[w:不法行為|不法行為]]によって生ずる[[w:債権|債権]]の成立および効力について、[[w:被害者|被害者]]の常居所地法によることを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第18条]]<br />(生産物責任の特例) |[[法の適用に関する通則法第20条]]<br />(明らかにより密接な関係がある地がある場合の例外) }} [[category:法の適用に関する通則法|19]] 8vx7kokgw5hr1w8o7pvk3iii6449ucn 法の適用に関する通則法第20条 0 43357 263612 2024-11-16T10:48:28Z Fukupow 34984 新規作成 263612 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (明らかにより密接な関係がある地がある場合の例外) ; 第20条 : 前三条の規定にかかわらず、不法行為によって生ずる債権の成立及び効力は、不法行為の当時において当事者が法を同じくする地に常居所を有していたこと、当事者間の契約に基づく義務に違反して不法行為が行われたことその他の事情に照らして、明らかに前三条の規定により適用すべき法の属する地よりも密接な関係がある他の地があるときは、当該他の地の法による。 === 翻訳 === (Exception for Cases Where Another Place Is Obviously More Closely Connected)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 20 : Notwithstanding the provisions of the preceding three Articles, the formation and effect of a claim arising from a tort are governed by the law of the place with which the tort is obviously more closely connected than the place indicated in the preceding three Articles, in light of that the parties had their habitual residence in the places governed by the same law at the time of the occurrence of the tort, that the tort was committed in breach of the obligation under a contract between the parties, or any other circumstances concerned. == 解説 == 本条は、[[w:不法行為|不法行為]]によって生ずる[[w:債権|債権]]の成立および効力について、[[法の適用に関する通則法第17条|第17条(不法行為)]]、[[法の適用に関する通則法第18条|第18条(生産物責任の特例)]]、[[法の適用に関する通則法第19条|第19条(名誉又は信用の毀損の特例)]]の規定によって定まる[[w:準拠法|準拠法]]が属する地よりも明らかに密接な関係のある地があるときは、当該他の地の法による例外条項を規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第19条]]<br />(名誉又は信用の{{ruby|毀|き}}損の特例) |[[法の適用に関する通則法第21条]]<br />(当事者による準拠法の変更) }} [[category:法の適用に関する通則法|20]] 7k1rgs9ccyea53yzwa291s98zkdimo1 法の適用に関する通則法第21条 0 43358 263613 2024-11-16T10:53:00Z Fukupow 34984 新規作成 263613 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (当事者による準拠法の変更) ; 第21条 : 不法行為の当事者は、不法行為の後において、不法行為によって生ずる債権の成立及び効力について適用すべき法を変更することができる。ただし、第三者の権利を害することとなるときは、その変更をその第三者に対抗することができない。 === 翻訳 === (Change of Governing Law by the Parties)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 21 : The parties to a tort may, after the tort occurs, change a law applicable to the formation and effect of a claim arising from the tort; provided, however, that if the change prejudices the rights of a third party, it may not be duly asserted against the third party. == 解説 == 本条は、[[w:不法行為|不法行為]]によって生ずる[[w:債権|債権]]の成立および効力について、[[法の適用に関する通則法第17条|第17条(不法行為)]]、[[法の適用に関する通則法第18条|第18条(生産物責任の特例)]]、[[法の適用に関する通則法第19条|第19条(名誉又は信用の毀損の特例)]]、[[法の適用に関する通則法第20条|第20条(明らかにより密接な関係がある地がある場合の例外)]]の規定によって定まる[[w:準拠法|準拠法]]を変更できることを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第20条]]<br />(明らかにより密接な関係がある地がある場合の例外) |[[法の適用に関する通則法第22条]]<br />(不法行為についての公序による制限) }} [[category:法の適用に関する通則法|21]] 0rhop52b5762g8n5ovaa25ql45cnyen 法の適用に関する通則法第22条 0 43359 263614 2024-11-16T10:58:36Z Fukupow 34984 新規作成 263614 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (不法行為についての公序による制限) ; 第22条 # 不法行為について外国法によるべき場合において、当該外国法を適用すべき事実が日本法によれば不法とならないときは、当該外国法に基づく損害賠償その他の処分の請求は、することができない。 # 不法行為について外国法によるべき場合において、当該外国法を適用すべき事実が当該外国法及び日本法により不法となるときであっても、被害者は、日本法により認められる損害賠償その他の処分でなければ請求することができない。 === 翻訳 === (Restriction by Public Policy Regarding Tort)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 22 # In the case where a tort is governed by a foreign law, if facts to which the foreign law should be applied do not constitute a tort under Japanese law, no claim under the foreign law may be made for compensation or any other dispositions. # In the case where a tort is governed by a foreign law, even if facts to which the foreign law should be applied constitute a tort both under the foreign law and Japanese law, the victim may make a claim only for compensation or any other dispositions that may be permitted under Japanese law. === 法例 === ; 第11条 # 事務管理、不当利得又ハ不法行為ニ因リテ生スル債権ノ成立及ヒ効力ハ其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル # '''前項ノ規定ハ不法行為ニ付テハ外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキハ之ヲ適用セス''' # '''外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依リテ不法ナルトキト雖モ被害者ハ日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非サレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス''' == 解説 == 本条は、[[w:不法行為|不法行為]]の[[w:準拠法|準拠法]]が外国法になる場合において、不法行為によって生ずる[[w:債権|債権]]の成立および効力について[[w:日本法|日本法]]による制限を規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第21条]]<br />(当事者による準拠法の変更) |[[法の適用に関する通則法第23条]]<br />(債権の譲渡) }} [[category:法の適用に関する通則法|22]] 3o2iufnfftosryfebk2ax81lsuuqdfi 法の適用に関する通則法第23条 0 43360 263615 2024-11-16T11:02:10Z Fukupow 34984 新規作成 263615 wikitext text/x-wiki {{Pathnav|法学|コンメンタール|コンメンタール憲法|コンメンタール法の適用に関する通則法|frame=1}} == 条文 == (債権の譲渡) ; 第23条 : 債権の譲渡の債務者その他の第三者に対する効力は、譲渡に係る債権について適用すべき法による。 === 翻訳 === (Assignment of Claim)<ref>{{Cite web |url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3783 |title=法の適用に関する通則法 |website=日本法令外国語訳データベースシステム |publisher=法務省 |accessdate=2024-11-16}}</ref> ; Article 23 : The effect of an assignment of a claim, against the obligor and a third party, is governed by the law applicable to the claim assigned. === 法例 === ; 第12条 : 債権譲渡ノ第三者ニ対スル効力ハ債務者ノ住所地法ニ依ル == 解説 == 本条は、債権の譲渡の債務者その他の第三者に対する効力の[[w:準拠法|準拠法]]は、譲渡される債権について適用すべき法によることを規定している。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=小出邦夫編著 |date=2014-12-30 |title=逐条解説 法の適用に関する通則法〔増補版〕 |publisher=商事法務 |isbn=9784785722388}} {{stub}} {{前後 |[[コンメンタール法の適用に関する通則法|法の適用に関する通則法]] |第3章 準拠法に関する通則<br />第4節 債権 |[[法の適用に関する通則法第22条]]<br />(不法行為についての公序による制限) |[[法の適用に関する通則法第24条]]<br />(婚姻の成立及び方式) }} [[category:法の適用に関する通則法|23]] gr3eink5z3prhch25mqblp36748byqy 小学校社会/練習問題/4学年 0 43361 263616 2024-11-16T11:15:40Z ~2024-14079 84943 練習問題を追加しました。 263616 wikitext text/x-wiki 練習問題 社会 4年生 ※こちらの問題は、小学校社会/4学年に基づいて作成しています。 1.地形図 問1 山に囲まれた平たい土地はなんでしょう。 2.山の利用 3.海のある街 問1 魚が取れる港をなんと言うでしょう。 4.平地の利用 5.都道府県 問1 ()を埋めましょう  県全体の(  )を行っている役所の建物を(  )といいます。  県庁のある市町村のことを(     )といいます。 問2 次の都道府県の県庁のある市町村の名前を書きましょう (1)沖縄県→ (2)北海道→ (3)兵庫県→ (4)愛媛県→ (5)石川県→ (6)滋賀県→ 問3 次の県庁所在地のある都道府県の名前を書きましょう (1)仙台市→ (2)水戸市→ (3)前橋市→ (4)宇都宮市→ (5)横浜市→ (6)松江市→ 問4 次の組み合わせで違うものに×を書きましょう。そして正しい都道府県名を書きましょう。 (1)さいたま市→群馬県 (2)鳥取市→島根県 (3)千葉市→千葉県 (4)新宿区→愛知県 clp3b3o4pmnr5roe8b4bo8oib1uk9wp