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/* Wikimedians of Japan User Group 2024-10 */ 新しい節
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text/x-wiki
{{井戸端}}
== ブロック依頼:[[User:P9iKC7B1SaKk]]氏 ==
[[Wikisource:削除依頼/アーカイブ/2023年#(*)「セルブ・クロアート・スロヴェーヌ」王国建国史_-_ノート]]、[[利用者・トーク:JOT_news#カテゴリへの追加について]]、[[#機械翻訳の濫用?]]などにおいて、針小棒大な発言を繰返し、コミュニティを疲弊させています。[[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk#言葉遣いについて]]において抑制をお願いしましたが、聞き入れないばかりか、[[#管理者権限の停止依頼]]を提出し、噛み合わない議論を続けるばかりです。コミュニケーションへの姿勢を改めていただければこの依頼は不要となりますが、他プロジェクトの文書ではありますが、[[w:Wikipedia:礼儀を忘れない]]などをご熟読いただき、お考えを改めていただくまで、1か月程度のブロックを提起します。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2023年11月11日 (土) 13:04 (UTC)
:{{コメント}} 私としては針小棒大ではなくむしろ意味のある書き込みをしているという自負があります。ましてや他人をからかったことなど一度もありません。改めるべきはどちらなのか、冷静になって考えていただければと思います。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月11日 (土) 13:54 (UTC)
:[[:w:Wikipedia:礼儀を忘れない]]を確認させていただきました。Kzhrさんのこの投稿は'''深刻な事例'''に相当する「追放や投稿ブロックを不当に要求すること」に該当する可能性があります。追放や投稿ブロックは、私が提案しているKzhrさんへの管理者権限停止よりも明らかに重いものです。針小棒大な発言をしているのもKzhrさんのほうです。取り消し編集に「バンダリズム」とログ要約欄に書き込んだ件ではJOT Newsさんと編集合戦が起きたわけでもなく穏便に話し合いで解決しつつあったのです。トラブルの当事者でないKzhrさんが他人の感情を勝手に決めつけて私を批判し続けていることが問題の本質なのです。バンダリズムという単語にKzhrさんが強い拒否反応を示されているのはおかしいと思います。私を含め誰もが悪意なくバンダリズムをやってしまう恐れがあり、悪意の有無に関係なくバンダリズムをバンダリズムと冷静に指摘しつつ取り消し編集するのは正しいことです。さもなければバンダリズム編集がし放題になってしまいます。「バンダリズム」との指摘をログ要約欄に書き込まれただけで怒る短絡的な人こそ追放や投稿ブロックにふさわしいのではないでしょうか。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 05:11 (UTC)
::JOT Newsさんとの間だけのことのように議論をずらすのはやめていただけますか。また、百歩譲って穏便に解決したのだとしても、過剰に批判的な言辞をものしていいことにもなりませんし、また、バンダリズムの自己流解釈についても指摘を受け止められないという証拠を強化はしても、P9iKC7B1SaKkさんにとって有利になるとはとても思えません。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 14:09 (UTC)
:::{{コメント}} 「[[:w:Wikipedia:荒らし]]」によると、荒らしとは「百科事典の品質を故意に低下させようとするあらゆる編集のこと」でありつつも、「百科事典を改良しようとなされた善意の努力は、間違いや見当違いや不適切なものでも、荒らしとは捉えない」とあります。
:::「金融」と「革命」というかなり抽象的なカテゴリにお気に入りブックマークのように小説などの作品を追加していくのは、Kzhrさんには善意の努力に見えたのかもしれませんが、私には善意の努力には見えませんでした。よって、私はこれを荒らしと判断し、取り消し編集を行いました。あれこれと要約欄に書き込むのも不自然なので感情が入らないよう淡々とバンダリズムと書いたのは今でも最も適切な対応だったと思っています。実際、それを見たであろうJOT Newsさんから説明を求める問い合わせはありましたが、感情的で否定的な反応は来ていません。納得してくれたと思います。Kzhrさんが荒らしでないと思うのであれば、JOT Newsさんの「金融」と「革命」へのカテゴリへの作品追加を復元なさってください。復元しないのであればその理由を明確に説明してください。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 14:27 (UTC)
:::{{コメント}} 過剰に批判的な言辞かどうかの判断をKzhrさんの主観だけで決めようとするのは良くありません。JOT Newsさんによるカテゴリ追加が客観的に善意の編集であることをKzhrさんに説明して頂く必要があります。善意を説明できないなら荒らしということになります。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 14:48 (UTC)
:::{{コメント}} 一般論の「善意」ではわかりにくいでしょうから、法律用語としての「善意」、具体的には「ユーザーページのページを以外を私的な用途に使ってはいけない」という事実をJOT Newsさんが知らなかったかどうかを論点にして頂くと良いかと思います。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 15:19 (UTC)
:::{{コメント}} 訂正します。「ユーザーページのページを以外を私的な用途に使ってはいけない」→「自分のユーザー名前空間以外のページを私的な用途に使ってはいけない」--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 15:23 (UTC)
:::{{コメント}} 改めて、整理しますと、JOT Newsさんが「ユーザーページ以外のページを私的な用途に使ってはいけない」という事実を知らなかったと証明された場合は「善意による編集」であって荒らしではないので私のバンダリズムとの記述は過剰に批判的な言辞である、ということになります。Kzhrさん、以上の点をふまえて、説明をお願いします。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 15:34 (UTC)
:::{{コメント}} Kzhrさんは「JOT Newsさんによるカテゴリ追加はそもそも私的な用途ではなく公的な用途である」という論駁も可能です。その場合は、私的な用途ではないのですからJOT Newsさんによるカテゴリ追加を復元すべきと思います。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 16:00 (UTC)
:{{コメント}} 相手と話し合うことなしに「ログ要約欄にバンダリズム(あるいはrvvも)を書き込んではいけない」という独自ルールを作って他人に押し付けようしているのが、客観的なKzhrさんの状態です。私がKzhrさんの管理者権限の停止を求めている一番の理由もここにあります。規則のどこを読んでもそのような解釈はできないので話がかみ合わないのです。私は、他のユーザーさんが荒らしと対話してから取り消し作業をするところをまだ一度も見たことがありません。Kzhrさんは経験があるでしょうから、その時のログを提示できるかと思います。ログのご提示をお願いいたします。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 16:49 (UTC)
* {{賛成}} このセクションだけを見ても、数時間のうちに何度もコメントを残しておられますので、思いついた反駁を都度記載されているように見受けます。議論をするには、冷静に内容を読み直し、自身の意見をまとめる時間が必要かと思います。よってブロックに賛成票を投じます。期間については対処者に一任します。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 17:04 (UTC)
*:{{コ}}'''追記''' 会話を試みた結果、「[[w:ja:Wikipedia:児童・生徒の方々へ|Wikipedia:児童・生徒の方々へ]]」の対象者かもしれないと感じました。期間は一任の意見は変わりませんが、実年齢の推測が私には出来ないため、無期限にも反対しません。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2023年11月19日 (日) 07:26 (UTC)<small>linkを失敗していました。失礼しました。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2023年11月23日 (木) 05:40 (UTC)</small>
:{{反対}} 連続投稿を不快に思われたかたがたに、お詫びします。以後連投しないよう気を付けます。ブロックは困るので自分自身への反対票を投じさせてください。もしブロックと決まった場合はどうか来週まで猶予期間を下さい。現在、わりと大物を作っている最中で今週中に入力完成の見込みです。それをまとめてWikisourceに書き込む時間とWikisourceでの実動作確認をして調節する時間をどうしても頂きたいのです。ご理解のほどお願いいたします。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月12日 (日) 17:36 (UTC)
::ご自身のブロック依頼へ票を投じることはできません([[w:Wikipedia:投稿ブロック依頼#依頼・コメント資格について]])。ルールを把握してください。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2023年11月13日 (月) 11:48 (UTC)
* {{賛成}} しばらく被依頼者を様子見していましたが、初対面の人に対していきなり「バンダリズム」呼ばわり、バンダリズムと言ったことに説明を求められても具体的な回答は無し、言動を注意されても俺は悪くないの一点張りと呆れるばかりでした。様々な議論を引っ搔き回し他の利用者を振り回した挙句、自分が投稿ブロックされる可能性が出てくれば猶予をくれとは随分と虫が良すぎませんか。以上から被依頼者の投稿ブロックに賛成します。<del>期間は今のところは一任しますが、期間を定めないことも反対しません。</del>--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2023年11月13日 (月) 12:17 (UTC) {{small|票を修正。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2023年11月17日 (金) 17:16 (UTC)}}
** {{コ}} 票を賛成(期間:一任)から賛成(期間:無期限)に変更します。[[特別:差分/213876|こちらの編集]]ですが、対立した方に対してああすればよかったなどと言うのは、正直反省してから出る言動とは思えません。諫められたのは単語の選び方だけでなく、無礼な態度・姿勢も含まれていることにまだ気付かないのでしょうか。一定期間が経過しても状況は変わらないと判断し、投稿ブロックの期間は定めない票に変更します。「私は今後、一切自治活動をしません」とのことですが、いわゆる管理系以外のページでも軋轢を生むことは目に見えていますから、あまり意味のない宣言だと私は思います。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2023年11月17日 (金) 17:16 (UTC)
*:{{コメント}} @[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]]さん、バンダリズムと言ったことへの具体的な回答は十分に行いました。ログをお読みになってください。初対面かどうかは関係ありません。年季が長かろうが荒らしは荒らしなのです。JOT Newsさんの編集が荒らしではないと思うのであれば、金融カテゴリへの作品追加を復元してさしあげてください。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月13日 (月) 12:37 (UTC)
*:{{コメント}} 私が広義のバンダリズムと判断して取り消し処理で[[:カテゴリ:金融]]を除去した作品を以下に列挙します。
*:* [[R.U.R./第2幕]] ※ただしログにバンダリズムとの記載なし
*:* [[クルアーン/雌牛章]]
*:* [[魔術]]
*:* [[カシノの昂奮]]
*:* [[二十世紀の巴里/第十三章]]
*:* [[新聞評]]
*:* [[国際社会主義者評論 (1900-1918)/第1巻/第1号/イギリスと国際社会主義]]
*:* [[MIVILUDES2004年度報告書]]
*:* [[国際社会主義者評論 (1900-1918)/第1巻/第1号/金権政治か民主主義か? ]]
*:* [[ブラジルの金融情勢]]
*:JOT Newsさんによる上記作品の金融カテゴリ追加が荒らしでないと思う方は、JOT Newsさんの名誉のために上記作品を金融カテゴリに復元してあげてください。復元しない場合はしない理由を教えてください。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月13日 (月) 12:49 (UTC)
*::バンダリズムではないなら復元すべきだというのは論理破綻です。一般的なバンダリズムの解釈には当たらないと言っているだけで、そのカテゴリが妥当かどうかについては述べていません。他の参加者を荒しだと呼ぶということは、共同作業の拒否を意味するわけで、だからこそ妥当ではないと考えたとしても敬意をもって接するよう努めてきたわけです。共同作業を大事にしないと仰るのであれば、いっしょにやっていくことは難しいので、それを改めていただきたいというのがこのブロック依頼の趣旨です。重要なコンテンツを投稿したいといったことは考慮に値しません。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2023年11月13日 (月) 13:50 (UTC)
*:::{{コメント}} 返信ありがとうございます。「荒らし」や「バンダリズム」はあくまでも特定の行為でありその人の人格否定や侮辱を伴うものではないと思っていました。時にだれでもうっかりや出来心でやってしまうものだと思っていました。たとえ話で恐縮ですが、サッカーにハンドやオフサイドやファールというルール違反があります。あなたの今のプレイはファールだと指摘したからと言って敬意の欠如にならないのと同様に、バンダリズムとの指摘ももっと軽いものと思っていました。バンダリズムとは違う正しい名称があるのであれば以後はそれを使いますのでお教えください。あともう一点、「[[利用者・トーク:JOT_news#カテゴリへの追加について]]」でのJOT Newsさんに対する私の書き込みで敬意を欠いている部分についてご指摘ください。改善します。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月13日 (月) 14:24 (UTC)
*:::{{コメント}} 連投になって申し訳ありません。私は相手の行いを事細かにあげつらって批判するのをさけるためのわざとふんわりしたあいまいな表現をしたくて「バンダリズム」や「他の人が迷惑です」と書き込んだつもりでした。英語の辞書の定義のままの行為としてのvandalismと思い込んでいました。「バンダリズム」や「他の人が迷惑です」がふさわしくないようですので、適切な表現をご教示ください。そのカテゴリが妥当でない理由を教えていただければ、以後その表現を使います。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月13日 (月) 15:16 (UTC)
*::{{コメント}} 今後は、身勝手な判断で自治行為まがいのことをしませんのでお許しください。落書きなどの明らかな荒らしではない編集への介入は一切しないようにします。私はウィキソースの文化をよくわかっていませんでした。反省しています。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月13日 (月) 16:31 (UTC)
:{{提案}} 私なりに穏便な取り消しログ文言を考えてみました。「持続困難」です。判断基準があいまいなので他の人が作業を引き取れない、他の作品に同じことを適用する労力が大きすぎる、などの意味です。今どきよく聞く「持続可能」の反対である「持続不可能」だと強すぎるので、控え目に「持続困難」にしてあります。
:こんなことを提案してみましたが、私は今後、一切自治活動をしませんので、どうかご安心を。改めて謝罪いたします。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年11月14日 (火) 02:58 (UTC)
:{{コメント}} 「持続困難」といったログ文面を提案するなどのことは、被依頼者が問題を十分に理解したとはあまり思えないのですが(適切な表現を教えてほしいとありますが、世の中のマナーの本・敬語の本など読まれればよいと思います)、さしあたって被依頼者が軋轢を生むような投稿を止めたため、この依頼の緊急性はひとまず失われたかに思われますので、依頼者としては取り下げてもよいかと思いますがいかがでしょうか。ただし、ご賛同の声も強かったことは銘記すべきで、被依頼者は今後原典の投稿に専念なさるべきことを強く申し添えたく思います。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2023年11月23日 (木) 01:04 (UTC)
::{{返信}} 今後、コミュニティを消耗させることはないだろうという判断であれば、依頼の取り下げ、あるいは今回は対処せずの終了にも、異議を唱えるものではありません。ただ、今のところ賛成票の撤回をするには至っていないと、私は考えています。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2023年11月23日 (木) 05:23 (UTC)
:: {{コメント}} 正直ウィキソース内での活動場所を少し狭めたのみで、被依頼者が問題を理解しているとは私も思えません。利用者ページで不穏なことを投稿しているところを見るに、利用者ページを介して問題を引き起こすことは目に見えています(そもそも利用者ページを日記のように使うのってどうなの?と思うのですが一旦置いておきます)。投稿ブロックの建前は「問題発生の予防」「被害発生の回避」な訳ですが、[[w:ja:Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者|コニュニティを消耗させた]]実績がある以上は、投稿ブロックはそれら建前とも反しないと思います。依頼取り下げに反対するとまでは言いませんが、少なくとも私の賛成票は撤回せずそのままにしておきます。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2023年11月23日 (木) 05:33 (UTC)
::{{コメント}}ご返信どうもありがとうございます。利用者ページのほう確認しましたが、ブロックをちら付かせているという繰返しの発言がありましたので、文書を読んであらたまる類いのものではないのだろうという結論に傾きつつあります。利用者ページであれば他者への自由な発言をしていいわけではありません。無期限のブロックもやむなしと考えますが、自身で提起したブロック依頼ですので、他の管理者の方にご結論をまとめていただきたいと思っています。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2023年12月1日 (金) 07:01 (UTC)
:管理者のかたにお願いです。攻撃的な言動で他者の書き込みに対する脅迫や言論統制を行おうとしているのはどちらなのか、公正な判断をお願いいたします。ウィキペディアの議論は発達障害などさまざまな障害を抱えた人でも平等に参加できる開かれた仕組みは大切だと思います。ですが、少人数による形ばかりの多数決が常に正しい結論を導き出せるとは限らないと思います。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2023年12月23日 (土) 00:46 (UTC)
:私がウィキソースからいなくなるか、@[[利用者:Kzhr|Kzhr]]・@[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]]・@[[利用者:安東大將軍倭國王|安東大將軍倭國王]]・@[[利用者:温厚知新|温厚知新]]の4人がウィキソースからいなくならない限り、この問題は解決しません。和解は不可能です。決断をお願いします。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年2月3日 (土) 07:31 (UTC)
:{{賛成}} (ただし期限付き)賛成されている方々のご意見は十分理解できます。私も何度か意見の衝突を経験しました。ただ、P9iKC7B1SaKkさんの[[User:P9iKC7B1SaKk|利用者ページ]]冒頭の投稿作品一覧からも分かる通り、フォーマットに関する意見の違いはあるものの、わずかの間に膨大な貢献をされました。この点を併せて考慮いただければ幸いです。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年2月10日 (土) 06:23 (UTC)
::{{返信}} 無期限は「期限をさだめ無い」を意味するものだと考えます。被依頼者が自身の問題点を把握し、改善できるのならば、ブロック解除もできるでしょう。私見ながら、機械翻訳に関するものでもありますが、「わずかの間に膨大な貢献」をされるのは困ります。P9iKC7B1SaKk さんが[[利用者:P9iKC7B1SaKk|利用者ページ]]で仰ることに頷ける部分もありますが、「自分は校正をしたくないけれど、したい人がすればいい」ということでは、先が思いやられます。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年2月10日 (土) 08:59 (UTC)
** {{コ}}Wikisourceではメーリングリストが整備されていないことから無期限は事実上の永久になってしまう可能性があります。私自身はほぼ交渉がないためどのような活動をしていたかは把握しておりませんが、もしブロックとなる場合ですが、まずは期限を定めたブロックを行い、解除後問題が発生する場合、無期限を検討すべきと考えます。なおあくまでも立場としては中立ですが、無期限には反対よりです。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2024年2月11日 (日) 01:02 (UTC)
*** {{コメント}} 今のところは会話ページを塞ぐことにはなっていませんので、投稿ブロック解除の申請は自身の会話ページで可能です(もっとも目的外な利用をすれば塞ぐことになりますが)。ブロック解除の方針は日本語版ウィキソースにはありませんが、[[w:ja:Wikipedia:投稿ブロック解除依頼作成の手引き|日本語版ウィキペディア]]に準拠する形になるでしょうか。この辺りは別トピックで議論が必要ですね。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月11日 (日) 05:33 (UTC)
**:{{コ}} @[[利用者:Hideokun|Hideokun]]さん、私を期限付きブロックしたとしても問題解決はしないので、多数決と集合知によって私を無期限ブロックすべきです。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年2月11日 (日) 07:02 (UTC)
**:{{コ}}私が書き込んだ直後にIPユーザーが何かを書き込んだようですが、そのIPユーザーは私のなりすましではなく赤の他人です。私は無期限ブロックされてもIPユーザーや別アカウントで書き込んだりしないので、心配せず無期限ブロックしてください。最後にお願いです。特に@[[利用者:Hideokun|Hideokun]]さんにお願いです。[[Wikisource:管理者権限依頼#利用者:Kzhr]]にも書き込みましたが、Kzhrさんに対する管理者権限除去依頼を削除せずそのまま維持してください。管理者ユーザーとしてのKzhrさんを見張り続けるために除去依頼の維持が必要です。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年2月11日 (日) 07:34 (UTC)
**:{{コメント}} 私の読み違えでしたら申し訳ないのですが、P9iKC7B1SaKk さんが Hideokun さんに今求めているのは、<u>「[[ja:w:泣いて馬謖を斬る]]」</u>ことではないでしょうか。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年2月11日 (日) 15:39 (UTC) <small>下線部を誤字修正+Link --[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年2月11日 (日) 16:38 (UTC)</small>
**::成程、泣いて馬謖を斬る、か。つまりあんたらにとっては規律を守ることが最大限に大事なのね。そのために一日中このサイトを監視して、問題人物を見つけたらブロックだ方針だ、合意だコミュニティだ騒ぎ立てて、正義の味方の学級委員長をきどるわけだ。別に我々戦争しているわけでも、そんな大したプロジェクトに身を投じているわけでもないのにね。結局一番重要なのは、規律を盾に目を吊り上げて他人を糾弾する事なんだね。--[[特別:投稿記録/82.221.137.162|82.221.137.162]] 2024年2月11日 (日) 16:51 (UTC)
**::規律と多数決。確かに一見民主主義が施行されているようにも見える。--[[特別:投稿記録/82.221.137.162|82.221.137.162]] 2024年2月11日 (日) 16:58 (UTC)
:私は一か月ブロックされましたが、私がKzhrさんに対する管理者権限停止の要請を取り下げることもなく、機械翻訳ページ削除の仕組みもできあがらないままです。次はどうされますか。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月7日 (日) 12:06 (UTC)
{{Reply to|Sakoppi|Hideokun}} 依頼提出から1か月以上、最終コメントから20日が経過しました。これ以上はコメントや票が出ないかと思いますので、議論の終結をお願いいたします。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2023年12月21日 (木) 09:34 (UTC)
{{Reply to|Sakoppi|Hideokun}} すみません、私のコメントから1か月経過しましたのでもう一度通知いたします。こちらの議論の終結をお願いいたします。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年1月21日 (日) 11:13 (UTC)
:@[[利用者:Sakoppi|Sakoppi]]さん、@[[利用者:Hideokun|Hideokun]]さん、 [[Wikisource:管理者権限依頼#除去依頼]]で提起したKzhrさんに対する管理者権限除去依頼についても、裁決をお願いいたします。一旦取り下げたのですが、Kzhrさんから攻撃的な書き込みがありましたので考え直して、除去依頼を再度提起させていただきました。また、@[[利用者:温厚知新|温厚知新]]さんから未成年者と揶揄する侮辱やこのブロック依頼の話題が進行中であることに便乗した脅迫的な書き込みを受けているため、この議論を終わらせていただけますと、幸いです。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年1月21日 (日) 11:46 (UTC)
{{Reply to|Syunsyunminmin|Infinite0694}} グローバル管理者で日本語話者の方(Ja-N)にも通知いたします。こちらの議論の終結をお願いいたします。ご不明な点があればコメントをください。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月2日 (金) 07:41 (UTC)
: {{コメント}} 勘違いされているようなので、すみませんが少しだけ。ウィキメディア財団の運営する各プロジェクトにおいて、障がいであることを理由に排除されることはありません(すべてのプロジェクトの方針を見た訳ではありませんが恐らくはそうでしょう)。が、それは投稿ブロックの方針に反しない限りでの話です。方針に反している状態であれば、障がいがあろうとなかろうと投稿ブロックがかかることになります。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月2日 (金) 07:41 (UTC)
:: {{コメント}} 今回の件につきましてですが、過去にKzhr氏から「[https://ja.wikisource.org/w/index.php?title=Wikisource:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF&diff=prev&oldid=150296 すくなくともHideokunさんみたいにプロジェクトの私物化はしてないですね。]」等の暴言をいただいており、また、作品を投稿せず管理行為のみを行っている行動に対して疑問を抱いております。そのため、私の活動頻度が著しく低下したわけで、私が関わるとプロジェクトの私物化ととられかねませんので申し訳ありませんが、対処いたしかねます。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2024年2月2日 (金) 10:55 (UTC)
:::このリンク先をよく読んで、悪意のある切り取りでないと分らないひとはいないと思うのですね。コミュニティの合意形成を妨げて私意を優先したことを指して私物化と言っているわけで、確かに何もしなければ私物化にはなりませんが、それで管理者としての務めを果たせているのかよくお考えいただければと思います。管理行為のみを行うことが疑問だというのは、趣味の問題なので、コメントはしません。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年2月3日 (土) 02:31 (UTC)
::::何を言われているのかよくわかりませんが、リンク先は色々と参照できるようにするために設定しております。切り取りではありません。よく考えてから物はいいましょう。また、私物化というレッテル張りはおやめください。ある一点だけを切り取り私物化しているというのは木を見て森を見ずという小さいところしか見れないあなたの見識の低さを顕著に示しています。また、そのようなレッテル張りに私は深く傷ついたのでWikipediaにありますが「個人攻撃はしない」を行っているということです。また、あなたの攻撃的な言動、つまりは高圧的に上から目線で何事にも対応するためにいろいろと軋轢を生んでいることはWikipediaの履歴も参照すればよくわかります。あなたこそ管理者としての務めを果たせているのでしょうか。また、管理行為を趣味の問題と申すのはよくわかりません。ようするに作品は投稿しないけど管理だけさせろということになり、草取りのような行為でさえほとんどされていないようです。つまりはWikisorceの充実には貢献しません、利用者の監視のみしますと宣言しているようなものです。--[[利用者:Hideokun|Hideokun]] ([[利用者・トーク:Hideokun|トーク]]) 2024年2月4日 (日) 09:51 (UTC)
::::: {{Reply to|Kzhr|Hideokun}} お二方ともどうかご冷静に。こちらはP9iKC7B1SaKkさんの投稿ブロック依頼ですので、直接関係の無い話題は別のトピックでお願いいたします。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月4日 (日) 15:31 (UTC)
: グローバル管理者の建前上、ローカルの管理者ではない私が日本語版ウィキソース内部の問題に対して判定/裁定するのは躊躇います。コミュニティでの合意事項を明示して依頼してもらえると助かります。 [[利用者:Syunsyunminmin|Syunsyunminmin]] ([[利用者・トーク:Syunsyunminmin|トーク]]) 2024年2月2日 (金) 13:02 (UTC)
:: @[[利用者:Syunsyunminmin|Syunsyunminmin]]さん、迅速な返信ありがとうございます。この投稿ブロック依頼では賛成票は入ってはいるものの、合意に至っているとは言い難い状態ですので、合意事項は現時点ではありません。ただ、素性を知らないはずの利用者に対して発達障害者と断定して発言する行為([[特別:差分/216045|こちら]]や[[特別:差分/216047|こちら]])があっても、暫定的に投稿ブロックをかけることは難しいのでしょうか。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月2日 (金) 16:22 (UTC)
:: @[[利用者:Hideokun|Hideokun]]さん、対処しない旨、承知いたしました。ただKzhrさんの管理系における行為については、こちらでは無関係ですので、ご意見があれば[[Wikisource:管理者権限依頼#利用者:Kzhr]]でお願いいたします。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月2日 (金) 16:22 (UTC)
:: {{コメント}} 私は賛成票を投じているので中立的なコメントとは言えませんが、この議論を終わらせたいと思っているのは合意できる部分ではないでしょうか。また、多数決で決めることではないとはいえ、反対票が入っていないことは、依頼に対処することを妨げないものと思います。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年2月3日 (土) 06:05 (UTC)
: 無期限票と一任票がそれぞれ一つですので、無期限としてラフコンセンサスが出来ていると判断します。あまりにも目に余るものがあれば前倒しにしますが、念のため1週間程の予告期間をおいて、皆様がよろしいのであれば無期限ブロックを実施します。 [[利用者:Syunsyunminmin|Syunsyunminmin]] ([[利用者・トーク:Syunsyunminmin|トーク]]) 2024年2月3日 (土) 12:15 (UTC)
:: お手数をおかけします。Syunsyunminminさんの対処に賛成いたします。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月4日 (日) 09:48 (UTC)
:::思うんだけど、とりあえず困った人をブロックして解決しようとするより、もうちょっと話し合ったら? 自分が衆愚の多数派に属しているから自分、自分たちが圧倒的に正しいと思い込むのが、ウィキメディアの典型的な馬鹿の発想だね。ブロックは懲罰でないってどこかに書いてなかった? じゃあ何でブロックせよと言い出すの? ブロックして痛めつけて自分たちの都合のいい考えを持つようにしたいんでしょ? 馬鹿馬鹿しいせこい考えで生きてる奴だけで、ウィキメディアを構成したい訳かね?ラフコンセサスなんて馬鹿げた言葉が出ているけど、馬鹿のコンセサスなんてあまり意味ないだろ? 本当に目に余る愚行をしているのは誰か? 考え直してみな。--[[特別:投稿記録/169.61.84.132|169.61.84.132]] 2024年2月4日 (日) 20:39 (UTC)
::::この長い議論の末に突然現れて話し合ったらと言い出せるのには首をひねりますが、[[User:P9iKC7B1SaKk]]における罵詈雑言のかずかずを見て、議論の成立する余地があるとどこのだれが言えるのでしょうか。もうすこし常識的に考えていただければと思います。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年2月5日 (月) 08:46 (UTC)
:::::長い議論の末に突然現れて話し合ったらと云いだせるのが、なぜおかしいのですか? 私の見るところあなた達は今までの十倍は話し合うべきですね。大体ウィキメディアは話し合いが少なすぎますよ。基本的に馬鹿な多数派が暴力で自分たちの欲望をごり押ししているだけ。P9さんの罵詈雑言と言うけど、私の見た限りでは、多少は暴論に近いけど、基本的には正しいこと言っている。むしろ鉄の時代とか、温故知新さんだってかなり酷いこと言っていると思うけど…。大体いい大人を捕まえて子ども扱い、犯罪者扱い、ダメ人間扱いするのは最大級の侮辱ですよ。それこそあなた達大好物の礼儀と善意、個人攻撃をしないに反する言及でしょう。まあ議論の成立する余地は確かに少ない。ただそれは、P9さんが悪いのではなく、あなた達が悪いんだよ。貴方達が愚か者過ぎるの。正しい事と正しい行為を知らないのでしょう。常識って何かね? あなたも仏教と親鸞に心を寄せるなら、そんなもの何の価値も無いって知っているはずでは?--[[特別:投稿記録/169.61.84.147|169.61.84.147]] 2024年2月5日 (月) 09:23 (UTC)
::::::オープンプロクシからの議論参加は正規の手段ではありませんのでこれ以上止まないようであればブロックの対象となり得ます。ご注意ください。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年2月5日 (月) 10:26 (UTC)
:::::::何だ、結局話し合いする気ゼロか。ブロックしたいならいつでもどこでも好きなだけしろよ。ただし俺はそこそこ別のIP 用意できるぜ。ただまあやっぱり関わらない方が良かったね。あんたらみたいな馬鹿見るとついつい文句言いたくなるんだが、やはり書かないのが正解だったようだね。卑怯者につける薬無し。木枯し紋次郎は、「あっしには関りのねえことでござんす」と云いつつ、あんたみたいな悪党を見るとついつい、立場の弱い人に助太刀しちゃうんだ。で、その結果ボロボロにやられるんだけどね(^^;;;)。合意、コミュニティ、コミュニティに疲弊をもたらす、お前は子供、しでかしたな、目に余る問題行為、問題利用者は監視しましょう、全て衆愚のファシストに都合のいい、言葉尻の欺瞞だね。(by--169.61.84.1**)--[[特別:投稿記録/158.85.23.146|158.85.23.146]] 2024年2月5日 (月) 10:43 (UTC)
:::::{{コメント}} 機械翻訳の件でもそうですが、品質が低いからという理由だけでページを削除する仕組みを作ろうとするのは入力担当者に対して失礼です。入力担当者の労力に対してもっと敬意を払ってください。気に入らない作品を削除する口実を無理に探す短絡性が、そのまま私をブロックする口実を無理に探す短絡性につながっています。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年2月5日 (月) 09:24 (UTC)
: {{コメント}} オープンプロクシのIP利用者は[[w:ja:Wikipedia:進行中の荒らし行為#Honooo|この方かその模倣]]ですので無視してください。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月5日 (月) 12:08 (UTC) {{small|修正。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月5日 (月) 12:09 (UTC)}}
::Wikimedia 用語辞典。方針=気に入らない奴をブロック、追放していい理由。合意=多数決。コミュニティ=衆愚の多数派。管理者=いざという時に衆愚の友達の為に暴力を振るってくれる、権力者。スチュワード=衆愚の暴力者の親玉、衆愚の言う事は全て聞いてくれる。--[[特別:投稿記録/82.221.137.167|82.221.137.167]] 2024年2月11日 (日) 18:25 (UTC)
:::議論=自分たちの欲望を満たすための謀議、水戸黄門の越後屋と悪代官のようなものか?(^^;;)。--[[特別:投稿記録/82.221.137.178|82.221.137.178]] 2024年2月11日 (日) 19:31 (UTC)
::うーん、俺も最初はウィキメディアの管理者とかスチュワードは人格者で、常に大岡越前のような公平公正な判断、取り扱いをすると思っていたんだ。しかし実際には違った。常に衆愚の友達の為によきに計らって、権威的な言説をしつつ暴力と権力を振るうだけだったんだよね。そろそろこのサイトも終焉が近いのではないかね。終焉してリードオンリーにした方がいいと思うな。知識と知恵と情報のためには、新たな形態のサイトが必要だと思う。終焉しないにしても、何らかの改革と改善は必要だろう。--[[特別:投稿記録/82.221.137.186|82.221.137.186]] 2024年2月11日 (日) 20:28 (UTC)
* {{コメント}} IPの方は Honooo さんですよね? 改革と改善は必要だとしても、個々のコミュニティが単独でできることではないので、この依頼の議論では控えて下さると幸いです。また、このままではこの議論を終了することが出来ず、管理者の方も対処を躊躇うばかりかと思います。期限付きを考える方は、期間の提示をしてくださる方が裁定しやすいものと考えます。私の意見は、ブロックに{{賛成}}期間は対処者に一任(無期限にも反対しない)に変更ありません。被依頼者には、コミュニティを疲弊させない姿勢で帰ってきていただければと思います。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年2月11日 (日) 23:32 (UTC)
*:いやー、確かに私がHonooo です(^^;;)。確かに私はここで余計な口出さない方がいいようですね。色々鬱屈が溜まっていた時にここのサイトを見て、この議論を見て、納得いかない言説と展開があったのでついつい口出ししてしまいましたが、もともと私が深く関わっていたプロジェクトでもないですし、口出しする権利はあまりないようです。只一点だけ、コミュニティを疲弊させるという表現は、欺瞞が多いと思います。多数決の多数派がそう主張しますが、こんな事態になったら誰しも疲弊するんでね。コミュニティってお前らのこと?、俺は含まれていないの?、なんて疑問を持つこともあると思います。そもそも多少の疲弊はするべきだろう。コミュニケーションなんて疲弊するものだし、疲弊してこそのコミュニティであり、議論であり、話し合いじゃあない?都合のいい時に疲弊と云い、都合のいい時に共同作業と云い、都合のいい時に負担という。やはりこのサイトには根源的な欺瞞がはびこっていると思う。--[[特別:投稿記録/82.221.137.187|82.221.137.187]] 2024年2月12日 (月) 00:53 (UTC)
*:{{返信}} ご提案ありがとうございます。冷却期間が必要かと思うのですが、当初のご提案通り1か月とさせていただければ幸いです。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年2月12日 (月) 04:33 (UTC)
@[[利用者:Syunsyunminmin|Syunsyunminmin]]さん、予告より1週間以上経ちましたが、対処はされないのでしょうか。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月22日 (木) 15:53 (UTC)
: 予告後に[[#c-CES1596-20240210062300-Kzhr-20231111130400|期限付き票]]と[[#c-Hideokun-20240211010200-CES1596-20240210062300|無期限に反対の意見]]が入ったため様子を見ていました。無期限・1ヶ月・一任がそれぞれ1票ずつであり、この状態で無期限ブロックするのは難しいです。そのため今回は1ヶ月のブロックとして対処します。必要に応じて延長/再ブロック依頼をお願いします。 [[利用者:Syunsyunminmin|Syunsyunminmin]] ([[利用者・トーク:Syunsyunminmin|トーク]]) 2024年2月23日 (金) 12:04 (UTC)
:: {{コメント}} ありがとうございます。お手数をおかけしました。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年2月23日 (金) 14:30 (UTC)
== リネーム依頼 ==
新しくindexのページを作った際に、File:の接頭辞を削除するのを忘れてしまい[[Index:File:TōjōKōichi-JapanesePersimmon.djvu]]を誤って作成してしまいました。つきましては、管理者権限をお持ちの方、Index:TōjōKōichi-JapanesePersimmon.djvuへリネームしていただきたく。--[[利用者:HinokisOfRoma|HinokisOfRoma]] ([[利用者・トーク:HinokisOfRoma|トーク]]) 2024年1月3日 (水) 05:06 (UTC)
: {{コメント}} 私は管理者ではありませんが、移動(改名)は一般利用者でも対処可能でしたので、[[Index:TōjōKōichi-JapanesePersimmon.djvu]]に移動しました。移動元の[[Index:File:TōjōKōichi-JapanesePersimmon.djvu]]は{{tl|即時削除}}の貼り付けがエラーで出来なかったので、[[Wikisource:管理者伝言板]]にて管理者にお知らせしています。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年1月3日 (水) 06:28 (UTC)
::ありがとうございました。--[[利用者:HinokisOfRoma|HinokisOfRoma]] ([[利用者・トーク:HinokisOfRoma|トーク]]) 2024年1月5日 (金) 14:04 (UTC)
== Do you use Wikidata in Wikimedia sibling projects? Tell us about your experiences ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
''Note: Apologies for cross-posting and sending in English.''
Hello, the '''[[m:WD4WMP|Wikidata for Wikimedia Projects]]''' team at Wikimedia Deutschland would like to hear about your experiences using Wikidata in the sibling projects. If you are interested in sharing your opinion and insights, please consider signing up for an interview with us in this '''[https://wikimedia.sslsurvey.de/Wikidata-for-Wikimedia-Interviews Registration form]'''.<br>
''Currently, we are only able to conduct interviews in English.''
The front page of the form has more details about what the conversation will be like, including how we would '''compensate''' you for your time.
For more information, visit our ''[[m:WD4WMP/AddIssue|project issue page]]'' where you can also share your experiences in written form, without an interview.<br>We look forward to speaking with you, [[m:User:Danny Benjafield (WMDE)|Danny Benjafield (WMDE)]] ([[m:User talk:Danny Benjafield (WMDE)|talk]]) 08:53, 5 January 2024 (UTC)
</div>
<!-- User:Danny Benjafield (WMDE)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Global_message_delivery/Targets/WD4WMP/ScreenerInvite&oldid=26027495 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Reusing references: Can we look over your shoulder? ==
''Apologies for writing in English.''
The Technical Wishes team at Wikimedia Deutschland is planning to [[m:WMDE Technical Wishes/Reusing references|make reusing references easier]]. For our research, we are looking for wiki contributors willing to show us how they are interacting with references.
* The format will be a 1-hour video call, where you would share your screen. [https://wikimedia.sslsurvey.de/User-research-into-Reusing-References-Sign-up-Form-2024/en/ More information here].
* Interviews can be conducted in English, German or Dutch.
* [[mw:WMDE_Engineering/Participate_in_UX_Activities#Compensation|Compensation is available]].
* Sessions will be held in January and February.
* [https://wikimedia.sslsurvey.de/User-research-into-Reusing-References-Sign-up-Form-2024/en/ Sign up here if you are interested.]
* Please note that we probably won’t be able to have sessions with everyone who is interested. Our UX researcher will try to create a good balance of wiki contributors, e.g. in terms of wiki experience, tech experience, editing preferences, gender, disability and more. If you’re a fit, she will reach out to you to schedule an appointment.
We’re looking forward to seeing you, [[m:User:Thereza Mengs (WMDE)| Thereza Mengs (WMDE)]]
<!-- User:Thereza Mengs (WMDE)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=WMDE_Technical_Wishes/Technical_Wishes_News_list_all_village_pumps&oldid=25956752 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Invitation to join January Wikisource Community Meeting ==
Hello fellow Wikisource enthusiasts!
We are the hosting this month’s [[:m:Wikisource Community meetings|Wikisource Community meeting]] on '''27 January 2024, 3 PM UTC''' ([https://zonestamp.toolforge.org/1706367600 check your local time]).
As we gear up for our upcoming Wikisource Community meeting, we are excited to share some additional information with you.
The meetings will now be held on the last Saturday of each month. We understand the importance of accommodating different time zones, so to better cater to our global community, we've decided to alternate meeting times. The meeting will take place at 3 pm UTC this month, and next month it will be scheduled for 7 am UTC on the last Saturday. This rotation will continue, allowing for a balanced representation of different time zones.
As always, the meeting agenda will be divided into two halves. The first half of the meeting will focus on non-technical updates, including discussions about events, conferences, proofread-a-thons, and collaborations. The second half will delve into technical updates and conversations, addressing major challenges faced by Wikisource communities, similar to our previous Community meetings.
If you are interested in joining the meeting, kindly leave a message on '''klawal-ctr@wikimedia.org''' and we will add you to the calendar invite.
Meanwhile, feel free to check out [[:m:Wikisource Community meetings|the page on Meta-wiki]] and suggest any other topics for the agenda.
Regards
[[:m:User:KLawal-WMF|KLawal-WMF]], [[:m:User:SWilson (WMF)|Sam Wilson (WMF)]], and [[:m:User:SGill (WMF)|Satdeep Gill (WMF)]]
<small> Sent using [[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年1月18日 (木) 10:54 (UTC)</small>
<!-- User:KLawal-WMF@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=25768507 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ユニバーサル行動規範調整委員会の憲章の批准投票 ==
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/wiki/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter/Announcement - voting opens|当お知らせの多言語版はメタウィキをご参照ください。]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:wiki/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter/Announcement - voting opens}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
皆さん、こんにちは
本日はお知らせがあり、お邪魔しました。実は[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee|ユニバーサル行動規範調整委員会]](U4C)の憲章<sup>※1</sup>の批准投票を受付中です。期限は'''2024年2月2日'''ですので、コミュニティの皆さんには[[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Charter/Voter_information|投票と憲章に関するコメント投稿をセキュアポル(SecurePoll)]]経由でお願いします。すでにこの[[foundation:Special:MyLanguage/Policy:Universal_Code_of_Conduct/Enforcement_guidelines|行動規範施行ガイドライン]]<sup>※2</sup>の策定段階でご意見を寄せてくださった皆さんには、ほぼ同じ手順です。(※:1=U4C、Universal Code of Conduct Coordinating Committee。2=UCoC Enforcement Guidelines。)
[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter|ユニバーサル行動規範調整委員会による現在の版]]をメタウィキに公開してありますので、翻訳版をご覧いただけます。
まず憲章をご一読いただき、賛否の投票をしてから、この文面を皆さんのコミュニティで共有いただけましたら誠に幸いです。U4C設立委員会としましては、皆さんの投票ご参加を心から願っています。
UCoC プロジェクトチーム代表<section end="announcement-content" />
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年1月19日 (金) 18:09 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=25853527 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-01 ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
*'''全体ニュース'''
**
*'''「Wikimedians of Japan User Group」 からのお知らせ'''
**Wikimedians of Japan User Groupは、昨年2023年10月から11月にかけてJawpログインユーザーの皆様を対象にアンケートを行いました。1月に、結果報告を[https://diff.wikimedia.org/ja/ ウィキメディア財団公式ブログDiff]に掲載していただきました。調査に協力してくださった皆様に深く感謝いたします。
***[https://diff.wikimedia.org/ja/2024/01/10/%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%82%ad%e3%83%9a%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e7%b7%a8%e9%9b%86%e8%80%85%e3%81%ae%e3%83%a2%e3%83%81%e3%83%99%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%81%a8%e4%b8%8d%e6%ba%80%e3%80%80/ ウィキペディア編集者のモチベーションと不満 前半]
*** [https://diff.wikimedia.org/ja/2024/01/10/%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%82%ad%e3%83%9a%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e7%b7%a8%e9%9b%86%e8%80%85%e3%81%ae%e3%83%a2%e3%83%81%e3%83%99%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%81%a8%e4%b8%8d%e6%ba%80%e3%80%80-2/ ウィキペディア編集者のモチベーションと不満 後半]
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
*ニュース
**
*[[:ja:Wikipedia:秀逸な記事の選考|秀逸な記事の選考]]
**現在選考中の記事はありません。
*[[:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:鰊場作業唄|鰊場作業唄]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/鰊場作業唄 20231220|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:間人ガニ|間人ガニ]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/間人ガニ 20231223|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:パンロン会議|パンロン会議]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/パンロン会議 20231223|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:PlayStation 5のゲームタイトル一覧 (2020年-2021年)|PlayStation 5のゲームタイトル一覧 (2020年-2021年)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/PlayStation 5のゲームタイトル一覧 (2020年-2021年) 20231225|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:満奇洞|満奇洞]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/満奇洞 20231230|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:くど造|くど造]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/くど造 20231230|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:心停止|心停止]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/心停止 20231229|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:新潟電力|新潟電力]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/新潟電力 20240111|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:新潟電気|新潟電気]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/新潟電気 20240111|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:家屋文鏡|家屋文鏡]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/家屋文鏡 20240111|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:カラブリュエの戦い|カラブリュエの戦い]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/カラブリュエの戦い 20240111|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:さんかく座|さんかく座]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/さんかく座 20240111|選考]]を通過しました。
**[[:w:ja:マダガスカルにおける蚕|マダガスカルにおける蚕]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/マダガスカルにおける蚕 20240115|選考中]](2024年1月29日 (月) 03:11 (UTC)まで)
**[[:w:ja:大塚陽子|大塚陽子]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/大塚陽子 20240121|選考中]](2024年2月4日 (日) 08:52 (UTC)まで)
**[[:w:ja:全身麻酔の歴史|全身麻酔の歴史]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/全身麻酔の歴史 20240111|選考中]](2024年2月7日 (水) 16:27 (UTC)まで)
**[[:w:ja:狩野派|狩野派]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/狩野派 20240111|選考中]](2024年2月8日 (木) 00:08 (UTC)まで)
*[[:ja:Wikipedia:月間新記事賞|月間新記事賞]]
**[[:w:ja:新潟電力|新潟電力]]
**[[:w:ja:新潟電気|新潟電気]]
**[[:w:ja:家屋文鏡|家屋文鏡]]
**[[:w:ja:全身麻酔の歴史|全身麻酔の歴史]]
**[[:w:ja:カラブリュエの戦い|カラブリュエの戦い]]
*[[:ja:Wikipedia:珍項目/選考|珍項目の選考]]
**[[:w:ja:シャグマアミガサタケ|シャグマアミガサタケ]]
*[[:ja:Wikipedia:秀逸な一覧の選考|秀逸な一覧の選考]]
**現在選考中の記事はありません。
'''[[voy:ja:メインページ|日本語版ウィキボヤージュ]]'''
* [[voy:ja:Wikivoyage:国執筆コンテスト|国執筆コンテスト]]
**国執筆コンテストが開催中です。奮ってご参加ください!
'''[[m:Main_Page/ja|メタウィキ]]'''
* 日本語話者向けニュース
** メタウィキでは翻訳者を常時募集しています。気になる方は[[m:Meta:Babylon/ja|翻訳ポータル]]をご確認下さい。
</div>
<hr />
*'''前回配信:2023年12月31日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: '''[[m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''' <br />
<small>[[m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list|購読登録・削除]]。</small>
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Sai10ukazuki@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=25924865 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== あと数日で憲章の批准投票と、ユニバーサル行動規範調整委員の投票が終了 ==
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/wiki/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter/Announcement - voting reminder|当お知らせの多言語版はメタウィキをご参照ください。]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:wiki/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter/Announcement - voting reminder}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
皆さん、こんにちは
本日はお知らせがあり、お邪魔しました。実は[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee|ユニバーサル行動規範調整委員会]](U4C)<sup>※1</sup>の投票受付が間もなく'''2024年2月2日'''に終わります。コミュニティの皆さんには[[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Charter/Voter_information|セキュアポル(SecurePoll)にて憲章への投票とご意見の投稿をご検討ください]]。すでにこの[[foundation:Special:MyLanguage/Policy:Universal_Code_of_Conduct/Enforcement_guidelines|行動規範施行ガイドライン]]<sup>※2</sup>の策定段階でご意見を寄せてくださった皆さんには、ほぼ同じ手順です。(※:1=U4C、Universal Code of Conduct Coordinating Committee。2=UCoC Enforcement Guidelines。)
[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter|ユニバーサル行動規範調整委員会による現在の版]]をメタウィキに公開してありますので、翻訳版をご覧いただけます。
まず憲章をご一読いただき、賛否の投票をしてから、この文面を皆さんのコミュニティで共有いただけましたら誠に幸いです。U4C設立委員会としましては、皆さんの投票ご参加を心からお待ちしております。
UCoC プロジェクトチーム一同になり代わり、よろしくお願いいたします。<section end="announcement-content" />
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年1月31日 (水) 17:01 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=25853527 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== UCoC 調整委員会憲章について批准投票結果のお知らせ ==
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/wiki/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter/Announcement - results|このメッセージはメタウィキ(Meta-wiki)で他の言語に翻訳されています。]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:wiki/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter/Announcement - results}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
皆さん、こんにちは。
ユニバーサル行動規範<!-- UCoC -->に関して、引き続き読んでくださりありがとうございます。本日は、[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter|ユニバーサル行動規範調整委員会の憲章]]<!-- UCoC 調整委員会の憲章 / U4Cの憲章 -->に関する[[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Charter/Voter_information|批准投票]]の結果についてお知らせします。この批准投票では投票者総数は 1746 名、賛成 1249 票に対して反対 420 票でした。この批准投票では投票者の皆さんから、憲章<sup>※</sup>についてコメントを寄せてもらえるようにしました。("※"=Charter)
投票者のコメントのまとめと票の分析はメタウィキに数週間ほどで公表の予定です。
次の段階についても近々お知らせしますのでお待ちくだされば幸いです。
UCoC プロジェクトチーム一同になり代わり、よろしくお願いいたします。<section end="announcement-content" />
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年2月12日 (月) 18:24 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26160150 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Invitation to join February Wikisource Community Meeting ==
Hello fellow Wikisource enthusiasts!
We are the hosting this month’s [[:m:Wikisource Community meetings|Wikisource Community meeting]] on '''24 February 2024, 7 AM UTC''' ([https://zonestamp.toolforge.org/1708758000 check your local time]).
The meeting agenda will be divided into two halves. The first half of the meeting will focus on non-technical updates, including discussions about events, conferences, proofread-a-thons, and collaborations. The second half will delve into technical updates and conversations, addressing major challenges faced by Wikisource communities, similar to our previous Community meetings.
If you are interested in joining the meeting, kindly leave a message on '''klawal-ctr@wikimedia.org''' and we will add you to the calendar invite.
Meanwhile, feel free to check out [[:m:Wikisource Community meetings|the page on Meta-wiki]] and suggest any other topics for the agenda.
Regards
[[:m:User:KLawal-WMF|KLawal-WMF]], [[:m:User:SWilson (WMF)|Sam Wilson (WMF)]], and [[:m:User:SGill (WMF)|Satdeep Gill (WMF)]]
<small> Sent using [[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年2月20日 (火) 11:11 (UTC)</small>
<!-- User:KLawal-WMF@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=25768507 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-02 ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
*'''全体ニュース'''
**
*'''「Wikimedians of Japan User Group」 からのお知らせ'''
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
*ニュース
**
*[[:w:ja:Wikipedia:秀逸な記事の選考|秀逸な記事の選考]]
**[[:w:ja:アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)|アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)]]が[[:w:ja:Wikipedia:秀逸な記事の選考/アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵) 20240127|選考中]](2024年4月27日 (土) 14:49 (JST)まで)
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:ウチキパン|ウチキパン]]が[[Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ウチキパン 20240129|選考]]を通過
**[[:w:ja:広島県産業奨励館|広島県産業奨励館]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/広島県産業奨励館 20240129|選考]]を通過
**[[:w:ja:ナムコ|ナムコ]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ナムコ 20240211|選考]]を通過
**[[:w:ja:鵲尾形柄香炉 (国宝)|鵲尾形柄香炉 (国宝)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/鵲尾形柄香炉 (国宝) 20240211|選考]]を通過
**[[:w:ja:廻廊にて|廻廊にて]]を[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/廻廊にて 20240211|選考]]を通過
**[[:w:ja:球果|球果]]を[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/球果 20240211|選考]]を通過
**[[:w:ja:鮭 (高橋由一)|鮭 (高橋由一)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/鮭 (高橋由一) 20240211|選考]]を通過
**[[:w:ja:外郎売|外郎売]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/外郎売 20240211|選考]]を通過
**[[:w:ja:北斎漫画|北斎漫画]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/北斎漫画_20240211|選考]]を通過
**[[:w:ja:清水澄子 (さゝやき)|清水澄子 (さゝやき)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/清水澄子 (さゝやき)_20240211|選考]]を通過
**[[:w:ja:大阪南港事件|大阪南港事件]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/大阪南港事件 20240216|選考]]を通過
**[[:w:ja:PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2016年)|PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2016年)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2016年) 20240204|選考]]を通過
**[[:w:ja:プライス山 (ブリティッシュコロンビア州)|プライス山 (ブリティッシュコロンビア州)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/プライス山 (ブリティッシュコロンビア州) 20240215|選考]]を通過
**[[:w:ja:バブルネット・フィーディング|バブルネット・フィーディング]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/バブルネット・フィーディング 20240219|選考]]を通過
**[[:w:ja:スギ|スギ]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/スギ 20240219|選考]]を通過
**[[:w:ja:ウィッチャー3_ワイルドハント|ウィッチャー3_ワイルドハント]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ウィッチャー3_ワイルドハント_20240224|選考中]](2024年3月9日 (土) 15:24 (UTC)まで)
**[[:w:ja:舟橋蒔絵硯箱|舟橋蒔絵硯箱]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/舟橋蒔絵硯箱 20240226|選考中]](2024年3月11日 (月) 02:58 (UTC)まで)
**[[:w:ja:羽田孜|羽田孜]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/羽田孜 20240226|選考中]](2024年3月11日 (月) 12:26 (UTC)まで)
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|月間新記事賞]]
**[[:w:ja:鵲尾形柄香炉 (国宝)|鵲尾形柄香炉 (国宝)]]
**[[:w:ja:ナムコ|ナムコ]]
**[[:w:ja:廻廊にて|廻廊にて]]
**[[:w:ja:球果|球果]]
**[[:w:ja:鮭 (高橋由一)|鮭 (高橋由一)]]
*[[:w:ja:Wikipedia:珍項目/選考|珍項目の選考]]
**現在選考中の項目はありません。
*[[:w:ja:Wikipedia:秀逸な一覧の選考|秀逸な一覧の選考]]
**現在選考中の記事はありません。
'''[[:m:Main_Page/ja|メタウィキ]]'''
* 日本語話者向けニュース
** メタウィキでは翻訳者を常時募集しています。気になる方は[[:m:Meta:Babylon/ja|翻訳ポータル]]をご確認下さい。
</div>
<hr />
*'''前回配信:2024年1月26日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: '''[[:m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''' <br />
<small>[[:m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[:m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list|購読登録・削除]]。</small>
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=26262302 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== U4C 憲章の批准投票の結果報告、U4C 委員候補募集のお知らせ ==
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024/Announcement – call for candidates| このメッセージはMeta-wikiで他の言語に翻訳されています。]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024/Announcement – call for candidates}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
各位
本日は重要な情報2件に関して、お伝えしたいと思います。第一に、[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter/Vote results|ユニバーサル行動規範調整委員会憲章(U4C)の批准投票に添えられたコメント]]は、集計結果がまとまりました。第二に、U4C の委員立候補の受付が始まり、〆切は2024年4月1日です。
[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee|ユニバーサル行動規範調整委員会]](U4C)<sup>※</sup>とはグローバルな専門グループとして、UCoC が公平かつ一貫して実施されるように図ります。広くコミュニティ参加者の皆さんに、U4C への自薦を呼び掛けています。詳細と U4C の責務は、[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter|U4C 憲章を通読してください]]。(※=Universal Code of Conduct Coordinating Committee。)
憲章に準拠し、U4Cの定員は16名です。内訳はコミュニティ全般の代表8席、地域代表8席であり、ウィキメディア運動の多様性を反映するよう配慮してあります。
詳細の確認、立候補の届けは[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024|メタウィキ]]でお願いします。
UCoC プロジェクトチーム一同代表<section end="announcement-content" />
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年3月5日 (火) 16:25 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26276337 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ウィキメディア財団理事会の2024年改選 ==
<section begin="announcement-content" />
: ''[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation elections/2024/Announcement/Selection announcement| このメッセージの多言語版翻訳は、メタウィキで閲覧してください。]]''
: ''<div class="plainlinks">[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation elections/2024/Announcement/Selection announcement|{{int:interlanguage-link-mul}}]] • [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Wikimedia Foundation elections/2024/Announcement/Selection announcement}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]</div>''
各位
本年は、ウィキメディア財団理事会において任期満了を迎える理事はコミュニティ代表と提携団体代表の合計4名です[1]。理事会よりウィキメディア運動全域を招集し、当年の改選手続きに参加して投票されるようお願いします。
[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation elections committee|選挙管理委員会]]はこの手順を監督するにあたり、財団職員の補佐を受けます[2]。理事会組織統治委員会<sup>※1</sup>は2024改選の立候補資格のないコミュニティ代表と提携団体代表の理事から理事改選作業グループ<sup>※2</sup>を指名し、すなわち、Dariusz Jemielniak、Nataliia Tymkiv、Esra'a Al Shafei、Kathy Collins、Shani Evenstein Sigalov の皆さんです[3]。当グループに委任される役割とは、2024年理事改選の手順において理事会の監督、同会に継続して情報を提供することです。選挙管理委員会、理事会、財団職員の役割の詳細は、こちらをご一読願います[4]。(※:1=The Board Governance Committee。2=Board Selection Working Group。)
以下に節目となる日付を示します。
* 2024年5月:立候補受付と候補者に聞きたい質問の募集
* 2024年6月:提携団体の担当者は候補者12名の名簿を作成(立候補者が15名以下の場合は行わない)[5]
* 2024年6月-8月:選挙活動の期間
* 2024年8月末/9月初旬:コミュニティの投票期間は2週間
* 2024年10月–11月:候補者名簿の 身元調査
* 2024年12月の理事会ミーティング:新しい理事が着任
2024改選の手順の段取りを見てみましょう - 詳しい日程表、立候補の手順、選挙運動のルール、有権者の要件 - これらは[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation elections/2024|メタウィキのこちらのページ]]を参照してご自分のプランを立ててください。
'''選挙ボランティア'''
この2024理事改選に関与するもう一つの方法とは、'''選挙ボランティア'''をすることです。選挙ボランティアとは、選挙管理委員会とその対応するコミュニティを結ぶ橋渡しをします。自分のコミュニティが代表権(訳注:間接民主制)を駆使するように、コミュニティを投票に向かわせる存在です。当プログラムとその一員になる方法の詳細は、この[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation elections/2024/Election Volunteers|メタウィキのページ]]をご一読ください。
草々
[[m:Special:MyLanguage/User:Pundit|Dariusz Jemielniak]](組織統治委員長、理事会改選作業グループ)
[1] https://meta.wikimedia.org/wiki/Special:MyLanguage/Wikimedia_Foundation_elections/2021/Results#Elected
[2] https://foundation.wikimedia.org/wiki/Committee:Elections_Committee_Charter
[3] https://foundation.wikimedia.org/wiki/Minutes:2023-08-15#Governance_Committee
[4] https://meta.wikimedia.org/wiki/Wikimedia_Foundation_elections_committee/Roles
[5] 改選議席4席に対する候補者数の理想は12名ですが、候補者が15名を超えると最終候補者名簿づくりが自動処理で始まり、これは提携団体の担当者に選外の候補者を決めてもらうと、漏れた1-3人の候補者に疎外されたと感じさせるかもしれず、担当者に過重な負担を押し付けないように人力で最終候補者名簿を組まないようにしてあります。<section end="announcement-content" />
[[User:MPossoupe_(WMF)|MPossoupe_(WMF)]]2024年3月12日 (火) 19:57 (UTC)
<!-- User:MPossoupe (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26349432 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ご利用のウィキは間もなく読み取り専用に切り替わります ==
<section begin="server-switch"/><div class="plainlinks">
[[:m:Special:MyLanguage/Tech/Server switch|他の言語で読む]] • [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-Tech%2FServer+switch&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]
<span class="mw-translate-fuzzy">[[foundation:|ウィキメディア財団]]ではメインと予備のデータセンターの切り替えテストを行います。</span> 災害が起こった場合でも、ウィキペディアとその他のウィキメディア・ウィキが確実にオンラインとなるようにするための措置です。
全トラフィックの切り替えは'''{{#time:n月j日|2024-03-20|ja}}'''に行います。 テストは '''[https://zonestamp.toolforge.org/{{#time:U|2024-03-20T14:00|en}} {{#time:H:i e|2024-03-20T14:00}}]''' に開始されます。
残念ながら [[mw:Special:MyLanguage/Manual:What is MediaWiki?|MediaWiki]] の技術的制約により、切り替え作業中はすべての編集を停止する必要があります。 ご不便をおかけすることをお詫びするとともに、将来的にはそれが最小限にとどめられるよう努めます。
'''閲覧は可能ですが、すべてのウィキにおいて編集ができないタイミングが短時間あります。'''
*{{#time:Y年n月j日(l)|2024-03-20|ja}}には、最大1時間ほど編集できない時間が発生します。
*この間に編集や保存を行おうとした場合、エラーメッセージが表示されます。 その間に行われた編集が失われないようには努めますが、保証することはできません。 エラーメッセージが表示された場合、通常状態に復帰するまでお待ちください。 その後、編集の保存が可能となっているはずです。 しかし念のため、保存ボタンを押す前に、行った変更のコピーをとっておくことをお勧めします。
''その他の影響'':
*バックグラウンドジョブが遅くなり、場合によっては失われることもあります。 赤リンクの更新が通常時よりも遅くなる場合があります。 特に他のページからリンクされているページを作成した場合、そのページは通常よりも「赤リンク」状態が長くなる場合があります。 長時間にわたって実行されるスクリプトは、停止しなければなりません。
* コードの実装は通常の週と同様に行う見込みです。 しかしながら、作業上の必要性に合わせ、ケースバイケースでいずれかのコードフリーズが計画時間に発生することもあります。
* [[mw:Special:MyLanguage/GitLab|GitLab]]は90分ほどの間に利用不可になります。
必要に応じてこの計画は延期されることがあります。 [[wikitech:Switch_Datacenter|wikitech.wikimedia.org で工程表を見る]]ことができます。 変更はすべて工程表で発表しますので、ご参照ください。 この件に関しては今後、さらにお知らせを掲示するかもしれません。 作業開始の30分前から、すべてのウィキで画面にバナーを表示する予定です。 '''この情報を皆さんのコミュニティで共有してください。'''</div><section end="server-switch"/>
[[user:Trizek (WMF)|Trizek (WMF)]], 2024年3月15日 (金) 00:01 (UTC)
<!-- User:Trizek (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Non-Technical_Village_Pumps_distribution_list&oldid=25636619 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Switching to the Vector 2022 skin ==
[[File:Vector 2022 video-en.webm|thumb]]
''[[mw:Special:MyLanguage/Reading/Web/Desktop Improvements/Updates/2024-03 for Wikisource|Read this in your language]] • <span class=plainlinks>[https://mediawiki.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-Reading%2FWeb%2FDesktop+Improvements%2FUpdates%2F2024-03+for+Wikisource&language=&action=page&filter= {{Int:please-translate}}]</span> • Please tell other users about these changes''
皆さんこんにちは。私たちはウィキメディア財団ウェブチームです。以前の投稿をお読みいただいたかもしれませんが、この一年間、私たちはすべてのウィキ上での新しいデフォルトとしてベクター2022年版(Vector 2022 skin)に切り替えるにために準備を進めてきました。以前のウィキソースコミュニティとの対話により、スキンの切り替えを妨げるIndex名前空間の問題をご指摘いただいたため、この問題を解決いたしました。
3月25日にウィキソースのウィキ上で展開する予定です。
ベクター2022年版の詳細と改善点については、[https://www.mediawiki.org/wiki/Reading/Web/Desktop_Improvements/ja ドキュメント]をご覧ください。変更後、問題がある場合(ガジェットが動作しない、バグに気づいた等)は、恐れ入りますが、以下にコメントをお願いいたします。また、ご希望に応じて[[metawiki:Wikisource_Community_meetings|ウィキソースのコミュニティミーティング]]のようなイベントに私たちが参加させていただき、皆さんと直接お話しすることも可能です。いつもご協力いただき有難うございます。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。(Translation by [[利用者:JNakayama-WMF|JNakayama-WMF]])
English: Hi everyone. We are the [[mw:Special:MyLanguage/Reading/Web|Wikimedia Foundation Web team]]. As you may have read in our previous message, over the past year, we have been getting closer to switching every wiki to the Vector 2022 skin as the new default. In our previous conversations with Wikisource communities, we had identified an issue with the Index namespace that prevented switching the skin on. [[phab:T352162|This issue is now resolved]].
We are now ready to continue and will be deploying on Wikisource wikis on '''March 25th'''.
To learn more about the new skin and what improvements it introduces, please [[mw:Reading/Web/Desktop Improvements|see our documentation]]. If you have any issues with the skin after the change, if you spot any gadgets not working, or notice any bugs – please comment below! We are also open to joining events like the [[m:Wikisource Community meetings|Wikisource Community meetings]] to talk to you directly. Thank you! [[User:SGrabarczuk (WMF)|SGrabarczuk (WMF)]] ([[User talk:SGrabarczuk (WMF)|<span class="signature-talk">トーク</span>]]) 2024年3月18日 (月) 20:50 (UTC)
<!-- User:SGrabarczuk (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGrabarczuk_(WMF)/sandbox/MM/Varia&oldid=26416927 のリストを使用して送信したメッセージ -->
:Hello Mr.[[利用者:SGrabarczuk (WMF)|SGrabarczuk (WMF)]]. I speak japanese, sorry.
:JST ではすでに March 25th なので、すでに今更な気もしますが、本当に変更されるのでしょうか。返信が付かないのは、メッセージが英語だからかもしれません。すでにvecter 2022 になっている、日本語版のウィキクォート・ウィキブックスなどがありますが、フォントがすこし小さくなっていませんか。もちろんブラウザ側でズームはできますが、ウィキペディアほどには人が集まっていないウィキソースで、既定のスキンになるのは心配です。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年3月24日 (日) 18:30 (UTC)
::[[File:Accessibility for reading first iteration prod unpinned.png|thumb]]
::日本語が話せないため、機械翻訳にて失礼いたします。
::@[[利用者:温厚知新|温厚知新]]さん、
::コメントありがとう。その通りだと思う。Vector 2022」のフォントサイズは少し小さめです。もっと大きくできないかチームに聞いてみます。
::それに加えて、新しい[[特別:個人設定#mw-prefsection-betafeatures|ベータ機能]]があります: "Accessibility for Reading (Vector 2022) "です。これは、3つのフォントサイズを選択できるメニューを追加するものだ:小、標準、大。小は現在のデフォルトと同じでなければならない。そうでない場合はエラーとなり、チームに修正を求めることになる。StandardとLargeは現在のデフォルトより大きくする。最終的には、標準が新しいデフォルトになるはずです。このベータ機能の目的は、ウィキ上のテキストを読みやすくすることです。
::この機能を使って「標準」のフォントサイズを選択することをお勧めしたい。どう思いますか?
::Thank you for your comment. I think you are correct. The font size in "Vector 2022" is a bit smaller. I’ll ask the team if we can increase it.
::In addition to that, there’s a new beta feature: "Accessibility for Reading (Vector 2022)”. It adds a menu with three font sizes to choose between: small, standard, and large. Small should be equal to the current default. If it’s not, then it's an error and I’ll ask the team to fix it. Standard and large should be bigger than the current default. Eventually, standard would become the new default. The goal for this beta feature is to make it easier for people to read text on wiki.
::I would like to recommend using this feature and choosing the „standard" font size. What do you think?--[[利用者:SGrabarczuk (WMF)|SGrabarczuk (WMF)]] ([[利用者・トーク:SGrabarczuk (WMF)|トーク]]) 2024年3月25日 (月) 13:39 (UTC)
:::いえ、申し訳ありませんが、この問題を再現することはできません。つまり、異なるスキンを比較した場合、フォントサイズは同じなのです。URLに?safemode=1を追加して([https://ja.wikisource.org/wiki/Wikisource:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF?safemode=1 例])、それでも違いがあるかどうか確認していただけますか?safemode=1はカスタマイズを無効にし、問題が私たちの側にあることを確認する方法です。ありがとう!
:::No, my apologies, I’m not able to replicate the issue. I mean when I compare different skins, the font sizes are the same. Could you add ?safemode=1 to the URL (example) and check if you still see a difference? ?safemode=1 disables your customization and is the method to make sure that the problem is on our side. Thank you!--[[利用者:SGrabarczuk (WMF)|SGrabarczuk (WMF)]] ([[利用者・トーク:SGrabarczuk (WMF)|トーク]]) 2024年3月25日 (月) 15:22 (UTC)
::::Thank you for reply.
::::技術面に詳しくないので、確認してもよく解りません。ごめんなさい。ですが、おそらく技術ニュース:2024-13 に関することだと思っています。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年3月26日 (火) 03:15 (UTC)
== Invitation to join March Wikisource Community Meeting ==
Hello fellow Wikisource enthusiasts!
We're excited to announce our upcoming Wikisource Community meeting, scheduled for '''30 March 2024, 3 PM UTC''' ([https://zonestamp.toolforge.org/1711810800 check your local time]). As always, your participation is crucial to the success of our community discussions.
Similar to previous meetings, the agenda will be split into two segments. The first half will cover non-technical updates, such as events, conferences, proofread-a-thons, and collaborations. In the second half, we'll dive into technical updates and discussions, addressing key challenges faced by Wikisource communities.
'''New Feature: Event Registration!''' <br />
Exciting news! We're switching to a new event registration feature for our meetings. You can now register for the event through our dedicated page on Meta-wiki. Simply follow the link below to secure your spot and engage with fellow Wikisource enthusiasts:
[[:m:Event:Wikisource Community Meeting March 2024|Event Registration Page]]
'''Agenda Suggestions:''' <br />
Your input matters! Feel free to suggest any additional topics you'd like to see included in the agenda.
If you have any suggestions or would just prefer being added to the meeting the old way,
simply drop a message on '''klawal-ctr@wikimedia.org'''.
Thank you for your continued dedication to Wikisource. We look forward to your active participation in our upcoming meeting.
Best regards, <br />
[[:m:User:KLawal-WMF|KLawal-WMF]], [[:m:User:SWilson (WMF)|Sam Wilson (WMF)]], and [[:m:User:SGill (WMF)|Satdeep Gill (WMF)]]
<!-- User:KLawal-WMF@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=25768507 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ダークモード対応 night-mode-unaware-background-color ==
* 2024年3月時点、日本語版ウィキソースではまだダークモードが実装されていないが、Lintエラーのページで「[[特別:LintErrors/night-mode-unaware-background-color]]」を確認可能。
* night-mode-unaware-background-colorエラーの抑止方法は「[[:mw:Help:Lint_errors/night-mode-unaware-background-color|night-mode-unaware-background-color]]」にあるように、背景色と文字色の同時指定。
* 2024年3月時点、テンプレートがエラー原因のものについては、暫定的にbackground指定の後に続けてcolor:inherit;を追加してエラー出力を抑止済。
* 将来ダークモードが実装されてテキスト表示に問題が起きた場合は、「insource:/back[^;]+; *color *: *inherit/」[https://ja.wikisource.org/w/index.php?search=insource%3A%2Fback%5B%5E%3B%5D%2B%3B+%2Acolor+%2A%3A+%2Ainherit%2F&title=%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%A4%9C%E7%B4%A2&profile=advanced&fulltext=1&ns10=1]で検索ヒットするテンプレートや「[[モジュール:Documentation/styles.css]]」のなかの文字色指定をinheritから固定色に変える必要あり。
--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年3月28日 (木) 16:53 (UTC)
== Wikimedians of Japan User Group 2024-03 ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
*'''全体ニュース'''
**[[:m:Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Election/2024/ja|ユニバーサル行動規範調整委員会の選挙]]の立候補が受付中です。(2024年4月1日(月)(UTC)まで)
*'''「Wikimedians of Japan User Group」 からのお知らせ'''
**
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
*ニュース
**
*[[:w:ja:Wikipedia:秀逸な記事の選考|秀逸な記事の選考]]
**[[:w:ja:アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)|アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)]]が[[:w:ja:Wikipedia:秀逸な記事の選考/アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵) 20240127|選考]]を通過
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:伏見天皇|伏見天皇]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/伏見天皇 20240308|選考]]を通過
**[[:w:ja:トコジラミ|トコジラミ]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/トコジラミ 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:山崎蒸溜所|山崎蒸溜所]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/山崎蒸溜所 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:胞子嚢穂|胞子嚢穂]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/胞子嚢穂 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:一姫二太郎|一姫二太郎]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/一姫二太郎 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:ヴァージナルの前に座る若い女|ヴァージナルの前に座る若い女]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ヴァージナルの前に座る若い女 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:南満洲鉄道ケハ7型気動車|南満洲鉄道ケハ7型気動車]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/南満洲鉄道ケハ7型気動車 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:石狩町女子高生誘拐事件|石狩町女子高生誘拐事件]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/石狩町女子高生誘拐事件 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:天狗草紙|天狗草紙]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/天狗草紙 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:生命|生命]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/生命 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:フェンタニル|フェンタニル]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/フェンタニル 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:根拠に基づく医療|根拠に基づく医療]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/根拠に基づく医療 20240311|選考]]を通過
**[[:w:ja:PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2014年-2015年)|PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2014年-2015年)]]が[[:w:ja:PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2014年-2015年)|PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2014年-2015年)]](2024年4月6日 (土) 07:52 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ワリード1世|ワリード1世]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ワリード1世_20240323|選考中]](2024年4月6日 (土) 23:59 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ラーメンズ|ラーメンズ]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ラーメンズ 20240324|選考中]](2024年4月7日 (日) 01:13 (UTC)まで)
**[[:w:ja:狩野安信|狩野安信]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/狩野安信 20240327|選考中]](2024年4月10日 (水) 01:35 (UTC)まで)
**[[:w:ja:チャールズ・ルイス・ティファニー|チャールズ・ルイス・ティファニー]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/チャールズ・ルイス・ティファニー 20240327|選考中]](2024年4月10日 (水) 01:35 (UTC))
**[[:w:ja:シュチェパン・マリ|シュチェパン・マリ]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/シュチェパン・マリ 20240327|選考中]](2024年4月10日 (水) 01:35 (UTC))
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|月間新記事賞]]
**[[:w:ja:一姫二太郎|一姫二太郎]]
**[[:w:ja:指月布袋画賛|指月布袋画賛]]
**[[:w:ja:胞子嚢穂|胞子嚢穂]]
**[[:w:ja:ヴァージナルの前に座る若い女|ヴァージナルの前に座る若い女]]
**[[:w:ja:南満洲鉄道ケハ7型気動車|南満洲鉄道ケハ7型気動車]]
**[[:w:ja:ペプシ海軍|ペプシ海軍]]
**[[:w:ja:天狗草紙|天狗草紙]]
**[[:w:ja:石狩町女子高生誘拐事件|石狩町女子高生誘拐事件]]
</div>
<hr />
*'''前回配信:2024年2月27日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: '''[[:m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''' <br />
<small>[[:m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[:m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list|購読登録・削除]]。</small>
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=26436809 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 全集の収録方法について ==
[[:カテゴリ:史籍集覧]]に収録されている作品のうち、「[[武家諸法度 (元和令)]]」などはIndexファイル([[Index:Shisekisyūran17.pdf]]など)を底本としていますが、「[[太閤記]]」などは独自のテンプレートに原文のみを収録する形になっています。後者の場合、例えば今たまたま開いた「[https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%96%A4%E8%A8%98/%E5%B7%BB%E4%BA%8C#c-2 太閤記巻二 ○因幡国取鳥落城之事]」3ページ目冒頭の一文「福光樽行器看を広間にすへ並へしかは…」([https://dl.ndl.go.jp/pid/3431173/1/244 『史籍集覧』第6冊244ページ冒頭])の誤字「看」を「肴」に訂正したいと考えても、どこを訂正すればよいのかを知ることは簡単ではありません。「[[ヘルプ:Indexページ#雑誌の掲載記事と書籍の部分掲載について]]」では、「djvuファイルまたはpdfファイルを作成する場合、その号から数ページだけ公開する予定であっても、書籍や雑誌の号全体のdjvuファイルやpdfファイルを作成するよう」求めており、校訂作業の必要性を考慮しても、前者の方式に統一した方がよいと思われます。ご意見をいただければ幸いです。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年4月20日 (土) 12:22 (UTC)
:「統一」の定義があいまい。強制性を伴う罰則規定がなければ効果は乏しい。簡単がどうかは個々人の主観に属することなので、規則変更の理由にすべきではない。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月21日 (日) 03:12 (UTC)
::前者の方法では、訂正すべき箇所を見つけた場合には、該当するページへのリンクをたどれば修正できるようになっているのに対して、後者の方法では画像を参照することしかできません。この点に問題があると思われます。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年4月21日 (日) 06:06 (UTC)
:{{コ}}主観を述べると、Wikisource校正システムは中東・欧州系言語などで使う表音文字での編集が前提になっており、日本語などで使う表意文字はWebブラウザ上の編集作業にあまり向いていない。よって、日本語Wikitextは出版業界と同じように高性能なテキスト編集ソフトを使って編集作業するのが自然。公文書を除けば旧字・異体字の多い戦前の出版物しか入力できない日本語Wikisourceは、現代日本の出版業界の標準よりも難易度が高いという事実をふまえておく必要がある。Wikisource校正システムは、ただの道具・手段であって目的ではない。作業効率を下げてまで使う価値はない。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月21日 (日) 07:05 (UTC)
:{{コ}}最近行われた文字の小さなVector2022への既定外装変更から察するに、Wikisourceの開発者は日本語利用者の利便性をあまり考えていないのではないか。Wikisource校正システムも同じ病根がある。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月21日 (日) 07:26 (UTC)
::日本語利用者の利便性は、きちんと主張しないと伝わりにくいのは確かです。しかし、だからといって校正のことは考えなくてよいということにはならないと思います。校正は、Wikisourceの信頼性を確保する上で不可欠の要素です。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年4月21日 (日) 08:24 (UTC)
:::{{提案}}日本語ウィキソースには提案を書き込むと敵対や衝突とみなす文化があるので少ししか書かないが、ページ単位の校正レベルの管理は非効率なのでやめるべき。道路標識の速度制限と同じように編集者の自由裁量で校正レベルの開始位置を設定できたほうが良い。テキストは上から下への単純な一方通行なのだから、保守はさほど面倒ではない。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月21日 (日) 10:15 (UTC)
::::英語での議論になりますが、技術的な提案は https://phabricator.wikimedia.org/ で行うことができます。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年4月21日 (日) 12:38 (UTC)
::::「Phabricator」での議論することに臆してしまったりするのであれば、この井戸端にも連絡してくださっている「Wikisource Community meeting」などの選択肢もあるかと思います。いずれにしろ進行は英語主体になるかと思われますが、技術的なことを話したいのであれば、直接伝えるのが良いと考えます。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年4月22日 (月) 14:02 (UTC)
:{{コ}} 前者の方式を使用することに{{賛成}}します。後者となる独自のテンプレートは、[[ja:カテゴリ:特定作品のためのテンプレート|特定作品のためのテンプレート]] に含まれるものかと思われますが、内容は作品の本文にあたるものが大部分であるため、テンプレート(ひな形)として使うには汎用的ではないと考えます。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年4月22日 (月) 04:37 (UTC)
:{{コ}}前者に統一するからには、「[[あたらしい憲法のはなし]]」のようにIndexを使っていない国会図書館デジタルコレクションを底本とする作品をすべてIndexを使うよう置き換えなければならないが、皆にその労力を払う覚悟があるのか。以前、機械翻訳の作品削除に関する議論の時にも感じたが、ある決定をした結果、何が起きるか、何をしなければならなくなるかについて、もっと想像力を働かせたほうが良い。入力や校正をあまりせずなぜか井戸端での議論で張り切る人に特にその辺もふまえて考えてもらいたい。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月22日 (月) 09:28 (UTC)
:{{コ}}前者に統一すると決めた場合、決めるだけでおそらくだれもやらないので、私が既存作品のIndex利用への置き換えを拒否した場合は、作品が削除されたり私がブロックされることになるだろう。編集方法がわからないなら質問すれば良いだろうに、なぜこのような攻撃的な議論を開始したのか理解できない。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月22日 (月) 10:29 (UTC)
::コメントありがとうございます。今回取り上げさせていただいたのは、「全集の収録方法」についてのみです。これは、複数の人が編集に関わる可能性が高いことからも、ご理解いただけるものと思います。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年4月22日 (月) 11:08 (UTC)
:::{{コ}}複数の人が編集に関わる競合の危険性は全集に限ったことではなく、通常の巨大サイズ作品でも同じことです。テンプレート名前空間ページにも標準名前空間ページと同じく最大2048KBのWikitextサイズ制約があるのでさほど心配しなくて良いはず。テキスト本体をテンプレート化したのは他ページでのプレビュー機能を使うためであり、Page名前空間ページ編集作業にはない機能。これがテンプレートの優位性。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月22日 (月) 12:28 (UTC)
::::ご指摘のように競合の問題もあるかもしれませんが、差し当たっての問題は、既に述べたように、史籍集覧で複数の方式による作品が混在していること、一方の方式に校正方法に関する問題が存在することです。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年4月22日 (月) 14:02 (UTC)
:::::複数の方式が混在することや校正システムを使っていないことのなにが問題なのかよくわからない。私は今後も同じ入力方法を続ける。私は有期限ブロックされたぐらいで自分の考えが変わったりはしないので、Wikisourceコミュニティが私の入力方法と共存できないのであれば、私を無期限ブロックするほかない。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月25日 (木) 09:29 (UTC)
::::::{{返}} 私が問題と思うのは、P9iKC7B1SaKk さんが入力方法に、自己流を押し通そうとしていることです。「編集方法がわからないなら質問すれば良い」と仰っていますが、[[w:ja:Wikipedia:Lua#Luaについて]]で、「第三者が誰も理解できない、ということがないように」と書かれているように、校正者が作業しやすい方式にして頂きたいというものです。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年4月26日 (金) 08:07 (UTC)
:::::::{{コ}}編集方法がわからないなら、修正要求箇所をトークなどで連絡すればよいだけのこと。そういった改善努力や話し合いをせずに一方敵に他人の編集を制限しようとするWikisourceコミュニティ住民の価値観は間違っており社会人としての常識やマナーにも反している。機械翻訳ページ削除の議論と同様、入力者と交渉することなく事務的・機械的に削除できる仕組みをつくりたがる排他的で非生産的な人は、井戸端に自分の意見を書き込むべきでない。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月26日 (金) 08:46 (UTC)
:自分流を押し通そうとしているのは@[[利用者:CES1596|CES1596]]、@[[利用者:温厚知新|温厚知新]]のほうであり、また、針小棒大な論点のずらし方をしており、現在ほぼ唯一のアクティブな編集者である私を攻撃することはコミュニティそのものを疲弊させる行為であり、これ以上、議論を続けるべきではない。また、@[[利用者:温厚知新|温厚知新]]のような編集や校正をやらない無責任な外野は、井戸端に意見を書き込むのを控えるべき。 --[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月26日 (金) 09:10 (UTC)
:{{コ}}議論が止まっているのリマインド。「前者の方式に統一」に賛成の立場をとるCES1596、温厚知新の両氏は率先して、既存の作品をPage形式に置き換えて手本を示し、「前者の方式に統一」に必要なコストを具体的に提示すべき。無責任な議論にしないためにも。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年6月10日 (月) 23:51 (UTC)
::Page名前空間への移行は簡単ではないとお考えかもしれませんが、現在Page名前空間を使用している古典文学作品のほとんどは、試行錯誤の末にwikitext形式からの移行を経ています。ご理解いただければ幸いです。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年6月11日 (火) 18:32 (UTC)
== ja ==
重要なことなので、表現を変えてもう一度指摘しておきます。べつに[[m:削除主義|削除主義者]]の片棒を担ぐ気はさらさらありません。ウィキソース日本語版(ja ws)は「日本語(ja)の」コンテンツを扱うプロジェクトです。欧文のみコンテンツが投稿されていれば、日本語でないため、すぐに out of scope であると気づくはずです。しかし、日本国内にある日本語(ja)以外の言語には鈍感ではありませんか。ja以外の言語コンテンツは、対応する言語版に掲載します。対応する言語版が存在しなければ、[[oldwikisource:|オールドウィキソース]](ウィキメディア・インキュベータに相当するプロジェクト)に投稿します。jaの原文を収録するのが「日本語版」であって、「日本版」ではありません。tkn(徳之島語版)、ryu(琉球語版)、zh-classical(漢文版)、ja-classical(古典日本語版)、yoi(与那国語版)、xug(国頭語版)、mvi(宮古語版)などのja(日本語版)以外の言語が紛れていないか点検をお願いします。--[[利用者:Charidri|Charidri]] ([[利用者・トーク:Charidri|トーク]]) 2024年4月20日 (土) 12:58 (UTC)
:返り点は日本語独自のものであり他の言語に存在しない。他人に負担の大きい移植作業をやらさせるのではなく、自ら率先して移植作業を行い手本を示せ。隗より始めよ。--[[利用者:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]] ([[利用者・トーク:P9iKC7B1SaKk|トーク]]) 2024年4月21日 (日) 03:05 (UTC)
== Invitation to join April Wikisource Community Meeting ==
Hello fellow Wikisource enthusiasts!
We are the hosting this month’s Wikisource Community meeting on '''27 April 2024, 7 AM UTC''' ([https://zonestamp.toolforge.org/1714201200 check your local time]).
Similar to previous meetings, the agenda will be split into two segments. The first half will cover non-technical updates, such as events, conferences, proofread-a-thons, and collaborations. In the second half, we'll dive into technical updates and discussions, addressing key challenges faced by Wikisource communities.
Simply follow the link below to secure your spot and engage with fellow Wikisource enthusiasts:
[[:m:Event:Wikisource Community Meeting April 2024|Event Registration Page]]
If you have any suggestions or would just prefer being added to the meeting the old way,
simply drop a message on '''klawal-ctr@wikimedia.org'''.
Thank you for your continued dedication to Wikisource. We look forward to your active participation in our upcoming meeting.
Regards
[[:m:User:KLawal-WMF|KLawal-WMF]], [[:m:User:SWilson (WMF)|Sam Wilson (WMF)]], and [[:m:User:SGill (WMF)|Satdeep Gill (WMF)]]
<small> Sent using [[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年4月22日 (月) 12:21 (UTC)</small>
<!-- User:KLawal-WMF@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=25768507 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 第1期U4C委員選挙の投票について ==
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024/Announcement – vote opens|このメッセージはメタウィキで他の言語に翻訳されています。]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024/Announcement – vote opens}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
皆さん、こんにちは、
本日のお知らせは、現在、ユニバーサル行動規範調整委員会(U4C<sup>※</sup>)の選挙期間中であり、2024年5月9日が最終日である点を述べます(訳注:期日を延長)。選挙の詳細はぜひ[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024|メタウィキの選挙特設ページ]]を開いて、有権者の要件と選挙の手順をご参照ください。(※=Universal Code of Conduct Coordinating Committee。)
U4C(当委員会)はグローバルなグループとして、UCoCの公平で一貫した施行を促そうとしています。コミュニティ参加者の皆さんには過日、当委員会委員への立候補を呼びかけるお知らせを差し上げました。当委員会の詳細情報とその責務の詳細は、[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter|U4C 憲章]]をご一読願います。
本メッセージをご参加のコミュニティの皆さんにも共有してくだされば幸いです。
UCoC プロジェクトチーム一同になり代わり、よろしくお願いいたします。<section end="announcement-content" />
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年4月25日 (木) 20:20 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26390244 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== User:P9iKC7B1SaKk氏の即時ブロックについて ==
1か月ブロック後も暴言が収まらず、警告も無視されたので、[[w:Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者]]を準用して1週間の即時ブロックをいたしました。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年4月26日 (金) 12:17 (UTC)
* {{コ}} お疲れさまです。ブロック依頼で期間を一任としたため、ブロック明け後の行動も見ておりましたが、賛成票を入れた私が意見をすることで、かえって頑なさを助長してしまったようで、申し訳なく思います。1カ月間のブロックでも改まらなかったことが1週間でどうにかなるとは思えませんが、私が入力や校正をほとんど行っていないことは事実なので、私からブロック依頼を提出するつもりはないことを、ここに明言しておきます。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年4月26日 (金) 13:12 (UTC)
*:投稿ブロック依頼をしていただく必要はまったくありませんが、作業をするものだけが発言権があるというようなことを公言なさるのはいかがかと思います。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年4月26日 (金) 15:49 (UTC)
*::{{返}} うまく伝えられなくて、すみません。コミュニティを語るには私の経験は足りないと思っているので、「コミュニティを消耗させている'''ように見える'''」という私見での依頼にしてしまうのは憚られるため、1週間では足りないのではないかと思っても、提出をしない旨を伝えたいと思いました。発言権は作業をしなくても(初めてのウィキソースに触れる方などにも)あると思っています。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年4月26日 (金) 20:39 (UTC)
*:::ご趣旨承知いたしました。ブロック制度は被害の告発による追放や裁判というものではありませんので、責任をお感じになることはないものと思料いたします。このスレッドも単なる報告で、今後のことはまたあらためて議論させていただければ幸甚です。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年4月27日 (土) 07:17 (UTC)
== Wikimedians of Japan User Group 2024-04 ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
'''全体ニュース'''
*[[:m:Movement_Charter/Content/One-page_draft/ja|ウィキメディア運動憲章の下書き]](英語)が公表され、4月29日まで[[:m:Talk:Movement_Charter|意見を募集]]しています。意見は日本語で書けます。
*[[:m:Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Election/2024/ja|ユニバーサル行動規範調整委員会選挙]]の[[:m:Special:SecurePoll/vote/396|投票]]期間は5月7日までです。
'''「Wikimedians of Japan User Group」 からのお知らせ'''
*[[:m:ESEAP_Conference_2024/ja|ESEAPカンファレンス2024]]がマレーシアのコタキナバルにて、5月10日から12日まで開催されます。ユーザーグループのメンバーも参加します。
*[https://event.ospn.jp/osc2024-nagoya/ Open Source Conference 2024 Nagoya]が名古屋で5月25日に開催されます。ユーザーグループのメンバーも参加します。
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:南満洲鉄道ジテ1型気動車|南満洲鉄道ジテ1型気動車]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/南満洲鉄道ジテ1型気動車_20240411|選考中]](2024年5月10日 (水) 16:35 (UTC)まで)
**[[:w:ja:患者安全|患者安全]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/患者安全_20240411|選考中]](2024年5月10日 (水) 16:37 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ウクライナ文学|ウクライナ文学]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ウクライナ文学_20240411|選考中]](2024年5月9日 (木) 00:04 (UTC)まで)
**[[:w:ja:遺伝子|遺伝子]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/遺伝子_20240411|選考中]](2024年5月9日 (木) 00:04 (UTC)まで)
**[[:w:ja:南画|南画]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/南画_20240411|選考中]](2024年5月9日 (木) 00:05 (UTC)まで)
**[[:w:ja:PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2017年)|PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2017年)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/PlayStation 4のゲームタイトル一覧 (2017年) 20240412|選考中]](2024年5月12日 (金) 07:58 (UTC)まで)
**[[:w:ja:岸辺露伴 ルーヴルへ行く (映画)|岸辺露伴 ルーヴルへ行く (映画)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/岸辺露伴 ルーヴルへ行く (映画) 20240415|選考中]](2024年4月29日 (月) 16:29 (UTC)まで)
**[[:w:ja:装盾亜目|装盾亜目]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/装盾亜目 20240420|選考中]](2024年5月4日 (土) 05:59 (UTC)まで)
**[[:w:ja:うみへび座|うみへび座]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/うみへび座_20240422|選考中]](2024年5月6日 (月) 14:20 (UTC)まで)
**[[:w:ja:みずがめ座|みずがめ座]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/みずがめ座_20240422|選考中]](2024年5月6日 (月) 14:20 (UTC)まで)
**[[:w:ja:後円融天皇|後円融天皇]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/後円融天皇 20240423|選考中]](2024年5月7日 (火) 00:50 (UTC)まで)
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|月間新記事賞]]
**[[:w:ja:法隆寺再建非再建論争|法隆寺再建非再建論争]]
**[[:w:ja:南満洲鉄道ジテ1型気動車|南満洲鉄道ジテ1型気動車]]
**[[:w:ja:患者安全|患者安全]]
**[[:w:ja:シャーロット・パーキンズ・ギルマン|シャーロット・パーキンズ・ギルマン]]
**[[:w:ja:佐渡電灯|佐渡電灯]]
**[[:w:ja:末期の眼|末期の眼]]
**[[:w:ja:猿渡瞳|猿渡瞳]]
'''[[:voy:ja:メインページ|日本語版ウィキボヤージュ]]'''
*ニュース
**職員室さんが管理者に[[:voy:ja:Wikivoyage:管理者の信任/職員室 20240401|信任]]されました。
* [[:voy:ja:Wikivoyage:おすすめの旅行先|おすすめの旅行先]] 4-6月
** [[:voy:ja:プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方|プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方]]が[[voy:ja:Wikivoyage:おすすめの旅行先/選考|選考中]](まで)
'''5月のイベント情報'''
*5/26 ウィキペディアタウン天酒まつり in 久美浜([[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウン天酒まつり in 久美浜|詳細]])
</div>
<hr />
*'''前回配信:2024年3月29日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: ''[[m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''<br />
<small>[[m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list| 登録・削除]]。</small>2024年4月27日 (土) 10:49 (UTC)
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=26542970 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ドッツトーキョーの last_initial ==
{{終了}} ありがとうございました。--[[利用者:Foomin10|Foomin10]] ([[利用者・トーク:Foomin10|トーク]]) 2024年6月10日 (月) 04:20 (UTC)
不思議なカテゴリ [[:Category:作者-]] がありましたので、修正しようと見てみたら「[[作者:・・・・・・・・・]]」(ドッツトーキョーと読みます)が単独で収録されています。こちらを修正してからカテゴリの削除を依頼しようと思ったんですが、author の last_initial を「と」に編集しようとしたところ、自動的なストップがかかりました。理由は、いたずら対応です。保護はされていません。
ドッツトーキョーの last_initial は「と」でいいのではないでしょうか。ノートページも書き込みできませんでしたのでここに提起します。
ついでですが、{{tl|author}} の last_initial を記入しなかったときに、[[:Category:作者-]] にカテゴライズしないような条件文を入れるべきでしょう。--[[利用者:Foomin10|Foomin10]] ([[利用者・トーク:Foomin10|トーク]]) 2024年4月30日 (火) 11:01 (UTC)
: {{返信|[[利用者:Foomin10|Foomin10]]さん}} [[特別:不正利用記録]]に記録が残っていましたので、不正利用フィルターが動作したのでしょうね。日本語版ウィキソースは各種の不正利用フィルターがきつめに設定されているので、無害な編集であっても引っかかることが多いです。こうなると一般利用者にはどうしようもありません。管理者しか操作できませんので、[[Wikisource:管理者伝言板#いたずら対応の設定について]]にて、管理者に報告しました。修正まで気長にお待ちいただければと思います。
: 条件文のあるテンプレートについては、残念ながら具体的な解決策が思い付きません。実際にできるかは別として、DEFAULTSORT引数を参照して、自動的に作者カテゴリも設定できるようにする、とかでしょうか(とはいえ、この方法だと姓名の順序が逆になる文化圏の人物で判別ができませんね)。個人的には、{{cl|作者-}}はlast_initialに引数が入力されなかった時の、メンテナンス用カテゴリとして残しておいても良いのではないかと思います。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年5月3日 (金) 05:58 (UTC) {{small|通知を忘れていたため修正。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年5月3日 (金) 09:12 (UTC)}}
::さいきん起きていない荒しでしたのでフィルタを解除しました。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年5月3日 (金) 07:50 (UTC)
::: {{返信|[[利用者:Kzhr|Kzhr]]さん}} ありがとうございます。試しに編集したところ、問題はありませんでした。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年5月3日 (金) 09:11 (UTC)
== <span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">Sign up for the language community meeting on May 31st, 16:00 UTC</span> ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
<section begin="message"/>Hello all,
The next language community meeting is scheduled in a few weeks - May 31st at 16:00 UTC. If you're interested, you can [https://www.mediawiki.org/w/index.php?title=Wikimedia_Language_engineering/Community_meetings#31_May_2024 sign up on this wiki page].
This is a participant-driven meeting, where we share language-specific updates related to various projects, collectively discuss technical issues related to language wikis, and work together to find possible solutions. For example, in the last meeting, the topics included the machine translation service (MinT) and the languages and models it currently supports, localization efforts from the Kiwix team, and technical challenges with numerical sorting in files used on Bengali Wikisource.
Do you have any ideas for topics to share technical updates related to your project? Any problems that you would like to bring for discussion during the meeting? Do you need interpretation support from English to another language? Please reach out to me at ssethi(__AT__)wikimedia.org and [[etherpad:p/language-community-meeting-may-2024|add agenda items to the document here]].
We look forward to your participation!
<section end="message"/>
</div>
<bdi lang="en" dir="ltr">[[User:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]]</bdi> 2024年5月14日 (火) 21:23 (UTC)
<!-- User:SSethi (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26390244 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Invitation to join May Wikisource Community Meeting ==
Hello fellow Wikisource enthusiasts!
We're excited to announce our upcoming Wikisource Community meeting, scheduled for '''25 May 2024, 3 PM UTC''' ([https://zonestamp.toolforge.org/1716649200 check your local time]).
As always, your participation is crucial to the success of our community discussions.
Similar to previous meetings, the agenda will be split into two segments. The first half will cover non-technical updates, such as events, conferences, proofread-a-thons, and collaborations. In the second half, we'll dive into technical updates and discussions, addressing key challenges faced by Wikisource communities.
Simply follow the link below to secure your spot and engage with fellow Wikisource enthusiasts:
[[:m:Event:Wikisource Community Meeting May 2024|Event Registration Page]]
Agenda Suggestions:
Your input matters! Feel free to suggest any additional topics you'd like to see included in the agenda.
If you have any suggestions or would just prefer being added to the meeting the old way,
simply drop a message on '''klawal-ctr@wikimedia.org'''.
Thank you for your continued dedication to Wikisource. We look forward to your active participation in our upcoming meeting.
Regards,
[[:m:User:KLawal-WMF|KLawal-WMF]], [[:m:User:SWilson (WMF)|Sam Wilson (WMF)]], and [[:m:User:SGill (WMF)|Satdeep Gill (WMF)]]
<small> Sent using [[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年5月20日 (月) 11:34 (UTC)</small>
<!-- User:KLawal-WMF@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=25768507 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== <span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr"> Feedback invited on Procedure for Sibling Project Lifecycle</span> ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation Community Affairs Committee/Procedure for Sibling Project Lifecycle/Invitation for feedback (MM)|You can find this message translated into additional languages on Meta-wiki.]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Wikimedia Foundation Community Affairs Committee/Procedure for Sibling Project Lifecycle/Invitation for feedback (MM)}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
[[File:Sibling Project Lifecycle Conversation 3.png|150px|right|link=:m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation Community Affairs Committee/Procedure for Sibling Project Lifecycle]]
Dear community members,
The [[:m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation Community Affairs Committee|Community Affairs Committee]] (CAC) of the [[:m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation Board of Trustees|Wikimedia Foundation Board of Trustees]] invites you to give feedback on a '''[[:m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation Community Affairs Committee/Procedure for Sibling Project Lifecycle|draft Procedure for Sibling Project Lifecycle]]'''. This draft Procedure outlines proposed steps and requirements for opening and closing Wikimedia Sibling Projects, and aims to ensure any newly approved projects are set up for success. This is separate from the procedures for opening or closing language versions of projects, which is handled by the [[:m:Special:MyLanguage/Language committee|Language Committee]] or [[m:Special:MyLanguage/Closing_projects_policy|closing projects policy]].
You can find the details on [[:m:Special:MyLanguage/Talk:Wikimedia Foundation Community Affairs Committee/Procedure for Sibling Project Lifecycle#Review|this page]], as well as the ways to give your feedback from today until the end of the day on '''June 23, 2024''', anywhere on Earth.
You can also share information about this with the interested project communities you work with or support, and you can also help us translate the procedure into more languages, so people can join the discussions in their own language.
On behalf of the CAC,<section end="announcement-content" />
</div>
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年5月22日 (水) 02:25 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26390244 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-05 ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
'''全体ニュース'''
* 5月28日から6月25日にかけて、非ログイン利用者を対象に[[:w:ja:Wikipedia:お知らせ/ウィキメディア共通#日本におけるウィキメディア財団バナー募金キャンペーン、来週開始|ウィキメディア財団バナー募金キャンペーン]]が行われます。キャンペーン開始前とキャンペーン期間中にお気づきの点があれば[[:m:Talk:Fundraising|資金調達チームのトークページへ連絡]]してください。
* [[:m:Wikimedia Foundation elections/2024/Questions for candidates|ウィキメディア財団理事会選挙の候補者への質問]]が6月12日まで行われます。
'''「Wikimedians of Japan User Group」 からのお知らせ'''
*[[:m:ESEAP_Conference_2024/ja|ESEAPカンファレンス2024]]に参加しました。
*[https://event.ospn.jp/osc2024-nagoya/ Open Source Conference 2024 Nagoya]に参加しました。
* 現在、日本語版ユーザーの『モチベーションと不満点』に対してインタビュー調査を行っています。依頼が届いた方はご協力くだされば幸いです。
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:天王星の衛星|天王星の衛星]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/天王星の衛星_20240511|選考中]](2024年6月8日 (土) 00:04 (UTC)まで)
**[[:w:ja:真核生物|真核生物]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/真核生物_20240511|選考中]](2024年6月7日 (金) 12:03 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ズファル・ブン・アル=ハーリス・アル=キラービー|ズファル・ブン・アル=ハーリス・アル=キラービー]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ズファル・ブン・アル=ハーリス・アル=キラービー_20240521|選考中]](2024年6月4日 (火) 23:59 (UTC)まで)
**[[:w:ja:邪宗門 (高橋和巳)|邪宗門 (高橋和巳) ]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/邪宗門 (高橋和巳) 20240525|選考中]](2024年6月8日 (土) 02:16 (UTC)まで)
**[[:w:ja:丸山遊女|丸山遊女]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/丸山遊女 20240525|選考中]](2024年6月8日 (土) 02:19 (UTC)まで)
**[[:w:ja:中華民国政府|中華民国政府]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中華民国政府 20240525|選考中]](2024年6月8日 (土) 07:50 (UTC)まで)
**[[:w:ja:わし座|わし座]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/わし座_20240526|選考中]](2024年6月9日 (日) 12:02 (UTC)まで)
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|月間新記事賞]]
**[[:w:ja:この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば|この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば]]
**[[:w:ja:デジタル保存|デジタル保存]]
**[[:w:ja:桃取町|桃取町]]
**[[:w:ja:東一口|東一口]]
**[[:w:ja:野間地域|野間地域]]
**[[:w:ja:中華民国政府|中華民国政府]]
'''6月のイベント情報'''
*2024年5月18日から6月に連続講義形式 ウィキペディアタウン in 加賀 season2([[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウン in 加賀 season2|詳細]])
*6/1-2 ウィキペディア見本市 in 大江(第2回みすずフェスタ)([[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディア見本市 in 大江(第2回みすずフェスタ)|詳細]])
*6/22 遺跡 de ウィキペディア in 糞置遺跡([[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#遺跡 de ウィキペディア in 糞置遺跡|詳細]])
</div>
<hr />
*'''前回配信:2024年4月28日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: '''[[:m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''' <br />
<small>[[m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[:m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list|購読登録・削除]]。</small>2024年5月31日 (金) 07:50 (UTC)
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=26542970 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 第1回ユニバーサル行動規範調整委員会のお知らせ ==
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024/Announcement – results|このメッセージはMeta-wikiで他の言語に翻訳されています。]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024/Announcement – results}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
こんにちは
検査員による投票結果の確認が終了しました。私達は第1回[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024|ユニバーサル行動規範調整委員会(U4C)選挙]]の結果をフォローアップしています。
下記の方々がU4Cの地域メンバーとして2年間の任期を務めることをお知らせいたします:
* 北アメリカ(アメリカ合衆国、カナダ)
** –
* ヨーロッパ北部と西部
** [[m:Special:MyLanguage/User:Ghilt|Ghilt]]
* ラテンアメリカとカリブ海地域
** –
* ヨーロッパ中部と東部(CEE)
** —
* サハラ以南アフリカ
** –
* 中東と北アフリカ
** [[m:Special:MyLanguage/User:Ibrahim.ID|Ibrahim.ID]]
* 東アジア、東南アジアならびに太平洋地域(ESEAP)
** [[m:Special:MyLanguage/User:0xDeadbeef|0xDeadbeef]]
* 南アジア
** –
下記の方々がU4Cのコミュニティ全体のメンバーとして選出され、1年間の任期を務めます:
* [[m:Special:MyLanguage/User:Barkeep49|Barkeep49]]
* [[m:Special:MyLanguage/User:Superpes15|Superpes15]]
* [[m:Special:MyLanguage/User:Civvì|Civvì]]
* [[m:Special:MyLanguage/User:Luke081515|Luke081515]]
* –
* –
* –
* –
参加してくださった皆様に改めてお礼申し上げるとともに、候補者の方々のウィキメディア運動とコミュニティに対するリーダーシップと献身に感謝いたします。
今後数週間のうちに、U4Cは会議を開き、UCoCと施行ガイドラインの施行と再検討を後押しする2024-25年の計画を立て始めます。[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee|メタウィキ]]で今後の活動を追うことができます。
UCoC プロジェクトチーム一同代表<section end="announcement-content" />
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年6月3日 (月) 08:15 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26390244 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== <span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">The final text of the Wikimedia Movement Charter is now on Meta</span> ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Movement Charter/Drafting Committee/Announcement - Final draft available|You can find this message translated into additional languages on Meta-wiki.]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Movement Charter/Drafting Committee/Announcement - Final draft available}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
Hi everyone,
The final text of the [[m:Special:MyLanguage/Movement Charter|Wikimedia Movement Charter]] is now up on Meta in more than 20 languages for your reading.
'''What is the Wikimedia Movement Charter?'''
The Wikimedia Movement Charter is a proposed document to define roles and responsibilities for all the members and entities of the Wikimedia movement, including the creation of a new body – the Global Council – for movement governance.
'''Join the Wikimedia Movement Charter “Launch Party”'''
Join the [[m:Special:MyLanguage/Event:Movement Charter Launch Party|“Launch Party”]] on '''June 20, 2024''' at '''14.00-15.00 UTC''' ([https://zonestamp.toolforge.org/1718892000 your local time]). During this call, we will celebrate the release of the final Charter and present the content of the Charter. Join and learn about the Charter before casting your vote.
'''Movement Charter ratification vote'''
Voting will commence on SecurePoll on '''June 25, 2024''' at '''00:01 UTC''' and will conclude on '''July 9, 2024''' at '''23:59 UTC.''' You can read more about the [[m:Special:MyLanguage/Movement Charter/Ratification/Voting|voting process, eligibility criteria, and other details]] on Meta.
If you have any questions, please leave a comment on the [[m:Special:MyLanguage/Talk:Movement Charter|Meta talk page]] or email the MCDC at [mailto:mcdc@wikimedia.org mcdc@wikimedia.org].
On behalf of the MCDC,<section end="announcement-content" />
</div>
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年6月11日 (火) 08:45 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26390244 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ブロック依頼:[[User:P9iKC7B1SaKk]]氏20240611 ==
一方的な発言を無限に繰り返し、まともに対話不能のため[[w:Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者]]を準用して無期限ブロックをいたしました。この処置を維持するか否か、ご判断をいただきたく存じます。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年6月11日 (火) 14:44 (UTC)
:* {{賛成}}ブロックを追認します。2度のブロックを経ても、参加姿勢が変わることがなかったうえに、自身の今までを振り返り、改善点を探る気もないように見えます。「[[#全集の収録方法について]]」では、「議論を続けるべきではない」と言っていながら、「議論が止まっている」とするなど、被依頼者の言動は整合性に欠け、対話を成立させるためにコミュニティのコストを割くことは合理的でないと思います。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年6月11日 (火) 17:07 (UTC) <small>link失敗につき修正。<!-- 仕様が分かりませんが、サブページ化用(?)に。 -->--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年6月12日 (水) 03:27 (UTC)</small>
:* {{賛成}}攻撃的な発言を繰り返しており、やむを得ないと思われます。期間は数日間でしょうか。残念です。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2024年6月11日 (火) 17:32 (UTC)
:* {{コメント}}[[User:P9iKC7B1SaKk|P9iKC7B1SaKk]]氏の対話ページでの議論は必要以上に敵対的な語調になることが多いと感じます。また感情が高ぶりやすい性格なのかもしれないとも感じます。私も、P9iK さんにはもう少し落ち着いた調子で議論してもらいたいと思います。そこで、ブロック期間を4週間ぐらいの期間に設定することを提案します。--[[利用者:村田ラジオ|村田ラジオ]] ([[利用者・トーク:村田ラジオ|トーク]]) 2024年6月15日 (土) 14:54 (UTC)
:* {{コメント}} ひとまずコメントを残します。被依頼者は過去に1か月間の長期ブロックと1週間の短期ブロックを受けている上で、この依頼に至っています。具体的な期間には言及しませんが、短期での投稿ブロックは無意味ではないかと思います。--[[利用者:鐵の時代|鐵の時代]] ([[利用者・トーク:鐵の時代|トーク]]) 2024年6月18日 (火) 14:53 (UTC)
:{{コメント}}被依頼者は時限ブロックの際、協議にまったく応じず、無期限ブロックするしかないと豪語し、ただ時が経つのを待っていました。それをふまえての依頼です。--[[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2024年6月20日 (木) 04:29 (UTC)
== ウィキメディア運動憲章の批准投票を受け付け中です – ぜひ投票を ==
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Movement Charter/Drafting Committee/Announcement - Ratification vote opens|このメッセージはMeta-wikiで他の言語に翻訳されています。]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Movement Charter/Drafting Committee/Announcement - Ratification vote opens}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
皆さん、こんにちは。
[[m:Special:MyLanguage/Movement Charter|'''ウィキメディア運動憲章''']]の批准を問う選挙を開催中です。この憲章(Wikimedia Movement Charter)とは、ウィキメディア運動のすべての参加者および団体について役割と責任を定義する文書であり、グローバル評議会という運動の組織統治を担当する新組織の設立もその内容に含まれています。
ウィキメディア運動憲章の最終稿は[[m:Special:MyLanguage/Movement Charter|メタで]]日本語でもお読みいただけます。
Voting 投票受付は'''2024年6月25日'''の'''00:01 UTC''' 付で SecurePoll (訳注:外部サイト) において始まり、'''2024年7月9日'''の'''23:59 UTC''' に締め切ります。[[m:Special:MyLanguage/Movement Charter/Ratification/Voting|投票者に関する情報と同要件]]の詳細をぜひご一読ください。
同憲章を読まれた皆さんは、ぜひ[[Special:SecurePoll/vote/398|'''こちらで投票''']]し、また、このメモを他の人と共有してください。
批准投票に関するいずれの質問も、右記の憲章選挙管理委員会にお尋ね願います:[mailto:cec@wikimedia.org '''cec{{@}}wikimedia.org''']。
憲章選挙管理委員会(CEC)を代表して、<section end="announcement-content" />
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年6月25日 (火) 10:52 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26989444 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Invitation to join June Wikisource Community Meeting ==
Hello fellow Wikisource enthusiasts!
We're excited to announce our upcoming Wikisource Community meeting, scheduled for '''29 June 2024, 7 AM UTC''' ([https://zonestamp.toolforge.org/1719644400 check your local time]).
As always, your participation is crucial to the success of our community discussions.
Similar to previous meetings, the agenda will be split into two segments. The first half will cover non-technical updates, such as events, conferences, proofread-a-thons, and collaborations. In the second half, we'll dive into technical updates and discussions, addressing key challenges faced by Wikisource communities.
Simply follow the link below to secure your spot and engage with fellow Wikisource enthusiasts:
[[:m:Event:Wikisource Community Meeting June 2024|Event Registration Page]]
Agenda Suggestions:
Your input matters! Feel free to suggest any additional topics you'd like to see included in the agenda.
If you have any suggestions or would just prefer being added to the meeting the old way,
simply drop a message on '''sgill@wikimedia.org'''.
Thank you for your continued dedication to Wikisource. We look forward to your active participation in our upcoming meeting.
Regards,
[[:m:User:KLawal-WMF|KLawal-WMF]], [[:m:User:SWilson (WMF)|Sam Wilson (WMF)]], and [[:m:User:SGill (WMF)|Satdeep Gill (WMF)]]
<small> Sent using [[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年6月26日 (水) 17:17 (UTC)</small>
<!-- User:KLawal-WMF@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=25768507 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-06 ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
'''全体ニュース'''
*[[:m:Movement_Charter/ja|ウィキメディア運動憲章]]が公開されました。SecurePoll上で2024年7月9日の23:59(UTC)まで[[Movement_Charter/Ratification/Voting/ja|批准投票]]が行われます。[[m:Talk:Movement_Charter|関連議論]](日本語で意見が書けます)
* 6月17日の日本経済新聞にウィキメディア・プロジェクトを立ち上げたジミー・ウェールズ氏のインタビューが掲載されました。[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO81433030X10C24A6MM8000/ ウィキペディア創設者の再挑戦 世界中と連携、技術悪用防ぐ](会員限定記事)
*7月から[[:m:Wikimedia Foundation Bulletin|ウィキメディア財団ニュースレター]]が毎週発行されます。[[:m:Global message delivery/Targets/Wikimedia Foundation Bulletin|ここ]]から購読可能です。
'''「Wikimedians of Japan User Group」 からのお知らせ'''
* 7月27日に、[https://event.ospn.jp/osc2024-kyoto/ オープン・ソース・カンファレンス京都] に参加します。
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:天王星の衛星|天王星の衛星]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/天王星の衛星_20240511|選考中]](2024年6月8日 (土) 00:04 (UTC)まで)
**[[:w:ja:2010年バンクーバーオリンピックのサンマリノ選手団|2010年バンクーバーオリンピックのサンマリノ選手団]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/2010年バンクーバーオリンピックのサンマリノ選手団_20240610|選考中]](2024年7月8日 (月) 08:56 (UTC)まで)
**[[:w:ja:輸血|輸血]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/輸血_20240611|選考中]](2024年7月9日 (火) 00:04 (UTC)まで)
**[[:w:ja:こと座|こと座]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/こと座_20240611|選考中]](2024年7月9日 (火) 00:05 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ウビナス|ウビナス]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ウビナス_20240620|選考中]](2024年7月4日 (木) 23:59 (UTC)まで)
**[[:w:ja:宮川電気|宮川電気]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/宮川電気_20240622|選考中]](2024年7月5日 (金) 15:26 (UTC)まで)
**[[:w:ja:鯰絵|鯰絵]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/鯰絵_20240622|選考中]](2024年7月5日 (金) 15:28 (UTC)まで)
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|月間新記事賞]]
**[[:w:ja:キリストの墓 (日本)|キリストの墓 (日本)]]
**[[:w:ja:八重山諸島のマラリア|八重山諸島のマラリア]]
**[[:w:ja:石黒荘|石黒荘]]
**[[:w:ja:辻キヨ|辻キヨ]]
**[[:w:ja:竹内巨麿|竹内巨麿]]
**[[:w:ja:普賢菩薩像 (東京国立博物館本)|普賢菩薩像 (東京国立博物館本)]]
'''7月のイベント情報'''
* 7月4日 東京都台東区「[https://sites.google.com/view/q-gakujutsu/home 学術バーQ]」にて Wikipediaガチ勢トーーク!!([https://calendar.google.com/calendar/event?eid=djh0MGU2MHY1bTI4bDdxNjA0ZmNyOW45bDggcS5nYWt1anV0c3VAbQ&ctz=UTC 詳細])
* 7月7日(日)福井県福井市 [[:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウン稲沢|ウィキペディアタウン稲沢]]
* 7月15日(月)滋賀県大津市 瀬田の神社をデジタルアーカイブ![https://countries-romantic.connpass.com/event/322594/ 詳細]
* 7月21日(日)愛知県[[:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディア愛知登文会|ウィキペディア愛知登文会]]
* 7月27日(日)島根県隠岐郡 第二回 [[:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウンin知夫里島|ウィキペディアタウンin知夫里島]]
</div>
<hr />
*'''前回配信:2024年5月31日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: '''[[m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''' <br />
<small>[[m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list|購読登録・削除]]。</small>2024年6月30日 (日) 09:49 (UTC)
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=26542970 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ウィキメディア運動憲章の批准投票はまもなく締め切りです ==
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Movement Charter/Drafting Committee/Announcement - Final reminder|このメッセージを他の言語で読むには、Meta-wikiをご覧ください。]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Movement Charter/Drafting Committee/Announcement - Final reminder}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
皆さん、こんにちは。
本日のご案内では、[[m:Special:MyLanguage/Movement Charter|ウィキメディア運動憲章]]の批准を問う選挙の投票受付について、'''2024年7月9日'''の'''23:59 UTC''' 時点で締め切る点をお知らせしています。
まだ票を入れておられない場合は、[[m:Special:SecurePoll/vote/398|SecurePoll]](訳注:外部リンク)にて投票してください。
[[m:Special:MyLanguage/Movement_Charter/Ratification/Voting#Electoral_Commission|憲章選挙管理委員会]]一同を代表して、<section end="announcement-content" />
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年7月8日 (月) 03:47 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26989444 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== <span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">U4C Special Election - Call for Candidates</span> ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Announcement – call for candidates|You can find this message translated into additional languages on Meta-wiki.]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Announcement – call for candidates}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
Hello all,
A special election has been called to fill additional vacancies on the U4C. The call for candidates phase is open from now through July 19, 2024.
The [[:m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee|Universal Code of Conduct Coordinating Committee]] (U4C) is a global group dedicated to providing an equitable and consistent implementation of the [[:foundation:Wikimedia Foundation Universal Code of Conduct|UCoC]]. Community members are invited to submit their applications in the special election for the U4C. For more information and the responsibilities of the U4C, please review the [[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter|U4C Charter]].
In this special election, according to [[Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter#2. Elections and Terms|chapter 2 of the U4C charter]], there are 9 seats available on the U4C: '''four''' community-at-large seats and '''five''' regional seats to ensure the U4C represents the diversity of the movement. [[Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter#5. Glossary|No more than two members of the U4C can be elected from the same home wiki]]. Therefore, candidates must not have English Wikipedia, German Wikipedia, or Italian Wikipedia as their home wiki.
Read more and submit your application on [[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election|Meta-wiki]].
In cooperation with the U4C,<section end="announcement-content" />
</div>
-- [[m:User:Keegan (WMF)|Keegan (WMF)]] ([[m:User talk:Keegan (WMF)|talk]]) 2024年7月10日 (水) 00:03 (UTC)
<!-- User:Keegan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26989444 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== <span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">Wikimedia Movement Charter ratification voting results</span> ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Movement Charter/Drafting Committee/Announcement - Results of the ratification vote|You can find this message translated into additional languages on Meta-wiki.]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Movement Charter/Drafting Committee/Announcement - Results of the ratification vote}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
Hello everyone,
After carefully tallying both individual and affiliate votes, the [[m:Special:MyLanguage/Movement Charter/Ratification/Voting#Electoral Commission|Charter Electoral Commission]] is pleased to announce the final results of the Wikimedia Movement Charter voting.
As [[m:Special:MyLanguage/Talk:Movement Charter#Thank you for your participation in the Movement Charter ratification vote!|communicated]] by the Charter Electoral Commission, we reached the quorum for both Affiliate and individual votes by the time the vote closed on '''July 9, 23:59 UTC'''. We thank all 2,451 individuals and 129 Affiliate representatives who voted in the ratification process. Your votes and comments are invaluable for the future steps in Movement Strategy.
The final results of the [[m:Special:MyLanguage/Movement Charter|Wikimedia Movement Charter]] ratification voting held between 25 June and 9 July 2024 are as follows:
'''Individual vote:'''
Out of 2,451 individuals who voted as of July 9 23:59 (UTC), 2,446 have been accepted as valid votes. Among these, '''1,710''' voted “yes”; '''623''' voted “no”; and '''113''' selected “–” (neutral). Because the neutral votes don’t count towards the total number of votes cast, 73.30% voted to approve the Charter (1710/2333), while 26.70% voted to reject the Charter (623/2333).
'''Affiliates vote:'''
Out of 129 Affiliates designated voters who voted as of July 9 23:59 (UTC), 129 votes are confirmed as valid votes. Among these, '''93''' voted “yes”; '''18''' voted “no”; and '''18''' selected “–” (neutral). Because the neutral votes don’t count towards the total number of votes cast, 83.78% voted to approve the Charter (93/111), while 16.22% voted to reject the Charter (18/111).
'''Board of Trustees of the Wikimedia Foundation:'''
The Wikimedia Foundation Board of Trustees voted '''not to ratify''' the proposed Charter during their special Board meeting on July 8, 2024. The Chair of the Wikimedia Foundation Board of Trustees, Nataliia Tymkiv, [[m:Special:MyLanguage/Wikimedia_Foundation_Board_noticeboard/Board_resolution_and_vote_on_the_proposed_Movement_Charter|shared the result of the vote, the resolution, meeting minutes and proposed next steps]].
With this, the Wikimedia Movement Charter in its current revision is '''not ratified'''.
We thank you for your participation in this important moment in our movement’s governance.
The Charter Electoral Commission,
[[m:User:Abhinav619|Abhinav619]], [[m:User:Borschts|Borschts]], [[m:User:Iwuala Lucy|Iwuala Lucy]], [[m:User:Tochiprecious|Tochiprecious]], [[m:User:Der-Wir-Ing|Der-Wir-Ing]]<section end="announcement-content" />
</div>
[[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年7月18日 (木) 17:53 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26989444 のリストを使用して送信したメッセージ -->
==コミュニティ技術チームより:「コミュニティ要望リスト」開始のお知らせ==
ウィキメディア編集者の技術面や機能面で必要とされている内容を伺うためにこれまで実施してきた[[metawiki:Community_Wishlist_Survey/ja|コミュニティ要望調査]]が、この度「[[metawiki:Community_Wishlist/ja|コミュニティ要望リスト]]」に一新され、皆さまからの「要望」を受付中です。主な変更内容は下記の通りです。
* 「要望」は通年で受け付けております
* 「要望」を投稿いただくにあたり、技術的な知識の有無は問いません。むしろウィキプロジェクトの機能や使い勝手について、日頃皆さんが不便や不都合を感じられている内容について日本語でお聞かせください(詳しくは「[[metawiki:Community_Wishlist/ja#有効な要望を書くには|有効な要望を書くには]]」をご参照ください)
* 様々な「要望」の中から重点領域をしぼりこんだ上で、財団の技術・商品チームが提携団体やボランティア開発者の皆さんと、今まで以上に強固な協力体制のもとで課題解決に向けて取り組むことを目指します
2024年8月に最初となる重点領域の第1弾を公開予定のため、すでに「要望」がある方は是非[[metawiki:Community_Wishlist/ja|こちら]]より投稿ください。それ以降でも、ウィキメディア・プロジェクトの機能面に特化した目安箱に願い事を投書するような感覚で、いつでもお気軽に日本語で投稿いただけると幸いです。
どうぞ宜しくお願いいたします。
コミュニティ技術チームに代わり、[[利用者:JNakayama-WMF|JNakayama-WMF]] ([[利用者・トーク:JNakayama-WMF|トーク]]) 2024年7月22日 (月) 02:22 (UTC)
== <span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">Vote now to fill vacancies of the first U4C</span> ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Announcement – voting opens|You can find this message translated into additional languages on Meta-wiki.]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Announcement – voting opens}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
Dear all,
I am writing to you to let you know the voting period for the Universal Code of Conduct Coordinating Committee (U4C) is open now through '''August 10, 2024'''. Read the information on the [[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election|voting page on Meta-wiki]] to learn more about voting and voter eligibility.
The Universal Code of Conduct Coordinating Committee (U4C) is a global group dedicated to providing an equitable and consistent implementation of the UCoC. Community members were invited to submit their applications for the U4C. For more information and the responsibilities of the U4C, please [[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Charter|review the U4C Charter]].
Please share this message with members of your community so they can participate as well.
In cooperation with the U4C,<section end="announcement-content" />
</div>
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年7月27日 (土) 02:47 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=26989444 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-07 ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
'''全体ニュース'''
* [[:m:Movement_Charter/ja|運動憲章]]はウィキメディア財団理事会が批准しないと決議したため、投票の結果に関わらず否決されました。
* [[:m:Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Election/2024_Special_Election/ja|ユニバーサル行動規範調整委員会特別選挙]]の投票期間は8月10日23:59:59 (UTC)までです。
* 新しい[[:m:Community_Wishlist/ja|コミュニティ要望リスト]]が公開されました。
'''「Wikimedians of Japan User Group」 からのお知らせ'''
* 7月27日に、[https://event.ospn.jp/osc2024-kyoto/ オープン・ソース・カンファレンス京都] に参加しました。
* 8月7日から10日までポーランドで行われる[[:wikimania:2024:Wikimania/ja|ウィキマニア2024]]に参加します。オンライン参加の登録はいつでも無料で可能です。
* [[:wmfblog:ja/2024/07/17/日本語版ウィキペディア女性参加者へのインタビ/|日本語版ウィキペディア女性参加者へのインタビュー《前半》]]と[[:wmfblog:ja/2024/07/18/日本語版ウィキペディア女性参加者へのインタビ-2/|日本語版ウィキペディア女性参加者へのインタビュー《後半》—— Wadakuramonさん]]が公開されました。
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:血圧|血圧]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/血圧|選考中]](2024年8月8日 (木) 22:12 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ハリシュチャンドラ王|ハリシュチャンドラ王]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ハリシュチャンドラ王|選考中]](2024年8月14日 (木) 01:37 (UTC)まで)
**[[:w:ja:イブン・アル=アシュアス|イブン・アル=アシュアス]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/イブン・アル=アシュアス|選考中]](2024年8月1日 (木) 23:59 (UTC)まで)
**[[:w:ja:QPS研究所|QPS研究所]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/QPS研究所|選考中]](2024年8月13日 (火) 13:36 (UTC)まで)
**[[:w:ja:音無親水公園|音無親水公園]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/音無親水公園|選考中]](2024年8月13日 (火) 14:58 (UTC)まで)
**[[:w:ja:彦根市のマラリア対策|彦根市のマラリア対策]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/彦根市のマラリア対策|選考中]](2024年8月13日 (火) 14:59 (UTC)まで)
**[[:w:ja:名主 (江戸)|名主 (江戸)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/名主 (江戸)|選考中]](2024年8月13日 (火) 15:00 (UTC)まで)
**[[:w:ja:北条時行|北条時行]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/北条時行|選考中]](2024年8月13日 (火) 22:33 (UTC)まで)
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|6月の月間新記事賞]]
**[[:w:ja:中国料理ピカイチ|中国料理ピカイチ]]
**[[:w:ja:ニコンF|ニコンF]]
**[[:w:ja:ハルビン市の歴史|ハルビン市の歴史]]
**[[:w:ja:包括的共同作業計画|包括的共同作業計画]]
**[[:w:ja:OKサイン|OKサイン]]
'''[[:wikitech:|ウィキテック]]'''
* ウィキテックのアカウントが[[:m:Help:Unified_login/ja|SUL]]に移行されます。9月16日までに https://idm.wikimedia.org/ で開発者アカウントにウィキメディア・グローバルアカウントを紐づけてください。([[:wikitech:News/Migrating_Wikitech_Account_to_SUL|詳細]])
'''8月のイベント情報'''
* 8月4日(一般)、8月5日(高校生) [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#豊の国情報ライブラリー開館30周年記念「ウィキペディアタウン@豊の国情報ライブラリー」|豊の国情報ライブラリー開館30周年記念「ウィキペディアタウン@豊の国情報ライブラリー」]]
* 8月25日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウンin田原|ウィキペディアタウンin田原]]
* 8月26日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディア愛知登文会 ワークショップ1回目|ウィキペディア愛知登文会 ワークショップ1回目]]
<hr />
*'''前回配信:2024年6月30日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: '''[[m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''' <br />
<small>[[m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list|購読登録・削除]]。</small>2024年7月31日 (水) 09:16 (UTC)
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=26542970 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== <span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">Reminder! Vote closing soon to fill vacancies of the first U4C</span> ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">
<section begin="announcement-content" />
:''[[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Announcement – reminder to vote|You can find this message translated into additional languages on Meta-wiki.]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Announcement – reminder to vote}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
Dear all,
The voting period for the Universal Code of Conduct Coordinating Committee (U4C) is closing soon. It is open through 10 August 2024. Read the information on [[m:Special:MyLanguage/Universal_Code_of_Conduct/Coordinating_Committee/Election/2024_Special_Election#Voting|the voting page on Meta-wiki to learn more about voting and voter eligibility]]. If you are eligible to vote and have not voted in this special election, it is important that you vote now.
'''Why should you vote?''' The U4C is a global group dedicated to providing an equitable and consistent implementation of the UCoC. Community input into the committee membership is critical to the success of the UCoC.
Please share this message with members of your community so they can participate as well.
In cooperation with the U4C,<section end="announcement-content" />
</div>
-- [[m:User:Keegan (WMF)|Keegan (WMF)]] ([[m:User talk:Keegan (WMF)|talk]]) 2024年8月6日 (火) 15:30 (UTC)
<!-- User:Keegan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=27183190 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 予告:脚注に枝番を付ける機能 – お試しください! ==
<section begin="Sub-referencing"/>
[[File:Sub-referencing reuse visual.png|{{#ifeq:{{#dir}}|ltr|right|left}}|400px]]
<span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">Hello. For many years, community members have requested an easy way to re-use references with different details. Now, a MediaWiki solution is coming: The new sub-referencing feature will work for wikitext and Visual Editor and will enhance the existing reference system. You can continue to use different ways of referencing, but you will probably encounter sub-references in articles written by other users. More information on [[m:Special:MyLanguage/WMDE Technical Wishes/Sub-referencing|the project page]].</span>
この機能が皆さんにとって適切であるかどうか、'''ぜひフィードバックをお願いします'''(訳注:感想やご指摘の投稿手順は以下のとおり)。
* ベータ版ウィキで現状の開発状態を[[m:Special:MyLanguage/WMDE Technical Wishes/Sub-referencing#Test|試してみて]]から、[[m:Talk:WMDE Technical Wishes/Sub-referencing|感想その他を投稿してください]]。
* 今後の情報更新の受信および/または利用者アンケート参加の希望者は、[[m:WMDE Technical Wishes/Sub-referencing/Sign-up|こちらに署名]]してください。
[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Deutschland|ウィキメディア・ドイツ協会]]では[[m:Special:MyLanguage/WMDE Technical Wishes|技術要望]]チームがこの機能を今年後半にもウィキメディアに展開する計画を立てています。ツールやテンプレート類の制作者/メンテナーで典拠関連の皆さんには事前にご連絡する予定です。
このお知らせが広まるよう、ご協力をお願いします。 --[[m:User:Johannes Richter (WMDE)|Johannes Richter (WMDE)]] ([[m:User talk:Johannes Richter (WMDE)|talk]]) 10:36, 19 August 2024 (UTC)
<section end="Sub-referencing"/>
<!-- User:Johannes Richter (WMDE)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Johannes_Richter_(WMDE)/Sub-referencing/massmessage_list&oldid=27309345 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Sign up for the language community meeting on August 30th, 15:00 UTC ==
Hi all,
The next language community meeting is scheduled in a few weeks—on August 30th at 15:00 UTC. If you're interested in joining, you can [https://www.mediawiki.org/wiki/Wikimedia_Language_and_Product_Localization/Community_meetings#30_August_2024 sign up on this wiki page].
This participant-driven meeting will focus on sharing language-specific updates related to various projects, discussing technical issues related to language wikis, and working together to find possible solutions. For example, in the last meeting, topics included the Language Converter, the state of language research, updates on the Incubator conversations, and technical challenges around external links not working with special characters on Bengali sites.
Do you have any ideas for topics to share technical updates or discuss challenges? Please add agenda items to the document [https://etherpad.wikimedia.org/p/language-community-meeting-aug-2024 here] and reach out to ssethi(__AT__)wikimedia.org. We look forward to your participation!
[[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年8月22日 (木) 23:20 (UTC)
<!-- User:SSethi (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=27183190 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-08 ==
<div lang="en" dir="ltr">
'''全体ニュース'''
* [[:m:Wikimedia_Foundation_elections/2024/ja|理事会選挙]]の投票期間は9月3日から17日(UTC)までです。
* 8月にはポーランドでウィキマニア・カトヴィッツェが開かれました。'''[https://diff.wikimedia.org/ja/ ウィキメディア公式ブログDiff]'''などに、ウィキマニア参加者の記事がたくさん掲載されています。下記は一例です。
** [https://diff.wikimedia.org/ja/2024/08/15/%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%82%ad%e3%83%9e%e3%83%8b%e3%82%a22024-%e6%84%9b%e3%82%92%e3%81%93%e3%82%81%e3%81%a6/ 公式ブログDiff「ウィキマニア2024:愛を込めて」]
** セミナーの動画も視聴可能です。[https://www.youtube.com/@TheWikimediaFoundation YouTubeのウィキメディア財団チャンネル] からご覧ください。
'''「Wikimedians of Japan User Group」 からのお知らせ'''
* 9月29日(日曜日)[https://event.ospn.jp/osc2024-hiroshima/ オープン・ソース・カンファレンス広島]に参加します。
** 「ウィキデータの編集はじめの一歩」「Wikimedia Commons + OSMをWeb APIで活用する」などのセミナーを行います。[https://register.ospn.jp/osc2024-hiroshima/modules/eventrsv/1.html 詳細]
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:道教|道教]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/道教|選考中]](2024年9月6日 (金) 15:33 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ディスクシステムのゲームタイトル一覧|ディスクシステムのゲームタイトル一覧]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ディスクシステムのゲームタイトル一覧|選考中]](2024年9月7日 (土) 02:00 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ニザール・ブン・アル=ムスタンスィル|ニザール・ブン・アル=ムスタンスィル]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ニザール・ブン・アル=ムスタンスィル|選考中]](2024年9月9日 (月) 05:53 (UTC)まで)
**[[:w:ja:コリング兄弟|コリング兄弟]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/コリング兄弟|選考中]](2024年9月11日 (水) 23:04 (UTC)まで)
**[[:w:ja:焔 (絵画)|焔 (絵画)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/焔 (絵画)|選考中]](2024年9月13日 (金) 02:36 (UTC)まで)
**[[:w:ja:北光社 (入植者団体)|北光社 (入植者団体)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/北光社 (入植者団体)|選考中]](2024年9月13日 (金) 02:39 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ワヒーダー・ラフマーン)|ワヒーダー・ラフマーン]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ワヒーダー・ラフマーン|選考中]](2024年9月13日 (金) 04:20 (UTC)まで)
**[[:w:ja:内町 (姫路市)|内町 (姫路市)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/内町 (姫路市)|選考中]](2024年9月13日 (金) 04:20 (UTC)まで)
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|7月の月間新記事賞]]
**[[:w:ja:ヒトの鼻|ヒトの鼻]]
**[[:w:ja:室蘭女子高生失踪事件|室蘭女子高生失踪事件]]
**[[:w:ja:詐欺団地|詐欺団地]]
**[[:w:ja:パレスチナ文学|パレスチナ文学]]
**[[:w:ja:関東・東北の真宗移民|関東・東北の真宗移民]]
**[[:w:ja:赤ハゲ山|赤ハゲ山]]
'''[[:wikitech:|ウィキテック]]'''
* ウィキテックのアカウントが[[:m:Help:Unified_login/ja|SUL]]に移行されます。9月16日までに https://idm.wikimedia.org/ で開発者アカウントにウィキメディア・グローバルアカウントを紐づけてください。([[:wikitech:News/Migrating_Wikitech_Account_to_SUL|詳細]])
'''9月のイベント情報'''
* 9月11日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディア愛知登文会 ワークショップ2回目|ウィキペディア愛知登文会 ワークショップ2回目]]
* 9月30日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディア愛知登文会 ワークショップ3回目|ウィキペディア愛知登文会 ワークショップ3回目]]
*
'''[[:m:|メタ・ウィキ]]'''
* Syunsyunminminさんが[[:m:Global_renamers/ja|グローバル利用者名変更者]]になりました。
<hr />
*'''前回配信:2024年7月31日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: '''[[:m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''' <br />
<small>[[:m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[:m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list|購読登録・削除]]。</small>2024年8月31日 (土) 12:09 (UTC)
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=27288076 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== <span lang="en" dir="ltr">Announcing the Universal Code of Conduct Coordinating Committee</span> ==
<div lang="en" dir="ltr">
<section begin="announcement-content" />
:''[https://lists.wikimedia.org/hyperkitty/list/board-elections@lists.wikimedia.org/thread/OKCCN2CANIH2K7DXJOL2GPVDFWL27R7C/ Original message at wikimedia-l]. [[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Announcement - results|You can find this message translated into additional languages on Meta-wiki.]] [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-{{urlencode:Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Announcement - results}}&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]''
Hello all,
The scrutineers have finished reviewing the vote and the [[m:Special:MyLanguage/Elections Committee|Elections Committee]] have certified the [[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election/Results|results]] for the [[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee/Election/2024 Special Election|Universal Code of Conduct Coordinating Committee (U4C) special election]].
I am pleased to announce the following individual as regional members of the U4C, who will fulfill a term until 15 June 2026:
* North America (USA and Canada)
** Ajraddatz
The following seats were not filled during this special election:
* Latin America and Caribbean
* Central and East Europe (CEE)
* Sub-Saharan Africa
* South Asia
* The four remaining Community-At-Large seats
Thank you again to everyone who participated in this process and much appreciation to the candidates for your leadership and dedication to the Wikimedia movement and community.
Over the next few weeks, the U4C will begin meeting and planning the 2024-25 year in supporting the implementation and review of the UCoC and Enforcement Guidelines. You can follow their work on [[m:Special:MyLanguage/Universal Code of Conduct/Coordinating Committee|Meta-Wiki]].
On behalf of the U4C and the Elections Committee,<section end="announcement-content" />
</div>
[[m:User:RamzyM (WMF)|RamzyM (WMF)]] 2024年9月2日 (月) 14:06 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=27183190 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 未来を選ぼう:2024年理事選挙に投票を! ==
<section begin="announcement-content" />
各位
[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation elections/2024|2024年理事選挙]]の投票が始まりました。理事議席4席に対して、候補者は12名です。
候補者について知るには、[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation elections/2024/Candidates|候補者の声明をご一読の上]]、さらに[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia_Foundation_elections/2024/Questions_for_candidates|コミュニティの質問に対するそれぞれの回答]]をご参照願います。
準備ができたら、[[Special:SecurePoll/vote/400|SecurePoll]](セキュアポル)という投票ページを開きます(訳注:外部サイト)。'''投票受付は9月3日 00:00 UTC から同月17日 23:59 UTC までです'''。
選挙権があるかどうか確認するには、[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia_Foundation_elections/2024/Voter_eligibility_guidelines|有権者の要件ガイド]]のページを開いてください。
どうぞよろしくお願いします。
選挙管理委員会及び理事選出ワーキンググループ<section end="announcement-content" />
[[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年9月3日 (火) 12:15 (UTC)
<!-- User:RamzyM (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=27183190 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Scholarship Applications Now Open for Wikisource Conference 2025! ==
Dear Wikimedians,
We are thrilled to announce that the Wikisource Conference is returning after a decade! It will be held from 14 to 16 February 2025 in Denpasar, Bali, Indonesia. This event will be a great opportunity for us to come together, share experiences, and discuss the future of Wikisource and its community.
We are now accepting scholarship applications for the Wikisource Conference 2025 to promote diversity and inclusion. Scholarships are open to active contributors, community members, developers, and partners involved with Wikisource or related projects.
Important Details:
* Application Period: 1 September 2024 to 20 September 2024
* Application Deadline: 20 September 2024
* Meta page: [[:m:Wikisource Conference 2025/Scholarships|Link]]
We encourage everyone who is passionate about Wikisource and interested in attending this unique gathering to apply for a scholarship. The selection committee will carefully review all applications, focusing on contributions to the Wikisource project, community engagement, and the potential impact of participation in the conference.
To apply, please fill out the [https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfKU36artM5fVRFeG9GAZGhJSVFJKlACkywvE522fJ6zBf_nA/viewform scholarship application form]. We will provide updates soon for more information about the conference, including program details, speakers, and venue.
If you have any questions or need help with your application, feel free to reach out on the [[:m:Talk:Wikisource Conference 2025/Scholarships|Meta Talk page]] or email us at wikisourceconference@gmail.com.
We look forward to receiving your applications and hope to see many of you in Bali for the Wikisource Conference 2025!
Regards,
<small>
Nitesh Gill
The Wikisource Conference 2025 Team
</small>
[[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年9月5日 (木) 11:14 (UTC)
<!-- User:Nitesh (CIS-A2K)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=27399964 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== ご利用のウィキは間もなく読み取り専用に切り替わります ==
<section begin="server-switch"/><div class="plainlinks">
[[:m:Special:MyLanguage/Tech/Server switch|他の言語で読む]] • [https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Special:Translate&group=page-Tech%2FServer+switch&language=&action=page&filter= {{int:please-translate}}]
[[foundation:|ウィキメディア財団]]ではデータセンター間でのトラフィックの切り替えを行います。 災害が起こった場合でも、ウィキペディアとその他のウィキメディア・ウィキが確実にオンラインとなるようにするための措置です。
全トラフィックの切り替えは'''{{#time:n月j日|2024-09-25|ja}}'''に行います。 テストは '''[https://zonestamp.toolforge.org/{{#time:U|2024-09-25T15:00|en}} {{#time:H:i e|2024-09-25T15:00}}]''' に開始されます。
残念ながら [[mw:Special:MyLanguage/Manual:What is MediaWiki?|MediaWiki]] の技術的制約により、切り替え作業中はすべての編集を停止する必要があります。 ご不便をおかけすることをお詫びするとともに、将来的にはそれが最小限にとどめられるよう努めます。
作業開始の30分前から、すべてのウィキで画面にバナーを表示する予定です。 <span lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr">This banner will remain visible until the end of the operation.</span>
'''閲覧は可能ですが、すべてのウィキにおいて編集ができないタイミングが短時間あります。'''
*{{#time:Y年n月j日(l)|2024-09-25|ja}}には、最大1時間ほど編集できない時間が発生します。
*この間に編集や保存を行おうとした場合、エラーメッセージが表示されます。 その間に行われた編集が失われないようには努めますが、保証することはできません。 エラーメッセージが表示された場合、通常状態に復帰するまでお待ちください。 その後、編集の保存が可能となっているはずです。 しかし念のため、保存ボタンを押す前に、行った変更のコピーをとっておくことをお勧めします。
''その他の影響'':
*バックグラウンドジョブが遅くなり、場合によっては失われることもあります。 赤リンクの更新が通常時よりも遅くなる場合があります。 特に他のページからリンクされているページを作成した場合、そのページは通常よりも「赤リンク」状態が長くなる場合があります。 長時間にわたって実行されるスクリプトは、停止しなければなりません。
* コードの実装は通常の週と同様に行う見込みです。 しかしながら、作業上の必要性に合わせ、ケースバイケースでいずれかのコードフリーズが計画時間に発生することもあります。
* [[mw:Special:MyLanguage/GitLab|GitLab]]は90分ほどの間に利用不可になります。
必要に応じてこの計画は延期されることがあります。 [[wikitech:Switch_Datacenter|wikitech.wikimedia.org で工程表を見る]]ことができます。 変更はすべて工程表で発表しますので、ご参照ください。
'''この情報を皆さんのコミュニティで共有してください。'''</div><section end="server-switch"/>
[[User:Trizek_(WMF)|Trizek_(WMF)]], 2024年9月20日 (金) 09:37 (UTC)
<!-- User:Trizek (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Non-Technical_Village_Pumps_distribution_list&oldid=27248326 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Scholarship Application Deadline Extended for Wikisource Conference 2025! ==
Dear Wikimedians,
This message is about the Wikisource Conference, taking place from 14 to 16 February 2025 in Denpasar, Bali, Indonesia, after a decade-long break. This conference will be a fantastic opportunity to reconnect, share insights, and discuss the future of Wikisource and its vibrant community.
In the spirit of promoting diversity and inclusion, we're pleased to inform you that the deadline for scholarship applications has been '''extended to 29 September 2024'''.
If you still need to apply, please [https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfKU36artM5fVRFeG9GAZGhJSVFJKlACkywvE522fJ6zBf_nA/viewform fill out the application form].
For any questions or assistance, feel free to contact us via the [[:m:Talk:Wikisource Conference 2025|Meta Talk page]] or by email at wikisourceconference@gmail.com.
We look forward to your applications and hope to see you at the Wikisource Conference 2025!
Thank you [[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年9月20日 (金) 13:32 (UTC)
Wikisource Conference 2025 Scholarship Team
<!-- User:Nitesh (CIS-A2K)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=27416045 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 'Wikidata item' link is moving. Find out where... ==
<div lang="en" dir="ltr" class="mw-content-ltr"><i>Apologies for cross-posting in English. Please consider translating this message.</i>{{tracked|T66315}}
Hello everyone, a small change will soon be coming to the user-interface of your Wikimedia project.
The [[d:Q16222597|Wikidata item]] [[w:|sitelink]] currently found under the <span style="color: #54595d;"><u>''General''</u></span> section of the '''Tools''' sidebar menu will move into the <span style="color: #54595d;"><u>''In Other Projects''</u></span> section.
We would like the Wiki communities feedback so please let us know or ask questions on the [[m:Talk:Wikidata_For_Wikimedia_Projects/Projects/Move_Wikidata_item_link|Discussion page]] before we enable the change which can take place October 4 2024, circa 15:00 UTC+2.
More information can be found on [[m:Wikidata_For_Wikimedia_Projects/Projects/Move_Wikidata_item_link|the project page]].<br><br>We welcome your feedback and questions.<br> [[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年9月27日 (金) 18:57 (UTC)
</div>
<!-- User:Danny Benjafield (WMDE)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Danny_Benjafield_(WMDE)/MassMessage_Test_List&oldid=27524260 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Final Reminder: Wikisource Conference 2025 Scholarship Deadline ==
Dear Wikimedians,
This is a final reminder that the scholarship application deadline for the Wikisource Conference 2025 is 29 September 2024. The conference will take place from 14-16 February 2025 in Denpasar, Bali, Indonesia, after a decade-long break.
If you haven’t applied yet, please do so by completing the scholarship [https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfKU36artM5fVRFeG9GAZGhJSVFJKlACkywvE522fJ6zBf_nA/viewform application form] by 11:59 AM UTC, 29th September 2024.
For any questions, reach out via the Meta Talk page or email us at wikisourceconference@gmail.com.
We look forward to your participation!
Regards,
Wikisource Conference 2025 Scholarship Team
[[利用者:MediaWiki message delivery|MediaWiki message delivery]] ([[利用者・トーク:MediaWiki message delivery|トーク]]) 2024年9月29日 (日) 17:31 (UTC)
<!-- User:Nitesh (CIS-A2K)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:SGill_(WMF)/lists/WS_VPs&oldid=27416045 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-09 ==
<div lang="en" dir="ltr">
'''全体ニュース'''
* [[:c:|コモンズ]]と[[:species:|ウィキスピーシーズ]]が20周年を迎えました!
'''Wikimedians of Japan User Groupからのお知らせ'''
* 9月29日(日曜日)[https://event.ospn.jp/osc2024-hiroshima/ オープン・ソース・カンファレンス広島]に参加しました。
** 「ウィキデータの編集はじめの一歩」「Wikimedia Commons + OSMをWeb APIで活用する」などのセミナーを行いました。[https://register.ospn.jp/osc2024-hiroshima/modules/eventrsv/1.html 詳細]、[https://speakerdeck.com/barsaka2/utilizing-wikimedia-commons-plus-osm-with-web-api 発表資料]。
* [[:m:Wikimedians_of_Japan_User_Group/Reports/2023-2024|2023年度年間レポート]](英語)を公開しました。
* 10月26日(土曜日)[https://event.ospn.jp/osc2024-fall/ オープンソース・カンファレンス東京]に参加します。
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''
* Mt.Asahidakeさんが[[:w:ja:Wikipedia:管理者|管理者]]に[[:w:ja:Wikipedia:管理者への立候補/Mt.Asahidake/20240827|信任]]されました。
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:道教|道教]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/道教 20240823|選考]]を通過。
**[[:w:ja:ディスクシステムのゲームタイトル一覧|ディスクシステムのゲームタイトル一覧]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ディスクシステムのゲームタイトル一覧 20240824|選考]]を通過。
**[[:w:ja:ニザール・ブン・アル=ムスタンスィル|ニザール・ブン・アル=ムスタンスィル]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ニザール・ブン・アル=ムスタンスィル 20240826|選考]]を通過
**[[:w:ja:焔 (絵画)|焔 (絵画)]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/焔 (絵画) 20240830|選考]]を通過。
**[[:w:ja:ワヒーダー・ラフマーン)|ワヒーダー・ラフマーン]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ワヒーダー・ラフマーン 20240830|選考]]を通過。
**[[:w:ja:金銅灌頂幡|金銅灌頂幡]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/金銅灌頂幡 20240911|選考]]を通過。
**[[:w:ja:浅間古墳|浅間古墳]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/浅間古墳 20240911|選考]]を通過。
**[[:w:ja:螺鈿紫檀五絃琵琶|螺鈿紫檀五絃琵琶]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/螺鈿紫檀五絃琵琶 20240911|選考]]を通過。
**[[:w:ja:秘儀荘|秘儀荘]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/秘儀荘 20240911|選考]]を通過。
**[[:w:ja:高血圧|高血圧]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/高血圧 20240911|選考]]を通過。
**[[:w:ja:裸茎植物|裸茎植物]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/裸茎植物 20240915|選考]]を通過。
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|8月の月間新記事賞]]
**[[:w:ja:銀象嵌銘大刀|銀象嵌銘大刀]]
**[[:w:ja:浅間古墳|浅間古墳]]
**[[:w:ja:金銅灌頂幡|金銅灌頂幡]]
**[[:w:ja:螺鈿紫檀五絃琵琶|螺鈿紫檀五絃琵琶]]
**[[:w:ja:秘儀荘|秘儀荘]]
**[[:w:ja:折毛事件|折毛事件]]
<!--'''[[:wikitech:|ウィキテック]]'''
* ウィキテックのアカウントが[[:m:Help:Unified_login/ja|SUL]]に移行されます。9月16日までに https://idm.wikimedia.org/ で開発者アカウントにウィキメディア・グローバルアカウントを紐づけてください。([[:wikitech:News/Migrating_Wikitech_Account_to_SUL|詳細]])
-->
'''10月のイベント情報'''
* 10月5日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#みんなで「あさけ」界隈を歩いてウィキペディアと世界地図に足跡を残そう!|みんなで「あさけ」界隈を歩いてウィキペディアと世界地図に足跡を残そう!]]
* 10月6日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウンinたかす|ウィキペディアタウンinたかす]]
* 10月6日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウン in 栗山|ウィキペディアタウン in 栗山]]
* 10月6日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディア東久留米~まちの写真を載せてみよう~|ウィキペディア東久留米~まちの写真を載せてみよう~]]
* 10月12日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#第6回 ウィキペディアタウン@北杜 須玉町編|第6回 ウィキペディアタウン@北杜 須玉町編]]
* 10月19日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアにゃウン vol.7 ものづくりの丹後|ウィキペディアにゃウン vol.7 ものづくりの丹後]]
'''イベント安全対策のための情報'''
# [[:m:Keeping_events_safe/ja|イベントの安全を守る]]
# [[:foundation:Policy:Event_ban_policy/ja|イベント追放の方針]]
# [[:foundation:Policy:Office_actions/ja|事務局行動]]
# 当UGでは[[:c:File:Wikimedians of Japan User Group Event Safety Flyer 2024-09.pdf|ビラ]]も作成しています。ぜひご覧ください。
<hr />
*'''前回配信:2024年8月31日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: '''[[:m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''' <br />
<small>[[:m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[:m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list|購読登録・削除]]。</small>2024年9月30日 (月) 13:21 (UTC)
<hr style="border-top: 2px dashed #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz-WMJPUG@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=27288076 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Invitation to Participate in Wiki Loves Ramadan Community Engagement Survey ==
Dear all,
Apologies for writing in English. Please help to translate in your language.
We are excited to announce the upcoming [[m:Wiki Loves Ramadan|Wiki Loves Ramadan]] event, a global initiative aimed at celebrating Ramadan by enriching Wikipedia and its sister projects with content related to this significant time of year. As we plan to organize this event globally, your insights and experiences are crucial in shaping the best possible participation experience for the community.
To ensure that Wiki Loves Ramadan is engaging, inclusive, and impactful, we kindly invite you to participate in our community engagement survey. Your feedback will help us understand the needs of the community, set the event's focus, and guide our strategies for organizing this global event.
Survey link: https://forms.gle/f66MuzjcPpwzVymu5
Please take a few minutes to share your thoughts. Your input will make a difference!
Thank you for being a part of our journey to make Wiki Loves Ramadan a success.
Warm regards,
User:ZI Jony 2024年10月6日 (日) 03:20 (UTC)
Wiki Loves Ramadan Organizing Team
<!-- User:ZI Jony@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Non-Technical_Village_Pumps_distribution_list&oldid=27510935 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 2024年ウィキメディア財団理事選挙の暫定結果 ==
<section begin="announcement-content" />
各位
[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation elections/2024|2024年のウィキメディア財団理事選挙]]に参加された皆さん、お疲れさまでした。投票者の内訳は、ウィキ・プロジェクト180件に所属するコミュニティ参加者6000名でした。
集票数が多い順に、上位4名は以下の皆さんです。
# [[User:Kritzolina|Christel Steigenberger]]
# [[User:Nadzik|Maciej Artur Nadzikiewicz]]
# [[User:Victoria|Victoria Doronina]]
# [[User:Laurentius|Lorenzo Losa]]
投票によってこれら候補者の順位を示しましたが、当選確定には理事会の任命が必須です。経歴照会に合格しメディア検査することが必須条件です。身元調査に合格し、細則に記載された資格を満たす必要があります。新しい理事は、次回2024年12月の理事会で任命される予定です。
[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia_Foundation_elections/2024/Results|開票結果の全文はメタウィキでご一読ください。]]
どうぞよろしくお願いします。
選挙管理委員会及び理事選出ワーキンググループ
<section end="announcement-content" />
[[User:MPossoupe_(WMF)|MPossoupe_(WMF)]] 2024年10月14日 (月) 08:26 (UTC)
<!-- User:MPossoupe (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=27183190 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 頁上方柱位置の内容にタイトル注の扱い方について ==
例えば、[[Page:NDL992519_千島アイヌ_part1.pdf/18]]のように、ページの上部に、段落ですらない文の塊に対して、その文章のタイトルとも言える注のような梗概が上部に配置されていることがあります。このような注釈は、特定のセクションに属しているわけではありませんので、どのようにWikisource上で適切に表示すればよいでしょうか?
* 通常の注釈は、特定の箇所に付されることが多く、一般的な段落全体に関するものではないため、このケースには適していないと思われます。
* <code><h5></code>のようなタグを使用する場合、段落の途中で切れてしまいますので、どうも適していないように思えます。
* 専用テンプレートを作って横に表示することはできなくはないが、この注の形式はどれくらい一般的なのかわかりませんので、する必要があるかどうかはわかりません。
皆様のご意見をいただけると幸いです。--[[利用者:Mkpoli|Mkpoli]] ([[利用者・トーク:Mkpoli|トーク]]) 2024年10月16日 (水) 03:36 (UTC)
:{{コ}} こんにちは。[[ヘルプ:レイアウト]]での、側注の機能に近いでしょうか。日本語版ではあまり使用例がない(元が縦書きのため?)ようですが、見開きページの左右差があるだけで小口側だと考えれば、私はレイアウト3が好みです。他の方の意見も聞きたいと思います。--[[利用者:温厚知新|温厚知新]] ([[利用者・トーク:温厚知新|トーク]]) 2024年10月17日 (木) 09:33 (UTC)
: {{コメント}} 例示された頁を拝見しました。私も以前似たような形式の本を入力したことがありますが、その際は[[テンプレート:MarginNote]]を使用しました([[Page:H%C5%8Dbun_Nihon_Gaishi.pdf/37]])。こちらですと、ダイナミックレイアウトの切り替えをせずとも原本に近いレイアウトを再現できます。--[[利用者:安東大將軍倭國王|安東大將軍倭國王]] ([[利用者・トーク:安東大將軍倭國王|トーク]]) 2024年10月17日 (木) 12:12 (UTC)
== 運動のいくつかの委員会で新任のボランティア委員を募集中 ==
<section begin="announcement-content" />
例年10月から12月の期間に、ウィキメディア運動の委員会の一部では新任のボランティア委員を募集します。
それぞれの委員会の詳細は、個別のページがメタウィキにありますのでご参照ください。
* [[m:Special:MyLanguage/Affiliations_Committee|提携団体委員会]](略称AffCom、Affiliations Committee)
* [[m:Special:MyLanguage/Ombuds_commission|オンブズ委員会]](頭字語OC=Ombuds commission)
* [[m:Special:MyLanguage/Wikimedia Foundation/Legal/Community Resilience and Sustainability/Trust and Safety/Case Review Committee|事案評価委員会]](頭字語CRC=Case Review Committee)
これら委員会への立候補申請は2024年10月16日から受け付けます。立候補の受付〆切は、提携団体委員会が2024年11月18日、オンブズ委員会と事案評価委員会は2024年12月2日です。立候補申請の手順は[[m:Special:MyLanguage/Wikimedia_Foundation/Legal/Committee_appointments|Meta-wiki(メタウィキ)にある任命ページ]]をご一読願います。ご質問はその議論ページに投稿するか、メールの場合は [mailto:cst@wikimedia.org cst@wikimedia.org] 宛にお送りください。
委員会支援チームの一同より
<section end="announcement-content" />
-- [[m:User:Keegan (WMF)|Keegan (WMF)]] ([[m:User talk:Keegan (WMF)|talk]]) 2024年10月16日 (水) 23:09 (UTC)
<!-- User:Keegan (WMF)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Global_message_delivery&oldid=27601062 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-ウィキペディアアジア月間特別号 ==
<div lang="en" dir="ltr">
'''イベントの詳細は[[:m:Special:MyLanguage/Wikipedia_Asian_Month_2024/Japan_-_Korea_friendship|こちら]]をご覧ください。'''
[[:m:Special:MyLanguage/Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]と[[:m:위키미디어 한국|ウィキメディア韓国協会]](WMKR)は[[:m:Special:MyLanguage/Wikipedia_Asian_Month_2024|ウィキペディアアジア月間2024]]に併せて日本、韓国両国でイベントを行います。協力は[[:m:User:Eugene Ormandy|Eugene Ormandy]]さんと[[:m:Toumon Wikipedian Club Japan|稲門ウィキメディアン会]]です。
;日時:
2024年11月9日(土曜日)
;主催者:
* [[:m:Special:MyLanguage/Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]
* [[:m:위키미디어 한국|ウィキメディア韓国協会]](WMKR)
* 特別アドバイザー:[[:m:User:Eugene Ormandy|Eugene Ormandy]]
;日本側の会場:
[https://www.k-of.jp/2024/ 関西オープンフォーラム]
*大阪市住之江区南港北2-1-10 大阪南港 ATC ITM 10階(展示)
**大阪市交通局ニュートラム南港ポートタウン線 トレードセンター前駅で下車
;エディタソン韓国特集は関西オープンフォーラムの一部として行います。
* 15時から17時30分までです。[https://www.k-of.jp/2024/session 9日(土曜日)セッション:PCルーム6階]
* 講師: [[:m:User:Eugene Ormandy|Eugene Ormandy]],[[:m:User:VZP10224|VZP10224]]
;韓国側のイベントについて
*ソウルのウィキメディア韓国協会の事務所にて同時刻にエディタソンを開催されます。途中で日韓でズームをつなげて挨拶を行います。
;記事の内容
* JAWP執筆者にはWMKR選定の韓国関連お勧め記事、逆にKOWPには Wikimedians of Japan User Group作成の日本関係おすすめ記事のリストがあります。
**おすすめ記事リストはあくまで参考です。個人的に書きたい記事がある方は、そちらを重視なさってください。
;参加賞
* 日本側ユーザーグループとウィキメディア韓国協会で、互いの文化を表す贈り物を交換し、参加者の方にお渡しします。
* 出席可能な方は奮ってご参加ください。
※イベントでは必ず、下記の2つの方針を守ってください。あまりに違反がひどい場合は、主催者側の判断でイベントから追放しウィキメディア財団に報告する可能性があります。
# [[:foundation:Special:MyLanguage/Policy:Universal Code of Conduct|ユニバーサル行動規範(UCoC)]]
# [[:m:Special:MyLanguage/Friendly space policies|友好的な空間の方針]]
</div>
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: ''[[:m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''<br />
<small>[[:m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[:m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list| 登録・削除]]。</small>2024年10月20日 (日) 09:26 (UTC)
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz-WMJPUG@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=27288076 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== 'Wikidata item' link is moving, finally. ==
Hello everyone, I previously wrote on the 27th September to advise that the ''Wikidata item'' sitelink will change places in the sidebar menu, moving from the '''General''' section into the '''In Other Projects''' section. The scheduled rollout date of 04.10.2024 was delayed due to a necessary request for Mobile/MinervaNeue skin. I am happy to inform that the global rollout can now proceed and will occur later today, 22.10.2024 at 15:00 UTC-2. [[m:Talk:Wikidata_For_Wikimedia_Projects/Projects/Move_Wikidata_item_link|Please let us know]] if you notice any problems or bugs after this change. There should be no need for null-edits or purging cache for the changes to occur. Kind regards, -[[m:User:Danny Benjafield (WMDE)|Danny Benjafield (WMDE)]] 2024年10月22日 (火) 11:29 (UTC)
<!-- User:Danny Benjafield (WMDE)@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Danny_Benjafield_(WMDE)/MassMessage_Test_List&oldid=27535421 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Final Reminder: Join us in Making Wiki Loves Ramadan Success ==
Dear all,
We’re thrilled to announce the Wiki Loves Ramadan event, a global initiative to celebrate Ramadan by enhancing Wikipedia and its sister projects with valuable content related to this special time of year. As we organize this event globally, we need your valuable input to make it a memorable experience for the community.
Last Call to Participate in Our Survey: To ensure that Wiki Loves Ramadan is inclusive and impactful, we kindly request you to complete our community engagement survey. Your feedback will shape the event’s focus and guide our organizing strategies to better meet community needs.
* Survey Link: [https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSffN4prPtR5DRSq9nH-t1z8hG3jZFBbySrv32YoxV8KbTwxig/viewform?usp=sf_link Complete the Survey]
* Deadline: November 10, 2024
Please take a few minutes to share your thoughts. Your input will truly make a difference!
'''Volunteer Opportunity''': Join the Wiki Loves Ramadan Team! We’re seeking dedicated volunteers for key team roles essential to the success of this initiative. If you’re interested in volunteer roles, we invite you to apply.
* Application Link: [https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfXiox_eEDH4yJ0gxVBgtL7jPe41TINAWYtpNp1JHSk8zhdgw/viewform?usp=sf_link Apply Here]
* Application Deadline: October 31, 2024
Explore Open Positions: For a detailed list of roles and their responsibilities, please refer to the position descriptions here: [https://docs.google.com/document/d/1oy0_tilC6kow5GGf6cEuFvdFpekcubCqJlaxkxh-jT4/ Position Descriptions]
Thank you for being part of this journey. We look forward to working together to make Wiki Loves Ramadan a success!
Warm regards,<br>
The Wiki Loves Ramadan Organizing Team 2024年10月29日 (火) 05:11 (UTC)
<!-- User:ZI Jony@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Distribution_list/Non-Technical_Village_Pumps_distribution_list&oldid=27568454 のリストを使用して送信したメッセージ -->
== Wikimedians of Japan User Group 2024-10 ==
<div lang="en" dir="ltr">
'''全体ニュース'''
* ウィキメディア財団の各種委員会への応募が開始されました。[[:m:Affiliations Committee/ja|提携団体委員会]]への応募の締め切りは11月8日(UTC)、[[:m:Ombuds commission/ja|オンブズ委員会]]と[[:m:Wikimedia Foundation/Legal/Community Resilience and Sustainability/Trust and Safety/Case Review Committee/ja|事案審査委員会]]への応募の締め切りは12月2日(UTC)です。([[:m:Wikimedia Foundation/Legal/Committee appointments/ja|詳細]])
'''Wikimedians of Japan User Groupからのお知らせ'''
* 10月26日(土曜日)[https://event.ospn.jp/osc2024-fall/ オープンソース・カンファレンス東京]に参加しました。
* 11月1日から11月30日にかけて、オンラインで日本語版アジア月間のサブイベントとして韓国特集を行います。詳細は、[[:m:Wikimedians_of_Japan_User_Group/events/2024年アジア月間韓国特集|こちら]]を参照してください。
* 11月9日にウィキペディア・アジア月間2024の一環として、友好エディタソンイベントをウィキメディア韓国協会と関西オープンフォーラム内で共催します。詳細は、[[:m:Wikipedia_Asian_Month_2024/Japan_-_Korea_friendship/ja|こちら]]と[[:m:Wikimedians_of_Japan_User_Group/events/2024年アジア月間韓国特集|こちら]]を参照してください。
<div style="-moz-column-count:2; -webkit-column-count:2; column-count:2; -webkit-column-width: 400px; -moz-column-width: 400px; column-width: 400px;">
'''[[:w:ja:メインページ|日本語版ウィキペディア]]'''[[File:Wikipedia-logo-v2.svg|20px|link=:w:ja:]]
* 11月1日0:00から30日23:59 (UTC)まで[[:w:ja:Wikipedia:ウィキペディア・アジア月間|ウィキペディア・アジア月間]][[File:Wikipedia Asian Month Logo.svg|20px|link=:w:ja:Wikipedia:ウィキペディア・アジア月間]]が開催されます。(こちらが日本語版アジア月間のメインイベントで、アジア全域を対象にします。サブイベントとして、韓国特集を行います。)
*[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考|良質な記事の選考]]
**[[:w:ja:ローマ哲学|ローマ哲学]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ローマ哲学_20241014|選考中]]です。(2024年11月11日 (月) 01:36 (UTC)まで)
**[[:w:ja:日本の悪霊|日本の悪霊]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/日本の悪霊 20241018|選考中]]です。(2024年11月1日 (金) 14:10 (UTC)まで)
**[[:w:ja:おひつじ座|おひつじ座]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/おひつじ座_20241019|選考中]]です。(2024年11月2日 (土) 05:11 (UTC)まで)
**[[:w:ja:ImageNet|ImageNet]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ImageNet 20241023|選考中]]です。(2024年11月6日 (水) 10:28 (UTC)まで)
**[[:w:ja:吾妻川電力|吾妻川電力]]が[[:w:ja:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/吾妻川電力 20241025|選考中]]です。(2024年11月8日 (金) 12:20 (UTC)まで)
*[[:w:ja:Wikipedia:月間新記事賞|9月の月間新記事賞]]
**[[:w:ja:不幸の手紙|不幸の手紙]]
**[[:w:ja:暖炉税|暖炉税]]
**[[:w:ja:百物語 (葛飾北斎)|百物語 (葛飾北斎)]]
**[[:w:ja:ボスニア・ヘルツェゴビナ文学|ボスニア・ヘルツェゴビナ文学]]
**[[:w:ja:紫烟荘|紫烟荘]]
'''[[:b:ja:メインページ|日本語版ウィキブックス]]'''[[File:Wikibooks-logo.svg|20px|link=:b:ja:]]
* 11月5日に[[:mw:Help:Temporary_accounts/ja|臨時アカウント]]が試験的に導入される予定です。
'''[[:wikitech:|ウィキテック]]'''[[File:Wikitech-2021-blue-large-icon.svg|20px|link=:wikitech:]]
* ウィキテックのアカウントが[[:m:Help:Unified_login/ja|SUL]]に移行されました。([[:wikitech:Wikitech/SUL-migration|詳細]])
'''11月のイベント情報'''
* 11月2日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアARTS in AOAA|ウィキペディアARTS in AOAA]]
* 11月3日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#Wikipediaブンガク12 安部公房|Wikipediaブンガク12 安部公房]]
* 11月5日-7日[https://www.libraryfair.jp/booth/2024/167/series ウィキペディア展覧会2024](図書館総合展内)
* 11月10日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウン 調べて伝えてまちのこと|ウィキペディアタウン 調べて伝えてまちのこと]]
* 11月10日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#島原 Wikipedia Town みんなでつくろう島原の百科事典|島原 Wikipedia Town みんなでつくろう島原の百科事典]]
* 11月24日 [[:w:ja:プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/ウィキペディアタウン開催情報#ウィキペディアタウンin丹波篠山~篠山の怪談七不思議~|ウィキペディアタウンin丹波篠山~篠山の怪談七不思議~]]
'''イベント安全対策のための情報'''
# [[:m:Keeping_events_safe/ja|イベントの安全を守る]]
# [[:foundation:Policy:Event_ban_policy/ja|イベント追放の方針]]
# [[:foundation:Policy:Office_actions/ja|事務局行動]]
# 当UGでは[[:c:File:Wikimedians of Japan User Group Event Safety Flyer 2024-09.pdf|ビラ]]も作成しています。ぜひご覧ください。
'''[[:m:Main_Page/ja|メタウィキ]]'''[[File:Wikimedia Community Logo.svg|20px|link=:m:Main_Page/ja]]
* 日本語話者向けニュース
** メタウィキでは翻訳者を常時募集しています。気になる方は[[:m:Meta:Babylon/ja|翻訳ポータル]]をご確認下さい。
<hr />
*'''前回配信:2024年9月30日'''
</div>
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
配信元: ''[[:m:Wikimedians of Japan User Group|Wikimedians of Japan User Group]]''<br />
<small>[[:m:Talk:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン|フィードバック]]。[[:m:Wikimedians of Japan User Group/メールマガジン/targets list| 登録・削除]]。</small>2024年10月31日 (木) 09:27 (UTC)
<hr style="border-top: 2px 破線 #7F9AEB; border-bottom: none;">
<!-- User:Chqaz-WMJPUG@metawiki が https://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedians_of_Japan_User_Group/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/targets_list&oldid=27288076 のリストを使用して送信したメッセージ -->
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アメリカ合衆国憲法
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|title=アメリカ合衆国憲法
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{{非公式な翻訳}}
* 原文:[https://www.archives.gov/founding-docs/constitution アメリカ国立公文書館(英文)]
* 底本:[https://americancenterjapan.com/aboutusa/laws/2566/ 米国大使館による日本語訳]
;凡例
* Articleは「第○条」と、Sectionは「第○節」と訳した。Amendmentは「修正第○条」と訳した。項番号は原文に付されていないが、検索の便宜のため第2項以下に算用数字で付した。
* 後の修正条項で改正が加えられた部分は、<U>下線</U>を付した上で脚注を付した。
* 「並びに」との訳語は「及び」より大きなまとまりに用い、「若しくは」との訳語は「又は」より小さなまとまりに用いる(日本の法令と同様の用法)。
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[[Image:Constitution_of_the_United_States,_page_1.jpg|right|thumb|225px|アメリカ合衆国憲法第1頁]]
[[Image:Constitution_of_the_United_States,_page_2.jpg|right|thumb|225px|アメリカ合衆国憲法第2頁]]
[[Image:Constitution_of_the_United_States,_page_3.jpg|right|thumb|225px|アメリカ合衆国憲法第3頁]]
[[Image:Constitution_of_the_United_States,_page_4.jpg|right|thumb|225px|アメリカ合衆国憲法第4頁]]
== 原条項 ==
<div style="float: right; margin-left: 15px;">
{| class="wikitable" style="font-size:80%"
| [[Image:Wikisource-logo.svg|40px]] || [[:en:Constitution of the United States of America|原条項の原文(英語)]]
|}
</div>
=== <span id="preamble">前文</span> ===
われら[[w:アメリカ合衆国|合衆国]]の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫の上に自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この[[w:憲法|憲法]]を制定する。
=== <span id="a1">第1条</span> ===
<span id="a1-1">'''第1節'''</span> この憲法によって付与されるすべての立法権は、[[w:アメリカ合衆国連邦議会|合衆国連邦議会]]に帰属する。連邦議会は[[w:アメリカ合衆国上院|上院]]と[[w:アメリカ合衆国下院|下院]]で構成される。
<span id="a1-2">'''第2節'''</span> 下院は、各州の人民が2年ごとに選出する議員で組織される。各州の選挙人は、州議会で議員数の多い一院の選挙人に必要な資格を備えていなければならない。
'''2''' 何人も、25歳に達していない者、7年以上合衆国市民でない者、また選挙された時にその選出州の住民でない者は、下院議員となることができない。
'''3''' <U>下院議員及び直接税は、この連邦に加入する各州の人口に比例して、各州の間で配分される。各州の人口は、年期契約奉公人を含み課税されない[[w:インディアン|インディアン]]を除外した自由人の総数に、自由人以外のすべての人数の5分の3を加えたものとする。</U><ref>下線部は[[#aa14-2|修正第14条第2節]]により改正。</ref>実際の人口の算定は、合衆国連邦議会の最初の集会から3年以内に、そしてそれ以後10年ごとに、議会が法律で定める方法に従って行う。下院議員の定数は、人口3万人に対し1人の割合を超えてはならない。ただし、各州は少なくとも1人の下院議員を持つものとする。上述の算定が行われるまでは、[[w:ニューハンプシャー州|ニューハンプシャー州]]は3名、[[w:マサチューセッツ州|マサチューセッツ州]]は8名、[[w:ロード・アイランド州|ロード・アイランド州]]及びプロビデンス定住地は1名、[[w:コネチカット州|コネチカット州]]は5名、[[w:ニューヨーク州|ニューヨーク州]]は6名、[[w:ニュージャージー州|ニュージャージー州]]は4名、[[w:ペンシルベニア州|ペンシルベニア州]]は8名、[[w:デラウェア州|デラウェア州]]は1名、[[w:メリーランド州|メリーランド州]]は6名、[[w:バージニア州|バージニア州]]は10名、[[w:ノースカロライナ州|ノースカロライナ州]]は5名、[[w:サウスカロライナ州|サウスカロライナ州]]は5名、[[w:ジョージア州|ジョージア州]]は3名、それぞれ選出する権利を有する。
'''4''' いずれの州においても、その選出下院議員に欠員が生じた場合、その州の行政府はそれを補充するため選挙施行の命令を発しなければならない。
'''5''' 下院は、その議長及び他の役員を選任し、また弾劾の権限を専有する。
<span id="a1-3">'''第3節'''</span> 合衆国上院は、各州が2名ずつ選出する上院議員で組織される。<U>その選出は州議会が行い、</U><ref>下線部は[[#aa17|修正第17条]]により改正。</ref>その任期は6年とする。各上院議員は、1票の投票権を有する。
'''2''' 第1回選挙の結果に基づいて、上院議員が集会した時、直ちにこれをできるだけ均等な3部に分ける。第1部の議員は2年目の終わりに、第2部の議員は4年目の終わりに、第3部の議員は6年目の終わりに、それぞれ議席を失うものとする。これにより、議員の3分の1が2年ごとに改選されるようになる。<U>もし、いずれの州においても、州議会の休会中に、辞職その他の理由で欠員を生じた場合には、州の行政府は、州議会が次の開会時に補充を行うまでの間、臨時の任命をすることができる。</U><ref>下線部は[[#aa17|修正第17条]]により改正。</ref>
'''3''' 何人も、30歳に達しない者、9年以上合衆国市民でない者、また選挙された時にその選出州の住民でない者は、上院議員となることができない。
'''4''' 合衆国の副大統領は、上院の議長となる。ただし、可否同数の場合を除き、表決には加わらない。
'''5''' 上院は、議長を除く上院の他の役員を選任し、また副大統領が欠席するか又は合衆国大統領の職務を行う場合には、臨時議長を選任する。
'''6''' 上院はすべての[[w:弾劾|弾劾]]を審判する権限を専有する。この目的のために開会される場合には、議員は宣誓又は確約しなければならない。合衆国大統領が審判される場合には、最高裁判所長官が議長となる。何人といえども、出席議員の3分の2の同意がなければ、有罪の判決を受けることはない。
'''7''' 弾劾事件の判決は、免官、及び合衆国政府の下に名誉、信任又は報酬を伴う官職に就任、在職する資格を剥奪すること以上に及んではならない。ただし、有罪の判決を受けた者でも、なお法律の規定に従って、起訴、審理、判決、処罰を受けることを免れない。
<span id="a1-4">'''第4節'''</span> 上院議員及び下院議員の選挙を行う日時、場所及び方法は、各州において州議会が定める。しかし、連邦議会はいつでも、法律でその規則を制定又は変更することができる。ただし、上院議員の選挙を行う場所に関してはこの限りでない。
'''2''' 連邦議会は、少なくとも毎年1回集会する。その集会は、法律で別の日を定めない限り、<U>12月の第1月曜日</U><ref>下線部は[[#aa20-2|修正第20条第2節]]により改正。</ref>とする。
<span id="a1-5">'''第5節'''</span> 各議院は、その議員の選挙、選挙結果の報告及び資格について判定を行う。各議院の議員の過半数をもって、議事を行うに必要な定足数とする。定足数に満たない場合は、その当日に休会し、また各議院の定める方法や制裁をもって、欠席議員の出席を強制することができる。
'''2''' 各議院はそれぞれ、議事規則を定め、院内の秩序を乱した議員を懲罰し、また3分の2の同意によって議員を除名することができる。
'''3''' 各議院はそれぞれ、議事録を作成し、各議院が秘密を要すると判断する事項を除いて、随時これを公表する。各議院の議員の賛否は、いかなる議題であれ、出席議員の5分の1の請求があるときは、これを議事録に記載しなければならない。
'''4''' 連邦議会の会期中、いずれの議院も他の議院の同意がなければ、3日以上休会し、又はその議場を両議院の開会中の場所以外へ移してはならない。
<span id="a1-6">'''第6節'''</span> 上院議員及び下院議員は、その役務に対し、法律で確定され、合衆国国庫から支出される報酬を受ける。両議院の議員は、反逆罪、重罪及び公安を害する罪以外のあらゆる場合において、会期中の議院に出席中、又はこれへの往復途上で、[[w:不逮捕特権|逮捕されない特権]]を有する。議員はまた、議院内における発言又は討議について、議院外で審問されることはない。
'''2''' 上院及び下院の議員は、その任期中に新設、又は増俸された合衆国の文官職に、その選出された任期の間任命されてはならない。また何人といえども、合衆国の官職にある者は、その在職中にいずれの議院の議員にもなることはできない。
<span id="a1-7">'''第7節'''</span> [[w:歳入|歳入]]の徴収に関するすべての法案は、まず下院で発議されなければならない。ただし、他の法案におけると同じく、上院はこれに対し修正案を発議するか、又は修正を付して同意することができる。
'''2''' 下院及び上院を通過したすべての法案は、法律となるに先立ち、合衆国大統領に送付されなければならない。大統領が承認するときはこれに署名し、承認しないときには拒否理由を添えて、これを発議した議院に還付する。その議院は、その拒否理由の全部を議事録に記載し、法案を再審議する。再審議の結果、その議院の3分の2がその法案の通過に同意した場合は、法案は大統領の拒否理由と共に他の議院に送付され、他の議院でも同様に再審議を行う。そして再び3分の2をもって可決された場合には、その法案は法律となる。これらの場合すべてにおいて、両議院における表決は、賛否の表明によってなされ、法案の賛成投票者及び反対投票者の氏名は、各議院の議事録に記載されるものとする。もし法案が大統領に送付されてから10日以内(日曜日を除く)に還付されないときは、その法案は大統領が署名した場合と同様に法律となる。ただし、連邦議会の休会により、法案を還付することができない場合は法律とはならない。
'''3''' 上院及び下院の同意を必要とする命令、決議又は表決(休会決議を除く)はすべて、これを合衆国大統領に送付するものとする。それが効力を生ずるに先立ち、大統領の承認を得なければならない。大統領の承認のない場合には、法案の場合について定められた規則及び制限に従って、上院及び下院の3分の2により、再び可決されなければならない。
<span id="a1-8">'''第8節'''</span> 連邦議会は次の権限を有する。合衆国の[[w:国債|国債]]を支払い、共同の防衛及び一般の福祉に備えるために、[[w:租税|租税]]、[[w:関税|関税]]、付加金、消費税を賦課徴収すること。ただし、すべての関税、付加金、消費税は、合衆国全土で同一でなければならない。
'''2''' 合衆国の信用において金銭を借り入れること。
'''3''' 諸外国との通商、及び各州間並びにインディアン部族との通商を規定すること。
'''4''' 合衆国全土で同一の帰化の規則及び[[w:倒産|倒産]]に関する法律を定めること。
'''5''' [[w:貨幣|貨幣]]を鋳造し、その価値及び外国貨幣の価値を定め、また[[w:度量衡|度量衡]]の標準を定めること。
'''6''' 合衆国の証券及び通貨の[[w:偽造|偽造]]に関する罰則を定めること。
'''7''' 郵便局及び郵便道路を建設すること。
'''8''' [[w:著作者|著作者]]及び発明者に、一定期間それぞれの著作及び発明に対し[[w:知的財産権|独占的権利]]を保障することによって、学術及び技芸の進歩を促進すること。
'''9''' [[w:合衆国最高裁判所|最高裁判所]]の下に、下級裁判所を組織すること。
'''10''' [[w:公海|公海]]における海賊行為及び他の重罪、並びに[[w:国際法|国際法]]に反する犯罪を定義し、処罰すること。
'''11''' 戦争を宣言し、敵国船拿捕免許状を付与し、陸上及び海上における捕獲に関する規則を設けること。
'''12''' [[w:アメリカ陸軍|陸軍]]を募集し、維持すること。ただし、この目的で使われる歳出予算は、2年を超える期間にわたってはならない。
'''13''' [[w:アメリカ海軍|海軍]]を創設し、維持すること。
'''14''' 陸海軍の統轄及び規律に関する規則を定めること。
'''15''' 連邦の法律を施行し、反乱を鎮圧し、また侵略を撃退するための[[w:民兵|民兵]]の招集に関する規定を設けること。
'''16''' 民兵の編制、武装及び規律に関し、また合衆国の軍務に服する民兵の統轄に関して規定を設けること。ただし、各州は、将校を任命し、また連邦議会の規定に従って、民兵を訓練する権限を留保する。
'''17''' ある州が譲渡し、連邦議会が受諾することにより、[[w:ワシントンD.C.|合衆国政府の所在地となる地区]](ただし10マイル四方を超えてはならない)に対して、いかなる事項に関しても、独占的な立法権を行使すること。要塞、武器庫、造兵廠、造船所及びその他必要な建造物の建設のために、それが所在する州の議会の同意を得て購入した区域すべてに対し、同様の権限を行使すること。
'''18''' 上記の権限、並びにこの憲法によって合衆国政府又はその省庁若しくは公務員に対し与えられた他のすべての権限を行使するために、必要かつ適当なすべての法律を制定すること。
<span id="a1-9">'''第9節'''</span> 現存の諸州のいずれかが、入国を適当と認める人々の移住及び輸入に対しては、連邦議会は1808年以前においてこれを禁止することはできない。しかし、そのような輸入に対して、1人当たり10ドルを超えない租税又は入国税を課すことができる。
'''2''' [[w:ヘイビアス・コーパス|人身保護令状]]の特権は、反乱又は侵略に際し公共の安全上必要とされる場合のほか、これを停止してはならない。
'''3''' 私権剥奪法又は遡及処罰法はこれを制定してはならない。
'''4''' 人頭税その他の直接税は、前に規定した国勢調査又は算定に基づく割合によらなければ、これを賦課してはならない。
'''5''' 各州から輸出される物品には、租税又は関税を賦課してはならない。
'''6''' 通商又は徴税を規定することによって、一州の港湾を他州の港湾より優遇してはならない。また、一州に向かう船舶又は一州より出港した船舶を強制して、他州に入港させ、出入港手続をさせたり、又は関税の支払をさせてはならない。
'''7''' 国庫からの支出は、法律で定める歳出予算に従う以外は一切行われてはならない。すべての公金の収支に関する正式の予算決算書は随時公表しなければならない。
'''8''' 合衆国は[[w:貴族|貴族]]の称号を授与してはならない。何人も、合衆国政府の下に報酬又は信任を伴う官職にある者は、連邦議会の同意なくして、国王、公侯又は外国から、いかなる種類の贈与、俸給、官職又は称号も受けてはならない。
<span id="a1-10">'''第10節'''</span> 各州は、条約、同盟あるいは連合を結び、敵国船拿捕免許状を付与し、貨幣を鋳造し、信用証券を発行し、金銀貨幣以外のものを債務弁済の法定手段とし、私権剥奪法、遡及処罰法あるいは契約上の債務を損なうような法律を制定し、又は貴族の称号を授与してはならない。
'''2''' 各州は、その検査法施行のために絶対に必要な場合を除き、連邦議会の同意なしに、輸入又は輸出に対し、付加金又は関税を課することはできない。各州によって輸出入に課された関税又は付加金の純収入は、合衆国国庫の用途に充てられる。この種の法律は、すべて連邦議会の修正及び管轄に服する。
'''3''' 各州は、連邦議会の同意なしに、トン税を賦課し、平時において軍隊若しくは軍艦を備え、他州若しくは外国と協約若しくは協定を結び、又は現実に侵略を受けた場合、若しくは猶予しがたい急迫の危険がある場合でない限り、戦争行為をしてはならない。
=== <span id="a2">第2条</span> ===
<span id="a2-1">'''第1節'''</span> 行政権は、[[w:アメリカ合衆国大統領|アメリカ合衆国大統領]]に帰属する。大統領の任期は4年とし、同一任期で選任される副大統領とともに、以下の方法で選挙される。
'''2''' 各州は、その州議会の定める方法により、その州から連邦議会に選出できる上院及び下院の議員の総数と等しい数の選挙人を任命する。ただし、両院の議員、又は合衆国政府の下で信任あるいは報酬を受ける官職にある者は、選挙人に任命されてはならない。
'''3''' <U>選挙人は、それぞれの州で会合し、秘密投票によって2名を選挙する。その中の少なくとも1名は、選挙人と同一州の住民であってはならない。選挙人は得票者及びそれぞれの得票数の表を作成し、これに署名し証明をした上で封印をし、上院議長に宛て、合衆国政府の所在地に送付する。上院議長は、上院議員及び下院議員の出席の下に、すべての証明書を開封し、次いで投票が計算される。最多得票数が選挙人総数の過半数である場合には、その最多得票者が大統領となる。過半数を得た者が1名を超え、その得票数が同じ場合には、下院は直ちに秘密投票により、その中の1名を大統領に選任する。また、もし過半数を得た者のない場合は、前述の表の中で最多得票者5名のうちから、同じ方法により下院が大統領を選任する。ただし、この方法で大統領を選挙する場合、各州の下院議員団はそれぞれ1票を有するものとし、投票は州を単位として行う。この目的のための定足数は、全州の3分の2から1名又はそれ以上の議員が出席することによって成立し、また選任のためには全州の過半数が必要である。いずれの場合においても、大統領に選任された者に次いで最多得票をした者が副大統領となる。しかし、もしその場合、同数の得票者が2名以上あれば、上院がその中から秘密投票によって副大統領を選任する。</U><ref>下線部は[[#aa12|修正第12条]]により改正。</ref>
'''4''' 連邦議会は、選挙人を選任する時期及び彼らが投票を行う日を定めることができる。この日は合衆国全土を通じて同じ日でなければならない。
'''5''' 何人も、出生による合衆国市民又はこの憲法確定時における合衆国市民でなければ、大統領となることはできない。35歳に達しない者、また14年以上合衆国の住民でない者は、大統領となることはできない。
'''6''' <U>大統領が免職、死亡、辞任し、又はその権限及び義務を遂行する能力を失った場合は、その職務権限は副大統領に帰属する。連邦議会は、大統領及び副大統領が共に、免職、死亡、辞任し又は能力を喪失した場合について法律で規定し、その場合に大統領の職務を行うべき公務員を定めることができる。この公務員は、これにより、上記のような障害が除去されるか、又は大統領が選任されるまで、その職務を行う。</U><ref>下線部は[[#aa25|修正第25条]]により改正。</ref>
'''7''' 大統領は、その役務に対して定時に報酬を受け、その額はその任期中増減されることはない。大統領は、その任期中、合衆国又は各州から他のいかなる報酬も受けてはならない。
'''8''' 大統領は、その職務の遂行を開始する前に、次のような宣誓又は確約をしなければならない。「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う(又は確約する)。」
<span id="a2-2">'''第2節'''</span> 大統領は、合衆国の陸海軍及び合衆国の軍務に実際に就くため召集された各州の民兵の最高司令官である。大統領は行政各部の長官から、それぞれの部の職務に関するいかなる事項についても、文書による意見を求めることができる。大統領はまた合衆国に対する犯罪につき、弾劾の場合を除いて、刑の執行延期及び恩赦を行う権限を有する。
'''2''' 大統領は、上院の助言と同意を得て、条約を締結する権限を有する。ただし、この場合には、上院の出席議員の3分の2の賛同が必要である。また大統領は、大使、その他の外交使節及び領事、最高裁判所判事、並びに本憲法にその任命に関する特別の規定がなく、また法律によって設置される他のすべての合衆国公務員を指名し、上院の助言と同意を得て、これを任命する。ただし、連邦議会は、その適当と認める下級公務員の任命権を、法律によって、大統領のみに、司法裁判所に、又は各省の長官に与えることができる。
'''3''' 大統領は、上院の閉会中に生じたすべての欠員を、任命により補充する権限を有する。ただし、その任命は次の会期の終わりに効力を失う。
<span id="a2-3">'''第3節'''</span> 大統領は、連邦議会に対し、随時連邦の状況に関する情報を提供し、また自ら必要かつ適切と考える施策について議会に審議を勧告する。大統領は、非常の場合には、両議院又はその一院を招集することができる。また閉会の時期に関して両議院の間に意見の一致を欠く場合には、自ら適当と考える時期まで休会させることができる。大統領は、大使その他の外交使節を接受する。大統領は、法律が忠実に施行されるよう配慮し、また合衆国のすべての公務員を任命する。
<span id="a2-4">'''第4節'''</span> 大統領、副大統領及び合衆国のすべての文官は、反逆罪、収賄罪又はその他の重罪及び軽罪につき弾劾され、かつ有罪の判決を受けた場合は、その職を免ぜられる。
=== <span id="a3">第3条</span> ===
<span id="a3-1">'''第1節'''</span> 合衆国の司法権は、一つの[[w:合衆国最高裁判所|最高裁判所]]、並びに連邦議会が随時制定、設置する[[w:アメリカ連邦裁判所|下級裁判所]]に帰属する。最高裁判所及び下級裁判所の判事は、善行を保持する限り、その職を保ち、またその役務に対し定時に報酬を受ける。その額は在職中減ぜられることはない。
<span id="a3-2">'''第2節'''</span> 司法権は次の諸事件に及ぶ。すなわち、本憲法、合衆国の法律及び合衆国の権限により締結され、又は将来締結される条約の下に発生するすべての普通法及び衡平法上の事件。大使その他の外交使節及び領事に関するすべての事件。海事裁判及び海上管轄に関するすべての事件。合衆国が当事者の一方である争訟。二つ又はそれ以上の州の間の争訟、<U>一州と他州の市民との間の争訟、</U><ref>下線部は[[#aa11|修正第11条]]により改正。</ref>異なる州の市民の間の争訟、異なる諸州の付与に基づく土地の権利を主張する一州の市民間の争訟、<U>並びに一州又はその市民と、他の国家、外国市民又は外国臣民との間の争訟。</U><ref>下線部は[[#aa11|修正第11条]]により改正。</ref>
'''2''' [[w:大使|大使]]その他の外交使節及び[[w:領事|領事]]に関する事件、並びに州が当事者であるすべての事件については、最高裁判所が第一審管轄権を有する。前項に述べたその他すべての事件については、最高裁判所は、連邦議会の定める例外の場合を除き、またその定める規定に従い、法律及び事実に関し、上訴管轄権を有する。
'''3''' 弾劾の場合を除き、すべての犯罪の裁判は[[w:陪審制|陪審]]によって行われるものとする。裁判はその犯罪が行われた州で行われる。ただし、犯罪地がいずれの州にも属しない場合は、裁判は、連邦議会が法律で指定する場所で行われる。
<span id="a3-3">'''第3節'''</span> 合衆国に対する反逆罪は、合衆国に対して戦争を始め、又は敵に援助及び便宜を与えてこれに加担する行為のみに限られる。何人も、同一の明白な行為に対する2人の証人の証言があるか、又は公開の法廷における自白に基づく場合を除いては、反逆罪として有罪の宣告を受けることがない。
'''2''' 連邦議会は、反逆罪の刑罰を宣告する権限を有する。しかし、反逆罪の判決に基づく私権剥奪によって、その処罰を受けた者の生存中を除くほか、血統汚損又は財産没収が生じてはならない。
=== <span id="a4">第4条</span> ===
<span id="a4-1">'''第1節'''</span> 各州は、他州の法令、記録及び司法上の手続に対して十分の信頼及び信用を与えなくてはならない。連邦議会は、これらの法令、記録及び手続を証明する方法とその効力につき、一般の法律で規定することができる。
<span id="a4-2">'''第2節'''</span> 各州の市民は、諸州において市民が持つすべての特権及び免除を等しく享受する権利を有する。
'''2''' 一州において反逆罪、重罪又はその他の犯罪について告発された者は、裁判を逃れて他州内で発見されたときには、その逃れ出た州の行政当局の要求に応じて、その犯罪の裁判管轄権を有する州に移すために引き渡されなくてはならない。
'''3''' 何人も、一州においてその法律の下に服役又は労働に従う義務のある者は、他州に逃亡することによって、その州の法律又は規則により、右の服役又は労働から解放されることはなく、右の服役又は労働に対し権利を有する当事者の請求に応じて引き渡されなければならない。
<span id="a4-3">'''第3節'''</span> 新しい州は、連邦議会の決定によって、この連邦への加入を許されるものとする。しかし、連邦議会と関係諸州の議会の同意なくして、他の州の管轄内に新しい州を形成又は創設してはならず、また二つかそれ以上の州又は州の一部が合併して州を形成してはならない。
'''2''' 連邦議会は、合衆国に直属する領土又はその他の財産を処分し、これに関して必要なすべての規則及び規定を定める権限を有する。この憲法のいかなる規定も、合衆国又は特定の一州の有する権利を損なうように解釈されてはならない。
<span id="a4-4">'''第4節'''</span> 合衆国は、この連邦内の各州に共和政体を保障し、また侵略に対し各州を防護し、また州内の暴動に対し、州議会あるいは(州議会の招集が可能でないときは)州行政府の請求に応じて、各州に保護を与えなければならない。
=== <span id="a5">第5条</span> ===
連邦議会は、両議院の3分の2が必要と認めるときは、この憲法に対する修正を発議しなければならず、また全州の3分の2の議会の請求があるときは、修正発議のための憲法会議を招集しなければならない。いずれの場合においても、修正は、全州の4分の3の議会によって承認されるか、又は4分の3の州における憲法会議によって承認されるときは、あらゆる意味において、この憲法の一部として効力を有する。いずれの承認方法を採るかは、連邦議会が提案することができる。ただし、1808年以前に行われる修正によって、[[#a1-9|第1条第9節]]第1項及び第4項の規定に変更を及ぼすことはできない。また、いずれの州も、その同意なくして、上院における平等の投票権を奪われることはない。
=== <span id="a6">第6条</span> ===
この憲法の確定以前に契約されたすべての債務及び締結されたすべての約定は、連合規約の下におけると同じく、この憲法の下においても合衆国に対して有効である。
'''2''' この憲法、これに準拠して制定される合衆国の法律、及び合衆国の権限をもってすでに締結され、また将来締結されるすべての条約は、国の最高の法規である。これによって各州の裁判官は、各州憲法又は州法の中に反対の規定がある場合でも、これに拘束される。
'''3''' 前述の上院議員及び下院議員、各州議会の議員、並びに合衆国及び各州のすべての行政官及び司法官は、宣誓又は確約により、この憲法を擁護する義務を負う。しかし、合衆国のいかなる官職又は信任による公職についても、その資格として宗教上の審査を課せられることはない。
=== <span id="a7">第7条</span> ===
九つの州の憲法会議による承認があるときは、本憲法を承認した諸州の間において同憲法が確定発効するに十分であるものとする。
=== 署名 ===
アメリカ合衆国独立12年目にあたる、紀元1787年の9月17日に、列席諸州は、憲法会議において、全会一致でこの憲法を定めた。その証明として、われらはここに署名する。
<center>
[[w:ジョージ・ワシントン|ジョージ・ワシントン]]――議長にして[[w:バージニア州|バージニア州]]代表
{|
| [[w:ニューハンプシャー州|ニューハンプシャー州]] || ジョン・ラングドン
|-
| || ニコラス・ギルマン
|-
| [[w:マサチューセッツ州|マサチューセッツ州]] || ナサニエル・ゴーラム
|-
| || ルーファス・キング
|-
| [[w:コネチカット州|コネチカット州]] || ウィリアム・サミュエル・ジョンソン
|-
| || ロジャー・シャーマン
|-
| [[w:ニューヨーク州|ニューヨーク州]] || アレグザンダー・ハミルトン
|-
| [[w:ニュージャージー州|ニュージャージー州]] || ウィリアム・リビングストン
|-
| || デイビッド・ブリアリー
|-
| || ウィリアム・パターソン
|-
| || ジョナサン・デイトン
|-
| [[w:ペンシルベニア州|ペンシルベニア州]] || [[w:ベンジャミン・フランクリン|ベンジャミン・フランクリン]]
|-
| || トマス・ミフリン
|-
| || ロバート・モリス
|-
| || ジョージ・クライマー
|-
| || トマス・フィッツシモンズ
|-
| || ジャレッド・インガソル
|-
| || ジェームズ・ウィルソン
|-
| || グーブナー・モリス
|-
| [[w:デラウェア州|デラウェア州]] || ジョージ・リード
|-
| || ガニング・ベッドフォード2世
|-
| [[w:ノースカロライナ州|ノースカロライナ州]] || ウィリアム・ブラウント
|-
| || リチャード・ドッブズ・スペイト
|-
| || ヒユー・ウィリアムソン
|-
| [[w:サウスカロライナ州|サウスカロライナ州]] || ジョン・ラトレッジ
|-
| || チャールズ・コーツワース・ピンクニー
|-
| || チャールズ・ピンクニー
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| || ピアース・バトラー
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| [[w:ジョージア州|ジョージア州]] || ウイリアム・フュー
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| || エイブラハム・ボードウィン
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</center>
書記ウィリアム・ジャクソン、認証する。
== 修正条項 ==
<div style="float: right; margin-left: 15px;">
{| class="wikitable" style="font-size:80%;width:200px"
| [[Image:Wikisource-logo.svg|40px]] || [[:en:United States Bill of Rights|権利章典(修正第1条~第10条)の原文(英語)]]
|}
</div>
=== <span id="aa1">修正第1条</span><ref>修正第1条から修正第10条まで([[w:権利章典 (アメリカ)|権利章典]])は1791年12月15日に確定。</ref> ===
連邦議会は、国教を樹立し、若しくは[[w:信教の自由|信教上の自由な行為]]を禁止する法律を制定してはならない。また、[[w:表現の自由|言論若しくは出版の自由]]、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に[[w:請願権|請願]]する権利を侵す法律を制定してはならない。
=== <span id="aa2">修正第2条</span> ===
規律ある[[w:民兵|民兵]]は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が[[w:武器|武器]]を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。
=== <span id="aa3">修正第3条</span> ===
平時においては、所有者の承諾なしには、何人の住居にも兵士を宿営させてはならない。戦時においても、法律に定める方法によるのでなければ、宿営させてはならない。
=== <span id="aa4">修正第4条</span> ===
不合理な[[w:捜索|捜索]]及び[[w:逮捕|逮捕]][[w:押収|押収]]に対し、身体、住居、書類及び所有物の安全を保障される人民の権利は、これを侵害してはならない。[[w:令状|令状]]はすべて、宣誓又は確約によって支持される相当な根拠に基づいていない限り、また捜索する場所及び逮捕押収する人又は物が明示されていない限り、これを発してはならない。
=== <span id="aa5">修正第5条</span> ===
何人も、[[w:大陪審|大陪審]]の告発又は起訴によるのでなければ、[[w:死刑|死刑]]又は自由刑を科せられる犯罪の責を負わされることはない。ただし、陸海軍において起こった事件、又は戦時若しくは公共の危険に際し、現役の民兵の間に起こった事件については、この限りでない。何人も、同一の犯罪について、[[w:二重の危険|再度生命身体の危険]]に臨まされることはない。また、何人も刑事事件において、[[w:自己負罪拒否特権|自己に不利な供述を強制されない]]。また、[[w:デュー・プロセス・オブ・ロー|正当な法の手続]]によらないで、生命、自由又は財産を奪われることはない。また、正当な[[w:国家補償|賠償]]なしに、私有財産を公共の用途のために徴収されることはない。
=== <span id="aa6">修正第6条</span> ===
すべての刑事上の訴追において、被告人は、犯罪が行われた州及びあらかじめ法律で定められる地区の公平な陪審によって行われる、迅速な公開裁判を受け、また公訴事実の性質と原因とについて告知を受ける権利を有する。被告人はまた、自己に不利な[[w:証人|証人]]との対審を求め、自己に有利な証人を得るために強制的な手続を取り、また自己の弁護のために[[w:弁護人|弁護人]]の援助を受ける権利を有する。
=== <span id="aa7">修正第7条</span> ===
[[w:コモン・ロー|普通法]]上の訴訟において、係争の価額が20ドルを超えるときは、陪審による審理の権利を認められるべきものとする。陪審により審理された事実は、普通法の規則によるほか、合衆国のいずれの裁判所においても再審されることはない。
=== <span id="aa8">修正第8条</span> ===
過大な額の[[w:保釈|保釈保証金]]を要求し、又は過重な[[w:罰金|罰金]]を科してはならない。また残酷で異常な[[w:刑罰|刑罰]]を科してはならない。
=== <span id="aa9">修正第9条</span> ===
本憲法中に特定の権利を列挙した事実をもって、人民の保有する他の諸権利を否定又は軽視するものと解釈してはならない。
=== <span id="aa10">修正第10条</span> ===
本憲法によって合衆国に委任されず、また州に対して禁止されなかった権限は、それぞれの州又は人民に留保される。
<div style="float: right; margin-left: 15px;">
{| class="wikitable" style="font-size:80%;width:200px"
| [[Image:Wikisource-logo.svg|40px]] || [[:en:Additional amendments to the United States Constitution|修正第11条~第27条の原文(英語)]]
|}
</div>
=== <span id="aa11">修正第11条</span><ref>修正第11条は1795年2月7日確定。</ref> ===
合衆国の司法権は、その一州に対し、他州の市民、又は外国の市民若しくは臣民によって提起又は訴追された、普通法又は[[w:エクイティ|衡平法]]上のいかなる訴訟にも及ぶものと解釈してはならない。
=== <span id="aa12">修正第12条</span><ref>修正第12条は1804年6月15日確定。</ref> ===
選挙人は、各々その州に会合し、秘密投票によって、大統領及び副大統領を決定する。この2人のうち、少なくとも1人は、選挙人と同じ州の住民であってはならない。選挙人は、その投票において大統領として投票する者を指名し、別の投票において副大統領として投票する者を指名する。また選挙人は、大統領として投票されたすべての者又は副大統領として投票されたすべての者の表並びに各人の得票数の表を作成し、これらの表に署名し証明した上、封印をして上院議長に宛て、合衆国政府の所在地に送付しなければならない。上院議長は、上下両院議員出席の下に、すべての証書を開封し、次いで投票が計算される。大統領として最多得票を獲得した者を大統領とする。ただし、その数は任命された選挙人総数の過半数でなければならない。もし何人も上記の過半数を得なかったときは、大統領として投票された者のうち、3名を超えない最高得票者の中から、下院が直ちに秘密投票により大統領を選任しなければならない。大統領の選任に際して、各州の下院議員団は1票を有するものとし、投票は州を単位として行う。この目的のための定足数は、全州の3分の2の州から1名又はそれ以上の議員が出席することによって成立し、また選任のためには全州の過半数が必要である。<U>もし上記の選任権が下院に委譲された場合に、下院が次の3月4日まで大統領を選任しないときは、大統領の死亡又はその他の憲法上の不能力を生じた場合と同様に、副大統領が大統領の職務を遂行する。</U><ref>下線部は修正第20条第3節により変更される。</ref>副大統領として最多得票をした者を、副大統領とする。ただし、その数は任命された選挙人総数の過半数でなければならない。もし何人も上記の過半数を得なかったときは、右の表のうち、2名の最高得票者の中から、上院が副大統領を選任しなければならない。この目的のための定足数は、上院議員の総数の3分の2とし、また選任のためには総数の過半数が必要である。しかし何人といえども、憲法上大統領職に就く資格のない者は、合衆国副大統領の職に就くことができない。
=== <span id="aa13">修正第13条</span><ref>修正第13条は1865年12月6日確定。</ref> ===
<span id="aa13-1">'''第1節'''</span> [[w:奴隷|奴隷]]及び本人の意に反する労役は、当事者が犯罪に対する刑罰として正当に有罪の宣告を受けた場合以外は、合衆国内又はその管轄に属するいかなる地域内にも存在してはならない。
<span id="aa13-2">'''第2節'''</span> 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条の規定を施行する権限を有する。
=== <span id="aa14">修正第14条</span><ref>修正第14条は1868年7月9日確定。</ref> ===
<span id="aa14-1">'''第1節'''</span> 合衆国において出生し、又はこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、合衆国及びその居住する州の市民である。いかなる州も、合衆国市民の特権又は免除を制限する法律を制定又は施行してはならない。またいかなる州も、[[w:デュー・プロセス・オブ・ロー|正当な法の手続]]によらないで、何人からも生命、自由又は財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても[[w:法の下の平等|法律の平等な保護]]を拒んではならない。
<span id="aa14-2">'''第2節'''</span> 下院議員は、各州の人口に応じて、各州の間に配分される。各州の人口は、納税義務のないインディアンを除いた総人口とする。しかし、もし合衆国大統領及び副大統領の選挙人の選任、連邦下院議員、各州の行政官及び司法官、又はその州議会の議員の選挙に際して、いずれかの州が自州の住民である男子のうち、21歳に達しかつ合衆国市民である者に対して、反乱の参与又はその他の犯罪以外の理由で、投票の権利を拒み、又は何らかの形で制限する場合には、その州より選出される下院議員の数は、これらの男子市民の数がその州における21歳以上の男子市民の総数に占める割合に応じて、減少される。
<span id="aa14-3">'''第3節'''</span> 過去に連邦議会の議員、合衆国の公務員、州議会の議員、又は州の行政官若しくは司法官として合衆国憲法の擁護を宣誓した後に、合衆国に対する暴動若しくは反乱に参与し、又は合衆国の敵に援助若しくは便宜を与えた者は、何人も連邦議会の議員、大統領及び副大統領の選挙人となり、又は合衆国若しくは各州の下において文武の官職に就くことはできない。しかし、連邦議会はそれぞれの議院の3分の2の表決によってこの欠格を解除することができる。
<span id="aa14-4">'''第4節'''</span> 暴動又は反乱を鎮圧するための軍務に対する恩給及び賜金を支払う目的で起債された公債を含め、合衆国の法律で認められた国債の効力は、これを争うことができない。しかし、合衆国に対する暴動若しくは反乱を援助するために生じた負債若しくは債務に対して、又は奴隷の喪失若しくは解放を理由とする請求に対しては、合衆国又はいかなる州もこれを負担又は支弁してはならない。これらの負債、債務及び請求は、すべて違法にして無効である。
<span id="aa14-5">'''第5節'''</span> 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条の規定を施行する権限を有する。
=== <span id="aa15">修正第15条</span><ref>修正第15条は1870年2月3日確定。</ref> ===
<span id="aa15-1">'''第1節'''</span> 合衆国市民の投票権は、人種、体色又は過去における労役の状態を理由として、合衆国又は州によって拒否又は制限されることはない。
<span id="aa15-2">'''第2節'''</span> 連邦議会は、適当な法律の規定によって、本条の規定を施行する権限を有する。
=== <span id="aa16">修正第16条</span><ref>修正第16条は1913年2月3日確定。</ref> ===
連邦議会は、いかなる源泉から生ずる所得に対しても、各州の間に配分することなく、また国勢調査又は人口算定に準拠することなしに、所得税を賦課徴収する権限を有する。
=== <span id="aa17">修正第17条</span><ref>修正第17条は1913年4月8日確定。</ref> ===
<span id="aa17-1">'''第1節'''</span> 合衆国の上院は、各州から2名ずつ6年を任期として、その州の人民によって選挙される上院議員で組織される。各上院議員は、1票の投票権を有する。各州における選挙人は、州議会の議員数の多い一院の選挙人に必要な資格を備えていなければならない。
<span id="aa17-2">'''第2節'''</span> 上院における州の代表に欠員を生じた場合には、その州の行政府は、これを補充するため選挙施行の命令を発しなければならない。ただし、州議会は、人民が州議会の定めるところに従って、選挙により右の欠員を補うまでの間、その州の行政府に臨時の任命をする権限を与えることができる。
<span id="aa17-3">'''第3節'''</span> この修正は、本憲法の一部として効力を発する以前に選出されたいかなる上院議員の選挙又は任期にも、影響を及ぼすものと解釈されてはならない。
=== <span id="aa18">修正第18条</span><ref>修正第18条は1919年1月16日確定。同条は[[#aa21-1|修正第21条]]により1933年12月5日廃止された。</ref> ===
<span id="aa18-1">'''第1節'''</span> 本条の承認から1年を経た後は、合衆国及びその管轄権に従属するすべての領土において、飲用の目的で酒精飲料を醸造、販売若しくは運搬し、又はその輸入若しくは輸出を行うことを禁止する。
<span id="aa18-2">'''第2節'''</span> 連邦議会と各州とは、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を共に有する。
<span id="aa18-3">'''第3節'''</span> 本条は、連邦議会がこれを各州に提議した日から7年以内に、本憲法の規定に従って各州の議会により、本憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。
=== <span id="aa19">修正第19条</span><ref>修正第19条は1920年8月18日確定。</ref> ===
<span id="aa19-1">'''第1節'''</span> 合衆国市民の[[w:選挙権|投票権]]は、性別を理由として、合衆国又はいかなる州によっても、これを拒否又は制限されてはならない。
<span id="aa19-2">'''第2節'''</span> 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。
=== <span id="aa20">修正第20条</span><ref>修正第20条は1933年1月23日確定。</ref> ===
<span id="aa20-1">'''第1節'''</span> 大統領及び副大統領の任期は、もし本修正箇条が承認されていなかった場合の任期が終了する年の1月20日の正午に終了し、上下両院議員の任期はそれぞれの任期が終わる年の1月3日の正午に終了する。その後任者の任期はその時に開始する。
<span id="aa20-2">'''第2節'''</span> 連邦議会は少なくとも毎年1回集会する。その集会は、同議会が法律で別の日を定めない限り、1月3日の正午に開始する。
<span id="aa20-3">'''第3節'''</span> 大統領の任期の開始期と定められた時点で、次期大統領として当選した者が死亡している場合には、次期副大統領として当選した者が大統領となる。大統領の任期の開始期と定められた時までに大統領が選出されていない場合、又は大統領の当選者がその資格を備えるに至らない場合には、副大統領の当選者は、大統領がその資格を備えるに至るまで大統領の職務を行う。連邦議会は、大統領の当選者及び副大統領の当選者が共にその資格を備えるに至らない場合に、何人が大統領の職務を行うか、又はいかなる方法でその職務を行う者を選出するかを法律で定めることができる。この場合には、その者は、大統領又は副大統領がその資格を備えるに至るまで大統領の職務を行う。
<span id="aa20-4">'''第4節'''</span> 連邦議会は、下院が大統領の選出権を持つに至ったときに、同議院が大統領を選定すべき者の中に死亡者の生じた場合、及び上院が副大統領の選出権を持つに至ったときに、同議院が副大統領を選定すべき者の中に死亡者の生じた場合について、法律で規定することができる。
<span id="aa20-5">'''第5節'''</span> 第1節及び第2節は、本条が承認された後の最初の10月15日に効力を生ずる。
<span id="aa20-6">'''第6節'''</span> 本条は、その提出日から7年以内に、全州の4分の3の議会によって本憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。
=== <span id="aa21">修正第21条</span><ref>修正第21条は1933年12月5日確定。</ref> ===
<span id="aa21-1">'''第1節'''</span> [[#aa18|合衆国憲法修正第18条]]は、ここにこれを廃止する。
<span id="aa21-2">'''第2節'''</span> 合衆国の州、領土又は属領の法律に違反して、それらの地域において引き渡し又は使用するために、酒精飲料をその地域に輸送又は移入することは、ここに禁止する。
<span id="aa21-3">'''第3節'''</span> 本条は、連邦議会がこれを各州に提出した日から7年以内に、本憲法の規定に従って各州の憲法会議により本憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。
=== <span id="aa22">修正第22条</span><ref>修正第22条は1951年2月27日確定。</ref> ===
<span id="aa22-1">'''第1節'''</span> 何人も、2回を超えて大統領の職に選出されてはならない。他の者が大統領として選出された場合、その任期内に2年以上にわたって大統領の職にあった者又は大統領の職務を行った者は、何人であれ1回を超えて大統領の職に選任されてはならない。ただし、本条の規定は、本条が連邦議会によって発議された時に大統領の職にある者に対しては適用されない。また、本条の規定は、それが効力を生ずる時に任期中の大統領の職にある者又はその大統領の職務を行う者が、その任期の残余期間中大統領の職にあり、又は大統領の職務を行うことを妨げるものではない。
<span id="aa22-2">'''第2節'''</span> 本条は、連邦議会がこれを各州に提出した日から7年以内に、全州の4分の3の議会によって憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。
=== <span id="aa23">修正第23条</span><ref>修正第23条は1961年3月29日確定。</ref> ===
<span id="aa23-1">'''第1節'''</span> [[w:ワシントンD.C.|合衆国政府の所在地を構成する地区]]は、連邦議会の定める方法により、もし同地区が州であると仮定すれば連邦議会に送ることのできる上院及び下院の議員総数と等しい数の選挙人を選任する。ただし、その数は、いかなる場合にも、人口の最も少ない州の選任する選挙人の数を超えてはならない。同地区任命の選挙人は、各州任命の選挙人に加えられ、大統領及び副大統領の選挙の目的のためには、各州選任の選挙人とみなされ、同地区に会合して、[[#aa12|修正第12条]]の規定する義務を履行するものとする。
<span id="aa23-2">'''第2節'''</span> 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。
=== <span id="aa24">修正第24条</span><ref>修正第24条は1964年1月23日確定。</ref> ===
<span id="aa24-1">'''第1節'''</span> 大統領若しくは副大統領、大統領若しくは副大統領の選挙人、又は連邦議会の上院議員若しくは下院議員のための、予備選挙その他の選挙に対する合衆国市民の投票権は、合衆国又はいかなる州も、人頭税その他の租税を支払わないことを理由として、これを拒否又は制限してはならない。
<span id="aa24-2">'''第2節'''</span> 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。
=== <span id="aa25">修正第25条</span><ref>修正第25条は1967年2月10日確定。</ref> ===
<span id="aa25-1">'''第1節'''</span> 大統領の免職、死亡、辞職の場合には、副大統領が大統領となる。
<span id="aa25-2">'''第2節'''</span> 副大統領職が欠員のときは、大統領は副大統領を指名し、指名された者は連邦議会両院の過半数の承認を経て、副大統領職に就任する。
<span id="aa25-3">'''第3節'''</span> 大統領が、その職務上の権限と義務の遂行が不可能であるという文書による申立てを、上院の臨時議長及び下院議長に送付するときは、大統領が、それと反対の申立てを、文書によりそれらの者に送付するまで、副大統領が大統領代理として大統領職の権限と義務を遂行する。
<span id="aa25-4">'''第4節'''</span> 副大統領及び行政各部の長官の過半数又は連邦議会が法律で定める他の機関の長の過半数が、上院の臨時議長及び下院議長に対し、大統領がその職務上の権限と義務を遂行することができないという文書による申立てを送付したときは、副大統領は直ちに大統領代理として、大統領職の権限と義務を遂行するものとする。
'''2''' その後、大統領が上院の臨時議長及び下院議長に対し、不能が存在しないという文書による申立てを送付したときは、大統領はその職務上の権限と義務を再び遂行する。ただし、副大統領及び行政各部の長官の過半数、又は連邦議会が法律で定める他の機関の長の過半数が、上院の臨時議長及び下院議長に対し、大統領がその職務上の権限と義務の遂行ができないという文書による申立てを4日以内に送付したときは、この限りでない。この場合、連邦議会は、開会中でないときは、48時間以内にその目的のために会議を招集し、問題を決定する。もし、連邦議会が後者の文書による申立てを受理してから21日以内に、又は議会が開会中でないときは会議招集の要求があってから21日以内に、両議院の3分の2の投票により、大統領がその職務上の権限と義務を遂行することができないと決定した場合は、副大統領が大統領代理としてその職務を継続する。その反対の場合には、大統領はその職務上の権限と義務を再び行うものとする。
=== <span id="aa26">修正第26条</span><ref>修正第26条は1971年7月1日確定。</ref> ===
<span id="aa26-1">'''第1節'''</span> 18歳又はそれ以上の合衆国市民の投票権は、年齢を理由として、合衆国又はいかなる州もこれを拒否又は制限してはならない。
<span id="aa26-2">'''第2節'''</span> 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。
=== <span id="aa27">修正第27条</span><ref>修正第27条は1992年5月7日確定。なお、連邦議会は、修正第27条の文案を、1789年9月25日、権利章典の一部として提出していたが、第1条から第10条まで(1791年12月15日発効)とともには批准されなかった。</ref> ===
上院議員及び下院議員の役務に対する報酬を変更する法律は、下院議員の選挙が施行されるまで、その効力を生じない。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
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[[Category:アメリカ合衆国の憲法]]
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どちりな・きりしたん
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| wikipedia = ドチリナ・キリシタン
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ドチリナ・キリシタンは、近世初期にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本。当時のポルトガル語でDoctrina Christã(現在の表記ではDoutrina Cristã)、ラテン語でDoctrina Christianaと表記する。日本で刊行された国字本「どちりな・きりしたん」は日本人信徒の教理学習用として編纂され、問答体の平易な文章で書かれている。{{wikipediaref|ドチリナ・キリシタン}}
* 勉誠社文庫56(勉誠社、1979)による。仮名を漢字に改め、句読をくわえて読みやすくしたものを附す。JXは「ぜずきりしと(Jesu Xt)」の合字、DSは「でうす(DeuS)」の合字を示す。
}}
== 題紙 ==
DOCTRINA CHRISTAM.
御出世以来千六百年
とちりなきりしたん これきりしたんのをしへといふぎ也
慶長五年六月上旬
NAGASAQUI EX OFFICINA Gotô Thome Sôin typographi Societatis IESV. Cum facultate Ordinarij, & Superiorum. Anno. 1600.
== 序 ==
御主JX御{{r|在世|ざいせ}}のあひだ{{r|御弟子達|みでしたち}}にの給ひをき給ふ事の中にとりはきなんだちにをしへけるごとく一さいにんげんに後生をたすかるまことのみちをひろめよとの御事也これ又がくしやたちのゝべをけるごとく三の儀にきはまる也一にはしんじ奉るべき事二にはたのもしく存じ奉るべき事三にはつとめをこなふべき事これ也しかるにしんじ奉るべきだいもくといふは人智にをよぶだうりのうへなる儀なればひいですといふぜんにあたる者也これらの事をしらずんばごしやうのみちにまよふ事おほかるべし又たのもしく思ふ事とはゑすぺらんさといふぜんにあたる事也これすなはちDSより御やくそくをもてきりしたんにあたへ給ふべきごしやうにあたるほどの事なり此ゑすぺらんさなくんばなんぎにあふべきときたのむところなしとちからをおとす事もあるべしこれ又あにまの大きなるさはり也さてつとめをこなふべき事とはかりだでといふ大切の善にあたる事なりこれらの儀をこゝろえざればDSの御おきてをたび〳〵そむく事あるべし故に此三の善はきりしたんの為にもつぱらなる儀なればがくしやと名を得られし善人これらにつゐてあまたのきやうをかきをき給ふ者也いまそのうちよりかんようなるところをえらびとりてはんにひらきまよひをてらすかゞみとなす者也しかればきりしたんに後生のもつぱらなる事ををしへん為にこんぱにやのすぺりよるの命をうけて此小経をあみたてなづけてどちりいなきりしたんといふこれすなはちきりしたんのをしへといふ心なり上下ばんみんにたやすく此のむねをしらしめんがためにこと葉はぞくのみゝにちかく儀はDSのたかきことはりをあらはす者也此ことはりをすみやかにわきまへんが為に師弟子のもんだうとなしてしめす者也これ一さいのきりしたんのちゑのまなこをあきらむるをしへなればたれしもならひわきまへしつてまよひのやみをのがれまことのみちにもとづくべし
: 御主JX御{{r|在世|ざいせ}}のあひだ{{r|御弟子達|みでしたち}}にの給ひをき給ふ事の中にとりはき汝達に教へけるごとく一切人間に後生を扶かる真の道を広めよとの御事也。これ又学者たちの述べをけるごとく三の儀に極まる也。一には信じ奉るべき事。二には頼もしく存じ奉るべき事。三には勤めをこなふべき事これ也。しかるに信じ奉るべき題目といふは人智にをよぶ道理のうへなる儀なればヒイデスといふ善にあたる者也。これらの事を知らずんば後生の道に迷ふ事多かるべし。又頼もしく思ふ事とはヱスペランサといふ善にあたる事也。これすなはちDSより御約束をもてキリシタンに与へ給ふべき後生にあたるほどの事なり。此ヱスペランサなくんば難儀にあふべきとき頼むところなしと、力をおとす事もあるべし。これ又アニマの大きなる障り也。さて勤めをこなふべき事とはカリダデといふ大切の善にあたる事なり。これらの儀を心得ざればDSの御おきてをたび〳〵そむく事あるべし。故に此三の善はキリシタンの為にもつぱらなる儀なれば学者と名を得られし善人これらにつゐてあまたの経を書きをき給ふ者也。いまそのうちより肝要なるところを選びとりて版に開き迷ひを照すかゞみとなす者也。しかればキリシタンに後生のもつぱらなる事を教ヘん為にコンパニヤのスペリヨルの命をうけて此小経を編みたて名付けてドチリイナキリシタンといふ。これすなはちキリシタンの教へといふ心なり。上下万民にたやすく此のむねを知らしめんがために、言葉は俗の耳に近く儀はDSの高き理をあらはす者也。此理をすみやかに弁へんが為に、師弟子の問答となして示す者也。これ一切のキリシタンの智慧の眼を明らむる教へなれば、たれしも習ひ弁へ知つて迷ひの闇を逃れ真の道にもとづくべし。
== {{r|目録|もくろく}} ==
[[第一 きりしたんといふは何事ぞといふ事 二]]<br/>
第二 きりしたんのしるしとなる貴きくるすの事 五<br/>
[[第三 ぱあてるのすてるの事 九]]<br/>
第四 あへまりやの事 十二<br/>
○たつときびるぜんまりやのろざいろとて百五十{{r|反|ぺん}}のおらしよの事 十三<br/>
○御よろこびのくはんねん五かでうの事 十三<br/>
○御かなしみのくはんねん五かでうの事 十四<br/>
○ごらうりやのくはんねん五かでうの事 十四<br/>
○ころはのおらしよの事 十五<br/>
第五 さるべれじいなの事 十五<br/>
第六 けれどならびにひいですのあるちいごの事 十七<br/>
[[第七 DSの御おきて十のまんだめんとすの事 二十五]]<br/>
○御おきてのまんだめんとす 二十七<br/>
第八 たつときゑけれじやの御おきての事 三十一<br/>
[[第九 七のもるたる科の事 四十]]<br/>
第十 さんたゑけれじやの七のさからめんとの事 四十二<br/>
[[第十一 此ほかきりしたんにあたるかんようの条々 五十三]]<br/>
○じひのしよさ 五十三<br/>
○てよろがれすのびるつうですといふ三の善あり 五十四<br/>
○かるぢなれすのびるつうですといふ四の善あり 五十四<br/>
○すぴりつさんとのだうねすとて御あたへは七あり 五十四<br/>
○ぺなべんつらんさは八あり 五十五 ○あやまちのおらしよ 五十五 目録之終<br/>
:第一 キリシタンといふは何事ぞといふ事 二
:第二 キリシタンの徴となる貴きクルスの事 五
:第三 パアテルノステルの事 九
:第四 アベマリヤの事 十二
:○たつときビルゼンマリヤのロザイロとて百五十{{r|反|ぺん}}のオラシヨの事 十三
:○御よろこびの観念五箇条の事 十三
:○御かなしみの観念五箇条の事 十四
:○ゴラウリヤの観念五箇条の事 十四
:○コロハのオラシヨの事 十五
:第五 サルベレジイナの事 十五
:第六 ケレドならびにヒイデスのアルチイゴの事 十七
:第七 DSの御おきて十のマンダメントスの事 二十五
:○御おきてのマンダメントス 二十七
:第八 たつときヱケレジヤの御おきての事 三十一
:第九 七のモルタル科の事 四十
:第十 サンタヱケレジヤの七のサカラメントの事 四十二
:第十一 此ほかキリシタンにあたる肝要の条々 五十三
:○慈悲の所作 五十三
:○テヨロガレスのビルツウデスといふ三の善あり 五十四
:○カルヂナレスのビルツウデスといふ四の善あり 五十四
:○スピリツサントのダウネスとて御あたへは七あり 五十四
:○ペナベンツランサは八あり 五十五 ○あやまちのオラシヨ 五十五 目録之終
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マタイ福音書に関する説教
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2024-10-31T07:51:41Z
村田ラジオ
14210
校正
224019
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| next= [[マタイ福音書に関する説教/説教15|説教15]]
| year = 1885
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| override_author = [[作者:金口イオアン|ヨアンネス・クリュソストモス]] (4-5世紀)
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| noauthor =
| notes =
*底本: Philip Schaff, George Prevost, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume X/The Homilies of St. John Chrysostom".
*[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume X/The Homilies of St. John Chrysostom|The Homilies of St. John Chrysostom]]
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:聖書註解書]]
[[Category:クリュソストモス]]
[[Category:教父]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
[[Category:マタイ福音書に関する説教|*]]
}}
== 目録 ==
*[[マタイ福音書に関する説教/説教1|説教1]]
*[[マタイ福音書に関する説教/説教2|説教2]]
*[[マタイ福音書に関する説教/説教3|説教3]] 1章1節 「ダビデの子、アブラハムの子、イエス・キリストの系図の書」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教4|説教4]]
*[[マタイ福音書に関する説教/説教5|説教5]]
*[[マタイ福音書に関する説教/説教6|説教6]] 2章1、2節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教7|説教7]]
*[[マタイ福音書に関する説教/説教8|説教8]] 2章2節 「そして家に入ると、彼らは幼子とその母マリアとを見ました。」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教9|説教9]]
*[[マタイ福音書に関する説教/説教10|説教10]] 3章1、2節 「そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で宣べ伝えて言った。『悔い改めよ。天の国は近づいた。』」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教11|説教11]] 3章7節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教12|説教12]] 3章13節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教13|説教13]] 4章1節 「そのとき、イエスは悪魔の試みを受けるために、御霊によって荒れ野に導かれた」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教14|説教14]] 4章12節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教15|説教15]] 5章1、2節 「イエスは群衆を見て山に登り、座られると、弟子たちがみもとに来た。イエスは口を開き、『幸いなことよ』と言いながら彼らに教えた。」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教16|説教16]] 5章17節 「わたしが律法や預言者を廃止するために来たと思ってはならない。」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教17|説教17]] 5章27、28節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教18|説教18]] 5章38、39、40節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教19|説教19]] 6章1節 「人々に見られるために、人々の前で施しをしないように気をつけなさい」
:::6章9節 「だから、あなたがたはこう祈りなさい。天にいますわれらの父よ。」とイエスは言われました。
*[[マタイ福音書に関する説教/説教20|説教20]] 6章20節 「宝は天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともない」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教21|説教21]] 6章24節 「だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは一方に親しんで他方を軽んじることになるからである」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教22|説教22]] 6章28、29節 「野のゆりの花をよく見てみなさい。働きもせず紡ぎもしない」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教23|説教23]] 7章1節 「人を裁くな、そうすれば自分も裁かれない」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教24|説教24]] 7章21節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教25|説教25]] 7章28節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教26|説教26]] 8章5節 さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教27|説教27]] 8章14節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教28|説教28]] 8章23、24節 「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。すると、海に激しい暴風が起こり、舟は波に覆われたが、イエスは眠っておられた」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教29|説教29]] 9章1、2節 さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。
*[[マタイ福音書に関する説教/説教30|説教30]] 9章9節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教31|説教31]] 9章18節 これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教32|説教32]] 9章27、30節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教33|説教33]] 10章16節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教34|説教34]] 10章23節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教35|説教35]] 10章34節 「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思ってはならない」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教36|説教36]] 11章1節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教37|説教37]] 11章7、8、9節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教38|説教38]] 11章25、26節 そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
*[[マタイ福音書に関する説教/説教39|説教39]] 12章1節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教40|説教40]] 12章9、10節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教41|説教41]] 12章25、26節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教42|説教42]] 12章33節 「木が良ければその実も良し、木が悪ければその実も悪しとせよ。木はその実によってわかるからである」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教43|説教43]] 12章38、39節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教44|説教44]] 12章46-49節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教45|説教45]] 13章10、11節 それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らにたとえでお話しになるのですか」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教46|説教46]] 13章24 - 30節 また、ほかのたとえを彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
*[[マタイ福音書に関する説教/説教47|説教47]] 13章34、35節 イエスはこれらのことをすべて、たとえで群衆に語られた。たとえによらないでは何事も彼らに語られなかった。
*[[マタイ福音書に関する説教/説教48|説教48]] 13章53節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教49|説教49]] 14章13節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教50|説教50]] 14章23、24節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教51|説教51]] 15章1節 ときに、パリサイ人と律法学者たちとが、エルサレムからイエスのもとにきて言った、「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教52|説教52]] 15章21、22節 「イエスはそこから出て、ツロ(ティルス)とシドンの地方へ行かれた」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教53|説教53]] 16章24節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教54|説教54]] 16章28節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教55|説教55]] 17章10節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教56|説教56]] 18章7節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教57|説教57]] 18章15節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教58|説教58]] 18章21節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教59|説教59]] 19章1節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教60|説教60]] 19章16節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教61|説教61]] 19章27節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教62|説教62]] 20章17-19節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教63|説教63]] 20章29、30節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教64|説教64]] 21章12、13節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教65|説教65]] 21章33-44節 「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、周囲に垣を巡らし…」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教66|説教66]] 22章1-14節 「天の国は、ある王様のようなものです。王様は息子のために婚礼を催し、招かれていた人々を呼びに家来たちを遣わした」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教67|説教67]] 22章15節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教68|説教68]] 22章34-36節 「一人の律法学者がイエスを試そうとして質問した。『先生、律法の中で、どの戒めが一番重要でしょうか』」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教69|説教69]] 23章1-3節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教70|説教70]] 23章14節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教71|説教71]]
*[[マタイ福音書に関する説教/説教72|説教72]] 24章1、2節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教73|説教73]] 24章16-18節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教74|説教74]] 24章33-34節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教75|説教75]] 25章1-30節 「それで、天の国は、十人の乙女にたとえられる」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教76|説教76]] 26章6-7節 「イエスがベタニアで、らい病人シモンの家におられ、食事をしておられたとき…」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教77|説教77]] 26章17-18節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教78|説教78]] 26章26-28節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教79|説教79]] 26章36-38節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教80|説教80]] 26章51-54節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教81|説教81]] 26章67-68節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教82|説教82]] 27章11-12節 「総督はイエスに尋ねた、『あなたはユダヤ人の王なのか。』」
*[[マタイ福音書に関する説教/説教83|説教83]] 27章27-29節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教84|説教84]] 27章45-48節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教85|説教85]] 27章62-64節
*[[マタイ福音書に関する説教/説教86|説教86]] 28章11-14節
:目録/終わり
== 出典 ==
*[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume X/The Homilies of St. John Chrysostom|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume X/The Homilies of St. John Chrysostom]](英語版ウィキソース)
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Philip Schaff, James Donaldson, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume X/The Homilies of St. John Chrysostom"を翻訳
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻/ピリピ、コロサイ、テサロニケについて/コロサイ人への手紙注解
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2024-10-31T07:26:28Z
村田ラジオ
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校正: カテゴリ
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*ウィキソースによる日本語訳
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第三 ぱあてるのすてるの事 九
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|title={{r|第三|だいさん}}、パアテル・ノステル(「われらの父よ」の祈り、主禱文、主の祈り)の{{r|事|こと}} {{r|九|きゅう}}
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|author=マルコス・ジョルジュ
|notes=見たものは原本日本語文字文語版の風間書房刊のカサナテンセ図書館蔵慶長五年西暦1,600年版ドチリナの文語版の写真版を「小島、校本ドチリナ」で個人で読み解いて現代口語に翻訳したものです。
}}
{{r|第三|だいさん}} パアテル・ノステルの{{r|事|こと}} {{ruby|九|きゅう}}
DAISAN PAERNOSTER NO COTO
師 ローマの{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}より教え{{r|宣|の}}たもう{{r|オラショ|Oratio}}のお祈りの仕方を教え授けよう。次に又信じ奉り仕えるゝべき条々と務めるべき{{r|行儀|ぎょうぎ}}をも{{r|現|あら}}わそうと思うべきであるのであり、これすなわち「{{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}」「{{r|アヴェ・マリヤ|Hail Mary}}」「{{r|救助の女王|サルヴェ・レジナ}}」「{{r|使徒信経|ケレド}}」{{r|十箇条の誡め|マダメント}}と{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}の{{r|条規|じょうき}}とに含まれていることなのであるこれらはみな{{r|揺|ゆ}}るがせなくして{{r|一辺倒|いっぺんとう}}に信じ{{r|務|つと}}め{{r|仕|つか}}えるべきことであるのです。
弟 善悪の赦別を{{r|弁|わきま}}える{{r|年頃|としごろ}}のキリシタンは{{r|如何云|どうい}}うことを知ることこそが{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}なのですか?
師 {{r|三様|みさま}}のことである一つにはDf{{r|天主神|デウス}}を頼みよく仕え二つには{{r|能|よ}}く{{r|信|しん}}じ{{r|三|みっ}}つにはよき{{r|所作|わざ}}を与える道を知ること{{r|此|こ}}れなのです。
弟 Df{{r|天主|Deus}}をよく頼み仕えるとは{{r|如何云|どうい}}う事と知るべきなのですか?
師 {{r|われらの父|パアテル・ノステル}}の{{r|祈り|Oratio}}を以って知るべきなのです。
弟 {{r|達|たっ}}して{{r|信|しん}}じ{{ruby|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るにはどのようにして知るようになるべきでしょうか?
師 {{r|使徒信経|ケレド}}或いは{{r|信仰|ヒイデス}}の{{r|信仰告白|アルチイゴ}}を知る事であるのです。
弟 {{r|行儀|ぎょうぎ}}をよく{{r|修|おさ}}める道と{{r|云|い}}うのはどのようにして知ることなのでしょうか?
師 {{r|行儀|ぎょうぎ}}をよく{{r|修|おさ}}めるためにはDf{{r|天主|デウス}}の{{r|御掟|をんおきて}}の律法:{{r|マンダメント|Mandamento}}と{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}の{{r|律令|りつりょう}}を知ることなのであり、また悪を{{r|退|しりぞ}}ける為には七つの{{r|致命的の咎|モルタルとが}}を知ることなのです。
弟 正しく信じよく頼み仕え奉りまた身持ちよく{{r|修|おさ}}めるためには上の{{r|他別|ほかべつ}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}な{{r|教義|きょうぎ}}があるのでしょうか?
師 なかなか{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}な{{r|教義|きょうぎ}}あり{{r|此|こ}}れはすなわちDf{{r|天主|デウス}}のご意志の云う事に従がいJ⁰xゼーズス・キリシトから{{r|直|ぢき}}に与え宣のべ給う三つの善である正しく信じ仕え奉るためには{{r|信仰|ヒイデス}} をよく頼みなさい。仕えるためには{{r|楽天希望徳|ヱスぺランサ}}で以って、身持ちよく修めるためには{{r|慈善人道愛|カリダアデ}}と云うものがそれらの{{r|善|ぜん}}なのである。そうであればよく{{r|信頼|しんらい}}することには主禱文、主の祈り{{r|われらの父|パアテレ・ノステレ}}のお祈りの{{r|要件|ようけん}}を知ることが{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}なものであるから{{r|只今|ただいま}}それを教え{{r|授|さづ}}けよう
『天にましますわれらが{{r|御親|をんおや}}よ、御名が{{r|尊|たっと}}まれ給え、{{r|御世(代)来|ごしはいき}}たりたまへ、天に於いて{{r|思召|おぼしめ}}すままになるごとく、地にもあらせ給え。我らの日々のお{{r|養|やしな}}いを{{r|今日|きょう}}お与えください。われらが人に{{r|赦免|しゃめん}}を{{r|申|もう}}すがごとくに(ラテン語:我等への負い目の負債を見落としてわたし自身の訴え反感を却下して取り下げているのと同じように) 我らの{{r|罪|つみ}}を{{r|赦|ゆる}}して下さい。我らに{{r|誘惑|ゆうわく}}であるテンタサン(Temptation≒誘惑)に{{r|離|はな}}し給うことが無いようにわれらを{{r|凶悪|きょうあく}}から{{r|逃|の}}がし給え』
弟 今教え{{r|宣|のたま}}うた「{{r|われらの父|パアテル・ノステル}}」の{{r|オラショ|Oratio}}の祈りをば{{r|誰人|だれひと}}の造り{{r|宣|のたま}}うたものなのですか?
師 {{r|忝|かたじけ}}なくもわれらが{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|直|ぢか}}にお教え{{r|宣|のたま}}うた祈りなのです。
弟 何のためですか?
師 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りを申すべき{{r|要領|ようりょう}}を教えて下さったお祈りなのです。
弟 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りとは{{r|如何云|どうい}}うためのものですか?
師 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りは我らが{{r|念|ねん}}を天に通じ{{r|御主|をんあるじ}}のDf{{r|天主|Deus}}に申し上げる{{r|望|のぞ}}みを{{r|叶|かな}}えの{{r|給|たま}}う道を知って{{r|頂|いたゞ}}くことがこの{{r|オラショ|Oratio}}のお祈りの{{r|目的|もくてき}}なのです。
弟 {{r|天主神|Deus}}は{{r|何処|いずく}}におわしますか?
師 {{r|天地|てんち}}の{{r|何処|いずく}}にもをわしますのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}の祈りを申す時に{{r|何|いづ}}れの{{r|言葉|ことば}}がわがDf{{r|天主|デウス}}に{{r|通|つう}}じて{{r|頼|たの}}み{{r|仕|つか}}えるのですか?
師 {{r|第一句目|だいいっくめ}}のわれらが{{r|御親|おんおや}}と{{r|云|い}}い{{r|申|もう}}す{{r|言葉|ことば}}によってです。
弟 {{r|御主|おんあるじ}}と{{r|申|もう}}さなくして{{r|御親|おんおや}}と{{r|申|もう}}すことは{{r|如何|どう}}してなのですか?
師 {{r|御親|をんおや}}と呼び掛けることによってわれらを{{r|御大切|ごたいせつ}}に思し召すことを思い出して頼もしい心や意図に於いて天主に{{r|仕奉|つかえまつ}}るためであるのです。
弟 わが{{r|御親|をんおや}}と{{r|申|もう}}さずして{{r|如何|どう}}してわれらが{{r|御親|をんおや}}と{{r|申|もう}}すのですか?
師 {{r|人|ひと}}の{{r|子|こ}}の{{r|人類|じんるい}}が{{r|皆兄弟|みなきょうだい}}にて{{r|善|よ}}き{{r|御親|をんおや}}の子らに{{ruby|思|おも}}い{{r|取|と}}りて互いに{{r|御大切|ごたいせつ}}に思おうとする為のものなのです。
弟 Df{{r|天主神|Deus}}は{{r|天|てん}}にをわしますとは{{r|如何云|どうい}}うことですか?
師 われらが{{r|御親|をんおや}}の頼み掛け所も天に在ると思い{{r|閉|と}}づを以ってこの{{r|世界|せかい}}の{{r|諸々|もろ〱}}の事がらを{{r|思|おも}}い{{r|棄|す}}てるべきなためなのです。
弟 上に言うにDf{{r|天主神|デウス}}は{{r|何処|どこ}}にもをわしますと云うて{{r|又天|またてん}}にいらっしゃいますと云うのは{{r|如何云|どうい}}うことですか?
師 DF{{r|天主神|Deus}}は{{r|何処|どこ}}にもいらっしゃいますと{{r|雖|いえど}}も{{r|助|たす}}かりたもう{{r|善人|ぜんにん}}たちに{{r|尊体|そんたい}}を{{r|直|ぢか}}に{{r|現|あら}}わしてもらうために{{r|天|てん}}の{{r|パラジゾ|Paradise}}を{{r|備|そな}}え{{r|給|たも}}うたことによってです。
弟 {{r|如何云|どうい}}う{{r|言葉|ことば}}を{{r|以|も}}ってDf{{r|天主|Deus}}にわれらがの{{r|願|ねが}}いを{{r|申|もう}}し{{r|上|あ}}げるべきですか?
師 {{r|相続|あいつづ}}く{{r|残|のこ}}りの{{r|言葉|ことば}}を{{r|以|も}}ってです。
弟 {{r|相続|あいつづ}}く{{r|残|のこ}}りの{{r|言葉|ことば}}とは{{r|如何云|どうい}}う{{r|言葉|ことば}}でしょうか?
師 {{r|七箇条|ななかじょう}}である第一は{{r|御名|みな}}を{{r|尊|とうと}}まれ給えとこの{{r|意図|いと}}はDf{{r|天主|デウス}}の{{r|父|ちち}}なる{{r|神|かみ}}の{{r|御名|みな}}と{{r|御誉|をんほま}}れが{{r|全世界|ぜんせかい}}に{{r|広|ひろ}}まり{{r|一切人間|いっさいにんげん}}のその{{r|御主|をんあるじ}}とその{{r|御子|をんこ}}の{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトを{{r|見知|みし}}り{{r|貴|たっと}}び{{r|仕|つか}}え{{r|奉|たてまつ}}るようにと{{r|云|い}}う{{r|意図|いと}}の{{r|教義|きょうぎ}}であるのです。
弟 {{r|第二箇条目|だいにかじょうめ}}には{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|奉|まつ}}るのでしょうか?
師 {{r|御代|ごしはい}}来たり給えとこの{{r|意味|いみ}}は{{r|悪事|あくじ}}と{{r|罪|つみ}}から{{r|逃|に}}がされDf{{r|天主|デウス}}とその{{r|御子|をんこ}}J⁰xゼーズ・キリシトから{{r|現世|げんせ}}に{{r|於|お}}いてからは{{r|聖寵|Graça}}、{{r|後生|のちのよ}}に{{r|於|お}}いては{{r|栄光|Gloria}}を{{r|以|も}}ってわれらを{{r|進退・身代|しんだい}}し{{r|給|たま}}えと{{r|云|い}}う{{r|教義|きょうぎ}}の{{r|意義|いぎ}}です。
弟 {{r|第三箇条目|だいさんかじょうめ}}は{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|求|め}}め{{r|仕|つか}}えるのでしょうか?
師 天に於いて{{r|思召|おぼしめ}}すままになるが{{r|如|ごと}}くに地上に於いてもそうあらせて{{r|頂|いたゞ}}いて下さいますように。この{{r|意図|いと}}は天に於いて{{r|諸々|もろ〱}}のエンジェルがDf{{r|天主神|デウス}}に従がい{{r|思召|おぼしめ}}す{{r|御意志|ごいし}}のままに{{r|御内省|ごないせい}}の御心のままに御意志に{{r|適|かな}}うことを{{r|勤|つと}}められる如くに{{r|一切人間|いっさいにんげん}}がDf{{r|天主|デウス}}に従がい{{r|思召|おぼしめ}}すまゝになりますようにと云う意味です。
弟 {{r|第四箇条目|だいよんかじょうめ}}は{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るのですか?
師 われらの{{r|日々|にち〱}}の{{r|御養|をんやしな}}いを{{r|今日日毎|こんにちひごと}}に求めて明らかに与えて{{r|頂|いたゞ}}きたいとこの{{r|意図|いと}}は、{{r|アニマ|たましい}}の為に{{r|日々|にち〱}}の{{r|御養|をんやしな}}いを(霊的にも肉的にも) 今日与えて下さいと{{r|日毎|ひごと}}に{{r|乞|こ}}い求め仕えるためなのです。これは{{r|貴|たっと}}い{{r|正餐|ヱウカリスチヤ}}の{{ruby|恩恵|Graça}}と善の{{r|聖霊|スピリツ・サンクト}}のお与えとまた{{r|肉体|にくたい}}へのお与え等のことである、つまり肉体身の{{r|息災|そくさい}}と、{{r|日毎|ひごと}}の要る必要な分だけ{{r|日毎|ひごと}}に願い求めることです。
弟 {{r|第五|だいご}}に{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るのですか?
師 われらが人に申し{{r|赦|ゆる}}す{{r|如|ごと}}くわれらの{{r|科量|かりょう}}をも許して下さいとこの罪は人から掛けられる{{r|恥辱及|ちじょくおよ}}び{{r|歓待|かんたい}}の{{r|以下|いか}}を{{r|赦|ゆる}}すが如く、われらがDf{{r|天主|デウス}}に関する{{r|間違|まちが}}いや{{r|過|あやま}}ちを{{r|赦|ゆる}}して下さいと、{{r|頼|たの}}み仕える{{r|教義|きょうぎ}}なのです。
弟 そうであるに於いては人に対する{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ我らの罪科咎めを赦すことが有る{{r|間敷|まじ}}きなことなのでしょうか?
師 中々その分である{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトは人に持つところの{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ天にあるわれらが{{r|御親|をんおや}}はその人を赦すことがある{{r|可|べ}}からずと云うことを{{r|仰有|おっしゃ}}いました。
弟 そうであれば人より掛けられる{{r|恥辱|ちじょく}}を赦さないのであれば、上の{{r|貴|たっと}}い御言葉を申す時に我らに{{r|懸|か}}けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}さないようにわれらの罪咎も赦し{{r|宣|のたま}}う:赦していただくことがあるべからずと云うこの{{r|教義|きょうぎ}}の{{r|意味|いみ}}に於いてこのお祈りを申すことに於いて{{r|罪人|つみびと}}が{{r|益|えき}}を{{r|得|え}}て{{ruby|望|のぞ}}みが{{ruby|叶|かな}}うことはあり得ないのでしょうか?
師 その{{r|意義|いぎ}}には{{r|非|あら}}ず人の恥ずべき{{r|罪咎|つみとが}}を赦さぬ程度の{{r|慳貪|けんどん}}であると云う人であるともこの{{r|お祈り|オラショ}}を申すことが{{r|專要|せんよう}}の{{r|重要|じゅうよう}}なことである、その{{r|故|ゆえ}}はこの{{r|お祈り|オラショ}}を以って人に対する{{r|遺恨|いこん}}を棄てるための{{r|御功力|ごこうりょく}}となる宗教内の{{r|聖寵|ガラサ|}}を乞い{{r|仕|つか}}え{{ruby|奉|まつ}}ることによって、その上に{{r|聖会衆|サンタ・エケレジヤ}}の御子とに申し仕える善人たちから掛けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}し{{r|宣|のた}}まうように我らの{{r|罪過|ざいか}}をも{{r|赦|ゆる}}し給えと申す{{r|心|こころ}}であれば上の{{r|お祈り|オラショ}}を申し上げることもわが{{r|身|み}}の{{r|損|そん}}にはならないはずだからです。
弟 第六箇条目は何を乞い仕え奉るのですか?
師 我らをテンタサンに赦し放ち宣給うこと{{r|勿|なか}}れと放し頂くことが無いようにわれらを一生の間、悪の誘惑に勧められる『悪の誘惑から責められると云うともそれに負けざるように天主の{{r|御功力|ごくりき}}の{{r|聖寵|せいちょう}}を頼み願いあげる教義』なのです。
弟 第七箇条目では何を乞い願うべきですか?
師 われらを凶悪から逃れしめ給えと云うこの教義は{{r|肉身魂|にくしんたましい}}の{{r|仇|あだ}}となるような{{r|咎|とが}}めと肉体の{{r|災|わざわ}}いから{{r|逃|の}}がし給えと云う{{r|心|こころ}}なのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}よりも{{r|勝|まさ}}ったお祈りはあるでしょうか?
師 これに勝って優れたお祈りは別にありません。{{r|此|こ}}れは{{r|最上|さいじょう}}のお祈りです、これらは{{r|祈禱|きとう}}のお祈りの中の{{r|要件|ようけん}}のものであり、この故にDf{{r|天主神|デウス}}に乞い仕えるべき{{ruby|信者|しんじゃ}}の{{r|程度|ていど}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}である条々をこのお祈りに込め{{r|宣|のたま}}いて{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|御弟子|みでし}}たちに教え{{r|宣|のた}}まうた{{r|祈り|オラショ}}であるからです。
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wikitext
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{{header
|title={{r|第三|だいさん}}、パアテル・ノステル(「われらの父よ」の祈り、主禱文、主の祈り)の{{r|事|こと}} {{r|九|きゅう}}
|year={{r|慶長五年|けいちょうごねん}}、{{ruby|西暦|せいれき}}1,600
|author=マルコス・ジョルジュ
|notes=見たものは原本日本語文字文語版の風間書房刊のカサナテンセ図書館蔵慶長五年西暦1,600年版ドチリナの文語版の写真版を「小島、校本ドチリナ」で個人で読み解いて現代口語に翻訳したものです。
}}
{{r|第三|だいさん}} パアテル・ノステルの{{r|事|こと}} {{ruby|九|きゅう}}
DAISAN PAERNOSTER NO COTO
師 ローマの{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}より教え{{r|宣|の}}たもう{{r|オラショ|Oratio}}のお祈りの仕方を教え授けよう。次に又信じ奉り仕えるゝべき条々と務めるべき{{r|行儀|ぎょうぎ}}をも{{r|現|あら}}わそうと思うべきであるのであり、これすなわち「{{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}」「{{r|アヴェ・マリヤ|Hail Mary}}」「{{r|救助の女王|サルヴェ・レジナ}}」「{{r|使徒信経|ケレド}}」{{r|十箇条の誡め|マダメント}}と{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}の{{r|条規|じょうき}}とに含まれていることなのであるこれらはみな{{r|揺|ゆ}}るがせなくして{{r|一辺倒|いっぺんとう}}に信じ{{r|務|つと}}め{{r|仕|つか}}えるべきことであるのです。
弟 善悪の赦別を{{r|弁|わきま}}える{{r|年頃|としごろ}}のキリシタンは{{r|如何云|どうい}}うことを知ることこそが{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}なのですか?
師 {{r|三様|みさま}}のことである一つにはDf{{r|天主神|デウス}}を頼みよく仕え二つには{{r|能|よ}}く{{r|信|しん}}じ{{r|三|みっ}}つにはよき{{r|所作|わざ}}を与える道を知ること{{r|此|こ}}れなのです。
弟 Df{{r|天主|Deus}}をよく頼み仕えるとは{{r|如何云|どうい}}う事と知るべきなのですか?
師 {{r|われらの父|パアテル・ノステル}}の{{r|祈り|Oratio}}を以って知るべきなのです。
弟 {{r|達|たっ}}して{{r|信|しん}}じ{{ruby|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るにはどのようにして知るようになるべきでしょうか?
師 {{r|使徒信経|ケレド}}或いは{{r|信仰|ヒイデス}}の{{r|信仰告白|アルチイゴ}}を知る事であるのです。
弟 {{r|行儀|ぎょうぎ}}をよく{{r|修|おさ}}める道と{{r|云|い}}うのはどのようにして知ることなのでしょうか?
師 {{r|行儀|ぎょうぎ}}をよく{{r|修|おさ}}めるためにはDf{{r|天主|デウス}}の{{r|御掟|をんおきて}}の律法:{{r|マンダメント|Mandamento}}と{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}の{{r|律令|りつりょう}}を知ることなのであり、また悪を{{r|退|しりぞ}}ける為には七つの{{r|致命的の咎|モルタルとが}}を知ることなのです。
弟 正しく信じよく頼み仕え奉りまた身持ちよく{{r|修|おさ}}めるためには上の{{r|他別|ほかべつ}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}な{{r|教義|きょうぎ}}があるのでしょうか?
師 なかなか{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}な{{r|教義|きょうぎ}}あり{{r|此|こ}}れはすなわちDf{{r|天主|デウス}}のご意志の云う事に従がいJ⁰xゼーズス・キリシトから{{r|直|ぢき}}に与え宣のべ給う三つの善である正しく信じ仕え奉るためには{{r|信仰|ヒイデス}} をよく頼みなさい。仕えるためには{{r|楽天希望徳|ヱスぺランサ}}で以って、身持ちよく修めるためには{{r|慈善人道愛|カリダアデ}}と云うものがそれらの{{r|善|ぜん}}なのである。そうであればよく{{r|信頼|しんらい}}することには主禱文、主の祈り{{r|われらの父|パアテレ・ノステレ}}のお祈りの{{r|要件|ようけん}}を知ることが{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}なものであるから{{r|只今|ただいま}}それを教え{{r|授|さづ}}けよう
『天にましますわれらが{{r|御親|をんおや}}よ、御名が{{r|尊|たっと}}まれ給え、{{r|御世(代)来|ごしはいき}}たりたまへ、天に於いて{{r|思召|おぼしめ}}すままになるごとく、地にもあらせ給え。我らの日々のお{{r|養|やしな}}いを{{r|今日|きょう}}お与えください。われらが人に{{r|赦免|しゃめん}}を{{r|申|もう}}すがごとくに(ラテン語:我等への負い目の負債を見落としてわたし自身の訴え反感を却下して取り下げているのと同じように) 我らの{{r|罪|つみ}}を{{r|赦|ゆる}}して下さい。我らに{{r|誘惑|ゆうわく}}であるテンタサン(Temptation≒誘惑)に{{r|離|はな}}し給うことが無いようにわれらを{{r|凶悪|きょうあく}}から{{r|逃|の}}がし給え』
弟 今教え{{r|宣|のたま}}うた「{{r|われらの父|パアテル・ノステル}}」の{{r|オラショ|Oratio}}の祈りをば{{r|誰人|だれひと}}の造り{{r|宣|のたま}}うたものなのですか?
師 {{r|忝|かたじけ}}なくもわれらが{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|直|ぢか}}にお教え{{r|宣|のたま}}うた祈りなのです。
弟 何のためですか?
師 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りを申すべき{{r|要領|ようりょう}}を教えて下さったお祈りなのです。
弟 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りとは{{r|如何云|どうい}}うためのものですか?
師 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りは我らが{{r|念|ねん}}を天に通じ{{r|御主|をんあるじ}}のDf{{r|天主|Deus}}に申し上げる{{r|望|のぞ}}みを{{r|叶|かな}}えの{{r|給|たま}}う道を知って{{r|頂|いたゞ}}くことがこの{{r|オラショ|Oratio}}のお祈りの{{r|目的|もくてき}}なのです。
弟 {{r|天主神|Deus}}は{{r|何処|いずく}}におわしますか?
師 {{r|天地|てんち}}の{{r|何処|いずく}}にもをわしますのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}の祈りを申す時に{{r|何|いづ}}れの{{r|言葉|ことば}}がわがDf{{r|天主|デウス}}に{{r|通|つう}}じて{{r|頼|たの}}み{{r|仕|つか}}えるのですか?
師 {{r|第一句目|だいいっくめ}}のわれらが{{r|御親|おんおや}}と{{r|云|い}}い{{r|申|もう}}す{{r|言葉|ことば}}によってです。
弟 {{r|御主|おんあるじ}}と{{r|申|もう}}さなくして{{r|御親|おんおや}}と{{r|申|もう}}すことは{{r|如何|どう}}してなのですか?
師 {{r|御親|をんおや}}と呼び掛けることによってわれらを{{r|御大切|ごたいせつ}}に思し召すことを思い出して頼もしい心や意図に於いて天主に{{r|仕奉|つかえまつ}}るためであるのです。
弟 わが{{r|御親|をんおや}}と{{r|申|もう}}さずして{{r|如何|どう}}してわれらが{{r|御親|をんおや}}と{{r|申|もう}}すのですか?
師 {{r|人|ひと}}の{{r|子|こ}}の{{r|人類|じんるい}}が{{r|皆兄弟|みなきょうだい}}にて{{r|善|よ}}き{{r|御親|をんおや}}の子らに{{ruby|思|おも}}い{{r|取|と}}りて互いに{{r|御大切|ごたいせつ}}に思おうとする為のものなのです。
弟 Df{{r|天主神|Deus}}は{{r|天|てん}}にをわしますとは{{r|如何云|どうい}}うことですか?
師 われらが{{r|御親|をんおや}}の頼み掛け所も天に在ると思い{{r|閉|と}}づを以ってこの{{r|世界|せかい}}の{{r|諸々|もろ〱}}の事がらを{{r|思|おも}}い{{r|棄|す}}てるべきなためなのです。
弟 上に言うにDf{{r|天主神|デウス}}は{{r|何処|どこ}}にもをわしますと云うて{{r|又天|またてん}}にいらっしゃいますと云うのは{{r|如何云|どうい}}うことですか?
師 DF{{r|天主神|Deus}}は{{r|何処|どこ}}にもいらっしゃいますと{{r|雖|いえど}}も{{r|助|たす}}かりたもう{{r|善人|ぜんにん}}たちに{{r|尊体|そんたい}}を{{r|直|ぢか}}に{{r|現|あら}}わしてもらうために{{r|天|てん}}の{{r|パラジゾ|Paradise}}を{{r|備|そな}}え{{r|給|たも}}うたことによってです。
弟 {{r|如何云|どうい}}う{{r|言葉|ことば}}を{{r|以|も}}ってDf{{r|天主|Deus}}にわれらがの{{r|願|ねが}}いを{{r|申|もう}}し{{r|上|あ}}げるべきですか?
師 {{r|相続|あいつづ}}く{{r|残|のこ}}りの{{r|言葉|ことば}}を{{r|以|も}}ってです。
弟 {{r|相続|あいつづ}}く{{r|残|のこ}}りの{{r|言葉|ことば}}とは{{r|如何云|どうい}}う{{r|言葉|ことば}}でしょうか?
師 {{r|七箇条|ななかじょう}}である第一は{{r|御名|みな}}を{{r|尊|とうと}}まれ給えとこの{{r|意図|いと}}はDf{{r|天主|デウス}}の{{r|父|ちち}}なる{{r|神|かみ}}の{{r|御名|みな}}と{{r|御誉|をんほま}}れが{{r|全世界|ぜんせかい}}に{{r|広|ひろ}}まり{{r|一切人間|いっさいにんげん}}のその{{r|御主|をんあるじ}}とその{{r|御子|をんこ}}の{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトを{{r|見知|みし}}り{{r|貴|たっと}}び{{r|仕|つか}}え{{r|奉|たてまつ}}るようにと{{r|云|い}}う{{r|意図|いと}}の{{r|教義|きょうぎ}}であるのです。
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師 天に於いて{{r|思召|おぼしめ}}すままになるが{{r|如|ごと}}くに地上に於いてもそうあらせて{{r|頂|いたゞ}}いて下さいますように。この{{r|意図|いと}}は天に於いて{{r|諸々|もろ〱}}のエンジェルがDf{{r|天主神|デウス}}に従がい{{r|思召|おぼしめ}}す{{r|御意志|ごいし}}のままに{{r|御内省|ごないせい}}の御心のままに御意志に{{r|適|かな}}うことを{{r|勤|つと}}められる如くに{{r|一切人間|いっさいにんげん}}がDf{{r|天主|デウス}}に従がい{{r|思召|おぼしめ}}すまゝになりますようにと云う意味です。
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弟 そうであるに於いては人に対する{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ我らの罪科咎めを赦すことが有る{{r|間敷|まじ}}きなことなのでしょうか?
師 中々その分である{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトは人に持つところの{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ天にあるわれらが{{r|御親|をんおや}}はその人を赦すことがある{{r|可|べ}}からずと云うことを{{r|仰有|おっしゃ}}いました。
弟 そうであれば人より掛けられる{{r|恥辱|ちじょく}}を赦さないのであれば、上の{{r|貴|たっと}}い御言葉を申す時に我らに{{r|懸|か}}けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}さないようにわれらの罪咎も赦し{{r|宣|のたま}}う:赦していただくことがあるべからずと云うこの{{r|教義|きょうぎ}}の{{r|意味|いみ}}に於いてこのお祈りを申すことに於いて{{r|罪人|つみびと}}が{{r|益|えき}}を{{r|得|え}}て{{ruby|望|のぞ}}みが{{ruby|叶|かな}}うことはあり得ないのでしょうか?
師 その{{r|意義|いぎ}}には{{r|非|あら}}ず人の恥ずべき{{r|罪咎|つみとが}}を赦さぬ程度の{{r|慳貪|けんどん}}であると云う人であるともこの{{r|お祈り|オラショ}}を申すことが{{r|專要|せんよう}}の{{r|重要|じゅうよう}}なことである、その{{r|故|ゆえ}}はこの{{r|お祈り|オラショ}}を以って人に対する{{r|遺恨|いこん}}を棄てるための{{r|御功力|ごこうりょく}}となる宗教内の{{r|聖寵|ガラサ|}}を乞い{{r|仕|つか}}え{{ruby|奉|まつ}}ることによって、その上に{{r|聖会衆|サンタ・エケレジヤ}}の御子とに申し仕える善人たちから掛けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}し{{r|宣|のた}}まうように我らの{{r|罪過|ざいか}}をも{{r|赦|ゆる}}し給えと申す{{r|心|こころ}}であれば上の{{r|お祈り|Oratio}}を申し上げることもわが{{r|身|み}}の{{r|損|そん}}にはならないはずだからです。
弟 第六箇条目は何を乞い仕え奉るのですか?
師 我らをテンタサンに赦し放ち宣給うこと{{r|勿|なか}}れと放し頂くことが無いようにわれらを一生の間、悪の誘惑に勧められる『悪の誘惑から責められると云うともそれに負けざるように天主の{{r|御功力|ごくりき}}の{{r|聖寵|せいちょう}}を頼み願いあげる教義』なのです。
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師 われらを凶悪から逃れしめ給えと云うこの教義は{{r|肉身魂|にくしんたましい}}の{{r|仇|あだ}}となるような{{r|咎|とが}}めと肉体の{{r|災|わざわ}}いから{{r|逃|の}}がし給えと云う{{r|心|こころ}}なのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}よりも{{r|勝|まさ}}ったお祈りはあるでしょうか?
師 これに勝って優れたお祈りは別にありません。{{r|此|こ}}れは{{r|最上|さいじょう}}のお祈りです、これらは{{r|祈禱|きとう}}のお祈りの中の{{r|要件|ようけん}}のものであり、この故にDf{{r|天主神|デウス}}に乞い仕えるべき{{ruby|信者|しんじゃ}}の{{r|程度|ていど}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}である条々をこのお祈りに込め{{r|宣|のたま}}いて{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|御弟子|みでし}}たちに教え{{r|宣|のた}}まうた{{r|祈り|オラショ}}であるからです。
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|title={{r|第三|だいさん}}、パアテル・ノステル(「われらの父よ」の{{r|祈|いの}}り、{{r|主禱文|しゅとうぶん}}、{{r|主|しゅ}}の{{r|祈|いの}}り)の{{r|事|こと}} {{r|九|く}}
|year={{r|慶長五年|けいちょうごねん}}、{{ruby|西暦|せいれき}}1,600
|author=マルコス・ジョルジュ
|notes={{r|底本|ていほん}}として{{r|見|み}}たものは{{r|原本日本語|げんほんにほんご}}{{r|文字文語版|もじぶんごはん}}の{{r|風間書房刊|かざましょぼうかん}}のカサナテンセ{{r|図書館蔵|としょかんぞう}}{{r|慶長五年西暦|けいちょうごねんせいれき}}1,600{{r|年版|ねんはん}}ドチリナの{{r|文語版|ぶんごはん}}の{{r|写真版|しゃしんはん}}を「{{r|小島、校本|こじま、こうほん}}ドチリナ」で{{r|個人|こじん}}で{{r|読|よ}}み{{r|解|と}}いて{{r|現代口語|げんだいこうご}}に{{r|翻訳|ほんやく}}したものです。
}}
{{r|第三|だいさん}} パアテル・ノステルの{{r|事|こと}} {{ruby|九|く}}
DAISAN PAERNOSTER NO COTO
師 ローマの{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}より教え{{r|宣|の}}たもう{{r|オラショ|Oratio}}のお祈りの仕方を教え授けよう。次に又信じ奉り仕えるゝべき条々と務めるべき{{r|行儀|ぎょうぎ}}をも{{r|現|あら}}わそうと思うべきであるのであり、これすなわち「{{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}」「{{r|アヴェ・マリヤ|Hail Mary}}」「{{r|救助の女王|サルヴェ・レジナ}}」「{{r|使徒信経|ケレド}}」{{r|十箇条の誡め|マダメント}}と{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}の{{r|条規|じょうき}}とに含まれていることなのであるこれらはみな{{r|揺|ゆ}}るがせなくして{{r|一辺倒|いっぺんとう}}に信じ{{r|務|つと}}め{{r|仕|つか}}えるべきことであるのです。
弟 善悪の赦別を{{r|弁|わきま}}える{{r|年頃|としごろ}}のキリシタンは{{r|如何云|どうい}}うことを知ることこそが{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}なのですか?
師 {{r|三様|みさま}}のことである一つにはDf{{r|天主神|デウス}}を頼みよく仕え二つには{{r|能|よ}}く{{r|信|しん}}じ{{r|三|みっ}}つにはよき{{r|所作|わざ}}を与える道を知ること{{r|此|こ}}れなのです。
弟 Df{{r|天主|Deus}}をよく頼み仕えるとは{{r|如何云|どうい}}う事と知るべきなのですか?
師 {{r|われらの父|パアテル・ノステル}}の{{r|祈り|Oratio}}を以って知るべきなのです。
弟 {{r|達|たっ}}して{{r|信|しん}}じ{{ruby|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るにはどのようにして知るようになるべきでしょうか?
師 {{r|使徒信経|ケレド}}或いは{{r|信仰|ヒイデス}}の{{r|信仰告白|アルチイゴ}}を知る事であるのです。
弟 {{r|行儀|ぎょうぎ}}をよく{{r|修|おさ}}める道と{{r|云|い}}うのはどのようにして知ることなのでしょうか?
師 {{r|行儀|ぎょうぎ}}をよく{{r|修|おさ}}めるためにはDf{{r|天主|デウス}}の{{r|御掟|をんおきて}}の律法:{{r|マンダメント|Mandamento}}と{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}の{{r|律令|りつりょう}}を知ることなのであり、また悪を{{r|退|しりぞ}}ける為には七つの{{r|致命的の咎|モルタルとが}}を知ることなのです。
弟 正しく信じよく頼み仕え奉りまた身持ちよく{{r|修|おさ}}めるためには上の{{r|他別|ほかべつ}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}な{{r|教義|きょうぎ}}があるのでしょうか?
師 なかなか{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}な{{r|教義|きょうぎ}}あり{{r|此|こ}}れはすなわちDf{{r|天主|デウス}}のご意志の云う事に従がいJ⁰xゼーズス・キリシトから{{r|直|ぢき}}に与え宣のべ給う三つの善である正しく信じ仕え奉るためには{{r|信仰|ヒイデス}} をよく頼みなさい。仕えるためには{{r|楽天希望徳|ヱスぺランサ}}で以って、身持ちよく修めるためには{{r|慈善人道愛|カリダアデ}}と云うものがそれらの{{r|善|ぜん}}なのである。そうであればよく{{r|信頼|しんらい}}することには主禱文、主の祈り{{r|われらの父|パアテレ・ノステレ}}のお祈りの{{r|要件|ようけん}}を知ることが{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}なものであるから{{r|只今|ただいま}}それを教え{{r|授|さづ}}けよう
『天にましますわれらが{{r|御親|をんおや}}よ、御名が{{r|尊|たっと}}まれ給え、{{r|御世(代)来|ごしはいき}}たりたまへ、天に於いて{{r|思召|おぼしめ}}すままになるごとく、地にもあらせ給え。我らの日々のお{{r|養|やしな}}いを{{r|今日|きょう}}お与えください。われらが人に{{r|赦免|しゃめん}}を{{r|申|もう}}すがごとくに(ラテン語:我等への負い目の負債を見落としてわたし自身の訴え反感を却下して取り下げているのと同じように) 我らの{{r|罪|つみ}}を{{r|赦|ゆる}}して下さい。我らに{{r|誘惑|ゆうわく}}であるテンタサン(Temptation≒誘惑)に{{r|離|はな}}し給うことが無いようにわれらを{{r|凶悪|きょうあく}}から{{r|逃|の}}がし給え』
弟 今教え{{r|宣|のたま}}うた「{{r|われらの父|パアテル・ノステル}}」の{{r|オラショ|Oratio}}の祈りをば{{r|誰人|だれひと}}の造り{{r|宣|のたま}}うたものなのですか?
師 {{r|忝|かたじけ}}なくもわれらが{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|直|ぢか}}にお教え{{r|宣|のたま}}うた祈りなのです。
弟 何のためですか?
師 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りを申すべき{{r|要領|ようりょう}}を教えて下さったお祈りなのです。
弟 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りとは{{r|如何云|どうい}}うためのものですか?
師 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りは我らが{{r|念|ねん}}を天に通じ{{r|御主|をんあるじ}}のDf{{r|天主|Deus}}に申し上げる{{r|望|のぞ}}みを{{r|叶|かな}}えの{{r|給|たま}}う道を知って{{r|頂|いたゞ}}くことがこの{{r|オラショ|Oratio}}のお祈りの{{r|目的|もくてき}}なのです。
弟 {{r|天主神|Deus}}は{{r|何処|いずく}}におわしますか?
師 {{r|天地|てんち}}の{{r|何処|いずく}}にもをわしますのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}の祈りを申す時に{{r|何|いづ}}れの{{r|言葉|ことば}}がわがDf{{r|天主|デウス}}に{{r|通|つう}}じて{{r|頼|たの}}み{{r|仕|つか}}えるのですか?
師 {{r|第一句目|だいいっくめ}}のわれらが{{r|御親|おんおや}}と{{r|云|い}}い{{r|申|もう}}す{{r|言葉|ことば}}によってです。
弟 {{r|御主|おんあるじ}}と{{r|申|もう}}さなくして{{r|御親|おんおや}}と{{r|申|もう}}すことは{{r|如何|どう}}してなのですか?
師 {{r|御親|をんおや}}と呼び掛けることによってわれらを{{r|御大切|ごたいせつ}}に思し召すことを思い出して頼もしい心や意図に於いて天主に{{r|仕奉|つかえまつ}}るためであるのです。
弟 わが{{r|御親|をんおや}}と{{r|申|もう}}さずして{{r|如何|どう}}してわれらが{{r|御親|をんおや}}と{{r|申|もう}}すのですか?
師 {{r|人|ひと}}の{{r|子|こ}}の{{r|人類|じんるい}}が{{r|皆兄弟|みなきょうだい}}にて{{r|善|よ}}き{{r|御親|をんおや}}の子らに{{ruby|思|おも}}い{{r|取|と}}りて互いに{{r|御大切|ごたいせつ}}に思おうとする為のものなのです。
弟 Df{{r|天主神|Deus}}は{{r|天|てん}}にをわしますとは{{r|如何云|どうい}}うことですか?
師 われらが{{r|御親|をんおや}}の頼み掛け所も天に在ると思い{{r|閉|と}}づを以ってこの{{r|地上世界|ちじょうせかい}}の{{r|諸々|もろ〱}}の{{r|煩|わずら}}いの事がらに{{r|関与|かんよ}}せず<ref>{{r|社会体制|しゃかいたいせい}}{{r|変革|へんかく}}のプロテストにも?プロテストしてでもそれはこの{{r|世|よ}}での{{r|体制|たいせい}}で{{r|一向|いっこう}}に{{r|変|か}}わらない?</ref>に{{r|思|おも}}い{{r|棄|す}}てるべきなためなのです。
弟 上に言うにDf{{r|天主神|デウスGod}}は{{r|何処|どこ}}にもをわしますと云うて{{r|又天|またてん}}にいらっしゃいますと云うのは{{r|如何云|どうい}}うことですか?
師 DF{{r|天主神|Deus}}は{{r|何処|どこ}}にもいらっしゃいますと{{r|雖|いえど}}も{{r|助|たす}}かりたもう{{r|善人|ぜんにん}}たちに{{r|尊体|そんたい}}を{{r|直|ぢか}}に{{r|現|あら}}わしてもらうために{{r|天|てん}}の{{r|パラジゾ|Paradise}}を{{r|備|そな}}え{{r|給|たも}}うたことによってです。
弟 {{r|如何云|どうい}}う{{r|言葉|ことば}}を{{r|以|も}}ってDf{{r|天主|Deus}}にわれらがの{{r|願|ねが}}いを{{r|申|もう}}し{{r|上|あ}}げるべきですか?
師 {{r|相続|あいつづ}}く{{r|残|のこ}}りの{{r|言葉|ことば}}を{{r|以|も}}ってです。
弟 {{r|相続|あいつづ}}く{{r|残|のこ}}りの{{r|言葉|ことば}}とは{{r|如何云|どうい}}う{{r|言葉|ことば}}でしょうか?
師 {{r|七箇条|ななかじょう}}である第一は{{r|御名|みな}}を{{r|尊|とうと}}まれ給えとこの{{r|意図|いと}}はDf{{r|天主|デウス}}の{{r|父|ちち}}なる{{r|神|かみ}}の{{r|御名|みな}}と{{r|御誉|をんほま}}れが{{r|全世界|ぜんせかい}}に{{r|広|ひろ}}まり{{r|一切人間|いっさいにんげん}}のその{{r|御主|をんあるじ}}とその{{r|御子|をんこ}}の{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトを{{r|見知|みし}}り{{r|貴|たっと}}び{{r|仕|つか}}え{{r|奉|たてまつ}}るようにと{{r|云|い}}う{{r|意図|いと}}の{{r|教義|きょうぎ}}であるのです。
弟 {{r|第二箇条目|だいにかじょうめ}}には{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|奉|まつ}}るのでしょうか?
師 {{r|御代|ごしはい}}来たり給えとこの{{r|意味|いみ}}は{{r|悪事|あくじ}}と{{r|罪|つみ}}から{{r|逃|に}}がされDf{{r|天主|デウス}}とその{{r|御子|をんこ}}J⁰xゼーズ・キリシトから{{r|現世|げんせ}}に{{r|於|お}}いてからは{{r|聖寵|Graça}}、{{r|後生|のちのよ}}に{{r|於|お}}いては{{r|栄光|Gloria}}を{{r|以|も}}ってわれらを{{r|進退・身代|しんだい}}し{{r|給|たま}}えと{{r|云|い}}う{{r|教義|きょうぎ}}の{{r|意義|いぎ}}です。
弟 {{r|第三箇条目|だいさんかじょうめ}}は{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|求|め}}め{{r|仕|つか}}えるのでしょうか?
師 天に於いて{{r|思召|おぼしめ}}すままになるが{{r|如|ごと}}くに地上に於いてもそうあらせて{{r|頂|いたゞ}}いて下さいますように。この{{r|意図|いと}}は天に於いて{{r|諸々|もろ〱}}のエンジェルがDf{{r|天主神|デウス}}に従がい{{r|思召|おぼしめ}}す{{r|御意志|ごいし}}のままに{{r|御内省|ごないせい}}の御心のままに御意志に{{r|適|かな}}うことを{{r|勤|つと}}められる如くに{{r|一切人間|いっさいにんげん}}がDf{{r|天主|デウス}}に従がい{{r|思召|おぼしめ}}すまゝになりますようにと云う意味です。
弟 {{r|第四箇条目|だいよんかじょうめ}}は{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るのですか?
師 われらの{{r|日々|にち〱}}の{{r|御養|をんやしな}}いを{{r|今日日毎|こんにちひごと}}に求めて明らかに与えて{{r|頂|いたゞ}}きたいとこの{{r|意図|いと}}は、{{r|アニマ|たましい}}の為に{{r|日々|にち〱}}の{{r|御養|をんやしな}}いを(霊的にも肉的にも) 今日与えて下さいと{{r|日毎|ひごと}}に{{r|乞|こ}}い求め仕えるためなのです。これは{{r|貴|たっと}}い{{r|正餐|ヱウカリスチヤ}}の{{ruby|恩恵|Graça}}と善の{{r|聖霊|スピリツ・サンクト}}のお与えとまた{{r|肉体|にくたい}}へのお与え等のことである、つまり肉体身の{{r|息災|そくさい}}と、{{r|日毎|ひごと}}の要る必要な分だけ{{r|日毎|ひごと}}に願い求めることです。
弟 {{r|第五|だいご}}に{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るのですか?
師 われらが人に申し{{r|赦|ゆる}}す{{r|如|ごと}}くわれらの{{r|科量|かりょう}}をも許して下さいとこの罪は人から掛けられる{{r|恥辱及|ちじょくおよ}}び{{r|歓待|かんたい}}の{{r|以下|いか}}を{{r|赦|ゆる}}すが如く、われらがDf{{r|天主|デウス}}に関する{{r|間違|まちが}}いや{{r|過|あやま}}ちを{{r|赦|ゆる}}して下さいと、{{r|頼|たの}}み仕える{{r|教義|きょうぎ}}なのです。
弟 そうであるに於いては人に対する{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ我らの罪科咎めを赦すことが有る{{r|間敷|まじ}}きなことなのでしょうか?
師 中々その分である{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトは人に持つところの{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ天にあるわれらが{{r|御親|をんおや}}はその人を赦すことがある{{r|可|べ}}からずと云うことを{{r|仰有|おっしゃ}}いました。
弟 そうであれば人より掛けられる{{r|恥辱|ちじょく}}を赦さないのであれば、上の{{r|貴|たっと}}い御言葉を申す時に我らに{{r|懸|か}}けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}さないようにわれらの罪咎も赦し{{r|宣|のたま}}う:赦していただくことがあるべからずと云うこの{{r|教義|きょうぎ}}の{{r|意味|いみ}}に於いてこのお祈りを申すことに於いて{{r|罪人|つみびと}}が{{r|益|えき}}を{{r|得|え}}て{{ruby|望|のぞ}}みが{{ruby|叶|かな}}うことはあり得ないのでしょうか?
師 その{{r|意義|いぎ}}には{{r|非|あら}}ず人の恥ずべき{{r|罪咎|つみとが}}を赦さぬ程度の{{r|慳貪|けんどん}}であると云う人であるともこの{{r|お祈り|オラショ}}を申すことが{{r|專要|せんよう}}の{{r|重要|じゅうよう}}なことである、その{{r|故|ゆえ}}はこの{{r|お祈り|オラショ}}を以って人に対する{{r|遺恨|いこん}}を棄てるための{{r|御功力|ごこうりょく}}となる宗教内の{{r|聖寵|ガラサ|}}を乞い{{r|仕|つか}}え{{ruby|奉|まつ}}ることによって、その上に{{r|聖会衆|サンタ・エケレジヤ}}の御子とに申し仕える善人たちから掛けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}し{{r|宣|のた}}まうように我らの{{r|罪過|ざいか}}をも{{r|赦|ゆる}}し給えと申す{{r|心|こころ}}であれば上の{{r|お祈り|Oratio}}を申し上げることもわが{{r|身|み}}の{{r|損|そん}}にはならないはずだからです。
弟 第六箇条目は何を乞い仕え奉るのですか?
師 我らをテンタサンに赦し放ち宣給うこと{{r|勿|なか}}れと放し頂くことが無いようにわれらを一生の間、悪の誘惑に勧められる『悪の誘惑から責められると云うともそれに負けざるように天主の{{r|御功力|ごくりき}}の{{r|聖寵|せいちょう}}を頼み願いあげる教義』なのです。
弟 第七箇条目では何を乞い願うべきですか?
師 われらを凶悪から逃れしめ給えと云うこの教義は{{r|肉身魂|にくしんたましい}}の{{r|仇|あだ}}となるような{{r|咎|とが}}めと肉体の{{r|災|わざわ}}いから{{r|逃|の}}がし給えと云う{{r|心|こころ}}なのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}よりも{{r|勝|まさ}}ったお祈りはあるでしょうか?
師 これに勝って優れたお祈りは別にありません。{{r|此|こ}}れは{{r|最上|さいじょう}}のお祈りです、これらは{{r|祈禱|きとう}}のお祈りの中の{{r|要件|ようけん}}のものであり、この故にDf{{r|天主神|デウス}}に乞い仕えるべき{{ruby|信者|しんじゃ}}の{{r|程度|ていど}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}である条々をこのお祈りに込め{{r|宣|のたま}}いて{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|御弟子|みでし}}たちに教え{{r|宣|のた}}まうた{{r|祈り|オラショ}}であるからです。
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弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}の祈りを申す時に{{r|何|いづ}}れの{{r|言葉|ことば}}がわがDf{{r|天主|デウス}}に{{r|通|つう}}じて{{r|頼|たの}}み{{r|仕|つか}}えるのですか?
師 {{r|第一句目|だいいっくめ}}のわれらが{{r|御親|おんおや}}と{{r|云|い}}い{{r|申|もう}}す{{r|言葉|ことば}}によってです。
弟 {{r|御主|おんあるじ}}と{{r|申|もう}}さなくして{{r|御親|おんおや}}と{{r|申|もう}}すことは{{r|如何|どう}}してなのですか?
師 {{r|御親|をんおや}}と呼び掛けることによってわれらを{{r|御大切|ごたいせつ}}に思し召すことを思い出して頼もしい心や意図に於いて天主に{{r|仕奉|つかえまつ}}るためであるのです。
弟 わが{{r|御親|をんおや}}と{{r|申|もう}}さずして{{r|如何|どう}}してわれらが{{r|御親|をんおや}}と{{r|申|もう}}すのですか?
師 {{r|人|ひと}}の{{r|子|こ}}の{{r|人類|じんるい}}が{{r|皆兄弟|みなきょうだい}}にて{{r|善|よ}}き{{r|御親|をんおや}}の子らに{{ruby|思|おも}}い{{r|取|と}}りて互いに{{r|御大切|ごたいせつ}}に思おうとする為のものなのです。
弟 Df{{r|天主神|Deus}}は{{r|天|てん}}にをわしますとは{{r|如何云|どうい}}うことですか?
師 われらが{{r|御親|をんおや}}の頼み掛け所も天に在ると思い{{r|閉|と}}づを以ってこの{{r|地上世界|ちじょうせかい}}の{{r|諸々|もろ〱}}の{{r|煩|わずら}}いの事がらに{{r|関与|かんよ}}せず<ref>{{r|社会体制|しゃかいたいせい}}{{r|変革|へんかく}}のプロテストにも?プロテストしてでもそれはこの{{r|世|よ}}での{{r|体制|たいせい}}で{{r|一向|いっこう}}に{{r|変|か}}わらない?</ref>に{{r|思|おも}}い{{r|棄|す}}てるべきなためなのです。
弟 上に言うにDf{{r|天主神|デウスGod}}は{{r|何処|どこ}}にもをわしますと云うて{{r|又天|またてん}}にいらっしゃいますと云うのは{{r|如何云|どうい}}うことですか?
師 DF{{r|天主神|Deus}}は{{r|何処|どこ}}にもいらっしゃいますと{{r|雖|いえど}}も{{r|助|たす}}かりたもう{{r|善人|ぜんにん}}たちに{{r|尊体|そんたい}}を{{r|直|ぢか}}に{{r|現|あら}}わしてもらうために{{r|天|てん}}の{{r|パラジゾ|Paradise}}を{{r|備|そな}}え{{r|給|たも}}うたことによってです。
弟 {{r|如何云|どうい}}う{{r|言葉|ことば}}を{{r|以|も}}ってDf{{r|天主|Deus}}にわれらがの{{r|願|ねが}}いを{{r|申|もう}}し{{r|上|あ}}げるべきですか?
師 {{r|相続|あいつづ}}く{{r|残|のこ}}りの{{r|言葉|ことば}}を{{r|以|も}}ってです。
弟 {{r|相続|あいつづ}}く{{r|残|のこ}}りの{{r|言葉|ことば}}とは{{r|如何云|どうい}}う{{r|言葉|ことば}}でしょうか?
師 {{r|七箇条|ななかじょう}}である第一は{{r|御名|みな}}を{{r|尊|とうと}}まれ給えとこの{{r|意図|いと}}はDf{{r|天主|デウス}}の{{r|父|ちち}}なる{{r|神|かみ}}の{{r|御名|みな}}と{{r|御誉|をんほま}}れが{{r|全世界|ぜんせかい}}に{{r|広|ひろ}}まり{{r|一切人間|いっさいにんげん}}のその{{r|御主|をんあるじ}}とその{{r|御子|をんこ}}の{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトを{{r|見知|みし}}り{{r|貴|たっと}}び{{r|仕|つか}}え{{r|奉|たてまつ}}るようにと{{r|云|い}}う{{r|意図|いと}}の{{r|教義|きょうぎ}}であるのです。
弟 {{r|第二箇条目|だいにかじょうめ}}には{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|奉|まつ}}るのでしょうか?
師 {{r|御代|ごしはい}}来たり給えとこの{{r|意味|いみ}}は{{r|悪事|あくじ}}と{{r|罪|つみ}}から{{r|逃|に}}がされDf{{r|天主|デウス}}とその{{r|御子|をんこ}}J⁰xゼーズ・キリシトから{{r|現世|げんせ}}に{{r|於|お}}いてからは{{r|聖寵|Graça}}、{{r|後生|のちのよ}}に{{r|於|お}}いては{{r|栄光|Gloria}}を{{r|以|も}}ってわれらを{{r|進退・身代|しんだい}}し{{r|給|たま}}えと{{r|云|い}}う{{r|教義|きょうぎ}}の{{r|意義|いぎ}}です。
弟 {{r|第三箇条目|だいさんかじょうめ}}は{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|求|め}}め{{r|仕|つか}}えるのでしょうか?
師 天に於いて{{r|思召|おぼしめ}}すままになるが{{r|如|ごと}}くに地上に於いてもそうあらせて{{r|頂|いたゞ}}いて下さいますように。この{{r|意図|いと}}は天に於いて{{r|諸々|もろ〱}}のエンジェルがDf{{r|天主神|デウス}}に従がい{{r|思召|おぼしめ}}す{{r|御意志|ごいし}}のままに{{r|御内省|ごないせい}}の御心のままに御意志に{{r|適|かな}}うことを{{r|勤|つと}}められる如くに{{r|一切人間|いっさいにんげん}}がDf{{r|天主|デウス}}に従がい{{r|思召|おぼしめ}}すまゝになりますようにと云う意味です。
弟 {{r|第四箇条目|だいよんかじょうめ}}は{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るのですか?
師 われらの{{r|日々|にち〱}}の{{r|御養|をんやしな}}いを{{r|今日日毎|こんにちひごと}}に求めて明らかに与えて{{r|頂|いたゞ}}きたいとこの{{r|意図|いと}}は、{{r|アニマ|たましい}}の為に{{r|日々|にち〱}}の{{r|御養|をんやしな}}いを(霊的にも肉的にも) 今日与えて下さいと{{r|日毎|ひごと}}に{{r|乞|こ}}い求め仕えるためなのです。これは{{r|貴|たっと}}い{{r|正餐|ヱウカリスチヤ}}の{{ruby|恩恵|Graça}}と善の{{r|聖霊|スピリツ・サンクト}}のお与えとまた{{r|肉体|にくたい}}へのお与え等のことである、つまり肉体身の{{r|息災|そくさい}}と、{{r|日毎|ひごと}}の要る必要な分だけ{{r|日毎|ひごと}}に願い求めることです。
弟 {{r|第五|だいご}}に{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るのですか?
師 われらが人に申し{{r|赦|ゆる}}す{{r|如|ごと}}くわれらの{{r|科量|かりょう}}をも許して下さいとこの罪は人から掛けられる{{r|恥辱及|ちじょくおよ}}び{{r|歓待|かんたい}}の{{r|以下|いか}}を{{r|赦|ゆる}}すが如く、われらがDf{{r|天主|デウス}}に関する{{r|間違|まちが}}いや{{r|過|あやま}}ちを{{r|赦|ゆる}}して下さいと、{{r|頼|たの}}み仕える{{r|教義|きょうぎ}}なのです。
弟 そうであるに於いては人に対する{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ我らの罪科咎めを赦すことが有る{{r|間敷|まじ}}きなことなのでしょうか?
師 中々その分である{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトは人に持つところの{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ天にあるわれらが{{r|御親|をんおや}}はその人を赦すことがある{{r|可|べ}}からずと云うことを{{r|仰有|おっしゃ}}いました。
弟 そうであれば人より掛けられる{{r|恥辱|ちじょく}}を赦さないのであれば、上の{{r|貴|たっと}}い御言葉を申す時に我らに{{r|懸|か}}けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}さないようにわれらの罪咎も赦し{{r|宣|のたま}}う:赦していただくことがあるべからずと云うこの{{r|教義|きょうぎ}}の{{r|意味|いみ}}に於いてこのお祈りを申すことに於いて{{r|罪人|つみびと}}が{{r|益|えき}}を{{r|得|え}}て{{ruby|望|のぞ}}みが{{ruby|叶|かな}}うことはあり得ないのでしょうか?
師 その{{r|意義|いぎ}}には{{r|非|あら}}ず人の恥ずべき{{r|罪咎|つみとが}}を赦さぬ程度の{{r|慳貪|けんどん}}であると云う人であるともこの{{r|お祈り|オラショ}}を申すことが{{r|專要|せんよう}}の{{r|重要|じゅうよう}}なことである、その{{r|故|ゆえ}}はこの{{r|お祈り|オラショ}}を以って人に対する{{r|遺恨|いこん}}を棄てるための{{r|御功力|ごこうりょく}}となる宗教内の{{r|聖寵|ガラサ|}}を乞い{{r|仕|つか}}え{{ruby|奉|まつ}}ることによって、その上に{{r|聖会衆|サンタ・エケレジヤ}}の御子とに申し仕える善人たちから掛けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}し{{r|宣|のた}}まうように我らの{{r|罪過|ざいか}}をも{{r|赦|ゆる}}し給えと申す{{r|心|こころ}}であれば上の{{r|お祈り|Oratio}}を申し上げることもわが{{r|身|み}}の{{r|損|そん}}にはならないはずだからです。
弟 第六箇条目は何を乞い仕え奉るのですか?
師 我らをテンタサンに赦し放ち宣給うこと{{r|勿|なか}}れと放し頂くことが無いようにわれらを一生の間、悪の誘惑に勧められる『悪の誘惑から責められると云うともそれに負けざるように天主の{{r|御功力|ごくりき}}の{{r|聖寵|せいちょう}}を頼み願いあげる教義』なのです。
弟 第七箇条目では何を乞い願うべきですか?
師 われらを凶悪から逃れしめ給えと云うこの教義は{{r|肉身魂|にくしんたましい}}の{{r|仇|あだ}}となるような{{r|咎|とが}}めと肉体の{{r|災|わざわ}}いから{{r|逃|の}}がし給えと云う{{r|心|こころ}}なのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}よりも{{r|勝|まさ}}ったお祈りはあるでしょうか?
師 これに勝って優れたお祈りは別にありません。{{r|此|こ}}れは{{r|最上|さいじょう}}のお祈りです、これらは{{r|祈禱|きとう}}のお祈りの中の{{r|要件|ようけん}}のものであり、この故にDf{{r|天主神|デウス}}に乞い仕えるべき{{ruby|信者|しんじゃ}}の{{r|程度|ていど}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}である条々をこのお祈りに込め{{r|宣|のたま}}いて{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|御弟子|みでし}}たちに教え{{r|宣|のた}}まうた{{r|祈り|オラショ}}であるからです。
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|title={{r|第三|だいさん}}、パアテル・ノステル(「われらの父よ」の{{r|祈|いの}}り、{{r|主禱文|しゅとうぶん}}、{{r|主|しゅ}}の{{r|祈|いの}}り)の{{r|事|こと}} {{r|九|く}}
|year={{r|慶長五年|けいちょうごねん}}、{{ruby|西暦|せいれき}}1,600
|author=マルコス・ジョルジュ
|notes={{r|底本|ていほん}}として{{r|見|み}}たものは{{r|原本日本語|げんほんにほんご}}{{r|文字文語版|もじぶんごはん}}の{{r|風間書房刊|かざましょぼうかん}}のカサナテンセ{{r|図書館蔵|としょかんぞう}}{{r|慶長五年西暦|けいちょうごねんせいれき}}1,600{{r|年版|ねんはん}}ドチリナの{{r|文語版|ぶんごはん}}の{{r|写真版|しゃしんはん}}を「{{r|小島、校本|こじま、こうほん}}ドチリナ」で{{r|個人|こじん}}で{{r|読|よ}}み{{r|解|と}}いて{{r|現代口語|げんだいこうご}}に{{r|翻訳|ほんやく}}したものです。
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{{r|第三|だいさん}} パアテル・ノステルの{{r|事|こと}} {{ruby|九|く}}
DAISAN PAERNOSTER NO COTO
師 ローマの{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}より教え{{r|宣|の}}たもう{{r|オラショ|Oratio}}のお祈りの仕方を教え授けよう。次に又信じ奉り仕えるゝべき条々と務めるべき{{r|行儀|ぎょうぎ}}をも{{r|現|あら}}わそうと思うべきであるのであり、これすなわち「{{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}」「{{r|アヴェ・マリヤ|Hail Mary}}」「{{r|救助の女王|サルヴェ・レジナ}}」「{{r|使徒信経|ケレド}}」{{r|十箇条の誡め|マダメント}}と{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}の{{r|条規|じょうき}}とに含まれていることなのであるこれらはみな{{r|揺|ゆ}}るがせなくして{{r|一辺倒|いっぺんとう}}に信じ{{r|務|つと}}め{{r|仕|つか}}えるべきことであるのです。
弟 善悪の赦別を{{r|弁|わきま}}える{{r|年頃|としごろ}}のキリシタンは{{r|如何云|どうい}}うことを知ることこそが{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}なのですか?
師 {{r|三様|みさま}}のことである一つにはDf{{r|天主神|デウス}}を頼みよく仕え二つには{{r|能|よ}}く{{r|信|しん}}じ{{r|三|みっ}}つにはよき{{r|所作|わざ}}を与える道を知ること{{r|此|こ}}れなのです。
弟 Df{{r|天主|Deus}}をよく頼み仕えるとは{{r|如何云|どうい}}う事と知るべきなのですか?
師 {{r|われらの父|パアテル・ノステル}}の{{r|祈り|Oratio}}を以って知るべきなのです。
弟 {{r|達|たっ}}して{{r|信|しん}}じ{{ruby|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るにはどのようにして知るようになるべきでしょうか?
師 {{r|使徒信経|ケレド}}或いは{{r|信仰|ヒイデス}}の{{r|信仰告白|アルチイゴ}}を知る事であるのです。
弟 {{r|行儀|ぎょうぎ}}をよく{{r|修|おさ}}める道と{{r|云|い}}うのはどのようにして知ることなのでしょうか?
師 {{r|行儀|ぎょうぎ}}をよく{{r|修|おさ}}めるためにはDf{{r|天主|デウス}}の{{r|御掟|をんおきて}}の律法:{{r|マンダメント|Mandamento}}と{{r|聖・教会衆|サンクタ・ヱケレジヤ}}の{{r|律令|りつりょう}}を知ることなのであり、また悪を{{r|退|しりぞ}}ける為には七つの{{r|致命的の咎|モルタルとが}}を知ることなのです。
弟 正しく信じよく頼み仕え奉りまた身持ちよく{{r|修|おさ}}めるためには上の{{r|他別|ほかべつ}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}な{{r|教義|きょうぎ}}があるのでしょうか?
師 なかなか{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}な{{r|教義|きょうぎ}}あり{{r|此|こ}}れはすなわちDf{{r|天主|デウス}}のご意志の云う事に従がいJ⁰xゼーズス・キリシトから{{r|直|ぢき}}に与え宣のべ給う三つの善である正しく信じ仕え奉るためには{{r|信仰|ヒイデス}} をよく頼みなさい。仕えるためには{{r|楽天希望徳|ヱスぺランサ}}で以って、身持ちよく修めるためには{{r|慈善人道愛|カリダアデ}}と云うものがそれらの{{r|善|ぜん}}なのである。そうであればよく{{r|信頼|しんらい}}することには主禱文、主の祈り{{r|われらの父|パアテレ・ノステレ}}のお祈りの{{r|要件|ようけん}}を知ることが{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}なものであるから{{r|只今|ただいま}}それを教え{{r|授|さづ}}けよう
『天にましますわれらが{{r|御親|をんおや}}よ、御名が{{r|尊|たっと}}まれ給え、{{r|御世(代)来|ごしはいき}}たりたまへ、天に於いて{{r|思召|おぼしめ}}すままになるごとく、地にもあらせ給え。我らの日々のお{{r|養|やしな}}いを{{r|今日|きょう}}お与えください。われらが人に{{r|赦免|しゃめん}}を{{r|申|もう}}すがごとくに(ラテン語:我等への負い目の負債を見落としてわたし自身の訴え反感を却下して取り下げているのと同じように) 我らの{{r|罪|つみ}}を{{r|赦|ゆる}}して下さい。我らに{{r|誘惑|ゆうわく}}であるテンタサン(Temptation≒誘惑)に{{r|離|はな}}し給うことが無いようにわれらを{{r|凶悪|きょうあく}}から{{r|逃|の}}がし給え』
弟 今教え{{r|宣|のたま}}うた「{{r|われらの父|パアテル・ノステル}}」の{{r|オラショ|Oratio}}の祈りをば{{r|誰人|だれひと}}の造り{{r|宣|のたま}}うたものなのですか?
師 {{r|忝|かたじけ}}なくもわれらが{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|直|ぢか}}にお教え{{r|宣|のたま}}うた祈りなのです。
弟 何のためですか?
師 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りを申すべき{{r|要領|ようりょう}}を教えて下さったお祈りなのです。
弟 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りとは{{r|如何云|どうい}}うためのものですか?
師 {{r|祈り|Oratio}}のお祈りは我らが{{r|念|ねん}}を天に通じ{{r|御主|をんあるじ}}のDf{{r|天主|Deus}}に申し上げる{{r|望|のぞ}}みを{{r|叶|かな}}えの{{r|給|たま}}う道を知って{{r|頂|いたゞ}}くことがこの{{r|オラショ|Oratio}}のお祈りの{{r|目的|もくてき}}なのです。
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師 {{r|天地|てんち}}の{{r|何処|いずく}}にもをわしますのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}の祈りを申す時に{{r|何|いづ}}れの{{r|言葉|ことば}}がわがDf{{r|天主|デウス}}に{{r|通|つう}}じて{{r|頼|たの}}み{{r|仕|つか}}えるのですか?
師 {{r|第一句目|だいいっくめ}}のわれらが{{r|御親|おんおや}}と{{r|云|い}}い{{r|申|もう}}す{{r|言葉|ことば}}によってです。
弟 {{r|御主|おんあるじ}}と{{r|申|もう}}さなくして{{r|御親|おんおや}}と{{r|申|もう}}すことは{{r|如何|どう}}してなのですか?
師 {{r|御親|をんおや}}と呼び掛けることによってわれらを{{r|御大切|ごたいせつ}}に思し召すことを思い出して頼もしい心や意図に於いて天主に{{r|仕奉|つかえまつ}}るためであるのです。
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師 {{r|人|ひと}}の{{r|子|こ}}の{{r|人類|じんるい}}が{{r|皆兄弟|みなきょうだい}}にて{{r|善|よ}}き{{r|御親|をんおや}}の子らに{{ruby|思|おも}}い{{r|取|と}}りて互いに{{r|御大切|ごたいせつ}}に思おうとする為のものなのです。
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弟 {{r|第五|だいご}}に{{r|如何云|どうい}}うことを{{r|乞|こ}}い{{r|仕|つか}}え{{r|奉|まつ}}るのですか?
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弟 そうであるに於いては人に対する{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ我らの罪科咎めを赦すことが有る{{r|間敷|まじ}}きなことなのでしょうか?
師 中々その分である{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトは人に持つところの{{r|遺恨|いこん}}を赦さなければ天にあるわれらが{{r|御親|をんおや}}はその人を赦すことがある{{r|可|べ}}からずと云うことを{{r|仰有|おっしゃ}}いました。
弟 そうであれば人より掛けられる{{r|恥辱|ちじょく}}を赦さないのであれば、上の{{r|貴|たっと}}い御言葉を申す時に我らに{{r|懸|か}}けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}さないようにわれらの罪咎も赦し{{r|宣|のたま}}う:赦していただくことがあるべからずと云うこの{{r|教義|きょうぎ}}の{{r|意味|いみ}}に於いてこのお祈りを申すことに於いて{{r|罪人|つみびと}}が{{r|益|えき}}を{{r|得|え}}て{{ruby|望|のぞ}}みが{{ruby|叶|かな}}うことはあり得ないのでしょうか?
師 その{{r|意義|いぎ}}には{{r|非|あら}}ず人の恥ずべき{{r|罪咎|つみとが}}を赦さぬ程度の{{r|慳貪|けんどん}}であると云う人であるともこの{{r|お祈り|オラショ}}を申すことが{{r|專要|せんよう}}の{{r|重要|じゅうよう}}なことである、その{{r|故|ゆえ}}はこの{{r|お祈り|オラショ}}を以って人に対する{{r|遺恨|いこん}}を棄てるための{{r|御功力|ごこうりょく}}となる宗教内の{{r|聖寵|ガラサ|}}を乞い{{r|仕|つか}}え{{ruby|奉|まつ}}ることによって、その上に{{r|聖会衆|サンタ・エケレジヤ}}の御子とに申し仕える善人たちから掛けられた{{r|恥辱|ちじょく}}を{{r|赦|ゆる}}し{{r|宣|のた}}まうように我らの{{r|罪過|ざいか}}をも{{r|赦|ゆる}}し給えと申す{{r|心|こころ}}であれば上の{{r|お祈り|Oratio}}を申し上げることもわが{{r|身|み}}の{{r|損|そん}}にはならないはずだからです。
弟 第六箇条目は何を乞い仕え奉るのですか?
師 我らをテンタサンに赦し放ち宣給うこと{{r|勿|なか}}れと放し頂くことが無いようにわれらを一生の間、悪の誘惑に勧められる『悪の誘惑から責められると云うともそれに負けざるように天主の{{r|御功力|ごくりき}}の{{r|聖寵|せいちょう}}を頼み願いあげる教義』なのです。
弟 第七箇条目では何を乞い願うべきですか?
師 われらを凶悪から逃れしめ給えと云うこの教義は{{r|肉身魂|にくしんたましい}}の{{r|仇|あだ}}となるような{{r|咎|とが}}めと肉体の{{r|災|わざわ}}いから{{r|逃|の}}がし給えと云う{{r|心|こころ}}なのです。
弟 {{r|主禱文・主の祈り|パアテル・ノステル}}よりも{{r|勝|まさ}}ったお祈りはあるでしょうか?
師 これに勝って優れたお祈りは別にありません。{{r|此|こ}}れは{{r|最上|さいじょう}}のお祈りです、これらは{{r|祈禱|きとう}}のお祈りの中の{{r|要件|ようけん}}のものであり、この故にDf{{r|天主神|デウス}}に乞い仕えるべき{{ruby|信者|しんじゃ}}の{{r|程度|ていど}}の{{r|肝心重要|かんじんじゅうよう}}である条々をこのお祈りに込め{{r|宣|のたま}}いて{{r|御主|をんあるじ}}J⁰xゼーズス・キリシトの{{r|御弟子|みでし}}たちに教え{{r|宣|のた}}まうた{{r|祈り|オラショ}}であるからです。
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第七 DSの御おきて十のまんだめんとすの事 二十五
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|title=第七 DS(デウス)の{{r|御|をん}}おきて{{ruby|十|とお}}のまんだめんとすの事 二十五
|year=慶長5年、西暦1,600
|author=マルコス・ジョルジュ
|notes=原文は変体形の平仮名が多く普通仮名に変換しましたが、変体仮名を残したところもあります。漢字はこちらで解釈して作った物です。出典は風間書房刊のドチリナの写真版ローマ・カサナテンセ図書館蔵西暦1,600年慶長五年版のものを「校本ドチリナ」で読み解いていたのものです。
}}
第七 {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|十|とお}}のまん多‟めんとす<ref>{{r|十誡|じっかい}}</ref>の事
DAIXICHI DEUSNO GOVOQITENO TOVONO MANDAMENTOS NO COTO
弟 {{ruby|上|うえ}}にㇵ{{ruby|早能|はやよく}}{{ruby|達|たっ}}して{{ruby|天主神|デウス}}へものを{{r|乞|こ}}い{{r|奉|まつ}}り{{ruby|信|しんじ}}じ{{r|奉|まつ}}るために{{ruby|肝要|かんよう}}である{{ruby|意義|いぎ}}を{{ruby|現|あら}}わし{{ruby|宣|のたま}}いしなのです、{{ruby|今又|いままた}}{{ruby|善|ぜん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{ruby|道|みち}}を{{ruby|教|をし}}え{{ruby|宣|のたま}}え
師 (身持ちを)保つ為に{{r|天主神|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}と{{r|サンタ・エケレジヤ|Sancta-Ecclesia}}の{{r|まん多‟めんと|りつりょう}}を{{r|知|し}}り{{r|同|おな}}じく{{r|罪|つみ}}を{{r|退|しりぞ}}けるために{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}を知る{{r|事専|こともっぱら}}({{r|専用、肝心重要|せんよう、かんじんじゅうよう}})のことなのだからです。<br />
弟 {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|如何|いかな}}るものなのですか?<br />
師 {{r|万民|ばんみん}}これを{{r|保|たも}}つべきために{{r|御|をん}}あるじ{{r|天主神|デウス}}から{{r|直|じき}}に{{r|授|さづ}}け{{r|宣|のたま}}う{{r|御掟|をんおきて}}の{{ruby|条々|じょう〲}}であるからですので{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|御掟|をんおきて}}のことです。<br />
弟 {{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とㇵ{{r|何箇条|なんかじょう}}ありますか?<br />
師 {{r|十箇条|じっかじょう}}あり、これ{{r|二|ふた}}つに{{r|分|わ}}ける{{r|初|はじ}}めの{{r|三箇条|さんかじょう}}は{{r|御主|をんあるじ}}{{r|天主神|デウス}}に対し{{r|奉|まつ}}りて{{r|勉|つとむ}}べきを{{r|教|おし}}え{{r|今七箇条|いまななかじょう}}は{{r|人|ひと}}に{{r|対|たい}}しての{{r|道|みち}}を{{r|教|おし}}えるためのものなのです。<br />
::::○{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんとす|りっぽう}}<br />
::第一、{{r|御一体|ごいったい}}{{r|唯一|ゆいいつ}}の{{r|天主|デウス}}を{{r|敬|うやま}}い{{r|尊|たっと}}び{{r|奉|まつ}}るべきである。<br />
::第二、{{r|天主、神|てんしゅ、かみ}}の{{r|尊|たっと}}き{{r|御名|みな}}に{{ruby|懸|かけ}}て{{ruby|虚|むな}}しき{{ruby|誓|ちか}}いをすべきではありません。<br />
::第三、{{ruby|御祝日|ごしゅくにち}}を{{r|務|つと}}め{{r|守|まも}}るべきです。
::第四、{{ruby|父母|ふぼ}}に{{ruby|孝行|こう〱}}すべきです。
::第五、{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}すべきではありません。
::第六、{{ruby|邪淫|じゃいん}}を{{r|犯|をか}}すべきではありません。
::第七、{{ruby|偸盗|ちゅうとう}}<ref>{{ruby|窃盗|せっとう}}</ref>をすべきではありません。
::第八、人に{{ruby|讒言|ざんげん}}<ref>人を{{r|陥|おとしい}}れる{{ruby|偽証|ぎしょう}}</ref>を{{ruby|懸|かけ}}るべきではありません。
::第九、{{ruby|他|た}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}するべきではありません。
::第十、{{ruby|他持|たもつ}}をみだりに{{ruby|望|のぞ}}むべきではありません。
{{ruby|上此|うえこの}}{{ruby|十箇条|じっかじょう}}はすべからく{{ruby|二箇条|にかじょう}}に{{ruby|極|きわ}}まるのである{{ruby|一|ひと}}つには{{ruby|御一体|ごいったい}}<ref>{{ruby|唯一|ゆいいつ}}</ref>の{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>羅葡日辞書、カリタスの{{r|聖愛|せいあい}}「Charitas」={{r|大切、懇切|たいせつ、こんせつ}}</ref>{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}ろうべきこと、{{ruby|二|ふた}}つには{{ruby|我身|わがみ}}のように{{ruby|隣人|りんじん}}<ref>「ポロシモ=Proximo」「{{r|隣人|りんじん}}」羅葡日辞書「近寄る、最も近しい人」</ref>を{{r|思|おも}}えと云うこと{{r|此|こ}}れである。
弟 {{ruby|第一|だいいち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をどのような{{ruby|仕方|しかた}}で{{ruby|務|つと}}め{{ruby|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}の{{ruby|天主神|デウス}}は{{ruby|唯一|ゆいいつ}}{{ruby|御一体|ごいったい}}と{{r|拝|おが}}み{{ruby|仕奉|つかえまつ}}り{{ruby|御奉公|ごほうこう}}を{{ruby|抜出|ぬきんで}}て{{r|遣|や}}って{{ruby|我|われ}}らが{{ruby|御効力|ごこうりょく}}と{{ruby|御返報|ごへんぽう}}を{{ruby|頼|たの}}もしく{{ruby|待仕奉|まちつかえまつ}}り{{ruby|我等|われら}}が{{ruby|吉事|きちじ}}の{{ruby|源|みなもと}}にて{{ruby|在|いま}}しませれば{{ruby|此等|これら}}のことをたのみ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきであるのです、また{{ruby|御作像|ごさくぞう}}のものを{{ruby|至高|しこう}}の{{ruby|天主神|デウス}}のように{{ruby|敬|うやま}}わないことを{{r|以|も}}って{{ruby|此律法|このりっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つものです。<br />
弟 {{ruby|第二|だいに}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{r|如何云|どうい}}うように{{r|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}と{{ruby|善|ぜん}}のためと{{r|要|い}}るべき{{r|時|とき}}よりほかは{{r|誓|ちか}}いをするべきではないことを以ってこの{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{r|全|まっと}}うするべきです。<br />
弟 {{ruby|真|まこと}}に{{ruby|誓|ちか}}いをするとは{{ruby|如何云|どうい}}うことなのですか?<br />
師 {{ruby|偽|いつ}}わりと{{ruby|知|し}}りながら{{ruby|宣誓文|せんせいもん}}をすることまたは{{ruby|真|まこと}}か{{ruby|偽|いつ}}わりかと{{ruby|疑|うた}}がわしいことに{{ruby|誓|ちか}}いをすることは{{ruby|天主神|デウス}}に{{ruby|虚言|きょごん}}の{{ruby|証拠|しょうこ}}に{{ruby|立申|たてもう}}すことによってたとえ{{ruby|軽|かろ}}き{{ruby|題目(命題)|だいもく(めいだい)}}であるというとも{{ruby|Mortal致命的咎|ちめいてきとが}}となることがあるのです。<br />
弟 {{ruby|善|ぜん}}のために{{ruby|誓文|せいもん}}するとは{{r|如何成|いかゞな}}ることがらなのですか<br />
師 たとえば{{r|真|まこと}}であることを{{ruby|誓文|せいもん}}をすると云うとも{{r|善|よ}}きことにあらずんバ、その{{ruby|題目|だいもく}}によって{{r|Mortal咎|ちめいてきとが}}か{{r|ベニアル科|ゆるしえるとが}}になるものである。たとえばモルタル{{r|咎|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとのとの{{ruby|誓|ちか}}いを為さばモルタル{{r|咎|とが}}になり、ベニアル{{r|科|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとの{{ruby|誓|ちか}}いを{{r|為|な}}さばベニアル{{r|科|とが}}となるものです。<br />
弟 {{ruby|要|い}}るべき{{r|時|とき}}とは{{r|如何云|どうい}}うことでしょうか?<br />
師 たとえても{{ruby|真実善|しんじつよ}}いことに{{ruby|誓文|せいもん}}するといえども{{ruby|要|い}}らざる{{r|時|とき}}に{{r|誓|ちか}}いをなすㇵことによりて{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}にはならずと{{r|雖|いえど}}も{{r|ベニアル科|ゆるしうるとが}}から{{r|漏|も}}れることが無いことなのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}よりほかに{{r|別|べつ}}の{{ruby|物|もの}}に{{r|懸|か}}けて{{ruby|誓文|せいもん}}することがあり{{r|得|う}}るのですか?<br />
師 {{ruby|中々|なか〱}}ありたとえば<ref>お守りの</ref>クルス・ベアトたちにか又ハ{{r|貴|たっと}}き事に{{r|懸|か}}けてとか、わが{{r|生命|いのち}}にかその{{r|他何|ほかいづ}}れの{{ruby|御作|ごさく}}のものに{{r|懸|か}}けても{{ruby|誓|ちか}}いをする{{r|事|こと}}があり{{r|得|え}}ます。<br />
弟 そら{{ruby|誓文|ぜいもん}}をしないための{{r|頼|たよ}}りとなる{{r|物事|ものごと}}がありますか?<br />
師 つ{{r|祢|ね}}に{{ruby|誓文|せいもん}}をしないようにたしなむ{{ruby|事|こと}}です。<br />
弟 しからばものの{{ruby|実不|じつふ}}を{{ruby|事分|ことわ}}るためにㇵ{{r|如何云|いかゞい}}うべきでしょうか?<br />
師 {{r|或|ある}}いは{{r|真実又|しんじつまた}}ㇵ{{ruby|疑|うたが}}い{{r|無|な}}し{{ruby|必定|ひつじょう}}であるなどと{{r|云|い}}う{{ruby|事葉|ことば}}を{{r|以|も}}って{{ruby|徹|てっ}}するべきです。<br />
弟 {{ruby|第三|だいさん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきですか?<br />
師 これを{{ruby|守|まも}}るに{{ruby|二|ふた}}つの{{ruby|事|こと}}あり{{ruby|一|ひと}}つにㇵ{{r|ドミンゴ|きゅうじつ}}とヱッケレージヤより{{ruby|布令宣|ふれのた}}もう{{ruby|祝日|いわいび}}に{{ruby|職|しょく}}を{{ruby|辞|や}}むる{{ruby|事|こと}}である。{{r|但逃|ただしのが}}れ{{r|得|え}}ぬ{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|所作・業務|わざ・ぎょうむ}}をしても{{ruby|咎|とが}}にはならない{{ruby|事|こと}}あり、{{ruby|二|ふた}}つにㇵ{{ruby|彼様|かよう}}の{{ruby|日|ひ}}にㇵ{{ruby|一座|いちざ}}のミイサを{{ruby|始|はじ}}めより{{ruby|終|を}}わりまで{{ruby|拝|おが}}み{{ruby|申|もう}}す{{ruby|事|こと}}であり、これを{{ruby|煩|わずら}}いか{{ruby|最|もっと}}もである{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|拝|おが}}まずしても{{ruby|咎|とが}}にㇵならず、これらの{{ruby|子細|しさい}}ㇵ{{ruby|以後|いご}}ヱッケレージヤの{{ruby|五|いつ}}つの{{ruby|まん多‟めんと|おきて}}のうちに{{ruby|現|あら}}ㇵすべきであればそれをよく{{ruby|見|み}}るべきです。<br />
弟 {{ruby|第四|だいよん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|親|おや}}によく{{ruby|従|した}}がい{{ruby|孝行|こう〱}}を{{ruby|致|いた}}し{{ruby|敬|うやま}}いをなすようにある{{ruby|時|とき}}は{{ruby|力|ちから}}を{{ruby|添|そ}}える{{ruby|事又人|ことまたひと}}の{{ruby|下人|げにん}}である{{ruby|者|もの}}ㇵその{{ruby|身|み}}の{{ruby|主人|しゅじん}}その{{ruby|他司|ほかつかさ}}である{{ruby|人々|ひと〲}}に{{ruby|従|した}}がうことに{{ruby|揺|ゆる}}がせなきを{{r|以|も}}って{{ruby|比|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|守|まも}}るべきものなのです。<br />
弟 {{ruby|父母主人|ぷもしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎|とが}}となる{{ruby|事|こと}}をせよと{{r|云|い}}いつけられる{{r|時|とき}}には{{ruby|従|した}}がうべきですか?<br />
師 {{ruby|親主人|おやしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}によく{{ruby|従|した}}がえと云う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}にならないことを{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}であり、{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|みおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|奉|まつ}}れと{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}にㇵそれは{{r|拘束|こうそく}}はありません。<br />
弟 {{ruby|第五|だいご}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}にば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|守|まも}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|仇|あだ}}をなさず{{ruby|害|がい}}をせず{{ruby|傷|きず}}を{{ruby|付|つ}}けず{{ruby|比等|これら}}の{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|人|ひと}}のうえに{{ruby|望|のぞ}}まず{{ruby|喜|よろこ}}ばざるを{{ruby|以|も}}って{{ruby|保|たも}}つ{{ruby|者|もの}}であり、その{{ruby|故|ゆえ}}にそれは{{ruby|如何|どう}}してとなれば{{ruby|人|ひと}}ㇵみな{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御写|おうつ}}しに{{ruby|造|つく}}り{{ruby|宣|のたま}}えばそうであるのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|仇|あだ}}をなし{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|又|また}}は{{ruby|害|がい}}する{{ruby|事叶|ことかな}}わずと{{ruby|誡|いまし}}め{{ruby|宣|のたま}}うに{{ruby|於|おい}}ては{{ruby|国家法律|こっかほうりつ}}を{{ruby|治|おさ}}める{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何|いかゞ}}なものであるべきですか?<br />
師 {{ruby|比御|これみ}}{{ruby|掟|おきて}}の{{ruby|箇条|かでう}}を{{ruby|以|も}}ってすぐなる{{ruby|題目|だいもく}}ありとても{{ruby|弓矢|ゆみや}}を{{ruby|執|と}}るべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎人|とがにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事勿|ことなか}}れとの{{ruby|誡|いまし}}めには{{ruby|非|あら}}ず{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|罪人|ざいにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事|こと}}が{{ruby|無|な}}ければその{{ruby|咎|とが}}は{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|懸|か}}かるべきものであり、その{{ruby|此|この}}{{ruby|箇条|かじょう}}ㇵその{{ruby|役|やく}}には{{ruby|当|あた}}らずして{{ruby|無理|むり}}に{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}し{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}すべからずとの{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
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弟 {{ruby|最|もっと}}も{{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|目的|もくてき}}と{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|命題|めいだい}}とㇵ{{ruby|万|よろづ}}の{{ruby|折檻|せっかん}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|生命|いのち}}を{{ruby|果|は}}たす{{ruby|事|こと}}が{{ruby|一大事|いちだいじ}}の{{ruby|折檻|せっかん}}であれば{{ruby|深|ふか}}き{{ruby|罪過|あやまち}}なくして{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}は{{ruby|最|もっと}}も{{ruby|非道|ひどう}}である{{ruby|事|こと}}です{{ruby|又人|またひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|道理|どうり}}に{{ruby|外|はず}}れ{{ruby|国家|こっか}}の{{ruby|為|ため}}にならずたゞ{{ruby|上|うえ}}より{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しある{{ruby|人|ひと}}にのみ{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|望|のぞ}}まざれとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|遺恨|いこん}}を{{ruby|含|ふく}}み{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}したく{{ruby|思|おも}}い{{ruby|或|ある}}いㇵ{{ruby|中|なか}}を{{ruby|違|たが}}い{{ruby|言葉|ことば}}を{{ruby|交|か}}わそうとする{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}です。<br />
弟 {{ruby|第六|だいろく}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|保|たも}}つべきなのですか?<br />
師 {{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作|しょさ}}の{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}って{{ruby|男女|だんじょ}}{{ruby|共|とも}}に{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|犯|をか}}すべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|自|みづか}}ら{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{ruby|如何|どう}}して{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}ってとは{{ruby|宣給|のたも}}うのですか?{{ruby|心|こゝろ}}に{{ruby|此|これ}}を{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|咎|とが}}と{{ruby|見做|みな}}すべきなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|心中|しんちゅう}}に{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|咎|とが}}であるけれどもそれは{{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|マンダメント|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{r|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つために{{ruby|頼|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何云|どうい}}うようなことがあるのでしょうか?<br />
師 {{ruby|御主|をんあるじ}}{{ruby|天主神|デウス}}より{{ruby|夫婦|ふうふ}}の{{ruby|御定|おんさだ}}めを{{ruby|第一|だいいち}}に{{ruby|為|な}}し{{ruby|宣給|のたま}}いその{{ruby|他|ホか}}{{ruby|余多|あまた}}の{{ruby|事|こと}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|食物|くひもの}}{{r|飲物|のミもの}}を{{ruby|飽迄|阿くま}}でにせざる{{ruby|事|こと}}{{ruby|悪|あ}}しき{{ruby|友|トも}}と{{ruby|交|まじわ}}りを{{ruby|辞|やむる}}{{ruby|事|こと}}{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}や{{ruby|恋|こい}}の{{ruby|冊子|さうし}}を{{ruby|読|よま}}ず{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}い{{ruby|等|とう}}{{ruby|歌|うた}}わず{{ruby|可能|かのう}}に{{ruby|於|をひ}}てㇵ{{ruby|聴|きか}}ざる{{ruby|事|こと}}です{{ruby|尚|なを}}{{ruby|肝要|かんよう}}な{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}ふことㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たもつ}}べきために{{ruby|御阿るじ|をんあるじ}}{{ruby|天主|デウス}}へ{{ruby|御力|みちから}}を{{ruby|頼|たの}}ミ{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}に{{ruby|陥|おちい}}る{{ruby|便|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|退|しりぞ}}くべき{{ruby|事|こと}}であることなのです。<br />
弟 {{ruby|第七|だいなな}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何遣|どうや}}って{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|何|なに}}なりともその{{ruby|主|ぬし}}の{{ruby|同心|どうしん}}なくして{{ruby|取|と}}る{{ruby|事|こと}}も{{r|留|とゞ}}め{{ruby|置|を}}く{{ruby|事|こと}}もあるべきではなく、{{ruby|人|ひと}}にもこれらの{{ruby|事|こと}}を{{ruby|勧|すゝ}}めずその{{ruby|協力|きょう里ょく}}をもせずその{{ruby|便|たよ}}りともなるべきではありません。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|物|もの}}を{{ruby|盗|ぬすみ}}たく{{ruby|思|おも}}う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|比|この}}{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|咎|と可‟}}ではないものなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|咎|とが}}なれどもそれは{{ruby|第十箇条目|だいじゅっかでうめ}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}です。<br />
弟 {{ruby|第八|だいはち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何云|どうい}}うようにと{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|讒言|ざんげん}}を{{ruby|云掛|いいか}}けず{{ruby|謗|そし}}らず{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|隠|かく}}れたる{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|現|あら}}わすべからず、であると{{ruby|雖|いえど}}もその{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|引返|ひきかえ}}さぬべき{{ruby|心|こころ}}あてにて{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|告知|つげし}}らせ{{ruby|申事|もうすこと}}ハ{{ruby|可能|かのう}}なら{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|邪推|じゃすい}}せず{{ruby|虚言|きょごん}}を{{ruby|云|い}}うべきではありません。<br />
弟 {{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|分別|ふんべつ}}{{ruby|致|いた}}すべきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}せず、その{{ruby|他|ほか}}{{r|恋慕|れんぼ}}に{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|望|のぞ}}むべからず、{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|妄念|まうねん}}に{{ruby|組|くみ}}せず{{ruby|又|また}}ㇵそれに{{ruby|喜|よろこ}}び{{ruby|執着|しうぢゃく}}する{{r|事|こと}}もあるべきことではないことです。<br />
弟 {{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|念|ねん}}の{{ruby|起|をこ}}る{{ruby|度毎|たびごと}}に{{ruby|科|とが}}となりますか?<br />
師 その{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}にあらず、その{{ruby|念|ねん}}を{{ruby|喜|よろこ}}ばず、それを{{ruby|棄|すて}}る{{ruby|時|とき}}ㇵ{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|功力|くりき}}の({{r|功徳|くどく}})となるものである。{{ruby|若|も}}し{{ruby|又|また}}その{{ruby|念|ねん}}に{{ruby|同心|どうしん}}せずと云えども{{ruby|心|こころ}}に{{ruby|止|とゞ}}めてそれを{{ruby|思出|おもいだ}}して{{ruby|喜|よろこ}}ぶときㇵ{{ruby|科|と可‟}}となるのです。<br />
弟 {{ruby|第十|だいじゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|心得|こころう}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|乱用|みだり}}に{{ruby|望|のぞ}}むべからずと{{r|云|い}}います。<br />
弟 {{ruby|今比十|いまこのじ}}{{ruby|箇条|っかじょう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}ㇵ{{ruby|二|ふた}}つに{{ruby|極|きわ}}まると{{r|云|い}}える{{ruby|事|こと}}を{{ruby|示|しめ}}し{{ruby|宣|のた}}まへ。その{{ruby|二|ふた}}つとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}る{{ruby|事|こと}}これであります。<br />
弟 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}をば{{ruby|如何|どの}}ように{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>Charitasの無私心の「愛」や「慈善」である。</ref>に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|財宝|ざいほう}}{{ruby|名誉|めいよ}}{{ruby|父母|ぷも}}{{ruby|身命|しんみょう}}これらの{{ruby|事|こと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|仕奉|つかえまつ}}らずしてたゞ{{ruby|一辺倒|いっぺんとう}}に{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}い{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るに{{ruby|極|きわ}}まるのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}を{{ruby|保|たも}}つための{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|何|いづ}}れでありますか?<br />
師 その{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|大|おおき}}いのである。{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|寝屋|ねや}}を{{ruby|起上|おきあが}}りてよりは{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御恩|ごおん}}と{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|出|いだ}}し{{ruby|御礼|おんれい}}を{{ruby|申上|もうしあ}}げ{{ruby|奉|まつ}}るべきです。{{ruby|又|また}}その{{ruby|日|ひ}}に{{ruby|御掟|ごおきて}}てに{{ruby|背|そむ}}かずして{{ruby|御内照(証)|ごないしょう}}<ref>ラテン語、secretum, arcanum</ref>に{{ruby|従|した}}がい{{ruby|身|み}}を{{ruby|修|をさ}}むるために{{ruby|御守|おんまも}}りを{{ruby|頼|たの}}み{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申挙|もうしあ}}げるべきです。<br />
弟 {{ruby|寝様|ねざま}}にも{{ruby|怠|おこた}}らずその{{ruby|本分|ほんぶん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{r|為|た}}めにㇵ{{ruby|何事|なにごと}}を{{ruby|為|な}}すべきでしょうか?<br />
師 {{ruby|先|ま}}づ{{ruby|寝様|ねざま}}にその{{ruby|日|ひ}}の{{ruby|心|こころ}}と{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作(仕業)|しょさ(しわざ)}}の{{ruby|糾明|きゅうめい}}をし{{ruby|後悔|こうかい}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|犯|をか}}せる{{ruby|科|とが}}の{{ruby|赦|ゆる}}しを{{ruby|乞|こ}}い{{ruby|奉|たてまつ}}り{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|功力|くりき}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|身代|しんだい}}を{{ruby|改|あらた}}めんと{{ruby|思定|おもいさだ}}め{{ruby|似合|にあ}}いの{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申上|もうしあ}}ぐべき{{ruby|事|こと}}であるのです。<br />
弟 {{ruby|ポロシモ(Proximo)|りんじん}}<ref>ラテン語「最も近き者」</ref>である{{ruby|人|ひと}}をばわが{{ruby|身|}}の{{ruby|如|}}くにとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|思|}}うべきですか?<br />
師 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がって{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|善|よ}}き{{ruby|事|こと}}を{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}しても{{ruby|望|のぞ}}むべきものです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がってとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 こゝに{{ruby|子細|しさい}}あり{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|背|そむ}}きて{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|何事|なにごと}}であろうとも{{ruby|望|のぞ}}むときにㇵ{{ruby|例|たと}}え{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}むことある{{ruby|間敷|まじ}}き{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}うとも{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|思|おも}}うのではなくして、たゞ{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|事|こと}}です。
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|title=第七 DS(デウス)の{{r|御|をん}}おきて{{ruby|十|とお}}のまんだめんとすの事 二十五
|year=慶長5年、西暦1,600
|author=マルコス・ジョルジュ
|notes=原文は変体形の平仮名が多く普通仮名に変換しましたが、変体仮名を残したところもあります。漢字はこちらで解釈して作った物です。出典は風間書房刊のドチリナの写真版ローマ・カサナテンセ図書館蔵西暦1,600年慶長五年版のものを「校本ドチリナ」で読み解いていたものです。
}}
第七 {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|十|とお}}のまん多‟めんとす<ref>{{r|十誡|じっかい}}</ref>の事
DAIXICHI DEUSNO GOVOQITENO TOVONO MANDAMENTOS NO COTO
弟 {{ruby|上|うえ}}にㇵ{{ruby|早能|はやよく}}{{ruby|達|たっ}}して{{ruby|天主神|デウス}}へものを{{r|乞|こ}}い{{r|奉|まつ}}り{{ruby|信|しんじ}}じ{{r|奉|まつ}}るために{{ruby|肝要|かんよう}}である{{ruby|意義|いぎ}}を{{ruby|現|あら}}わし{{ruby|宣|のたま}}いしなのです、{{ruby|今又|いままた}}{{ruby|善|ぜん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{ruby|道|みち}}を{{ruby|教|をし}}え{{ruby|宣|のたま}}え
師 (身持ちを)保つ為に{{r|天主神|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}と{{r|サンタ・エケレジヤ|Sancta-Ecclesia}}の{{r|まん多‟めんと|りつりょう}}を{{r|知|し}}り{{r|同|おな}}じく{{r|罪|つみ}}を{{r|退|しりぞ}}けるために{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}を知る{{r|事専|こともっぱら}}({{r|専用、肝心重要|せんよう、かんじんじゅうよう}})のことなのだからです。<br />
弟 {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|如何|いかな}}るものなのですか?<br />
師 {{r|万民|ばんみん}}これを{{r|保|たも}}つべきために{{r|御|をん}}あるじ{{r|天主神|デウス}}から{{r|直|じき}}に{{r|授|さづ}}け{{r|宣|のたま}}う{{r|御掟|をんおきて}}の{{ruby|条々|じょう〲}}であるからですので{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|御掟|をんおきて}}のことです。<br />
弟 {{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とㇵ{{r|何箇条|なんかじょう}}ありますか?<br />
師 {{r|十箇条|じっかじょう}}あり、これ{{r|二|ふた}}つに{{r|分|わ}}ける{{r|初|はじ}}めの{{r|三箇条|さんかじょう}}は{{r|御主|をんあるじ}}{{r|天主神|デウス}}に対し{{r|奉|まつ}}りて{{r|勉|つとむ}}べきを{{r|教|おし}}え{{r|今七箇条|いまななかじょう}}は{{r|人|ひと}}に{{r|対|たい}}しての{{r|道|みち}}を{{r|教|おし}}えるためのものなのです。<br />
::::○{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんとす|りっぽう}}<br />
::第一、{{r|御一体|ごいったい}}{{r|唯一|ゆいいつ}}の{{r|天主|デウス}}を{{r|敬|うやま}}い{{r|尊|たっと}}び{{r|奉|まつ}}るべきである。<br />
::第二、{{r|天主、神|てんしゅ、かみ}}の{{r|尊|たっと}}き{{r|御名|みな}}に{{ruby|懸|かけ}}て{{ruby|虚|むな}}しき{{ruby|誓|ちか}}いをすべきではありません。<br />
::第三、{{ruby|御祝日|ごしゅくにち}}を{{r|務|つと}}め{{r|守|まも}}るべきです。
::第四、{{ruby|父母|ふぼ}}に{{ruby|孝行|こう〱}}すべきです。
::第五、{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}すべきではありません。
::第六、{{ruby|邪淫|じゃいん}}を{{r|犯|をか}}すべきではありません。
::第七、{{ruby|偸盗|ちゅうとう}}<ref>{{ruby|窃盗|せっとう}}</ref>をすべきではありません。
::第八、人に{{ruby|讒言|ざんげん}}<ref>人を{{r|陥|おとしい}}れる{{ruby|偽証|ぎしょう}}</ref>を{{ruby|懸|かけ}}るべきではありません。
::第九、{{ruby|他|た}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}するべきではありません。
::第十、{{ruby|他持|たもつ}}をみだりに{{ruby|望|のぞ}}むべきではありません。
{{ruby|上此|うえこの}}{{ruby|十箇条|じっかじょう}}はすべからく{{ruby|二箇条|にかじょう}}に{{ruby|極|きわ}}まるのである{{ruby|一|ひと}}つには{{ruby|御一体|ごいったい}}<ref>{{ruby|唯一|ゆいいつ}}</ref>の{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>羅葡日辞書、カリタスの{{r|聖愛|せいあい}}「Charitas」={{r|大切、懇切|たいせつ、こんせつ}}</ref>{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}ろうべきこと、{{ruby|二|ふた}}つには{{ruby|我身|わがみ}}のように{{ruby|隣人|りんじん}}<ref>「ポロシモ=Proximo」「{{r|隣人|りんじん}}」羅葡日辞書「近寄る、最も近しい人」</ref>を{{r|思|おも}}えと云うこと{{r|此|こ}}れである。
弟 {{ruby|第一|だいいち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をどのような{{ruby|仕方|しかた}}で{{ruby|務|つと}}め{{ruby|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}の{{ruby|天主神|デウス}}は{{ruby|唯一|ゆいいつ}}{{ruby|御一体|ごいったい}}と{{r|拝|おが}}み{{ruby|仕奉|つかえまつ}}り{{ruby|御奉公|ごほうこう}}を{{ruby|抜出|ぬきんで}}て{{r|遣|や}}って{{ruby|我|われ}}らが{{ruby|御効力|ごこうりょく}}と{{ruby|御返報|ごへんぽう}}を{{ruby|頼|たの}}もしく{{ruby|待仕奉|まちつかえまつ}}り{{ruby|我等|われら}}が{{ruby|吉事|きちじ}}の{{ruby|源|みなもと}}にて{{ruby|在|いま}}しませれば{{ruby|此等|これら}}のことをたのみ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきであるのです、また{{ruby|御作像|ごさくぞう}}のものを{{ruby|至高|しこう}}の{{ruby|天主神|デウス}}のように{{ruby|敬|うやま}}わないことを{{r|以|も}}って{{ruby|此律法|このりっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つものです。<br />
弟 {{ruby|第二|だいに}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{r|如何云|どうい}}うように{{r|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}と{{ruby|善|ぜん}}のためと{{r|要|い}}るべき{{r|時|とき}}よりほかは{{r|誓|ちか}}いをするべきではないことを以ってこの{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{r|全|まっと}}うするべきです。<br />
弟 {{ruby|真|まこと}}に{{ruby|誓|ちか}}いをするとは{{ruby|如何云|どうい}}うことなのですか?<br />
師 {{ruby|偽|いつ}}わりと{{ruby|知|し}}りながら{{ruby|宣誓文|せんせいもん}}をすることまたは{{ruby|真|まこと}}か{{ruby|偽|いつ}}わりかと{{ruby|疑|うた}}がわしいことに{{ruby|誓|ちか}}いをすることは{{ruby|天主神|デウス}}に{{ruby|虚言|きょごん}}の{{ruby|証拠|しょうこ}}に{{ruby|立申|たてもう}}すことによってたとえ{{ruby|軽|かろ}}き{{ruby|題目(命題)|だいもく(めいだい)}}であるというとも{{ruby|Mortal致命的咎|ちめいてきとが}}となることがあるのです。<br />
弟 {{ruby|善|ぜん}}のために{{ruby|誓文|せいもん}}するとは{{r|如何成|いかゞな}}ることがらなのですか<br />
師 たとえば{{r|真|まこと}}であることを{{ruby|誓文|せいもん}}をすると云うとも{{r|善|よ}}きことにあらずんバ、その{{ruby|題目|だいもく}}によって{{r|Mortal咎|ちめいてきとが}}か{{r|ベニアル科|ゆるしえるとが}}になるものである。たとえばモルタル{{r|咎|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとのとの{{ruby|誓|ちか}}いを為さばモルタル{{r|咎|とが}}になり、ベニアル{{r|科|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとの{{ruby|誓|ちか}}いを{{r|為|な}}さばベニアル{{r|科|とが}}となるものです。<br />
弟 {{ruby|要|い}}るべき{{r|時|とき}}とは{{r|如何云|どうい}}うことでしょうか?<br />
師 たとえても{{ruby|真実善|しんじつよ}}いことに{{ruby|誓文|せいもん}}するといえども{{ruby|要|い}}らざる{{r|時|とき}}に{{r|誓|ちか}}いをなすㇵことによりて{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}にはならずと{{r|雖|いえど}}も{{r|ベニアル科|ゆるしうるとが}}から{{r|漏|も}}れることが無いことなのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}よりほかに{{r|別|べつ}}の{{ruby|物|もの}}に{{r|懸|か}}けて{{ruby|誓文|せいもん}}することがあり{{r|得|う}}るのですか?<br />
師 {{ruby|中々|なか〱}}ありたとえば<ref>お守りの</ref>クルス・ベアトたちにか又ハ{{r|貴|たっと}}き事に{{r|懸|か}}けてとか、わが{{r|生命|いのち}}にかその{{r|他何|ほかいづ}}れの{{ruby|御作|ごさく}}のものに{{r|懸|か}}けても{{ruby|誓|ちか}}いをする{{r|事|こと}}があり{{r|得|え}}ます。<br />
弟 そら{{ruby|誓文|ぜいもん}}をしないための{{r|頼|たよ}}りとなる{{r|物事|ものごと}}がありますか?<br />
師 つ{{r|祢|ね}}に{{ruby|誓文|せいもん}}をしないようにたしなむ{{ruby|事|こと}}です。<br />
弟 しからばものの{{ruby|実不|じつふ}}を{{ruby|事分|ことわ}}るためにㇵ{{r|如何云|いかゞい}}うべきでしょうか?<br />
師 {{r|或|ある}}いは{{r|真実又|しんじつまた}}ㇵ{{ruby|疑|うたが}}い{{r|無|な}}し{{ruby|必定|ひつじょう}}であるなどと{{r|云|い}}う{{ruby|事葉|ことば}}を{{r|以|も}}って{{ruby|徹|てっ}}するべきです。<br />
弟 {{ruby|第三|だいさん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきですか?<br />
師 これを{{ruby|守|まも}}るに{{ruby|二|ふた}}つの{{ruby|事|こと}}あり{{ruby|一|ひと}}つにㇵ{{r|ドミンゴ|きゅうじつ}}とヱッケレージヤより{{ruby|布令宣|ふれのた}}もう{{ruby|祝日|いわいび}}に{{ruby|職|しょく}}を{{ruby|辞|や}}むる{{ruby|事|こと}}である。{{r|但逃|ただしのが}}れ{{r|得|え}}ぬ{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|所作・業務|わざ・ぎょうむ}}をしても{{ruby|咎|とが}}にはならない{{ruby|事|こと}}あり、{{ruby|二|ふた}}つにㇵ{{ruby|彼様|かよう}}の{{ruby|日|ひ}}にㇵ{{ruby|一座|いちざ}}のミイサを{{ruby|始|はじ}}めより{{ruby|終|を}}わりまで{{ruby|拝|おが}}み{{ruby|申|もう}}す{{ruby|事|こと}}であり、これを{{ruby|煩|わずら}}いか{{ruby|最|もっと}}もである{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|拝|おが}}まずしても{{ruby|咎|とが}}にㇵならず、これらの{{ruby|子細|しさい}}ㇵ{{ruby|以後|いご}}ヱッケレージヤの{{ruby|五|いつ}}つの{{ruby|まん多‟めんと|おきて}}のうちに{{ruby|現|あら}}ㇵすべきであればそれをよく{{ruby|見|み}}るべきです。<br />
弟 {{ruby|第四|だいよん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|親|おや}}によく{{ruby|従|した}}がい{{ruby|孝行|こう〱}}を{{ruby|致|いた}}し{{ruby|敬|うやま}}いをなすようにある{{ruby|時|とき}}は{{ruby|力|ちから}}を{{ruby|添|そ}}える{{ruby|事又人|ことまたひと}}の{{ruby|下人|げにん}}である{{ruby|者|もの}}ㇵその{{ruby|身|み}}の{{ruby|主人|しゅじん}}その{{ruby|他司|ほかつかさ}}である{{ruby|人々|ひと〲}}に{{ruby|従|した}}がうことに{{ruby|揺|ゆる}}がせなきを{{r|以|も}}って{{ruby|比|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|守|まも}}るべきものなのです。<br />
弟 {{ruby|父母主人|ぷもしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎|とが}}となる{{ruby|事|こと}}をせよと{{r|云|い}}いつけられる{{r|時|とき}}には{{ruby|従|した}}がうべきですか?<br />
師 {{ruby|親主人|おやしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}によく{{ruby|従|した}}がえと云う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}にならないことを{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}であり、{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|みおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|奉|まつ}}れと{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}にㇵそれは{{r|拘束|こうそく}}はありません。<br />
弟 {{ruby|第五|だいご}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}にば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|守|まも}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|仇|あだ}}をなさず{{ruby|害|がい}}をせず{{ruby|傷|きず}}を{{ruby|付|つ}}けず{{ruby|比等|これら}}の{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|人|ひと}}のうえに{{ruby|望|のぞ}}まず{{ruby|喜|よろこ}}ばざるを{{ruby|以|も}}って{{ruby|保|たも}}つ{{ruby|者|もの}}であり、その{{ruby|故|ゆえ}}にそれは{{ruby|如何|どう}}してとなれば{{ruby|人|ひと}}ㇵみな{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御写|おうつ}}しに{{ruby|造|つく}}り{{ruby|宣|のたま}}えばそうであるのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|仇|あだ}}をなし{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|又|また}}は{{ruby|害|がい}}する{{ruby|事叶|ことかな}}わずと{{ruby|誡|いまし}}め{{ruby|宣|のたま}}うに{{ruby|於|おい}}ては{{ruby|国家法律|こっかほうりつ}}を{{ruby|治|おさ}}める{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何|いかゞ}}なものであるべきですか?<br />
師 {{ruby|比御|これみ}}{{ruby|掟|おきて}}の{{ruby|箇条|かでう}}を{{ruby|以|も}}ってすぐなる{{ruby|題目|だいもく}}ありとても{{ruby|弓矢|ゆみや}}を{{ruby|執|と}}るべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎人|とがにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事勿|ことなか}}れとの{{ruby|誡|いまし}}めには{{ruby|非|あら}}ず{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|罪人|ざいにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事|こと}}が{{ruby|無|な}}ければその{{ruby|咎|とが}}は{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|懸|か}}かるべきものであり、その{{ruby|此|この}}{{ruby|箇条|かじょう}}ㇵその{{ruby|役|やく}}には{{ruby|当|あた}}らずして{{ruby|無理|むり}}に{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}し{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}すべからずとの{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
弟 {{ruby|主人|しゅじん}}として{{ruby|被官|ひかん}}を{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事|こと}}は{{ruby|叶|かな}}う{{ruby|事|こと}}があってはならない{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|我|わ}}が{{ruby|身代|しんだい}}する{{ruby|者共|ものども}}の{{ruby|犯|をか}}したる{{ruby|咎|とが}}の{{ruby|況中|きょうじゅう}}に{{ruby|従|した}}がい{{ruby|似合|にあ}}いの{{ruby|折檻|せっかん}}を{{ruby|加|くわ}}える{{ruby|事|こと}}が{{ruby|叶|かな}}うと{{ruby|雖|いえ}}ども{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|最|もっと}}も{{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|命題|めいだい}}がある{{ruby|時|とき}}に{{ruby|確|たし}}かに{{ruby|糾明|きゅうめい}}して{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しを{{ruby|持|も}}ちたる{{ruby|人|ひと}}であるに{{ruby|於|を}}いてㇵ{{ruby|苦|くる}}しからざる{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}であります。<br />
弟 {{ruby|最|もっと}}も{{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|目的|もくてき}}と{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|命題|めいだい}}とㇵ{{ruby|万|よろづ}}の{{ruby|折檻|せっかん}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|生命|いのち}}を{{ruby|果|は}}たす{{ruby|事|こと}}が{{ruby|一大事|いちだいじ}}の{{ruby|折檻|せっかん}}であれば{{ruby|深|ふか}}き{{ruby|罪過|あやまち}}なくして{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}は{{ruby|最|もっと}}も{{ruby|非道|ひどう}}である{{ruby|事|こと}}です{{ruby|又人|またひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|道理|どうり}}に{{ruby|外|はず}}れ{{ruby|国家|こっか}}の{{ruby|為|ため}}にならずたゞ{{ruby|上|うえ}}より{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しある{{ruby|人|ひと}}にのみ{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|望|のぞ}}まざれとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|遺恨|いこん}}を{{ruby|含|ふく}}み{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}したく{{ruby|思|おも}}い{{ruby|或|ある}}いㇵ{{ruby|中|なか}}を{{ruby|違|たが}}い{{ruby|言葉|ことば}}を{{ruby|交|か}}わそうとする{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}です。<br />
弟 {{ruby|第六|だいろく}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|保|たも}}つべきなのですか?<br />
師 {{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作|しょさ}}の{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}って{{ruby|男女|だんじょ}}{{ruby|共|とも}}に{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|犯|をか}}すべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|自|みづか}}ら{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{ruby|如何|どう}}して{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}ってとは{{ruby|宣給|のたも}}うのですか?{{ruby|心|こゝろ}}に{{ruby|此|これ}}を{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|咎|とが}}と{{ruby|見做|みな}}すべきなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|心中|しんちゅう}}に{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|咎|とが}}であるけれどもそれは{{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|マンダメント|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{r|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つために{{ruby|頼|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何云|どうい}}うようなことがあるのでしょうか?<br />
師 {{ruby|御主|をんあるじ}}{{ruby|天主神|デウス}}より{{ruby|夫婦|ふうふ}}の{{ruby|御定|おんさだ}}めを{{ruby|第一|だいいち}}に{{ruby|為|な}}し{{ruby|宣給|のたま}}いその{{ruby|他|ホか}}{{ruby|余多|あまた}}の{{ruby|事|こと}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|食物|くひもの}}{{r|飲物|のミもの}}を{{ruby|飽迄|阿くま}}でにせざる{{ruby|事|こと}}{{ruby|悪|あ}}しき{{ruby|友|トも}}と{{ruby|交|まじわ}}りを{{ruby|辞|やむる}}{{ruby|事|こと}}{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}や{{ruby|恋|こい}}の{{ruby|冊子|さうし}}を{{ruby|読|よま}}ず{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}い{{ruby|等|とう}}{{ruby|歌|うた}}わず{{ruby|可能|かのう}}に{{ruby|於|をひ}}てㇵ{{ruby|聴|きか}}ざる{{ruby|事|こと}}です{{ruby|尚|なを}}{{ruby|肝要|かんよう}}な{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}ふことㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たもつ}}べきために{{ruby|御阿るじ|をんあるじ}}{{ruby|天主|デウス}}へ{{ruby|御力|みちから}}を{{ruby|頼|たの}}ミ{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}に{{ruby|陥|おちい}}る{{ruby|便|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|退|しりぞ}}くべき{{ruby|事|こと}}であることなのです。<br />
弟 {{ruby|第七|だいなな}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何遣|どうや}}って{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|何|なに}}なりともその{{ruby|主|ぬし}}の{{ruby|同心|どうしん}}なくして{{ruby|取|と}}る{{ruby|事|こと}}も{{r|留|とゞ}}め{{ruby|置|を}}く{{ruby|事|こと}}もあるべきではなく、{{ruby|人|ひと}}にもこれらの{{ruby|事|こと}}を{{ruby|勧|すゝ}}めずその{{ruby|協力|きょう里ょく}}をもせずその{{ruby|便|たよ}}りともなるべきではありません。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|物|もの}}を{{ruby|盗|ぬすみ}}たく{{ruby|思|おも}}う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|比|この}}{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|咎|と可‟}}ではないものなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|咎|とが}}なれどもそれは{{ruby|第十箇条目|だいじゅっかでうめ}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}です。<br />
弟 {{ruby|第八|だいはち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何云|どうい}}うようにと{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|讒言|ざんげん}}を{{ruby|云掛|いいか}}けず{{ruby|謗|そし}}らず{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|隠|かく}}れたる{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|現|あら}}わすべからず、であると{{ruby|雖|いえど}}もその{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|引返|ひきかえ}}さぬべき{{ruby|心|こころ}}あてにて{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|告知|つげし}}らせ{{ruby|申事|もうすこと}}ハ{{ruby|可能|かのう}}なら{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|邪推|じゃすい}}せず{{ruby|虚言|きょごん}}を{{ruby|云|い}}うべきではありません。<br />
弟 {{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|分別|ふんべつ}}{{ruby|致|いた}}すべきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}せず、その{{ruby|他|ほか}}{{r|恋慕|れんぼ}}に{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|望|のぞ}}むべからず、{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|妄念|まうねん}}に{{ruby|組|くみ}}せず{{ruby|又|また}}ㇵそれに{{ruby|喜|よろこ}}び{{ruby|執着|しうぢゃく}}する{{r|事|こと}}もあるべきことではないことです。<br />
弟 {{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|念|ねん}}の{{ruby|起|をこ}}る{{ruby|度毎|たびごと}}に{{ruby|科|とが}}となりますか?<br />
師 その{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}にあらず、その{{ruby|念|ねん}}を{{ruby|喜|よろこ}}ばず、それを{{ruby|棄|すて}}る{{ruby|時|とき}}ㇵ{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|功力|くりき}}の({{r|功徳|くどく}})となるものである。{{ruby|若|も}}し{{ruby|又|また}}その{{ruby|念|ねん}}に{{ruby|同心|どうしん}}せずと云えども{{ruby|心|こころ}}に{{ruby|止|とゞ}}めてそれを{{ruby|思出|おもいだ}}して{{ruby|喜|よろこ}}ぶときㇵ{{ruby|科|と可‟}}となるのです。<br />
弟 {{ruby|第十|だいじゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|心得|こころう}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|乱用|みだり}}に{{ruby|望|のぞ}}むべからずと{{r|云|い}}います。<br />
弟 {{ruby|今比十|いまこのじ}}{{ruby|箇条|っかじょう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}ㇵ{{ruby|二|ふた}}つに{{ruby|極|きわ}}まると{{r|云|い}}える{{ruby|事|こと}}を{{ruby|示|しめ}}し{{ruby|宣|のた}}まへ。その{{ruby|二|ふた}}つとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
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弟 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}をば{{ruby|如何|どの}}ように{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>Charitasの無私心の「愛」や「慈善」である。</ref>に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|財宝|ざいほう}}{{ruby|名誉|めいよ}}{{ruby|父母|ぷも}}{{ruby|身命|しんみょう}}これらの{{ruby|事|こと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|仕奉|つかえまつ}}らずしてたゞ{{ruby|一辺倒|いっぺんとう}}に{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}い{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るに{{ruby|極|きわ}}まるのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}を{{ruby|保|たも}}つための{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|何|いづ}}れでありますか?<br />
師 その{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|大|おおき}}いのである。{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|寝屋|ねや}}を{{ruby|起上|おきあが}}りてよりは{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御恩|ごおん}}と{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|出|いだ}}し{{ruby|御礼|おんれい}}を{{ruby|申上|もうしあ}}げ{{ruby|奉|まつ}}るべきです。{{ruby|又|また}}その{{ruby|日|ひ}}に{{ruby|御掟|ごおきて}}てに{{ruby|背|そむ}}かずして{{ruby|御内照(証)|ごないしょう}}<ref>ラテン語、secretum, arcanum</ref>に{{ruby|従|した}}がい{{ruby|身|み}}を{{ruby|修|をさ}}むるために{{ruby|御守|おんまも}}りを{{ruby|頼|たの}}み{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申挙|もうしあ}}げるべきです。<br />
弟 {{ruby|寝様|ねざま}}にも{{ruby|怠|おこた}}らずその{{ruby|本分|ほんぶん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{r|為|た}}めにㇵ{{ruby|何事|なにごと}}を{{ruby|為|な}}すべきでしょうか?<br />
師 {{ruby|先|ま}}づ{{ruby|寝様|ねざま}}にその{{ruby|日|ひ}}の{{ruby|心|こころ}}と{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作(仕業)|しょさ(しわざ)}}の{{ruby|糾明|きゅうめい}}をし{{ruby|後悔|こうかい}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|犯|をか}}せる{{ruby|科|とが}}の{{ruby|赦|ゆる}}しを{{ruby|乞|こ}}い{{ruby|奉|たてまつ}}り{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|功力|くりき}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|身代|しんだい}}を{{ruby|改|あらた}}めんと{{ruby|思定|おもいさだ}}め{{ruby|似合|にあ}}いの{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申上|もうしあ}}ぐべき{{ruby|事|こと}}であるのです。<br />
弟 {{ruby|ポロシモ(Proximo)|りんじん}}<ref>ラテン語「最も近き者」</ref>である{{ruby|人|ひと}}をばわが{{ruby|身|}}の{{ruby|如|}}くにとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|思|}}うべきですか?<br />
師 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がって{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|善|よ}}き{{ruby|事|こと}}を{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}しても{{ruby|望|のぞ}}むべきものです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がってとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 こゝに{{ruby|子細|しさい}}あり{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|背|そむ}}きて{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|何事|なにごと}}であろうとも{{ruby|望|のぞ}}むときにㇵ{{ruby|例|たと}}え{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}むことある{{ruby|間敷|まじ}}き{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}うとも{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|思|おも}}うのではなくして、たゞ{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|事|こと}}です。
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wikitext
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{{ruby||}}{{Pathnav|Wikisource:宗教|どちりな・きりしたん|=hide=1}}
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|title={{r|第七|だいしち}} DS(デウス)の{{r|御|をん}}おきて{{ruby|十|とお}}のまんだめんとすの{{r|事|こと}} {{r|二十五|にじゅうご}}
|year=慶長5年、西暦1,600
|author=マルコス・ジョルジュ
|notes=原文は変体形の平仮名が多く普通仮名に変換しましたが、変体仮名を残したところもあります。漢字はこちらで解釈して作った物です。出典は風間書房刊のドチリナの写真版ローマ・カサナテンセ図書館蔵西暦1,600年慶長五年版のものを「校本ドチリナ」で読み解いていたものです。
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{{r|第七|だいしち}} {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|十|とお}}のまん多‟めんとす<ref>{{r|十誡|じっかい}}</ref>の{{r|事|こと}} {{ruby|二十五|にじゅうご}}
DAIXICHI DEUSNO GOVOQITENO TOVONO MANDAMENTOS NO COTO
弟 {{ruby|上|うえ}}にㇵ{{ruby|早能|はやよく}}{{ruby|達|たっ}}して{{ruby|天主神|デウス}}へものを{{r|乞|こ}}い{{r|奉|まつ}}り{{ruby|信|しんじ}}じ{{r|奉|まつ}}るために{{ruby|肝要|かんよう}}である{{ruby|意義|いぎ}}を{{ruby|現|あら}}わし{{ruby|宣|のたま}}いしなのです、{{ruby|今又|いままた}}{{ruby|善|ぜん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{ruby|道|みち}}を{{ruby|教|をし}}え{{ruby|宣|のたま}}え
師 (身持ちを)保つ為に{{r|天主神|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}と{{r|サンタ・エケレジヤ|Sancta-Ecclesia}}の{{r|まん多‟めんと|りつりょう}}を{{r|知|し}}り{{r|同|おな}}じく{{r|罪|つみ}}を{{r|退|しりぞ}}けるために{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}を知る{{r|事専|こともっぱら}}({{r|専用、肝心重要|せんよう、かんじんじゅうよう}})のことなのだからです。<br />
弟 {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|如何|いかな}}るものなのですか?<br />
師 {{r|万民|ばんみん}}これを{{r|保|たも}}つべきために{{r|御|をん}}あるじ{{r|天主神|デウス}}から{{r|直|じき}}に{{r|授|さづ}}け{{r|宣|のたま}}う{{r|御掟|をんおきて}}の{{ruby|条々|じょう〲}}であるからですので{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|御掟|をんおきて}}のことです。<br />
弟 {{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とㇵ{{r|何箇条|なんかじょう}}ありますか?<br />
師 {{r|十箇条|じっかじょう}}あり、これ{{r|二|ふた}}つに{{r|分|わ}}ける{{r|初|はじ}}めの{{r|三箇条|さんかじょう}}は{{r|御主|をんあるじ}}{{r|天主神|デウス}}に対し{{r|奉|まつ}}りて{{r|勉|つとむ}}べきを{{r|教|おし}}え{{r|今七箇条|いまななかじょう}}は{{r|人|ひと}}に{{r|対|たい}}しての{{r|道|みち}}を{{r|教|おし}}えるためのものなのです。<br />
::::○{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんとす|りっぽう}}<br />
::第一、{{r|御一体|ごいったい}}{{r|唯一|ゆいいつ}}の{{r|天主|デウス}}を{{r|敬|うやま}}い{{r|尊|たっと}}び{{r|奉|まつ}}るべきである。<br />
::第二、{{r|天主、神|てんしゅ、かみ}}の{{r|尊|たっと}}き{{r|御名|みな}}に{{ruby|懸|かけ}}て{{ruby|虚|むな}}しき{{ruby|誓|ちか}}いをすべきではありません。<br />
::第三、{{ruby|御祝日|ごしゅくにち}}を{{r|務|つと}}め{{r|守|まも}}るべきです。
::第四、{{ruby|父母|ふぼ}}に{{ruby|孝行|こう〱}}すべきです。
::第五、{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}すべきではありません。
::第六、{{ruby|邪淫|じゃいん}}を{{r|犯|をか}}すべきではありません。
::第七、{{ruby|偸盗|ちゅうとう}}<ref>{{ruby|窃盗|せっとう}}</ref>をすべきではありません。
::第八、人に{{ruby|讒言|ざんげん}}<ref>人を{{r|陥|おとしい}}れる{{ruby|偽証|ぎしょう}}</ref>を{{ruby|懸|かけ}}るべきではありません。
::第九、{{ruby|他|た}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}するべきではありません。
::第十、{{ruby|他持|たもつ}}をみだりに{{ruby|望|のぞ}}むべきではありません。
{{ruby|上此|うえこの}}{{ruby|十箇条|じっかじょう}}はすべからく{{ruby|二箇条|にかじょう}}に{{ruby|極|きわ}}まるのである{{ruby|一|ひと}}つには{{ruby|御一体|ごいったい}}<ref>{{ruby|唯一|ゆいいつ}}</ref>の{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>羅葡日辞書、カリタスの{{r|聖愛|せいあい}}「Charitas」={{r|大切、懇切|たいせつ、こんせつ}}</ref>{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}ろうべきこと、{{ruby|二|ふた}}つには{{ruby|我身|わがみ}}のように{{ruby|隣人|りんじん}}<ref>「ポロシモ=Proximo」「{{r|隣人|りんじん}}」羅葡日辞書「近寄る、最も近しい人」</ref>を{{r|思|おも}}えと云うこと{{r|此|こ}}れである。
弟 {{ruby|第一|だいいち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をどのような{{ruby|仕方|しかた}}で{{ruby|務|つと}}め{{ruby|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}の{{ruby|天主神|デウス}}は{{ruby|唯一|ゆいいつ}}{{ruby|御一体|ごいったい}}と{{r|拝|おが}}み{{ruby|仕奉|つかえまつ}}り{{ruby|御奉公|ごほうこう}}を{{ruby|抜出|ぬきんで}}て{{r|遣|や}}って{{ruby|我|われ}}らが{{ruby|御効力|ごこうりょく}}と{{ruby|御返報|ごへんぽう}}を{{ruby|頼|たの}}もしく{{ruby|待仕奉|まちつかえまつ}}り{{ruby|我等|われら}}が{{ruby|吉事|きちじ}}の{{ruby|源|みなもと}}にて{{ruby|在|いま}}しませれば{{ruby|此等|これら}}のことをたのみ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきであるのです、また{{ruby|御作像|ごさくぞう}}のものを{{ruby|至高|しこう}}の{{ruby|天主神|デウス}}のように{{ruby|敬|うやま}}わないことを{{r|以|も}}って{{ruby|此律法|このりっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つものです。<br />
弟 {{ruby|第二|だいに}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{r|如何云|どうい}}うように{{r|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}と{{ruby|善|ぜん}}のためと{{r|要|い}}るべき{{r|時|とき}}よりほかは{{r|誓|ちか}}いをするべきではないことを以ってこの{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{r|全|まっと}}うするべきです。<br />
弟 {{ruby|真|まこと}}に{{ruby|誓|ちか}}いをするとは{{ruby|如何云|どうい}}うことなのですか?<br />
師 {{ruby|偽|いつ}}わりと{{ruby|知|し}}りながら{{ruby|宣誓文|せんせいもん}}をすることまたは{{ruby|真|まこと}}か{{ruby|偽|いつ}}わりかと{{ruby|疑|うた}}がわしいことに{{ruby|誓|ちか}}いをすることは{{ruby|天主神|デウス}}に{{ruby|虚言|きょごん}}の{{ruby|証拠|しょうこ}}に{{ruby|立申|たてもう}}すことによってたとえ{{ruby|軽|かろ}}き{{ruby|題目(命題)|だいもく(めいだい)}}であるというとも{{ruby|Mortal致命的咎|ちめいてきとが}}となることがあるのです。<br />
弟 {{ruby|善|ぜん}}のために{{ruby|誓文|せいもん}}するとは{{r|如何成|いかゞな}}ることがらなのですか<br />
師 たとえば{{r|真|まこと}}であることを{{ruby|誓文|せいもん}}をすると云うとも{{r|善|よ}}きことにあらずんバ、その{{ruby|題目|だいもく}}によって{{r|Mortal咎|ちめいてきとが}}か{{r|ベニアル科|ゆるしえるとが}}になるものである。たとえばモルタル{{r|咎|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとのとの{{ruby|誓|ちか}}いを為さばモルタル{{r|咎|とが}}になり、ベニアル{{r|科|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとの{{ruby|誓|ちか}}いを{{r|為|な}}さばベニアル{{r|科|とが}}となるものです。<br />
弟 {{ruby|要|い}}るべき{{r|時|とき}}とは{{r|如何云|どうい}}うことでしょうか?<br />
師 たとえても{{ruby|真実善|しんじつよ}}いことに{{ruby|誓文|せいもん}}するといえども{{ruby|要|い}}らざる{{r|時|とき}}に{{r|誓|ちか}}いをなすㇵことによりて{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}にはならずと{{r|雖|いえど}}も{{r|ベニアル科|ゆるしうるとが}}から{{r|漏|も}}れることが無いことなのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}よりほかに{{r|別|べつ}}の{{ruby|物|もの}}に{{r|懸|か}}けて{{ruby|誓文|せいもん}}することがあり{{r|得|う}}るのですか?<br />
師 {{ruby|中々|なか〱}}ありたとえば<ref>お守りの</ref>クルス・ベアトたちにか又ハ{{r|貴|たっと}}き事に{{r|懸|か}}けてとか、わが{{r|生命|いのち}}にかその{{r|他何|ほかいづ}}れの{{ruby|御作|ごさく}}のものに{{r|懸|か}}けても{{ruby|誓|ちか}}いをする{{r|事|こと}}があり{{r|得|え}}ます。<br />
弟 そら{{ruby|誓文|ぜいもん}}をしないための{{r|頼|たよ}}りとなる{{r|物事|ものごと}}がありますか?<br />
師 つ{{r|祢|ね}}に{{ruby|誓文|せいもん}}をしないようにたしなむ{{ruby|事|こと}}です。<br />
弟 しからばものの{{ruby|実不|じつふ}}を{{ruby|事分|ことわ}}るためにㇵ{{r|如何云|いかゞい}}うべきでしょうか?<br />
師 {{r|或|ある}}いは{{r|真実又|しんじつまた}}ㇵ{{ruby|疑|うたが}}い{{r|無|な}}し{{ruby|必定|ひつじょう}}であるなどと{{r|云|い}}う{{ruby|事葉|ことば}}を{{r|以|も}}って{{ruby|徹|てっ}}するべきです。<br />
弟 {{ruby|第三|だいさん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきですか?<br />
師 これを{{ruby|守|まも}}るに{{ruby|二|ふた}}つの{{ruby|事|こと}}あり{{ruby|一|ひと}}つにㇵ{{r|ドミンゴ|きゅうじつ}}とヱッケレージヤより{{ruby|布令宣|ふれのた}}もう{{ruby|祝日|いわいび}}に{{ruby|職|しょく}}を{{ruby|辞|や}}むる{{ruby|事|こと}}である。{{r|但逃|ただしのが}}れ{{r|得|え}}ぬ{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|所作・業務|わざ・ぎょうむ}}をしても{{ruby|咎|とが}}にはならない{{ruby|事|こと}}あり、{{ruby|二|ふた}}つにㇵ{{ruby|彼様|かよう}}の{{ruby|日|ひ}}にㇵ{{ruby|一座|いちざ}}のミイサを{{ruby|始|はじ}}めより{{ruby|終|を}}わりまで{{ruby|拝|おが}}み{{ruby|申|もう}}す{{ruby|事|こと}}であり、これを{{ruby|煩|わずら}}いか{{ruby|最|もっと}}もである{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|拝|おが}}まずしても{{ruby|咎|とが}}にㇵならず、これらの{{ruby|子細|しさい}}ㇵ{{ruby|以後|いご}}ヱッケレージヤの{{ruby|五|いつ}}つの{{ruby|まん多‟めんと|おきて}}のうちに{{ruby|現|あら}}ㇵすべきであればそれをよく{{ruby|見|み}}るべきです。<br />
弟 {{ruby|第四|だいよん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|親|おや}}によく{{ruby|従|した}}がい{{ruby|孝行|こう〱}}を{{ruby|致|いた}}し{{ruby|敬|うやま}}いをなすようにある{{ruby|時|とき}}は{{ruby|力|ちから}}を{{ruby|添|そ}}える{{ruby|事又人|ことまたひと}}の{{ruby|下人|げにん}}である{{ruby|者|もの}}ㇵその{{ruby|身|み}}の{{ruby|主人|しゅじん}}その{{ruby|他司|ほかつかさ}}である{{ruby|人々|ひと〲}}に{{ruby|従|した}}がうことに{{ruby|揺|ゆる}}がせなきを{{r|以|も}}って{{ruby|比|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|守|まも}}るべきものなのです。<br />
弟 {{ruby|父母主人|ぷもしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎|とが}}となる{{ruby|事|こと}}をせよと{{r|云|い}}いつけられる{{r|時|とき}}には{{ruby|従|した}}がうべきですか?<br />
師 {{ruby|親主人|おやしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}によく{{ruby|従|した}}がえと云う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}にならないことを{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}であり、{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|みおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|奉|まつ}}れと{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}にㇵそれは{{r|拘束|こうそく}}はありません。<br />
弟 {{ruby|第五|だいご}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}にば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|守|まも}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|仇|あだ}}をなさず{{ruby|害|がい}}をせず{{ruby|傷|きず}}を{{ruby|付|つ}}けず{{ruby|比等|これら}}の{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|人|ひと}}のうえに{{ruby|望|のぞ}}まず{{ruby|喜|よろこ}}ばざるを{{ruby|以|も}}って{{ruby|保|たも}}つ{{ruby|者|もの}}であり、その{{ruby|故|ゆえ}}にそれは{{ruby|如何|どう}}してとなれば{{ruby|人|ひと}}ㇵみな{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御写|おうつ}}しに{{ruby|造|つく}}り{{ruby|宣|のたま}}えばそうであるのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|仇|あだ}}をなし{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|又|また}}は{{ruby|害|がい}}する{{ruby|事叶|ことかな}}わずと{{ruby|誡|いまし}}め{{ruby|宣|のたま}}うに{{ruby|於|おい}}ては{{ruby|国家法律|こっかほうりつ}}を{{ruby|治|おさ}}める{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何|いかゞ}}なものであるべきですか?<br />
師 {{ruby|比御|これみ}}{{ruby|掟|おきて}}の{{ruby|箇条|かでう}}を{{ruby|以|も}}ってすぐなる{{ruby|題目|だいもく}}ありとても{{ruby|弓矢|ゆみや}}を{{ruby|執|と}}るべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎人|とがにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事勿|ことなか}}れとの{{ruby|誡|いまし}}めには{{ruby|非|あら}}ず{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|罪人|ざいにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事|こと}}が{{ruby|無|な}}ければその{{ruby|咎|とが}}は{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|懸|か}}かるべきものであり、その{{ruby|此|この}}{{ruby|箇条|かじょう}}ㇵその{{ruby|役|やく}}には{{ruby|当|あた}}らずして{{ruby|無理|むり}}に{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}し{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}すべからずとの{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
弟 {{ruby|主人|しゅじん}}として{{ruby|被官|ひかん}}を{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事|こと}}は{{ruby|叶|かな}}う{{ruby|事|こと}}があってはならない{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|我|わ}}が{{ruby|身代|しんだい}}する{{ruby|者共|ものども}}の{{ruby|犯|をか}}したる{{ruby|咎|とが}}の{{ruby|況中|きょうじゅう}}に{{ruby|従|した}}がい{{ruby|似合|にあ}}いの{{ruby|折檻|せっかん}}を{{ruby|加|くわ}}える{{ruby|事|こと}}が{{ruby|叶|かな}}うと{{ruby|雖|いえ}}ども{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|最|もっと}}も{{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|命題|めいだい}}がある{{ruby|時|とき}}に{{ruby|確|たし}}かに{{ruby|糾明|きゅうめい}}して{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しを{{ruby|持|も}}ちたる{{ruby|人|ひと}}であるに{{ruby|於|を}}いてㇵ{{ruby|苦|くる}}しからざる{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}であります。<br />
弟 {{ruby|最|もっと}}も{{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|目的|もくてき}}と{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|命題|めいだい}}とㇵ{{ruby|万|よろづ}}の{{ruby|折檻|せっかん}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|生命|いのち}}を{{ruby|果|は}}たす{{ruby|事|こと}}が{{ruby|一大事|いちだいじ}}の{{ruby|折檻|せっかん}}であれば{{ruby|深|ふか}}き{{ruby|罪過|あやまち}}なくして{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}は{{ruby|最|もっと}}も{{ruby|非道|ひどう}}である{{ruby|事|こと}}です{{ruby|又人|またひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|道理|どうり}}に{{ruby|外|はず}}れ{{ruby|国家|こっか}}の{{ruby|為|ため}}にならずたゞ{{ruby|上|うえ}}より{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しある{{ruby|人|ひと}}にのみ{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|望|のぞ}}まざれとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|遺恨|いこん}}を{{ruby|含|ふく}}み{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}したく{{ruby|思|おも}}い{{ruby|或|ある}}いㇵ{{ruby|中|なか}}を{{ruby|違|たが}}い{{ruby|言葉|ことば}}を{{ruby|交|か}}わそうとする{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}です。<br />
弟 {{ruby|第六|だいろく}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|保|たも}}つべきなのですか?<br />
師 {{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作|しょさ}}の{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}って{{ruby|男女|だんじょ}}{{ruby|共|とも}}に{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|犯|をか}}すべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|自|みづか}}ら{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{ruby|如何|どう}}して{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}ってとは{{ruby|宣給|のたも}}うのですか?{{ruby|心|こゝろ}}に{{ruby|此|これ}}を{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|咎|とが}}と{{ruby|見做|みな}}すべきなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|心中|しんちゅう}}に{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|咎|とが}}であるけれどもそれは{{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|マンダメント|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{r|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つために{{ruby|頼|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何云|どうい}}うようなことがあるのでしょうか?<br />
師 {{ruby|御主|をんあるじ}}{{ruby|天主神|デウス}}より{{ruby|夫婦|ふうふ}}の{{ruby|御定|おんさだ}}めを{{ruby|第一|だいいち}}に{{ruby|為|な}}し{{ruby|宣給|のたま}}いその{{ruby|他|ホか}}{{ruby|余多|あまた}}の{{ruby|事|こと}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|食物|くひもの}}{{r|飲物|のミもの}}を{{ruby|飽迄|阿くま}}でにせざる{{ruby|事|こと}}{{ruby|悪|あ}}しき{{ruby|友|トも}}と{{ruby|交|まじわ}}りを{{ruby|辞|やむる}}{{ruby|事|こと}}{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}や{{ruby|恋|こい}}の{{ruby|冊子|さうし}}を{{ruby|読|よま}}ず{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}い{{ruby|等|とう}}{{ruby|歌|うた}}わず{{ruby|可能|かのう}}に{{ruby|於|をひ}}てㇵ{{ruby|聴|きか}}ざる{{ruby|事|こと}}です{{ruby|尚|なを}}{{ruby|肝要|かんよう}}な{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}ふことㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たもつ}}べきために{{ruby|御阿るじ|をんあるじ}}{{ruby|天主|デウス}}へ{{ruby|御力|みちから}}を{{ruby|頼|たの}}ミ{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}に{{ruby|陥|おちい}}る{{ruby|便|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|退|しりぞ}}くべき{{ruby|事|こと}}であることなのです。<br />
弟 {{ruby|第七|だいなな}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何遣|どうや}}って{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|何|なに}}なりともその{{ruby|主|ぬし}}の{{ruby|同心|どうしん}}なくして{{ruby|取|と}}る{{ruby|事|こと}}も{{r|留|とゞ}}め{{ruby|置|を}}く{{ruby|事|こと}}もあるべきではなく、{{ruby|人|ひと}}にもこれらの{{ruby|事|こと}}を{{ruby|勧|すゝ}}めずその{{ruby|協力|きょう里ょく}}をもせずその{{ruby|便|たよ}}りともなるべきではありません。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|物|もの}}を{{ruby|盗|ぬすみ}}たく{{ruby|思|おも}}う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|比|この}}{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|咎|と可‟}}ではないものなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|咎|とが}}なれどもそれは{{ruby|第十箇条目|だいじゅっかでうめ}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}です。<br />
弟 {{ruby|第八|だいはち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何云|どうい}}うようにと{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|讒言|ざんげん}}を{{ruby|云掛|いいか}}けず{{ruby|謗|そし}}らず{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|隠|かく}}れたる{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|現|あら}}わすべからず、であると{{ruby|雖|いえど}}もその{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|引返|ひきかえ}}さぬべき{{ruby|心|こころ}}あてにて{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|告知|つげし}}らせ{{ruby|申事|もうすこと}}ハ{{ruby|可能|かのう}}なら{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|邪推|じゃすい}}せず{{ruby|虚言|きょごん}}を{{ruby|云|い}}うべきではありません。<br />
弟 {{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|分別|ふんべつ}}{{ruby|致|いた}}すべきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}せず、その{{ruby|他|ほか}}{{r|恋慕|れんぼ}}に{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|望|のぞ}}むべからず、{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|妄念|まうねん}}に{{ruby|組|くみ}}せず{{ruby|又|また}}ㇵそれに{{ruby|喜|よろこ}}び{{ruby|執着|しうぢゃく}}する{{r|事|こと}}もあるべきことではないことです。<br />
弟 {{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|念|ねん}}の{{ruby|起|をこ}}る{{ruby|度毎|たびごと}}に{{ruby|科|とが}}となりますか?<br />
師 その{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}にあらず、その{{ruby|念|ねん}}を{{ruby|喜|よろこ}}ばず、それを{{ruby|棄|すて}}る{{ruby|時|とき}}ㇵ{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|功力|くりき}}の({{r|功徳|くどく}})となるものである。{{ruby|若|も}}し{{ruby|又|また}}その{{ruby|念|ねん}}に{{ruby|同心|どうしん}}せずと云えども{{ruby|心|こころ}}に{{ruby|止|とゞ}}めてそれを{{ruby|思出|おもいだ}}して{{ruby|喜|よろこ}}ぶときㇵ{{ruby|科|と可‟}}となるのです。<br />
弟 {{ruby|第十|だいじゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|心得|こころう}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|乱用|みだり}}に{{ruby|望|のぞ}}むべからずと{{r|云|い}}います。<br />
弟 {{ruby|今比十|いまこのじ}}{{ruby|箇条|っかじょう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}ㇵ{{ruby|二|ふた}}つに{{ruby|極|きわ}}まると{{r|云|い}}える{{ruby|事|こと}}を{{ruby|示|しめ}}し{{ruby|宣|のた}}まへ。その{{ruby|二|ふた}}つとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}る{{ruby|事|こと}}これであります。<br />
弟 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}をば{{ruby|如何|どの}}ように{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>Charitasの無私心の「愛」や「慈善」である。</ref>に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|財宝|ざいほう}}{{ruby|名誉|めいよ}}{{ruby|父母|ぷも}}{{ruby|身命|しんみょう}}これらの{{ruby|事|こと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|仕奉|つかえまつ}}らずしてたゞ{{ruby|一辺倒|いっぺんとう}}に{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}い{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るに{{ruby|極|きわ}}まるのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}を{{ruby|保|たも}}つための{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|何|いづ}}れでありますか?<br />
師 その{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|大|おおき}}いのである。{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|寝屋|ねや}}を{{ruby|起上|おきあが}}りてよりは{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御恩|ごおん}}と{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|出|いだ}}し{{ruby|御礼|おんれい}}を{{ruby|申上|もうしあ}}げ{{ruby|奉|まつ}}るべきです。{{ruby|又|また}}その{{ruby|日|ひ}}に{{ruby|御掟|ごおきて}}てに{{ruby|背|そむ}}かずして{{ruby|御内照(証)|ごないしょう}}<ref>ラテン語、secretum, arcanum</ref>に{{ruby|従|した}}がい{{ruby|身|み}}を{{ruby|修|をさ}}むるために{{ruby|御守|おんまも}}りを{{ruby|頼|たの}}み{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申挙|もうしあ}}げるべきです。<br />
弟 {{ruby|寝様|ねざま}}にも{{ruby|怠|おこた}}らずその{{ruby|本分|ほんぶん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{r|為|た}}めにㇵ{{ruby|何事|なにごと}}を{{ruby|為|な}}すべきでしょうか?<br />
師 {{ruby|先|ま}}づ{{ruby|寝様|ねざま}}にその{{ruby|日|ひ}}の{{ruby|心|こころ}}と{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作(仕業)|しょさ(しわざ)}}の{{ruby|糾明|きゅうめい}}をし{{ruby|後悔|こうかい}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|犯|をか}}せる{{ruby|科|とが}}の{{ruby|赦|ゆる}}しを{{ruby|乞|こ}}い{{ruby|奉|たてまつ}}り{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|功力|くりき}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|身代|しんだい}}を{{ruby|改|あらた}}めんと{{ruby|思定|おもいさだ}}め{{ruby|似合|にあ}}いの{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申上|もうしあ}}ぐべき{{ruby|事|こと}}であるのです。<br />
弟 {{ruby|ポロシモ(Proximo)|りんじん}}<ref>ラテン語「最も近き者」</ref>である{{ruby|人|ひと}}をばわが{{ruby|身|}}の{{ruby|如|}}くにとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|思|}}うべきですか?<br />
師 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がって{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|善|よ}}き{{ruby|事|こと}}を{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}しても{{ruby|望|のぞ}}むべきものです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がってとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 こゝに{{ruby|子細|しさい}}あり{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|背|そむ}}きて{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|何事|なにごと}}であろうとも{{ruby|望|のぞ}}むときにㇵ{{ruby|例|たと}}え{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}むことある{{ruby|間敷|まじ}}き{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}うとも{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|思|おも}}うのではなくして、たゞ{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|事|こと}}です。
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|title={{r|第七|だいしち}} DS(デウス)の{{r|御|をん}}おきて{{ruby|十|とお}}のまんだめんとすの{{r|事|こと}} {{r|二十五|にじゅうご}}
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|author=マルコス・ジョルジュ
|notes=原文は変体形の平仮名が多く普通仮名に変換しましたが、変体仮名を残したところもあります。漢字はこちらで解釈して作った物です。出典は風間書房刊のドチリナの写真版ローマ・カサナテンセ図書館蔵西暦1,600年慶長五年版のものを「校本ドチリナ」で読み解いていたものです。
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DAIXICHI DEUSNO GOVOQITENO TOVONO MANDAMENTOS NO COTO
弟 {{ruby|上|うえ}}にㇵ{{ruby|早能|はやよく}}{{ruby|達|たっ}}して{{ruby|天主神|デウス}}へものを{{r|乞|こ}}い{{r|奉|まつ}}り{{ruby|信|しんじ}}じ{{r|奉|まつ}}るために{{ruby|肝要|かんよう}}である{{ruby|意義|いぎ}}を{{ruby|現|あら}}わし{{ruby|宣|のたま}}いしなのです、{{ruby|今又|いままた}}{{ruby|善|ぜん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{ruby|道|みち}}を{{ruby|教|をし}}え{{ruby|宣|のたま}}え
師 (身持ちを)保つ為に{{r|天主神|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}と{{r|サンタ・エケレジヤ|Sancta-Ecclesia}}の{{r|まん多‟めんと|りつりょう}}を{{r|知|し}}り{{r|同|おな}}じく{{r|罪|つみ}}を{{r|退|しりぞ}}けるために{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}を知る{{r|事専|こともっぱら}}({{r|専用、肝心重要|せんよう、かんじんじゅうよう}})のことなのだからです。<br />
弟 {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|如何|いかな}}るものなのですか?<br />
師 {{r|万民|ばんみん}}これを{{r|保|たも}}つべきために{{r|御|をん}}あるじ{{r|天主神|デウス}}から{{r|直|じき}}に{{r|授|さづ}}け{{r|宣|のたま}}う{{r|御掟|をんおきて}}の{{ruby|条々|じょう〲}}であるからですので{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|御掟|をんおきて}}のことです。<br />
弟 {{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とㇵ{{r|何箇条|なんかじょう}}ありますか?<br />
師 {{r|十箇条|じっかじょう}}あり、これ{{r|二|ふた}}つに{{r|分|わ}}ける{{r|初|はじ}}めの{{r|三箇条|さんかじょう}}は{{r|御主|をんあるじ}}{{r|天主神|デウス}}に対し{{r|奉|まつ}}りて{{r|勉|つとむ}}べきを{{r|教|おし}}え{{r|今七箇条|いまななかじょう}}は{{r|人|ひと}}に{{r|対|たい}}しての{{r|道|みち}}を{{r|教|おし}}えるためのものなのです。<br />
::::○{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんとす|りっぽう}}<br />
::第一、{{r|御一体|ごいったい}}{{r|唯一|ゆいいつ}}の{{r|天主|デウス}}を{{r|敬|うやま}}い{{r|尊|たっと}}び{{r|奉|まつ}}るべきである。<br />
::第二、{{r|天主、神|てんしゅ、かみ}}の{{r|尊|たっと}}き{{r|御名|みな}}に{{ruby|懸|かけ}}て{{ruby|虚|むな}}しき{{ruby|誓|ちか}}いをすべきではありません。<br />
::第三、{{ruby|御祝日|ごしゅくにち}}を{{r|務|つと}}め{{r|守|まも}}るべきです。
::第四、{{ruby|父母|ふぼ}}に{{ruby|孝行|こう〱}}すべきです。
::第五、{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}すべきではありません。
::第六、{{ruby|邪淫|じゃいん}}を{{r|犯|をか}}すべきではありません。
::第七、{{ruby|偸盗|ちゅうとう}}<ref>{{ruby|窃盗|せっとう}}</ref>をすべきではありません。
::第八、人に{{ruby|讒言|ざんげん}}<ref>人を{{r|陥|おとしい}}れる{{ruby|偽証|ぎしょう}}</ref>を{{ruby|懸|かけ}}るべきではありません。
::第九、{{ruby|他|た}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}するべきではありません。
::第十、{{ruby|他持|たもつ}}をみだりに{{ruby|望|のぞ}}むべきではありません。
{{ruby|上此|うえこの}}{{ruby|十箇条|じっかじょう}}はすべからく{{ruby|二箇条|にかじょう}}に{{ruby|極|きわ}}まるのである{{ruby|一|ひと}}つには{{ruby|御一体|ごいったい}}<ref>{{ruby|唯一|ゆいいつ}}</ref>の{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>{{r|羅葡日辞書|らぽにちじしょ}}、カリタスの{{r|聖愛|せいあい}}「Charitas」={{r|大切、懇切|たいせつ、こんせつ}}</ref>{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}ろうべきこと、{{ruby|二|ふた}}つには{{ruby|我身|わがみ}}のように{{ruby|隣人|りんじん}}<ref>「ポロシモ=Proximo」「{{r|隣人|りんじん}}」{{r|羅葡日辞書|らぽにちじしょ}}「{{r|近寄|ちかよ}}る、{{r|最|もっと}}も{{r|近|ちか}}しい{{r|人|ひと}}」</ref>を{{r|思|おも}}えと云うこと{{r|此|こ}}れである。
弟 {{ruby|第一|だいいち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をどのような{{ruby|仕方|しかた}}で{{ruby|務|つと}}め{{ruby|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}の{{ruby|天主神|デウス}}は{{ruby|唯一|ゆいいつ}}{{ruby|御一体|ごいったい}}と{{r|拝|おが}}み{{ruby|仕奉|つかえまつ}}り{{ruby|御奉公|ごほうこう}}を{{ruby|抜出|ぬきんで}}て{{r|遣|や}}って{{ruby|我|われ}}らが{{ruby|御効力|ごこうりょく}}と{{ruby|御返報|ごへんぽう}}を{{ruby|頼|たの}}もしく{{ruby|待仕奉|まちつかえまつ}}り{{ruby|我等|われら}}が{{ruby|吉事|きちじ}}の{{ruby|源|みなもと}}にて{{ruby|在|いま}}しませれば{{ruby|此等|これら}}のことをたのみ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきであるのです、また{{ruby|御作像|ごさくぞう}}のものを{{ruby|至高|しこう}}の{{ruby|天主神|デウス}}のように{{ruby|敬|うやま}}わないことを{{r|以|も}}って{{ruby|此律法|このりっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つものです。<br />
弟 {{ruby|第二|だいに}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{r|如何云|どうい}}うように{{r|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}と{{ruby|善|ぜん}}のためと{{r|要|い}}るべき{{r|時|とき}}よりほかは{{r|誓|ちか}}いをするべきではないことを以ってこの{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{r|全|まっと}}うするべきです。<br />
弟 {{ruby|真|まこと}}に{{ruby|誓|ちか}}いをするとは{{ruby|如何云|どうい}}うことなのですか?<br />
師 {{ruby|偽|いつ}}わりと{{ruby|知|し}}りながら{{ruby|宣誓文|せんせいもん}}をすることまたは{{ruby|真|まこと}}か{{ruby|偽|いつ}}わりかと{{ruby|疑|うた}}がわしいことに{{ruby|誓|ちか}}いをすることは{{ruby|天主神|デウス}}に{{ruby|虚言|きょごん}}の{{ruby|証拠|しょうこ}}に{{ruby|立申|たてもう}}すことによってたとえ{{ruby|軽|かろ}}き{{ruby|題目(命題)|だいもく(めいだい)}}であるというとも{{ruby|Mortal致命的咎|ちめいてきとが}}となることがあるのです。<br />
弟 {{ruby|善|ぜん}}のために{{ruby|誓文|せいもん}}するとは{{r|如何成|いかゞな}}ることがらなのですか<br />
師 たとえば{{r|真|まこと}}であることを{{ruby|誓文|せいもん}}をすると云うとも{{r|善|よ}}きことにあらずんバ、その{{ruby|題目|だいもく}}によって{{r|Mortal咎|ちめいてきとが}}か{{r|ベニアル科|ゆるしえるとが}}になるものである。たとえばモルタル{{r|咎|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとのとの{{ruby|誓|ちか}}いを為さばモルタル{{r|咎|とが}}になり、ベニアル{{r|科|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとの{{ruby|誓|ちか}}いを{{r|為|な}}さばベニアル{{r|科|とが}}となるものです。<br />
弟 {{ruby|要|い}}るべき{{r|時|とき}}とは{{r|如何云|どうい}}うことでしょうか?<br />
師 たとえても{{ruby|真実善|しんじつよ}}いことに{{ruby|誓文|せいもん}}するといえども{{ruby|要|い}}らざる{{r|時|とき}}に{{r|誓|ちか}}いをなすㇵことによりて{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}にはならずと{{r|雖|いえど}}も{{r|ベニアル科|ゆるしうるとが}}から{{r|漏|も}}れることが無いことなのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}よりほかに{{r|別|べつ}}の{{ruby|物|もの}}に{{r|懸|か}}けて{{ruby|誓文|せいもん}}することがあり{{r|得|う}}るのですか?<br />
師 {{ruby|中々|なか〱}}ありたとえば<ref>お{{r|守|まも}}りの</ref>クルス・ベアトたちにか{{r|又|また}}ハ{{r|貴|たっと}}き事に{{r|懸|か}}けてとか、わが{{r|生命|いのち}}にかその{{r|他何|ほかいづ}}れの{{ruby|御作|ごさく}}のものに{{r|懸|か}}けても{{ruby|誓|ちか}}いをする{{r|事|こと}}があり{{r|得|え}}ます。<br />
弟 そら{{ruby|誓文|ぜいもん}}をしないための{{r|頼|たよ}}りとなる{{r|物事|ものごと}}がありますか?<br />
師 つ{{r|祢|ね}}に{{ruby|誓文|せいもん}}をしないようにたしなむ{{ruby|事|こと}}です。<br />
弟 しからばものの{{ruby|実不|じつふ}}を{{ruby|事分|ことわ}}るためにㇵ{{r|如何云|いかゞい}}うべきでしょうか?<br />
師 {{r|或|ある}}いは{{r|真実又|しんじつまた}}ㇵ{{ruby|疑|うたが}}い{{r|無|な}}し{{ruby|必定|ひつじょう}}であるなどと{{r|云|い}}う{{ruby|事葉|ことば}}を{{r|以|も}}って{{ruby|徹|てっ}}するべきです。<br />
弟 {{ruby|第三|だいさん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきですか?<br />
師 これを{{ruby|守|まも}}るに{{ruby|二|ふた}}つの{{ruby|事|こと}}あり{{ruby|一|ひと}}つにㇵ{{r|ドミンゴ|きゅうじつ}}とヱッケレージヤより{{ruby|布令宣|ふれのた}}もう{{ruby|祝日|いわいび}}に{{ruby|職|しょく}}を{{ruby|辞|や}}むる{{ruby|事|こと}}である。{{r|但逃|ただしのが}}れ{{r|得|え}}ぬ{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|所作・業務|わざ・ぎょうむ}}をしても{{ruby|咎|とが}}にはならない{{ruby|事|こと}}あり、{{ruby|二|ふた}}つにㇵ{{ruby|彼様|かよう}}の{{ruby|日|ひ}}にㇵ{{ruby|一座|いちざ}}のミイサを{{ruby|始|はじ}}めより{{ruby|終|を}}わりまで{{ruby|拝|おが}}み{{ruby|申|もう}}す{{ruby|事|こと}}であり、これを{{ruby|煩|わずら}}いか{{ruby|最|もっと}}もである{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|拝|おが}}まずしても{{ruby|咎|とが}}にㇵならず、これらの{{ruby|子細|しさい}}ㇵ{{ruby|以後|いご}}ヱッケレージヤの{{ruby|五|いつ}}つの{{ruby|まん多‟めんと|おきて}}のうちに{{ruby|現|あら}}ㇵすべきであればそれをよく{{ruby|見|み}}るべきです。<br />
弟 {{ruby|第四|だいよん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|親|おや}}によく{{ruby|従|した}}がい{{ruby|孝行|こう〱}}を{{ruby|致|いた}}し{{ruby|敬|うやま}}いをなすようにある{{ruby|時|とき}}は{{ruby|力|ちから}}を{{ruby|添|そ}}える{{ruby|事又人|ことまたひと}}の{{ruby|下人|げにん}}である{{ruby|者|もの}}ㇵその{{ruby|身|み}}の{{ruby|主人|しゅじん}}その{{ruby|他司|ほかつかさ}}である{{ruby|人々|ひと〲}}に{{ruby|従|した}}がうことに{{ruby|揺|ゆる}}がせなきを{{r|以|も}}って{{ruby|比|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|守|まも}}るべきものなのです。<br />
弟 {{ruby|父母主人|ぷもしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎|とが}}となる{{ruby|事|こと}}をせよと{{r|云|い}}いつけられる{{r|時|とき}}には{{ruby|従|した}}がうべきですか?<br />
師 {{ruby|親主人|おやしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}によく{{ruby|従|した}}がえと云う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}にならないことを{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}であり、{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|みおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|奉|まつ}}れと{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}にㇵそれは{{r|拘束|こうそく}}はありません。<br />
弟 {{ruby|第五|だいご}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}にば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|守|まも}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|仇|あだ}}をなさず{{ruby|害|がい}}をせず{{ruby|傷|きず}}を{{ruby|付|つ}}けず{{ruby|比等|これら}}の{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|人|ひと}}のうえに{{ruby|望|のぞ}}まず{{ruby|喜|よろこ}}ばざるを{{ruby|以|も}}って{{ruby|保|たも}}つ{{ruby|者|もの}}であり、その{{ruby|故|ゆえ}}にそれは{{ruby|如何|どう}}してとなれば{{ruby|人|ひと}}ㇵみな{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御写|おうつ}}しに{{ruby|造|つく}}り{{ruby|宣|のたま}}えばそうであるのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|仇|あだ}}をなし{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|又|また}}は{{ruby|害|がい}}する{{ruby|事叶|ことかな}}わずと{{ruby|誡|いまし}}め{{ruby|宣|のたま}}うに{{ruby|於|おい}}ては{{ruby|国家法律|こっかほうりつ}}を{{ruby|治|おさ}}める{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何|いかゞ}}なものであるべきですか?<br />
師 {{ruby|比御|これみ}}{{ruby|掟|おきて}}の{{ruby|箇条|かでう}}を{{ruby|以|も}}ってすぐなる{{ruby|題目|だいもく}}ありとても{{ruby|弓矢|ゆみや}}を{{ruby|執|と}}るべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎人|とがにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事勿|ことなか}}れとの{{ruby|誡|いまし}}めには{{ruby|非|あら}}ず{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|罪人|ざいにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事|こと}}が{{ruby|無|な}}ければその{{ruby|咎|とが}}は{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|懸|か}}かるべきものであり、その{{ruby|此|この}}{{ruby|箇条|かじょう}}ㇵその{{ruby|役|やく}}には{{ruby|当|あた}}らずして{{ruby|無理|むり}}に{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}し{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}すべからずとの{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
弟 {{ruby|主人|しゅじん}}として{{ruby|被官|ひかん}}を{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事|こと}}は{{ruby|叶|かな}}う{{ruby|事|こと}}があってはならない{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|我|わ}}が{{ruby|身代|しんだい}}する{{ruby|者共|ものども}}の{{ruby|犯|をか}}したる{{ruby|咎|とが}}の{{ruby|況中|きょうじゅう}}に{{ruby|従|した}}がい{{ruby|似合|にあ}}いの{{ruby|折檻|せっかん}}を{{ruby|加|くわ}}える{{ruby|事|こと}}が{{ruby|叶|かな}}うと{{ruby|雖|いえ}}ども{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|最|もっと}}も{{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|命題|めいだい}}がある{{ruby|時|とき}}に{{ruby|確|たし}}かに{{ruby|糾明|きゅうめい}}して{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しを{{ruby|持|も}}ちたる{{ruby|人|ひと}}であるに{{ruby|於|を}}いてㇵ{{ruby|苦|くる}}しからざる{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}であります。<br />
弟 {{ruby|最|もっと}}も{{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|目的|もくてき}}と{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|命題|めいだい}}とㇵ{{ruby|万|よろづ}}の{{ruby|折檻|せっかん}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|生命|いのち}}を{{ruby|果|は}}たす{{ruby|事|こと}}が{{ruby|一大事|いちだいじ}}の{{ruby|折檻|せっかん}}であれば{{ruby|深|ふか}}き{{ruby|罪過|あやまち}}なくして{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}は{{ruby|最|もっと}}も{{ruby|非道|ひどう}}である{{ruby|事|こと}}です{{ruby|又人|またひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|道理|どうり}}に{{ruby|外|はず}}れ{{ruby|国家|こっか}}の{{ruby|為|ため}}にならずたゞ{{ruby|上|うえ}}より{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しある{{ruby|人|ひと}}にのみ{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|望|のぞ}}まざれとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|遺恨|いこん}}を{{ruby|含|ふく}}み{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}したく{{ruby|思|おも}}い{{ruby|或|ある}}いㇵ{{ruby|中|なか}}を{{ruby|違|たが}}い{{ruby|言葉|ことば}}を{{ruby|交|か}}わそうとする{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}です。<br />
弟 {{ruby|第六|だいろく}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|保|たも}}つべきなのですか?<br />
師 {{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作|しょさ}}の{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}って{{ruby|男女|だんじょ}}{{ruby|共|とも}}に{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|犯|をか}}すべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|自|みづか}}ら{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{ruby|如何|どう}}して{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}ってとは{{ruby|宣給|のたも}}うのですか?{{ruby|心|こゝろ}}に{{ruby|此|これ}}を{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|咎|とが}}と{{ruby|見做|みな}}すべきなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|心中|しんちゅう}}に{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|咎|とが}}であるけれどもそれは{{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|マンダメント|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{r|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つために{{ruby|頼|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何云|どうい}}うようなことがあるのでしょうか?<br />
師 {{ruby|御主|をんあるじ}}{{ruby|天主神|デウス}}より{{ruby|夫婦|ふうふ}}の{{ruby|御定|おんさだ}}めを{{ruby|第一|だいいち}}に{{ruby|為|な}}し{{ruby|宣給|のたま}}いその{{ruby|他|ホか}}{{ruby|余多|あまた}}の{{ruby|事|こと}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|食物|くひもの}}{{r|飲物|のミもの}}を{{ruby|飽迄|阿くま}}でにせざる{{ruby|事|こと}}{{ruby|悪|あ}}しき{{ruby|友|トも}}と{{ruby|交|まじわ}}りを{{ruby|辞|やむる}}{{ruby|事|こと}}{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}や{{ruby|恋|こい}}の{{ruby|冊子|さうし}}を{{ruby|読|よま}}ず{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}い{{ruby|等|とう}}{{ruby|歌|うた}}わず{{ruby|可能|かのう}}に{{ruby|於|をひ}}てㇵ{{ruby|聴|きか}}ざる{{ruby|事|こと}}です{{ruby|尚|なを}}{{ruby|肝要|かんよう}}な{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}ふことㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たもつ}}べきために{{ruby|御阿るじ|をんあるじ}}{{ruby|天主|デウス}}へ{{ruby|御力|みちから}}を{{ruby|頼|たの}}ミ{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}に{{ruby|陥|おちい}}る{{ruby|便|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|退|しりぞ}}くべき{{ruby|事|こと}}であることなのです。<br />
弟 {{ruby|第七|だいなな}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何遣|どうや}}って{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|何|なに}}なりともその{{ruby|主|ぬし}}の{{ruby|同心|どうしん}}なくして{{ruby|取|と}}る{{ruby|事|こと}}も{{r|留|とゞ}}め{{ruby|置|を}}く{{ruby|事|こと}}もあるべきではなく、{{ruby|人|ひと}}にもこれらの{{ruby|事|こと}}を{{ruby|勧|すゝ}}めずその{{ruby|協力|きょう里ょく}}をもせずその{{ruby|便|たよ}}りともなるべきではありません。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|物|もの}}を{{ruby|盗|ぬすみ}}たく{{ruby|思|おも}}う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|比|この}}{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|咎|と可‟}}ではないものなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|咎|とが}}なれどもそれは{{ruby|第十箇条目|だいじゅっかでうめ}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}です。<br />
弟 {{ruby|第八|だいはち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何云|どうい}}うようにと{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|讒言|ざんげん}}を{{ruby|云掛|いいか}}けず{{ruby|謗|そし}}らず{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|隠|かく}}れたる{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|現|あら}}わすべからず、であると{{ruby|雖|いえど}}もその{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|引返|ひきかえ}}さぬべき{{ruby|心|こころ}}あてにて{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|告知|つげし}}らせ{{ruby|申事|もうすこと}}ハ{{ruby|可能|かのう}}なら{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|邪推|じゃすい}}せず{{ruby|虚言|きょごん}}を{{ruby|云|い}}うべきではありません。<br />
弟 {{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|分別|ふんべつ}}{{ruby|致|いた}}すべきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}せず、その{{ruby|他|ほか}}{{r|恋慕|れんぼ}}に{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|望|のぞ}}むべからず、{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|妄念|まうねん}}に{{ruby|組|くみ}}せず{{ruby|又|また}}ㇵそれに{{ruby|喜|よろこ}}び{{ruby|執着|しうぢゃく}}する{{r|事|こと}}もあるべきことではないことです。<br />
弟 {{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|念|ねん}}の{{ruby|起|をこ}}る{{ruby|度毎|たびごと}}に{{ruby|科|とが}}となりますか?<br />
師 その{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}にあらず、その{{ruby|念|ねん}}を{{ruby|喜|よろこ}}ばず、それを{{ruby|棄|すて}}る{{ruby|時|とき}}ㇵ{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|功力|くりき}}の({{r|功徳|くどく}})となるものである。{{ruby|若|も}}し{{ruby|又|また}}その{{ruby|念|ねん}}に{{ruby|同心|どうしん}}せずと云えども{{ruby|心|こころ}}に{{ruby|止|とゞ}}めてそれを{{ruby|思出|おもいだ}}して{{ruby|喜|よろこ}}ぶときㇵ{{ruby|科|と可‟}}となるのです。<br />
弟 {{ruby|第十|だいじゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|心得|こころう}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|乱用|みだり}}に{{ruby|望|のぞ}}むべからずと{{r|云|い}}います。<br />
弟 {{ruby|今比十|いまこのじ}}{{ruby|箇条|っかじょう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}ㇵ{{ruby|二|ふた}}つに{{ruby|極|きわ}}まると{{r|云|い}}える{{ruby|事|こと}}を{{ruby|示|しめ}}し{{ruby|宣|のた}}まへ。その{{ruby|二|ふた}}つとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}る{{ruby|事|こと}}これであります。<br />
弟 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}をば{{ruby|如何|どの}}ように{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>Caritasの{{r|無私心|むししん}}の「{{r|聖愛|せいあい}}」や「{{r|慈善|じぜん}}」である。</ref>に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|財宝|ざいほう}}{{ruby|名誉|めいよ}}{{ruby|父母|ぷも}}{{ruby|身命|しんみょう}}これらの{{ruby|事|こと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|仕奉|つかえまつ}}らずしてたゞ{{ruby|一辺倒|いっぺんとう}}に{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}い{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るに{{ruby|極|きわ}}まるのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}を{{ruby|保|たも}}つための{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|何|いづ}}れでありますか?<br />
師 その{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|大|おおき}}いのである。{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|寝屋|ねや}}を{{ruby|起上|おきあが}}りてよりは{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御恩|ごおん}}と{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|出|いだ}}し{{ruby|御礼|おんれい}}を{{ruby|申上|もうしあ}}げ{{ruby|奉|まつ}}るべきです。{{ruby|又|また}}その{{ruby|日|ひ}}に{{ruby|御掟|ごおきて}}てに{{ruby|背|そむ}}かずして{{ruby|御内照(証)|ごないしょう}}<ref>ラテン{{r|語|ご}}、secretum, arcanum</ref>に{{ruby|従|した}}がい{{ruby|身|み}}を{{ruby|修|をさ}}むるために{{ruby|御守|おんまも}}りを{{ruby|頼|たの}}み{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申挙|もうしあ}}げるべきです。<br />
弟 {{ruby|寝様|ねざま}}にも{{ruby|怠|おこた}}らずその{{ruby|本分|ほんぶん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{r|為|た}}めにㇵ{{ruby|何事|なにごと}}を{{ruby|為|な}}すべきでしょうか?<br />
師 {{ruby|先|ま}}づ{{ruby|寝様|ねざま}}にその{{ruby|日|ひ}}の{{ruby|心|こころ}}と{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作(仕業)|しょさ(しわざ)}}の{{ruby|糾明|きゅうめい}}をし{{ruby|後悔|こうかい}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|犯|をか}}せる{{ruby|科|とが}}の{{ruby|赦|ゆる}}しを{{ruby|乞|こ}}い{{ruby|奉|たてまつ}}り{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|功力|くりき}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|身代|しんだい}}を{{ruby|改|あらた}}めんと{{ruby|思定|おもいさだ}}め{{ruby|似合|にあ}}いの{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申上|もうしあ}}ぐべき{{ruby|事|こと}}であるのです。<br />
弟 {{ruby|ポロシモ(Proximo)|りんじん}}<ref>ラテン{{r|語|ご}}「{{r|最|もっと}}も{{r|近|ちか}}き{{r|者|もの}}」</ref>である{{ruby|人|ひと}}をばわが{{ruby|身|}}の{{ruby|如|}}くにとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|思|}}うべきですか?<br />
師 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がって{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|善|よ}}き{{ruby|事|こと}}を{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}しても{{ruby|望|のぞ}}むべきものです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がってとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 こゝに{{ruby|子細|しさい}}あり{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|背|そむ}}きて{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|何事|なにごと}}であろうとも{{ruby|望|のぞ}}むときにㇵ{{ruby|例|たと}}え{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}むことある{{ruby|間敷|まじ}}き{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}うとも{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|思|おも}}うのではなくして、たゞ{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|事|こと}}です。
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|title={{r|第七|だいしち}} DS(デウス)の{{r|御|をん}}おきて{{ruby|十|とお}}のまんだめんとすの{{r|事|こと}} {{r|二十五|にじゅうご}}
|year={{r|慶長五年|けいちょうごねん}}、{{r|西暦|せいれき}}1,600
|author=マルコス・ジョルジュ
|notes={{r|原文|げんぶん}}は{{r|変体形|へんたいけい}}の{{r|平仮名|ひらがな}}が{{r|多|おお}}く{{r|普通仮名|ふつうがな}}に{{r|変換|へんかん}}しましたが、{{r|変体仮名|へんたいがな}}を{{r|残|のこ}}したところもあります。{{r|漢字|かんじ}}はこちらで{{r|解釈|かいしゃく}}して{{r|作|つく}}った{{r|物|もの}}です。{{r|出典|しゅってん}}は{{r|風間|かざま}}{{r|書房刊|しょぼうかん}}のドチリナの{{r|写真版|しゃしんはん}}ローマ・カサナテンセ{{r|図書館|としょかん}}{{r|蔵西暦|ぞうせいれき}}1,600年{{r|慶長|けいちょう}}{{r|五年版|ごねんはん}}のものを「{{r|校本|こうほん}}ドチリナ」で{{r|読|よ}}み{{r|解|と}}いたものです。
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{{r|第七|だいしち}} {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|十|とお}}のまん多‟めんとす<ref>{{r|十誡|じっかい}}</ref>の{{r|事|こと}} {{ruby|二十五|にじゅうご}}
DAIXICHI DEUSNO GOVOQITENO TOVONO MANDAMENTOS NO COTO
弟 {{ruby|上|うえ}}にㇵ{{ruby|早能|はやよく}}{{ruby|達|たっ}}して{{ruby|天主神|デウス}}へものを{{r|乞|こ}}い{{r|奉|まつ}}り{{ruby|信|しんじ}}じ{{r|奉|まつ}}るために{{ruby|肝要|かんよう}}である{{ruby|意義|いぎ}}を{{ruby|現|あら}}わし{{ruby|宣|のたま}}いしなのです、{{ruby|今又|いままた}}{{ruby|善|ぜん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{ruby|道|みち}}を{{ruby|教|をし}}え{{ruby|宣|のたま}}え
師 (身持ちを)保つ為に{{r|天主神|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}と{{r|サンタ・エケレジヤ|Sancta-Ecclesia}}の{{r|まん多‟めんと|りつりょう}}を{{r|知|し}}り{{r|同|おな}}じく{{r|罪|つみ}}を{{r|退|しりぞ}}けるために{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}を知る{{r|事専|こともっぱら}}({{r|専用、肝心重要|せんよう、かんじんじゅうよう}})のことなのだからです。<br />
弟 {{r|天主|デウス}}の{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|如何|いかな}}るものなのですか?<br />
師 {{r|万民|ばんみん}}これを{{r|保|たも}}つべきために{{r|御|をん}}あるじ{{r|天主神|デウス}}から{{r|直|じき}}に{{r|授|さづ}}け{{r|宣|のたま}}う{{r|御掟|をんおきて}}の{{ruby|条々|じょう〲}}であるからですので{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}とは{{r|御掟|をんおきて}}のことです。<br />
弟 {{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}とㇵ{{r|何箇条|なんかじょう}}ありますか?<br />
師 {{r|十箇条|じっかじょう}}あり、これ{{r|二|ふた}}つに{{r|分|わ}}ける{{r|初|はじ}}めの{{r|三箇条|さんかじょう}}は{{r|御主|をんあるじ}}{{r|天主神|デウス}}に対し{{r|奉|まつ}}りて{{r|勉|つとむ}}べきを{{r|教|おし}}え{{r|今七箇条|いまななかじょう}}は{{r|人|ひと}}に{{r|対|たい}}しての{{r|道|みち}}を{{r|教|おし}}えるためのものなのです。<br />
::::○{{r|御|をん}}おきての{{r|まん多‟めんとす|りっぽう}}<br />
::第一、{{r|御一体|ごいったい}}{{r|唯一|ゆいいつ}}の{{r|天主|デウス}}を{{r|敬|うやま}}い{{r|尊|たっと}}び{{r|奉|まつ}}るべきである。<br />
::第二、{{r|天主、神|てんしゅ、かみ}}の{{r|尊|たっと}}き{{r|御名|みな}}に{{ruby|懸|かけ}}て{{ruby|虚|むな}}しき{{ruby|誓|ちか}}いをすべきではありません。<br />
::第三、{{ruby|御祝日|ごしゅくにち}}を{{r|務|つと}}め{{r|守|まも}}るべきです。
::第四、{{ruby|父母|ふぼ}}に{{ruby|孝行|こう〱}}すべきです。
::第五、{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}すべきではありません。
::第六、{{ruby|邪淫|じゃいん}}を{{r|犯|をか}}すべきではありません。
::第七、{{ruby|偸盗|ちゅうとう}}<ref>{{ruby|窃盗|せっとう}}</ref>をすべきではありません。
::第八、人に{{ruby|讒言|ざんげん}}<ref>人を{{r|陥|おとしい}}れる{{ruby|偽証|ぎしょう}}</ref>を{{ruby|懸|かけ}}るべきではありません。
::第九、{{ruby|他|た}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}するべきではありません。
::第十、{{ruby|他持|たもつ}}をみだりに{{ruby|望|のぞ}}むべきではありません。
{{ruby|上此|うえこの}}{{ruby|十箇条|じっかじょう}}はすべからく{{ruby|二箇条|にかじょう}}に{{ruby|極|きわ}}まるのである{{ruby|一|ひと}}つには{{ruby|御一体|ごいったい}}<ref>{{ruby|唯一|ゆいいつ}}</ref>の{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>{{r|羅葡日辞書|らぽにちじしょ}}、カリタスの{{r|聖愛|せいあい}}「Charitas」={{r|大切、懇切|たいせつ、こんせつ}}</ref>{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}ろうべきこと、{{ruby|二|ふた}}つには{{ruby|我身|わがみ}}のように{{ruby|隣人|りんじん}}<ref>「ポロシモ=Proximo」「{{r|隣人|りんじん}}」{{r|羅葡日辞書|らぽにちじしょ}}「{{r|近寄|ちかよ}}る、{{r|最|もっと}}も{{r|近|ちか}}しい{{r|人|ひと}}」</ref>を{{r|思|おも}}えと云うこと{{r|此|こ}}れである。
弟 {{ruby|第一|だいいち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をどのような{{ruby|仕方|しかた}}で{{ruby|務|つと}}め{{ruby|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}の{{ruby|天主神|デウス}}は{{ruby|唯一|ゆいいつ}}{{ruby|御一体|ごいったい}}と{{r|拝|おが}}み{{ruby|仕奉|つかえまつ}}り{{ruby|御奉公|ごほうこう}}を{{ruby|抜出|ぬきんで}}て{{r|遣|や}}って{{ruby|我|われ}}らが{{ruby|御効力|ごこうりょく}}と{{ruby|御返報|ごへんぽう}}を{{ruby|頼|たの}}もしく{{ruby|待仕奉|まちつかえまつ}}り{{ruby|我等|われら}}が{{ruby|吉事|きちじ}}の{{ruby|源|みなもと}}にて{{ruby|在|いま}}しませれば{{ruby|此等|これら}}のことをたのみ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきであるのです、また{{ruby|御作像|ごさくぞう}}のものを{{ruby|至高|しこう}}の{{ruby|天主神|デウス}}のように{{ruby|敬|うやま}}わないことを{{r|以|も}}って{{ruby|此律法|このりっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つものです。<br />
弟 {{ruby|第二|だいに}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{r|如何云|どうい}}うように{{r|守|まも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|真|まこと}}と{{ruby|善|ぜん}}のためと{{r|要|い}}るべき{{r|時|とき}}よりほかは{{r|誓|ちか}}いをするべきではないことを以ってこの{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{r|全|まっと}}うするべきです。<br />
弟 {{ruby|真|まこと}}に{{ruby|誓|ちか}}いをするとは{{ruby|如何云|どうい}}うことなのですか?<br />
師 {{ruby|偽|いつ}}わりと{{ruby|知|し}}りながら{{ruby|宣誓文|せんせいもん}}をすることまたは{{ruby|真|まこと}}か{{ruby|偽|いつ}}わりかと{{ruby|疑|うた}}がわしいことに{{ruby|誓|ちか}}いをすることは{{ruby|天主神|デウス}}に{{ruby|虚言|きょごん}}の{{ruby|証拠|しょうこ}}に{{ruby|立申|たてもう}}すことによってたとえ{{ruby|軽|かろ}}き{{ruby|題目(命題)|だいもく(めいだい)}}であるというとも{{ruby|Mortal致命的咎|ちめいてきとが}}となることがあるのです。<br />
弟 {{ruby|善|ぜん}}のために{{ruby|誓文|せいもん}}するとは{{r|如何成|いかゞな}}ることがらなのですか<br />
師 たとえば{{r|真|まこと}}であることを{{ruby|誓文|せいもん}}をすると云うとも{{r|善|よ}}きことにあらずんバ、その{{ruby|題目|だいもく}}によって{{r|Mortal咎|ちめいてきとが}}か{{r|ベニアル科|ゆるしえるとが}}になるものである。たとえばモルタル{{r|咎|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとのとの{{ruby|誓|ちか}}いを為さばモルタル{{r|咎|とが}}になり、ベニアル{{r|科|とが}}を{{r|犯|をか}}そうとの{{ruby|誓|ちか}}いを{{r|為|な}}さばベニアル{{r|科|とが}}となるものです。<br />
弟 {{ruby|要|い}}るべき{{r|時|とき}}とは{{r|如何云|どうい}}うことでしょうか?<br />
師 たとえても{{ruby|真実善|しんじつよ}}いことに{{ruby|誓文|せいもん}}するといえども{{ruby|要|い}}らざる{{r|時|とき}}に{{r|誓|ちか}}いをなすㇵことによりて{{r|モルタル咎|ちめいてきとが}}にはならずと{{r|雖|いえど}}も{{r|ベニアル科|ゆるしうるとが}}から{{r|漏|も}}れることが無いことなのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}よりほかに{{r|別|べつ}}の{{ruby|物|もの}}に{{r|懸|か}}けて{{ruby|誓文|せいもん}}することがあり{{r|得|う}}るのですか?<br />
師 {{ruby|中々|なか〱}}ありたとえば<ref>お{{r|守|まも}}りの</ref>クルス・ベアトたちにか{{r|又|また}}ハ{{r|貴|たっと}}き事に{{r|懸|か}}けてとか、わが{{r|生命|いのち}}にかその{{r|他何|ほかいづ}}れの{{ruby|御作|ごさく}}のものに{{r|懸|か}}けても{{ruby|誓|ちか}}いをする{{r|事|こと}}があり{{r|得|え}}ます。<br />
弟 そら{{ruby|誓文|ぜいもん}}をしないための{{r|頼|たよ}}りとなる{{r|物事|ものごと}}がありますか?<br />
師 つ{{r|祢|ね}}に{{ruby|誓文|せいもん}}をしないようにたしなむ{{ruby|事|こと}}です。<br />
弟 しからばものの{{ruby|実不|じつふ}}を{{ruby|事分|ことわ}}るためにㇵ{{r|如何云|いかゞい}}うべきでしょうか?<br />
師 {{r|或|ある}}いは{{r|真実又|しんじつまた}}ㇵ{{ruby|疑|うたが}}い{{r|無|な}}し{{ruby|必定|ひつじょう}}であるなどと{{r|云|い}}う{{ruby|事葉|ことば}}を{{r|以|も}}って{{ruby|徹|てっ}}するべきです。<br />
弟 {{ruby|第三|だいさん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきですか?<br />
師 これを{{ruby|守|まも}}るに{{ruby|二|ふた}}つの{{ruby|事|こと}}あり{{ruby|一|ひと}}つにㇵ{{r|ドミンゴ|きゅうじつ}}とヱッケレージヤより{{ruby|布令宣|ふれのた}}もう{{ruby|祝日|いわいび}}に{{ruby|職|しょく}}を{{ruby|辞|や}}むる{{ruby|事|こと}}である。{{r|但逃|ただしのが}}れ{{r|得|え}}ぬ{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|所作・業務|わざ・ぎょうむ}}をしても{{ruby|咎|とが}}にはならない{{ruby|事|こと}}あり、{{ruby|二|ふた}}つにㇵ{{ruby|彼様|かよう}}の{{ruby|日|ひ}}にㇵ{{ruby|一座|いちざ}}のミイサを{{ruby|始|はじ}}めより{{ruby|終|を}}わりまで{{ruby|拝|おが}}み{{ruby|申|もう}}す{{ruby|事|こと}}であり、これを{{ruby|煩|わずら}}いか{{ruby|最|もっと}}もである{{ruby|子細|しさい}}あるときにㇵ{{ruby|拝|おが}}まずしても{{ruby|咎|とが}}にㇵならず、これらの{{ruby|子細|しさい}}ㇵ{{ruby|以後|いご}}ヱッケレージヤの{{ruby|五|いつ}}つの{{ruby|まん多‟めんと|おきて}}のうちに{{ruby|現|あら}}ㇵすべきであればそれをよく{{ruby|見|み}}るべきです。<br />
弟 {{ruby|第四|だいよん}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何守|どうまも}}るべきなのですか?<br />
師 {{ruby|親|おや}}によく{{ruby|従|した}}がい{{ruby|孝行|こう〱}}を{{ruby|致|いた}}し{{ruby|敬|うやま}}いをなすようにある{{ruby|時|とき}}は{{ruby|力|ちから}}を{{ruby|添|そ}}える{{ruby|事又人|ことまたひと}}の{{ruby|下人|げにん}}である{{ruby|者|もの}}ㇵその{{ruby|身|み}}の{{ruby|主人|しゅじん}}その{{ruby|他司|ほかつかさ}}である{{ruby|人々|ひと〲}}に{{ruby|従|した}}がうことに{{ruby|揺|ゆる}}がせなきを{{r|以|も}}って{{ruby|比|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|守|まも}}るべきものなのです。<br />
弟 {{ruby|父母主人|ぷもしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎|とが}}となる{{ruby|事|こと}}をせよと{{r|云|い}}いつけられる{{r|時|とき}}には{{ruby|従|した}}がうべきですか?<br />
師 {{ruby|親主人|おやしゅじん}}{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}によく{{ruby|従|した}}がえと云う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}にならないことを{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}であり、{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|みおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|奉|まつ}}れと{{ruby|云|い}}われる{{ruby|時|とき}}の{{ruby|事|こと}}にㇵそれは{{r|拘束|こうそく}}はありません。<br />
弟 {{ruby|第五|だいご}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}にば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|守|まも}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|仇|あだ}}をなさず{{ruby|害|がい}}をせず{{ruby|傷|きず}}を{{ruby|付|つ}}けず{{ruby|比等|これら}}の{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|人|ひと}}のうえに{{ruby|望|のぞ}}まず{{ruby|喜|よろこ}}ばざるを{{ruby|以|も}}って{{ruby|保|たも}}つ{{ruby|者|もの}}であり、その{{ruby|故|ゆえ}}にそれは{{ruby|如何|どう}}してとなれば{{ruby|人|ひと}}ㇵみな{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御写|おうつ}}しに{{ruby|造|つく}}り{{ruby|宣|のたま}}えばそうであるのです。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|仇|あだ}}をなし{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|又|また}}は{{ruby|害|がい}}する{{ruby|事叶|ことかな}}わずと{{ruby|誡|いまし}}め{{ruby|宣|のたま}}うに{{ruby|於|おい}}ては{{ruby|国家法律|こっかほうりつ}}を{{ruby|治|おさ}}める{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何|いかゞ}}なものであるべきですか?<br />
師 {{ruby|比御|これみ}}{{ruby|掟|おきて}}の{{ruby|箇条|かでう}}を{{ruby|以|も}}ってすぐなる{{ruby|題目|だいもく}}ありとても{{ruby|弓矢|ゆみや}}を{{ruby|執|と}}るべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}より{{ruby|咎人|とがにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事勿|ことなか}}れとの{{ruby|誡|いまし}}めには{{ruby|非|あら}}ず{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|罪人|ざいにん}}を{{ruby|折檻|せっかん}}し{{ruby|成敗|せいばい}}する{{ruby|事|こと}}が{{ruby|無|な}}ければその{{ruby|咎|とが}}は{{ruby|専断|せんだん}}の{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|懸|か}}かるべきものであり、その{{ruby|此|この}}{{ruby|箇条|かじょう}}ㇵその{{ruby|役|やく}}には{{ruby|当|あた}}らずして{{ruby|無理|むり}}に{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}し{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}すべからずとの{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}なのです。<br />
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弟 {{ruby|最|もっと}}も{{ruby|深|ふか}}い{{ruby|題目|だいもく}}の{{ruby|目的|もくてき}}と{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|殺|ころ}}す{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|確|たし}}かである{{ruby|赦|ゆる}}しとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
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弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|悪事|あくじ}}を{{ruby|望|のぞ}}まざれとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|遺恨|いこん}}を{{ruby|含|ふく}}み{{ruby|仇|あだ}}を{{ruby|為|な}}したく{{ruby|思|おも}}い{{ruby|或|ある}}いㇵ{{ruby|中|なか}}を{{ruby|違|たが}}い{{ruby|言葉|ことば}}を{{ruby|交|か}}わそうとする{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|教義|きょうぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}です。<br />
弟 {{ruby|第六|だいろく}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をば{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|保|たも}}つべきなのですか?<br />
師 {{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作|しょさ}}の{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}って{{ruby|男女|だんじょ}}{{ruby|共|とも}}に{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|犯|をか}}すべからず{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|自|みづか}}ら{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{ruby|如何|どう}}して{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|業|わざ}}とを{{ruby|以|も}}ってとは{{ruby|宣給|のたも}}うのですか?{{ruby|心|こゝろ}}に{{ruby|此|これ}}を{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|同|おな}}じく{{ruby|咎|とが}}と{{ruby|見做|みな}}すべきなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|心中|しんちゅう}}に{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|事|こと}}も{{ruby|咎|とが}}であるけれどもそれは{{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|マンダメント|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}なのです。<br />
弟 {{r|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たも}}つために{{ruby|頼|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何云|どうい}}うようなことがあるのでしょうか?<br />
師 {{ruby|御主|をんあるじ}}{{ruby|天主神|デウス}}より{{ruby|夫婦|ふうふ}}の{{ruby|御定|おんさだ}}めを{{ruby|第一|だいいち}}に{{ruby|為|な}}し{{ruby|宣給|のたま}}いその{{ruby|他|ホか}}{{ruby|余多|あまた}}の{{ruby|事|こと}}の{{ruby|中|なか}}に{{ruby|食物|くひもの}}{{r|飲物|のミもの}}を{{ruby|飽迄|阿くま}}でにせざる{{ruby|事|こと}}{{ruby|悪|あ}}しき{{ruby|友|トも}}と{{ruby|交|まじわ}}りを{{ruby|辞|やむる}}{{ruby|事|こと}}{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}や{{ruby|恋|こい}}の{{ruby|冊子|さうし}}を{{ruby|読|よま}}ず{{ruby|恋|こひ}}の{{ruby|歌|うた}}い{{ruby|等|とう}}{{ruby|歌|うた}}わず{{ruby|可能|かのう}}に{{ruby|於|をひ}}てㇵ{{ruby|聴|きか}}ざる{{ruby|事|こと}}です{{ruby|尚|なを}}{{ruby|肝要|かんよう}}な{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}ふことㇵ{{ruby|此|この}}{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|保|たもつ}}べきために{{ruby|御阿るじ|をんあるじ}}{{ruby|天主|デウス}}へ{{ruby|御力|みちから}}を{{ruby|頼|たの}}ミ{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|咎|とが}}に{{ruby|陥|おちい}}る{{ruby|便|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|退|しりぞ}}くべき{{ruby|事|こと}}であることなのです。<br />
弟 {{ruby|第七|だいなな}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何遣|どうや}}って{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|何|なに}}なりともその{{ruby|主|ぬし}}の{{ruby|同心|どうしん}}なくして{{ruby|取|と}}る{{ruby|事|こと}}も{{r|留|とゞ}}め{{ruby|置|を}}く{{ruby|事|こと}}もあるべきではなく、{{ruby|人|ひと}}にもこれらの{{ruby|事|こと}}を{{ruby|勧|すゝ}}めずその{{ruby|協力|きょう里ょく}}をもせずその{{ruby|便|たよ}}りともなるべきではありません。<br />
弟 {{ruby|人|ひと}}の{{ruby|物|もの}}を{{ruby|盗|ぬすみ}}たく{{ruby|思|おも}}う{{ruby|事|こと}}ㇵ{{ruby|比|この}}{{r|まん多‟めんと|りっぽう}}を{{ruby|破|やぶ}}る{{ruby|咎|と可‟}}ではないものなのでしょうか?<br />
師 {{ruby|咎|とが}}なれどもそれは{{ruby|第十箇条目|だいじゅっかでうめ}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}に{{ruby|背|そむ}}く{{ruby|別|べつ}}の{{ruby|咎|とが}}です。<br />
弟 {{ruby|第八|だいはち}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|如何云|どうい}}うようにと{{ruby|保|たもつ}}べきですか?<br />
師 {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|讒言|ざんげん}}を{{ruby|云掛|いいか}}けず{{ruby|謗|そし}}らず{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|隠|かく}}れたる{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|現|あら}}わすべからず、であると{{ruby|雖|いえど}}もその{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|引返|ひきかえ}}さぬべき{{ruby|心|こころ}}あてにて{{ruby|司|つかさ}}である{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|告知|つげし}}らせ{{ruby|申事|もうすこと}}ハ{{ruby|可能|かのう}}なら{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|邪推|じゃすい}}せず{{ruby|虚言|きょごん}}を{{ruby|云|い}}うべきではありません。<br />
弟 {{ruby|第九|だいきゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|分別|ふんべつ}}{{ruby|致|いた}}すべきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|妻|つま}}を{{ruby|恋|こい}}せず、その{{ruby|他|ほか}}{{r|恋慕|れんぼ}}に{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|望|のぞ}}むべからず、{{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|妄念|まうねん}}に{{ruby|組|くみ}}せず{{ruby|又|また}}ㇵそれに{{ruby|喜|よろこ}}び{{ruby|執着|しうぢゃく}}する{{r|事|こと}}もあるべきことではないことです。<br />
弟 {{ruby|淫乱|いんらん}}の{{ruby|念|ねん}}の{{ruby|起|をこ}}る{{ruby|度毎|たびごと}}に{{ruby|科|とが}}となりますか?<br />
師 その{{ruby|意義|いぎ}}の{{ruby|意味|いみ}}にあらず、その{{ruby|念|ねん}}を{{ruby|喜|よろこ}}ばず、それを{{ruby|棄|すて}}る{{ruby|時|とき}}ㇵ{{ruby|却|かえ}}って{{ruby|功力|くりき}}の({{r|功徳|くどく}})となるものである。{{ruby|若|も}}し{{ruby|又|また}}その{{ruby|念|ねん}}に{{ruby|同心|どうしん}}せずと云えども{{ruby|心|こころ}}に{{ruby|止|とゞ}}めてそれを{{ruby|思出|おもいだ}}して{{ruby|喜|よろこ}}ぶときㇵ{{ruby|科|と可‟}}となるのです。<br />
弟 {{ruby|第十|だいじゅう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}をバ{{ruby|何|なに}}と{{ruby|心得|こころう}}べきですか?<br />
師 {{ruby|他人|たにん}}の{{ruby|財宝|ざいホう}}を{{ruby|乱用|みだり}}に{{ruby|望|のぞ}}むべからずと{{r|云|い}}います。<br />
弟 {{ruby|今比十|いまこのじ}}{{ruby|箇条|っかじょう}}の{{ruby|まん多‟めんと|りっぽう}}ㇵ{{ruby|二|ふた}}つに{{ruby|極|きわ}}まると{{r|云|い}}える{{ruby|事|こと}}を{{ruby|示|しめ}}し{{ruby|宣|のた}}まへ。その{{ruby|二|ふた}}つとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}を{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}る{{ruby|事|こと}}これであります。<br />
弟 {{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こえ}}て{{ruby|天主神|デウス}}をば{{ruby|如何|どの}}ように{{ruby|御大切|ごたいせつ}}<ref>Caritasの{{r|無私心|むししん}}の「{{r|聖愛|せいあい}}」や「{{r|慈善|じぜん}}」である。</ref>に{{ruby|思|おも}}ひ{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るべきですか?<br />
師 {{ruby|財宝|ざいほう}}{{ruby|名誉|めいよ}}{{ruby|父母|ぷも}}{{ruby|身命|しんみょう}}これらの{{ruby|事|こと}}に{{ruby|対|たい}}して{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}に{{ruby|背|そむ}}き{{ruby|仕奉|つかえまつ}}らずしてたゞ{{ruby|一辺倒|いっぺんとう}}に{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|思|おも}}い{{ruby|仕奉|つかえまつ}}るに{{ruby|極|きわ}}まるのです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおきて}}を{{ruby|保|たも}}つための{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|何|いづ}}れでありますか?<br />
師 その{{ruby|頼|たよ}}りは{{ruby|大|おおき}}いのである。{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|寝屋|ねや}}を{{ruby|起上|おきあが}}りてよりは{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御恩|ごおん}}と{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|出|いだ}}し{{ruby|御礼|おんれい}}を{{ruby|申上|もうしあ}}げ{{ruby|奉|まつ}}るべきです。{{ruby|又|また}}その{{ruby|日|ひ}}に{{ruby|御掟|ごおきて}}てに{{ruby|背|そむ}}かずして{{ruby|御内照(証)|ごないしょう}}<ref>ラテン{{r|語|ご}}、secretum, arcanum</ref>に{{ruby|従|した}}がい{{ruby|身|み}}を{{ruby|修|をさ}}むるために{{ruby|御守|おんまも}}りを{{ruby|頼|たの}}み{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申挙|もうしあ}}げるべきです。<br />
弟 {{ruby|寝様|ねざま}}にも{{ruby|怠|おこた}}らずその{{ruby|本分|ほんぶん}}を{{ruby|務|つと}}むる{{r|為|た}}めにㇵ{{ruby|何事|なにごと}}を{{ruby|為|な}}すべきでしょうか?<br />
師 {{ruby|先|ま}}づ{{ruby|寝様|ねざま}}にその{{ruby|日|ひ}}の{{ruby|心|こころ}}と{{ruby|言葉|ことば}}と{{ruby|所作(仕業)|しょさ(しわざ)}}の{{ruby|糾明|きゅうめい}}をし{{ruby|後悔|こうかい}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|犯|をか}}せる{{ruby|科|とが}}の{{ruby|赦|ゆる}}しを{{ruby|乞|こ}}い{{ruby|奉|たてまつ}}り{{ruby|同|おな}}じ{{ruby|功力|くりき}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|身代|しんだい}}を{{ruby|改|あらた}}めんと{{ruby|思定|おもいさだ}}め{{ruby|似合|にあ}}いの{{ruby|お祈|Oratio}}りを{{ruby|申上|もうしあ}}ぐべき{{ruby|事|こと}}であるのです。<br />
弟 {{ruby|ポロシモ(Proximo)|りんじん}}<ref>ラテン{{r|語|ご}}「{{r|最|もっと}}も{{r|近|ちか}}き{{r|者|もの}}」</ref>である{{ruby|人|ひと}}をばわが{{ruby|身|}}の{{ruby|如|}}くにとㇵ{{ruby|如何云|どうい}}うように{{ruby|思|}}うべきですか?<br />
師 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がって{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}む{{ruby|程度|ていど}}の{{ruby|善|よ}}き{{ruby|事|こと}}を{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|対|たい}}しても{{ruby|望|のぞ}}むべきものです。<br />
弟 {{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|従|した}}がってとは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのですか?<br />
師 こゝに{{ruby|子細|しさい}}あり{{ruby|天主神|デウス}}の{{ruby|御掟|ごおき}}てに{{ruby|背|そむ}}きて{{ruby|人|ひと}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|何事|なにごと}}であろうとも{{ruby|望|のぞ}}むときにㇵ{{ruby|例|たと}}え{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|望|のぞ}}むことある{{ruby|間敷|まじ}}き{{ruby|事|こと}}であると{{ruby|云|い}}うとも{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}の{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|思|おも}}うのではなくして、たゞ{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|如|ごと}}くに{{ruby|人|ひと}}を{{ruby|憎|にく}}む{{ruby|事|こと}}です。
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第十一 此ほかきりしたんにあたるかんようの条々 五十三
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|title={{r|第十一|だいじゅういち}} {{r|此|この}}ほかキリシタンにあたる{{r|肝要|かんよう}}の{{r|条々|じょう〲}} {{r|五十三|ごじゅうさん}}
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|author=マルコス・ジョルジュ
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{{ruby|第十一|だいじゅういち}} {{ruby|此|この}}ほかキリシタンにあたる{{ruby|肝要|かんよう}}の{{ruby|条々|じょう〲}} {{ruby|五十三|ごじゅうさん}}
DAIIV ICHI CONOFOCA CHRISTANNI ATARV CANYOUNO GIOGIO.
弟 {{r|比|この}}ほかにも{{r|尚|なお}}「どちりな」に{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|事|こと}}があるのですか?<br />
師 {{ruby|中々|なか〱}}あり{{r|ミゼリコルヂヤ|どうじょう・じひ}}の{{r|所作|わざ}}・{{r|テヨロガレス|しんがくてき}}の{{r|ヴィルツウデス|ゆうこうとく}}・{{ruby|カルヂナレス|すうようとく}}の{{ruby|ヴィルツウデス|ゆうこうとく}}・{{ruby|スピリツ・サンタ|れいてき}}の{{ruby|ダウネス|おあたえ}}・{{ruby|ベナべンツランサ|ぜんしふくはったん}}・{{ruby|コンヒサン|ざんげこくはく}}の{{ruby|オラショ|ていしきおいのり}}の{{ruby|事|こと}}なのです。<br />
:::・{{ruby|慈悲|じひ}}<ref>Misericordia={{r|同情|どうじょう}}または{{r|慈悲|じひ}}</ref>の{{ruby|所作|わざ}}
::○{{ruby|慈悲|じひ}}の{{ruby|所作|しょさ}}ㇵ{{r|十四|じゅうし}}あり、{{ruby|初|はじ}}めの七つㇵ{{ruby|肉身|にくしん}}に{{ruby|当|あ}}たる。{{ruby|後|のち}}の七つㇵ{{ruby|スピリツ|れいてき}}に{{ruby|当|あ}}たるのである。
:::・{{ruby|肉身|にくしん}}に{{ruby|当|あ}}たる七つの{{ruby|事|こと}}
{{r|一|ひと}}つにㇵ {{r|餓|う}}えたる{{r|者|もの}}に{{r|食|しょく}}<ref>{{r|食|しょく}}と{{r|職|しょく}}に{{ruby|当|あ}}たる?</ref>を{{r|与|あた}}える{{ruby|事|こと}}<br />
{{r|二|ふた}}つにㇵ {{r|渴|かつ}}したる{{ruby|人|ひと}}に{{ruby|飲物|のミもの}}を{{ruby|与|あた}}える{{ruby|事|こと}}<br />
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:::・{{r|スピリツ|れいてき}}に{{r|当|あ}}たる七つの{{ruby|事|こと}}
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::○{{r|テヨロガレス|しんがくてき}}<ref>Theologales={{r|神学的|しんがくてき}}</ref>な{{ruby|ヴィルツウデス|ゆうこうとく}}<ref>Virtvdes={{r|有効徳|ゆうこうとく}}</ref>と{{ruby|云|い}}う{{r|三|みっ}}つの{{ruby|善|ぜん}}あり。
{{r|一|ひと}}つにㇵ {{ruby|ひいです|しんこう}}<ref>Fides={{r|信仰|しんこう}}</ref>と{{ruby|云|い}}って{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|教|をし}}えを{{ruby|真|まこと}}に{{ruby|信|しん}}じ{{ruby|奉|たてまつ}}る{{ruby|善|ぜん}}である。<br />
{{r|二|ふた}}つにㇵ {{ruby|楽天希望信仰徳|ゑすぺらんさ}}<ref>Esperanza={{r|楽天希望信仰徳|らくてんきぼうしんこうとく}}</ref>と{{ruby|云|い}}って{{ruby|後生|のちのよ}}での{{ruby|助|たす}}かるべき{{ruby|事|こと}}を{{ruby|頼|たの}}もしく{{ruby|思|おも}}い{{ruby|仕奉|つかえまつ}}る{{ruby|善|ぜん}}である。<br />
{{r|三|みっ}}つにㇵ {{ruby|聖愛・慈善愛|かりだあで}}<ref>(ポルトガル語) Caridade={{r|人道仁愛、聖愛|じんどうじんあい、せいあい}}、ラテン{{r|語|ご}}のCāritāsの{{r|聖愛|せいあい}}と{{r|同語源|どうごげん}}</ref>と{{ruby|云|い}}って{{ruby|万事|ばんじ}}に{{ruby|超|こ}}えて{{ruby|天主神|デウスGod}}を{{ruby|御大切|ごたいせつ}}に{{ruby|存|ぞん}}じ{{ruby|奉|まつ}}り{{ruby|隣人|ポろしも}}をも{{ruby|天主神|デウスGod}}に{{ruby|対|たい}}し{{ruby|奉|たてまつ}}りて{{ruby|大切|たいせつ}}に{{ruby|思|おも}}う{{ruby|善|ぜん}}これである。
::○{{r|カルヂナレス|すうようとく}}<ref>Cardinales={{r|枢要徳|すうようとく}}</ref>の{{r|ヴィルツウデス|ゆうこうとく}}と{{r|云|い}}う{{r|四|よっ}}つの{{r|善|ぜん}}あり。
{{r|一|ひと}}つにㇵ {{r|プルデンシャ|けんめい}}<ref>Prudentia={{r|思慮深|しりょぶか}}くして{{r|賢明|けんめい}}な</ref>として{{ruby|賢慮|けんりょ}}の{{ruby|善|ぜん}}である。<br />
{{r|二|ふた}}つにㇵ {{r|ジュスチシヤ|こうせい}}<ref>Juftitia={{ruby|公正|こうせい}}や{{ruby|神|かみ}}の{{ruby|正義|せいぎ}}なことを{{r|守|まも}}る{{r|事|こと}}やそう{{r|云|い}}う{{ruby|人|ひと}}に{{r|当|あ}}たる{{ruby|語|ご}}</ref>として{{ruby|公義|たゞ}}しい{{ruby|賢望|けんぼう}}の{{ruby|善|ぜん}}である。<br />
{{r|三|みっ}}つにㇵ {{r|ホルタレザ|じょうぶ}}<ref>Fortaleza={{r|丈夫|じょうぶ}}</ref>として{{ruby|強|つよ}}き{{ruby|心|こころ}}の{{ruby|善|ぜん}}である。<br />
{{r|四|よっ}}つにㇵ {{r|テンペランサ|ちゅうよう}}<ref>Temperança={{ruby|適切|てきせつ}}に{{ruby|調整|ちょうせい}}する</ref>として{{ruby|肉身|にくしん}}の{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|中庸|ちゅうよう}}の{{ruby|善|ぜん}}がこれである。
::○{{r|スピリツ・サント|れいてき}}な{{r|ダウネス|ふよするをんあたえ}}<ref>Dones=「恩酬を帰する」羅葡日辞書、小島校本によってDonesのスペルを確認した。この場合「聖霊に恩酬と栄光を帰する」</ref>として{{ruby|御与|をんあた}}えは{{ruby|七|なな}}つあり。
{{r|一|ひと}}つにㇵ {{r|サピエンシヤ|ぶんりちえりかい}}<ref>Sapientia={{r|文理知恵|ぶんりちえ}}で{{r|理解|りかい}}する</ref>として{{ruby|現世|げんせ}}の{{ruby|事|こと}}と{{ruby|思授|おもいさづ}}け、{{ruby|後生|のちのよ}}<ref>{{ruby|後|のち}}の{{ruby|実家|じっか}}での{{ruby|恩恵|おんけい}}での{{ruby|信者生活|しんじゃせいかつ}}での{{ruby|信仰|しんこう}}を{{ruby|実行|じっこう}}する{{ruby|可能性|かのうせい}}をも{{ruby|意味|いみ}}する</ref>での{{ruby|教義・意味|きょうぎ・いみ}}を{{ruby|深|ふか}}く{{ruby|文理知恵|ぶんりちえ}}を{{ruby|自発的|じはつてき}}に{{r|理解|りかい}}し{{ruby|重|おも}}んじ{{ruby|基|もと}}づかせ{{ruby|宣|のたま}}う{{ruby|御与|おんあた}}えがあります。<br />
{{r|二|ふた}}つにㇵ {{r|ヱンテンジメント|ふんべつ}}<ref>Entendimento={{r|協約|きょうやく}}</ref>として{{ruby|ヒイデス|しんこう}}の{{ruby|上|うえ}}より{{ruby|信|しん}}ずる{{ruby|理|ことわり}}をよく{{ruby|弁|わ}}きまえるがために{{ruby|分別|ふんべつ}}を{{ruby|自発的|じはつてき}}に{{ruby|現|あら}}わして{{ruby|宣|のたま}}う{{ruby|御与|おんあた}}えがあります。<br />
{{r|三|みっ}}つにㇵ {{r|コンシイリョ|ちょうてい}}<ref>Confilio={{r|助言|じょげん}}し{{ruby|調停|ちょうてい}}する</ref>として{{ruby|後生|ごしょう}}の{{ruby|快|こころよ}}い{{ruby|生活|せいかつ}}に{{ruby|到|い}}たる{{ruby|為|ため}}に{{ruby|便|たよ}}りとなる{{r|事|こと}}をよく{{ruby|恣意的|しいてき}}に{{ruby|能動的|のうどうてき}}に{{ruby|助言|じょげん}}を{{r|選|えら}}び{{ruby|取|と}}る{{ruby|御与|おんあた}}えがあります。<br />
{{r|四|よっ}}つにㇵ {{r|ホルタレザ|ゆうかん}}<ref>Fortaleza={{r|勇敢|ゆうかん}}</ref>として{{ruby|善事|ぜんじ}}の{{ruby|防|さまた}}げを{{ruby|堅固|けんご}}に{{ruby|防|ふせ}}ぎその{{ruby|道|みち}}にも{{ruby|届|とど}}く{{ruby|力|ちから}}と{{ruby|頼|たの}}もしき{{ruby|心|こころ}}とを{{ruby|自発的|じはつてき}}に{{ruby|興|おこ}}させ{{ruby|宣|のたま}}う{{ruby|御与|をんあた}}えがあります。<br />
{{r|五|いつ}}つにㇵ {{r|シエンシャ|ぶんりかがく}}<ref>Sciencia={{r|文理科学学問|ぶんりかがくがくもん}}</ref>として{{ruby|後生|のちのよ}}の{{ruby|便|たよ}}りとなる{{ruby|事|こと}}と{{ruby|障|さわ}}りとなる{{ruby|事|こと}}をよく{{ruby|自発的|じはつてき}}に{{ruby|文理科学|ぶんりかがく}}し{{r|弁|わきま}}えさせ{{ruby|宣|のたま}}う{{ruby|御与|おんあた}}えがあります。<br />
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::○{{ruby|謝|あやま}}りの{{ruby|オラショ|ていしきおいのり}}
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以上。
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wikitext
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|author=マルコス・ジョルジュ
|notes={{r|原文|げんぶん}}は{{r|文語体|ぶんごたい}}であり、{{r|現代口語|げんだいこうご}}に{{r|個人|こじん}}で{{r|翻訳|ほんやく}}してあります。
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{{ruby|第十一|だいじゅういち}} {{ruby|此|この}}ほかキリシタンにあたる{{ruby|肝要|かんよう}}の{{ruby|条々|じょう〲}} {{ruby|五十三|ごじゅうさん}}
DAIIV ICHI CONOFOCA CHRISTANNI ATARV CANYOUNO GIOGIO.
弟 {{r|比|この}}ほかにも{{r|尚|なお}}「どちりな」に{{ruby|当|あ}}たる{{ruby|事|こと}}があるのですか?<br />
師 {{ruby|中々|なか〱}}あり{{r|ミゼリコルヂヤ|どうじょう・じひ}}の{{r|所作|わざ}}・{{r|テヨロガレス|しんがくてき}}の{{r|ヴィルツウデス|ゆうこうとく}}・{{ruby|カルヂナレス|すうようとく}}の{{ruby|ヴィルツウデス|ゆうこうとく}}・{{ruby|スピリツ・サンタ|れいてき}}の{{ruby|ダウネス|おあたえ}}・{{ruby|ベナべンツランサ|ぜんしふくはったん}}・{{ruby|コンヒサン|ざんげこくはく}}の{{ruby|オラショ|ていしきおいのり}}の{{ruby|事|こと}}なのです。<br />
:::・{{ruby|慈悲|じひ}}<ref>Misericordia={{r|同情|どうじょう}}または{{r|慈悲|じひ}}</ref>の{{ruby|所作|わざ}}
::○{{ruby|慈悲|じひ}}の{{ruby|所作|しょさ}}ㇵ{{r|十四|じゅうし}}あり、{{ruby|初|はじ}}めの七つㇵ{{ruby|肉身|にくしん}}に{{ruby|当|あ}}たる。{{ruby|後|のち}}の七つㇵ{{ruby|スピリツ|れいてき}}に{{ruby|当|あ}}たるのである。
:::・{{ruby|肉身|にくしん}}に{{ruby|当|あ}}たる七つの{{ruby|事|こと}}
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:::・{{r|スピリツ|れいてき}}に{{r|当|あ}}たる七つの{{ruby|事|こと}}
{{r|一|ひと}}つにㇵ {{ruby|人|ひと}}に{{ruby|善|よ}}き{{ruby|意見|いけん}}を{{ruby|加|くわ}}える{{ruby|事|こと}}<br />
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::○{{r|スピリツ・サント|れいてき}}な{{r|ダウネス|ふよするをんあたえ}}<ref>Dones=「恩酬を帰する」羅葡日辞書、小島校本によってDonesのスペルを確認した。この場合「聖霊に恩酬と栄光を帰する」</ref>として{{ruby|御与|をんあた}}えは{{ruby|七|なな}}つあり。
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第九 七のもるたる科の事 四十
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DAICV NANATÇUNO MORTAL TOGANO COTO
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DAICV NANATÇUNO MORTAL TOGANO COTO
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弟 その{{ruby|科|とが}}の{{ruby|御許|おゆる}}しを{{ruby|被|こうむ}}る{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何致|いかゞいた}}したら{{ruby|可|よ}}いものでしょうか?
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弟 {{ruby|悪|あく}}の{{ruby|懇願|こんがん}}となる{{ruby|上記|じょうき}}の{{ruby|科|とが}}を{{ruby|退|しり}}ぞける{{ruby|為|た}}めの{{ruby|便|たよ}}りがあるのですか?
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弟 {{ruby|肉体|にくたい}}の{{ruby|善|ぜん}}である{{ruby|チンセイドス|かんしょうづかい}}ㇵ{{ruby|幾|いく}}つあるのですか?
師 {{ruby|五|いつ}}つあります「ぜんにびぜつしん」の{{ruby|事|こと}}です、{{ruby|之卽|これすな}}わち{{ruby|肉体|にくたい}}に{{ruby|伴|とも}}なうものであるが{{ruby|故|ゆえ}}に{{ruby|身|み}}の{{ruby|果|は}}てると{{ruby|共|とも}}に{{ruby|果|は}}てる{{r|物|もの}}でもあるのです。
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DAICV NANATÇUNO MORTAL TOGANO COTO
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DAICV NANATÇUNO MORTAL TOGANO COTO
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師 {{ruby|ベニアル|ゆるしやすい}}と{{ruby|云|い}}うのは{{ruby|赦|ゆる}}し{{ruby|易|やす}}いと{{ruby|云|い}}う{{ruby|心|こころ}}であり、{{ruby|比科|このとが}}をDf{{ruby|天主神|デウスGod}}より{{ruby|用|たやす}}く{{ruby|赦|ゆる}}し{{ruby|宣|のたま}}うによって{{ruby|ベニアル|ゆるしやすい}}と{{ruby|云|い}}うのです。
弟 その{{ruby|科|とが}}の{{ruby|御許|おゆる}}しを{{ruby|被|こうむ}}る{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何致|いかゞいた}}したら{{ruby|可|よ}}いものでしょうか?
師 {{ruby|何|なに}}であるとも{{ruby|サクラメント|ひっせき}}であるとも{{ruby|授|さづ}}かりミイサを{{ruby|拝|おが}}み{{ruby|謝|あやま}}りの{{ruby|お祈り|Oratio}}を{{ruby|申|もう}}し{{ruby|後悔|こうくㇵい}}を{{r|以|も}}って{{ruby|ビスコップ(ビスポ)|しきょうさま}}の{{ruby|ベンサン|しゅくふく}}を{{ruby|受|う}}け{{ruby|アグア・ベンタ|きよきみず}}を{{ruby|注|そゝ}}ぎ{{ruby|胸|むね}}を{{r|打|う}}ち{{ruby|信心|しんじん}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|パアテル・ナウステル|しゅとうぶん}}の{{ruby|主要件|しゅようけん}}の{{ruby|お祈り|Oratio}}を{{ruby|申|もう}}しその{{ruby|他何|ほかなに}}である{{ruby|所作|しょさ}}にでもあれ{{ruby|コンチリサン|Contriçam}}の{{ruby|痛悔|つうかい}}の{{r|兆|しるし}}となる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|諸々|もろ〱}}の{{r|所作|しょさ}}によって{{ruby|示|しめ}}す{{r|時|とき}}には{{ruby|許|ゆる}}し{{ruby|宣|のたま}}うのです。
弟 {{ruby|悪|あく}}の{{ruby|懇願|こんがん}}となる{{ruby|上記|じょうき}}の{{ruby|科|とが}}を{{ruby|退|しり}}ぞける{{ruby|為|た}}めの{{ruby|便|たよ}}りがあるのですか?
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師 {{ruby|余多|あまた}}の{{ruby|便|たよ}}りあり、{{ruby|比七|このなな}}つの{{ruby|科|とが}}に{{ruby|向|む}}かう{{ruby|七|なな}}つの{{ruby|善|ぜん}}あり、その{{ruby|他|ほか}}に{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|三|みっ}}つの{{ruby|ポテンシャ|てんぷてんねんかのうせい}}となり{{r|得|え}}る{{ruby|精魂|せいこん}}と{{ruby|肉身|にくしん}}の{{r|センチイドス|かんしょうづかい}}である「げんにびぜつしん」を{{r|守|まも}}りたしなむ{{ruby|事|こと}}です。
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|author=マルコス・ジョルジュ
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「{{ruby|第九|だいく}} {{ruby|七|なな}}つの{{r|致命的料|モルタルとが}}の{{ruby|事|こと}} {{ruby|四十|よんじゅう}}」
「DAICV NANATÇUNO MORTAL TOGANO COTO」
弟 「『Df{{ruby|天主神|デウスGod}}』の『{{ruby|御掟|ごおきて}}の{{r|マンダメント|MANDAMENTO}}』と『{{ruby|サンクタ・ヱケレジヤ|SANCTA-ECCLESIA}}の{{ruby|条規|じょうき}}の{{ruby|マンダメント|MANDAMENTO}}』をば{{ruby|早教|はやをし}}え{{ruby|宣|のたま}}いました、さて{{ruby|又|また}}『{{ruby|致命的科|モルタルとが}}』ㇵ{{ruby|幾|いく}}つあるのですか?」<br />
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弟 「{{ruby|致命的|モルタル}}」と{{ruby|云得|いえ}}る{{ruby|謂|いわ}}れㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{r|事|こと}}だからでしょうか?
師 「『{{ruby|モルタル|ちめいてき}}』とㇵ『{{ruby|生命|いのち}}を{{ruby|断|た}}つと{{ruby|云|い}}う{{ruby|心|こころ}}であり』{{ruby|天然|なつうら}}の{{ruby|上|うえ}}なる{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|一命|いちめい}}ㇵDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|ガラサ}}であれバ{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}ㇵその{{ruby|恩恵|ガラサ}}を{{ruby|アニマ|たましい}}より{{ruby|取離|とりはな}}すにによって{{ruby|斯|か}}くの{{ruby|如|ごと}}く{{ruby|云|い}}うものである。{{ruby|然|しか}}れども{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|正体|しょうたい}}ㇵ{{ruby|終|お}}わる{{ruby|事|こと}}ないものなれば『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』を{{ruby|犯|をか}}すを{{ruby|以|も}}ってこそ{{ruby|果|は}}てる{{ruby|事|こと}}のありと{{ruby|思|おも}}う{{ruby|事|こと}}であれば{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|生命|いのち}}となる{{ruby|恩恵霊|ガラサ}}を{{ruby|失|うし}}なうが{{ruby|故|ゆえ}}にこれを{{ruby|指|さ}}して『{{ruby|死|し}}する』と{{ruby|云|い}}うのです」
弟 「『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』ㇵ{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|損|そん}}とのこそぞになるのですか?」
師 それを「そん{{ruby|多|おお}}しと{{ruby|申|もう}}すとも{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|御作者|ごさくしゃ}}Df{{ruby|天主神|デウスGod}}に{{ruby|離|はな}}れ{{ruby|奉|まつ}}り『{{ruby|恩恵|ガラサ}}と{{ruby|御約束|をんやくそく}}の{{ruby|ゴラウリヤ|Gloria栄光}}である{{ruby|パライゾ|Paradise}}の{{ruby|快|こころよ}}さ』{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|御主|をんあるじ}}の{{ruby|御血|をんち}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|救|すく}}い{{ruby|宣|のた}}まう{{ruby|我|わ}}が{{ruby|アニマ|たましい}}』が{{ruby|肉身|にくしん}}ともに{{ruby|インフェルノ|じごく}}の{{ruby|人数|にんずう}}と{{ruby|定|さだ}}まり『{{ruby|御主|をんあるじ}}J⁰xの{{ruby|御パッション|ごしょうげき}}の{{ruby|御功力|ごくりき}}』と{{ruby|又|また}}『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}に{{ruby|汚|けが}}れずしてゐたる{{ruby|間|あいだ}}に{{ruby|勤|つと}}めてゐた{{ruby|聖|せい}}なる{{ruby|功徳|くどく}}をも{{ruby|失|うし}}なう』ものです」
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師 「『{{ruby|少|すこ}}しもその{{ruby|意義|いぎ}}にではない』のである、「その{{ruby|時|とき}}こそいよ〱{{r|歩|あゆ}}みを{{ruby|運|はこ}}び{{ruby|お祈り|Oratio}}を{{ruby|申|もう}}し{{ruby|力|ちから}}の{{ruby|及|およ}}ぶ{{ruby|程度|ていど}}に{{ruby|善事|ぜんじ}}を{{ruby|持|もつ}}べき{{ruby|事|こと}}が{{ruby|肝要|かんよう}}なれ、その{{ruby|故|ゆえ}}ㇵその{{ruby|時|とき}}に{{ruby|御難儀|をなんぎ}}に{{ruby|会|あ}}う{{r|故|ゆえ}}」である。「その{{ruby|他|ほか}}に{{ruby|善事|ぜんじ}}より{{ruby|出|いづ}}る{{ruby|功徳|くどく}}これ{{ruby|多|おお}}し」「{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}を{{ruby|顧|かえり}}み{{ruby|科|とが}}を{{ruby|後悔|こうくㇵい}}し{{ruby|以後二度|いごふたゝ}}び{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|犯|をか}}す{{r|間敷|まじ}}きため」「{{ruby|又御|またをん}}{{ruby|主|あるじ}}より{{ruby|息災|そくさい}}とその{{ruby|他|ほか}}{{ruby|現在|げんざい}}の{{ruby|善|よ}}き{{ruby|事等|こととう}}を{{ruby|与|あた}}え{{ruby|宣|のたま}}うための{{ruby|大|おお}}いなる{{ruby|頼|たよ}}りとなる{{r|事|こと}}が{{r|是認|これ}}」です。
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|author=マルコス・ジョルジュ
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「DAICV NANATÇUNO MORTAL TOGANO COTO」
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弟 「{{ruby|此|これ}}らの{{ruby|科|とが}}を{{ruby|總|そう}}じて『{{ruby|致命的科|モルタルとが}}』と{{r|云|い}}う{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何|どう}}してなのでしょうか?」
師 「{{ruby|凡|をゝよ}}そそれらは{{ruby|皆|みな}}が『{{ruby|致命的科|モルタルとが}}』と{{ruby|雖|いえど}}も{{ruby|事|こと}}によりて『{{ruby|許し得る科|ベニアルとが}}』になる{{ruby|事多|ことおお}}いからです」
弟 「『{{ruby|致命的|モルタル}}』と{{ruby|云得|いえ}}る{{ruby|謂|いわ}}れㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{r|事|こと}}だからでしょうか?」
師 「『{{ruby|モルタル|ちめいてき}}』とㇵ『{{ruby|生命|いのち}}を{{ruby|断|た}}つと{{ruby|云|い}}う{{ruby|心|こころ}}であり』{{ruby|天然|なつうら}}の{{ruby|上|うえ}}なる{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|一命|いちめい}}ㇵDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|ガラサ}}であれバ{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}ㇵその{{ruby|恩恵|ガラサ}}を{{ruby|アニマ|たましい}}より{{ruby|取離|とりはな}}すにによって{{ruby|斯|か}}くの{{ruby|如|ごと}}く{{ruby|云|い}}うものである。{{ruby|然|しか}}れども{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|正体|しょうたい}}ㇵ{{ruby|終|お}}わる{{ruby|事|こと}}ないものなれば『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』を{{ruby|犯|をか}}すを{{ruby|以|も}}ってこそ{{ruby|果|は}}てる{{ruby|事|こと}}のありと{{ruby|思|おも}}う{{ruby|事|こと}}であれば{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|生命|いのち}}となる{{ruby|恩恵霊|ガラサ}}を{{ruby|失|うし}}なうが{{ruby|故|ゆえ}}にこれを{{ruby|指|さ}}して『{{ruby|死|し}}する』と{{ruby|云|い}}うのです」
弟 「『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』ㇵ{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|損|そん}}とのこそぞになるのですか?」
師 それを「そん{{ruby|多|おお}}しと{{ruby|申|もう}}すとも{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|御作者|ごさくしゃ}}Df{{ruby|天主神|デウスGod}}に{{ruby|離|はな}}れ{{ruby|奉|まつ}}り『{{ruby|恩恵|ガラサ}}と{{ruby|御約束|をんやくそく}}の{{ruby|ゴラウリヤ|Gloria栄光}}である{{ruby|パライゾ|Paradise}}の{{ruby|快|こころよ}}さ』{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|御主|をんあるじ}}の{{ruby|御血|をんち}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|救|すく}}い{{ruby|宣|のた}}まう{{ruby|我|わ}}が{{ruby|アニマ|たましい}}』が{{ruby|肉身|にくしん}}ともに{{ruby|インフェルノ|じごく}}の{{ruby|人数|にんずう}}と{{ruby|定|さだ}}まり『{{ruby|御主|をんあるじ}}J⁰xの{{ruby|御パッション|ごしょうげき}}の{{ruby|御功力|ごくりき}}』と{{ruby|又|また}}『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}に{{ruby|汚|けが}}れずしてゐたる{{ruby|間|あいだ}}に{{ruby|勤|つと}}めてゐた{{ruby|聖|せい}}なる{{ruby|功徳|くどく}}をも{{ruby|失|うし}}なう』ものです」
弟 「『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}を{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|時|とき}}』ㇵ『{{ruby|ヒイデス|しんこう}}をも{{ruby|失|うし}}なう』のですか?」
師 「その{{ruby|意義|いぎ}}ではない、{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|云|い}}いし{{ruby|如|ごと}}く『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』を{{r|以|も}}ってDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|Graça}}を{{ruby|失|うし}}なう{{ruby|道|みち}}ㇵ『{{ruby|信仰|ヒイデス}}の{{ruby|事|こと}}を{{ruby|何|いづ}}れなりとも{{ruby|信|しん}}じ{{ruby|奉|まつ}}らわぬ{{ruby|事|こと}}』であるのです」「それによって『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}を{{ruby|犯|をか}}しても』キリシタンを{{ruby|翻|ひるが}}えす{{ruby|事|こと}}にはならない」のです。
弟 「『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』を{{ruby|以|も}}ってDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|ガラサ}}を{{ruby|失|うし}}ない{{ruby|奉|まつ}}るに{{ruby|於|を}}いてㇵ{{r|教会衆|ヱケレジヤ}}へ{{ruby|参|まい}}り{{ruby|お祈り|オラショ}}を{{ruby|申|もう}}し{{ruby|善事|ぜんじ}}や{{ruby|善言|ぜんごん}}を{{ruby|致|いた}}す{{ruby|事|こと}}も『{{ruby|益|えき}}なしである』のですか?」
師 「『{{ruby|少|すこ}}しもその{{ruby|意義|いぎ}}にではない』のである、「その{{ruby|時|とき}}こそいよ〱{{r|歩|あゆ}}みを{{ruby|運|はこ}}び{{ruby|お祈り|Oratio}}を{{ruby|申|もう}}し{{ruby|力|ちから}}の{{ruby|及|およ}}ぶ{{ruby|程度|ていど}}に{{ruby|善事|ぜんじ}}を{{ruby|持|もつ}}べき{{ruby|事|こと}}が{{ruby|肝要|かんよう}}なれ、その{{ruby|故|ゆえ}}ㇵその{{ruby|時|とき}}に{{ruby|御難儀|をなんぎ}}に{{ruby|会|あ}}う{{r|故|ゆえ}}」である。「その{{ruby|他|ほか}}に{{ruby|善事|ぜんじ}}より{{ruby|出|いづ}}る{{ruby|功徳|くどく}}これ{{ruby|多|おお}}し」「{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}を{{ruby|顧|かえり}}み{{ruby|科|とが}}を{{ruby|後悔|こうくㇵい}}し{{ruby|以後二度|いごふたゝ}}び{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|犯|をか}}す{{r|間敷|まじ}}きため」「{{ruby|又御|またをん}}{{ruby|主|あるじ}}より{{ruby|息災|そくさい}}とその{{ruby|他|ほか}}{{ruby|現在|げんざい}}の{{ruby|善|よ}}き{{ruby|事等|こととう}}を{{ruby|与|あた}}え{{ruby|宣|のたま}}うための{{ruby|大|おお}}いなる{{ruby|頼|たよ}}りとなる{{r|事|こと}}が{{r|是認|これ}}」です。
弟 「『{{ruby|モルタル咎|ちめいてきつみ}}』を{{ruby|許|ゆる}}さるゝ{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何|どう}}すれば{{r|良|よ}}い」のでしょうか?
師 「{{ruby|咎|とが}}ㇵDf{{ruby|天主神|てんしゅGod}}に{{ruby|対|たい}}し{{ruby|奉|たてまつ}}りての『{{ruby|狼藉|らうぜき}}である』によって」「それを{{ruby|悔|く}}い{{ruby|悲|かな}}しみ{{ruby|以後|いご}}{{ruby|二度|ふたゝび}}に{{ruby|科|とが}}を{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|間敷|まじ}}き」と「{{ruby|思|おも}}い{{ruby|定|さだ}}め{{ruby|コンヒサン|Confiçan}}の{{ruby|懺悔告白|ざんげこくはく}}を{{ruby|申|もう}}すかせめて{{ruby|自分|じぶん}}をもってDf{{ruby|天主神|Deusかみ}}に{{ruby|コンヒサン|Confiçan}}の{{ruby|懺悔告白|ざんげこくはく}}して{{ruby|祈禱|きとう}}を{{ruby|申|もう}}してその{{ruby|痛悔|つうかい}}の{{r|覚悟|かくご}}をなして{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|悔|く}}い{{ruby|悲|かな}}しむ{{ruby|事|こと}}です」これは「{{ruby|コンチリサン|Contriçan}}の{{ruby|痛悔|つうかい}}として{{ruby|科|とが}}を{{ruby|許|ゆる}}される{{ruby|道|みち}}」なのです。<br />
弟 「『{{ruby|ベニアル科|ゆるしうるとが}}』とは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのでしょうか?」
師 「{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}よりも{{ruby|軽|かろ}}き{{ruby|科|とが}}であり」{{ruby|芑卽|これすなわち}}「Df{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|ガラサ}}を{{ruby|失|うし}}なわず」「と{{r|雖|いえど}}もDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|御大切|ごたいせつ}}と{{ruby|御奉公|ごほうこう}}に{{ruby|進|すゝ}}む{{ruby|心|こころ}}を{{ruby|揺|ゆる}}がせに{{ruby|為|な}}すが{{ruby|故|ゆえ}}に『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}の{{ruby|端|はし}}となる』のです」
弟 「それらの『{{ruby|科|とが}}を{{ruby|ベニアル科|ゆるしえるとが}}』と{{ruby|名付|なづ}}くる{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何|どう}}してなのですか?」
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弟 『{{ruby|悪|あく}}の{{ruby|懇願|こんがん}}』となる「{{ruby|上記|じょうき}}の{{ruby|科|とが}}を{{ruby|退|しり}}ぞける{{ruby|為|た}}めの{{ruby|便|たよ}}りがあるのですか?」
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師 「{{ruby|五|いつ}}つあります『ぜんにびぜつしん』の{{ruby|事|こと}}です」「{{ruby|之卽|これすな}}わち{{ruby|肉体|にくたい}}に{{ruby|伴|とも}}なうものであるが{{ruby|故|ゆえ}}に{{ruby|身|み}}の{{ruby|果|は}}てると{{ruby|共|とも}}に{{ruby|果|は}}てるものでもある」のです。
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|title={{ruby|第九|だいく}} {{ruby|七|なな}}つのモルタル{{r|科|とが}}の{{ruby|事|こと}} {{ruby|四十|よんじゅう}}
|year={{r|慶長五年|けいちょうごねん}}、{{r|西暦|せいれき}}1,600
|author=マルコス・ジョルジュ
|notes={{r|個人翻訳|こじんほんやく}}で{{r|文語版|ぶんごはん}}からの{{r|現代口語訳|げんだいこうごやく}}にしました、{{r|出典|しゅってん}}はカサナテンセ{{r|図書館蔵|としょかんぞう}}の{{r|慶長五年|けいちょうごねん}}{{r|版西暦|はんせいれき}}1,600{{r|年版|ねんはん}}の{{r|写真版|しゃしんはん}}です。
}}
「{{ruby|第九|だいく}} {{ruby|七|なな}}つの{{r|致命的料|モルタルとが}}の{{ruby|事|こと}} {{ruby|四十|よんじゅう}}」
「DAICV NANATÇUNO MORTAL TOGANO COTO」
弟 「『Df{{ruby|天主神|デウスGod}}』の『{{ruby|御掟|ごおきて}}の{{r|マンダメント|MANDAMENTO}}』と『{{ruby|サンクタ・ヱケレジヤ|SANCTA-ECCLESIA}}の{{ruby|条規|じょうき}}の{{ruby|マンダメント|MANDAMENTO}}』をば{{ruby|早教|はやをし}}え{{ruby|宣|のたま}}いました、さて{{ruby|又|また}}『{{ruby|致命的科|モルタルとが}}』ㇵ{{ruby|幾|いく}}つあるのですか?」<br />
師 「{{ruby|科|とが}}の{{ruby|品|しな}}ㇵ{{ruby|多|おお}}しと{{ruby|雖|いえ}}ども{{ruby|万|よろ}}ずの{{ruby|科|とが}}の{{ruby|根源|こんげん}}となる{{ruby|科|とが}}ㇵ{{ruby|七|なな}}つあり。{{ruby|一|ひと}}つにㇵ『{{ruby|高慢|かうまん}}』{{ruby|二|ふた}}つにㇵ『{{ruby|頓欲|とんよく}}<ref>「{{ruby|貪欲|どんよく}}」</ref>』{{ruby|三|みっ}}つにㇵ『{{ruby|邪淫|じゃいん}}』{{ruby|四|よっ}}つにㇵ『{{ruby|瞋恚|しんい}}<ref>「{{r|激怒|げきど}}」</ref>』{{r|五|いつ}}つにㇵ『{{ruby|頓食|とんんじき}}<ref>「{{ruby|強欲|ごうよく}}」に{{ruby|食|た}}べる{{ruby|事|こと}}</ref>』{{r|六|むっ}}つにㇵ『{{ruby|嫉妬|しっと}}』{{ruby|七|なな}}つにㇵ『{{ruby|懈怠|けだい}}<ref>「{{ruby|緩慢|かんまん}}」</ref>』これであるのです。これを{{r|凡|すべ}}てを『{{ruby|致命的科|モルタルとが}}』と{{r|云|い}}うのです」
弟 「{{ruby|此|これ}}らの{{ruby|科|とが}}を{{ruby|總|そう}}じて『{{ruby|致命的科|モルタルとが}}』と{{r|云|い}}う{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何|どう}}してなのでしょうか?」
師 「{{ruby|凡|をゝよ}}そそれらは{{ruby|皆|みな}}が『{{ruby|致命的科|モルタルとが}}』と{{ruby|雖|いえど}}も{{ruby|事|こと}}によりて『{{ruby|許し得る科|ベニアルとが}}』になる{{ruby|事多|ことおお}}いからです」
弟 「『{{ruby|致命的|モルタル}}』と{{ruby|云得|いえ}}る{{ruby|謂|いわ}}れㇵ{{ruby|如何云|どうい}}う{{r|事|こと}}だからでしょうか?」
師 「『{{ruby|モルタル|ちめいてき}}』とㇵ『{{ruby|生命|いのち}}を{{ruby|断|た}}つと{{ruby|云|い}}う{{ruby|心|こころ}}であり』{{ruby|天然|なつうら}}の{{ruby|上|うえ}}なる{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|一命|いちめい}}ㇵDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|ガラサ}}であれバ{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}ㇵその{{ruby|恩恵|ガラサ}}を{{ruby|アニマ|たましい}}より{{ruby|取離|とりはな}}すにによって{{ruby|斯|か}}くの{{ruby|如|ごと}}く{{ruby|云|い}}うものである。{{ruby|然|しか}}れども{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|正体|しょうたい}}ㇵ{{ruby|終|お}}わる{{ruby|事|こと}}ないものなれば『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』を{{ruby|犯|をか}}すを{{ruby|以|も}}ってこそ{{ruby|果|は}}てる{{ruby|事|こと}}のありと{{ruby|思|おも}}う{{ruby|事|こと}}であれば{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|生命|いのち}}となる{{ruby|恩恵霊|ガラサ}}を{{ruby|失|うし}}なうが{{ruby|故|ゆえ}}にこれを{{ruby|指|さ}}して『{{ruby|死|し}}する』と{{ruby|云|い}}うのです」
弟 「『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』ㇵ{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|為|た}}めに{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|損|そん}}になるのですか?」
師 それを「そん{{ruby|多|おお}}しと{{ruby|申|もう}}すとも{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|御作者|ごさくしゃ}}Df{{ruby|天主神|デウスGod}}に{{ruby|離|はな}}れ{{ruby|奉|まつ}}り『{{ruby|恩恵|ガラサ}}と{{ruby|御約束|をんやくそく}}の{{ruby|ゴラウリヤ|Gloria栄光}}である{{ruby|パライゾ|Paradise}}の{{ruby|快|こころよ}}さ』{{ruby|又|また}}ㇵ{{ruby|御主|をんあるじ}}の{{ruby|御血|をんち}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|救|すく}}い{{ruby|宣|のた}}まう{{ruby|我|わ}}が{{ruby|アニマ|たましい}}』が{{ruby|肉身|にくしん}}ともに{{ruby|インフェルノ|じごく}}の{{ruby|人数|にんずう}}と{{ruby|定|さだ}}まり『{{ruby|御主|をんあるじ}}J⁰xの{{ruby|御パッション|ごしょうげき}}の{{ruby|御功力|ごくりき}}』と{{ruby|又|また}}『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}に{{ruby|汚|けが}}れずしてゐたる{{ruby|間|あいだ}}に{{ruby|勤|つと}}めてゐた{{ruby|聖|せい}}なる{{ruby|功徳|くどく}}をも{{ruby|失|うし}}なう』ものです」
弟 「『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}を{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|時|とき}}』ㇵ『{{ruby|ヒイデス|しんこう}}をも{{ruby|失|うし}}なう』のですか?」
師 「その{{ruby|意義|いぎ}}ではない、{{ruby|上|うえ}}に{{ruby|云|い}}いし{{ruby|如|ごと}}く『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』を{{r|以|も}}ってDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|Graça}}を{{ruby|失|うし}}なう{{ruby|道|みち}}ㇵ『{{ruby|信仰|ヒイデス}}の{{ruby|事|こと}}を{{ruby|何|いづ}}れなりとも{{ruby|信|しん}}じ{{ruby|奉|まつ}}らわぬ{{ruby|事|こと}}』であるのです、それによって『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}を{{ruby|犯|をか}}しても』キリシタンを{{ruby|翻|ひるが}}えす{{ruby|事|こと}}にはならない」のです。
弟 「『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}』を{{ruby|以|も}}ってDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|ガラサ}}を{{ruby|失|うし}}ない{{ruby|奉|まつ}}るに{{ruby|於|を}}いてㇵ{{r|教会衆|ヱケレジヤ}}へ{{ruby|参|まい}}り{{ruby|お祈り|オラショ}}を{{ruby|申|もう}}し{{ruby|善事|ぜんじ}}や{{ruby|善言|ぜんごん}}を{{ruby|致|いた}}す{{ruby|事|こと}}も『{{ruby|益|えき}}なしである』のですか?」
師 「『{{ruby|少|すこ}}しもその{{ruby|意義|いぎ}}にではない』のである、その{{ruby|時|とき}}こそいよ〱{{r|歩|あゆ}}みを{{ruby|運|はこ}}び{{ruby|お祈り|Oratio}}を{{ruby|申|もう}}し{{ruby|力|ちから}}の{{ruby|及|およ}}ぶ{{ruby|程度|ていど}}に{{ruby|善事|ぜんじ}}を{{ruby|持|もつ}}べき{{ruby|事|こと}}が{{ruby|肝要|かんよう}}なれ、その{{ruby|故|ゆえ}}ㇵその{{ruby|時|とき}}に{{ruby|御難儀|をなんぎ}}に{{ruby|会|あ}}う{{r|故|ゆえ}}」である。その{{ruby|他|ほか}}に{{ruby|善事|ぜんじ}}より{{ruby|出|いづ}}る{{ruby|功徳|くどく}}これ{{ruby|多|おお}}し{{ruby|取分|とりわ}}け{{ruby|我|わ}}が{{ruby|身|み}}を{{ruby|顧|かえり}}み{{ruby|科|とが}}を{{ruby|後悔|こうくㇵい}}し{{ruby|以後二度|いごふたゝ}}び{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|犯|をか}}す{{r|間敷|まじ}}きため、{{ruby|又御|またをん}}{{ruby|主|あるじ}}より{{ruby|息災|そくさい}}とその{{ruby|他|ほか}}{{ruby|現在|げんざい}}の{{ruby|善|よ}}き{{ruby|事等|こととう}}を{{ruby|与|あた}}え{{ruby|宣|のたま}}うための{{ruby|大|おお}}いなる{{ruby|頼|たよ}}りとなる{{r|事|こと}}が{{r|是認|これ}}」です。
弟 「『{{ruby|モルタル咎|ちめいてきつみ}}』を{{ruby|許|ゆる}}さるゝ{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何|どう}}すれば{{r|良|よ}}い」のでしょうか?
師 「{{ruby|咎|とが}}ㇵDf{{ruby|天主神|てんしゅGod}}に{{ruby|対|たい}}し{{ruby|奉|たてまつ}}りての『{{ruby|狼藉|らうぜき}}である』によって、それを{{ruby|悔|く}}い{{ruby|悲|かな}}しみ{{ruby|以後|いご}}{{ruby|二度|ふたゝび}}に{{ruby|科|とが}}を{{ruby|犯|をか}}す{{ruby|間敷|まじ}}き、と{{ruby|思|おも}}い{{ruby|定|さだ}}め{{ruby|コンヒサン|Confiçan}}の{{ruby|懺悔告白|ざんげこくはく}}を{{ruby|申|もう}}すかせめて{{ruby|自分|じぶん}}をもってDf{{ruby|天主神|Deusかみ}}に{{ruby|コンヒサン|Confiçan}}の{{ruby|懺悔告白|ざんげこくはく}}して{{ruby|祈禱|きとう}}を{{ruby|申|もう}}してその{{ruby|痛悔|つうかい}}の{{r|覚悟|かくご}}をなして{{ruby|咎|とが}}を{{ruby|悔|く}}い{{ruby|悲|かな}}しむ{{ruby|事|こと}}です」これは「{{ruby|コンチリサン|Contriçan}}の{{ruby|痛悔|つうかい}}として{{ruby|科|とが}}を{{ruby|許|ゆる}}される{{ruby|道|みち}}」なのです。<br />
弟 「『{{ruby|ベニアル科|ゆるしうるとが}}』とは{{ruby|如何云|どうい}}う{{ruby|事|こと}}なのでしょうか?」
師 「{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}よりも{{ruby|軽|かろ}}き{{ruby|科|とが}}であり、{{ruby|芑卽|これすなわち}}Df{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|恩恵|ガラサ}}を{{ruby|失|うし}}なわず、と{{r|雖|いえど}}もDf{{ruby|天主神|デウスGod}}の{{ruby|御大切|ごたいせつ}}と{{ruby|御奉公|ごほうこう}}に{{ruby|進|すゝ}}む{{ruby|心|こころ}}を{{ruby|揺|ゆる}}がせに{{ruby|為|な}}すが{{ruby|故|ゆえ}}に『{{ruby|モルタル科|ちめいてきとが}}の{{ruby|端|はし}}となる』のです」
弟 「それらの『{{ruby|科|とが}}を{{ruby|ベニアル科|ゆるしえるとが}}』と{{ruby|名付|なづ}}くる{{ruby|事|こと}}は{{ruby|如何|どう}}してなのですか?」
師 「『{{ruby|ベニアル|ゆるしやすい}}』と{{ruby|云|い}}うのは{{ruby|赦|ゆる}}し{{ruby|易|やす}}いと{{ruby|云|い}}う{{ruby|心|こころ}}であり、{{ruby|比科|このとが}}をDf{{ruby|天主神|デウスGod}}より{{ruby|用|たやす}}く{{ruby|赦|ゆる}}し{{ruby|宣|のたま}}うによって{{ruby|ベニアル|ゆるしやすい}}と{{ruby|云|い}}うのです」
弟 「その{{ruby|科|とが}}の{{ruby|御許|おゆる}}しを{{ruby|被|こうむ}}る{{ruby|道|みち}}は{{ruby|如何致|いかゞいた}}したら{{ruby|可|よ}}いものでしょうか?」
師 「{{ruby|何|なに}}であるとも{{ruby|サクラメント|ひっせき}}であるとも{{ruby|授|さづ}}かりミイサを{{ruby|拝|おが}}み{{ruby|謝|あやま}}りの{{ruby|お祈り|Oratio}}を{{ruby|申|もう}}し{{ruby|後悔|こうくㇵい}}を{{r|以|も}}って{{ruby|ビスコップ(ビスポ)|しきょうさま}}の{{ruby|ベンサン|しゅくふく}}を{{ruby|受|う}}け{{ruby|アグア・ベンタ|きよきみず}}を{{ruby|注|そゝ}}ぎ{{ruby|胸|むね}}を{{r|打|う}}ち{{ruby|信心|しんじん}}を{{ruby|以|も}}って{{ruby|パアテル・ナウステル|しゅとうぶん}}の{{ruby|主要件|しゅようけん}}の{{ruby|お祈り|Oratio}}を{{ruby|申|もう}}し、その{{ruby|他何|ほかなに}}である{{ruby|所作|しょさ}}にでもあれ{{ruby|コンチリサン|Contriçam}}の{{ruby|痛悔|つうかい}}の{{r|兆|しるし}}となる{{ruby|事|こと}}を{{ruby|諸々|もろ〱}}の{{r|所作|しょさ}}によって{{ruby|示|しめ}}す{{r|時|とき}}には{{ruby|許|ゆる}}し{{ruby|宣|のたま}}う」のです。
弟 『{{ruby|悪|あく}}の{{ruby|懇願|こんがん}}』となる「{{ruby|上記|じょうき}}の{{ruby|科|とが}}を{{ruby|退|しり}}ぞける{{ruby|為|た}}めの{{ruby|便|たよ}}りがあるのですか?」
師 「{{ruby|余多|あまた}}の{{ruby|便|たよ}}りあり『{{ruby|比七|このなな}}つの{{ruby|科|とが}}に{{ruby|向|む}}かう{{ruby|七|なな}}つの{{ruby|善|ぜん}}あり』『その{{ruby|他|ほか}}に{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|三|みっ}}つの{{ruby|ポテンシャ|てんぷてんねんかのうせい}}となり{{r|得|え}}る』{{ruby|精魂|せいこん}}と{{ruby|肉身|にくしん}}の{{r|センチイドス|かんしょう}}である『げんにびぜつしん』を{{r|守|まも}}りたしなむ{{ruby|事|こと}}です」
弟 「その{{ruby|七|なな}}つの{{ruby|科|とが}}に『{{ruby|向|む}}かう{{ruby|善|ぜん}}』は{{ruby|何|いづ}}れですか?」
師 {{ruby|一|ひと}}つにㇵ「{{ruby|高慢|かうまん}}に{{ruby|向|む}}かう『{{ruby|フウミルダアデ|HUMILDADE}}<ref>「{{r|身|み}}を{{r|低|ひく}}くして{{r|謙虚|けんきょ}}になる」と{{ruby|云|い}}うラテン{{r|語|ご}}の「HUMILITĀS」から{{r|来|き}}ている</ref>』として{{r|遜|へりくだ}}る{{r|事|こと}}」
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弟 「{{ruby|何|なに}}としてこれを『{{ruby|アニマ|たましい}}の{{ruby|ポテンシャ|てんねんかのうせい}}とこそはとは{{ruby|云|い}}う』のですか?」
師 「『{{ruby|アニマ|たましい}}に{{ruby|備|そな}}わる{{ruby|性徳|しょうとく}}の{{ruby|三|みっ}}つの{{ruby|精魂|せいこん}}であるが{{ruby|故|ゆえ}}である』{{ruby|是|これ}}ㇵ{{ruby|肉身|にくしん}}をも{{ruby|離|はな}}れて{{ruby|後|のち}}も{{ruby|アニマ|たましい}}に{{ruby|伴|とも}}ない{{ruby|行|ゆく}}ものである、{{ruby|之|これ}}を{{r|以|も}}って{{ruby|卽|すな}}わち{{ruby|後生|のちのよ}}の{{ruby|苦楽|くらく}}を{{ruby|受|うけ}}るものである」のです。
弟 「{{ruby|肉体|にくたい}}の{{ruby|善|ぜん}}である『{{ruby|センチイドス|かんしょう}}』ㇵ{{ruby|幾|いく}}つあるのですか?」
師 「{{ruby|五|いつ}}つあります『ぜんにびぜつしん』の{{ruby|事|こと}}です{{ruby|之卽|これすな}}わち{{ruby|肉体|にくたい}}に{{ruby|伴|とも}}なうものであるが{{ruby|故|ゆえ}}に{{ruby|身|み}}の{{ruby|果|は}}てると{{ruby|共|とも}}に{{ruby|果|は}}てるものでもある」のです。
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻/ガラテヤとエペソについて/タイトルページ
0
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2024-10-31T07:11:21Z
村田ラジオ
14210
校正
224015
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| title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Title Page|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Title Page]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
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[[Category:教父]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
使徒パウロの手紙についての
コンスタンティノープル大主教
聖ヨハネ・クリソストムの注解と説教
ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙。
オックスフォード訳改訂版(追加注釈付き)
グロス・アレクサンダー牧師 DD、
テネシー州ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学の新約聖書ギリシャ語教授。
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Title Page"を翻訳
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻/ガラテヤとエペソについて/序文
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2024-10-30T13:00:40Z
村田ラジオ
14210
Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Preface"を翻訳
223984
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Preface|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Preface]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
序文。
———————————
聖クリソストモスのガラテヤ人への手紙注解は、他の手紙の解説のように、道徳的または実践的な適用を最後に述べた説教集にまとめられるのではなく、章と節に従って連続している。[ベルナール・ド・]モンフォコンは、著者が第 1 章、第 16 節 (p. 20) で他の著作に言及していることから、アンティオキアで書かれたと推測している。その著作は、確かに同時期にアンティオキアで書かれたものである。Vid. Hom. de Mutal. Nom ., Tom. III., p. 98, Ed. Ben。年は不明だが、西暦395 年より前ではなかったと思われる 。
エフェソの信徒への手紙の説教は、その構成にいくつかの不備があり、アンティオキアで享受していた比較的ゆとりがなかったことを物語っているように思われるため、一部の批評家はコンスタンティノープルの司教区の説教であると主張してきた。説教 11.、231、232 ページにも同様の箇所があり、これは確かにエウドキア宮廷での著者の状況に非常に適切である。しかし、この説教もアンティオキアで行われたと決定する強力な理由がある。アンティオキアの聖人である聖バビラスと聖ユリアヌスは、前者は説教 9、205 ページ、後者は説教 21、342、343 ページとよく知られている。近隣の山岳地帯にある修道院については、説教 6、165 ページと 13、248 ページで言及されている<ref> XXI., p. 338. も参照してください。</ref>。アンティオキア近郊の教会は聖クリソストモスの歴史で有名です。説教第11章230ページでは、彼が語りかけていた共同体における分裂についても触れられていますが、それは教義の問題ではありません。この状況はアンティオキアの同時代の歴史の中で正確に実現されており、アンティオキアで確かに行われたコリントの信徒への手紙一の説教でも多かれ少なかれ言及されています<ref>また、コリント人への第一の手紙の説教の翻訳への序文、p. xiii も参照。</ref>。
さらに、彼は説教6 の終わり、166 ページ、説教 12 の終わり、240 ページで、自分が語りかけていた人々の間に、異邦人およびユダヤ人の迷信が蔓延していることに言及しています。これは、アンティオキアのキリスト教徒に対する彼の他の著作でも頻繁に非難されている根拠です。ガラテヤ人への手紙 15 ページ、コリント人への手紙 1 の説教 12 §§ 13、14、コロサイ人への手紙 8 の説教の終わり、 反駁士師記I の 386~388 ページを参照してください。
分裂期のラテン継承の最後の司教であったエヴァグリウスは西暦392 年に亡くなったため、これらの説教はその日付以前に書かれたものであるに違いありません。
翻訳に関しては、前者については名前を伏せている友人から、後者についてはオックスフォード大学トリニティ・カレッジのフェローであるウィリアム・ジョン・コープランド牧師から翻訳の協力をいただきました。
J.H.ニューマン
==脚注==
{{Reflist}}
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}}
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Preface"を翻訳
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村田ラジオ
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Preface|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Preface]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
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序文
———————————
聖クリソストモスのガラテヤ人への手紙注解は、他の手紙の解説のように、道徳的または実践的な適用を最後に述べた説教集にまとめられるのではなく、章と節に従って連続している。[ベルナール・ド・]モンフォコンは、著者が第 1 章、第 16 節 (p. 20) で他の著作に言及していることから、アンティオキアで書かれたと推測している。その著作は、確かに同時期にアンティオキアで書かれたものである。Vid. Hom. de Mutal. Nom ., Tom. III., p. 98, Ed. Ben。年は不明だが、西暦395 年より前ではなかったと思われる 。
エフェソの信徒への手紙の説教は、その構成にいくつかの不備があり、アンティオキアで享受していた比較的ゆとりがなかったことを物語っているように思われるため、一部の批評家はコンスタンティノープルの司教区の説教であると主張してきた。説教 11.、231、232 ページにも同様の箇所があり、これは確かにエウドキア宮廷での著者の状況に非常に適切である。しかし、この説教もアンティオキアで行われたと決定する強力な理由がある。アンティオキアの聖人である聖バビラスと聖ユリアヌスは、前者は説教 9、205 ページ、後者は説教 21、342、343 ページとよく知られている。近隣の山岳地帯にある修道院については、説教 6、165 ページと 13、248 ページで言及されている<ref> XXI., p. 338. も参照してください。</ref>。アンティオキア近郊の教会は聖クリソストモスの歴史で有名です。説教第11章230ページでは、彼が語りかけていた共同体における分裂についても触れられていますが、それは教義の問題ではありません。この状況はアンティオキアの同時代の歴史の中で正確に実現されており、アンティオキアで確かに行われたコリントの信徒への手紙一の説教でも多かれ少なかれ言及されています<ref>また、コリント人への第一の手紙の説教の翻訳への序文、p. xiii も参照。</ref>。
さらに、彼は説教6 の終わり、166 ページ、説教 12 の終わり、240 ページで、自分が語りかけていた人々の間に、異邦人およびユダヤ人の迷信が蔓延していることに言及しています。これは、アンティオキアのキリスト教徒に対する彼の他の著作でも頻繁に非難されている根拠です。ガラテヤ人への手紙 15 ページ、コリント人への手紙 1 の説教 12 §§ 13、14、コロサイ人への手紙 8 の説教の終わり、 反駁士師記I の 386~388 ページを参照してください。
分裂期のラテン継承の最後の司教であったエヴァグリウスは西暦392 年に亡くなったため、これらの説教はその日付以前に書かれたものであるに違いありません。
翻訳に関しては、前者については名前を伏せている友人から、後者についてはオックスフォード大学トリニティ・カレッジのフェローであるウィリアム・ジョン・コープランド牧師から翻訳の協力をいただきました。
J.H.ニューマン
==脚注==
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/Preface"を翻訳
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻/ガラテヤとエペソについて/エペソ人への手紙注解
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村田ラジオ
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/On Ephesians"を翻訳
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村田ラジオ
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*ウィキソースによる日本語訳
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/On Ephesians"を翻訳
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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻/ガラテヤとエペソについて/エペソ人への手紙注解/議論
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村田ラジオ
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/On Ephesians/The Argument" を翻訳
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*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
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使徒パウロの手紙についての
コンスタンティノープル大司教
聖ヨハネ・クリソストムの注解と説教
エペソ人への手紙
———————————
===議論===
エペソはアジアの首都です。この都市は女神ディアナに捧げられており、人々はディアナを特に偉大な女神として崇拝していました。実際、ディアナの崇拝者たちの迷信は深く、彼女の神殿が焼かれたときも、それを焼いた男の名前さえも明かさなかったほどです。
福音書記者ヨハネは、人生の大部分をそこで過ごしました。彼は追放されたときもそこで過ごし<ref> [黙示録は、彼が小アジアの教会の長であったことをすでに示唆している。黙示録 1: 4, 9, 11, 20。第 2 章と第 3 章。これは古代の一致した証言によって確認されている。最も可能性の高い見解は、彼がネロの下でパトモス島に追放され、ネロの死後まもなく、西暦 68 年または 69 年に黙示録を書き、エフェソスに戻り、西暦 98 年以降にそこで亡くなったという ものである。 —Schaff、Ch. Hist. I. p. 424, 429。—GA]</ref>、そこで亡くなりました。パウロがテモテに残したのもそこでした。彼は彼にこう書いています。「私はあなたにエペソにとどまるように勧めました。」(テモテ第一 1:3)
哲学者のほとんど、特にアジアで活躍した哲学者たちもそこにいました。ピタゴラス自身もそこから来たと言われています。おそらく彼が実際に来たサモス島がイオニア諸島だからでしょう<ref> [エフェソスもその都市の一つでした。GA]</ref>。また、パルメニデス、ゼノン、デモクリトスの弟子たちが滞在した場所でもあり、今日でも多くの哲学者がそこにいるのを見ることができます。
これらの事実を私が言及するのは、単にそのようにではなく、パウロがエペソの信徒に手紙を書くのに多大な労力と苦労を要したことを示すためです。パウロは、すでに十分な教育を受けている彼らに、彼の最も深い考えを託したと言われています。そして、その手紙自体が崇高な考えと教義に満ちています<ref> [コールリッジはこれを「人間の最も神聖な作品」と呼んでいる。アルフォード:「想像力そのものが天上のもので満たされた者の、最も偉大で最も天上の作品。」グロティウス:「その思考の崇高さに匹敵する、人間の言語がかつて持っていたどの言語よりも崇高な言葉。」—Schaff, Ch. Hist . I. p. 781 より引用。—GA]</ref>。
彼はローマから、そして彼自身が述べているように、拘束された状態でこの手紙を書きました。「私のために祈ってください。私が口を開いて福音の奥義を大胆に告げ知らせることができるように。私は鎖につながれながらも福音の使節なのです。」(エペソ人への手紙 6:19) この手紙には、圧倒的な高尚さと偉大さの感情が溢れています。他の場所ではほとんど語られない考えを、彼はここでははっきりと宣言しています。例えば、「それは、今や、天にある支配と権威に、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためでした。」(エペソ人への手紙 3:10) また、「神は、私たちをキリストと共に復活させ、キリストと共に天の所に座らせてくださいました。」(エペソ人への手紙 2:6) また、「このことは、昔の人には知らされていませんでしたが、今は、{{r|御|み}}{{r|霊|たま}}によって、神の聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。すなわち、異邦人もキリストにあって、約束の共同相続人であり、共同にあずかる者なのです。」(エペソ 3:5)
::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻/ガラテヤとエペソについて/エペソ人への手紙注解/議論#議論|トップに戻る]]
==脚注==
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/On Ephesians/The Argument"を翻訳
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| title = ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻/ガラテヤとエペソ
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*底本: Philip Schaff, "[[s:en:Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/On Ephesians/The Argument|Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/On Ephesians/The Argument]]".
*ウィキソースによる日本語訳
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:キリスト教の歴史]]
[[Category:教父]]
[[Category:ニカイア教父とニカイア後教父]]
}}
使徒パウロの手紙についての
コンスタンティノープル大主教
聖ヨハネ・クリソストムの注解と説教
エペソ人への手紙
———————————
===議論===
エペソはアジアの首都です。この都市は女神ディアナに捧げられており、人々はディアナを特に偉大な女神として崇拝していました。実際、ディアナの崇拝者たちの迷信は深く、彼女の神殿が焼かれたときも、それを焼いた男の名前さえも明かさなかったほどです。
福音書記者ヨハネは、人生の大部分をそこで過ごしました。彼は追放されたときもそこで過ごし<ref> [黙示録は、彼が小アジアの教会の長であったことをすでに示唆している。黙示録 1: 4, 9, 11, 20。第 2 章と第 3 章。これは古代の一致した証言によって確認されている。最も可能性の高い見解は、彼がネロの下でパトモス島に追放され、ネロの死後まもなく、西暦 68 年または 69 年に黙示録を書き、エフェソスに戻り、西暦 98 年以降にそこで亡くなったという ものである。 —Schaff、Ch. Hist. I. p. 424, 429。—GA]</ref>、そこで亡くなりました。パウロがテモテに残したのもそこでした。彼は彼にこう書いています。「私はあなたにエペソにとどまるように勧めました。」(テモテ第一 1:3)
哲学者のほとんど、特にアジアで活躍した哲学者たちもそこにいました。ピタゴラス自身もそこから来たと言われています。おそらく彼が実際に来たサモス島がイオニア諸島だからでしょう<ref> [エフェソスもその都市の一つでした。GA]</ref>。また、パルメニデス、ゼノン、デモクリトスの弟子たちが滞在した場所でもあり、今日でも多くの哲学者がそこにいるのを見ることができます。
これらの事実を私が言及するのは、単にそのようにではなく、パウロがエペソの信徒に手紙を書くのに多大な労力と苦労を要したことを示すためです。パウロは、すでに十分な教育を受けている彼らに、彼の最も深い考えを託したと言われています。そして、その手紙自体が崇高な考えと教義に満ちています<ref> [コールリッジはこれを「人間の最も神聖な作品」と呼んでいる。アルフォード:「想像力そのものが天上のもので満たされた者の、最も偉大で最も天上の作品。」グロティウス:「その思考の崇高さに匹敵する、人間の言語がかつて持っていたどの言語よりも崇高な言葉。」—Schaff, Ch. Hist . I. p. 781 より引用。—GA]</ref>。
彼はローマから、そして彼自身が述べているように、拘束された状態でこの手紙を書きました。「私のために祈ってください。私が口を開いて福音の奥義を大胆に告げ知らせることができるように。私は鎖につながれながらも福音の使節なのです。」(エペソ人への手紙 6:19) この手紙には、圧倒的な高尚さと偉大さの感情が溢れています。他の場所ではほとんど語られない考えを、彼はここでははっきりと宣言しています。例えば、「それは、今や、天にある支配と権威に、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためでした。」(エペソ人への手紙 3:10) また、「神は、私たちをキリストと共に復活させ、キリストと共に天の所に座らせてくださいました。」(エペソ人への手紙 2:6) また、「このことは、昔の人には知らされていませんでしたが、今は、{{r|御|み}}{{r|霊|たま}}によって、神の聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。すなわち、異邦人もキリストにあって、約束の共同相続人であり、共同にあずかる者なのです。」(エペソ 3:5)
::[[ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ I/第13巻/ガラテヤとエペソについて/エペソ人への手紙注解/議論#議論|トップに戻る]]
==脚注==
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Philip Schaff, "Nicene and Post-Nicene Fathers: Series I/Volume XIII/On Galatians and Ephesians/On Ephesians/The Argument"を翻訳
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